「新說百物語」巻之五 「薪の木こけあるきし事」
[やぶちゃん注:書誌・凡例その他は初回の冒頭注を参照されたい。
底本は「国文学研究資料館」のこちらの画像データを用いる。但し、所持する国書刊行会『江戸文庫』の「続百物語怪談集成」(一九九三年刊)に載る同作(基礎底本は国立国会図書館本とあるが、国立国会図書館デジタルコレクションで検索しても、かかってこないので、公開されていない)にある同書パートをOCRで読み込み、加工データとして使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。
今回はここ。この篇も濁音脱落が多い。ママ注記が五月蠅いが、悪しからず。]
薪《たきぎ》の木こけあるきし事
因州の人の語りしは、其人の伯父なりける家に、むかしより、代々、奇異なる事あり。
薪を買ひて、十束《じつたば》つみをけは[やぶちゃん注:ママ。]、九束めを、部屋へ取りにゆくと、十束めの薪木、をのれと[やぶちゃん注:ママ。]ころひて[やぶちゃん注:ママ。]、裏口より、いつかた[やぶちゃん注:ママ。]へ行くとも見へす[やぶちゃん注:ママ。]失せる事、むかしより、今に替る事、なし。
二十束、三十束、調へて、もうせる薪木は拾束めの薪なり。
それゆへ[やぶちゃん注:ママ。]、工夫《くふう》を致し、いつにても、九束つゝ[やぶちゃん注:ママ。]取置《とりおき》けれは[やぶちゃん注:ママ。]、何のさはりもなく、うせる事もなかりしか[やぶちゃん注:ママ。]、九度めの薪木を取置きけるときに、部屋へ入れ置き、しはらく[やぶちゃん注:ママ。]ありて、九束の薪木、一把もなく、失せたり。
是非に及はす[やぶちゃん注:総てママ。]、今にても、十束つゝ[やぶちゃん注:ママ。]取《とり》よせ、いつにても、一束は、失せ次㐧に、いたしけるよし。
あやしき事なり。
[やぶちゃん注:この怪異も類を見ないオリジナリティがあるポルター・ガイストである。本邦ではポルター・ガイストは近世以前では、それほどメジャーではないからである。しかも、これは意識的詐欺やカラクリ物ではなく、実際に薪の一束が自動的によろよろと出て行くのであって、付喪神の範疇でさえない。因みに、昨今の外国の心霊動画はポルター・ガイスト大繁盛で、殆んどは作り物としか見えず、最近は批判的視聴も馬鹿々々しいので、見ていないほどである。]