「新說百物語」巻之五 「桑田屋惣九郞屋敷之事」
[やぶちゃん注:書誌・凡例その他は初回の冒頭注を参照されたい。
底本は「国文学研究資料館」のこちらの画像データを用いる。但し、所持する国書刊行会『江戸文庫』の「続百物語怪談集成」(一九九三年刊)に載る同作(基礎底本は国立国会図書館本とあるが、国立国会図書館デジタルコレクションで検索しても、かかってこないので、公開されていない)にある同書パートをOCRで読み込み、加工データとして使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。
今回はここから。この篇も濁音脱落が多い。ママ注記が五月蠅いが、悪しからず。]
桑田屋惣九郞屋敷之事
京油小路に桑田屋惣九郞といふ茶屋ありけるが、夫婦と、むすこ壱人、小者一人、四人、くらしける。
ある朝、親友心、とくおきて、小便に出《いで》けるに、屋敷の下に、火の影、見へたり。
[やぶちゃん注:「心」茶屋であるから、親友が泊まるのはいいとしても(と言っても、後にも普通に出るので、殆んど居候状態の親友らしい)、「心」を名と採るのは、、如何にも厳しい。ここは「心」友(心の通い合った友)である「親友」で、「親友心」(しんゆうしん/しんゆうじん)と呼んだものか。にしても、私はこんな熟語は見たことがなく、どうも躓かざるを得ない。江戸時代に用例はあるが、この「心友」という熟語も親友を差別化していて、私は大嫌いである。]
ふしぎに思ひ、のそきみれは[やぶちゃん注:総てママ。]、ゑん[やぶちゃん注:ママ。]の下に、あたらしき土器に、火をとほし[やぶちゃん注:ママ。]てあり。
「いまた[やぶちゃん注:ママ。]誰《たれ》もおきぬに、いかなる事。」
と、たれかれと尋ぬれと[やぶちゃん注:ママ。]、壱人も、めのさめたるも、なし。
其分に致し置きけるか[やぶちゃん注:ママ。]、又、一兩日過《すぎ》て、母親、二階へあかりけれは[やぶちゃん注:総てママ。]、麻上下《あさかみしも》着たりける男と、打《うち》かけ・わた帽子の女と、さしむかひ、居たりける。
二階より飛び下りて、
「かく。」
と告《つげ》たりけるにより、惣九郞諸共《もろとも》、あがりて、見ければ、壱對の燭臺《しよくだい》に、小袖をきせ、上下・打掛を、きせ置きたり。
やうやう、かた付け、二階より、四人とも、おりけるが、四人のものゝ帶に、紙にて四手《しで》を切りて、皆々、付け置きたり。
[やぶちゃん注:「四手」「垂(しで)」で動詞「し(垂)ず」の連用形から名詞化したもの。「四手」は当て字。玉串(たまぐし)や注連縄(しめなわ)などにつけて垂らす例の紙のこと。]
「すこしの間に、いかゝ[やぶちゃん注:ママ。]したる事にや。」
と、肝をつぶして居たる所に、又々、ゑん[やぶちゃん注:ママ。]の下に、とほし火[やぶちゃん注:ママ。]のひかりあり。
よくよくみれは[やぶちゃん注:ママ。]、ちいさき[やぶちゃん注:ママ。]あたらしき宮居《みやゐ》を置《おき》て、燈明《とうみやう》を、とほし[やぶちゃん注:ママ。]、あらひ米を供へたり。
又、其夜、ねてゐる内に、親友、心の夜着の下へは、小者を入れをき[やぶちゃん注:ママ。後も同じ。]、むすこ惣九郞の夜着のすそへは、母親を、いれをきける。
目をさまして、皆々、きもをつふし[やぶちゃん注:ママ。]ける。
廿日はかり[やぶちゃん注:ママ。]の内、いろいろ、さまさま[やぶちゃん注:ママ。後半は踊り字「〱」。]あやしき事とも[やぶちゃん注:ママ。]ありて、ある日、
「はしりの水ぬきより、何やらん。出《いで》たり。」
と、小者の告《つげ》ける故、追《おひ》かけけれとも[やぶちゃん注:ママ。]、最早、見へす[やぶちゃん注:総てママ。]。
[やぶちゃん注:「はしりの水ぬき」台所の流しの外の下水口を指す。]
夫より、あやしき事は、やみけるか[やぶちゃん注:ママ。]、果《はた》して、兩親、惣九郞、三人とも、打《うち》つゝき[やぶちゃん注:ママ。]て相果《あひはて》ける。
[やぶちゃん注:あらゆる説明不能な怪現象が目白押しで、怪談としては、オリジナリティがあり、よく書けている。最後のあたりと奇怪な宮居を縁の下に立てたり、侍や花嫁御寮に化けたりするところは、妖狐(最後の脱出箇所からは、江戸時代には狐狸とともに人を化かす妖怪とされた獺(かわうそ)の可能性も候補に挙げておきたい)が正体らしいが、夫婦と息子を、皆、死に至らしむというのは、かなり兇悪な狐である。]
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