佐々木喜善「聽耳草紙」 一一二番 雌鷄になつた女
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここ。]
一一二番 雌鷄になつた女
或女が薪採りに山へ行くと、奧山に見たことのない立派な家があつた。不思議に思つて訪ねて行つてみると、そんな大きな家にたつた一人の女房が居て、あゝお前さんはよい所へ來てくれた。私は今出かけべと思つて居たところだが、私が歸るまで暫時《しばらく》の間留守をして居てくださらぬか、直ぐ歸るから、たゞ私の居ない中《うち》は此家のどの座敷を見てもよいけれども、十三番目の座敷だけは見てはいけない。必ず必ず其座敷ばかりは見てならないと言ひ置いて出て行つた。
其家の女房はなかなか歸つて來なかつた。女はどんな家でどんな物があるだべと思つて一つ一つ座敷を見て行つた。座敷々々は黃金のある座敷もあれば、朱膳朱椀のある座敷もあり、鍬鎌のある座敷、唐銅鉢《からかねばち》に金屛風の座敷、馬の座敷、牛の座敷と數々の座敷があつた。さうして見て行くうちに遂々《たうとう》十二の座敷を見てしまつて、何時《いつ》の間にか十三番目の座敷の襖の前へ來て居た。あれ位見るな見るなと言つた此座敷にはどんな立派な物があるだらうと思つて襖を開けて見ると、其所は鷄の座敷であつた。[やぶちゃん注:底本は読点だが、「ちくま文庫」版で訂した。]そして其所へ女が一足踏み込むと忽ち雌鷄になつてしまつた。
其時になつて館《やかた》の主《ぬし》の女房が歸つて來て、妾《わらは》があれほど見てはならぬと言つた座敷を見たから、お前はそんな鷄になつてしまつたんだと言つた。
(閉伊郡岩泉地方にある話。野﨑君子氏の談話。
昭和五年六月二十三日夜聽く。)
[やぶちゃん注:典型的な東日本に多く分布する「見るなの座敷」譚である。但し、鷄ではなく、鶯が登場することが多い。当該ウィキを見られたいが、この「十三」の数字の意味は明確でない。多くの場合、これは四季=一年の象徴とされることが多いが、本話ではそのニュアンスは見られず、人間世界に於ける人生の富みの総体を象徴を示しているようには見える。但し、「十二」が通常の一年を示し、そこに閏月の一月が現われる異時間・異界の禁断の時空間への入り口を示唆しているようには感じる。「ニッセイ基礎研究所」公式サイトのコラムの中村亮一氏の『数字の「13」に関わる各種の話題―「13」は西洋では忌み数として嫌われているようだが―』が考察されておられるので、見られたい。但し、そこにある、概ね西洋のキリスト教由来とされる不吉な十三の転用であるとは、私は無批判に受け入れることは出来ない。]
« 佐藤春夫譯「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」正規表現版 「春のをとめ」薛濤 | トップページ | 「續南方隨筆」正規表現版オリジナル注附 鷲石考(3) / 「附錄」の「孕石」 »