佐々木喜善「聽耳草紙」 一二八番 赤子石
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここ。標題は「あかごいし」と訓じておく。]
一二八番 赤 子 石
昔の話、盛岡の仙北町の邊に仲の惡い嫁姑《よめしうとめ》があつた。この嫁姑が殆ど同時に懷姙すると、姑は嫁のミモチを大層憎んで、其町の長松寺の地藏樣に詣つて、どうかおら方(ホ)の嫁の腹の子を墮(オロ)して下さいと願をかけた。
地藏樣の靈驗(シルマシ)はひどくアラタカで、嫁子は間もなく流產した。姑は喜んで地藏樣へ御禮詣りに行き、地藏樣シ地藏樣シ嫁の腹の子を墮して下されてありがたうがんした。あゝ尊(タウタ)いと言つて拜んだ。すると自分も急に產氣がついて、さあ、苦しんだが苦しんだが、苦しんだ結果(アゲク)、赤兒に似た赤石を生み落した。
其赤子石は今でも、長松寺の地藏樣の傍らにある。
(一二九番同斷の三。)
[やぶちゃん注:「盛岡の仙北町」旧盛岡仙北町域は南北に広い。「ひなたGPS」で示す。
「ミモチ」ここは「妊娠すること」の意。
「長松寺」曹洞宗萬峰山長松寺。ここ(グーグル・マップ・データ)。創立は不詳。元は浄土宗であったが、寛永年間(一六二四年~一六四四年)に曹洞宗に改宗している(公式サイトの「沿革」に拠った)。
「地藏」同公式サイトの「什物」に地蔵菩薩坐像の写真があるが、これかどうかは判らない(かなり綺麗で、一見、古い者には見えないため)。
「赤子石」公式サイトには記されておらず、フレーズ検索しても、この話を記載しているネット記事は全く見当たらない。
「一二九番同斷の三」次の話の附記は、「村の今淵小三郞殿の話。昭和元年頃の聽き記。」とある。]
« 佐藤春夫譯「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」正規表現版 「川ぞひの欄によりて」鄭允端 | トップページ | 佐藤春夫譯「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」正規表現版 「夏の日の戀人」李瑣 »