「新說百物語」巻之五 「ふしきの緣にて夫婦と成りし事」
[やぶちゃん注:書誌・凡例その他は初回の冒頭注を参照されたい。
底本は「国文学研究資料館」のこちらの画像データを用いる。但し、所持する国書刊行会『江戸文庫』の「続百物語怪談集成」(一九九三年刊)に載る同作(基礎底本は国立国会図書館本とあるが、国立国会図書館デジタルコレクションで検索しても、かかってこないので、公開されていない)にある同書パートをOCRで読み込み、加工データとして使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。
今回はここから。この篇も濁音脱落が多い。ママ注記が五月蠅いが、悪しからず。但し、和歌の濁音のない箇所は無粋なので、ママ注記を打たなかった。
挿絵は、「続百物語怪談集成」にあるものをトリミング補正・合成して使用した。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。]
ふしき[やぶちゃん注:ママ。]の緣にて夫婦と成りし事
河刕に、森氏の人、ありけるか[やぶちゃん注:ママ。]、語り侍りしは、其友に、武田直次郞といふものあり。
はたちはかり[やぶちゃん注:ママ。]にて、ふらふらと、わつらひ[やぶちゃん注:ママ。]、養生致しけれとも[やぶちゃん注:ママ。]、其しるし、なかりけれは[やぶちゃん注:ママ。]、兩親、なけき[やぶちゃん注:ママ。]、あるとしの春、兩親、つきそひ、京へのほり[やぶちゃん注:ママ。]、借座敷《かしざしき》に滯留(たいりう)し、養生致しける。
療治も、能(よ)くのりて、次第に快氣して、おゝかた[やぶちゃん注:ママ。]平生のことく[やぶちゃん注:ママ。]なりたり。
『今一月も、いたしなは[やぶちゃん注:ママ。]、國もとへ歸へらむ。』
と、おもひて、あなたこなたと、遊山《ゆさん》に出《いで》ける。
三月の初《はじめ》つかたの事なれは[やぶちゃん注:ママ。]、直次郞も、供、壱人、つれて、東山の花なと[やぶちゃん注:ママ。]、見めくりて[やぶちゃん注:ママ。]、さまよひ、あるきける。
[やぶちゃん注:底本の画像はここ。キャプションは、右幅の娘の台詞、
*
もふしもふし[やぶちゃん注:後半は踊り字「〱」。]
これへ
おこし
かけ
(桜の幹を挟んで)
られ
ませ
*
左幅は以上の通り、ごやごちゃと五月蠅い台詞が見えるのだが、底本の挿絵にはない箇所に、明かに、墨の色の薄い文句が記されてあって(侍女の上部、及び、木戸の開いた箇所の右手の柱と開いた空間部の弐箇所)、思うにこれは、底本の旧蔵者が落書したものと思われるので(絵のキャプションとしては、あまりにも五月蠅過ぎるばかりか、どうもかなり猥雑な感じがある。例えば、右手のそれは「よく白きちゝを」「むきだして」云々である)、落書までちゃんと判読する気は、毛頭、ない。正規の原板本のキャプションは、侍女の左下方に、
*
まづあれへおかけ
遊ばしてゆるり
と
ごらんあそは
し
ませ
*
直次郎の台詞、
*
あまり
花の見事
ゆへに[やぶちゃん注:ママ。]
ながめ
いり
ま
した
[やぶちゃん注:次の行の濃い「とは」は既に落書で、「いつはりなり」「どうぞひとばんをかして」「下を」云々と読むに堪えないえげつない落書と判明する。この落書を書いたのは、年少者ではあるまい。]
(右足の脇に)
それは
かたじけ
ない
*
とある。]
とある所に、是れも借座敷とみへ[やぶちゃん注:ママ。]て、一本の桜、さきけるを、何心《なにごころ》なく、立ちやすらひて、なかめ[やぶちゃん注:ママ。]居《をり》けれは[やぶちゃん注:ママ。]、内より、わかき女、いてて[やぶちゃん注:ママ。]、
「此所は、かし座敷にて、今日一日、かり申して、主人、花見いたさるゝ也。くるしからぬ所にておはしませは[やぶちゃん注:ママ。]、御いりありて、ゆるゆる、花を御らんなさるへし[やぶちゃん注:ママ。]。」
と申《まふし》ける。
直次郞は、
「かたしけなし[やぶちゃん注:ママ。]。」
とて、庭に入りて、えんに、腰、打《うち》かけ、詠《なが》め居《ゐ》たりける所に、奧より、いとやさしき、十六、七の娘の、物のけはひも、きよらかなるか[やぶちゃん注:ママ。]、立出《たちいで》て、
「私事《わたくしこと》は、今日、是《これ》へ、花見に參りしものなるか[やぶちゃん注:ママ。]、母、用事ありて、先へ歸へられ、私は、日暮《ひぐれ》てかへるなれは[やぶちゃん注:ママ。]、まつまつ[やぶちゃん注:ママ。後半は踊り字「〱」。]、是へ御あかり[やぶちゃん注:ママ。]、ゆるゆると、花も御覽なさるへし[やぶちゃん注:ママ。]。」
と、菓子・酒なと[やぶちゃん注:ママ。]、もてなしけるか[やぶちゃん注:ママ。]、直次郞も、わかきものなれは[やぶちゃん注:ママ。]、とやかくと、たはむれて、思はぬ枕を、かはしける。
「日も、はや、夕くれになりたり。」
とて、供のものに、おとろか[やぶちゃん注:ママ。]されて、名殘《なごり》をしくも、立ちかへりけるか[やぶちゃん注:ママ。]、
「又、逢ふことの、かたみ。」
とて、香箱《かうばこ》に、はまぐりの繪《ゑ》かきしを敢り出して、ふたはかり[やぶちゃん注:ママ。]を、かたみに送りて、身のかたは、我《わが》ふところにそ[やぶちゃん注:ママ。]入れにける。立《たち》さま[やぶちゃん注:ママ。]に、かくなむ、
玉くしけふたみの浦による貝の
またこと方に打ちやよすらん
かく、申しけれは[やぶちゃん注:ママ。]、むすめ、かへし、
玉くしけふたみの浦による貝の
ことかたならてあふよしもかな
と、いふて、なみたなからに[やぶちゃん注:総てママ。]立ちわかれける。
そのゝち、一兩年も過《すぎ》て、直次郞も、いよいよ、息才[やぶちゃん注:ママ。「息災」。]になりて、江戶つとめをいたし、東へ、をもむき[やぶちゃん注:ママ。]、みやつかへをそ[やぶちゃん注:ママ。]いたしける。
又、あるとしの春にいたりて、上㙒の花なと[やぶちゃん注:ママ。]、見めくり[やぶちゃん注:ママ。]、過《すぎ》し事なと[やぶちゃん注:ママ。]思ひ出して、ふと、とある幕の内を見いれけるに、何とやら、見知りたる女、ありて、あの方[やぶちゃん注:離れた位置。]よりも、つくつく[やぶちゃん注:ママ。後半は踊り字「〱」。]なか[やぶちゃん注:ママ。]めけるにより、おもひ出《いだ》せは[やぶちゃん注:ママ。]、さりし時、都にて、あひし女なり。
とやかく、むね、打《うち》おとろき[やぶちゃん注:ママ。]、
『いかゝ[やぶちゃん注:ママ。]は、せん。』
と思ふ折ふし、娘も、それと、幕の内より立ちいてゝ[やぶちゃん注:ママ。]、
「そのゝち、別れてより、去る御方《おかた》[やぶちゃん注:「の所へ」が欲しい。]、宮つかへいたし、露《つゆ》わするゝ間《ま》もなけれとも[やぶちゃん注:ママ。]、何をあてに尋ねんやうもなくて、その姬君につきそひて、去年《こぞ》の秋、こゝもとへ下り侍る。必《かならず》、わすれ給ふな。」
と、そこそこにて、別れける。
それより、よすか[やぶちゃん注:ママ。]を求めて、首尾よく、御いとま、給はり、兩親とも、ふしき[やぶちゃん注:ママ。]のえんに、めて[やぶちゃん注:ママ。「愛(め)てける」。愛し合う。]けるや。
「まことの夫婦と、なりたり。」
と、森氏の人、かたられし。
[やぶちゃん注:怪奇談性はなく、男女の不思議な縁(えにし)の、テツテ的な「赤い糸で結ばれた」恋愛実話と思われる。]
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