佐々木喜善「聽耳草紙」 一〇三番 魚の女房
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]
一〇三番 魚の女房
或所に、正直な漁夫があつた。每日々々、網を打つたり、釣つたりして、雜魚《ざこ》を取つて其日を暮して居た。慾が無いから別段金儲けをすべとも思はず、餘分にとつた魚などは川へ放してやるほどであつたから、家はひどく貧乏であつた。だから未だ妻もなく、ヤモメ暮しであつた。
或日のこと、若い美しい女が、此男の家を訪ねて來て、どうか妾《わらは》を置いてくれと賴んだ。漁夫は俺は貧乏でダメだから、外《ほか》さ行つて賴んでみろと言つた。すると女は妾はお前さんの氣前《きまへ》に惚れて來たから、是非オカタにして置いてくれろと言つてきかなかつた。男は、俺はお前の樣な美しいオカタを持つても、この通り貧乏だから仕樣《しやう》がない。そだから歸つてくれと言ふと、女は妾はお前さんを見込んで來たんだから、今さら行く所もない。妾には親も兄弟もなく一人ポツチだから置いてくれと言つてきかないので、仕方なく漁夫は其女をオカタにすることにした。
[やぶちゃん注:「オカタ」東北地方の方言で「女房」の意。「御方様」語源とも言われるが、不詳。]
亭主は相變らず每日々々漁に出ては、魚をとつて生活(クラシ)を立てゝ居た。此女房を置いてから、不思議な事に朝夕の味噌汁があまりウマイので、どうして斯《か》うウマイのかと、其譯を訊いても、ただ笑つて何とも答へなかつた。同じ味噌でも自分がやるとまづく、妻が作るととてもウマかつた。何時《いつ》かは妻の作り方をこツそり見てやらうと思つて居たが、なかなか見拔くことが出來なかつた。
或日、明日は町へ行くからといつて、宵のうちに仕度をし、朝立《あさだち》をして表口から出て、そしてこつそり裏口から𢌞つて、戾つて、梁上(マゲ)に隱れて見て居た。妻は夕方になつて、夫の歸る時分だと思つて、夕飯の仕度に汁立(シルダテ)をして居た。夫がどんなことをするのかと思つて見てゐると、戶棚から味噌を出して摺鉢で摺り、それから自分の尻を浸し、尻をヤツサに洗つて、それを爐《ひぼと》にかけた。汚い眞似をすると思つて見て居ると、妻は水を汲みに川戶《かど》に出かけた。男は何食はぬ顏して、梁上から下りて、盛岡から歸つた振りをして、草鞋《わらぢ》に泥を塗つてゐた。
[やぶちゃん注:「ヤツサに」「矢庭に」の意か。
「川戶」集落を貫流する川、或いは、その畔(ほとり)。]
夕餉《ゆふげ》の時、男は常にウマイと言つて食べる汁を今夜に限つて食べないので、妻は不審を抱き、何故食べないかと訊くので、實は默つて居るべと思つたが、實はこれこれで、お前には氣の毒だが、汚い眞似をするのは止めてくれと言ふと、妻はさてはサトられたと感づき、顏色を惡くし、本當はお前さんと一生連れ添ふて幸福にして上げたいと思つたが、さう見破られてはそれも出來なくなつた。私は本當の人間ではない。それで元の棲家《すみか》へ歸るから、お前さんもマメで暮すやうに… [やぶちゃん注:底本のママ。「ちくま文庫」版では『ように……。』。]受けた恩は決して忘れない。明日、いつも往くあの淵の際(原文波の際)の岩の上まで來ておくれ。そしたら妾の正體も分るし、お前さんに差上《さしあ》げたいものもあるからと言つて、其夜のうちに何處へか行つてしまつた。
男は、女が汚い眞似さへしてくれなければ、いつまでも此所に居て貰ひたいのであるが、人間の性《せい》でないと言ふから、氣味が惡くもあり、とにかく明日淵バタ(原文濱バタ)へ行つてみれば萬事分ると諦めて居た。
翌日、妻が告げた岩の上へ往《ゆ》くと、女は既に來て待つて居た。そして嬉し氣《げ》に見えるが、いつもより美しく着飾つて居るので、男も氣恥しいやうであるけれども、側へ近寄つて見ると、女はニツコリ笑つて、これをお前さんに上げますと言つて、立派な漆塗《うるしぬ》りの手箱をくれた。そして實は妾はお前さんに放《はな》されたことのある魚《さかな》であると言つて、忽ち水中に消えて行つてしまつた。
手箱には、金銀の寶物が一杯入つて居りましたとサ。ドツトハライーヒ!
(田中氏の御報告の分一七。同氏は附記して曰《いはく》、此話は更に子供の方へ進展していくやうな氣もするが忘れた。[やぶちゃん注:底本では句点はなく、以下に続いているが、「ちくま文庫」版で訂した。]その場合はその箱の代りに、子供が置かれる。卽ち子供は魚を母として生れるのであると云つて居られる。話中盛岡へなどとある故、此魚を川の物にして置いた。)
[やぶちゃん注:附記は、例によって、上に引き上げ、ポイントも本文と同じにした。この話は、異類婚姻譚である「蛤女房」・「鯛女房」といったもののヴァリエーションの一つで、「見るな」型タブーの垣間見シークエンスによる排尿行為の露見による破綻に相同性が認められる。ウィキの「蛤女房」や、個人ブログ「恋女房ならぬ鯉女房。助けた魚が嫁になる」にある新潟市・長岡市に伝わる「鯛女房」の話などを、見られたい。なお、本篇の場合、魚であった女房の魚種が示されていないのが、遺憾なところであるが、これを明確に正体を「鮭」としたほぼ完全な相同話が、「岩手県文化スポーツ部文化振興課文化芸術担当」の公式サイト「いわての文化情報大事典」内の「魚の女房」(採取は大船渡市とある)としてある。ただ、私の少年期の記憶では、同類話柄では、この女房が田螺であったものを記臆するのだが、ネットでは見当たらなかった。]
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