佐藤春夫譯「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」正規表現版 「朝の別れ」子夜
[やぶちゃん注:書誌・底本・凡例等は初回を見られたい。本篇はここ。]
朝 の 別 れ
我 念 歡 的 的
子 行 猶 豫 情
霧 露 隱 芙 蓉
見 蓮 不 分 明
子 夜
思ひつめては見えもする
君ゆきがてのうしろかげ
おぼろめきつつ蓮(はちす)さヘ
花も見わかぬ朝ぎりに
[やぶちゃん注:「子夜」は、複数、前出。佐藤の作者解説は最初のこちらを参照されたい。ネットで検索するに、第二句の「猶豫」は「由豫」である。以上の原詩(「楽府詩集」収録のもの)を載せる所持する岩波文庫の松枝茂夫編の「中国名詩選」の「中」(一九八四年刊)でも、「由豫」であるので(但し、意味は同じ)、それを参考に、原詩を、再度、掲げ、訓読文と注を示す。
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子夜歌
我念歡的的
子行由豫情
霧露隱芙蓉
見蓮不分明
子夜
我れ 歡(かれ)を念(おも)ふこと 的的(てきてき)たるに
子(きみ)が行(おこな)ひには 由豫(いうよ)の情(じやう)あり
霧と露と 芙蓉(ふよう)を隱し
蓮(はす)を見るも 分明(ぶんみやう)ならず
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・「的的」通常は「明らかなさま」を言うが、ここは松枝氏の注の『一途(いちず)に』の意が相応しい。
・「歡」逢って嬉しい人。恋人。彼女が一途に思っている恋人を指す。
・「由豫」「猶豫(予)」に同じ。ここは、「ためらう感じ」を言う。
・「霧露」松枝氏の注に、『霧も露も同じく水で、凝っては露となり、地っては霧となって、朝夕変形をくりかえす。ここでは霧。』の意とされる。所謂、「巫山之夢」(ふざんのゆめ)、楚の懐王が、夢の中で巫山の神女と契ったが、その神女は別れに際して、「私は巫山の南に住み、朝には雲となり、夕べには雨となってあなたのお側におります。」と言って立ち去ったという宋玉の「高唐賦」にある故事、転じて「男女の情愛が細やかであること・深い情交を結ぶこと」の喩えて言うその語句を踏まえて、少し恨みを込めて述べたものと思われる。
・「芙蓉」漢語では「芙蓉」は元来はフヨウではなく、「蓮の花」を指した。松枝氏の注でも、『ハスの花。「夫容」(夫のすがた)と同音。』とある。
・「蓮」同前で、『ハスの花。「憐」(恋人)と同音。』とある。前の注とともに、漢語に冥い、私を含む一般人は、見逃してしまう大事な箇所である。]