佐々木喜善「聽耳草紙」 一三四番 神と小便
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここ。]
一三四番 神と小便
昔、あつとこで、馬子《まご》が馬に客を乘せて川を渡る時、小便が詰まつて來たから垂れ流すべとしたら、客が馬子どん馬子どん川にも神があるから、小便すると罰があたるぞと言つた。馬子は仕方なく思ひ止《とど》まつて、ある街道ぶちまで來て、ここだら大丈夫だべと小便をしやうとしたら、又客が、馬子どん、道にも神があるから垂れてなんねえと言つた。何處へ行つても神があると云はれるので、垂れる事が出來ないで、居ても立つても居られない位、小便が詰まつて來て、馬子も困り果てた。間もなく客が馬から下りて松の木の下で休んだので、馬子は松の木さ登つて客の禿げ頭の上さヂヤアヂヤアと小便を垂れ流した。客はそれとも知らないで、何だ、何だ、雨も降らねえどきに頭のてつぺんがやばつくなつて來たぞと云ひながら、上を向いたら、馬子が小便をしているので、ウンと怒つて、これ馬子、人の頭に小便垂れる法があるかと言つたら、馬子は木の上から、さつきから小便垂れべと思つてたけんどお客さんがどこさ行つても神がある神があると言つて、垂れることが出來ねえ、ほんでお客さんの頭におかみがねえから垂れ申したと言つた。(三原良吉氏御報告分の五。)
[やぶちゃん注:附記が本文末にあるのは、ママ。]
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