佐藤春夫譯「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」正規表現版 「謠」夷陵女子
[やぶちゃん注:書誌・底本・凡例等は初回を見られたい。本篇はここ。]
謠
楊 柳 楊 柳
裊 裊 隨 風 急
西 樓 美 人 春 夢 中
翠 簾 斜 捲 千 條 入
夷 陵 女 子
やなぎや柳
なよなよと風になびきてしどけなし
色香も深き窻のひと春の夢いまうつつなし
すだれ捲くれてのぞき入る千條(ちすぢ)のやなぎ
※
夷陵女子 唐朝。 未詳。
※
[やぶちゃん注:「夷陵女子」は「いりようぢよし」(現代仮名遣「いりょうじょし」)。現在も生没年を含め、一切不詳である。但し、唐の牛僧孺(ぎゅうそうじゅ)撰になる「幽怪錄」の「劉諷」の一節に(「中國哲學書電子化計劃」の影印本の当該部(この最終行から次のコマにかけて)に従った)、
*
何時歡樂又歌曰楊柳楊柳裊〻 随風急西樓美人春夢中翠簾斜巻千條入
*
(「簾」は底本では「グリフウィキ」のこの異体字)と無名であるが、ほぼ同一の詩が載っている。牛僧孺(七七九年~八四九年)は中唐の政治家で、唐代伝奇集の「玄怪録」の撰者と見做されている人物である。彼の生没年から見て、この「夷陵女子」は、中唐初期以前の女流詩人であると限定は出来る。なお、この話は後の「太平広記」の「鬼十四」にも「劉諷」として収録されている(リンク先は同じサイトの電子化された同話の全文)。
・「謠」「うたひ」。
・「窻」「窓」の繁体字。
・「捲くれて」「まくれて」と訓じておく。
本原詩の題名は探し得なかった。推定訓読を示す。
*
楊柳(やうりう) 楊柳
裊裊(でうでう)として 風に隨ひて 急(きふ)たり
西樓(せいろう)の美人 春夢(しゆんむ)の中(うち)
翠簾(すいれん) 斜(なな)めに捲(ま)くれ 千條(せんでう) 入れり
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・「裊裊」(現代仮名遣「じょうじょう」は「嫋嫋」とも書く。ここは「風がそよそよと吹くさま」の意。
・「美人」ここは「美女」。]
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