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2023/06/18

佐々木喜善「聽耳草紙」 一二四番 厩尻の人柱

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここ。]

 

   一二四番 厩尻の人柱

 

 北上川が盛岡市の南まで來て雫石川、中津川の二川《にせん》と合流する所に杉土堤《すぎどて》といふ堅固な護岸堤がある。此邊は昔南部家の厩《うまや》があつた所から、厩尻《うまやじり》とも云ふ所である。此厩尻は每年のやうに洪水に破られて、城下の人々はどれ程苦しんだか知れぬ。そこで二百年ばかり前に殿樣の命令で、此處に永久的な護岸工事が始められたが、ある一個所だけどんなに大石を埋《う》めてみても、効果のない所があつた。時の工事主任の佐藤某といふ者、萬策盡きて或山伏に訊くと、其には酉の歲、酉の月、酉の日、酉刻に生れた處女を人柱に埋めたら屹度《きつと》成就すると云はれた。それを探したところが、その條々に叶つた生娘(キムスメ)は、自分の一人娘の小糸《こいと》といふのだと訣《わか》つて悲嘆にくれてゐた。

[やぶちゃん注:「北上川が盛岡市の南まで來て雫石川、中津川の二川と合流する所に杉土堤がある」現在の岩手県盛岡市盛岡駅西通の先の突先(グーグル・マップ・データ)附近周辺。現在の盛岡駅の南東部に当たる。ストリートビューのこれも、その名残の一部かと思ったが、実際には、ちょっと違った。それは最後の私の注を見られたい。なお、「すぎどて」の読みは、石川啄木の随想風の中編小説「葬列」(「青空文庫」のこちら(旧字旧仮名版)で全篇が読める)の読みに拠った。]

 所がある日、旅の巡禮の母娘《ははむすめ》の者が、この名主(佐藤某は名主であつた)の家に來て宿を乞ふた。明日と迫つた愛娘《まなむすめ》の功德遐《くどく》のためにと思つて快く泊めた。そして何氣なく娘の齡《とし》を訊くと、今年十六になつて、丁度娘小糸と同じ齡、それも酉の年、酉の月、酉の日、酉の刻に生れたのだといふ。それを聞いて名主は其夜其の巡禮の娘を自分の娘の身代りにして厩尻の川底に埋めた。それと知つて母の巡禮も其處へ身を投げたが、それからは面白い程工事が進んで、今の樣な立派な堤防が出來たと謂ふ。(因《つなみ》に曰《いふ》、其の名主の佐藤某家は、今も立派にある富豪だと謂はれてゐる。併し其巡禮母娘の怨恨《ゑんこん》で、どうしても相續人に男子が生れぬと謂ふ話である。)

  (吉田政吉氏の御報告の分二。大正十二年八月
   二十日、聽書。)

[やぶちゃん注:「厩尻」の読みは、国立国会図書館デジタルコレクションの吉田政吉著「新盛岡物語」(一九七四年国書刊行会刊)の「厩尻の人柱」の本文の、ここの右ページ五行目のルビに従った(標題は「厩」の字だが、本文は「廐」が用いられている)。その後の部分で『徳川時代、現在の下の橋中学の所から河原町にかけて馬場があり、そして藩の馬屋がたくさん並んで建てられてあったのです。その馬屋の裏方…という意味で廐屋といったものと思います』とあった。この「下の橋中学」は盛岡市立下橋(しものはし)中学校で、ここ(グーグル・マップ・データ)にあり、地名は盛岡市馬場町である。さらに、中津川に合流点近くで架橋されている橋の名が、「御廐橋」(おんまやばし)であり、その向こうの地名が、「大沢川原」とあるから、これが旧「河原町」であろうと思われる。これによってこの合流点の左岸が「厩土堤」であろうと推定される。そこには、また、「啄木父子の碑」もある。グーグル・マップ・データ航空写真の、その附近も添えておく。]

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