ブログ1,970,000アクセス突破記念 梅崎春生 文芸時評 昭和三十二年十二月 / 文芸時評~了
[やぶちゃん注:本評論は底本(後述)の解題によれば、『東京新聞』昭和三十二年十一月二十六日附・二十七日附・二十八日附に掲載されたとある。しかし、う~ん、だとすると、内容は、時制的には――昭和三二(一九五七)年十一月――なんだな。まあ、同年十二月末に発行となった文芸雑誌・総合雑誌の十二月号を読んで書いたというのだから、しょうがないか。実際、読まれて、評価が定まるであろう事態は十二月に入ってからだという謂いか。
私は梅崎春生と同時代のここに挙げられる作家の作品はあまり読んだことがない。私は近現代の作家については、死んでいない人物に対しては冷淡で、共時的に読むことはなかった(現在でも特定の作家を除き、概ね同じである。梅崎春生が亡くなったのは小学校三年生で梅崎春生は知らなかった。但し、私は三~六歳の時期、大泉学園に住んでおり、梅崎春生の家はかなり近くにあったことを後年知った。梅崎との最初の出会いは一九七一年八月七日のNHKドラマ「幻化」で、中学三年の時であった)、従って、注は語句や、特に私がよく知らない作家については、高校の「現代文」(ちょっと以前は「現代国語」と称した)の私の嫌悪する注のような、生年月日の毛の生えた程度の注をするしかないからやりたくないし、私の知っている作家の場合は、没年を示す必要があると考えた場合等を除いて、原則、注しない。悪しからず。
底本は昭和六〇(一九八五)年四月発行の沖積舎「梅崎春生全集 第七巻」に拠った。
太字は底本では傍点「﹅」。
なお、本テクストは2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが、昨日未明、1,970,000アクセスを突破した記念として公開する。【二〇二三年六月二十四日 藪野直史】]
昭和三十二年十二月
この時評を書くために二日がかりで、約二十編の小説と十編近くの戯曲を読み、たいへんしんが疲れた。百八十枚(戯曲二編)、百三十枚(小説)なんてのが混っているのだから、疲れるのも当然である。
時評を書くのだからと、初めは机の前に坐って読んだが、何も時評用の特別の読み方もないことが判ったので、あとはごろりと横になって読んだ。習慣になっているせいか、この方がすらすらと頭に入るようだ。
今月の小説の大将百三十枚というのは開高健「裸の王様」(文学界)で、読んでいる間は面白かった。よく考えよく計算された小説で、読者に与える効果もはっきりと計算済みのようである。画塾から始まって、絵具会社だの児童心理学だのコンクールだの、さまざまの枠の中で、人間がめだかのように右往左往している。力作と言うべきだろう。
しかしこの作品に対して、読む方の視点をちょっとずらすと、ここに出て来る人物のほとんどが、枠にはめこまれた死物と化し、つまりこの作品は単なるはめこみ細工ではないかという疑問が生じて来る。
たとえば少年の父親、あるいは母親など、うまく描けているようで、しんのところは漠としてぼやけている。単なる計算では人間はとらえられないということにもなるか。
私はこの作者を含めて、今年輩出した新人たちに対し(一部をのぞき)ひとつの共通点を感じる。小説家という言葉があるが、この人たちは小説家というより、小説メーカーという感じがするのだ。(ライターよりメーカーが下だと言っているわけではない。)だから出来上ったものも、作品というよりは、製品に近く、製品であるとすれば、年年新型改良型をもって競争するということになるだろう。すなわちこの「裸の王様」は前作「巨人と玩具」の改良型で、しかもなかなかよく改良されていて、他のメーカーたちの好個の競争目標となるだろう。
小説がメーカー品になって行くことに対し、私は別に悲しいとも嘆かわしいとも考えない。
これがこの二三年先にどうなって行くかと、その興味だけがある。
こんな作品に対し、一方昔ながらの上林暁「春の坂」(文芸春秋)、尾埼一雄「父の顔」(群像)などがあり、ヘんてつもない題材を、へんてつもない文章で叙述したものであるが、ここには眉に唾(つば)をつけないで読める安心感がある。いろんな物語で読者をよろこばせるのと、まぎれもない手製を差出すのと、どちらが読者にサービスになるか、問題は残るだろう。この数年間ずいぶん私小説はたたかれたが(私は一度もたたかなかった。擁護した。実は私にも多分に私小説家的傾向があるので、私小説をたたけば、自分で自分をたたくことになるからだ。自分で自分をたたくのは損だ)たたかれても生き残っているのは、その読者がいるためであり、私小説と反対の小説が腰がすわっていないせいだろう。
野口富士男「死んだ川」(群像)は「父の顔」と同じく父親を描いたもので、「死んだ川」は重い。父親の一生を叙述して、筆は的確であり、感傷を削り落した佳作である。最後に父親が死んで、母が「長いあいだ、ご苦労さまでございました」と死体にあいさつするところなど、一編のしめくくりとして効果的である。
西野辰吉「黒い谷間」(群像)は終戦直後の朝鮮人送還を取りあつかったものだが、何か足りないような感じがする。
もともとこの作家には、何か吹っ切れないものがあって、それが魅力にもなっているのだが、この作品ではそれがマイナスに働いていると思う。
「文学界」では一幕物戯曲特集をしている。私は今まで一度も戯曲を書いたことがない。作法を勉強するのがめんどうくさいからであるが、所載の数編を読み、少しばかり技痒(ぎよう=腕がむずむずすること)を感じた。このくらいならおれだって書けそうだという気分である。皆、楽に書いているらしい。
中では大江健三郎「動物倉庫」が一番面白かった。アルバイト学生をのんだ大蛇という羞想も面白かったし、実はのまれてなかったというひっくり返しも利いている。しかしこの作家は、おのれを守って頑固なのか、芸の幅が狭いのか、いつも同じような道具立てと人物しか出さない。その点読む方で飽きが来る。
松本清張「いびき地獄」も割に面白かったが、同じ話をもとにした小説が同じ作者にあり、それにくらべるとこの戯曲の方が落ちる。
遠藤周作「女王」は展開が単純過ぎて、一編の戯曲に仕立てる必然性がうすいと思う。最後のひっくり返しも、あまり利いていない。周作の習作とでもいったところか。
曽野綾子「招魂」も、同じ作者の小説にくらべると段が落ちる。人間が類型的にしかとらえられていないし、年寄と若い世代の対立も月並である。
石原慎太郎「霧の夜」は読んでいてなじめなかった。会話が生硬すぎるのである。私は会話を日常のリアリズムまで引下げろとはいわないし、むつかしいことを語ってもよろしいが、それがこなれてないと困る。たとえば「これはこの世界で俺にとっての、初めての義務であり責任であり生活の目的だったからな。俺にはそれを拒んだり批判して見る何ものもなかった。俺は、そう、俺は嘻々[やぶちゃん注:この「きき」は「喜んで笑っている様子・満足しているさま」の意。]としてそれに従ったよ」こういうことをしゃべる男の像が、私には想像が出来ないのである。もし現実に私の前にあらわれたら、私はぞっと鳥肌が立つだろう。
これはこの戯曲に限らず、石原慎太郎の他の小説にも通じる私の感想でもある。
[やぶちゃん注:以上の石原慎太郎への感想は大いに同感する。]
田島俊雄「湖底」は、編集後記によれば「古風ではあるが確実なタッチの佳作」とあるが、三百四十八編の中から選ばれたものとしては、いささか低調である。
中村光夫「人と狼」(中央公論)は百八十枚という大作で、いささかうんざりしながら読み始めたが、なかなか面白くて、ついに休憩なしで最後まで読んだ。新旧世代の対立あり、死病の問題あり、女のとりっこあり、アプレのドライ気質あり、何やかやがのた打ち鰯りながら進行する。
前記一幕物をもりやかけとするならば、これはこってりと脂を浮かせた五目そばみたいなもので、たっぷりたんのうはしたが同時に少々胸にもたれた。
作者の言葉によると「三年ほど前、パリの下宿にいたころ、ふと思いたって」書いたのがこの戯曲だそうだが、私はパリに行ったことはないが、人の話や書いたものを読むと、パリとはたいへん楽しい都で、遊ぶところも多いらしいのに、それに背を向け下宿の一室に閉じこもり、こんな修羅の世界をこつこつとあてもなく描いた作者の心理が判らない。いや、判らないと言うより、その方に興味がある。
野間宏「冷凍時代」(文学界)はミュージカルスで、異色作と言うべきだろう。いつか「中央公論」の座談会で、私はミュージカルスを否定するような言辞を弄し、その後花田清輝からかみつかれたことがあった。この「冷凍時代」は野間宏が意外の才能を示した作品であると私は思うが、これが野間宏の歩いて行く正しい道なのか、あるいは才能の浪費に過ぎないかは、私にはよく判らない。
も少し将来にならないと、だれにも判らないだろう。
[やぶちゃん注:「ミュージカルス」この執筆の二年前に、ドイツ文学者にしてコント作家でもあった秦豊吉が発案・上演された『帝劇ミュージカルス』。その時どきの人気タレント・コメディアン・売れっ子の歌手をゲスト出演させるというフォーマットを持ったブラウン管時代の軽演劇の一つで、その劇場版(平凡社「世界大百科事典」の「軽演劇」を参考にした)。]
「新潮」は恒例の全国同人雑誌推薦小説特集で、九編の小説が出ている。皆三十枚程度の短編で、それぞれ面白かった。何百編の中から選んだのか知らないが、皆うまいものである。総じて小味であるが、これは枚数の関係で致し方なかろう。
二三日前の新聞で、この中から副田義也「闘牛」に賞が与えられたと出ていたが、まあ私も異存がない。もっともどれが賞になっても、大して異存はないところだ。
大塚滋「もう一つの死」。なかなか凝った作品で、長いものを書いても、うまくこなせるだろうと思われる。この人も、ライターかメーカーかというと、メーカーに属する型らしい。この人は新聞記者らしいが、私がメーカー型と目する作家には、新聞記者またはそれ出身が多いようである。
やはり事件や材料をたくさん仕込んで置かねば、小説家になれないという風潮が、近い将来に来るかも知れない。そうなれば作家志望者は、先ず新聞社の試験を受けに行くということになるだろう。
「新日本文学」には労働組合文芸コソクール入選作として、三編の小説が並んでいる。その中の畑中八州男「泥だらけの記」は文体が椎名麟三にそっくりで、書き出しから「深夜の酒宴」によく似ている。「深夜の酒宴」は「朝、僕は雨でも降っているような音で眼が覚めるのだ」、「泥だらけの記」は「朝、僕はきまって耳につきささるような動物の鳴き声で眼がさめる」となっている。
内容的には優れていても、あまり影響を受けすぎているのは、入選としない方がいいと思う。影響を受けることが悪いと言うのではない。習作時代にはだれだってだれかの影響を受けるにきまっているし、影響を受けることで成長もして行くのだ。
そしてそれから脱却する時から一人前(?)になるのであって、やはりコンクールなどというものは、まずくとも一人前のを入選させるべきだと思う。
[やぶちゃん注:『畑中八州男「泥だらけの記」』国立国会図書館デジタルコレクションの原雑誌で視認出来る。頭には『炭鉱労働組合三十一年度文芸コンクール入選作』とある。名前は「やすお」と読むか。]
総合雑誌に変貌した「キング」が、売行きが思わしくなかったのかどうか知らないが、十二月をもって終刊となった。
川崎長太郎「ある大男の一生」は、いつものような不覚を取ったり取られたりするような情痴ものと違って、一人の大男の雇い人の一生を描いたもので、いい作品である。また「キング」のような大雑誌の終刊号にふさわしい題材で、弔辞みたいな役割を果たしているのは皮肉である。
井上友一郎「六オンスの手袋」(中央公論)はボクサーの世界を描いたもので、ストーリーテラーとしての腕を縦横にふるった作品。私はボクシングの世界には全然無縁だが、それでも面白く読んだ。ただ勝ち意識とか、負け意識とかが、常識的にとらえられていて、もっと私たちに判らないような特異な心理、微妙な意識があるんじゃなかろうか、という気持が残る。
飯沢匡「剌青師訪問」(文芸春秋)も、見知らぬ世界を見せてくれるという点で「六オンスの手袋」と共通しているが、これはタッチが軽い。軽いから成功しているようなもので、いい読物と言えるだろう。
以上いろいろとほめたり悪口を言ったりしたが、他を批評する仕事なんて、どうも重苦しくてしようがない。これがまた一年も経つと、その重苦しさをすっかり忘れてしまい、月評をどこからか頼まれると「はい。では、やってみましょうか」と気軽に引受け、あとで後悔するということになるのである。
今も私は後悔している。
[やぶちゃん注:既に述べているが、梅崎春生の短編小説は、最早、本底本全集のものは、「青空文庫」(ここ)で私よりも先行電子化された分の以下の私の底本全集中の十一篇(「日の果て」・「風宴」・「蜆」・「黄色い日日」・「Sの背中」・「ボロ家の春秋」・「庭の眺め」・「魚の餌」・「凡人凡語」・「記憶」・「狂い凧」。以上は順列を私の底本全集の並びに変えてある)を除き、これで、総て電子化を終えている(全リストは私のサイトのこちらの「■梅崎春生」、及び、ブログ・カテゴリ「梅崎春生」及びブログ版梅崎春生「幻化」附やぶちゃん注【完】・梅崎春生「桜島」附やぶちゃん注【完】・梅崎春生日記【完】を参照)。残るのは、
長編「つむじ風」
のみである。彼の著作権満了の翌日である二〇一六年一月一日から始めた、私のマニアックに五月蠅い注附きの梅崎春生の電子化も、七年目にして、もう遂に終わりに近づいた。]
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