佐々木喜善「聽耳草紙」 一一三番 雉子娘
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。太字は底本では傍点「﹅」。標題は言わずもがな「きじむすめ」と読む。]
一一三番 雉 子 娘
或所に爺と婆があつた。齡《とし》はとつたけれども子供が無かつた。どうかして子供を一人欲しいと思つて、每夜近所の明神樣へ丑の刻詣りをして、たとえその子が蛇(ヂヤ)でも鬼神《きしん》でもよいから一人授けてたもれと願をかけた。すると或夜婆樣は、コサの花が自分のふところに咲いたと謂ふ夢を見た。それから軈《やが》て懷姙した。積《つも》る十月の月も算《かぞ》へ上げて生み落したのが、鬼でも蛇(ヂヤ)でもなく花(ハナコ)のような女兒(ヲナゴボツコ)であつた。夢の緣に因(チナ)んで其子の名前をこさんとつけた。こさんは蟲氣《むしけ》もなく大きくなつた。齡頃《としごろ》になればなるほど美(ウツク)しくなり增《まさ》つた。十八の時世話する人があつて、近所から似合ひの婿を貰つて、一緖にした。
[やぶちゃん注:「蟲氣」。所謂、「疳の虫」の広義なそれ。子どもが寄生虫などによって腹痛・ひきつけ・癇癪などの症状を起こすこと。]
所が恰度《ちやうど》其頃から、こさんは每夜夜半(ヨナカ)になれば窃(ソツ)と寢床から拔け出して、何所へ往くものか外へ出た。そして物の二時(フタトキ)[やぶちゃん注:四時間。]も經つたと思ふ刻限に、手足を氷(スガ)のやうに冷たくして歸つて來た。最初の中《うち》は夫(ゴテコ)も別段氣にもかけなかつたが、それが餘り每夜續くのでこれはどうも不思議だと思ふやうになつた。それで或夜こさんの起きて往つた後をしたつて夫も續いて外へ出て見た。それとは知らないからこさんは家の脊戶《せど》から出ると眞直ぐに村のお寺の蘭塔場[やぶちゃん注:卵塔場に同じ。墓場。]の方へ走つて行つた。その走《は》せ工合いはまるで鳥が飛ぶやうであつた。夫はこれはいよいよ不思議だと思つて、やつぱり後をつけて妻の姿を見失わぬやうに走つて行つた。そして蘭塔場へ行つて物蔭にかくれて樣子を窺つて居た。するとこさんはひらひらと墓石の間をくぐつて新墓《にいばか》の所へ行つて一生懸命になつて堀發(ホリアバ)きはじめた[やぶちゃん注:「堀」はママ。近代文学では、著名な作家のものでもしばしば見られる。]。それを見ると夫は餘りのことに恐しくなつて後へ引返して來て、何事も素知らぬ振りして寢て居た。その夜もこさんは手足を氷のやうに冷たくして歸つて來たことは、いつもの通りであつた。
翌日婿は、こさんの留守を見計らつて、舅姑《しうと》のところへ行つて、どうぞ俺に暇《いとま》をくれてケろと言つた。親達は氣の無いところ[やぶちゃん注:全くこれっぽっちも思いもしていなかったところ。]をさう言はれて魂消《たまげ》て、何して兄(アニゴ)はそんなことを言ふ。こさんに何か氣に入らぬ所でもあるのかと訊いた。婿も初めのうちはだまつて居たけれども、兩親から問詰《とひつ》められると、いつまでも包んで居る譯にも行かなくなつて、昨夜見たことを話した。それを聽いて姑《しうとめ》は、あリヤ兄は何の話をする。こさんに限つてそんな事があるべかや。お前は何か夢でも見たべと言つて恐しい顏をした。婿は、姑樣(カガサマ)々々俺は眞實《まこと》のことを言ふ。これが僞(ボガ)だと思へば今夜も必度《きつと》さうだべから姑樣もそれを見屆けてお吳れヤんせと言つた。姑はそれでは今夜おれも行つて其實否を見屆けたいから、若《も》しこさんが外へ出たらば窃つとおれの所まで知らせてケろといつて約束をした。
其夜も若夫婦は寢についた。こさんは夫の寢息を窺つて居たが、夫が深く寢入つたと思ふと、床の中から又そろツと拔け出して靜かに靜かに足音を忍ばせて外へ出て行つた。婿もそのあとから起きて、今こさんが外へ出ましたと姑に報らせた。
それから姑と婿とは、こさんの姿を見失はぬやうに後をつけて行くと、昨夜と同じやうに村の街道をまつすぐに行つて、寺の墓地に入つた。二人が墓の物蔭に匿れて見て居ると、こさんは新墓の所にひらひらと走せて行つて、土を堀り發いて[やぶちゃん注:ママ。同前。]棺から死人を取り出して、其屍をむしやむしやと喰ひはじめた。そして其時の形相《ぎやうさう》はまつたく鬼神か夜叉《やしや》のやうに怖(オツカ)なく變り果てゝ居た。
それ迄婿と二人で物蔭に匿れて見て居た母親は、其時母子の情に惹《ひ》かされて思はず聲を立て、あれやツこさん何をすると言つて前へ飛び出した。こさんは魂消て振返《ふりかへ》つたが、母親の姿を見て、これや私の姿を見られたか、夫婦親子の緣もこれまでと言つたかと思ふと、體《からだ》から靑火《あをび》をぱちぱちと出して鳥の姿になつてばたばたと向山《むかひやま》の方へ飛んで行つた。こさんは雉子であつた。
(コサの花は土地ではゴマゼエカラのつく草で、初夏に小さな白色の醜い花が咲き、晚秋になれば所謂ゴマゼエカラが船形になり淸淨な綿を出す一種の蔓草である。其根は紫色で大根の如く昔飢饉の時には灰水《あく》で洒《さら》して漉《こ》し、その澱粉を食つたと謂ふ。灰洒《あく》が惡いために多くの人が中毒し死んだ事もあると謂ふ。日陰の植物である。[やぶちゃん注:「洒」(二箇所)はママ。前者は送り仮名から明らかに「晒して」としか読めない。それに合わせて後の「灰洒」も、二字で「あく」(=灰汁=「灰水」)と読んでおいた。「洒」には「そそぐ」「あらふ」の読みが可能だが、前者には適応出来ない灰汁(あく)を抜くために、最初に、「水を洒(そそ)きで、しっかりと揉み洒(あら)って後に、「晒して漉し」という手順ならば、いいが、そうした読み替えは不可能である。誤植の可能性もあるが、私は佐々木の誤用(思い込み)の可能性が高いように思われる。]
此話は例の犬松爺樣から聽いた話の六。大正七年の冬の蒐集の分。)
[やぶちゃん注:附記は長いので、本文と同ポイントで引き上げた。
「コサ」「ゴマゼエカラのつく草」いろいろ調べてみたが、いっかな、種名が判らない。以下、当該植物の情報を纏める。
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◎遠野地方では「コサ」「ゴマゼエガラ」を草或いは花或いは成果の名とする。
◎初夏に小さな白色の「醜い」(佐々木個人の印象であり、誰もが醜いと感じるものと無批判には受け入れられない)花が咲く。
◎晚秋に、遠野地方では「ゴマゼエカラ」と呼ばれる部位(果実か)が船形になる。
◎その船形の「ゴマゼエカラ」から綺麗な(佐々木個人の印象)「綿」(佐々木個人の印象。真の綿であるかどうかは無批判には受け入れられない)を吹き出す。
◎一種の蔓草(佐々木個人の印象であり、本当に正しく蔓性植物であるかどうかは判らない。一部の細い枝が匍匐したり、空中に蔓のように長くしなやかに伸びるからといって、蔓草と断定することは出来ない)。
◎根が紫色で、大根に似ている。
◎昔は飢饉の際に救荒植物として、その「大根」のような根を十分な灰汁抜きを施して食べた。
★有意に強い毒性物質を持つ(少なくとも根に)有毒植物である。灰汁抜きが不十分で中毒して死んだケースが昔はあったと伝える。
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強い毒性と船形をした部位があるという点から、キンポウゲ目キンポウゲ科トリカブト属 Aconitumや、「ダチュラ」・「エンジェルズ・トランペット」の名で知られるチョウセンアサガオ属 Datura を考えたが、どうも以上の佐々木の言っている条件を、この二種類では、満たすものがないように私は感じた。私は植物には冥いので、これ以上の探索は出来ない。識者の御教授を是非とも乞うものである。強毒性である以上、種を同定しないで放置するのは私には極めて不適切に思われるからである。]
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