「新說百物語」巻之五 「女をたすけ神の利生ありし事」
[やぶちゃん注:書誌・凡例その他は初回の冒頭注を参照されたい。
底本は「国文学研究資料館」のこちらの画像データを用いる。但し、所持する国書刊行会『江戸文庫』の「続百物語怪談集成」(一九九三年刊)に載る同作(基礎底本は国立国会図書館本とあるが、国立国会図書館デジタルコレクションで検索しても、かかってこないので、公開されていない)にある同書パートをOCRで読み込み、加工データとして使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。
今回はここから。この篇も濁音脱落が多い。ママ注記が五月蠅いが、悪しからず。]
女をたすけ神の利生ありし事
京、上長者町に「ひしや治郞兵衞」といふもの、あり。
[やぶちゃん注:現在の京都府京都市上京区のここの東西を走る上長者町通(グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ)。]
いまた[やぶちゃん注:ママ。]若き時より、男伊達にて、一生、佛法といふことも、ねかはす[やぶちゃん注:総てママ。]
、夫婦、暮しけるか[やぶちゃん注:ママ。]
、ある時、夢に見たりけるは、衣冠正しき人、來たり、
「我は、大宮七条あたりのものなり。」
とて、飛《とび》さり給ふ。
[やぶちゃん注:「大宮七条」ここ。]
『ふしき[やぶちゃん注:ママ。]の事。』
に思ひて、七条に、いたりけれは[やぶちゃん注:ママ。]
、古《ふる》かね[やぶちゃん注:ママ。]店《みせ》に、右のことき[やぶちゃん注:ママ。]天神の像あり。
さしもの男伊達も、信心、きもにめいし[やぶちゃん注:ママ。]、調《ととの》へ、かへり、信心いたしけるか[やぶちゃん注:ママ。]
、あるとし、大熱病を、わつらひ[やぶちゃん注:ママ。]て、命も、おはらんとしける故、女房、水ごり[やぶちゃん注:「水垢離」。]をとり、彼の天神に、夫の命乞《いのちごひ》をいたしける。
天神、夢に、女房に告《つげ》て、の給はく、
「汝が願ふ所も、餘儀なし。なににても、大切のものを、捨(すつ)へし[やぶちゃん注:ママ。]。病氣、快氣なさしめん。」
と、ありありと、霊夢を、かふむり、うたかふへくもあらす[やぶちゃん注:総てママ。]。
夫婦くらしの事なれは[やぶちゃん注:ママ。]、さして大切の物とても、なし。
「何をか、捨つへし[やぶちゃん注:ママ。]。」
と談合して、年々、祕藏して、そたて[やぶちゃん注:ママ。]たる豐後梅の鉢植を、引《ひき》ぬき、小㙒の天神の神前に、捨て置き、女房か[やぶちゃん注:ママ。]
、宿へかへると、大熱、せんせん[やぶちゃん注:ママ。「漸々(ぜんぜん)」。]に、さめて、程なく、本ふくいたしける。
[やぶちゃん注:「豐後梅」バラ科サクラ属交雑種ブンゴウメ Prunus mume var. bungo 。梅とアンズの交雑種。原産地は大分。観賞用。
「小㙒の天神」不詳。識者の御教授を乞う。]
此治郞兵衞、其後、油小路邊を通りしに、初夜[やぶちゃん注:午後八時から九時頃。]過《すぎ》の事なりしか[やぶちゃん注:ママ。]
、女、壱人《ひとり》、なきなき、物をたつぬる[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]風情なり。
「何をたつぬるそ[やぶちゃん注:ママ。]」
と、たつねしかは[やぶちゃん注:ママ。]、
「私事《わたくしこと》は、さる武家に奉公いたす女なり。今日、夕かた、御出入《おでいり》の小間物やへ、つかひに參り、金子、拾兩ばかりの玳瑁(たいまい)の櫛を、三枚、持ちかへりて、一枚、取りおとしけるか[やぶちゃん注:ママ。]、見へ侍らす[やぶちゃん注:ママ。]。主人の申さるゝは、
『もしも、此櫛なくは、手打《てうち》にすへし[やぶちゃん注:ママ。]。』
と申さるゝにつけて、あてもなく、かくの如く、たつね[やぶちゃん注:ママ。]ける。」
と申す。
治郞兵衞、聞きて、
「それは、笑止なる事かな。」
とて、其近所にて、挑灯(てうちん)を、かり來りて、二人して、尋ぬれとも[やぶちゃん注:ママ。]、ひろいえす[やぶちゃん注:ママ。]。
女、なくなく、申すやう、
「迚《とて》も、歸へりても、うきめを見る事に候へは[やぶちゃん注:ママ。]
、是より、渕河《ふちかは》へも、身をは、なけ、申すへし[やぶちゃん注:総てママ。]。存《ぞんじ》もよらぬ御世話に、あつかり[やぶちゃん注:ママ。]たり。」
と、かたるを、不便に、おもひ、
「それは、わろき了簡なり。先々《まづまづ》、是より、在所へ歸り、親とも相談して、主人へ、わひこと[やぶちゃん注:総てママ。]も、したまへかし。」
とすゝめけれとも[やぶちゃん注:ママ。]、
「いや。在所へ、女の身にて、ひとりも、歸られす[やぶちゃん注:ママ。]。まして、親に苦勞をかけるも、氣の毒なり。」
と、成程、身をも、なくへき[やぶちゃん注:総てママ。]やうすなり。
「夫ならは[やぶちゃん注:ママ。]、まつまつ[やぶちゃん注:ママ。後半は底本では踊り字「〱」。]、其元《そこもと》かゝたへ[やぶちゃん注:ママ。]來たり、一宿《いつしゆく》ても[やぶちゃん注:ママ。「でも」。]ありて、思案も、し給へ。」
とて、無理に、ともなひ、歸へり、女房とともに、すゝめて、在所、勢州雲津《くもづ》へ送らする談合になり、人をやとひ、路錢も、あたへぬ。
此女、雲津に知るべありけるゆへ[やぶちゃん注:ママ。]、それまて[やぶちゃん注:ママ。]
、おくりとゝけ[やぶちゃん注:ママ。]て、雇人(やとひど)は、京に、かへりけり。
[やぶちゃん注:「雲津」古名で歌枕でもあるが、一つは、現在の三重県北部の香良洲(からす)町にある岬とする。雲出(くもず)川の河口を抱く。ここ。一説にその北西直近の雲出川《くもずかわ》左岸の津市南部の雲出(くもず)地区ともする(小学館「日本国語大辞典」に拠った)。
「雇人」治郎兵衛が彼女を京都から雲津へ送るのに雇った者。]
其後、段々、親よりも、御主人へ御わび申しけるか[やぶちゃん注:ママ。]
、その女の、おとしたるにては、なく、あしきもの、ありて、取りかくせしよしにて、女のあかり[やぶちゃん注:明かし。]は立《たち》て、
「又々、奉公に、のほるへし[やぶちゃん注:総てママ。]。」
と、主人より申されけれとも[やぶちゃん注:ママ。]、奉公に、こりて、其侭《そのまま》、在所に居たりける。
三年、すき[やぶちゃん注:ママ。]
て、最前の「ひしや治郞兵衞」、「伊勢太々講《いせだいだいこう》」の人數《にんず》にて、參宮いたしけるか[やぶちゃん注:ママ。]、ある日、雲津の一里はかりあの方《かた》にて、笠打ちかふり、のほり[やぶちゃん注:ママ。]ける所に、在所のわきより、女、壱人、ちいさき女を、供《とも》につれて來たりけるか[やぶちゃん注:ママ。]、治郞兵衞の顏を、つくつく[やぶちゃん注:ママ。後半は踊り字「〱」。]と見て、そばへ、より、
「もしも、おまへには、京の治郞兵衞さまにては、なしや。」
と、とふ。
治郞兵衞も、立ちとまりて、
「成程、京都のものにて、名は治郞兵衞と申す。其元《そこもと》には、何とやら、見たる人の樣《やう》なり。」
と、こたへける。
女の、いはく、
「私事《わたくしこと》は、先年、櫛をおとし、御世話にあつかり[やぶちゃん注:ママ。]しもの、そのゝち、私事、あかりも立ちて、其元樣《そこともさま》を、命《いのち》の親と存し[やぶちゃん注:ママ。]、二親《ふたおや》もろとも、御礼を申さんと、そんし[やぶちゃん注:総てママ。]候へとも[やぶちゃん注:ママ。]、あまり、心せきて、御所も覚へす[やぶちゃん注:ママ。]、家名もしらす[やぶちゃん注:ママ。]、只、『治郞兵衞樣』とはかり[やぶちゃん注:ママ。]にて、いつかた[やぶちゃん注:ママ。]を尋ねんやうも、なく、御恩も、おくらす[やぶちゃん注:ママ。]、日毎に、申出居《まふしいだし》申候ふ。是より、一町はかり[やぶちゃん注:ママ。]奧にて候ふまゝ、御立寄《おたちより》下さるへし[やぶちゃん注:ママ。]。」
といふ。
「いやいや、夫《それ》は、先々《まづまづ》、珍重《ちんちよう》の事[やぶちゃん注:お目出たいことじゃ。]。しかし、連(つれ)も、是れ、あれば、又々、參宮いたす節《せつ》、立ち寄り申すへし[やぶちゃん注:ママ。]。」
と、いへとも[やぶちゃん注:ママ。]、なかなか、女、がてんせす[やぶちゃん注:ママ。]。
むりに、いさなひて、歸へりけれは[やぶちゃん注:ママ。]、二親はじめ、兄・妹、其外、近所、打《うち》より、淚をこほし[やぶちゃん注:ママ。]て、礼をいゝ[やぶちゃん注:ママ。]、無理にとゝめ[やぶちゃん注:ママ。]て、夕飯なと[やぶちゃん注:ママ。]
、出《いだ》し、盃《さかづき》を取《とり》かはし、日暮になりて、駕籠を、いゝつけ[やぶちゃん注:ママ。]、雲津の宿《しゆく》迄、送らせけるか[やぶちゃん注:ママ。]、道十町[やぶちゃん注:一・〇九キロメートル。]はかり行けは[やぶちゃん注:総てママ。]、雲津川なり。
河上、ゆふ立《だち》なと[やぶちゃん注:ママ。] しけるか、大水にて、川はたには、松明(たいまつ)・挑灯、おひたゝしく[やぶちゃん注:ママ。]、
「參宮人の船、かへりて[やぶちゃん注:転覆して。]、八人まて[やぶちゃん注:ママ。]死したる。」
と、さはきけるか[やぶちゃん注:ママ。]、其内に、水中より、旅人壱人の死かい[やぶちゃん注:ママ。] を、あけ[やぶちゃん注:ママ。]たり。
見れば、治郞兵衞が連の同行《どうぎやう》なり。
おゝきにおとろき[やぶちゃん注:総てママ。]、夜明けてみれば、八人のしがい、殘らす[やぶちゃん注:ママ。] 、上《あが》りける。
水も、少々、おたやかに[やぶちゃん注:ママ。]なりて、先へ渡りし者も、立ちかへり、くわしく聞けは[やぶちゃん注:ママ。] 、三拾人の内、廿壱人は、先の船にて、渡り、九人、殘りしもの、八人、一船に乘りて、かくは、水におほれ[やぶちゃん注:ママ。]死したり。
「雲津の在《ざい》[やぶちゃん注:村。]に、治郞兵衞も、とめられすは[やぶちゃん注:総てママ。]、一所に水におほれ[やぶちゃん注:ママ。]んに、陰德をなしたるゆへ[やぶちゃん注:ママ。]にや、壱人、たすかりたり。」
と、みな人、申《まふし》けり。
[やぶちゃん注:「伊勢太々講」伊勢講に同じ。伊勢参宮のために結成した信仰集団。旅費を積み立てておいて、籤(くじ)に当たった者が、講仲間の代表として参詣し、霊験を受けてくる。神宮に「太太神楽(だいだいかぐら)」を奉納するので「太太講」とも呼んだ。本来、「講」は、仏教関係の集まりを指すが、神仏習合の潮流の中にあって現われた「神祇講」の一つ(小学館「日本国語大辞典」に拠った)。
なお、この終りのシークエンスは「伊勢太々講」で伊勢神宮に向かっている途中の出来事である。とすると、この女の実家の「雲津」は先の雲出地区の北部かでないと、おかしくなる。思うに、当時の「雲出川の渡し」は、恐らく、現在の「雲出橋」附近であり、「雲津の宿」は恐らく、現在の「雲出本郷町(くもずほんごうちょう)」附近と考えると(「ひなたGPS」のここを参照されたい)、距離も一致するからである。にしても、雲出地区、旧雲出村はそんなに広くない(リンク先の戦前の地図を見られたい)。娘の恩人であり、酒も飲んでいるから、親は近場でも宿まで駕籠を雇ったものであろう。]
« 佐藤春夫譯「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」正規表現版 「採蓮」端淑卿 | トップページ | 「續南方隨筆」正規表現版オリジナル注附 「『鄕土硏究』一至三號を讀む」パート「二」 の「芳澤あやめ」 »