佐々木喜善「聽耳草紙」 一〇〇番 鱈男
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここ。]
一〇〇番 鱈 男
昔、氣仙の或る所に小さな殿樣があつて、一人の美しいお姬樣を持つて居た。そのお姬樣が齡頃《としごろ》になると、每夜々々何處からか、美男の若者が通ふて來て、泊まつて翌朝歸つて行くのであつた。
お姬樣がお前樣は何處のお方か、明かして下さいと賴んでも、その若者は遂に口を利いたことがなかつた。そこで侍女が怪んで、或る夜小豆飯を炊いて食はすと、食ひは食つたが、翌朝見ると死んで居た。それは鱈魚《たら》であつた。
(鵜住居《うのすまゐ》村の大町と云ふ老人の
話の二。大正九年八月二十一日聽記。)
[やぶちゃん注:この話、小豆飯で、何故、鱈の化け物が死ぬのかが、判らない。但し、調べると、「日文研」の「怪異・妖怪伝承データベース」のここに、岩手県下閉伊郡岩泉町の採取として、『村のある女のもとに毎晩美男が通ってきた。小豆を煮た湯で足をすすがせると、男は具合が悪くなって帰り、それきり現れなかった。翌朝道ばたには大きな鱈が死んでいた。男の肌はいつもいつもひやひやとしていたといい、大鱈のフツタヅ(化物)かと言われた』とあるのが、よく似ている。さらに、同データベースのこちらには、宮城県本吉郡志津川町採取で(コンマを読点に代えた)、『昔、この地の素封家に美しい娘がいた。何時からともなく、夜毎娘の所に美しい若衆が通ってくるようになり、娘は目に見えて憔悴していった。母が色々問いただした結果、男はどうも化生の者らしいということになり、両親は田束山のお上人に相談した。上人の教えに従い、小豆』五『石を大鍋で煮てその煮汁を七日間川の上流から流したところ、翌日に川の主の年を経た大鱈が死んで浮かび上がった。娘もやがて回復した。その川を毒川と呼び、また鱈を煮るとき』、『小豆を入れると骨まで煮えると言われている』とあることから、小豆がタラにとっては有毒であるという言い伝えがあったことが判る。但し、ネットで調べると、東京都中央区八丁堀の「鶴見クリニック」公式サイト内の『鶴見医師に聞く「生の種は食べないこと」について』の中に、『小豆』など『を軽々しく炊いたりすると』、『確実に酵素阻害剤が残っており、せっかくの玄米ご飯が、毒になりかねない。炊く時は酵素阻害剤を解除しなくてはならない』。『浸水』させて『発芽させると』、『酵素阻害剤は代謝され無害な物になるため、栄養豊富かつ毒なしの玄米ご飯が食べられることになる。小豆や大豆は』十二『時間で酵素阻害剤は消失する(五分づきや三分づきはかなり酵素阻害剤が残っているので、食べない方がよいだろう)』とあった。「毒揉(も)み」漁は幾つか知っているが(この後の「一〇二番 鰻の旅僧」に出る)、これは知らなかったわ!
「鵜住居村」岩手県釜石市鵜住居町(うのすまいちょう:グーグル・マップ・データ)。]
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