畔田翠山「水族志」 チダヒ (仮比定:チダイ)
(二九)
チダヒ【同名アリ棘鬣ノ一種ワモチダヒト云】 セウゼウ【紀州在田郡湯淺】
形狀黃穡魚ニ似テ窄長ニ乄身薄シ頭亦窄ク口小也背紅色腹淡紅色
黃色ヲ帶背腹ノ間黃色深シ腹下翅黃色ニ乄上ノ方半赤シ背鬣上ハ
紅色黃ヲ帶下ハ黃色ニ乄本紅色腰下鰭本紅色ニ乄腰下鰭本紅色ニ
乄末淡紅色尾本赤色ニ乄端黃也鱗細也閩中海錯疏曰黃參鱗細黃赤
色黃閩書曰又有黃彡似鯧差長鱗細黃赤色
○やぶちゃんの書き下し文
ちだひ【同名あり。棘鬣(まだひ)の一種、「わもちだひ」と云ふ。】 「せうぜう」【紀州在田(ありだ)郡湯淺。】
形狀、「黃穡魚(わうしよくぎよ)」に似て、窄(すぼ)く、長(ちやう)にして、身、薄し。頭も亦、窄く、口、小なり。背、紅色。腹、淡紅色、黃色を帶ぶ。背と腹の間、黃色、深し。腹下翅(はらしたびれ)、黃色にして、上の方、半ば赤し。背鬣の上は紅色、黃を帶ぶ。下は黃色にして、本(もと)、紅色。腰下鰭(こししたびれ)、本、紅色にして、腰下鰭の本は紅色にして、末は淡紅色。尾、本、赤色にして、端(はし)、黃なり。鱗、細(こま)かなり。「閩中海錯疏」に曰はく、『黃參(わうさん)は、鱗、細かく、黃赤。色、黃なり。』「閩書」に曰はく、『又、「黃彡(わうさん)」、有り。「鯧(しやう)」に似て、差(やや)長し。鱗、細く、黃赤色。』と。
[やぶちゃん注:一応、スズキ目スズキ亜目タイ科マダイ亜科チダイ属チダイ Evynnis tumifrons に比定しておく。畔田がマダイの一種と言っている通り、マダイに似ているが、マダイのように大きくはならず、体長四十五センチメートルで重さ一キログラムがせいぜいである。腮蓋(えらぶた)の後端が有意に赤く、血が滲んだように見える濃赤色を呈することから「血鯛」だとする説がかなり知れ渡っている(これを定説とする記載もあるが、異説もある)。しかし、肝心の決定的な、その腮蓋後ろの「血色の筋」が記されていないのが不審である。或いは、畔田は現地で新鮮な個体を見たのではなく、持ち込まれたものを見て、その特有の血のような筋を、採られた際の出血と誤認し、記さなかった可能性を考えることは出来るように思われるが、ここは一応、「仮比定」ということにした。
『同名あり。棘鬣の一種、「わもちだひ」と云ふ』という割注は、よく意味がとれない。これは――「ちだひ」と呼ぶ同名異種が、また、別に存在し、それも、「ちだひ」と同じくマダイの一種であって、その同名異種の方は別に「わもちだひ」という――の意でとるしかないと私は思うのだが、如何せん、「わもちだひ」の名が現在に残っていないので、どうしようもない。
「せうぜう」体色が全体に赤いことから、「猩々(しやうじやう)」の訛ったもののように感じられる。
「在田郡」近代以降は「有田(ありだ)郡」であるが、江戸時代まではこうも表記した。
「湯淺」現在の和歌山県有田郡湯浅町(ゆあさちょう:グーグル・マップ・データ)。
「黃穡魚」現代仮名遣の音なら「オウショクギョ」であるが、どうも不審である。何故なら「穡」は「農作物を収穫する・農業」や「惜しむ・物惜しみする」「吝嗇(けち)」の謂いでどうも意味としてピンとこないからで(敢えてコジつけるなら、鼻っ柱のやけに高いのが、吝嗇な珍言の面(つら)に見えるという比喩的な謂いなのかも知れない)、私は実は、ずっと以前から、この「穡」は「檣」(ショク:ほばしら)の誤字で、幾つかの異なった魚種に見られる、鼻筋が唇の上から、すぐに鈍角となって屹立しているさまを喩えている漢語ではあるまいか? と疑ってきた経緯があるのである。確かに、本邦に出回っている国内の本草書では、畔田が記すように、「閩書南產志」からの引用としてだいたいが「黃穡魚」とあるのだ。和刻の「閩書南產志」でもそうである(一例を挙げると、早稲田大学図書館「古典総合データベース」にある, 寛延四(一七五一)年の訓点附き和刻本のここを見られたい)。例えば、寺島良安の「和漢三才圖會 卷第四十九 魚類 江海有鱗魚」の「黄穡魚(はなをれだひ)」が、やはりそれなのだ(リンク先は私の電子テクスト)。「閩書南產志」の中国の原本の画像を見ることが出来ないので、未だに私のこの疑問と疑惑を解くすべがないのである。しかし、今回、中文「維基文庫」の電子化された「閩中海錯疏」の当該部(「鏡魚 圓眼」の項の三行目)を見たところ、表記が出来ない旨の注があった。「檣」なら、使えないはずがない。ということは、少なくとも――「閩中海錯疏」の方の原本のそれは「穡」である可能性が高い――ようにも思われた。さて、「閩中海錯疏」は、明の屠本畯(とほんしゅん 一五四二年~一六二二年)が撰した福建省(「閩」(びん)は同省の略称)周辺の水産動物を記した博物書で、一五九六年成立である。さても、こちらは、本邦の「漢籍リポジトリ」でも分割で全文が電子化されており、当該の「中卷」ここで視認出来るのだが、[002-8b]の箇所に「鏡魚 圓眼」とあって、「黄彡」の後に「黄□」で、やはり電子化が出来ていないのであった。そこで――その影印本画像を見たら(ガイド・ナンバーのリンクを押すと画像が出る)――
あった!――
★「黃𩼒」★――だった!
一つは不審が解けた!
なお、「ハナオレ」・「ハナオレダイ」の異名は、例えば、このチダイの異名でもあり、他に、キダイ(タイ科キダイ亜科キダイ属キダイ Dentex tumifrons)・アマダイ(スズキ亜目キツネアマダイ(アマダイ)科アマダイ属 Branchiostegus 。上に示した「古典総合データベース」版では、しっかり「アマタイ」とルビが振られている)等の異名でもあるのである。因みに、私の考証した『毛利梅園「梅園魚譜」 黃穡魚(ハナオレダイ)』では、図の魚に悩みに悩んだ結果、条鰭綱スズキ目ベラ亜目ベラ科タキベラ亜科イラ属イラ Choerodon azurio に比定している。]
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