「奇異雜談集」始動 / 序・第一巻目録・㊀五条の足輕京にて死するに越中にて人これにあふ事
[やぶちゃん注:「奇異雜談集(きいざうだんしふ)」の本文電子化を始動する。これは、江戸初期の怪談集で、編著者は不詳(中村某)。貞享四(一六八七)年刊で全六巻であるが、原形の成立は遙かに古く、天正元(一五七三)年頃かともされ、写本で伝わっていた。諸国の怪談三十話と、注目すべきは、後代の怪奇談集に踏襲されるところの、明代の瞿佑(くゆう)の「剪灯(せんとう)新話」等から四話を翻訳している点で、江戸時代の怪異小説の濫觴と言ってよい作品である。
底本は早稲田大学図書館「古典総合データベース」の京都の「落葉書肆 柳枝軒藏板」(出版年不明)の画像を視認する。他に、国立国会図書館デジタルコレクションの国立国会図書館デジタルコレクションの「近世怪異小説」(『近世文芸資料』第三・吉田幸一 編一九五五年古典文庫刊)所収のもの(但し、これは新字体。リンク先は第一巻第一話の冒頭)、及び、「国文学研究資料館」の「国書データベース」の写本を参考にする。
但し、底本は画像使用が許可されていないので、挿絵に関しては、単体画像は一部を除き(後述)の以下のように底本のリンクのみに留める。正字正仮名ではあるが、同書全体を納めることが出来ないので、例えば、表紙・見返し・その左から漢文訓点(読みも含む)附き崩し字の「序」の前半が、次のこの右に後半が載る。以上のリンクは底本早稲田大学図書館「古典総合データベース」の単体画像)なども画像では挙げられない。底本や国立国会図書館版は、使用許可をとれば、画像使用が出来るが、底本は許可申請手続きがかなり面倒で、最終許可は二週間かかるので、私の電子化とはタイム・ラグが生ずるため、今まで一度も早稲田大学図書館への申請はしたことがない。また、国立国会図書館デジタルコレクションは総てが使用許可申請を必要とした頃でも、比較的直ぐに許可を出して呉れるのだが、如何せん、国立国会図書館デジタルコレクションの「近世怪異小説」版の挿絵などの画質が、底本に比して、薄く、黄色く、画素が粗く、よくない――例えば、巻頭第一話の挿絵は底本ではこちらだが(大型で画質も細部までしっかりしている)、国立国会図書館ではこれで、後者は画像補正をして拡大しても人物の表情などは、凡そしっかりとは見えないことが判るはずある――ので、許可を取ってまでする食指は、これ、動かないのである。されば、同書全体を電子化することは諦め、以上のリンクに換え、序の漢文(訓点附き)は訓点に従って訓読したものをのみ示す。
但し、「奇異雑談集」から二十二話(新字旧仮名)を抄録する高田衛編・校注「江戸怪談集」(全三冊:本集は二十九歳の私が最も心躍らせ精読した怪談集の一つであった)上(岩波文庫一九八九年刊)を一部の加工データとして使用させて戴く(これによって格段に時間を節約出来る)こととし、そちらの注も、一部、参考にさせて戴く予定(引用する場合は必ず書誌を示す)なれば、ここに御礼申し上げる。また、この岩波文庫版では、何枚かの挿絵が示されているため、それをせめてもの遺愛として、トリミング補正して掲げることとする。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。
底本は崩し字であるため、字体に迷った場合は、正字を採用する。注は私が躓いた箇所、また、特に注をしたく感じた場合に附す。読みは、必要と感じた読みの振れると判断したもののみに留めた。
以下、序の私の訓読文。濁点がない箇所や歴史的仮名遣の誤りはママ。句読点・中黒(「・」)は私が振った。送り仮名の内、漢字表記の箇所は特異的に漢字を用いた。《 》は私が推定した読みである。]
奇異雜談序(きいさうたんじよ)
奇異雜談集六卷を廣刻(くはうこく)するは、昔、江州佐ゝ木屋形(さゝきやかた)幕下(まくか)に、中村氏(なかむらうぢ)豊前守(ぶぜんのかみ)と云ふ者、其の裔(えい)某(それかし)撰(えら)ふ所にして、唐土(とうど)・本朝(ほんてやう)の怪異(くわいい)の説(せつ)を錄して、以て、後人(こうじん)に遺(のこ)す。実(まこと)に是れ、童蒙(とうもう)の至寶(しほう)なり[やぶちゃん注:「近世怪異小説」版の漢文の活字起しでは、ここに読みを示さない「在」を打っているが、これは前に送られている「なり」の「也」の崩し字であって、「在」は誤判読である。]。予、玆(こゝ)に一《ひと》たひ、閲(えつ)するに、兩(りやう)の翅(つはさ)を張(は)つて、自(みつか)ら邊鄕(へんきやう)に遊び、偭(まのあた)り、其の事に遇(あ)ふかのことくにして、愼(つゝし)むへく、而《しか》も懼(をそ)るへし。此の集(しふ)を讀むことを得(ゑ)は、博(ひろ)く、今古(きんこ)希奇(けき)の、大怪(たいくわい)なることを知つて、庶幾(こいねかは)くは、自(みつか)ら戒(いまし)めんと、云ふのみ。
[やぶちゃん注:以下、巻第一の目録。頭の漢数字は底本では二重丸の中に入っている。底本では長い標題はある一定のところで、二行目に同一の位置に改行されてあるが。ここでは無視して、繋げた。歴史的仮名遣の誤りはママ。なお、以下、どの巻でも「目錄」の標題は字の大きさが、本文よりも大きいが、読みを附している関係上、無駄に改行されてしまうだけなので、本文と同じ大きさにした。]
竒異雜談集卷第一
目錄
㊀五条の足輕京にて死するに越中にて人これにあふ事
㊁江州枝村(えだむら)にて客僧(きやくそう)にはかに女(をんな)に成し事并智藏坊の事
㊂人の面(おもて)が目鼻なくして口(くち)頂(いたゞきの)上にありて物をくふ事
㊃古堂(ふるだう)の天井に女を磔(はつけ[やぶちゃん注:ママ。])にかけをく事
㊄九世戶(くぜのと)の蚊帳(かちやう)の中におもひの火僧のむねより出し事并龍灯(りうとう)の事
㊅作善(さぜん)の齋會(さいゑ)に僧衆中(そうしゆちう)酒をのめるとき位牌の靈魂の喝食(かつしき)のかたちを現じて火炎(くはゑん)にやけし事
[やぶちゃん注:以下、本文となるが、読み易さを考え、段落を成形し、句読点・記号も自由に追加した。踊り字「〱」「〲」は正字又は「々」に代えた。【 】は二行割注。]
竒異雜談集巻第一
㊀五条の足輕京にて死するに越中にて人これにあふ事
「應仁の乱」中のことなるに、東洞院と高倉との間に、足輕、一人あり【名字は忘却。】。
[やぶちゃん注:]この南北の同名の通りの間(グーグル・マップ・データ)。
夏の比なるに、淸水(きよみづ)に、さんけいす。
あさめしいぜんに、隔子(かうし)のもんのかたびらに、もよぎのもぢの十德(じつとく)に、かたな・わきざしにて、やどを出《いで》つ。
[やぶちゃん注:「隔子(かうし)のもん」「格子の紋」。
「もよぎのもぢ」「萌黃の綟(綟子)」。萌黄(もえぎ)色の麻糸で織った目の粗い布。
「十德」室町時代、下級武士の着た、脇を縫った素襖(すおう)のこと。江戸時代になると、腰から下に襞をつけ、医師・儒者・絵師などの礼服となった。絹・紗などを用い、色は黒に限った。僧衣の「直綴(じきとつ)」の転とされる。]
中間(ちうげん)は、かたぎぬ、よのばかまにて、主(しう)の笠を頸にかけ、手やりを、かたげて、あとにゆく。
[やぶちゃん注:「かたぎぬ」「肩衣」素襖(すおう)の袖を取り除いたもので、戦さでは甲冑の上に着用したもの。
「よのばかま」「四幅袴・四布袴」。四幅で、裾短かに仕立て、菊綴(きくとじ)を添えた労働用の袴。多くは中間・小者などが着用した。]
畠山方《はたけやまがた》より、このあしがるを、
「生害(しやうがい)せん。」
とて、れんれん、ねらふて、此時、「三本そとは」の邊(へん)にて、人數《にんず》ありて、うたるゝなり。
[やぶちゃん注:挿絵有り。底本ではここ。二人が襲撃されるシーン。右幅奥に足軽、その手前に正面真向頭部を斬られているのが、中間。]
主從二人、生害す。
[やぶちゃん注:「三本そとは」挿絵から「三本卒塔婆」(さんぼんそとば)という通称らしいが、位置不詳。識者の御教授を乞う。]
やがて、しがいを、やどに、とる。
刀・わきざしは、なし。かたびら、十德に血のつきたるを、あらひて、ほす。
「後に、ひにんに、やるべし。」[やぶちゃん注:「ひにん」非人。血の穢れがあるため。]
とて、ゆひからげて、せど[やぶちゃん注:「背戶」。裏口。]の小屋に、をく[やぶちゃん注:ママ。]。
死骸は、その日、葬(さう)をするなり。
中陰をするに、十四、五日のころ、となりの亭主、善光寺さんけいより、下向(げかう)して宿(やど)につく。
[やぶちゃん注:「中陰をする」人の死後、七七日(なななぬか)、則ち、四十九日の喪に入ることを言う。]
留《る》すの内方(ないはう)[やぶちゃん注:妻。]、よろこふで、
「はやくげかう候よ。」[やぶちゃん注:「もっと早くお帰りになってほしう御座いましたわ。」の意。]
といふ。
「京には、何事もなきか。」
といふ。
内のいはく、
「となりの亭主、死去(しきよ)候。」
といふ。
「いや。それは、越中にて、あひ候ものを。」
といふ。
内のいはく、
「此十四、五日さきに、畠山方より、淸水の道にて、うたれ候。いま、中陰にて候。越中にてあひ候と、おほせられ候は、べちの人にて、あるべく候。」
と、いへば、亭主、おほきにおどろき、まづ、となりへゆく。
となりの内方、
「はやく御《おん》げかう候よ。」
と、いふて、なみだをながす。
「さて。ふしぎの事をきゝ候ほどに、おどろきて、まづ、わらんづ[やぶちゃん注:草鞋。]も、ぬがず參《さん》じ候。さて、まことにて候や。下向のとき、越中にて、あひ申候。」
といへば、内方、おどろきて、きゝたるほどに、
「越中にて、ある里にとまりて、早朝に、したゝめ[やぶちゃん注:仕度・準備。]して、出(いで)くれば、山きは、田のある間のみちにて、是(それ)の御亭(ごてい)に、ふとあひ申候。[やぶちゃん注:「御亭」御亭主の略。]
『さて、はやく、下向候よ。』
と、おほせらる。
『いづかたへ、御くだり候や。』
と申せば、
『ちと、所用あつて、くだり候。』
と、おほせらる。
『京には何事もなく候や。』
と申せば、
『中々、何事もなく候。われわれに御あひ候よしを、わたくしの宿(やど)にて、おほせられ候へ。ことばにておほせられ候かたは、まことゝ思ふまじく候。手《て》じるしを、まいらすぺく候。』[やぶちゃん注:「手じるし」自身に確かに逢ったことを示す手ずから作った証拠の印。]
とて、道のはたに、五、六尺なる木の、しろきがあるに、十德の袖をあてゝ、そこにて、袖のすみを、きりて、たまはり候ほどに、
『我々、まいりて申候に、御うたがひは、あるまじきに、むようの御手じるしや。』
と申せども、はや御きり候間、とり申候。なを[やぶちゃん注:ママ。]、京のこと、とひ申たく候へども、いそがはしく御とをり[やぶちゃん注:ママ。]候あひだ、是非にをよはず[やぶちゃん注:ママ。]候。すこしあとに、中間、かたぎぬ、よのばかまに、笠を、頸にかけ、手鑓《てやり》をかたげ、あしなかにて、ゆけり。[やぶちゃん注:「あしなか」「足半」。踵(かかと)に応ずる部分がない前半分の短小な草履。鼻緒を角(つの)結びにするのを特色する(これに対して普通の長さのものを「長草履」とも呼ぶ)。これは、軽くて走るのに便利で、武士などが好んで用い、農山漁村でも作業用に広く用いられた。]
『めづらしや。』
と、いへぱ、
『されば。』
と申《まふし》て、いそぎ、ゆきぬ。旅の躰《てい》にもあらず、いつも京中(《きやう》なか)を歩(あり)かるゝ躰にて、かうしの紋のかたぴらに、もよぎのもぢの十德に、わらこんがうにて候つる。其日をおもへば、十五日になり候。さて此方《こちら》にて、死去は一定(いち《ぢやう》)にて候や。」[やぶちゃん注:「わらこんがう」「藁金剛」は「金剛草履」のこと。藁や藺(い)などを丁寧に緻密に編んで作った形の大きい丈夫な草履。普通のものよりも後部が細い。「一定」死の事実と時間経過が一致していること。]
と申せば、内方そのほか、内衆(ないしゆ)、中陰の僧衆(そうしゆ)、みな、おどろく所に、かの十德の袖のきれを、火うちぶくろより、とり出し、内方へ、なげやる。
内《ない》が、とりてみて、
「是は。まことに。是《こ》の十德の色なり。生害の時、十德の袖のはし、きれたるよ、と、おもひて、ありしぞ。」
その小屋なるかたびら・十德、とりよせて、ときひろぐれば、となりの人、見て、
「越中にても、まさしく、此かたびら・十德にて、候つる。」
内方、いまのきれを、袖にあてゝみれぱ、よく、あふて、はたの、まくれたる處のきれくちまで、能(よく)あふなり。
みなみな、これを見て、あきれて、ぜひを、わきまへず。
「その日を、今日まで、十五日になり候と、おほせられ候。きのふ、二七日《ふたなぬか》の作善《さぜん》をし候ほどに、まことに、十五日になり候。」
夏なれども、おうへ[やぶちゃん注:「奥方」か。奥の部屋。]に、炉(ゆるり)[やぶちゃん注:「いろり」に同じ。]をあけて、釜を、つり、荼の湯をするなり。
内方のいはく、
「葬(さう)のまへに、こゝにゐて、ゆるりのふちをみれば、刀にて、ふかく、ものを、きりたるあと、あり。藁を御覧候へ。此きりめのくちに、もよぎ[やぶちゃん注:先の萌黄色に同じ。]の糸のほつれ、すこし、二つ、三つ、はさまりてありしを、とりて、ひねりて、すて候。
『こゝにて、誰か、あらけなく、物を、きるや。』
と、おもひ候つる。」
となりの人、又、いはく、
「越中にて、袖を御きり候て、たまはり候とき、木のうへを、そつと、みれば、きりくちのあとに、もぢ[やぶちゃん注:先の「綟子」。]の糸の、ほつれ、すこし、二つ、三つ、はさまりてありしぞ。こは、そも、何と申《まうす》事にては候や。」
あまりにふしぎの事なるゆへ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。] に、やがて、越中へくだる人に、その所を申《まふし》きかせ、
「その道ばたの木を、みよ。刀のきりめ、あるべし。」
と申せば、越中にて、その所にゆき、道ばたの木を、たづぬるに、さらに、その木、なし。
その里にて、たづぬるにも、
「さやうの木、ありたる事、なし。」
と申也。
此事、ふうぶんして、諸人(しよにん)、五条の家に、きたつて、かの十徳を見る事、かぎりなし。
それがし[やぶちゃん注:本書の著者自身。]、幼少より、しげく、此ざうたんを、きく。今は此事をしる人、なし。
かるがゆへに、これを、しるして、のこすなり。
およそ、越中にて、死(しし)たる人に、あふ事、むかしより、これ、あり。
みな、善光寺さんけいの人、あるひは、修行眞実(しゆぎやうしんじつ)の人は、死たる人に、あふなり。
たび人・あき人等は、あふこと、なし。又、出家・善人の、死たるにあふ事、なし。
かるがゆへに、
「越中は、地獄道なり。」
と、いへり。
立山のふもとにおゐて、「老婆堂(うばだう)」をつくり、
「木像の老婆(うば)、むかし、天(てん)より、下(ふる)。」
と、いひつたへたり。
是、三途河(さんづがは)の老婆(うば)なり。
堂の前をすぎて、立山にのぼれば、もろもろの「ぢごく」の躰《てい》あり。
人みな、めぐり行(ゆき)みれば、熱湯、帀〻《さふさふ》と、わきかへり、けぶり、地より、いでゝ、熱(あつき)處、おほし。これを「地獄」と名づくるなり。
[やぶちゃん注:「帀〻《さふさふ》」この熟語は知らない。「帀」は「めぐる・周囲をまわる・取り巻く」・「あまねし」・「揃い」の意であるから、熱湯が止まることなく沸き返ることを繰り返すことを言っているのであろう。
立山の現在地獄の記載は、怪奇談は私の電子化物でも枚挙に暇がないが、「諸國里人談卷之三 立山」と、「諸国因果物語 巻之四 死たる子立山より言傳せし事」、及び、『鈴木正三「因果物語」(片仮名本(義雲・雲歩撰)底本・饗庭篁村校訂版) 中卷「二十二 亡者錢を取返す事 附 鐵を返す事」を例として挙げておく。]
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