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2023/06/30

「奇異雜談集」巻第一 ㊁江州枝村にて客僧にはかに女に成りし事

[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい。

 本篇のメインは、老人の語りであるので、「……」と行空けを用いて、鍵括弧(「」・『』)の五月蠅い使い分けを簡略した。【 】は怪奇談では珍しい二行割注。]

 

   ㊁江州(がうしう)枝村(えだむら)にて客僧(きやくそう)にはかに女に成りし事并《ならびに》智藏坊の事

 それがし[やぶちゃん注:著者自身。]、若年のとき、江州嶋鄕(しまのがう)に、數日(すじつ)逗留する事あり。

[やぶちゃん注:「枝村」所持する高田衛編・校注「江戸怪談集」(全三冊)上(岩波文庫一九八九年刊)の高田氏の注によれば、『室町から江戸期にかけて東山道沿いに存在した市場・宿場町。現在の滋賀県愛智(えち)郡豊郷町』(とよさとちょう)『上枝・下枝付近』とある。現在は滋賀県犬上郡豊郷町となっている。グーグル・マップ・データ(無指示は以下同じ)のこの附近となる。米原と近江八幡の中間点に当たる。さらに、逆に拡大すると、「上枝(かみえだ)」と「下枝(しもえだ)」の間を旧「中山道」が貫通しており、ここが嘗ての宿場町として栄えたことが地図上からも判明する。]

 諸人、しゆじゆ、雜談の中に、一人の老者(らうしや)、語りていはく、

 

……當国、枝村といふ宿(しゆく)に、むかし、不思議の事あり。

 たとへば、年、廿(はたち)ばかりなる客僧一人、きたりて、一宿す。

 そのかたち、美容(びよう)にして、比丘尼に似たり。言声(ごんせい)・形儀(ぎやうぎ)は、僧なり。

 その夜、大雨(《おほ》あめ)ふりて、翌日も、はれず、かるがゆへ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]に、日とまりす。[やぶちゃん注:「日とまり」日がな一日、行動せず、宿に滞留することを言う。]

 此の人、夜明けてより、そのすがた、軟弱にして、ぎやうぎ・音声、變じて、女と見えたり。

 亭主、怪しく思ひて、

「いづかたより御とほり候ぞ。」

と、とへば、

「我々は、越後の者なるが、丹波の大㙒原(おのばら)の會下(ゑげ)に、二、三年ありて、いま、越後へくだり候。」[やぶちゃん注:「我々」この場合は自称の謙譲語で単数を表わす。「わたくし」。「大㙒原の會下」同前の高田氏の注に、『会下は禅家などで、師の膝下で修行する所。実際の寺は未詳。丹波國桑田郡大野村といわれた所に、弘治元年(一五五五)―寬保元年(一七四一)に、孤峰禅師中興曹洞宗林昌寺が存在した。現在の京都府北桑田郡京北町字大野付近』とあるのが、その旧跡候補地らしい。今は京都府北桑田(くわだ)郡京北町(けいほくちょう)大野(おおの)。]

と、いへば、亭主、丹波の事、ぶあんない[やぶちゃん注:「無案内」。]なり。ゆへ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]に、くはしくは、とはず、そのすがた、あやしきゆへに、

「僧にて、御入《おはい》り候か。比丘尼か。」

と問へば、うちわらひて、

「比丘尼にて候。」

と、こたふ。

 亭主、おもしろく思ひて、その夜、ふし所《どころ》に行きて、とりかかれば、じたい[やぶちゃん注:「辭退」。前後は言わずもがな、「体を求めて迫ったので、当初は拒んでいたが」の意。]すれども、つひに、したがふて、嫁宿(かしゆく)す[やぶちゃん注:共寝・同衾すること。]。常のごとし。

 亭主、先婦を失ひて、やまめ[やぶちゃん注:「やもめ」に同じ。]なるゆへに、

「さいはひの事なり。夫婦となり、これにとめ申《まうす》へし[やぶちゃん注:ママ。]。」

といへば、比丘尼、りやうじやう[やぶちゃん注:「領承」。]す。

 すなはち、つつみて、髮をながくす。[やぶちゃん注:頭を剃っているので、それを布で包んで隠し、髪が伸びるのを待ったのである。]

 ほどなく、くわいにんして、男子(なんし)を生(しやう)ず。

 やしなひて、好(よき)子を、えたり。

 その子、十二、三の時、道者(だうしや)十人あまり、此里につきて、一宿を、此家にさだむ。[やぶちゃん注:「道者」この場合は、見た目で広義の「一般の修行者・巡礼者」を指す。]

 みれば、みな、僧衆(そうしゆ)なり。

 ひとり、仁(じん)たる老僧あり。[やぶちゃん注:「仁(じん)たる」高徳な。]

 亭主、ちそう[やぶちゃん注:「馳走」。]し、洗足(せんそく)を、まいらせ、座敷を、はいて、請(しやう)じいれ、やすめ申し、茶をすすむ。

 その子、いでゝ、給仕す。すなはち、非時(ひじ)を、調へ、すすむ。[やぶちゃん注:「非時」ここは広義の「僧侶の食事・その糧」の意。狭義のそれは以下。仏教僧は原則、食事は午前中に一度しか摂れないとされ、それを「斎時(とき)」と呼ぶ。実際には、それでは身が持たないので「非時」と称して午後も食事をした。]

 亭主、旅人の僕從(ぼくしう[やぶちゃん注:ママ。])に問ふて、

「いづかたより、御とをり[やぶちゃん注:ママ。]の衆ぞ。」

と、いへば、

「是は、丹波大㙒原會下(たんばおのばらゑげ)の長老にて御座候。」

と、いへば、此のよしを、内婦、聞《きき》て、おほきに驚き、氣色(きしよく)、へんじ、たつて[やぶちゃん注:「立つて」。]、かきのすき[やぶちゃん注:「垣の𨻶」。但し、同然の高田氏の注では、『ここでは室内を仕切る障子、ついたての類』を指しているとされる。]より覗けば、

「まことに。その長老にて、おはしますよ。」

と、いふて、なみだを、なかす[やぶちゃん注:ママ。]

 ともしびを出《いだ》す時分に、内婦、

「此の長老樣は、見しり申候。出《いで》て、相看(しやうかん)申《まふし》たく候。」[やぶちゃん注:「相看」同前で高田氏注に、『禅宗で「面会」の意の語』とある。]

といへば、亭主、

「もつとも。しかるべし。」

といふ。

 内婦、よそほひを改め、あんないを啓(けい)し[やぶちゃん注:申し上げ。]、子息を先に立てて、長老の御まへに出て、

「よく御げかう候よ。」

と申せば、長老のことばに、

「此里、家、おほしといへとも[やぶちゃん注:ママ。]、是に一宿する事、きゑん[やぶちゃん注:ママ。「機緣」。]にて候。」

と、おほせらる。

 内婦、なみだを流し、やゝ有《あり》て、和尚の御前近くまいり[やぶちゃん注:ママ。]て、申す。

「みづからをば、御見しり有るまじく候。和尚樣をば、よく見しり申し候。

 みづからは、ゑちご[やぶちゃん注:ママ。]の国より、十八のとし、のほり[やぶちゃん注:ママ。]て、御寺に、三年、沙弥(しやみ)を經(へ)候。名をば、何と申して、洒掃(しやさう)をいたし、古則法問(こそくはう[やぶちゃん注:ママ。仏教用語では「ほふ」が正しい。]もん)を糺明し、夜話(やわ)坐禅、をこたる[やぶちゃん注:ママ。]事なく、つとめ申しさふらひしが、故鄕(こきやう)に所用ありて、請暇(しんか)申して、まかり出で候。京へのぼり、江州にわたり、枝村につきて、此の家に一宿し候。その夜、夢に、『女になる』と思ふて、夢さむれば、男根(なんこん)、なくなりて、女根(によこん)になり候。心、うかうかとして、ふしんながら、ふかく怪しむ心もなくて、夜、あけ候。その夜、大雨ふりて、翌日も、はれざるゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に、逗留し候。心も、声も、女になりて候。[やぶちゃん注:「沙弥」同前の高田氏注に、『出家した新学年少の者で、具足戒を受けるために修行中の者、あるいはその期間』とある。「洒掃」「さいさう」とも読む。「水を注ぎ、塵を払うこと。掃除の勤めをなすこと。「古則法問」同前の高田氏注に、『禅宗修行者が瞑想すべき先人の敎えと、仏法についての問答と』とある。「夜話」禅宗で、夜、修行のためにする訓話。「古則」は一般に禅の「公案」とともに用いられるが、「公案」普通は「問答」或いは「答え」の意であるから、この「古則」というのは、「古くからある禅の命題」の意と採れる。「請暇」同前の高田氏注に、『禅家で、十五日以内の外出許可を求め他行すること。十五日を過ぎると籍を拔くことを原則とした』とある。]

 亭主、抑留して、夫婦のけいやく[やぶちゃん注:「契約」。]をなすゆへに、今迄、十五年、此の家にありつき候。もと僧にてありしことをば、亭主にかくし、今に、かたらず候。抑(そもそも)かくのごときの事、先例もある事に候や。「變成男子(へんじやうなんし)」といひ、あるひは、「轉女成男(てんぢよじやうだん)」と聞きしに、我々は、男身(なんしん)、にはかに變じて、女身《によしん》となり候こと、あさましき進退、業障(ごう[やぶちゃん注:ママ。]しやう)深重(じんぢう)に候。」[やぶちゃん注:「變成男子」「轉女成男」女性は如何に男性の僧と等しい厳しい守戒・修行・布施を成し遂げても、一度、死んで男性に生まれ変わって同様の行為をしない限り、極楽往生は出来ないという、原始仏教時代からある誤った強烈な女性差別である。釈迦はそんなことは言っていない。]

と申せば、和尚のいはく、

「闡提半月二根無根(せんだいはん《げつに》こんむこん)のたぐひになるは、世に多きものなり。」[やぶちゃん注:「闡提半月二根無根」同前の高田氏の注に従えば、「闡提」は『佛敎で、到底成仏しえぬ者である』『身』を言い(真の教えを実際には信じておらず、ひたすら名聞利養を欲求し続ける者の意)、「半月」は医学的に男女両性器を具有する『半陰陽の者』を指し、「二根無根」は『男根と女根(女陰)の二根いずれも持たない者』を指すとある(一部に私が補塡した)。「二成」男女の生殖器を一体に共に具えている両性具有者。]

と、のたまへば、内婦、

「いや、二成(ふたなり)にては、なく候。僧のときは、男根(なんこん)、つれのごとくにして、別義[やぶちゃん注:具合の悪いこと。]なく候。女になりては、女根《によこん》つねのことく[やぶちゃん注:ママ。]にて、べつぎなく候。たゝ[やぶちゃん注:ママ。]今、和尚にしようかん[やぶちゃん注:前に出た「相看」。]申して、むかしにたちかへるこゝちして、たつとく有がたく、思ひたてまつり候。」

とて、發露涕泣(はつろていきう[やぶちゃん注:ママ。])すれば、和尚、示(しめす)に頌(しゆ)をつくりていはく、[やぶちゃん注:「發露涕泣」高田氏注に、『わっと涙を流して泣くこと。發露は心の中をあらわす意』とある。「頌」同前で『伽陀』(かだ:サンスクリット語「ギャーター」の漢音写)『のこと。経文の字をとって三十二字にするものと、四句をつくるものとがあり、後者を特に頌と呼ぶ。法義を述べたり、佛德を讃嘆するもの』とある。なお、以下の「頌」はまず、返り点のみを附したものをまず示し、その後に〔 〕で訓点に従って読み下したもの(一部に送りがなを挿入した)を一段で示した。仮名遣は総てママである]

   天地異法生  人五薀假合

   鷹依日成鳩 雀入水成

   〔天地 異法(いほう) 生(しやう)ず

    人(ひと) 五薀(ごうん) 假(かり)に合(がつ)す

    鷹 日(ひ)に依(よ)つて 鳩(はと)に成り

    雀(すゝめ) 水に入つて 蛤(はまくり)に成る〕

 その時、ざしきのくはし[やぶちゃん注:「菓子」。]の、のこりの、山のいも、ありしを、和尚、ゆびさしていはく、

「やまのいもの、うなぎとなれるがごときぞ。これ、みな、先例なり。うれふること、なかれ。たゞ、汝が、いにしへ、知るところの、古則話頭(こそくわとう)、よく臆持(おくぢ)して、わするゝ事なく、單々(たんたん)に截斷(せつだん)せば、何のざいしやうしんぢう[やぶちゃん注:「罪障深重」。]か、あらんや。心やすくおもふべし。」[やぶちゃん注:「話頭」高田氏注に、『禅宗で、古則・公案の一節。または、その一則』とある。]

と、のたまへは[やぶちゃん注:ママ。]、内婦、しうるい[やぶちゃん注:「愁淚」。]をはらし、㐂悅大悟(きえつだいご)して、礼拜(らいはい)をなして去(さり)ぬ。

 その同行の中の一僧、いでゝ、和尚にとつていはく、[やぶちゃん注:同前で高田氏は『不詳。「によつて」の誤刻か』とされる。私の底本を見ると、確かに「とつて」なのだが、眺めていると、「つ」の崩しは「川」の崩し字なのだが、これの中央の部分を波打たずに書いた場合、「ひ」「い」の崩しにかなり近く見えるように感じた。とすると、「とひて」「といて」で「問ひ(い)て」の可能性もあるやに思われた。]

「いまの五言一頌(ごごんいちじゆ)の垂示(すいじ)、何のいはれぞや。」[やぶちゃん注:以下の和尚の台詞中に漢文部が出現するが、先の「頌」と同じ処理をした。]

 和尚、解(げ)していはく、

「肉身(にくしん)は、地水火風空の五薀(うん)、かりに和合して、実(じつ)なる物にあらざるなり。又、本來、空の處に、天地(てんち)、出現して住(ぢう)する、これ、異法なり。異法の性《しやう》によつて、異法の萬物(ばんぶつ)を生ず。異法の氣にしたがつて、異法の萬物、轉變(めぐりへん)ずるなり。葵藿(あをひ[やぶちゃん注:ママ。])は、日にむかうて、轉(めぐり)、芭蕉(ばせを)は雷(かみなり)をきいて、長(のぶる)。それ、目(め)、なふして、日を見、耳、なふして、雷をきく。これ、みな、異法の氣のいたす所なり【「涅槃經」巻三十二に見《みえ》たり。】。異法の變にあづからざるものは、たゞ本來の佛性《ぶつしやう》なり。おなじき卷にいはく、『如來常住无ㇾ有變易、一切衆生悉有佛性〔如來、常住にして變易(へんやく)有ること无(な)し。一切衆生(いつさいしゆじやう)、悉(ことごと)く佛性有り〕云〻。七十二候(《しちじふに》こう)を按ずるに、五日を一候とす。七十二候は、すなはち、一年の日數(《ひ》かず)なり。はじめ、立春よりして、一候一候に、萬物、轉變(てんべん[やぶちゃん注:ママ。])するなり。二月の節(せつ)、第三候、五日の間に、鷹、變じて、鳩となり、九月の節、第三の候、五日の間に、雀、水に入つて蛤となる。かるがゆへに、日による、と、いふなり。七十二候に萬物變ずる事、おほき中に、此の二か条、『僧の女になれる』たぐひなるゆへに、これをいへるなり。七十二候は、人、知らざるなり、山の芋の、うなぎとなるをば、世俗、みな、これを知るゆへに、これを引きて、もつて、たとへとするなり。是、僧、變じて、女になれるの先例なり。」[やぶちゃん注:「五薀」サンスクリット語「スカンダ」の漢訳。「蘊」は「集合体」の意。色(しき:物質)・受(印象や感覚)・想(知覚や表象)・行(意志などの心の作用)、識(心)の五つを指し、総じて、有情(うじょう)の物質性と精神の両面に亙る要素を指し、因縁によって生ずるところの有為(うい)法を言う。同時に人間の心身環境全体をも示す。「五陰」(ごおん)とも言う。「七十二候」これは古代中国で考案された季節を表わす方式の一種で、本来は仏教とは関係がない。二十四節気(戦国時代(紀元前四世紀)に発明された四季・気候などの視点で地球上の一年を仕分ける方法)を、さらに約五日毎の三つに細分した期間の総体を言う。当該ウィキによれば、『各七十二候の名称は、気象の動きや動植物の変化を知らせる短文になっている。中には、「雉入大水為蜃」(キジが海に入って大ハマグリになる)のような実際にはあり得ない事柄も含まれている』。『古代中国のものがそのまま使われている二十四節気に対し、七十二候の名称は何度か変更されている。 日本でも、江戸時代に入って渋川春海ら暦学者によって日本の気候風土に合うように改訂され、「本朝七十二候」が作成された。現在では』、明治七(一八七四)年の『「略本暦」に掲載された七十二候が主に使われている。俳句の季語には、中国の七十二候によるものも一部残っている』とある。リンク先には一覧があるので見られたいが、それによれば、ここで挙げている「鷹化爲鳩」は中国の「宣明暦」のもので、「啓蟄」の「末候」で旧暦二月の前半の終りの方で、「雀入大水爲蛤」も同前で「寒露」の「次候」で旧暦八月末から九月初めに相当する。]

と云々。

 それがし[やぶちゃん注:冒頭に出たこの話をしている老人。]、此のざうだん[やぶちゃん注:「雜談」。]を聞きて、まことしからず思ふゆへに、人に語ること、なし。

 それがし、天文十年[やぶちゃん注:一五四一年。]の比、播州にくだりて、上洛の時、たんばのおのばらにて、ひる[やぶちゃん注:昼。]のやすみをするに、同道の人、

「『大㙒原の會下』に所用あり。これより、一里ばかりあるほどに、ゆき、やがて、かへらん。」

とて、ゆく。その間に、宿(やと[やぶちゃん注:ママ。])の亭主と物がたりするに、會下の事をかたるうちに、

「むかし、ふしぎの事、あり。廿(はたち)ばかりの僧、故鄕ゑちご[やぶちゃん注:ママ。]ヘくだるとて、江州枝村の宿にて、女になりたる事あり。」

と、かたる。それがし、やがて聞き得て、りやうじやう[やぶちゃん注:「領承」。]す。

 さるほどに、四十年以前に、江州にて、此の事を、人のかたりしを聞《きき》て、まことゝも思はざりしに、今、また、この方《かた》にて、聞くうへは、まことなり。……

 

 此の雜談を聞きて、喜悅なり。それがし[やぶちゃん注:冒頭の著者自身。]、かへつて、枝村にてのしだいを、あらあら、語るなり。亭主、聞きてよろこぶ。

 寶幢院(ほうどう《ゐん》)の宗珎(そうちん)、この雜談をきかれて、ついでにいはく、[やぶちゃん注:「寶幢院」高田氏の注に『比叡山西塔』(さいとう)『にある塔頭の名』とある。調べたが、現在の釈迦堂(グーグル・マップ・データ。以下も同じ)の北東にあった最澄が構想した十六院の一つであったが、廃絶して現存しない。「宗珎」不詳。]

「下㙒(しもつけ)の国にも、また、僧の女人に成りたる事あり。是は叡山の東堂(《とう》だう)[やぶちゃん注:「東塔」に同じ。]西谷(《にし》だに)の吉祥院(《きち》しやう《ゐん》》智藏坊の說なり。たゞ、一往(《いち》わう)[やぶちゃん注:「一度だけ」或いは「大略のみ」。]にして、くわしく事をとかざるなり。智藏坊、実(じつ)なる人なり。きよごん[やぶちゃん注:「虛言」。噓。]にてあるべからず。」

といふ處に、むらさき㙒大德寺の正首座(《せい》しゆそ)、[やぶちゃん注:「むらさき㙒大德寺」現在の京都市北区紫野大徳寺町にある臨済宗大徳寺派大本山龍寶山大徳寺。「正首座」同前の高田氏の注に、『禅寺で修行僧中、首席にあるもの。修行僧中の第一位で、長老(住持)の次位にあり、僧堂内のいっさいの事をつかさどる者』とある。]

「此の事、東国にて、きゝをよぶ[やぶちゃん注:ママ。]。」

と、いふて、かたりて、いはく、

「下㙒の国より、僧二人、足利にゆきて、がくもんす。又、同じき国の僧、文長といふ人、一人、おなじく學問す。ともに數年(す《ねん》)すぎて、故鄕(こきやう)にかヘる。又、十年をすぎて、前の二僧、同道して、他所(た《しよ》)にゆく。路地の小家(《こ》いへ)に酒箒(《さか》はうき)あり。二人、よりて、濁醪(にごりさけ)を、のむ。家主内婦(やぬしないふ)、二僧を、つくつく[やぶちゃん注:ママ。後半は踊り字「〱」。後も同じ。]と、みる。二僧、ひそかにいはく、[やぶちゃん注:「酒箒」昔の酒屋の看板。「酒林(さかばやし)」「酒旗(さかばた)」「杉玉」とも称する。一~二尺の長さの杉の枝葉を束ねて箒のようにしたり、球状にしたもので、戸口に立て掛けたり、軒先に吊り下げたりした。江戸末期まで一般に見られた風習で、今日でも一部の酒造家の間に残っている。杉が用いられるのは、古く神酒やそれを入れる瓶(かめ)のことを「みわ」と呼び、また、酒の神である大和国三輪山に鎮座する大神(おおみわ)神社が杉を神木とした縁にちなむといわれる(小学館「日本大百科全書」に拠った)。]

『此の内婦は、足利にての、文長に、よく似たり。』

といふて、つくつくみれば、内婦のいはく、

『二人の御僧は、見しり申し候。われわれ[やぶちゃん注:先に出た謙遜の一人称。]をば、御見しりあるまじく候。」[やぶちゃん注:後半は「でも、私のことは、お見知りとは思われないで御座いましょう。」の意。]

といふ。二僧のいはく、

『されば、此の方も、見知りたるやうに覺え候。」

と、いヘば、内婦のいはく、

「我々は、文長にて候。」

といふ。二僧、驚きて、いはく、

『いかんとしたる事ぞ。』

といへば、内婦のいはく、

「ちかごろ、はづかしき事なれとも[やぶちゃん注:ママ。]、かたり申し候。足利より、かへりて、三十二のとし、裸根(らこん)、はなはだかゆきゆへに、熱湯をもつて、たづる事、かぎりなし。はなはだ、たづるとき、裸根、陰嚢(いんのう)ともに、ぬけ落(おち)たり。とりて見るに、用(よう)にたたざる物なるゆへに、すてたり。そのあと、開閇(かいひん)になりて、常のごとし。のちに、夫(おつと[やぶちゃん注:ママ。])を、まうけて、子を、うむ事、二人なり。」[やぶちゃん注:「裸根」男根。陰茎。「たづる」同前の高田氏の注に、『炎症や充血をとり去るために、冷水または温湯に浸した布を患部にあてて、湿布する治療法。「開閇になりて」同前で『閇は閉の別体。女陰ができて』とある。男性生殖器部分が脱落して「閉」じ、女性生殖器が新たに「開」いたということか。]

と、かたれば、二僧、怪しみ、驚きて去る、と、きくなり。」

と云々。

 宗珎、ちなみに智藏坊のしんだい[やぶちゃん注:「身代」。]を語りていはく、

「是は、しもつけの国の人なり。国にて、弁才天をしんがう[やぶちゃん注:ママ。「信仰」。]するゆへに、安藝の、いつく嶋の弁才天に、さんけいして、七日、さんろうす。毎日、三千三百三十三度(ど)のらいはいをぎやうず。あるとき、高しほ、さしのぼりて、大浪(おほなみ)、うちきたる。此の人、

『いのちを、天女にまかせる。』

と思ふて、にげさらず。かへる波にひかれて、すでに、おぼれ死す。波、また、よせきたるに、此人を乘せて、なぎさにうちあくる[やぶちゃん注:ママ。]なり。社家(しやけ)の人、これをみて、

『社中(しやちう)に死人(しにん)を忌む。はやく、すつべし。』

とて寄りてみれば、息、いまだ、たえず。さるゆへに、人みな、すくひたすくるなり。心ただしくなりて[やぶちゃん注:正気を取り戻して。]、いはく、

『いのちをしんりよ[やぶちゃん注:「神慮」。]にまかせたてまつりて、かくのごとし。』

といふ。

『さては。天女のみやうかん[やぶちゃん注:「冥感」。]にかなふ人なり。』

と、みな、いへり。たつとく思ひて、行(ぎやう)を滿(まん)じて、かへりさる。また、竹生嶋(ちくぶしま)にさんけいす。

『後生(ごしやう)ぼだいの行業(ぎやうごう)、じやうしう[やぶちゃん注:ママ。「成就」。]をいのりて、湖水に身をなげん。』

と、おもひて、「身なげいし」[やぶちゃん注:「身投げ石」。]の上にのぼりて、身をなけ[やぶちゃん注:ママ。]たり。その下に、大なる龜あり。わたり、五、六尺の甲のうへにおちあたるゆへに、龜、此人をのせて、水のうへに、浮きあがるなり。人、これを見て、

『智藏坊なり。』

とて、引《ひき》あくる[やぶちゃん注:ママ。]なり。智藏坊のいはく、

『石を袖にいれざるゆへに、死せざるなり。又。石をいれて、身をなけん[やぶちゃん注:ママ。]。』

といふ。人みな、をさへ[やぶちゃん注:ママ。]とゝめて[やぶちゃん注:ママ。]いはく、

『天命、いまだつきざるゆへなり。何とせられたりとも、死なるべからず。』

といふて、とむるなり。

『もつとも。』

といふて、かへりさつて、えいざんにぼりて、吉祥院(きちじやうゐん[やぶちゃん注:前出では「祥」のみに「じやう」と振っている。])に入《いり》て、十六年、住山(ぢうさん)せらるる也。」

[やぶちゃん注:「五、六尺の甲」本邦の淡水産のカメの在来種ではこの大きさはあり得ない。

 さても。この女に変じたとするのは、遺伝子上の女性の卵精巣性性分化疾患(旧称「真性半陰陽」)であろう。「小児慢性特定疾病情報センター」公式サイト内の同疾患によれば、本邦における現代の百二十五『例での検討では』、四十六例がXX(遺伝子上は正規の女性)が六十一・六%とある。]

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