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2023/06/16

「新說百物語」巻之三 「狐笙を借りし事」

[やぶちゃん注:書誌・凡例その他は初回の冒頭注を参照されたい。

 底本は「国文学研究資料館」のこちらの画像データを用いる。但し、所持する国書刊行会『江戸文庫』の「続百物語怪談集成」(一九九三年刊)に載る同作(基礎底本は国立国会図書館本とあるが、国立国会図書館デジタルコレクションで検索しても、かかってこないので、公開されていない)にある同書パートをOCRで読み込み、加工データとして使用させて戴いた。ここに御礼申し上げる。

 今回はここから。この篇も濁音脱落が多い。ママ注記が五月蠅いが、悪しからず。

 なお、本書には多数の挿絵があるが、「続百物語怪談集成」にあるものをトリミング補正・合成をして使用する。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。]

 

   狐《きつね》笙(しやう)を借りし事

 上京《かみぎやう》に「何之介《なにのすけ》」とかや、いへる人、あり。[やぶちゃん注:「何之介」伏せ名であろう。]

 生得《しやうとく》の好奇人にて、音律に、くはしく、殊更、笙をよく吹きけるか[やぶちゃん注:ママ。]、あるとき、また、おなしやうなる、わかき男、きたり、

「それかし[やぶちゃん注:ママ。]も、笙を吹き侍るか[やぶちゃん注:ママ。]、其《そこ》もとの音色《ねいろ》の、あまり、おもしろきに、每日、おもてにたゝすみ[やぶちゃん注:ママ。]侍る。これよりは、御心安くいたしたく存《ぞんず》るなり。」

と申しける。

 彼《か》のものも、すきゆへ[やぶちゃん注:ママ。]

「いかにも。自今《じこん》は、御心やすく御出で下さるへし[やぶちゃん注:ママ。]。」

とて、每日每日、來《きた》り、我《われ》も、笙を持來《もちきた》り、たかい[やぶちゃん注:ママ。「互ひ」。]に吹《ふき》ける。

「我等は、九条邊のものにて、宮㙒左近《みやのさこん》と申す。」

と申しける。

 そのゝちに、一兩日も過ぎて、申しけるは、

「其もとの御笛《おんふえ》、殊の外、よき御笛にて侍る。なにとぞ、一兩日御かし下さるへし[やぶちゃん注:ママ。]。その替りに、又、我らか[やぶちゃん注:ママ。]所持の笛を、置きて歸るへし[やぶちゃん注:ママ。]。」

と、所望いたしける。

 彼の男、申しけるは、

 「いかにも。いと、やすきことなり。御かし申すへし[やぶちゃん注:ママ。]。」

とて、たかひ[やぶちゃん注:ママ。]に取りかへて、かしける。

 其後、四、五日すれとも、來たらす、一月《ひとつき》すれとも、來らさりけれは[やぶちゃん注:総てママ。]

『扨は。病氣にても侍るやらん、心もとなし。いさ[やぶちゃん注:ママ。]、行きて尋ねてみん。』

と、おもひて、九条にいたりて、とある百姓の家にゆきて、其名を尋ねしかは[やぶちゃん注:ママ。]

「左樣《さやう》の人は、承り侍らす[やぶちゃん注:ママ。]。此㙒はつれ[やぶちゃん注:ママ。「この野端(のはづ)れ」。]に、「宮㙒左近狐《みやのさこんぎつね》」といふ、ほこらは、是《これ》、あり。おかしき事を尋ぬる人かな。」

と、わらひける。

 

Syoukitune

 

[やぶちゃん注:底本では、ここ。キャプションは、右幅の左手に背を向けた訪ねてきて笙を吹く宮野左近の右膝の右手に、

このせう[やぶちゃん注:ママ。]をかへて

  給はれ

奥に座って、やはり笙を吹いているのが、主人公「何之介」で、その右方に、

御やすき

   事て[やぶちゃん注:「で」。]

       ござり

        ます

とあり、左幅の上部には、稲荷社の社頭に亡くなった狐、それを発見した土地の村人二人が描かれ、上方の若い者の台詞が、

これはこれは[やぶちゃん注:後半は踊り字「〱」。]

 ふしき[やぶちゃん注:ママ。

  なる

  こと

   かな

とあって、下方のやや年をとった感じの男の台詞が、何之介の庭の景から、野の岡と推移するその丘の部分に、

これは

 せうの

  ふへ[やぶちゃん注:ママ。]と

    やら

   いふ物で

    あろ

とある。]

 

 彼の男、心ならす[やぶちゃん注:ママ。「こころならず」で、ここは「われ知らず・無意識に・うっかりと」の意。]、其宮にいたりて、樣子を、くはしく、近所のものに、たつねしかは[やぶちゃん注:総てママ。]、かたりていふやう、

「あとの月[やぶちゃん注:先月或いは先々月。]の末より、夜ふけぬれは[やぶちゃん注:ママ。]、此宮の近所に、何やらむ、笛の音《ね》、每夜、いたしけるが、此頃、其音《そのね》も、やみて、ほこらの前に、笙の笛とやらむものを置きて、狐一疋、死して居《ゐ》たり。すなはち、所の寺に、ほふむりて、其笙とやらむも、其寺へ、あげたり。」

と、語りける。

 彼男も、思はす[やぶちゃん注:ママ。]、淚をなかし、なくなく、其寺へ、いたりて、しかしかの樣子を、かたりて、その笙を見れは[やぶちゃん注:ママ。]、成程、先日かしたる笙にてそ[やぶちゃん注:ママ。]、ありける。

 其まゝ、その笙を、寺へ上けて[やぶちゃん注:ママ。]、取りかへたる我かゝた[やぶちゃん注:ママ。「我が方」。]の笙を「小狐」と名つけ[やぶちゃん注:ママ。]、祕藏しける、よし。

 延享の頃なる、よし。

[やぶちゃん注:「延享」一七四四年から一七四八年まで。本書は明和四(一七六七)年春の刊行だから、二十年ほど前の話で、まさに当代の都市伝説と言ってよい。]

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