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2023/07/31

譚海 卷之五 羽州湯殿山の麓大沼あそび島の事

 

[やぶちゃん注:句読点・記号を変更・追加した。]

○羽州湯殿山の麓、大沼と云(いふ)は、道中より、一日、路、北によりて、見らるゝ所也。此大沼、誠に大(おほき)なる事にて、汀(みぎは)に、山伏の修瞼者、庵(いほり)をむすびて居(を)る。沼中(ぬまなか)に「あそび島」といふものあり、水上に、うかびたる島山、一面に、あり、時として、自然に、わかれわかれて、ながれ出(いで)る。或は、風にむかひ、又は、風に、さかひて、心のまゝに、ながれありく。その流れ、うかぶ島、ことごとく、草木、生(はえ)てあり。一面の島山、別に、はなれて、流れ別れ、又、行合(ゆきあ)ひて、ひとつに合(がつ)し、又、別所(べつのところ)に、ながれ行(ゆく)など、甚(はなはだ)奇怪なる壯觀なり。おのづから、人、有(あり)て、如ㇾ斯(かくのごとく)遊戲するに似たり。仍(よつ)て、むかしより、「あそび島」と號せり。土俗は、「日本の國にかたどりて、六拾六島あり、その國の人、いたれば、その島、ながれいづる。」と、いへり。但し、「おほくは、春・夏の際(きは)、ある事にて、秋・冬は、さほどに、島、うかび出(いづ)る事、なし。」とぞ。この說、をかし。この修瞼者、江戶へ出(いで)たる時、逢(あひ)て、叩(とひ)しかば、「さのみ、ふしぎなる事にも、はべらず。我ら、かしこにて生長せしゆゑ、幼年の比は、日々、沼に遊びて、たはむれには、同輩のものと、島を押し出(いだ)し、をし[やぶちゃん注:ママ。]返しなど、常に、せし事なり。よく思惟するに、此沼には、ふるき「まこも」の根、おほくあり、その朽(くち)たる根、土を、ふくみ、年をへて、かたまり、島と成(なり)たる、おほし。又、それに、自然(おのづと)、草木などを生じたるは、まことに、外よりみれば、まがひもなき島にてあれど、元來、「まこも」の根のかたまりたるより成(なり)たるものゆゑ、よるかたなく、水上に、うかびてある也。その上、此島には、すつぼん・大かめのたぐひ、おほければ、時々、すつぼん・鯉・鮒(ふな)のたぐひ、島を押(おし)うごかせば、そのたよりを得て、島々、うごき、わかれ、水上にうかびて、自然に動き出(いづ)るやうに見え、又、風にふきやられて、かなたこなた、ゆきめぐるを、はじめて見たる人は、奇異の事におもへるも、誠に斷(ことわり)なる事也。」と物語りし。さも、ありける事にこそ。

[やぶちゃん注:底本の竹内利美氏の注に、『浮島のこと。山形県置賜』(おきたま)『地方の浮島は「東遊記」にも見えるが、地理があわない。あるいは、東田川郡の丸沼』(現在は酒田市丸沼。グーグル・マップ・データ航空写真。最上川左岸。今でこそ整理された田圃であるが、「今昔マップ」で戦前の地図を見ると、最上川の蛇行痕跡が上流で閉鎖し(地下の砂地を伏流していたのかも知れない。しかもその上流で陸続きなった中州状の部分は古くは沼を呈していた可能性もありそうだ。しかもそこは草地となっており、浮島があってもおかしくないのである)、かなり広い溝状の沼があったことが判る)『か。最上川下流の池沼群の一つ』とある。しかし、この竹内氏の注自身にも地理があわない不審がある「東遊記」に見えるそれは事前に電子化注しておいたが、このロケーションは、現在の山形県西村山郡朝日町大沼字大比良にある「大沼の浮島」のことであると断定してよいと思うが(古くは西村山郡大谷村大沼の大沼。Stanford Digital Repository」のこの戦前の地図の上部で確認出来る。そばに『浮島稻荷神社』とあるのが、視認出来る) 、この池がある所は、所謂「置賜地方」(具体的な地方域はウィキの「置賜地方」を参照されたいが、その地方名地図を見ても、「大沼」は村山地方に入るのである)ではなく、その北外だからである。さらに言うと、「東遊記」の最後には、湯殿山登山しての帰途の江戸の旅人の四、五人が登場しているのが、気になる。橘南谿の「東遊記」の板行は、本「譚海」の二年後だが、実際には、それ以前に、同書は写本で世間の文人間に於いて、読まれていた事実がある。或いは津村は、その写本の「浮島」の条を読んでいたのではなかったか? そこで、ラスト・シークエンスから、この浮島のある池を、湯殿山の麓にあると、早とちりで勘違いしたのではなかったか? ふと、そんなことを考えたのだが、遙かに先行する「諸國里人談卷之四 浮嶋」が、全く同じフレーズで始まっていることから、実際に行ったことのない連中は、その誤った情報を無批判に誰もが使い廻したのだとする方が正しいようである。

「まこも」単子葉植物綱イネ目イネ科エールハルタ亜科 Ehrhartoideae イネ族マコモ属マコモ Zizania latifolia 。博物誌は私の「大和本草卷之八 草之四 水草類 菰(こも) (マコモ)」を参照されたい。]

橘南谿「東遊記」卷之五の「浮島」の条

 

[やぶちゃん注:カテゴリ『津村淙庵「譚海」』「譚海 卷之五 羽州湯殿山の麓大沼あそび島の事」で必要になったので、電子化する。

 橘南谿(たちばななんけい 宝暦三(一七五三)年~文化二(一八〇五)年)は江戸後期の医師であったが、文をよくし、紀行「東遊記」「西遊記」(併せて「東西遊記」と称される)と、優れた随筆「北窓瑣談」で知られる。当該ウィキによれば、彼は天明二(一七八二)年から天明五年にかけて、三十から三十三歳の時、三度の蝦夷を除く日本各地に、臨床医としての見聞を広めるための旅に出ていたが(実際に各地で治療もしている)、後の四十五の寛政九(一七九七)年一月に、かねてより、写本で回覧されて知られていた上記二篇の紀行文について、書肆から慫慂があり、「東遊記後篇」を刊行し、翌年六月に「西遊記続篇」を刊行している。

 私は「東洋文庫」版(宗政五十緒校注一九七四平凡社刊)を所持しているが、これ、買って後悔したのは後の祭りで、気持ちの悪い新字新仮名版である。そこで、それを加工データとして、国立国会図書館デジタルコレクションの「東遊記」(今泉忠義校註・昭和一四(一九三九)年改造社刊)の当該話を底本とした。底本の読みは、一部に留めた。逆に読みが振れそうなものは、私が推定で《 》で附した。一部で読点・記号を追加、或いは、除去(和歌の間に読点は厭なので)した。底本は全一段落であるが、「東洋文庫」版を参考に段落を成形した。挿絵は「東洋文庫」版にあるものをトリミングした。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。]

 

      浮   島

 

Ukisima

 

 出羽國山形より奧に、「大沼山(おほぬま《やま》)」といふ所あり。其山主(やまぬし)を大行院(だいぎやうゐん)といふ。修驗道(しゆげんだう)にて、俳諧の數寄(すき)人、俳名を「鷹窓(ようそう)」といふ。

 此山の緣記(えんぎ)[やぶちゃん注:「記」はママ。]を聞けば、人皇(にんかう)四十代のみかど、天武天皇の朝(てう)、白鳳年間[やぶちゃん注:私年号。通説では白雉(六五〇年〜六五四年)の別称・美称とされる。]、役行者(えんのぎやうじや)の開基にて、蒼稻魂神(あをなたまのかみ)勸請(くわんじやう)の地なり。

 此山に、「みたらしの大池」あり。「大沼」と名附く。是は、池の形(かたち)、「大」の字(じ)に略(ほゞ)似たるをもて、名附けし、とかや。

 此池に奇妙の靈異あり。世間未曾有の奇事なれども、か〻る僻遠(へきゑん)の地なる故、尋入(たづねい)る人も、稀々にて、知る者、すくなし。

 いかなる事ぞといふに、池の中に六十六の島ありて、其島、時々に、水面を遊行(ゆぎやう)す。島の數(かず)、六十六といふは、日本成就の形相(ぎやうさう)といふ。

 其昔、行基菩薩も此池に至り、實方(さねかた)中將も、此浮島を見物し給ひしとぞ。實方、遊び給ひし時、

  四つの海波靜(しづか)なるしるしにやおのれと浮きて𢌞はる島哉

と詠置(えいじおき)給ひしと、いひ傳ふ。

 池のほとりに、古松(こしやう)二株(にちゆ)あり。

 一株(いつちゆ)を「實方中將の島見松」といふ。

 實方、此松に倚りて、島を見給ひしとなり。其時、明神、感應ありて、池水を卷上(あげ)て、松の根まで、そ〻ぎし、とて、一株の松を「浪上(なみあげ)松」といふ。

 浮島、常は、池の岸に引附《ひきつき》て、渚(なぎさ)のやうに見ゆ。

 其中にて最(もつとも)大なるを「奧州島(おうしうしよ)」と名附く。其餘の島々も皆國々の名ありしかど、今は、まぎれて、何國(なにくに)といふこと、しかと、わからず。

 唯(たゞ)一所(いつしよ)、池の中へ突出でたる岸根を、「芦原島(あしはらじま)」といふ。此島ばかり、動かず、昔より、同じ所にあり。

 又、池の向う[やぶちゃん注:ママ。]の方(かた)の右の方によりて、浮みたる、色黑き木の株(かぶ)のごときもの、あり。是を「浮木(うき《ぎ》)」と名附《なづけ》て、天下の吉凶を占ふ、とぞ。浮みたる時は、天下太平の象(しやう)なり。沈みて見えざれば、必ず、變を示す、と也。

 塘雨(たうう)が遊びしは五月上旬の事なりしが、俳諧の交り、厚ければ、大行院主のもてなしを得て、一ト日、池邊(いけのほとり)に出《いで》て見るに、水面(すゐめん)、藍(あゐ)よりも靑く、水際(みづぎは)には蘆(あし)、萱(かや)、生い茂り、いとゞさへ、山深く、人跡絕(たえ)たる土地なるに、いと物凄く靜(しづか)にて、世外(せぐわい)の思(おもひ)を觀ぜり。時、夏の半(なかば)なれど、此邊(《この》へん)、深山(みやま)にて、寒氣、强ければ、藤、山吹、躑躅(つゝじ)など、折(をり)しり顏(かほ)に、咲亂(さきみだ)れて、鳥の囀(さへづる)るまで、のどやかなるに、心なぐさみて、今や、島々の浮出(いづ)るかと、目も、はなたで、詠居(ながめゐ)けれども、水面には、只(ただ)、三、四尺許(ばかり)と、七、八尺許の小島、二つのみ、有りて、さらに動く氣色(けしき)もなく、外《ほか》に、島々の、數々、有るやうにも見えず、日暮る〻まで、守り居(ゐ)けれども、それというべき事も、なし。

 早(はや)、日影も西山(せいざん)に傾(かたぶ)き、鳥(とり)は樹(き)に宿(しゆく)し、雲は高峯(かうはう)に歸れば、いと物すごくなりゆく程に、空(むな)しく大行院に歸りぬ。

 主僧、待得(まちえ)て、

「島遊(《しま》あそび)を拜み給ひしにや。」

と問ふに、

「いや。其事も無かりし。」

と、いうにぞ、主僧、

「日によりて、遊び給はぬこともあるなり。猶、逗留して、又の日こそ拜み給へ。」

といふ。

 塘雨、いと怪しみて、

「島の浮(うき)遊ぶといふは、そらごとなるべし。世に云傳(いひつた)ふること、さてもなき事をも、珍敷(めづらしき)やうに、いひなして、人を迷(まよ)はしむるは、世に多き習ひ也。此池の不思議も、其たぐひなるべし。」

と、いと、ほいなくて、其夜は臥(ふし)たり。

 其翌日、起出(おきいで)て見るに、天氣、殊に、ほがらかにて、たゞにやむべき心地(こゝち)もせざれば、朝、とくより、晝のもうけなどを懷(ふところ)にし、

「けふは、終日(ひねもす)、池に臨みて、ぜひ、其不思議をも見屆けん。」

と、例の二木(ふたき)の松の本《もと》に箕居(ききょ)して、池の面(おもて)を見渡したるに、きのふ見たりし二つの小島、見えず。

「こは。怪し。さるにても、動けばこそ。」

と、空賴母(そらたのもしく)しく、出ずるままの發句など、口ずさみ居(ゐ)ける程に、こなたの岸根、少し、動くやうに見ゆるにぞ、

「されば、こそ。」

と、目も、はなたず、詠居(ながめゐ)るに、一つの、島と、わかれて、浮かみ出でつ〻、靜(しづか)に、池の中に、はなれ行くさま、いと、目ざまし。

 又、しばし有りて、向う[やぶちゃん注:ママ。]の岸根、はなれ出《いで》て、こなたに、浮かみ來《きた》る。

 かくて、そこここより、浮かみ出《いづ》る程に、池の中に、數々(かずかず)の島、出來(いでき)て、遊行往來(ゆぎやうわうらい)す。

 其さま、物、有りて、島を負ひ𢌞るがごとし。

 目、さめ、心、動きて、悅ばしさ、いはんかたなし。

 中にも、彼《かの》「奧州島」にてもや有《ある》らん、二、三丈餘《よ》に及びて、いと大きく、其島の上には、小松、生ひ茂り、藤の花、咲(さき)か〻りて、つ〻じ、色を爭ひながら、浮《うか》み出《いで》て遊行するさま、不思議というも、あまりあり。

 面白さ、限りなくて守(まも)り居《ゐ》るに、其島、直(ぢき)に、岸に付くにもあらず、右に寄り、左に赴き、心のま〻に、遊ぶ。

 又、跡より出來《いでく》る島、先の島に行(ゆき)あたるに、よの常ならば、倶(とも)に押行(おしゆ)くべきに、左(さ)はなく、先(さき)の島、おのづから、傍(かたはら)によけて、行くべき島を通すなど、誠《まこと》に、心あるさまなり。

 終日(しうじつ)見居(みゐ)たるにも、いかなるゆゑ、といふことを、しらず。

 さて、有(ある)べきにあらねば[やぶちゃん注:(日も暮れかけて)そうもしておられぬので。]、大行院に歸るに、主僧も、浮島を見たることを、賀して、浮島の發句などを乞(こ)へり。

 其翌日は、いとまして立出《たちいづ》るに、江戶の旅人、四、五人、湯殿山登山して歸るさ、

「此浮島を見物せん。」

とて、來れるに逢ひ、きのふのことを語れば、

「是非、今一度、伴ひ申すべし。」

といふにぞ、いまだ餘興も盡(つき)ざれば、又、同道して、再び、彼《かの》池邊(ちへん)に至り見るに、きのふ見し、數々の島もなくなり、纔(わづか)に、二つばかりぞ、浮み居て、少しも、動く氣色、みえず。

 塘雨は、益(ますます)、信じて、

「やがて、遊行すべし。見給へ。」

と、いひて、待居《まちをり》けれど、さらに動くべき色もなけれぱ、旅人、大(おほき)に退屈し、

「いたずらなる所に、ひま入りては、明日の道のつもり、惡《あし》し。はや、行くべし。」[やぶちゃん注:「面白くもない、こんな嘘っぱちだらけの退屈な所で、こんなに暇(ひま)を持て余してしまっては、明日の旅程の捗(はか)も、大いに悪くなっちまう! さあ! 行くべえよ!」。]

とて、むなしく去れり。いと、殘り多きことなりき。

[やぶちゃん注:「大沼」「諸國里人談卷之一 芝祭」で私が考証した、現在、「大沼の浮島」として知られる山形県西村山郡朝日町大沼と比定する(グーグル・マップ・データ)。

「塘雨」は江戸中期の旅行家百井塘雨(ももい とうう ?~寛政六(一七九四)年)。「塘雨」は雅号で、俳号は五井。実名は定雄。紀行随筆「笈埃随筆」(きゅうあいずいひつ)でよく知られる。文人として、橘南谿と親交があり、南谿は百井の死後の「東西遊記」を板行するに際し、「笈埃随筆」を参考としている。また、かの「近世畸人伝」で知られる伴蒿蹊(ばんこうけい)や、同書の挿絵を描き、後の同続篇を書いた三熊花顚(かてん:思孝)らとも交友があった。蒿蹊は『おもしろき老人』と評し、花顚は、塘雨の死を悼んで「続近世畸人伝」にその伝記を載せている。【2023年8月15日追記】先ほど、『百井塘雨「笈埃隨筆」の「卷之七」の「大沼山浮島」の条(「大沼の浮島」決定版!)』を電子化注した。残念乍ら、その最後の部分を見るに、明かに確信犯で、以上のエンディングは、それインスパイアした作り物でしかないことが発覚した。実は……本文自体も、これ――そっくり――だもん……これ、ちょっと……残念だわサ!…………

譚海 卷之五 奥州津輕秋田境杉峠高岩の事

 

[やぶちゃん注:句読点・記号を変更・追加した。]

○奧州津輕秋田の境に杉峠といふ在(あり)。その上下に、柱の如く、直(ちよく)に立(たつ)たる石、壹ツあり。根元は、五、六間のまはりにして、空へ擢出(ぬきんで)たる事、三十丈あまりに有(あり)。それゆゑ、松柏(しやうはく)のしげりたる中にあれども、諸木(しよぼく)のいたゞきより、はるかに高く顯(あらは)れて、遠方より見るにも、たがふ事、なし。遠境の地ゆゑ、常の往來なき所にて、わざわざ、行(ゆく)て見る所也。その所に至りて、あふぎ見れば、限りなく、空へ、ぬきいでて、中々、石の根もとに至(いたり)ては、恐しき事、いふばかりなし。

[やぶちゃん注:「杉峠」底本の竹内利美氏の注に、『大館から碇ヶ関にこえる途中の矢立峠。大杉が津軽秋田両領の境のしるしに立っていた』とある。旧矢立杉の位置はネットの地図上では、明確に示されてはいない。写真が添えられた「大館市どこでも博物館」の「No.11 国境矢立杉」には、『矢立杉は元禄の』頃、『風折れで根株だけとなり、これを杭で囲った。宝暦』六(一七五六)年には『根株の真中に新しい苗木を植えた。この地を旅した菅江真澄、高山彦九郎、伊能忠敬、扇遊亭扇橋、吉田松陰はこの』二『代目矢立杉に注目し』、『記録している。この矢立杉は太平洋戦争の』頃、『伐採されてしまい』、『その株だけが残った。現在切株の後に』三『代目の杉が育てられている』とある。唯一、元矢立杉の位置が明記されている手書き地図がサイト「北羽歴史研究会」のここにある。ただ、地図の国境線の形が厳密でないようで、正確にポイントとして指し示すことが出来ない。但し、恐らくは「道の駅」との関係から、グーグル・マップ・データの、この中央の県境線上であると、推定した。]

譚海 卷之五 越後國水中燈油を產するの事

 

[やぶちゃん注:句読点・記号を変更・追加した。]

○越後の國に、水中より、油を生ずる所あり。燈に點じ、用るに、臭氣、甚しけれども、終中(じゆうちゆう)、用(もちひ)て、盡ず。數村(すそん)の用に足れり。此油、はじめ、生(しやうず)る時、水底より、苔(こけ)のかたまりたるが如く、一ひらづつ、うき出(いづ)るを、下流に、柴(しば)を積置(つみおき)て取(とる)事也。此柴へ、苔のやうなるもの、ながれかゝりたるを、かきあつめて、しぼる時は、油、出(いづ)る、といふ。

[やぶちゃん注:これは、私の「諸國里人談卷之四 油が池」が大いに参考になる。参照されたい。そこでは、冒頭に、『越後國村上の近所の山中、黑川村【高田領也。】に、方十間余の池あり。水上に、油。浮ぶ。土人、芦(あし)を束(つかね)て水をかき搜(さが)して穗(ほ)をしぼれば、油、したゝる。それを煑かへして、灯の油とす。其匂ひ、臭(くさ)し。よつて「臭水油(くさうづのあぶら)」と云』とあって、この記載と類似している。

「終中」夜の間中の意であろう。]

譚海 卷之五 常州銚子宮山の鷲の事

 

[やぶちゃん注:句読点・記号を変更・追加した。]

○常陸の銚子川は、東𢌞りの舶(ふね)の湊にして、家數(いへかず)三千軒に及び、甚(はなはだ)繁昌なる所也。川の西岸に、町、有(あり)て住居す。又、銚子の北に「とかは」と云(いふ)あり。此外側に宮山といふ大山、在(あり)、木立、繁(しげり)て、東へ走たる尾は、筑波山につづき、三里に橫(よこたは)れる山也。山の南北によりて、冬は、寒暖、格別に、たがふ事とぞ。此宮山に、鷲、多く、すんであり、殊に、年(とし)へたるあり。一とせ、鐵炮にて打(うち)たるに、疊(たたみ)四疊(しでふ)合(あはせ)たる程、在(あり)しと、いへり。下總印幡沼へも、時々、來りて、魚をとる。宮山と、印幡とは、三里計(ばかり)隔(へだ)たる所也。印幡沼は、七里に、三里あり。松戶の宿まで績(つづき)て、實(まこと)には、湖水也。沼の中に、水、わく時(とき)、有(あり)て、海へながれ出(いづ)る。沼の岸に住(すみ)たる村民、漁獵をもちて、渡世するもの、甚、多し、鯉・鮒は美味なりと、いへり。

[やぶちゃん注:『銚子の北に「とかは」と云あり。此外側に宮山といふ大山、在』とあるが、「とかは」という地名・川名は戦前の地図を見ても見当たらず、さらに「宮山といふ大山」も判らない。万事休す。識者の御教授を切に乞うものである。]

譚海 卷之五 上總國大東崎ほしか鯛の事(「鯛」は「鰯」の誤記と断定)

[やぶちゃん注:句読点・記号を変更・追加した。

 「目錄」の標題中の「ほしか鯛」はママ。国立国会図書館デジタルコレクションの大正一九一七)国書刊会刊(本底本は東北大学附属図書館蔵の加納文庫本(寛永年間の写本)と日比谷図書館蔵の加賀文庫本に、この国書刊行会本を対照させて校訂したもの)でも同じ(右ページ八行目下方)であるが、これは、「ほしか」で既にして「干鰯」と書き、鰯(条鰭綱ニシン目ニシン亜目マイワシ属 Sardinops・サルディナ属 Sardina・ウルメイワシ属 Etrumeus・カタクチイワシ属 Engraulisに属する別種群を一緒くたにして呼んだ、人為的分類総称名であるところの「鰯」を、乾燥させて作った魚肥のことであり、江戸時代には大量に生産され、広範に流通し、使用されていた。しかし、「鯛」は魚類の優れて見事で美味いことから、驚くべき多数の、しかも条鰭綱スズキ目タイ科 Sparidae とは全く縁のない別種魚類の標準和名の美称語尾等として、多数、用いられてはいるものの、大きさや体型・色彩がタイとは異なるイワシ類にそのような美称を添えたものは、私は知らないし、ネット上に「ほしか鯛」「干鰯鯛」という熟語或いは連語は発見出来ない。従って、この「鯛」は「鰯」の誤記と考える。底本の『日本庶民生活史料集成』版は、三種の校訂をした上で「ほしか鯛」であったのだとすれば、それら総てが「ほしか鯛」と誤記していた可能性が高いと思われる(但し、「鯛」と「鰯」の(つくり)の崩し字は似ていないが、一行並置されている真上の標題が「駿州興津鯛の事」であることから、書写者が、うっかり、その「鯛」に引かれて不全に書きなぐって誤ってしまった可能性が大であると斷ずる)。

 さて、ウィキの「干鰯によれば、『農業を兼業していた漁民が余った魚類、特に当時の日本近海で獲れる代表的な魚であった鰯を乾燥させ、肥料として自己の農地に播いたのが干鰯の始まりと言われている。この背景には、鎌倉時代から室町時代にかけて、二毛作導入によって肥料の需要が高まったことがある』。十六『世紀頃になると』、『地域によっては魚肥の利用が始まった。気候の温暖化によって』、『鰯が豊漁となり、干鰯が生産されたからである』。(☞)室町後期の天文二四・弘治元(一五五五)年には、『関西の漁民が九十九里浜に地曳網を導入したことが知られている』。『やがて江戸時代も』十七『世紀後半に入ると、商品作物の生産が盛んになった。それに伴い』、『農村における肥料の需要が高まり、草木灰や人糞などと比較して』、『安く』、しかも『即効性にもすぐれた』『干鰯が注目され、商品として生産・流通されるようになった』。『干鰯の利用が急速に普及したのは、干鰯との相性が良い綿花を栽培していた上方及びその周辺地域であった』。『上方の中心都市・大坂や堺においては、干鰯の集積・流通を扱う干鰯問屋が成立した』。享保九(一七二四)『年の統計では』、『日本各地から大坂に集められた干鰯の量は』百三十『万俵に達した』。『当初は、上方の干鰯は多くは紀州などの周辺沿岸部や、九州や北陸など比較的近い地域の産品が多かった。ところが』、十八世紀に入ると、『江戸を中心とした関東を始め』、(☜ ☞)『各地で干鰯が用いられるようになる』『と、需要に生産が追い付かなくなっていった。更に供給不足による干鰯相場の高騰が農民の不満を呼び、農民と干鰯問屋の対立が国訴(農民闘争の一形態)に発展する事態も生じた』。『そのため、干鰯問屋は紀州など各地の網元と連携して新たなる漁場開拓に乗り出すことになった。その中でも』(☜ ☞)『房総を中心とする「東国物」や』、『蝦夷地を中心とする「松前物」が』、(☞)『干鰯市場における代表的な存在として浮上することとなった』。(☞)『房総(千葉県)は近代に至るまで鰯の漁獲地として知られ、かつ広大な農地を持つ関東平野に近かったことから、紀州などの上方漁民が旅網や移住などの形で房総半島や九十九里浜沿岸に進出してき』て、東房総の『鰯などの近海魚を江戸に供給するとともに』、『長く』(☞)『干鰯の産地として知られてきた(地引網などの漁法も上方から伝えられたと言われている)』とある(因みに本書「譚海」は跋文から寛政七(一七八五)年夏に二十年間の筆録を取り纏めたことが判っている)。『一方、蝦夷地では』、『鰯のみではなく』、『鰊(かずのこを含む)』『やマス類』『が肥料に加工されて流通した。更に幕末以後には鰯や鰊を原料にした魚油の大量生産が行われるようになり、油を絞った後の搾りかすが』、『高級肥料の鰊粕として流通するようになった』。明治一〇(一八九八)年『頃までは干鰯と菜種油粕が有機質販売肥料の主流を占めていたが』、明治一五(一九〇四)年『頃にニシン搾粕』(しぼりかす)が、『生産量で干鰯を上回って』おり、『昭和初期には肥料としての役割をほぼ終え』た。『魚肥全体の生産量は』昭和一一(一九三六)年で四六万『トンあったが、戦後は化学肥料の生産増加に伴』って、減少し、昭和四二(一九六七)年には八万トンが『生産されたに過ぎ』ず、『現在、干鰯が肥料として使われることは』殆んどない、とあった。]

○上總の東南海に大東崎(たいとうざき)と云在(いふあり)。「ほしか」の地引網を持(もつ)て、渡世するもの、住(すめ)る所也。網のながさ、五丁・六丁・十丁にも及ぶゆゑに、鰯(いはし)の、きほひて、汐(しほ)に乘(じやう)じ來(きた)る時は、一網に數千金(すせんきん)の獵を得る故、いづれも豪富にて、居宅・園地、諸侯の如く、素封(そほう)の民、おほし。みな、海邊より半里、一里、のきて、山を隔(へだて)て、林をかたどりて、住居(すまひ)せり。「失火の害、なければ、喬木(けうぼく)、殊におほし。」と、いへり。その大東崎に、「音づれ山」と云有(いふあり)。「夫木抄」に載(のり)たる和歌の名所也。山は、大(だい)ならず、海より、五、六町、陸にあり。はげ山にて、岸に松、數株(すかぶ)、生じ有(あり)、海にむかひたる、片つら、かけおちて、洞(ほら)のやうに、へこみて有(あり)、此陰(このかげ)に居(ゐ)て、聞(きく)ときは、はるかに、鐘をつくやうに聞ゆる音、絕えず。「是は、海岸の山、うつろなる、おほきゆゑ、穴へ、波のうち入(いる)ときは、鐘のやうに聞ゆる。」と、いへり。東坡居士のいへる、もろこしの「石鐘山(せきしようざん)」の事に、能(よく)似たり。

[やぶちゃん注:「大東崎」太東岬(たいとうみさき)は、現在の千葉県いすみ市の九十九里浜南端のリアス式海岸に位置する岬(グーグル・マップ・データ)。別称は太東埼(たいとうざき)。房総丘陵東端の砂質凝灰岩からなり、標高は約十メートルから最高六十八・八メートルある。起伏に富んだ海岸延長は四・五キロメートルあり、太平洋まで断崖絶壁となっている。北側は、刑部岬(ぎょうぶみさき)から、九十九里浜が、ずっと弓なりに連なっており、太東漁港がある。南側には、夷隅川河口と、大原の町並みが見える。江戸時代は、現在より、数キロメートル、海に突き出ていたとされ、「元禄大地震」(元禄十六年十一月二十三日(一七〇三年十二月三十一日)午前二時頃、関東地方を襲った巨大地震で、震源は相模トラフ沿いの房総半島南方沖 (野島崎沖)で、上総国を始め、関東全体で十二ヶ所から出火、被災者約三万七千人と推定される(江戸での損壊被害は比較的軽微であったが、七日後にかなりの大火が発生しており、これは震災後の悪環境下に於ける二次災害ととることが可能である。また、この地震で三浦半島突端が一・七メートル、房総半島突端が三・四メートルも隆起している。ここは当該ウィキに拠った)と海蝕により、現在の姿になった(以上は当該ウィキに拠った)。

「五丁」五百四十五・四五メートル。

「六丁」六百五十四・五四メートル。

「十丁」約一キロ九十一メートル。

「みな、海邊より半里、一里、のきて、山を隔て、林をかたどりて、住居せり」現在の太東岬の丘陵の西後背地の、千葉県いすみ市岬町(みさきちょう)和泉(いずみ)だけでなく、その北方の岬町中原、及び、その西の岬町椎木(しいぎ)、そしてそれらの南方の内陸地の岬町内の殆んどが、太平洋からの風波を避けることが出来る自然丘陵によって保護されていることが判る(総てグーグル・マップ・データ航空写真)。

『その大東崎に、「音づれ山」と云有。「夫木抄」に載たる和歌の名所也。山は、大ならず、海より、五、六町、陸にあり。はげ山にて、岸に松、數株、生じ有、海にむかひたる、片つら、かけおちて、洞のやうに、へこみて有、此陰に居て、聞ときは、はるかに、鐘をつくやうに聞ゆる音、絕えず。「是は、海岸の山、うつろなる、おほきゆゑ、穴へ、波のうち入ときは、鐘のやうに聞ゆる。」と、いへり。』国立国会図書館デジタルコレクションの『房総叢書』第六巻「地誌其一」(昭和一六(一九三一)年紀元二千六百年記念房総叢書刊行会刊)を見ると、冒頭の第二項に、

   *

一、荻原より一里許北に當り、妙樂寺村と云所あり。山の嶺に狼臺・だいだいくぼ・人見坂など云。此地より東を望ば、泉浦の大東崎(たいとうがさき)・白井村の一本松・高松村の旅建山・硯村の高坂など、百山眼下に見ゆ。甚佳景の地なり。

   *

とあるが、ここに書かれた内容とは、地理的に全く一致するものは、全くない。さらに、見たところ、ここに、

   *

一、同郡矢田村に音信山光明寺と云台刹あり。寺領十五石。上總五ケ寺の其一。後の山を音信(おとづれ)山と云。夫木集の歌に、「時鳥尋來つれば今こそは音信山のかひに鳴なれ」とよみしは此地のこと也。彼土今に五月の候に至りぬれば、時鳥多く飛鳴すと。夷隅・長柄の二郡などには絕てなきこと也。

   *

とあるのだが、千葉県市原市矢田がそこであるなら、全然、方向違いである(「今昔マップ」のこの戦前の地図の中央)。津村の何らかの誤認があるか。なお、「日文研」の「和歌データベース」の「夫木和歌抄」で調べると、この一首は、ガイド・ナンバー「08255」で、

   *

ほとときす-たつねきたれは-いまこそは-をとくれやまの-かひになくなれ

   *

となっていて、「おとつれやま」ではない。これ以上は、探索不能である。

『東坡居士のいへる、もろこしの「石鐘山」の事』蘇軾(東坡)の「石鐘」は蘇東披の「石鐘山記」という文を指す。個人ブログ「中国武術雑記帳 by zigzagmax」の「蘇東披『石鐘山記』」に原文と梗概が記されてある。石鐘山は鄱陽湖と長江の合流点にある海抜五十四メートルの岩山で、その形が鐘の形をしており、しかもそこの石を敲くと金属音がすることから、この名がついたという。]

2023/07/30

譚海 卷之五 駿州興津鯛の事

[やぶちゃん注:句読点・記号を変更・追加した。]

○駿河の「沖津鯛」と云(いふ)は、總名ばかりには、あらず。たしかに「おきつ鯛」と號する大魚ある事也。「さつた峠」の上の山に、地藏堂あり。此堂より、二、三丁も上(のぼ)りて、頂上に、燈明堂、有(あり)。海舶(かいはく)の目印に、火を、ともす所なり。この山、眞直(まつすぐ)に、海岸より立(たち)のぼりたる一片の石にて、麓は、波に、ひたりたり。其(その)波にひたりたる所の石、幅、四、五尺斗り、竪(たて)に裂(さけ)て、内は、洞(ほら)に成(なり)て、廣さ、いかほどといふ事も、しれず。鮑(あはび)の、おほく、つく所にて、常に、蜑(あま)の、かよふ所也。此あまの物がたりせしは、「此石の裂(さけ)たる間(あひだ)より、のぞけば、内は、南を受(うけ)て、あきらかに、能(よく)見ゆる。その洞の内に、大(おほい)なる鯛、壹(ひと)ツ、住みて、あり。人のの、ぞくをみては、驚き、いかりて、ひれを、ふり、かしらを、もたぐるさま、おそろしき事、いはんかたなし。此鯛、水にひたり居《を》るゆゑ、全體は見えねども、いかほど大なるものとも、計りがたし」是は、はじめ、この鯛、石の裂(さけ)たるあひだより、入(いり)て、洞の中にて生長して、出(いづ)る事、成(なり)がたく、年へて、かくある也。是を「興津鯛」と號し來(きた)る。」と、いへり。

[やぶちゃん注:海水がたっぷり入りながら、海食洞の中で成長してしまい、出入り口が結果して狭くなったために、そこに封じ込められてしまった、モンスター並みになってしまった人をも威す巨大な鯛の怪奇動物談である。

 まず、「總名」というのは、興津の面した駿河湾湾奥西方(グーグル・マップ・データ。以下同じ)で漁獲される、広義のタイ類の総称名ということであろう「おきつだひ」という御は、「沖つ鯛」に通じ、それでなくとも、鯛類の通称名に相応しい。

 次に、「さつた峠」=薩埵峠は、この附近である。而して、「頂上に、燈明堂、有」とあるのを、文字通り受け取るなら、「今昔マップ」の「薩た山」(国土地理院図では峠名も「埵」はひらがな表記である)標高二百四十四メートルの箇所に当たることになる。

 そして、その直下にあったという海食洞は、現在の「薩たトンネル」の上り側出口附近に存在したということになろう。現在のその附近には、ここ(グーグル・マップ・データ航空写真)に有意な岩礁塊があるのが確認出来るから、ここを第一候補として問題はあるまいかとも思う。

 さても本題に入ろう。底本の竹内利美氏の注には、『この興津鯛は不思議な話だが、かなりひろく知られていた』とある。

 奇談絡みではないが、「甲子夜話卷之五 5 興津鯛、一富士二たか三茄子の事」に記されてあった。

 そして、そこで私はこの「興津鯛」を、京阪で「グジ」の名で親しまれ、西京漬けなどにされるアマダイ、則ち、スズキ目スズキ亜目キツネアマダイ(アマダイ)科アマダイ属 Branchiostegus のうち、本邦近海で見られるそれら、アカアマダイ Branchiostegus japonicus・キアマダイ Branchiostegus argentatus・シロアマダイ Branchiostegus albus の三種としたが、その後、『畔田翠山「水族志」 アマダヒ (アマダイ)』の私の注では、今一種、スミツキアマダイ Branchiostegus argentatus も追加している。一番の候補は最初のアカアマダイである(後述)。アマダイの博物誌は、それらの私の注、及び、絵が見たいなら、私の『栗本丹洲自筆巻子本「魚譜」 方頭魚 (シロアマダイ)』、及び、同魚譜の「方頭魚 (アカアマダイ)」を見られんことをお勧めする。この私のアカアマダイ比定が信じられない方は、「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」のアカアマダイのページを見られたい。そこに、『興津鯛』と項立てされて、『静岡県静岡市(旧清水市)興津の名産とされる。それで「興津鯛(オキツダイ)」。徳川家康に、おきつという奥女中が献上し、賞味されたから「おきつ鯛」』と記しておられる。]

譚海 卷之五 秩父領山中から芋を植事

 

[やぶちゃん注:句読点・記号を変更・追加した。標題の末は「ううること」と訓じておく。]

○秩父中(ちゆう)、山の民、薯蕷(しよよ)といふものを栽(う)ゑて食とす。いたる所、ことごとく、あり。中井淸太夫殿といふ御代官、殊に世話ありて、飢饉の用に、うゑさせられしより、諸所に、ふえたり。夫(それ)ゆゑ、ちゝぶにては、薯蕷を「淸太夫いも」と號する也。葉はほうづき[やぶちゃん注:ママ。歴史的仮名遣は「ほほづき」が正しい。]の如く、枝葉の間に、いくらも、いも、出來る。根に出來るいもは、枝に生ずるより、大きし。形は何首鳥(かしゆう)より小(ちいさ)く、毛、あり。枝をきりて、土に、させば、皆、根付(ねづき)て、生ずる也。その葉、なびきて、土へ着(つき)たるところも、やがて、根を生じて、ふえる也。夫(それ)によりて、たねを、殊さらに、ふせて、ううるにもあらざれど、生じやすき物ゆゑ、自然に珍重して、ううる事に成(なり)たり。ちゝぶ領土地に、よく、あひたると見えて、いづくにも、生せずといふ事、なし。煮てくふに、やはらか成(なる)事、里いもに同じと、いへり。

[やぶちゃん注:「薯蕷」この場合は、以下の解説からも、本邦原産(固有種)である単子葉植物綱ヤマノイモ目ヤマノイモ科ヤマノイモ属ヤマノイモ Dioscorea japonica を指している。別名、自然薯(じねんじょ)である。当該ウィキによれば、『古くは中国原産のナガイモ』(ヤマノイモ属ナガイモ Dioscorea polystachya :但し、ウィキの「ナガイモによれば、『ナガイモは、日本では中世以降に中国大陸から持ち込まれたとの説もあるが』(ウィキのヤマノイモの方の記載者は、この説を採っていることになる)、『中華人民共和国にもヤマノイモ科』Dioscoreaceae『の作物は複数あるものの、本』種と『同種のナガイモは確認されていない』。『日本で現在』、『流通しているナガイモは』、『日本発祥である可能性もあり、現状は日本産ナガイモと呼んでいる』とあった)『を意味する漢語の薯蕷を当ててヤマノイモと訓じた』とある。

「中井淸太夫」(せいだゆう 享保一七(一七三二)年~寛政七(一七九五)年)は江戸中・後期の旗本。三河出身。諱は九敬。安永三 (一七七四) 年、代官として甲斐上飯田陣屋に赴任、三年後には甲府陣屋に移った。「天明の飢饉」の際、ジャガイモ(清太夫芋)の普及に尽し、又、富士川沿いの大塚村他二村に、水路を開いて水害を防いだ。農民に、その功を讃えられ、生祠(せいし)が建立されている。後、陸奥小名浜代官に移ったが、寛政三(一七九一)年、罪をえて、罷免されている。以上は小学館「日本国語大辞典」に拠ったが、当該ウィキも詳しいので、参照されたい。そちらでも、ヤマノイモではなく、ジャガイモの栽培を指導した人物として記されており、秩父のヤマノイモの栽培促進の話はネット上では調べ得なかった。しかし乍ら、以上の津村の説明は、ジャガイモではなく、間違いなくヤマノイモである。ヤマノイモ特有の葉腋に発生する栄養体、球状の芽である「零余子」(むかご・珠芽)が述べられてあることから明らかであり、ジャガイモと混同しようはない。津村は今までの記載から、博物学には、それほど造形は深くないと推定されるから、この話は、現地の、しかも、ヤマノイモの生態にかなり詳しい人物でなくては、語れない内容であると考える。されば、私は中井の秩父でのヤマノイモ栽培奨励は、事実あったもの、と感じるものである。

「何首鳥」これは、ヤマノイモ属カシュウイモ Dioscorea bulbifera である。別名をニガカシュウ(苦何首烏)と言い、ウィキの「ヤマノイモ」の「類似している植物」の項の当該種によれば、『名前は根塊が薬用の「何首烏」』(双子葉植物綱タデ目タデ科ツルドクダミ属ツルドクダミ Reynoutria multiflor :漢方薬の生薬として「何首烏(かしゅう)」と呼び、古くから不老長寿の滋養強壮剤として利用されてきた。また、カラスのように髪を黒くする作用があることから、「烏」の文字が附けられてある。なお、和名は葉がドクダミの葉と似ていることからの呼称であるが、コショウ目ドクダミ科ドクダミ属ドクダミ Houttuynia cordata とは全く縁はない。以上はウィキの「ツルドクダミ」に拠った)『に似ていることからついた。葉はハート型で大きく、デコボコした大ぶりのむかごがつくが、日本野生種は』、『苦く』、『有毒で食用にならない。しかし苦味や毒のない品種もあり、ヤマイモほど大きくはならず』、『粘りも出ないが』、『食用できる。むかごが数百グラムにも肥大する「Air potato(空中のイモ)」と呼ばれる食用品種もあり、日本でも「宇宙イモ」という名前で一部で栽培されている』とあった。]

怪異前席夜話 正規表現版・オリジナル注附 巻之三 匹夫の誠心剣に入て霊を顯す話

[やぶちゃん注:「怪異前席夜話(くわいいぜんせきやわ)」は全五巻の江戸の初期読本の怪談集で、「叙」の最後に寛政二年春正月(グレゴリオ暦一七九〇年二月十四日~三月十五日相当)のクレジットが記されてある(第十一代徳川家斉の治世)。版元は江戸の麹町貝坂角(こうじまちかいざかかど)の三崎屋清吉(「叙」の中の「文榮堂」がそれ)が主板元であったらしい(後述する加工データ本の「解題」に拠った)。作者は「叙」末にある「反古斉」(ほぐさい)であるが、人物は未詳である。

 底本は早稲田大学図書館「古典総合データベース」の同初版本の画像を視認した。但し、加工データとして二〇〇〇年十月国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』の「初期江戸読本怪談集」所収の近藤瑞木(みづき)氏の校訂になるもの(玉川大学図書館蔵本)を、OCRで読み込み、使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 なるべく表記字に則って起こすが、正字か異体字か、判断に迷ったものは、正字を使用した。漢字の読みは、多く附されてあるが、読みが振れると思われるものと、不審な箇所にのみ限って示すこととした。逆に、必要と私が判断した読みのない字には《 》で歴史的仮名遣で推定の読みを添えた。ママ注記は歴史的仮名遣の誤りが甚だ多く、五月蠅いので、下付けにした。さらに、読み易さを考え、句読点や記号等は自在に附し、オリジナル注は文中或いは段落及び作品末に附し、段落を成形した。踊り字「〱」「〲」は生理的に厭なため、正字或いは繰り返し記号に代えた。

 また、本書には挿絵があるが、底本のそれは使用許可を申請する必要があるので、単独画像へのリンクに留め、代わりに、この「初期江戸読本怪談集」所収の挿絵をトリミング補正・合成をして、適切と思われる箇所に挿入することとした。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。

 なお、本巻之三は本篇一篇のみが載る。]

 

怪異前席夜話  三

 

怪異前席夜話巻之三

    匹夫(ひつふ)の誠心(せいしん)剣(けん)に入《いり》て霊(れい)を顯(あらは)す話

 中花(ちうか[やぶちゃん注:ママ。])[やぶちゃん注:中華。中国。]に劍匠(けんせう[やぶちゃん注:ママ。])の少《すくな》き事は、「遵生八𤖆《じゆんせいはつせん》」に見えて、「鋳剱(とうけん[やぶちゃん注:ママ。「刀劍」の当て訓だが、「たうけん」が正しい。])の術、不ㇾ傳(つたわらず[やぶちゃん注:ママ。])。典籍、また不之載(これをのせす[やぶちゃん注:ママ。])。故(ゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に)今無劍客而(けんかくなくして)、世少名劍。」と、いへり。干将(かんしやう)・莫耶(ばくや)は、いざしらず、我國の古しへより、剱匠の出るもの、數を、しらず。中に妙巧を極むるもの、甚た[やぶちゃん注:ママ。]多し。

[やぶちゃん注:「遵生八𤖆」。明の高濂 (こうれん) 著になる随筆。 全二十巻。自序は一五九一年に記されてある。日常生活の修養・養生に関する万端のことが述べられ、また、歴代隠逸者百名の事跡が記されてあり、文人の趣味生活に関する基礎的な文献とされている(「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。

「干将・莫耶」先般、電子化注した「奇異雜談集巻第六 ㊁干將莫耶が劔の事」のことを読まれたい。]

 中古(ちう《こ》)、京師に関何某(《せきなに》がし)といへる神工(しんこう)あり。昆吾(こんご)の石を砥(と)となして、精鐵(せいてつ)を鋳(きた)ふに、石を切《きる》事、恰(あたか)も泥(どろ)のことく[やぶちゃん注:ママ。]、王侯・貴人、これを爭ひ買(かふ)て、百金を惜まず。

[やぶちゃん注:「中古」現代のそれの平安時代ではない。江戸時代を起点にした、「中昔」(それほど古くない過去)で、概ね鎌倉・南北朝から室町・戦国時代中・後期頃までを指す。

「関何某」古い刀剣で「關物」がある。これは美濃国関の刀工らによる刀剣で、南北朝時代から室町時代における美濃の作刀は「備前物」に次いで繁栄し,その中心地が関(現在の岐阜県関市(グーグル・マップ・データ)であったので,「関物」といえば、「美濃物」の代名詞となっている。南北朝時代には「正宗(まさむね)十哲」の一人,志津兼氏(しづかねうじ)とその一族があり,さらに直江に移った兼次・兼友、同じく正宗の門人で関鍛冶の祖となった金重(きんじゅう)一門がある。室町時代は戦乱の時代で,戦闘方法の変遷などを背景として打刀(うちがたな)が流行し,多量の武器の需要により、粗製乱造になった。この時代に最も繁栄した「備前物」(末備前物)に次いで,美濃鍛冶が前代に続き、ますます発展し,孫六兼元・兼定を巨頭とし,その他「兼」の字を冠する刀工が多数出て、隆盛を極めた。その作風は実用性に優れ,刃文は共通して関の「尖り互(ぐ)」の目で、なかでも兼元の三本杉・入道雲・兼房の乱(みだれ)などは著しい特色である。美濃鍛冶は各地に移住、或いは、出張して、諸国の刀工に影響を与え、また、新刀時代の良工には関鍛冶の系統に属するものが少くない(「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。この人物も、その流れを汲む者という設定である。

「昆吾の石」小学館「日本国語大辞典」によれば、「昆吾の剣」という連語があり、周の時代、現在の新疆ウイグル自治区哈密(クムル)県(現在は市)にあった国名が昆吾で、そこで作られた剣で、鉄や玉をも切る利剣とされた。そこに『昆吾渓の宝剣』ともあったが、無論、そこから石を得た訳ではなく、「昆吾の剣」にあやかった、優れた砥石の謂いであろう。]

 その弟子に佐伯好隣(《さ》いきよしちか)なるものあり。若年より放蕩にして、宋玉(そうきよく)が人となりを慕ひ、或は、東家(となり)の女(むすめ)を挑み、あるひは、花柳(くわりう)の春色(しゆんしよく)を愛して、曾て、こころを鋳剣に留(と)めざれば、師のおしへを受(うけ)るといへども、いまた[やぶちゃん注:ママ。]その妙を究むる事あたぱす。

[やぶちゃん注:「宋玉」(そうぎょく 生没年不詳)は戦国末期の楚の辞賦作家。伝記も明らかでないが、往古の記録から推せば、楚の鄢(えん:現在の湖北省宜城県)の人。貧士の出身で、頃襄(けいじょう)王(在位紀元前二九八年~紀元前二六三年)に仕えて小官となり、やがて唐勒(とうろく)・景差とともに楚の宮廷文壇に参加し、艶めかしく美しい作風を以って頭角を現したらしい。彼の作風は、以後に展開する漢代宮廷辞賦の先駆をなすものといえる。その作品は、もと十六編あったとされるが、現在伝わる辞賦の内、ほぼ確実なものは、「楚辞」所収の「九弁」・「招魂」、「文選」所収の「風賦」・「高唐賦」・「神女賦」・「登徒子好色賦」の六篇のみである。孰れも、甘美で哀切な叙情に富む作品である(以上は小学館「日本大百科全書」に拠った)。また、ウィキの「倩兮女」(けらけらおんな:江戸時代の妖怪名)の解説中に、「文選」巻十九集に『載る「登徒子好色賦」に記されているよく知られた逸話』として、『美男として有名な中国の文人・宋玉が「自分は決して好色ではない、隣に住んでいた国一番の美女が牆(かき)からその姿を見せ』、三『年間』、『のぞき込まれ』、『誘惑され続けたが』、『心を動かした事は一度も無かった』。『私のことを好色と称する登徒子(とうとし)こそ好色である」と王の前で反論した故事(宋玉東牆)』があるとあり、ここで主人公佐伯好隣が彼に惹かれているニュアンスがよく判る。]

 一日(ある《ひ》)、一人の賎夫(せんふ)來りて、好隣に逢(あひ)て、

「僕(われ)は山﨑の幽僻(かたほとり)、農家に傭(やとわ[やぶちゃん注:ママ。])れて、力作(はたらき)する奴(やつこ)なり。君の師、剱を、鋳給ふ事の、霊妙なるを聞(きく)。冀望(のぞむ)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]事、年、久し。願《ねがは》くは、その價(あたい[やぶちゃん注:ママ。])を聞(きか)む。」[やぶちゃん注:「幽僻」の「幽」の字は、底本では、この異体字(「グリフウィキ」)だが、表示出来ないので、通用字を用いた。]

 好隣、笑《わらひ》て、

「我師は、王公より、需(もとめ)給ふ事ありても、期年(いちねんのゝち)に非《あらざ》れば、鋳(うつ)て献(けん)ぜす。汝ことき[やぶちゃん注:ママ。]、妄意(のぞむ[やぶちゃん注:二字へのルビ。])所に、あらず。」

といふ。

 かの奴、

「しかれども、その價、幾(いくば)くぞ。」

と問《とひ》てやまず。

 好隣、戯(たはむれ)て、いわく、

「汝、左《さ》ほどに、望むぞ。ならば、十金の價《あたひ》を、齎來(もちきた)らは[やぶちゃん注:ママ。]、わか[やぶちゃん注:ママ。]師に乞《こふ》て、剱を賣りあたふべし。」

と、奴に語れば、これを信然(まこと)とし、

「我、卑賎の役夫(えきふ)、十金の直(あたへ)は、これ、なしといへども、力を労(らう)し、年を積(つみ)なば、辨(とゝのへ)ざる事、あらし[やぶちゃん注:ママ。]。必(かならず)、約を違(たがへ)給ふな」

と、別れて去る。

[やぶちゃん注:「信然」(しんぜん)は「信じる値打ちのあること・そのさま」を言う語。

「十金の直(あたへ)は」の「直」は判読に迷った。底本のここ(左丁の四行目行末)。「初期江戸読本怪談集」では、『価』の字で起こしてあるが、私の底本の字は、その崩しとは到底、思えない。「直」は「價(あたひ)」の意があり、崩し字としても、これで採れるので、かく起こした。]

 是より、かの奴、耕耘(たかやし[やぶちゃん注:ママ。])のいとま、或は、山に樵薪(しばかり)し、野に滯穗(おちぼ)を拾ひ、或は、夙(つと)に茅(ちかや)[やぶちゃん注:ママ。]を苅(かり)、夜は寢(いね)ずして索絢(なはなひ)、千辛万苦の労、空しからず、三年過(すぎ)て、漸(やうやう)、十金を積(つみ)得たり。

 嬉しくおもひて、いそき[やぶちゃん注:ママ。]、よし、隣かたへもち行て、剣を乞ふ。

 よしちかは、只《ただ》、苟旦(かりそめ)の戯言(たはむれ)なりしを、今は、かくとも、辞(いなむ)に、こと葉なく、奴を給(あざむい[やぶちゃん注:漢字ともにママ。「紿」の誤記であろう。])て云《いひ》けるは、

「汝に約束せし剱、わか[やぶちゃん注:ママ。]師、すでに鋳(うち)給へり。いまだ錯礪(さくさい)せず。明日、來るべし。かならす[やぶちゃん注:ママ。]、與(あたへ)ん。」

と、いふに、奴は歸れり。

 好隣、よしなき約をなし、今はいかんとも、せんかたなく、師に苦(つげ)なば、呵責(しかり)を受《うけ》ん事を、おそれ、潛(ひそか)に、市中《いちなか》に於て、鉛刀(なまくら)一口(《ひと》ふり)、買求(かいもと[やぶちゃん注:ママ。])め、つくろひ磨礲(とき[やぶちゃん注:ママ。「とぎ」。研磨。])して、明日、奴、來りしかは[やぶちゃん注:ママ。]、則ち、是をあたへけるに、奴は、

「望み、足(たり)ぬ。」

とて、大《おほき》によろこひ[やぶちゃん注:ママ。]、厚く謝し、十金お[やぶちゃん注:ママ。「を」。]、送りて、歸りぬ。

[やぶちゃん注:「礲」は音「ロウ」で、「とぐ・みがく」の意がある。]

 是より、かの奴は、坐卧行住(《ざ》くわかうぢう[やぶちゃん注:ママ。])、身を放さず、しばしのあいだも、わするゝ事なく、無比(うへもなき)の拱壁[やぶちゃん注:ママ。](たから)となして、祕襲(ひそう[やぶちゃん注:ママ。「祕藏」。])しけり。

[やぶちゃん注:「拱壁」「初期江戸読本怪談集」では、傍注で『璧』(へき:宝玉の意)の誤字とする。]

 さても、その后(のち)、好隣は、女色に感溺(おぼるゝ)癖、やまずして、ついに[やぶちゃん注:ママ。]師の怒りに触(ふれ)、さまざま、陳謝(わび)するといへども、許されずして、逐出(おいいだ)されければ、只得(ぜひなく)。その身は、郷籍(ふるさと)豐後國、蒲戶(かまど)か[やぶちゃん注:ママ。]﨑に歸りける。

[やぶちゃん注:「豐後國、蒲戶(かまど)か﨑」現在の大分県佐伯(さいき)市上浦(かみうら)大字最勝海浦(にいなめうらうらかまと)に蒲戸港があり、その東方に蒲戸崎(かまどざき)が延びている(グーグル・マップ・データ)。]

 渠(かれ)か[やぶちゃん注:ママ。]親、庄司(せうじ[やぶちゃん注:ママ。])は、冨貴(ふうき)の 農(ひやくせう)にして、屋宅(おくたく[やぶちゃん注:ママ。])・田圃(てんほ[やぶちゃん注:ママ。])、あまた、もち、庄司は、家を、好隣に、讓りあたへ、その身、落髮して、世の営(いとなみ)を息(やめ)ければ、好隣は、近邑(きんむら)の豪民(がうみん)何某か[やぶちゃん注:ママ。]女(むすめ)を、親迎(むかへ)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]て、妻(さい)となし、琴瑟(ふうふ)の中も、むつましく、家を治め、業(げう[やぶちゃん注:ママ。])を守れり。

 一日《いちじつ》、好隣、早(とく)行(ゆく)事のありしか[やぶちゃん注:ママ。]、路(みち)の傍(かたわら[やぶちゃん注:ママ。])に、一人の少(わかき)女《をんな》の、容色、艷麗(ゑんれい)に鄙陋(いやし)からざるが、徒跣(すあし)にて、步みかね、木蔭(こかけ[やぶちゃん注:ママ。])に愒(やすら)ひ、立《たて》るあり。[やぶちゃん注:「愒」には「やすらう・休む」の意がある。]

 好隣、不圖、詞(ことは[やぶちゃん注:ママ。])をかけ、

「若き乙女の倶(ぐ)せる紀綱(ともひと)もなく、夙(とく)より、(ひとりあるき)し給ふは、いかに。」[やぶちゃん注:「紀綱」「紀」は「細い綱」、「綱」は「太い綱」の意で。これは「国家を治める上で根本となる制度や規則・綱紀」の意であり、「同行人」を指す語ではない。どうも、この篇、作者の過剰にして半可通な衒学的(ペダンティック)のひけらかし傾向が感じられ、ちょっと厭な感じがする。されば、以下、私の躓く部分以外は語注・字注をしないので、悪しからず。]

と問ふ。

 女、顧(かへりみ)て、ため息し、

「行路(ゆきし[やぶちゃん注:ママ。「ゆきぢ」。])の人、いかで、わか[やぶちゃん注:ママ。]心の愁(うれへ)を、しりなんや。心づくしの、問(とひ)ことかな。」

と、由ありげなる風情なりけれは[やぶちゃん注:ママ。]、好隣、ちかく寄(より)て、

「女子《によし》、抑(そも)奚自(いづくより)、來りたまふ。年(とし)、幾許(いくばく)ぞや。何事のありて、愁へ給へる。試みに語り、御身の力(ちから)になり參らせん。」

と、念頃に尋(たづ)ぬ。

 女、そのとき、黯然(しほしほ)と、ふくめる淚をぬぐひて、[やぶちゃん注:「黯」は底本では「黒」の(れっか)が下方全体に広がった字体(右丁後ろから二行目下方)。「暗い」の意。なお、「初期江戸読本怪談集」(玉川大学図書館蔵本底本)では、『黙』と起こしてある。]

「嬉しき人の仰(おゝせ[やぶちゃん注:ママ。])かな。行路の人にはあらて[やぶちゃん注:ママ。]、君は我か[やぶちゃん注:ママ。]爲の鮑叔(ほうしゆく)なりしそよ[やぶちゃん注:ママ。]。何をか匿(かく)し參らせん。妾(せう)は、當國、西の浦の漁夫の女《むすめ》、とし十八歲なるが、幼き時、父母におくれ、伯父(おば[やぶちゃん注:ママ。])なる者に育はれしに、伯父の子、賭博(ばくゑき[やぶちゃん注:ママ。])を好み、家資(しんだい)、みな、烏有(うゆうと)なし、近頃、伯父も死し去りしかば、妾に、せまり、豪民(かうみん[やぶちゃん注:ママ。])何某か[やぶちゃん注:ママ。]家に、妾を、身價(みのしろ)十金にうり、その金をとりて、行衞知れずになりぬ。妾か[やぶちゃん注:ママ。]うられつる朱門(いへ)の、嫡(ほんさい)、嫉妒[やぶちゃん注:「妒」は「妬」の古形。]、つよく、妾を、昼夜、罵詈(のゝしり)、楚捷(うちたゝ)く事、やむ間なくて、その苦しみ、いわんかたなし。『よしや、深き淵に此身を沈め、乃邊に輕體(からだ)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]を弃(すつ)るとも、此くるしみを受(うけ)るには、勝りなん。』と、夜は紛(まき[やぶちゃん注:ママ。])れて、のかれ[やぶちゃん注:ママ。]出(いで)ぬ。」

と、語りも、あへぬに、淚、雨のことく[やぶちゃん注:ママ。]に泣(なく)。

 好隣か[やぶちゃん注:ママ。]いふ。

「息壤(やくそくのことば)、前に、あり。こゝろのかきり[やぶちゃん注:ママ。]は、力に、なりまいらせん。幸《さひはひ》、敞𢨳(わかいへ[やぶちゃん注:ママ。])近きにあれは[やぶちゃん注:ママ。]、いざ、たちより給へ。」

と、手を携へて、おのか[やぶちゃん注:ママ。]別莊に俦(ともな)ひ、[やぶちゃん注:「携」は異体字のこれ(「グリフウィキ」)であるが、表示出来ないので、かく、した。以下も同じ。]

「此所《ここ》は、常に人の出入事《でいりごと》もなければ、心やすく安歇(やすみ)たまへ。」

と、饔飱(したゝめ)など、いたさせ、彼これ、遺(おち)なく、世話すれば、女か[やぶちゃん注:ママ。]云、[やぶちゃん注:「饔飱」「饔」は「食物」、特に「よく煮た食べ物」の意、「飱」は「夕食」の意。]

「おもひよらす[やぶちゃん注:ママ。]、君に逢(あひ)まひらせ、かく、あわれみを受(うけ[やぶちゃん注:ママ。])べしとは。肝に銘じ、大恩、忘(わすれ)侍らし[やぶちゃん注:ママ。]。」

と、愁眉(しうび)をひらき、笑(わらい[やぶちゃん注:ママ。])をふくめる姿、西施が五湖に携(たつさへ[やぶちゃん注:ママ。])られ、蔡文姬(さいぶんき)か、胡國(ごこく)を逃(のが)れし、歡(よろこ)ひ[やぶちゃん注:ママ。]も、かくや、とばかりに、おぼへ、もとより、淫男(たわれお[やぶちゃん注:ママ。])の好隣、心地(こゝち)、まどひ、[やぶちゃん注:「蔡文姬」後漢の女流詩人蔡琰(さいえん 一七七年?~?)の字(あざな)。陳留(河南省)の人。後漢の学者蔡邕(さいよう)の娘で、父同様、博学であった。最初の夫と死別したのち、後漢末の動乱の際に匈奴に捕らわれ、左賢王の妻となって二子を産んだ。十二年後、蔡邕と親交のあった曹操が、邕に後継ぎがないことを哀れみ、琰を購(あがな)って帰国させ、のちに董祀(とうし)と再婚した。自らの数奇な生涯を歌った「悲憤詩」二首と「胡笳(こか)十八拍」が名高い。両詩篇は、その真偽を巡って古来より議論があるが、「悲憤詩」は唐の杜甫の「北征」などに影響を与えたとされている(小学館「日本大百科全書」に拠った)。]

「いかで、此儘、やみなん。」

と、その夜は、榻(しぢ[やぶちゃん注:ママ。])[やぶちゃん注:ここは「寝台」のこと。]をともになし、巫陽(ふやう)の夢路(ゆめぢ)を倡(いざ)なひける。[やぶちゃん注:「巫陽の夢路」は「楚辞」にある、天帝が屈原の魂が彷徨っているのを憐れんで、この世に呼び戻したという故事に基づく。「巫陽」はその際に道術を使った巫女(ふじょ)の名である。]

 これより。好隣は、此女か[やぶちゃん注:ママ。]事、忘れがたく、本莊(ほんそう)には、しばしも居《ゐ》ず、夜ことに[やぶちゃん注:ママ。]行通(ゆきかよ)ひしかは[やぶちゃん注:ママ。]、好隣か[やぶちゃん注:ママ。]ほんさいは、賢女なりしが、日頃の偕老、かれかれ[やぶちゃん注:ママ。「枯れ枯れ」で「かれがれ」。]となりけるうへに、夫の顏色(かんしよく[やぶちゃん注:ママ。])、日々に、惟悴(しやうすひ[やぶちゃん注:ママ。])するを、あやしみ、一日《いちじつ》、詰(なし[やぶちゃん注:ママ。]。)り問(とひ)けるに、好隣、やむ事を得ず、かの女か[やぶちゃん注:ママ。]ことを語りたり。

 妻は、妬(ねた)める色もなく、

「『嫁眉(いろ)は、性(せい)を伐斧(きるおの)。』とやらん聞(きゝ)ぬ。色にふけりて、隕身(ほろぶる)もの、古今、その例、おゝし[やぶちゃん注:ママ。]。况(まし)てや、野合(やこう[やぶちゃん注:ママ。])のいたづらもの、出處(しゆつしよ)も、明白(さだか)ならず。必《かならず》、渠(かれ)に蠱惑(まどわ[やぶちゃん注:ママ。])され給ふな。」

と、諫(いさむ)といへども、一向、承引せず、却て、是を、

「嫉妒なり。」

と、罵りて、妻(さい)を疎(うと)み、いよいよ、女か[やぶちゃん注:ママ。]もとに行(ゆく)ほどに、いつしか、精髓(せいずい)、枯竭(かれつき)て、肌肉(きにく)、次第に羸瘦(るいそう)し、病《やまひ》》を得て、別莊に打卧(うちふし)、數日(すしつ[やぶちゃん注:ママ。])、本莊(ほいいやしき)に歸らず。

 妻は、不安(こゝちもとなく)おもひ、

「そも、いかなる花月妖(いたづらおんな[やぶちゃん注:ママ。])なれば、わが夫をは[やぶちゃん注:ママ。]、かくまで、沈溺(まよわ[やぶちゃん注:ママ。])するやらんぞ。」

と、

「覘來(うかゝひ[やぶちゃん注:ママ。]《きた》らん。)

と、一夜(あるよ)、密(ひそか)に、侍婢(こしもと)を倶(ぐ)し、別莊に行《ゆき》見れば、門は、かたく鎖(とざ)して、燈《ともしび》、微(かすか)に、見へたり。

 月、さし入《いり》たるに、庭の垣(かき)、狗竇(いぬあな)あるを幸(さいわい[やぶちゃん注:ママ。])に、くゝり[やぶちゃん注:ママ。]入《いり》、伺ふに、障子に、かげは、写りぬれども、物語(ものかたり)の声も、聞へず。

 忍びて、廡下(のきば)に、さしより、𨻶(ひま)より、裏面(うち)を覦見(のぞき《み》》れば、夫(おつと[やぶちゃん注:ママ。])好隣は、牀蓐(とこ)に卧(ふし)、昏々(こんこん)と熟睡せし躰《てい》なり。

 かの妾《せう》と覚しく、妹(かはゆき)女の、側(かたわら[やぶちゃん注:ママ。])に在(あり)て、好隣か[やぶちゃん注:ママ。]顏色を、つくづく游睇(ながめ)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]居《をり》けるが、俄に、宛轉(ゑんてん)たる嫁眉(かび)、変じて、煤(すゝ)のことく[やぶちゃん注:ママ。]に黒み、両眼、鏡(かゝみ[やぶちゃん注:ママ。])のことく[やぶちゃん注:ママ。]光り、一室(《いつ》しつ)の中(うち)を、てらし、嬋娟(せんげん[やぶちゃん注:容姿のあでやかで美しいさま。「せんけん」以外に濁音表記もある。])たる雲の髮(びんづら)、化(け)して、棘(おとろ[やぶちゃん注:ママ。])の髮と、乱れ、皤腹(おゝいなる[やぶちゃん注:ママ。]はら)[やぶちゃん注:「皤」自体に「腹が大きい」の意がある。]、ちゝめる[やぶちゃん注:ママ。]頭(かしら)・手足、岐(みつかき[やぶちゃん注:ママ。「蹼(みづかき)。」])ありて、龜(かいる[やぶちゃん注:ママ。蛙。挿絵は巨大な蟇蛙(ひきがえる)である。])に似たり。

 

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[やぶちゃん注:底本の大型画像はこちら。]

 

 舌を延(のべ)て、好隣か[やぶちゃん注:ママ。]惣身《そうしん》をなめけり。

 まことに、威怖(おそろしき)ありさま、いはんかたなく、

「こは。淺間(あさま)し。」

と、好隣か[やぶちゃん注:ママ。]妻は、毛骨《まうこつ》[やぶちゃん注:ここは一身全体の意。]、竦然(しようぜん)として、魂(たましい[やぶちゃん注:ママ。])、体(たい)に、つかず、走り、外面(そとも)に出《いで》つゝ、侍女に、かくと、語りも、あへず、足にまかせて、もろともに、本莊(《ほん》そう)に迯(にげ)かへりぬ。

 一夜をあかすこと、三秋のおもひにて、暁(あけ)にいたりて、疾(とく)、家の長(おさ[やぶちゃん注:ママ。])何かし[やぶちゃん注:ママ。]を呼(よび)て、申《まふし》けるは、

「籃輿(かご)を奴僕(けらい)に扛(かゝ)せて、別莊の夫を、むかへかへるべし。」

といふに、いそき[やぶちゃん注:ママ。]、各々、別莊にゆき見るに、好隣、すでに、病(やまひ)に卧(ふし)てより、此女、愈(いよいよ)、側(そば)を去(さら)ずして、日夜朝暮、雲雨(うんう)の情(じやう)を、いとみ[やぶちゃん注:「挑(いど)み」であろう。]、魚水(きよすい[やぶちゃん注:ママ。])の契り、止む事なさに、よしちかも、少しく、心に厭(いとへ)ども、身體(しんたい)を、くるしめ、跬步(あゆむ)事さへ叶わねは[やぶちゃん注:ママ。]、本莊に歸る事あたわず。[やぶちゃん注:「跬步」は現代中国語で「僅かな距離」を言う語。]

 せんかたなかりし折から、家の長、迎ひに來りけるを見て、大によろこび、歸らんとするに、此女、牢(かた)く率(ひき)とどめ、

「きみの病《やまひ》、舊(もと)、風寒(ふうかん)の外傷(くわいしやう)なれば、若(もし)、路次(ろし)にて、再(ふたゝひ)、風に能冒(あたり)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]玉《たま》わは[やぶちゃん注:総てママ。]、大事なり。唯(たゞ)、いつ迄も、此所にて、輔養(ほよう[やぶちゃん注:ママ。])し給へ。妾(しやう)、心を盡(つく)して、仕へまいらせ[やぶちゃん注:ママ。]、君か[やぶちゃん注:ママ。]平生(ひころ[やぶちゃん注:ママ。])の恩愛、萬分(まんぶん)の一ツをも、報ぜん。」[やぶちゃん注:「風寒」漢方医学で悪寒を代表症状とする症状を指す。現在の感冒・インフルエンザ等に相当する。]

と、淚、玉《たま》をあらそへば、さすがに、戀々(れんれん)として、別るゝに忍びさる[やぶちゃん注:ママ。]を、家長(おさ[やぶちゃん注:ママ。])、大《おほい》に女を叱りて、遠ざけ、强(しい)て、主人を輿(かご)にのせしめ、飛《とぶ》かことく[やぶちゃん注:総てママ。]家に歸りける。

 さて、妻は、よしちかにむかひ、前夜見しありさま、逸々(いちいち)に、ものがたりけれは[やぶちゃん注:ママ。]、夫は、始《はじめ》て、大に、おとろき[やぶちゃん注:ママ。]、舌を吐(はい)て、物も、いわず。

 良(やゝ)ありて、淚を流して云《いふ》。

[やぶちゃん注:以下の語りは長いので、段落・改行・記号を加えた。回想の直接会話記号は鍵括弧で示した。]

「わか[やぶちゃん注:ママ。]命(いのち)。正(まさ)に盡(つき)ぬべし。われ、汝に包むべきにあらねば、巨細(ことごとく)、語りきかすべし。

 われ、若き時、京師(みやこ)の剣匠關何某か[やぶちゃん注:ママ。]家につかへ、名にをふ花の都、春は、東山のさくらを探ねては、島原(しまばら)の色香を思ひ、秋は桂川(かつらか[やぶちゃん注:ママ。]わ)の紅葉(もみち[やぶちゃん注:ママ。])を觀て、祗園の面俤(おもかけ[やぶちゃん注:ママ。])を慕ひ、目に絕(たへ)へ[やぶちゃん注:総てママ。]せぬ興(きやう)を催して、夜晝となく、翠帳紅閉(すいてうこうけい[やぶちゃん注:総てママ。])のうちに、うかれ遊び、更に、月日の流るゝを、しらず。或時、郭(くわく)何某か[やぶちゃん注:ママ。]亭にて、芳野といへる遊女と綢繆(かたらひ)、いもせの誓淺からぬ中に、夏は、森の下、すゞみ、連理のゑだを喩(たとふ)れは、冬はうつ見火(みび)[やぶちゃん注:「埋火」。]のもとに、鴛鴦(ゑんおう)の羽(は)をうちかさね、

「汝か心、鏡のことくならは[やぶちゃん注:総てママ。]、わか[やぶちゃん注:ママ。]心は、玉にひとしく。」

起請誓詞(きせいせいし)、いふも、くだくだしく、恩愛、たとふるにものなし。[やぶちゃん注:「綢繆」「ちうべう(ちゅうびゅう)」の当て訓。「睦み合うこと。馴れ親しむこと」の意。]

 是に仍(よつ)て、我か[やぶちゃん注:ママ。]鋳冶(かぢ)の業(わざ)も、わすれ果(はて)、師の怒りに逢(あひ)て、家を逐出(おひいだ)されけれとも[やぶちゃん注:ママ。]、芳野か[やぶちゃん注:ママ。]事、露《つゆ》、わすられず、猶も、靑樓に、はまりて、不絕(たへず[やぶちゃん注:ママ。])通ひしに、いつしか、芳野は風(かぜ)の心地(こゝち)の煩(わつらひ[やぶちゃん注:ママ。])して、やまふ[やぶちゃん注:ママ。]の床に卧(ふし)、日々《ひび》に重(おも)りけるに、晝夜、側(そば)を、はなれず、さまさま[やぶちゃん注:ママ。後半は踊り字「〱」。]に醫療を盡せども、効(しるし)、更になくして、苒荏[やぶちゃん注:「初期江戸読本怪談集」では編者の傍注があり、『荏苒』とある。荏苒(じんぜん)は「なすことのないまま歳月が過ぎるさま・物事が延び延びになるさま」の意。](しだい)に、よわりし故、

「こは。いかに。」

と、遽(あはて)まとひ[やぶちゃん注:「遽」は異体字だが、表示出来ないので通用字とした。]、神祠(しんし)に祷(いのり)、佛寺にいのりて、心のかきり[やぶちゃん注:ママ。]、芳野か[やぶちゃん注:ママ。]病、愈(いへ[やぶちゃん注:ママ。])なん事を、悲しみ、求むれども、造化(そうくわ[やぶちゃん注:ママ。])の小兒(しやうに)[やぶちゃん注:病気の擬人法。]、付纏(つきまと)ひて惱(なやま)し、無常の風、吹來《ふききた》りて、誘引(ゆういん)するを如何(いかん)。

 十八歲の暁(あかつき)に、地水火風の假(かり)の世を、空しく見なして、果(はて)にけるにぞ、狂氣のことく[やぶちゃん注:ママ。]に、精神、乱れ、甲斐なき亡骸(ぼうがい[やぶちゃん注:ママ。])、肌(はだへ)に抱(いだ)き、紅淚、膓(はらわた)を断(たつ)といへども、いかにとも、せんかたなく、枕に残りし薬のみそ、恨めしく、かくても、有(ある)べき事ならねば、亭(うち)の長(てう)[やぶちゃん注:芳野を抱えていた遊廓の主人。]と議(はかり)て、鳥部野一片の烟(けむり)となせしが、相應に吊《とふ》らひして、墓間(はか)の供養、怠たらず。

 已(すで)に七七《なななぬか》の忌日にあたりしかは[やぶちゃん注:ママ。]、夙(とく)、起出(おき《いで》)て芳野か[やぶちゃん注:ママ。]墳(つか)に詣(まいり[やぶちゃん注:ママ。])、香花(かうはな)を手向(たむけ)んとするに、石の印(すりし)のうへに、一の蛙(かはづ)、在(あり)けるが、我か[やぶちゃん注:ママ。]面《おもて》を、つくづくと見て、両眼に、淚を流す事、雨のことし[やぶちゃん注:ママ。]

 奇異の事におもひしか[やぶちゃん注:ママ。]、翌日、また、行《ゆき》、見るに、蛙、その所を、去らす[やぶちゃん注:ママ。]居《ゐ》て、我を見ては、淚を流す。

「是こそ、日ころの誓詞に、心を残し、死たる女の、幽鬼(ゆうき)[やぶちゃん注:「幽」は異体字だが、表記不能のため、通用字とした。]、蛙と変し[やぶちゃん注:ママ。]たるにや。よし、さもあらは[やぶちゃん注:ママ。]あれ、わか[やぶちゃん注:ママ。]三世《さんぜ》を約せし妻の、ふたゝひ[やぶちゃん注:ママ。]、陽間(このよ)に於《おい》て、相逢《あひあ》ふは、かの漢宮の李夫人の、武帝に見《まみ》え、楊大眞が玄宗に値(あい[やぶちゃん注:ママ。])し例(ためし)に同し。」

とて、かの蛙にむかひて、さまさまに、私語(さゝめこと)し、平生《へいぜい》の哀情(あいじやう)を訴ふに、蛙の姿は、きへ[やぶちゃん注:ママ。]うせて、それより後、再ひ[やぶちゃん注:ママ。]見えす。

 かくて、故郷に歸りしに、老親、われに、家をゆすり[やぶちゃん注:ママ。]、御身を迎へて、年月、かさね、芳野か[やぶちゃん注:ママ。]事も、諺にいふ、『去るもの日々に疎(うと)く』して、思ひ出す事も、なかりし。

 然《しか》るに、往(ゆき)つる頃、路次《ろし》にて、邂逅(ゆきあひ)し女に、不圖、心を迷はし、戀慕のきづな、きれども、きれず、煩惱の火、逐(おへ)ども來り、見ぬ夜をかこては[やぶちゃん注:ママ。「かこちては」。]、逢(あは)ぬ夕べを、うらみ、以前、芳野と、ちきり[やぶちゃん注:ママ。]しに、少しも違はぬ、恩愛なりしか[やぶちゃん注:ママ。]、さては、渠(かれ)か[やぶちゃん注:ママ。]、生(しやう)を更(うけ)て、ふたゝひ[やぶちゃん注:ママ。]我に見へしなるへし[やぶちゃん注:ママ。]。縱(たとへ)、われ、かれと、絕(たへ[やぶちゃん注:ママ。])て、別莊にゆく事なく共《とも》、かれ、かく迄、我に、執心、残す。終(つい[やぶちゃん注:ママ。])には、死㚑(しれい)の為に、一命を、失ふべし。」

と、語(かたり)、鏡を、とりて、面《おもて》を映(うつ)し、始て、わがかたちの、枯稿(おとろへ)たるを見、淺間敷(あさましく)おぼへげれば、

「かくては、黃泉(かうせん)のみち、遠かるまじ。身のうへを、占(うら[やぶちゃん注:ママ。])ひ見ん。」

と、夫《それ》より、好隣は、衣を、とゝのへ、强(おし)て立(たつ)て、家人に扶(たすけ)られ、市中《いちなか》、賣卜(うらなひしや)の肆(みせ)に、いたりぬ。

 好隣、算命者(うらないしや[やぶちゃん注:ママ。])にむかひて、支干(しかん)を告(つけ[やぶちゃん注:ママ。])、卦(くわ)を賴むに、算命(うらなひ)、一卦を、もうけ、見るに、「履(り)」の卦に當りたり。

 曰(いはく)、

「履虎尾不ㇾ咥ㇾ人。(とらの、をゝふむ。ひとを、くわ[やぶちゃん注:ママ。]ず。)」

 先生いわく[やぶちゃん注:ママ。]

「危(あやう)きかな。されども、うらかた、あしき事、なし。今宵、汝か[やぶちゃん注:ママ。]家に、客(かく)あり。これ、吉(きつ)を司(つかさど)る。此客、よく、恠(くわい)を驅(のぞく[やぶちゃん注:ママ。])くべし。」

と判斷するに、好隣、少し、心易く、急き[やぶちゃん注:ママ。]、家に、かへり、其日、暮かたに、一人の士(さむらひ)來り、

「某(それがし)は、東國の矦家(かうけ[やぶちゃん注:ママ。])に仕へる稗官(かるきぶし)、曾根平内(そねへいない)といふものなり。主用にて、西國に趣くが、日暮るゝによつて、貴莊を、一夜、かり明(あか)さん。何卒、許容あれかし。」

といふに、好隣、いそき[やぶちゃん注:ママ。]、坐敷に通し、臧獲(けらい)を咄嗟(げち)して、酒(さけ)・肴(さかな)・飯《めし》までを、新鮮(きよらか)に調理せしめ、慇勤[やぶちゃん注:ママ。](いんぎん)に執成(とりなし)けるに、客、大によろこひ[やぶちゃん注:ママ。]て、元より、田舎武士の、禮儀をも、しらす[やぶちゃん注:ママ。]、酒・肴・飯まて[やぶちゃん注:ママ。]を、飢(うへ[やぶちゃん注:ママ。])たる鷹のことく[やぶちゃん注:ママ。]、給終(たへおわ[やぶちゃん注:総てママ。「食べ終(をは)」。])り、その身は、滿醉(まんすい)して、床に入《いり》て臥(ふし)、鼾睡(いびき)、牛のことく[やぶちゃん注:ママ。]なれば、好隣は、

『案に相違して、我《われ》此客を怙(たのみ)て、妖鬼を除き、災害(わさはひ)を免(まぬか)れんと、思ふ所に、此客、かくのことく[やぶちゃん注:ママ。]に醉臥(よひふし)たり。いかゞはせん。』

と、案事(あんじ)けるか[やぶちゃん注:ママ。]、せん方なければ、燈燭(あかり)、白昼(はくちう)のことく[やぶちゃん注:ママ。]に、てらし、その身は、客の側(そば)に卧(ふし)て、猶、動靜(ようす)をうかゝふ[やぶちゃん注:ママ。]に、既に夜半の頃、暴風、一陣(《ひと》しきり)、

「さつ」

と、吹通《ふきとほ》り、戶の外(そと)に、もの音し、

「薄情(はくぜう[やぶちゃん注:ママ。])の郞君(おとこ[やぶちゃん注:ママ。])、いづくに、あるや。何とて、我を弃(すて)しや。あら、うらめしの郞君や。」

と、呼(よば)わる[やぶちゃん注:ママ。]その声、軒端(のきば)の嵐(あらし)に、はげしく、耳もとに、ひゝきけれは[やぶちゃん注:総てママ。]、好隣は、亡論(もと)より、家内の男までも、肝をけし、驚き、噪(さは)ぎ、かの客を、喚起(よび《おこ》)さんとするに、はや、妖鬼は、せまり來て、一重(《ひと》へ[やぶちゃん注:ママ。])の隔(へだて)は、

「ものかは。」

と、戶を蹴放(けはな)して、飛入《とびい》る所に、

「錚然(はつし)」

と、ひゞきて、かの客の、枕もとなる襆(つゝみ)の中より、一すじ[やぶちゃん注:ママ。]の小虵(《こへび》》、顯《あらは》れ、鱗(うろこ)の光は、金・銀・珠玉、紅(くれない[やぶちゃん注:ママ。])の舌を巻(まき)て、たゞ、ひとのみと、かゝりける。

 

Hippuseisin2

[やぶちゃん注:底本の大型画像はこちら。

 

 妖鬼は、たちまち、色(いろ)をうしなひ、あわてゝ、外へ、しりそき[やぶちゃん注:ママ。]出《いづ》るを、小虵は、追缺(おつかけ)、逐廻(おひまは)し、その疾(はやき)事、風(かぜ)のごとし。

 終《つひ》に、妖鬼に、とひ[やぶちゃん注:ママ。]かゝり、鮮血、

「颯(さつ)」

と、はしるとみヘしか[やぶちゃん注:ママ。]、妖鬼の姿は、いつく[やぶちゃん注:ママ。]ともなく、きへ[やぶちゃん注:ママ。]うせたり。

 只、一口(《ひと》ふり)の刀(かたな)のみ、外に殘りて、小虵の形は、見えざりしに、かの武士、此もの音に、驚き、目覚(《め》さめ)て、枕もとを見るに、

「我か身命(しんめい)の、かゝる宝貨(ほうくわ)は、何ものか、盜みしや。」

と、寢間を探し、戶外《こがい》を尋ねるに、宝剣、落《おち》てあるを、削(さや)[やぶちゃん注:本来の「削」は刀の鞘の意であるので誤りではない。]に、おさめ、襆《つつみ》の中に、押入《おしいれ》て、枕とし、再(ふたゝひ[やぶちゃん注:ママ。])、卧しにけり。

 好隣か[やぶちゃん注:ママ。]小蛇と思ひしは、彼(かの)刀なり。

 ほとなく[やぶちゃん注:ママ。]、晨光(あさひ)、東の窗(まど)を輝(斯くやかし)けるに、家來のものも、起出《おきいで》て、戶の外を見せしむるに、血、夥しく、流れたり。

 跡を、引尋(ひき《たづ》)ね、遙々(はるはる[やぶちゃん注:ママ。後半は底本では踊り字「〱」。])ゆくに、別莊にいたりて、止(とゞ)まる。

 各々(おのおの)、坐敷に入《いり》、見るに、盤(たらい[やぶちゃん注:ママ。])に齊(ひと)しき、蛙《かいる》、あり。

 頭腦(づのう[やぶちゃん注:ママ。])を、裂(さか)れて、朱(あけ)に染(そみ)、死し居《ゐ》たりしを、みなみな、集(あつま)りて、是を觀(みて)、大きに驚き、やかて[やぶちゃん注:ママ。]穴をふかく堀(ほり)[やぶちゃん注:漢字はママ。]、蛙の尸(かばね)を葬(ほうむ)り、墳(つか)を築(きづ)いて、「蛙塚(かいるづか)」と名付《なづけ》、今にかの所に殘れりと云《いふ》。

 此後、好隣か[やぶちゃん注:ママ。]家には、絕(たへ[やぶちゃん注:ママ。])て怪事なかりしかは[やぶちゃん注:ママ。]、好隣夫妻、悅ひ[やぶちゃん注:ママ。]、不斜(なのめなら[やぶちゃん注:ママ。返って読めということらしい。])。

 かの客、曾根平内を、數日(すじつ)、滯留なさしめ、饗應、心を盡し、さて、好隣は、平内に向(むかい[やぶちゃん注:ママ。])て、いわく、

「御身の所持し給ふ刀は、いかなる名工の作なれば、かゝる奇瑞のありけるぞや。某(それがし)も、むかしは、鋳剱(とうけん)を学びし故、許多(あまた)の剱を見侍れども、未た[やぶちゃん注:ママ。]、かゝる事をは[やぶちゃん注:ママ。]、聞《きき》も及はす[やぶちゃん注:ママ。]。」

と、いふに、平内、襆《つつみ》の中《うち》より、錦(にしき)の袋を、とき、一挺(《ひと》ふり)の刀を取出《とりいだ》し、好隣に見する。

 好隣、見るに、銘もなく、漫理(みだれやき)なれども、鉛刀(なまくら)にひとしき、鈍剣(どんけん)、更に賞ずべき所、なし。仍(よつ)て、再ひ[やぶちゃん注:ママ。]驚き、不審、晴(はれ)やらねば、平内、その時、語《かたり》ていわく、

「抑(そも)、此刀は、徃昔(そのむかし)、京師(みやこ)に名高き剱匠(かぢ)関何某か[やぶちゃん注:ママ。]鋳(うち)給ふ所なり。某、匹夫(ひつふ)たりしとき、山﨑の邑(さと)、農民の家に傭(やとわ[やぶちゃん注:ママ。])れ、あり。兼て、関氏の剱を聞及(きゝおよ)ひ[やぶちゃん注:ママ。]、望(のぞみ)、限りなく、よつて、耕作の暇(いとま)には、薪(たきゞ)を折(おり[やぶちゃん注:ママ。])、荷を擔(になひ)、しばしも、息(やす)む間なく、人の役(えき)をなして、賃(ちん)を取り、家に有《あり》ては、冬夜に、寒嚴(かんげん)を單(ひとへ)の衣(きぬ)に凌(しの)ぎ、三度の飯(めし)も減じ、飢を春の日の長きに忍(しの)ひ[やぶちゃん注:ママ。]、月下に索縄‘なはなひ」、星(ほし)を戴(いたゝき[やぶちゃん注:ママ。])て起(おき)、三年のあいた[やぶちゃん注:ママ。]、風雨・雷電・寒暑のいとひなく、積貯(つみたくわ[やぶちゃん注:ママ。])へたる、十金の價(あたい[やぶちゃん注:ママ。])にて、やうやうに、求め得たる剣(けん)なり。仍(よつ)て、身に添(そう[やぶちゃん注:ママ。])影のことく[やぶちゃん注:ママ。]に秘臟(ひそう)[やぶちゃん注:漢字・読みともにママ。]し、深山(しんざん)に入(いる)時は、魑魅魍魎のおそれなく、闇行(あんこう[やぶちゃん注:ママ。])には、狐狸盜賊の難をのかれ[やぶちゃん注:ママ。]、わか[やぶちゃん注:ママ。]精神、偏(ひとへ)に、此剣の外に、なし。」

といふ。

 よしちか、是(これ)におゐて[やぶちゃん注:ママ。]思ひ出《いだ》し、

『是社(こそ)、已前、己(おのれ)か[やぶちゃん注:ママ。]、市(いち)にて買求め、あざむいて、渠(かれ)にあたへしが、渠、三年の艱苦(かんく)を嘗(なめ)て後、調得(とゝのへえ)たりし。十金を貪取(むさぼり《とり》)たる冥罰(めうばつ[やぶちゃん注:ママ。])、自然(しぜん)と報い來て、既に妖鬼の祟(たゝり)を受(うけ)、命を失わん[やぶちゃん注:ママ。]とせしに、われ、却《かへつ》て、かれか誠心(せいしん)、名剱と思へる精神(たましい[やぶちゃん注:ママ。])の、鉛刀(ゑんとう[やぶちゃん注:ママ。])の切先(きつさき)に入《いり》て、かゝる奇瑞を、顯しけるゆゑ、萬死(まんし)をまぬかれし事、古今未曾有の奇事也。』

とて、始て、

「己(おの)か[やぶちゃん注:ママ。]身の上を、かたり聞せ申《まうす》べし。徃昔(そのむかし)、給(ざむひ)て[やぶちゃん注:前に同じ。「紿」の誤字。]、此鉛刀《なまくら》を賣(うり)し事を、さんげし、御身、實に、わか[やぶちゃん注:ママ。]師の剣を望み給はゝ[やぶちゃん注:ママ。]、わか[やぶちゃん注:ママ。]所持せし、刀、一ふりあり。これぞ、まことに關何某、百日、注連(しめ)を張り、斎(ものいみ)して、鋳(うち)たる名作なり。御身の鉛刀の、奇瑞には、及ばし[やぶちゃん注:ママ。]。なれども、鉛刀だに、精神《たましひ》、凝(こつ)ては、奇瑞あり。いわんや[やぶちゃん注:ママ。]、名剣に於ておや[やぶちゃん注:ママ。]。」

と、則(すなはち)、取出《とりいだ》し、

「價(あたい[やぶちゃん注:ママ。])に不及(およばず)なり。」

と、平内に、あたへ、また、以前、給《あざむ》[やぶちゃん注:同前で誤字。]きとりし、十金の代《しろ》を返し、外に五十金を贈り、

「御身は、わか[やぶちゃん注:ママ。]再生(さいせう[やぶちゃん注:ママ。])の父母(ふぼ)なり。」

とて、夫婦、厚く謝しけれは[やぶちゃん注:ママ。]、平内も、不測(ふしぎ)の事にあひて、年の假念(けねん)を晴(はら)し、まことの名剣を、得るのよろこび、おゝかた[やぶちゃん注:ママ。]ならず。[やぶちゃん注:「」「多」の異体字。]

 夫(それ)より、別れて、發足(ほつそく)せし、となり。

 

怪異前席夜話卷之三終

 

2023/07/29

只野真葛 むかしばなし (79) 妖猫

 

一、土井山城守樣の御國(おくに)、刈屋の城に、小犬ほどの猫、有(あり)。「大ねこ」と名付(なづけ)て、折々、番人、見る事あれども、あだせし事、なしとぞ。

 いつの比よりすむといふ事も、しらず、といふ事は、折々、山城守樣の御はなしも有(あり)し由(よし)、父樣、猫のはなしなど、いでし時、度々(たびたび)はなしにも聞(きき)しが、數年(すねん)をへて、ある春のことなりしが、花の盛、いつよりも、出來、よく、日も、すぐれて長閑(のどか)のこと有しに、御番の侍、申合(まふしあは)せ、

「餘り、すぐれて、よき天氣なり。花見ながら外庭の芝原にて、辨當を、つかわん[やぶちゃん注:ママ。]。」

とて、いで居(をり)しに、いづくよりか來たりけん、えもいはれず、愛らしき小猫の、毛色、みごとにふち[やぶちゃん注:「斑(ぶち)」であろう。]たるが、紅(くれなゐ)の首(くび)たが[やぶちゃん注:「首箍」。首輪。]懸(かけ)て、はしりめぐり、胡蝶に戲れ遊び狂ふさま、あまり美くしかりし故、何(いづ)れも見とれてゐたりしが、

「首たが懸しは、かい猫なるべし。かゝる小猫の、いかにして、城内まで、まどひ來にけん、あやし、あやし。」

と云つゝ、

『手ならさん。』[やぶちゃん注:「手なづけよう」。]

と思ひて、燒飯を一ツ、なげて、あたへしかば、かの小猫、はしり來りて、其やき飯を、くはゆると、ひとしく、古來よりすむ、大猫と成(なり)しとぞ。

「それ、大猫の、ばけしよ。」

と、いはれて、にげさりしが、其後(そののち)、番人、

「たえて、形を見ず。」

とぞ。

「『不思議のこと。』とて、御(おん)じきはなしに、うかゞひし。」

と、父樣、

父樣、被ㇾ仰し。

[やぶちゃん注:「土井山城守」恐らくは、三河刈谷藩第二代藩主土井利徳(寛延元(一七四八)年~文化一〇(一八一三)年)であろう。彼は従五位下山城守であった。

「刈屋の城」現在の愛知県刈谷市城町(しろまち)に城跡がある(グーグル・マップ・データ)。]

只野真葛 むかしばなし (78) 二度目の夫只野伊賀の急死を知った折りの記載

 

 こゝまで書(かき)さして、

「藤平(とうへい)、誕生日の祝儀。」

とて、中目家へ、まねかれて行(ゆき)しは、四月廿五日なりし。二夜(ふたよ)とまりて、同じ七日の夕方歸りしに、江戶より、急の便り、有(あり)、同じ月の、

「廿一日朝四ツ時[やぶちゃん注:不定時法で午前九時半頃。]より病付(やみつき)て、ひる八ツ過(すぎ)[やぶちゃん注:同前で午後二時半を回った頃。]に、伊賀、むなしくなられし。」

とて、つげ來たり。

[やぶちゃん注:「中目家」五女照子(兄弟通り名は「撫子」)は仙台の医家であった中目家に嫁した。真葛(あや子)より二十三歳下。「藤平」というのは、彼女の産んだ男子の名であろう。祖父の工藤平助の姓名から貰ったものであろう。

「伊賀」真葛の当時の二度目の夫。寛政九(一七九七)年、真葛三十五歳の時、仙台藩上級家臣で江戸番頭の只野行義(つらよし ?~文化九(一八一二)年:通称、只野伊賀)と再婚していた。以上は文化九(一八一二)年のことである。]

 人の世は常なしとは知りながら、今朝までも、事なかりしを、只三時(さんとき)の程に命たゑん[やぶちゃん注:ママ。]とは、夢、おもひ懸(がけ)ぬことなりし。

 日をかぞふれば、其日は初七日(しよなぬか)なりけり。

 にはかに、かたち、直し、水、そなへ、花、たむけなどするも、何の故とも、わきがたし。

 五日、六日、有(あり)ておもゑ[やぶちゃん注:ママ。]めぐらすに、

「かく聞傳(ききつたへ)しことの『むかしがたり』を、書(かき)とめよ、書とめよ。」

と、つねに、いはれしを、世のわざにかまけて過(すぎ)しきにしを、

『今はなき人の、たむけにも。』

と思ひなりて、かきとゞむるになむ。【此ふしは、うれい[やぶちゃん注:ママ。]にしづみ、哀(あはれ)のはなし、かく事、能わず[やぶちゃん注:ママ。]。よりて、これを、あげたり[やぶちゃん注:底本に『原割註』とある。]。】

[やぶちゃん注:

只野真葛 むかしばなし (77) 巾着切の陰徳の話

 

一、巾着切(きんちやくきり/きんちやつきり)といふものは、三度、牢入になれば、落首(うちくび)[やぶちゃん注:当て訓した。]の定めなるに、三度目に御免に成(なり)しもの有(あり)し故、其時の町與力に名代の人有しが、

「宅へ參れ。」

と呼(よび)よせて、

「扨(さて)。外の事にて、なし。其方は、死罪の罰を、ふしぎに、命、たすかりしは、陰德にても、ほどこせし事、多く有(ある)や。」

と聞(きき)しに、

「外(ほか)に覺(おぼえ)とてもなけれど、久しき跡に、兩國邊を、かせぎました時、七、八兩に成(なり)ました。暮方(くれがた)、まなべ川岸(かし)[やぶちゃん注:当て訓した。]の方へ參りしに、本柳橋のきわで、身をなげそふ[やぶちゃん注:ママ。]にする、ぢゞが、ござりました。ひよつと、『むごい事だ。』と、胸に、うかびましたから、『若(もし)、ぢゞさん。わたしは巾着切だが、死ほどの事なら、わたしが、今日、仕事にした金が、ちつと有(ある)から、借(かし)やせう。』と申(まうし)たら、きもを潰した顏を仕(し)て居(をり)ましたを、金を、ふところに、入(いれ)て、つきたほして、にげ行(ゆき)、陰(かげ)から見て居(をり)しに、ぢゞは、おきて、其金を、かぞへて、いたゞき、懷中して行(ゆき)ましたから、たすかつたろう[やぶちゃん注:ママ。]と存じます。」

と語りしを、

「其樣なことの故にも有べし。是より、巾着切を、やめたら、よかろふ[やぶちゃん注:ママ。]。」

と云(いひ)しに、

「私も、やめとふ[やぶちゃん注:ママ。]ござりますが、中々、仲間が、合點、致しません。」

と、いふを、

「それなら、近在に、おれが知つた百姓が有(ある)から、それが所へ賴んでやろう[やぶちゃん注:ママ。]から、田舍でも行(いつ)て素人に成(なれ)。」

と、すゝめしに、悅んで、

「左樣なら、どふぞ被ㇾ遣被ㇾ下(やられくだされ)。」

といふ故、そこへ、やりしとぞ。【此(これ)、よびて聞(きき)しことも、うたがはし。[やぶちゃん注:底本に『原頭註』とある。]】

 至極、正直者と見えて、手がたき家なりしが、あめ商賣をせしとぞ。

 庭の隅に、少し、土を高くして、塚の樣な物あるに、日々に、茶や花を上(あげ)しとぞ。

 或日、

「少し、心ざしの事、有(あり)。」

とて、人を呼び、茶菓子など、いだして、此比(このごろ)來りし人にむかい[やぶちゃん注:ママ。]、

「今日の心ざしは、前かた、不仕合(ふしあはせ)が續きし故、娘を江戶へ連(つれ)て行きうりましたが、十六兩でござりました。『是で、どふしてこふして[やぶちゃん注:ママ。後も同じ。]。』と、胸算用して、かへる時、兩國で、すりに取られましたから、『死ぬより外の事、なし。』と覺悟した時、外(ほか)のすりが來て、金をくれて助けてくれました。半金にも、たらぬほどなれど、どふかこふか、それで、あめ屋も、だしましたが、それから仕合(しあはせ)が直(なほ)り、此通りに、くらして居(をり)ますも、たすけられたすりの蔭(おかげ)。生(いき)てあるか、死(しん)だか、しらねど、七年已前の事、其時、わしが、しねば、今日が七年忌とおもゑ[やぶちゃん注:ママ。]ますから、其人の爲に囘向(ゑかう)仕(つかまつり)ます。」

と語(かたり)しを、巾着切も、

『ふしぎ。』

とは聞しが、其時は、かたらず。

 後に、そのわけを、かたりしかば、限りなく、悅びし、とぞ。

 是は父樣、外より御聞被ㇾ成て御はなしなりしが、あまり、こしらい[やぶちゃん注:ママ。]過(すぎ)たるやうなり。日々、おこたらず人の念ずれば、必ず、思(おもひ)のとゞくものとは聞(きき)しが。

[やぶちゃん注:「巾着切といふものは、三度、牢入になれば、落首の定めなる」ウィキの「スリ」によれば、『元禄・宝永』頃、『名人坊主小兵衛が現われたが、これは同心目付役加賀山(加々山)権兵衛の寵愛を受けた。このころから』、『スリと同心の因縁が生じたという。当時の手口は袂さがし、腰銭はずし、巾着切りが主で、敲きの上』、『門前払いに処罰されたが、巾着切りの横行の流行にかんがみ、延享』四(一七四七)年二月、『御定書に「一、巾着切、一、腰錢袂錢を抜取候者、右何れも可為入墨之刑事。儋()入墨之者惡事不相止召捕候はば死罪」と達せられ、突き当たりの手口で荒稼ぎする者を』、『入れ墨、重敲』(じゅうたたき:江戸時代の刑罰の一種。罪人の肩・背・尻を鞭百回打つこと。江戸では牢屋同心が小伝馬町の牢屋の門前で執行した。八代将軍吉宗時代に始まった)『すべきを見合わせて』、(☞)『死罪にする判例が生じた。その手口はますます巧妙化し、荒稼ぎ、山越し、達磨外し、から、天保ごろから、違(ちがい。すれ違いざまにおこなう)、飛(かっさらい)、どす(おどしとり)へと変わり、白昼の追いはぎも現われ、スリは並抜きをして、同類と共同で稼ぐものもあったので、遂に天保の大検挙が行われ、万吉、虎、勇九郎、遠州屋のような有名なスリの入牢があった。しかし』、『その後もスリの跳梁跋扈はやまず、天保の大検挙で入牢した親分たちが出牢するにおよんで』、『ますます』、『さかんになり』、慶応元(一八六五)年、『浅草年の市には』、『勇九郎の流れをくむ』『手合いが』、『手当たり次第にすりとった紙入れは炭俵』一『杯分あって、石を付けて大川に放り込んだという』また、彼らは『必ず』、『集団で行動し、仲間のスリがしくじった場合は』、『見ず知らずの町人を装った仲間が袋叩きにし、番屋に突き出す振りをして奪還した。組に所属しない流しのスリは十指全てをへし折られる凄惨な制裁を受けた』とある。]

只野真葛 むかしばなし (76) 命を救って命助かる奇譚

 

一、鈴木常八は、「うべがたり好(ずき)」[やぶちゃん注:意味不詳。識者の御教授を乞う。「うべ」は「宜」・「諾」か。「如何にも聴く者が『もっともらしい話じゃ』と感嘆する話の意か。]にて、度々(たびたび)語りしは、本庄の道具屋、川むかふの道具屋の會(くわい)に行(ゆく)事のよし。

 渡しを渡りて、例のごとく行(ゆき)しに、おもはしき品も無(なかり)しかば、金を懷に入(いれ)て歸りし事有(あり)しに、暮がたなり。

 今、船を漕出(こぎいだ)したるあとへ來て、行(ゆき)かへる迄、待(まち)てゐしに、そこら、見𢌞せば、石垣を傳へて[やぶちゃん注:ママ。]、若き夫婦と見ゆる人、ひそひそ咄(ばな)してゐるを見つけ、

『たしかに。義理に、つまりて、身を、なげる人。』

と心付(こころづき)、其そばへ行(ゆき)て云(いふ)は、

「一寸(ちよつと)見受(みうけ)た所が、たしかに、金につまりて、死心(しぬこころ)と見えるが、どこの人かは、しらねど、いとほしき事なり。私が懷に、十兩、かねが有(ある)から、是を、かしませうから、どふぞ、死なぬ工面、せられよ。」

と、いひしを、餘り、おもひかけぬ事にて、合點ゆかぬ顏して居(をり)し内、舟がつきし故、なげだして、船に、のりしとぞ。

 家に、かへりて、きげんよく、

「よいもの、買(かひ)し。」

と云(いひ)て有しとぞ。

 其後(そののち)、二年ばかり過(すぎ)て、例の如く、會に出て、歸りがけ、少し用事有(あり)て、外(ほか)へまはり、常に通る道より、外の所へ、かゝるに、ある家の内に、女房らしきもの、髮をとかしてゐしが、散(ちら)し髮にて、かけ出(いで)て、

「あなたは、たしかに、先年、お目にかゝつた、お人。」

とて、取付(とりつき)しとぞ。

 顏をみれば、金をくれし女なり。

 夫も、きゝつけて、かけいでゝ、

「先(まづ)、一寸、内へお上り被ㇾ下。」

とて、無理に引入(ひきいれ)、だんだんの禮を述べ、御蔭により、命(いのち)、たすかりし悅(よろこび)を、いひ、

「其時は、途方にくれ、御名(おんな)や、所を、もうけ給わら[やぶちゃん注:ママ。]ざりしを、くやみし事、又、『渡し場を通られし故、此邊にすまはゞ、御目にかゝる事もや。』と、家、借りし事、又、か樣(やう)に、ふしぎな、命、ひろい[やぶちゃん注:ママ。]しも、淺草の觀音樣の御蔭と、日參して、

「一度は行逢樣(ゆきあふやう)に。」

と、いのりし事、色々、くだくだしく、ならべていふを、

「いや、おそく成(なる)から、重(かさね)てきませう。」[やぶちゃん注:「重て」は、折りを見て、今一度、来ることを言っていよう。]

と斷(ことわり)ても、中々、聞かず、わざと、

「お盃(さかづき)。」

とて、酒など出(いだ)し、時刻、おくれたり。

 いそぎ、行(ゆき)てみしに、

「渡し船、かへりて[やぶちゃん注:「反りて」。転覆して。]、夥しく、人、死(しぬ)なり。」

とて、大さわぎなりしとぞ。

「折もあらんに、此日に行逢(ゆきあひ)、手間取(てまどり)て、其沈みし船に乘(のら)ざりしは、誠(まこと)に、命、救ひしかはりに、我(わが)命、たすかりしなり。」

とて、殊の外、好(よき)なるはなしなりし。

 其道具屋の、じき咄し、とぞ。

[やぶちゃん注:「本庄」当初、底本も『日本庶民生活史料集成』も注記等がないので、「川むかふ」とあることから、現在の埼玉県本庄市か(グーグル・マップ・データ)。北の端は利根川で、川向うは群馬県伊勢崎市である。しかし、後の方で浅草の観音に日参するという語りがあり、『これは、思うに「本所」の誤りではないか?』と判断するに至った。]

只野真葛 むかしばなし (75) 妖狐譚(三話)

 

一、疱瘡やみのかさぶたを喰(くふ)は、まさしく、狐のわざなり。人の目には、病人の喰(くふ)と見えて、實は、狐のくふなり、とぞ。是は人に付(つき)たる狐の、じき咄(ばなし)しなり。實(まこと)に、さること、有(ある)なり。

 或庄屋、法事ふる舞(まひ)に行(ゆき)しに、手前、油物の、しごく、かげんよかりしを、もらいて、十枚ばかり、もちて還りしが、

『爰(ここ)らには、わるい狐がゐる所。』

と思ふと、晴たる月夜なりしが、眞黑に成(なり)たり。

 よくみれば、下壱尺ばかりは、月のひかり、見えて、其上は、くらし。

 是、狐の、此油物を、ほしがるなり。

『終(つひ)にばかしとらるゝよりは。』

と思(おもひ)て、木の根に、腰かけて、はしより、だんだん、くひしが、くひしまへば、空、晴(はれ)て、元の如く成(なり)しとぞ。

 十枚の油物、法事ふる舞の跡にて喰(くは)るゝものならず。後(のち)、食當りもせねば、是もやはり喰れしなり。

 日向桃庵(ひうがたうあん)、

「品川へ遊び、御殿山の夜の花、みん。」

と、大一座、たいこ持・藝者まで、かけて、三拾人近(ちかく)の人數(にんず)、いろいろの肴(さかな)もの、とりよせ、とりよせ、酒のみ、物くひして、遊ぶに、九ッ時分[やぶちゃん注:正午頃。]になり、

「サア、家の内へ、はいつても、よかろふ。」

と、誰か、いひだし、いづれも、

「それが、よかろふ、よかろふ。」

とて、立(たち)し時、みしに、取寄たる肴共(さかなども)、

「からり」

と、骨まで、なし。

「座中の人、殘らず、空腹なりし故、夜食を、いひ付て、食(たべ)し事、有(あり)しが、たしかに、狐に、くわれしならん。」

と語られし。

[やぶちゃん注:最初の、疱瘡病みの痂(かさぶた)食い(かなりエグい話である。しかし、私が高校時代、友人に「痂を食うのが好きだ」と公言していた奇体な男が確かにいた)を一話と数えた。

「日向桃庵」不詳。名乗りからみて、父の医者仲間か。

「御殿山」江戸時代から桜の名所として知られる。ここ(グーグル・マップ・データ)。当該ウィキも参照されたい。]

只野真葛 むかしばなし (74) 井伊玄番守逝去直前の怪事

 

一、井伊玄蕃守(げんばのかみ)[やぶちゃん注:底本は「玄番」であるが、『日本庶民生活史料集成』版の表記を採用した。]樣御かくれ被ㇾ遊しは、七月十一日なり。

 六月あたり、廊下のともし火は猶の事、諸方へ出すあんどんの火、つけるやいなや、引(ひき)いる樣に、くらく成し事、有(あり)し。

「油に、まぜ物ある[やぶちゃん注:底本は『あり』でママ注記があるが、『日本庶民生活史料集成』版で訂した。]故にや。」

とて、油屋を取替などしたりしが、かわる[やぶちゃん注:ママ]。ことなく、其内、いたつて消やすき時は、仕かたなくて、蠟燭をつけて置(おき)し事、ありし。

 御大變あらんとての、しらせなるべし。

[やぶちゃん注:「井伊玄番守」まず、「玄蕃」頭(かみ)を名乗っていそうで、七月十一日が命日で、井伊姓の人物となると、江戸初期のえらく昔の話だが、近江彦根藩二代藩主で後に上野安中藩初代藩主となった井伊直勝(天正一八(一五九〇) 年二月~寛文二年七月十一日(一六六二年八月二十四日):井伊直政の長男)しかいないと思う。近江彦根藩藩主の井伊家は、後の何人もが「玄蕃頭」を名乗っている(サイト「世界帝王事典」の「井伊氏(近江彦根藩)」を参照。そこに出る以外にも「玄蕃頭」を名乗っていたらしい藩主がいることも、あるネット記事から確認出来た)。昔話として仙台藩邸の女中奉公をしている折りにでも、耳にしたものであろう。真葛は怪奇談好きだから、少しもおかしくはない。]

只野真葛 むかしばなし (73) 村上平兵衛の妄想と失踪

 

一、村上平兵衞といひし人、近比まで御目付など勤めたりしが、其ぢゞは、御身近き役【何役にや。[やぶちゃん注:底本に『原割註』とある。]】を勤めしに、其子、嫁もとり、孫も【孫は平兵衞なり。[やぶちゃん注:底本に『原割註』とある。]】有(あり)などせしが、廿人餘なるべし。

「御小性(こしやう)[やぶちゃん注:「小姓」は、江戸時代の書籍では、しばしば、かく、書かれる。]に被仰付し。」

と吹聽(ふいちやう)し、

「直々(ぢきぢき)、御入(おいり)[やぶちゃん注:江戸城へ呼ばれること。]へ相(あひ)とほさるゝ。」

と、いひ、又、

「急(いそぎ)、登り被仰付し。」

とて、已にも、あい金[やぶちゃん注:途上のための支度金か。]まで受取、たゝむとせし事有しに、

「合點、ゆかず。左樣の被仰付なし。」

といふ人、有(あり)し故、能(よく)たゞしてみしに、空事(そらごと)なり。

 其身は、信じて、きかざりしが、狐にばかされしといふ事、あらはれし、とぞ。

 父は江戶づめ、女ばかりの時にて、さやうには、せしなり。

「御城にて、被仰付。」

とて、供人つれて出(いで)し事も度々(たびたび)なり。

 いかにも、御城へ出入《でいり》せし事は、御門(ごもん)にて見しかども、何しにせし、とまでは、誰(たれ)も心つかず。

 それより、家内、心付(こころづき)、あたら、わかき人を、外出をとめて有しが、何も、少しも、心の違ひし樣にも見えねば、隱居ぢゞの、つれて、三年目の春、花見に行(ゆき)しに、人ごみにまぎれて、行衞(ゆくへ)知れず成(なり)しとぞ。

 誠に、せんかたなきなり。

[やぶちゃん注:一種の妄想性精神疾患で、見かけは正常に見えただけであろう。]

「人柱の話」(「南方閑話」版・初出稿(一部を除き注を附していない)・PDF縦書版・1.57MB)公開

南方熊楠の「人柱の話」(「南方閑話」版・初出稿(一部を除き注を附していない)・PDF縦書版・1.57MB)「心朽窩旧館」に公開した。

南方閑話 「人柱の話」(完全原文そのままの電子化で注も一部を除き附さない)

[やぶちゃん注: 「南方閑話」は大正一五(一九二六)年二月に坂本書店から刊行された。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像を視認した(リンクは表紙。猿二匹を草本の中に描いた白抜きの版画様イラスト。本登録をしないと見られない)。画像もそこからトリミングした(その都度、引用元を示す)。但し、加工データとして、サイト「私設万葉文庫」にある、電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊)を加工データとして使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。疑問箇所は所持する平凡社「南方熊楠選集3」の「南方閑話 南方随筆」(一九八四年刊・新字新仮名)その他(必要な場合は参考対象を必ず示す)で校合した。今回分はここから。

 なお、私は、本「人柱の話」は、発展的決定稿としてのそれである

「續南方隨筆」版をブログ版で全六回で完遂

しており、それ以外に、先行して、古くに

「選集」版を底本にしたサイト版「人柱の話」(新字新仮名)を電子化しており(「徳川家と外国医者」とのカップリング版)

を、さらには、

『「人柱の話」(上)・(下) 南方熊楠 (平凡社版全集未収録作品)』

も、その後に電子化している。その関係上、この際、初期決定稿の一つとして、本書のものも電子化することで、南方熊楠の「人柱の話」思考過程の全貌を見渡せるものとしたく思い、性懲りもなく電子化注することとした。

 但し、本篇の場合は、以上の通りで、特に「續南方隨筆」版のブログ版(六分割)で、さんざん、読みや注を附した関係上、特異的に、今回は、読みの追加や記号挿入、さらには、注等は一切附さず、原本に忠実に電子化して、他と本書で単行本初出となった同論文と、以上の後発版との差異を明確に示しておくこととする。但し、踊り字「〱」は生理的に厭なので、正字或いは「々」とした。これは、結果して、南方熊楠の文章が如何に読み難いかをはっきりと示すことにもなるであろう。ママ注記も、原則、打たない。但し、今回、再々読してみて、明らかに躓く(違和感がある)箇所には例外として注を入れた)。歴史的仮名遣や、漢字の誤記は勿論、書誌情報の記載等にいささか不審な部分があったりするのだが、それらも、無批判にそのままとしてある。されば、不審箇所は、決定稿であるブログ版(六分割)の本文及び私の注、或いは読みは編者によって補訂された「人柱の話」(新字新仮名)で、概ねは、明白になる。それらでも不審な箇所は、初出に当ってみる以外に方はないのだが、初出誌(大正十四年九月『變態心理』十六巻三号)はネット上では視認出来ないので、不可能である。悪しからず。

 なお、人柱を近世以前のものと勘違いしている人のために、私のブログの、

「明治6年横浜弁天橋の人柱」

をリンクさせておく。

 最後に、その代り、ブログ版が終わった後、本篇を「人柱の話」縦書PDF版として成形することとする。過去のものは総て横書だからである。

 

      人 柱 の 話

 

        

 建築土工等を固めるため人柱を立てる事は、今も或る蕃族に行なはれ其傳說や古蹟は文明諸國に少なからぬ。例せば印度の土蕃が現時も之を行なふ由時々新聞にみえ、ボムパスのサンタルパーガナス口碑集に王が婿の强きを忌んで、畜類を供えても水が湧かぬ涸池の中に乘馬のまゝ婿を立せると流石は勇士で、水が湧いても退かず、馬の膝迄きた、吾が膝まできた、背迄きたと唄ひ乍ら、彌々水に沒した。其跡を追つて妻も亦其池に沈んだ話がある。源平盛衰記にも又淸盛が經の島を築く時白馬白鞍に童を一人のせて人柱に入れたとあれば乘馬の儘の人柱も有つたらしい。但し平家物語には、人柱を立てようと議したが罪業を畏れ一切經を石の面に書いて築いたから經の島と名づけたとある。

[やぶちゃん注:以下、行空けの前までは、底本では、全体が一字下げである。これは南方熊楠がよくやる、前の文章に対する附記であることを意味する。]

 今少し印度の例を擧げると、マドラスの一砦は建築の時娘一人を壁に築き込んだ。チユナールの一橋は何度かけても落ちたから、梵種の娘を其地神に牲にし、其れがマリー乃ち其處の靈と成り凶事ある每に祭られる。カーチアワールでは城を築いたり塔が傾いたり池を掘るも水が溜らぬ時人を牲にした。シカンダールブール砦を立てた時梵種一人とズサード族の娘一人を牲にした。ボムペイのワダラ池に水が溜らなんだ時村長の娘を牲にして水が溜つた。シヨルマツト砦建立の際一方の壁が繰返し落ちたので或初生の兒を生埋すると最早落ちなんだといふ。近頃も人口調査を行ふ每に僻地の民は是は橋等の人柱に立てる人を撰ぶ爲めだと騷ぎ立つ。河畔の村人は橋が架けらるゝ每に嬰兒を人柱に取られると驚惶する(一八九六年板、クルツクの北印度俗宗及俚俗二卷頁一四。一九一六年板ホワイトヘツド南印度村神誌六〇頁六)。パンジヤブのシアルコツト砦を築くに東南の稜堡が幾度も崩れたので、占者の言に據り寡婦の獨り子の男兒を牲にした。ビルマにはマンダレイの諸門の下に人牲を埋めて守護とし、タツン砦下に一勇士の屍を分ち埋めて其砦を難攻不落にし、甚しきは土堤を固めん爲め皇后を池に沈めた。一七八〇年頃タヴオイ市が創立された時、諸門を建るに一柱每の穴に罪囚一人を入れ、上より柱を突込んだ故四方へ鮮血が飛び散つた。其靈が不斷其柱の邊にさまよひ近付く者を害するより全市を無事にすと信ぜられたのだ(タイラー原始人文篇、二板一卷、一〇七頁。バルフオール印度百科全書三板四七八頁)

 

 支那には春秋時代吳王闔閭の女藤王がすてきな癇癪持ちで、王が食ひ殘した魚をくれたと怒つて自殺した。王之を痛み、大きな冢を作って、金鼎玉杯銀樽等の寶と共に葬り、又吳の市中に白鶴を舞はし萬民が觀に來たところ、其男女をして鶴と共に家の門に入らしめ機を發して掩殺した(吳越春秋二。越絕書二)。生を殺して以て死に送る國人之を非とするとあるから無理に殉殺したのだが、多少は冢を堅固にする意も有つたらう。史記の滑稽列傳に見えた魏の文侯の時、鄴の巫が好女を撰んで河伯の妻として水に沈め洪水の豫防としたは事頗る人柱に近い。ずつと後に唐の郭子儀が河中を鎭した時、水患を止めて吳れたら自分の娘を妻に奉ると河伯に禱ると水が退いた。扨程なく其娘が疾ひなしに死んだ。其骨で人形を作り廟に祀つた。所の者子儀を德とし之を祠り河瀆親家翁乃ち河神の舅さまと名づけた。現に水に沈めずとも水神に祀られた女は久しからぬ内に死すると信じたのだ。又漢の武帝は黃河の水が瓠子の堤防を切つた時、卒數萬人を發して之を塞がしめたのみか、自ら臨んで白馬玉璧を堤の切れた處に置かしめたが奏功せず。漢の王尊東郡太守たりし時も此堤が切れた。尊自ら更民を率ひ白馬を沈め珪璧を執り巫をして祝し請はしめ自身を其堤に埋めんとした。至つて貴い白馬や玉璧を人柱代りに入れてもきかぬ故太守自ら人柱に立たんとした。本邦にも、經の島人柱の外に陸中の松崎村で白馬に乘つた男を人柱にし、その妻ともに水死した話がある(人類學雜誌三三卷一號、伊能嘉矩君の說)。江州淺井郡の馬川は洪水の時白馬現じて往來人を惱ます。是は本文に述べた白馬に人を乘せ、若くは白馬を人の代りに沈めた故事が忘れられて馬の幽靈てふ迷信ばかり殘つたと見える。其から大夏の赫連勃々が叱干阿利をして城を築かしめると、此者工事は上手だが至つて殘忍で土を蒸して城を築き、錐でもみためして一寸入ればすぐ其處の擔當者を殺し、其屍を築き込んだ。かくて築き立てた寧夏城は鐵石程堅く、明の哱拜の亂に官軍が三月餘り圍んで水攻め迄したが内變なき間は拔けなんだ。アイユランドのバリポールトリー城をデーン人が建た時、四方から工夫を集め日夜休みなし物食はずに苦役せしめ、仆るれば壁上に其體をなげかけ其上に壁を築かしめた。後ち土民がデーン人を追拂ふた時、此城が最後に落ち父子三人のみ生きて囚はれた。一同直ちに殺さうと言つたが一人勸めて之を助命し、其代りアイリツシユ人が常に羨やむデーン人特長のヘザー木から美酒を造る祕訣を傳へよと言ふた。初めは中々聽き入れなんだが、とうとう承引して、去らば傳えへよう、だが吾れ歸國して後ち此事が泄れたら屹度殺さるゝから只今眼前に此二子を殺せ、其上で祕訣を語らうと述べた。變な望みだが一向こつちに損の行かぬ事と其二子を殺すと、老父、「阿房共め、吾二子年若くて汝等に說かれて心動き、どうやら秘訣を授けさうだから殺させた、もはや秘訣は大丈夫洩るゝ氣遣ひがないわい」と大見得を切つたのでアイリツシユ人大いに怒り其老人を寸斷したが造酒の秘法は今に傳はらぬさうだ。是等は人屍を築き込むと城が堅固だと明記はし居らぬが、左樣信じたればこそ築き込んだのだ。其信念が堅かつたに由つて、極めてよく籠城したのだ(琅邪代酔編三三。史記河渠書。淵鑑類凾三六、三四〇及四三三。近江輿地誌略八五。五雜俎四。一八五九年板、ノーツ・エンド・キーリース撰抄。一〇一頁)。予が在英中親交したロバート・ダグラス男がユツ・ヘア・ケてふ占ひ書から譯した文をタイラーの原始人文篇、二板一卷一〇七頁に引いたが「大工が家を建て初めるに、先づ近處の地と木との神に牲を供ふべし。其家が倒れぬ樣と願はゞ、柱を立てるに何か活きた物を下におき其上に柱を下す。扨邪氣を除く爲め斧で柱を打ちつゝよしよし此内に住む人々は每も溫かで食事足るべしと唱へる」とある。

 

        

 日本で最も名高いのは、例の「物をいふまい物ゆた故に、父は長柄の人柱」で、姑く和漢三才圖會に從ふと、初めて此橋を架けた時水神の爲に人柱を入れねば成らぬと關を垂水村に構へて人を捕へんとす。そこへ同村の岩氏某がきて人柱に使ふ人を袴につぎあるものときめよと差いでた。所が、さういふ汝こそ袴につぎがあるでは無いかと捕はれて忽ち人柱にされた。其弔ひに大願寺を立てた。岩民の娘は河内の禁野の里に嫁したが、口は禍ひの本と父に懲りて啞で押通した。夫は幾世死ぬよの睦言も聞かず、姿有つて媚無きは人形同然と飽き果て送り返す途中交野の辻で雉の鳴くを聞き射にかゝると駕の内から妻が朗らかに「物いはじ父は長柄の人柱、鳴ずば雉も射られざらまし」とよんだ。そんな美聲を持ちながら今迄俺獨り浪語させたと憤る内にも大悅びで伴返り、それより大聲揚げて累祖の位牌の覆へるも構はずふざけ通した慶事の紀念に雉子塚を築き杉を三本植付けたのが現存すてな事だ。この類話が外國にも有り埃及王ブーシーリスの世に九年の飢饉あり、キプルス人フラシウス每年外國生れの者一人を牲にしたらよいと勸めたところが、自分が外國生れ故イの一番に殺された由(スミスの希羅人傳神誌名彙卷一)。左傳に賈大夫が娶つた美妻が言はず笑はず、雉を射取つて見せると忽ち物いひ笑ふたとある(昭公二十八年)

[やぶちゃん注:以下の一段落は先と同じく、全体が一字下げである。]

 攝陽群談一二に嵯峨の弘仁三年六月岩氏人柱に立つたと見え、卷八に其娘名は光照前、美容世に勝れて紅顏朝日を嘲るばかり也とある。今一つ類話はルマニアの古い唄に大工棟梁マヌリ或る建築に取懸る前夜夢の告げに其成就を欲せば明朝一番に其場へ來る女を人柱にせよと、扨明朝一番に來合せたはマヌリの妻だつたので之を人柱に立てたと云ふのだ(一八八九年板ジヨーンスとクロツプのマジヤール俚譚、三七七頁)

 大正十四年六月二十五日大阪每日新聞に誰かゞ橋や築城に人柱は聞かぬといふ樣に書かれたが、井林廣政氏から曾て伊豫大洲の城は立てる時お龜てふ女を人柱にしたのでお龜城と名づくと聞いた。此人は大洲生れの士族なれば虛傳でも無からう。

[やぶちゃん注:以下の一段落は先と同じく、全体が一字下げである。]

 橫田傳松氏よりの來示に大洲城を龜の域と呼んだのは後世で、古くは比地の城と唱へた。最初築いた時下手の高石垣が幾度も崩れて成らず、領内の美女一人を抽籤で人柱に立てるに決し、オヒヂと名づくる娘が中つて生埋され、其より崩るゝ事無し。東宇和郡多田村關地の池もオセキてふ女を人柱に入れた傳說ありと。氏は郡誌を編んだ人ときくから特に書付けて置く。

 淸水兵三君說(高木敏雄氏の日本傳說集に載す)には、雲州松江城を堀尾氏が築く時成功せず、每晚其邊を美聲で唄ひ通る娘を人柱にした。今も普門院寺の傍を東北を謠ひながら通れば必ず其娘出て泣くと。是は、其娘を弔ふた寺で東北を謠ふ最中を捕はつたとでもいふ譯であらう。現に予の宅の近所の邸に大きな垂技松[やぶちゃん注:「垂枝松」の誤記或いは誤植。]あり、其下を夜更けて八島を謠ふて通ると幽公がでる。昔し其邸の主人が盲法師に藝させ八島を謠ふ所を試し切りにした其幽じるしの由。いやですぜいやですぜ。

[やぶちゃん注:以下の一段落は先と同じく、全体が一字下げである。]

 英蘭とスコツトランドの境部諸州の俗信に、パウリーヌダンターは古城砦鐘樓土牢等にある怪で、不斷亞麻を打ち石臼で麥をつく樣の音を出す。其音が例より長く又高く聞ゆる時其所の主人が死又は不幸にあふ。昔しピクト人は是等の建物を作つた時土臺に人血を濺いだから殺された輩が形を現ずると。後には人の代りに畜類を生埋して寺を强固にするのが基督敎國に行はれた。英國で犬又は豚、瑞典で綿羊抔で、何れも其靈が墓場を守ると信じた(一八七九年板、ヘンダーソンの北英諸州俚俗二七四頁)。甲子夜話の大坂城内に現ずる山伏、老媼茶話の猪苗代城の龜姬、島原城の大女、姬路城天守の貴女等築城の人柱に立つた女の靈が上に引いた印度のマリー同然所謂ヌシと成りて其城を鎭守した者らしい。ヌシの事は末段に述ぶる。

 

        

 五月十八日(大正十四年)薨ぜられた德川賴倫候は屢ば揮毫に※[やぶちゃん注:「※」は「グリフウィキ」のこの字。音「テイ・ダイ」、意味は「臥す・臥せる」及び「虎の寝息」。]、城倫と署せられた。和歌山域を虎臥山竹垣域といふ所へ漢の名臣第五倫といふのと音が似た故の事と思ふ[やぶちゃん注:句点なしはママ。]そんな六かしい字は印刷に困ると諫言せうと思ふたが口から出なんだ。是もお虎てふ女を人柱にしたよりの山號とか幼時古老に聞いて面白からずと考へたによる。扨家光將軍の時日本に在つた蘭人フランシス・カロンの記に、諸侯が城壁を築く時多少の臣民が礎として壁下に敷かれんと願ひ出ることあり。自から好んで敷殺された人の上に建てた壁は損ぜぬと信ずるからで、其人許可を得て礎の下に掘つた穴に自ら橫はるを重い石を下して碎き潰さる。但しかゝる志願者は平素苦役に飽果てた奴隷だから、望みのない世に永らへるより死ぬがましてふ料簡でするのかもしれぬと(一八一一年板、ピンカートン水陸旅行全集七卷六二三頁)

 

 ベーリング・グールドの「奇態な遺風」に、蒙昧の人間が數本の杭に皮を張つた小屋をそここゝ持ち步いて暫し假住居した時代は建築に深く注意をせなんだが世が進んで礎をすえ土臺を築くとなれば、建築の方則を知ること淺きより屢々壁崩れ柱傾くをみて地神の不機嫌故と心得、恐懼の餘り地の幾分を占め用ふる償ひに人を牲に供へたと。フレザーの「舊約全書の俚俗」には、英國の脫艦水夫ジヤクソンが、今から八九十年前フィジー島で王宮改築の際の目擊談を引き居る。其は柱の底の穴に其柱を抱かせて人を埋め頭はまだ地上に出て有つたので問合すと、家の下に人が坐して柱をさゝげねば家が永く立ち居らぬと答へ、死んだ人が柱をさゝげる物かと尋ねると、人が自分の命を牲にして迄柱をさゝげる其誠心を感じて、其人の死後は神が柱をさゝげくれると云ふたと。是では女や小兒を人柱にした譯が分らぬから、雜とベーリング・グールド說の方が一般に適用し得ると思ふ。又フレザーは敵城を占領する時抔のマジナヒに斯る事を行ふ由をも說いた。今度宮城二重櫓下から出た骸骨を檢する人々の一讀すべき物だ。

 國學に精通した人より大昔し月經や精液を日本語で何と呼んだか分らぬときく[やぶちゃん注:行末で句読点なし。]滿足な男女に必ずある物だが、無暗に其名を呼ばなかつたのだ。支那人は太古より豚を飼ふたればこそ家という字は屋根の下に豕と書く。アイユランドの邊地でみる如く、人と豚と雜居したとみえる。其程支那に普通で因緣深い豕の事をマルコ・ポロがあれ丈支那事情を詳述した中に一言も記し居らぬ。又是程大な事件はなきに、一錢二錢の出し入れを洩さず帳付けながら、今夜妻が孕んだらしいと書いておく人は先づないらしい。本邦の學者宮城の櫓下の白骨一件などにあふとすぐ書籍を調べて書籍に見えぬから人柱抔全く無かつたなどいふが、是は日記にみえぬから吾子が自分の子でないといふに近い。大抵マジナヒ事は秘密に行ふもので、人に知れるときかぬといふが定則だ。其を鰻屋の出前の如く今何人人柱に立つた抔書付くべきや。こんなことは篤學の士が普ねく遺物や傳說を探つて書籍外より材料を集め硏究すべきである。

[やぶちゃん注:以下の一段落は先と同じく、全体が一字下げである。]

 中堀僖庵の萩の栞(天明四年再板)上の十一張裏に「いけこめの御陵とは大和國藥師(寺か)の後にあり、何れの御時にか采女御門の御別れを歎き生ながら籠りたる也」是は垂仁帝の世に土偶を以て人に代へ殉葬を止められたに拘らず、後代までも稀れに自ら進んで生埋にされた者が有つたのが史籍に洩れて傳說に存したと見える。所謂殉葬の内には御陵を堅むる爲めの人柱も有つたと察する。

 又そんな殘酷なことは上古蒙昧の世は知らず二三百年前に在つたと思はれぬなどいふ人も多からんが、家康公薨ずる二日前に三池典太の刀もて罪人を試さしめ、切味いとよしと聞いて自ら二三度振廻し、我此劍で永く子孫を護るべしと顏色いと好かつたといひ、コツクスの日記には、侍醫が公は老年故若者程速く病が癒らぬと答へたので、家康大に怒り其身を寸斷せしめたとある。試し切りは刀を人よりも尊んだ甚だ不條理且不人道なことが、百年前後迄もまゝ行はれたらしい。なほ木馬水牢石子詰め蛇責め貢米賃(是は領主が年貢未進の百姓の妻女を拉致して犯したので、英國にもやゝ似たことが十七世紀までも有つて、ペピース自ら行つたことが其日記に出づ)、其他確たる書史に書かねどどうも皆無で無かつたらしい殘酷なことは多々ある。三代將軍薨去の節諸候近臣數人殉死したなど虛說といひ黑め能はぬ。して見ると人柱が德川氏の世に全く行はれなんだは思はれぬ。

 

        

 こんな事が外國へ聞えては大きな國辱といふ人もあらんかなれど、そんな國辱はどの國にもある。西洋にも人柱が多く行はれ近頃まで其實跡少なくなかつたのは上に引いたベーリング・グールド其他の民俗學者が證明する。二三例を手當り次第列ねると、ロムルスが羅馬を創めた時ファスツルス、キンクチリウス二人を埋め大石を覆ふた。カルタゴ人はフヰレニ兄弟を國界に埋めて護國神とした。コルバム[やぶちゃん注:ママ。「コルムバ」が正しい。]尊者がスコツトランドのヨナに寺を立てた時、晝間仕上げた工事を每夜土地の神が壞すを防ぐとて弟子一人(オラン尊者)を生埋にした。去らば歐州が基督敎に化した後も人柱は依然行はれたので、此敎は一神を奉ずるから地神抔は薩張りもてなくなり、人を牲に供えて地神を慰めるてふ考へは追々人柱で土地の占領を確定し建築を堅固にして崩れ動かざらしむるてふ信念に變つたと、ベ氏は說いた。是に於て西洋には基督敎が行渡つてから人柱はすぐ跡を絕たなんだが之を行ふ信念は變つたと判る。思ふに東洋でも同樣の信念變遷が多少有つただらう。

 なほ基督敎一統後も歐州に人柱が行はれた二三の例を擧げれば、ヘンネベルグ舊城の壁額(レリーヴイング・アーチ)[やぶちゃん注:ルビではなく、本文。]には、重賞を受けた左官が自分の子を築き込んだ。其子を壁の内に置き菓子を與へ父が梯子に上り職工を指揮し、最後の一煉瓦で穴を塞ぐと子が泣いた。父忽ち自責の餘り梯子から落ちて頭を潰した。リエベンスタイン城も同樣で母が人柱として子を賣つた。壁が段々高く築き上らるゝと子が「かゝさんまだ見える」次に「かゝさん見えにくゝ成つた」最後に「かゝさんもうみえぬ」と叫んださうだ。アイフエルの一城には、若い娘を壁に築き込み穴一つあけ殘して死ぬまで食事を與へた。オルデンブルグのプレクス寺(無論基督敎の)を立てるに土臺固まらず、由て村吏川向ふの貧婦の子を買つて生埋にした。一六一五[やぶちゃん注:「年」の脱字。](大坂落城の元和元年)、オルデンブルグのギユンテル伯は堤防を築くに小兒を人柱にする處へ行合せ其子を救ひ、之を賣つた母は禁獄、買つた土方親方は大お目玉頂戴。然るに口碑には此伯自身の城の土臺へ一小兒を生埋にしたといふ。以上は英人が獨逸の人柱の例斗り書き集めた多くの内の四五例だが、獨人の書いたのを調べたら英佛等の例も多かろうが餘り面白からぬ事ゆえ是だけにする。兎に角歐州の方の人柱のやり方が日本よりも殘酷極まる。其歐人又其子孫たる米人が今度の唯一の例を引いて彼是れいはゞ、百步を以て五十步を責る者だ。

 

       [やぶちゃん注:「五」の誤り。以下、ずれたままで続いてしまっている。]

 英國で最も古い人柱の話は有名な術士メルリンの傳にある。此者は賀茂の別雷神同然、父なし子だつた。初め基督生まれて正法大に興らんとした際邪兇輩失業難を憂ひ相謀つて一の法敵を誕生せしめ大に邪道を張るに決し、英國の一富家に禍を降し、先づ母をして其獨り息子を鬼と罵らしめて眠中其子を殺すと、母は悔ひて縊死し、父も悲んで悶死した。跡に娘三人殘つた。其頃英國の法として私通した女を生埋し、若くは誰彼の別なく望みさへりや男の意に隨はしめた。邪鬼の誘惑で、姉娘先づ淫戒を犯し生埋され、次の娘も同樣の罪で多人の慰み物と成つた。季娘大に怖れて聖僧プレイスに救ひを求め、每夜祈禱し十字を畫いて寢よと敎へられた。暫く其通りして無事だつた處、一日隣人に勸められて飮酒し、醉つて其姉と鬪ひ自宅へ逃げ込んだが、心騷ぐまゝ祈禱せず十字も畫かず睡つた處を、好機會逸す可らずと邪魔に犯され孕んだ。斯くて生まれた男兒がメルリンで容貌優秀乍ら全身黑毛で被はれて居た。こんな怪しい父なし子を生んだは怪からぬ[やぶちゃん注:「南方熊楠選集 第四巻」底本の「人柱の話」でも同様。「普通でないどころではなく、とんでもないことだ!」という強調形慣用語であるが、文法的には誤りである。恐らくは打消の助動詞「ぬ」は怒髪した誰かが誤って添えてしまったものと思われており、余程、頭に来た誰彼が怒りに任せて対象を全否定するために「ぬ」を誤用付加してしまったのではないかと考えられているようである。現代の表記「怪しからん(!)」だと、その違和感は完全に減衰しており、文法的誤謬性は消えてしまっていて、我々も普通にそう言ってしまっている。]と其母を法廷へ引出し生埋の宣告をするとメルリン忽ち其母を辯護し、吾れ實は强勢の魔の子だが聖僧ブレイス之を豫知して生れ落ちた卽時に洗禮を行はれたから邪道を脫れた。予が人の種でない證據に過去現在未來のことを知悉し居り、此裁判官抔の如く自分の父の名さへ知らぬ者の及ぶ所でないと廣言したので、判官大に立腹した。メルリン去らば貴公の母を喚べと云ふので母を請じメを別室に延いてわれは誰の實子ぞと問ふと、此町の受持僧の子だ。貴公の母の夫だつた男爵が旅行中の一夜母が受持僧を引入て會ひ居る處へ夫が不意に還つて戶を敲いたので窓を開いて逃げさせた。其夜孕んだのが判官だ、是が虛言かと詰ると、判官の母暫く閉口の後ち實に其通りと告白した。そこで判官嚴しく其母を譴責して退廷せしめた跡で、メルリン曰く、今公の母は件の僧方へ往つた。僧は此事の露顯を慙ぢて直ちに橋から川へ飛入つて死ぬと。頓て其通りの成行きに吃驚して、判官大にメを尊敬し卽座に其母を放還した。其から五年後ブリトン王ヴヲルチガーンは自分は前王を弑して位を簒ふた者故いつどんな騷動が起るか知れぬとあつて、其防ぎにサリスベリー野に立つ高い丘に堅固な城を構へんと、工匠一萬五千人をして取掛らしめた。所が、幾度築いても其夜の間に壁が全く崩れる。因つて星占者を召して尋ねると、七年前に人の種でない男兒が生まれ居る。彼を殺して其血を土臺に濺いだら必ず成功すると言つた。隨つて英國中に使者を出してそんな男兒を求めしめると、其三人がメルリンが母と共に住む町で出會ふた。其時メルリンが他の小兒と遊び爭ふと一人の兒が、汝は誰の子と知れず、實は吾れ吾れを害せんとて魔が生んだ奴だと罵る。扨は是がお尋ね者と三人刀を拔いて立向ふと、メルリン叮嚀に挨拶し、公等の用向きは斯樣々々でせう、全く僕の血を濺いだつて城は固まらないと云ふ。三使大に驚き其母に逢ふて其神智の事共を聞いて彌よ呆れ請ふてメと同伴して王宮へ歸る。途上で更に驚き入つたは先づ市場で一靑年が履を買ふとて懸命に値を論ずるを見てメが大いに笑ふた。其譯を問ふに彼は其履を手に入れて自宅に入る前に死ぬ筈と云ふたが果して其如くだつた。翌日葬送の行列を見て又大に笑ふたから何故と、尋ねると比[やぶちゃん注:「此」の誤記か誤植。]死人は十歲計りの男兒で行列の先頭に僧が唄ひ後に老年の喪主が悲しみ往くが、此二人の役割が顚倒し居る。其兒實は其僧が喪主の妻に通じて產ませた者故可笑しいと述べた。由て死兒の母を嚴しく詰ると果して其通りだつた。三日目の午時頃途上に何事も無きに又大に笑ふたので仔細を質すと只今王宮に珍事が起つたから笑ふた、今の内大臣は美女が男裝した者と知らず、王后頻りに言寄れど從はぬから戀が妬みに變じ、彼れは妾を强辱しけたと讒言を信じ、大臣を捉えて早速絞殺の上支解せよと命じた所だ。だから公等のうち一人忙ぎ歸つて大臣の男たるか女たるかを檢査し其無罪を證しやられよ、而して是は僕の忠告に據つたと申されよと言ふた。一使早馬で駈付け王に勸めて、王の眼前で内大臣が女たるを檢出して之を助命したとあるから餘程露骨な檢査をしたらしい。扨是れ漸く七歲のメルリンの告げたところと云ふたので、王早く其兒に逢ふて城を固むる法を問はんと自ら出迎へてメを宮中に招き盛饌を供し、翌日伴ふて築城の場に至り夜になると必ず壁が崩るゝは合點行ぬといふに、其は此地底に赤白の二龍が凄み每夜鬪ふて地を震はすからと答へた。王乃ち深く其地を掘らしめると果して二つの龍が在り大戰爭を仕出し赤い方が敗死し白いのは消失せた。斯くて築城は功を奏したが王の意安んぜず。二龍の爭ひは何の兆ぞと問ふこと度重なりてメルリン是非なく、王が先王の二弟と戰ふて敗死する知らせと明して消え失せた。後果して城を攻落され王も后も焚死したと云ふ。(一八一一年版エリス著、初世英國律語體傳奇集例、卷一、二〇五―四三頁) 英國デヷオン州ホルスヲーシーの寺の壁を十五世紀に建てる時人柱を入れた。アイユランドにも圓塔下より人の骸骨を掘出したことがある。(大英百科全書、十一板、四卷七六二頁)

 

       [やぶちゃん注:既に述べた通り、「」の誤り。]

 一四六三年獨逸ノガツトの堰を直すに乞食を大醉させて埋め、一八四三年、同國ハルレに新橋を立てるに人民其下に小兒を生埋せうと望んだ。丁抹首都コツペンハーゲンの城壁每も崩れる故、椅子に無事の小兒を載せ玩具食品をやり他意なく食ひ遊ぶを、左官棟梁十二人して圓天井をかぶせ喧ましい奏樂紛れに壁に築き込んでから堅固と成つた。伊國のアルタ橋は繰返し落ちたから其大工棟梁の妻を築き込んだ。其時妻が咀[やぶちゃん注:「詛」の誤記か誤植。]ふて今に其橋花梗[やぶちゃん注:「くわこう」は「花柄」(かへい)のこと。花軸から分かれ出て、その先端に花をつける小さな枝を言う。]の如く動搖する。露國のスラヴエンスク黑死病で大に荒され、再建の節賢人の訓へに隨ひ、一朝日出前に人を八方に使して一番に出逢ふ者を捕へると小兒だつた。乃ち新砦の礎の下に生埋して之をヂエチネツ(小兒城)と改稱した。露國の小農共は每家ヌシあり、初めて其家を立てた祖先がなる處と信じ、由つて新たに立つ家の主人或は最初に新立の家に步みを入れた者がすぐ死すと信ず。蓋し古代よりの風として初立の家には其家族中の最も老いた者が一番に入るのだ。或る所では家を立て始める時斧を使ひ初める大工が或る鳥又は獸の名を呼ぶ。すると其畜生は速に死ぬといふ。その時大工に自分の名を呼ばれたらすぐ死なねばならぬから、小農共は大工を非常に慇懃に扱つて己の名を呼ばれぬやう力める。ブルガリアでは家を建てに掛るに通り掛つた人の影を糸で測り礎の下に其糸を埋める。其人は直ちに死ぬさうだ。但し人が通らねば一番に來合せた動物を測る。又人の代りに鷄や羊などを殺し其血を土臺に濺ぐこともある。セルヴヰアでは、都市を建てるに人又は人の影を壁に築き込むに非ざれば成功せず。影を築き込まれた人は必ず速かに死すと信じた。昔し其國王と二弟がスクタリ砦を立てた時晝間仕上げた工事を夜分鬼が壞して已まず。因つて相談して三人の妃の内一番に食事を工人に運び來る者を築き込まうと定めた。王と次弟は私かに之を洩らしたので其妃共病と稱して來たらず。末弟の妃は一向知ずに來たのを王と次弟が捕へて人柱に立てた。此妃乞ふて壁に穴を殘し、每日其兒を伴れ來らせて其穴から乳を呑せること十二ケ月にして死んだ。今に其壁より石灰を含んだ乳樣の水が滴るを婦女詣で拜む(タイラーの原始人文篇、二板一卷、一〇四―五頁。一八七二年板、ラルストンの露國民謠、一二六―八頁)。

 其からタイラーは人柱の代りに獨逸で空棺を、丁抹で羊や馬を生埋にし、希臘では礎を据えた後ち一番に通り掛つた人は年内に死ぬ、其禍を他に移さんとて左官が羊鷄を礎の上で殺す、ドイツの古話に橋を崩さずに立てさせくれたら渡り初る者をやらうと鬼を欺むき、橋成つて一番に鷄を渡らせたことを述べ、同國に家が新たに立つたら先づ猫か犬を入らしむるがよいといふ等の例を列ねある。日本にも甲子夜話五九に、「彥根侯の江戶邸は本と加藤淸正の邸で其千疊敷の天井に乘物を釣下げあり、人の開き見るを禁ず、或は云く淸正、妻の屍を容れてあり。或は云ふ、此中に妖怪居て時として内より戶を開くをみるに老婆の形なる者みゆと、數人の所話如是」と。是は獨逸で人柱の代りに空棺を埋めた如く、人屍の代りに葬式の乘物を釣下げて千疊敷のヌシとしたので有るまいか。同書卅卷に「世に云ふ姬路の城中にオサカベと云ふ妖魁あり、城中に年久しく住りと、或は云ふ、天守櫓の上層居て常に人の入るを嫌ふ、年に一度其城主のみ之に對面す。其餘は人懼れて登らず、城主對面する時、姥其形を現はすに老婆也と云ひ傳ふ。(中略)姬路に一宿せし時宿主に問ふに成程城中に左樣の事も侍り、此所にてハツテンドウと申す。オサカベとは言ず、天守櫓の脇に此祠ありて其の神に事うる社僧あり、城主も尊仰せらると。」老媼茶話に加藤明成猪苗代城代として堀部主膳を置く、寬永十七年極月主膳獨り座敷に在るに禿一人現じ、汝久しく在城すれど今に此城主に謁せず、急ぎ身を淨め上下を著し敬んで御目見えすべしといふ。主膳此城主は主人明成で城代は予なり、外に城主ある筈無しと叱る。禿笑ふて、姬路のオサカベ姬と猪苗代の龜姬を知らずや汝命數既に盡たりと云ひ消失す。翌年元朝主膳諸士の拜禮を受けんとて上下を著し廣間へ出ると、上段に新しい棺桶があり其側に葬具を揃えあり、其夕大勢餅をつく音がする。正月十八日主膳厠中より煩ひ付き廿日の曉に死す。其夏柴崎といふ士七尺許りの大入道を切るに古い大ムジナだつた。爾來怪事絕えたと載せ、又姬路城主松平義俊の兒小姓森田圖書十四歲で傍輩と賭してボンボリを燈し、天守の七階目へ上り三十四五のいかにも氣高き女十二一重をきて讀書するを見、仔細を話すと、爰迄確かに登つた印にとて兜のシコロをくれた。持つて下るに三階目で大入道に火を吹消され又取つて歸し、彼女に火をつけ貰ひ歸つた話を出す。此氣高き女乃ちオサカベ姬で有らう。嬉遊笑覽などをみると、オサカベは狐で時々惡戲をして人を騷がせたらしい。扨ラルストン說に露國の家のヌシ(ドモヴヲイ)は屢々家主の形を現じ其家を經濟的によく取締り、吉凶ある每に之を知らすが又屢ば惡戲をなすと。而して家や城を建てる時牲にされた人畜がヌシになるのだ。類推するに龜姬オサカベ等も人柱に立てられた女の靈が城のヌシに成つたので後ちに狐狢と混同されたのだらう。又予の幼時和歌山に橋本てふ士族あり、其家の屋根に白くされた馬の髑髏が有つた。昔し祖先が敵に殺されたと聞き其妻長刀を持つて驅付たが敵見えず、せめてもの腹癒せに敵の馬を刎ね其首を持ち歸つて置いたと聞いた。然し、柳田君の山島民譚集一に馬の髑髏を柱に懸けて鎭宅除災の爲めにし又家の入口に立てゝ魔除とする等の例を擧げたのを見ると、橋本氏のも丁抹で馬を生埋する如く家のヌシとして其靈が家を衞りくれるとの信念よりしたと考へらる。柳田君が遠州相良邊の崖の橫穴に石塔と共に安置した馬の髑髏などは、馬の生埋めの遺風で、其崖を崩れざらしむる爲に置いた物と惟ふ。

 予は餘り知らぬ事だが、本邦でも上述の英國のパウリーや露國のドモヴヲイに似た奧州のザシキワラシ、三河、遠江のザシキ小僧、四國の赤シヤグマ等の怪がある。家の仕事を助け、人を威し、吉凶を豫示し、時々惡戲をなすなど歐州の所傳に異ならぬ。是等悉く人柱に立てた者の靈にも非ざるべきが、中には昔し新築の家を堅めんと牲殺された者の靈も多少あることと思ふ。飛驒紀伊其他に老人を棄殺した故蹟が有つたり、京都近くに近年迄夥しく赤子を壓殺した墓地が有つたり、日本紀に歷然と大化新政の詔を載せた内に、其頃迄も人が死んだ時自ら縊死して殉し又他人を絞殺し又强ひて死人の馬を殉殺しとあれば垂仁帝が殉死を禁じた令も洵く[やぶちゃん注:恐らく「洽」「浹」の誤記か誤植で、「あまねく」である。]行はれなんだのだ。扨信濃國では妻が死んだ夫に殉ずる風が行はれたといふ。久米邦武博士(日本古代史、八五五頁)も云はれた通り、其頃地方の殊俗は國史に記すこと稀なれば尋ぬるに由なきも、奴婢賤民の多い地方には人權乏しい男女小兒を家の土臺に埋めたことは必ず有るべく、其靈を其家のヌシとしたがザシキワラシ等として殘つたと惟はる。ザシキワラシ等のことは大正十三年六月の人類學雜誌佐々木喜善氏の話、又柳田氏の遠野物語等にみゆ。

 

 數年前の大阪每日紙で、曾て御前で國書を進講した京都の猪熊先生の宅には由來の知れぬ婦人が時々現はれ、新來の下女などは之を家内の一人と心得ることありと讀んだ。沈香も屁もたきもひりもしないでたゞ現はれるだけらしいが、是も其家のヌシの傳を失した者だらう。其から甲子夜話二二に大阪城内に明ずの間あり、落城の時婦女自害せしより一度も開かず之に入り若くは其前の廊下に臥す者怪異に逢ふと。叡山行林院に兒がやとて開かざる室あり之を開く者死すと(柳原紀光の閑窓自語)。昔し稚兒が寃死した室らしい。歐州や西亞にも、佛語で所謂ウーブリエツトが中世の城や大家に多く、地底の密室に人を押籠め又陷れて自ら死せしめた。現に其家に棲んで全く氣付かぬ程巧みに設けたのもあると云ふ(バートンの千一夜譚二二七夜譚注)。人柱と一寸似たこと故書添へ置く。

 又人柱でなく、刑罰として罪人を壁に築き込むのがある。一六七六年巴里板、タヴエルニエーの波斯紀行一卷六一六頁に盜人の體を四つの小壁で詰め頭だけ出してお慈悲に煙草をやり死ぬ迄すて置く、其切願のまゝ通行人が首を刎ねやるを禁ず、又罪人を裸で立たせ四つの壁で圍ひ頭から漆喰ひを流しかけ堅まる儘に息も泣くこともできずに惱死せしむと。佛國のマルセルス尊者は腰迄埋めて三日晒されて殉殺したと聞くが頭から塗り籠められたと聞かぬと、一六二二年に斯る刑死の壁を見てピエトロ・デラワレが書いた。

 嬉遊笑覽卷一上に、「東雅に、南都に往て僧寺のムロと云ふ物をみしかど上世に室と云し物の制ともみえず、本是れ僧寺の制なるが故なるべしと云ふは非也、そは宮室に成ての製也、上世の遺跡は今も古き窖の殘りたるが九州などには有ると云へり。彼の土蜘蛛と云し者などの住みたる處なべしとかや、近くは鎌倉に殊に多く、是亦上世の遺風なるべし、農民の物を入れおく處に掘たるも多く、又墓穴もあり、土俗是れをヤグラと云ふ。日本紀に兵庫をヤグラと讀るは、箭を納る處なれば也、是は其義には非ず谷倉の義なるべし。因て塚穴をもなべていふ。實朝公の墓穴には岩に彫物ある故に繪かきやぐらといふ。又囚人を籠るにも用ひし迚、大塔の宮を始め景、唐糸等が古跡あり(下略)」紀州東牟婁郡に矢倉明神の社多し。方言に山の嶮峻なるを倉といふ。諸莊に嶮峻の巖山に祭れる神を矢倉明神と稱すること多し。大抵は皆な巖の靈を祭れるにて別に社がない。矢倉のヤは伊波の約にて巖倉の義ならむとは紀伊續風土記八一の說だ。唐糸草紙に、唐糸の前賴朝を刺んとして捕はれ石牢に入れられたとあれば、谷倉よりは岩倉の方が正義かも知れぬ。孰れにしても此ヤグラは櫓と同訓ながら別物だ。景淸や唐糸がヤグラに囚はれたとあるより、早計にも二物を混じて、二重櫓の下に囚はれ居た罪人の骸骨が出たなど斷定する人もあらうかと豫め辯じ置く。

 

2023/07/28

怪異前席夜話 正規表現版・オリジナル注附 巻之二 「二囘 狐鬼 下」(巻之二は本篇のみ)

[やぶちゃん注:「怪異前席夜話(くわいいぜんせきやわ)」は全五巻の江戸の初期読本の怪談集で、「叙」の最後に寛政二年春正月(グレゴリオ暦一七九〇年二月十四日~三月十五日相当)のクレジットが記されてある(第十一代徳川家斉の治世)。版元は江戸の麹町貝坂角(こうじまちかいざかかど)の三崎屋清吉(「叙」の中の「文榮堂」がそれ)が主板元であったらしい(後述する加工データ本の「解題」に拠った)。作者は「叙」末にある「反古斉」(ほぐさい)であるが、人物は未詳である。

 底本は早稲田大学図書館「古典総合データベース」の同初版本の画像を視認した。但し、加工データとして二〇〇〇年十月国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』の「初期江戸読本怪談集」所収の近藤瑞木(みづき)氏の校訂になるもの(玉川大学図書館蔵本)を、OCRで読み込み、使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 なるべく表記字に則って起こすが、正字か異体字か、判断に迷ったものは、正字を使用した。漢字の読みは、多く附されてあるが、読みが振れると思われるものと、不審な箇所にのみ限って示すこととした。逆に、必要と私が判断した読みのない字には《 》で歴史的仮名遣で推定の読みを添えた。ママ注記は歴史的仮名遣の誤りが甚だ多く、五月蠅いので、下付けにした。さらに、読み易さを考え、句読点や記号等は自在に附し、オリジナル注は文中或いは段落及び作品末に附し、段落を成形した。踊り字「〱」「〲」は生理的に厭なため、正字或いは繰り返し記号に代えた。

 また、本書には挿絵があるが、底本のそれは使用許可を申請する必要があるので、単独画像へのリンクに留め、代わりに、この「初期江戸読本怪談集」所収の挿絵をトリミング補正・合成をして、適切と思われる箇所に挿入することとした。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。

 なお、本話は「巻之一」の「二囘 狐精鬼靈寃情を訴ふる話」の続篇であるので、そちらを読まれていない方は、まず、そちらから読まれたい。

 

 怪異前席夜話  二

 

怪異前席夜話巻之二

   〇狐鬼(こき) 下

 斯面(かくて)つく[やぶちゃん注:ママ。「次ぐ」。翌日。]の夕べ、蘭(らん)は藥(くすり)を携へきたりて、暁(さとあき)明に、すゝむ。

 暁明、その時、戲(たわむれ[やぶちゃん注:ママ。])て云(いゝ[やぶちゃん注:ママ。])けるは、[やぶちゃん注:前回分で述べたが、「携」は異体字のこれ(「グリフウィキ」)であるが、表示出来ないので、かく、した。以下も同じ。]

「汝を、『きつねなり。』といふ人あり。我は信にせずといへとも[やぶちゃん注:ママ。]、傳へきく、『狐は、人を惑(まどは)するものにて、その人、かならす[やぶちゃん注:ママ。]、命(めい)を失ふ。』といへり。こゝにおゐて、少しく、おそれなきにあらず。」

 蘭、是を聞(きゝ)て、忽(たちまち)おとろき[やぶちゃん注:ママ。]

「何人《なんびと》か、我を、きつねと、いふしや。」

と問《とふ》。

 暁明、うち笑ひて、「是や、わか[やぶちゃん注:ママ。]一時の戲言(たはむれ)なり。」

 蘭[やぶちゃん注:ママ。]か、いわく、

「狐は、人を惑せども、人の命を害する事、なし。人を害するは、鬼霊(きれい)にて候覽(《さふらふ》らん。今、妾(せう)か[やぶちゃん注:ママ。]來(きた)るを知(しり)て、背後(かげ[やぶちゃん注:蔭。])にて、そしるものありと、覺ゆ。君、包まずして語りたまへ。」

 暁明、なを[やぶちゃん注:ママ。]、笑(わらつ[やぶちゃん注:ママ。])て、こたへず。

 蘭は、いよいよ責(せめ)て問。

 全方(せんかた)[やぶちゃん注:ママ。「詮方」。]なく、終(つい[やぶちゃん注:ママ。])に白露か[やぶちゃん注:ママ。]ことを語りしかは[やぶちゃん注:ママ。]、蘭、大《おほき》に、おとろき[やぶちゃん注:ママ。]

「あれは、もとより、君の顏色(かんしよく[やぶちゃん注:ママ。])、憔悴(おとろへ)給ふを不思儀なりと覺へ[やぶちゃん注:ママ。]しに、偖社(さてこそ)、君を蠱惑(まどわす[やぶちゃん注:ママ。])もの有《あり》けるよ。是、定《さだめ》て、人間に、あらじ。妾、しばらく、身を匿(かく)すべき間《あひだ》、きみ、かれを、まねき、密(ひそか)に、妾に窺(うかゝわ[やぶちゃん注:ママ。])せたまゑ[やぶちゃん注:ママ。]。その邪正(じやせい)を监定(めきゝ)すべし。」[やぶちゃん注:「监」「鑑」の異体字。]

と、おくの方にいりて、身を隱し居《を》るに、暁明、やかて[やぶちゃん注:ママ。]、かの練絹(ねりきぬ)を、とり出して、手に弄(らう)すると斉(ひと)しく、白露、戶外(そと)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]に來り、伺ふ。

 暁明、その手を携へて、坐敷に俦(ともな)ひ入(いり)、つねのことく[やぶちゃん注:ママ。]、もの語りするに、白露、よろこふ[やぶちゃん注:ママ。]氣(け)しきなく、いふけるは、[やぶちゃん注:俦「儔」(ここは「伴う」の意)の異体字。]

「君、すてに野狐(やこ)を愛し給ふ。妾、まことを盡(つく)すとも、ついに[やぶちゃん注:ママ。]秋の扇(おふき[やぶちゃん注:ママ。])と、すてられ、婕妤(しやうよ[やぶちゃん注:ママ。]「せふよ」が正しい。)が怨(うらみ)を懷(いだか)んのみ。」[やぶちゃん注:後半部は、班婕妤(はんしょうよ)の故事。班婕妤(班女とも呼ぶ)は前漢の女官(婕妤は女官の階級名)。成帝に仕えたが、寵を趙飛燕姉妹に奪われ、その後は退いて、太后に仕えた。君寵の衰えた我が身を秋の扇に喩えて作ったとされる「文選」所収の「怨歌行」、別名「団扇歌」は、その時の悲しみを歌ったものされ(但し、擬作とされている)、男の愛を失った女の喩えとして「秋の扇」という故事成句が出来た。]

抔(な)ど、言葉の終らざるうちに、奧のかたにて、咳嗽(しばふき[やぶちゃん注:ママ。])の声、しきりに聞へけれは[やぶちゃん注:ママ。]、しら露、遽(あわ)てる風情にて、

「君か[やぶちゃん注:ママ。]斉中[やぶちゃん注:以前にも出たが、「書斎の中」(実際には書斎を中心とした屋敷の意)。]は、外(ほか)に人ありと覺へたり。妾は、いそき[やぶちゃん注:ママ。]、歸らん。」

とて、

「ずつ」

と、はしり出《いで》て去る。

[やぶちゃん注:「咳嗽」通常、「しはぶき」と訓ずる。ここは、「わざと咳(せき)をすること・咳払い」の意。

「遽」の字は底本では異体字のこれ(「グリフウィキ」)だが、表示出来ないので、通用字とした。]

 此時、蘭、奧より出來《いできた》りけれは[やぶちゃん注:ママ。]、暁明か[やぶちゃん注:ママ。]、いふ。

「汝は、今の、白露を、見しや。」

と聞《きこえ》けれは[やぶちゃん注:ママ。]、蘭、ため息して、

「扨々(さてさて)、危(あやふ)き事かな。君か[やぶちゃん注:ママ。]命、風前(ふうぜん)の燈火(ともしび)、日かけ[やぶちゃん注:ママ。「日蔭」。]まつ間《ま》の蜉蝣(かけろう[やぶちゃん注:ママ。「かげろふ」。以上は、カゲロウ類が朝に生まれて夕べに死ぬとされたことから。但し、実際の同類や「カゲロウ」という和名を持つ複数の全くの別種類は(私の「橋本多佳子 生前句集及び遺稿句集「命終」未収録作品(23) 昭和二十三(一九四八)年 百十七句」の「薄翅かげろふ墜ちて活字に透きとほり」の句の注を参照されたい)、実際には成虫の寿命はもっと短い種(最短では一~二時間)さえある。])のことし[やぶちゃん注:ママ。]。妾、今、かれを伺ふに人間にあらず。既に此世を秋風(あきかぜ)の、芒(すゝき)生出(おひ《で》)る斗《ばかり》なり。髑髏(されかうべ)にては候也。君、かれを、親しみ給ふときは、ついに、病、膏肓(かうかう[やぶちゃん注:ママ。「かうくわう」が正しい。])に入《いり》、䐡(ほぞ)[やぶちゃん注:「臍」の異体字。]を噬(かむ)とも益(ゑき[やぶちゃん注:ママ。])なからん。願《ねがは》くは、此後(《この》のち)、かれと恩愛の情を割(さき)、ふたたび近づけ給ふな。」

といふに、暁明、笑《わらひ》て云《いひ》けるは、

「あのことき[やぶちゃん注:ママ。]淑女(たをやめ)、何をもつて髑髏とは、いふぞ。また、我病《わがやまひ》は、曽(かつ)て、なし。汝、さほどに、ねたみ給ふな。」

と、正色(まかほ)になりて、蘭に語れは[やぶちゃん注:ママ。]

「妾は、緣ありてこそ、同床(《おなじ》とこ)の恩を受(うけ)、君(きみ)の危きを見るに、うち捨(すて)もいかゝ[やぶちゃん注:ママ。]と、拯(すく)ひ參らせんとすれば、終(つい[やぶちゃん注:ママ。])に、金言(きんけん[やぶちゃん注:ママ。])、耳にさからひ、却(かへつ)て嫉妬の名を、かうむる。悲しいかな、傷ましいかな。是より永く、訣(わk)れ參らせん。」

と、淚を流し、出行《いでゆ》けり。

 暁明、あわてゝ留《とどめ》んとせしか[やぶちゃん注:ママ。]、はやくも、姿は、見へさり[やぶちゃん注:ママ。]けり。

 独(ひとり)殘りし暁明は、ぼう然として居《をり》けるに、

「よしや、芳野の[やぶちゃん注:底本では「の」は踊り字「ゝ」であるが、躓くので、かく、した。]中(なか)絕(たへ[やぶちゃん注:ママ。])て、妹背(いもせ)の山は隔(へだ)つとも、爰(こゝ)にも人のありけり。」

と、又、練絹を手に取れは[やぶちゃん注:ママ。]、白露、ふたゝひ[やぶちゃん注:ママ。]來りたり。

 暁明、やかて[やぶちゃん注:ママ。]、かき抱き、

「我、汝を愛する事、璧(たま)のことしといへとも[やぶちゃん注:ママ。]、汝を、『髑髏なり。』と、いふもの、あり。少しく、疑(うたがひ)、なきに、あらず。」

と、いふけれは[やぶちゃん注:総てママ。]、白露、愕(おどろ)く面色(めんしよく)にて、淚を流し、

「是、察するに、野狐の精(せい)か。君と妾《せう》との恩愛を、嫉妒《しつと》[やぶちゃん注:「妒」は「妬」の異体字。]する心より、谗言(そらごと)[やぶちゃん注:「谗」は「讒」の異体字。]せしならん。もし、かれか[やぶちゃん注:ママ。]言葉を、誠とし給わゝ[やぶちゃん注:総てママ。「給はば」。]、妾は、ふたゝび、來るまし[やぶちゃん注:ママ。]。」

と、暁明か[やぶちゃん注:ママ。]ひざにうち倒れて、暗々(さめさめ[やぶちゃん注:ママ。後半は踊り字「〱」。])と泣(なく)すがた、正(まさ)に是こそ、昨夜、春風(しゆんふう)、惡(あし)く、桃李の花(はな)の散(ちり)なんとする粧(よそほひ)。

 暁明、心地(こゝち)まとひ、百計(とかふ[やぶちゃん注:ママ。副詞「とかく(兎角)」の変化した「とかう」の当て字・当て訓。「あれやこれや」の意。])慰め、

「今のこと葉は、戲《たはむれ》ぞかし。必、心に介(かけ)給ひぞ[やぶちゃん注:総てママ。「そ」でないと意味が通じない。]。」

と、是より、いやましの愛着(あいぢやく)、片時(へんし)の間(ま)も側(そば)を去(さら)しめず、昼夜(ちうや)、偕老同穴(かいらう《どう》けつ)のちかひは、いふもくたくたし[やぶちゃん注:総てママ。底本では後半の「くた」は踊り字「〱」。「くだくだし」。]

 かくて一月ほども過(すぐ)るに、暁明、ふと、病(やまひ)を得、身体、大《おほい》に困頓(くるしみ)、漸々(せんせん[やぶちゃん注:ママ。]底本では後半は踊り字「〱」。)に重(おも)るほどに、終(つい[やぶちゃん注:ママ。])に、水も、咽(のど)に、くだらす[やぶちゃん注:ママ。]、粒類(ごく[やぶちゃん注:ママ。]《るゐ》)を食(くう[やぶちゃん注:ママ。])に、たちまち、呕出[やぶちゃん注:「呕」は「嘔」の異体字。但し、底本では、(つくり)の「区」の明いている右部分にもしっかり縦画があり、誤刻と思われる。]し、形(かたち)、甚《はなは》た[やぶちゃん注:ママ。]おとろへ、一絲(ひとすじ[やぶちゃん注:ママ。])の息(いき)は通(かよ)へども、精神、恍惚として、日《ひ》に、幾度(いくど)か、死し[やぶちゃん注:失神・気絶の意。]、また、甦(よみがへ)る。

 苦しきなかにも、白露か[やぶちゃん注:ママ。]、側《そば》に在(ある)を知つて、長嘆して、云けるは、

「我、悔(くへ[やぶちゃん注:ママ。])らくは、蘭か[やぶちゃん注:ママ。]詞を用ひず、命(いのち)、旦夕(たんせき)に、せまりける。」

 白露、是を聞(きゝ)て、抑首(うつむき)て、更に、詞(ことば)、なし。

 暁明、今は、せん方なく、

「嗚呼(あゝ)、苦しいかな。」

と叫ひしか[やぶちゃん注:総てママ。]、忽(たちまち)に、目を瞑(ふさ)き[やぶちゃん注:ママ。]、やゝありて、蘇生(そせい)し、あたりを見れば、白露は、いつ地(ぢ)[やぶちゃん注:ママ。]へ行(ゆき)けん、姿は、見ヘず。

 暁明、いよいよ、後悔する所に、戶外(そと)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]に、人、來《きた》るあり、声、低(ひきゝ[やぶちゃん注:ママ。])いふは、

「郞君(きみ)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]、妾(せう)か[やぶちゃん注:ママ。]詞《ことば》、今こそ、思ひ知らせ給はん。」

といふ。

 その声、正(まさ)しく蘭なれは[やぶちゃん注:ママ。]、暁明、あるひ[やぶちゃん注:ママ。]は、よろこび、或は、悲しみ、起(おき)んとすれども、身體(しんたい)重くて、心にまかせねは[やぶちゃん注:ママ。]、苦しき息をつぎて云《いふ》。

「我、汝に負(そむ)きたり。願くは、日頃の契り、空(むなし)うせず、命をすくひ得させよかし。」

 蘭、答《こたへ》ていふは、

「君か[やぶちゃん注:ママ。]病ひ、たとへ、扁藉(へんじやく[やぶちゃん注:ママ。「へんしゃ」が正しいか。ただ、この熟語、意味不明である。])、再生すとも、施すべき術《すべ》あらんや。妾、一旦、別れ參らせぬれども、日頃の夫妻の情(じやう)、忘れがたく、いとま乞(こひ)を爲(す)べきためにこそ、假(かり)に、再(ふたゝ)ひ[やぶちゃん注:ママ。]見(まみゆ)るなり。」

 暁明、是を聞(きゝ)て、大に悲しみ、泪(なみだ)、漣如(はらはら)として、床の下より、一疋の練絹、とり出《いだ》し、

「只、恨めしきは、此《この》物件(もの)なり。われに代り、引(ひき)さき捨(すて)よ。」

と投出(なげ《いだ》)すを、蘭、とりあけて[やぶちゃん注:ママ。]、燈(あかり)の下におゐて[やぶちゃん注:ママ。]、よくよく見るに、白露、斎の戶を、押明(おしあけ)、入り來りしか[やぶちゃん注:ママ。]、蘭か[やぶちゃん注:ママ。]居《をり》たるを見、急に、迯(にけ[やぶちゃん注:ママ。])いださんとするを、蘭、走り出《いで》、抱《いだ》きとめ、暁明か[やぶちゃん注:ママ。]まくらもとに、引來《ひききた》る。

 

Koki1

[やぶちゃん注:底本の大型画像はここ。] 

 

 暁明、恨(うら)める顏色(かんしよく[やぶちゃん注:ママ。])にて、

「わか[やぶちゃん注:ママ。]今日の危きに至るは、みな、汝か[やぶちゃん注:ママ。]所爲(なすところ)ぞかし。しかるに、我を捨行(すて《ゆき》し薄情(はくじやう)、うらみても、猶、うらめしけれ。」

 白露、是を聞《きき》、いわんとすれとも[やぶちゃん注:総てママ。]、むね、せまり、声さへ、出《いで》す[やぶちゃん注:ママ。]して、ひたふるに、雨の淚にむせへ[やぶちゃん注:ママ。]ば、蘭、笑《わらひ》て、いわく、

「今日《けふ》、始(はじめ)て、妻妾(さいせう)、相見(たいめん[やぶちゃん注:「對面」の当て訓。])する事を得たり。聞《きき》しに勝(すぐ)れる、美人。われ、女(おんな[やぶちゃん注:ママ。])なれども、猶、憐(いとおし[やぶちゃん注:ママ。])む。いかに、况(いはん)や、男子たるもの、迷ひ玉へるも理(ことは[やぶちゃん注:ママ。])りぞかし。抑(そもそも)、御身は、いかなるものぞ。來歷を、くわしく語り給へ。」

 しら露、淚を揮(ぬぐふ)て、いわく[やぶちゃん注:ママ。]

「妾、何をか、包むべき。誠は陽間(このよ)の人に、あらず。東邑(ひかし[やぶちゃん注:ママ。]むら)の庄屋、兒玉何某(こたま《なに》がし)が女《むすめ》なり。幼き時、父母を、うしなひ、伯母なるものに育(やしなは)れ、今年、十六歲の春、梢(こづへ[やぶちゃん注:総てママ。「こずゑ」が正しい。])の花と、ちり行《ゆき》し身のうへ、語り侍らんあいだ[やぶちゃん注:ママ。]、聞《きき》て、憐み給へかし。妾か[やぶちゃん注:ママ。]隣家、棟を連ね、壁を隔てゝ、日下部左近(くさかべ《さこん》)と云もの、住(すめ)り。平生(へいぜい)、妾か[やぶちゃん注:ママ。]容色を愛(あいし)、或夜、伯母の留守を考(かんかへ[やぶちゃん注:ママ。])て、密(ひそか)に來りて、非道を行わん[やぶちゃん注:ママ。]とす。妾(せう)は、『人ならぬものに、身を汚(けが)さじ。』と、あへて從わず[やぶちゃん注:ママ。]、却(かへつ)て、罵(のゝし)り辱(はじ[やぶちゃん注:ママ。])しめければ、左近、大《おほい》に怒り、情なくも、妾を縱死(くひり[やぶちゃん注:ママ。]ころ)し、後(うしろ)の堤(つゝみ)の下に持行(もち《ゆき》》、深く埋(うづ)みて、去《さり》けり。その夜は、風雨、烈しくて、更に人の知る事なけれは、妾か[やぶちゃん注:ママ。]拄死(わうし)の寃(うらみ)をは[やぶちゃん注:ママ。]、訴(うつたへ)なん所なく、魂魄、終(つい[やぶちゃん注:ママ。])に消散せず、堤の邊りをはなれやらず。死したる時のすかた[やぶちゃん注:ママ。]にて、恥を世に揚(あげ)むとせし所に、君か[やぶちゃん注:ママ。]ふかき惠みを被(かふむ)り、妾か[やぶちゃん注:ママ。]首(くび)に纏(まとひ)たる、練絹を、とき玉わりし故、冥路(めいろ)の苦しみ、やゝ輕く、仍(なを[やぶちゃん注:ママ。])も、君を、たのみまいらせ、仇(あた[やぶちゃん注:ママ。])を報わん[やぶちゃん注:ママ。]爲《ため》、苟旦(かりそめ)の綢繆(ちきり[やぶちゃん注:ママ。])をなしぬ。此練絹こそ、妾か[やぶちゃん注:ママ。]此世の命を斷(たち)たる怨(うらみ)のきづな。人の、手にふるゝ時は、陽間(このよ)へ引《ひか》れ來て、姿を顯(あらは)し侍《はべら》ふ也。然るに、君との愛着《あいぢやく》、夜々《よよ》ことに[やぶちゃん注:ママ。「每(ごと)に」であろう。]加《まさ》り、うらみも、仇も、うちわすれ、云出《いひいだ》すべき心なく、月日を空しく過《すぐ》るうち、君、妾《せう》故《ゆゑ》に、重き病を受(うけ)給ふ。ちきり[やぶちゃん注:ママ。]し初(はじめ)、おもひきや、君、かく成果(《なり》はて)玉わん[やぶちゃん注:ママ。]とは。今は悔(くやみ)ても、あまりあり。願くは、御身、霊藥(れいやく)を用(もちひ)、君のいのちを、すくひ、妾か[やぶちゃん注:ママ。]幽冥の罪(つみ)を重ねずは、此恩、深く、感ずべし。」

と。

 亦、暁明に、うちむかひ、

「今こそ、君上(きみうへ)、永く訣(わか)れん。君、必《かならず》、藥(くすり)をふくし、御身を保ちたまへかし。」

と、紅淚、千行(《せん》かう)す、と、見えし姿は、失《うせ》て、練絹のみ、坐敷に殘り留《とどま》りぬ。

 暁明、始て、大におとろき[やぶちゃん注:ママ。]、あきれはてゝぞ、居《ゐ》たりける。

 蘭か[やぶちゃん注:ママ。]また、暁明に向《むかひ》ていわく、

「今は、何を包み申さん。妾《せう》も、是、人間にあらず。南山(なんざん)に年を厯(へ)て[やぶちゃん注:「厯」は「歷」の異体字。]、子孫、あまたもちたる狐にて、さむろふ[やぶちゃん注:ママ。]。此たひ[やぶちゃん注:ママ。]、人、ありて、府尹(ぶぎやう[やぶちゃん注:前編の冒頭に出た通り、「奉行」の当て訓。])に訟(うつた)へ、『南山を切(きり)ひらいて、墾(あらきばり[やぶちゃん注:新たに開墾することを言う。])して、新田とせば、大《おほい》なる民の利なり。』と、いふによつて、府尹、是に隨わん[やぶちゃん注:ママ。]とす。かくては、我か[やぶちゃん注:ママ。]すむ窟穴(ほらあな)、杲發(ほりあば)かれて、わが子孫も盡《ことごと》く殺されるの、悲しく、此事を止むべき人、君(きみ)ならであらし[やぶちゃん注:ママ。]と、假(かり)に人身《じんしん》に変(へん)し[やぶちゃん注:ママ。]、一夜は、東西に行《ゆき》て、食を求め、子孫の狐を、やしなひ、一夜は、來りて、君とかたらひ、かくまて[やぶちゃん注:ママ。]親しみ參らせぬ。然るに、君、今、重き病を得給ふ故、もし、死したまひなば、妾か[やぶちゃん注:ママ。]願《ねがひ》、果(はた)さゝる[やぶちゃん注:ママ。]事の悲しさに、凡《およそ》、日本六十八州の深山・幽谷[やぶちゃん注:底本では「幽」はこれ(「グリフウィキ」)であるが、表示出来ないので通用字で示した。]に、いたらぬくまもなく、あしにまかせて、奔走し、辛労(しんろう[やぶちゃん注:ママ。])して、やうやう、仙人石室(《せんにん》せきしつ)の霊薬(れいやく)を採得(とり《え》)、持來(もちきた)りはべる。是、見給へ。」[やぶちゃん注:「仙人石室の」深山の仙人が隠し部屋である石室に封じた秘密の仙薬。]

と、袖のうちより一包《いつぱう》の藥を出《いだ》し、また、云けるは、

「我か[やぶちゃん注:ママ。]本身《ほんしん》を語りし上は、暫くも留《とどま》るへき[やぶちゃん注:ママ。]にあらず。今は、まことに、別れ參らせん。願くは、君、此藥をふくし、病(やまひ)癒(いへ)給ふの後(のち)、妾《せう》か[やぶちゃん注:ママ。]ため、左擔(せわ[やぶちゃん注:「世話」の当て訓。])のちからを勞し、南山墾田(こんでん)の事を、止(や)め給わゝ[やぶちゃん注:ママ。]、生々(せいせい)の大恩、何事か、是に過(すぎ)ん。われ、君か[やぶちゃん注:ママ。]子孫の、冨貴長壽(ふうきてう[やぶちゃん注:ママ。]じゆ)ならん事を誓ひ候半《さふらはん》。」

と、云終(いひおわ[やぶちゃん注:ママ。])りて、立《たち》あかりしが、さすがに、恩愛、捨がたきにや、戀々(れんれん)として顧盼(ふりかへりて)、佇立(たゝずみ)て、泣居(なき《をり》)ける。

 暁明は、

「狐狸は、おろか、豺狼(さいらう)[やぶちゃん注:野犬やオオカミ。]の変化(へんげ)なりとも、かく迄、情(じやう)の深かりし、いもせのちかひ、此侭(このまゝ)に、いかてか[やぶちゃん注:ママ。]捨ん。」

と、起出(おき《いで》)て、引(ひき)とめんとするに、蘭か[やぶちゃん注:ママ。]すがたは、はや、見えず。

 暁明、跌足(すりあし)して、泣(なく)といへども、爲方(せんかた)なく、屹(きつと)、心を定めて云《いふ》。

「此うへは、わかいのちを全ふし、渠(かれ)か[やぶちゃん注:ママ。]望(のぞみ)を果(はた)し得《え》させ、日頃のよしみを、報ぜん。」

と、枕の上にありける薬をとり、自(みづか)ら煎じ、腹[やぶちゃん注:ママ。](ふく)するに、精神、忽(たちまち)、爽(さはやか)になり、日を經て、終(つい[やぶちゃん注:ママ。])に本復(ほんぶく)す。

 こゝに於て、長崎の尹(いん)、何某邸(《なに》がしやしき)に行(ゆき)、

「かゝる不側(ふしぎ[やぶちゃん注:「不思議」の当て訓。])の事、侍りき。」

と、始《はじめ》より終り迄、一々、語り、

「南山新田開發の事、何とぞ、止(や)め給われ[やぶちゃん注:ママ。]。」

と、悲しみ、訴ふ。

 尹、おどろきて、

「奇異の事。」

とし、

「此度(《この》たび)、墾田(こんでん)の事を、ひそかに、我に、すゝむるもの、ありといへとも[やぶちゃん注:ママ。]、いまた[やぶちゃん注:ママ。]、他人、知るもの、なし。然るに、足下(そつか)、これを、いふ。是、霊狐(れいこ)の告(つぐ)る所、疑ふべきにあらず。心やすくおもひ給へ。此事を止めん。」

と、則(すなはち)、かの苦首(そしやうふん)[やぶちゃん注:「初期江戸読本怪談集」の本文(読みは「そしやうぶん」とある)では、「苦」の左に『(告)』と補訂注がある。「告首」は進言した当の本人の意であろう。後に示す挿絵では、月代を剃らず、ぼさぼさの頭であるから、姓もあればこそ、所謂、浪人者のようには見える。別な潘から流れてきたもので、相応の才覚は持っており、奉行に直接に提案するほどには取り立てられてはあった者であったのであろう。]、日下部左近を召(めし)て、

「此たひ[やぶちゃん注:ママ。]、新田、あらきばりの一件、無用たるべき。」

の、むねを、喩(さと)す。

 然(しか)るに、暁明、「日下部左近」か[やぶちゃん注:ママ。]姓名、きゝ申連(《まふし》たて)[やぶちゃん注:奉行が対象者の名を言ったのを「聴き申し上げたことろが」の意。]、かの白露(しらつゆ)を殺せし次㐧(しだい)を申《まうす》に、ふたゝひ[やぶちゃん注:ママ。]府尹、聞て、

「さては。渠《かれ》、かゝる惡行ありけるや。」

と驚きて、左近を、からめさせ、責問(せめとふ)ところに、

「覺へ[やぶちゃん注:ママ。]なし。」

と陳(のぶ)る。

 

Koki2

[やぶちゃん注:底本の大型画像はここ。] 

 

 是によつて人、を遣(つかが)して、堤(つゝみ)の下を堀(ほら)[やぶちゃん注:漢字はママ。]らしむる所に、果して、女の死骸、出《いで》たり。

 斯日を經(へ)るといへども、少しも、朽(くち)ず、身体面容(しんたいめんよう)、生(いき)るかことし[やぶちゃん注:総てママ。]

 左近、是を見て、大におとろき[やぶちゃん注:ママ。]、毛骨(みのけ)、森然(しんぜん)として[やぶちゃん注:所謂、恐ろしさの余り、「総毛立つ」ことを言う。]、顏色(がんしよく)、土(つち)のことく[やぶちゃん注:ママ。]にして、終(つい[やぶちゃん注:ママ。])に、白露を殺せし事を招(はくでう)す。

 府尹(ぶぎやう)、怒りにたへず、卽刻、左近を斬罪し、暁明に命(めい)し[やぶちゃん注:ママ。]、白露か[やぶちゃん注:ママ。]尸(かはね[やぶちゃん注:ママ。])をは[やぶちゃん注:ママ。]、ちかき寺院に葬(ほうむ)らしむ。

 その夜、暁明は、白露を夢みしに、彼(かの[やぶちゃん注:ママ。])の恩志を、厚く謝していわく[やぶちゃん注:ママ。]

「君の力をもつて、仇(あた[やぶちゃん注:ママ。])をほうじ、冥路の、寃魂消(えんこん[やぶちゃん注:ママ。])散し[やぶちゃん注:ママ。通常は「散じ」。]、天堂(てんとう[やぶちゃん注:ママ。六道の「人間道」の上の「天上道」のことであろう。]に生《しやう》を得たり。」

とて去りぬ。

 亦、暁明、一日(ある《ひ》)、南山に、いたりて、狐窟(こくつ)を、たづね、「蘭」に、今一たひ[やぶちゃん注:ママ。]見(まみ)ゑん[やぶちゃん注:ママ。]ことを、いのるに、窟中(ほらのなか)より、一匹の雌狐(めきつね)、あまたの小《こ》きつねを連(つれ)て出《いで》、暁明に、むかひ、首を、ふし、拜を、なして、また、穴(あな)に《いり》入たり。

 是よりのち、暁明は、儒業、いよいよ、すゝみ、門人數千にいたり、四方の士、みな、秦山・北斗のごとく、尊(たつと)ひ[やぶちゃん注:ママ。]、終(つい[やぶちゃん注:ママ。])に府尹(ふきやう[やぶちゃん注:ママ。])の女(むすめ)を、めとり、子孫、多く、一門、枝葉(しよう[やぶちゃん注:ママ。])、蔓延(はびこり)し、冨貴に至る。

「今に、長崎に、その子孫あり。」

といふ也。

 

怪異前席夜話卷之二終

 

2023/07/27

佐々木喜善「聽耳草紙」 一八三番 きりなし話(五話) / 佐々木喜善「聽耳草紙」正規表現版・オリジナル注附~完遂

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。

 なお、これを以って本書は終わっている。]

 

      一八三番 きりなし話

 

        橡の實(其の一)

 或所の谷川の川端に、犬きな橡《とち》の木が一本あつたヂも、其橡の木さ實がうんと鈴なりになつたヂもなア、其樹さ、ボフアと風が吹いて來たヂもなア、すると橡の實が一ツ、ポタンと川さ落ちて、ツプン[やぶちゃん注:「ちくま文庫」版は『ツブン』であるが、ガンマ補正をかけて検証した結果、明かに半濁音であった。前後からもこれだけが濁音なのは、民譚のリズムからもおかしいと判断する。]と沈んで、ツポリととんむくれ(轉回)て、ツンプコ、カンプコと川下の方さ流れて行つたとさ……

  (斯《か》ういふ風にして、其大きな橡の木の實が
   風に吹かれて、川面に落ちて一旦沈んで、そして
   又浮き上つて、そこから流れてゆく態《さま》を、
   際限なく語り續けてゆくのである。)

 

        蛇切り(その二)

 或所に爺樣があつたとさ、山さ行つてマンプ(堤狀の所)を鍬で、ジヤクリと掘ると、蛇が鎌首《かまくび》をべろりと突《つ》ン出したとさ。だから爺樣はそれをブツツリと切つたとさ。すると又蛇がべろりと出たとさ。爺樣ぱそれをブツツリと切つたとさ。又蛇がべろりと出たとさ。そこで、

   蛇はのろのろ

   爺樣はブツツリ

   のろツ

   ブツツリ…

(之れも斯ういふ風に際限なく續くのである。これは重《おも》に[やぶちゃん注:ママ。]童子達《わらしたち》に、昔話昔話とせがまれるが、話の種も每夜のことなれば盡きてしまつた困つた時に、爺婆が機轉を利かして、臨機應變、卽興的に作話したものの中《うち》比較的優秀なものが後世に殘つたものであらう。此種のものが數種殘つて居る。)

[やぶちゃん注:附記は、ポイント落ち字下げをやめて、引き上げた。]

 

        蛇の木登り(其の三)

 昔アあつたジもの…家の門口《かどぐち》に大きな梨の木が一本あつたどさ。すると其木さ、大きな大きな長いイ長いイ蛇がからまつて、のろのろのろツ…と登つたと。

   そして、今日もノロノロ…明日もノロノロ…

  (和賀郡黑澤尻町邊の話。妻の幼時の記臆。)

[やぶちゃん注:本文最後の行の四字下げはママ。

「和賀郡黑澤尻町」現在、岩手県北上市黒沢尻(グーグル・マップ・データ)があるが、旧町域は遙かに広い。「ひなたGPS」の戦前の地図を確認されたい。]

 

        爐傍の蚯蚓(其の四)

 或童(ワラシ)アいつもかつも爐(ヒボト)の灰(アク)を堀る[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。「掘る」。誤字だが、近代の小説家でもよく慣用する。]癖があつた。[やぶちゃん注:読点であるが、「ちくま文庫」版で訂した。但し、これ以降はリズムから底本に従って訂していない。]或時いつものやうに灰を掘ると、灰の中から蚯蚓《みみず/めめず》がペロツと出たジ。それをそこで父親ア使つて居た毛毮《けむしり》コ(小刀)で、ちヨきツと切つたと、するとまたペロツと出たと、またちヨきツと切つたと。またペロツと出たと、またちヨきツと切つたと…

  (我の子供等の記憶。祖母から聽いたものである。)

 

        シダクラの蛇(其の五)

 ある童(ワラシ)ア裸體(ハダカ)で外へ步く癖があつたト、いつものように裸で外へ出ると、[やぶちゃん注:底本は句点であるが、「ちくま文庫」版で訂した。]シダクラ(石積《いしづみ》)の石と石の間から眞赤(マツカ)な蛇が面《つら》出して見て居たド、そだから毛毮(ケムシリ)コ(小刀)で、チヨツキリと切つたト、すると又ペロツと出たと、又チヨツキリと切つたト、又ペロツと出たト、又チヨツキリ切つたト…

(これらの話のキリは、話手が適宜にやる。そして遂々《たうとう》蛇の尻尾を切り上げたり、大風がバフアツ [やぶちゃん注:一字空けはママ。]とヒトカエリ(一時)に吹いて來て、サツパリ、カツパリ橡の實をバラバラと川面に吹き落してしまつたりする。)

(此の類の話には、「雁々《かりかり/がんがん》ギツギツ」「山の木の算(カゾ)へ」「田の蛙」などがあつた。かなり重複して面倒くさいから、その梗槪だけを話すと、五月頃の眞暗い夜、

   行グ行グ行グ

と雄蛙が向ふの田で啼くと、こちらの田の中では雌蛙どもが、

   ゴジヤラばゴジヤレ おココロモチよ

と夜徹し鳴くのであるから、いゝ加減に童子達も倦《あ》いて、眠くなるのである。)

(又前の橡の木の話は、下閉伊郡安家にあつた。(栗川久雄氏)なほ岩手郡雫石村にもあることを田中喜多美氏が報告してゐる。それによると、昔、或所に、お宮があつて、大きな栃の木があつた。木に實がタクサンあつた。そして風がドウと吹いて來ると、栃の實がポタリと落ちて、ゴロゴロゴロと轉《ころが》ると、其の根もとから、蛇が一匹ペロペロと出て這ひ𢌞つた。すると一疋[やぶちゃん注:底本は「一足」。「ちくま文庫」版は『一匹』であるが、私は「疋」の誤植と判断して、かく、した。]のカラスがガアと啼いて來る。又ドウと風が吹くと栃の實が、ボタリと落ちてゴロゴロと轉《ころが》る。その根元から、一匹の蛇がベロベロと出て逃げ、そこへ東の方からカラスがガアと鳴いて來る、と云ふのであつた。)

[やぶちゃん注:この最終話の本文は、底本は句読点が「ちくま文庫」版と比べると甚だしく異なる。しかし、全体のリズムを考えて、今回は、一箇所を除いて、いじらないこととした。また、附記は長いので、ポイント落ち字下げをやめて、引き上げた。]

 

 

聽耳草紙(をはり)

 

[やぶちゃん注:以下、奥附あるが、リンクに留める。]

佐々木喜善「聽耳草紙」 一八二番 眠たい話(五話)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。標題の「屁ぴり」は「へつぴり」。]

 

      一八二番 眠たい話

 

        三人旅(其の一)

 或所に、ムカシとハナシとナンゾという三人があつた。伊勢詣りをすべえと相談して、三人で旅に出た。行くが行くが行くと大きな川に一本橋が架《かか》つてあつた。

 三人が橋の眞中《まんなか》ごろへ來た時、バウバと大風が吹いて來た。するとムカシはムクして、ハナシはハズクレテ、ナンゾは流れてしまつたとさ。

  (村の話。子供に話をセビラレ、さて語る話も盡
   きてしまつて、こんな他愛もないことまで語ら
   ねばならない時刻になると、やつと子供達は眠
   たくなるのである。)

[やぶちゃん注:「ムクして」不詳。「默(もく)して」か?

「ハズクレテ」不詳。「すっかり本来の様子から外れて」か?]

 

        三ツ話(其の二)

 怖(オツカナ)い話と可笑《をか》しい話と悲しい話とがあつた、それは鬼がいたので、怖《おつかな》いと思つて居ると、其鬼が屁をひツたから可笑しいので笑つて居ると、其鬼が死んでしまつた、シけど…それで悲しかつたと謂ふ事。

 (柴靜子氏の筆記。武藤鐵城氏御報告の一三。)

 

        笹山燒け(其の三)

 或所に盲とオツチ(啞)と足ポコ(跛《びつこ》[やぶちゃん注:底本では「跋」であるが、誤植と断じ、「ちくま文庫」はひらがなで『びっこ』とする。])の三人があつた。春さきの乾燥時(ハサキ)になると、向《むかひ》の笹山に火がついた。それをメクラが見ツけて、オツチが叫んで、足ポコが唐鍬《たうぐは》持つて駈け出した。火消したさ…

  (村の話。)

[やぶちゃん注:「唐鍬」鍬の一種。長方形の鉄板の一端に刃をつけ、他の端に木の柄をはめたもの。開墾や根切りに使う。]

 

        昔さら桶(其の四)

 昔々或人が一つの大きなほんとう[やぶちゃん注:ママ。]に大きな桶を持つて來た。それで其桶は何桶だかと訊くと、これは「ムカシサラオケ」だと答へましたとさ。

 「ムカシサラオケ」とは昔話(ムカシ)[やぶちゃん注:二字へのルビ。「ちくま文庫」版もそうなっている。次話も同じ。]を棄てるなとの意味ださうだ。

  (秋田縣角館小學校高等科、淸水キクヱ氏筆記。
   武藤鐵城氏御報告の一四。)

 

        昔刀(其の五)

 昔々或人が長い々々刀《かたな》をさして、其先の方に小さな車をつげて、カラカラと鳴らせて來たので、其刀は何刀《なにがたな》だと訊くと、これは「ムカシカタナ」と云ふ刀だと答へましたとさ。

 「ムカシカタナ」とは昔話(ムカシ)を語(カタ)るなと云ふ意味ださうである。

  (前話同斷の一五。)

佐々木喜善「聽耳草紙」 一八一番 屁ぴり嫁(二話)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。標題の「屁ぴり」は「へつぴり」。]

 

      一八一番 屁ぴり嫁(其の一)

 

 或所に、餘り富裕でない母子の者があつた。隣村からお嫁をもらつたが、その嫁女《よめぢよ》が每日欝《ふさ》いで居るので、姑《しうとめ》が心配して其の理由(ワケ)を訊くと、私はどうもおならが出度《だした》くつて困りますと言ふ。姑はそれを聞いて、呆《あき》れて、何をそんなことで靑くなつて居る人があるものか、行儀作法にも程《ほど》といふ事がある。さあさあいゝから思ふ存分氣を晴らしたらいゝと言つた。嫁はひどく喜んで、それでは御免を蒙つて致しますが、たゞ私のはあたりまへの屁《へ》ではないのだから、お母さんは彼《あ》の庭の臼へしつかりと、つかまつてゐて下されと言つた。姑も驚いたが、仕方がないから庭へ出て臼にしつかりつかまつてゐると、嫁子《あねこ》はやがて、着物の裾をまくつて、ぼがあんツと一つ大きな奴《やつ》をひつたところが、姑は臼ごと吹き飛ばされて、馬舍《うまや》の桁《けた》に吹き上げられ、腰をしたゝか梁《はり》に打ちつけて、大變な怪我をした。

 それを見ていた息子は、たとへ俺は一生妻をもたぬことがあるとも、現在の親を屁で吹飛《ふきと》ばして、怪我をさせるやうな嫁子は困ると思つて、里へ歸さうと、妻を自分で送つて行つた。其途中で、或村を通りかゝると、濱の方から山を越して來た駄賃づけ[やぶちゃん注:馬を用いて人や物資を運ぶことを生業とする卑賤の者。]の者共が、路傍の梨の木に石や木を投げ上げて居たが、一つも梨の實は取れなかつた。嫁はそれを見てひどく笑つて、なんて甲斐性のない人達なんだらう。妾《わらは》なら屁ででも取つて見せるのにと言ふと、其駄賃づけの者共が、それを聽きつけて大變に怒り、何をいふそんだら屁でこの梨を取つて見ろ、若し取れぬ時はお前の體《からだ》を貰うぞと言ひ罵《ののし》つた。女は尙も嘲笑《あざわら》つて、よし取りませう。そんだら若し今言つた通りに屁で取ることが出來たら、お前達の馬と馬荷を皆妾に寄こせ、そして、妾が失敗(シクジ)つた時は、私の體はお前達の物だと言つた。

 男共は、これは面白い、これは面白いと、手を打つておぢよめいた[やぶちゃん注:南部方言に従うなら、「からかって囃した」の意である。]。そして、さあ女早く早くとせきたてた。嫁子は心得て、靜かに衣物の裾をまくり、身構《みがまへ》をして、例の奴をぼがあんツと一つぶつ放《ぱな》した。すると大きな梨の木が根こそぎ、わりわりと吹き倒されて了《しま》つた。嫁子はそこで約束の通りに、織物七駄《だ》、米七駄、魚荷七駄、三七二十一[やぶちゃん注:掛け算をそのまま示したもの。]駄の馬と荷物を受取つた。

 それを見て息子は、こんな寶女房《たからにようばう》をどうして里へなど歸されやうかとて、家へ連れて戾つた。そして別に小さな部屋を造り、女房は折々其處へ入つて戶を締めて置いて屁をひるやうにした。其處を部屋(屁をひる室《へや》)と名付けた。それが部屋(ヘヤ)の起源(オコリ)で、今でも嫁をとれば間違ひがないやうにと、直ぐ其部屋に入れると言ふことである。

  (和賀郡黑澤尻町邊の話。家内の幼い記臆。)

[やぶちゃん注:「部屋」のトンデモ起源譚をブッパナした痛快な話ではないか。]

 

        (其の二)

 

 昔々あつとこへ嫁が來た。每日每日靑い顏をして欝ぎ込んでゐるので、姑が或日のこと、何してあんたは每日每日靑い顏してふさいで居るのか、譯があつたら言はせと訊いて見たら、嫁は私には一ツ惡い癖が御座りますと答へた。姑が重ねてどう云ふ癖だと訊いたら、嫁は屁《へ》たれる癖で御座りますと答へた。するとほんなら遠慮無くたれさえと姑が云つたので、嫁は、ほんではと云つて、たれると、出るわ出るわプツプツプツと止め度《ど》もなく屁をたれて、しまひにブウツと一ツ大きな屁をたれたら、姑は吹き飛ばされて、やうやく爐端《ろばた》の柱につかまつて、嫁やア嫁やア屁袋《へぶくろ》の口をしめろと叫んだ。

 とても斯《か》う云ふ屁たれ嫁は家に置けないと、里へ歸すことになつた。[やぶちゃん注:底本では読点であるが、「ちくま文庫」版で句点に代えた。]そして姑が嫁を連れて里へ歸つて行くと、途中の路傍に大きな柿の木があつて、柿が澤山實つてゐた。姑がそれを見上げて、とても甘《うま》さうな柿だどきに[やぶちゃん注:意味不詳。接続詞「時に」で「さても」の意か。]喰ひてえもんだと云ふので、嫁は柿の木の下さ行つて裳《もすそ》をまくつて、大きな屁を一つブウツとたれたら、柿がバラバラと落ちて來た。すると姑は大した喜び樣《やう》で機嫌も直り、かう云ふ重寶《ちやうほう》な嫁はとても里さ歸されないと言つて、途中から引き歸した。

  (昭和五年四月六日夜の採集として、三原良吉氏御報告の八。)

佐々木喜善「聽耳草紙」 一八〇番 屁ぴり番人

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。標題の「屁ぴり」は「ちくま文庫」版を参考にすれば、「へつぴり」である。]

 

   一八〇番 屁ぴり番人

 

 昔、彌太郞と云ふ心の良(エ)い爺樣があつた。この爺樣は面白い屁をひるので名高かつた。その屁は、

   ダンダツ (誰だツ)

 と鳴つた。だから知らぬ者は誰でも咎め立てでもされて居るやうに思つた。爺樣の屁の音も面白がる者と厭がる者とがあつた。

 所の長者殿でそれを聞き込んで、或日爺樣に來てくれと言つた。爺樣は何用があるかと思つて行くと、檀那樣は、爺樣爺樣俺家(オラエ)の米倉の番人になつてくれないか、祿(ロク)はお前の望み次第だと言つた。

 爺樣は大層喜んで、其夜から長者どんの米倉の守り番となつた。それからは戶前《とまへ》の二疊敷に每夜寢ていた。[やぶちゃん注:「戶前」土蔵の入り口の戸のある所。その内側に小さな二畳敷の間があったのであろう。]

 或夜盜人《ぬすつと》が來た。ソコソコ(靜かに忍び足で)米倉へ忍び寄ると、暗《くら》シマこの中から、いきなり、[やぶちゃん注:底本では、五字分の字空けをして、改行して「いきなり、」が行頭にあるが、不自然なので、誤植と断じ、「ちくま文庫」版で訂した。]

   ダンダツ

   ダンダツ

 と呶鳴《どな》られた。盜人は驚いて一目散に逃げて行つた。

 次の夜も盜人が來たが、矢張そのダンダツの聲に魂消《たまげ》て逃げ歸つた。それから次の晚も、次の晚もと恰度《ちやうど》七夜《ななよ》續けて來たが、いつもダンダツと咎め立てされて、遂に一物《いちもつ》も盜まれなかつた。

 八日目の夜に盜人は考へた。ハテ今迄こんなことはなかつたんだが、どうもあの聲はただの聲ではない。不思議だと思つてまたンコンコと忍び寄つて見ると、それは倉番人の爺樣の屁ツぴり音《おと》であるといふことが分つた。

 なんだア今迄この爺(ヂ)ンゴの屁に魂消らされて逃げ歸つて居つたのか、よし來た今夜其の仇《かたき》を討つて遣ると言つて、胡瓜畑へ行つて胡瓜を一本取つて來て、爺樣の尻の穴に差し込んで置いた。それでさすがのダンダツの音も出せぬので、盜人は安心して米俵をしこたま背負ひ込んだ。そして歸りしなに少々狼狽《あわて》たので胡瓜の蔓《つる》に足を引ツかけて、胡瓜をスポンと引ン拔いてしまつた。するとそれまで餘程溜つて居たものと見えて、

   ダンダツ

   ダンダツ

   ダンダツ

 とえらい大きな音をしきりなしに放し續けた。それで寢坊の爺樣も目を覺《さ》まして、本統[やぶちゃん注:ママ。]に、

   誰だツ

 と叫んだので、泥棒は腰を拔かした。やつぱり捕(オサ)へられた。

  (膽澤《いさは》郡金ケ崎邊の話。千葉丈勇氏御報告の四。)

[やぶちゃん注:「膽澤郡金ケ崎」現在の岩手県胆沢郡金ケ崎町(グーグル・マップ・データ)。]

佐々木喜善「聽耳草紙」 一七八番 屁ツぴり爺々(二話)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。第一話の三字下げ全分かち書きはママ。本書中の表記上の特異点である。なお、八行目「炒つて黃粉(キタコ)にでもすべえかなもシ」のルビは、「ちくま文庫」版では『きだこ』(同文庫版はルビを総てひらがなにしてしまっている)である。その方言の方が正しい印象はあるが、方言確認がネット上では出来なかったので、ママとした。]

 

   一七九番 爺婆と黃粉(其の一)

 

   或所に爺と婆とあつたとさ、

   婆樣はウチを掃き

   爺樣は土間(ニワ)掃いた…

   そすると土間のスマコ(隅)から

   豆コが一ツころころと轉(コ)がり出た。

   婆樣婆樣これア豆コ見ツけたざア

   畠さ蒔くべえか

   炒つて黃粉(キタコ)にでもすべえかなもシ

   婆樣は畠さ蒔くのアあつから

   それば炒つて

   黃粉にし申すべやと言つた。

   そして大きな鍋で炒《い》ンベえか

   トペアコ(小)な鍋で炒ンベえか

   大きな鍋で炒ンベや……

   大きな鍋を爐(ヒボト)にかけて

   其の一粒の豆コを入れて

   一粒の豆コア千粒になアれ

   一粒の豆コア萬粒になアれ

   カアラコロヤエ、カアラコロヤエ

   カラコロコロと搔𢌞した。

   すると豆が大きな鍋一杯になつた。

   婆樣な婆樣な

   こんどは大きな臼で搗くべえか

   小さな臼で搗き申すべか

   大きな臼で搗き申さい

   大きな臼で

   ヂヤクリ、ヂヤクリと搗いた。

   そしたば豆が搗けて

   大きな臼一杯になつた。

   婆樣な婆樣な

   粉下(コオロ)しコ無《なう》申すか

   隣りさ行つて借りて來もさい

   これアこれア太郞太郞

   隣りさ行つて粉下しコ借りて來ウ

   爺樣な婆樣な

   門口にや赤(アカ)エ牛(ベコ)コがいツから

   俺ア厭ンだツ

   太郞々々そんだら裏口から行つて來ウ

   裏口にや犬コいツから

   俺ア厭ンだツ

   ほんだら厩口《うまやぐち》から行つて來ウ

   厩口にや馬コいツから

   俺ア厭ンだツ

   そんだらえエえエ

   爺樣のふんどしの端コで

   おろすベアに…

   爺樣のふんどしの端コで

   プウフラ、パアフラ

   パサパサツとおろした。

   爺樣な婆樣な

   この黃粉コなぞにして置くべなもす

   棚さ上げれば鼠が食ふし

   下さ置けば猫が舐めるし

   ええから、ええから

   爺樣と婆樣の間さ

   置いて寢ベアなアに…

   夜中に爺樣は

   大きな大きな屁ツコを

   ボンガラヤエとひると

   黃粉はパフウと吹ツ飛んで

   婆樣のケツさ行つて吹ツ着いた

   これアこれア太郞太郞

   婆樣のケツさ粉アついた

   早く來て舐めろ

   俺アシヤラ臭いから厭ンだツ

   ほんだらえエ

   あゝ勿體ねア勿體ねア

   ペツチャラ、クツチャラ

   爺樣はみんな砥めてしまつた。

 

[やぶちゃん注:民俗社会の豊穣の祝祭歌のようで、映像が見事に浮び、まっこと、素敵だ。]

 

        爺の屁(其の二)

 昔さあつたどサ、或所に爺樣と婆樣とあつたとサ、爺樣は屋根葺く、婆樣は萱《かや》のべだどサ。嫁子《あねこ》ア一人で土間(ニハ)掃いたば、豆(マメコ)アコロコロと出《で》はつたけどサ。

 爺樣うんす、婆樣うんす、豆ア一ツ出はつた、なぢよにすべます、種《たね》にすべすか、煎《い》つて喰べすかて聞いだどサ、したば、種ば買つて蒔くべす、煎つて喰エ煎つて喰エてセつたどサ。それから嫁子ア鍋出して、カラカラと煎つたど。

 煎つたば煎つたば一鍋、それから臼出して、トントントンと搗いだど、搗いだば搗いだば一臼、今度ア粉下《こなおろ》し出して下したど、下したば下したば一粉下し、

 爺樣うんす婆樣うんす、此のきな粉なぢよにすべますて聞いだと、土間さ置けば雞《にはとり》に喰はれる、馬舍《うまや》さ置けば馬に喰はれる。戶棚さ置けば鼠に喰はれる、臺所さ置くと猫に喰はれるけど、其處で爺と婆の間こサ置いたどサ、したば爺大きな屁ボンとたれたどサ、粉はポツポツと飛んで婆のまんヘサ付いたど、したばての犬子來て、小便臭いぞ美味いぞ美味いぞと言つてみな砥めたとサ、ドツトハライ。

  (田中喜多美氏御報告の二四。)

[やぶちゃん注:同前の祝祭の唱え詞である。「ちくま文庫」版では、佐々木の振った読点の幾つかを句点にしているが、私は、ママが一番(寧ろ、最後の「ドツトハライ。」の他は総て読点にするか、第一話同様に、分ち書きの歌にしたいぐらいである。

「婆のまんヘサ」「婆様の前(隠しどころ)のとこへ」或いは、ダイレクトに「まん」で女性の外陰部を指しているように私は読んだ。豊穣の祝祭に性的表現は必須である。

「したばての」「そうなってしまったところに、の」の意であろう。]

佐々木喜善「聽耳草紙」 一七八番 屁ツぴり爺々

佐々木喜善「聽耳草紙」 一七七番 啞がよくなつた話

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]

 

      一七八番 屁ツぴり爺々

 

 或所に木伐《きこ》り爺樣があつた。山へ行つて、ダンギリ、ダンギリと木を伐つて居ると、山の神樣が出て來て、誰(ダン)だ人の山で、木伐《きこ》る者アと呼ばつた。すると爺樣は、ハイハイ私はミナミナの屁《しり》ツぴり爺々《じんご》で御座ると言つた。そんだら此所さ來て、屁をひツて見ろと言はれた。そこで爺樣は山の神樣の前へ出て四ツん這ひになつて、

   コシキサラサラ

   コヨウの寶《たから》をもツて

   スツポンポン

 と屁をたれた。山の神樣は、イヤ全くこれは面白い音なもんだ。よしよしそれではこれから俺の山で何ぼ木を伐つてもええぞと許した。

 次の日には、隣の爺樣がその山へ行つて、ダンギリ、ダンギリと木を伐つて居た。すると又山の神樣が、誰だツ人の山で、木伐る者アと呼ばつた。ここだと思つて、ハイハイ私はミナミナの屁ツぴり爺々で御座ると答へた。そんだらここさ來て、屁をひツてみろとまた山の神樣が言つた。

 その爺樣は、話は聞いて來たが、どんな風にしてどんな音を出して好《よ》いものだか、遂《う》ひ聽き洩らして來たので、仕方がないから、山の神樣の前へ行つて、四ツん這ひになつて、ウウンツウウンツとうんと力(リキ)んだが、なんぼしてもうまく佳《よ》い音が出なかつた。それで一生懸命にウウンと力むと、グワリグワリグワリツと飛んでもない物を其所へ押し出した。

 山の神樣は厭な顏をして、どうもお前はいかぬ。以來此の山の木伐りに來るなと叱つた。

  (下閉伊郡岩泉町《いはいづみちやう》邊にある話の、
   爺樣の屁の音は、ビリンカリン五葉の松ツポンポン
   ポンツで他の部分は同樣である。昭和五年六月二十
   三日、野崎君子氏談話一〇。)

[やぶちゃん注:「下閉伊郡岩泉町」岩手県下閉伊郡岩泉町(グーグル・マップ・データ)。]

佐々木喜善「聽耳草紙」 一七七番 啞がよくなつた話

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここ。]

 

      一七七番 啞がよくなつた話

 

 或家で嫁子を貰つた。姑《しうとめ》が一寸《ちようと》小用に行つた間に棚探しをして口に饅頭一つを頰張つた。其所へ姑が顏を出して、これこれと呼んでも一向返辭が出來ないで、目を白黑にして居るから、これはてつきり啞《おし》になつたものと思つて、姑は山伏を賴んで來て御祈禱をして貰うことにした。

 賴まれて來た山伏は屛風を立て𢌞して其中へ嫁子《あねこ》を入れて、さうして斯《か》う唱へた。

   この間(マ)に

   嚙み給へ

   飮み給へ…

 すると其御祈禱が直ぐ利いて、嫁子の啞がすつかりよくなつた。

  (秋田縣角館小學校高等科一、柴靜子氏の筆記、
   武藤鐵城氏の御報告の一二。一七九番の其の一
   及び一八〇番。)

[やぶちゃん注:「秋田縣角館小學校高等科」恐らくは正式には当時は「角館尋常高等小學校」で、現在の秋田県仙北市角館町(かくのだてまち)東勝楽丁(ひがしかつらくちょう)のここが跡地(グーグル・マップ・データ)。サイド・パネルの碑を見ると、「角館小学校跡」とあって、下方に明治七(一八七四)年六月二日創立と記されてある。]

2023/07/26

怪異前席夜話 正規表現版・オリジナル注附 巻之一 「二囘 狐精鬼靈寃情を訴ふる話」 /巻之一~了

[やぶちゃん注:「怪異前席夜話(くわいいぜんせきやわ)」は全五巻の江戸の初期読本の怪談集で、「叙」の最後に寛政二年春正月(グレゴリオ暦一七九〇年二月十四日~三月十五日相当)のクレジットが記されてある(第十一代徳川家斉の治世)。版元は江戸の麹町貝坂角(こうじまちかいざかかど)の三崎屋清吉(「叙」の中の「文榮堂」がそれ)が主板元であったらしい(後述する加工データ本の「解題」に拠った)。作者は「叙」末にある「反古斉」(ほぐさい)であるが、人物は未詳である。

 底本は早稲田大学図書館「古典総合データベース」の同初版本の画像を視認した。但し、加工データとして二〇〇〇年十月国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』の「初期江戸読本怪談集」所収の近藤瑞木(みづき)氏の校訂になるもの(玉川大学図書館蔵本)を、OCRで読み込み、使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 なるべく表記字に則って起こすが、正字か異体字か、判断に迷ったものは、正字を使用した。漢字の読みは、多く附されてあるが、読みが振れると思われるものと、不審な箇所にのみ限って示すこととした。逆に、必要と私が判断した読みのない字には《 》で歴史的仮名遣で推定の読みを添えた。ママ注記は歴史的仮名遣の誤りが甚だ多く、五月蠅いので、下付けにした。さらに、読み易さを考え、句読点や記号等は自在に附し、オリジナル注は文中或いは段落及び作品末に附し、段落を成形した。踊り字「〱」「〲」は生理的に厭なため、正字或いは繰り返し記号に代えた。

 また、本書には挿絵があるが、底本のそれは使用許可を申請する必要があるので、単独画像へのリンクに留め、代わりに、この「初期江戸読本怪談集」所収の挿絵をトリミング補正・合成をして、適切と思われる箇所に挿入することとした。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。]

 

   ○狐精(こせい)鬼靈(きれい)寃情(ゑんしやう)を訴ふる話

 寬延之比、肥前國長崎に、一儒生、菅生圖書暁明(すげうづしよさとあき)といへるものあり。尹(ぶきやう)何某(《なに》かし[やぶちゃん注:ママ。])か[やぶちゃん注:ママ。]邸に出入《でいり》し、舌耕(かうしやく)を以て、五斗米(《ご》とべい)を宛行(あてかわ[やぶちゃん注:ママ。])れ、くちすき[やぶちゃん注:ママ。]となす。

[やぶちゃん注:「寬延」一七四八年から一七五一年まで。徳川家重の治世。

「尹(ぶきやう)」「奉行」の当て訓。「尹」(イン)は中国で官職の「長官」の意。本邦では「弾正台」(律令制で、非違の取締・風俗の粛正などを司った役所であるが、検非違使が置かれてからは形骸化した。江戸時代は武士の有名無実の名乗りに「弾正」が、よく用いられた。但し、ここは長崎奉行を指す。

「舌耕(かうしやく)」「講釋」の当て訓。才知ある弁舌。

「五斗米」 五斗の米(現在の約五升の米)で、ここは「年に五斗の扶持米」の意から、「僅かばかりの扶持米、則ち、俸祿(ほうろく)を指す。

「くちすき」「口過ぎ」。「食物を得ること」から転じて、「暮らしを立てること・生計・糊口(ここう)」の意。]

 ある夜、只ひとり、我家に坐するの處、密(ひそか)に、戶をたゝくの声(こへ[やぶちゃん注:ママ。])するを聞て、扉をひらけは[やぶちゃん注:ママ。]、一人の婦(ふ)、その姿色(ししよく)、美麗にして、傾國の珠(あてやか)なる。

 やかて[やぶちゃん注:ママ。「やがて」。]入りて、暁明に、むかひて、礼を述(のぶ)る。

 おどろきて、

「誰(たれ)。」

と問《とふ》に、

「妾(せう)は、丸山の遊女「蘭《らん》」といふものなり。君の芳名をきくによつて、敎(おしへ[やぶちゃん注:ママ。])を受(うけ)んことを願ふの日、久し。昼は、人の議論をおそるゝ故、夜にまぎれて、大膽(そつじ)に、きたりたり。」

といふ。

[やぶちゃん注:「丸山」は長崎の旧花街「丸山遊廓」として知られた町。現在の長崎市丸山町(まるやままち)及び寄合町(よりあいまち)附近に当たる(グーグル・マップ・データ)。

「人の議論をおそるゝ」他人が見かけて、噂になっては、御迷惑を掛けると恐れて。

「大膽(そつじ)に」「卒爾に」の当て訓。「突然に・俄かに」。]

 暁明、

『奇なる女。』

と、おもひ、則(すなはち)、書(しよ)を取《とり》て讀(よま)しむるに、一たひ[やぶちゃん注:ママ。]誦(よみ)して了悟(さとし)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]。

 問答・辨舌、水のなかるゝことし[やぶちゃん注:総てママ。]

 暁明、大《おほい》によろこひ[やぶちゃん注:ママ。]、手を携へていわく[やぶちゃん注:ママ。]、[やぶちゃん注:「携」は異体字のこれ(「グリフウィキ」)であるが、表示出来ないので、かく、した。後に出るものも同じ処理をした。]

「斉中(さいちう)[やぶちゃん注:書斎の内。]、幸(さいわい[やぶちゃん注:ママ。])に、人、なし。汝と、いもせの交(ましはり[やぶちゃん注:ママ。])をなさん事を、ほつす。」

 かの女も、暁明か[やぶちゃん注:ママ。]、年わかく、容貌(ようぎ)[やぶちゃん注:「容儀」の当て訓。]、閑麗(かんれい)なるに、心動きしや、欣然として居たりし。

[やぶちゃん注:「閑麗」上品で美しいこと。雅やかで、麗しいさま。]

 これにおゐて[やぶちゃん注:ママ。]終(つい[やぶちゃん注:ママ。])に、雲と成(なり)雨と成るの情(じやう)、いとこまやかにして、暁(あけ)になりて、別れ去(さら)んとするに、蘭(らん)か[やぶちゃん注:ママ。]云(いふ)。

「妾(せう[やぶちゃん注:ママ。「せふ」が正しい。])、これより、隔夜(かくや)に來りて、枕席(ちんせき)を、すゝむべし。」

と約して、その暁(あかつき)は歸りぬ。

 かくて、綢繆(ちぎり)をなすほどに、互に、恩情、厚く、膠漆(かうしつ)のことく[やぶちゃん注:ママ。]なりしが、一日(あるひ)、暁明、近邑(きんむら)にゆきて歸るに、日、くれ、雨、そぼふりて、往來のひとも見へさる[やぶちゃん注:ママ。]闇(やみ)の路(みち)、堤のうへの、木、おひ繁りし下に、十四、五歲の女の、縊(くひ)れ[やぶちゃん注:ママ。]死(し)したるもの、あり。

[やぶちゃん注:「綢繆」「ちうべう(ちゅうびゅう)」の当て訓。「睦み合うこと。馴れ親しむこと」の意。

「膠漆」「にかわ」と「うるし」。接着剤。]

 

Satoaki1

[やぶちゃん注:底本の大型画像はこちら。] 

 

「怜《あはれ》むへし[やぶちゃん注:ママ。]。何《いづ》れの家の誰が子なるや。」

と、立寄(たちより)見れば、顏色(がんしよく)、生(いけ)るかことく[やぶちゃん注:総てママ。]、手足、動くやうにおぼへしまゝ、

『いまだ、死せずやありけむ。拯(すく[やぶちゃん注:ママ。])ばや。』[やぶちゃん注:「拯(すくは)ばや」の脱字。「拯」(音は現代仮名遣「ジョウ・ショウ」)は「救う・助ける」の意。]

と、おもひ、首(くび)にまとひし絹(きぬ)を、靜(しづか)に解(とき)すてゝ、樹上(きのうへ)より下(おろ)し、その容貌を、よく見れは[やぶちゃん注:ママ。]、玉顏(《ぎよく》かん[やぶちゃん注:ママ。])、櫻桃(ようとう[やぶちゃん注:ママ。])の雨に逢(あひ)、海棠(かいどう)の露(つゆ)を帶(おび)、睡(ねぶ)れることき[やぶちゃん注:ママ。]に、愈(いよいよ)、あわれ[やぶちゃん注:ママ。]におもひ、

「かゝる美人の、可惜(あたら)はなを、ちらせし事よ。」

と、いゝ[やぶちゃん注:ママ。]つゝ、肌(はだ)を、とき、懷(ふところ)に入(いれ)、温(あたゝ)むるに、雪のことく[やぶちゃん注:ママ。]、脂(あぶら)に似て、たくひ[やぶちゃん注:ママ。]まれなる佳人なり。

[やぶちゃん注:「櫻桃」「あうたう」が正しい。この時代のそれは、双子葉植物綱バラ目バラ科サクラ属ユスラウメ Prunus tomentosa で、サクランボに似た実をつけることで知られるが、ここは、その花を指す。グーグル画像検索「ユスラウメ 花」をリンクさせておく。]

 とかくするうち、一條(《ひと》すじ[やぶちゃん注:ママ。])の息、出《いだ》し、目をひらきて、暁明を見、忽ち、再ひ[やぶちゃん注:ママ。]拜して云(いふ[やぶちゃん注:ママ。])けるは、

「妾《せふ》、今日《けふ》、强盜(がうだう)のために、縊(くび)り殺されしものなるか。君の拯(すく)ひによりて、ふたゝひ[やぶちゃん注:ママ。]蘇甦(そせい)し侍《はべら》ふ事、活命(くわつめい)の大恩、濸海(さうかい)・太山(たいさん[やぶちゃん注:ママ。])、たとふるに、たらず。」

[やぶちゃん注:「濸海」「滄海」に同じ。大海。

「太山」「たいざん」。ここは「大きな山」でよい。]

 暁明も、かれか[やぶちゃん注:ママ。]蘇生したるを見て、大《おほい》に、よろこひ[やぶちゃん注:ママ。]

「汝、いつ方[やぶちゃん注:ママ。「いづかた」。]の者ぞ。」

と問。

 こたへて、いわく、

「近邑(きんむら)の農夫のむすめ、名を「白露(しらつゆ)」といふ。父母、定《さだめ》て、妾(せう)を、たつねむ[やぶちゃん注:ママ。「尋ねむ」。「探しているでしょう」。]。はやく家路にかへり、ふたゝひ[やぶちゃん注:ママ。]君の住處(ぢうしよ[やぶちゃん注:ママ。])を訪(とひ)參らせ、活命の大恩を、報(むく)ひ奉らん。」

とて、堤(つゝみ)を下るを、暁明、

「我、汝か[やぶちゃん注:ママ。]家に送るべし。」

と、いへは[やぶちゃん注:ママ。]

「君、いまだ、年(とし)、少(わか)し。妾と一所(《いつ》しよ)に行(ゆき)たまはゞ、父母(ふぼ)の意(こゝろ)に、いかゞ思ふらめ。妾、ひとり、歸らん。」

とて、終(つい[やぶちゃん注:ママ。])に、いつ地[やぶちゃん注:ママ。「何地(いづち)」。]に行(ゆき)けん、その行方(ゆきがた)を、見うしなふ。

 暁明は、心に、

『一ツの陰德(いんとく)を施しぬ。』

と、よろこび、やかて[やぶちゃん注:ママ。]、家にかへりけるに、其夜、深更(しんこう)に及(およひ[やぶちゃん注:ママ。])て、斎(さい)の戶を、たゝく者、あり。

「誰(たれ)ぞ。」

と問へは[やぶちゃん注:ママ。]

「向(さき)に、すくひたまへる女なり。」

と答ふ。

 急き[やぶちゃん注:ママ。]、戶をひらけは[やぶちゃん注:ママ。]、入來(いりきた)りて、礼を述(のべ)て、たちふるまひ、甚《はなはだ》靜(しつやか[やぶちゃん注:ママ。])にして、恭(うやうやし)く、賤(いやし)しき[やぶちゃん注:「し」のダブりはママ。]ものゝ女とは思われ[やぶちゃん注:ママ。]ず。

 暁明、戲(たわむれ)れて[やぶちゃん注:「れ」のダブりはママ。]いふに、

「なんじ、わか[やぶちゃん注:「し」のダブりはママ。]恩をわすれすは[やぶちゃん注:ママ。]、一夜《ひとよ》を爰(こゝ)に明(あか)さん。」

といふに、女、更に否(いな)むけしきなく、夫《それ》より、ついに[やぶちゃん注:ママ。]手を携へ、楚岫(そしう)の雲(くも)に分(わけ)まよひ、鷄《とり》、東天紅(とうてんこう)をつぐる時、起(おき)て別れんとす。

[やぶちゃん注:「楚岫の雲」「楚岫」は「楚」の国の霊山巫山(ふざん)の「岫」=「山頂」にある洞穴を指し、そこから湧き出づる「雲」の意であるが、「楚雲湘雨」の成句が元曲にあり、「男女の細やかな情交」を指す。これは遙かに古い「雲雨巫山」「巫山雲雨」で知られる故事成句に基づいたもの。「巫山」は中国の四川省と湖北省の間にある、女神が住んでいたとされる山の名で、戦国時代のの懐王が昼寝をした際、夢の中で巫山の女神と情交を結んだ。別れ際に、女神が「朝には雲となって、夕方には雨となって、ここに参りましょう。」と言ったという故事がそれ。]

 白露か[やぶちゃん注:ママ。]いふ、

「妾、情(なさけ)の緣(くづな)に引《ひか》れ、葳蕤(いすい[やぶちゃん注:ママ。])の守を失ひて、君と結びし赤縄(ゑん[やぶちゃん注:ママ。]のいと)の、絕(たへ[やぶちゃん注:ママ。])せず、訪ひ(とふら)ひ來《きた》るべし。穴(あな)かしこ、人に、な、洩(もら)し給ふな。」

と。

[やぶちゃん注:「葳蕤」歴史的仮名遣は「ゐすい」が正しい。この場合は、「草木の花が咲き乱れるさま」を言い、処女の持つ清廉な操(みさお)を指していよう(この熟語には単子葉植物綱キジカクシ目キジカクシ科スズラン亜科アマドコロ連アマドコロ属 Polygonatum を指す意味があるが、ここは違う)。]

 暁明、聞(きゝ)て、

「わが斎中、外に、人、なし。誰(たれ)にか洩しなん。但(たゞ)、ちかきあたり、靑楼の遊女(いふ《ぢよ》)、『蘭』といへるか[やぶちゃん注:ママ。]、隔夜(かくや)に、我許(もと)に來(きた)る。かれか[やぶちゃん注:ママ。]、來らざる夜は、汝、ひそかに來り候へ。」

 白露、心やすくおもひ、また、袖のうちより、一匹(いつひき)の白練(しろねり)、とり出《いだ》し、暁明に、あたへて、云《いふ》。

「君、独り居《ゐ》て、徒然(つれつれ[やぶちゃん注:ママ。後半は底本では踊り字「〱」。])なる時、此きぬを、とり出《いだ》して、弄(もてあそ)び給ふならは[やぶちゃん注:ママ。]、自(みづか)ら、情(こゝろ)を慰むる種(たね)と成《なる》べし。」

と。

 終(つい[やぶちゃん注:ママ。])に、たち出《いで》て行《ゆき》ぬ。

 是より、暁明、獨坐(ひとりざす)とき、徒然のおりおり[やぶちゃん注:ママ。後半は底本では踊り字「〱」]は、かの絹を、とり出して弄ふときは、忽ち、白露、外より、きたる。

 怪(あやし)んて[やぶちゃん注:ママ。]、そのゆへ[やぶちゃん注:ママ。]を問《とふ》に、しら露、打(うち)わらひ、

「君か[やぶちゃん注:ママ。]寂莫(つれつれ[やぶちゃん注:ママ。後半は底本では踊り字「〱」。])の情(こゝろ)、妾か[やぶちゃん注:ママ。]誠(まこと)の心に徹(てつ)し、偶然、(おもはず)、來り見へ參らす。これ、すく世《せ》の奇緣なり。」

 暁明、聞て、「まことや。『曾子か[やぶちゃん注:ママ。]至孝成(なる)、他(た)に出《いで》て、歸らざるとき、その家に、客(かく)、來《きた》る。曽子(そうし)か[やぶちゃん注:ママ。]母、『曾子か[やぶちゃん注:ママ。]歸り來よかし。』と思ふて、指を、自(みつか[やぶちゃん注:ママ。])ら咬(かむ)ときに、曾子、俄(にはか)に驚悸(むなさはぎ)し、家に歸る。』と、書(しよ)に見えたり。是(これ)、母至(ほし)[やぶちゃん注:ママ。せめて「母の思ひの至れるにて」ぐらいにはして欲しい。相手は十四、五の小娘だぜ?]、誠(せい)の感ずる處。それは孝行、是は恩愛。そのあとは、異(こと)なれども、誠(まこと)は、同じ理(ことは[やぶちゃん注:ママ。])り。」

とて、少しも疑はずして、是より、同床《どうしやう》の和好(ちきり[やぶちゃん注:ママ。])、いやましに、

「二人の愛着(《あい》ぢやく)を、海にくらふれは[やぶちゃん注:総てママ。]、濸溟(そうかん[やぶちゃん注:ママ。無茶苦茶な読みやなぁ。])も淺く、山に喩(たとふ)れば、崑崙(こんろん)、高きにあらず。あるひ[やぶちゃん注:ママ。]は、膠(にかわ[やぶちゃん注:ママ。])と漆(うるし)、いまた[やぶちゃん注:ママ。]堅(かた)からず。」

と、わらへば、

「魚(うを)と水(みづ)、なを[やぶちゃん注:ママ。]、親(した)しとするに、足(たら)ず。」

と、あさけり、心肝(しんかん)、割(さき)がたきを、うらみ、肌肉(ひにく)、皮(かわ[やぶちゃん注:ママ。])を隔(へだ)つを、憾(かこて)り。

 一夜(あるよ)の私語(さゝめこと)に、白露、問《とひ》ていわく、

「君か[やぶちゃん注:ママ。]愛(あひし[やぶちゃん注:ママ。])たまふ情(こゝろ)、かの遊女と、妾(せう)と、いつれか、まさる。」

こたへて云(いふ)。

「汝に、しかず。」

 又、問。

「容貌、妾と蘭と、くらべは[やぶちゃん注:ママ。「ば」であろう。]、如何(いかん)。」

 暁明、いふ。

「紅桃(こうとう[やぶちゃん注:ママ。])・素李(そり)、いつれ[やぶちゃん注:ママ。後も同じ。]をか、捨(すて)、いつれを、取(とら)ん。さは、いへ、蘭女(らんぢよ)は、肌(はだへ)、溫(あたゝ)かにして、かの合德(がつとく)が温柔乡(おんしうきう[やぶちゃん注:ママ。])も、是には過じとおもほゆる。」

[やぶちゃん注:「德」は底本では異体字のこれ(「グリフウィキ」)だが、表示出来ないので、正字で示した。「乡」は「鄕」の異体字である。

「素李」双子葉植物綱バラ目バラ科スモモ亜科スモモ属スモモ Prunus salicina の花か。グーグル画像検索「Prunus salicina 花」をリンクさせておく。

「合德が温柔乡」「合徳」は前漢第十一代皇帝成帝の妃趙合徳。「中国史・日本史メイン 非学術イラストサイト」の「史環」のこちらによれば、『合徳は』『豊満な体を誇る女性で』、『成帝は彼女を「温柔郷」と呼び、彼女の体に溺れてい』ったとあり、『やがて成帝が病にかかって精力が衰えると、シン卹膠(シンジュツコウ)という精力剤を使って帝と閨を共にしてい』たが、『あるとき、一粒でよいところを酔った勢いで七粒も服用させてしまい、そのため帝はそのまま崩御してしまったとされて』おり、しかし、『合徳は取り調べに際し』、『「私は帝を赤児のように扱い、世を傾けるほどの寵愛を受けた。今更帝との房事について言い争うことなどするものか。」と言い、胸を叩いて憤死したという』とあった。なお、「溫柔鄕」は歴史的仮名遣で「をんじうきやう」であり、現行では、「遊里・花柳界」を指す一般名詞となっている。]

 白露、聞(きゝ)て、悅ばさる[やぶちゃん注:ママ。]風情(ふぜい)ありて、云(いふ)。

「しからば、妾(せう)、蘭女には、及ばし。遮莫(さもあらば)、渠(かれ)、いかなる美人なれば、かくばかり、君の譽(ほめ)給ふぞや。もし、明夜《みやうや》、來りなは[やぶちゃん注:ママ。]、妾、ひそかに、その容色を、うかゝひ[やぶちゃん注:ママ。]見ん。必、漏し給ふな。」

と、約してぞ、かへりける。

 こゝに、蘭は、夜を隔てゝ、暁明かたに來《きた》る事、已に、二、三月《ふた、みつき》におよび、その夜も、來り、枕を幷(なら)べ、私語の序(すいで[やぶちゃん注:ママ。])に、蘭か[やぶちゃん注:ママ。]いふは、

「不審や。君、此ほど、形容(かたち)、甚た[やぶちゃん注:ママ。]焦枯(しやうこ)して、精神(こゝろ)、蕭索(つかれ[やぶちゃん注:「疲れ」。])見え給ふ事、日こと[やぶちゃん注:ママ。「ごと」「每」。]に、まさる。是、蠱惑(こわく)の病(やまひ)なり。定《さだめ》て、妾《せう》》か[やぶちゃん注:ママ。]外《ほか》に、相逢(《あひ》あふ)ものゝ、あるならん。」

[やぶちゃん注:「蠱惑の病」人の心を妖しい魅力で惑わし誑かす霊的な外因性の危険な病いを指している。]

 暁明、云《いふ》。

「此事、さらに、覺へす[やぶちゃん注:ママ。]。」

 蘭、その時、脉(みやく)を診(しん)じ、大《おほき》におどろきて云けるは、

「妾、幼きより、醫の道を、ならひ、人の病(やまひ)を見る事を、さとしぬ。今、君の脉を診(しん)するに、これ、鬼症(きしやう)の沈病(やまひ)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]なり。[やぶちゃん注:ここには、「然るに」ぐらいは、入れて欲しいぞ!]『何そ[やぶちゃん注:ママ。]覺へなし。』と宣(のたま)ふ。恐らくは、後(のち)、ついに[やぶちゃん注:ママ。]君か[やぶちゃん注:ママ。]身、危(あやう)きに至らんか。妾、なを[やぶちゃん注:ママ。]、明夜《みやうや》、藥をもとめ、來《きた》るべし。」

とて、辞(じ)し、出行《いでゆき》ぬ。

[やぶちゃん注:「鬼症(きしやう)の沈病(やまひ)」「何らかの霊鬼或いは死霊に接触することによって発症した長く癒えることのない重い病い」の意。]

 

Renka

 

[やぶちゃん注:右幅の女が「蘭」である。暁明の手元に、白露の渡した絹布がある。左幅は、正体を現して去ってゆく髑髏化した「白露」である(最初の幅の服の模様が同じ)。無惨! 底本の大型画像はこちら。] 

 

 そのとき、暁明、かの絹を弄(らう)すれは[やぶちゃん注:ママ。]、白露、やかて[やぶちゃん注:ママ。]入來《いりきた》りたる。

「汝、蘭か[やぶちゃん注:ママ。]すがたを、伺ひしや。」

と、問《とふ》。

 白露、いふ。

「然(しか)り。まことに、古今、たぐひなき美人、なかなか、人間とは思わ[やぶちゃん注:ママ。]れねば、妾、竊(ひそか)に、かれか[やぶちゃん注:ママ。]歸る跡を、とめて[やぶちゃん注:尾行して。]、したひ行《ゆく》に、南山(なんざん)の狐窟(こくつ)に、入《いり》たり。かれは、野狐(のきつね)の精(せい)なる事、疑ひなし。きみ、近つけ[やぶちゃん注:ママ。]給ふべからず。」

 暁明、笑《わらひ》て云《いふ》。

「かれかことき[やぶちゃん注:総てママ。]艷色(ゑんしよく[やぶちゃん注:ママ。])、よしや、狐にもあれ、我、おそれず。汝、さのみ、な、妬(ねた)みぞ[やぶちゃん注:ママ。「そ」。]。」

とて、白露が手を携へ、閨(ねや)に、いさなふといへども、白露、少しも、悅ばす[やぶちゃん注:ママ。]

 やゝ黙然(けんぜん[やぶちゃん注:ママ。底本の異なる「初期江戸読本怪談集」では『てんぜん』とする。私には私の底本では、の崩しは絶対に「て」には見えない。ただ、彫師が「黙」を「」と誤認して誤刻した可能性はあるようには思う。)として居けるが、「君、かの野狐の精を愛し給はゝ[やぶちゃん注:ママ。]、妾、誠(まこと)を盡(つく)すとも、その甲斐、なからん。」

と、ふかく、怨(うらみ)し顏色(かんしよく[やぶちゃん注:ママ。])にて、別れてぞ、出行《いでゆき》けり。

[やぶちゃん注:本篇は、丸山遊廓の蘭が、実は女狐の化身であり、「白露」が最後に死霊であることが示唆されている。しかし、どうも、この話、語りの中の表現やシチュエーションに、何とも言えず、中国的なニュアンスがちりばめられていることに、一読、思われる人が多いはずである。学のある狐の女妖怪の定期の訪問というのは、如何にも日本的ではなく、極めて中国的なのである。しかも、その女狐が主人公を救おうとするというプロセスも日本の妖狐譚ではメジャーなものではない。実は、これは、私の偏愛する清初の蒲松齢の文語怪異小説集「聊斎志異」の中の一篇「蓮香」を翻案(但し、かなり、展開の改変が行われてあり、理屈がつくように外堀を埋めた部分が却って無理を感じさせて、それが全体に怪奇談の流れを澱ませてしまっているように私は感じる)したものである。絶妙な自在な訳で知られる柴田天馬訳「定本聊斎志異」巻六(一九五五年修道社刊)の当該話をリンクさせておく(電子化しようと思ったが、少し長いので、今回は諦めた。ちょっと疲れているから。悪しからず)。主人公の名は「桑(さう)秀才」であるが、名は『曉(げう)』で『字を小明』と称し、本篇の主人公の名もそこから改名してあるので、誰が見ても判然とする。

 なお、本篇は「巻之二」の「狐鬼 下」に続いており、これで終わりではない。

佐々木喜善「聽耳草紙」 一七六番 嫁に行きたい話(二話)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここ。]

 

      一七六番 嫁に行きたい話(其の一)

 或所に大層齡《とし》を取つた婆樣があつた。其婆樣を嫁子《あねこ》にケなかべかと云ふて仲人《なかうど》が來たところ、家では、俺方(オラホ)の婆樣ア眼も見えないし、わかねアごつたと斷つた。すると婆樣はこれアこれア此餓鬼どア向ひ山の頂上(テツペン)で赤蟻(アカガアリ)コと黑蟻(クロアガリ)コとが角力《すまふ》してらでア、汝(ウナ)どさア見ねえか…と言つた。

 婆樣は餘程嫁子に行きたかつたと見える!

[やぶちゃん注:文末の「!」は底本では太い「­―」(或いは調音符)だが、「ちくま文庫」版のエクスクラメーションを採用した。

「赤蟻(アカガアリ)コ」小学館「日本大百科全書」によれば、『昆虫綱膜翅』『目アリ科』(Formicidae)『の昆虫のうち、体色が赤褐色または黄褐色の種類をよぶ俗称。普通』、『アズマオオズアカアリをさすが、本州の山間部や北海道では、アリ塚をつくるエゾアカヤマアリやツノアカヤマアリをさすことが多い』とあった。「アズマオオズアカアリ」はアリ科フタフシアリ亜科オオズアリ属アズマオオズアリ(東大頭蟻) Pheidole fervida で、働きアリで約二・五ミリメートル、働きアリで約三・五ミリメートル。屋久島以北、日本以外では朝鮮半島にも分布する。和名通り、東日本では平地にも見られ、同属種のオオズアリ Pheidole nodus よりも明るい黄褐色を呈する。一方、エゾアカヤマアリはアリ科ヤマアリ亜科ヤマアリ属エゾアカヤマアリ Formica yessensis で、北海道及び本州中部以北に分布し、南限は神奈川県金時山で、体長は四・五~七ミリメートル。頭部・胸部・腹柄節・脚などは、黄赤褐色だが、頭部・胸部・脚の上面は、やや暗色で、腹部は黒色だが、基部は少し赤みがかる。一方の、ツノアカヤマアリは、ヤマアリ属ツノアカヤマアリ Formica fukaii で、北海道・本州西部まで分布し、体長は四・五~六・五ミリメートルで、頭部・胸部・腹柄節は黄赤褐色で、頭部上方・前胸背上端部・触角柄節・脛節は、やや暗色を呈し、腹部は黒い(以上は信頼出来るアリの学術サイトを複数参考にした)。

「黑蟻(クロアガリ)コ」一般に南西諸島以外の本邦では、住宅地などでも、よく見られる最も普通な種の一つで、日本列島に分布するアリの中では最大となる大型アリであるヤマアリ亜科オオアリ属オオアリ亜属クロオオアリ Camponotus japonicus が知られる。働きアリの体長は七~十二ミリメートルほどであるが、七~九ミリメートルの小型働きアリと一~一・二センチメートルで頭部が発達した大型働きアリが形態的に分化している。全身が光沢のない黒灰色だが、腹部の節は黒光りする。また、腹部には褐色を帯びて光沢のある短い毛が密生する。日本以外では、朝鮮半島・中国まで分布し、アメリカ合衆国やインドからも分布が報告されている(ここはウィキの「クロオオアリ」に拠った)。]

 

        手煽り(其の二)

 或所に齡頃《としごろ》の娘があつた。その娘を嫁子《あねこ》にケなかべかと云ふて仲人が來たところ、家では、俺方の娘アまだ何ンにも知らねえ子供で、わかねえごつたと斷つた。すると娘はわざわざ仲人の前へ來て手を煽《あふ》りながら、…あゝあゝ今朝《けさ》のすばれることア、十九になるども手ア冷(ツメ)たいと言つた。

[やぶちゃん注:この娘の仕草と台詞は、暗に、異性を求める私の身内の燃える熱い体を、なんとかして呉れる男性を求めているというを示唆しているものであろう。「手ア冷(ツメ)たい」はそれ以外の体が男を求めて燃える体を暗示する対表現と読んだ。]

佐々木喜善「聽耳草紙」 一七五番 尻かき歌

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここ。]

 

      一七五番 尻かき歌

 

 或所に馬鹿娘があつた。父親がある日隣家へ遊びに行くと、隣家の娘は繪を畫いて居た。感心して家へ歸つて其話をして聽かせ、本當に隣家の娘のやうな利巧な子供を持つたならなんぼ良(エ)えんだか、なんだ俺家の娘と來たらろくな勘定も知らないとこぼすと、馬鹿娘がいきなり立上《たちあが》つて父親の前で、グエアラと着物の裾をまくつて、片手で尻をガリガリとかいた。親父が怒つて叱ると、娘は左のやうな歌を詠んだ。

   かくべきための

   十(とを)の指

   けつをかいたて

   咎(とが)ぢやあるまい

 (江剌郡人首《ひとかべ》邊にある話。昭和五年七月七日佐々木伊藏氏談話の七。)

[やぶちゃん注:「江剌郡人首」現在の岩手県奥州市江刺米里(よねさと:グーグル・マップ・データ)の旧地名。ネットの「ことばバンク」の平凡社「日本歴史地名大系」の一部記載によれば、『角掛(つのかけ)・菅生(すごう)・栗生沢(くりゆうざわ)三ヵ村の東に位置し、北上高地中央の山地・丘陵に立地。南部に阿茶山』(あちゃやま)『(五三三・三メートル)・烏堂(からすどう)山(五五二・七メートル)、東部に大森(おおもり)山(八二〇メートル)・物見(ものみ)山が』聳え、『これら山麓の沢水が中央部で人首川』(ひとかべがわ)『に合流し』、『西流』し、『流域に盆地状の狭い平地が開けている。村名について』は、『坂上田村麻呂に討伐された人首丸』(ひとかべまる:た蝦夷(えみし)の族長阿弖流為(アテルイ)の弟大武丸(おおたけまる:別に他の蝦夷の族長悪路王の弟とも伝えるが、「あくろわう」は「あてるい」に当てたものともされる)の子)『の潜居地であったことに由来するとの伝承がある。大谷地(おおやち)遺跡は縄文時代早期のもので、貝殻刺突文・縄文・無文土器とともに絡条体圧痕文的な土器遺物がみられる』(以下略)とあった。「ひなたGPS」の戦前の地図の方のここで、「米里村」と、そこを貫流する「人首川」が確認出来る。]

佐々木喜善「聽耳草紙」 一七四番 馬鹿息子噺(二話)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]

 

      一七四番 馬鹿息子噺

 

        牛の角突き(其の一)

 或所に馬鹿な息子があつて、お葬式の行列が花を持つたり、旗を立てたりして來たので、面白くなつて、木に登つて、あゝ面白い、あ熊楠面白いと言つて喜んで居たら、何が面白いと言つて頭を叩かれた。家へ歸つてその事を話すと、そんな時には、なんまんだ、なんまんだと云つて拜むもんだと、親父が言つて聽かせたのでなるほどと思つてゐた。

 次ぎに或日、家の前を婚禮の行列が通ふる[やぶちゃん注:ママ。「ちくま文庫」版では『通る』とある。「かよふる」ではおかしいので、誤植の可能性が高いが、そのままとしておいた。]ので、親父の傳授此時とばかり、大聲上げて、なんまんだ、なんまんだツ! と唱へて拜むと、何が悲しいと言つて、又頭を叩かれた。其事をまた親父に語ると[やぶちゃん注:「ちくま文庫」版ではここに読点がある。]そんな時はお祝ひだから、歌の一つも唄つてやるもんだと言はれてそれを呑みこんで居た。

 或夜近所に火事が起つた。親父の傳授此時とばかり、早速火事場へ駈けつけて行つて、あゝ目出度い、目出度い、目出度の若松樣だよう、と唄つた。するとみんなに何が目出度いと言つて燒け杭《ぐひ》で頭を叩かれて、泣きながら家へ歸つて、そのことを話すと、親父は何たらこつた、そんな時には俺も助けますと言つて、水の一桶《ひとをけ》も打つかげてやるもんだと言つて聞かせた。

 或日息子が町へ用たしに行くと、鍛冶屋があつた。そこで折角《せつかく》炭火が燃え立つてゐるところへ、親父の傳授此時とばかり、ざぶりと一桶水をぶツかけた。鍛冶屋は大變怒つて金槌で頭をコクンと叩いた。息子は町から泣きながら歸つて來て、その事を親父に話すと、困つたもんだ、そんな時に一叩き叩いて助けますと言つて一打《ひとう》ち打つて助けるもんだと敎へた。

 其次にまた町へ行くと、酒屋の前で醉《よつ》ツタクレが二人で喧嘩をおつ初《ぱじ》めてゐた。息子は親父の傳授この時とばかり、俺も一叩き叩いて助けますべえと言つて、二人の頭をぽかりぽかりと叩きつけると、かへつて二人に慘々《さんざん》なぐられてほうほうの態《てい》で家に歸つた。そして其事を親父に話すと、そんな時には喧嘩の中に入つて、これこれ、まづまづと言つて仲裁をするもんだと敎へられた。

 或日、息子が一人で山奧へ柴取りに行つたら、牛が二匹で角突き合《あひ》をしてゐた。親父の傳授この時とばかり、その眞中《まんなか》へ、これこれ、まづまづと云つて割り込んで、角で腹を突かれて、遂々《たうとう》死んでしまつた。

(江刺郡米里村地方の同話には多少相違がある。卽ち馬鹿息子の遭遇失敗した事件の順序は、火事を路傍で見て居たのが惡かつたのである。

 そこで親父からさういふ時には水を張りかけるか、
 水がなかつたら小便でもいゝと敎はる。
  次に出會《であは》したのは嫁子取りの行列であ
 つた。花嫁子《はなあねこ》の腰卷の赤く飜《ひる
 が》へるのを火事だと誤認して小便をしつかけたの
 が惡かつた。
  其次に出會したのが葬式の行列で、それに親父か
 ら敎はつた祝謠《いはひうた》を歌つたのが惡かつ
 た。
  そこでこれでは迚《とて》も一人で山へ柴刈りに
 遣れぬから俺と一緖に行けと、親父が言つたことに
 なつて居る。同地の佐々木伊藏氏談話六。昭和五年
 七月七日聽書。)

[やぶちゃん注:附記は長いのと、附記内部に改行字下げがあるため、本文同ポイントで引き上げた。さらに、手を加えて、構造的には佐々木が意図した形に一部の字数を減じて体裁を合わせた。ただ、この附記には、不全がある。則ち、この本文の採取地が不明であることである。最後の「同地の佐々木伊藏氏談話六」というのは、附記の内容の採集地であり、江刺米里としか読めないことで、本篇本文が、どこの採取かが、判然としないのである。但し、本書の多くの採集地が、佐々木の故郷である遠野であることを考えれば、本文の採集地は遠野に比定してよいであろうとは思うのであるが。また、米里版では、山の柴刈りには父親が同行していることから、馬鹿息子は父親に制止されて、命拾いをするという展開なのだろうか。馬鹿息子とは言え、私はそうであってほしいとは思うのである。

「江刺郡米里村地方」現在の奥州市江刺米里(えさしよねさと:グーグル・マップ・データ)。遠野市からは南西に当たる。]

 

        飴甕(其の二)

 或所に少し足りない馬鹿な兄があつた。母親(オフクロ)が飴(アメ)を作つて、厩舍桁《うまやげた》の上に置いた。ある日のこと兄が飴をなめたいなめたいとせがむので、親父も仕方なく桁へ上つた。そして今飴甕《あめがめ》を下《おろ》すから、お前は下に居て尻(ケツ)を抑へろよと云つた。

[やぶちゃん注:「厩舍桁」厩の柱の上の棟の方向に横に渡して、支えとする材木。何故、こんなところに置くのかが、判然としないが、飴を熟成させるのに丁度よい温度・湿度、太陽光が入らず、相応しい場所なのであろうか? 或いは、馬がいることから、雑食性の鼠や中型獣類が恐れて、食害しない場所なのであろうか? 識者の御教授を乞うのものである。]

 兄は喜んで、はいはいと言つて居た。父親《とと》は薄暗い厩舍桁へ上つて、甕を取り出し、いゝか、しつかり尻をおさへろよ、手を離すぞ、と言つて、そろそろと下した。下で息子は、あゝいゝよ、しつかりおさへているから、と言ふ返事なので、父親が手を離すと、飴甕はどさツと土間に落ちて粉微塵に碎《くだ》けて、飴はみんな土の上に流れてしまつた。父親は眞赤になつて怒つて、下へおりて、お前どうして尻をおさへていないツと怒鳴《どな》ると、息子は腰を屈めて兩手でしつかりと自分の尻をおさへながら、父親(トト)俺アこんなにおへえて居たと言つた。

  (昭和四年十一月中、前述織田秀雄君御報告の四。)

佐々木喜善「聽耳草紙」 一七三番 馬鹿嫁噺(二話)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]

 

   一七三番 馬鹿嫁噺

 

     オつけ言葉(其の一)

 馬鹿嫁樣が他(ヨソ)に行つたら、「オ」をつけてしやべるものだと母親から敎はつた。或日他所《よそ》へ招ばれて行くと、其家では甘《うま》い大根汁を出して御馳走した。そこで早速斯《か》う言つて見た。オ家の、オ大根はオでんち、オがらか、オあんじは、オよくて、オござんす、オこと…(即ちお宅の大根は田地柄か味がよく御座んすことと謂ふのである。)

 

     鶯言葉(其の二)

 これも馬鹿嫁噺である。嫁子に行つたら、鶯言葉《うぐひすことば》を使ふもんだと云はれた嫁子《あねこ》が、婚禮の時に、仲人(ナカド)嬶樣(ガガサマ)し、セウウペン、セウペン、セウペン、チコチコツと言つて便所ヘ行つた。鶯言葉とは上品な言葉と云ふ意味ださうである。

(馬鹿嫁噺として、まだまだ記錄して置きたいものや貴重だと思へる資料がかなり多くある。卽ち「上口下口」「饅頭」「おこわ飯」「いゝこと知らず」「傘」「傷嫁子《きずあねこ》」「有合せ物」等其他であつた。然しこれらは其内容が笑話となつて居るので、此集などからは別に分離して置くべき物だと謂ふ見解から、私は此所には發表しなかつた。其の一例として比較的 Simple な物を擧げて見ると、その「有合せ物」と謂ふ話などは薄足らない嫁子に姑が、私はお晝飯頃には歸らぬかも知れぬから、有合せの物を出して食事をして居ろと言い置いて外出した。そこで嫁子は後で衣物《きもの》の裾を卷《まく》り上げて有合せの物を出しつゝ食事をしたと謂ふやうな話である。)

[やぶちゃん注:附記はやや長いので、本文と同ポイントで引き上げて示した。ここで佐々木が挙げている他の「馬鹿嫁噺」は残念ながら、国立国会図書館デジタルコレクションやネットの検索をかけても、他の佐々木の書籍や他者の民譚集でも見当たらない。遺憾ながら、既に失われてしまった可能性が大のような気がする。]

2023/07/25

只野真葛 むかしばなし (72) 眞珠尼のこと

 

一、忠山樣御代に、十一にてめしかゝへられし人、後に「眞珠」とて、尼に成(なり)し。ワ、つとめし比は、七拾餘(あまり)なりし。

[やぶちゃん注:「忠山樣」既出既注。仙台藩第六代藩主伊達宗村(享保三(一七一八)年~宝暦六(一七五六)年)の諡号。]

 十一にて、四書五經をそらにし、大字(だいじ)を書(かか)れ、狩野家の繪を書(かき)し。藝にて、召し出されしなり。

「哥(うた)は、十八の年より、よみ習(ならひ)し。」

と、いひしが、後は、專ら、御姬樣方の御師範、申上たりし。

 繪は、御家(おんけ)へ上(あが)りて後も、御世話被ㇾ遊しや。彩色、殊に上手なりし。十一にては、あれほどには、覺ゑ[やぶちゃん注:ママ。]まじ。

 此人、むかし、宿下(やどざが)りして有(あり)し人の元へ、用、有(あり)て、文(ふみ)をやりしを、其内へ來(き)かよう人の、

「此文がら、見ても、よきや。」

と、いひしとぞ。

 させる用にてもなかりし程に、

「よし。」

とて見せしに、その人は、

「墨色を見る人なりし故、見しことにて、此人、眞珠が氣性・諸藝・顏色・かたちまで、よく、あてたりし。」

とぞ。

 其人、上りて、そのよしを語しかば、なにかは、うわきの若人(わかうど)たち、

「われも。われも。」

と、墨色を見てもらひに、やりし、とぞ。

 其中に、表封じをして、印おして、こしたるが、一ツ有(あり)しを、人の中にて、あらそひ、見ず、懷中して行(ゆき)しを、後に、

「何事、書(かき)し。」

と、きけども、語らず。

 殊の外、ゆかしがりて、人々、

「どこに有(ある)か、見たしく[やぶちゃん注:ママ。]。」

といふ事なりしに、眞珠は、

「相部屋故(ゆゑ)、人が、せめる。其身も、見たし。どふせふ。」

と、當番、留守中に、小だんすの上の引出しを、少(すこし)明(あけ)て、みたれば、くるくると卷(まき)て入れ有(あり)しを、開き見しに、

「其方樣(そのはうさま)のを、かよふ[やぶちゃん注:ママ。]に封じたるは、外の事ならず。至(いたつ)て、好色、深し。誰(たれ)とても、このまぬ人は、なけれど、つゝしまずば、身を、あやまつ事、あらん。」

と書(かき)て有(あり)しを、眞珠、

「心、『パツと、評判しては、あしからん。』と思(おもひ)て、人には、見つけず。」

と、いひて有しが、忠山樣は、勝(すぐれ)たる御美男にて入(いら)せられしを[やぶちゃん注:表現上、文法的に問題があるが、「おられましたが」の意であろう。]、其人、つけ文(ぶみ)を上(あげ)しにより、御暇(おんいとま)出(いで)たりし、とぞ。

「其後、見し事は、語りし。」

となり。

「左樣の氣ざし有(あり)し故、人も、いさめしならん。」

と、いはれし。

 其(その)相(あひ)見し人は、上總の大百姓なりしが、道樂者にて、若き妻を、一人おきて、江戶にばかりゐて、遊びしほどに、其妻、身重(みおも)に成(なり)しとぞ。

 其あいては、手代の〆(しま)り人なりしを、人々に、くみて、つげしかば、

「幸(さいはひ)、子共なければ、養子するには、ましなり。すぐに、うませて、子にする。」

とて、かまはざりしとぞ。

[やぶちゃん注:「手代の〆り人」手代を凡て監督指導する番頭格ということであろう。]

「壱人(ひとり)置(おい)たから、其はずなり。」

と道理をつけしは、今の世にては、珍らしからぬやうなれど、昔は、珍らしき事に、人、いひしとぞ。

 お末の者に、何の故もなく、頰のはれし事、有(あり)しを、

「それ、はやりの、うらかた。」

とて、聞(きき)にやりしに、

「『是は、此人のばゞなどの、しきりに逢たくおもゑて[やぶちゃん注:ママ。]、死せしならん。にくし、と思ふにはあらねど、おのづから、つめて、思(おもひ)し念の、來たるならん。』と、いひて、こしたりしに、やどよりも、在所のばゞ、少しばかり、わづらひて、死(しし)たるよし、知(しら)せ來りしが、『殊の外、逢(あひ)たがりし。』と、いひし故、ふしぎの如く、云(いひ)あへりし。」

とぞ。

[やぶちゃん注:「はやりの、うらかた」「流行(はやり)の、占方(うらかた)」で、所謂、当時、よく当たると評判だった易者・占い師に、この異変を内々に占わせてみた、ということであろう。]

佐々木喜善「聽耳草紙」 一七二番 馬鹿聟噺(二十一話)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。本章は非常に長い。]

 

      一七二番 馬鹿聟噺

 

        金屛風(其の一)

 舅家《しうとのいへ》から、馬鹿聟殿に、今度屛風を買つたから見に來てけさと言傳《ことづて》があつた。嫁子《あねこ》は知つて居るので、金屛風に竹ばかりで、それが物足りなく、何か書き添えたいと言つて居たぢ、竹には虎が附きもんだから、これに虎を書き添へればよいなアと言はさいと敎へて出してやつた。舅家へ行くと案の定その金屛風を取り出して、いろいろと眺めすかして居た舅殿は、時に舅殿、この屛風は竹の繪ばかりでは見ぐさいしだい、何かうまい事は無いものかと訊いた。馬鹿聟殿は腕組《うでぐ》みして、考へる振りをして居たが、昔から竹に虎ぢます、虎があれば竹がピンと跳ねるもんだと聞きましたと言つた。舅殿は大喜びをした。

 それから日が少し經つと舅家からまた、何だか聽きたいぢと云つて使ひが來た。嫁子も今度は何の用か分らぬので其儘出してやつた。馬鹿聟殿は俺はこれでも物識りだと言つて大威張りで行つた。舅殿は床《とこ》について、うんうん呻《うな》つて居た。そして聟殿の見えたのをひどく喜んで、これはこれは聟殿よく來てくれた。實は昨夜からこれが病《や》めて死ぬやうだと言つて、大きな仙氣睾丸《せんききんたま》を橫腰から出して見せつゝ、何とかよい妙藥でもあるまいかと訊いた。馬鹿聟殿はそれを橫から見たり、屈んで見たりして居たが、それこそ大聲を出して、竹に虎だツと叫んだ。

[やぶちゃん注:「仙氣睾丸」「仙氣」は「疝氣」が正しく、これ自体が、漢方で、下腹部や睾丸(こうがん)が腫脹して痛む病気の総称である。下半身の睾丸を含む全体的な腫脹は、リンパ系フィラリア症(象皮病)があるが(私の『「想山著聞奇集 卷の參」 「戲に大陰囊を賣て其病氣の移り替りたる事   附 大陰囊の事」』を参照)、この舅は睾丸のみが腫れ上がっているので、他の部位に全く腫れが認められないとならば(ロケーションが東北地方であるので、象皮病は本邦では、嘗ては、日本の温暖な西日本や南日本地域に多かったことから、ちょっとクエスチョンである)、精巣腫瘍・陰嚢水腫・精液瘤・精巣上体炎・精巣捻転症・精索静脈瘤などを疑った方がよいかも知れない。]

 

        物貰ひ(其の二)

 馬鹿聟殿が舅家の秋振舞ひに呼ばれて行つて、しこたま御馳走になつたあげく、翌朝、歸りに十文錢を緡(サシ)にさして貰つた。それを持つて山路へかゝると、沼に鴨がずつぱり(多く)下りて居たから、それを捕るべと思つて、錢を投げつけてみんな失くしてしまつた。そのうちに鴨鳥はばツとみんな飛び去つたので馬鹿聟殿は手振八貫(テブリハチクワン)で家さ歸つた。[やぶちゃん注:「秋振舞ひ」収穫の終った後の祝いの飲食を指す。「八貫」三十キログラムであるが、何を言ってるのか、不明。自身の体重にしては、軽過ぎるし、一緡(銭百文又は千文)の重量としては、重過ぎる。後の別なシークエンスでも繰り返されるので、単に「何も持たずに軽いこと」を言っているようである。]

 家へ歸ると、母親(オツカア)が、ざえざえ舅どんから何も貰はなかつたかと訊くと、聟殿は、舅どんから十文錢一緡貰つたつた[やぶちゃん注:今言うところの「貰ったった」。]けれども、山澤(ヤマサワ[やぶちゃん注:ママ。])の沼に鴨鳥がずつぱり居たのでみんな投げつけて來たますと答へた。それを聽いて母親は歎いて、なんたらお前も馬鹿だべなア、そんな錢を貰つたら、財布に入れて大事にして持つて來るもんだにと言つて聞かせた。すると馬鹿聟殿は、あゝ、俺アよく分つた。尤も尤もと言つていた。

 其次に舅家へ行つた時は、ぜえぜえ聟殿の家にア馬コが無かつたから、馬コ一匹けツからと言つて、勇みの駒を一匹貰つた。そこで馬鹿聟殿はこゝの事だと思つて、その駒を財布の中に入れべえとして、駒の頭に財布をかぶせて尻を打つて打つて、遂々《たうとう》打ち殺してしまつた。そして、あゝオメトツタ、オメトツタ(苦勞した)と言ひながら家ヘ歸つた。

 母親がまた今日ははア舅どんから何も貰つて來なかつたかと訊くと、舅どんではお前のところには馬コがなかつたから、これをけツからと言つて、馬コ一匹もらつたけが、俺ア財布さ入れべとして、打ツ叩いて、打ツ叩くと遂々くたばつた(死んだ)から、街道傍《かたはら》さぶん投げて來たのシと言つた。母親はそれを聽いて、ひどく歎いて、何たらお前も馬鹿だべなア、馬コもらつたら、首さ手綱を結びつけて、はいはい、どうどうと掛聲しながら曳いて來るもんだがと敎へた。聟殿はそれを聽いて、あゝ訣《わか》つた訣つた、今度こそはと言つて居た。

 其次に舅家さ行つた時ア、聟どんの家にア茶釜コが無かべから、これを持つて行けと言つて、立派な茶釜を貰つた。馬鹿聟殿はこゝだと思つて、茶釜の鉉(ツル)コに繩を結びつけて、凍(スミ)カラの上を、がらがら、がらがらとひきずつて來た。すると茶釜ははつぱりと打ち壞れて鉉コばかりをからからと引いて家へ持つて來た。[やぶちゃん注:「凍(スミ)カラ」凍った道の意か。]

 家さ歸るとその態(サマ)を母親が見て、それあ何の事だアと叱つた。聟殿は何さ舅どんへ行つたら、お前のところにア茶釜コもなかんべからツて、この茶釜コをもらつたから、これ斯《か》うして曳摺《ひきず》つて來たのシと言つた。母親はそれを聽いて大層歎いて、なんたらお前も馬鹿だべなア、そんな立派な茶釜コなどもらつたら、大事にして手に持つて下(サ)げて來るもんだがやエと敎へると、尤も尤も、今度こそと言つて俯肯(ウナズ[やぶちゃん注:ママ。])いていた。

 其次ぎに舅家さ行くと、ぜえぜえ聟どんの家には下女童(ゲヂヨワラシ[やぶちゃん注:底本では「ゲチヨワラシ」。「ちくま文庫」版を参考に訂した。])がなかつたべから、一人けツから連れて行きもせと言つて、下女童を一人もらつた。馬鹿聟殿はこの時だべと思つて、下女童の帶をとつて右手に引ツ下げると、下女童は魂消《たまげ》て、おういおういと泣きながら逃げて行つてしまつたので聟殿は手振八貫ですごすごと家へ歸つた。

 家に居た母親が、ぜえぜえ舅どんでは何もケなかつたかと訊くと、何さ下女童一人もらつたども、腰を抱いて引ツ下げべとしたら、泣き立てゝ逃げて行つたから、構(カモ)ねで[やぶちゃん注:構わずにそのままにして。]來たシと言つた。母親はそれを聽いて、何たらお前も馬鹿だことでア、下女童などもらつたら、自分の後(アト)さ立てゝ、それア靜かに來(コ)らやい、今日は天氣アええなア、お前アええ童だなアと言つてダマシ(慰め)て來るもんだと言ふと、聟殿はああ尤も尤も、今度こそ今度こそと言つて居た。

 其次ぎに舅家さ行つた時は、聟どんの家にア屛風コも無かんべから、これをケツからと言つて、屛風をもらつた。ははアこれとて下げたりなんかしては惡い。この時だと思つて、舅家の門口を出ると往來に屛風を立てゝおいて、さあさあ靜かに來ウやい。今日は天氣はええなア、本當にいい、メンコ(可愛い)だ、メンコだなアと言つて、眞直ぐに家へ歸つた。

 家に居た母親が、今日は舅どんでは何もケなかつたかと訊くと、ああ今日はお前の家には屛風コもないこつたからと言つて、屛風コをもらつたから、後に立てゝ置いて、靜かに來らやい。今日はお天氣がいゝなアツてダマして來たシと言つた。

 母親はそれを聽いてひどく歎いて、何たらお前も馬鹿なこつたべなア、そんな時には、はアこれやどつこいしよツと、肩さ擔いで來るもんだにと訓(サト)したら聟殿はあゝ分つた分つた。今度々々、尤も尤もだと言つていた。

 其次ぎに又舅家さ行くと、聟どん聟どん、お前らにヤ牛(ベコ)コもなかつたべから、一疋けツから曳いて行きもせと言つて、赤斑《あかまだら》の牛コを二疋貰つた。馬鹿聟殿はこゝだと思つて、牛の下腹《したばら》さもぐり込んで、どつこいしよツと擔《かつ》ぎ上《あ》げべえとすると、めイめイと大きな聲で啼いて、馬鹿聟殿を向角(ムカツノ)で、どいら突き飛ばした。聟殿はおつたまげて、おういおういと大泣きに泣いて家に歸つた。

 そこで母親もこの聟殿があんまりな馬鹿者なのに呆れ返つて、二度と再び舅家などへは行くなと言ひつけた。

(參考のために出羽の「山の與作《よさく》」の話をする。この話は普通の「馬鹿聟噺」の型を破つた、不思議な哀話であつた。それは出羽の庄内、立谷澤《たちやざは》と云ふ所の山奧に、與作といふ愚直な男があつた。獨身者《ひとりもの》であつたので、或人の世話で、麓の村から嫁子を貰つた。其嫁子の名はお初と云つた。

 お初は與作がどんな馬鹿なことをしても、決して厭な顏をしたり、小言を言つたりした事がなく、それはそれはまめまめしく聟鍛に仕へた。村の人達でお初のことを褒めぬ者はなかつた。

 與作は春になつたので山の蕨《わらび》を採つて來て、それを舅の家へ土產に持つて行つた。舅姑《しうと・しうとめ》は大層喜んで、そのお禮に小判を一枚出して、聟殿々々これを持つて行つて何かの足しにと言つてくれた。與作はそれを貰つたが、途中でどうも其小判が不思議でならず、力任(チカラマカ)せに平たい石の上に叩きつけてみると、チヤリン、チヤリンといふ音がした。これは面白い物だと思つて幾度も幾度もさうして叩きつけて鳴らした。其中《そのうち》に小判がひしやげて見惡《みにく》くなつたから、川の中にブン投げて歸つた。

 お初は家で夫を待つて居たが、夕方やつと歸つたから、お前は里から何か貰つて來なかつたかと訊くと、與作は何だか薄いピカピカ光る金《かね》を貰つたども、石に打つけると面白い音がするから、打ちつけ々々々々して遂々仕舞ひには川さ投げ棄てて來たと言つた。お初はそれは小判と云ふものであつたべに、今度それを貰つたら、これに入れて大事に懷中にしまつて持つて[やぶちゃん注:底本は「持つた」。「ちくま文庫」版で訂した。]來さいと言つて財布を渡した。

 それから間もなく谷澤に蕗《ふき》が生へる時になつた。與作はその蕗を採つて、舅の家へ土產に持つて行つた。舅姑は大層喜んで、今度は、お前のとこらには無いだらうからといつて、靑馬を一匹くれた。それを曳いて來る途中で、いつかお初から聽いた話を思ひ出して、ふところの財布を出して馬を入れようとすると、馬はハヒヒヒンと高噺《たかいなな》きをして何處かへ逃げてしまつた。家へ歸つて其事をお初に話すと、お初は歎いて、馬を貰つたら綱を着けて、はいはいと言つて曳いて來るもんだと敎へた。

 それから間もなく筍《たけのこ》が生へる季節になつた。與作はその筍を採つて籠に入れて、舅の家へ持つて行つた。すると舅姑はひどく喜んで、これを持つて行つて使へと言つて立派な茶釜をもらつた。それを持つて來る途中で、ざえざえさうだつた。お初があゝ云つたつけと漸く思ひ出して、茶釜の鉤(ツル)に綱をつけて、石カラ路をがらがらと曳き摺つて來た。そしてはつぱり茶釜は壞れてしまつて、鉤ばかりを家へ曳いて來た。お初はそれを見て歎いて、なんたらことだ。茶釜を貰つたら手ささげて來るもんだと敎へた。

 其中《そのうち》に秋になつた。山には澤山、菌《きのこ》や葡萄やコウカ[やぶちゃん注:「紅花」(べにばな)のこと。被子植物門双子葉植物綱キク亜綱キク目キク科アザミ亜科ベニバナ属ベニバナ Carthamus tinctorius 。]などが實つた。今度はそれらの物を採つて籠に入れて背負つて、舅の家へ行つた。舅姑はいつもいつも珍しい物ばかり貰う[やぶちゃん注:ママ。]と言つて喜んで、これを曳いて行つて木でもつけろと言つて、一匹の斑牛《まだうし》をくれた。與作は其牛を貰つて曳いて來る途中で、あゝさうだつた、お初があゝ言つたつけと思ひ出して、斑牛の頭をつかまへて引上げやうとした。すると斑牛はひどく怒つて與作を角で突き殺してしまつた。

 其日の夕方、お初は家に居て、夫の歸りを待つて居たども、なかなか歸らなかつた。あんまり遲いものだから、松火《たいまつ》をつけて迎ひに行くと、山路《やまみち》の途中で夫は牛に腹を突き破られて死んで居た。それを見てお初は大層歎き悲しんで、其所の千丈ケ谷と云ふ難所から夫の屍《しかばね》を抱《いだ》いたまゝ身投げして死んでしまつた。それ以來此村では、與作、お初と云ふ名前をつけぬと謂ふことである。

此話のみは雜誌『話の世界』一卷七號、大正八年十二月號に載つた。淸原藍水と云ふ人の物であるが、こんな機會にでも採錄して置かぬと自然と忘れられてしまふから記錄して置いた。)

[やぶちゃん注:以上の附記はポイント落ち字下げを行わずに、本文同ポイントで引き上げた。最後の段落の冒頭の字下げがないのは、そのままで、これは佐々木自身の形式であって、誤りではない。なお、私は昔、本章本文を読んでいる最中、既にして、牛の角に突かれたら、死ぬかもしれない、ふっと思ったのを思い出す。而して、以上の哀話落ちを読んで、思わず、二人の最期を想起し、与作とお初の冥福を心の中で祈ったものであった。

「出羽の庄内、立谷澤」現在、山形県東田川(ひがしたがわ)郡庄内町(しょうないまち)立谷沢(たちやざわ:グーグル・マップ・データ航空写真)があり、南端近くに月山が、北の域外の近くに羽黒山が位置する山間地である。但し、旧「立谷澤村」は「ひたたGPS」の戦前の地図で見ると、羽黒山まで含まれていることが判った。なお、「千丈ケ谷」はそちらで調べてみたが、見当たらなかった。月山の東直近には「千本松山」と「念佛原」があるが、与作が麓の里から帰る途中のロケーションでなくてはならず、こんな南の奥の高山部ではあり得ない。]

 

        馬買ひ(其の三)

 馬鹿聟殿が、或日馬ア買ひに小袋をさげて行つた。さて買つた馬を小袋に入れて持つて歸るべえとしたが、馬はどうしても小袋に入らなかつた。家へ歸ると爺樣に、聟殿聟殿馬買つて來たかと訊かれた。そこで聟殿は聲を張り上げて、

   馬がア―

   逃げたア風(ふ)だア…

 と歌つた。すると直ぐそのあとに續いて、馬が、インヒヽン、インヒヽンーと嘶《いなな》いた。

 次に婆樣が、聟殿聟殿馬ア買つて來たかと訊いた。そこでまた聟殿は聲を張り上げて、

   婆アやア

   婆アやア―

   馬が逃げたつだア―

 と歌つた。すると直ぐそのあとへ續いて馬が、インヒヽン、インヒヽンと嘶いた。

 爺樣婆樣の考へでは、どうもこんな聟殿では分らないと言ふので、遂々《たうとう》逐《お》ひ出した。

  (馬鹿聟殿の頓狂な唄聲に續いて、インヒヽン、
   インヒヽンと馬の嘶き聲を付ける、その節𢌞し
   のユーモアが此話の興味である。森口多里氏御
   報告分の六。)

 

        厩舍褒め(其の四)

 舅の家では厩舍《うまや》の新築祝ひで、聾殿にも來いと言つて來たので、これは行かねアばなるまい、さあ行つて來るウと言ふ。嫁子は心配して、家を出る時、あの厩舍には大事な柱に節穴があつけから、此所さ火伏せの御守札を貼ればええなすと言はさえと敎へて出した。

 行つて見れば成程大事な柱に節穴があつたので、聟殿は後からついて步きながら、舅どん、舅どん、あつたら柱に節穴がついてをるが、こゝに火伏せのお守札を貼るとええなすと、オカタから敎はつた通りのことを言つた。舅殿は感心して、俺ア聟どんは少し足りないつて謂ふ評判だつたが、これでは何も不足はないと思つて、さうだアさうだア、聟どんはよいところに氣がついたと言つて、ひどく喜んだ。

 ところが舅殿に褒められて、圖に乘つた馬鹿聟どんは、厩舍の中の雌馬の尻の方を見て居たが、いきなり、あツ舅殿し、この馬の穴さも火伏せのお守札をはんもさえと言つて、大味噌をつけた。

 

        大根汁(其の五)

 或家で聟殿を貰つた。世間の話では、その聟殿は少々薄馬鹿だと云ふ事で、また聟殿自身も人にさう云はれるもんだから、始終内氣勝ちで居たが、本家から箸取振舞(ハシトリブルマヒ)に來いと招《よ》ばれたので、嫁聟二人で行くことになつた。聟殿が本家さ行つて人に笑はれネばよいがと心配すると、アネコ(嫁子)はそれを慰めて、なにもそう心配することアねえ、御馳走はたいてい大根汁にきまつて居るから、大根ヅものアええもんだ。根も食へれば葉も食へてツて褒めらツさえと敎へた。聟殿は喜んで、それを何時《いつ》さう言へばええべと訊くと、嫁子はそれではお前の腰さ細繩コ結び着けて置いて、それをチキツと引張《ひつぱ》るから、其時にそう[やぶちゃん注:ママ。]言はさえと敎へた。

 聟殿は腰に細繩を着けてもらつて、嫁子《あねこ》と一緖に本家へ行つた。お膳が出ると、案の定大根汁であつたので、お膳に向つた時、嫁子はチキツと繩を引張つた。聟殿はこの時だと思つて、ははア大根ズものアええもんだ。根も食エば葉も食つて、と居云つてお辭儀をした。皆は魂消《たまげ》て、なんだかえアニコ(兄聟殿ということ[やぶちゃん注:彼は恐らく長女或いは長男よりも年上の次女等の聟なのであろう。])を世間では薄馬鹿だと言ふが、本當に噂ツてものはあてにならねもんだ。馬鹿聟どころか世間に餘計《よけい》ない[やぶちゃん注:そうしたものが他にいない。]利功者だと感心して居た。

 ところがその中《うち》に嫁子が小用を足しに行つた。その繩の端にはどうしたものか鰯を結び着けて置いたので、猫がそれを見つけて、パクツパクツと引張つた。そこで聟殿はその度每に一生懸命に、大根ズものアええもんだ。根も食エば葉も食ふ…と續けざまに言つたので、すつかり木地をあらわしてしまつた。

(箸取振舞とは、男女新婚の前後に主に婚儀前親類緣者の家に招ばれて行つて、御馳走になり、其上に錢を貰ふことである。此話は盛岡地方の昔話である(橘正一君報)。ところが拙妻の記臆して居た話では、馬鹿聟殿の言ふことばが、少々長くて斯《か》うであつた。――芋ヅものアええもんだ、根も食つて葉も食つて、親ア食つて子食つて、殘るところはケツクラケツのケブカ(毛)ばり…と云ふのであつた。勿論この方は芋汁の御馳走であつたのである。昭和三年十二月二十七日聽記《ききしるし》の分。)

[やぶちゃん注:附記は、やはりポイント落ちはやめて、引き上げておいた。]

 

        小謠(其の六)

 或時、馬鹿聟殿が舅家へ行くと、聾舅どんは小豆團子《あづきだんご》を食つたことが無かんべから、こさへて御馳走すべえと云つて、姑婆樣《しうとばばさま》が小豆團子をつくつて食はせた。それがとても甘《うま》かつたので、聟殿はその團子を仕末するところを、よく見張つて見て居ると、戶棚に入れたから、その夜中に皆が寢沈《ねしづ》[やぶちゃん注:漢字はママ。]まつてから、そつと起きて、戶棚から團子瓶《だんごびん》を取り出して、頭を突ツ込んでうんと食つた。そして鱈腹《たらふく》食つてから、頭を拔くべと思つたら、どうしても瓶から頭が拔けなかつた。そのうちに裏心《うらごころ》がさして來たので、厠舍《かはや》に行つて蹲《シヤガ》んで居ると、舅殿が帶廣裸體(オビヒロハダカ)でうそうそとやつて來たので、馬鹿聟殿は魂消《たまげ》てカキギ箱の中に入つて隱れた。[やぶちゃん注:「裏心」通常は「企みを考えること」の意であるが、どうも合わない。「後ろめたい気持ちが募って」の意であろう。「帶廣裸體」「帶代裸」と同義で「細帯を締めただけの、だらしのない姿」を指す。但し、通常は女性のそうしたあられもない姿を指す。「カキギ箱」「搔木箱」で「「搔木」は糞箆(くそべら)で、大便をした際、尻を拭うのに用いる木片を指す。「捨て木」「籌木」(ちゅうぎ)「ちょう木」「つっ木」「ようど木」「しの木」などとも呼ぶ。]

 そんなことは一向知らない舅殿は、用を濟ましてから、カキギを探したが、箱になかつたので、其所にあつた石を取つて尻を拭(ヌグ)つて、その石をべえアら(いきなり)投げた。するとそれが馬鹿聟殿のかぶつていた瓶に當つて、瓶はガチンと音がして壞はれた。そこで聟舅して、お前が石で拭つたことを俺は喋言《しやべ》らねから、お前も俺の瓶のことを言ふな言わないと約束をして、二人は素知らぬ振りをして朝間《あさま》まで寢て居た。

 或時、親類に婚禮があつて、舅殿もこの馬鹿聟殿も招ばれて行つた。舅殿は、さあさ親類役として小謠《こうたひ》を一つと所望されて、威儀を正しくして、斯《か》う歌ひ出した。

   池の水際(ミヅギワ[やぶちゃん注:ママ。])の

   鶴ら龜エはア…

 馬鹿聟殿はそれを聽いて憤然(ムツ)として、これあ酷いツ、お前は石で尻拭いたケたらと言つた。

[やぶちゃん注:「小謠」謡曲「鶴亀」の一節。しかし、このシークエンスで馬鹿聟が何故むっとしたのかが、私が馬鹿なのか、判らない。何方か御教授願いたい。]

 

        舅禮(其の七)

 馬鹿聟殿は舅禮《しゆどれ》に行くべえと思つて朝早々に家を出たが、さて、何と言つて行つたものか、少しもその見當がつかなかつた。一升樽を下げて道々その事ばかり考へながら行つた。すると大きな川のほとりへ出た。見ると對岸に隣の父(トト)が朝釣りをして居たから、あゝさうだ、彼《あ》の人なら何でも覺えて居る。これは一つ聞いて行つた方がいゝと思つて、ざいざい俺はこれから今舅禮に行くのだが、何と言つたらよいか敎へてケ申せやアと叫んだ。すると川向ひの父は自分の漁のことを聞かれるものと思つて、何今朝《けさ》はわからない。朝飯前にこればかりと言つて、魚籠(ハキゴ)[やぶちゃん注:「魚籠(びく)」のこと。]を頭の上へ高く差し上げて振つて見せた。馬鹿聟殿はあゝ分つた分つたと言つて舅家へ行つた。

[やぶちゃん注:「舅禮《しゆどれ》」の読みはサイト「ふるさと栄会」の「ふるさと昔っこ(畑則子)」の「三人婿(むご)の舅礼(しゅどれ)」の読みに従った(恐らくは「しゅうとれい」の変化したものと思われる)。また、工藤紘一氏の報告「聞き書き 岩手の年中行事」(『岩手県立博物館研究報告』第二十八号所収・二〇一一年三月発行・PDF)で、この「舅礼」行事が確認出来た(4950ページ)。それによれば、初日の期日が決まっており、一月二日で、『昼頃、若夫婦は嫁の実家へ行く。これを舅礼という。結婚後、3年間これを続けなければ、嫁を取り返されるといわれている。土産は酒と魚と餅で、このため婿の家では 1 臼(3 4 升)余分ついたものである。5 日頃には婚家へ戻る』とあった。]

 舅家の玄關へ行くと、そこへ舅姑が出て來たから、こゝだとばかり早速、一升樽を頭の上に差し上げて、はい今朝はわからない。朝飯前にこればかりと大きな聲で呶鳴《どな》つた。舅姑等は面食つて何のことだかさつぱり分らなかつた。とにかく座敷に通していろいろと御馳走をして歸した。

 其歸り路でひよつくりと今朝の隣家の父に出會つた。やや今朝はどうもありがとう、お蔭樣で何事なく舅禮をすまして來たますと言ふと、隣家の父は怪訝《けげん》な顏をして、はあお前は何と言つたいと訊ねた。馬鹿聟殿は、あゝ間違つてゐたかな、今朝はわからない、朝飯前にこればかりと言つたと答へた。[やぶちゃん注:底本は本文が行末で句点がない。「ちくま文庫」版で添えた。]隣家の父は呆れてしまつて、俺はまたお前がなんぼ釣れたと訊くのだと思つて、あゝ言つたが、えらい舅禮をやつたもんだなアと言つて大笑《おほわらひ》した。

 

        茶釜(其の八)

 馬鹿聟殿が或時、舅家の秋振舞ひに招ばれて行つて、うんと御馳走になつて、湯をがぶがぶ飮んだので、夜中になつたら小便が出たくなつた。けれども起きるのが厭だから、我慢をして床の中でもぢもぢして居た。したどもなぞにしても我慢(ガマン)がし切れなくなつて起きた。そして肥料桶(タメオケ[やぶちゃん注:ママ。])を探してうろうろと方々を步き𢌞つたけれども、どうしても見付からなかつた。其中《そのうち》に腰がはちきれさうになつたので、仕方なく爐傍《ろばた》へ來て、茶釜に睾丸《きんたま》を入れてたれた。それからあゝええと思ふと、茶釜の中でうるけて[やぶちゃん注:「ふやけて」の意。]、どうしても拔けなくなつてしまつた。

 斯《か》うなつてはいくら馬鹿聟でも、おせうしく(恥かしく)なつて、室《へや》の隅(スマ)コに縮(スク)くまつていると、その家の姑樣が朝間早起きをして、その態《ざま》を見た。そして子供を背負つて搖《ゆす》ぶりながら斯う云ふ歌をうたつた。

   佛の前の白べのこヤエ

   凍水(スガミズ)かければ

   スポンと拔けるもんだヤエ

   ねんねんこヤエ

   ねんねんこヤエトサア…

 それを聞いて、馬鹿聟殿は流し前へ行つて、前に凍水をかけると茶釜が取れた。

 

        (其の九)

 馬鹿聟殿が舅家へ招ばれて行つて泊まつて、そして初めて枕と云ふ物をして寢た。どうも頭の工合《ぐあひ》が惡くて、ろくろく寢つかれなかつた。そこで側《そば》に寢て居る嫁子《あねこ》に、ざえざえ、これは何と云ふもんだと訊ねた。嫁子は自分の名前を訊いて居ることゝ思つて、おれお駒シと言つた。

 朝間《あさま》起きて家内一緖に膳に向つての朝飯時に、馬鹿聟殿は、やあやあ昨夜は一目も眠れない。お駒をするべえするべえと思つて、押しつければおぞり(退き)おぞり、やつと壁側に押つけてからして寢たと言つた。それは箱枕のことであつた。

(此頃八戶の『奧南新報』と云ふ新聞に出て居た。三戶《さんのへ》郡階上(ハシカミ)村赤保内(アカボナイ)邊の話として左の如き報告があつた。馬鹿聟は枕を知らず、いつもごろりと寢て居た。嫁が來るといふので、ある人が枕をこしらへてやつた。これ誰ざい。だれづいと言つた。嫁は自分の名だと思つて、せん子ジますと答へた。朝間皆のゐる所へ來て、ゆうべひとつも寢なや、はめればぬぐ、はめればぬぐして、と言つたと云ひす云々。)

[やぶちゃん注:附記はやはりポイントを落とさず、引き上げた。最後の「云々」の後には句点はないが、「ちくま文庫」版で補った。

「三戶郡階上(ハシカミ)村赤保内(アカボナイ)」青森県三戸郡階上町赤保内(グーグル・マップ・データ)。南東の端の山岳部が岩手県に接している。]

 

        屛風の話(其の一〇)

 馬鹿聟殿が舅家へ行つた。いろいろ話をして居たが、寢る時、これを立てゝ寢ろといつて屛風を出してやつた。馬鹿聟殿はこんなものは初めて見るので、どう立てゝよいものか見當がつかず、眞直ぐに立てゝは轉《ころ》ばし、足を踏み伸ばしてやつては蹴飛《けと》ばしたり、轉がし轉がし、遂々《たうとう》一晚中屛風のうんざい(仕末)ばかりしていた。朝間《あさま》の飯時《めしどき》に、あれは誰だいと訊ねると、舅殿は家の娘のことと思つて、ちょう子ズますと言ふと、馬鹿聟殿はやつきとなつて、ちょう子だか何だか、俺ら昨夜十八遍ばかりおつ立てたと言つた。

 

        雪降りの歌(其の一一)

 或長者どんから花嫁子《はなあねこ》をもらつだ[やぶちゃん注:ママ。]馬鹿聟が、舅禮に行くのに何も持つて行くものがないから、ありあわせの蕎麥粉《そばこ》を出して、蕎麥粉搔餅(《そばこ》ケモチ)をこしらえて、それを藁ツトに入れて、負(シヨ)つて出た。嫁子《あねこ》はいやがつて、なんたらおらそんな物を持つて行かば厭《や》んたすと言つた。聟も持餘《もてあま》して、そんだらこれえ何(ナゾ)にすべえと訊《たづ》ねると、そんな物何所《どこ》さでもいゝから、ブン投げてがんせちやと言つた。けれども聟は育ちが貧乏であるから、せつかくのものを投げ棄てるのも惜しくて、路傍に匿《かく》して、そのしるしに糞をひつて置いた。

 其晚舅家でうんと御馳走になつて、翌朝起きて見ると、外はのツそりと雪が降つてゐた。聟は慨嘆して、斯《か》ういふ歌を唄つた。

   雪降りてヤイ

   しるしの糞も見えざれば

   我が蕎麥ケモチは

   いかになるらむ

 それを舅殿が聽いて、聟どんは何云つて居るでやと訊《き》いた。嫁子は何さ斯う言つてますたらと言つて、歌を左のように直して聽かせた。

   雪降りて

   しるしの松も見えざれば

   我が古里は

   何處(イヅク)なるらむ

 そこで舅殿は、おら聟殿は薄馬鹿だと聞いて居たが、なんのなんの偉《えれ》え歌詠みだと感心した。

 

        團子(其の一二)

 馬鹿聟殿は、舅家へ秋振舞ひに招ばれて行つて、小豆團子を御馳走になつた。それがあんまり甘《うま》かつたので、家へ歸つたなら、早速母親(アツパ)にこしらえて貰つて食ふべえと思つた。そこで夜寢てから、側のオカタ(妻)にそつと、ざいざい先刻《さつき》夕飯時に食つたものは、あれや何と云ふもんだと訊いた。するとオカタは、なんたらことを言ふ、あれは團子だましたらと敎へた。

 翌日聟殿は家に歸る路すがら、忘れてはならぬと思つて、團子團子團子と言ひ續けて來た。ところが其途中に小さな流れがあつたが橋がないので、其所を、ウントコ! と掛け聲して跳び越えた。それからはウントコ、ウントコと言ひ續けて家に歸つた。

 家へ歸ると母親(アツバ)は爐傍《ろばた》で麻糸(イト)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]を紡《つむ》んで居た。聟殿は家の中へ入るといきなり、ぜえアツパ、ウントコをこしらえて食わせもせと言つた。母親がそれは何のことだと聞くと、うんにやウントコだと言つてきかなかつた。それでも母親は何のことだか譯が分らぬものだから、たゞ呆氣《あつけ》にとられて居ると、息子はもどかしがつて、其所にあつた火箸をとつて、ウントコだつてばツと言つて、母親の額をコキンと叩《たた》いた。すると見て居るうちに母親の額に大きな瘤《こぶ》が出た。母親は呆《あき》れ返つて、なんたらこつたツこれや見ろ、俺の額さ團子のやうな瘤が出來たがやと歎いた。息子は其時、あゝあゝその團子のことだつたと言つた。

(多分此の話は「紫波郡昔話」にも出ていたと思う。重復[やぶちゃん注:ママ。]の嫌《きらひ》はあるけれども、言葉など一寸變つているから、再錄した。小豆團子ではなく、ソクシレ團子と私等は祖父母から聽いたものであつた。また言ひ間違つた掛け聲を、ウントコ、セツト、ドツコイと云ふやうに、土地々々で多少の相違がある。江刺郡米里村地方でも同話を聽いたが殆ど同じ故《ゆゑ》略す。)

[やぶちゃん注:附記はポイントを上げ、引き上げた。

「紫波郡昔話」佐佐木喜善の本書より五年前の著「紫波郡昔話」(大正一五(一九二六)年郷土研究社刊)のそれ。国立国会図書館デジタルコレクションで見ると、ここ。標題は『(一〇四) 小豆餅(馬鹿聟噺其九』となっている。なお、紫波郡は現代仮名遣では「しわぐん」で旧郡域は当該ウィキを見られたい。

「ソクシレ團子」不詳。識者の御教授を乞う。

「江剌郡米里村」現在の奥州市江刺米里(えさしよねさと:グーグル・マップ・データ)。遠野市からは南西に当たる。]

 

        (其の一三)

 馬鹿聟殿が正月舅家へ呼ばれて行つて、小豆餅をうんと御馳走になつた。其夜奧座敷に寢せられたが、夜半に小便が出たくなつて起きた。そして座敷中を這ひ𢌞つたが、どうしても出口が分らぬので大變に困つた。其中《そのうち》に迚《とて》も耐え切れなくなつたので、疊を起《おこ》して床板《ゆかいた》の節穴を見付けて、其所からスンズコ[やぶちゃん注:ちんぽこ。]を入れてじこじことして居た。ところが其床下《ゆかした》は鷄舍(トヤ)になつて居たので、馬鹿聟殿のスンズコをひよつこどもがつつ突き切つて生呑《なまの》みにしてしまつた。

 多くのひよつこの中に鳴きやうの變つたのが一羽居た。初めの中《うち》は、キンキンキンと鳴いて居たが、大きくなつて時を立てるようになると、いきなり、

   Kintama

   Kintama

 と鳴いたとさ。

  (村の農婦高室千早婆樣が、醉ふと常に語り聽かせた

   話であつた。)

 

         相圖繩(其の一四)

 馬鹿聟殿は新聟で、舅家から嫁子《あねこ》と一緖に來いと言つて使ひが來たが、嫁子は聟殿が薄馬鹿なことをシヨウシ(恥かし)がつて一緖に步くのを嫌つた。そしておら先さ行つて居るから、あんたは後《あと》から來さいねン。あんたの來る途々《みちみち》さば小糠《こぬか》をこぼして行(エ)くから、その通り步いてございン。さうすれば間違ひなくおらの實家さ着くからと、くれぐれも言ひ含めておいて先に出て行つた。

 そこで馬鹿聟殿はあとから家を出て、小糠のこぼれてゐるとほりに步いて行くと、途中で風が吹いて小糠が水の乾(カ)れた堰《せき》や小川へ飛び散らけて居た。それでも馬鹿聟殿は小糠の落ちてゐる通り、何所までも何所までも、步いて行かねばならぬものと思つて、堰に入つたり、小川へ入つたりして、紋付や袴をさつぱり泥ぐるみにしてしまつた。そして溝鼠《どぶねづみ》のやうな格好になつてやつと舅家へ辿り着いた。嫁子はその態(ザマ)を見て、アンダ何シしたでや、この態アと、うんと叱つた。そしてすつかり裸體(ハダカ)にして衣物《きもの》を洗つてやつて、やつと其晚は舅家のお客になつた。

 ところが、嫁子は舅殿が御馳走の座敷で何から先に食べていゝか、一向知らないのが氣がかりで聟殿を蔭に呼んで、大事なところに紐を結びつけて、其端を持つて居て、人に知れないやうにツツと引いたらお汁(ツケ)を吸ひなさい[やぶちゃん注:底本では「さない」。「ちくま文庫」版で訂した。]。又ツツツツと引いたら御飯を食べなさい。又ツツツツツツと引いたらお肴《さかな》を食べさんしと吳々《くれぐれ》も言ひ含めて置いた。いよいよ御馳走が始まつたが、嫁子が約束通りの合圖の紐を引いてくれたので、聟殿は箸を取つて、はい御飯、はいお汁、はいお肴と間違ひなく食事をすることが出來た。お客樣達はこれを見て、はてこの聟殿は薄馬鹿だと云ふ評判だが、斯《か》うちやんと物を順序に食べるところを見ると、まんざらでもないらしいと心の中で思つて居た。ところが其中《そのうち》に嫁子は小用を達したくなつたので、ちよつとの間ならよからうと思つて、紐を柱に結びつけて置いて厠《かはや》へ立つた。その𨻶に猫がやつて來て、紐に足を引つ掛けて、もがいて、無茶苦茶に紐を引つぱつたので、馬鹿聟殿はそれを嫁子の合圖だと早合點して、この時だとばかり、大狼狽(アワ)で汁も飯も肴もアフワアフワ呻《うな》りながら一緖くたに口に搔攫《かきさら》ひ込んだ。それを見てお客樣達は、成程こいつア名取者《なとりもの》だと初めて知つた。

(陸中水澤町附近に行はれて居る話。森口多里氏の御報告の七。同氏は「團子の名を忘れた馬鹿聟。」「澤庵漬で風呂の湯を搔き𢌞した話。」、和尙と小僧譚の第三話の、「頓智で餅を食べる小僧話」と共に、同地方での尤も普遍的な、そして亦尤も屢々《しばしば》語られる昔話であると言つておられた。)

(舊南部領、遠野地方に行なわれて居る話では、細紐を馬鹿聟殿の龜頭に結びつけたとしてある。又此合圖も御馳走ではなくて、舅殿との對座の御會釋《ごゑしやく》であつて、一つ引張つたらハイと言へ、二つ引張つたら、ハイハイと言へ、三つ引張つたら、三度續けてハイと言ふのだと吳々も言ひ含められて行つた。ところが嫁子が小用に立つたあとで、猫が其糸に引絡《ひつから》まつたので、引張られることが非常に急劇[やぶちゃん注ママ。]で、且つ强いので、聟殿はしつかり弱り、ハイハイハイハイの頭首(カラクビ)が引きちぎれ申しアンすと言つて、化けの皮が露見に及んだと物語る。)

[やぶちゃん注:附記はやはりポイントを上げ、上に引き上げた。「頓智で餅を食べる小僧話」に句点がないのはママ。「ちくま文庫」版では前の二つの「話」の後の句点も除去されてある。

「水澤町」現在の奥州市水沢町(グーグル・マップ・データ)。

『和尙と小僧譚の第三話の、「頓智で餅を食べる小僧話」』先行する「一七一番 和尙と小僧譚(七話)」であるが、「ちくま文庫」版もそのままであるが、「第三話」は恐らくは「第二話」の誤りと思われる。

 

        シヤツポと茶釜(其の一五)

 馬鹿聟殿が何かの用事で往來を步いて居ると、ぽつかりと知り合ひの人に出會つた。天氣でいゝなと、その人が冠物《かぶりもの》を取つたら、馬鹿聟殿がそれや何だと訊いたので、これかこれはシヤツポだと敎へた。

 馬鹿聟殿もそのシヤツポをかぶりたくなつて町へ行き、まづ宿屋へ泊つて訊いて見ることにした。そして宿屋の女中さんにお前樣、シヤツポを知らねえか知つておれば買つて來てくれと賴んだ。[やぶちゃん注:底本は読点だが、「ちくま文庫」版で訂した。]すると女中はシヤツポをチヤツボと聞き違へて、早速茶壺の大きなのを買つて來た。聟殿は喜んでそれをかぶつて步いた。 

  (八戶の奧南新報紙上に「村の話」としてあつた
   ものの中から、自分の村でも現に話して居るも
   ののみを取つてみた。此所に其の重復を明らか
   にして置く。)

[やぶちゃん注:「奧南新報」は明治四一(一九〇八)年から昭和一六(一九四一)年にかけて、青森県八戸市で発行された新聞。]

 

        飴甕(其の一六)

 舅禮に行つた馬鹿舅殿に、餅を燒いて御馳走したが、餅が燒けてもくもくとふくれ上るのを見て怖れをなして、馬鹿聟殿は、おつかないおつかないと言つて手をつけなかつた。

 馬鹿聟殿は恐ろしくすいた腹をこらへて寢て居たが、とうとう[やぶちゃん注:ママ。]我慢が仕切れなくなつて、側に寢ている嫁子《あねこ》を搖《ゆす》ぶり起して、ざいざい何か食ふもんは無いかと訊くと、嫁子は臺所に飴《あめ》を入れてある甕《かめ》があるからそろツととつて食べなさいと敎へた。そこで馬鹿聟殿は起き上つて、物につまづいては音を立て立てしてやつと甕を探し當てゝ、早く喰う[やぶちゃん注:ママ。]べえとして、一度に兩手を甕の中に押し込んだら、手が取れなくなつたので飴甕《あめがめ》を寢床へ持つて行つて朝間《あさま》まで抱《だ》いて寢た。

 

        柊の椀(其の一七)

 或馬鹿聟が舅家の秋振舞ひに招ばれて行くのに、何と言つて會釋《ゑしやく》をしたらいゝかと、心配して居ると、嫁子が、何にも心配してがんすな。おらほさ行つたらきつと、柊《ひひらぎ》のお椀コ出すこつたから、そしたら爪先きでピンと彈(ハヂ[やぶちゃん注:ママ。「ハジ」でよい。])いて見て、カチツと音コがしたら、ははあこれあ柊(ヒヒラギ)のお椀だなと言つてがんせと敎へた。

 舅家へ行くと、案の定立派な膳椀が出た。そこで聟は家で敎はつて來た通りに、お椀を目八分《めはちぶん》に持ち上げて、ピンと爪で彈くと、カチツと音がしたから、しめたと思つて、ははアこれはヒイラギのお椀だなシと言つて、皆を驚かした。そしてひどく面目《めんぼく》をほどこして其晚は泊つた。[やぶちゃん注:「目八分」物を丁重に差し出す時や、かざす際に、両手で、目の高さよりも少し低くして、捧げ持つことを言う。]

 ところが其夜中に舅殿が疝氣を起して大騷ぎになつた。默つても居られぬので、聟は厭々《いやいや》ながらも起き出して行つて見ると、舅の仙氣睾丸《せんききんたま》が腫れ上つて、恰度《ちやうど》大椀《だいわん》のやうな工合《ぐあひ》になつて居た。そこで馬鹿聟はまた褒められるべえと思つて、舅の側へうやうやしく這ひ寄つて行つて、内股から餘つて居る睾丸を爪先きでピンと彈いたら、堅くてカチツと音がした。馬鹿聟殿はこゝだと思つて、大きな聲で斯《か》う言つた。ははアこれもやつぱりヒイラギのお椀だなシ。

[やぶちゃん注:「柊」シソ目モクセイ科 Oleeae 連モクセイ属ヒイラギ変種ヒイラギ Osmanthus heterophyllus 。樹高は四~八メートル。私は不学にして、低高木であったから、木材としての同種の用途を認識していなかったが、当該ウィキによれば、『幹は堅く、なおかつしなやかであることから、衝撃などに対し強靱な耐久性を持っている。このため、玄翁と呼ばれる重さ』三キログラム『にも達する大金槌の柄にも使用されている。特に熟練した石工はヒイラギの幹を多く保有し、自宅の庭先に植えている者もいる。他にも、細工物、器具、印材などに利用される』とあったのには、ちょっと驚いた。]

 

        蛸振舞ひ(其の一八)

 或時、馬鹿聟殿が舅家へ招ばれて行つて、蛸の御馳走になつた。その蛸がとても甘《うま》かつたので、みんな寢沈《ねしづ》まつた夜半に窃《そ》つと起き出して、戶棚から蛸の殘りを探し出して、手摑《てづか》みで、むしやむしやと食つた。すると鮹の汁がだらだらと流れて睾丸《きんたま》にかゝつた。さア睾丸が痒くて痒くて堪《たま》らなくなつたので、大桶(コガ)の隅(スマ)コヘ行つて躇(シヤガ)んで居て、斯《か》う唄つた。

   チヤンプク茶釜に

   毛が生えたア

   ピヨララ

   ピヨララ…

 

        饅頭と素麵(其の一九)

 舅禮に行つた馬鹿聟殿に、蒸したての饅頭を出したら、湯氣がぼやぼやと立ち上るのを見て、怖(オツカ)ないから、殺して食ふと言つて天井裏へ投げつけた。

 素麵《さうめん》の膳に向へば、そのまゝ、これは長い長いと言ひながら類に卷き卷きして十六杯食つた。だから馬鹿聟である。

 

        澤庵漬(其の二〇)

 舅禮に行く馬鹿聟殿に嫁子《あねこ》が、家さ行けばきつと風呂を沸かしてるから、その時は糠《ぬか》を貰つて體《からだ》をこするんだまツちよ。糠を忘れないやうに氣をつけて、と敎へた。馬鹿聟殿は、道々糠々々と糠を繰り返して行つたが、ハツと石につまづき、糠を忘れて澤庵漬澤庵漬と言ひ代へて繰り返して行つた。

 舅家では一番風呂に入れた。そこで馬鹿聟殿は湯の中から大きな聲を出して、澤庵漬々々々と言つた。下女が[やぶちゃん注:風呂焚きの下女であろう。]食(アガ)るのなら、切つて上げアんすべと言ふと、いやいや長いの一本と言つて、澤庵漬を貰つて、一生懸命にそれで體をこすつた。

(森口多里氏御報告分の八。なほ下閉伊郡岩泉町地方に殘つて居る話に、舅家へ行つたら御飯の時の湯などが餘り熱かつたら、家でやるように[やぶちゃん注:ママ。]、音を立てゝフウフウ吹かないで、菜ツ葉漬を入れて搔き𢌞して飮むもんだと敎へられて行つた。厠家《かはや》へ行くと足洗湯《あしあらひゆ》を出されたが、あんまり熱いので、大きな聲で早く菜ツ葉漬菜ツ葉漬と言つて、漬物を貰つて搔き𢌞して足を洗ひながら、盥《たらひ》の緣《ふち》を叩《たた》いて四海波《しかいなみ》を歌つた。(昭和五年六月二十六日夜、同地の野崎君子氏談話の九。))

[やぶちゃん注:附記はやはり同ポイントで引き上げた。

「下閉伊郡岩泉町」岩手県下閉伊郡岩泉町(グーグル・マップ・データ)。

「四海波」謡曲「高砂」の「四海波靜かにて」から「君の惠ぞ有難き」までの祝言小謡としての通称。「四海静穏で国内のよく治まっていることを祝う」もので、婚姻・祝賀の席でしばしば謡われた。また、正月三日の「謠初め」には必ず出されるので、「謠初め」そのものの異称ともなっている。]

 

         船乘り(其の二一)

 或妻が、每夜夫に歌をかけた。その歌は斯《か》うであつた。

   磯ぎわに[やぶちゃん注:「わ」はママ。]

   繋いだ船に

   なぜ乘らぬ

 聟殿は薄馬鹿であつたので、その歌を解きかねて、お寺の和尙のところへ行つて訊くと、返歌を敎はつた。その歌は、

   荒浪ゆへに

   乘るに乘られず

 と言ふのであつた。その歌を詠むと、妻は聟殿の偉さを初めて知つて、それから夫婦仲が良くなつた。

  (村の農婦北川いわの殿の話であつた。)

 

怪異前席夜話 正規表現版・オリジナル注附 始動 / 「叙」・「目禄」(ママ)・巻之一 「一囘 旅僧難を避て姦兇を殺す話」

[やぶちゃん注:「怪異前席夜話(くわいいぜんせきやわ)」は全五巻の江戸の初期読本の怪談集で、「叙」の最後に寛政二年春正月(グレゴリオ暦一七九〇年二月十四日~三月十五日相当)のクレジットが記されてある(第十一代徳川家斉の治世)。版元は江戸の麹町貝坂角(こうじまちかいざかかど)の三崎屋清吉(「叙」の中の「文榮堂」がそれ)が主板元であったらしい(後述する加工データ本の「解題」に拠った)。作者は「叙」末にある「反古斉」(ほぐさい)であるが、人物は未詳である。

 底本は早稲田大学図書館「古典総合データベース」の同初版本の画像を視認した。但し、加工データとして二〇〇〇年十月国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』の「初期江戸読本怪談集」所収の近藤瑞木(みづき)氏の校訂になるもの(玉川大学図書館蔵本)を、OCRで読み込み、使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 なるべく表記字に則って起こすが、正字か異体字か、判断に迷ったものは、正字を使用した。漢字の読みは、多く附されてあるが、読みが振れると思われるものと、不審な箇所にのみ限って示すこととした。逆に、必要と私が判断した読みのない字には《 》で歴史的仮名遣で推定の読みを添えた。ママ注記は歴史的仮名遣の誤りが甚だ多く、五月蠅いので、下付けにした。さらに、読み易さを考え、句読点や記号等は自在に附し、オリジナル注は文中或いは段落及び作品末に附し、段落を成形した。踊り字「〱」「〲」は生理的に厭なため、正字或いは繰り返し記号に代えた。

 また、本書には挿絵があるが、底本のそれは使用許可を申請する必要があるので、単独画像へのリンクに留め、代わりに、この「初期江戸読本怪談集」所収の挿絵をトリミング補正・合成をして、適切と思われる箇所に挿入することとした。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。

 「叙」の表示字は、かなり凝った崩し字が使用されているが、使用可能な物以外は、「初期江戸読本怪談集」の活字を参考比較し、通常の最も近い字体で示した。]

 

怪異前席夜話  一

 

   叙

 昔、怪力亂神の語らざる說、誠(まこと)に、鬼神(きしん)、造化(ざうくわ)の常(つね)、不正(ふ《せい》)にあらす[やぶちゃん注:ママ。]といゑ[やぶちゃん注:ママ。]ども、窮理(きうり)の事は明羅(あきら)め易(やす)からずと、宋儒(そうじゆ)の註文。また、和漢、「切」・「燈」の名、紛々(さいさい)、これ有るをもつて、近來(ちかころ[やぶちゃん注:ママ。])、書肆、樟(あづさ)[やぶちゃん注:「樟」はママ。「梓」が正しい。]にちりばめて、童蒙(どうもう)の戯(たまむ)れ、勝て(あけ[やぶちゃん注:ママ。「舉(あ)げて」。])、かぞへかたし[やぶちゃん注:「數へ難し」。]。雖然(しかりといへども)、もとより、不肖にして、其《その》是悲、知る事、あたわす[やぶちゃん注:ママ。]。依(よつ)て、序文のいとま、辭すること、再三なり。爰(こゝ)に親友文榮堂なる者、叱諫(しかりいさめ)て、曰(いはく)、「今や、邪說(じやせつ)の空言(くうげん)勿ㇾ論(ろんすること なかれ)。唯(たゞ)、故人(こしん[やぶちゃん注:ママ。])の茶談(ちやだん)の珎說(ちんせつ)、五條を選(えらみ)て、世に弘(ひろ)むる而已(の《み》)也(なり)。」とす。すゝめに應(おう[やぶちゃん注:ママ。])じ、漸ゝ(よふよふ[やぶちゃん注:ママ。後半は踊り字「〱」。])毫(ふで)をとれば、怔忡(せいちう)に、ゑり、本(もと)、ひやつく。是(これ)、世上、こわきに非ず、おそるゝにあらず。只、うたかふ[やぶちゃん注:ママ。]らくは、此怪談、我(わ)か[やぶちゃん注:ママ。「が」。]心を、うこかす[やぶちゃん注:ママ。]歟(か)。「嗚呼(ああ)、見る人、油斷あるな。」と、億而(おくして)序

于時《ときに》寛政二春正月

          反古斉謹識

          〔落款〕 〔落款〕

[やぶちゃん注:上方の落款は陽刻で「東都」とあり、後者は陰刻で「反古斉」か。

「怪力亂神の語らざる說」知られた「論語」の「述而」篇の孔子の言葉。「子、不語怪力亂神」(子、怪・力(りよく)・亂・神を語らず)。「力」は「腕力・暴力沙汰・武勇」、「亂」は「醜聞・乱倫・背徳」、「神」は「超自然の人智で説明出来ない霊的現象」。

『和漢、「切」・「燈」の名、紛々、これ有る』本邦で爆発的に好んで読まれ、翻案物が多く作られた「牡丹燈記」を含む明代に瞿佑によって書かれた怪異小説集「剪燈新話」、及び、その影響下に後の明代の李禎の「剪燈餘話」や、邵景瞻の「覓燈因話」(べきとういんわ)等の志怪小説集や、本邦のその翻案物の、「牡丹燈籠」系の改作怪談総てを指す。

「怔忡(せいちう)にゑり」「怔忡」は、動悸のうつでも、体を動かしていると強まる重症のものを言う。「恐ろしさに、心の臟を、バクバクさせながら、撰(えら)び(=「書き」)」の意であろう。

「本(もと)、ひやつく」「ひやつく」は「冷(ひ)やつく」で、「恐ろしさに、書いている私が、心本(こころもと=心底)、慄(ぞ)っとする」の意か。]

 

怪異前席夜話目禄

 

   一囘

 旅僧(りよそう)難(なん)を避(さけ)て姦兇(かんきう[やぶちゃん注:ママ。「かんきよう」でよい。])を殺(ころ)す話

   二囘

 狐精(こせい)鬼霊(きれい)寃情(ゑんしやう[やぶちゃん注:ママ。])を訴(うつた)ふる話

 同狐鬼(こき) 下

   三囘

 匹夫(ひつふ)の誠心(せいしん)剣(けん)に入て霊(れい)を顯(あらは)す話

   四囘

 抂死(わうし)の寃魂(ゑんこん)を報(ほう)ずる話

   五囘

 龍恠(れうくわい)撫育(ぶいく)の恩(をん[やぶちゃん注:ママ。])を感(かん)し[やぶちゃん注:ママ。]老嫗(らうう)を免(たすく)るの話

 

   已上

 

 

怪異前席夜話巻之壹

   ○旅僧難を避て姦兇を殺すの話

 昔、延享(えんけう[やぶちゃん注:ママ。])の頃、都に僧あり。浮雲流水(ふうんりうすい)を身に比(くら)べて、世の中の富貴(ふうき)をば、孫晨(そんしん)か[やぶちゃん注:ママ。「が」。]藁席(わらむしろ)よりも薄(うす)んじ、樹下石上(しゆ[やぶちゃん注:ママ。]かせきしやう)を、家となして、人間の營みをは[やぶちゃん注:ママ。「をば」。]、許由(きよゆう[やぶちゃん注:ママ。])か[やぶちゃん注:ママ。「が」。]瓢簞(ひやうたん[やぶちゃん注:ママ。])より輕しと覺へ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]、身は北嵯峨に緇染(すみぞめ)の、衣(ころも)の外(ほか)は一鉢一杖(いつはついちてう[やぶちゃん注:「いちてう」は「一挺(いちちやう)」の当て訓であろう。)、飄然として、東西に行《ゆき》、南北にあゆむ。

[やぶちゃん注:「姦兇」ここは、心が邪(よこし)まな性根っからの悪人のことを言う。

「延享」一七四四年から一七四八年まで。九代将軍徳川家重の治世。

「孫晨」が「藁席……」以下は、「徒然草」の十八段に基づく。まず、同段の後半に書かれた、

   *

孫晨は、冬の月(つき)に、衾(ふすま)なくて、藁一束(わらひとつか)ありけるを、夕(ゆふべ)には、これに臥(ふ)し、朝(あした)には、をさめけり。

   *

に基づく。孫晨は、古代中国の隠者で、清貧にあまんじたことでよく知られる人物で、「蒙求」(もうぎゅう)に見える故事。「許由」は中国古代の伝説上の人物で、帝尭(ぎょう)が位を譲ろうと言うと、「汚(けが)れたことを聞いた。」と、潁水(えいすい)で耳を洗い、箕山(きざん)に隠れたと伝えられる高士。同段の前半は以下。

   *

 人はおのれをつづまやかにし、奢りを退(しりぞ)けて、財(たから)を持たず、世をむさぼらざらんぞ、いみじかるべき。昔より、賢き人の富めるは稀れなり。

 唐土(もろこし)に許由(きよいう)と言ひける人の、さらに身に從へる貯(たくは)へもなくて、水をも、手にして、捧げて飮みけるを見て、なりひさこ[やぶちゃん注:ヒョウタンの異名。]といふ物を、人の得させたりければ、ある時、木の枝にかけたりけるが、風に吹かれて鳴りけるを、「かしかまし。」とて捨つ。また、手にむすびてぞ、水も飮みける。いかばかり心のうち涼しかりけん。

   *

で、先の許由に繋がり、最後に、

   *

唐土の人は、これをいみじと思へばこそ、記(し)るしとどめて、世にも傳へけめ、これらの人は、語り傳ふべからず。

   *

「けめ、……」は『「こそ……(已然形)、~」の逆接用法。中国の人々はちゃんとこうして後世にこの清貧の王道を伝えたけれども、「これらの人」=「ここの日本人の者ども」は、凡そ、そうしたことを語り継いだり、書き伝えたりもせぬであろう、という慨嘆の謂いである。]

 一とせ、東路(あづまじ[やぶちゃん注:ママ。])に心さし、膝栗毛(ひざくりげ)の、太く逞しきにまかせつゝ、いつかは、歸り逢坂(あふさか)の、關を霞(かすみ)と倶(とも)に出《いで》て、やうやう、秋風わたるころ、奧の白河のこなたなる、白阪(しらさか)の邑(むら)に、いたる。

[やぶちゃん注:「白坂」現在の福島県白河市白坂(グーグル・マップ・データ)。]

 かの西行か[やぶちゃん注:ママ。]、「道の邊(べ)の淸水流るゝ」と讀(よみ)し、遊行柳(ゆきやうやなき[やぶちゃん注:ママ。])の古蹟など尋ね、むかしの人は見えねとも、「細柳爲ㇾ爲誰綠(さいりうたれかためにみとり[やぶちゃん注:ママ。但し、ルビは分解されて附されあり、返り点に従って整序した。])なる」と、杜少陵か[やぶちゃん注:ママ。]句を想ひ出《いあ》して、折(おり[やぶちゃん注:ママ。])に合《あは》されど[やぶちゃん注:ママ。「ざれど」。]、いと興ありて覚へたり。

[やぶちゃん注:「西行」が『「道の邊(べ)の淸水流るゝ」と讀し、遊行柳』私の、かなりリキを入れた『今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅14 遊行柳 田一枚植ゑて立ち去る柳かな』の私の注を参照されたい。

『「細柳爲ㇾ誰綠」と、「杜少陵」』が「句」杜甫の七言古詩「哀江頭」(江頭(かうとう)に哀しむ)の第四句だが、不全。「細柳新蒲爲誰綠」で「細柳(さいりう)新蒲(しんぽ)  誰(た)が爲にか綠(みどり)なる」である。所謂、人事の無常と不易の自然の感慨の吐露である。全篇はサイト「詩詞世界 碇豊長の詩詞」の「杜甫 哀江頭」がよい。]

 西山《にしやま》の入日《いりひ》に、遠寺(ゑんじ)の鐘の聲、晚風(ばんふう)に謝(うた)ふ頃(ころ)、淼茫(びやうぼう[やぶちゃん注:ママ。「べうばう」が正しい。])たる曠原(りろはら)枯野の草の葉末より、一かたまりの燐火、陰々と燃出(もへいで[やぶちゃん注:ママ。])、風に隨(したかつ[やぶちゃん注:ママ。])て、

「ひらひら」

とす。

[やぶちゃん注:「謝(うた)ふ」はママ。崩し字は「謝」に確かに見え、「詠」・「謠」・「謳」・「謌」などとは読めない。「初期江戸読本怪談集」でも『謝(うた)ふ』と起こしてある。しかし、いくら調べても、「謝」の字には「うたふ」の意味はない。甚だ不審である。

「淼茫」水或いは単一の対象状態が広々としているさまを言う。]

『怪し。』

と見るうち、亦、一ツの團火(だんくわ)、同し所より現(あらは)れ、相《あひ》逐(を)ふて、上下し、飛𢌞(とびめぐ)り、霎時(しばし)にして、たちまち、消失(きへうせ[やぶちゃん注:ママ。])ぬ。

[やぶちゃん注:「霎時(しばし)」。「初期江戸読本怪談集」では『しばしば』と振る。確かに後半部は踊り字「〱」に見える(前の「し」に対して、明かに頭が右側に傾いてはいる)が、どうも「しばしば」では、流れがおかしく、躓く。私は「し」と判じた。

「実(けに)や、昔人(せきじん)の詩に、「一将功成(いつしやうこうなり) 萬骨枯(はんこつ[やぶちゃん注:ママ。] かるゝ)」と賦(ぶ[やぶちゃん注:ママ。])したる、古戰場、目(ま)のあたり、是や、人血(じんけつ)の化(くわ)する所ならん。抑(そもそも)、源姓(けん[やぶちゃん注:ママ。]せい)か、平氏(へいし)か、何《いづ》れの時の戰ひ、誰人(たれひと)の鬼火(きくわ)なるや。此邊(《この》あたり)に知る人し[やぶちゃん注:「し」は強意の間投助詞。]あらは[やぶちゃん注:ママ。]、聞《きき》まほし。」

と、彷徨(たちやすら)ひ、筇(つゑ)[やぶちゃん注:「杖」に同じ。]に倚(すがり)て、たち居《をり》たるに、側(かたはら)に、老人、有(あり)。

[やぶちゃん注:「一将功成 萬骨枯」「一將(いつしやう)功(こう)成りて 萬骨(ばんこつ)枯(か)る」故事成句で、「たった一人の武将が城を築くのに、万人の百姓を苦しめた」という謂い。晩唐末期の詩人曹松(そうしょう)の詩「己亥(きがい)の歲(とし)」の一節。戦乱に苦しめられる庶民の暮らしを心配した上で、「君に憑(たの)む 話(かた)る莫(な)かれ 封侯(ほうこう)の事を 一將 功 成りて 萬骨 枯る」(お願いだから、軍功を挙げて、高い地位を得たいなどと言わないでくれ。一人の将軍が功名を上げる陰で、おびただしい数の人骨が朽ちていくのだから)に基づくもの。]

「御僧(《おん》そう)は、かく、あれはてたる草はらの中に、何の感ずる事ありて、延佇(たゝずみ)て詠(なかめ[やぶちゃん注:ママ。])給ふ。」

と問《とふ》。

「されは[やぶちゃん注:ママ。]こそ。斯(かゝ)る事の侍りぬ。此地は、古への垓下(せんじやう)には非(あらざ)る歟(か)。倘(もし)知(しろ)しめす事もあらは[やぶちゃん注:ママ。]、物語し給へ。」

と云《いふ》。

[やぶちゃん注:「垓下(せんじやう)」無論「戰場」の当て訓。高校の漢文で必ずやる、劉邦に攻められ、項羽の虞美人と別れるシークエンスで知られる最終集団戦となった「垓下の戦い」に擬えたもの。]

 老人、頭(かしら)を掉(ふり)、

「是、古戰場に、あらず。又、狐狸《こり》の所爲(なすところ)にても、なし。近き頃、此𠙚(《この》ところ)にて、死せし者の、さむらふ[やぶちゃん注:ママ。「候(さふらふ)」。]。瑣細(くだくだし)けれども、語り聞(きこ)へん。旅中の疲勞(つかれ)を慰めなから[やぶちゃん注:ママ。]、聞《きき》て、話柄(はなしのたね)ともなしたまへ。」

 ……往昔(むかし)、寬保(かんぽ)の頃[やぶちゃん注:一七四一年から一七四四年まで。徳川吉宗の治世。]、これも御僧のことく[やぶちゃん注:ママ。]、諸國を經歷し給ふ衲子(しゆけ)[やぶちゃん注:ママ。「出家」。「衲子」(のつす(のっす))。「衲衣(のうえ)を着る者」の意で、特に禅僧を指す。]、此地に來られつる、その折しも、陽月(かみなづき)[やぶちゃん注:陰暦の十月。]のはしめ[やぶちゃん注:ママ。]に、荒(あれ)のみ増(ます)る木嵐(こがらし)の、落葉(おちば)するやとはありなから[やぶちゃん注:総てママ。「落ち葉する宿は有り乍ら」。]、月たに[やぶちゃん注:ママ。]もらぬ板庇(いたひさし)、しかも周迊(まはり)の柴垣(しばかき)さゑ最(も)、偏疎(まはら)なる[やぶちゃん注:ママ。「疎(まば)らなる」。]に寒蛩(こうちき)[やぶちゃん注:「カンキヨウ」は〙 秋の末に寂しげに鳴く蟋蟀(こおろぎ)を指す語。]、吟(すだく)、夕まくれ、さし寄せたる竹の扉(とぼそ)に、火影《ほかげ》の映(さす)を力《ちから》に、たちより、投宿(やとかる[やぶちゃん注:ママ。])事を乞(こひ)しとき、かの白屋(くづや)のうちより、わかき女《をんな》一人《ひとり》、立出《たちいで》て、

「今宵は、主(あるじ)は他(た)に行《ゆき》ぬ。ことに、御僧に、まいらすべき儲(もうけ)[やぶちゃん注:供養するもの。ここは主に供応する食物を指す。]もなけれは[やぶちゃん注:ママ。]、宿(やど)し參らせん事、叶(かなふ)まし[やぶちゃん注:ママ。「まじ」。。」

 僧、おしかへし、

「さりとも、廡下(のきした)になりとも、卧(ふせ)しめたまへ。雨露(うろ)をだに、かふむらずは、我に於て、事(こと)足(たり)ぬ。もとより、此身は、木の斷(はし)[やぶちゃん注:木の切れ端。木っ端。]か、炭(すみ)の塊(おれ)[やぶちゃん注:板炭の折れ落ちた屑。]とも云《いは》ば、いひなん、のぞみなき心。再ひ熾(をごる)べき憂(うれへ)無(なれ)ば、縱(たちひ)、今、主、歸り給ひても、さのみ、恠(あや)しみ給ふまし[やぶちゃん注:ママ。]。食物は預備(ようひ[やぶちゃん注:ママ。「予備」或いは「用意」か。])もはべれは[やぶちゃん注:ママ。]、こゝろつかひに及は[やぶちゃん注:ママ。]ず。」

と、いふに、扉(とほそ[やぶちゃん注:ママ。])を明(あけ)て入れぬ。

 僧は、草桂(わらじ[やぶちゃん注:ママ。])とく。

 とく[やぶちゃん注:直ぐに。底本では「とく」の後に踊り字「〱」があって続いており、句点も存在しない。されば、このようにシーンを分けてみた。]上にあかり[やぶちゃん注:ママ。]、扨《さて》、かの女を見れば、年は廿(はたい)に、二ツ、三ツ、あまりぬらん、春笋(つまはづれ)[やぶちゃん注:「褄外れ・爪外れ」で、本来は「着物の褄の捌き方」を言うが、転じて、「身のこなし」の意。ここは後者。]、細小(しんしやう[やぶちゃん注:ママ。])[やぶちゃん注:「しんしやう」の読みは不審だが(「身小」或いは「芯小」などを想起した。)、意味は、身柄が細っそりとして小柄な手弱女風の体つきを指すのであろう。]にして、顏色《がんしよく》、賤《いや》しからず。野花(やくわ)、人の目に、美(うるはし)と、浩(かゝ)る鄙(ひな)には珍らしかるべし。

 僧は、竃(かまと[やぶちゃん注:ママ。])の前の、竹簀((ゆか)に、頭陀袋(づだぶくろ)を枕に、ふしぬ。

 女も、燈火(ともしび)、吹《ふき》けして、一間なる所に、入て、寢(ね)たり。

 賊風(すきまのかぜ)の、さむしろに、夜《よ》を、寢(ね)かねしまゝ、こし方・ゆくすゑの、おもひ出《いで》られ[やぶちゃん注:ここは自発。]、僧は、夢も結ばて[やぶちゃん注:ママ。「結ばで」。]有(あり)し處に、主の、歸りぬと、覚へて、謦欬(しはぶき)[やぶちゃん注:咳払い。]の戶外(そとも)に聞ゆるにそ[やぶちゃん注:ママ。]、女、一間より、出來り、何やらん、もの語《がたり》して、そのまゝ、伴ひ入(いり)ぬ。

 やゝありて、また、跫(あしをと[やぶちゃん注:ママ。])のして、戶を、あららかに打敲(うちたゝ)き、主(ぬし)、

「今こそ帰りたり。」

といふに、女、

「唯(い)。」

と、應(いらへ)て、たち出《いづ》。

 戸を押明(おしあけ)、

「おもひの外に、おそかりつ。御身の留守に、旅僧(たびそう)の、宿を乞(こひ)しまゝ、おもやに卧(ふさ)しめたり。」

と、いへは[やぶちゃん注:ママ。]、主、聞《きき》て、

「よくこそ、したり。僧を供養するは、その功德(こうとく)、七級浮圖(しちしやうのとう)を造るに、まされりと、きく。まいて、旅僧の、日(ひ)、晚(くれ)、道、遠きに、宿、求むべき方《かた》なきは、さこそ、難義ならん。」

と、云《いひ》つゝ、草鞋・脚半(きやはん)[やぶちゃん注:「脚絆」はこうも書く。]なと[やぶちゃん注:ママ。]、脫(とき)すてゝ、足を濯(あら)ひ、飯(したゝめ)なと[やぶちゃん注:ママ。]するに、僧、

『さては。向來(さき)に入來《いりきた》りしは、主に非ず。』

と知(しり)て、また、思ふに、

『一樹の蔭だに、假(かり)そめならぬ因緣なるを、まいて、それにも勝(まさ)りし今夜の宿、一禮《いちれい》を謝(しや)せん。』

と、起出(おき《いで》)んとせし処に、主は、遠路(とを[やぶちゃん注:ママ。]みち)を踰(こへ[やぶちゃん注:ママ。])きたりし勞(つかれ)にや、一間に入《いる》と斉(ひと)しく、いびきの声、雷(らい)のことく[やぶちゃん注:ママ。]に聞ゆ。

[やぶちゃん注:「七級浮圖」古代インドの仏塔ストゥーパに倣いながら、中国で建立された仏塔の内、重層楼型のものを、「浮屠」・「浮圖(図)」と呼んだ。「七級」は七層の楼の荘厳(しょうごん)を指すのであろう。]

 

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[やぶちゃん注:底本の大型画像はこちら

 

 夜半の嵐に、遠寺(ゑんじ)の鐘も、殷々(かうかう)たる比(ころ)しもあれ、俄(にわか)に、一間に、もの音し、

「吁(あな)、くるしや、誰(たれ)そ、扶(たす)けよ、』

と、呻吟声(うめくこへ[やぶちゃん注:ママ。])するは、

『何事にか。』

と、僧は驚くうちに、一人の大男、長き刀を、腰にはさみて、一間より出《いで》、女を呼(よべ)ば、最前(さいぜん)より、眠(ねぶら)ずと見えて、はや、起《おき》て、

「いかに仕課(しおゝせ[やぶちゃん注:ママ。])給ひしか。」

と問《とふ》。

 男か[やぶちゃん注:ママ。]、いふ。

「叓(こと)[やぶちゃん注:「事」の異体字。]、馴(なれ)たり。外《ほか》に、しるもの、なしや。」

 そのとき、指さして、云(いふ)。

「宵に、止宿(ししゆく)させつる旅僧(りよそう)のみ、此事を知りけむ、はかりかたし。」[やぶちゃん注:「知っているかも知れず、それは、どうともいえない。」の意。]

 男、首肯(うなづき)て、

「心やすかれ。我、計較(なすべきかた)あり。」[やぶちゃん注:「計較」「けいかう」が正しいが、慣用読みで「けいかく」とも。「はかりくらべること・比較してみること」の意だが、ここは「仕方・計略」の意。]

とて、聲を勵(はけま[やぶちゃん注:ママ。])し[やぶちゃん注:大声で。]、僧を、よひ[やぶちゃん注:ママ。]起す。

 僧、心におもへらく、

『彼(かれ)、必定(ひつでう[やぶちゃん注:ママ。])、女か[やぶちゃん注:ママ。「が」。]ための奸夫(かんふ)にて、向來(さき)にきたりて、隱れ在(あり)、主の帰るを、まち、殺せるならん。我をも、活(いき)ては置(おく)まじ。』

と、心寒(むねつぶれ)たれど、答應(いらへ)もせず、故(わざ)と、鼾息(いびき)の音して居《をり》たるに、かの男、枕元を、踏轟(ふみとゝろか[やぶちゃん注:ママ。])し、

「旅僧に、煩(たのむ)べき事、あり。夙(とく)、起(おき)候へ。」

と呼(よば)わる[やぶちゃん注:ママ。]に、僧、

「應(おゝ)。」

と、いゝて、起たり。

「主《あるじ》、歸り給ひしか。今宵は、宿を許されまいらせ、辱(かたじけ)なき事よ。」

と、始《はじめ》て目の醒《さめ》つることく[やぶちゃん注:ママ。]に、もてなすに、男、一間より、葛籠(つゝら[やぶちゃん注:ママ。])を扛(かき)て出《いで》、僧の前に置(おき)、

「我は、此家の主にあらず。宿の主は、此中に在《あり》。いさ[やぶちゃん注:ママ。]、擔(にな)ひて、我に隨ひ來《く》れよ。」

と云。

「是を、荷《にな》ひて、いづくに、行き侍らん。」

と、とへば、

「ともかくもあれ、速(すみやか)に負(おひ)候へ。我、行《ゆく》べきかた、あり。」

と、眼(め)を大《だい》になし、声を暴(あらゝ)け[やぶちゃん注:ママ。]ていふに、詮方(せんかた)なく、僧は、かの葛篭(つゝら[やぶちゃん注:ママ。])を、おひぬ。

 男は鍤(くわ[やぶちゃん注:ママ。])を荷(かつぎ)つゝ、夫《それ》より外面《とのも》に出《いで》、先に立(たち)て步み行《ゆく》。[やぶちゃん注:「鍤(くわ)」の「鍤」は(つくり)を貫く縦画が、下まで伸びている(縦画のみは「グリフウィキ」のこれに近い)。(つくり)の「臼」型の部分が出ている当該字で代えた。但し、ここに附された読みは誤りで、「くは(鍬)」ではなく、「すき(鋤)」の意である。

 むさし野にあらされ[やぶちゃん注:ママ。]ども、草《くさ》より、草に入る月の、影をしるべに、果(はて)もなき、廣莫(ひろの)を、四、五十けん[やぶちゃん注:七十・七二~九十・〇九メートル。]も來《きた》りぬらんと思ふころ、

「旅僧、しばらく、息肩(やすみ)候へ。」

と、いふに、葛籠を下(おろ)しぬ。

 男は鍤をもて、土を穿(うか[やぶちゃん注:ママ。])つに、腰間(こし《ま》)なる刀の障礙(じやま)と成るゆへ[やぶちゃん注:ママ。]、脫(ぬい)て、僧に、わたし、

「少時(しばし)、これを、あつかり[やぶちゃん注:ママ。]得させよ。」

と云に、太阿(たいあ)を倒(さかしま)に持(もち)し仇人(あだ《びと》)に授(うく)るの諺(ことわざ)、これや、因果報應顯然(けんぜん)の理(ことわり)ならん、僧、心に思ふは、[やぶちゃん注:「太阿」は「史記」などに見える中国古代の銘剣。諺の出所や原文は知らぬが、意味は納得出来る。]

『此もの、穴を堀[やぶちゃん注:ママ。]おわら[やぶちゃん注:ママ。]ば、我をも、殺して、かの尸(かばね)と倶(とも)に合葬(かつそう[やぶちゃん注:総てママ。])すなるべし。あに、手を束(つか)ねて、死を待(また)んや。況(まし)てや、かゝる兇𢙣(きやうあく)[やぶちゃん注:「𢙣」は「惡」の異体字。]の徒、佛法王法の許さるゝ處なり。渠(かれ)を害して一夜《ひとよ》の宿《やど》の主《あるじ》の仇《あだ》を、むくゆべし。弥陀の利剣、多門[やぶちゃん注:四天王の一天なる多聞天(=毘沙門天)。宝棒(仏敵を打ち据える護法の棍棒)や、時に三叉戟を持って造形される。]の矛(ほこ)、方便(はうべん)の殺生、此ときなり。』

と、かの刀を拔出(ぬき《いだ》)し、男か[やぶちゃん注:ママ。]穴をほり居《をり》たる背後(うしろ)より、唯《ただ》一刀《ひとかたな》に斫付(きり《つけ》)たり。

「吁(あ)。」

と、叫んで、轉(ころ)ぶところを、たゝみ懸《かけ》て斬伏(きりふせ)て、力まかせに突殺(つきころ)し、僧は、夫より、足を早めて、南をさして走る程に、凡《およそ》百步ばかりも過《すぎ》て、兩三軒の民家、比屋(のきをならべ)て立《たて》るあり。

 立寄《たちより》て、戶を、うちたゝけば、人、出《いで》て、

「何誰(たそ)。」

と問。

 僧、

「かゝる事、ありき。」

と、始《はじめ》より、尓々(しかしか)もの語れは[やぶちゃん注:ママ。]、大勢、起《おき》て云《いふ》。

「然らは[やぶちゃん注:ママ。]、その女をとらへなは[やぶちゃん注:ママ。]、善𢙣・真偽、粉墨(わかる)べし。」[やぶちゃん注:「粉墨(わかる)」は不審な読みである。「粉墨」とは白粉。眉墨で粉飾することであるから、「粉墨を落として、元の面を露わにする」というのなら判る。]

と、俄に、四隣(しりん)の健(すこやか)なる男を擇(ゑら[やぶちゃん注:ママ。])みて、僧を、あんないし、かの、ひろはらの孤家(ひとつや)へぞ、向ひゆく。

 未だ寢(ね)ずして、消息(おとづれ)をまち侘(わび)ぬと見へ[やぶちゃん注:ママ。]、女は、燈火(ともしび)、明(あかる)くして居(い[やぶちゃん注:ママ。])けるか[やぶちゃん注:ママ。]、表に、ひそやかに足音のするを、聞(きゝ)、やかて[やぶちゃん注:ママ。]、立出《たちいで》、戶を、明《あけ》たり。

「いかに。僧をも、殺し給ひしや。」

と問《とふ》とき、思ひかけずも、農夫あまた、柴の戶のうちに、こみいり、乍(たちま)ちに、女を、とらへ、絏紲(からめ)ぬ。[やぶちゃん注:「絏紲」は孰れも罪人を縛る繩を指す漢語。]

 鷄(とり)も、しばしば、うとふころ、東林(とうりん)、しらみければ、人を遺(つかは)して、かの尸《かばね》を尋《たづね》させ、僧もろとも、女を引《ひき》て、郡(こほり)の守(かみ)の奉行所へ、いたる。

 郡守、諸人《しよにん》の訴訟を聞《きき》、女を責問(せめとは)れけるに、隱す事、能(あた)はず、ことことく[やぶちゃん注:ママ。後半の「こと」は踊り字「〱」。]、招(はくでう[やぶちゃん注:ママ。])す。

 依(よつ)て、女か[やぶちゃん注:ママ。]首を斬(きら)しめ、奸夫(かんふ)の首と倶に、梟木(きやうぼく[やぶちゃん注:ママ。]「けふぼく」が正しい。)に曝(さら)し、宿《やど》の主か[やぶちゃん注:ママ。]尸(かばね)をば、其僧に命(おゝせ[やぶちゃん注:ママ。])て、ちかき寺院に送り、葬(ほうむ)り吊(とむら)ひを、なさしめて後《のち》、その行所《ゆくところ》に任(まか)されけり。

 斯(かく)て、その后(のち)、土民等(どみんら)、淫婦・姦夫の二ツの首を、此ひろ野に埋(うづめ)しか[やぶちゃん注:ママ。「しが」。]、陰雨(いんう)のときは、二ツの鬼火(きくわ)、相雙(《あひ》ならび)て、飛出《とびだ》し、こゝに、閃爍(ひらめき)、かしこに燃(もへ[やぶちゃん注:ママ。])、瓢蕩(ひやうとう[やぶちゃん注:総てママ。「へうたう」が正しい。当てもなく漂うこと。])としては、又、屮(くさ)むらに入《いり》て消滅す。[やぶちゃん注:「    屮」「草」の異体字。]

「唯除五逆(ゆいじよごぎやく)ときく時は、弥陀の慈悲にも洩(もれ)たる者、幽鬼と成《なり》ては、冥間(めいかん)を出離(しゆつり)する事、あたわ[やぶちゃん注:ママ。]ずして、猶、業身(ごういん[やぶちゃん注:ママ。])を見すにこそ、御僧も、只今、かゝる物語を聞《きき》給ひ、三佛乘(さんぶつじやう)の緣とも覚(おぼ)し、吊《とふら》ひ得させ給へかし。」

と云《いふ》に、僧も、

「あわれ[やぶちゃん注:ママ。]なる事、承りぬ。これや、煩惱卽菩提のたねならめ。老人の御庇(《お》かけ[やぶちゃん注:ママ。「御蔭」。])にて、旅行の苦(うさ)をも、晴(はら)し候。」

と、鉦(かね)、うちならして、念佛し、かの老人に別れをなして、猶も、奧へそ[やぶちゃん注:ママ。]趣きけり。

[やぶちゃん注:「唯除五逆」「WEB版新纂浄土宗大辞典」の「唯除五逆誹謗正法」(ゆいじょごぎゃくひほうしょうぼう:現代仮名遣)に拠れば、『念仏を称える衆生は全て救われるのであるが、ただ』、『五逆の罪および正法を謗る罪を犯したものだけは救われないということ』とある。詳しくは、リンク先と、解説の中のリンク先を読まれたい。

「三佛乘」サンスクリット語では「トリーニ・ヤーナーニ」或いは「ヤーナ・トラヤ」と称し、孰れも「三つの乗り物」の意を表わす。「乗」(乗り物)は、人々を乗せて仏教の悟りに至らしめる教えを譬えていったもので、大乗仏教では、それに声聞(しょうもん)乗(仏弟子の乗り物)、縁覚(えんがく)乗(独りで悟った者の乗り物)、菩薩乗(大乗の求道(ぐどう)者の乗り物)の三つがあるとする。但し、部派仏教(いわゆる小乗仏教)ではこの内の菩薩乗を説かず、代わりに仏乗(仏の乗り物)を立てる。初期大乗経典である「法華経」では、三乗は一乗(仏乗・一仏乗ともいう)に導くための方便であり、本来は、真実なる一乗によって、凡ての衆生は、等しく仏になると説いている(小学館「日本大百科全書」に拠った。

本篇は、シークエンスの順序や、一部の展開部を変えてあるが、寛文三(一六六三)年刊の知られた怪奇談集の仮名草子『「曾呂利物語」正規表現版 第五 五 因果懺悔の事』をインスパイアしていることが、明白である。これは、本書に先行する延宝五(一六七七)年の「宿直草」でも分割転用されており、それらの話もリンクさせてあるので、是非、読まれたい。

2023/07/24

佐々木喜善「聽耳草紙」 一七一番 和尙と小僧譚(七話)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]

 

   一七一番 和尙と小僧譚(其の一)

 

 或所に大層慾張りな和尙樣があつた。每晚夜になると、さアさアお前達は晝間稼いで居るから疲れたべえ。早く寢ろ寢ろと言つて、三人の小僧を早く寢させてしまつた後で、梵妻(ダイコク)[やぶちゃん注:和訓ともに僧の妻を指す一般名詞。]と二人して餅を搗いたり、食つたり、[やぶちゃん注:底本には読点なし。「ちくま文庫」版で補った。]または、酒を飮んだりするのであつた。ところが每晚早く寢ろ寢ろと言はれるもんだから、小僧だち[やぶちゃん注:濁点はママ。]は、慾張坊主のくせに不思議なことだと思つて、或夜相談をして、皆息を殺して眠つたふりをして見て居ると、和尙樣と梵妻《だいこく》さんが爐《ひぼと》を挾んで向ひ合ひに坐りながら、さもさも樂しさうに酒を飮んだり餅を食つたりして居た。そこで三人はどうかしてあの餅を食ひたいものだと一生懸命に相談をした。

 そのうちに又夜になると、和尙樣はいつものおきまりの、さアさアとさも親切らしく言ひ出した。すると一人の一番年上の小僧が、方丈樣[やぶちゃん注:住職を指す異名。]もし、今夜私たちはお願ひが御座りますと言ふと、マアマアそれは明日の晝間ゆつくり聞くことにするから、今夜はもう休まツしやいと何氣ない風をして言つた。イエ是非今夜聞いて貰ひ度《た》いことでと强いて言ふと、さうか、ほんだら話して見ろと言ふ。一番年上のはしめたと思つて、方丈樣もし今夜から私の名前をデツチリと呼んで下さいと言つた。あゝさうか、宜《よろ》しい、ぢや今夜からデツチリと呼ばう、さアさア休まツしやれ。

 すると又其所へ二番目の小僧が走り出て來て、ハイ方丈樣私のことも今夜からは、ボツチリと呼んで下さい。ああいゝともいゝとも、さアさア早く休まツしやれ。

 すると又ぞろ三番目の小僧が罷出《まかりで》て、方丈樣私の名前もヤジロウと呼んで下さい。あゝいともいゝとも、ヤジロウか、さアさア早く休まツしやれ。今夜は大分遲い遲いと言つて、和尙樣は小僧どもを次の間へ追ひ遣つた。和尙樣は小僧達が寢てしまう[やぶちゃん注:ママ。]と、今頃はもうあの餓鬼共も眠つたベヤ、時刻はよかんべえと言つて、坊主頭に鉢卷をして、ダイコク相手に、

   デツチリ

   ボツチリ

   ヤジロウ

 と聲がけして餅搗きをやり出した。すると三人の小僧どもは、待つて居たとばかりに、床からむツくらと飛び起きて、ハイハイ、和尙樣何用でガスと言つて、其所へ顏を出したもんだから、和尙樣も仕方なしに、あゝ起きたか、起きたか、今餅を搗いたので、お前達にも食はせべと思つてナと言つた。切角コロト(内密)に汗水流して搗いた餅を、腹空(ヘ)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]らし小僧どアに、みんな食はれて仕舞つた。

 

       餅 搗(其の二)

 和尙樣はそれに懲りて其後は小僧共の居ないやうな時にばかり餅搗きをした。そして藏(シマ)つて置いた。ある日二人の小僧は近所の御法事に招(ヨ)ばれて行つて一番下の小坊子《こばうつこ》ばかりが寺に殘つて居た。ところが和尙樣は急に餅が食ひたくなつたので、小僧々々、お前御苦勞だが、隣の家の建前の柱が何程(ナンボホド)立つたかヤ、ちよツと行つて見て來てくれないかと言ひつけた。ハイと言つて小僧は行つて見て來るふりをして、壁の穴から見て居ると、和尙樣は大きな鏡餅を戶棚から取り出して來て、それを爐《ひぼと》の灰の中に埋《うづ》めてホド燒きを始めた。[やぶちゃん注:「ホド」は囲炉裏( いろり)の中央にある火を焚く窪んだ所のことを指すが、ここは囲炉裏の灰に埋めて餅を焼くことを言っている。]

 小僧はその餅がいく加減に燒けた頃を見計らつて、ハイ只今と言つて、玄關の障子をガラツと開けた。[やぶちゃん注:底本は読点だが、「ちくま文庫」版で句点に代えた。]すると和尙樣は何食はぬ顏をしながら、あゝ見て來なさツたか、柱が何本立つたけやと訊いた。そこで小僧は、和尙樣し[やぶちゃん注:「し」は感動詞で敬意を添える。以下、読点はないが、「ちくま文庫」版で補った。次の「と」の後も同じ。]、あの柱がと、其所にあつた火箸を取つて、此所に一本、それから又此所にも一本と、灰の中へ火箸を突き差し突き差し、柱の立つた場所を敎へて居るうちに、丁度火箸がホド灰(アク)の中の餅に差さつたので、小僧はぐいら[やぶちゃん注:「ぐいら」仙台弁に副詞で、「 いきなり・不意に」の意がある。]とそれを持ちヤげて、あれア和尙樣シ之れはなんで御座りますと言つて、驚いた風をした。すると和尙樣の言ふことには、あゝそれはナ、今日は兄弟子どア皆法事さ行つたのに、お前ばかり殘つて居るから、お前に食べさせべえと思つて、こうして[やぶちゃん注:ママ。歴史的仮名遣では「かうして」(斯うして)。]燒いて置いたのさアと言つた。

 

     太皷破り(其の三)

 その三人の小僧どア、或時和尙樣の留守の間に、廣い御本堂《ごほんだう》へ行つてお神樂《かぐら》を始め出しだ[やぶちゃん注:「ちくま文庫」版では、「た」であるが、ママとした。]。そして餘り調子に乘つて大騷ぎをしたもんだから、とうとう[やぶちゃん注:ママ。]大太皷を打ち破つてしまつた。コレヤことな事をしたでア、和尙樣が歸ればうんと叱られる。なぞにすべえ、なぞにすべえと泣き相《さう》な顏をしながら心配して居るところに、ハイ今歸つたよと言つて和尙樣がガラリと歸つて來た。そして三人の顏を見て、何だお前方(ガタ)アまた惡戯《いたづら》をしたなアと言ひながら、脇を見ると御本堂の大太皷が破れてゐるので、コレアお前だち[やぶちゃん注:ママ。「ちくま文庫」版も濁点がある。]アこの太皷をブン破つたナと叱つたら、方丈樣お許しあツてお吳れやれと言つて泣き出した。[やぶちゃん注:底本は読点。「ちくま文庫」版で句点に代えた。]和尙樣は、まあまあ、そんなに泣かなくてもよい、泣いたつて壞れたもんが直る譯でもあるまいし、何かの間違ひで壞したものだンベから許してやるが、只《ただ》ではいけない。お前達三人で後前(アトサキ)にリンリンと謂ふ文句をつけた歌を詠んだら許してやンベアと言つた。小僧どアは大喜びで先す一番年上の武士の子が、

   リンリンと小反(コゾ)りに反つた小薙刀《こなぎなた》

   一振り振れば敵は逃げリン

 と詠んで許された。次のが百姓の子で、

   リンリンと小反りに反つた鍬鎌《くはかま》や

   一掘り掘れば土は掘りリン

 と詠んで許された。次のは魚屋の息子であつたので、

   リンリンと小反りに反つたカド鰯(鯡《にしん》)

   いびり食つたら腹が膨《は》りリン

 でとうとう[やぶちゃん注:ママ。]三人とも許されたとサ。

  (大正九年六月頃、膽澤《いさは》郡一ノ關近在にて
   行なはれてゐる話。千葉亞夫氏からの御報告の三。)

[やぶちゃん注:「膽澤郡一ノ關」不詳。現在の岩手県一関市は胆沢郡の南方外で、旧磐井郡内である。佐々木の誤認か、或いは、旧胆沢郡内に同名の地名があったものか、よく判らない。]

 

       四貫八百(其の四)

 或所のお寺に和尙樣と小僧とがあつて、檀家の御法事に呼ばれて行くと、御布施が上《あが》つて上紙《じやうし》に四貫八百《しくわんはつひゃく》と書いてあつた。御經を上げながら橫目で和尙樣は其を讀んで、ほくほくめがして[やぶちゃん注:「うれしさを隠しきれない様子で」の意。]御經の文句の中にそれを交(カ)てて、

   今日の手間《てま》は

   小僧にア八百

   吾れア四貫ン…

 と唱へ唱へ木魚をボクボクと叩くと、小僧達はそれに合せて、

   和尙樣ア强慾だツ

   和尙樣ア强慾だツ…

 と唱へながら鉦《かね》をチンチンと鳴らした。

 和尙小僧が檀家から歸ると、和尙樣はお經に交(カ)てて誦(ヨ)んだ通りに、自分で四貫取つて小僧には八百しかあづけなかつた。そこで小僧は其仇《かたき》を何時《いつ》か討つてやらうと考へてゐた。

 

        水汲み(其の五)

 其和尙樣は門前のお嫁樣と仲が良かつたので、それそれ、[やぶちゃん注:底本は半角字空けで読点はないが、「ちくま文庫」版で補った。]其事に邪魔をしてやんベえと思ひついた。其門前のお嫁樣は每朝お寺の井戶へ水汲みに來るから、其前の晚そつとお嫁樣の許《もと》へ行つて、門前の嫁樣シ嫁樣シ、俺ア所《ところ》の和尙樣がお前さんのことを惡く言つて居《ゐ》んすぞと告げると、お嫁樣は氣に掛けて、[やぶちゃん注:底本は読点はないが、「ちくま文庫」版で補った。]なんと妾《わらは》の事を惡口言つて居ますてヤと訊いた。誰さも默つて居てがんせ。和尙樣がお前さんのことを良い女《をな》ゴだども口が大きくて厭(ヤン)だアと言つて居ると僞言(ボガ)を吹いて來た。

 それから和尙樣の方へは、あの和尙樣シ和尙樣シ、門前のお嫁樣がナシ、和尙樣のことを惡口して居ますチヨと告げ口した。和尙樣が氣にかけて何と言つて居たてヤと訊くと、あのお嫁樣はお前とこの和尙樣は立派な和尙樣だども、あんまり鼻が大きくて俺ア厭んだアと言つて居ますと僞言を吹いた。

 翌朝、門前のお嫁樣がいつものやうに井戶へ水汲みに來た。恰度《ちやうど》其所へ和尙樣が顏洗ひに出た。するとお嫁樣はいつものやうに笑はないで、口を隱して脇の方に向いた。和尙樣も笑はないで鼻を隱し反方(ソツポ)を向いた。そして其れツきり仲良しにならなかつた。

(江刺郡米里《よねさと》村に殘つて居る話。佐々木伊藏氏の談話。昭和五年七月七日聽書の五。前半の御經誦みの話は、私などもよく父から聽かせられたものである。たゞ少し異《ちが》つて居て、此方《こつち》は或寺の和尙樣が無學で御經一つ知らなかつたので困つて居ると、折から空を多くの雁《かり》が飛んで渡つた。そこで和尙樣は斯《か》う唱へて引導したと謂ふのである。

   天《そら》飛ぶ鳥は四十と八羽

   百づつに賣れば四貫八百

   小僧に八百、吾レ四貫ン

 すると小僧がすかさず、

   おら和尙ア大慾だ々々々…

 と後をとつたと謂ふ話であつた。)

[やぶちゃん注:附記は長いので、字下げをやめ、ポイントも本文と同じにした。

「江剌郡米里村」現在の奥州市江刺米里(えさしよねさと:グーグル・マップ・データ)。遠野市からは南西に当たる。]

 

        豆 腐(其の六)

 或寺の和尙樣が、デンガク豆腐を二十串、ズラリと爐《ひぼと》に並べて剌して燒いた。そして其田樂を自分一人でセシめやうと思つて、二人の小僧を呼んで、ざいざい[やぶちゃん注:何度も本書で出るが、今一つ、意味が判らない。しかし、ここでは「さあさあ」という呼びかけとして機能していると読める。]歌を詠んでこの豆腐を食ベツこすべえでないかと言つた。そこでまづ俺からかけると言つて、

   小僧二人はニクシ

 と言つて二串取つて食べた。そして小僧どもをかへり見て、どうだいお前達にこの眞似が出來るかいと云つた。そこで兄弟子が歌を詠んだ。

   お釋迦樣の前のヤクシ

 と言つて八串取つて食つた。すると一番小さい弟子ツこが、

   小僧良げれば和尙はトクシ

 と言つて殘つた十串をみんな取つて、誰よりも得をした。

  (祖父の話、自分の古い記憶。)

 

        小 便(其の七)

 或お寺の小僧、和尙樣に連れられ或檀家の御法事に行つた。野原の道を步いてゐるうちに小便がしたくなつて、[やぶちゃん注:底本は句点。「ちくま文庫」版で訂した。]路傍に立つてしやうとすると、和尙樣がこれこれ小僧道路(ミト)には道祖神と云ふ神樣がお出《い》でになるもんだ。其所へ小便してはなりませんと止《と》めた。

 小僧ははツと言つて耐《た》えて行つたが、其の中《うち》にとても耐《たま》らなくなつて、道路から少し畑の中に入つて立つと、和尙樣はまた、こらこら畑にはナ、畑神《はたがみ》が居るもんだ。いけぬよと言つた。

 小僧は顏を顰《しか》めて、こんどは田の畦《あぜ》に立つと、これこれ田の中には、田の神がお居《ゐ》でるからダメぢやダメぢやと言つた。

 ほんだら川の中にしませうかといふと、飛《と》んでもないこつた。川にはお水神《すいじん》樣が居《を》ることを知らないかと叱つた。

 小僧は腰が裂けるやうになつた。少し行くと石地藏が立つてゐる辻道へ出た。和尙樣は小僧此所で少々憩《やす》んで行かうと言つて、石に腰をかけて憩んだ。此の時だと、小僧は和尙樣の頭にザアザアとしつかけた。

 和尙樣は驚いて、これこれ小僧、師匠の頭に何のこつたと力《りき》むと、だつて和尙樣の顏にはカミがないからと言つてのけた。

  (昭和四年の夏、北川眞澄氏の談。)

[やぶちゃん注:今までの複数話構成のものは、それぞれが、独立した話柄で、強い連関性は認められなかったが、以上は特異点で、少なくとも、最初の三話の設定は確信犯の完全な連作として読める。以下も、それに引かれて、無意識に同じような坊主と小坊主を想起させるような内容である。

2023/07/23

譚海 卷之五 武州秩父領三峯山の事

 

[やぶちゃん注:句読点・記号を変更・追加した。]

○三峯山(みつみねさん)の社(やしろ)といふは、秩父の奥、大瀧(おほたき)といふ山中にあり。この神、甚(はなはだ)、靈(れい)、有(あり)。守札(まもりふだ)を門戶に張付置(はりつけおく)ときは、盜賊の難をさけると、いへり。中山道熊谷驛の西より、秩父へ行(ゆく)みち、あり。二泊ほどをへて、「下はくれ」・「上はくれ」なと[やぶちゃん注:ママ。]いふ峠を、こゑ[やぶちゃん注:ママ。]、至る所なり。嶮岨、いふべからざる道なり。棧道(さんだう)あり。その外、所々の橋も、皆、丸木を、藤かづらにて結ひて、わたる所、おほし。銀(しろがね)のくさりにすがりて、のぼる所も、あり。秩父、深山、行どまりの所にて、又、同じ道を歸る事なり。然れども、時々、貴人の代參など、往來、たゆる事、なし。武甲山に近き所也といふ。又、三峯の麓、大瀧といふ所に、甲州・信州へ通ふ道、有(あり)て、關(せき)あり。關をこゑて[やぶちゃん注:ママ。]、甲州の府中へ至る、山道、只、七里、有(あり)。壹騎(いつき)うちにて、甚(はなはだ)、難所也。所々、大木の朽(くち)て、たふれたる、道にふさがり有(あり)て、その木の上を、またぎこゑ[やぶちゃん注:ママ。]、又は、下をくゞりて、とほる所、多し。然れども、甚(はなはだ)、近道也。順道(じゆんだう)を、もとめて、まはり行(ゆか)ば、府中まで、三十里ありとぞ。

[やぶちゃん注:「三峯山の社」埼玉県秩父市大滝(グーグル・マップ・データ。後に出る熊谷を東北に配した)にある三峯神社。ここ(グーグル・マップ・データ航空写真)。

「守札」三十年程前に妻と訪れ、これを貰った。狼を左右に配した御札で、元三大師(がんさんだいし)良源の「角大師護符」と並んで、無神論者である私が特異的にお気に入りのもので、居間の飾り書棚に今も一緒に掲げてある。

『「下はくれ」・「上はくれ」なといふ峠』戦前の地図を探したが、「はくれ」の地名や峠名を確認出来なかった。識者の御教授を乞うものである。以下の武甲山の麓を旧「熊谷宿」から廻る二本の三峯神社への参道らしいのだが。

「武甲山」(ぶこうざん・ぶこうさん)は埼玉県秩父地方の秩父市と横瀬町の境界に位置する山で、秩父盆地の南側にあり、標高は千三百四メートル。ここ(グーグル・マップ・データ航空写真)。

「一騎うち」「一騎打ち」。「うち」は「馬を走らせること」を言う。馬一騎ずつを一列に並べて進むしかないほど、山道が狭いことを言う。

「順道」近道などを用いずに、順当な道筋を行くこと。

「三十里」これは大道で現在の一里で、しかも、行程実測と思われる。]

譚海 卷之五 奥州津軽南部の際絕景の地の事

[やぶちゃん注:句読点・記号を変更・追加した。標題「際」は「きは」であろう。]

○津輕より、南部へ越(こゆ)る東の海邊、高き岸より望めば、一里半も隔たる沖に、大なる島あり。島の腹(はら)に、殊に大(おほき)なる洞穴、有り。壹里餘(あまり)を隔てても、たしかに、それと、見ゆるほどの洞(ほら)なり。その洞中(ほらなか)に、諸鳥、巢をかまへ、集(あつま)り、すむと、いへり。高き岸を、ゆきながら見れば、岸より洞まで、庭石を居(おき)たる如く、平かなる岩(いは)ほ、つゞきて有(あり)。またぎて、ゆかるゝやうに、みゆれども、岩ほのあひだを、船のゆききするを、みれば、岩のあはひ、よほど、へだたりてあると、覺えたり。其岩の間に、打(うち)あてて、ほどばしる[やぶちゃん注:ママ。]波の景色、奇觀也。ひくき所に、くだりて見れば、はじめ、此たひらかにみえし岩、いづれも、高さ、二、三間ほどづつある故、岩にかくされて、島は、みえず、高き所より望(のぞみ)たるときは、言語同斷の景也とぞ。

[やぶちゃん注:「津輕より、南部へ越る東の海邊」底本の竹内利美氏の注に、『津軽南部両藩の境は、海辺では現在の青森県野辺地』(のへじ)『の馬門』(まかど)『で、ここに番所があった。ここの話は浅虫温泉の辺から夏泊』(なつどまり)『半島いたるところらしい。まだ津軽領分である』とある。この馬門御番所跡はここ(グーグル・マップ・データ。以下同じ)で、北西にある半島が夏泊半島、浅虫温泉は、その南西のここである。

「一里半」は東国で用いられた小道(こみち)・坂東道(ばんどうみち)のそれで、一里は六町(六百五十四メートル)であるから、九百八十一メートルとなる。通常の一里では、当該しそうな島はないからでもある。

「二、三間」三・六四~五・四五メートル。

 さて。この島は現在の、どの島であろうか。「津輕より、南部へ越る東の海邊」とあり、竹内氏の注からも、これは、靑森湾の東側の海岸線となる。湾奥から夏泊半島に向かって、「湯ノ島」・「裸島」・「鴎(ごめ)島」・「茂浦島」・「双子島」・「大島」がある。この内、現在、海岸線から、「岸より洞まで、庭石を居たる如く、平かなる岩ほ、つゞきて有」という条件に一致し、島が岩塊に見えるのは、海岸線から近過ぎるが(今は百十二メートルぐらいしか離れていない)、青森市浅虫地区の「裸島」(航空写真)がそれらしくは見える。「海と日本PROJECT in 青森県」の『青森市浅虫地区の「裸島」に残る、ちょっと悲しい伝説とは?』の写真を見られたい。一方で、「湯ノ島」(航空写真)は八百八十九メートルほどはあるので、距離が一致することと、当該ウィキによれば、『鳥類ではキセキレイ、イソヒヨドリ、ウトウの生息地でもある』とあることで、有意に候補とはなる。しかし、現行、島に続く岩場は存在しない。竹内氏が島を比定されていないのは、これらの記載を凡てクリアーする現存する島が見当たらないからであろう。]

只野真葛 むかしばなし (71) 久々の実話怪談!

 

一、「おてる」が乳母の「げん」が咄(はな)しに、玉川の百姓に、河獵(かはれふ)を主《おも》にして、くらすものありしが、弟は、外へ養子に行(ゆき)、兄は、妻をなくし、子共二人有(あり)しが、病氣なりしを、

「其病(やまひ)には、土鼠(もぐら)を食へば、よい。」

と人の敎(をしへ)し故、弟に、

「取(とり)て吳(くれ)よ。」

と、賴(たのみ)しに、受合(うけあひ)て、出がけに門口(かどぐち)にて、大(おほ)いたちが、土鼠を取《とり》て走るに逢ふ故、

「願所(ねがふところ)。」

と、おさへ、とりて、兄に、くわせしとぞ。

 其翌日、弟、葬禮の供(とも)にたのまれて行(ゆき)しに、晝中(ひるなか)、其いたちの、來て、かゝとを、喰ひ付(つき)、喰ひ付、したりしを、けやり[やぶちゃん注:「蹴やり」(蹴飛ばし)であろう。]、けやりして、こゝともせず[やぶちゃん注:底本は「こゝともせず」。『日本庶民生活史料集成』版を採用した。]ゐたりしに、何(いづ)くへか、行(ゆき)たりし。

 其夜より、兄の家の上(あが)り口(ぐち)に、いたちの、うづくまりゐて、人の居(を)るかたを、睨(にらみ)をる、眼の光の、いやなること、たとへんかた、なし。

 寢靜まると、來て、元結(もとゆひ)をくわへて、引(ひき)しを、手にて拂(はらひ)しに、子共の寢たる方(かた)へ拂やりしに、其儘、くひ付(つき)たり。

 あくるひ、行(ゆき)てみしに、子共、二人とも、喰(くは)れて、泣叫(なきさけ)ぶてい、みじめなりしとぞ。

 又、夜に、入(いれ)ば、上り口に居(ゐ)て、寢れば、きて、あだを、したり。

 とらへんとせし手に喰付(くひつき)しが、已(すで)に、くひとらるゝなりしとぞ。

 子は、先立(さきだつ)て死す。

 父も、半月ばかり、苦(くるし)みて、死(しし)たり。

 病(やまひ)、癒さんとて、三人、死せしとぞ。

 「げん」が近(ちかく)の家にて有(あり)し故、いたちの、ゐしを、見たり。

「おそろしきこと。」

と[やぶちゃん注:底本では「ゝ」。]、常々、はなしせし故、「おてる」、いたちを、おそれたりし。

[やぶちゃん注:「川獺」は本邦の民俗社会では、古くから狐・狸と同じく「人を化かす」とされてきた経緯がある妖獣であった。ウィキの「カワウソ」の「伝承の中のカワウソ」によれば、『石川県能都地方では』、二十『歳くらいの美女や碁盤縞の着物姿の子供に化け、誰何されると、人間なら「オラヤ」と答えるところを「アラヤ」と答え、どこの者か尋ねられると「カワイ」などと意味不明な答を返すといったものから』、『加賀(現在の石川県)で、城の堀に住むカワウソが女に化けて、寄って来た男を食い殺したような恐ろしい話もある』。『江戸時代には』「裏見寒話」(私の「柴田宵曲 續妖異博物館 獺」を参照されたい)・「太平百物語」(私の「太平百物語卷二 十一 緖方勝次郞獺(かはうそ)を射留めし事」や同「卷五 四十六 獺人とすまふを取し事」を参照されたい)・「四不語録」などの『怪談、随筆、物語でもカワウソの怪異が語られており、前述した加賀のように美女に化けたカワウソが男を殺す話がある』。『安芸国安佐郡沼田町(現在の広島県広島市)の伝説では「伴(とも)のカワウソ」「阿戸(あと)のカワウソ」といって、カワウソが坊主に化けて通行人のもとに現れ、相手が近づいたり』、『上を見上げたりすると、どんどん背が伸びて見上げるような大坊主になったという』。『青森県津軽地方では人間に憑くものともいわれ、カワウソに憑かれた者は精魂が抜けたようで元気がなくなるといわれた』。『また、生首に化けて川の漁の網にかかって化かすともいわれた』。『石川県鹿島郡や羽咋郡では』、「かぶそ」又は「かわそ」の『名で妖怪視され、夜道を歩く人の提灯の火を消したり、人間の言葉を話したり』、十八、九歳の『美女に化けて人をたぶらかしたり、人を化かして石や木の根と相撲をとらせたりといった悪戯をしたという』。『人の言葉も話し、道行く人を呼び止めることもあったという』。『石川県や高知県などでは河童の一種ともいわれ、カワウソと相撲をとったなどの話が伝わっている』。『北陸地方、紀州、四国などではカワウソ自体が河童の一種として妖怪視された』。『室町時代の国語辞典『下学集』には、河童について最古のものと見られる記述があり、「獺(かわうそ)老いて河童(かはらふ)に成る」と述べられている』。『アイヌ語ではエサマンと呼び、人を騙したり』、『食料を盗むなどの伝承があるため』、『悪い印象で語られるが、水中での動きの良さにあやかろうと子供の手首にカワウソの皮を巻く風習があり、泳ぎの上手い者を「エサマンのようだ」と賞賛することもある』。『アイヌの昔話では、ウラシベツ(現在の網走市浦士別)で、カワウソの魔物が人間に化け、美しい娘のいる家に現れ、その娘を殺して魂を奪って妻にしようとする話がある』。『またアイヌ語ではラッコを本来は「アトゥイエサマン(海のカワウソ)」と呼んでいたが、夜にこの言葉を使うとカワウソが化けて出るため』、『昼間は「ラッコ」と呼ぶようになったという伝承がある』とある。重複する箇所があるが、博物誌は私の「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 獺(かはうそ) (カワウソ)」も見られたい。]

只野真葛 むかしばなし (70) 真葛の最初の凄絶極まりない老人との結婚

 

一、佐野善左衞門に切(きら)れし田沼山城守樣は、至極、よき人にて、公方樣、御意(ぎよい)に入(いる)にて有(あり)しとぞ。誠に、善人なり。年も三拾ばかりなり。主殿頭(ともののかみ)を、一刀と、ねらひしかども、出(いで)あはぬ故、きりしとぞ。

「是、天命なり。世のかわるべき時、來りしなり。」

と。父樣、被ㇾ仰し。

「善左衞門、願(ねがひ)の如く、親を切らば、すぐに山城守、老中被仰付は、疑(うたがひ)なし。扨(さて)は、いつまでも文盲の世にて有(ある)べきを、いとほしながらも、世の爲には、あかるく成(なり)しぞ。」

と御悅被ㇾ成し。

 世の中、一變せしかば、其代(かはり)に、用ひられし人は、殘らず、引(ひき)こみしなり。

[やぶちゃん注:「佐野善左衞門」旗本佐野政言(まさこと 宝暦七(一七五七)年~天明四年四月三日(一七八四年五月二十一日))。彼は「田沼山城守樣」田沼意次の嫡男で若年寄の田沼意知(おきとも 寛延二(一七四九)年~天明四年四月二日(一七八四年五月二十日)を江戸城中で刃傷に及んだ人物。同四年三月二十四日、意知に向かって走りながら、「覚えがあろう」と、三度、叫び、大脇差で斬りつけ、その八日後に治療の遅れから、意知が絶命すると、佐野政言には同四月三日に切腹が命ぜられ、揚げ屋敷で自害した。ウィキの「佐野政言」によれば、『犯行の動機は、意知とその父意次が先祖粉飾のために藤姓足利氏流佐野家の系図を借り返さなかった事』や、『下野国の佐野家の領地にある佐野大明神を意知の家来が横領し』、『田沼大明神にした事』、彼が『田沼家に賄賂を送った』ものの、『一向に昇進出来なかった事等々、諸説』『あったが』、『幕府は乱心として処理した』とある。なお、真葛は意知を高く評価しているが、ウィキの「田沼意知」によれば、事件直後、『江戸市民の間では』、『佐野政言を賞賛して』、『田沼政治に対する批判が高まり、幕閣においても松平定信ら反田沼派が台頭することとなった。江戸に田沼意知を嘲笑』(せせらわら)『う落首が溢れている中、オランダ商館長イサーク・ティチングは『鉢植えて 梅か桜か咲く花を 誰れたきつけて 佐野に斬らせた』という落首を世界に伝え、「田沼意知の暗殺は幕府内の勢力争いから始まったものであり、井の中の蛙ぞろいの幕府首脳の中、田沼意知ただ一人が日本の将来を考えていた。彼の死により、近い将来起こるはずであった開国の道は、今や完全に閉ざされたのである」と書き残していた』とあった。海防を訴えつつ、蝦夷地の開拓を考えた父工藤平助と、以上のことを考え合わせると、何やらん、真葛が意知に好意的な評価を与えているところに、何か、感慨深いものがあるように私には思われる。]

 ワ、廿七の年の冬、

「磯田藤助が從弟、酒井樣の家中に、『有所(あるところ)へ世話する。』といふから、ゆけ。先(まづ)は老年と聞(きく)が、其方も、年も取(とり)しこと。」

と被ㇾ仰し時は、

「私(わたくし)が、好(すき)で、取(とつ)た年でも、ないものを。」

と、淚の落(おち)たりし。

 それから、行(ゆき)て見た所が、髮は、一筋も、黑い毛、なく、目は、赤く、くさりたる、老人なりし。

『是が、此世に生出(うまれいで)て、からく、今迄、身を守り、一生に一人と賴む人なるか。』

と思(おもへ)ば、淚のわき出(いで)て、物も見えず。

 其人の、はじめて、いひだすには、

「おれは、高々(たかだか)、五年ばかりも、生(いく)るなるべし。賴むは、あとの事なり。」

と、いはれては、猶、かなしく、泣(なき)てばかりゐた故に、かへされたり。

 右の目の下に、大きな黑子《ほくろ》有(あり)しを、

「『淚ぽくろ』とて、宜(よろし)からず。」

 取々と、人々のいひしを、何とばかり思ひて有(あり)しが、是より、氣にかゝり取(とり)たりしが、一生、心中に、歎きの絕(たえ)ぬうみ付(つき)なれば、遁(のがれ)がたし。

『子は、もたず、若き兄弟には、かずかず、別れ、哀(あはれ)、しごく[やぶちゃん注:「至極」。]の我身。』

と、鏡に、むかひて、顏を、みれば、哀(あはれ)らしく見えぬ故、此(この)かげを、友として、心をなぐさむことなり【此地へ下りて、よめる哥(うた)、「朝夕にむかふかゞみのかげならで心ひとしき友をみぬかな」。[やぶちゃん注:底本に『原頭註』とある。]】

[やぶちゃん注:仙台藩奥女中から、伊達重村の息女詮子(あきこ)の嫁ぎ先であった彦根藩井伊家上屋敷に奉公に移っていた真葛は天明八(一七八八)年七月、奉公を辞し、浜町の借宅に帰った。この時、真葛は既に二十六歳になっていた。翌寛政元年五月、ここに出る醜怪なる酒井家家臣の老人の元に嫁入りしたのであった。ウィキの「只野真葛」によれば、『酒井家家中では、伊達騒動の因縁から』、『仙台藩をわるく言いたがる風潮があり、それもあや子にとっては苦痛であった。さらに』、ここで真葛自身が述べているように、『縁談を勧める際の父平助の「先は老年と聞が、其方も年取しこと」の言葉も彼女を傷つけた』とある。]

只野真葛 むかしばなし (69)

 

 それは、ワ、十八、九年ばかりの事なりし。

 ワに被ㇾ仰しは、

「其方も緣付べき年には成(なり)たれども、我身分、いかゞなるや、知れ難し。今、緣付(えんづけ)れば、餘り高きかたへは、遣(つか)はしがたし。我身、一きわ、ぬけ出(いで)なば、妹共をば、宜しき方へ、もらはれんに、姉の、をとりて、あらんは、あしかるべし。少し、年は更(ふく)るとも、今しばし、世のさまの定まる迄、御奉公いたすべし。」

と被ㇾ仰たりし。よかれよかれと、おぽしめされしが、仇(あだ)と成(なり)、緣遠(えんどほ)の身と成りしなり【父樣、かやうに被ㇾ仰に付(つけ)ても、姉といはれん人の、身持、おろそかに成(なし)がたし、と、おもひ、はげみしなり。[やぶちゃん注:底本には『原頭註』とある。]】

 井伊樣に西尾りう治といふ人、有(あり)しが、才人なりし。

 占(うらなひ)を、よくして、能《よく》當りし故、此父樣の御身の上を、うらなはせしに、よく當りたりし。六文錢を、なげて、うらなふ事なり。

「表を見ては、しごくよき事のすじなり。人も『よし。』といひ、おもふ事の、裏にては、『あしゝ。』。世にいづれば、是は、『はまつた。』といふ身に成(なる)なり。ならぬかた、遙かに、ましなり。先は成(なり)がたき、ていなり。」

と、いひし故、おもしろからず思ひしが、其如くにて有(あり)し。

「此秋は。」

「來春は。」

と、いふやうに、のびのびして、三、四年も立(たち)しに、公方樣、御他界、田沼、引込(ひきこみ)、世の中、とりどりに成(なり)て、其程に出世したる人は、皆、惡人・山師の樣に世人に疑れしが、光なき谷住(たにずみ)の父樣は、かはる事も、なかりし。火難(くはなん)に御逢被ㇾ遊し比(ころ)までは、まだ、

「もしや、出世のこともや。」

と、御下心、たのしかりし故、さのみ御歎きも被ㇾ成ざりしなり。

 さやうの下拵(したごしらへ)ありし故、けんもん[やぶちゃん注:「權門」。]衆より、火事見舞に、金など、進物せしなり。

「火難」天明四(一七八四)年、平助の築地の屋敷(藩医でありながら、特別に藩邸の近く外に住まいすることが許されていた)は焼失している。ウィキの「只野真葛」によれば、天明六年二月には、『平助の後継者として育てられてきた上の弟長庵が、火災後の仮住まいにおいて』二十二『歳で没し』、八月の『将軍徳川家治の逝去がきっかけとなり、平助の蝦夷地開発計画に耳を傾けてきた田沼意次が失脚』、十月には幕府が、平助が内心では期待していた第二次『蝦夷地調査の中止を決定した。これにより』、『平助が蝦夷奉行等として出世する見込みはまったくなくなった。田沼のライバル松平定信の政策は、蝦夷地を未開発の状態にとどめておくことが』、『むしろ』、『国防上安全だという考えにもとづい』たものであった。『築地の工藤邸は』、『その後、築地川向に借地して』、再度、『家を建てはじめた。しかし、世話する人に預けた金を使い込まれてしまい、普請は途中で頓挫し』、『そうしたなか、天明』七年の『倹約令の影響で景気も急速に冷え込んだため、家の新築は見通しが立たなくな』り、この後、『日本橋浜町に住む幕府お抱えの医師木村養春が平助に同居を持ちかけたので、工藤一家はここに住むことになった』とある。]

只野真葛 むかしばなし (68)

 

一、父樣をば、田沼時代の人は、「大智者」とおもゑて[やぶちゃん注:ママ。]有しとぞ。

 或時、公用人と、さしむかひにて、用談、終(をへ)て、咄しの内、用人、いふ、

「我主人は、富にも、祿にも、官位にも、不足、なし。此上の願(ねがひ)には、田沼老中の時、仕置(しおき)たる事とて、ながき代(よ)に、人の爲に成(なる)事をしおきたく願(ねがふ)なり。何わざを、したら、よからんか。」

と問合(とひあは)せしに、父樣、御こたへに、

「それは、いかにもよき御心付(おこころづき)なり。さあらば、國を廣(ひろう)する工夫、よろしかるべし。」

 問(とふ)、

「それは、いかゞしたる事ぞ。」

 答(こたへて)、

「夫《それ》、蝦夷(えぞのくに)は、松前より、地つゞきにて、日本へ、世々(よよ)、隨ひ居《を》る國なり。これを、ひらきて、みつぎ物をとる工面を被ㇾ成かし。日本を廣くせしは、田沼樣のわざとて、永々、人の、あをぐ[やぶちゃん注:ママ。]べき事よ。」

と被ㇾ仰しかば、文盲てやいは、はじめて、かようの事をきゝ、恐れ入(いり)し了簡なり。

「いざ、さらば、其あらまし、主人へ申上度(まうしあげた)し。一書にして、いだされよ。」

といひし故、父樣、書《かき》て出されしを、隨分、うけもよく、感心、有《あり》て、

「其奉行に、父樣をなさん。」

と、いひしとぞ。【書學ある人は、國をひらく、よき事、といふは、誰(たれ)もしるならんを、うたてしき世には、有(あり)ける。[やぶちゃん注:底本では、『原頭註』と記す。]】

 我にひとしき人なき世には、なまなかのことはいわれぬもの、父樣は、今更、それはいやともいはれず、又、田沼を拵(ひかへ)て、家中を拔(ぬき)て、公儀衆に成(なり)しといはるゝも、うしろぐらし、大きに御心勞被ㇾ成たりしが、色々、御工夫の上、徹山樣へ打明(うちあけ)て、

「ケ樣ケ樣の事の候が、内々、上にても、『左樣の思召(おぼしめし)有(あり)』とて、上の御いさほに仕(つかまつ)り度(たく)。」

と申上られしに、一段の御機嫌にて、

「それ、至極、宜(よろ)し。」

と、御意なりし、とぞ。

 是よりは、心、はればれと被ㇾ成しとぞ。

[やぶちゃん注:「公用人」大名・小名の家中で、幕府に関する用務を取り扱った役を広く指すが、ここは、まさに側用人と老中を兼任した田沼意次の公用人であることは、後半の段落部から明白である。真葛の父工藤平助のウィキに、天明元(一七八一)年四月、平助は「赤蝦夷風説考」下巻を、二年後の天明三年には『同上巻を含め』、『すべて完成させた。「赤蝦夷」とは当時のロシアを指す呼称であり、ロシアの南下を警告し、開港交易と蝦夷地経営を説いた著作であった。また』、この天明三年には、『密貿易を防ぐ方策を説いた』「報国以言」を『提出している。これらの情報は、松前藩藩士・前田玄丹』、『松前藩勘定奉行・湊源左衛門、長崎通詞・吉雄耕牛らより集めたものであった。さらに平助は』、「ゼヲガラヒ(万国地理誌)」や「ベシケレーヒンギ・ハン・リュスランド(ロシア誌)」等の『外国書を入手して、知識の充実に努めた』。「赤蝦夷風説考」は、『のちに田沼意次に献上されることとなるが、これは平助が自ら進んで献上したものではなかった』。真葛の「むかしばなし」に『よれば、工藤家に出入りするなかに田沼の用人がいて、あるとき』として、まさにこの部分の前の段落中の公用人の問いの台詞が引かれており、かく『平助の知恵を借りにきたので、平助は「そもそも蝦夷国は松前から地続きで日本へも随ってくる国である。これを開発して貢租を取る工面をしたなら、日本国を広げたのは田沼様だといい、人びとも御尊敬申し上げるだろう」と答えたという』とあるのである。天明四(一七八四)年には、『平助は江戸幕府勘定奉行・松本秀持に対し』、「赤蝦夷風説考」の『内容を詳しく説明し、松本は』、『これをもとに蝦夷地調査の伺書を幕府に提出した。これがときの老中・田沼意次の目にとまり、そのため』、翌天明五年には、『第一次蝦夷地調査隊が派遣され、随行員として最上徳内らも加わっていた。このころ、平助はいずれ』、『幕府の直臣となって蝦夷奉行として抜擢されるという噂が流れた。しかし、一面では医師廃業と周囲に見なされて患者を失い、しだいに経済的に苦境に陥っていたのが実情であった。なお、寛政』三(一七九一)年に『全巻刊行された林子平の海防論』「海国兵談」は、平助の「赤蝦夷風説考」の『情報に多くを依拠している。それに先立つ天明』六年には、平助は「海国兵談」の序を『書いて』も『いる。これについては、当初、平助は拒否していたが』、『子平の熱意によりついに承諾したものという』とあった。しかし、その直後、天明六年の第十代将軍『徳川家治の薨去により』、『田沼時代は終わりを告げ、こののち、平助の経世家としての名望は失われ、蝦夷地開発計画は頓挫し』、『平助の蝦夷奉行内定の話も沙汰止みとなった。林子平』の「海国兵談」も『版木を没収されて発禁処分となり、子平自身も幕府より仙台蟄居を命じられた』のであった。

「徹山樣」平助が藩医を務めた仙台藩の第七代藩主伊達重村(寛保二(一七四二)年~寛政八(一七九六)年)のこと。彼の戒名は「叡明院殿徹山玄機大居士」。当該ウィキはこちら。]

佐々木喜善「聽耳草紙」 一七〇番 履物の化物

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]

 

     一七〇番 履物の化物

 

 昔々、或所に、とても腹物を粗末にする家があつた。或晚、下女が獨りでゐたら外の方で、

   カラリン、コロリン、カンコロリン

   まなぐ三まなぐ三ツに齒二ん枚

 と云ふ聲がした。次の晚にもさう云ふ聲がして每晚化物が出た。下女は恐しくなつて、奧さんに其事話したら、奧さんは、どんな聲だかおれも聽かなけなんねから、今夜はお前の室《へや》さ寢んべと云つて女中と二人で息を殺して待つてゐた。するといつもの刻限にまた、カラリン、コロリンと唄ふ聲がした。奧さんは、本統[やぶちゃん注:ママ。]だこれ、一體なんだか明日の晚は正體を見てやんなけねえ[やぶちゃん注:「ちくま文庫」版では、『やんなけなんねえ』で、その方が正しいようには見える。]と言つて、その晚は寢た。次の晚又下女と二人で待つてゐたら、又やつて來た。奧さんと下女が戶の隙間からさうつと[やぶちゃん注:ママ。歴史的仮名遣は「そうつと」でいい。]覗いて見たら、履物の化物が、いつも履物を投げ棄てておく、物置のすまこへ入つて行つた。

  (昭和五年四月八日の夜蒐集されたとて、
   三原良吉氏の御報告分の七。)

[やぶちゃん注:所謂、付喪神怪談であるが、寧ろ、物を粗末に扱うことへの訓戒譚として生きている。]

佐々木喜善「聽耳草紙」 一六九番 柳の美男

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここ。]

 

   一六九番 柳の美男

 

 昔、木伏(キプシ)(盛岡の一町名)に美しい娘があつた。每日家の前の北上川へ出て、勢(セイ)よく伸びた柳の樹の下で洗濯物をして居た。

 或時其の娘がいつもの通り洗濯に出たまゝ行衛《ゆくへ》が分らなくなつた。家の人達や村の人達は、如何(ナゾ)なつたべといつて、方々を探ねたが、どうしても見當らなかつた。ところが二三日經つてから娘が其柳の木の幹にたくさんの枝々で絡《から》まれてしつかりと抱かれて居るのを見付けた。

 娘は人々に助けられて家に連れて來られた。其後永くぶらぶら病ひにとつつかれて靑い顏をして居たが、快《よ》くなつてから斯《か》う言つた。

 あの夕方いつものやうに柳の下で洗濯をして居ると、何處からか見たことのない美男が來て、抱き着いて放さない。其うちに何が何だか氣が遠くなつて、何も知らなかつた…祖其後柳の木は自然と枯死した。

  (大正二年の夏、盛岡生れの吉田政吉氏談話の分四。)

[やぶちゃん注:「木伏(キプシ)(盛岡の一町名)」現在の北上川右岸の岩手県盛岡市盛岡駅前通の木伏緑地附近(グーグル・マップ・データ航空写真)。JR盛岡駅直近。同地区のサイトが存在する。そのサイトでもそうだが、別な紹介サイト「ミズベリング」でも、読みは、「きっぷしりょくち」となっている。底本をガンマ補正すると、「プ」にも見える事を確認した。但し、「ちくま文庫」版は「きぶし」(同文庫では、本書のルビはカナカナではなく、みな、ひらがなである)。私は現行の発音を鑑みて「キプシ」と判じた。

南方閑話 死んだ女が子を產んだ話

[やぶちゃん注:「南方閑話」は大正一五(一九二六)年二月に坂本書店から刊行された。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像を視認した(リンクは表紙。本登録をしないと見られない)。但し、加工データとして、サイト「私設万葉文庫」にある、電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊)を加工データとして使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。疑問箇所は所持する平凡社「南方熊楠選集3」の「南方閑話 南方随筆」(一九八四年刊・新字新仮名)その他(必要な場合は参考対象を必ず示す)で校合した。

 これより後に出た「南方隨筆」「續南方隨筆」の先行電子化では、 南方熊楠の表記法に、さんざん、苦しめられた(特に読みの送り仮名として出すべき部分がない点、ダラダラと改行せずに記す点、句点が少なく、読点も不足していて甚だ読み難い等々)。されば、そこで行った《 》で私が推定の読みを歴史的仮名遣で添えることは勿論、句読点や記号も変更・追加し、書名は「 」で括り、時には、引用や直接話法とはっきり判る部分に「 」・『 』を附すこととし、「選集」を参考にしつつ、改行・段落成形もすることとする(そうしないと、私の注がずっと後になってしまい、注を必要とされるか読者には非常に不便だからである)。また、漢文脈の箇所では、後に〔 〕で推定訓読を示す。注は短いものは文中に、長くなるものは段落の後に附す。また、本書の掲載論考は全部で八篇であるが、長いものは分割して示す。

 より詳しい凡例は初回の冒頭注を見られたい。今回の分は、ここから。太字は底本では傍点「﹅」。]

 

    死んだ女が子を產んだ話

 

       

 「奇異雜談」下卷に、「世俗に曰く、懷姙不產(はらみてうまず)して死せる者、其儘野捨てにすれば、胎内の子、死せずして野にて生《むま》るれば、母の魂魄、形に化《け》して、子を抱き養ふて、夜、行《ある》く。其赤子の泣くを、「うぶめ啼く」と云也。其形、腰より下は、血に浸りて、力、弱き也。人、若し、是に遭へば、「負ふて玉はれ。」と云ふを、厭はずして、負へば、人を福祐に成すと、云傳《いひつた》へたり云々」とある。うぶめのことは、予、『東京人頬學會雜誌』明治四十二年五月の分、三〇五-六頁に、何か實在する、或鳥の外貌《すがた》が婦女に似たるより生じたる訛傳だらうと、云つて置いたが、其後、林道春の「梅村載筆」天卷に、『「夜中に小兒の啼き聲の樣なる物を、「うぶめ」と名《なづ》くと雖も、其を竊《ひそ》かに伺ひしかば、靑鷺也。」と、或人、語りき。」と有るを、見出《みいだ》した。又、鯢魚(さんせうのうを)も鼈《すつぽん》も、啼き聲、赤兒に酷似するを、永々《ながなが》、之を扱ふた人から聽いた。ポリネシア人が、胎兒の幽靈を、事の外、恐るゝ由、繰り返し、ワイツ及びゲルラントの「未開民史《ゲシヒテ・デル・ナチユルフオルケル》」(一八七二年板、卷六)に言へり。

[やぶちゃん注:最後の書名の読みは「選集」に附されてあるものを参考にした。

『「奇異雜談」下卷に、「世俗に曰く、……」先日、電子化注を終わった「奇異雜談集」の「巻第四 ㊃產女の由來の事」からの部分引用である。]

 又「奇異雜談」下卷に、京都靈山正法寺の開山國阿上人、元と、足利義滿に仕へ、伊勢へ出陣の間に、懷姙中の妻、死す。其訃を聞いて、陣中、作善《さぜん》を營む代りに、每日、錢を非人に施す。軍《いくさ》、畢《を》へて、歸京し、妻を埋《うづ》めた處へ往き見ると、塚下《つかした》に、赤子の聲、聞ゆ。近處の茶屋の亭主に聞くに、「其邊より、此頃、每日、婦人の靈、來り、錢を以て、餅を買ふ。」と。「日數《ひかず》も錢の數も伊勢で施した所と合ふから、必定、亡妻が施錢を以て、餅を求め、赤子を養ふたに相違なし。」と、判じて、塚を掘ると、赤子は活きて居《をつ》たが、母の屍は、腐れ果てゝ居《をつ》た。依つて、其子を、彼《か》の亭主に養はせ、己れは、藤澤寺で出家し、五十年間、修行弘道《こうだう》した、と有る。(大正二年九月『鄕土硏究』一卷七號)

[やぶちゃん注:同前で続く「巻第四 ㊄國阿上人發心由來の事」の抄録である。而して、実は以上の二段落は、既に電子化注を終えた『「續南方隨筆」正規表現版オリジナル注附 「『鄕土硏究』一至三號を讀む」パート「二」 の「頭白上人緣起」』と実は全く同じ初出記事なのである。但し、本書「南方閑話」の方が「續南方隨筆」よりも古いから、単行本収録の作品としては、こちらが最初となる。また、孰れも、単行本に収録する際に熊楠自身が初出に手を加えているようだから(後者は確実)、表記その他は完全には一致しない。]

 此の話の出處と思はるゝのが、「淵鑑類函」三二一に出で居《を》る。曰く、閒居錄云、宋之末年、姑蘇賣餅家、檢所鬻錢、得冥幣焉、因怪之、每鬻餅、必識其人與其錢、久之乃一婦人也、跡其婦、至一塚而滅、遂白之官、啓塚見婦人卧柩中、有小兒坐其側、恐其爲人所覺、必不復出、餓死小兒、有好事者、收歸養之、既長與常人無異、不知其姓、鄕人呼之曰鬼官人、元初猶在、後數年方死。〔「閒居錄(かんきよろく)」に云はく、『宋の末年、姑蘇(こそ)の餅(へい/だんご)を賣る家にて、鬻(ひさ)ぎし所(ところ)の錢(ぜに)を檢(けん)するに、冥幣(めいへい)[やぶちゃん注:紙銭。]を得たり。因つて之れを怪しみ、餠を鬻ぐ每(ごと)に、必ず、其の人と、其の錢とを、識(しる)す。之れを久しうするに、乃(すなは)ち、一(ひとり)の婦人なり。其の婦を跡(あとつ)くるに、一(ひとつ)の塚(つか)に至つて滅(めつ)せり。遂に、之れを、官(くわん)に白(まふ)す。塚を啓(ひら)くに、婦人、柩(ひつぎ)の中に卧(ふ)し、小兒、其の側(そば)に坐(ざ)せる有り。其れ、人に覺(さと)らるる所と爲(な)りて、必ずや、復(また)とは出でざれば、小兒を餓死せしめんことを恐るればなり。好事(かうず)の者、有りて、收(いだ)き歸つて、之れを養ふ。既に長(ちやう)じては、常(つね)の人と異(かは)ること無し。其の姓(せい)を知らず、鄕人(さとびと)、之れを呼びて「鬼官人(きくわんじん)」と曰(い)へり。元(げん)の初め、猶ほ、在(いきてあ)り、後、數年(すねん)にして、方(はじ)めて死せり。』と。〕とある。(大正五年六月『鄕土硏究』四卷三號)

[やぶちゃん注:「淵鑑類函」の当該部は、「漢籍リポジトリ」の当該巻の影印本と校合した。[326-9a]の画像を見られたい。書名が致命的に誤っている(底本では「閑居錄」)。但し、一部の難読なものは、熊楠の表記字とした。

「閒居錄」は元の吾衍の撰の随筆のそれか。

 なお、次の章以下は、それぞれの話については、読み易さを考え、改行・段落成形を施した。]

 

       

 

 死んだ母が其子を育てた話は日本に多いが、支那にも印度にもある。

 劉宋の沮渠京聲《そきよけいせい》が譯した「旃陀越國王經」に云《いは》く、

 旃陀王《せんだわう》が特に寵愛した小夫人、孕む。

 他の諸夫人が、之を妬み、王が信用した梵志《ぼんじ》に賂《まひなひ》し、

「此子、生れたら、屹度《きつと》、國の患ひとなる。」

と讒《ざん》したから、王、其小夫人を、殺し埋《うづ》めしめた。

 塚の中で、男兒、生れしを、母の半身、朽ちずして、乳育す。

 三年を經て、塚、崩れ、その兒、出で、鳥獸と戲れ、夜分、塚に還る。

 六歲の時、佛《ほとけ》、これを愍《あは》れみ、出家せしめ、後ち、羅漢となつた。

 佛、命じて、徃《ゆ》いて[やぶちゃん注:ママ。]、其父王を敎化《きやうげ》せしむ。

 此僧、王を見て、

「何を、憂ふるぞ。」

と問ふと、

「嗣子《しし》無きを憂ふ。」

と言つた。

 僧、聞いて笑ふて、のみ、居《を》るので、王、怒つて、殺さんとす。

 僧、察し知つて、便《すなは》ち、輕く、空中に飛上《とびあが》り、分身・散體して無間《むげん》に出入《しゆつにふ》した。

 王、見て、恐れ入り、僧を伴ひ、佛を訪《おとな》ふと、佛、便はち、因緣を說いた。

「此僧、前身、貧人たりし時、比丘に酪酥《らくそ》を施した功德で、王に生まれたが、人の好《よ》き母牛が、犢《こうし》を孕《はら》めるを見て、其牛を殺さしめた。王の夫人、王を諫めて、犢のみを助命せしめ、牛主、還つて、死んだ牛の腹を破り、犢を取出《とりいだ》し養ない[やぶちゃん注:ママ。]、怒りの餘り、後世、王をして、此犢の如くならしめんと詛《のろ》う[やぶちゃん注送り仮名はママ。実は底本では、「詛」ではなく「咀」となっている。「咀」を「詛」の代わりに用いる例があるが、これは完全に誤った慣用表現で、「咀」には「のろう」の意はない。従って、ここ以下、複数で用いられているため、一括して「詛」に代えた。]た。其より、王の後身、此僧となり、生れぬ前に、其母、殺された。母は前世の王夫人也。梵志は牛主《うしぬし》也。此僧は前世に酪酥を比丘に施したので、今生《こんじやう》にも死んだ母の乳で育つた。」

と。

 王の夫人は慈悲深い人で、犢を助命せしむる程なら、定めて、母牛を助命する樣《やう》願ふたのだらうが、王が、到底、二つ乍ら、助命せしめぬ故、止むを得ず、然る上は子牛だけでもと、諫めて、助命せしめたらしいが、牛主の男も、王に等しい分らず屋で、

『子牛を助命さする程の力が有る上は、今、少し、力を入れて、母牛をも助けて吳れさうなもの。』

と、恨んで詛ふた爲め、王は墓の中で生まるゝ無殘な目に逢ひ、王夫人は傍杖《そばづゑ》を食つて、牛主の後身たる梵志に讒殺《ざんさつ》せられた上、墓中で、王の後身たる子を產み、前生《ぜんしやう》に閨中に抱き樂しんだ因緣で、今度は抱き育てた。重《かさ》ね重《がさ》ね死んだ後《あと》までの面倒を見たので、古い都々逸《どどいつ》に、

「掛けてよいもの衣桁《えかう》にすだれ 掛けてわるいは薄情《うすなさけ》」

とあるごとく、いつそ生半可《なまはんか》な諫言《かんげん》をせずに、母牛も、子牛も、王命、是非無し、と、默つて見捨居《みすてを》つたら良《よか》つたかも知れない。

[やぶちゃん注:「劉宋」南北朝時代の南朝の南宋(四二〇年~四七九年)のこと。「劉」は帝の姓。]

 扨《さて》、サウゼイの「隨得手錄」(一八七六年ロンドン板)四輯一三六頁に、獨逸の紳士が美しい若い妻に死なれ、當座は哀愁に餘念もなかつたが、去る物、日に疎しで、永く立たぬ内に、ついつい、下女の尻を、抓《つね》り靡《なび》けて、或夜、共寢とやらかし居《を》ると、死《しん》だ妻が、寢臺に凭《よ》つて、夫と話した相《さう》な顏付き、二、三晚、同樣なるを見て、下女も氣味惡く、主人に話すと、

「そうか、二、三晚、續けて、そんなものが出るか。俺はまた、二、三番、續けて出すから、草臥《くたぶ》れて、一向、知らなんだ。衣は、新にしかず、友は、舊にしかずで、下女もよいが、どうも、昔馴染《むかしなじみ》の妻に、しかずだ。餓《うう》れば、食を擇ばず、窮すれば、妻を擇《えら》ばず、幽靈でも構はない。來たら引き留めて見よう。」

と、次の夜、まんじりともせず守り居ると、例刻になつて、果たして、寢臺近く、逼《せま》り來た。

「汝は誰ぞ。」

と尋ねると、

「あなたの妻でござんす。」

と答ふ。

「吾妻は、死んで埋められてつた。」

と云ふと、

「誠に。あなたが每度、上帝の名を引いて、誓言を吐いた罪により、心ならずも、早く死に別れたが、あなたが、今一度、妻にしようと云ふ思し召し有つて、今後、いつもする、殊に惡い誓言をせぬなら、再び妻となつて、語らいませう。」

と云つたので、夫も、踊り上つて打喜《うちよろこ》び、

「何が扨、そなたの樣な若い美人と、二度、添え[やぶちゃん注:ママ。]るなら、オンでもないこと、どんな誓言でも、以後、決してしませぬ。」

と言つた。

 其から、妻の幽公《ゆうこう》、家に留《とどま》つて消《きえ》ず、晝は諸用を司どり、夫と共に飮食し、夜は、彼《か》の件《けん》を怠らず、夫を慰むること、一方ならず、遂に、若干の子まで、產んだ。

 然るに、此夫の舊い癖が、失せ切らず、一日《いちじつ》、客を招き、夕餐《ゆふさん》を供へた後ち、自分の櫃《ひつ》から、何か、

「出し來たれ。」

と命ずると、妻が取りに徃《い》つて、急に持ち來たらぬを、腹立ち、例の誓言を發した。

 之に依《よつ》て、妻、忽ち、消失《きえう》せて、復《ま》た見えず、空しく、妻の打ち掛けが半ば、櫃の内半ば、其外《そのそと》に留《とど》まり在るを見るのみだつた。

 この幽靈が產んだ子供が、貴族となつた。

 サクソン公ジヨン・フレデリク、此事を聞いて、マルチン・ルーテルに意見を徵《ちやう》した時、ルーテル、答へに、

「此女も、此女が產《うん》だ子も、正しい人間でなく、全く、惡魔だ。」

と述べた由、ルーテルの「食案法論」に出て居る、と有る。

 既に幽靈が夫と交《まぢは》つて子を產む咄《はなし》ある上は、墓中で子を養ふた談も、必ず、歐洲に有る筈と、拙生《せつせい》も、二、三晚、搜し續けたが、見當らない。然し、同書二輯五二一頁に、

 君子坦丁堡《コンスタンチノープル》近傍に聖人メイツアデの墓、有り。此人の父、

「エルラの城攻めに徃《ゆく》。」

とて、其時、妻の腹に在つた子を、上帝に祈り、賴んで、出立《いでた》つた。

 其後、間もなく、妻が死んで、埋葬された。

 墓の中で、子が產まれたが、上帝の加護あつて、死んだ母の乳で、育つた。

 夫、歸り來つて、妻が死んだと聞き、

「せめて死顏なりと、今、一目、見たい。」

とて、墓を尋ね、開いてみると、其子が、死骸の乳を吸ひ居り、死骸、更に、腐らず在つたから、夫、大いに、上帝に感謝し、其子を伴つて歸る。

 其が、大學者となつたのが、乃《すなは》ち、此聖人だ、とあれば、回敎國には、頭白上人と同一の譚が行《おこなは》れ居ると知つた。(六月十一日午前五時稿)(大正十三年八月『日本土俗資料』四輯)

[やぶちゃん注最後のクレジットと書誌記載は「選集」を参考にして添えた。]

 

         

 

 前話は印度譚の例を佛經から引いたのだが、佛敎が現に行はれぬ印度の地方にも亦此類の話が有る。其一例を、一八六八年龍動《ロンドン》板、フレールの「オールド・デッカン・デイス」の二六二―二七二頁より、左に抄譯する。

 昔、國王と王后の間に極めて美しい女子を生んで、ソデワ・ベイ(吉祥女《きつしやうぢよ》)と名《なづ》けた。

 生れた時、國中の占師を、殘らず、呼んで卜《うらな》はすと、彼《かの》輩一同に、

「この女《をんな》、成人に隨ひ、富貴・幸運、一切の女に優《まさ》るべし。」

と言つたは、其筈で、この女、生れ落《おち》るなり、美容麗質の無類なるが上に、唇を開けば、珠玉、地に落ち、步を運べば、珍寶、湧き出で、父王、其御蔭で、天下一の大長者と成つた。

 且つ、又、吉祥女、生まれ乍らにして、頸に、金の瓔珞《えうらく》を纏《まと》ひ居つたのを、占者《うらなひし》が見て、

「此姬君の魂《たましひ》は、此瓔珞の中に藏《をさ》まり居るから、至極、注意して、其頸に着け置かれたい。一度、之れを取つて、他人の身に著《つく》れば、姬は、忽ち、死ぬる筈。」

と云つた。

 因つて、王母は、固く、其瓔珞を、姬君の頸に結付《むすびつ》け、や〻物が分る頃より、姬に敎へて、何事《なにごと》有つても、之を取外《とりはざさ》ざらしめた。

 頓《やが》て、十四歲に成つたが、王も后も婚儀を勸めず、姬の勝手次第と、放任した。

 諸邦の大王・貴人、爭ふて、結婚を申込《まうしこん》だが、姬は、一切、拒絕した。

 時に、父王、其姬君の誕生日の祝ひに、金玉作《きんぎよくづく》りの履《はきもの》、片足ごとに百萬金といふ高價の物を、姬に與へた。

 姬、愛重《あいちやう》の餘り、居常《へいぜい》、離さず、穿《は》いて居《をつ》たが、一日、女中共と、山腹に、花を採る内、足を滑らせて、片足の履を落した。

 其から、父王、國中に令《れい》し、大金を懸賞して求めたが、一向、出て來ない。

 山下《やました》の或國の王の若い子が、一日、狩に出《いで》て、深林中に、甚《い》と小さい無類の麗《うつ》くしい履を拾ひ、歸つて、母后《ははきさき》に示すと、

「これは、必ず、よほど愛らしい王女の穿き物に相違ない。何とか、其主を尋ねて、王子の妻にしたいもの。」

と、國中に勅して、探索したが、更に分らず。

 然る處ろ、人、有り、遠方より來つて、

「山奧の遠い國の王女が、美しい履を落したのを、其父王、重賞《ぢゆうしやう》を懸けて求めてゐる。」

と、その履の容體を、巨細《こさい》に告げたのが、的《て》つ切《き》り、王子の拾得品に符合するので、母后は、王子に、

「汝、其履を持つて、彼《か》の國に往き、渡すべし。扨、『約束の賞品を遣らう。』と云つたら、『金も銀も、貰ふて、何かせん。唯だ、姬君を、吾妻に賜へ。』と云へ。」

と、敎へて出立《いでたた》せた。

 王子、母の敎へのまゝに、長途《ちやうと》を執り、吉祥女の父王を訪ねて、履を呈し、褒美の品を望むと、

「金か、銀か、何を望みか。」

と問はれる。

「吾は、低地の一國王の子故、金銀抔に飽いて居《を》る。望む所は、王の姬君を、妻に欲しい。」

と云ふと、

「其は一寸《ちよつと》卽答は出來ない。娘の、心一つに、よること。」

といふ内、吉祥女は、窓から、王子の容子《ようす》を見て居り、

「あの王子なら、吾が夫として、不足なし。」

と云つたので、

「扨は。どこかによい所が有るのだらう。善は急げ。」[やぶちゃん注:姫の親の王と妃の感じを述べたものであろう。]、

と云ふ儘に、莊嚴・盛飾《せいしよく》して婚姻を濟《すま》しめた。

 其後、久しからず、王子、舅王《しうとのわう》に向ひ、

「この上は、妃《きさき》を伴れて、故鄕へ歸りたい。」

と云ふと、王、之を諾《だく》し、

「吳《く》れ吳《ぐ》れも、新妃《にひきさき》を大事にし、取分《とりわ》け、其頸より瓔珞を離さぬ樣、其れを他人に渡すと、新妃は死ぬから。」

と誨《をし》え[やぶちゃん注:ママ。]、多くの象・馬・駱駝、臣僕や、無量の金玉等を與へて出立《いでだ》たしめた。

 既に故鄕へ着いて、父王・母妃の悅び、譬《たと》ふるに、物なく、其儘、永く幸福に暮らし得べかりしに、兎角、浮世は思ふに任せず、一大事、出來《しゆつたい》した。

 と云ふは、此王子(名はラウジー)は、幼時、既に第一妃を娶《めと》り有つた。

 其《その》第一妃の人となり、陰欝として、每(いつ)も悒(いぶ)せく、殊に、大の燒き餠家《やきもちや》たり。

 去《さ》れば、父王・母后は、第一妃よりも、新妃を愛するから、第一妃、心、大《おほい》に新妃を惡《にく》んだが、少しも外に現はさず、表向きは、甚だ、之を愛好した。

 無邪一遍の新妃は、少しも、そんな氣が付《つか》ず、第一妃を姉の樣に親しみ、睦《むつ》ぶ。

 一日、王子、

「父王の領内乍ら、遠隔の地へ、用あつて、往く。」

迚《とて》、よくよく、新妃のことを、兩親に賴み、

「每朝、その安否を見に往つて下され。」

と囑《しよく》して出立《いでだつ》た。

 暫時、經て、吉祥女の室《へや》へ、第一妃が來て、

「夫王子が旅立つたので、寂しいから、是より、每度、爰《ここ》へ來て、面白く遊びませう。」

といふ。

 此詞《このことば》に甘へて、吉祥女、種々の珍玩を取出《とりいだ》し、第一妃の目を慰める内、第一妃、吉祥女に、

「貴女は、每《いつ》も、頸に金の珠を貫いた環を懸けて居《を》るが、あれは、何です。」

と問ふた。

「是は、私が產れた時、胎内から、頸に懸けて生れた物で、占者が、父王に、『私の魂は、此頸環に籠《こも》り居るから、他人に取り用ひらるゝと、私は、卽座に死ぬ。』と申された。其れ故、牡鹿《をすじか》の角《つの》の束《つか》の間《ま》も取外《とりはづ》した事はござらぬ。」

と答へた。

 第一妃、之を聞いて、心中、大《だい》ホクホク物《もの》だつたが、自分で竊《ぬす》む譯に參らず、自分の部屋に立ち歸つて、平素、自分に忠誠な黑女婢《くろぢよひ》を召し、

「かくかく。」

と命ずると、其夜、吉祥女の熟睡中、其部屋に入つて、瓔珞を外し、自分の頸に卷きつけると、同時に、吉祥女は、死んだ。

 翌朝、老王夫妻が、例に依《よつ》て、吉祥女の部屋を訪ふと、音も、せず。怪《あやし》んで、入《い》つて見れば、容顏は、平日通り乍ら、身體、大理石の如く冷へ[やぶちゃん注:ママ。]て、事切れ居《を》り。醫者に示すと、

「是は、最早、死に切つて居らるゝ。」

と云ふので、老王夫妻、お定りの愁歎場を演じたが、

「せめては、死顏だに、今一度、王子に見せやりたい。」

と有つて、吉祥女を、土に埋《うづ》めず、小池の側《そば》に美麗な廟《べう》を構へ、天蓋をかぶせて、其下に屍體を置き、日々、見に往つた。

 所が、未曾有の椿事と云ふは、其屍《しかばね》、少しも腐らず、顏色、生時《せいじ》に異《かは》らず、一月《ひとつき》經つて、夫王子《をつとわうじ》、歸り來《きた》る迄、斯《かく》の如く、唇色《くちびるのいろ》、頻婆果《びんばか》の如く、頰は紅蓮《かうれん》の如し。

 太子、之れを見て、焉《なん》ぞ慘傷《さんしやう》せざらん、朝から晚迄、彼《か》の墓へ、妻の屍を見に、

「あれ、いくよ。」

「それ、また、いく。」

と、行きかふ者の言《こと》の葉《は》に上る迄も、往き續けにぞ、往きたりける。

 父母は、

「斯く往き續けにやつたら、精《せい》、竭《つ》き、氣、疲れて、死には、せぬか。」

と案じ出《いだ》し、

「そうそう[やぶちゃん注:ママ。]、往くな。」

と、留むれども、聽けばこそ、

「糸惜《いとを》し妻の顏を見ずに居《をつ》ては、玉の緖の命《いのち》有つても、何かせん。」

と、墓詣り斗《ばか》り出精《せいだ》した。

 

       

 

 一方、吉祥女の瓔珞を盜んだ黑女は、終日、之を頸に懸けたが、每夜、寢る前に、取外《とりはづ》し、明朝迄、之を側《かたは》らに置く。其間だに、吉祥女の魂は、本身《ほんみ》に歸るから生き返る。

 扨、翌日、黑女、起きて、復た、自分の頸に着《つく》ると、吉祥女は、死《しん》だ。

 老王夫妻も、王子も、每度、墓へ往つたが、晝間に限つた故、夜分、吉祥女が甦《よみがへ》るを知らず。

 吉祥女、斯くして、最初、甦つた時は、邊りが眞闇《まつくら》で、誰一人《たれひとり》、側《そな》に居《をら》ない。付《つい》ては、

『是れは、知《しら》ぬ内に、牢に入《いれ》られたこと。』

と想ふたが、追ひ追ひ、慣れて來るに隨ひ、氣を落付《おちつ》けて考へるに、

『どうも、自分は、死んだらしい。何とか、夜《よ》の明けるを俟《ま》ちて、爰は、どこと、見極め、王宮へ還つて、瓔珞を搜し出そう。』

と思ふたが、夜は、決して、明けぬ。

 朝になると、黑女が、其を、自分の頸に絡《まと》ふと同時に、吉祥女は、死ぬのだ。

 然し、每夜、蘇へると、廟から出《いで》て、池の水を飮み、廟へ還つたが、食物がないのでヘコ垂れた。

 此女、生來、言《こと》いふ每《ごと》に、珠玉、口より落《おつ》るのだが、話し相手が無いので、其儀に及ばず、唯だ、每夜、水を飮みに出步《いであり》く、其跡に、足から涌き出た珠が、散らばつて居《をつ》た。其れが、一日《いちじつ》、王子の眼についたので、奇妙に思ひ、

「出處《でどころ》を、見屆けん。」

と番し居《をつ》たが、死んだ妻は、夜分だけ、活きて、出步くのだから、珠の出《だ》し主《ぬし》は分らぬ。

 然るに、其日は、吉祥女を葬つてより、丁度、二月《ふたつき》めで、王子が、

「珠の出處を、見屆けん。」

と、日、暮《くる》るまで、番した當夜、廟中で、男兒が生まれたに次いで、夜が明け、母は、復た、死だ。

 生まれた兒は、誰も取り上げる者が無し、終日、啼いたが、聞付《ききつ》ける人も、無かつた。

 其日は、王子、事、有つて、墓を訪はず、夜分に、初めて、珠の出處を見付けに出懸けたところ、廟中で、兒の啼聲《なきごゑ》がする。

「化物でないか。」

と訝《いぶか》る内、廟の戶を開けて、兒を抱いた女が、出來《いできた》り、池の方へ步むと、步々《ほほ》、珠を生ず、と來た。

『鳥羽玉《ぬばたま》の夢ぢないか。』

と、怪しみ見ると、水を飮み了つて、廟に還る樣子、

「其れ、引留《ひきと》めん。」

と、追掛《おひかく》るに驚いて、吉祥女は、廟に走り入り、内より戶を鎖《とざ》した。

「一寸《ちよつと》、開けて。」

と、戶を敲くと、

「汝は何物ぞ。鬼でないか。但しは、幽靈か」

と問ふ。

「左《さう》いふ汝こそ、兒迄、抱いて、念の入つた二人前《ふたりまへ》の幽靈で無いか。吾こそ、汝、生前、『草葉の蔭迄も離れない。』と盟《ちか》ふた、汝の夫だ。兎に角、爰を、開《ひら》け。」

と云ふを、氣を付けて聞けば、吾夫だから、戶を開いた。

 見れば、嬰兒を膝に置いて、母が坐り居《を》る。

「これは。夢でないか。」

と尋ねると、

「イエイエ、夢では、ござんせぬ。こんな處で、昨晚、此兒を產みましたが、夜が明けると、私は、死にます。誰か、私の金の瓔珞を盜《ぬすん》だから。」

と告げた。

 そこで初めて、金の瓔珞が、女の頸に懸つて無いに氣が付き、取敢《とりあへ》ず、王宮へ還り、宮中の男女を、一切、召集すると、第一妃の使ふ黑女が、其頸飾りをして居るから、番兵をして捕へて、投獄せしめると、大いに恐れて、

「第一妃に賴まれて、盜んだ。」

と白狀した。

 そこで、第一妃を、終身投獄に處し、父王・母后共に、廟へ往つて、頸飾りを、吉祥女に著《つ》けしめ、其子と共に、王宮へ還り、一同、

「めでたい、めでたい、」

と、大祝賀を、やらかし、行末《ゆくすゑ》長く、繁昌し、吉祥女は正妃《せいひ》と成つて、

「今度は、日が暮るゝ每に、面白く、死にます、死にます、」

と云《いふ》たそうだ[やぶちゃん注:ママ。]。(大正十二年六月十七日早朝稿)

[やぶちゃん注:最後のクレジットは「選集」で補った。]

 (追記)――希臘の古傳に、テツサリア王プレギアースの娘コローニス、醫神アポルロと通じて、子を孕む内、アルカジア人イスクスと通じた。アポルロ、豫《かね》て、監視に附け置いた鴉《からす》が之を告げたので、アポルロ、大いに其不貞を怒り、其妹アルテミスをして、コローニスの宅で、之を殺さしめた。一說には、アポルロ自ら、姦夫婦を殺したと云ふ。コローニスの屍《しかばね》、火葬され掛けた時、アポルロ、焰中《ほのほのうち》より、其胎兒を取出《とりいだ》し、半獸形の神ケイロンに授けて、醫道と狩法を學ばしめた。其兒が、醫聖アスクレーピオスで、妙技を以て、死んだ者をも活《いか》すから、死人、跡を絕ち、地獄、大不景氣と訴へ出《で》たので、大神ゼウス、霹靂《へきれき》して、之を殺し、アポルロ、其復仇《ふくきう》に、電鋒《でんはう》を作つた一眼鬼共《ひとつめおにども》を鏖殺《あうさつ》したといふ。(一八四四年板、スミス「希臘羅馬人傳神誌名彙」一卷四四章と、一九〇八年板、サイツフエルト「古學辭彙」英譯七五頁を參取す。)

[やぶちゃん注:「アポルロ」アポロン。

「其復仇に」底本では、「其後仇に」となっているが、前後から考えて、「選集」が正しいと判断した。

「電鋒を作つた」同じく底本では、「電鋒を作つて」となっているが、「一眼鬼」は鍛冶神(たんやしん)キュクロプスのことであり、ウィキの「キュクロープス」によれば、『息子』で、医神として知られる、ここに出る『アスクレーピオスをゼウスの稲妻で失ったアポローンの八つ当たりを食らい、虐殺されたという悲劇的な異伝もある』とあることから、「選集」の「た」を採用した。]

(追記)佛經に見えた此話の、恐らく尤も古いのは、西晉の沙門釋法立・法炬共譯の「諸德福田經」に在る。佛《ほとけ》、在世に、須陀耶《すだや》といふ比丘、有り。先世に、維耶離國《いやりこく》の小民だつた時、世に、佛なく、衆僧が敎化《きやうげ》した。此人、市《いち》へ、酪《らく》を賣りに行く途上、衆僧大會《だいゑ》の講法を、立ちて聽き[やぶちゃん注:底本は「立ち聽き」。「選集」の方を採用した。]、歡喜して、悉く持つ所の酪を施した。其功德で、九十一劫の間《あひだ》、生れ變《かは》る每に、豪貴尊榮だつたが、最末《さいまつ》に、餘罪、有つた爲め、自分を孕んだ數月後《すうつきのち》に、母が死んで、塚中《つかなか》に埋められた。月、滿ちて、塚中に生れ、死んだ母の乳を、七年間、飮んで、成長し、佛の說法を聞いて、得道《とくだう》したと云ふ。(七月十五日早朝)(大正十三年五月『日本土俗資料』一輯)

[やぶちゃん注:最後のクレジットと書誌は「選集」で補った。]

佐々木喜善「聽耳草紙」 一六八番 柿男

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]

 

      一六八番 柿 男

 

 昔々或所に奧さんと下女があつた。其所の家の井戶端に柿の木があつて、柿が甘《うま》さうに實つてゐた。下女はその柿が食ひたくて食ひたくて堪らなかつた。何とかして一ツ喰ひ度《た》いものだと考へてゐたら、或晚、表の戶を叩いて、此所あけろ此所あけろと云ふ者があつた。下女は、ハテ夜中に誰だべと思つて、今誰も居ませんから開けられないと斷つたが、いいから開けろいいから開けろと云ふので下女は怖々《こはごは》さうツと戶を開けたら、背のとても高い眞赤な色をした男が立つてゐた。下女はもう靑くなつてブルブル慄へてゐると、其眞赤な男が室《へや》の中さ入つて來て、串持つて來いと云つた。下女が串を持つて行くと、赤い男は、俺の尻くじれ、俺の尻くじれと云ふ。[やぶちゃん注:底本は読点であるが、「ちくま文庫」版で訂した。]下女が慄へながら男の尻をえぐると、今度は、なめろなめろと言つて歸つた。下女がその串をなめたらとても甘《うま》い柿の味がした。

  (昭和五年四月八日夜蒐集されたものとして、
   三原良吉氏の御報告の分。)

佐々木喜善「聽耳草紙」 一六七番 額の柿の木

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここ。]

 

      一六七番 額の柿の木

 

 或所に一人の男があつた。何かよいことをお授けして貰ひたいと思つて、觀音樣ヘ行つて、七日七夜籠つて願かけをした。そしたら滿願の日に、觀音樣が夢枕に立つて、お前の願掛けは聞いてやる。明朝《みやうてう》夜が明けたら前の坂を下りて行け。そして一番先きに目についた物を大事にして持つて行けと告げた。男は其日の朝未明に、御堂を出て前坂を下りて行くと、一粒の柿の種が落ちていた。男は何だこんな物かと思つたが、是も觀音樣のお授け物だと押頂《おしいただ》く拍子に種が額《ひたひ》にぴたツとくツついて放れない。

 さうしてゐる中《うち》に其種が根付いて芽を出して一本の柿の木になつた。それが段々成長(オガ)つて大木になり、春《はる》花が咲いて、秋になると柿の實がうんとなつた。そこで男は柿賣りになつて、町へ行つて、柿ア柿アとふれて步いてたんと金儲けをした。ところが町の他の柿賣り共《ども》がそれを憎んで、或日皆《み》んなして、其男の額の柿の木を根こそぎ伐取《きりと》つてしまつた。すると其伐株《きりかぶ》から今度は澤山の菌《きのこ》が生へた。そこで男は又町へ出て、菌賣る菌賣ると、ふれ步いてしこたま金儲けをした。するとまた町の菌賣りどもに憎まれて、其伐株を根ぐるみ掘取《ほりと》られてしまつた。ところが又其所《そこ》の穴から今度は大變な甘酒が湧き出した。そこで又男は町へ出て、甘酒や甘酒やと言つてふれ步いて復々《またまた》大金儲《おほかねまう》けをした。

 

梅崎春生「つむじ風」(その19) 「遁走」 / 「つむじ風」~了

[やぶちゃん注:本篇の初出・底本・凡例その他は初回を見られたい。文中の「」の太字は実際の太字であって、傍点ではない。本章が最終章である。]

 

     遁     走

 

 午前の十時頃から、風がそろそろ強くなり始めた。

 加納明治は朝風呂から上り、リヴィングキチンの食卓に向って、オートミール、オムレツ、果物という献立の、遅い朝食を摂っていた。

 顔色が冴えないのは、近頃引き受けた仕事がうまく行かず、せっせとせき立てられているからである。

 そこで昨夜も、十二時就寝のところを、午前二時まで伸ばしたのだが、どうも成果は上らなかった。今朝いささか寝坊したのは、そのせいなのである。

「紅茶、おいれしましょうか」

 調理台を背にして佇(た)っていた塙女史が、加納に声をかけた。加納のその食べ方によって、食欲なしと判断したものらしい。

「ミルクにしましょうか。それともレモンに?」

「うん。レモンにして呉れ」

 それをしおに加納は匙(さじ)をおき、鬱然として答えた。

 塙女史に対する加納のひと頃の叛逆は、陣太郎の出現以来、中絶の形となっていた。その中絶の形を、加納が屈伏したものと塙女史は判定したらしく、それまでのつめたい態度は捨てて、元の母性的態度に立ち戻っていた。

「仕事がうまく行かない時でも、やはり十二時にはおやすみになった方が、よろしゅうございますのよ」

 レモン入り紅茶を食卓に乗せながら、塙女史はやさしく言った。

「何と言っても、身体が大切でございますからねえ」

「いくら身体が大切と言っても――」

 加納は茶碗に手を仲ばしながら、ぶすっとした声を出した。

「小説が書けなきゃ、商売にならない」

「いいえ、正しい精神と頑健な身体、これが作品を産み出す原動力ですわ」

「そんなことはないよ。現に僕は大酒を止めたし、ワサビ類も全然食べてない。女史の言う通りの生活をしているのに、筆の方がうまく動いて呉れないのだ。これじゃあ、筆を折って、他の商売に転向するほかはないな」

「おほほほ」

 掌で口をおおって、塙女史はころころと笑った。

「小説以外の他のことが、先生にお出来になるものですか」

「で、できないことがあるものか」

 しかしその加納の言葉は、語尾が急に弱まって消えた。あまり自信がなかったのであろう。

「先生にはお出来になりませんわ」

 笑いを消して、塙女史ははっきりと断言した。

 

「先生は生れつきの芸術家で、生活人ではありませんわ。その証拠に、先生は気が弱く、やさしくて、消極的で――」

 その瞬間、玄関のブザーが鳴りわたった。塙女史は足早に玄関に歩き、扉を内から押し開いた。長身の若者がそこに立っていた。

「ぼ、ぼくは松平陣太郎先生の秘書で、泉竜之助と申す者ですが――」

 竜之助はおどおどと塙女史の顔を見た。

「加納先生はいらっしゃいますでしょうか」

「おります」

 塙女史はつめたい声で言った。

「どうぞお上りください」

 

 泉竜之助を書斎に通すと、塙女史は廊下を小走りして、リヴィングキチンに戻ってきた。加納明治は肩が凝っているらしく、両肩を交互に上げ下げさせながら、レモン紅茶を飲んでいた。

「先生。またやって来ましたわよ」

 塙女史は呼吸をはずませて、加納にささやきかけた。

「松平陣太郎の秘書と称する背高のっぽが!」

「え? なに、背高のっぽ?」

 加納は茶碗を下に置き、眼をぎろりとさせた。

「泉竜之助と言う若者か」

「そうですわ。書斎に通して置きました」

「よし!」

 加納は決然と立ち上った。歩を踏み出した。

「あんなチンピラにやられちゃダメですよ。先生」

 塙女史は忙しくキチンを見廻し壁から中型のフライパンを外し、それを背後にかくし持って、加納のあとを追った。

 書斎の机の前に、竜之助はつらそうに両膝をそろえ、きちんと坐っていた。加納がぶすっとした顔で坐ると、竜之助は座蒲団からすべり降り、頭を畳にすりつけた。

「またお伺いいたしました。泉竜之助です」

 塙女兜は竜之助の斜後方に坐った。フライパンは背後にかくしたままである。

「一体何の用事だい」

 加納は竜之助をにらみながら、煙草に火をつけた。

「今日は陣太郎君は一緒じゃないのか」

「陣太郎先生は、今日はアパートに残っておられます」

 竜之助は言いにくそうに用件を切り出した。

「その、陣太郎さんから、頼まれまして――」

「何を頼まれた?」

「これです」

 覚悟をきめたらしく、竜之助は眼をつむって、内ポケットから一枚の写真をぐいと引っぱり出した。

「こ、これを先生に、十万円で買っていただきたいと思いまして――」

「なに!」

 つけたばかりの煙草を灰皿にこすりつけて、加納は怒鳴った。

「そんな横着な言い草があるか! この間もそいつで、五万円持って行ったばかりじゃないか!」

「あ、あれは陣太郎さんですよ。僕じゃありません」

「まだぬけぬけとそんなことを言ってる。同じ穴のムジナのくせに。貴様みたいなチンピラにおどされる加納だと思っているのか!」

 加納は顔面を硬直させて、拳固(げんこ)を振り上げた。

「もう許して置けぬ。塙女史。一一〇番に電話をかけて、警察を呼びなさい」

「はい」

 塙女史は素早く立ち上った。

「そ、それはちょっと、待って下さい」

 悲鳴に似た声を立てて、竜之助は腰を浮かした。出口を求めて、膝で後退した。その竜之助の後頭部に、塙女史はフライパンをふり上げ、力をこめてふりおろした。

 ギャッと言ったような声を上げ竜之助はへたへたとうずくまった。

 

 ふだんの泉竜之助なら、フライパン如きでなぐられて、眼を廻す筈はないのであるが、栄養失調のせいもあり、またフライパンの発した音響に度胆(どぎも)をぬかれて、そのまま畳にながながと伸びて、五分間ばかり失神状態にあった。

 こんな大男がかんたんにのびたのだから、加納明治と塙女史が狼狽したのも当然であろう。

「そ、それ、塙女史、早く水を、持って来なさい。それから薬も!」

 フライパンを放置したまま塙女史はこま鼠のようにきりきり舞いして、金だらいやタオルや薬品箱を持ってかけ戻ってきた。その間に加納は抜け目なく、れいの写真をつまみ上げ、こなごなに引裂いて、屑箱にほうり込んでしまった。

「ううん」

 濡れタオルを額に乗せたまま、やっと正気づいたらしく、竜之助はうなり声を発して、眼をぱっちりあけた。

「気がついたか」

 ほっとしたくせに、加納はわざと横柄な口をきいた。

「気分はどうだ?」

「ぼ、ぼくは、一体、どうしたんです?」

 竜之助は上半身をおこした。濡れタオルはすべり落ちた。竜之助はいぶかしげに、あたりをきょろきょろと見廻した。

「ひでえなあ」

 畳にころがったフライパンを見て、竜之助は泣きべそ顔になった。

「フライパンで殴るなんて、ほんとにひどい人だなあ」

「君が逃げようとするからだよ」

 加納がきめつけた。

「逃げようとしたからには、君には何かうしろ暗いところがあるな。陣太郎の話によると、君はたいへんな悪者で、秘書はクビになった筈ではないか。それを秘書みたいな面(つら)で乗り込んできて――」

「ち、ちがいますよ、それは」

 竜之助は、むきになって口をとがらせた。

「悪者は、あの陣太郎さんですよ。僕はむしろ被害者なんです。カメラはふんだくられるし、今日だって、いやだいやだと言うのをむりやりに――」

「なになに」

 加納も膝を乗り出した。

「ちゃんと筋道を立てて、話してみなさい」

 竜之助は頭のこぶを撫で撫で、つっかえつっかえしながら、一部始終を話し出した。加納と塙女史は、時々質問を入れたりして、聞き終った。

「そうか。君の言うことが本当とすれば、陣太郎という奴はたいへんな奴だな」

 憮然(ぶぜん)として加納は腕をこまぬいた。

「松平の御曹子(おんぞうし)にしては、けたが外(はず)れてい過ぎるぞ」

「その松平というのが、あたしは怪しいと思いますわ。陣太郎はそんな高貴の人相じゃありません」

 塙女史が傍から口を出した。

「あたし、なんだったら、世田谷の松平家というところに、今から行って来てもよござんすわ」

「そうだな。そうして貰おうか」

 そして加納はじろりと竜之助に視線をうつした。

「君。陣太郎のアパートはどこだ。地図を書きなさい。もしニセモノだったら、僕が行ってとっちめてやる!」

 

 加納家の玄関を出ると、泉竜之助は長身の背を曲げて、ふらふらと風の街に泳ぎ出た。ふらふらしているのは、頭を殴られた故(せい)もあるが、吹きまくる大風のせいでもあった。

 大通りに出る角の煙草屋の赤電話に、竜之助はふらふらととりつき、ダイヤルを廻した。電話の向うに管理人が出、しばらくして目指す相手が出てきた。

「もしもし。陣太郎さんですか。僕、竜之助です」

「ああ、竜之助君か。加納のところに行ったか」

「今行ってきたところです」

「そうか。それで五万円とれたか。とれたら直ぐ、富士見アパートに持ってこい」

「そ、それがダメなんですよ」

「何がダメなんだ?」

「加納さん、すっかり腹を立てて、かんかんになったんですよ。警察を呼ぶなんて言うから、びっくりして逃げ出そうとしたらね、あの女秘書からフライパンで頭をひっぱたかれて、僕、気絶しちゃったんですよ」

「フライパンで? それはムチャだなあ」

 陣太郎は嘆息した。

「でも、君も少しだらしなさ過ぎるぞ。たかがフライパン如きで、気絶するなんて」

「気絶ぐらいしますよ。ろくなもの食ってないんだから」

 竜之助は口をとがらせた。

「正気づいたらね、さんざん加納さんに、やっつけられましたよ。話を聞いてみると、陣太郎さんは僕のことを、極悪人に仕立ててるじゃないですか。全くひどいなあ」

「そう怒るな。そして今度は、おれのことを極悪人に仕立てたか」

「僕はありのままを話しましたよ。すると加納さんは、陣太郎さんの身元を洗うんだって、今日女秘書が世田谷のお邸に行くことになりましたよ」

「なに、身元を洗うんだって?」

「そうですよ。つまり、陣太郎さんがニセモノかどうか」

「ニセモノだと? 加納の奴がそういうことを言ったのか」

 陣太郎の声は激した。

「ニセモノとは何だ。君に教えてやるけどな、ニセモノと言うのは、おれよりも加納の方だぞ。加納だの、猿沢三吉だの、あんな連中が、人間としては典型的なニセモノだ!」

「いえ。人間としてのホンモノ、ニセモノを言ってるんじゃないんですよ。松平の御曹子というのが、ニセモノではないかと――」

「そ、それまで人を疑わなくちゃいけないのか。なさけない奴輩(やつばら)だなあ」

 陣太郎の口調は沈痛な響きを帯びた。

「信じるということの尊さを、きゃつ等は知らないんだ」

「もしニセモノだったら、陣太郎さんのアパートに乗り込むんだから、地図を書いて呉れって、加納さんに頼まれた」

「なに。それで富士見アパートの地図を書いてやったのか」

「だってあの女秘書、フライパンをかまえて、にらんでるんだもの。善良な僕を殴るなんて、ほんとにあの女秘書、砂川町の警官みたいだなあ」

「そうか。でも、よく知らせて呉れた。ああ、それからこの間のクイズな、あれを三吉に突きつけてもいいよ。今が好機だろう」

「そうですか。では、早速使ってみます」

[やぶちゃん注:「砂川町の警官」「砂川闘争」の初期の流血事件を指す。同闘争は在日米軍立川飛行場(立川基地)の拡張に反対して、東京都北多摩郡砂川町(現在の立川市砂川町)において昭和三〇(一九五五)年から一九六〇年代まで続いた住民運動である。当該ウィキによれば、『土地収用のための測量実施と測量阻止闘争とのせめぎあいが続く中』、一九五六年十月十三日、『砂川町の芋畑で』、『地元農民らと』、『武装警官隊が衝突』し、千百九十五人が負傷し、十三人が『検挙される』『「流血の砂川」と呼ばれる事態に至』り翌日の『夜、日本政府は測量中止を決定した』とある事件である。本篇のこの、最後の連載最終回は昭和三一(一九五六)年十一月十八日附『東京新聞』であったから、極めてアップ・トゥ・デイトな比喩として、使用されていることが判る。]

 

「では、元気でやれよ。バイバイ」

 陣太郎は受話器をがちゃりとかけた。電話室を出て、階段をとぼとぼと登った。陣太郎の表情は重くかつ暗かった。暗い怒りが陣太郎の面上に、めらめらと燃え上っていた。

 真知子の部屋の前に立ち止ると、陣太郎は扉をほとほとと叩いた。

「真知ちゃん。いるか」

「いるわよ」

 陣太郎は扉をあけ、のそのそと部屋に入って行った。真知子はレポートの整理の手を休め、ややまぶしげに陣太郎を見た。

「今日は風がひどいから、うちで勉強することにしたのよ」

「そうか。お茶を一杯いれて呉れ。玉露がいいな」

 陣太郎はだるそうに、部屋の真中に大あぐらをかきながら、ひとりごとを言った。

「ああ。人生は退屈だ」

「え。なに?」

 真知子が聞きとがめた。

「いや。何でもない。どれもこれもバカばかりで、その中で生きていることが退屈だということさ」

 陣太郎は両手を上げて、大きく伸びをした。

「時に、アパートの引越しは、今日にしたがいいよ」

「だって、こんなに風が吹いてるのに」

 真知子は窓外に眼をやった。

「どこかに安い部屋、見つかったの?」

「いや。でも、部屋はどこにでもある」

「では、何故今日じゃなくちゃ、いけないの?」

「実は今朝、ここの管理人に訊ねてみた」

 陣太郎は畳を指差した。

「すると、この部屋には、五万円の敷金が入っているんだね。忘れたのかどうか知らないが、三吉おやじはまだそれか引出していないのだ」

「そう?」

「君がここに来て、まだ一年経ってないから、一割引きの四万五千円は戻して呉れるんだ。だから三吉おやじが引出さないうちに――」

「こちらで引出せばいいのね」

 真知子はぱっと眼を輝かした。

「そりゃいい考えね。退職金をひどく値切られたんだから、敷金ぐらい頂戴しても当然ね。じゃあたし、階下に行って、貰って来るわ」

「それがいいだろう」

 注がれた玉露を、陣太郎は旨(うま)そうにすすった。

「おれは運送屋を呼んでくる。敷金を受取ったら、直ぐに身の廻りを整理したがいいな。いつ三吉おやじが思い出して、飛んで来ないとも限らないからね」

「そうね」

 机上のものを手早く整理して、真知子は立ち上った。

「ではあたし、管理人に会ってくるわ」

 丁度その頃、塙女史は盛装して、加納邸の玄関で靴をはいていた。第一級の盛装に身をかためたのは、訪問先が松平家であるからであろう。背後から加納明治が声をかけた。

「ホンモノかニセモノか、とにかく判ったら直ぐ電話するんだよ」

「はい」

 塙女史は立ち上った。

「では、行って参ります」

 

 午前十一時半、猿沢家の嬢部屋で、一子(かずこ)と二美は額をつき合わせ、こそこそと相談ごとにふけっていた。

「ねえ。どうやってお金をつくる?」

「何か売ろうか」

「売るのはイヤよ。それより何か質に入れようよ」

「そうねえ。質屋なら、あとで取り戻せるものね。何を質に入れる」

「二美の時計はどう?」

「イヤよ。あたしの時計なんて。それよかお姉さんのを入れたらいいじゃないの」

「うん。それでもいいよ」

 一子は手首から腕時計を外して、ぶらぶらと振った。

「あたしが時計を提出するから、二美が質屋に行って来るのよ」

「あたしが? あたし、質屋なんて、まだ一度も行ったことがないのよ。どうすればいいの?」

「かんたんよ。あそこの裏通りに、山城屋ってのがあるでしょう。あそこに入って、時計を差し出せばいいのよ。そうすれば、向うの方で値をつけて呉れるわ」

「そう。じゃ、行って来るわね」

 二美は姉から腕時計を受取り、だるそうに立ち上った。一子が下から声をかけた。

「念のために、米穀通帳を持って行った方がいいよ。台所にぶら下ってるから」

「そう。では、行って参ります」

「早く戻って来るんだよ。おなかがぺこぺこなんだから」

 二美は部屋を出て、足音を忍ばせて台所に廻り、米穀通帳をぶらぶらさせながら、裏口から飛び出した。

 一方、茶の間では、チャブ台をはさんで、三吉とハナコが坐っていた。ハナコは縫物をしていた。

「風が強くなってきたな」

 三吉は時計を見上げながら言った。

「三根と五月はまだ学校から戻って来ないのか」

「今日は二人とも給食ですよ」

 ハナコが応じた。

「三根も五月も、この間までは、大の給食嫌いだったのに、近頃ではすっかり好きになったようよ」

「それはあたり前だ。うちで芋飯ばかり食ってりゃ、給食好きになるにきまっている」

 三吉はだるそうに舌打ちをした。

「ああ。わしは三根や五月がうらやましい」

「うらやましいって、あたしだって、うらやましいわよ」

 ハナコはみずばなをすすり上げた。

「三根や五月は、給食があるからいいけれど、一子や二美は何もなくて、可哀そうだわ。二人ともずいぶん瘦せたようよ」

「かえってスマートになって、結構だろう」

「結構なもんですか。食うものも食わずに瘦せ細るなんて」

「そう言えば、今朝の食事に、一子も二美も姿をあらわさなかったようだな。あとで食べたか?」

「いいえ」

 縫物をやめてハナコは顔を上げた。

「そう言えば変ねえ。食い盛りの二人が」

「まさかハンガーストライキを始めたんじゃあるまいな」

 三吉は時計を見上げた。

「そろそろ早昼[やぶちゃん注:「はやひる」。]にしよう。あれたちもおなかをすかせてるだろうから」

[やぶちゃん注:「米穀通帳」一度、リンクさせたウィキの「米穀配給通帳」によれば、『一時期は、市町村長の公印が捺された公文書の上、世帯主・住所が記述されていたので、身分証明書としての役目も果たしていたが、健康保険証や年金手帳、そして運転免許証が、身分証明書の機能を取って代わっていった』。『また戦中・戦後においては、相当の価値を持ち』、昭和二四(一九四九)年に『公開された日本映画「野良犬」(黒澤明)では、拳銃を手に入れるのに「米穀通帳を持ってくるように」指示されている』(拳銃を掏(す)られた主人公村上刑事(三船敏郎演)が復員した浮浪者に変相して、闇の「ピストル屋」に渡りをつけるシークエンスで「ピストル屋」が売る条件として「米の通帳持って来な」と言うシーンがある。所持する台本(岩波書店『全集 黒澤明』第二巻)では「36」部分で、「Internet archive」の同映画の「2850」を見られたい)。『身分証として使われた映画としては他に』昭和三七(一九六二)年『公開の「ニッポン無責任野郎」(古澤憲吾)があり、主人公・源等(植木等)が、銀行で米穀通帳を提示し、預金通帳を作るシーンがあった』。『なお、有効期間内に他の地方公共団体に転居や転出した際は、速やかに届け出をして、記載の訂正を受けなくてはならなかった』とある。]

 

 二美はあたりを見廻しながら、裏口から入り、足音を忍ばせて娘部屋に戻ってきた。掌には数枚の紙幣が、ぎっしりと握られていた。一子はむっくりと起き直った。

「どうだった。いくらになった?」

「大成功よ?」

 二美は掌を拡げて見せた。

「二千五百円、貸して呉れたわよ」

「そう。そりゃよかった」

 勢いづいて立ち上り、一子は外出の身支度にとりかかった。

「では、予定通り、珍満に行くことにしようよ」

「それがいいわね。スブタにフヨウハイ。でも、御飯を五杯もおかわりしたら、笑われるわよ」

「あたりまえだよ。三杯ぐらいで止めて置くんだね」

 その時茶の間の方から、三吉のどら声が飛んできた。

「一子に二美。御飯だぞ」

 一子と二美は顔を見合わせ、めくばせしながら廊下に出た。足音も荒々しく茶の間に歩み入った。

「ばたばた歩くんじゃない」

 チャブ台のそばでハナコがたしなめた。

「おや。お前たち、どこかへ出かけるのかい?」

「そうよ」

 立ちはだかったまま、一子は答えた。

「あたしたち、おなかがぺこぺこだから、御飯を食べに行くの」

「え。御飯を食べに?」

 三吉が眼を剝いて反問した。

「どこに食べに行くんだ。食べに行かなくても、うちにあるじゃないか」

「もう芋飯なんかイヤよ。大切な青春を、芋飯なんかで、だいなしにしたくないわ」

「そうよ。そうよ」

 二美が勢いこんで相槌を打った。

「今から珍満に行くのよ。スブタにフヨウハイ。そしてたらふく御飯を食べるのよ」

「珍満?」

 そう反問したまま、あとは三吉は絶句した。言いようのない悲哀感が、三吉の面上を走って消えた。

「そうよ。珍満よ」

 二美は母親に呼びかけた。

「お母さん。一緒に珍満に行かない? あたしたち、おごって上げるわよ」

「そうよ。ねえ、お母さん。一緒に行きましょうよ。時にはうまいものを食べないと、ほんとの栄養失調になってしまうわよ」

「おごって呉れるって、お前たち」

 ハナコはなみだ声を出した。

「お金はどうしたんだい?」

「あたしの腕時計を、山城屋に質入れしたのよ。二千五百円、貸して呉れたわ」

「山城屋?」

 ハナコははらはらと落涙した。

「ま、あ、お前たち、質屋通いまでして――」

 そしてハナコはエプロンで眼をぬぐい、思い切ったようにすっくと立ち上った。エプロンを外し始めた。

「じゃ、お母さんも、ついて行って上げる」

「おお、ハナコ、お前もか!」

 兇刃にたおれるジュリアス・シーザーみたいに、悲痛極まる声を三吉はしぼり出した。

「お前まで行ってしまうのか。わしだけ居残って、芋飯を食えと言うのか!」

 

 ハナコと娘たちがどやどやと出て行くと、がらんとした茶の間に、退潮[やぶちゃん注:「ひきしお」。]に乗りそこねたカレイみたいに、三吉ひとりがぽつねんと残された。

「ああ」

 三吉はうめき声を洩らして、チャブ台ににじり寄った。戦争末期の日本軍部のように、皆から見離された恰好であるが、それでも三吉は最後の力をしぼり、虚勢を張ってつぶやいた。

「負けないぞ。わしは負けないぞ」

 チャブ台の白布をとり、三吉は自分の茶碗に芋飯をこてこてと盛り上げた。熱い番茶をぶっかけると、ごそごそとかっこみ始めた。ひとりで食べる芋飯は、まるで砂利(じゃり)みたいに味がなかった。

 その時、玄関の扉が開かれ、案内を乞う声がした。

「ごめん下さい。猿沢さん、いらっしゃいますか」

「おう」

 三吉は箸を置き、ふらふらと廊下を歩いた。玄関に立っているのは、泉竜之助であった。

「おお。竜之助君か。何か用事か」

 三吉はわざとぶすっとした声を出した。

「降服使節としてやって来たのか。まあ上れ」

「上らせていただきます」

 竜之助は靴を脱ぎ、三吉のあとにつづいて、あちこちを見廻しながら、茶の間に入った。

「おじさんひとりですか。皆さんは?」

「うん。ちょっとそこらに出かけた」

 三吉は渋面をつくって答えた。自分にそむいて珍満に出かけたとは言えないのである。

「まあそこに坐れ」

「おお。おじさんとこの食事も、ずいぶんしけて、いや、倹約してますなあ」

 茶碗の芋飯を眺めて、竜之助は感にたえた声を発した。

「うちは麦飯にメザシだけど、おじさんとこは更に徹底してますねえ」

「あたり前だ。このくらい徹底しなければ、とても長期戦には勝てない」

 三吉はうまそうに、芋飯をひとかき、かっこんで見せた。

「わしんちの三吉湯は、四円に値下げしても、まだやって行けるんだぞ。時に君は昼飯を食ったか。なんならわしと一緒に、この芋飯を――」

「いえいえ。結構です」

 竜之助はあわてて辞退した。

「おばさんもお嬢さんたちも、芋飯は――」

「喜んで食べとる!」

 三吉は声を大にした。

「時に、君のおやじは、いや、おやじさんは、話に聞くと、すっかり前非を悔いてるそうではないか」

「そ、そのことにつきまして――」

 竜之助は膝を乗り出した。

「前非を悔いてもおりますし、こういうつまらない競争は、お互いの損だと――」

「それはわしも近頃、痛感している」

 三吉はおうように受けた。

「うちのお父さんが言うには、三吉おじさんはいい人物である。将棋こそからっ下手だが、人物としては見上げたところがあると」

「な、なに?」

 三吉は肩をそびやかした。

「将棋がからっ下手だと?」

 

「いえいえ。文字通りのからっ下手じゃないが」

 反応の大きいのにおどろいて、竜之助はあわてて訂正した。

「あまり上手ではないと――」

「同じようなことだ」

 三吉はぶすっとさえぎった。

「わしのような好人物と、競争する非を恵之助が悟ったと、こういうわけだな」

「そうです。そうです」

 竜之助は急いで合点々々をした。

「お互いに湯銭を十五円に戻し、生活水準を復帰させたい。メザシや芋飯は止めにして、食べたけりゃマグロのトロでも、スブタでもフヨウハイでも――」

「なに?」

「いや、たとえばという話ですよ。うまいものを食べて、精力を回復し、将棋の百番勝負でも指したいと――」

「うん。わしだって、将棋は指したい」

「そしてあの新築中の建物ですな」

 やっと竜之助は本題に入った。

「あれの建築資金の半分を、自分が持ちたいと、こうおやじが言ってるんですよ」

「半分持つ?」

 なかばいぶかしげに、なかば嬉しげに、三吉は反問した。

「それはありがたい、いや、半分ありがたいけれど、それでどうするつもりなんだね?」

「風呂屋は止めにして、劇場にしようと言うんですよ。名前も、三吉劇場じゃおかしいから、三吉(みよし)劇場ということに――」

「勝手にきめられてたまるか!」

 三吉は眉をぐいと吊り上げた。

「恵之助がそんな身勝手なことをきめたのか」

「いえ。お父さんじゃありません。ぼくたちが――」

「ぼくたち? 君と他に誰だ」

「ぼくや陣太郎さんなんかです」

 竜之助は覚悟をきめて坐り直した。

「あれを風呂屋にされては、うちのおやじの立つ瀬はないんですよ。だからどうしても、果てしない泥仕合となる。そして飛ばっちりが僕らにかかって、僕はメザシに泣き、一ちゃんは芋飯に位くという大悲劇が――」

「一子のことなら余計なお世話だ」

 三吉はそっけなくきめつけた。

「新築について、君らの指図は受けん!」

「では、仕方ありません・泉湯でもクイズをやりますよ。泉グラム」

「勝手にやればいいだろう」

「いいですか。そんなことを言って」

 竜之助は内ポケットから、一枚の紙片をまさぐり出し、三吉につきつけた。

「これですよ!」

「なんだと?」

 三吉は眼を据(す)えてそれを読んだ。

 

 □□□□っているそのを真子という太郎

 

「こ、これは誰がつくった?」

 三吉は顔色を変えた。

「陣太郎さんです」

「ああ。あの陣太郎の奴め! あれほど尽してやったのに、最後のどたん場で、このわしを裏切りやがったな!」

 全身を怒りでわなわな慄わせながら、三吉はすっくと立ち上った。いそがしく身支度をととのえた。

「もう許しては置けぬ。わしは今から富士見アパートに行って、陣太郎の奴を徹底的にとっちめてやる!」

 

 加納邸の電話がぎしぎしと鳴り渡った。それっとばかり加納明治は受話器に飛びついた。

「もしもし、塙女史か。どうだった?」

 加納の顔にはほのぼのと血の気が上った。

「そうか。やっぱりインチキか。なに、家令の件も、全然でたらめだって? 飛んでもない野郎だ」

 加納の声はおのずから高くなった。根も葉もないことをタネに、前後二回で十五万円も持って行かれたのであるから、声が高くなるのも無理はない。

「よろしい。話は判った。僕は今から直ぐ富士見アパートに行く。陣太郎の奴を徹底的にとっちめてやるぞ。うん。では後ほど」

 がちゃんと受話器をかけると、加納は両手を前に構えて、拳闘の真似ごとをした。万一に側えてのトレイニングのつもりなのであろう。

「ちくしょうめ!」

 加納は小走りに書斎にかけ込み、手早く洋服に着換えた。玄関を出てギャレージに直行、自動車に乗り込んだ。

 大風の中を、加納の自動車は走り出した。

 一方猿沢三吉は、泉竜之助を自宅に置き放して、これまた自動車を引き出し、大風の街を疾走した。

 富士見アパートの玄関前に、オート三輪が一台とまっていた。真知子の荷物の積込みはすでに完了、やがて玄関からのそのそと、陣太郎がリュックサックをぶら下げて出て来た。

「どうする?」

 陣太郎は真知子をかえり見た。

「電車で行くか。それともこれに乗り込んで行くか」

「そうね」

 真知子は空を仰いだ。空にはねじくれた形の雲が、いくつもいくつも風に乗って飛んでいる。

「風が強いようだけど、大丈夫よ。これに乗って行きましょうよ」

「そういうことにするか」

 陣太郎はリュックサックを放り上げ、エイヤッと荷台に飛び上った。真知子が下から手をさし伸べた。

「手を引いて」

 陣太郎の手を借りて、真知子も荷台に這(は)い上った。

「ここに住んだのは短い間だったけど」

 荷台上でアパートをふり返り、髪のほつれを直しながら、真知子がしみじみと言った。

「ちょっと名残借しい感じがするわね」

「今から強く生きて行こうと言うのに」

 陣太郎はたしなめた。

「あまりセンチメンタルになるんじゃないよ」

 中年女のアパート管理人が、二人を見送りに、玄関から出てきた。その管理人に陣太郎は声をかけた。

「誰かおれを訪ねてきたらね、二附のおれの部屋に案内して下さい。扉に訣別の文章を貼って置いたから」

「そうですか」

 管理人は合点々々をした。

 それを合図に、オート三輪は動き始めた。

 風を避けるために、陣太郎と真知子は、荷台の上で、抱き合うようにしてうずくまった。

 オート三輪の姿は、風の中をやがて小さくなり、見えなくなった。

 

 陣太郎、真知子を乗せたオート三輪が、姿を消して間もなく、同番号の小型自動車が二台前後して、富士見アパートの横丁にすべり込んできた。

 相並ぶように停車すると、前の車からは加納明治が、後の車からは猿沢三吉が、それぞれ運転台からころがり出てきた。

 出たとたんに空風[やぶちゃん注:「からっかぜ」。]が吹きつけてきて、三吉の方は栄養不足であるからして、不覚にもよろよろと二三歩よろめいた。

 二人は先をあらそうようにして、富士見アパートの玄関に入った。管理人が出て来た。

「松平、陣太郎はいますか?」

 加納が険しい声で言った。

「上ってもよろしいか」

「松平さんはお引越しになりましたよ」

「引越した?」

 傍から三吉が怒鳴り声を出した。

「何時(いつ)?」

「今さっき。五分ほど前に」

「引越し先はどこだ?」

 今度は加納が怒鳴った。

「どこだともおっしゃいませんでした」

 二人の剣幕がすさまじいので、管理人はたじたじと後退りした。

「さきほど、オート三輪で、西尾真知子さんと一緒に――」

「なに。真知子も一緒だと?」

 三吉は頭髪をかきむしった。

「ちくしょうめ。やりやがったな」

「お別れの文章が――」

 管理人は二階の方を指差した。

「松平さんの部屋の扉に貼ってありますよ」

 二人はそれを聞くと、また先を争うようにして、階段をかけ登った。

 便所の傍の扉に、れいの『陣内陣太郎用箋』の一枚が、鋲(びょう)でとめてあった。陣太郎の筆跡で、こう書いてあった。

 

 おれたちは今回考えるところあり、富士見アパートを

 立去り、よそで新しい生活を始めることにしました。

 短い間の御交情を感謝します。陣太郎・真知子

 

「ちくしょうめ!」

「あの悪者め!」

 憤怒の言葉が同時に、両者の唇から洩れ出た。そしてそのことにびっくりしたように、二人は顔を見合わせた。

「あ、あんたも被害者ですか?」

 三吉が忌々(いまいま)しそうに口を開いた。

「そうですよ」

 加納はじだんだを踏みながら、扉から紙片をひったくり、ぐしゃぐしゃに丸めて廊下に落し、足で踏みつけた。

「ああ、腹が立つ。こうでもしなきゃ、腹がおさまらないぞ」

「わしにも踏ませて呉れえ。わしにも踏む権利がある!」

 加納にかわって、今度は三吉の足がそれを踏みつけた。紙片はさんざん踏まれて、平たくぺしゃんこになってしまった。

 踏むだけ踏んでしまうと、二人はキツネがおちたような呆然たる面もちになり、相手の顔を眺め合った。

「どういう被害を受けられたのか存じませんが――」

 自嘲の笑いと共に加納は言った。

「あんなチンピラにしてやられるなんて、お互いにあまり利口じゃなかったようですな」

「そうですなあ」

 三吉も憮然(ぶぜん)として賛成した。

「全くわしはバカでしたよ」

 

 加納明治と猿沢三吉は、ぐったりとくたびれた表情で、富士見アパートから風の街に出て来た。横丁へよろめき歩いた。

「おや」

 三吉の自動車の前で加納は足をとめた。

「あなたの車の番号も三・一三一〇七ですな。ふしぎなこともあればあるものだ」

「なるほど」

 加納の車の方に三吉も眼を見張った。

「ほんとだ。そっくり同番号だ。三・一三一〇七、佳人の奇遇というわけですかな」

 よせばいいのに三吉はまた妙な言葉を使用した。

「では」

「では」

 具合悪そうにぺこりと頭を下げ合うと、二人はそそくさとめいめいの車にうち乗った。一刻も早くここを離れたい風情で、それぞれ勝予な方向にハンドルを切り、勝手な方向をさして走り去った。風はその二つの自動車の上をもぼうぼうと吹いた。

「ああ」

 建てかけの三吉湯の方角に、車を急がせながら、三吉はうめいた。大風で材木や板が飛ばされはしないか。その心配もあったが、陣太郎如きに真知子を奪い去られたのが、かなしく口惜しく、心外なのであった。

「ああ。わしはもう妾(めかけ)を囲うのは、生涯やめることにしよう」

 建ちかけ三吉湯の前には、泉恵之助が長身をステッキで支えて、梁(はり)や骨組をぼんやりと見上げていた。前日竜之助に宣言した如く、瘦身(そうしん)を鞭打って、進行状態を観察に来たのであろう。その十米ほど手前で、おんぼろ自動車は停止し、中から三吉がごそごそと這い出てきた。

「…………」

「…………」

 両老人は同時に相手の存在に気が付き、ぎょっとしたように身体を固くして、無言で路上に相対した。

 むくんでやつれた三吉の姿を、恵之助は凝然(ぎょうぜん)と見守った。瘦せ細ってひょろひょろの恵之助の姿を、三吉は凝然と見守った。この数ヵ月でめっきり老い込んだ旧友の姿を、両老人ははっきりと見守って、確認し合った。風がそこらを騒然と吹き荒れた。

 怒りともつかぬ、かなしみともつかぬ、あわれみともつかぬ、不思議な激情が、同時に両老人の胸の中にも吹き荒れた。三吉は思わず一歩を踏み出した。

 同時に恵之助も一歩を踏み出しながら、将棋の駒をひょいと突き出す手付きをして見せた。

「どうだ。やるか?」

「なに」

 三吉は肩をぐいとそびやかした。

「やるとは何だ。からっ下手のくせに!」

「なんだと!」

 恵之助はステッキでぐいと地面をこづいた。

「からっ下手とは何だ。この間も負けたくせに!」

「あれは怪我負けだ――」[やぶちゃん注:「怪我負け」「けがまけ」。負けるはずがない者が何のはずみで負けることを言う。]

 三吉は怒鳴り返した。

「じゃあ今度は、五百番勝負と行こう。五百番だぞ!」

「五百番でも、千番でも、やってやるわい」

 恵之助もわめいた。

「そのかわり、負けたら、手をついてあやまるんだぞ!」

 

 半年経った。

 泉恵之助と猿沢三吉が、あの大風の日に、将棋の挑戦にかこつけて、妙な形の仲直りをして以来、新築の方は突貫工事で完成、三吉(みよし)劇場の看板がたかだかとかかげられた。もちろん恵之助の出資もあるから、三吉と恵之助の共同経営である。

 共同経営とは言うものの、実務はもっぱら浅利圭介支配人が掌握、貸劇場として、毎月確実な黒字を出しているそうである。

 圭介も銭湯の支配人から劇場の支配人に昇格したのだから、当人も身を入れて働き、また妻のランコも満足している風で、近頃は圭介のことを『おっさん』呼ばわりはしなくなった。そこで圭介も『おばはん』呼ばわりを中止した。息子の圭一は相変らず元気で毎日小学校に通っている。

 三吉湯も泉湯も、大風の翌日から、湯銭は十五円に復旧した。

 おかげで三吉も恵之助も、つまらぬことで心を労することがなくなり、毎日々々相手の家を訪ねて将棋ばかり指している。仲直り以来、千数百番を指したが、成績はほとんど指し分けである。そんなに数多く指しても、両者の棋力はいっこうに向上のきざしはない。相変らず王手飛車で飛車が逃げたり、せっぱつまって王様が盤から飛び降りて逃げたり、そんなことばかりしている。

 加納明治はあれ以来、塙女史にすっかり頭があがらなくなり、塙女史の言うままの理想的生活をつづけている。その結果、とうとう小説が書けなくなり、近頃ではせっぱつまって児童ものに転向、これは案外好調で、次期の児童文学賞の有力侯補の一人に目されている。

 仲直り以来、両家の食糧事情はぐっと好転、泉家ではメザシが姿を消し、猿沢家からは芋飯が姿を消した。両家の家族たちの栄養状態もたいへんに良くなった。

 竜之助と一子の恋愛はどうなったかと言うと、これがふしぎなもので、おやじたちが仲直りしたとたんに、すっと冷却してしまったようである。

 思うに、竜之助と一子の恋愛は、父親たちの無理解な圧迫という特殊な条件のもとで、フェーン現象みたいなものが起き、それでパッと燃え上ったのであるから、その条件が取り除かれると、自然と冷却におもむいたものに違いない。

 二人ともキツネが落ちたような按配(あんばい)で、一子は一子で、

「あんな背高ノッポは、あたしに似合わないわ」

 と言っているし、竜之助は竜之助で、

「あんなチンピラ小娘、僕の趣味に合わぬ」

 と公言している始末で、もうふたたびお互いに燃え上るおそれはないと見ていいだろう。

 栄養失調から回復すべく、一子と二美はせっせと食べ、美容体操にいそしみ、竜之助もせっせと食べ、ボディビルにいそしんでいたが、いそしみ過ぎて竜之助は若干胸を悪くして、只今は清瀬の療養所に入っている。

 上風タクシー会社は、その後も毎日の如く、所属運転手が人をひき殺したり、はね飛ばしたりしたので、弔慰金支出増大のため、とうとうつぶれた。上風徳行社長は今では、生命保険の外交員になって、毎日てくてくと勧誘に歩いている。三吉も義理で一口入らせられた。

 陣太郎、真知子の消息は、その後杳(よう)として知れない。

 

[やぶちゃん注:本篇は面白いとは思うが、どうも私の好きなラブクラフトのクトゥルフ神話系小説「インスマウスの影」に出るような顔つきをした、トリック・スター陣内陣太郎の設定や映像想起が、話しの半ば辺りから、甚だしい生理的嫌悪感を私に催し、好きになれないので、縦書PDFは成形しない。梅崎春生のものでは、他に縦書PDF版にし損なっているものが、未だ多くある。而して、その私の偏愛する作品の範疇には本長編小説は含まれないのである(私がブログで電子化注したものをPDF縦書版にすることは、比較的、容易いので、ご希望があれば、何時でも応じるので、遠慮なくどうぞ)。悪しからず。

 初回冒頭注で述べた通り、私の中の二〇一六年一月一日に始まった《梅崎春生の季節》はこれを以って、一区切りとする。――では、また、何処かで――

2023/07/22

佐藤春夫譯「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」正規表現版 原作者の事その他・目次 / 「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」電子化注~完遂

[やぶちゃん注:書誌・底本・凡例等は初回を見られたい。]

 

   原作者の事その他

 

[やぶちゃん注:パート標題(底本では、見開き左ページで、右ページに前に電子化した芥川龍之介の遺稿詩篇が載る)。

 その、裏の右ページに右に転倒して以下のフランス語が記されてある。底本ではローマン体。]

 

     Mais où sont les neiges d'antan ?

            ――Frangois Villon

 

[やぶちゃん注:「Frangois Villon」フランス十五世紀最大のピカレスク詩人フランソワ・ヴィヨン(一四三一年~?)。小学館「日本大百科全書」を主文とし(佐藤輝夫の後半の解説が素晴らしい)、フランス語の彼のウィキも参考にした。『百年戦争の末期、ジャンヌ・ダルクが処刑された年、パリに生まれた。聖ブロア教会付き司祭』ギョーム・ド・ヴィヨン(Guillaume de Villon)に『養育され、その姓を名のる。本名はモンコルビエMontcorbierまたはデ・ロージュDes Loges』。一四五二年、『パリ大学学芸学部を卒業、文学士の称号を得、のち法学部に籍を置いたが、その修業は不明』。一四五五年六月、『堕落司祭フィリップ・セルモア』(Philippe Sermoise)『と口論』に及び、『これを殺傷して』、『パリを逐電』、『翌年』一『月、国王の赦免状を得てパリに帰る。同年』十二月の『キリスト降誕祭の前夜、仲間とともにナバール神学校に押し入り、大金を盗み』、再び、『パリを去って』、『放浪生活に入る。この折り、「形見の歌」を作っている。放浪はロアール川沿いのオルレアン』・『ブロア』・『アンジェ一帯の中部フランスに及ぶ。投獄されること』、『二度』、『三度、その』都度、『運よく放免される。この間』、『ブロアで大公シャルル・ドルレアン』(Charles d'Orléans)『に謁して』、『詩を奉り、その詩会に参加したことは確実である』。一四六一『年の夏、マン・シュル・ロアールの司教牢獄』『につながれ』、十『月に解放されて』、『パリに帰る。大作』「遺言書(遺言詩集)」を書いた。翌年十一月、『窃盗の嫌疑でシャトレ獄に収監、やがて釈放されるが、ある喧嘩』『騒ぎに連累して死一等を免ぜられ』、十『年間パリ追放の宣告を受け』、一四六三年一月に『パリを去る。以後』、『その足跡はまったく不明で、やがて疲労と病魔のため死亡したであろうと一般に信じられている。しかし死んだという確証もなく、延命生存説をとるむきもある』。『ビヨンの生涯は失敗の連続で』、『百年戦争直後の混乱した社会そのものの影響も考えられるが、弱い性格の持ち主であったことは疑えない。しかしその反面、精神のなかには強くたくましいものがあった』。十五『世紀そのものの』持っていた『二面性の現』われと言える。『彼は笑いを好むとともに、自己の内部と外部とを見つめた。その凝視のなかから』、『彼の詩は生まれる。ビヨンは徹底的なリアリストである。彼の叙情詩で非現実的なものは』、『ほぼ皆無である。アイロニーを好むので、逆説をしばしば弄』『するが、それは』、『かならず』、『現実に立脚している。彼は貧乏で食うに事欠くこともしばしばあった。彼は社会の残滓』『であった』。従って、『人間関係で発言すると、その詩は復讐』『の詩となり、また』、『感謝の表現となった。その復讐と感謝は』「形見の歌」の『なかでは諧謔』『や揶揄』『の色合いを帯びる。彼は笑い飛ばした』が、それは『若さの表現である。しかし』、『長年の放浪は、彼に種々深刻な経験を与えた』「遺言書」の中では、『その揶揄と嘲笑』『には苦味が加わる。その苦味が内心の吐露となると、その叙情は沈痛となり、ときには非常に人間的となる』。「遺言書」の内、最も『美しいのはこの部分である。「昔の貴女のバラード」「老媼(ろうおう)おのが若き日を憶(おも)いて歌える」など、そのもっとも優れたものであり』、「雑詩編」の中の『「受刑者のうた」などには、惻々』『としてわれわれの胸を打つものがある。

Mais où sont les neiges d'antan ?」詩集「形見の歌」(Lais:“lai”は、一般に八音綴詩句からなる中世の物語詩・叙情詩・小詩のことを指す)の中の一句。「昔の雪は何処に行っちまったんだ?」の意。

 以下、解説本文。作者名の一部のみが太字に見えるのはママ。有意な字空けもママ。読みは一切ないが、既に出した、それぞれの作者の解説提示で私が難読と思われるものに添えてあるので、そちらを参照されたい。]

 

杜秋娘  西曆七世紀初頭。 唐。 もと金陵の娼家の女。 年十五の時、大官李錡の妾となった。 常に好んで金縷曲――靑春を惜しむ歌を唱へて愛人に酒盞を酭めた。 ここに譯出したものが今に傳はつてゐるが、「莫情」「須惜」「堪折」「須折」「空折」 など疊韻のなかに豪宕な響があるといふのが定評である。 李錡が後に亂を起して滅びた後、彼女は召されて宮廷に入り憲宗のために寵せられた。 その薨去の後、帝の第三子穆宗が卽位し、彼女を皇子の傅姆に命じた。 その養育した皇子は壯年になつて漳王に封ぜられたが、漳王が姦人のために謀られ罪を得て廢削せられるに及んで彼女は暇を賜うて故鄕に歸つた。 偶〻杜牧が金陵の地に來てこの數奇にも不遇な生涯の終りにある彼女を見て憫れむのあまり杜秋娘詩を賦したが、それは樊川集第一卷に見られる。

 

  十一世紀初頭。 宋朝。 海寧の人である。 幼少の時に兩親を失ひ充分に夫を擇ぶこともし得なかつた。 市井の民家に嫁して無知凡庸な夫を持つたことを常に歎き、吟咏によつて胸中の憂悶を洩した。 その詩詞集は斷膓集と呼ばれ、前集十一卷後集七卷があるが、その中には胸中の不平抑へがたいものが屢々現はれ風雅と稱するには激越にすぎたものも見える。 詩藁も沒後夫の父母によつて焚かれたものの一部分が遺つたのを、好事者が顏色如花命如秋葉その薄命を憐れむの餘りにこれを編んだものだと傳へてゐる。 彼女は朱文公の姪だという說もあるけれども、朱子は新安の人で海寧に兄弟が居たといふことは聞かないから、多分後人が彼女を飾るための僞說だらうと言はれる。 とにかく生涯はあまり明かではないらしい。 ハイネの小曲に、「胸中の戀情は夜鶯の聲となる」といふ意を咏じたものがあつたと思ふが、ここに掲げた絕句は正に同工異曲である。

 

孟  珠  三世紀前半。 ただ魏の丹陽の人とのみで未詳である。 陽春歌三章が今傳はつてゐる。譯出したものはその第二章である。 皐月まつ花たちばなに昔の人の袖の西を聞くに比べて、香花を愛人の氣息と思ふのは大膽で露骨で濃密な詩境である。 我彼の詩情の相違を見るべきであらう。 西歐の詩には孟珠のものと同想があるだらうと思ふ。 この作者の他の二章をも併せ揭げて參考とする。 陽春二三月、草與水同色、道逢游冶郞、恨不早相識。」 望觀四五年、實情將襖惱、願得無人處、回身與郞抱」。 蕩思放縱ではあるが詩美は充分に保たれてゐると思ふ。

 

夷陵女子  唐朝。 未詳[やぶちゃん注:「末詳」であるが、誤植と断じ、訂した。]。

黃 氏 女  十三世紀中葉。 宋朝の理宗の時代。 閩人の潘用中といふ人が父に隨うて都に居住してゐた。 この靑年は笛を弄ぶことを愛したが、隣人黃氏の女は、潘の笛を聞いてその人を慕ひ、潘は彼女を見て帕に詩を題して胡桃をつつんで投げた。 彼女も亦、同じく胡桃をつつんだ帕に題した返事の詩がここに譯出したものである。 彼等は遂にこの緣によってむつまじい夫妻となり、帕中の詩は佳話として世間に擴まり、宮廷にまで傳はって、理宗をして奇遇だと嗟嘆せしめた。

 

子  夜 三四世紀。 晉曲で有名な子夜歌の原曲である。 子夜は歌曲の名であって作者の名ではない、といふ說もあるけれども、今はこの曲の作者たる晉の女子の名だといふ說に從ふ。 傳は無論、未詳である。 子夜歌の今に傳はるものは四十二章あるが、玉石相半している。 佳なるものはその體の簡古、情緖の切實、眞に秀絕で不朽の歌と稱していい。 宜なる哉、李白なども之に學ぶところがあつた。 後人はこの體に倣つて、子夜四時歌、大子夜歌、子夜警歌、子夜變歌等の體を作つた。

 

呂 楚 卿  明朝の妓女。 萬曆の頃であらうか。 未詳。

 

景 翩 翩  十六世紀中葉。 明朝。 建昌の妓女。 字は三味。 四川の人。閩人といふのは誤であるらしい。 後に嫁して丁長發の妻となつたが、丁は人の爲めに誣ひられて官に訴へられた時、景は竟に自ら縊れた。 その集を散花吟と名づけたといふのが、讖をなしたかとも思へて悼ましい。 才調の見るべきものがあると思ふ。

 

賈 蓬 萊  宋朝。 未詳。

 

紀 映 淮  明朝。 年代は明かでない。 宇は阿男。 金陵の人である。 菖州の杜氏に嫁し、早く寡となったが節を守つて生涯を終つたといふ。 漁洋詩話にはその秦淮柳枝を推し「栖鴉流水㸃秋光」を佳句と稱してゐる。[やぶちゃん注:「栖」は底本では(へん)が「木」ではなく「扌」であるが、誤植と断じ、「講談社文芸文庫」で訂した。]

 

趙 今 燕  十六世紀中葉。 明朝萬曆年間。 名は彩姬。 吳の人。 秦淮[やぶちゃん注:「秦」は底本では「奏」であるが、同前の文庫で訂した。]の名妓である。 才色ともに一代に聞えてゐた。 日ごろ風塵の感を抱いて妄に笑を賣ることを好まず、書を讀むことを喜び、靑樓集を著したといふ。

 

馬 月 嬌  趙今燕と同じ時代、同じく秦淮に、同じやうに名を馳せた名妓である。 名を守貞といふ。 容貌は大して美しいといふ程ではなかつたが、風流でまた豪俠の氣質の愛慕すべきものがあつた。 又、湘蘭と號して善く蘭を畫き一家の風格を得た。 その名は海外まで聞え當時シヤムの使節が來朝した時にその畫扇を得て歸つたといふ。

 

張 文 姬  九世紀末。 唐朝の貴婦人。 鮑參軍の妻である。

 

鄭 允 端  十二三世紀。 吳中の施伯人の妻である。 その著を肅雝集といふ。 今は傳はらない。

 

李  瑣  明朝の妓女。 未詳。

 

沈 滿 願  西曆六世紀。 梁の貴婦人。范靖(一說に靜に作る)の妻。 著すところ甚だ富み、詩に長ずと言はれてゐる。 唐書藝文志に憑れば滿願集三卷があるといふが、湮滅に歸した。

 

趙 鸞 鸞  唐の妓。 未詳。 その作の傳はるものは五首卽ち、雲鬟、柳眉、檀口、酥乳、纎指の五題いづれも肉體の美を咏じたものである。 もとより閨房の譃咏ではあるが、その纎細な美は同じ唐の妓女史鳳の七首などとは比ぶべきではない。 譯出したものは酥乳の轉結である。 その起承は「粉香汗濕瑤琴翰、春逗酥融白鳳膏」であるが、文字の美を去つてその意を傳へても無意味に近いからこの二句の譯は企てなかつた。

 

端 淑 卿  十六世紀(?)。 明朝。 當塗の人。 敎論端廷弼の女である。 幼時から學を好み才媛の名が高かつた。

 

王 氏 女  明朝。 未詳。 年ごろになって良緣がなかつた。 その悲しみを歌つたこの詩を見て、趙德麟といふ人が彼女を娶つた。 世人は二十八字媒と呼んで佳話とした。 轉句の「晚雲」を一本では「曉雲」に作つてゐる。 しかし晚雲でなければ詩情に乏しいかと思ふ。 南方の支那では一般に夏時は午睡をする習慣があることを思へば、殘睡に回頭して晚雲を見ても不自然ではないわけである。

 

劉 采 春  九世紀初頭。 唐朝、元和年間、薛濤や杜秋娘などと同時代。 越の妓女である。 その囉嗊曲――望夫の歌は古來喧傳されてゐるものである。

 

陳 眞 素  明朝の妓女。 未詳。

 

周  文  同上。

 

七歲女子  七世紀末。 唐朝。 この幼女が詩を能くすることが宮廷にまで聞え、則天武后が召して「送兄」といふ題を與へそれによって作らせたのがこれである。

 

靑溪小姑  五世紀。 宋の秣陵尉蔣子文の第三妹である。 靑溪はその居住の地名で小姑といふのは學藝ある貴婦人に對する敬稱である。 簡素な文字のなかに情感の溢れてゐるのを見る可きである。

 

魚 玄 機  九世紀。 唐朝。 薛濤などのすぐ次の時代である。 彼女の生涯に到つては最も浪漫的であまりに慘然たるものである。 長安の狹斜の地で生れた彼女が、十五歲の時、題を得て卽座に賦した江邊柳といふ五言律詩は溫庭筠をして好しと言はしめた。十八歲の時、人の妾となつたが情を解しなかつたので、彼女は送られて道觀の女道士となつた。 しかし彼女が一度情を解するや、この女道士は妓女のやうな日夕を送つた。 遂にその婢が彼の愛人と通じたのではないかといふ猜疑に驅られてこれを責めてゐるうちに誤つて婢を死に致した。 彼女は刑によつて斬せられ、その多情多恨の生涯は二十六歲で終つた。 唐女郞魚玄機詩一卷が傳はつて世に行はれてゐる。 森鷗外に「魚玄機」といふ作があつて、創作といふよりも彼女の評傳と見得るものである。 詳しくは就て看らる可きである。 その生涯を知つて「自歎多情是足愁」の詩を見ると一層感が深い。 靑春の憂悶の堪え難いのを歎いて、身の寧ろ白髮たらんことを願つたこの詩と殆んど同想同句が、現代英國の狂詩人アアサア、シモンズにあるのも亦一奇である。

 

李  筠  明朝の妓女。 未詳。

 

丁 渥 妻  十二世紀ごろ(?)。 宋朝。 その夫が游學して久しく家鄕から遠ざかつてゐた。 一夜夢にその妻が燈下で消息を認めてゐるところを見たが、文中にこの詩があつた。 後日妻から鄕信を得て見ると果してかつて夢に見た詩が記されてあつた。 譯出したのはその不思議な話の主題となるものである。

 

俞汝舟妻  朝鮮の女子であるといふ。 未詳。

 

媼  婉  宋朝の妓女。 未詳。

 

王  微  十六世紀(?)。 明朝。 字は修微、揚州の妓女である。 二度も士人の妻となつたが何れも完うしなかつた。 禪に歸依して草衣道人と號した。 集があつて期山草樾舘詩集といふ。[やぶちゃん注:「樾」は底本では「扌」のように見えるが、中文サイト及び同文芸文庫に従った。

 以下、「目次」。リーダとページ・ナンバーは省略した。凡て字間は半角ほど空いているが、再現しなかった。]

 

    目  次

 

序文                 奥野信太郞

 

たゞ若き日を惜め

春ぞなかなかに悲しき

音に啼く鳥

春のをとめ

薔薇をつめば

よき人が笛の音きこゆ

女ごころ

ほゝ笑みてひとり口すさめる

むつごと

怨ごと

蝶を咏める

水彩風景

行く春の川べの別れ

おなじく

行く春

そゞろごころ

白鷺をうたひて

池のほとりなる竹

川ぞひの欄によりて

夏の日の戀人

水かがみ

乳房をうたひて

戀愛天文學

朝の別れ

採蓮

はつ秋

秋の鏡

秋の江

手巾を贈るにそへて

月は空しく鏡に似たり

秋の別れ

秋ふかくして

戀するものの淚

もみぢ葉

思ひあふれて

秋の瀧

ともし灯の敎へ

殘燈を咏みて

つれなき人に

旅びと

貧しき女のよめる

夜半の思ひ

骰子を咏みて身を寓するに似たり

松か柏か

人に寄す

月をうかべたる波を見て

霜下の草

 

原作者の事その他

 

裝釘                  小穴隆一

 

[やぶちゃん注:奥附があるが、リンクに留めておく。]

佐藤春夫譯「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」正規表現版 芥川龍之介遺稿詩篇一篇

[やぶちゃん注:書誌・底本・凡例等は初回を見られたい。以下は、訳詩本文が終わったページを捲ると、右ページ中央に、本篇が最小ポイントで載る。以下では、ポイントは落とさず、一字下げで示した。]

 

 ひ た ぶ る に 耳 傾 け よ。

 空 み つ 大 和 言 葉 に

 こ も ら へ る 箜 篌(くご) の 音(と) ぞ あ る。

            芥 川 龍 之 介

 

[やぶちゃん注:本詩はサイト版「やぶちゃん版芥川龍之介詩集」に収録させてある。五七・四七・五七の三行分かち書きの文語定型詩であり、標題は「修辭學」である。そちらで底本とした岩波書店旧全集の編者の「後記」によると、元版全集(岩波版芥川龍之介全集の最初に出版された全集(自死の年の昭和二(一九二七)年十一月に刊行が始まり、昭和四年二月に全八巻で完結した)を指す)には『(大正十五』(一九三六)『年十一月)』とあるとする。「空みつ」は「大和」の枕詞である。佐藤のこの訳詩集は、扉標題の裏側に『芥川龍之介が』『よき靈に捧ぐ』とある通り、亡き芥川龍之介への献辞がある。而して、ここに芥川龍之介の遺稿詩篇が示されることで、この佐藤春夫の訳詩集全体が芥川龍之介への追悼詩集の体裁を持っていることが判然とするのである。而して、これは、後の芥川龍之介遺著・佐藤春夫纂輯「澄江堂遺珠」へと発展するものであると言ってよい。「澄江堂遺珠」は昭和六(一九三一)年九月から翌年一月まで雑誌『古東多万(ことたま)』(やぽんな書房・佐藤春夫編)第一年第一号から第三号に初出し、二年後の昭和八年三月二十日に岩波書店より『芥川龍之介遺著・佐藤春夫纂輯「澄江堂遺珠 Sois belle, sois triste.」』として刊行されたものである。リンク先は私のサイト版である(不全だが、PDF縦書版もあり、また、私は「澄江堂遺珠」に強い拘りがあり(特に最後に芥川龍之介が愛した片山廣子に関連してである)、ブログ・カテゴリ『芥川龍之介遺著・佐藤春夫纂輯「澄江堂遺珠」という夢魔』も設けてある)。]

佐藤春夫譯「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」正規表現版 「霜下の草」小夜 / 訳詩本文~了

[やぶちゃん注:書誌・底本・凡例等は初回を見られたい。本篇はここ。]

 

  霜 下 の 草

             年 少 當 及 時

             蹉 跎 日 就 老

             若 不 信 儂 語

             但 看 霜 下 草

                   子   夜

 

若き命の束の間の

よろめき行くや老來(おいらく)ヘ

わが言の葉をうたがはば

霜に敷かる〻草を見よ

 

[やぶちゃん注:作者小夜は六首既出。佐藤の作者解説は、その最初の「女ごころ」を参照。「楽府詩集」の巻四十四の「子夜歌」四十二首の其十六である。

 以下、所持する岩波文庫の松枝茂夫編の「中国名詩選」の「中」(一九八四年刊)を参考に訓読文と注を示す。

   *

 子夜歌

年少(ねんしやう) 當(まさ)に時に及ぶべし

蹉跎(さだ)として 日(ひび)に老ひに就(つ)けり

若(も)し儂(わ)が語(かたれ)るを信(しん)ぜざらば

但(ただ) 看(み)よ 霜下(さうか)の草(くさ)を

   *

・「蹉跎」松枝氏の注に『ぐずぐずして時期を失すること』とある。

・「霜下の草」松枝氏の最終句の訳に丸括弧で附されて、『春は茂っているが冬になれば枯れる』とある。]

佐藤春夫譯「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」正規表現版 「月をうかべたる波を見て」王微

[やぶちゃん注:書誌・底本・凡例等は初回を見られたい。本篇はここ。]

 

  月をうかべたる波を見て

             寒湖浮夜月

             淸淺幾廻波

             莫道無情水

             情人當奈何

                王 微

 

冬の湖(うみ)月をうかべて

さざらなり寄せてよる波

心なの水とは言はじ

人戀ふるこころさながら

 

   ※

王  微  十六世紀(?)。 明朝。 字は修微、揚州の妓女である。 二度も士人の妻となつたが何れも完(まつた)うしなかった。 禪に歸依して草衣道人と號した。 集があって期山草樾舘詩集(きざんさうえつくわんししふ)といふ。

   ※

[やぶちゃん注:作者王微については、中文サイト「中國古典戲極資料庫」の「靜志居詩話」の「卷二十三」「教坊」「王微」で、佐藤が解説した内容が確認出来る。

・「さざら」「ささら」とも言う。語素で「細かい・小さい・わずかな」などの意を表わす。が、ここでは私は「さらさらと」止めどなく岸に寄せる波音を言い、オノマトペイアと採る。

 本篇の標題は調べたところ、「夜月」であった。以下、推定訓読を示す。

   *

 夜(よる)の月

寒(さむざ)むとした湖(うみ) 夜の月を浮かべ

淸(きよ)き淺(あさききし) 幾廻(いくたび)か波だつ

道(い)ふ莫(な)かれ 無情(むじやう)の水(みづ)と

情人(じやうにん) 當(まさ)に奈何(いかん)せん

   *]

佐々木喜善「聽耳草紙」 一六六番 話買ひ(二話)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]

 

    一六六番 話 買 ひ(其の一)

 

 或男が町へ行くと、見慣れた店の前に、話賣りと謂ふ看札が懸つてをつた。これは珍しいこともあるものだ。どんな話を聞かせるもんだべと思つて、立寄つて見ると、内に齡寄《としよつ》つた爺樣が一人座つて居た。話賣る人はお前だかと訊くと、爺樣はさうだと答へた。價《あたひ》を訊くと、一話一兩だと言ふ。[やぶちゃん注:底本は読点だが、「ちくま文庫」版で訂した。]幸ひ懷《ふところ》に一兩持つて居たから、ほだら一つ賣つてくれろと言つて金を爺樣の前へ出した。すると、爺樣は、

  大木《たいぼく》の下より小木《しやうぼく》の下に

 とたつた一言(《ひと》コト)話した。あと續くかと思つて待つて居たが、あとは何にも言はなかつた。男は一兩と謂ふ大枚《たいまい》な金を出したものだから、何か長い語物(カタリモノ)でも聽かせることだべと思つて居ると、やつぱりたつた一言、それだけなので氣拔けがして、面白くなくて家へ還つた。

 家へ歸る途中廣い々々野原を通りかゝつた。夏の日だつたと見えて俄かに神立雨(カンダチアメ)[やぶちゃん注:雷雨・夕立の異名。]が降つて來た。おまけに雷鳴は天も裂けるやうに强かつた。男は魂消《たまげ》て野中の一本杉の下へ駈けつけて雨宿りをした。ところが偶然(ヒヨツクリ)と胸に浮んだのは、今日の話賣りの爺樣の言葉であつた。あツこのことだと思つてその一本杉の下から一足離れると、突然杉の木に雷がおとけあつた(落雷した)。男はその餘勢(イキホイ[やぶちゃん注:ママ。])で二三間《げん》[やぶちゃん注:一・八二~三・六四メートル。]吹飛《ふきと》ばされたが、生命《いのち》は助かつた。氣がついて見ると一本杉は粉微塵に碎け折れてゐた。あゝ此事だ。一言一兩で高いと思つたが、一兩で生命を買つたと思へばこれはまた餘り安い話だと其男は話した。

 

        (其の二)

 或所に三人の男があつた。これから三年の間うんと働いて金を貯めてお伊勢詣りをすることを相談した。やがて三年目になると二人は金を五十兩づつ貯めて居た。一人は貯めるには貯めたが、其金を寺へ寄進したり、貧乏人に遣つたりして、二人の朋輩が伊勢參宮の旅に出かける時には、懷にたつた三兩しか殘つて居なかつた。それでも約束は約束だからとにかく三人連《さんにんづ》れで村を出立した。

 三人は伊勢の國をさして旅を續けて行くが行くが行つた[やぶちゃん注:ママ。旅行くことが長く続くことや、有意な時間経過を示すための童話などでの常套的強調形。]。そして或町を通りかゝつた。其の町の眞中頃《まんなかごろ》に立派な家があつて、軒下に、「話賣り候」と謂ふ看札《かんさつ》が懸つてあつた。三人はあれや見ろ、廣い國だぢあなア、話賣りの看札があると言つて通つた。すると金を三兩しか持つていない男が、ぢえぢえ待て待て、俺が話を買つて見ると言つて其店へ入つて行つた。申し申しと言つて、一體どんな話を聽かせるものかと思つて居ると、一人の立派な爺樣が出て來て、お前は話を買ひに來たかと訊いた。男は如何にも其話を買ひに來たが、一つ賣つてくれぬかと言ふと、爺樣は話は一つ一兩だ。買いたくばここヘ一兩置けと言つた。男はそんだらと言つて、言ふがまゝに其所ヘ一兩出すと、爺樣は、

   柱の無い所には宿とるな

 と言つた。これが一兩だけの値段の話であつた。男は大枚一兩の話だから何か段物《だんもの》の語物《かたりもの》でも聞かせるのだかと思つて待ち構へて居ると、たつたこれだけの謎のやうな一語《ひとこと》を聽かせられたばかりなので、さつぱり腑に落ちなかつた。それでいま一つ聽かしてケろと言つて、またそこヘ一兩出した。すると爺樣が今度は、

   怪しい物をばよくも見ろ

 と言つた。男はどうせ斯《か》うせ懷《ふところ》にもう一兩あるから、いま一つだけ聽いてみるべと思つで[やぶちゃん注:ママ。]、又一兩出すと今度は、

   堪忍袋の緖を締《しめ》ろ

 と又たつたこれだけを言つた。あとは聽きたくももう金が無いので聽かれぬから、男は其所を出た。そして先きへ行つた二人の朋輩どもに追付《おつつく》くべえと思つて急いで行つた。

 行くが行くが行くと、其うちに日が暮れて四邊が暗くなつて步けなくなつたので、男は其夜は山に野宿をした。朝はやく起きて急いで行くと、自分が泊つた所から程遠くない所に岩窟があつて、そこで二人の朋輩が大きな岩にひしがれて死んで居た。男はそれを見てははア此事だ。俺はよいことをした、あの話賣りの爺樣から話を聞いて來てよかつた。若し三人で來たなら俺もこの岩の下に泊つてこんな風にひツぴしよがれて往生申すところだつた。話賣りの爺樣の、柱の無い所には宿とるなと謂ふことは此事だと思つて、二人の朋輩の屍《しかばね》にねんごろに念佛申して其所を立去つた。

 それからまた行くが行くが行つた。其中に日が暮れた。けれども男の懷には一文も無かつたので、宿屋に泊ることが出來ないから、ぶらめかして居ると、野中の森の中に神樣のぶツかれ御堂《おだう》があつたから、其所へ入つて泊つて居た。ところが丁度其眞夜中頃だと思はれる刻限に、何だか恐しい音を立てて天《そら》を飛んで來る者があつた。何だべと思つて御堂から出て見ると、ピカピカと光る物がウワンと唸《うな》つて來て御堂の前へどさりと墮《お》ちた。すると其所らが眞晝間のやうに明るくなつた。男は膽《きも》をつぶして逃出《にげだ》さうかと思つたが、いや待て暫《しば》し、彼《あ》の話賣りの爺樣は何と言つた。怪しい物をばよくも見ろと言つたではないか、これは氣を落着けてよく見た方がよいと思つて、其光物の墮ちた所へ行つて見ると、これは又何のことは無い山吹色をした黃金塊(コガネダマ)であつた。男は胸をわくめかしてそれを拾つて持つて町へ賣りに行つた。何所《どこ》でも彼所《かしこ》でも餘りな寶物《たからもの》に驚いて値段さへもつけられなかつた。そのうちにある長者どんがあつて、其金塊を三千兩に買ひ取つた。そしてお前はこれから何處へ行くのだと訊くので、男は俺はこれから伊勢參宮に行く者だと言つた。するとそれではこんな大金を持つて一人旅をしては途中掏摸《すり》やごまの蠅などがうるさかんべから此男を伴《とも》に連れて行けと言つて家來を一人附けてくれた。男は宿屋に着けば金箱《かね》をば旦那に預けて置き、もとより心の大量《たいりやう》[やぶちゃん注:度量が大きいこと。心が広いこと。]な男だから心付け手當も餘分にやるので、宿屋でも他の客人よりも大事にしてくれるので至極平安無事に旅を續けて、首尾よく伊勢詣を濟ませて家に還つた。

 男が家へ歸つて見ると、玄關の戶が締まつて居た。はて不思議だなと思つて、さげしむ[やぶちゃん注:「蔑む・貶む」だが、ここは、特異的に「怪しく思う」ことを言っている。]と中で何かずんづむんずという話聲がしている。はて怪(アヤ)しいと思つて窃《そ》つと近寄つて戶の𨻶間から内を覗いて見ると、常居の爐(ヒボト)の橫座に立派な男が來て座つて居た。それに自分の女房が其側《そのそば》へ摺寄《すりより》り摺寄りお茶話《ちやばなし》をして居た。そのありさまを見て、男はむかツとして、今にも雨戶を蹴破《けやぶ》つて中へ飛込《とびこ》んで不義の二人を斬殺《きりころ》すべと、脇差の柄《つか》に手をかけたが、いや待て待て、あの話賣り爺樣が何と言つた。堪忍袋の緖を締めろと言つたではないか、このことだと思つて差控《さしひか》へ、それから出來ぬ聲を和げて、嬶《かかあ》やい嬶やい俺は今歸つて來たぜと聲をかけた。するとはいと内で返辭をしたが、中々出迎《でむかへ》にも、出て來なかつた。男はははア彼《あ》の男を何所へか隱すのだなと思つて居ると、稍《やや》暫時《しばらく》してから、やつと女房が出て來た。そしてさもさも懷かしさうに頻りに夫《をつと》に何やかにやと言葉をかけた。けれども男は何をこの不義者《ふぎもの》めがと謂ふ心があるものだから、一向面白くなかつた。内へ上《あが》つてからも早く彼《あの》男を出して遣ればよい、出て行けばよいと思つて、用も無い裏へ入つたり[やぶちゃん注:ここは「行つたり」の方が躓かない気がする。]などして𨻶を作つても、その度每《たびごと》に女房が附纏《つきまと》ふて離れなかつた。男は俺はこんなに有餘《ありあま》る程の大金を持ち歸つて、自分も喜び家内にも喜ばせたいと思へばこそ、こんな苦しい思ひをするのだ。それをさとらぬかと思つて、また常居《とこゐ》に戾つた。やがて夜になつた。夜も更けて寢ることになつた。床へ入つてから男はとても堪《たま》りかねて晝間見たことを話して、早くあの男を外へ出して遣つてケろ。さうしたら俺は何事も言はないからと言ふと、女房は容《かたち》を改めて、それではお前は彼《あの》男を見たのか、道理でどうも樣子が變だと思つて居《ゐ》たます。そんなら私も正直に話すが實はあれは人間ではないと言ふ。ほだら彼(ア)れは何だと男も面白くなくて聽くと、女房は、あれはお前の留守の中《うち》は私も未だ若い者だから近所の人達から侮《あなど》られたり、又惡戲《わるふざけ》をされたりしては、お前に申し譯が立たないと思つて、實は人形を作つてあゝ衣物《きもの》を着せて、いつもあゝ謂ふ風に橫座に座らせて置き、私がお茶や何かをすゝめるやうに見せかけて居《ゐ》ましたと言つた。それを聞いて男は初めて女房の心が訣《わか》り、かへつて自分の心持ちを言譯《いひわけ》して、其夜は睦《むつま》じく寢た。それも之も皆彼《あ》の話賣りの爺樣のお蔭である。これこの通り俺は黃金《こがね》も持つて來たと云ふて、其一伍一什《いちごいちじふ》[やぶちゃん注:「一部始終」に同じ。]を物語つた。そして男は近鄕切つての長者になつた。(村の大洞犬松爺の話の一〇。大正十二年十一月三日聽取の分。)

[やぶちゃん注:最後の附記が本文の後に続いているのはママ。]

梅崎春生「つむじ風」(その18) 「泥仕合」

[やぶちゃん注:本篇の初出・底本・凡例その他は初回を見られたい。なお、本章は最終章の前で、かなり長い。文中の「」の太字は実際の太字であって、傍点ではない。]

 

     泥 仕 合

 

 三吉湯と泉湯の確執は、今や完全な泥仕合の領域に入った。

 三吉湯が同調して、湯銭を十二円に下げてから五日目に、十円に値下げの宜言文が、泉湯の玄関にでかでかと貼り出された。

 直ちに三吉湯は、それに呼応して、十円に値下げを発表した。

 それから一週間目に、泉湯玄関の宜言文中の『十円』の文字が『八円』と訂正された。

 するとその翌日、追随するばかりでは不甲斐なしと思ったのか、三吉湯は『七円』に値下げを断行した。浅利圭介支配人の献策であろう。

 翌々日、泉湯は『五円』に値下げ。

 即日、三吉湯も同調。

 両湯とも、五円の湯銭を保持しながら、そのまま一週間が経過した。これ以上値下げすると、消耗(しょうもう)度がはげしくて、とても持久戦は出来ない。

 よろこんだのは近所合壁、界隈(かいわい)の人たちである。それはそうだろう。三分の一の値段で入湯出来るのだから、よろこばない筈がない。

[やぶちゃん注:「近所合壁」(きんじょがっぺき)は「近くの家々」「隣近所」の意。「合壁」は「壁一枚を隔てた隣家」のこと。因みに、中世・近世は「かつぺき(かっぺき)」と読んだ。]

 今まで隔日に入湯していた人も、毎日入湯するようになり、毎日入湯の人は、一日二回もやって来るという現象を呈した。

 その結果、ここら一帯の住民たちは、非常に清潔となり、皆石鹸の匂いをぷんぷんさせて、ほがらかに街を歩いた。

 ここら区域の小学校の生徒たちも、衛生状態がぐんと良好になり、病欠者の数が激減した。医者は暇になり、石鹸屋は儲(もう)けた。

 三分の一に値下げしただけで、このような顕著な影響があらわれるのであるから、いかに日本人と銭湯とが密接な関係にあるかが判る。

「泉湯が五円だとよ」

「三吉湯もそうだとよ」

 噂は次々拡がって、他の地区からもどしどしと押し寄せ、中にはバスや都電に乗って来る粋狂なのもいて、両湯とも千客万来の状況であった。千客万来だとはいえ、湯銭が五円だから、とても黒字というわけには行かない。

 困ったり怒ったりしたのは、近接している銭湯たちである。お客を皆両湯に吸い取られて、がらがらになってしまった。

 そこで彼等はたまりかねて、東京都浴場組合本部に提訴した。

 組合も放置して置くわけに行かない。直ちに人を派遺して、値下げ中止を申し入れた。

「イヤです。どうしてもとおっしゃるなら、わしは組合を脱退させていただきます」

 重ねて組合理事が勧告に訪問した時、三吉と恵之助は、しめし合わしたわけでもないのに、同じようにそうはねつけた。脱退すると言われては、組合も手がつけようがない。

 そこら界隈の人々が、清潔になり行くにつれて、恵之助も三吉も栄養失調の傾向が強くあらわれてきた。恵之助は痩せ細り、三吉はむくんできた。栄養失調と言っても、体質によって、病状のあらわれ方が違うのである。

 家族たちはどうであるかというと、泉湯においては、息子の竜之助は、時折父親の眼をぬすんで、ヤキトリなどを食べに行くから、失調具合もまださほどではない。

 三吉湯の方は、三吉をのぞくと、あとは皆女性である。女性というものは、生命力が強靭といおうか、あるいは図図しいといおうか、同じものを食っているくせに、なかなか参らないのである。参りかけているのは、男性の三吉だけであった。

 

「竜之助や。ごはんだよ」

 泉恵之助は茶の間から声をかけた。人件費節約上、家事の小女を解雇したから、食事の用意は親子で、一日交代でやることになっている。今日は恵之助老の当番であるが、なにしろおかずが梅干、時たまメザシがつく程度だから、ほとんど手はかからないのである。

「はあい」

 穴だらけの障子の自室から、竜之助はふらふらと茶の間にあるいてきた。うんとこどっこいしょとあぐらをかきながら、恵之助老はいぶかしげに膝を立て、膝頭を指でこつんこつんと弾いた。

「おかしいな。どういうわけか、ここががくがくする」

「栄養が足りないんだよ、栄養が!」

 竜之助ははき出すように言ってチャブ台を見廻した。

「あああ。今晩もまたメザシに梅干か」

「ゼイタクを言うな、ゼイタクを。風呂銭はわずか五円だぞ」

 恵之助は力のない声でそうたしなめながら、焼酎の二合瓶をとり上げた。息子の当番の時はあきらめているが、自分の当番の時は、恵之助は晩酌を忘れないのである。

「さあ。お前にも一杯行こう」

「焼酎なんか飲んでる時じゃないよ」

 そう言いながらも、竜之助は湯吞をにゅっと突き出した。

「いい加減に湯銭を十五円に戻して、マグロのトロでも食べようよ」

「マグロのトロ。ううん」

 恵之助はうなった。トロという言葉を耳にしただけでも、ぐんと胃にこたえて来るのである。

「そうだよ。マグロのトロ!」

 竜之助は言葉に力をこめた。

「おいしいよう。口の中でとろとろと溶けるようなのをさ」

「そういうわけには行かない」

 誘惑をふり切るように、恵之助はチャブ台をどしんと叩いた。

「三吉の野郎が値上げしないのに、このわしばかりが値上げ出来るか!」

「しかしねえ、お父さん」

 竜之助は湯吞をなめながら、父親の顔をうかがった。

「五円のままでにらみ合っていては、結局両方は共だおれになると思うんだよ。それじゃあ、つまらないじゃないの」

「共だおれになってもかまわない。向うが先に手を出したんだ」

「そうじゃないよ。お父さんの方が、先に手を出したんだよ」

 竜之助は熱心な口調になった。

「お父さんが先に、十二円に下げたんだよ」

「そりゃいかにもわしが先に、十二円に下げた」

 恵之助はがくんとうなずいた。

「しかし、何故十二円に下げたかというと、向うが新築を始めたからだ。新築さえ始めなきゃ、わしは値下げをやらないぞ」

「では、新築を中止したら、お父さんは十五円に戻す?」

「戻すよ。しかし、もう半分出来上ってるんだから、いくら三吉の野郎が前非を悔いても、中止というわけには行くまい」

「だからさ。あれが風呂屋にならなきゃいいんだろ」

「風呂屋にならなきゃ、何になるんだ?」

「たとえば、劇場か何かにさ」

 

「劇場? 芝居小屋か」

 泉恵之助は顔を上げ、息子に反問した。

「芝居小屋とはまた突拍子(とっぴょうし)もないことを言い出したもんだな」

「突拍子もあるよ」

 湯吞をぐっとあおって、竜之助は口答えをした。

「風呂屋と劇場とは、建築学上、類似した点が非常に多いんだよ」

「ふふん」

 恵之助も湯吞を傾けながら、鼻の先で冷笑した。

「あんなところに芝居小屋をつくって、客が入って来るもんか」

「客が入ったって入らなくたって、かまわないんだよ。貸劇場にして、貨し賃を取るんだから」

 竜之助はおのずから熱心な口調となった。

「今は、東京だけで、劇団の数が四十いくつあるんだよ。それに対して、劇場の数は寥々(りょうりょう)たるもんだし、第一に劇場代が高い。だからあの新築中の三吉劇場、いや、三吉湯を劇場にして、適正な値段で貸せば、いくらでも借り手はあると思うんだよ」

「いやにお前は熱心だな」

 いぶかるような視線で、父親は息子を見た。

「いくらお前が力んでも、三吉がその気にならなきゃ、何にもならないじゃないか」

「うん。そこなんだよ」

 空き腹に焼酎が廻ったのか、竜之助の口調には勢がついた。

「あの三吉湯ね、実は三吉おじさんは建てる気はなかったんだよ」

「なに? 建てる気はなかっただと?」

「そうなんだよ。あの土地をハナコおばさんが、へそくりで買っといたんだって。だから三吉おじさんも、遊ばせとくのは勿体(もったい)ないって、余儀なく建て始めたんだってさ」

「お前、三吉湯の内部のことを、実によく知ってるな」

 恵之助はじろりと息子の顔をにらんだ。

「スパイでも入れてあるのか?」

「じょ、じょうだんでしょう」

 竜之助は狼狽の色を見せた。

「だからさ、持ちかけようによっては、三吉おじさんも賛成して呉れると思うんだ」

「新築は今、どのくらい進行している?」

「この頃工事してないようだよ。金が続かないんでしょう」

「ううん。ざまあ見やがれ」

 恵之助はうなって、腕を組んだ。

「現場のもようをわしも見に行きたいが、なぜか近頃膝ががくがくして、歩きづらい。お前、明日でも一走りして、写真を撮って来て呉れ。そうすればわしは、動かずに済むから」

「写真?」

 竜之助は頭に手をやり、困感した声を出した。

「カメラが今、手元にないんだよ」

「どうしたんだ?」

「陣太郎さんに貸したら、戻して呉れないんだよ」

「戻して呉れない? そりゃ困るじゃないか。ひったくってでも取戻して来い」

「手元に持ってないと言うんだよ」

 竜之助は情なさそうに声を慄わせた。

「確実なる某所に預けてあると言うんだ」

「確実なる某所?」

 恵之助は眼を剝いた。

「まさか一六銀行じゃあるまいな」

 

「いくらオサツが安いからといって、焼芋と納豆とは妙な取り合わせねえ」

 猿沢家の娘部屋で、ごろりと畳に寝そべりながら、長女の一子が妹の二美に言った。

「それに夕飯じゃないの。おやつに焼芋と言うのなら判るけど」

「ほんとにそうよ」

 二美も並んで寝そべりながら、相槌(あいづち)を打った。

「近頃、あたし、なんだか身体がだるいわ。姉さんも近頃、美容体操をやらなくなったわねえ」

「あたしだってだるいのよ」

 そう言いながら一子は、脚を上げて体操の形をしようとしたが、すぐにだるそうに元の姿勢に戻った。

「ほんとにお父さんの頑固には困るわねえ。値下げ競争なんて、まったくイミないよ。竜ちゃんも近頃は、ひょろひょろしてるわ」

「竜ちゃんはボディビル、まだやってるの?」

「やりたいんだけど、バーベルが持ち上らなくなったってさ」

 憂わしげに一子は答えた。

「梅干とメザシでは、持ち上らないのも当然よ」

「ふだんでも竜ちゃんはひょろひょろしてるのに、梅干とメザシではねえ」

 二美も同情的な口をきいた。

「では、姉さんたちも、恋愛のエネルギーは出ないでしょうねえ。抱擁だの接吻だの――」

「また生意気を言う!」

 一子は寝がえりを打って妹をたしなめた。

「まだ十六やそこらのくせに、余計な心配をするんじゃないよ」

「心配するわよ」

 二美は口答えをした。

「うちのお父さんも頑固だけれど、泉のおじさんも頑固ねえ。一体どういう気持で張り合ってるのかしら」

「実際近頃の大人の気持は判らないよ」

 一子は元の声になった。妹の生意気を怒る気持も、エネルギー不足のために、持続しないものらしい。

「竜ちゃんの話では、泉のおじさんも近頃、膝がガクガクするって、不思議がっているそうよ。栄養失調にきまってるわねえ」

「そうよ、うちのお父さんだってこの頃妙にむくんで来たでしょう。あれ、やっぱり、サツマイモの関係よ」

 慨嘆にたえないような声を二美は出した。

「それにさ、日が落ちてうす暗くなると、新聞の字がうまく読めない、老眼がひどくなった、なんて騒いだりしてるの。老眼なんかじゃあないわねえ」

「そうよ。もちろん栄養失調よ」

 一子は声に力をこめて断定した。

「栄養失調にまでなって張り合うなんて、お父さんはどんな気持かしら。新築の方も建ちかけたまま放ってあるし――」

「放ってあるからこそ、あいびきが出来るんじゃないの」

「また生意気を言う!」

 一子はまた眼を三角にした。

「そんなむだ口をきく暇があったら、そっと茶の間に行って、お父さんたちがどんな話をしてるか、そっと聞いておいで」

「はい」

 二美は素直に、はずみをつけて起き上った。

 

 猿沢家の茶の間では夕飯の後かたづけの済んだあと、猿沢三吉は畳に腹這いになり、妻のハナコから指圧療法を受けていた。レスリングなんかを練習している関係上、ハナコの指の力は相当に強く指圧には持ってこいなのである。

「あなた、血圧の具合は、近頃どう?」

 亭主の首筋をぐいぐい押しながら、ハナコは訊ねた。

「近頃、食事が食事だから、具合がいいんじゃない?」

「うん」

 首筋をぐりぐりやられて、顔をしかめながら三吉は答えた。

「あまり具合はよくない」

「あら、何故でしょう。よくなる筈よ。脂肪と食塩のとり過ぎということがなくなったんだから」

「うん。でも、どうも身体がだるいし、急に立ち上ると、めまいがしたりするんだ」

 三吉はまた顔をしかめた。

「もっともこれは、血圧のせいじゃなくて、動物性蛋白質とビタミンの不足、それから来てるんじゃないかと、わしはにらんでいる」

「でも、食費が一日六十円ではねえ」

 ハナコの指は首筋から、背骨の方に下降した。

「とても蛋白質やビタミンを充分に、というわけには行かないわ」

「それもそうだなあ」

 茶の間の外の廊下を、次女の二美が足音を忍ばせて歩いてきた。障子のかげに立ち止って、耳のうしろに掌をあてがい、聞き耳を立てた。

「湯銭の五円は、当分続きそうなの?」

 ハナコは三吉の胃の裏側を、ぐりぐりと押した。

「娘たちも、そろそろ参ってきたらしいわよ。育ち盛りだから、どうにかしてやらなくちゃ」

「その点はわしもいろいろと考えてはいるが、泉湯のやつが、まだへたばりやがらない」

 三吉は無念げに畳をかきむしった。

「泉湯をぶったおすには、いろいろ考えたが、早く新築を仕上げる他に手はない。あれが最後のきめ手だ」

「新築を仕上げるって、金はどうするの?」

「そ、それが頭痛のたねなんだ」

「上風さんはダメなの?」

「うん。ダメらしい。あそこの運ちゃんたちが、事故ばかりおこして、弔慰金がかかって仕様がないんだってさ」

「それじゃあ困るわねえ」

 ハナコは指を休めて嘆息した。

「金都合が出来なきゃ、新築は建たない。新築が建たなきゃ、いつまでも泉湯が頑張る。泉湯が頑張れば、食費六十円がいつまでも続く。これじゃあとても、あたしはやって行けないわ」

「うん」

 三吉は面目なさそうに、畳に額をこすりつけた。

「最後の手段がひとつだけ残っている」

「どんな手段?」

「あの松平陣太郎という青年な、あれに一子をめあわしたらどうだろう」

「え? 一子を陣太郎さんに?」

「うん。それで陣太郎君を、本邸に復帰させるのだ。本邸に戻れば、陣太郎君は大金持だ。風呂屋の新築費ぐらい、いくらでも出して呉れるだろう」

 

「一子を陣太郎さんにねえ」

 あんまり唐突な提案だったらしく、ハナコはふうと吐息をもらした。

「でもねえ、まだ早くはない? 一子はまだ二十歳だし」

「二十歳といえば、もう子供じゃない。もっと揉(も)んで呉れえ」

 三吉は顔をねじ向けて、指圧を催促した。

「それにお前はこの間、一子が恋わずらいをしてるらしいと、わしに報告したではないか。へんな恋わずらいをされるより、この際思い切って陣太郎君に――」

「あの陣太郎さんって人、なにかふわふわしてるみたいで、あたし信用出来ないわ」

 三吉の背骨をぐりぐり押しながら、ハナコは言った。

「何か足が地についていない感じね」

「そりゃ家出中だからだ。家出をすれば、誰だって足が地につかない」

 茶の間の外の廊下では、二美が両掌を耳のうしろにあてがい、姉上の一大事とばかり、眼を丸くして、聞き耳を立てていた。

「家出中で、金もないから、ちょっとぐれたようなところもあるが、邸に戻ればちゃんとした若様だからな。相続でもすれば、おっとりと落着くよ。そうすれば一子も令夫人だ」

「邸はどこにあるの?」

「うん。なんでも世田谷の方だと言ってた」

 ハナコの指が急所のツボをぎゅっと押したので、三吉はウッと声を出した。

「家令なんかも使って、相当の邸らしいよ。刀なんかも沢山あって、一本売れば百万円ぐらいになるんだってよ」

「でも、陣太郎さんは、邸に戻ろうという心算(つもり)はあるの?」

「うん。そこが問題なんだ」

 また指圧が利いたらしく、三吉の手は畳をかきむしった。

「帰邸して、相続するんじゃなきゃ、一子をやるわけには行かんな。一子をやるから、直ちに帰邸しろと、勧告してみるか」

 二美は足音を忍ばせ、足をひょいひょい上げる歩き方で廊下を歩き、娘部屋に戻ってきた。一子は相変らず畳に寝そべり、鼻歌でシャンソンをうたっていた。

「お姉さん。たいへんよ!」

「何がたいへんだい?」

「お姉さんと竜ちゃん、ますます悲恋になるわよ」

 二美も一子に並んで寝そべった。

「また生意気を言う!」

 一子はだるそうに舌打ちをした。

「一どうしたんだい?」

「お父さんがね、お姉さんのことを――」

 二美は声を低めた。

「陣太郎君とめあわせるんだってさ」

「陣太郎君と?」

 さすがに驚愕して、一子はむっくり起き直った。

「そんなムチャな。ひとの気も知らないで。一体お父さんは、どういうつもりで、あたしをあの魚男とめあわせようというの?」

「あの魚男の本邸から、金をひき出して、早いとこ新築しようと言うのよ。金のために引き裂かれるなんて、いよいよもってお姉さんと竜ちゃん、可哀そうねえ」

「引き裂かれてたまるかってんだ」

 一子は眉をつり上げて、伝法なたんかを切った。

「よし、あたし、今から出かけて、竜ちゃんに相談してくるわ」

 

「それからもう一つあるんだ」

 ハナコに背骨を押されながら、三吉の声は沈痛になった。

「お前にはまだ話してなかったが、わしの曽祖父(ひいじいさん)さんが、わしの子供の時、そっと話して呉れたことがある」

「どんなことを?」

「曽祖父さんの曽祖父さん、つまりわしから六代前の御先祖さまだな」

 三吉は肥った首を左右に動かして、声を低めた。

「その六代前さまのお尻にだな、尻尾が生えてたと言うんだ」

「シッポ?」

「しっ。声が高い」

 三吉はあわててたしなめた。

「うん。ごく短い尻尾だ。その六代前さまから、わしの家の系図が始まっているらしいのだ」

「すると、それから前は?」

 ハナコの手はそっと三吉の尻に伸びた。それと知って三吉は、腹立たしげにハナコの手をはらいのけた。

「わしにはない!」

「いえ。ここを揉んで上げようと思ったのよ」

「人間が動物から進化したということは、これはもう定説であり、常識になっている。わしの家は、その、つまり、進化の時期がすこし遅れたんだ」

「いくらなんでも、六代前とは、そりゃ少し遅れ過ぎてますよ」

 三吉の尻を指圧しながら、ハナコは長嘆息した。

「あなたの曽祖父さんが、子供のあなたをからかったんじゃない?」

「うん。そうかも知れん。曽祖父さんはひょうきんな人だったと言うから」

 三吉は救いを得た如く合点々々をした。

「でもわしは、それ以来、どうもそれがコンプレックスになっていて、だから泉湯の野郎に山猿呼ばわりをされると、むらむらっと腹が立つのだ」

「そうねえ。泉湯さんも口が悪いからねえ」

「だから、泉湯の野郎が、あれを取消さない限り、わしも絶対にあとには退けない。これはもう損得の問題じゃない。な、お前にも判るだろう」

「判りますよ。判りますけれど、いつまでも芋飯に納豆とは――」

 言いかけてハナコははらはらと落涙した。

「泣くな!」

 三吉は頭をもたげて怒った。

「不吉の涙を、わしに見せるな!」

「はい」

 ハナコは気を取り直して、指圧を再開した。

「だからな、わしの家系には、野性の血が充ちあふれている。あふれ過ぎているくらいだ」

 三吉は説き聞かせる口調になった。

「陣太郎君とめあわせようというのも、そこを考えてのことなのだ。なにしろ、松平家といえば、家柄も古いし、したがって進化も早かったのだろう。家柄が古いから、純粋じゃあるだろうが、血の中に野性味は失われてるだろう。だから、わしんちと一緒になれば、丁度いいのだ」

「でも、陣太郎さんは、それほど純粋かしら?」

 ハナコは疑問を出した。

「どうもあの人は粗野な感じがするわ」

[やぶちゃん注:尻尾様のものがあるヒトのケースは、ある。「先祖返り」などと言われるが、昔、医学雑誌の写真で、本邦の幼児の臀部の上に垂れているそれを見たこともある。サイト「とんだ勘違いらぼ」の「尻尾のある人はいる?尻尾がある人は意外と多かった。」が参考になろう。信じられない方は、画像有りを覚悟の上で、サイト「ナゾロジー」の『メキシコで「尻尾の生えた女児」の誕生が報告される』(二〇二二年十二月一日の記事)を見られたい。]

 

 ネッカチーフで頰かむりして、猿沢一子は暗い夜道をとっとっと急いでいた。かねての栄養不足で、とかく小石につまずきそうになりながら、やっと泉宅のくぐり戸にたどりついた。

「神様。泉のおじさまに見付けられませぬように」

 一子は心に念じながら、そっとくぐり戸をあけ、中に忍び入った。足音を立てないようにして、裏手に廻った。

 泉竜之助の部屋には燈がともっていた。

 窓辺に顔をすりよせ、一子は曇りガラスをこつこつと叩いた。内から声がした。

「誰だ?」

「しっ!」

 一子は指を后にあてた。

「あたしよ。一子よ」

「え? 一ちゃん?」

 竜之助もびっくりしたらしく、声をひそめた。燈がぱっと消され、窓が内側からそっと開かれた。

「ど、どんな用事だい?」

 竜之助は窓から半身を乗り出してどもった。

「何か兇(わる)いことでも起きたのか?」

「竜ちゃん!」

 一子は手探りでいきなり竜之助の頭に抱きつき、熱っぽくささやいた。そのために竜之助の身体はあやうくすってんころりと庭に落ちかかった。

「あ、あぶない!」

 窓枠にしがみついて、竜之助は思わず大声を立てた。

「しっ!」

 二人はそのまま、闇の中で耳をするどくして、茶の間の方の気配をうかがっていた。しかし茶の間の方ではこととも音はしなかった。

「おじさま、いらっしゃるの?」

「いるんだよ。だから声を低くして」

 真の闇の中で二つの唇は、あたかもレーダーでも具えているかの如く、相手の所在を感知して接近した。恋というものは実に不思議な力を人間に与えるものである。

「竜ちゃん。たいへんなことが起きたのよ」

 やがて肩を引き離して、一子は悲しげな声でささやいた。

「お父さんが、あたしのことをね、陣太郎にめあわせるんだって」

「え? 陣太郎さんに?」

「そうなのよ」

「そ、それは、一体、どういうつもりなんだ」

 竜之助の声は怒りを帯びて慄えた。

「三吉おじさんが君に直接そう言ったのか」

「あたしに直接ではないの。そんな話をしてるのを、二美がぬすみ聞きしたのよ」

「ぬすみ聞き? じゃ、まだ本式の話じゃないんだね」

 竜之助はやや安心した声になった。

「どういうことから三吉おじさんは、そんな気になったんだろう」

「新築がはかどらないものだから、お父さんはいらいらしてるのよ。だからあたしを、陣太郎にめあわせて、松平家から建築資金を――」

「そ、それじゃあまるで金色夜叉じゃないか。まさか君はお宮みたいに――」

「松平家なんかに行くもんですか!」

 心外な、といった言い方を一子はした。

「あたしは竜ちゃんのものよ。誰があんな魚みたいな男のとこに行くもんですか。誰が!」

 

「手切金? その取立てを、このおれにやって呉れと言うのか?――」

 陣太郎はびっくりしたように反問した。

「そうよ」

 真知子は可愛くうなずいた。

「だって、二号生活をしながら学問をやるのは、いけないことだ、筋違いだ、ニセモノの生活だと、そちらから言い出したんじゃないの。そちらで責任を持つべきよ」

 富士見アパートの二階の真知子の部屋で、チャブ台をさしはさんで、真知子と陣太郎は南京豆をサカナにして、ウィスキーのグラスをかたむけていた。引越当初に附段で衝突、トーストを御馳走になったのをきっかけにして、陣太郎はれいによって、うまいこと真知子と接触を深めて行ったものらしい。

「陣ちゃんがそんなに言うもんだから、あたし、二号生活を清算する気になったのよ。でも、清算すれば、たちまち学資に困るじゃないの」

「自分で切り出せばいいじゃないか」

 陣太郎はまぶしそうな顔になって、ぐっとグラスをあおった。

「切り出したんだけど、なかなかうんと言わないのよ」

 真知子はいらだたしげに、チャブ台をぽんと叩いた。

「じゃあ奥様んとこにいただきに行くとおどすと、たちまちまっさおになって、平蜘蛛(ひらぐも)のようになっちまうの。ひどい恐妻家よ」

「では実際に、奥さんとこに貰いに行けばいいじゃないか」

 陣太郎はとぼけた表情をつくった。

「おれをわずらわすことはなかろう」

「でもね、奥様んとこに貰いに行けば、てんやわんやになって、あぶはち取らずになって、元も子もなくなると思うのよ。だからどうしても交渉は、第三者の方がいいのよ」

「手切金って、どのくらい欲しいんだい?」

「あたし、六月分と切り出したのよ。つまり六万円ね」

「六ヵ月分? そりゃあムチャだよ」

 酔いで赤らんだ額をたたいて、陣太郎は嘆息した。

「まあ三ヵ月分というところだな、それならおれは引受けるよ。ことに彼氏は只今、値下げ競争で困ってる最中だし――」

「おや?」

 真知子はいぶかしげな視線を、するどく陣太郎に投げた。

「陣ちゃんは猿沢を知ってるの? 何故知ってるの? 値下げ競争のことまで」

「いや、なに、えヘヘ」

 陣太郎は笑いで失言をごまかそうとした。

「どうしたのさ。どうして知ってるのさ」

 真知子はぐいと膝を乗り出した。

「き、きみから、そんな話を聞いた。聞いたような気がする」

「そんな話、あたしは陣ちゃんに、一度もしませんよ!」

 真知子は眼を大きく見開いて、まっすぐ陣太郎を見つめた。

「陣ちゃん。顔を上げて、あたしの顔を見なさい」

 陣太郎の口辺から、笑いのかげが消えた。悪びれずに、まっすぐ顔を上げた。真知子はまばたきもせず言った。

「なぜ?」

 にらみ合ったまま、三十秒ほど経った。陣太郎はしずかに口を開いた。

「君を好きになったからだ」

 

「好きになったって? あたしのことを?」

 虚をつかれたと見えて、真知子は声の調子を狂わせた。

「そうだよ」

 陣太郎は落着きはらって答えた。

「だから君の旦那のことを、そっと内偵してみたのだ。そして、どうすればあの猿沢三吉から、君を奪取出来るか――」

「あたしを好きになったって、何時から?」

 真知子はほのぼのと顔をあからめていた。アルサロだの二号だのを経験していても、根は純情なのであろう。

「あたしのどこを、陣ちゃんは好きなの? あたしって、筋違いよ。ニセモノよ。インチキよ。だって陣ちゃんが今さっき、そう断定したんじゃないの」

「いや、君はまるまるインチキじゃない。ちょっと筋が違っているだけだ」

 陣太郎の口調は熱を帯びた。

「おれは君のような生き方が好きなんだ。顔や形は問題じゃない。ひとりぼっちで、大風の中をさからって歩いて行くような、君のその鮮烈な生き方が好きなのだ。さあ、飲もう」

 陣太郎は真知子のグラスに、とくとくとウィスキーをみたしてやった。

「ただ君は、ちょっと筋違いをしてるために、鮮烈が鮮烈そのものでなくなって、ぼやけてしまっているんだ。鮮烈な生き方が出来る筈なのに、愚劣な日常に自分を埋没させてしまっているんだ。一葉論を仕上げるために、三吉おやじの世話になるなんて、何だかばかばかしいとは思わないか」

「だって、卒業までだもの」

 真知子はグラスをあおった。

「卒業したら、そこからあたしの新しい本当の人生が始まるのよ。それまでは歯を食いしばって、辛抱して――」

「そんな理窟があるか!」

 陣太郎は激しくチャブ台をひっぱたいた。

「人間というものはだね、現在生きている瞬間々々を、完全に、フルに、生きなくちゃいけないんだ。今生きている現在の瞬間が、自己表現の場なんだ。君は今、自己表現を怠けている。鮮烈に自己を表現していない。すなわち君は、生きながら、死んでいる!」

「では、陣ちゃんは?」

 真知子の声は慄えた。

「陣ちゃんは完璧に生きてるの? 自己表現をしているの?」

「している!」

 陣太郎は胸板をどんと叩いた。

「おれはおれなりに、立派に自己を表現している。おれにとって、これ以外に生き方はない、という生き方をしている!」

「それは、家出をして、生活しているということ?」

「家出? 家出なんか問題じゃない」

 陣太郎の声は急に重く、かつ暗くなった。

「家出なんてものは、問題の本質から言うと、末の末だ。家出したって、しなくづたって、どっちだっていいんだ」

「じゃあ、あたし、どんな生き方をしたらいいの?」

 真知子の態度は急に弱々しくなり、眼は不安げにまたたいた。

「どうしたらいいの。教えて」

「こうしたらいいんだ」

 陣太郎は蟹(かに)のように横に這って、チャブ台を廻った。真知子の肩に手をかけて、引き寄せた。真知子の身体はずるずると陣太郎の膝にくずれた。

 

 泉竜之助は長身の背を曲げ、とっとっと夜道を急いでいた。富士見アパートの前まで来ると、立ち止って二階を見上げた。

「おや、電燈がついてない。留守かな」

 がっかりしたように竜之助はつぶやいた。

「またヤキトリキャバレーにでも行ったのかな。とにかく上ってみよう」

 竜之助は玄関に入り、とことこと階段を登った。階段を登り切った時、丁度(ちょうど)真知子の部屋から出てきた陣太郎と、ぱったり顔を合わせた。

「陣太郎さん」

「ああ、竜之助君か。何か用事か。まあおれの部屋に行こう」

 陣太郎はウィスキーの瓶をぶらぶらさせながら先に立ち、部屋に入った。スイッチを入れ、電燈をつけた。竜之助もつづいて部屋に入った。

「いい御身分ですなあ。ウィスキーなんかを飲んで」

 竜之助はうらやましそうに嘆息しながら、陣太郎と向き合って坐った。

「僕んとこなんか、焼酎ですよ。それも親爺の御相伴(ごしょうばん)で、ほんのちょっぴり」

「しけてるな、君んとこは」

 湯吞二箇を陣太郎は畳に置いた。

「そしてサカナは相変らずメザシか」

「そうですよ。メザシに梅干」

 竜之助はタンと舌を鳴らし、旨そうに湯吞を舐(な)めて、陣太郎の顔を見た。

「おや。陣太郎さんの唇、今夜はいやに赤いですね。ウィスキーのせいかな?」

「なに。唇が赤い?」

 陣太郎は少々狼狽して、手首で唇をこすった。真知子の唇からうつった口紅が、その手首にあかい縞をつけた。

「こ、これは何でもない」

 さすがの陣太郎もどもって、それをごまかすために、怒ったような声を出した。

「一体何の用事だい?」

「いろいろ用事はあるんですがね」

 また竜之助は湯吞を傾けた。

「つかぬことをお伺いしますが、陣太郎さんは現在、世田谷の本邸に戻る意志はあるんですか、ないんですか?」

「本邸?」

 警戒したように、陣太郎は上目で竜之助を見た。

「どうしてそんなことを聞くんだ?」

「いや、ただちょっと」

「戻る気はないよ。戻ると十一条家の娘と見合いをさせられる」

「見合いがイヤだというのは、十一条家の娘が嫌いなんですか。それとも――」

 竜之助の声は真剣味を帯びた。

「それとも、女一般が嫌いなんですか?」

「女一般? 女一般はおれは大好きだよ」

「では十一条家以外の女と結婚する、ということはあり得ますね」

「それはあり得るだろう」

 陣太郎も悠然と湯吞を取上げた。

「近い中にある女性と、おれは一緒になるかも知れない」

「ある女性?」

 竜之助はごそごそと膝を乗り出した。

「そ、それはどんな女性です? まさか僕の知ってる女性じゃないでしょうね、たとえば、猿沢一子」

「ああ、一子か。あんなチンピラ小娘は、おれの好みに合わん。頼まれたって、おことわりするよ」

 

「チンピラ小娘は好みに合わん、ですか」

 自分の恋人をチンピラ呼ばわりされて、竜之助はにこにこと満悦顔になった。

「とすれば、ある女性と言うのは?」

「それは君と関係ない」

 ぴしりときめつけて、陣太郎は湯吞を下に置き、ぽんと膝をたたいた。

「ああ、そうだ。クイズの文案をつくって置いたよ」

「クイズの文案?」

「そうだよ。こいつは強力だよ」

 リュックサックの中から、陣太郎はごそごそと一枚の紙を取出した。

「さあ、これだ。最後の切札だ」

「もうクイズはいいんですよ。湯銭が五円で、クイズなんか出せるもんですか」

「このクイズは店に貼り出すんじゃないよ。そんなちゃちなものと違う。特別製だ」

 陣太郎はひらひらと紙片を振った。

「これは三吉おやじに見せるためのものだ。これを見せさえすれば、三吉おやじはたちまちへなへなになってしまう。三吉おやじを蛇とすれば、これはナメクジだ」

「どれどれ」

 興をもよおしたらしく、竜之助はその紙を受取った。眼を据えた。

 

 □□□□っているそのを真子という太郎

 

「何です、これは?」

 竜之助は首をかしげた。

「すこし伏字が多過ぎやしませんか。最後の太郎というのは?」

「それはすぐ判るだろう。陣太郎だよ」

「では、真□子というのは?」

「そんなに一々教えてやるわけには行かない」

 陣太郎はそっぽを向いた。

「君が読めないでも、三吉おやじにはすぐ読めるのだ」

「では、早速三吉おじさんに見せて、ためして見ましょう」

「早速ためして見ろと、おれは言わないぞ」

 陣太郎は声を険しくした。

「このクイズはだな、劇薬みたいなものだから、使いようによっては薬にもなり、毒ともなるのだ。使用の時期は、おれが指定する、おれがよしと言うまで、絶対に使ってはいけないよ。それまでは大切に、ポケットにしまって置け」

「使っちゃいけないんですか」

 竜之助は不服そうに頰をふくらませ、紙片をたたんで内ポケットに入れた。

「アッ、そうそう。それからね、うちの親爺がね、新築の進行状態を知りたいから、陣太郎さんから早速取り返して来いと言うんですよ」

「何をだ?」

「そらっとぼけちゃダメですよ。カメラですよ」

「カメラ?」

 陣太郎は視線をうろうろさせた。

「まだ覚えてるのか」

「覚えてますよ。忘れるもんですか!」

 竜之助は声を大にした。

「一体どこに置いてあるのです? 確実な某所だなんて、まさか一六銀行じゃないでしょうね」

「御名答。そのものずばりだ!」

 陣太郎は会心の微笑とともに、膝をポンとたたいた。

「おれの秘書になって以来、君もなかなかカンが良くなったなあ。大したもんだ」

 

「大したものだなんて、そんな勝手な!」

 泉竜之助はたちまちふくれっ面になった。

「あれは僕のカメラですよ。五万円もするんですよ。それを僕に無断で、質に入れるなんて」

「まあ待て。そのうちに出してやる」

 陣太郎は左手で、いきり立つ竜之助を押しとどめ、右手で悠然と湯吞を口に持って行った。

「強力なクイズをつくってやったじゃないか。それに免じて、五日か六日まて」

「クイズはクイズ、カメラはカメラです」

 ふくれっ面のまま竜之助は頑張った。

「おやじからきつく言いつかって来たんですよ。ひったくってでも取戻して来いって」

「ひったくろうにも、ここにはないよ」

「どこに置いてあるんです。どこの質屋です?」

「ここだ」

 陣太郎は面倒くさそうに、内ポケットから質札をつまみ出し、ふわりと畳の上に投げた。竜之助はあわててそれをつまみ上げた。

「僕が出すから、お金を下さい」

「なに。質札だけでなく、金まで出せと言うのか」

「そうです。あたり前ですよ」

 竜之助は口をとがらせた。

「元金だけじゃなく、利子の分もですよ」

「金か」

 湯吞を下に置き、陣太郎は腕を組み、鬱然(うつぜん)と首をかたむけた。

「ええ、仕方がない。では、これを加納明治のところに持って行け」

 陣太郎はふたたびリュックサックの口を開き、中から一葉の写真をひっぱり出した。

「これで十万円と吹きかけるんだぞ」

「十万円?」

 竜之助は写真に眼を据えた。

「あ。これは加納さんの日記を撮ったものですね」

「そうだ。十万円と吹きかけると、加納明治はきっと違い棚の置時計をわし摑みにする。その時は五万円にまけてやるのだ」

「だって陣太郎さんはこの間、ネガと引伸ばしで、加納さんからせしめたんでしょ」

「そうだよ。でも、こういうこともあろうかと思って、まだ一ダースばかり引伸し写真がとってあるんだ」

 陣太郎は平然たる表情で、リュックサックを指差した。

「この間は、君のことを、少々悪者にしてある。だから今度は君がおれのことを悪者にしてよろしい。要は五万円をふんだくることだ」

「いやだなあ」

 竜之助は子供の泣きべそみたいな表情になった。

「僕のことを少々悪者にしたって、どんな悪者にしたんです?」

「行けば判るよ。加納が君に若干立腹してることは、行けばすぐに判る。だから今度はおれを悪者にしなさい」

「いやだなあ。僕、ゆすりなんか、あまり性に合わないんですよ」

「ゆすりじゃない。当然の要求だ」

 そして陣太郎はじろりと、探るように竜之助の顔を見た。

「いやなら止めてもいいよ。そのかわりに、おれ、一ちゃんを好きになってやるぞ!」

「ちょ、ちょっとそれは待って下さい」

 竜之助は大狼狽、両掌をにゅっと前に突き出した。

 

 人もすっかり寝しずまった真夜中の十二時、建ちかけ三吉湯の材木のかげに、ネッカチーフで頰かむりした猿沢一子が、じっと身をひそめていた。遠くで犬がベラベラと[やぶちゃん注:ママ。]遠吠えしている。うら若き乙女に怖さ[やぶちゃん注:「こわさ」。]を忘れさせるほど、恋というものは烈しいものであるらしい。

「竜ちゃん。ここよ」

 折しも歩いてくる長身の影を認めて、一子は両掌をメガホンにしてささやいた。

「ここなのよ」

 竜之助は前後左右を見廻し、あたりに人影なしと知るや、さっと背を曲げて材木のかげに走り込んだ。ひしと抱き合って、いつもの如くに唇を合わせた。

「竜ちゃん。ウィスキーを飲んだのね。においで判るわ」

 竜之助の釦(ボタン)をまさぐりながら、一子は怨(えん)ずるように言った。

「あたしがこんなにやきもきして待ってるのに、のんびりとウィスキーを飲んだりして、ひどいわねえ」

「のんびりと飲んだんじゃないんだよ。陣太郎さんとこで、いろいろ話しながら、御馳走になったんだよ」

「あの陣太郎、何と言ってた?」

 一子は呼吸をはずませた。

「邸に戻ると言ってた?」

「絶対戻らないと言ってたよ」

 竜之助は一子の背を撫でさすった。

「邸には戻らないし、それに君のようなチンピラタイプは嫌いだってさ。一安心したよ」

「なに。チンピラだって」

 一子は眉をつり上げた。

「あたしのことをチンピラと言われて、竜ちゃんは黙ってたの?」

「うん」

 竜之助は面目なさそうに頭を垂れた。

「でもね、一ちゃんのことを大好きだと言われるよりも、いいと思ってね、歯を食いしばって辛抱したよ」

「ほんとにつらかったでしょうねえ」

「つらかったよ。はらわたが煮えくり返ったよ」

 そして竜之助は話題をかえた。

「僕、帰りながら、策略をひとつ思いついたんだけどね」

「策略? お父さんたちの喧嘩を止めさせるための?」

「うん。そうだ」

 竜之助は大きくうなずいた。

「もうお父さんたちの喧嘩は、憎み合いの域を通り越して、面子(メンツ)問題になってるだろ」

「そうねえ」

「だからさ、僕はお父さんに、三吉おじさんは前非を悔いてるらしいよと言う。君は君で三吉おじさんに、泉湯さんは後悔してるらしいわよと言いつける。そうすると、そうか、相手は後悔してるかというわけで、心が和(なご)むだろう」

「そうね。それはいい考えね」

「お互いの心が和めばさ、ちょっとしたきっかけで、パッと仲直りすることがあると思うんだよ」

「でも、そんなウソをついて、ばれないかしら」

「大丈夫だよ」

 竜之助は胸をどんとたたいた。

「お父さんたちは目下のところ、口をきき合う段階じゃないからね。ばれるおそれは絶対にないよ」

 

 正午すこし前、猿沢宅の玄関の扉をあけ、陣太郎はぼそっとした声で案内を乞うた。

「ごめんください。猿沢さんはいらっしゃいますか」

「はあい」

 顔を出したのは二美であるが、たちまちつめたい眼付きで陣太郎をにらみつけてすぐに引込んだ。

 猿沢三吉は茶の間でごろりと横になっていた。身体がだるくてだるくて、暇さえあれば近頃は横になっているのである。

「お父さん。お客さんよ」

「お客さん?」

 緩慢な起き上り方をしながら、三吉は言った。廊下をふらふらと玄関の方に歩いた。

「ああ、陣太郎君か」

 そして三吉はあたりを見廻し、声をひそめた。

「何か用事か。真知子のやつ、浮気をしたかね?」

「ええ。今日はそのことについて――」

「うん。わしも君に重大な相談ごとがあるんだ。ここでの立ち話もまずい。一先ず奥の間ヘ――」

「それよりも外に出ませんか」

 陣太郎は胸のポケットをぽんとたたいた。

「今日はおれがおごりますよ。中華でも食べませんか」

「え? 中華?」

 大飢えに飢えているので、中華という言葉を耳にしただけで、三吉は唾(つば)がにじみ出た様子であった。

「中華か。そういうことにするか。身支度して来るから、ちょっと待って呉れ」

 娘部屋では、二美が姉の一子に耳打ちをしていた。

「陣太郎が来たわよ」

「え。陣太郎が?」

「お父さん、陣太郎と一緒に、どこかに外出するらしいわよ。今身支度をしてる」

「どこに行くんだろう」

 一子はむっくり身体をおこした。

「お前、二人のあとをそっとつけてお行き。一体どこに行くのか」

 三吉は身支度をすませ、玄関で靴を穿(は)いた。むくんでいるから、靴の紐結びが一苦労なのである。

 やっと結び終って玄関を出て、二人は肩を並べて街に出た。台所口から二美が忍び出て、こっそりとあとを追った。ネッカチーフで頰かむりしているのは、姉のやり方にならったのであろう。

 二人はそれに気付かず、狭い横丁に折れ曲り、小さな中華店ののれんをひょいとくぐった。くぐったとたんに、三吉の腹の虫たちは、声をそろえてグウグウと啼(な)いた。

「さあ。何にしますか」

 陣太郎はメニューを取上げた。

「スブタとカニタマで、飯ということにしますか」

「うん。よかろう」

 三吉の相好(そうごう)はおのずからにやにやと笑みくずれた。連日連夜の芋飯だから、笑みくずれるのもムリはない。

 中華飯店の外では、二美が爪先立ちして、二人の様子を窓からのぞいていた。窓ガラスがあるから、もちろん声は聞えない。

 やがてスブタとカニタマが運ばれてきた。

 三吉の双眼はぱっと輝き、箸を持つ手はわなわなと慄えた。飢えたる犬の如く、三吉はスブタの肉片にむしゃぶりついた。

 

「時に君は、まだ世田谷の邸に戻る気はないのかね」

 スブタにカニタマをおかずにして、飯を五杯もおかわりをした三吉は、さすがにすっかり堪能したらしく、つまようじを使いながら、本題を切り出した。

「そうですな」

 茶をすすりながら陣太郎は悠然と答えた。

「只今考慮中です」

「考慮中か。いい加滅に決着をつけて、戻ることにしたらどうだい。及ばずながら、わしが力になるよ」

「力になって呉れますか」

「うん。力になるよ。それから君も、もうそろそろ身を固めたらどうだね。前途有為の君が、独身でぶらぶらしているのは、もったいない話だ」

「ええ。それも考慮中ですがねえ」

 謎めいた笑みを陣太郎は頰に刻んだ。

「適当なのがいなくてねえ」

「適当なのと言うけど、それは上を見れば果てしがない。せいぜいのところで妥協するんだね」

「そんなものですかな」

「うん。わしにも娘が四人いるが、ムコ選びの時はあまり上を見まいと思っている。せいぜいのところで妥協するつもりだ」

 三吉は遠まわしに話を持ってきた。

「一子のやつもな、もうそろそろ適齢期に入るが、親の口から言うのもおかしいけれど、よくしつけが行き届いて、そこらの娘たちには負けないつもりだ」

「ああ。一子さんはいいお嬢さんですなア」

 昨夜はチンピラ小娘と批判したくせに、今日は打ってかわった口をきいた。

「体格は立派だし、態度はおしとやかだし――」

「うん。君もそう思うか」

 娘をほめられて三吉はにこにこ顔になった。

「何なら君に上げてもいいよ。ただし、君が世田谷に戻るという条件においてだ」

「考えて置きましょう」

 陣太郎はしんみりと答えた。

「一子さんみたいないい人をもらえば、メカケなんか囲う気持はおきないでしょうよ」

「そうだ」

 メカケという言葉で思い出したらしく、三吉はぽんと膝を打った。

「真知子のやつ、その後どうだね。浮気をしたか」

「それがしないんですよ」

 陣太郎は嘆息するように天井を仰いだ。

「あれは貞節正しい女ですな。操を守って、せっせと勉強にいそしんでいます」

「そうか。それは弱ったなあ」

 三吉はがっくりと頭を垂れた。

「実はこの間、こちらから手切れ話を持ち出してみたんだよ。すると真知子のやつ、開き直って、手切金を六ヵ月分呉れと言うんだよ」

「六ヵ月分?」

 陣太郎は眼を剝(む)いて見せた。

「そりゃ高い。暴利だ。猿沢さん。おれに任せませんか。おれなら三万円で請負って上げますよ」

「三万円? 二万円にまからんか」

「ケチケチするのは止しなさい。それならおれは手を引きますよ。すると真知子は直接ハナコおばさまに――」

「そ、それはちょっと待って呉れ!」

 

 猿沢家の茶の間に、次女の二美は足音も荒くかけ込んで来た。茶の間では、一子がひとりチャブ台に向って、つめたい芋飯に熱い番茶をかけて、さらさらとかっこんでいた。

「お姉さん。お姉さん」

「ばたばたするんじゃないよ。ほこりが立つじゃないか。食事中だよ」

 一子はたしなめた。

「お父さんたち、どこ行った?」

「中華料理屋よ。そら、あの横丁の珍満亭という店よ」

「え? 珍満亭?」

 一子は、はたと箸を置いた。

「そこでお父さんたち、何を食べた?」

「窓越しだからよく見えなかったけど、スブタにフヨウハイらしかったわ。お父さん、五杯も御飯をおかわりしたわよ。ぱりぱりの銀飯よ。まるで鬼のキバみたいな」

「ううん」

 一子は低くうなった。

「いくらお父さんでも、そんな悪質の裏切り行為は許して置けないわ。一体あたしたち、何のために毎日々々、芋飯を食ってるというのさ」

「そうよ。そうよ」

 二美も勢い込んで合点々々をした。

「食べ終って、陣太郎と一緒に、もう直ぐここに戻ってくるわよ。あたし、一足先に走ってきたのよ、ほら、こんなに膝ががくがくよ」

 二美はスカートの裾を持ち上げて、がくがくの膝頭を見せた。その時玄関の方で、扉をあける音がしたので、姉妹はさっとそちらに視線を向けた。二つの足音が前後して廊下に上り、奥の三吉の私室へ入って行った。

 三吉はやや不機嫌な表情で、壁にはめこんだ金庫の前に坐り、おおいかぶさるようにして扉をあけた。札束を取り出した。もうあとには書類綴りしか残っていなかった。

「三万円か」

 三吉は陣太郎に向き直り、ぺらぺらと紙幣を勘定した。

「これがもうわしの全財産だぞ。ほんとに、泥棒に追い銭とは、これのことだ」

「泥棒? 泥棒とはおれのことですか?」

 陣太郎は気色(けしき)ばんだ。

「泥棒呼ばわりをされるくらいならおれは手を引きます。そうなれば真知子は、ハナコおばさんと直接交渉――」

「き、きみのことを泥棒と言ってるんじゃない」

 三吉はあわてて弁解した。

「泥棒というのは、真知子のことだ」

「それならばよろしいです」

「これできっと片を付けて呉れるだろうね」

 三吉は札束をにゅっと突き出し、残りを金庫に戻した。札束はぶるぶると慄えていた。よほど惜しかったのらしい。

「大丈夫です。納得させますよ」

「もう縁が切れたんだから、部屋代も以後は払ってやらないぞ。そう伝えて呉れ」

「そう伝えて置きます」

 陣太郎は三万円を内ポケットにしまい、改めて右掌をにゅっと突き出した。

「それから、今月分のおれの手当を、お願いします」

「今月分?」

「そうですよ。初めからの約束ですからな」

 陣太郎は催促がましく掌を動かした。

「まだ金庫に入ってるじゃないですか」

[やぶちゃん注:「フヨウハイ」「蟹玉」のこと。中国語では「芙蓉蟹」で、北京語では「フーロンシェー」、広東語では「フーヨーハイ」と呼ばれ ている。]

 

 陣太郎が出て行ったあと、三吉は腕を組み、呆然と金庫の中を眺めていた。金庫内は書類綴りだけで、紙幣はもう一枚も残っていなかった。洗いざらい陣太郎が持って行ったのである。

「ええい!」

 三吉は力をこめて、金庫の扉をがちゃんとしめた。立ち上って廊下に出た。久しぶりであぶらっこいものを食べたから、脚にも力が入り、三吉はどすんどすんとやけっぱちな足音を立て、茶の間に歩み入った。

 茶の間のチャブ台の前には、一子と二美が眼を光らせ、にらむような眼付きで坐っていた。

「熟い茶を一杯いれて呉れ」

 娘たちに向い合ってあぐらをかきながら、三吉は注文した。

「咽喉が乾いた」

「どうして咽喉が乾くの?」

 一子がぶすっとした顔で反問した。

「お昼ご飯は食べないの?」

「うん。どういうわけか、あまり食いたくない。お茶の方がいい」

「だって、御飯を食べなきゃ、力がつかないわよ」

 何もかも承知の上で、一子はそらとぼけた口をきいた。まだ娘時代だというのに、こんなねちねちした戦術を心得ているのだから、将来のほどが思いやられる。

「お茶よりも、芋飯を召し上れ。お茶には栄養価はないわよ」

「食いたくないと言ったら、食いたくない!」

 少しいらいらとして、三吉は声を大きくした。

「時にはわたしだって、食いたくない時がある。今わしは、少々胃をこわしているのだ」

「胃腸がこわれるのも当然よね。二美ちゃん」

 一子は二美に賛成を求めた。

「フヨウハイとスブタの大盛を平らげれば、誰だって胃腸をこわすわよ、ねえ」

「そうよ。そうよ」

 二美も勢い込んだ。

「それにお父さんったら、ご飯を五杯もおかわりをしたのよ。芋飯なんか食いたいわけがないわ」

「ど、どうしてそんなことを――」

 三吉はたちまち大狼狽、言葉をもつらした。

「さてはなんだな。お、お前たちは、わしのあとをつけたな」

「つけたんじゃないわよ。偶然通りかかったのよ」

 二美はぬけぬけと強弁した。

「陣太郎さんは二杯しか食べなかったのに、お父さんは五杯食べたわ」

「あたしたちに芋飯ばかりあてがって、お父さんばかり御馳走を食べるなんて、ずるいわ。完全なる裏切り行為よ」

「そうよ。そうよ。お母さんが帰って来たら、言いつけてあげるから」

「あたしたちだって、栄養をとる権利があるわ。さあ、お金ちょうだい。牛肉を買って来て、ビフテキをつくるんだから」

「ああ!」

 三吉は天井を仰いで、残り少い頭髪を絶望的にかきむしった。外側からの攻撃だけでも手一杯なのに、身内から思わざる攻撃をかけられては、絶望するのも当然であろう。

「ビ、ビフテキを食わしてやりたくとも、もうわしには金がないんだ!」

「お金がないのは、お父さんの責任じゃないの」

 一子はあくまで父親に食い下った。

「お金がなくて、よくフヨウハイだのスブタだのを注文出来たのねえ」

「あ、あれはわしが金を出したんじゃない。陣太郎君のおごりだ」

 三吉は懸命に弁解した。

「わしも芋飯を食うべきだったが、陣太郎君が勝手に庄文して、食え食えと言うもんだから、ついうっかりと――」

「陣太郎って押しつけがましい人なのねえ」

 一子は軽蔑的な声を出した。

「はっきりおことわりしとくけど、あたし、あの人大嫌いよ。心底から嫌いよ」

「あたしも大嫌いよ」

 傍から二美が賛意を表した。

「あんなお魚みたいな男性、ああ、考えただけでも、鳥肌が立つわ」

「生意気言うんじゃない。まだ十六ぐらいのくせに。男性を好きの嫌いのって、まだ早過ぎる!」

 三吉は眼を三角にして、二美をにらみつけ、そして視線を一子に戻した。

「一子。陣太郎君という男は、ちょっと押しつけがましいところがあるけれど、そんなに悪い男じゃないよ。むしろさっぱりしたいい青年だ。今日もわしにご馳走したり、なかなかうちのために尽して呉れる。それに、将棋もなかなかうまいし――」

「将棋なんかうまくないわよ。お父さんが下手過ぎるのよ」

「お父さんが下手とは何だ。下手とは!」

 将棋のことになると、三吉もむきになる。

「下手というのは、泉恵之助の野郎のことだ。わしは下手でない。その下手でないわしよりも、更にうまいんだから、陣太郎君は実に将棋が強い。もしかすると、専門家の域に達している」

「いくら陣太郎をほめ立てたってダメよ」

 また二美が傍から口を出した。

「陣太郎と結婚する意志は、一子姉さんには全然ないんだから」

「な、なに?」

 三吉は狼狽の色を示した。

「結婚する意志がないと?」

「そうよ。一子姉さんには、好きな人がちゃんといるんだから」

「お黙り。二美!」

 一子はあわてて妹を叱りつけた。妹は首をすくめて、発言を中止した。

「お父さん。あたしは陣太郎のところには、絶対に行きませんよ」

「だ、だれがそんなことを言った?」

 三吉はおろおろ声を出した。

「さてはなんだな。ハナコが何かおしゃべりをしたな」

「お母さんからじゃないわよう、だ」

 一子はますます言いつのった。しゃべっているうちに、だんだん本式に腹が立ってきたものらしい。

「うちのためを思えばこそ、毎日々々芋飯で我慢しているのに、お父さんはこそこそとご馳走のかくれ食いはするし、陣太郎のとこに行かせるような陰謀はたくらむし――」

「そうよ。そうよ。あたしたち、もう今日から、絶対に芋飯は食べないわよ」

「ムリに食べろと言うなら、ハンガーストライキに入るわよ。何も食べないで、そのうち二人とも痩せ細って、死んでしまってやるから?」

 

「ああ。そんなにわしをいじめないで呉れ」

 猿沢三吉は両手を上にさし伸ばし、全身ゆらゆらと身悶えをした。

「お前たちが芋飯を拒否して、もっとゼイタクをすると言うなら、一体うちの経済はどうなる。もうめちゃめちゃになって、破産してしまうぞ。それでもいいと思ってるのか!」

「湯銭をもとの十五円に戻せばいいじゃないの」

 一子はばしりとチャブ台をたたいた。

「十五円に戻せば、あたしたち一家全部、毎日中華でもウナギでも食べられるのよ」

「今更十五円に戻せるか!」

 さし上げた両手を、三吉は拳固にした。

「十五円に戻せば、お客は皆泉湯に行ってしまう。三吉湯はがらがらで、これまた破産にきまっている!」

「泉湯も十五円にすればいいじゃないの」

「泉湯の奴が十五円にするものか。あいつが先に十二円に値下げしやがったんだ」

「いえ、そうじゃないのよ」

 一子は膝を乗り出して、熱心な口調になった。

「お父さんが新築を始めたんで、泉のおじさまが値下げをしたのよ。でも、恵之助おじさまは近頃、十二円に値下げはすこし強硬過ぎたと、前非を悔いてらっしゃるそうよ」

「な、なに。恵之助が前非を悔いてる?」

 三吉は両手をおろし、眼をぱちぱちさせた。

「そ、それはほんとか。一体それは誰に聞いた?」

「泉の竜ちゃんによ」

 傍から二美が口をはさんだ。一子があわてて叱った。

「二美!」

「お、お前たちは、あの泉のバカ息子と口をきき合っているのか」

 三吉は怒ったような、かなしいような、複雑な声を出した。

「そうか。恵之助が前非を悔いてると、竜之助が言ったか。きゃつが前非を悔いてるのなら、わしも許さぬではない。あやまって来るなら、湯銭を十五円に戻してやってもいい」

「ところがそう簡単にはゆかないわよ」

「なにが簡単に行かない?」

「あの新築が出来上ればね、泉湯は客を取られて破産しちまうのよ。だから、あの新築を取止めれば――」

「今更取止めに出来るか。ムチャを言うな、ムチャを!」

「いえ。だからね、あれを風呂屋にしなければいいのよ。風呂屋じゃなくて、他の商売に使用すれば――」

「だってあれは、風呂屋として造り始めたんだぞ。それを他の商売にだなんて」

 三吉はたまりかねてチャブ台をひっぱたいた。

「将棋会所にでもしろと言うのか。だだっぴろ過ぎて、物の役に立たんわい」

「劇場か何かにすればいいじゃないの」

 一子も負けずにチャブ台をたたき返した。

「東京じゃ今、劇場が足りないそうよ。あれが劇場になれば、喜ぶ人がたくさんいるわ」

「劇場! 芝居小屋か」

 三吉は鼻の先でせせら笑った。

「冗談を言うな。芝居小屋なんかに出来るもんか。映両館なら、まだ話が判るが」

 転向の意向なきにしもあらざることを、三吉は暗々裡に示した。三吉も内心では相当にへこたれているのである。

 

 黄昏(たそがれ)、西尾真知子は鞄をぶらぶらさせながら、富士見アパートに戻ってきた。講義が済んでも、一葉研究のため図書館にたてこもるから、近頃いつも帰りが遅くなるのである。

 真知子は電話室の前で足をとめた。電話室の中で、陣太郎が電話をかけていた。

「もしもし。竜之助君か。おれ、陣太郎だよ。今晩七時、いつもの焼キャバに来ないか。うん。待ってるぞ。さよなら」

 がちゃりと電話を切り、陣太郎はのそのそと電話室を出た。ぱったりと真知子と顔を合わせた。

「おお、真知ちゃんか。遅いな」

「うん。図書館で調べものをしてたの」

「今日おれ、猿沢三吉に会って来たよ」

「そう。あたしの部屋に来ない?」

 真知子は先に立って、とことこと階段を登った。陣太郎もそれにつづいた。

「で、結果はどうだったの?」

 部屋に入り、電熱器に薬嬉を乗せながら、真知子は訊ねた。

「うまく行った?」

「うん。三ヵ月分、取って来たよ」

 陣太郎は内ポケットから、札束をひっぱり出した。

「さあ、三万円だ。これ以上はムリだな。三吉の金庫をのぞき込んだら、もうからっぽだったよ」

「そうでしょうねえ。湯銭五円だなんて、バカな競争をするんですものねえ」

 真知子は札束をとり上げて、器用な手付きで。ぺらぺらと数を確かめた。

「確かに。ありがとう」

「それでさっぱりしただろう」

「ううん。さっぱりしたような、未練があるような――」

「未練って、三吉おやじにか」

「いえ。この安易な生活形態によ」

 真知子はそそくさと札束を鞄の中に押し込んだ。

「さあ、これであたしの学問も前途多難だなあ」

「前途多難だなんて、多難なのがあたりまえだ」

 陣太郎はきめつけた。

「学問をするために、二号になるなんて、そんなバカな生活形態があるものか。それは学間に対する侮辱だよ。頽廃と言ってもいいぞ。むしろ、二号になるために学問をするという方が、話はわかる」

「だから二号を辞めたんじゃないの」

 真知子は若干ふくれっ面になった。

「ああ、そうそう」

 陣太郎はぽんと膝をたたいた。

「これで縁が切れたから、このアパートの部屋代、今月分からそちらで払えと、三吉おやじが言ってたよ」

「チャッカリしてるわねえ。あのおやじ」

「ここの部屋代はいくらだい?」

「月五千円よ。陣ちゃんとこは?」

「おれんとこは、使所の傍だから、三千円だよ」

 そして陣太郎は腕を組み、天井を見上げた。電熱器の薬罐がしゅんしゅん音を立て始めたので、真知子は二人分の紅茶をいれた。

「さあ、召し上れ」

「縁が切れたとなれば、やはりここは引越した方がいいな。おれ、適当な値段のやつ探してやるよ」

 腕組みを解き、陣太郎は茶碗に手を伸ばした。

 

 午後七時半、陣太郎は両掌をズボンのポケットに入れ、焼鳥キャバレーの階段をのそのそと登って行った。そこらいっぱいがヤキトリの匂いで、陣太郎の鼻翼はおのずからびくびくと動いた。

 時刻が時刻だから、二階はたいへん混んでいた。

 泉竜之助は長身の肩を丸くして、造花の紅葉の下の卓に、小さくなって腰かけていた。陣太郎の姿を見ると、ほっとしたように背骨を立て、顔をくしゃくしゃにした。

「ひどいなあ。三十分も遅刻するなんて」

 竜之助は腕時計を見ながら、うらめしそうな声を出した。

「僕、どうしたらいいか判らなくて、冷汗が出ましたよ」

「なんだ。まだ何も庄文してないのか」

 陣太郎は傍にならんで腰をおろした。

「ヤキトリでも食ってりゃいいじゃないか」

「そんなのんきなことができるもんですか。僕は無一文なんですよ。ヤキトリを注文して、もし陣太郎さんが来なきゃ、僕はたちまち豚箱入りですよ」

 竜之助の声は少々激した。

「何も注文しないで坐ってるもんだから、さっきから女給さんたちが、僕をにらんでるような気がして――」

「そんなにびくびくする奴があるか。もっと図太くなれ!」

 そして陣太郎は指を立て、ハイボールに串フライにヤキトリを注文した。竜之助は安堵したように掌を揉(も)み合わせた。

「おい。竜之助君」

 陣太郎は窮屈そうに、上半身を竜之助の方にねじった。

「無一文だなんて威張ってるが、加納明治んとこには行かなかったのか」

「別に威張ってなんかいませんよ」

 運ばれてきた串カツを横ぐわえにして、竜之助はカツを串からしごき取った。

「ああ、つらかったなあ。匂いはぷんぷんするし、おなかはぺこぺこだし」

「おなかのことなんか、誰も聞いてやしない。加納に十万円と吹きかけたかと言ってるんだ」

「まだ行かないんですよ」

「まだ行かない? 一体いつ行くんだ」

「今日いろいろと考えたんですけどね、あの仕事はどうも僕の性格に合わない」

 竜之助は内ポケットからごそごそと写真を取出[やぶちゃん注:「とりだ」。]した。

「これ、一応お返しします」

「要らねえよ」

 陣太郎はぽいと写真をはじき返し、ハイボールをぐっとあおった。

「そんな写真、おれのアパートに行けば、まだ十一枚もしまってある」

「でも――」

「でももクソもない!」

 ヤキトリをごしごし嚙みながら陣太郎はにらみつけた。

「これで五万円ふんだくって来なきゃ、カメラは永遠に君の手に戻って来ないぞ」

「そんなムチャな――」

 竜之助は嘆息した。

「僕にそんな不似合な荒仕事をさせるより、陣太郎さんが行けばいいじゃないですか。陣太郎さんの方がはるかにうまいですよ」

「うまい、まずいは問題でない」

 陣太郎は更に声を高くした。

「君をきたえるつもりで、おれはやらせるのだ!」

 

「きたえるんだなんて、そんな封建的な――」

 泣きべそみたいな顔になって、竜之助はハイボールをぐっとあおった。

「僕にはとても出来ませんよ。他のことならたいていのことはやるけれど。お願いだから、これだけはそちらでやって下さい」

「いや。君がやれ」

 陣太郎は頑として首を振った。

「やらなきゃ、おれの方にも考えがあるよ」

「え? どんな考えです? 僕をクビにしようとでも言うんですか?」

「おれは昨日、猿沢三吉の家に行った」

 おどかすように陣太郎は声を低くした。

「三吉おやじを近所の中華飯店に呼び出して、クーローヨとフヨウハイで飯を食った。三吉おやじは、飯を五杯もおかわりしたぞ」

「えっ。五杯も?」

 竜之助は感嘆の声を上げた。

「でも、そのくらいは食うだろうなあ。うちのおやじだって、今鮨(すし)を食わせたら、四十個は食って見せると、言ってるくらいだからなあ」

「へんなところで感心するな!」

 陣太郎はあたりを見廻してたしなめた。

「食べ終って、三吉おやじが、どんなことを切出して来たと思う?」

「さあ。何です?」

「身を固める気持はないかと、おれに言うんだ。だからおれは答えてやった。その気持、ないでもないとな」

「なるほど」

「すると三吉は遠廻しに、一子のことをどう思うかと、探りを入れてきた」

「えっ? 一子?」

 見る見る竜之助は狼狽して、顔面を紅潮させた。

「で、陣太郎さんは何と答えたんです?」

「体格は立派だし、態度はしとやかだし、とてもいいお嬢さんですなあ、とほめといた」

「そ、そんな好い加減なことを!」

 竜之助は眉の根をふくらませて陣太郎をにらみつけた。

「この間は一子について、あんたは何と言いました? あんなチンピラ小娘は、おれの好みに合わんと――」

「いかにもあのときはそう言った」

 陣太郎は落着きはらって答えた。

「しかし、心境の変化ということもあり得るよ。昨日は嫌いでも、今日は大好きになったなんてことは、よくあることだ。実は、今日の昼、うつらうつらと一ちゃんのことを考えてたら――」

「一ちゃんだなんて、あんまり心易く呼ばないで下さい!」

「うん。あの娘は、うつらうつらと考えてみたら、頭もバカじゃなさそうだし、肉体もぴちぴちとして味が良さそうだし、ここでひとつ三吉の懇望を入れて――」

「よ、よして下さいよ、ほんとに」

 竜之助は悲鳴を上げて、片手拝みの姿勢になった。

「そ、それだけは思いとどまって下さい。お願いですから」

「では、おれの言うことを聞くか」

「聞きますよ。何でも」

「では、明日、間違いなく、加納明治宅を訪問せよ」

 陣太郎はぎろりと竜之助をねめつけた。

「是が非でも五万円、ふんだくって来い!」

[やぶちゃん注:「クーローヨ」「酢豚」のこと。元来は広東料理で、「古老肉」と書かれ、中国語の音写は「グーラオロウ」。それが訛ったものか、本邦では「クーローヨー」「クローヨー」「クローヨ」等と呼ばれている。]

 

 建ちかけ三吉湯の材木の山のかげに、竜之助は背をもたせかけ、月の明りで腕時計の針を読んだ。

「もう十時を十五分も過ぎたぞ。どうしたんだろうな」

 竜之助は肩をすくませてぼやいた。

「今夜は陣太郎さんに三十分も待たせられるし、一ちゃんも遅刻と来ている。運が悪い日だなあ」

 焼鳥キャバレーからここへ直行してきたと見え、タレの匂いのする折包みを、竜之助はぶら下げていた。

「おや。足音が」

 ひたひたと忍びやかな足音が、こちらに近づいてくる。月明のそのおぼろな輪郭に、竜之助は両掌をメガホンにして、低声で呼びかけた。

「一ちゃん。ここだよ」

 恋するものの敏感さで、おぼろな輪郭だけで相手を察知出来るのである。とたんにその輪郭は背を低くし、イタチのように素早く、竜之助のそばにかけ寄って来た。

「竜ちゃん」

 二人の身体はひしと抱き合った。

「一ちゃん」

 一子の耳に口をつけ竜之助は切迫した声でささやいた。

「今夜ねえ、僕、陣太郎さんに会ったんだよ。そうしたら、陣太郎さんは急に心境が変って、一ちゃんのことを好きになったんだってさ」

「あたしのことを好きに?」

「そうなんだ。なんでも今日の昼、三吉おじさんに会って、中華料理を一緒に食べたんだって。その席上で、心境が変ったらしいんだよ」

「そうよ。今日の昼、陣太郎はやって来たわよ」

 一子は声をたかぶらせた。

「お父さんを引っぱり出して、フヨウハイとスブタを食べたらしいのよ。引っぱり出されるお父さんもお父さんよねえ。そして御飯を五杯もおかわりしたんだって。だから二美とあたしとで、散々とっちめてやったのよ。おや、これは何?」

「ヤキトリの包みだよ。一ちゃんに上げようと思って、つくって貰ったんだ」

 そして竜之助は、忌々(いまいま)しそうに舌打ちをした。

「今月分の秘書手当、陣太郎さん、なかなか呉れないんだ。それでもやっと二千円だけ呉れたよ。あとは明日、僕が加納明治の家にお使いに行ってから――」

「明日、竜ちゃん、お使いに行くの?」

 一子は心配そうに竜之助を見上げた。

「明日は大風が吹くらしいわよ。さっきラジオがそう言ってたわ」

「だって、お使いに行かなきゃ、一ちゃんのこと本気で好きになると言うんだもの」

 竜之助も心配そうな顔となり、一子を見おろした。

「どんなきっかけで、一ちゃんだって、心境の変化をおこさないとも限らない。僕はそれがこわいんだよ」

「バカねえ。いくら心境が変化したって、あんな魚男が好きになれますか」

 竜之助の胸に、一子はやわらかく頭をもたせかけた。

「さっきもお父さんに、タンカを切ってやったのよ。どんなことがあっても、あたし、陣太郎は大嫌いって!」

 

 泉宅の茶の間では、恵之助老がチャブ台の前に立膝[やぶちゃん注:「たてひざ」。]して、ひとりで晩酌の焼酎をかたむけていた。肴(さかな)は相も変らずメザシで、自分でメザシと決めたものの、さすがに恵之助も近頃ではうんざりしている模様であった。

「うん。マグロのトロが食べたいもんだなあ」

 恵之助はうらめしげに、立て膝の膝頭を撫でさすって、ひとりごとを言った。

「見ろ。この膝頭だって、すっかりかさかさになって、脂が抜けてしまったぞ」

 折しも泉宅のくぐり戸のかげで、長い影と短い影がひしと寄り合った。新築場からここまで、一子が竜之助を送ってきたものらしかった。

「ね。泉のおじさまが前非を悔いているという話、とてもお父さんにはきき目があったのよ」

 一子は竜之助にささやいた。

「だから泉のおじさまにも、その手を使えば、きっと効果があると思うわ。是非使ってみてね」

「うん。使ってみるよ。では、おやすみ」

「おやすみ」

 一子は竜之助からつと離れると、ネッカチーフを頭に冠り、小走りにかなたの闇に消えて行った。

 竜之助は身をひるがえしてくぐり戸を入り、音もなく玄関に忍び入り、扉をしめてかけ金をおろした。靴を土間に脱ぎ、かろやかに廊下を踏んだ。

「竜之助!」

 茶の間から恵之助老の声が飛んだ。いくらかろやかに踏んでも、廊下に面する茶の間の障子があけ放たれてあるのだから、見つけられるのも当然である。

「はい。ただいま」

 竜之助は居直って茶の聞に入り、父親に向い合ってあぐらをかいた。

「どこに行ってたんだ。こんなに遅くまで」

 そして恵之助はいぶかしげに鼻をくんくんと鳴らした。

「おや。お前の身体には、何か旨(うま)そうな匂いがただよっているな。はて、何の匂いだったかな、こいつは?」

 お土産の折包みから溶んだタレが、竜之助の服のどこかに付着しているらしい。それをごまかすために、竜之助は笑い声を立てた。

「匂いなんかするもんですか。そりゃお父さんの幻覚だよ。メザシばっかり食べてるから、そんな幻覚がおこるんだよ」

「そうかな。メザシのせいかな」

 恵之助はあっさりと納得した。

「そう言えば近頃、わしは耳も遠くなったようだし、眼のかすみようもひどくなった。とうとう鼻にも狂いが来たか」

「そうだよ。何もかもメザシのせいだよ」

 竜之助は声を高くした。

「僕だって近頃、身体の調子が、とても変なんだよ。やはり時には、マグロのトロなんかを――」

「トロの話はよせ!」

 耐えがたきを耐えるような顔になり、恵之助は息子を叱りつけた。

「一体今までどこを歩き廻ってた? カメラは取り返したか?」

「そ、それがダメなんだよ」

 竜之助は悲しげにどもった。

「やっぱり一六銀行に入ってたんだよ」

「なに、やっぱり一六銀行だと?」

 恵之助は息子をにらみつけた。

 

「うん。だからね、僕は明日、陣太郎さんのお使いで、加納明治という小説家の家に行くんだ」

 竜之助は自信なさそうに、語尾の調子をくずした。

「そこで金が貰える手筈になっててね、それでカメラを出すということになってんだけどね」

「大丈夫かい。あの陣太郎という風来坊は」

 恵之助は不機嫌そうに、焼酎をチュッとすすった。

「膝ががくがくするが、とにかくわしは明日、新築の進行状態を視察してくる」

「膝ががくがくするというのに、大丈夫?」

 竜之助は心配そうに父親の顔を見た。

「明日は大風が吹くそうだよ。さっきラジオがそう言ってたらしい」

「大丈夫だ。やせても枯れても、まだ風如きに吹き倒されたりするようなわしじゃない!」

「進行状態って、この間からまだ全然進んでないよ」

 そして竜之助は膝をぽんとたたいた。

「あっ、そうそう。あの新築を始めたことについて、三吉おじさんはすっかり後侮してるそうだよ。こんなことになるんなら、建てなきゃよかったと、ひしひしと前非を悔いてるという話だよ」

「な、なに?」

 恵之助は焼酎のコップを、すとんと畳にとり落し、あわてて座蒲団で拭った。

「前非を悔いてると? あの三吉が?」

「そうだよ」

「そ、それは誰に聞いた?」

「実はね、あそこに一子という嬢がいるでしょう。あれと今日、街でぱったり出会ったんだよ」

「一子だと? お前はあのバカ娘と口をきいてるのか?」

「いえ。向うから強引に話しかけて来たんだよ。三吉が前非を悔いてるから、お父さんにとりなして呉れないかって」

「そうか。三吉が前非を悔いてるか。ざまあ見ろ」

 恵之助はさも嬉しそうに大口をあけてばか笑いをした。

「それであの建てかけのやつは、一体どうするつもりだい?」

「それがまだメドが立たないらしいよ。金繰りがつかないもんだから、当分あのままの状態で放って置くらしい」

「そりゃもったいない話だ」

 恵之助は笑いを中止して、眉をひそめた。

「この間お前が話してた、あの芝居小屋のことだな」

「うん」

 竜之助はごそごそと膝を乗り出した。

「実はわしには蓄えが少しある。これだけは手をつけずに、お前に残そうと思ってたのだが――」

「わあ。蓄(たくわ)えがまだあったんですか」

 竜之助は慨嘆にたえぬ声を出した。

「それで毎日々々メザシはひどいなあ」

「毎日々々メザシだからこそ、蓄えがそっくり残っているのだ!」

 恵之助は息子を叱りつけた。

「もし三吉が前非を悔いて、わしにあやまって来るなら、あれを芝居小屋にするという条件で、わしがその蓄えを出資してやってもいい。そしてその芝居小屋は、わしと三吉との共同経営とするのだ」

 

 猿沢家の娘部屋は燈が消えていた。が、二人の娘たちは眠っているわけではなかった。それぞれの寝具に腹這(ば)いになり、暗がりの中で、ごしごしとヤキトリを食べていた。

 二十串ばかりのヤキトリは、またたく間に二人の腹中におさまった。

「おいしいわねえ。ヤキトリって、こんなにおいしいものだとは、知らなかったわ」

 二美は闇の中で、溜息をつきながら言った。

「もっともっと、おいしいものを食べたいわ」

「あたしだってたまには、おいしいもの、食べたいわよ」

 折しもずっと離れた茶の間で、ハナコがそう怨(えん)ずるような声を出した。三吉夫妻はチャブ台に向って、コブ茶を飲んでいた。

「毎日々々、芋飯と納豆(なっとう)じゃ、身がつづかないわよ」

「お前の言うことはよく判る」

 三吉はやや面目なげに頭を垂れた。

「でもあれは、陣太郎君のおごりだから、仕方がない」

「いくらおごりでも、自分だけがいい目を見るという法はないわ」

 ハナコは食い下った。

「それで、陣太郎さんの方はどうなの? 邸に戻りそう?」

「うん。まだはっきりしないんだがね、一子のことはほめてた。体格もいいし、しとやかなお嬢さんだって」

「はっきりしなきゃ仕様がないじゃないの。あの建てかけの三吉湯、あのままで放って置くと、雨ざらしになって、腐ってしまいはしない?」

「それはわしも心配している」

 三吉はコブ茶を不味(まず)そうにすすった。

「心配しているだけでは、どうにもならないわ。あれが建たなきゃ、泉湯さんは参ったとは言わないでしょう」

「いや。そうでもないらしいぞ」

 三吉の声はにわかに元気づいた。

「今日の一子の話ではだな、恵之助の野郎が近頃になって、しみじみと前非を悔いてるそうだ」

「え? 前非を?」

「うん。つまり、十二円に値下げしたことを、後悔しているのだ。今頃後悔したって、もう遅いが、全然後悔しないよりもましだろう」

「後悔したなら、あやまりに来ればいいのにねえ。あやまりに来れば、みんな元の十五円に戻るんでしょ」

「うん。わしは戻してもいいと思っている。ところが、恵之助の野郎が、後悔はしてるくせに、何かぐずぐず言ってるらしいのだ」

「何をぐずぐず言ってるの?」

「うん。あの建てかけのやつだな、あれが完成すると、お客を皆取られるから、他のものにして呉れと言ってるらしい」

「他のもの?」

「うん。芝居小屋とか、映画館とか、そんなものにだね」

 三吉はふうと溜息をついた。

「あいつの立場も、わしは判らんではない。しかし、風呂屋として建てかけたものを、今更他のものにして呉れなんて、そんなムチャな横車を――」

「でも、毎日芋飯よりは――」

 言いかけてハナコははらはらと落涙した。それを見て三吉は怒声をあげた。

「お前までそんな弱気で、どうする!」

 

2023/07/21

佐々木喜善「聽耳草紙」 一六五番 いたずら

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]

 

   一六五番 いたずら

 

 昔、一人のセツコキ男があつた。或時此男が村の觀音堂に籠つて、どうぞ錢を授けて下さるやうにと祈願した。お觀音樣は正直な男だらうと思つて、本當の錢を授けてやつた。すると間もなく使い果して、又來てお願ひをした。それでは今度こそ無駄使いをせぬたうにとて、再び授けてやると、またまた博奕を打つ、酒を飮む、茶屋遊びをする、そして直《すぐ》にそれを使ひ果たして、三度目のお願ひを觀音堂でやつて居《ゐ》ると、お觀音樣は、あゝよしよし、今度は大きな板の錢をやると言はれた。男が夜明の鷄の聲に驚いて歸らうとすると、顏が御椽《おえん》の敷板に粘着(クツツ)いて離れない。[やぶちゃん注:底本は読点であるが、「ちくま文庫」版で訂した。]そのうちに明るくなつてだんだん村の人達が來て、何をそんなに畏《かしこ》まつてらア、早く起きろと言ふと、男は泣きながら、これこれの譯だと言ふので、早速別當を呼び、代る代る引張つたが、どうしても離れないので、遂々《たうとう》板を切拔いて漸《やうや》く放した。そこで皆が、あれあれ板面(イタヅラ)、板面と言つたとさ。

  (一六四番、一六五番、田中喜多美氏御報告の分
   の二三。)

[やぶちゃん注:「セツコキ」怠け者。「四二番 夜稼ぐ聟」で既出既注。これは、展開上の流れが、私にはよく判らない。「セツコキ」と、「錢」と、「板の錢」(意味不明。「板銀」のことか)と、観音堂の外縁の「敷板」と、「板面(イタヅラ)」の連関性が、私には不明だからである。何方か、御教授願えると嬉しい。]

南方閑話 犬が姦夫を殺した話

[やぶちゃん注:「南方閑話」は大正一五(一九二六)年二月に坂本書店から刊行された。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像を視認した(リンクは表紙。本登録をしないと見られない)。但し、加工データとして、サイト「私設万葉文庫」にある、電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊)を加工データとして使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。疑問箇所は所持する平凡社「南方熊楠選集3」の「南方閑話 南方随筆」(一九八四年刊・新字新仮名)その他(必要な場合は参考対象を必ず示す)で校合した。

 これより後に出た「南方隨筆」「續南方隨筆」の先行電子化では、 南方熊楠の表記法に、さんざん、苦しめられた(特に読みの送り仮名として出すべき部分がない点、ダラダラと改行せずに記す点、句点が少なく、読点も不足していて甚だ読み難い等々)。されば、そこで行った《 》で私が推定の読みを歴史的仮名遣で添えることは勿論、句読点や記号も変更・追加し、書名は「 」で括り、時には、引用や直接話法とはっきり判る部分に「 」・『 』を附すこととし、「選集」を参考にしつつ、改行・段落成形もすることとする(そうしないと、私の注がずっと後になってしまい、注を必要とされる読者には非常に不便だからである)。また、漢文脈の箇所では、後に〔 〕で推定訓読を示す。注は短いものは文中に、長くなるものは段落の後に附す。また、本書の掲載論考は全部で八篇であるが、長いものは分割して示す。

 今回の分は、ここから。]

 

      犬が姦夫を殺した話

 

 前文、犬が主婦の情夫に懷《なつ》き居《を》るより、之に好愛の情を表はして、反《かへ》つて主婦の姦《かん》を露はしたのと反對に、主人に忠誠な眞情一偏《いつぺん》より、其妻の姦を暴《さら》した例もある。

 寬文七年に成つた「隱州視聽合記」二に、『周吉《しきつ》郡犬來村、村老、語つて曰く、「昔し、此村に犬を養ふ者あり。其婦、隣《となり》の少年と通ず。來《きた》る時に、犬、吠ゆ。婦、之を愁ひて、夫に謂つて曰く、『此犬、よく、人を吠ゆ。故に賈客、我門に入らず』云々。夫、之を、『然り。』とし、他方に遣《や》り、放ちけり。婦、『犬の、道を知つて、歸らん。』ことを計りて、囊《ふくろ》に盛りて、此《これ》を送る。既にして、少年、來《きた》る。犬、又、歸りて、之を吠ゆ。夫、寤《さ》めて[やぶちゃん注:底本は「寤つて」。「さとつて」(悟つて)と訓ずることが出来るが、ちょっと躓くので、「選集」を参考にして、かく、した。]、窓より見て、遂に、其姦を得たり。故に『犬來』と書く。『昔會稽張然、滯役在都經年、其婦與奴通、然養一犬甚快、然後歸家、奴與婦謀、欲殺然、犬吠咋、然共殺奴、以婦付官』〔昔(むかし)、會稽(くわいけい)の張然(ちやうぜん)、都に在つて、年(とし)を經(へ)たり。其の婦(つま)、奴(めしつかひ)と通ず。然(ぜん)、一(ひとつ)の犬の、甚だ快(さかし)きを養ふ。然、家に歸る。奴、婦と謀つて、然を殺さんと欲(ほつ)す。犬、吠えて、咋(か)む。然、共(とも)に奴を殺し、婦を以つて、官に付(つきいだ)せり。〕これは「續搜神記」の文を、甚《いた》く省略したのだ。(五月十四日)(大正十二年六月『土の鈴』一九輯)

[やぶちゃん注:以上の最後のクレジットと初出書誌は底本には、ない。「選集」を参考にして補った。『土の鈴』は本書の編者でもある民俗学者本山桂川(『柳田國男「妖怪談義」(全)正規表現版 ひだる神のこと』で既出既注)が編集していた民俗学雑誌。

「隱州視聽合記」当該ウィキによれば、「隠州視聴合紀」(いん/おんしゅうしちょうがっき)は「隠州視聴合記」とも『表記する』とし、寛文七(一六六七)年に『著された隠州(隠岐国)の地誌で』、全四巻・地図一葉。『隠岐島に関する地誌としては現存最古のもので、原本の所在は不明であるものの』、『写本が点々と残されている。著者は不明であるが、当時の地誌類の中でも内容的に優れており、隠岐島の歴史を語る上で欠かせないものとされている』とあった。

「續搜神記」とあるが、これは「搜神後記」の誤りである。「中國哲學書電子化計劃」の影印本の原本のここから視認出来る。私は所持する平凡社『中国古典文学大系』の第二十四巻「六朝唐宋小説選」の六朝の志怪小説集「捜神後記」(伝陶淵明著(偽書説有り)・前野直彬訳・一九六八年刊)で読んだことがあるが、別に岡本綺堂の「中国怪奇小説集」(旺文社文庫一九八二年重版)でも読んだ。後者は「青空文庫」のこちら(分割版)の「烏龍」(うりゅう:岡本が勝手に附した標題)で読める(新字新仮名)。熊楠の言う通りで、引用は引用と言えず、抄録とも言い得ない杜撰なものである。]

 「續搜神記」の張然の犬が姦夫を殺した話に似たのが、南印度にもある。キングスコート夫人及びナテーサ・サストリー師合纂「日の話」(ロンドンで一八九〇年出板)一五五―一六〇頁に出ておるのを大要のみ譯出しよう。「正直ながら氣早過ぎた狩人と其忠犬の話」と云ふ題號のものである。

[やぶちゃん注:「題號」の頭の部分は、底本では、「正直きから」であるが、おかしいので、「選集」を参考に以上のように変えた。

『キングスコート夫人及びナテーサ・サストリー師合纂「日の話」』少し調べたが、結局、何も判らなかった。後に出るのも同前であったので、注さない。]

 或森にウグラヴヰラなる狩人《かりうど》、住み、其國の王に定額の稅を拂ふ取り極《き》めだつたところ、或る時、王から不意に、「千五百ポン、拂へ。」と命ぜられ、有らゆる財產を賣つたが、漸く、千ポンだけ、手に入れた。不足分の拵へ方が無いので、他に掛替《かけがへ》のない愛犬を近所の町へ牽行《ひきゆ》き、クベラといふ商人に、質入れし、證文ともに渡して、五百ボンを借り入れた。扨《さて》、眼に淚を浮かべて、其犬の名を呼び、「ムリガシムハ(獸中《けものぢゆう》の獅子)よ、吾《わが》忠犬よ、借金を返して了《しま》ふ迄、汝の新主人方を去るなく、是迄、吾れに仕へたと同樣、忠勤を勵んでくれ。」と敎訓して、名殘惜《なごりをし》げに立去《たちさつ》た。

[やぶちゃん注:「ポン」古代インドの金銭単位らしいが、不詳。仮にポンドに近い発音にしただけのことかも知れない。]

 其後、暫く有つて、クベラ、商用の爲め、外國へ旅行に出るに臨み、件《くだん》の犬を呼び寄せ、「よく戶《いへ》を守つて、盜賊や、その他の惡人を禦《ふせ》げ。」と云ふと、犬、「承知」の由を、眼と尾で、知らせた。其から、「每日、三度宛《づつ》、米と牛乳を、此犬に飼《やしな》へ。」と、妻に吩付《いひつけ》て出立《いでたつ》た。爾後、犬、よく、門を守り、妻も、數日間は、夫の命の通り、之を飼つたが、永くは續かず。全體、此女、表面と大違ひで、男、無くては、一夜も過《すご》されぬという、大淫婦だから、夫、往《ゆき》て、其夜から、色々、おかしな夢を見て、辛抱が成らず、セツチ部の若い惡漢《あつかん》を招いて、情夫とし、每々《たびたび》の入來《にうらい》に、晝も簞笥の鐶《かん》が、鳴り止まず。忠犬ムリガシムハ、『吾が新主は、主婦の斯《かか》る惡行《あくぎやう》を喜ばぬに相違ない。』と斷定し、一夜《ひとよ》、彼《かの》男、雲雨のこと、果てゝ立歸《たちかへ》る所を、其名の獅子奮迅の勢ひで、吭《のど》に食付《くひつ》き、殺して了《しま》つた。姦婦、驚いて、姦夫を助けに走り出たが、及ばなんだ。

 姦婦、何と愁歎しても、臍《ほぞ》を噬《かん》でも及ばず、それより下へは、猶、及ばないから、氣を取直《とりなほ》して、裏の畑へ屍骸を運び、只今迄、掘つて貰《もろ》ふた返しに、自分で、大きな穴を掘り、姦夫を埋《うづ》め、土と葉で蓋《おほ》ふたは、是非も、内證《ないしよ》で濟《すま》す積りの處を、犬は、十分、見知り居《を》つたので、主婦、之を忌むこと、一方《ひとかた》ならず、一切、食物を吳《くれ》ない故、止むを得ず、食後、飯粒の付《つい》た葉を、抛出《はふりだ》すを、拾ふて、纔《わづ》かに生《しやう》を聊《りやう》し乍ら、依然、主命通り、門を守つた。是は、「萬葉集」などにも見える如く、昔しは、吾邦でも、樹の葉に食物を盛つて喫したから、「膳」の字を「カシワデ」と訓《よ》ます如く、南印度では、古來、膳の代りに、葉を用いるから、かく言つたものだ。

 其から、二月《ふたつき》立つて、商人クベラが歸つて來ると、犬は、悅んで、走り就て、其足元に、轉げ𢌞り、其裾を銜《くは》て、畑へ引往《ひきゆ》き、姦夫を埋めた所の土を、搔いて、主人の顏を瞰《みつ》め、呻吟した。『扨は、此處を掘つて見よ。』と知らす事と察して、直ちに掘れば、壯漢の屍骸が出たから、『これは。間男に明巢《あきす》を振舞《ふるまつ》た。』と判じて、家に飛び入り、妻を捉へ、「白狀せずば、殺す。」と威《おど》して、逐一、自白せしめ、「畜生さへ、此通り、忠義なるに、斯る大罪を犯した上、犬を餓《うゑ》しめて、仕返しとは、犬の糞で、仇討ち以上の仕方、以ての外の、人畜生とは、汝のこつた。子のないだけが、『切られ與三郞』の面疵《おもてきず》同前、もつけの幸いだ。二度と顏を見せてくれるな。」と、自團太《じだんだ》踏んで突出《つきだ》したので、身から出た錆、何とも言ひ譯の仕樣無《しやうな》く、一言《ひとこと》も出ないから、責めて、尻から詫言《わびごと》と、屁《へ》を、七つほど、ひつて、逃去《にげさつ》た。飛ぶ鳥、跡を濁さぬと聞くに、亭主の留守に、大それたことをするのみか、逃げざま[やぶちゃん注:底本「さま」。「選集」で濁点とした。]にも、仰山《ぎやうさん》な屁を、手向《たむけ》て往く抔、怪しからぬにも程の有る阿魔《あま》だ。「人を以つて、犬に如《しか》ざる可《べ》けんや。」と、牛乳と飯と砂糖を取出《とりだ》して、タラフク、犬に食はせた後ち、「獸中の獅子よ、汝の忠義を謝すべき詞《ことば》が無い。今度、汝の盡力に比べて見ると、汝の舊主に貸した五百ポン位《ぐらゐ》は帳消しにして、なほ、餘借《あまり》有りだ。持《もつ》まじきものは、多婬の妻で、持つべき者は犬也けり。斯る忠犬に、離れた狩人の心根が糸惜《いとをし》ければ、只今、汝に暇をやるから、速やかに舊主へ歸るがよい。」と語り、狩人が差入《さしいれ》た證文の端を、少しく裂《さい》て、事濟みの印しとし、犬の口に銜へしめて、放ちやると、犬は、悅んで、森に向ひ、走つた。

[やぶちゃん注:「餘借」江戸時代の法令の中に、この熟語があるという記載を見つけたが、そこでは、ある借金があって、「それ以外の別な借金」という意味らしいとあった。しかし、ここは「余りある」の強調形に過ぎないから、敢えてこの二字で「あまり」と訓じておいた。]

 此時、狩人は、やつと、五百ポンの金を拵へ、利息を揃へて仕拂ふ爲め、商人方《かた》へやつてくる途上で、犬に逢ふと、大悅びで、走りかかつた。狩人、之を見て、「扨は。此犬、予の敎えに背き、予に逢ひたさの餘り、商人方を逃げ出した、不埒な奴だ。殺してやろう。」と葛(かづら)を取《とつ》て、其首に締めつけ、木の枝に懸《かけ》た。犬は、折角、『悅ばせう。』と、走り付《つい》て、こんなに縊《くび》られたから、薩張り、勘定が合はず。狩人、頓《やが》て、商人の家に到り、持參の金を、さらけ出すを見て、商人、いわく、「其れには、決して、及ばない。貴公の犬が、拙妻と云つたら、本當の拙妻で、予の不在中に、素性《すじやう》の知れぬ男を引き入れ、家名を汚《けが》した上、屁を、七つ迄、尻から言ひ譯抔と洒落て、ひり逃げにする程の、不貞腐《ふてくさ》れの姦夫を殺し吳れた忠節、既に五百金を償ふて餘り有り。因《よつ》て、先刻、兼て預り置いた證文を、其口に銜へさせて放ち遣つたに、貴公は逢はずや。何かしたと見えて、恐ろしい顏付《かほつき》だ。彼《か》の犬に、凶事でも有つたのか。」と聞きも果《はて》ずに、狩人は、五體を地に抛《なげう》ち、「ハア、早まつたり、そんな譯と知らずに、犬を殺して了つた。定めて、予を恨んでがな居《を》るだらう。」と言ふかと思へば、忽ち、短刀で、自《みづか》ら、突いて、矢庭に、死してんけり。商人も、「先刻、漸く、家に歸つて、女房の不貞を知り、屁を七つまで發射される。せめて、狩人が來る迄、俟《ま》つたら、犬も、人も、死なすまいに。」と、悲しさと、臭さに、氣を取詰《とりつ》め、狩人の手から、もぎ取つた刄《やいば》で、是亦、自殺した。

 此事、程無く、村中に聞え、狩人の妻、古い川柳に、「奧樣は夕べせぬのが無念也」[やぶちゃん注:底本では、「せぬ」の部分が、「✕✕」と伏字になっているが、「選集」で復元した。]と有る通り、「こちの人は、正直で、永らく不在で、漸く、金を拵らへ、歸つて、久し振《ぶり》の睦言《むつごと》も交へない内に、仕拂ひに出た斗《ばか》りに、自他を連ねて、こんな憂き目を見るといふは、何たる因果ぞ。自分、此上、永らへて、おかしな[やぶちゃん注:ママ。]夢抔見るも、物笑ひの種なれば、生延《いきのべ》て何かせん。」と、是亦、身を井戶に投げて死んで了ふ。商人の妻も、自分一人の心得違ひから、三人一疋といふ、人と犬の落命を惹起《ひきおこ》し、町へ出れば、「そりゃ。無類《むるい》の助兵衛女《すけべゑをんな》が通るは。屁を、七つまで、さても、根《こん》强く、よく、ひつたり。定めて、腰がしたゝかで有らう。」など、子供が、罵り附いて來るので、今更、世に在る望みも絕えて、是亦、自殺したと云ふ事だ。

[やぶちゃん注:以下、一行空けがある。]

 

 キングスコート夫人、右の談に附記して、其書二九二―三頁に述べたは、『一八三四年出板、「アジアチク・ジヨーナル新輯」卷十五に、カウンポールの一新聞紙から次の噺を引き居《を》る。』と序して、ダペーと名《なづ》くる行商人、ビロてふ犬を持つ。此犬、主人の旅行に伴《とも》して、主人の眠る間だに、よく其貨物を番した。時にダベー、穀《こく》を、遠方へ賣りに行かんとすれど、資本、なし。熟考の末、其犬を、千金に質入れして、用を足《たさ》んと、奔走するを、皆人、笑ふて、顧みず。ヂヤラムてふ富商、其犬を質《しち》に取つて、十二月《つき》を限つて、千金を貸した。十一ヶ月立つて、「こんな詰まらない物を抵當に、千金も貸したは、愚の骨張《こつちやう》[やぶちゃん注:「骨頂」はこうも書く。]。」と悔やめど、甲斐なし。然る處ろ、眞闇《まつくら》で恐ろしい一夜《ひとよ》、夥しく、刀の音と、犬の聲するに、眼を醒《さま》すと、一群の盜賊、闖入するを、犬が必死に成つて、防戰最中だつた。ジヤラム、何とか犬を助勢せうと思ふ内、犬、既に、二賊を嚙み殺した。第三の賊が、ジヤラム來たるを見て、其頭に打つてかゝる處を、犬、其吭に喰付《くひつ》いて、是も、斃《たふ》して了つた。騷動、畢《をは》つて、ジヤラム、「よくも、此犬を質に取置《とりお》いた。」と大悅び、翌日、犬を呼んで撫𢌞《なでまは》し、「汝、昨夜の功は、千金に優る。褒美に、今より、暇《いとま》を取らすぞ。」と云ふと、ビロ、首を振つて、『本主ダベーが歸つて來ない内に爰《ここ》を去る事は成らぬ』と云ふ意を表はした。ジヤラム、乃《すなは》ち、事由を書付《かきつ》け、「千金は、消し帳。」と記《しる》して、犬の頸に結付《むすびつ》けると、犬は、悅んで、飛𢌞《とびまは》り、ジヤラムの手を舐ねた後ち、本主を尋ねに立去《たちさ》つた。一方、ダベーは、「期限も遠からず、何とか、借金を濟まさん。」と心配した事業が、中《あた》つて、金が出來たので、「一刻も早く、犬を受け出そう。」と金を持つて、急ぎ歸る。今一足で、吾家といふ處で、バツタリ、犬が悅んで近寄るに出逢《であつ》た。素《もと》より、正直一徹の氣象とて、犬を蹴飛ばし、額に、皺、よせ、「此恩知《おんしら》ずめ。いつも可愛がつてやつたに、飛《とん》だことをしやあがる。十一ヶ月の間、奉公したのに、今三十日の辛抱が成らぬか、約束の日數《ひかず》を勤めないで、予の信用を失はしめた奴は、殺さにや成らぬ。」と云ふや否や、拔刀して、ビロを斬殺《きりころ》した。殺し了つて、頸に結びつけた紙に氣が付き、「なになに。『この犬、昨夜、白刄を冐《をか》して、三賊を殪《ころ》し、予の命を全うした功、千金に優る。依つて、其の主人に貸した千金を消し帳とし、犬を解放する。』と、ジヤラムの手筆《しゆひつ》だ。「そんな事とは、露知らず、燒芋の一つもやらずに殺したは、扨も、恩知らずめと、此主人を蔑《さげ》しむことで有ろう。」と、悔《くい》の、八千度、繰り返しても、跡の祭り、「せめて、幾分の罪滅しに。」と、只今、犬が殺された、其所へ埋《うづ》め了り、其上に、立派な碑を立てた。今も、其邊の土人が、犬に嚙まるゝと、其墓に詣り、墓邊《はかのべ》の塵を取り、歸つて、創《きず》に當《あつ》れば、忽ち、平癒す、と云ふ事だ。(大正十二年六月十四日早朝)(大正十三年五月『日本土俗資料』一輯)

[やぶちゃん注:最後のクレジットと初出書誌は同前で補ったもの。

 以下、一行空けがある。]

 

 人の情事に犬が關係した件《けん》を、今一つ、見出だしたから、申し上ぐる。和銅頃の筆といふ「播磨風土記」に、昔し、景行天皇、播磨の印南別孃(《いなみの》わきいらつめ)を訪《おとなは》んと、赤石郡《あかしのこほり》に到り玉ふ。其時、別孃、聞いて、驚き畏れ南毗都麻(なびつま)島に遁れ度(わた)る。是に於て、天皇、乃《すなは》ち、賀古の松原に到りて、覓《もと》め訪ひ玉ふ。是に於て、白犬、海に向《むき》て、長く、吠ゆ。天皇問ふて云《いは》く、「これ、誰《た》が犬ぞや。」と。須受武良首(すゞむらのをびと)對《こたへ》て曰く、「是、別孃、養ふ處の犬也。」と。天皇、勅して云く、「好く告《つぐ》るかな。」と。故に「告(つぐ)の首(おびと)」と號《なづ》く、と。其より、海を渡つて、孃に遇ひ、睦事《むつびごと》をなし玉ひし次第を、述べて居《を》る。畢竟、此孃、海島《かいとう》に遁れ隱れたのを、犬が吠《ほえ》て、其所を知らせたので、天皇、殊の外、御機嫌だつたと見える。(五月二十八日)(大正十二年六月『土の鈴』一九輯)

[やぶちゃん注:最後のクレジットと初出書誌は同前で補ったもの。

「和銅」七〇八年から七一五年まで。女帝元明天皇の治世。

「播磨風土記」現在、編纂が行われた期間は和銅六(七一三)年から霊亀元(七一五)年頃までとされている。

「印南別孃」播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ)。第十二代景行天皇の皇后。日本武尊の母。針間之伊那毘能大郎女(はりまのいなびのわかいらつめ)とも呼ぶ。「播磨風土記」では、逃げ隠れた場所を「南毘都麻(なびつま)の嶋」と記している。現在、兵庫県高砂市荒井町(あらいちょう)小松原(こまつばらにある三社大神社(グーグル・マップ・データ)に比定されてあるようである。]

佐藤春夫譯「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」正規表現版 「人に寄す」溫婉

[やぶちゃん注:書誌・底本・凡例等は初回を見られたい。本篇はここ。]

 

  人 に 寄 す

             萬 木 凋 落 苦

             樓 高 獨 任 欄

             誘 幃 良 夜 永

             誰 念 怯 孤 寒

                   溫  婉

 

人目も草も枯れはてて

高殿さむきおばしまの

月にひとりは立ちつくし

歎きわななくものと知れ

月をうかべたる波を見て

 

   ※

溫  婉  宋朝の妓女。 未詳。

   ※

[やぶちゃん注:朱衛紅氏の論文「佐藤春夫『車塵集』における古典和歌との交渉」(筑波大学比較・理論文学会刊の『文学研究論集』(二〇〇一年三月発行)。「つくばリポジトリ」のこちらからダウン・ロード可能)によれば(注記号は省略した)、

   《引用開始》

 この詩の原題は「初冬有寄」で、原作者の温婉は宋代の女流詩人である。

 原詩は、「すべての木々の葉が枯れて散り、私も落ちぶれてしまった。楼閣の欄干に私は一人もたれる。恋人と過ごす夜は、永遠に巡ってこない。帳の中でひとり寂しい寒さに怯える私を、誰が思うだろう」という意味である。吉川発輝は原誌の承句に誤記があるとして、「(原詩の筆者注)承句は「楼高独任欄」ではなく、「楼高独凭欄」とすべきである。言いかえれば、第四字「任」は「凭」の誤記である。『春夫詩抄』と『玉笛譜」などは「凭」となっている。訳詩の底本も「凭」となっている。」と指摘している。原詩の起句「万木凋落苦」は冬の荒涼たる光景を描写しており、「万」は承句の「独」と対句をなし、そこから、かつての大勢の人に臨まれていた過去を暗示していることがわかる。そして訳詩では、「人目も草も枯れはてて」と訳している。これは、「山里は冬ぞさびしさまさりける人めも草もかれぬと忠へば」(『古今集』冬・315、源宗子朝臣)を下敷きとした訳と考えられる。「かれぬ」は掛詞であり、「草」に対して「枯死する」という意味をもっと同時に、「人め」に対して「(時間的にも空間的にも)離れる、遠のく」または「うとくなる、関係が薄れる」を意味する。また、訳詩の「人目」は、訳詩に暗示された「大勢の人に囲まれていた過去」を具体化しているものである。吉川発輝は「原詩のように対句法を使っていない」と論じている。しかし「人目」が訳詩の転句にある「ひとり」にかかり、対句的な表現をなしていることがわかるのではないだろうか。原詩の「木」が、訳詩では「草」に訳されている。これにより、訳詩の起句、承句、転句の叙景が、「草」から「高殿」、そして「月」へと視線を次第に高くし、叙景に臨場感を与え詩情を高める効果を与えているのである。

 吉川発輝は訳語の起承二句について、「やはり七五調に訳されていて、りズムを主眼とし意を従としている。また韻律美に気を配りすぎて、原意を犠牲にした訳である。」と論じている。しかし上記の分析を試みることで、訳詩は原詩の詩情を十分に伝えていることがわかるのである。

   《引用終了》

と、見事な解析を示しておられる。

 以下、以上の朱衛紅氏の解説を参考にしつつ、「任」を「凭」に変えて、推定訓読を示す。

   *

 初冬(しよとう)に寄する有り

萬木(ばんぼく) 凋落(てうらく)して 苦(くる)し

樓(らう) 高(たかくのぼ)りて 獨り 欄(おばしま)に凭(もた)れり

幃(とばり)に誘(さそ)はれて 良夜(りやうや) 永(なが)し

誰(たれ)をか念(おも)はんや 孤寒(こかん)に怯(おび)へつつ

   *

「孤寒」孤独で寂しいこと。]

佐々木喜善「聽耳草紙」 一六四番 桶屋の泣輪

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここ。]

 

      一六四番 桶屋の泣輪

 

 或所の長者に齡頃《としごろ》の一人娘があつた。聟を貰ふ事になつてフレ出すと、三人の若い者が集まつて來た。大工と鍛冶屋と桶屋とであつた。

 長者は其中で一番テンド(技術)のよい者を聟にすることにした。まづ大工が家を建てることになり、鍛冶屋は(何をやつたか忘れた。)桶屋はコガ(大桶)を結《ゆ》ふことになつた。

 三人は自分のテンドウのある限りガンバつたが、鍛冶屋が到々《たうたう》[やぶちゃん注:漢字はママ。「到頭(たうとう)」が正しい。]一番先に仕上《しあげ》てしまつた。大工はまだ其時はカマズ[やぶちゃん注:不詳。溶かした鉄のことか。]が殘つて居て聟になりかねた。桶屋は最後の一輪を入れるところであつたが、少しの違ひで聟になりかねたので、泣き出した。

 それから桶屋が最後に入れる(結う)輪のことを、泣輪と呼ぶことになつた。

  (大正十五年六月、田植にて相模久治郞と云ふ人か
   ら聽いたと田中喜多美氏の御報告の分。)

 

梅崎春生「つむじ風」(その17) 「からみ合い」

[やぶちゃん注:本篇の初出・底本・凡例その他は初回を見られたい。]

 

     か ら み 合 い

 

 猿沢家のれいの三畳の私室で、猿沢三吉と浅利圭介は額をつき合わせ、ひそひそと相談を交していた。

「そうか。そういうことまで調べてきたか」

 三吉はたのもしげに、この有能な支配人の顔を眺めた。

「メザシ一本槍か。敵も決死の覚悟と見えるな。どうやってそこまで調べた? ノゾキでもやったのか?」

「ノゾキだなんてそんな下品なことは僕はやりませんよ」

 圭介は昂然と顔を上げた。

「出入りの商人に全部当って見たのです。この間までずいぶん買って呉れたのに、近ごろはさっぱりだと、皆こぼしていましたよ」

「酒屋はどうだった。恵之助の奴は大の酒好きの筈だが」

「特級酒を焼酎に切り下げたそうです」

「ううん。焼酎にしたか。煙草屋は?」

「息子はのんでいるが、親爺の方は全然禁煙をしたらしいですな。それから勇寿司ね、あそこにも全然足踏みをしないとのことです」

 勇寿司、という言葉を聞いて、三吉の眉はぴくぴくと痙攣(けいれん)した。かつて恵之助と、飯粒だらけになってつかみ合った古戦場なのである。

「猿沢さんもいよいよ覚悟をきめる時が来たようですな」

「そうのようだな」

 三吉は腕を組んだ。

「昨夜一晩ほとんど眠らずに考えたのだが、わしの考えとしてはだな、うちの三軒もとりあえず十二円に値下げをする。新築の方は突貫工事で完成して、泉湯に圧力をかける。さし当って、そういう対策を取りたいと思うのだがね」

「突貫工事の費用は、どこから持って来るのですか。高利貸ですか?」

「高利貸? とんでもない」

 三吉は身体を慄わせた。

「名古屋の方で、わしらの同業者が、高利貸から金を借りて、たいへんな目にあったそうだ。ある週刊雑誌に、その記事が出ていたよ」

「じゃあどうするんです?」

「上風徳行に頼んで見ようかと思う。あのタクシー会社は景気がよさそうだから」

 そして三吉は声を低めた。

「うちも十二円に値下げするからには、生活の切下げをしようと思う。それでなくては、とてもやっては行けない」

「その方がいいでしょうな」

「向うがメザシで来るなら、こちらは、そうだな、約豆と行こう。わしは納豆(なっとう)はあまり好きでないが、この際万止むを得ん」

「納豆はいいですな。消化はいいし、植物性蛋白質は豊富だし」

「それから従業員の給料も――」

 やや言いにくそうに三吉は発言した。

「一律に二割減らすことにしようと思う。危急の場合だから、これまた万止むを得ん[やぶちゃん注:「ばんやむをえん」。「万事(ばんじ)に亙(わた)って止むを得ぬ」で、ありとあらゆる状況が何もかも仕方がない状態にあることを言う。]

「従業員と言うと、僕もその中に入るんですか?」

「そ、そうだよ」

「そんなムチャな、一方的な――」

「そのかわりに、戦に勝ったら、君だけは五割増しにしてやるよ。な、それで我慢しなさい」

 三吉は慰撫につとめた。

「さあ。家族全員、茶の間に集まるように、あんたから伝えて下さらんか」

 

「以上のようなわけでだ、浅利支配人とも相談の上、わしんとこも十二円に値下げすることにした」

 茶の間のチャブ台を取巻いた家族たちの顔を、猿沢三吉はぐるぐる見廻した。

「十二円に値下げをすれば三吉湯の経済は必然的に赤字になる。だから各方面を節約して、赤宇を少くするようにしなければ、三吉湯は破産してしまう。まず第一に従業員の給料だ。これは一律に二割引きときまった。浅利君がそのように皆を説得して呉れることになった。なあ、浅利君」

 浅利圭介は眼をしょぼしょぼさせ、情なさそうにうなずいた。

「第二には家族の生活経費だ。泉湯の息の根をとめるまで、家族の衣類の新調は一切差止めとする」

「まあ、ひどい」

「まあ、ひどい」

 一子と二美は異口同音に、抗議の叫びを上げた。若い女性の身空として、衣類新調の禁止は、身を切るよりつらかろう。

「そんな横暴がありますか」

「基本的人権のジュウリンよ」

「お黙りなさい!」

 母親のハナコが娘たちを叱りつけた。ハナコは歳が歳であるから新調禁止令にはさほど痛痒(つうよう)を感じないのである。

「三吉湯が栄えるか亡びるかの、大切な時期なんだよ。少しはお父さんの気持も察して上げなさい!」

「そうだ。まったくだ。少しは察しろ!」

 三吉はハナコの言葉に便乗した。

「次には食事だ」

 三吉はまたぐるぐると一同を見廻した。

「浅利君とも相談したんだがね、一人一日当りの食費を、六十円であげて貰うことにする」

「六十円?」

 ハナコは反問した。

「おかず代が、一人一日六十円というわけですね?」

「おかず代じゃない。主食も含めてだ」

「主食も含めて、たった六十円であげろって? そんなムチャな?」

 ハナコは声を上げて嘆息した。

「それこそ基本的人権のジュウリンですよ」

 衣類新調禁止は平気だが、食い物の切下げということになると、ハナコも相当の食いしん坊であるから、承服出来るわけがない。

「何が人権ジュウリンだ!」

 予期せぬ反撃を受けて、三吉も声を高くした。

「かの泉親子は、近頃何を食べているか。浅利君の報告によると、朝は味噌汁一杯だけ。昼晩はメザシに梅干だけという話だぞ。うちだって泉の野郎に負けてたまるか!」

「米代だけだって、一日六十円はかかりますよ」

 ハナコは怒鳴り返した。

「配給米が一キロ七十六円五十銭、希望配給は八十四円五十銭。うちは皆食欲が盛んだから、一人当り三日で二キロは食べますよ。それともあなたは、おかず抜きで、メシだけ食べろと言うんですか!」

「メシだけ食えとは言わん。麦を混ぜればいいじゃないか。サッマ芋なら、もっと安くつく」

 三吉は口角泡を飛ばした。

「その浮いた分を、おかずに廻せ!」

[やぶちゃん注:「配給米」本篇連載時(昭和三一(一九五六)年)、未だ米(こめ)は食糧管理下に含まれており、配給米穀配給通帳(農林水産省発行で、市町村が職務代行で発給を行っていた)によって、国の許可した登録業者から米の配給を受ける管理制度が生きていた。後の昭和四四(一九六九)年から自主流通米制度が発足し、それに伴い四月一日から配給も登録業者以外からも受けられるようになり、昭和四七(一九七二)年三月二十八日を以って米穀は「物価統制令」の項目から除外された(以上はウィキの「米穀配給通帳」に拠った)。]

 

「サツマイモ?」

 ハナコは鼻を鳴らして冷笑した。

「まさか。戦争時代じゃあるまいし」

「我が家にとっては、戦争時代だ!」

 三吉は見得を切った。

「泉湯の野郎たちが、メザシに梅干という戦時体制をとっているのに、こちらだけ安閑として、ぜいたくをしておられるか」

「いいんですか。そんなことを言って」

 ハナコは膝を乗り出した。

「あたしはもちろんのこと、一子も二美も、オサツは大好きなんですよ。あなたがそういう覚悟なら、朝昼晩オサツの一本やりと行きましょう。それなら一人当り、六十円もかかりません。あとになって音[やぶちゃん注:「ね」。]を上げても、あたしゃ知りませんよ」

「そ、それは待って呉れ」

 三吉はたちまち狼狽した。

「な、なにもわしは、食事をオールサッマイモに切換えろ[やぶちゃん注:「きりかえろ」。]と言ってはいない。六十円の範囲内で、質素にして栄養のある食事をつくって呉れと言ってるだけだ。誤解してはいけない」

「…………」

「食事のみならず、生活のあらゆる面を質素化、簡素化して行こうと言うのだ。もちろんわしは、お前たちだけに強要するんじゃない。わしが陣頭指揮、率先垂範[やぶちゃん注:「すいはん」。]して、身辺のムダをはぶこうと思っている」

 その三吉の壮絶な隣組長的弁論も、折柄鳴り渡った電話のベルで中絶した。三吉はごそごそと部屋の隅の小机に膝行(しっこう)、受話器をとり上げた。

「はい。もしもし。こちらは猿沢でございます」

「もしもし」

 きんきんした女声が戻って来た。

「猿沢のおじさま。あたしよ。真知子よ」

 三吉はぎょっと背筋を固くした。

「今月分のお金、どうしたのよ。一葉全集も買わなくちゃいけないし、早く持って来てよ!」

「ま、まいど有難うございます」

 恐怖のため、三吉の声はわなわなと慄えた。

「明日にでもおうかがいします」

「明日じゃ遅過ぎるわ。今日持って来て。持って来ないと、こちらから押しかけるわよ」

「で、では、今日、今から早速、おうかがいします」

 三吉はがちゃりと電話を切り、そっと掌で額の汗を拭いた。ハナコが訊ねた。

「誰からかかったの?」

「上、上風社長からだ」

 そして三吉は、ふうと大きな溜息をついた。

「すぐ来て呉れというのだ」

「上風社長に、毎度ありがとうございますってのは、へんじゃないの」

 ハナコはいぶかしげに、三吉の顔をのぞき込んだ。

「上風社長は三吉湯のお客じゃないわ」

「お客じゃなくても、毎度ありいとあいさつするのは、風呂屋の主人としての心掛けだ」

 三吉は強引にごまかした。

「わしに何十年もつれそっていて、そのくらいのことが判らないのか」

「はい」

  ハナコは不承々々口をつぐんだ。その機を逃がさず、三吉はすっくと立ち上った。

「さあ、わしはちょっと出かけて来る。浅利君。三吉湯三軒の表に、十二円の値下げの告示を貼り出しておいてくれよな」

 愛用のおんぼろ自動車を操縦しながら、猿沢三吉はしんから大きく吐息した。

「まったく驚かせやがる。うちに電話をかけるなと、あれほど言って置いたのに、何たることだ。真知子のやつめ!」

 憤懣やる方ない面もちで、三吉はつぶやいた。

「ハナコに聞かれたら、半殺しの目にあうじゃないか」

 鼓動はようやく収まったけれども、三吉の血圧はかなりはね上っていた。ショックを受けることが、高血圧症にはもっとも悪いのである。

 三吉の自動車は警笛を鳴らしながら、やがて上風タクシーの構内に入って行った。

 社長室で上風徳行は、はさみをチョキチョキ鳴らして、相変らず顎鬚の手入れに余念がなかった。

「やあ。久しぶりだね」

「うん。忙しいのなんのって」

 三吉は上風に向い合って、どっかと椅子に腰をおろした。

「時に上風君。すこし金を融通して呉れんかね」

「金?」

 上風ははさみの手を休めた。

「いくらぐらいだね。何に使うんだい?」

「五十万でも、三十万でもいいよ」

 三吉は片手拝みをした。

「あの新築三吉湯を、早く建ててしまいたいんだ。ところがどうしても金繰りがつかないんだ。あんただけがたよりだよ」

「よして呉れよう」

 上風もはさみを置いて、片手拝みの姿勢となった。

「三十万、五十万だなんて、おれの方がよっぽど借りたいよ。近頃おれんちの野郎ども、気がたるんどると見えて、毎日一件か二件、通行人を轢(ひ)き殺したり、はね飛ばしたりしてるんだよ。弔慰金で、おれんちも上ったりだよ」

「そうかい」

 三吉はがっくりと首を垂れた。

「そいつは弱ったなあ」

「お互いに、不景気風が身にしみ渡るねえ」

「では、二万円、いや、一万五千円でもいいよ」

 三古は首を垂れたまま、掌をつき出した。

「今、貸して呉れえ」

「一万五千円? そりゃずいぶん切下げたもんだな。何に使うんだい?」

「今月分の真知子の手当だ」

 三吉は口惜しげに舌打ちをした。

「うちに電話をかけるなと、あれほど言っといたのに、電話で催促しやがったんだよ。それで泡食って飛び出したんで、財布持ってくるのを忘れたんだ」

「ほんとに忘れたのかい?」

 上風は疑わしそうに三吉を見ながら、内ポケットに手を入れた。

「一週間内に返して呉れよ」

「返すとも」

「返さなきゃ、あんたの自動車を取り上げるよ」

 紙幣束といっしょに、紙とペンを上風はつきつけた。

「一筆書いて呉れよ。自動車を担保に入れるってさ」

「わしの信用も下落したもんだなあ」

 悲痛な声で嘆きながら、三吉はペンを取り上げた。

 

 富士見アパートの横丁に小型自動車が止まり、運転席から猿沢三吉の肥軀[やぶちゃん注:「ひく」。]がごそごそと這い出てきた。アパートの玄関で、折柄出て来た陣太郎と、三吉はぱったりと顔を合わせた。

「おや。陣太郎君か」

 三吉はあたりを見廻し、なるべく唇を動かさないで発声した。スパイの陣太郎と話しているところを、真知子に見られたら、具合が悪いのである。

「おお。猿沢さん」

 陣太郎も調子を合わせて、腹話術的発声法をした。

「真知子は在宅中ですよ」

「知ってるよ。電話がかかってきたんだ」

 三吉は渋面をつくった。

「まだ真知子のやつは、浮気をしないかね?」

「まだやらないようですな。割に品行方正です。猿訳さんだけで満足してるんでしょう」

「満足だなんて、そんな――」

 三吉は嬉しそうな、悲しそうな、また迷惑そうな顔をした。

「これからもよく見張りを続けて呉れ。ぬかりなく頼むよ」

「承知しました」

 陣太郎は合点々々をした。

「それから、おれ、そろそろ生活費がなくなって来たんですよ」

「生活費?」

「とぼけちゃいやですよ。おれに月一万円の生活費を出すという――」

「この間出してやったばかりじゃないか」

 三吉はたまりかねて、唇をぱくぱく動かした。

「まだあれから一ヵ月は経たんぞ」

「でも、なくなったから仕様がないですよ」

 陣太郎の方は相変らず、唇をほとんど動かさなかった。

「金がなくては、生活出来ない。では、おれ、泉恵之助のところに、貰いに行こうかなあ」

「ま、まって呉れ」

 三吉はあわてて両掌を突き出した。

「恵之助に真知子のことを、しゃべるつもりか」

 陣太郎はあいまいな笑いを頰に走らせた。

「と、とにかく、三四日待って呉れ。わしだって苦しいんだ。待てぬことはなかろう」

「三四日ですね。よろしい。待ちましょう」

 陣太郎は胸板をたたいた。

「では今日は、ゆっくり楽しんで下さい」

「浮気のこと、くれぐれも頼むよ!」

 今日は楽しみに来たんじゃないんだぞ、と怒鳴りたいのをこらえ、三吉は忌々(いまいま)しげにそう言い捨て、階段をかけ登った。その後姿が見えなくなって、陣太郎はおもむろに富士見アパートの玄関を出た。

「さて。今日は加納明治を訪問するとしようか」

 とっとっと歩きながら、陣太郎はつぶやいた。

「三吉おやじも相当にしけて来たらしいな」

 三吉は二階の廊下をのそのそ歩き、真知子の部屋の前に立ち止った。扉をコンコンとたたいた。中から声がした。

「どなた?」

「わしだよ」

「ああ、おじさま」

 ノブが廻り、扉は内側から開かれた。真知子の白い顔がのぞいた。

「今月分のお手当、持ってきて下さった?」

 

「持ってきたよ。持って来りゃいいんだろ」

 猿沢三吉は仏頂面のまま、部屋に上り、机の前にどしんとあぐらをかいた。

「何を怒ってらっしゃるの?」

 真知子は茶の用意をしながら、やさしい声で言った。

「おじさまには、怒った顔は、似合わないわ。やはり、にこにこ顔の方が似合ってよ」

「にこにこ笑っていられるか!」

 三吉は腹立たしげに机をどんと叩いた。

「あれほど電話をかけるなと言っといたのに、真昼間[やぶちゃん注:「まっぴるま」。]から電話をかけて来るなんて、わしだったからよかったようなものの、出たのがハナコだったらどうする。身の破滅じゃないか!」

「あら。他の人だったら、あたし、すぐ切るつもりだったのよ。はい、お茶召し上れ」

「いくら切るったって、そんな無謀な」

 三吉は茶碗を取り上げた。

「わしは血圧が高いんだぞ。あんまりわしを驚かせるな。これ以上ギョッとさせると、わしは卒倒して、たちまち死んじまうぞ。わしを殺すつもりか」

「まあ、なんて大げさな」

 真知子は首をかしげ、可愛ゆく嘆息した。

「おじさまを殺すわけがありますか。おじさまが死ねば、第一に困るのはあたしなのよ。折角卒業までの学資が保証されてるのに、今コロリと行かれちゃ、一体あたしはどうしたらいいの? 学校をやめろとでも言うの?」

「だからわしを、大切にしなさいと言うんだ。電話をかけるなんて、もってのほかだ」

「だって、いくら待ってても、今月分持ってきて下さらないんですもの」

 怨ずるような視線を、真知子は三吉に向けた。

「そう言うけれども、わしんちも苦しいんだよ。経済失調にかかってるんだよ。あんたも知ってるだろう。泉湯とのせり合いで、三吉湯も十二円に値下げということになったんだよ」

 三吉はいかにも惜しそうに、内ポケットから紙幣束を引きずり出した。

「これだって、友人から、血の出るような借金をして来たんだ。これ、一週間内に戻さなきゃ、自動車を捲き上げられてしまうんだよ」

「あのボロ自動車を?」

「ボロであろうとなかろうと、自動車は自動車だ!」

 けなされて三吉は若干いきり立った。

「あの自動車がなけりゃ、わしはここに通って来れないんだぞ」

「都電に乗って来ればいいじゃないの」

「都電なんかで、二号通いが出来ますか。ばかばかしい」

「あら。どうして?」

 真知子はいぶかしげな顔をした。

「自動車だって都電だって、変ったところはないじゃないの」

「変ったところはあるよ。しかし、その問題はそれでよろしい」

 三吉はいらだたしそうに話を打ち切った。

「そこでだね、泉湯のバカおやじという奴が、また頑固なやつで、そのうちに十円に、また八円に、値下げして来るかも知れない。それに対抗するには、どうすればいいか」

「こちらも値下げすればいいじゃないの」

「そうだろう」

 三吉は大きくうなずいた。

「値下げに値下げを続ければ、わしんちの経済はどうなるか。あんたにも判るだろう」

 

「そりゃ判るわ」

 真知子は平然として答えた。

「値下げすればするほど、収入が減って、おじさまは貧乏になるんでしょう」

「そうだ」

 猿沢三吉はぽんと膝をたたいた。

「先刻も、あんたから電話があった時、わしは家族一同に対して、一場の演説をしていたのだ」

「演説? おじさまが?」

 真知子はあわてて掌を口の蓋にした。

「笑うな」

 三吉はすこし気を悪くして、語調を荒くした。

「わしだって、必要があれば、演説ぐらいはする!」

「どんな演説なの?」

 口から掌を離して、真知子は三吉にながし目を送った。

「あたしも聞きたかったわ」

「うん。わしが陣頭指揮、率先垂範して、身辺のムダを省こうといった趣旨のものだ」

 たちまち三吉は機嫌を直して、またぽんと膝を打った。

「な、判るだろ。身辺のムダを省こうと公言した手前だな、あんたという存在を、今後もずっと続けて行くというわけに――」

「あ、あたしのことを、ムダだと言うの!」

 きりりと真知子は柳眉を逆立てた。

「あたしのどこがムダなのよ。バカにしてるわ。あたし、怒るわよ」

「あ、あんたの全部がムダだとは言ってない」

 三吉はあわてて両掌で空気を押した。

「つ、つまりだな、あんたという女性は実に立派な女性だが、わしにとってはもうゼイタクであり、ムダであるというわけだ。な、収入がごしごし減って、わしは貧乏になるんだよ。その貧民のわしが、立派な女性であるあんたを囲うなんて、こりゃ全然ムダ――」

「おじさまにとって、あたしがムダであっても、あたしにとって、おじさまは全然ムダでないのよ」

 真知子はぱしりと机をたたいた。

「ムダどころか、大の必要物なのよ。初めからの契約じゃないの。卒業までは絶対に離さないわ。離してたまるもんですか!」

「そ、そこを何とか!」

「ダメ!」

 甲(かん)高い声で真知子はきめつけた。

「おじさま。そんな身勝手がありますか。卒業までは確実に面倒を見るって、最初からの契約ですよ。それを身勝手に、一方的に破棄しようなんて」

「い、いかにもそんな契約をした」

 三吉はおろおろと抗弁した。

「しかしだね。あの契約当時は、わしも商売は繁昌、ふところもあたたかかった。だからあんな契約もむすんだのだ。ところが今は、ごらんの通り、経済失調と相成った。ね、考えても見なさい。わしがあんたに飽きたとか、嫌いになったとかで、契約を破ったのなら責められもしよう。ところがそうじゃなくて、貧乏になって囲い切れなくなったんだから、そこを何とか――」

「貧乏、貧乏というけれど、おじさまが勝手に貧乏になったんじゃないの。その責任をあたしにまで負わすなんて、不合理だわ。不合理もはなはだしいわ!」

 真知子はますます言いつのった。

「それなら値下げしなきゃいいじゃないの」

 

「わしだって、好きこのんで、値下げ競争してるわけじゃない」

 猿沢三吉は口をとがらせた。

「泉湯のやつが値を下げるから、こちらも値下げせざるを得ないのだ。な、頼む!」

 三吉は座蒲団からずり下り、畳に両掌をぴたりとついて、頭を下げた。

「男のわしが両手をついて、頭を下げ、熱涙[やぶちゃん注:「ねつるい」。]と共に頼むのだ。な、つらかろうが、この際何も言わず、わしと別れて呉れ!」

「…………」

「わしに未練もあるだろうが、そこを思いあきらめて、いさぎよく身を引いて呉れ」

 三吉は右腕を顔に持って行き、涙をぬぐう真似をしながら、悲痛な声をしぼり出した。

「あんたと別れるのは、このわしもつらい。血の涙が出るような気持だ。な、わしの気持も察して呉れ!」

「別れてあげるわよ」

 真知子は面倒くさそうに口を開いた。

「え? 別れて呉れるか」

 三吉の面上にたちまち喜色がよみがえった。

「そ、それは有難い!」

「別れては上げますけどね、退職金は呉れるんでしょうね」

「え? 退職金? 手切金のことか?」

「そうよ。今まで真面目に勤めたんだから、退職手当ぐらい呉れたって、当然でしょう」

 真知子はつめたい声になった。

「退職金は、六ヵ月分でいいわ」

「六ヵ月分?」

 三吉は仰天した。

「すると、六万円か」

「そうよ。一週間以内に支払ってちょうだい」

「六万円とは、いくらなんでもムチャな」

 三吉は長嘆息をした。

「二万円ぐらいなら、どうにか都合もつくが、六万円なんて、そんな無法な――」

「では、別れて上げないわ」

「別れて上げない、とは何だ!」

 ついに三吉はむっとして、声を高くした。

「わしも男だぞ。元来男には女を捨てる権利があるんだぞ。その権利を、行使しようと思えば出来るのだが、そこを辛抱して、頭を下げてこうして頼んでいるのだ」

「…………」

「最後の提案として、わしは手切金として、二万円だけ出そう。それ以上はビタ一文も出さん!」

 三吉は肥った手首から、決然と腕時計を外した。陣太郎の真似をしようと言うつもりなのである。

「一分間だけ、わしは返事を待とう。それ以上は待たないぞ。いいか。あと六十秒。五十五秒。五十秒」

「…………」

「あと三十秒……二十五秒」

「…………」

「あと五秒」

 三吉はじろりと真知子を見上げて催促した。

「あと五秒だぞ」

 その瞬間、真知子は白い咽喉(のど)をそらして、けたたましく笑い出した。

「何を笑うんだ」

「そんなバカな真似をするからよ」

 真知子は笑いにあえぎながら言った。

「おじさまじゃラチがあかないわ。あたし、今から、ハナコおばさまに逢(あ)いに行くわ」

「そ、それは待って呉れ!」

 三吉は狼狽のあまり、声をもつらせた。

 

「またやって来たのか」

 加納明治は玄関に立ちはだかり、うんざりしたような声を出した。

「一体何の用事だ? まあ上れ」

「では、上らせていただきます」

 陣太郎はごそごそと靴を脱いだ。加納につづいて、廊下を書斎に歩いた。

「この間はいろいろ失礼致しました」

 陣太郎は両手をぴたりとつき、折目正しく頭を下げた。

「今日は小説のつづきを、少々持って参りました」

「小説? ああ、小説か。忘れてたよ」

「忘れるなんて、ひどいなあ」

 陣太郎はポケットから、折り畳んだ数枚の用端を取出し、うやうやしく加納に差出した。

「もうこれで完結したのか?」

 受取りながら加納は訊ねた。

「いえ。まだです。継続中です」

「まだか。終りまでまとめて持って来たらどうだね」

 加納は表情を渋くした。

「僕は忙しいんだよ。そうそう人に会っている暇はない」

「どうも済みません」

「今日は一人か。あの背高のっぽの秘書君はどうした?」

「ああ。あれはクビにしました」

 そして陣太郎は忌々しげに舌打ちをした。

「あいつは実に悪いやつです。あれを雇い入れたのは、全くおれの眼の狂いでしたよ」

「へえ。そんな悪者かね?」

 職業柄興味をもよおしたと見え、加納はひざを乗り出した。

「見たところ、純情そうな、善良な青年らしかったじゃないか」

「それは猫をかぶっていたのです。まったくとんでもない野郎だったよ、あいつは!」

「何か害でもこうむったかね」

「ええ。害も何も、さすがの陣太郎さんも散々でしたよ。手荒くやられましたよ。アッ、そうだ」

 陣太郎はものものしく膝を乗り出し、声を低くした。

「あの野郎。とんでもない難題を先生にふきかけようとしてるんですよ」

「え? 僕に? どんな難題だい?」

「あの先生の日記ね、おれの油断を見すまして、ちゃんとカメラに撮ってしまったらしいんですよ。全く油断もすきもない奴だ!」

「え? カメラに撮った?」

「ええ。そのネガと引伸し写真をおれに見せびらかしやがってね、これで加納先生から二十万円いただくんだなんて――」

「ムチャ言うな。ムチャを!」

 加納はたちまち顔面を紅潮させ怒声を発した。

「二十万円だなんて、そんな大金が僕にあるか!」

「そうでしょう。おれもそう言ってやったんですよ。二十万円はムチャだとね」

「すると背高のっぽは、何と言った?」

「何とか彼とか御託を並べてやがるんですよ。だから、おれ、怒鳴りつけてやった。二十万円はムリだから、十万円にしろってね」

「十万円?」

「するとあいつ、とたんにへなへなとなってね、十万円でもいいから、万事松平先生にお願いしますと、こう言うんですよ」

 

「十万円。それを君は引受けてきたのか」

 押さえつけた声で言いながら、加納明治は陣太郎をにらみつけた。

「この間十万円をやったばかりじゃないか」

「はい。たしかにいただきました」

「あの時、君は何と言った? 家令の件については、もうこれ以上迷惑はかけないって、そう言ったな」

「だから、おれは何も要求していませんよ。悪いのは竜之助のやつですよ」

「いくら竜之助が悪いといっても、カメラに撮られた油断という点においては、君に責任がある!」

「そうです。その点は、たしかに、おれの手抜かりでした」

 陣太郎はばか丁寧に頭を下げた。

「どうも済みませんでした」

「済みませんで済むことか」

 加納ははき出すように言った。

「帰って竜之助に伝えなさい。十万円は絶対に出さん。五万円ぐらいなら、出してやらないこともないが、それ以上はビタ一文も出さぬって、そう伝えろ!」

「そ、それじゃあおれの立つ瀬は、ないじゃないですか」

 書斎の外の廊下に、先ほどから秘書の塙女史が身をひそめて、じっと聞き耳を立てていた。妙な風来坊の出入りの理由を、探ろうとの魂胆なのであろう。

「おれは十万円で引受けてきたんですよ。男が一旦引受けて、それを半額に値切られ、おめおめと戻れますか!」

「僕に相談もせず、勝手に引受けて、何を言う!」

 加納の声は激した。

「五万円だ。現物引換え、以後一切迷惑をかけぬという条件で、五万円だ!」

「十万円!」

「五万円だ!」

「引受けた以上、おれはどうしても十万円要求します。先生が十万円、出す意志があるかないか――」

 陣太郎はごそごそと腕時計を外(はず)し始めた。

「一分間だけ待ちましょう!」

 その陣太郎の動作を見ると、加納明治は直ちに猿臂(えんぴ)をパッと違い棚に伸ばし、置時計をわし摑みにした。

「よろしい」

 陣太郎はにやりと頰に笑いを刻み、外しかけた腕時計を元に捲きつけた。そこで加納も置時計から掌をもぎ離した。

「月並な手続きは省いて、五万円におまけすることにしましょう。竜之助にはしかるべく説得して置きます」

「あたりまえだ」

 加納は苦り切ったまま答えた。

「現物はどこにある? どこで引換えるんだい?」

「そうですな。今夜の七時、新宿のヤキトリキャバレーではいかがです?」

「ヤキトリキャバレー?」

 永いこと塙女史に外出を禁止されていたものだから、加納も近頃世情にうとくなっているのである。

「そんなものが出来たのか」

「あれ。先生、知らないんですか。では地図を書きましょう」

 陣太郎はノートを破り、鉛筆でさらさらと書き始めた。それをのぞき込みながら、加納は念を押した。

「これ以上迷惑をかけると、ほんとに承知しないぞ!」

 

 午後六時、加納邸の食堂において、加納明治はスープを半分飲み、ヨーグルトを一匙舐めただけで、席を立とうとした。卓上にはまだ肉料理とか、サラダとか強化パンなどが、そのまま手付かずで残っている。

「召し上らないんでございますか?」

 調理台の方から、秘書の塙女史が声をかけた。加納は答えた。

「うん。食欲があまりないんだ」

 加納と塙女史との確執は、そのまま冷戦に移行していたが、近頃加納が気がくじけて弱気になっているために、冷戦の形のまま溶けかかって行く気配が見えるのである。

「なぜ食欲がおありになりませんの。何か心配ごとでも?」

 加納は黙っていた。すると塙女史はおっかぶせるように口をきいた。

「今晩、ヤキトリキャバレーにお出かけになりますの?」

「ヤ、ヤキトリキャバレー?」

 加納はやや狼狽の色を見せたが、たちまち憤然と口をとがらせた。

「さてはなんだな。塙女史は立ち聞きをしたな!」

「はい。しました」

 塙女史はわるびれずに答えた。

「あんなチンピラ風来坊におどされて、金を捲き上げられるなんて、恥かしくありませんの?」

「なに!」

 加納は肩をそびやかしたが、見る見る肩の高さを元に戻して、口惜しげな声を出した。

「じゃあ、どうしたらいいんだい。チンピラ風来坊だなんて言うけれど、女史に撃退出来るのか」

「出来るのかとは何です」

 塙女史は昂然と眉を上げた。

「先生の秘書として、あんなのを撃退するなんて、何でもありません」

「それはまた大きく出たもんだな」

 加納は投げ出すように言った。

「では、女史にまかせることにするか」

「あいつはチンピラだけでなく、インチキです。たしかにインチキ男です」

 塙女史は声を大にして断言した。

「あの人相でそれが判りますわ。わたしもしばらくドッグ・トレイニング・スクールで働いたことがありますから、顔かたちや表情で、内部を見抜くことができますのよ」

「おいおい。犬相と人相とは、一緒にはならないよ」

「いいえ。犬も人間も、大元のところでは同じです」

 女史は腹だたしげに、トンと床を蹴った。

「松平の御曹子なんて、インチキにきまってますわよ」

「インチキかなあ」

 加納は自信なさそうに首を傾けた。

「でも、あいつは、松平家の内部について、いろんなことを知ってるようだよ。たとえば御譜代会とか――」

「そんなの、ちょっと本で調べりゃ、すぐ判りますよ」

 塙女史は電話の方角をきっと指差した。

「ためしに、世田谷の松平家に、電話をかけてごらん遊ばせ。陣太郎というどら息子がいるかいないか」

「そうだな。一度電話してみる必要があるな」

 加納は腰を浮かせた。電話の方に歩いた。

 

 午後七時半、ヤキトリキャバレーの片隅に、加納明治は小さくなって、ひとりでハイボールを砥めていた。慣れない場所だし、周囲のほとんどが年若い客なので、どうしても小さくならざるを得ないのである。

 その時階段をかけのぼり、足どり軽く入ってきた陣太郎が、その加納の背中をぽんと叩いた。

「やあ。先生。お待たせしました」

「お待たせしましたじゃないぞ」

 加納は眼を三角にして、陣太郎を見上げた。

「見ろ。三十分も遅刻したじゃないか」

「ええ。なにしろねえ。竜之助を説得するのに、すっかり時間を食っちゃったんですよ」

 陣太郎はごそごそと、加納の傍の席に割り込んだ。

「それで説得出来たのか?」

「ええ、おれがこんこんと言い聞かせたものですから、やっこさん、すっかり前非を悔いて、涙をぽろぽろ流していたようです」

「そうか。それじゃあタダでネガを戻すと言うんだな」

「いえ。五万円ですよ。タダとは先生もずるいな」

「だって今、竜之助はすっかり前非を悔いたと言ったではないか」

「そうですよ。十万円も要求したという点で、前非を悔いたんですよ。僕としたことが、十万円も要求するなんて、大それたことだ、五万円で我慢すべきだったと、涙をぬぐっていましたよ」

「へんな論理だなあ」

 加納は呆れて、陣太郎の顔をじろじろと見廻した。陣太郎はけろりとして、指を立て、ハイボールを注文した。

「時に、訊ねるが、君の本邸は世田谷だと言ってたな」

「そうですよ。世田谷の松原町」

「今日僕はその世田谷邸に、電話をかけた」

 加納は眼をするどくして、声にすご味を持たせた。

「すると、陣太郎などという人は、全然知らないという話だったぞ。これは一体どういうわけなんだ!」

「あれ、電話をかけたんですか。そりゃまずいことをしたなあ」

 卓をたたいて陣太郎は長嘆息をした。

「それは知らないというわけですよ」

「何故だ?」

「だって今、本邸では、相続問題で、てんやわんやなんですよ。それに――」

 陣太郎はあたりを見廻して、声を低めた。

「まだ先生には話してなかったけど、おれ、実は、妾腹の子なんですよ」

「妾腹?」

「ええ。だからねえ、そこらの問題がいろいろこじれているから、外部から電話をかけて、陣太郎って知ってるかと聞いても、知っていると答えるもんですか。内部のごたごたをさらけ出すようなもんですからねえ」

「…………」

「新聞記者にかぎつけられたんじゃないかと、きっと今頃本邸は大騒ぎしてますよ。先生は自分の名を名乗ったんですか?」

 加納はしょぼしょぼと首を振った。

「まったく先生は余計なことをしましたなあ」

 陣太郎はハイボールをぐっとあおった。

「時に、五万円、持って来たでしょうね」

 加納は更にしょぼしょぼとなり、がっくりとうなずいた。

 

2023/07/20

佐藤春夫譯「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」正規表現版 「松か柏か」子夜

[やぶちゃん注:書誌・底本・凡例等は初回を見られたい。本篇はここ。]

 

  松 か 柏 か

             歡 從 何 處 來

             端 然 有 憂 色

             三 啼 不 一 應

             有 何 比 松 柏

                   子   夜

 

どこでどうして來やつたか

凛々しい主(ぬし)がうれひ顏

三度よぶのに知らぬふり

松か柏かきのつよい

 

[やぶちゃん注:「子夜」は五首既出。佐藤の作者解説は、その最初の「女ごころ」を参照。「楽府詩集」の巻四十四の四十二首の其二十九である。以下、推定訓読を示す。

   *

 小夜歌

歡(よろこび)は何(いづ)れの處(ところ)より來たらん

端然(ふか)く 憂ふる色(いろ)有り

三(み)たび啼(よ)ぶも 一(ひと)たびの應(いら)へもせず

松か柏(このてがしは)かに比(くら)ぶるの 何ぞかに有らんや

   *

・「端然」読みは、高橋未来・佐藤正光共著の論文「中華書局編輯部編『詩詞曲語辞辞典』に見る唐詩の特徴的な用法について(6)」(『東京学芸大学紀要』(人文社会科学系Ⅰ・巻 七十三・二〇二二年一月刊。同大学のリポジトリのこちらからダウン・ロード可能)に、この第一句と第二句を示されて、『端然は「深深地(ふかく)」というのに同じ』とあるのに従った。

・「柏」は中国では古来から、本邦の被子植物門のブナ目ブナ科コナラ属コナラ亜属コナラ族 Mesobalanus 節カシワ Quercus dentata とは全く縁のない別種である、裸子植物門マツ綱マツ目ヒノキ科コノテガシワ属コノテガシワ Platycladus orientalis を指す。中国北部の原産とされ、韓国・中国北部に分布するが、本邦では、園芸品種が人気で、庭木・生け垣・鉢植えなどでよく見かける。私の家にも嘗つて、教え子が呉れたものが、一メートル半まで伸びてあった(惜しくも十数年前の台風で折れてしまった)。中文の同種のウィキによれば、中国では、寺院・墓などに好んで植えられ、家具や寺院・霊廟の建築材としてもよく用いられるとあった。]

佐々木喜善「聽耳草紙」 一六三番 長い名前(二話)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]

 

      一六三番 長い名前(其の一)

 

 或所に子供を持つが何時(イツ)も亡くして困る人があつた。新しく子供が生れたので、今度こそは長生《ながいき》をさせたいと思つて、お寺の和尙樣の處へ行つて聞くと、そんだら長助と名をつけめされと敎へられた。ところが長助ではあまり短かくて何だか氣に染まらないので、もつと長い名前をつけて、たもれやと賴んだ。すると和尙樣は左のやうな長い名前をつけてくれた。

  一丁ぎりの丁ぎりの、丁々ぎりの丁ぎりの、

  あの山越えてこの山越えて、チヤンバチヤク

  助、挽木《ひきぎ》の挽助

 親達はよい名前だと言つて喜んで居た。

 或時、親は其子供を連れて山へ行つた。谷川の一本橋を渡る時、子供が誤つて、川へ落ちてしまつた。親者人《おやぢやびと》は魂消《たまげ》て、あれあれ俺ア家の、一丁《いつちやう》ぎりの、丁ぎりの、丁々ぎりの丁ぎりの、あの山越えて此山越えて、チヤンバチヤク助、挽木の挽助が川へ落ちて流れたから助けてたもれチヤと叫んで居るうちに、時刻《とき》がたつて水を呑んでとうとう[やぶちゃん注:ママ。]死んでしまつた。

  (私の祖父のよく語つた話であつた。稚《をさな》い
   記憶の中から。)

[やぶちゃん注:ウィキの「寿限無」の起原の「民話起源説」には、『『長い名の子』タイプの民話と落語『寿限無』は類話である』。『日本の昔話(民話)の学術的な収集が始まったのは』一九一〇『年代』(明治末から大正前半)『からで』、『これは書物の『欲からしづむ淵』』(江戸の笑話集である噺本「軽口御前男」(元禄一六(一七〇三)年)刊)所載)『や『一子に異名を付けて後悔せし話』』(江戸初期の怪奇談本「聞書雨夜友」(ききがきあまよのとも:文化二(一八〇五)年刊)所収)『よりも後である』。『寿限無の出典は昔話集』「聴耳草紙」かも『しれないという説があった』(注によれば、野村無名庵の著「落語通談」(昭和一八(一九四三)年高松書房刊)の「横町の隠居」に拠るらしい)。「聴耳草紙」は『岩手県の昔話集で、「長い名の子」『話は三種掲載されている』(「其の二」の附記の内容を三種目として数えている)。『そのうちの一話は著者佐々木喜善』『自身が幼少期の回想から復元したものだが』、『遡れるのはそこまでである』「聴耳草紙」『掲載のバージョンが『長い名の子』話の起源だといえる理由は示されていない』とあった。また、ウィキの「長い名の子」には、やはり、本篇が参考例示されてある。しかし、以上の二つを通覧するに、「聴耳草紙」起源説は肯んじ得ない。遡れるのは、以上の江戸中期の話柄である。

「一丁ぎり」小学館「日本国語大辞典」には、「いっちょうぎり」「一挺切」として載り、原義として、『葬式の終わった夜、ろうそくを一本だけにして、それが消えるまで読経(どきょう)念仏すること。またはその行事。特に茨城県地方で行なわれる』とあった。葬儀の儀式を名に含めることで、反対に長命を呪する効果があることは、極めて納得出来る。嘗つて近年まで、火葬場の焼き釜に生前に入ることで、長命を願う風習が実際にあり、その写真と解説を読んだことがある(書名忘却。多分、私の所持する本であるが、書庫の底に沈潜してしまい、探し得ない)。

「チヤンバチヤク」不詳。

「挽木」碾臼(ひきうす)を回すために附けた、肘(ひじ)の形の柄(え)のこと。]

 

        (其の二)

 或家で何時《いつ》も子供が早く死ぬので、長い名をつけたら長生するかも知れないと、新しく生れた子に、

  チヨウニン・チヨウニン・チヨウジイロウ・

  イツケア入道・ケア入道・マンマル入道・ワ

  ア入道・マンマル入道・エアウツク・シヨウ

  ツク・シヨウゴの神・カラのキンシヨジヨ・

  漆の花咲いたか咲かぬか・まだ咲アき申さん

  ・ドンダ郞、

 と謂ふ恐ろしい長い名をつけた。ところが或日この子供が井戶へ落ちたので、それを見つけた人が子供の家の人達に知らせようと思つて、チヨウニン・チヨウニン・チヨウジイロウ・イツケア入道・ケア入道・マンマル入道・ワア入道・マンマル入道・エアウツク・シヨウツク・シヨウゴの神・カラのキンシヨジヨ・漆の花咲いたか咲かぬか・まだ咲アき申さん・ドンダ郞が井戶さヘア入(ハア)んましたアと叫んだが、名前が餘り長いので、語り切らないうちに時刻が移つて、井戶の中の子供は水を飮んで死んでしまつた。

  (出所忘却。此話と同じ理由の下に、…一束(イツソク)
   百束(ソク)ヘソの守(カミ)三代契《ちぢ》り茶杓子
   《ちやしやく》刀《かたな》小じり小左衞門砥《といし》
   で磨《みが》いだる藤三郞といふ長い名前をつけたという
   話が、田中喜多美氏の御報告の中にあつた。)

[やぶちゃん注:「チヨウニン」はママ。長生を願う名であるから、「チヨウ」は「長」であろうから、歴史的仮名遣では「チヤウ」が正しい。「ニン」は「人」か。

「イツケア入道・ケア入道・マンマル入道・ワア入道・マンマル入道・エアウツク・シヨウツク」凡て不詳。最後の部分は音を次の「シヨウゴ」を引き出すためのメタモルフォーゼではあろう。

「シヨウゴ」仏家で勤行の際などに叩く円形青銅製の鉦の「鉦鼓」か。「其の一」で私が注した、死後を前倒しした長命の予祝であろう。

「カラのキンシヨジヨ」不詳。「カラ」は「唐」で中国の意っぽい。

「漆の花」ムクロジ目ウルシ科ウルシ属ウルシ Toxicodendron vernicifluum の花は、六月頃、葉腋に黄緑色の小花を、多数、総状につける。グーグル画像「ウルシの花」をリンクさせておく。因みに、私は十八年程前に、伊豆高原を散策中、ウルシに生まれて初めてかぶれた(花粉症と同じで、免疫システムが、ある時、溢れて発症するのと同じである)。以降、大好物だったマンゴー(特に青マンゴーが好きだった)も、食べると、ウルシオールの近似物質であるマンゴールで激しい下痢を起こすようになり、さらに医師からは、やはり類縁物質を含むキウイも食べない方がいいかも知れないと言われた。

「ドンダ」不詳。]

梅崎春生「つむじ風」(その16) 「いなびかり」

[やぶちゃん注:本篇の初出・底本・凡例その他は初回を見られたい。なお、文中の「」の太字は実際の太字であって、傍点ではない。]

 

     い な び か り

 

 浅利家の茶の間で、今しも浅利圭介は夕飯を食べ終え、両手をたかだかと差し上げ、大きな伸びをした。

「ううん。よく食べた。やはり働くと、食欲が出るな」

 そして圭介は指を折って、日数を勘定した。

「今日で十二日目か。月日の経つのは早いものだなあ」

「そうだわねえ」

 ランコは相槌を打って、圭介のために熱い茶をいれた。やっと亭主が仕事にありつき、毎日せっせと通っているものだから、ランコも割と機嫌がいいのである。

「それで、今日のお客の入りはどうだったの?」

「あまりかんばしくない」

 圭介は両手を交互にふって、自分の肩をたたいた。それを見てランコは、縫物を膝からおろし、圭介の背中に廻った。圭介は神妙に坐り直し、ランコの揉(も)むままにさせた。

「将棋盤じゃ、やはりダメなのね」

「うん。泉湯のやつは、テレビを持ってるからねえ。今日も僕は猿沢さんに話したんだが、テレビに対抗するには、やはりテレビ以外にはないんじゃないか」

「だってテレビは高いでしょ?」

「うん。そこが悩みのたねなんだ。何かおばはんにいい考えはないかな」

「ないこともないわ」

「どんな考えだね?」

「クイズよ」

「クイズ?」

「そう。クイズを壁に貼り出して、正解者の中から抽選で五名様に、一ヵ月通用の無料入湯パスを差し上げるのよ」

「うん。それは名案だ」

 圭介はぽんと膝をたたいた。

「クイズブームだから、こいつは当るに違いない。さすがはおばはんだ」

「おっさんがひとつ文案を練ってみたらどう?」

「うん。やってみるか」

 ランコは圭介の肩から離れ、戸棚から紙と鉛筆を持ってきた。圭介は畳に腹這(ば)いとなり、髪をかきむしったり、せきばらいをしたりして、長考に入った。

 部屋のすみでは、長男の圭一がすやすやと寝息を立てている。その蒲団をランコはちょっと直してやり、チャブ台の食器類を台所に運び、すっかり洗って食器棚にしまい、後片付けをして茶の間に戻ってくると、圭介はごそごそと起き直った。

「出来たよ」

「どれどれ」

 圭介が差し出した紙に、ランコは視線をおとした。次のように書いてあった。

 

 三吉湯は設備も新しいしサービスもいいしお湯も

 きれいだところが近所の泉湯は建物は古いしサー

 ビスも悪いしお湯の中には大腸菌がウヨウヨだか

 ら本当の風呂好きは泉湯には行かず三吉湯に入る。

 

「なかなかうまいわねえ」

 ランコは一応感心した。

「でも、泉湯なんて、実名を出していいの。文句を言って来ないかしら?」

「いや、大丈夫だ」

 圭介は得意げに答えた。

「そこは虫食いで□湯となるんだから、泉湯でも文句のつけようはあるまい」

 

「うん。そいつは面白いな」

 猿沢家の三畳の私室で、猿沢三吉はぽんと膝を打った。

「で、賞金はどのくらい出すんだね。あんまり沢山では困るよ」

「正解者から抽選して、五名様に限り、向う一ヵ月間の無料入浴パスを差し上げる、というのはどうでしょう」

 ランコから教わったくせに、自分で考案したんだという得意げな表情で、圭介は答えた。

「もう文案はつくってあります」

「どれどれ、見せなさい」

 三吉は太った膝を乗り出した。圭介は内ポケットから紙片を取り出し、三吉に手交[やぶちゃん注:「しゅこう」。手渡こと。]した。三吉はそれを読み、痛快げにぽんぽんと膝を連打した。

「まったくそうだ。泉湯なんか古ぼけて、お湯も汚ないからなあ。それを、こともあろうに、テレビなんかでごまかそうとしやがって」

「では、早速書きましょうか。大きな紙はありますか?」

「うん。一子(かずこ)が持ってるかも知れない」

 三吉は立ち上って廊下に出、大きな声を出した。

「一子。一子」

「はあい」

 三吉はそのままとことこと子供部屋の方に歩いた。私室に残された圭介は、机から硯箱を畳におろし、せっせと墨をすりだした。しばらくして三吉が、廊下から姿をあらわし、声をかけた。

「ここでは狭いから、茶の間に行こう。三軒で、男湯女湯で、六枚書かねばならんから、一子にも手伝わせることにした」

「そうですか」

 圭介は硯箱を捧げ待ち、三吉につづいて廊下に出た。

 茶の間では一子が、いくぶんふくれっ面で、床柱によりかかり、脚を投げ出していた。

「一体何を手伝えと言うの?」

 一子はふてくされた声で言った。

「あたし、出かける用事があるのよ」

「ちょっとやれば済むんだ。少しはうちの手伝いぐらいはしなさい」

 三吉はたしなめた。

「この紙にクイズを書き込むんだよ」

「クイズ?」

「そうだ。これを三吉湯の壁に貼り出して、正解者には一カ月無料入湯パスを出すんだ。一人あたり二枚ずつ書けばいい。文案はここにある。傍点をつけた部分を伏せるんだ」

 三吉は文案をチャブ台にふわりと乗せた。一子は脚を引込め、ごそごそと膝行し、文案をのぞき込んだ。

「まあ、呆れた!」

 読み終えて、一子は嘆声を発した。

「なんて。バカバカしい!」

「バカバカしいことがありますか!」

 三吉は憤然として、声を荒くした。

「泉湯の野郎は、協定を違反して、テレビを置いたんだぞ。こちらも黙っておれるか!」

「でも――」

「でもではありません」

 三吉は娘をにらみつけた。

「泉湯のテレビのおかげで、うちのお客はずいぶん取られたんだよ。うかうかすると、お前たちだって、オマンマの食い上げになるかも知れない。それでもいいのか!」

 

 クイズ戦術は、成功した。

 三軒の三吉湯の男湯と女湯に、筆書きの三吉グラムが、れいれいしく貼り出された。

[やぶちゃん注:「グラム」接尾辞“-gram” であろう。ギリシア語の「書く」からの派生で「点・線・図形などで、書かれた文字、描かれた絵」、転じて、「手紙」・「作品」を意味する語ギリシャ語の由来とするもので(ラテン文字転写:gramma)、英語の“grammar”(「文法」)の語源である(ウィキの「グラム(曖昧さ回避)」に拠った)。]

 

   第一回三吉グラム

 三湯は備もしいしサービスもいいしお

 きれいだところが所の湯は建は古いしサー

 ビスもいしおの中には大菌がウヨウヨだか

 ら本の風好きは湯には行かず三吉に入る。

 

 そのあとに応募規定として、

 

 賞品 正解者ハ抽選ニテ五名様ニ一ヵ月有効ノ無

 料入湯パスヲ差シ上ゲマス。

 応募用紙 三吉湯十回回数券ヲオ求メノ方二用紙

 一枚差シ上ゲマス。用紙一枚ニツキ答ハ一ツシカ

 書ケマセン。

 締切 今月末。

 審査 クイズ解答原文ハ三吉湯主人猿沢三吉、同

 支配人浅利圭介ニヨリ、三吉湯金庫ニ厳重保管。

 コノ原文ニ合致シタ解答ヲ正解トシマス。

 三吉湯家族、オヨビソノ従業員ハ応募ヲ遠慮シテ

 下サイ。

                三吉湯主人識

 

 第一日だけで、三吉湯の十回回数券の売行きは、二百を越えた。二日目も百五十を越え、三日目も百台を保持した。

 噂を聞きつけてはせ参じる者もあり、また一人で何冊も買うのもいて、番台上の三吉はともすると頰がくずれ、にやにや笑いがとまらなかった。

 回数券を買った者は、必ず日に一度、時には二度三度と入浴するし、また何冊も買い占めたものは、処置に困ってあちこちに分けて歩くらしく、三吉湯は三軒とも常時満員の状況で、浴槽も満員だし、板の間も満員、着物を着るのも忘れて、三吉グラムに首を傾けている。

「浅利君。ウナギでも食べに行こうや」

 三日目の昼、猿沢三吉は浅利圭介をさそった。嬉しいことがあると、あぶらっぽいものを食べたくなる癖が、三吉にはあるのである。

「そうですな。お伴しましょう」

 圭介をつれて、三吉はウナギ屋の二階に押し上った。れいの陣太郎から絞[やぶちゃん注:「しぼ」。]られた二階の一室である。

「今日も回数券の売行きは、百冊を越しそうだよ」

 おしぼりでにやにや顔を拭きながら、三吉は言った。

「一冊が百五十円だから、百冊だと一万五千円だな。毎日これぐらいの収入があると、第四・三吉湯もすぐに建つんだがなあ」

 新築の方は、金繰りがうまく行かないので、建ちかけたままになっているのである。

「来月も是非やろうじゃないか」

「そうですな」

 圭介もおしぼりで顔を拭いた。

「第二回から、もう少し賞品を奮発した方がいいでしょう」

「うん。わしもそう思ってたところだ。賞品をもっと金目なものにするか。それとも抽選の五名様を殖(ふ)やすか」

「どちらがいいか僕のほうでもよく研究してみましょう」

 圭介は参謀のような口をきいた。

「これで泉湯の方も、少々打撃を受けたでしょうな」

「うん。そこがわしも知りたいところだ」

 三吉は圭介に盃をさした。

「君、ひとつお客のふりをして、泉湯に行き、様子を探ってきて呉れないか」

 

 泉宅の茶の間で、おやじの恵之助と息子の竜之助は、チャブ台に向い合って、昼飯を食べていた。米麦半分の麦飯で、おかずはれいによって、メザシと梅干だけ。恵之助老はそうでもないが、竜之助の方は実に不味(まず)そうに飯をかっこみ、おかずをつついていた。

「おいおい。その梅干の食べ方は何だ」

 あまり不味そうな食い方をするので、見るに見かねて、恵之助はたしなめた。

「だって、梅干って、すっぱいんだもの」

「梅干というからには、すっぱいに決っている」

 恵之助はきめつけた。

「この梅干はだな、ただの梅干とは違うんだぞ。わざわざ小田原の下曽我の友人から取り寄せたんだ。そこらの店で売っているのと、いっしょにされては困る」

「いくら下皆我産だって、梅干は梅干だよ」

「あたりまえだ。この梅干を舐めて元気をつけて、頑張るんだ」

 そして恵之助は話頭を転じた。

 「どうもこの二三日、お客の入りがごっそり減ったようだが、どういうわけだろう。空気が乾燥しているせいかな」

 竜之助は顔をそむけるようにして、ごそごそと飯をかっこんだ。その態度を恵之助はいぶかしげに見た。

「おい。竜之助。お前はわしに何かかくしごとをしているな」

「空気の乾燥のせいじゃないんだよ」

 見破られたので、竜之助は余儀なく白状した。

「クイズのせいなんだよ」

「クイズ? いくらクイズが流行したって、風呂屋が暇になることはなかろう」

「そうじゃないんだよ。三吉湯でクイズを貼り出したんだよ。当った人には一ヵ月の無料人湯パスを出すんだって」

 竜之助は気の毒そうに父親を見た。

「だから三吉湯は三軒とも、押すな押すなの繁昌だってさ」

「ううん。やりやがったな」

 恵之助は思わず箸を取り落し、額の血管をもりもりと怒張させた。

「クイズを貼り出すだけでも、申し合せ違反なのに、賞品まで出すとは何ごとだ。あの山猿め。そしでそれは、どんなクイズなんだ?」

「三吉グラムというんだそうだよ」

「三吉グラム? 名前からして猿真似(まね)だ。そして、その文章は?」

「僕、見てないから、知らないよ」

「よし。飯がすんだら、すぐ行って偵察(ていさつ)して来い。全文を書き写して来い」

「そりゃあムリだよ。お父さん」

 竜之助は悲鳴に似た声を出した。

「この間偵察に行って、将棋の駒をちょろまかして来たばかりじゃないの。僕が犯人だということを、向うではうすうす勘づいているらしいよ」

「なんだい。王様の一つや二つ持って来たからって、尻ごみなんかしやがって」

 そして恵之助は茶碗を置き、腰を浮かせた。

「お前がイヤなら、わしが行って来る」

「お、お父さん。それは止めて下さい」

 竜之助は猿臂(えんぴ)を伸ばして、恵之助に取りすがった。

「お父さんが行くくらいなら、僕が行きますよ」

「そうか」

 重盛にいさめられた清盛みたいな表情で、恵之助は腰を元に戻した。

 

 石鹸箱を小脇にかかえ、タオルを頭からかぶり、泉心之助は実に情なさそうな表情で、三吉湯ののれんをくぐった。タオルをかぶったのは、自分の顔を見られまいとの配慮からであろう。

「回数券一冊お願いします」

「はい。毎度ありい」

 番合の上で答えたのは、浅利圭介であった。このひょろ長い青年が、まさか泉湯の息子とは知らないものだから、圭介の応対はしごく愛想がよかった。

「はい。解答用紙一枚おそえしますよ」

 竜之助は回数券と解答用紙を受け取った。解答用紙はガリ版で印刷され、偽造をふせぐつもりであろう、肩のところに『猿沢三吉』というハンコが、ぺたりと押してあった。竜之助はそれを持って、板の間に上った。

「ずいぶん混んでやがるな」

 タオルはそのまま、衣類を脱ぎながら、竜之助はつぶやいた。脱衣を完了すると、ひょろひょろした特徴のある身体があらわれる。衣類能を整理していた板の間女中の眼が、ぎろりと光って、その竜之助をにらみつけた。それとか知らぬ竜之助は、タオルをかぶったまま、浴場に入って行った。浴場もたいへん混んでいた。

「あれが泉湯のバカ息子ですよ」

 大急ぎで番台にかけ寄り、板の間女中は圭介にささやきながら指差した。

「え? 泉湯のバカ息子?」

 圭介は視線をうろうろさせた。

「あのひょろ長いのがそうかね?」

「そうですよ。それにあめバカ息子は、どうも手癖が悪いらしい」

 女中さんは憎々しげに舌打ちをした。

「この問、将棋の駒がなくなったでしょ。あれはきっとあのバカ息子の仕業ですよ。あたしゃそれで、大且那様に、ひどく叱られましたよ」

「手癖が悪い? そりゃいかんな」

 圭介も低声で注意した。

「何か持って行かれないように、よく見張ってなさい」

「ほんとに、自分んちの風呂に入らずに、三吉湯に入りに来るなんて、どういう了簡(りょうけん)なんでしょうねえ」

「ほんとにそうだねえ。しかも回数券を一冊買ったよ」

「回数券? それじゃきっと、評判を聞いて、クイズを当てるつもりなんですよ」

 女中は浴場の方をにらみつけた。

「なんて図々しい奴だろう!」

 そんな悪口をされているとも知らず、竜之助はそそくさと身体を拭き、またタオルをかぶって、のそのそと板の間に戻ってきた。まるで烏の行水である。もっとも入湯が目的じゃないのだから、それでもいいのだろう。

「ふん。なかなかの繁昌だな」

 袖に手を通しながら、竜之助はあたりを見廻した。

「これじゃあ泉湯の客が減るわけだ」

 その竜之助の視線が、女中の眼とぱったり出合った。その女中はすでに番台を離れ、将棋の駒を守るべく、縁台のそばにかけ寄っていた。

 竜之助は見る見る具合悪そうな表情となり、かぶったタオルの両端を鼻の下でむすび、泥棒スタイルとなり、大急ぎで衣類を着用した。そそくさと退場する竜之助の後姿を、番台から圭介がにらみつけた。

 

 石鹸箱をかかえ、ぶすっとした恰好で、泉竜之助は自宅に戻ってきた。足音を聞きつけて、親爺の恵之助は玄関に飛び出した。

「おい、どういう具合だった!」

 そして恵之助は、息子のタオルに眼をとめて叱りつけた。

「おい。そのぬすっと冠りは止せ!」

「いやんなっちゃったよ、僕」

 竜之助は不機嫌にタオルをはずした。

「おかげで散々にらみつけられたよ」

「にらみつけられた? 三吉にか?」

「いいえ。女中さんや、近頃来た支配人にさ」

「支配人? あのぼさっとした中年男か?」

「そうだよ。あれ、浅利圭介ってんだ」

「よくお前は三吉湯の内郎の事情に、すみずみまで通じてるな」

 恵之助はうさんくさそうに、息子の顔をじろじろと眺め廻した。

「どこから聞いてくるんだい?」

「ぼ、ぼくは、情報を集めるのが、昔からとてもうまいんだよ」

 ひやりと首をすくめながら、竜之助はごまかした。

「それよりか、早く茶の間に行って、クイズを見せて上げよう」

「うん。それがよかろう」

 簡単にごまかされて、恵之助は茶の間にとことこと歩いた。

「ううん。なるほど。考えやがったな!」

 チャブ合の前で、解答用紙をひろげ、恵之助はうなり声を立てた。

「ちくしょうめ!」

「お父さん。判るんですか?」

「いや。全然判らない」

 恵之助は口借しげに舌打ちをした。

「三吉如きがつくったのを判読出来ないなんて、わしははらわたが煮えくりかえる」

「初めのとこはこう読むんですよ。三吉湯は設備も新しいし、サービスもいいし、お湯もきれいだ」

 竜之助は差していた指を、ぴょんと飛ばした。

「ここはね。サービスも悪いし、お湯の中には大腸菌がウヨウヨ、と読むんだよ」

「その途中の□所の□湯というのは?」

「上の方は、近所、が適切でしょう」

「なるほど。近所か。お前はなかなかクイズ解きの才能があるな。三吉湯の近所てえと――」

 恵之助は腕組みをして首を頰けたが、すぐに腕を解き、顔をまっかにして、拳固を虚空(こくう)につき上げた。

「では、この□湯てえのは、泉湯のことか!」

「出題者の意図は、そうらしいねえ」

 竜之助は気の毒そうに、父親の顔を見た。

「房湯や勝湯よりも、泉湯が一番近所だしねえ」

「大腸菌がウヨウヨ、とはなにごとだ。もう勘弁ならぬ!」

 恵之助は大声を張り上げた。

「紙と筆とを持って来い!」

「おや。お父さんもクイズをつくるんですか?」

「クイズなんかつくってたまるか。湯銭値下げの貼札を出すんだ」

 ふり上げた拳固を、恵之助は威嚇(いかく)的に打ち振った。

「値下げをしたら、三吉も困るだろうと、今まで辛抱したが、もう許して置けないぞ!」

 

 黄昏の道を、泉竜之助はあたりをはばかるようにして、とっとっと歩いていた。曲り角の、半分ほど出来上った新築の三吉湯の前まで来ると、立ち止って、油断なくあたりを見廻した。

「ここよ。竜ちゃん」

 材木の山のかげから、忍びやかな女の声がした。

 あたりに人眼なきを知ると、竜之助は背を曲げ、まるでイタチのように敏捷に、材木のかげにかけ込んだ。竜之助と猿訳一子(かずこ)はそのまま抱き合って、ひしと接吻した。

「君んちのクイズのことを、うちのおやじが知ったんだよ」

 唇を離し、一子の頭髪を愛撫しながら、竜之助は言った。

「だからおやじ、かんかんになって、僕に偵察に行けと命令するんだよ」

「で、行ったの? お父さん、いた?」

「いや。三吉小父さんはいなかった。浅利という人ね、あれが番台に坐ってた」

「じゃあ、竜ちゃん、うちの湯に入ったの?」

「入ったよ。君んちはずいぶん繁昌してんだなあ」

「クイズのせいなのよ」

 一子は憂わしげに竜之助を見上げた。

「大人って、どうして詰らないことで、喧嘩をするんでしょうねえ」

「医学が発達し過ぎたせいなんだよ」

 竜之助は陣太郎理論を借用した。

「解答用紙をおやじに見せたら、またかんかんに怒ったよ」

「恵之助小父さんに判読出来たの?」

「いや。てんで読めないんだ。だから、僕が解読してやったんだ」

「そんなおせっかいをやるから怒るのよ」

 一子は年長の恋人をたしなめた。

「読めなきゃ、それほど怒りもしないわけでしょ」

「うん。ちょいとおせっかいだったかな」

 たしなめられて竜之助はしょげた。

「それで、おやじは怒って、とうとう値下げを発表したんだよ」

「え? とうとうやったの?」

「やったよ。湯銭十二円に値下げ仕候と、入口のところに、でかでかと貼り出したよ」

 竜之助は哀しげに眉を慄わせた。

「もう明日から、梅干だけで、メザシにも当分お目にかかれないかも知れない」

「可哀そうねえ。竜ちゃん」

 竜之助の肩を撫でながら、一子はなぐさめた。頭を撫でたくとも、竜之助の背が高過ぎて、届かないのである。

「いくらなんでも、梅干だけじゃあ、身体がもたないわねえ。恋をするにも、エネルギーは必要だし」

「もっとも陣太郎さんは、早く値下げをした方が、片のつき方が早いと言ってたけどね」

 竜之助は自分を慰めるように言った。

「陣太郎さんは、お宅にも行ってるかい?」

「ええ。一週に一回ぐらい、三吉湯に姿を現しているようよ。そしてお父さんに、将棋を教えてるらしいわ」

 一子は竜之助の顔を見上げた。

「あたしねえ、どうしてもあの陣太郎という人を、好きになれないの。あの人から見られると、ぞっと鳥肌が立つのよ。なにかイヤな、邪悪なものを、あの人は持ってるわ。そんな人の秘書に竜ちゃんがなってるなんて、あたし、心配だわ」

 

「僕のどこが心配なんだい?」

 そして泉竜之助は背を曲げて、猿沢一子の額に、かるく唇をつけた。

「そう心配しなくてもいいよ」

「心配するわよ」

 だだっ子みたいに、一子は身をよじらした。

「だってあの陣太郎という人は、たしかにインチキじみたところがあるわよ。処女の直感でピンと来るわ。あんな人の秘書になって、今までに何か得をしたことがあって?」

「秘書手当を一万円貰ったよ」

 そして竜之助は自信なげに首をかしげた。

「あ、あれは、一体、どうするつもりなんだろうなあ」

「あれ、とは何よ?」

「カメラだよ」

 竜之助の声はしょんぼりとなった。

「カメラをちょっと貸せというから、貸してやったんだよ。それから半月も経つのに、まだ戻して呉れないんだ」

「そうでしょ。あれはそういう男よ。まあ、きれいないなびかり!」

 空をいなびかりがするどく走った。しばらくして、重々しい鳴動音が、空の果てからどろどろと響いてきた。

「お父さんと陣太郎の様子を、こっそり見ていると、どうも具合が変なのよ。うちのお父さんって人は、割に強気な性格でしょう。それが陣太郎に対しては、妙におどおどして、腫(は)れ物にさわるようなのよ。まるで弱味をにぎられてるみたい」

「そう言えば加納明治にだって――」

「え? なに?」

「いや。何でもない」

 竜之助はごまかした。加納事件においては、自分も片棒かついだ恰好になっていることが、恋人の手前、うしろめたかったのであろう。

「そう言えば陣太郎さんにも、ちょっと妙なところがあるな」

「たとえばどういうこと?」

「陣太郎さんは自分のことを、花札で言えば、素(す)十六だなんて言ってるんだ。素十六というのは、カス札ばかり十六枚集めた役なんだよ。それを僕が素十五と言い違えると、

とても怒るんだよ」

「十五という役はあるの?」

「ないのさ。一枚足りないんだ。はてな、そうすると、陣太郎さんも、一枚足りないんじゃないか。足りないもんだから、図星をさされて、怒るんじゃないか」

「足りないって、具体的に言うと?」

「さあ。それは僕にも判らない。しかしきっと、決定的なものが、一枚足りないんだ。一枚不足だということを、陣太郎さん自身も知ってるんだ。だから、あんな居直りが出来るんじゃないか」

 沈黙が来た。一子は竜之助の胸に顔をうずめ、じっとしていた。

「お互いに、不幸の打開に、努力しよう」

 竜之助は背を曲げて、一子の耳にささやいた。

「いつまでも、闇ばかりは、つづかない。そのうちに、きっと夜明けが、やってくる」

「あたしもそれを、信じてるわ」

「僕は今から、陣太郎さんのアパートに行ってくる。おやすみ」

 二人の唇はふたたび合った。その頭上を、またいなびかりが走った。

 

 泉竜之助が富士見アパートにたどりついた時は、もう外はすっかり暗くなっていた。地図をたよりに、道を聞き聞きやってきたのだから、思いのほか時間をくったのである。

「ふん。大したアパートでもないな」

 管理人に部屋を聞き、竜之助はとことこと階段を登った。便所の横の部屋の前に立ち、扉をこつこつと叩いた。

「誰だ?」

 内から陣太郎の声がした。

「僕です。泉竜之助」

「ああ。竜之助君か。はいれ」

 竜之助は扉を引いて入った。部屋のまんなかに、小机を前にして、陣太郎はせっせと何か書き物にいそしんでいた。

「いい部屋ですな」

 竜之助はあたりを見廻しながらお世辞を言った。部屋の中はがらんとして、荷物と言えばれいのリュックサック、それに壁のハンガーにかけられた真新しい背広、それだけであった。背広の方は、加納明治より受領した十万円で買ったのであろう。

「いい部屋だなんて、皮肉を言うな」

 陣太郎はたしなめた。

「見ろ。畳はぼろぼろだし、窓ガラスもつぎはぎだらけじやないか!」

 つぎはぎの窓ガラスの向うに夜空が見え、その夜空を音もなく、いなびかりが一本走っては消えた。

「一体何の用事だい。報告か。このアパート、直ぐに判ったか?」

「ずいぶん探しましたよ」

 小机をはさみ、陣太郎に向い合って、竜之助はあぐらをかいた。

「報告もありますが、実はカメラを返して貰いたいんですよ」

「カメラ?」

 陣太郎はちょっと困感したように、視線をうろうろさせた。

「あのカメラ、要るのか?」

「要るんですよ。僕だって、いろいろ撮りたいものがある。コンクールの日も近づいているし」

「よし。四五日中に戻してやる。ケチケチするな。あのカメラ、いくらした?」

「五万円ですよ」

 竜之助は若干ふくれっ面になった。

「ここに置いてないんですか?」

「うん。ここに置いとくと、盗まれる心配があるからな。確実な某所に預けてある。で、報告とは、何だ。何か変ったことでもおきたか?」

「とうとうおやじが、湯銭の値下げを発表したんですよ」

「とうとうやったか。そう来なくちゃウソだ!」

 我が意を得たとばかり、陣太郎はぽんと膝をたたいた。

「そしてその値下げのこと、三吉親爺に知れたか?」

「発表は今日の昼間のことですからねえ。もう知れ渡ってるでしょう」

「では三吉も、今頃はあわてふためいているな。いよいよ面白くなってきた」

 陣太郎はげらげらと笑った。

「では今から、何時もの如くヤキトリに出かけるか。君の秘書手当、まだ残ってるだろうな」

「え? 陣太郎さんは、もう一文なしになってしまったんですか」

「うん」

 陣太郎はにこやかにうなずいた。

 

 陣太郎と竜之助はつれだって、ヤキトリキャバレーに入って行った。

 ヤキトリが運ばれでくると、れいによってたちまち竜之助の眼の色が変る。もう条件反射みたいになっているのである。梅干をおかずに、夕飯をたらふく食べて満腹の筈なのだが、眼の色の方で自然と変るのだから、仕方がない。

「がつがつは止せ!」

 陣太郎のその制止も聞かず、竜之助は猿臂(えんぴ)を伸ばし、またたく間に七八本を平らげ、お腹をなでながら、ふうと溜息をついた。

「まるで欠食児童だな」

 ハイボールを傾けながら、陣太郎は批評した。

「おれを見なさい。おれは一文なしだが、こうやって悠々と飲んでいる」

「本当に一文なしなんですか?」

 竜之助は眼をぱちくりさせた。

「加納明治から捲き上げた十万円は、どうしたんです?」

「捲き上げたなんて、体裁の悪いことを言うな。あれは正当の報酬だ」

 陣太郎はたしなめた。

「あれはもう使ってしまったよ」

「え? まだあれから半月も経たないのに十万円使っちまったんですか。一体何に使ったんです?」

「洋服を一着買ったし、君に秘書手当を払ったし――」

「それだけですか?」

「うん。それに近頃、おれにガールフレンドが出来てね、いろいろと金が要るんだよ」

「いくらガールフレンドが出来たって、その使い方はムチャですよ」

 竜之助は嘆息した。

「文無しで、今から一体どうするつもりです? 本邸に戻るんですか?」

「戻るもんか。も一度加納明治に頼んでみる。おれはどうしても彼から二十万円、つまりあと十万円貰う権利があるんだ」

「れいのネガでですか?」

「そうだ。ここにネガと、焼付けが一枚ある」

 陣太郎は内ポケットから、封筒を取出した。

「君。明日これを加納邸に持って行き、十万円と引替えて来い。あいつは直ぐ半額に値切るくせがあるから、用心するんだぞ」

「じょ、じょうだんじゃありませんよ。僕にそんなことが出来るもんですか」

「そうか。十万円口[やぶちゃん注:「ぐち」。]はまだ君にはムリかも知れないな。今度小口の時に、君にやらせることにしよう」

 陣太郎は封筒を内ポケットにしまった。

「やはりおれが行くことになったか」

「今度は三吉湯が三軒とも、十二円に値下げして来たら、どうしたらいいでしょうねえ」

 竜之助は話題をかえた。

「それはかんたんだ。君んとこを十円に下げればいい」

「そんなムチャな。今でさえ梅干オンリーなのに、十円にしたら、空気をぱくぱく食べる他はないですよ」

 悲鳴に似た声を竜之助は出した。

「うちもグイズを出したら、どうでしょうねえ。ひとつつくって呉れませんか」

「クイズか。うん」

 陣太郎は腕を組んだ。

「つくってやってもいいな。よし。最後の切札みたいなやつを、つくってやろうか」

 

2023/07/19

佐々木喜善「聽耳草紙」 一六二番 長頭廻し

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。標題と本文で「廻」「𢌞」が混ざっているのはママ。]

 

      一六二番 長頭廻し

 

 或村へ代官が來て泊つた。ところが代官が、鰌《どじやう》の脊負ひゴボウ[やぶちゃん注:ママ。歴史的仮名遣は「ごばう」。]を食べたいと言つたので、村の人達は鰌をとつて來て、その鰌の脊に面倒な手數をかけて一々牛蒡を結びつけて煮て、代官の前へ出した。代官はそれを御苦勞々々々といつて賞美した。

 さて翌朝になると、役人の一人が宿の者にテウヅ(手水)をまわせと言ひつげた。さあ村の人達は何のことだか分りかねて、早速足早の者をお寺の和尙樣の所にやつて、其事を判斷して貰つた。和尙樣も一寸やそツとでは解らぬので文選字引《もんぜんじびき》を出したり三世相《さんぜさう》を出したりして、やつとテウヅとは長頭《ちやうづ》だと謂ふ事が分つた。そこで骨折つて村中での長頭の者を探し出し、其男に袴をはかせて、尻に膳を結びつけて代官の前へ差出《さしだ》した。役人は其を見て、いやいやこれではない。テウヅをまわせと言つた。すると長頭の男は、ハイとかしこまつて長い頭を一生懸命に汗を流してぐるぐると𢌞した。しまひに役人が、いやいやテウヅとは顏を洗ふ水の事だと言つて聞かせたので、初めて村の人達は意味を悟つた。

[やぶちゃん注:「文選字引」江戸時代からあった、音韻と意味を記した辞書の一種。

「三世相」仏教の因果説、卜筮(ぼくぜい)の法、陰陽家の五行相生・相剋の説とを交えて、人の生年月日・人相などから、過去・現在・未来に亙る三世の因果・吉凶・善悪を判断する占い書。唐の袁天綱の著を元とし、本邦では、江戸時代にその通俗書が、多く、出た(小学館「日本国語大辞典」に拠った)。]

南方閑話 傳吉お六の話(その「五」・「六」・「七」) / 傳吉お六の話~了

[やぶちゃん注:「南方閑話」は大正一五(一九二六)年二月に坂本書店から刊行された。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像を視認した(リンクは表紙。猿二匹を草本の中に描いた白抜きの版画様イラスト。本登録をしないと見られない)。但し、加工データとして、サイト「私設万葉文庫」にある、電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊)を加工データとして使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。疑問箇所は所持する平凡社「南方熊楠選集3」の「南方閑話 南方随筆」(一九八四年刊・新字新仮名)その他(必要な場合は参考対象を必ず示す)で校合した。

 これより後に出た「南方隨筆」「續南方隨筆」の先行電子化では、 南方熊楠の表記法に、さんざん、苦しめられた(特に読みの送り仮名として出すべき部分がない点、ダラダラと改行せずに記す点、句点が少なく、読点も不足していて甚だ読み難い等々)。されば、そこで行った《 》で私が推定の読みを歴史的仮名遣で添えることは勿論、句読点や記号も変更・追加し、書名は「 」で括り、時には、引用や直接話法とはっきり判る部分に「 」・『 』を附すこととし、「選集」を参考にしつつ、改行・段落成形もすることとする(そうしないと、私の注がずっと後になってしまい、注を必要とされる読者には非常に不便だからである)。また、漢文脈の箇所では、後に〔 〕で推定訓読を示す。注は短いものは文中に、長くなるものは段落の後に附す。また、本書の掲載論考は全部で八篇であるが、長いものは分割して示す。今回も全七回であるが、二分割した。

 

       

 

 西鶴が此犬に就て、世に情は掛けて置くまじきものには非ず、と言へるは至言だ。其に就て、珍譚があるて[やぶちゃん注:ママ。]。蘿甸《ラテン》の古文を考ふる者の、必ず、讀むなる、アプレイウスの「金驢篇」は、西曆紀元後二世紀の筆に係り、其九篇に、此話を出《いだ》す。阿弗利加《アフリカ》のマダウラに生まれた靑年ルシウス、戯れに、異藥を用ひて、驢《ろば》に變じ、種々の人の手に渡つて、勞苦、已《や》まず、曾て麪包《パン》燒きを營業する人に買はれて麥舂《むぎつ》き場に働く。亭主は方正、その妻は惡人で、淫・酒に耽り、驢を虐使《ぎやくし》すること、言語に絕えたり。驢、怨恨の餘り、其行爲に注意し居《を》ると、一日《いちじつ》、老婆、有り、來つて、主婦に、一風流少年を推薦し、その夜、亭主、隣家へ夕飯に招かれた留守に乘じ、其少年、頰、滑《なめら》かに、紅く、極《きはめ》て美なるを、連れ來《きた》る。主婦、歡んで、俱《とも》に飮み始めた處へ、主人、不慮に還り來つた。主婦、大いに、周章し乍ら、頓《には》かに謀《はか》つて、近くに在つた大きな麥櫃《むぎびつ》を覆《かぶ》せて、情夫を匿し、平氣を裝ふて、「何故、早く歸つたか。」と問ふに、亭主、長歎息する事、良《やや》久しく、扨、次の話をした。

[やぶちゃん注:『アプレイウスの「金驢篇」』は北アフリカ・マダウロス出身の帝政ローマの弁論作家ルキウス・アプレイウス(Lucius Apuleius 一二三年頃~?:奇想天外な小説や極端に技巧的な弁論文によって名声を博した)の代表作である「変容、又は『黄金の驢馬(ロバ)』」(Metamorphoses  sive  Asinus Aureus)は、彼のウィキによれば、『魔術に興味を抱いた主人公ルキウスが誤ってロバに変えられ、数多の不思議な試練に堪えた後、イシスの密儀によって再び人間に復帰するという一種の教養小説』で、ローマ時代の小説のうち、完全に現存する唯一のものである、とある。

 なお、以下の話の部分は、底本では全体が一字下げになっている。ここでは、上に引き上げ、前後に一行空けを施した。頭の字下げがないのはママである。最初と最後の鍵括弧は底本にはないが、「選集」のそれを採用した。]

 

「今夜、夕飯に招かれ、出懸けた處ろ、怪《あやし》からぬことを見て、座に堪えず、逃歸《にげかへ》つた。あんなに行儀よく見えた女が、あんな不品行をするとは、全く思ひ懸けなんだ。今夜、予を招いた晒《さら》し屋は、年來《ねんらい》の舊交で、其妻は、正直で、何一つ申し分なく、只管《ひたすら》、夫の家業を、内助の功、多く、見えた。然《しか》るに、何時《いつ》どうした物か、情夫を拵へ、今夜、晒し屋と予と、風呂へ往つて、愈《いよい》よ、夕飯と、歸つて見れば、彼《か》の内儀が、男を引入《ひきい》れて、方《まさ》に雲雨の最中、幸ひ、高く釣上《つりあげ》た大籃《おほかご》の周りに、布を懸けて、下で、硫黃を燒き、其煙で、布を晒し居《を》るのが、目に着き、取敢《とりあへ》ず、其籃に、男を隱れ入《いれ》しめ、扨、尋常な體《てい》で、妻も、吾輩とともに、夕飯を賞翫した。處ろが、信濃なる淺間の嶽に立つ煙《けぶ》り同然、硫黃の煙が、休まず、燻《ふす》べる故、情夫は、繰返《くりかへ》し、嚔《くさめ》するを、おち方人《かたひと》の見やは咎《とが》めぬ筈なく、亭主は、初め、女房が風引いたと、思ひ居《をつ》たが、追ひ追ひ、やみごなしに[やぶちゃん注:「止み期(ご)無しに」か。止み終わる時がなく。]、聞えるを怪しみ、出處《でどころ》を大籃と尋ね當て、ひつくりかへすと、殆んど、氣絕した男が、出た。亭主、之を見て、無明《むみやう》の業火《がふくわ》、直上《ちよくじやう》三千丈、直ちに、刀を呼《よん》で、其男の吭《のど》を切らうとした。左樣《さう》されては、一同の難儀になるから、「吭を切らずとも、硫黃に中《あた》つた結果、程無く、命、終《をは》る筈。」と說《とい》て、到頭、亭主を押宥《おしなだ》め、亭主は、半死の姦夫を、次の小路へ曳《ひき》ずり去つた。次には、妻も殺され、亭主も自決といふ段取りと察し、妻を、勸めて、急ぎ、友人方へ逃げ匿《かく》れしめた。誠に飛んだ馳走に逢ひ過《すぎ》て歸つて來た。」

 

 右之《の》通り、麪包屋の主人が話しを聞く内、其妻、屢ば、呆れ返つて、晒し屋の主婦を罵り、「其阿魔《あま》めこそ、婦女一同の面汚《つらよご》しなれ。女房でなくて、惣嫁《そうか》だ。火焙《ひあぶ》りにしても、勘定が足らぬ。」などと言ふ。然し、現に自分の情夫が櫃中《ひつなか》に困つて居《を》るから、『何卒、早く助けたい。』とあせつて、話が濟んだ。「もう、寢ませう。」と勸めたが、亭主は、晒し屋の騷動で、夕飯はフイになり、空腹に堪えず、「兎に角、飯を食はせ。」と云ふ。妻も詮方なく不承不承に情夫に食《くは》す爲、用意した饌を亭主に供える[やぶちゃん注:ママ。]。始終を立ち聽いて居《をつ》た驢は、『平生、虐待の返報、此時也。何とかあそこの櫃の下に石龜乎(いしがめこ)として、へたばり居《を》る姦夫を、露はして、亭主に見せてやらう。』と、思案、最中に、都合よく、此家の飼馬《かひうま》の世話燒き爺が、最寄りの池へ、馬・驢一同に、水、飮《のま》すべく、連れ出しに來た。驢が、步み乍ら、件《くだん》の櫃を觀ると、中に匿れた奴の指が出て居《を》る。其を蹄《ひづめ》で蹈んで、壓(おさ)へ、潰したから、耐《た》まらず、大いに叫んで、狂い出《いで》て、踊り立つたので、淫婦の虛僞が、丸で、引つ剥《ぱが》れた。亭主は、存外、冷靜で、死《しん》だ程、靑く成つて、全身、戰慄しおる少年を慰撫《いぶ》し、「吾が童子よ、恐るる勿れ。予は開《ひらけ》けない人物[やぶちゃん注:「未開人」のことか。後の「蠻人」と同じだが。]でも、蠻人でも無い。硫黃で燻べる氣も無ければ、汝ほどの美少年を、姦夫と稱し、訴へて、重刑に處すべくも思はぬ。妻と相談の上、身代を分つ事は成らぬが、せめては吾等三人、一牀《ひとつねどこ》に安んじうる樣、謀《はか》らふべし。吾等夫婦、平生、中よく、其内、一人の好く事は、他の一人も、亦、好くのだ。然し、妻の主張が、夫を壓(あつ)しないは、勿論の事。」と徐《しづ》かに笑語《わらいばなし》したのち、進まぬ少年を、自室に連れ行き、いと、面白く復讐した。翌朝、日高く成つて、職場から强力《がうりき》の者二人を呼んで、彼《かの》少年を引つ張《ぱ》らせ、亭主自身、棒を取つて、其臀《しり》を打ち、「汝如く、生柔らかい童子が、夫有る女に附廻《つきまは》るとは、早過ぎる。」と罵り、飽く迄、打つて、門外へ投出《なげだ》した。徹夜衝《つ》き嬲《なぶ》られた上、朝から續け打たれて二重に、痛み劇《はげ》しき尻を抱へて、少年は命斗《ばか》りを拾ふて去つた。

 

       

 

 十六世紀に出た伊人モルリニの「新話」三一は、大要この「金驢篇」を沿襲《えんしふ》した者乍ら、驢が、恨み晴しに姦夫を露はすの事、無し。其より前、十四世紀にボツカチオが書いた「十日譚《デカメロン》」の五日十譚は、全く「金驢篇」と同事異文だ。然し、麪包屋の主人が内儀に親《ちか》づいた少年に面白い復讐をした事丈《だけ》は其程、明記せず。

[やぶちゃん注:『モルリニの「新話」』不詳。それらしい候補は見つけたが、大違いだと厭なので、示さない。

『「十日譚《デカメロン》」の五日十譚』国立国会図書館デジタルコレクションの『世界文學全集』第二巻(森田草平訳・昭和五(一九三〇)年新潮社刊)の当該話(但し、肝心な部分が梗概となってしまっている)をリンクさせておく。]

 「宇治拾遺」(日本文學全書本、七六章)に、一乘寺僧正增譽《ぞうよ》、愛童呪師《じゆし》小院《しやうゐん》を寵《ちやう》するあまり、「法師になつて、夜晝、離れず、付きてあれ。

とて剃髮せしめ、一日《いちじつ》、春雨《はるさめ》の徒然《つれづれ》に童だつた時の裝束《さうぞく》着て戲《たはむれ》を演ぜしめ、その藝のうまきに、『「こちこよ。」と呼び寄せて、打撫《うちなで》つゝ、「何しに、出家をさせけん。」とて、泣《なか》れければ、小院も、「去《され》ばこそ、『今、暫《しば》し。』と申し候ひし者を。」と云《いひ》て、裝束、脫《ぬが》せて、障子の内へ、具して入れにけり。其後は、いかなる事か有《あり》けん、知《しら》ず。」と、結んだ同前の筆法で、「主人夫婦と少年と夕飯食つた後《の》ち、どうして三人、等しく滿足したか、その仕方は、譚者《はなしのもの》、忘失した。而して、翌朝まで、少年が室内に在つたと知れど、專ら、夫婦の孰れと俱に在《あつ》たかを知らぬ、云々」と婉曲に仕舞ひ居り、其前文に、「驢が、少年を露はして、亭主、大《おほい》に怒り、妻を罵ると、夫が美少年に甘い顏色を見て取つた妻が、晒し屋の妻こそ、每《いつ》も夫に可愛がられ乍ら、情夫を引入《ひきい》れたから、眞《まこと》の姦婦だ、君《くん》は妾《めかけ》を美服・美靴せしむるのみ、夫婦の語らいが、遠ざかり居るから、妾も女也、女人《によにん》の等しく望む所を、自給自足するに、何ごとか有る、まだしも、賣り者や、醜い者を、親《ちかづ》けないだけ、妾の苦節で、君の面目だ。」と論じ、いつ果つべしとも見えないから、亭主も、我《が》を折り、「此少年も、未だ食事せぬ樣子。何卒、一同に、夕飯、食はせて欲しい。その後、汝にも不足無い樣、取計《とりはか》らはう。」と言つたので、妻も、機嫌よく、夕食を出し、三人、和熟して、食《くひ》に掛つたと有る上に、翌朝、少年を、打つて、押し出したと無き丈《だけ》、「金驢篇」と異《かは》り居る。

[やぶちゃん注:南方熊楠が引用している原本当該部が国立国会図書館デジタルコレクションのここから視認出来る(但し、この話は第二話の方なので、左ページ後ろから三行目下方からとなる)。新字であるが、「やたがらすナビ」に陽明文庫本「宇治拾遺物語」底本の当該話(「一乗寺の僧正の事」)が電子化されていて(こちらは単独話)、読み易くはある。]

 

       

 

 予が、斯《かか》る事に就て、斯《か》く長々しく書いたのは、何と心得てか、跡先《あとさき》拘《かま》はず、西洋に行はるゝ事は、なるべく東洋にも行はるゝがよいと思はぬ迄も、西洋にまま有るから、此方《こちら》でも、大目に看過するがよいと云ふ風が、近頃、大流行らしいからで、日本で、從來、口にも出さぬ事を、彼方《あちら》では存外、平氣で、書きも、說きもする例が多い。

 英國人は、外色[やぶちゃん注:見たことがない熟語だが、「男色」の意でないと、以下、話しが続かない。]を「無名罪」と稱へて、無類潔白の國民たる樣《やう》誇るを、佛人、笑ふて、「罪に名はないが、其罪、其物は、英國に盛行さる。」と言つた。現に竹の園生《そのふ》の尊勝と生れ乍ら、この犯罪を掩《おほ》はん迚、自ら宮《きゆう》した方《かた》も吾輩、彼《かの》國に居《をつ》た少し前に、在つた。「聖書」、既に、二個の天使、ロトの家に宿りしを、ソドムの老若《らうにやく》、大擧して、其舍《いへ》を圍み、捉へて、之を犯さんとし、ロト、其素娘《きむすめ》二人を以つて、之に代《かへ》る由を載せ(「創世記」十九章)、又、ギベアの老人宅に宿《やど》つたレビ人を、所の者共、犯さんとするより、其人、其妾を押出《おしいだ》して、終夜、身代りに、輪姦せしめて、死に致した記事有り(「土師記」十九章)。早くより、此樣《このやう》な物を讀み聞き、暗記して、口に「無名罪」と卑《いや》しみ乍ら、知つて、之れを犯す風、盛んに、其の極《きはみ》、終《つひ》に、一五三七年に、羅馬法皇波羅《パウルス》三世の實子で、パルマ及びブレーザンス公だつたピエール・ルギイ・ダ・フアルネセが、博文厚德の名高き僧正コシモ・ゲリ・ダ・ピストヤ(廿四歲)を、僧正服を着たまま、强辱して、黴毒《はいどく》を傳へ、四十日を經て、遷化せしむるに至つた。眞《まこと》に破天荒の珍事で、爲《ため》に新しい動詞、一つ、出來《でき》、史家、呆れて、「殉敎に、新樣《しんやう》、生ず。」と評した(一七二一年コロニア板、ベネデツト・ヴアルキ「フイオレンチナ史」六三九頁以下)。

 斯《かか》る次第故、外色に關しては、東洋人の見も聞きも及ばぬ異事《いじ》、多く、夫が望む少年を、妻を囮《とりこ》として、制服するを指す稱呼さへ、伊・佛・西等の諸國にある(フラムマリオン訂出、ブラントーム「艷婦傳」一の註)。以て、其大流行を察するに足る。支那には衛公や隋帝の嬖童《へいどう》[やぶちゃん注:寵愛する児童。]が、其妻・妾に通じた事有れど、其《それ》、認可を經《へ》てした、とは、記憶せぬ。「聊齋志異」に、王喜二てふ靑年、桑冲《さうちゆう》の邪術を傳へ、女裝して、良家に出入し、其室《しつ》[やぶちゃん注:妻女。]を汚《けが》す。馬萬寶、其風格を愛し、妻と謀《はか》つて「疾《やまひ》」と稱し、招いて、按摩を乞ひ、自《みづか》ら、妻に代《かは》り、臥《ふ》し、親しみ來《きた》るを待ち、之を捕へて、男子たるを發見し、『郡に告《つげ》ん』と思ふたが、其美を憐れみ、之を宮して、婢使狎處《ひしこうしよ》[やぶちゃん注:賤しい下人として使役しつつ、慰み者として狎(な)れ遊ぶことを言う。]し、一生を終らしめた話、有り。日本には北尾辰宣筆だらうと言ふ「異態百人一首」に、三人共狎《みたりきやうこう》[やぶちゃん注:男女三人が組んず解(ほぐれ)つすること。]の處あれど、ほんの空想の作らしい。

[やぶちゃん注:以下一行空けは底本のママ。「七」の最後ではなく、本篇全体の最終附記である。]

 

 終りに述ぶ。「金驢篇」に出た驢は、人間が化けた者故、復讐に主婦の姦《かん》[やぶちゃん注:淫(みだら)。邪(よこし)ま。]を露はすは、有り得る事だが、そんなに巧みの深い動物は、實際、無いと思ふ。しかし、猴類《さるるゐ》には男女の親しきを見て極めて嫉妬する者有るを、親《まのあ》たり、目擊した。犬・猫等にも、多少、そんな者あり。ハーバート・スペンサーの著書で、露國の田舍の男女は、事を企つる前に、必ず、壁畫の上帝の面《おもて》を被《おほ》ふて、見られぬ用心を專一にする、と讀んだが、上帝や小兒は勿論、畜生の見る處で、祕事を行ふは、愼むべしだ。不測の禍《わざはひ》を招くかも知らぬ。         

[やぶちゃん注:「選集」では、編者によって初出等の注記記載があり、それによれば、初出は大正一二(一九二三)年六月発行の『土の鈴』(十九輯)とし、さらに同初出での『原題は「昔話比較お六善吉の話」。のち中村太郎氏の来示により「伝吉お六の話」と解題された』とある。なお、この「七」章は、私の生理的嫌悪感に激しく抵触するので、注を一切しないこととした。悪しからず。]

佐藤春夫譯「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」正規表現版 「骰子を咏みて身を寓するに似たり」金陵妓

[やぶちゃん注:書誌・底本・凡例等は初回を見られたい。本篇はここ。]

 

  骰子を咏みて身を寓するに似たり

             一 片 微 寒 骨

             翻 成 面 面 心

             自 從 遭 點 汚

             抛 擲 到 如 今

                   金 陵 妓

 

枯れさらばうた骨の屑

これがみなさまの御心配

汚㸃(しみ)をつけられ申してより

ほうり投げられてまづ斯樣(かよう)

 

[やぶちゃん注:佐藤の作者解説には、金陵妓の項はない。これは「金陵」(南京の古名)の「妓」女という意味だから、無名なのだろう。時代も判らない。

 但し、国立国会図書館デジタルコレクションの『和漢比較文学』(一九九二年十月発行)の小林徹行氏の論文「『車塵集』考」のここによれば、佐藤は詩句を、転句と結句の二箇所で弄っていることが判る。それによれば、『「點汚」「如今」を『名媛詩篇』では「點染」「于今」に作る。『古今女史』詩集巻四も同じ。『名媛璣囊』巻四は「點汗」「于今」に作る。「于」は「於」に通じて意味に差異はないが、訳者は「如今」のほうが一般読者には分かり易いと判断したものと推察される』と述べておられる。また、標題も載り、「詠骰子」である。

 佐藤の訳題の「骰子」は「ガイシ」よりも「さいころ」と訓じたい気がする。

 個人的には、転句のそれは「點染」を採りたい。それで、原詩の一型を復元し、以下、推定訓読する。

   *

 詠骰子

一片微寒骨

翻成面面心

自從遭點染

抛擲到于今

  骰子(さいころ)を詠む

一片(いつぺん)の微(わづ)かなる寒骨(かんこつ)たれり

翻(か)へりて 面面(めんめん)が心(おもひ)と成る

染(し)みを點(つ)けらるるに遭(あ)ひしより

抛擲(なげうちす)てられ 今に到(いた)れり

   *

・「自從」は前置詞で「~より・~から」で本邦の助詞に当たるので、ひらがなとした。]

佐々木喜善「聽耳草紙」 一六一番 上方言葉

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]

 

      一六一番 上方言葉

 

 或所に田舍の物識男があつた。村のことばかり知つて居たつて、本當の物識りとは言はれないから、これから一つ上方へ上つて、上方言葉を覺えて來るべえと思つて、上方へ上つた。

 上方へ行つて、或町の宿屋に着いた。すると番頭が出て來て、お早いお着きで御座ります。お客樣はお上洛で御座(ザ)[やぶちゃん注:二字の間に打たれている。以下も同じ。]んすか、お下洛で御座(ザ)んすかと訊いた。何の事だかと思つて目をパチパチさせて居ると、ええ京都の方へお上りで御座んすか、京都から田舍の方へお下りで御座んすかと言つた。そこで上ると云ふことは上洛と云ひ、下ると云ふことは下洛と言ふんだなア。これア一つハヤ覺え込んだと喜んで手帳に書きつけた。

 其宿屋から朝立つ時、其家の主人が魚頭《うをがしら》を出して、おいおいこの魚頭(ギヨトウ)を投げろやエと下女に言ひつけた。なるほど頭《かしら》のことはギヨトウかと又手帳に書きつけて其宿屋を出た。

 行くと今度は普請場があつて、向うから大きな石を大勢で、ヨイコラサ、ヨイコラサと

掛聲《かけごゑ》して引いて來た。其所《そこ》へまた恰度《ちやうど》子供を連れた女房が通りかゝつて、泣く子を賺《すか》しなだめて、あれあれさう泣かないで、ヨイコラサ、ヨイコラサを御覽と言つた。そこで成程これは石のことだ。ヨイコラサとは石のことなりと又手帳に書き入れた。

 又行くと大きな店屋があつて、表看板には朱膳朱椀と書いてあつたが、見れば赤い膳や椀が並べられてあつた。そこで赤い物は朱膳朱椀と云ふなりと手帳に書き入れた。

 そして又行くと、丁度お晝頃になつたので、道傍《みちばた》の茶屋へ入つて憩《やす》んだ。ところが其所の娘が團子を一つ手にして、カメや團子をやるからチンチンしろよ。ハイチン、ハイチンと犬に言つた。成程ハイチン、ハイチンとは田舍の下《くだ》されたいとか貰ひたいとか云ふことだな。これもよしとて手帳に書き入れた。そしてもうこれ位覺えれば大丈夫だと思つて、故鄕へ歸つた。

 秋になつた。裏の柿の木へ上つた親父が、足を踏み外して墮ちて怪我をした。そこで早速上方仕込みの新知識を利用して、醫者のところへ手紙を書いた。

 今般愚父儀裏之柿之木へ上洛仕り候處下洛、ギヨトウをヨイコラサに打ち多くの朱膳朱椀出し、手をつけ不被申依而《まふされざるによりて》早速妙藥一服ハイチン、ハイチン。

  (老母の談話。)

[やぶちゃん注:「不被申依而」「口もきけない状態で御座いますので」或いは「言いようもないひどい有様で御座いますので」の意か。]

ブログ1,980,000アクセス突破記念 南方熊楠「南方閑話」正規表現版 始動 / 扉・本文標題・「傳吉お六の話」(その「一」・「二」・「三」・「四」)

[やぶちゃん注:本電子化注は、既にこのブログ・カテゴリ「南方熊楠」他(一部はサイト「鬼火」の「心朽窩旧館」PDF縦書一括版有り)で完遂した正規表現版オリジナル注附「南方隨筆」・「續南方隨筆」に続けて始動する。

 「南方閑話」は大正一五(一九二六)年二月に坂本書店から刊行された。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像を視認した(リンクは表紙。猿二匹を草本の中に描いた白抜きの版画様イラスト。本登録をしないと見られない)。但し、加工データとして、サイト「私設万葉文庫」にある、電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊)を加工データとして使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。疑問箇所は所持する平凡社「南方熊楠選集3」の「南方閑話 南方随筆」(一九八四年刊・新字新仮名)その他(必要な場合は参考対象を必ず示す)で校合した。

 なお私は、本書に含まれている、「人柱の話」は、発展的決定稿としてのそれである「續南方隨筆」版を、ブログ版で全六回で完遂しており、それ以外に、先行して、古くに「選集」版を底本にしたサイト版「人柱の話」(新字新仮名)を電子化しており(「徳川家と外国医者」とのカップリング版)、さらに、『「人柱の話」(上)・(下) 南方熊楠 (平凡社版全集未収録作品)』もその後に電子化している。その関係上、この際、過渡期的中間稿として、本書のものも電子化することで、南方熊楠の思考の過程の全貌を見渡せるものとした思い、性懲りもなく電子化注することとした。

 これより後に出た「南方隨筆」「續南方隨筆」の先行電子化では、 南方熊楠の表記法に、さんざん、苦しめられた(特に読みの送り仮名として出すべき部分がない点、ダラダラと改行せずに記す点、句点が少なく、読点も不足していて甚だ読み難い等々)。されば、そこで行った《 》で私が推定の読みを歴史的仮名遣で添えることは勿論、句読点や記号も変更・追加し、書名は「 」で括り、時には、引用や直接話法とはっきり判る部分に「 」・『 』を附すこととし、「選集」を参考にしつつ、改行も入れることとする(そうしないと、私の注がずっと後になってしまい、注を必要とされる読者には非常に不便だからである)。踊り字「〱」「〲」は私にはおぞましいものにしか見えない(私は六十六になる今まで、この記号を自分で書いたことは一度もない)ので正字化する。また、漢文脈の箇所では、後に〔 〕で推定訓読を示す。注は短いものは文中に、長くなるものは段落の後に附す。但し、私が強い生理的嫌悪感を持った内容(というか、南方熊楠特有の、わざと不快な性的内容をセンセーショナルに丸出しにしたり、奇妙な造語で示唆して喜んだり、それを掲げて「どうじゃい!」とほくそ笑むような露悪的傾向部分を指す)に就いては、向後、意識的に注を附さない場合があるとお断りしておく。また、本書の掲載論考は全部で八篇であるが、長いものは分割して示す。今回も全七回であるが、二分割する。

 なお、本テクストは2006518日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが、本日早朝、1,980,000アクセスを突破した記念として公開する。【二〇二三年七月十九日 藪野直史】]

 

南 方 閑 話

 

 

南 方 熊 楠 著

 

[やぶちゃん注:扉の標題

 なお、次の次の左ページのここから、序文のようなものが載るのだが、どうも言葉遣い(敬体)や、その語り口は、どう考えても、南方熊楠の文章とは思えない。可能性として編者の民俗学者で文筆家としても知られる本山桂川の認めた序文のように思われてならない。本山は逝去が昭和四九(一九七四)年であることから、もし、本山の文であるとなると、著作権法に抵触するため、電子化しないことにした。

 その後のここに「目次」が載るが(一ページ分で収まっている)、それは全部の電子化注が終わってから、附すこととする。

 以下は、その次の次の左ページにある、本文前の標題。]

 

南 方 閑 話

 

南 方 熊 楠

 

 

      傳 吉 お 六 の 話

 

[やぶちゃん注:以下の『「譚海」卷七』の話は、事前に原話をフライングして電子化しておいたので、読みは最小限に留めたから、まずそちらを読まれたい。「譚海」は津村正恭(まさゆき)淙庵(そうあん)の著わした江戸後期の随筆。寛政七(一七九五)年自序。全十五巻。津村淙庵(元文元(一七三六)年?~文化三(一八〇六)年)は町人で歌人・国学者。名は教定。正恭は字で、号は他に三郎兵衛・藍川など。「津村」の代わりに「員」「圓」と記した。京都生。後に江戸の伝馬町に移り住んで久保田藩(秋田藩)佐竹侯の御用達を勤めたが、細かい経歴は伝わらない。「譚海」は安永五(一七七七)年から寛政七(一七九六)年の凡そ二十年間に亙る彼の見聞奇譚をとり纏めたもので、内容は公家・武家の逸事から政治・文学・名所・地誌・物産・社寺・天災・医学・珍物・衣服・諸道具・民俗・怪異など広範囲に及び,雑纂的に記述されてある。平賀源内・池大雅・石田梅岩・英一蝶・本阿弥光悦・尾形光琳などの人物についての記述も見える。多くの文人と交流のあった彼の本領は雅文和歌であったが、今、彼の名は専らこの「譚海」のみで残る(以上は、ウィキの「津村淙庵」及び平凡社「世界大百科事典」と底本解説を参照した)。読み易さを考えて「一」は多量に改行を用いた。]

 

       

 津村正恭の「譚海」卷七に次の話を出す。

 武州熊谷の農夫、母妻三人住んだが、身代不如意となり、

「江戸に出で、三、四年、奉公して金を蓄へ、歸つて質地をも取還《とりかへ》し安堵すべし。」

とて、母の孝養を妻に賴みて出立す。其夜、桶川に宿らうとするに、一人旅故、驛に宿るを得ず、宿外れの小農家に就て、次第を語り歎くと、憐んで宿《と》めてくれた。其家夫婦と、十三、四の少女子の三人暮しで、其女子、誠に怜悧で、よく世話してくれたから、此男、殊に愛憐を覺え、翌朝、懇ろに、其厚意を謝し、特に錢二百文を紙に包んで、强《しい》て渡して打立《うちた》つた。それより江戶に着して、新吉原の妓館「丁子屋」の米舂《こめつ》き男に採用され、一年、給金二兩で居付《ゐつ》き、金を受《うく》る每に、故鄕へ送り、萬事律義に働くにより、追々、轉職・增給され、妓女・嫖客《へうかく》[やぶちゃん注:遊廓で遊ぶ者を言う。]よりの氣付けも多く、六年許りに、金百七十兩を儲けたから、

「一先《ひとまづ》、歸鄕して、質に入れた田地等を取返し、母・妻に安堵させた上、又、歸參して奉公したい。」

と望み、主人に許容された。因つて、其旨、鄕里へ告げやり、荷物も先立《さきだつ》て送り、例の金子を、肌に着けて、故鄕に向かうと、板橋の邊より、怪しい男子、離れず附き來たる。

『これ、盜人《ぬすつと》。』

と知つて、一計を案じ、酒屋に入《はい》つて、錢を拂ひ、酒を暖めしむると、盜人も亦、然《しか》する。用足しと見せ懸けて、背戶に往くに、外に通ふ道有り。其を一走りに遁れて、漸く、桶川に到り、日、猶ほ、高けれど、新設の驛舍に着き、草鞋も脫ぎ肯《あへ》ず、一室に潜まり臥す。初夜過《すぐ》る頃、門の戶、けわしく敲《たた》き、

「今宵、爰に宿つた一人旅の男に、用あれば、ここ、明けよ。」

と云つて、内に入るを、襖の𨻶より窺へば、晝、吾に付き纏ひし盜人で、頓《やが》て竈の側に臥した樣《やう》也。

 ところが、此處に、二十一、二の優しい女、有つて、宵より賄ひしたが、此時、來つて、「御方は何とやらん見た樣也。六年前、此宿外れの家に宿つた方で無いか。」

と問ふ。

「さては。其時、十三、四で、吾を懇待された娘か、何して此家に在《ある》や。」

と云へば、

「兩親も歿したので、緣に觸れて、爰に奉公す。」と答ふ。

「扨は。緣あらば、不思議の再會もぞする。就ては、今夜、一大難儀に逢ひ居る。そもじの働きで、救ひ玉はれ。」

とて、盜賊に付けられた仔細を語ると、「彼《か》の盜人は、此街道、著名の兇漢で、其れを厭ふて追出《おひいだ》さば、此家に仇《あだ》をするから、止むを得ず宿し置いた。所詮、金を持居《もちをつ》ては、命も危うし。妾《わらは》に一策あれど、申し難し。」

と云ふに、此男、嬉しく、

「萬事、其方の敎へに隨ふべし。」

と云ふ。女、

「如何《いかが》なる申し事《ごと》だが、其金を、暫く、妾に預け、夜更けて、脫れ走り玉へ。金を預つた印《しる》しは、此外に、なし。」

とて、髮にさした櫛を取つて、

「この櫛だに、持來《もちきた》らば、金を渡さう。」

と言つた。男、悅んで、肌《はだへ》の金を、女に渡し、其櫛を懷中し、女の敎へのまゝに、

「明朝、六つ時に立つべし。」

と勝手へ告げ、寅の刻迄、俟つと、女、竊《ひそ》かに、來て、戶を開いて、押し出す。其より、敎へられた道をしるべに、遁れて、早く、己《おの》が在所へ着いた。

 村人、交々《こもごも》、來たつて、無事を悅ぶ事、大方ならず。夜更け、人も來らず成つて、此男、母・妻に、櫛を示し、仔細を語り、

「明朝、親しき人に持たせ遣《つかは》して、金子と引き替へ來らしめん。」

とて、神棚へ納めて臥《ふし》た。翌朝、起きて、神棚を開くに、櫛が無い。百方、搜索しても、彌々《いよいよ》見えず。已むを得ず、知人、二、三輩、同道して、其日の暮方、桶川の驛舍に着し、

「櫛は紛失したれど、自分、對談せば、疑はずに、金を渡さるべしと、思ふて來た。」

と言うに、

「先刻、あなたの使《つかひ》とて、精《くは》しく、口上あつた故、金を渡した。乃《すなは》ち、櫛は、是《これ》に在り。」

とて、頭より取つて示すに、男、大いに驚き、失望す。女、熟考して、

「一先づ、村に歸り、必ず、騷ぎ惑ふ體《てい》を見せず、暫《しば》し程《ほど》へて、久々で江戶より還つた祝ひに、村人、殘らず、饗應に招き玉へ。金を渡した人の顏を、よく覺え居れば、饗應の日、定まらば、窺《ひそ》かに知らせ玉へ。妾、往きて、偷《ひそ》かに覗《うかが》はば、其人を見出だす事も有るべし。これ、必ず、遠方の人の所業でなく、村中《むらうち》の者が騙《かた》つたので有らう。」

と云つた。

 男、理に服し、歸村し、一、二日あつて、村中へ、禮に廻り、

「一同を、招請したし。」

と述べた。其後、村人、申し合せて、

「何の日、參るべし。」

と申し來たり、當日、名主以下、悉く、來會した。宴半ばなる頃、彼《かの》女、窺《ひそ》かに、勝手へ來り覗ふて、

「彼《か》の上客の、次の男こそ、前日、金、受取つた人なれ。」

と云ふを見れば、名主の子也。

「さもあれ、今、此場で、申し出《いで》んも、いかが。」

と躊躇する。此女、

「否《いな》。此席を過ぎなば、後に糺さん證據、なし。唯今、其人を捉えて[やぶちゃん注:ママ。]その由を言ひ玉へ。其人、承服せずば、妾、自《みづか》ら出《いで》て斷《ことわ》り申すべし。」

と云ふ。男、敎へのまゝ、名主の子を捉へて、

「此人、我《わが》金子を騙り取つた。」

と、委細、話すと、名主、大いに怒り、

「確かなる證據、有りや。」

と問ふた。男、廼《すなは》ち、女を呼ぶと、女、進み出《いで》て、

「この人に違ひ無し。」

と言ふ。名主も、

「斯《か》く確かな證人有る上は、一先《ひとまづ》、立ち歸り、忰《せがれ》が器物を穿鑿すべし。夫迄《それまで》、此忰を動かさぬ樣《やう》。」

と云つて、家に歸り、暫く有つて、立ち歸り、

「さてさて、面目なき次第。この忰が簞笥の底に、此金子、言はるゝ如く、百七十兩あり。不屆き至極なる事。」

とて、財布を亭主に渡す。頓《やが》て、名主の子、其座を立《たつ》て跡を晦《くら》まし、其家の妻、亦、行方《ゆくへ》知れず。そこで村人一同、申しけるは、

「是迄《これまで》は包んだが、斯くある上は、述ぶる也。亭主、江戶へ行き、不在六年の間に、名主の息、此家の妻女と、懇ろ、眼に餘る次第、誰《たれ》知らぬ者も無かつたが、今日迄、知らせず。さればこそ、櫛の一條も起つた。」

と云ひ續けた。かくて、人々、歸りて後、此男も獨身なり。老母を介抱すべき人もなければ、

「幸ひ、桶川の彼《かの》女、發明な上、是迄まで、再宿の奇緣もあり。年は、餘程、違ふが、妻として、然るべし。」

と、人々が取り持つて、夫婦とした、とある。

 

       

 

 右の話は「大岡仁政錄《おほおかにんせいろく》」の内、「越後孝子傳」の中にもあり、男を傳吉、女をお六と云ふ。それを仕組んだ芝居が、予等《よら》の幼時、上方で屢《しばし》が演ぜられ、又、チヨンガレ、乃《すなは》ち、「浮れ節」にも語られた。お六は、平素、父母に孝行な上、この俠氣《けふき》[やぶちゃん注:弱い者を助けようとする気性。]な行ひが有つたので、大岡忠相が賞讃して傳吉に添はしたのだつた、と覺えてゐる。「守貞漫稿」九編に、『今世、木曾路《きそぢ》藪原《やぶはら》驛邊にて木製の麁《そ》なる指し櫛を製し、專ら賣之《これをうる》也。號《なづ》けて「於六櫛《おろくぐし》」と云ふ。古《いにし》へお六と云ふ孝女、始之《これをはじむ》。故に名とす、と云傳《いひつた》へり。又、東海道土山《つちやま》驛にても、似之《これにに》る櫛を賣る。多くは「素《そ》」に非ず、「粗《そ》」なる朱塗又は藍《あゐ》色のちやん塗り等にて、鍮粉《ちゆうふん》の蒔繪等ある物也。三都の人は用ひず、專ら鄙用《ひよう》なり。」とあり、文化元年成つた「木曾路名所圖會」三に、『「名造《めいざう》お六櫛」、宮腰、藪原、奈良井《ならゐ》等《とう》に、此店、多し。抑《そもそ》も此《この》お六櫛は、木曾の山中の名造にして、山間に、田圃、少なければ、多く、諸品を造り、之を貨《うり》て業《なりはひ》とす。特《こと》に近年、「お六櫛」と銘して諸州に商ふ。木は「棟梁(ムネハラ)」[やぶちゃん注:ルビではなく、本文。]と云ふを製す。」と記《しる》す。「ムネハラ」は「ミネバリ」の木を指すものか。拙妻の話しに、「以前は、厚く丈夫な櫛の棟側《むねがは》に「お六」と銘したのが、熊野邊迄も弘《ひろ》まり居《をつ》たが、昨今、更に見受けず。」と。他國には今も行はるゝにや。木曾の孝女と、桶川の俠女と、別人ながら、何《いづ》れも櫛に緣有る故、孝女の名を採つて俠女に付けたと見える。

[やぶちゃん注:『「大岡仁政錄」の内、「越後孝子傳」』この二つのタイトルでは、国立国会図書館デジタルコレクションでは、当該話がかかってこない。内容的に最も酷似したものなら、作者不詳の「大岡仁政錄越後傳吉之傳 古今實錄」(明一八(一八八五)年鶴声社刊)があるが(リンクさせた「目錄」の章題だけみてもそれが判る)、主人公は確かに「傳吉」であるが、ヒロインは「お專」である。

『チヨンガレ、乃ち「浮れ節」』とあるが、「チヨンガレ」は「浮れ節」とはイコールではない。ウィキの「チョンガレ」によれば、『ちょんがれは、ちょぼくれとも呼ばれる門付芸である。詞章の頭に「ちょんがれちょぼくれ」と連続する部分があり、主に上方では「ちょんがれ」と、江戸・東京では「ちょぼくれ」と呼ばれた。しばしば阿呆陀羅経とも極めて近い芸能とされる』とあり、『江戸時代後期の大坂を発祥とする。江戸に下って「ちょぼくれ」と呼ばれるようになった』し、『「ちょんがれ」は、のちの浮かれ節や浪曲(浪花節)につながる芸能である』(下線太字は私が附した)とあるのに対し、「浮れ節」というのは、「浪曲節」の『大阪から西の地方で』の言い方であると、ウィキの「浪曲」「浮かれ節」から転送されいる)にあった。

「守貞漫稿」は所持する同一書(別書名)の所持する岩波文庫「近世風俗志」で校合した。

『「木曾路名所圖會」三に、『「名造《めいざう》お六櫛」、……』同書は各所の名所図絵のベストセラーを流行らせた秋里籬島の中でも代表的なもので、安永九(一七八〇)年に刊行されたもので、中山道だけでなく、日光までの道程も書かれてある。以上の当該部分は、国立国会図書館デジタルコレクションの「大日本名所圖會」第二輯第一編(大正八(一九一九)年刊)の当該部(「信濃」「藪原」の「名造お六櫛」)のルビを参考にした。但し、そこでは「ムネハラ」ではなく『棟梁(むねはり)』とある。「藪原驛」は中山道三十五番目の宿場で、現在の長野県木曽郡木祖(きそ)村のここ(グーグル・マップ・データ)。

「麁なる」大雑把な。粗末な。「精密な細工や凝った飾りなどをしない素朴な」の意でとっておくが、後の方では、相応な細工がなされたものもあるようである。

「於六櫛」現在も長野県木曽郡木祖村薮原の名産品である。当該ウィキによれば、『お六櫛の始まりについては、次のような伝説がある』。『持病の頭痛に悩んでいた村娘お六が、治癒を祈って御嶽山に願いをかけたところ、ミネバリで櫛を作り、髪をとかしなさいというお告げを受けた。お告げのとおりに櫛を作り』、『髪を梳いたところ、これが治った。ミネバリの櫛の名は広まり、享保の頃になると、中山道藪原宿の名物として作られるようになった』。『太田蜀山人』の「壬戌紀行」(じんじゅつきこう:享和二(一八〇二)年)や、『山東京伝』の「於六櫛木曽仇討」(おろくぐしきそのあだうち:文化四(一八〇七)年)に『その名が見られるなど、江戸時代から知名度は高かった』。『弘化年間』『には、藪原宿の』七十八『%の家が櫛に関する仕事に就いていた』とあった。

「棟梁(ムネハラ)」『は「ミネバリ」の木を指すものか』同前のウィキに、『お六櫛の主要な原材料はカバノキ科のミネバリやイスである』。『ミネバリは硬いだけでなく』、『粘りがあり、狂いも出ないことから、最適の素材とされる』。『イスは耐朽性に優れて割れにくく、肌目は極めて緻密で表面仕上がりは良好とされる』とある。「ミネバリ」はブナ目カバノキ科ハンノキ属ヤシャブシ Alnus firma の異名当該ウィキによれば、『ヤシャブシ(夜叉五倍子)の名の由来は、熟した果穂が夜叉にも似ていることから。また果穂はタンニンを多く含み、五倍子(フシ)の代用(タンニンを多く含有する五倍子は古来、黒色の顔料、お歯黒などに使われてきた)としたためといわれる。オハグロノキとも呼ばれる』とあった。また、「イス」はユキノシタ目マンサク科イスノキ属イスノキ Distylium racemosum のこと。当該ウィキによれば、『材は本州や四国に自生する木の中では』『非常に堅く重い部類となる』ともあった。

「土山驛」当該ウィキによれば、『近江国甲賀郡にあった東海道五十三次の』四十九『番目の宿場で』、『現在の滋賀県甲賀市土山町北土山』及び『土山町南土山にあたる』とあった。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「ちやん塗り」松やにを塗ったもの。

「鍮粉」真鍮を細かい粉にしたもの。

 なお、以下の「本朝藤陰比事」の一話は、「一」同様に、読み易さを狙って、改行し、段落を成形した。]

 上に長く引いた「譚海」は、安永四、五年[やぶちゃん注:一七七五年から一七七六年頃。]の交[やぶちゃん注:ママ。「頃(ころ)」の意らしいが、「交」には、その意味はない。]、筆を起した書といふ。然らば、「譚海」より少なくとも六十年前の出板、「本朝藤陰比事《ほんてうとういんひじ》」一に、次の話ありて、疑いなく、お六・傳吉の話は、之から化出《ばけだ》したと思はれる。云《いは》く、

 城州鷺坂《さぎさか》村の大工彥六、妻を思ひ置《おき》て關東へ下り、五年間、稼いで、金子百兩三分拵《こしら》へ、故鄕へ還る途中、「宮の渡し」邊より、二人の大男に附かれ、甚だ困り、水口《みなくち》宿で、人定《ひとさだま》まつて後[やぶちゃん注:「夜中、人々が、皆、寝静まって」後(のち)の意であろう。]、竊《ひそ》かに古い片手拭に金を包んで、宿後《やどうしろ》の藪に埋《うず》め、印《しる》しに箸《はし》一本を立置《たてお》いた。

 翌朝、宿を出て、町外れの松原で、大男どもに捕へられ、金を强求《がうきゆう》された。

 彥六、裸に成つて、唯《ただ》、卅文を出すと、盜賊、憫《あは》れんで、二百文、呉れた。

 在所へ歸つて、此事を妻に語り、明日《あくるひ》、早々、水口の籔[やぶちゃん注:ママ。]に往き、掘つて見るに、金、なければ、家に歸つて、自殺を圖る。

 所へ、隣人、來《きた》つて、地頭へ訴へさせた。

 地頭、

「汝、家内は。」

と問ふに、

「吾等夫婦と、妻が愛育せる猫一疋。」

と答ふ。

 地頭、命じて、「急ぎ、酒を調へ、『無事歸鄕』を祝ひて、村中一同を饗《きやう》し、其席へ、猫を放つて、猫が誰かの膝の上に登らば、その者の名を申出《まうしい》でよ。」

と云つた。

[やぶちゃん注:「本朝藤陰比事」江戸時代作者不詳の裁判物。当該話は巻之一の巻頭を飾る「失ひたる金子再」(ふたたび)「手に入」(いる)「大工」。国立国会図書館デジタルコレクションの『近世文藝叢書』第五(明治四四(一九一一)年國書刊行會刊)のこちらから読める。

「城州鷺坂村」旧村名としては見当たらないが、京都府城陽(じょうよう)市富野鷺坂山(とのさぎさかやま:グーグル・マップ・データ)附近と考えてよかろう。

「宮の渡し」現在の愛知県名古屋市熱田区神戸町にある「七里(しちり)の渡し跡」(グーグル・マップ・データ)。熱田神宮の南直近にあったことからの、より知られた通称の一つ。

「水口宿」近江国甲賀郡にあった東海道五十三次の五十番目の宿場。現在の滋賀県甲賀市水口町旧市街で、この附近(グーグル・マップ・データ)。]

 扨《さて》、宴席で猫を放つに、誰の膝へも上らず。

 日傭《ひやとひ》の與五八《よごはち》、後《おく》れ到《いた》るに、猫、忽ち、其膝に上る。

 因つて、翌朝、申し出る。

「與五八、老母と、只、二人貧しく暮らし、母に孝なり。」

と聞き、老母のみ、御前《ごぜん》へ召し、問はるゝに、

「わが子、頃日《このごろ》、『少々、仕合せしたる初穗。』とて、錢五百文、『參詣の散錢《さんせん》[やぶちゃん注:「賽錢(さいせん)」に同じ。]に。』とて、くれし。」

と申す。

 一時《いつとき》許り、門前に控へさせた後、彥六に、

「古片手拭《ふるかたてぬぐひ》の土《つち》付きたるに、包みながら下さるゝ百兩のうち、一兩は、拾ひたる者、早《はや》、遣《つかひ》ひたり、と思ふ。村中の者ども、馳走された禮に、償《つぐな》ひやるべし。彥六が女房は、思案の上にて、離別するとも、勝手次第。與五八は、今後も孝行し、其孝行の志《こころざし》を以て、他人に難儀を掛《かく》る樣《やう》なる、非道の心を、改むべし。」

と言渡《いひわた》された。

 實は、門前に控へさせた間に、役人を、與五八方へ、遣はされ、諸道具を改めしめしに、金子一包を、古き片手拭に、土附きながら包んだのを、古長持《ふるながもち》の底より見出《みいだ》し、持歸《もちかへ》つたのだ、と。

 此話には、櫛のこと、一切、見えぬ。然し、姦夫が、姦婦から、本夫《ほんぷ》の祕事を聞き取り、本夫よりも、手𢌞《てまは》[やぶちゃん注:底本では「手廼」であるが、「選集」を参考にして、かく訂した。]しよく、金を手に入れた趣きは、全くお六・傳吉譚と同型だ。畜生が、日頃、愛し吳れる主婦と、心安い男子に狎《な》れ親しんで、其姦慝《かんとく》を露顯せしめた譚は外國にも有る。

[やぶちゃん注:「姦慝」邪(よこし)まで悪いこと。邪心を隠し持つこと。隠れた罪悪。

 なお、次の「三」の話も読み易さを考慮して、盛んに改行し、段落を成形した。]

 

       

 

 古印度の鞞提醯國《びだいけいこく》の重興王《ちやうこうわう》が賢相大藥《たいやく》に國政を委ねた時、一婆羅門、早く書論に閑《なら》ひ、妻を娶る爲に、多く、財賄《ざいわい》[やぶちゃん注:「財」「賄」共に「宝(たから)」の意で、金銭と品物。]を費やした。

「是では、ならぬ。」

と氣が付《つい》て、金儲けの爲め、旅行し、漸く、五百金錢を獲《え》、還《かへ》つて、自村《じそん》、近く成つて、考へたは、

『自分の妻は、年、若く、貌《すがた》、美しい。久々の留守中に、吾褄《わがつま》ならぬ褄を重ね居《を》るも知れねば、無闇に此金を見せるは、禍ひの本《もと》。』

と合點して、林中に趣き、多根樹下《たこんじゆか》に埋《うづ》めて、宅へ歸つた。

 其艷妻(えんさい)は、

「夫《をつと》の不在に、『洗濯』。」

と、「善聽」と名づくる婆羅門《バラモン》と情を通じ、「洗濯の仕合ひ」を續け居《をつ》た。

 當夜も、盛んに、芳饌《はうせん》[やぶちゃん注:「佳肴」(かこう)に同じ。]を設け、食ひ訖《をわ》つて、一夜を千夜と、いちやつく内、突然、夫が歸つて門を敲く。

「誰《た》ぞ。」

と問ふに、亭主也。

 妻、忙《いそ》ぎ、善聽を、臥牀下《ぐわしやうか》[やぶちゃん注:ベッドの下。]に隱し、門を開き、夫を見て、大悅の體《てい》を現じ、房内に入《いれ》て、餘饌を振れ舞ひ[やぶちゃん注:ママ。]、飽滿《はうまん》せしめた。

 夫、

『是は、妻が他の男と私通し居るらしい。左無《さな》くば、夜中、斯《かか》る美食を設《まう》くる筈、なし。』

と考へ、

「今日は、吉日でも節句でも無きに、何故《なにゆゑ》、こんな上等な食事をするか。」

と問ふと、妻、

「最近、天神より、『汝の夫は、歸り來たるべし。』と夢の告《つげ》が有つたから、特に馳走を設けて待つて居《をり》ました。」

と答へた。

 夫、聞いて、

「我、誠に福力あり。豪《すご》い物だ。家に歸らうとすれば、天神が、妻に、夢で、知らす。」

と言つた。

 食を濟ませ、身を洗ふて、久し振りに、妻と同寢《ともね》して、不在中の事共を問ふ中《うち》、妻、夫に、

「君、われに離れて、久しく求めた財錢《ざいせん》は、手に入《はい》つて歸つたか。」

[やぶちゃん注:「と」が欲しい。]問ふと、

「少々は、持ち歸つた。」

と答へた。

 其時、妻、牀下に隱れ居る善聽に、合圖で、謹聽《きんちやう》を促《うな》がし、夫に、

「幾許《いくばく》、金錢を持つて來たか。」

と尋ねると、

「五百。」

と答ふ。

「何處《どこ》に置いたか。」

と問ふと、

「明日、見せよう。」

と云つた。

 妻曰く、

「われと、君と、同一體なるに、何故《なにゆゑ》、祕するや。」

と。

 夫曰く、

「城外に隱した。」

と。

 妻、又、合圖で、情夫の留意を促がし、

「城外の、何處へ隱したか。」

と問ふに、

「某《ぼう》林中、多根樹下に。」

と答へた。

「隨分、旅行と私の身の心配とで勞れたでせう。速く、息《やす》みなさい。」

と言はれて、夫は眠つて了《しま》ふ。

 善聽は、情婦の勸めに、早速、其宅を出て、件《くだん》の樹下を掘《ほつ》て、五百金錢を盜み、自宅へ還つた。

 翌曉《よくあかつき》、婆羅門、林下へ往つて見ると、金錢、なし。

 自《みづか》ら、頭を拍《う》ち、胸をたゝき、大《おほい》に哭《な》いて、還る。

 親類・朋友らの勸めに隨ひ、泣いて、賢相大藥に訴へると、大藥、暫時、無言の後、

「何時《いつ》、何處へ、其錢《ぜに》を隱したか、誰か、見て居《をつ》たか。誰かに、話したか。」

と問はるゝまま、一々、答へた。大藥、

『是は、妻が情夫を持ち、其男の所爲《しわざ》だ。』

と察したが、先づ、婆羅門を慰めて、

「其金錢の見當らない日には、自分、償《つぐな》ひやるべし。」

と語り、

「扨、汝が宅に、犬、有りや。」

と問ふに、

「有る。」

と答へた。

「然らば、宅に歸り、斯《か》く斯くせよ。」

と計《けい》を授けた。

 婆羅門、其敎《をしへ》の儘に、歸宅し、妻に向つて、

「我、旅へ立つ時、『この旅、成功せば、八人の婆羅門を供養すべし。』と大自在天に立願《りふぐわん》した。今度、無事に還つたから、左樣せにや成らぬ。付《つい》ては、婆羅門、八人の内、四人を、予が招待するから、汝も、四人を招待せよ。」

と云つた。

 其から、又、大藥の所に至ると、大藥、其家來一人を、婆羅門に副《そ》えて[やぶちゃん注:ママ。]、

「其宅へ、八客人、來たる時、門側《もんがは》に、此男を立たしめ、彼ら、飮食中、此者を戶内《こない》に立たしめよ。」

と敎へ、其男には、

「何ごとによれ、注意を怠らず、八客人の内、誰に犬が吠え懸り、誰に尾を掉(ふ)り向ふかを、審《つまびら》かに視よ。」

と命じ、さらに婆羅門に敎へて、

「每客に饌を据《すゑ》る事を、自分《おのづから》爲《なさ》ずに、妻に任せおけ。」

と言ひ、家來に命じて、

「饗應中、妻の動作に注意せしめ、誰に向かつて合圖をなし、誰と言《こと》いふに、顏色、變《へん》ぜず、誰と語るに、笑顏、よく、誰に最好の饌を据える[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]かを、よく覺えてわれに報ぜよ。」

と言ひ含めた。

 其より、婆羅門、其家來を連れ、歸宅し、門口《かどぐち》に立番せしめ、自分と妻とが、各《おのおの》四人の客を招くに、七客、前後して到る每《ごと》に、犬、吠《ほえ》た。

 其に引換《ひきか》へ、善聽、入り來《きた》ると、犬、吠ず。

 その面を、眺め、耳を垂れ、尾を掉つて、後《あと》に隨ひ行つた。

 座、定まつて、諸客に膳を据える[やぶちゃん注:ママ。]時、主婦、眉を搖《ゆる》かして、善聽に相圖し、又、微笑し、又、注視し、一番好い饌を、彼に据えた。かく、見屆けて、家來は、大藥に、注進した。

 大藥、聞き已《をは》つて、善聽、果たして、五百金錢を盜んだ、と、知り、召し、責むれど、服せず[やぶちゃん注:底本「せず」。「選集」で訂した。]。

「死ぬまで、禁獄すべし。」

と脅《おびやか》されて、遂に、白狀した。

 善聽、乃《すなは》ち、歸宅し、包みの儘に、五百金錢、持ち來つて、大藥に渡せば、大藥、之を、婆羅門に渡し、婆羅門、謝恩の爲に、其半ばを、大藥に寄せたのを、一先づ、受けて、直ちに、之を、返戾《へんれい》した。

 この報、城内に聞ゆると、王・相《しやう》・臣・民、擧《こぞ》つて、大藥の智を稱せざる無く、孰れも、斯《かか》る名人を得て、政事を任せたるを相賀《さうが》した。(「根本說一切有部毘奈耶雜事」二七。シェフネル譯「西藏《チベット》諸譚」八章)

[やぶちゃん注:「鞞提醯國」「ヴィデーハ国」で、古代インドの国名で、現在のビハール州(グーグル・マップ・データ)北部にいたヴィデーハ族の国名らしい。

「重興王」不詳。読みはあてずっぽ。

「大藥」不詳。同前。

『シェフネル譯「西藏《チベット》諸譚」八章』エストニア(当時はロシア帝国)生まれのドイツ系の言語学者でチベット学者のフランツ・アントン・シーフナー(Franz Anton Schiefner 一八一七 年~一八七九年)の著書Tibetan tales, derived from Indian sources(「インドの情報に由来する、チベットの物語」)。「Internet archive」のこちらが当該章。]

 

       

 

 此に因《よつ》て彼《かれ》を惜しむを、漢語に「屋(をく)を愛して、烏(からす)に及ぼす。」と云ふ。上に述べた猫と犬は、奧樣を愛して、其情夫に及ぼし、却《かへ》つて恩人の密事を暴露したのだ。然し、數多《あまた》の畜生の中には、相應に、よい謀《はかりごと》を運《めぐ》らして、恩人の情事を遂げさせた例も有る。西鶴の「好色二代男」六に、『伏見の廓《くるわ》「桔梗屋」の遊女「最中(もなか)」と云ふ者、京役者山川《やまかは》てふ美男に心を移し、浮名を立《たて》て、自《おのづか》ら勤め淋しく成るを、親方、折檻して、春雨《はるさめ》の夜《よ》、桃林《とうりん》に追出《おひだ》せば、惜しまぬ曙《あけぼの》は深く、尙、頻りに車軸《しやじく》して、泡沫《うたかた》の、今にも命《いのち》の消えるに、「山川の、音《おと》も、せぬか。」と歎く。世に情《なさけ》は掛けて置くまじき者には非ず。犬さへ、我を悲しみ、宵より俱《とも》に濡れて、物こそ言はね、伽《とぎ》とも、なれり。竹垣を、潜りて行方《ゆくへ》知らず、見えねば、是も、うたてかりしに、常の別れに跡を慕ひて、京の道筋を覺へて[やぶちゃん注:ママ。]、山川が住家《すみか》の板戶《いたど》に近く、聲の忙《せは》しきに、寢覺《ねざ》めを驚き、門に立出《たちいで》て見れば、彼《かの》里の犬也。「如何樣《いかさま》にも、心得難し。」と、其夜を籠《こめ》て、一番鷄《いちばんとり》の二の橋で鳴く時、漸く驅着《かけつ》け、揚屋《あげや》の淸右衞門に樣子を聞いて、兎角は命が有る故に、『由無《よしな》き思ひ』と、心底《しんてい》、極むるを、色々、異見申し盡《つく》して、親方にも内證《ないしやう》申して、又、昔の如く、逢はせけるに、尙、「二世《にせ》まで。」と申し交《かは》し、互ひに、小指の先に燈心を、束《つか》ねて油《あぶら》に浸《した》し、自づと、消ゆる迄、顏、見合せて、固めけるは、例《ためし》なき事也。後には、見るも怖ろしく、何《いづ》れも、親方に殘る年《ねん》を貰ひて、山川を請出《うけだ》して、日ごろの思ひ出、是ぞかし。と有る。

[やぶちゃん注:「屋(をく)を愛して、烏(からす)に及ぼす」「愛(あい)、屋烏(をくう)に及ぶ」「屋烏の愛」とも言う。「人を愛すれば、その人の住む家の屋根にいる烏(からす)まで好きになる」で、「愛する人の関係するすべてのものが好きになること」の喩え。

『「好色二代男」六に、伏見の廓「桔梗屋」の遊女「最中」という者、……』「小指は戀の燒付(やきつけ)」。国立国会図書館デジタルコレクションの『定本西鶴全集』第一巻(潁原退蔵他編一九五一年中央公論社刊)のここから読める。但し、歴史的仮名遣は原本自体が不全である。熊楠の引用は、概ね、本文に即している。当該部は、ここの見開き部分である。]

 ハラムやヒユームが言つた通り、中古から歐人が喋々《てうてう》する艶道《えんだう》(ガラントリー)[やぶちゃん注:ルビではなく、本文。]は、本邦の平安朝に盛えた其れと等しく、姦通・私奔《しほん》[やぶちゃん注:「駆け落ち」のこと。]、十の七、八に居《をつ》たれば、美名で非行を葢《おほ》ふたのだ。其に引替《ひきか》え[やぶちゃん注:ママ。]、一雙《いつさう》の朱唇、萬客、嘗《な》め次第と定まつた近古の日本遊女に、義理を立て、節操を守り、身を黃白に任せなんだ者、西洋に比して、格段、多かつたは、其志《こころざし》、例の武士道を立て通した武士にも劣らず、東海姬氏國《とうかいきしこく》の精英は、男子に存せずして、妓女に存すとも謂ふべし。勸學院の雀は「蒙求」を囀り、スパルタの豕《ぶた》は鈴音を聞けば隊伍を正《ただ》して立つた。其から、南方先生方の錢龜《ぜにがめ》・ヒキガイルは斗酒《としゆ》だも、辭せぬ。道理で、遊女道の壯《さか》んだつた世には、犬迄も、義理を知り居《をつ》た事と惟《おも》ふ。

[やぶちゃん注:「ハラム」イギリスの歴史家ヘンリー・ハラム(Henry Hallam 一七七七年~一八五九年)か。一七九九年、オックスフォード大学を卒業し、弁護士を開業したが、その後は歴史研究に専念し、「中世ヨーロッパ観」(The View of the State of Europe during the Middle Ages:一八一八年)・「イギリス国制史」(Constitutional History of England:一八二七年)・「十五世紀から十七世紀に至るヨーロッパ文学序説」(Introduction to the Literature of Europe in the 15th16th and 17th Centuries:一八三七年~一八三九年)等を著わした。終生、「ホイッグ党」の支持者として、奴隷貿易廃止を擁護した(「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。

「ヒユーム」スコットランドの哲学者デイヴィッド・ヒューム(David Hume 一七一一年~一七七六年)か。ロック・ベーコン・ホッブズと並ぶ英語圏の代表的な経験論者であり、生得観念を否定し、経験論・懐疑論・自然主義哲学に絶大な影響を及ぼした。歴史家・政治思想家・経済思想家・随筆家としても知られ、啓蒙思想家としても名高い(当該ウィキに拠った)。

「艶道(ガラントリー)」gallantry。ギャラントリィ。ここは、一般に言われる西洋の「騎士道」、精神や行為の気高さ・勇敢さ、特に、女性に対する騎士道的気遣い・礼儀正しさを指す語である。

「東海姬氏國」梁の高僧宝誌和尚が、文字を交錯させて作り、吉備真備が観音の助けによって読んだという伝説のある「耶馬台詩」の句「東海姬氏國、百世代天工」に拠るもので、「東方の海上にある、女性が首長である国」の意。則ち、「日本國」のこと。

『勸學院の雀は「蒙求」を囀り』諺。平安時代、藤原氏の子弟教育のために創建された学校勧学院に巣を作る雀は、身近な学生たちが、朝夕、朗読する「蒙求」を覚えて、声を合わせて囀る、というもので、「身近に見たり、聞いたりすることは、自然に習い覚えてしまうこと」の喩えとされて使われる。「蒙求」(もうぎゅう)は、唐の李瀚(りかん)の撰になる、年少者向けの歴史上の教訓を記した啓蒙書。

「スパルタの豕は鈴音を聞けば隊伍を正して立つた」出典を知らないが、古代ギリシア世界で最強の重装歩兵軍を誇った、かのスパルタの豚ならば、判らぬではない。なお、スパルタの兵士養成訓練では、豚の血をベースとした真っ黒な臭くて不味い「ブラック・スープ」が食事とされたらしい。]

梅崎春生「つむじ風」(その15) 「風強し」

[やぶちゃん注:本篇の初出・底本・凡例その他は初回を見られたい。]

 

     風 強 し

 

 朝八時、加納明治は銅鑼(どら)の音で、目を覚ました。頭がしんしんと痛んでいた。

 いつにない夜更かし、冷酒のがぶ飲み、それが原因に違いなかったが、がぶ飲みの後の行動の記憶も、思い出すとさっぱり面白くない。

「ううん、チェッ。アチャラカパイ!」

 屈辱の記憶を頭から振り払うために、加納はうなり声を出し、でたらめの呪文をとなえた。思い出したくないことを思い出した時、そんなでたらめを口辷るくせが加納にはあるのである。

[やぶちゃん注:「アチャラカパイ!」「あちゃらか」は小学館「日本国語大辞典」によれば、『「あちら(西洋)か(化)」の変化した語という』とあり、『深い意味もない、滑稽なしぐさや、にぎやかなふるまいで観客を笑わせる芝居。オペラを換骨奪胎したもので、昭和の初年流行。どたばた喜劇』とある。「パイ!」は「アチャラカ」をお笑いの殺し文句や呪文のようなものに変じさせるものか、いなすような投げやりな感動詞であろう。本小説よりもずっと後のことだが、色川武大に戦前から敗戦前後の浅草を舞台に活躍した軽演劇の芸人の実話を小説とした「あちゃらかぱいッ」(そこでは主に浅草芸人土屋伍一が描かれる。初出は『別冊文藝春秋』に二回分(一九七九(昭和五四)年・一九八〇年)、『オール讀物』に第三回 (一九八七年)。単行本は「浅草葬送譜」と合わせて一九八七年文藝春秋刊)があるが、一九九〇年に文春文庫化されたのを機に初めて彼の作品を読み、大変面白く、一年程、色川はマイ・ブームになった。未読の方は、是非、お薦めである。

「口辷る」はママ。「くちすべる」と読むしかないないが、「口を辷らす」「口を滑らす」ならまだしも、この表現は私は見たことがない。思うに、私は「口走る」「口走らす」がしっくりくる表現で、その誤記か、「口走る」の誤植のように思われる。それは、「辷る」の場合、梅崎はルビを振るのが癖だからでもある。]

 銅鑼はふたたび鳴りわたった。

 その銅鑼の音は、何をぐずぐずしてるんだという催促と、ざまあ見やがれという嘲笑と挑戦のひびきを持っていた。持っているように加納には感じられた。

 加納は蒲団を足ではね飛ばし、さながらシャコの如くはね起きた。はね起きたのはよかったが、酔いがまだ残っているので、ふらふらとよろめいて、傍の柱にしがみついた。

 洗面所で洗顔、大急ぎで身支度をととのえ、加納は仏頂面で食堂に出た。

 塙女史はいつもと同じく、調理台を背にして、じっと立っていた。いつもとちがうのはその顔で、いささかの表情もなく、デスマスクみたいに動きがなかった。もちろん口ひとつきかず、入ってきた加納の顔を見ようともしない。

 食卓上には、朝食がととのえられていた。これもいつもと回じ、ハンコでも押した如く、果汁、半熟卵、トースト、マーマレードなどが並んでいる。

 ぶすっとした顔のまま、加納は椅子にかけ、塙女史に声をかけた。

「水と肝臓薬を持ってきて下さい。どうも二日酔のようだ」

 塙女史は石像のように、身じろぎもしなかった。返事もせず、眼はあらぬ方を眺めて、つんとしている。

 加納明治はむっとした。むっとして卓をたたいた。

「肝臓薬ですよ。肝臓薬!」

 塙女史は依然として沈黙。加納はややいきり立った。

「返事をしないのか。返事を!」

「…………」

「ははあ。口をきかないつもりなんだね」

 無念やるかたない表情になって、加納は腕を組んだ。

「さては昨夜のことにこだわってるんだな。酔った揚句(あげく)のことにこだわるなんて、塙女史らしくないぞ」

「…………」

「酔っぱらって、人を殺して、それで無罪になった例もあるんだよ。それが、なんだい、たかが寝室に侵入したくらいで」

「…………」

「寝室に侵入したのも、女史に反省を求めるためだったのだ。誤解するな」

「…………」

「肝臓薬!」

 ついに加納は怒声をあげた。

「持って来なきゃ、僕がとってくるぞ!」

 加納は椅子をはね飛ばして立ち上り、廊下をばたばたと書斎にかけ戻った。

 薬箱をあけて、肝臓薬をとり出そうとしたが、ふと思ひ直して、一升瓶の方に膝を移した。

 茶碗にどくどくと注ぐと、加納はそれをきゅっと一息にあおった。迎え酒というわけである。

 

 一杯の冷酒はたちまちにして、加納明治の二日酔の症状を鎮め、精神を爽快にした。覿面(てきめん)なものである。

「ざまあ見ろ。だからお酒を飲ませろってんだ」

 加納はひとりごちながら、ワサビ漬、ガンヅケ、その他の刺戟性食品を、ひとまとめに手に持ち、書斎を出て、また食堂に戻ってきた。

 塙女史はさっきと同じ姿勢で、視線をあらぬ方に向けたまま、調理台の前につっ立っていた。

 椅子に腰をおろし、加納はおもむろに紙包みをひろげた。わざと手荒く、音がするように、がさがさとひろげた。

 しかし塙女史は、相変らずつんとして、そっぽを向いている。

 加納はトーストをつまみ上げ、バターナイフでワサビ漬をぐいとえぐり、焦げた表面にべたべたとなすった。ついでに半熟卵にもガソヅケをこてこてとまぶしつけた。

「うまいなあ」

 トーストにがぶりと嚙みつき、加納は嘆声を上げた。もちろん塙女史に聞かせるための嘆声である。

「うん。実にうまい。ワサビ漬というやつは、実にトーストに合う」

 そっぽを向いていた塙女史の眼が、急にピカッと光って、こちらを見た。眼は見る見る大きく開かれて、ワサビ漬をにらみつけた。唇がやや動きかけたが、すぐに真一文字に戻ったところを見ると、女史はあくまで無言の行を貫徹する方針であるらしい。

 加納は内心にやりと笑って、卵の皿に手を伸ばした。

「このガソヅケ卵はどうかな」

 加納は皿を口に引き寄せ、フォークを使って一気に口の中に押し込んだ。もぐもぐと頰張りながら、犬げさに嘆賞した。

「うん、これもうまい。滅法うまい。兵隊の位に直せば、大将だ!」

[やぶちゃん注:「兵隊の位に直せば」若い読者のために言っておくと、放浪の画家で、戦後、「日本のゴッホ」「裸の大将」と呼ばれた山下清の名台詞として知られたものである。]

 しかし次の瞬間、加納は椅子を蹴立てて立ち上り、口を押さえ、よろめきながら流しの方に突進した。口に含んだものを全部はき捨て、大急ぎで水道の栓をひねり、コップでがらがらとうがいをした。

 塙女史の咽喉(のど)は痙攣(けいれん)した。しかし、驚くべき自制力によって、それは声にはならなかった。

 うがいを済まして加納が卓に戻る時も、まだ女史の咽喉(のど)は無音の痙攣をつづけていた。

「ふん。笑ってるな。笑いたけりゃ、声に出して笑えばいいじゃないですか」

 加納はやや不興気に言い捨て、たおれた椅子を起し、腰をおろしながら呟(つぶや)いた。

「うん。滅法辛かったなあ。まるで口の中が、大火事になったみたいだった」

 今度はガソヅケは敬遠し、ワサビトーストのワサビのついてない部分を少し嚙り、果汁をぐっとあおって、加納は立ち上った。ワサビ漬のたぐいを小脇にかかえた。置き放しにすると、塙女史から塵芥箱(ごみばこ)に捨てられるおそれがあるからだ。

 書斎に戻ってきて、ワサビ類を押入れにしまい、また加納はしき放しの寝床にもぐり込んだ。

 咽喉(のど)まで見えるような大あくびをすると、加納はまたうとうとと眠りに入った。二日酔には眠るのが一番よろしい。

 正十二時、昼食の銅鑼(どら)の音で、加納はふたたび眼を覚ました。

 

 ぐっすりとひと眠りしたので、二日酔の症状はとれ、加納明治の気分は快適であった。加納は寝床に半身を起した。

「おや、もう昼か」

 違い棚の置時計は、きっかり十二時を指していた。風が出て来たらしく、窓ガラスががたごとと鳴っている。

「さて。昼飯か」

 そうひとりごとを言いながら、加納は寝床を這(は)い出し、一升瓶の方に四つん這いで歩いた。もう二日酔は直ったのだから、迎え酒の必要はないのだが、好きな時いつでも飲めるという自由を、加納は行使して見たかったのである。

 茶碗にどくどくと注いで、ぐっと一あおり、加納は刺戟性食品を小脇にかかえ、軒昂として廊下に出た。

[やぶちゃん注:初回で注したが、再度言っておくと、梅崎春生は「注ぐ」「注いで」を「つぐ」「ついで」と読んでいる。「そそいで」ではないので注意されたい。この注はこれ以降は、もう注さない。]

 食堂には昼食の用意がととのっていた。野菜入りイタメウドン、野菜ドレッシング、果物盛合せ。相も変らぬ料理が面をつき並べている。

「風が出てきたようだね」

 椅子にかけながら、加納は塙女史に話しかけた。塙女史はいつもの場所につっ立っていたが、加納のあいさつが全然聞えないそぶりで、つんとそっぽを向いていた。

「折角話しかけたんだから、あいさつぐらい返したらどうです?」

 がさがさと包みをひろげながら、加納は言った。さっきの冷酒が気分を高揚させているので、塙女史の意地張りも、それほど癪(しゃく)にはさわらない。

「僕が自由に酒を飲むことが、そんなに口もきけないほど口惜しいのか」

 包みの中から七味唐辛子(とうがらし)を取出し、ウドンの上にこてこてに振りかけた。その動作を塙女史は横目で、無念げににらみつけた。加納はそれからコショウを取出し、これも振りかけた。

 加納は箸をとったが、思い直して箸を置き、立ち上って流しに歩き、大コップに水をなみなみとたたえ、また食卓に戻ってきた。今朝のような失敗を繰り返さないためにだ。

 加納はウドンを食べ始めた。唐辛子だのコショウは、これはデモンストレイションにかけたのであるから、実際にあたってはそこを避けて食べる。

「どうしても口をきかないと言うんだね」

 ウドンを口に運ぶ間の手に、加納は厭味を言い始めた。

「もう永久に口をきかないつもりかね」

「昨夜の絶叫が、あれが晨後の発言かね」

「舌切り雀のお宿はどこだ」

「短刀なんか、僕に無断で所持されては、困りますよ」

「時に女史はピンクの寝巻を着ていたが、あれは何という生地かね」

「女史にピンクはあまり似合わないね」

「ピンクが似合うという歳でもないでしょう」

 つっ立っている塙女史の表情が少しずつ動きを見せ始めた。しめたとばかり加納は厭味をつづけた。

「時に女史のバストはどのくらいですか」

「ウエストは六十五センチぐらいかな」

 加納は図に乗って、ウドンを皿からつまみ上げ、両手の指でささげ、丸橋忠弥みたいに目測をした。塙女史の眉がきりきりとつり上った。

[やぶちゃん注:「丸橋忠弥」彼については、かなりの私の記事で注してあるが、中でも、「老媼茶話巻之弐 惡人(承応の変始末)」、及び、「老媼茶話拾遺 丸橋忠彌」がよい。私もかなりの注を附してあるが、何より、後者の本文が強烈なリアリズムを与えていて凄い。未見の方は、是非、お薦めである。「目測」というのは、河竹黙阿弥の歌舞伎の「樟紀流花見幕張」(くすのきりゅうはなみのまくはり:通称「慶安太平記」・「丸橋忠弥」)で泥酔した中間に変装した彼が、江戸城攻撃に備えるため、掘の深さを測量しようとするシーンを指すか。私は文楽好きの歌舞伎嫌いなので、見たことがない。この推測は同歌舞伎のウィキを読んでの推量である。]

「時に女史のヒップは一メートル――」

 とたんに加納はウドンを皿に取り落した。玄関でブザーが鳴ったからだ。

 

 加納は厭味を中止して、箸の動きも止め、じっと塙女史を見た。塙女史はこめかみをびくびくさせながら、頑固に姿勢をくずさず、そっぽを向いていた。

「お客さまだよ」

 加納はうながした。

「僕の言葉が聞えないだけでなくブザーも聞えないのか」

 塙女史は姿勢を動かさなかった。ブザーがふたたび鳴りわたった。

「ツンボとあれば致し方ない。では、僕が出るとしよう」

 捨台詞を残して、加納は箸を置き、立ち上った。玄関に出た。玄関には二十七八に見える、ほそおもての若者がつっ立っていた。眼に特徴があった。

「加納先生ですか」

 いくらか傲岸な口調で若者は言った。

「そうです」

 ふところ手をしたまま、加納は重々しくうなずいた。処世の術として重々しいポーズをとることには、かねてから慣れている。

「先生にちょっと相談したいことがあるんですが」

 下に置いたリュックサックの若者は持ち上げた。

「上にあがらせて呉れませんか」

「相談?」

 文学青年らしいけれども、ちょっと図々しいな、と考えながら加納は反問した。

「何の相談だね?」

「だから上にあがって話しますよ」

「ふん」

 若者の顔から靴先まで、加納は見廻した。

「それよりも先ず、姓名を名乗りなさい。それが礼儀というもんだ」

「おれの名ですか。おれは松平陣太郎というものです」

 陣太郎は昂然と胸を張った。

「先生は、おれの姿に、見覚えはありませんか?」

「君の姿に、見覚えが?」

 加納はいぶかしげに、も一度陣太郎の頭のてっぺんから靴の先まで、じろじろと観察した。見覚えはなかった。あの時は、すこし酔っていたし、大狼狽もしていたから、全然対象を観察する余裕はなかったのだ。

[やぶちゃん注:「あの時」は傍点「﹅」。無論、読者には「あの時」は前に語られてはいない。梅崎春生の確信犯の仕儀である。]

「見覚えはないね。どうしてそんなことを言うんだね?」

「見覚えなければいいです」

 陣太郎は合点々々をしながら、靴の紐をとき始めた。

「とにかく上って話します」

 その強引なやり方に気押されて加納は黙っていた。

 陣太郎は靴を脱ぎ、リュックサックをぶら提げたまま、のそのそと玄関に上り、あちこちを見廻した。

「応接間はどちらですか。いや、書斎がいいな。大事な話だからな。先生の書斎はどちらですか」

「勝手にのそのそと上り込んで」

 加納もさすがに憤慨の色を見せた。

「書斎はどちらかとは、いくらなんでも、ちょっと図々し過ぎるぞ」

「いや。これには深い仔細があるのです」

 陣太郎は加納の正面に立ち、その魚のような眼で、じっと加納を凝視した。加納はたじろいだ。おっかぶせるように、陣太郎は命令した。

「書斎に案内して下さい!」

 書斎には、寝床がしき放しになっていた。

 加納明治はその寝床を、二つ折りにして隅に押しやり、おもむろに机の前にでんと坐った。

 陣太郎ものそのそと書斎に入り、机をはさんできちんと正坐した。両掌を畳につき、髪が畳に触れるほど頭を下げて、あらたまったあいさつをした。

「松平、陣太郎と、申します。今後とも、なにぶん、よろしく」

「ぼ、ぼくは加納」

 ばか丁寧な頭の下げ方をされて、加納はちょっとどもった。

「一体相談とは、何だね。原稿のことか」

「それもあります」

 陣太郎は身体をねじり、書斎にまで持ち込んだリュックサックの紐を解き、一束の用箋を引っぱり出した。

 その間に加納は、机の上の原稿用紙、辞書、日記帳のたぐいを、手早く整頓した。

 陣太郎は用箋束を差出した。

「これはおれが書いた小説です。御一読下さい」

「御一読下さいと言ったって――」

 百枚以上もありそうなその用箋を、ぺらぺらめくりながら、加納はうんざりした声で答えた。

「僕だって、たいへん忙しいんだからね。直ぐというわけには行かない。二ヵ月か三ヵ月、悪くすると、二年や三年ぐらいは、おや?」

 加納は最後の一枚に眼をとめた。

「これはまだ完結してないじゃないか」

「今、書きつつあるのです」

 陣太郎はゆったりと答えた。

「あとを書いたら、次々に持って来ます」

「すこし長過ぎるねえ」

 加納は渋面(じゅうめん)をつくった。

「も少し短いのはないのか」

 陣太郎は返事をしなかった。腕組みをして、上目使いにじっと加納を観察していた。妙な沈黙が書斎を領した。

「時に、先生の自動車は、今から半月前に――」

 腹話術師のように唇を動かさず、陣太郎は奇妙な発声法をした。

「正確に言うと、今から十六日前の午後六時二十分、三の一三〇七のナンバープレートをつけた自動車が、運転をあやまって、人をはね飛ばした!」

「あ!」

 加納は愕然として、身をうしろに引いた。

「ど、どうしてそれを知ってる?」

「おれは見たのです」

 陣太郎は右手を上げて、まっすぐ加納を指差した。

「おれは素早く、正確に、その番号を脳裡に刻みこんだ」

 切迫した沈黙が来た。その沈黙の中で、陣太郎は手をおろさないで、指差したまま差しっ放しにしていた。

「そ、その手をおろして呉れ」

 加納は悲鳴に近い声を出した。

「指差されていると、まるで公敵ナンバーワンというような気分になってくる」

 陣太郎はしずかに手をおろし、元の腕組みに戻った。

「と、ときに君は一体――」

 やや加納は落着きを取り戻した。

「僕にどうしようと言うんだ?」

「相談ですよ。先ほども言ったように」

 そして陣太郎は顎で一升瓶をさした。

「あれでも飲みながら、相談しましょう」

 

 加納明治邸の食堂では、今しも塙女史が食卓のそばに立ち、加納の残したウドン皿に顔を近づけていた。

「ふん。やっぱり七味唐辛子の部分は、残してあるわ。いくらなんでも、あんなにこてこてかけて、食べられる筈がない」

 軽蔑したような声で、塙女史はひとりごとを言った。無言の行のつらさを、ひとりごとでおぎなっているらしい。

「もうそろそろ五十になろうというのに、なんて先生は意地っ張りなんだろう」

 自分の意地っ張りを棚に上げて彼女はつぶやいた。

「こんな憎たらしいものを、こんなにたくさん買い込んで来て。みんなゴミ箱に捨ててやるから。なんだい、こんなもの」

 さも憎々しげに、塙女史は紙包みのままつかんだ。小脇にかかえて調理台の方に歩こうとした。

 廊下の方に足音がして、加納明治が急ぎ足で入ってきた。塙女史が小脇にかかえた包みに眼をやり、加納はあわてて叫んだ。

「そ、それを、どこに持って行く?」

 塙女史はさっと身がまえ、包みをうしろにかくした。

「さてはゴミ箱に捨てようという魂胆だな。そうはさせないぞ。こちらに寄越せ!」

 塙女史は首を振った。

「寄越せったら寄越せ。お客さんが来てるんだぞ。酒の肴に必要だ!」

 女史はじりじりとあとしざりした。加納もじりじりとそれを追いながら、おどすような声を出した。

「早く、おとなしく寄越せ。さもないと、痛い目に合わせるぞ。客が待ってるんだ!」

 その客の陣太郎は、書斎において、手を束ねて待ってはいなかった。獲物をねらう猫のように、あちこちを見廻し、手探りし、ついに机上の辞書の下から、加納の日記帳を探し出した。

「ふふん」

 妙な笑いを頰に浮べ、しかし指は忙しく頁をめくった。十六日前の頁を探し当てた。陣太郎は目を皿にして、それを読んだ。

 

 『夕方山本邸ニテはいぼーる二杯。若干酩酊シ、

  自動車ニテ戻ル。ソノ帰路、道ニ迷イ、アセリ

  テすぴーどヲ出シタルガ身ノアヤマリ。行人ヲ

  ハネ飛バス。場所ハ定カナラネド、近クニソバ

  屋アリタル記憶アリ。はんどるヲ切リ猛すぴー

  どニテ遁走ス。

   心配ノタメ、ホトンド終夜輾転トシテ眠レズ』

 

 次の日の日記に、陣太郎は目を移した。

 

 『八時起床、早速朝刊ヲ見タルニ、輪禍ノ記事別

  ニナシ。ホット安心ス。朝食後散歩、角ノ交番

  ニ昨日ノ輸禍ノ掲示アリ。死亡○、重傷三、軽

  傷十八、物件二十四トアリ。予ガ轢殺セザリシ

  コト確実ナリ。予サエ口ヲ開カネバ事伴ハ永久

  ニ迷宮入リトナラン。アブナカリシ次第ナリ』

 

 陣太郎はあたりを見廻した。ぱたりと頁を閉じると、大急ぎでリュックサックの口を開き、日記帳をごしごしと押し込んだ。

「ひどい野郎だなあ。何があぶなかりし次第なりだ!」

 陣太郎は忌々(いまいま)しげに呟(つぶや)いた。

「おれの方が、よっぽど危かりし次第だったよ」

 そして陣太郎は、ごそごそと一升瓶の方に膝行(しっこう)し、口をつけてラッパ飲みをした。

 

 塙女史は食堂の一隅に追いつめられた。せっぱつまった女史は、紙包みもろとも両手をたかだかと差し上げ、爪立ちをした。

 女ながらも八頭身の長身であるから、加納明治よりも一寸五分[やぶちゃん注:四・五センチメートル。]ぐらい高い。それが手を差し上げたのだから、加納に届くわけがないのである。

「よこせったら、よこせ!」

 加納はじれて、ぴょんと飛び上って、包みを奪取しようと企てた。しかし同時に、塙女史もぴょんと飛び上ったので、それは不成功に終った。跳躍力だって、歳が若いだけ、女史の方に分がある。

「よし。どうしてもよこさないと言うか」

 満面に朱をそそいで、加納は怒鳴った。

「よし。それならこちらも、考えがある」

 加納の両手はぱっと動いて、差し上げた塙女史の両腕のつけ根、すなわち脇の下を、すばやくこちょこちょとくすぐった。

「キャッ。くすぐったい!」

 塙女史が悲鳴をあげ、身もだえして両手をおろした。勢い余って紙包みは、ぐしゃっと床に落ちた。加納は腰をかがめ、すばやく紙包みを拾い上げ、ふところにおさめた。

「まったく世話をやかせやがる」

 ふところをぽんと叩いて、加納は勝ち誇った声を出した。

「無言の行も破れたね。今、くすぐったい、とはっきり言ったよ」

「なんて失礼な!」

 無言の行が破れたものだから、女史も眉を逆立て、おおっぴらに口をきいた。

「淑女のこんなところに、無断で触れるなんて、それが紳士のなさることですか」

「他人のワサビ漬を持ち逃げするなんて、僕は淑女と認めない!」

 加納は怒鳴り返し、くるりと背を向けて、すたすたと食堂を出て行った。その後姿を忌々(いまいま)しげににらみつけ、塙女史はつぶやいた。

「あたし、あくまで戦って見せるわ!」

 書斎では黒檀の机の前に、陣太郎が腕組みのまま、きちんと正坐していた。そこへ加納明治は揚々として戻ってきた。

「さあ。サカナを持ってきたよ。一杯やりながら相談と行こう」

 声がやさしいのは、やはり弱味をつかまれたひけ目からであろう。加納は自ら一升瓶と茶碗二個を黒檀机に運び、両方にどくどくと冷酒を充たした。包みをがさごそとひろげて、陣太郎にすすめた。

「さあ。どうだね」

「では、御馳走になります」

 陣太郎は神妙に手を伸ばして、茶の湯でもやっているような手付きで、茶碗を口に持って行った。

「さすがはいい酒ですな」

「そろそろ相談にとりかかろう。その前に訊ねたいことがある」

 加納は探るような眼になった。

「僕にはね飛ばされた人のことだがね、どんな人だった? 傷ついたのか?」

「もちろん傷ついたですよ。かなりの重傷だった」

「では、病院に運んだのだね。何という病院だね?」

「病院?」

 陣太郎の表情に、一瞬困惑の色が走ったが、すぐに立ち直って、

「いや、病院には運ばないです。直接、本邸の方に運びました」

「本邸?」

 加納明治は反問した。

「本邸というと?」

「おれの本邸ですよ」

 陣太郎は悠揚迫らず答えた。

「つまり、世田谷の松平邸です」

「ふうん」

 加納はいぶかしげに、眼をぎろぎろさせて、陣太郎を観察した。

「君が連れて行ったのか?」

「おれは行かなかった。タクシーに乗せて、行先を教えてやっただけです」

「すると、はね飛ばされたというのは――」

 加納はますます眼付きをするどくした。

「君の知合いかね?」

「おれの家の家令です」

「家令? 何故いっしょに君は、自動車で行かなかったんだね?」

「その時、おれは、家出中の身分だったからです」

 おうような手付きで陣太郎は、茶碗酒を口に持って行った。

「あそこの近くにソバ屋があった。御記憶ですか?」

「うん。そう言えばあったような気もするな」

「そのソバ屋で、おれは家令の浅……」

 と言いかけて、陣太郎はあわててせきばらいでごまかした。

「つ、つまり家令の某と、会見した」

「ソバ屋とは、ケチなところで会見したもんだね」

「このおれに帰邸して呉れと、家令は老いの眼に涙を浮べて、嘆願した」

 陣太郎はとり合わずに説明した。

「しかし、おれは、断ってやったです」

「何故断ったんだね?」

「家令は失望して、ふらふらとソバ屋を出て行った」

 陣太郎の声はすこし高くなった。

「そしてそこに、三の一三一〇七という自動車が疾走してきた」

 恐縮したように加納は首をちぢめた。

「その疾走ぶりが怪しかった。ふらふらと揺れていた。加納先生。先生はその時酔っぱらっていましたな!」

「そんなに酔っていなかった」

 首をちぢめたまま、加納は小さな声で返事をした。

「そ、それで、その家令さんの負傷は、どうだった。医者にかけたんだろうね」

「もちろんかけましたよ」

 陣太郎は眉を上げて、加納をにらみつけるようにした。

「全治三週間という重傷です。その病床における苦しみ方たるや、見るにたえなかった」

「はて。君はさっき、家出の身分だと言ったな」

 加納の視線は探るように、陣太郎の顔をなめ廻した。

「その後本邸に戻ったのか?」

「いいえ。戻りませんよ」

「では、全治三週間などと何故判った? また、病床における苦しみ方だなんて、君はどこでそれを見たんだ?」

「お、おれが直接、見たわけじゃありません」

 陣太郎もすこしへどもどとした。

「電話をかけて見たら、そういう話だったですな」

 

「それで、君は一体、どうしようと言うんだね?」

 陣太郎のへどもどを見抜いて、加納明治はすこし大きく出た。

「何か僕に要求しようとでも言うのか」

「要求?」

 陣太郎は眼をきらりと光らせた。

「おれは何も要求はしませんよ。しかし、加害者が先生だということを、世界中で知ってるのはおれだけです」

 

「それは君だけかも知れない」

 加納はわざとゆったりと、茶碗を口に持って行った。

「しかし、そんなこと、何も君の自慢にはならないよ。君が被害者じゃないんだから」

「そうです。披害者は本邸で寝ています」

「君は家出中だと言ったな」

 加納はじろりと、陣太郎の服装を観察した。

「すると君は、この事件においては、一応局外者のわけだ」

「局外者だなんて、そんな――」

「だって君は、家令の代弁者じゃないんだろう。治療費とか慰籍料の請求を、託されてるわけじゃあるまい」

「しかし、おれは見たんですよ!」

「見たことに何の価値がある!」

 加納はきめつけた。

「写真にでも撮ったというなら別だが。家出中の風来坊が――」

「風来訪とは何です!」

「風来坊は取消そう」

 加納は老獪(ろうかい)に声を低めた。

「しかしだね、家出中の君が見たと言う。見たのは、君だけだ。そしてこの僕が、そんな覚えはない、人をはね飛ばした覚えは全然ないと否認したら、その信憑性はどちらに傾くと君は思うね?」

「ふうん」

 陣太郎は腕組みをしてうなり、そしてにやりと笑った。

「なるほどね。流行作家と風来坊か」

「ね、そうだろう」

 加納は得意げに鼻翼をふくらませた。

「世の中のことって、なかなかうまく行かないもんだよ。一体家令さんの治療費は、いくらかかった?」

「約二十万円です」

 陣犬郎は平然として答えた。

「それに、精神的ショックを受けたから、その分が、そうですな、十五万円ぐらいもいただきますか」

「治療費が二十万?」

 加納は眼を剝(む)いた。

「どんな治療法をしたか知らないが、そんなにべらぼうにかかるわけがない」

「でも、実際にかかったんですよ。なんなら医者の請求書を持って来ましょうか」

「いや、それよりも、電話をかけて聞いてみる」

 加納は腰を浮かせた。

「世田谷の松平邸だったな」

「ちょ、ちょっとそれは待って下さい」

 さすがの陣太郎も狼狽の気配を示し、両掌で加納を押しとどめた。

「そんなことをすると、かえって事が荒立ちますよ。それだけは止めて下さい。そのかわりに、全部で二万円にまけましょう」

「二万円?」

 加納は腰を元に戻した。

「ずいぶん気前よくまけたもんだな」

 

 加納明治はふらふらと立ち上り、書棚の本のうしろから、ふくらんだ封筒をつまみ出し、それをぶら下げて元の座に戻ってきた。

「うん。二万円か」

 加納は惜しそうに封筒の中をのぞき込んだ。

「たかが番号を見たくらいで、二万円とはぼろ儲けに過ぎるな」

「冗談じゃないですよ」

 陣太郎は口をとがらせて嘆息した。

「これでも十分の一に切り下げたんですよ。それをぼろ儲けだなんて」

「しかしだね、君」

 加納は封筒をふところにしまい込んだ。

「君がしかるべき筋に訴え出たとしても、僕が家令をはね飛ばしたという確実な証拠がない。君の証言だけで、物的証拠というものがないのだ。僕の自白でもあればいいが、僕は絶対に自白しない。一万円にまけなさい」

「そんなムチャな」

「君に二万円渡しても、どうせ君は家令のところには持って行かないだろう。家出中で、金に困ってるから、僕をしぼってやれとたくらんだのだろう。一万円でたくさんだ」

「そ、それじゃあ、おれの立つ瀬はない」

「では、こうしよう」

 加納は坐り直して、陣太郎をにらんだ。

「世田谷の邸に電話をかけ、他の家令にでもここに来て貰って、その立合いの上で、二万円を君に渡そう」

「じょ、じょうだんじゃないですよ」

 陣太郎は加納の方に、両掌をひろげて突き出した。

「そんなことをしたら、おれはたちまち本邸に連れ戻されてしまう」

「そうだろう。だから一万円にしなさいと言うんだ。物的証拠もないことだしね」

「ううん、物的証拠か」

 陣太郎はちらと傍のリュックサックを横眼で見、さも無念そうになって腕を組んだ。

「よろしい。仕方がありません。一万円にまけましょう。しかし驚きましたねえ。三十五万円が一万円になっちまったよ」

「大体そんな相場だよ」

 加納はふところの封筒から紙幣を取出し、ぺらぺらと器用に十枚を数えた。

「物的証拠でもあれば、十万や二十万ぐらい、僕も出すよ。君が見ただけでは、幻かも知れないからな」

「幻だなんて、おれは夢遊病者じゃないですよ!」

 値切られた揚句、夢遊病者あつかいにされて、陣太郎は憤然とした。

「早く一万円下さい」

 突き出した陣太郎の掌の上に、加納は千円紙幣を十枚、ふわりと乗せてやった。

「これであの夜の事件については、君は沈黙を守る。それを約束してくれるね」

「約束します」

 陣太郎はポケットに紙幣をねじ込んだ。

「新しい証拠が出ない限りはね」

「さあ、これで片付いたと」

 加納はほっとした表情になって、陣太郎に酒を注いでやった。

「せいぜい勉強して、いいものを書くんだね。いいのが出来たら、雑誌社に紹介して上げるよ」

「よろしくお願いします」

 陣太郎は殊勝げに頭を下げ、茶碗の方ににゅっと手を伸ばした。

 

 風強き午後、陣太郎はリュックサックを背負って、富士見アパートの玄関に、のそのそと入って行った。

 猿沢三吉からすでに話は通じてあったらしく、陣太郎は管理人によって、直ちに二階の一室に案内された。便所に隣接した四畳半である。

「チエッ。便所の脇か」

 管理人が立ち去ると、陣太郎は舌打ちをしてリュックサックをおろし、部屋中を見廻した。風が窓ガラスをかたかたと鳴らしている。畳もよごれてすり切れているし、ガラスも紙で補綴[やぶちゃん注:「ほてい」。]してあるし、どう見てもわびしい部屋である。

「三吉おやじめ。ずいぶん安部屋を見つけやがったな」

 十分後、陣太郎の姿は富土見アパートの玄関を出て来た。リュックサックは持っていなかった。

 それからまた二十分後、陣太郎はリュックサックに一組の蒲団を乗せ、またアパートの玄閲に戻ってきた。新品でないところを見ると、どうも貸蒲団屋あたりから借りて来たものらしい。

 リヤカーを玄関脇に引き込むと、陣太郎はエイヤッとかけ声をかけて、蒲団一組を肩にかつぎ上げた。そのままひょろひょろしながら玄関に入り、階段に足をかけた。

 そのまま登れるかどうか、ちょっと足だめしをしたが、下は土間だから蒲団をおろすというわけには行かない。おぼつかないまま、陣太郎は右に傾き、左によろめきながら、えっちらおっちら登り始めた。

 その時二階から、かろやかに足音をひびかせて、真知子が降りて来た。

 真知子は踊り場に足をとめ、眼を丸くして陣太郎を見おろした。見おろすといっても、陣太郎の顔は見えない。陣太郎は蒲団のかげになって、酩酊した鉢かつぎ姫みたいに、左に揺れ右に揺れながら、登ってくる。

[やぶちゃん注:「鉢かつぎ姫」古典の「お伽草子」の話の一つ。ウィキの「鉢かづき」を参照されたい。]

 非力の陣太郎にとって、一重ねの蒲団は重過ぎるらしく、顔は汗だらけとなり、膝もがくがくと慄え、一歩毎に陣太郎は笛のような声を出した。

 その傍を真知子がすり抜けるには、階段はいささか狭過ぎた感があった。

 だから、すり抜けを強行しようとした真知子に、非があったかも知れない。

 すり技けようとした真知子に、陣太郎がよろよろと傾き、すなわちそこで正面衝突の形となった。キャッと真知子は叫んで、階段に尻もちをついた。

 陣太郎の方はといえば、限度に達していた重量が、衝突によってその限度を突破し、これまた不思議な叫び声と共に、へたへたとうずくまった。うずくまった拍子に蒲団の山はぐらりと揺れ、ばたんばたんと階下に向って落下した。

 陣太郎の身体も、それを追うようにして、階下にごろごろところがり落ちた。

 幸運なことには、先行した蒲団の上に落下したものだから、打ち身やすり傷も全然うけなかったようである。蒲団の上で一回転して、陣太郎の身体は自らあぐらをかいた形で、静止を取り戻した。

「おほほほほ」

 尻もちをついた姿勢で、真知子はけたたましい笑い声を立てた。陣太郎のその恰好が可笑しかったのであろう。

「笑いごとじゃないですよ」

 あぐらをかいたまま、陣太郎は憤然と声を上げた。

[やぶちゃん注:以上のパートは正直、冒頭に違和感がある。陣太郎は実は富士見アパートの位置を知らないため、三吉老人に車で引っ越しを頼んでいるからである。それを少なくとも辻褄が合うように語る部分がないと、読者は躓く。それを語るのが、梅崎は面倒になったのであろう。

 

 真知子は笑いやめた。

「ごめんなさい。だって、何となく、可笑しかったんですもの」

 笑いやめたとは言うものの、真知子の咽喉(のど)はまだ間歇(かんけつ)的に痙攣(けいれん)した。

「何となく可笑しいとは、何ですか!」

 陣太郎は憤然とあぐらの膝をたたいた。

「そちらからぶっつかっておいて、あやまりもせず、けらけら笑うとは何ごとだ」

「あら。あたしがぶっつかったんじゃなくってよ」

 なじられて真知子も真顔になった。

「あんたがよろけて、あたしにぶつかったんじゃないの。失礼ねえ」

「いや。おれはまっすぐに登っていた」

 陣太郎は階段上をにらみ上げたが、すぐにまぶしそうに眼をそらした。腰かけたままの真知子の姿態が、白い内腿までのぞかせているので、具合が悪かったらしい。

「これを見なさい。折角借りてきた蒲団が、ほこりまみれになったじゃないか」

「そんなこと言ってる間に、立ち上って、蒲団のほこりをはらったらどう?」

「それよりも、そちらが立ち上ったらどうだ」

 陣太郎は顔をそむけたまま、真知子を指差した。

「若い女がそんな恰好をするもんじゃない」

「あら」

 真知子はあわててスカートをずりおろし、立ち上った。

「それならこちらを見なきゃいいじゃないの。お下劣ねえ」

「お下劣は、そちらのことだ」

 陣太郎もしぶしぶ立ち上り、徒手体操のようなことをして、身体の異状なしを確かめ、のろのろと蒲団をまとめ始めた。真知子も階段をかけ降りて、それを手伝ってやった。

「これだけをいっぺんに担ごうなんて、あんたにはムリよ」

 陣太郎の体格を眼で測りながら真知子はたしなめた。

「担ぐだけでもムリなのに、階段を登ろうとするなんて、暴挙もはなはだしいわ。ひょろひょろしてたじゃないの」

「ひょろひょろしたって、大きなお世話だ」

「あたしが半分持って上げるわよ」

 陣太郎の肩から、掛蒲団一枚を真知子は奪い取った。再び全部を担いで登る自信がなかったのか、陣太郎はするままにさせた。

「部屋はどこなの?」

 真知子は先に立って登りながら訊ねた。

「いつ引越してきたの?」

「今日だよ。部屋は便所の横だ」

 仏頂面で答えながら、陣太郎はまたよろめいた。一枚減らされても、まだ重いらしい。

「まだよろよろしてる」

 真知子は呆れ顔で、陣太郎を振り返った。

「あんた、弱いのねえ。昼飯は食べたの?」

「まだだよ」

 加納邸で茶碗酒二杯を飲んだきりだから、腹に力が入らないのも無理はない。

 二人は階段を登り切って、廊下を歩き、便所脇の四畳半につつがなく蒲団を運び込んだ。真知子は部屋をぐるぐる見廻して、嘆息した。

「まあ、しけた部屋ねえ。これで間代はいくらなの?」

 そして陣太郎に向き直った。

「あたしの部屋にいらっしゃい。トーストぐらいなら焼いてあげるわよ」

 

 真知子が焼いて呉れたトーストに、あるいはバター、あるいはジャムをこてこてとまぶしつけ、陣太郎はのろのろと四五片を食べ終った。その食べ方を真知子はじっと観察していた。

「あんたは何という名?」

 紅茶をいれながら真知子は訊ねた。

「陣太郎。松平陣太郎」

 陣太郎は腹を撫でながら答えた。

「ああ。すこしおなかがふくらんだ。君の名は?」

「西尾真知子よ」

 真知子という名を聞いて、陣太郎はぎくりとしたらしく、とたんにしゃっくりを出した。真知子はいぶかしげに陣太郎を見た。

「あら、どうしたの。トーストはもういい?」

「もう結構だ」

「あんまりおなかは空いてなかったのね」

 紅茶を差出しながら、真知子は言った。

「だって、あんまりがつがつした食べ方をしなかったもの」

「腹がへっても、おれはがつがつしない」

「あら。どうして?」

「小さい時から執事や家令にそう躾(しつ)けられて育ったんだ」

 陣太郎は紅茶を口まで持って行き、飲まずにまた元に戻した。

「それに猫舌だというせいもある」

「猫舌ねえ」

 急に興味をもよおした風(ふう)に、真知子は陣太郎をじろじろと見廻した。

「ふん。松平か。松平というと、会津系? それとも浜松系?」

 陣太郎はきょとんとしてまたしゃっくりを一つ出した。

「松平家というのは、たくさんあるんだよ。まあ会津も浜松も、おれんちの親類筋ではあるけどね」

「じゃあ、あんたの松平は、何さ?」

「おれんちはただの松平だよ」

 やや面目なげに陣太郎は首をすくめた。

「おれんちにある古文書に、寛政重修諸家譜(ちょうしゅうしょかふ)というのがあるんだけどね、それによると寛政年間にすでに松平家は、五十七家もあったんだ」

「あんたんちはその一家なの?」

 陣太郎はうなずいた。

「では、あんたんちのお邸は、どこかにあるわけでしょう。お城は?」

「お城はない。明治になって売り払った」

 陣太郎は惜しそうに舌打ちをした。

「邸は、その、世田谷の松原町にある」

「どうして屋敷にいないで、こんなアパートに引越して来たの?」

「家出をしたんだ」

「なぜ家出を?」

「相続問題などで、いろいろごたごたしてね、おれはもうあんな家柄というものに、嫌気がさしたんだ」

 そして陣太郎は、食い入るような視線で、真知子の表情をうかがった。

「お、おれは嫡嗣(ちゃくし)じゃない。妾腹[やぶちゃん注:「しょうふく」。]なんだ。つまりメカケの子さ」

「そう。メカケだって、いいじゃないの。あたしだって――」

 言いかけて真知子は口をつぐんだ。初対面の陣太郎に、やはりはばかったのであろう。

「君も妾腹の子か」

 ちゃんと事情は知っているくせに、陣太郎はとぼけて反問した。

 

 富士見アパートの電話室で、陣太郎はせっせと電話帳を繰っていた。

「ええと、カの部、加納明治と」

 ダイヤルを廻した。

「もしもし、加納先生おいでですか」

「ちょっとお待ち下さい」

 女の声がして、受話器ががちゃりと置かれた。陣太郎は呟いた。

「ふん。あれがこちこちの女秘書というやつか」

 やがて電話の向うに加納明治が出て来た。

「もしもし、加納先生ですか。おれは松平陣太郎です」

 そして陣太郎は声をはずませた。

「あの物的証拠の件ですがね、出て来たんですよ」

「物的証拠? どこから出て来た?」

「おれのリュックサックの中からですよ」

「リュックサック?」

「ええ。アパートに戻ってね、リュックをあけて見て、おれはアッと驚きましたよ。何時の間にか入り込んでいたんです。一体どこから入りやがったんだろうなあ」

「な、なにが入ってた?」

 加納の声は乱れを見せた。

「先生の日記帳なんですよ。ふしぎですなあ。いつ日記帳がごそごそと、おれのリュックに這入り込んだのか。まさか先生が入れたんじゃないでしょうね」

「ぼ、ぼくが入れるわけがあるか」

 加納の声はうわずった。

「早く返せ!」

「あの日の日記を読みましたよ」

 陣太郎は落着いて言った。

「その帰路、道に迷い、あせりてスピードを出したるが身のあやまり。行人をはね飛ばす。とありましたよ。やはり、これ、物的証拠になりますねえ」

「早く返せ!」

 じだんだを踏んでいるらしい気配が、受話器に伝わって来た。

「他人の日記を、黙って持って行くなんて、りっぱな窃盗罪だぞ。早く返さないと、こちらにも手段があるぞ――」

「お返ししますよ。明日」

「明日?」

「明日、秘書を連れて、そちらに参上します」

「秘書なんか連れて来なくてもいい。君一人で返しに来い」

「でも、おれひとりだと、おれは心細いです」

「何が心細いんだ?」

「だって、おれひとりだと、先生は暴力でもって、おれから日記帳を取り上げるでしょう」

 陣太郎はにやにやと笑った。

「だから、秘書を連れて行きます。おれの秘書は、背が六尺五分[やぶちゃん注:一・八三メートル。]もあって、毎日ボディビルで身体をきたえてるんですよ」

「君は僕を脅迫する気か」

「いえ、いえ、決して。とにかく明日、秘書帯同の上、参上いたします」

 そして陣太郎は、がちゃりと電話を切り、またダイヤルを廻した。相手が出た。

「もしもし、ああ、竜之助君か。おれ、陣太郎だよ」

 陣太郎はヒクッとしゃっくりを出した。

「君、いいカメラを持ってたな。今晩あれを持って、れいのヤキトリキャバレーに来い。判ったな。それから明日、加納明治に会わせてやるよ」

 

 黄昏(たそがれ)のヤキトリキャバレーは、相変らず喧噪(けんそう)をきわめていた。陣太郎と泉竜之助はその一隅に陣取って、額をつき合わせ、ちびちびとハイボールを砥め、ヤキトリを齧(かじ)っていた。ことに竜之助の方の皿は、空串(からくし)がもう十数本も並んでいた。

「相変らずがつがつしているな」

 空串の数をじろりと読みながら、陣太郎は言った。

「相変らずメザシばっかりか」

「そうなんですよ」

 竜之助はしょげた顔付きになった。

「それにおやじは、メザシから梅干に切り下げようなんて、言ってるんですよ。一体これはどうしたらいいでしょうねえ。陣太郎さん」

「うん。その陣太郎さんは、二人きりの時はいいが、明日はまずいな。君は秘書だということにしてあるんだからな」

 陣太郎は腕を組んで、首を傾けた。

「やはり、秘書なんだから、加納明治の前では、おれのことを先生と呼んで貰おうか」

「陣太郎先生ですか」

「うん。陣太郎先生はまずい。松平先生がいいな。その方がぴったりする」

「承知しました。それからカメラは何に使うんですか。加納明治をうつすんですか」

「いや、その用途は後日話して聞かせる」

 陣太郎は話題を転じた。

「三吉湯とのにらみ合いは、その後どうなってるかね?」

「その後相変らずですよ」

「湯銭の値下げは、まだやらないのか?」

「お、おやじもいろいろ考えて――」

 竜之助はちょっとへどもどした。

「チャンスを、ねらっているらしいです」

「値下げの時期を促進しろと、あれほど君に言ったのに――」

 陣太郎はそのへどもどを見逃さなかった。

「君はやらなかったんだな」

「そ、それが値下げをすると、毎日のおかずが梅干になりそうなんで」

 竜之助は顔をあかくして弁解した。

「梅干でけっこうじゃないか」

 陣太郎はつっ放した。

「どうせ泉湯と三吉湯の間柄は、腫(は)れものみたいなもので、ウミが出なきゃ治りゃしないのだ。だから、早くウミを出す算段をした方がいい。そうしないと、お前さんもいつまで経ったって、幸福になれっこないぞ。君だけじゃなく、一(かず)ちゃんもだ」

「え? 一ちゃん、知ってんですか」

「知ってるさ。調べたんだ。猿沢一子。こともあろうに、敵の娘と情を通じるなんて、おれ、ほんとに、恵之助老に言いつけてやるぞ」

「じょ、じょうだんじゃありませんよ」

 竜之助は首をすくめた。

「そんなことをされたら、僕は勘当されちまう」

「そうだろう。だからおれに逆らうなと言うんだ」

「どうしてこの世のおやじたちはあんなつまらないことでいがみ合って、我々若い世代を不幸におとし入れるんだろうなあ」

 竜之助は長嘆息をした。

「まったく大人の気持は判らない」

「医学が発達したからだよ」

 陣太郎はハイボールをぐっとあおり、自信あり気に断定した。

「医学の発達が、人間を愚かにした」

 

「医学の発達?」

 目をぱちぱちさせて、泉竜之助は反問した。

「おやじどもの喧嘩は、あれは医学の発達のせいなんですね?」

「そうだ」

 陣太郎は重々しくうなずいた。

「予防医学や薬学の大発達で、人間はなかなか病気にかからないし、かかっても直ぐになおってしまう。昔の人はそうじゃなかった。朝[やぶちゃん注:「あした」。]の紅顔が夕[やぶちゃん注:「ゆうべ」。]の白骨なんてなことはザラだった。肺病なんてものは、死病だったんだ」

「そうらしいですね」

「つまり昔の人間は、常住死と隣り合わせて生きていたんだ。死と隣り合わせていたからこそ、彼等は生を知っていた。生の尊さ、生の烈しさを、つまり生そのものの意義を知っていたのだ。だからバカな生き方をあまりしなかった」

 陣太郎は卓をどんと叩いた。

「ところが現代の人間は、医学の発達によって、死から遠ざかった。死と隣り合わずに、生きて行けることになった。そのとたんに、生の意義が失われたんだね。自分が何のために生きているのか、その核心がつかめなくなって、ただのんべんだらりと生きている。そして、のんべんだらりと生きていることに耐えられなくなって、摩擦とか刺戟、何かおろかな事件をひきおこしで、そこでじたばたして、自分の生を確かめようとするんだね。しかし、そういうやり方では、生を確かめるわけには行かない。だから連中は、ますますあせって、連鎖反応的に愚行をかさねて行くということになる。泉湯と三吉湯の喧嘩なんて、そのいい例だね。加納明治もそうだ」

「え? 加納明治も?」

「そうだ。何のために生きているか、加納にも全然判っていない」

「では、僕は?」

 竜之助はおそるおそる訊ねた。

「お前さんだって、原則的にはそうだ。のんべんだらりの組だ」

「では、陣太郎さんは?」

「おれか?」

 陣太郎の双眼はきらきらと妖(あや)しく光った。

「おれはのんべんだらりじゃない。おれは今、ある重大なものと隣り合った、一種の極限状況にいる。おれはおれ自身を、意識的にその極限状況に追いつめたんだ」

「それを具体的に言うと?」

「具体的にか。それは今は言えない。しかし、後日になると、おれの生き方、剣の刃渡りのような緊張した生き方が、君にも判るだろう。その時はもう、おれは居ないがね」

「はてね」

 竜之助は小首をかしげた。

「では、この間の話の、素(す)十五の――」

「素十五じゃない。素十六だ、間違えるな!」

 何かカンにさわったらしく、陣太郎は竜之助をにらみつけた。

「素十六なんて生き方は誰にも出来ることじゃない。ことに現代人にとってはだ。これはたいへんな賭けだからな」

「そうですか」

「おれは、死とは隣り合っていない。といってのんべんだらりと生きるのはイヤだ」

 酔いが廻ってきたのか、陣太郎の声は少々激してきた。

「おれはおれの生き方を定めた。つまり、現代人のアンチテーゼとして生きようと、はっきり心に決めたんだ。判るか?」

 

 加納明治は黙々として、昼食をとっていた。昨日来の強風が、窓ガラスをかたかたと鳴らしている。今日の献立ては、サンドウィッチ、果物盛合せ、ヨーグルトで、加納はヨーグルトを舐め、サンドウィッチを不味(まず)そうにもぐもぐと嚙みながら、ひとりごとを言った。

「ちくしょうめ。あの野郎!」

 調理台の塙女史の眼がきらりと光ったが、野郎という言葉で、自分のことでないと判ったらしく、直ぐにまた眼を伏せた。

「今日来やがったら、ただじゃ置かねえぞ!」

 そんな強がりを呟いてはいても、加納がしょげていることは、食欲もあまりなさそうだし、ワサビ漬その他を食卓に持参してないことでも判る。日記帳のことにすっかり気をとられて、塙女史と張り合う気分は失せてしまったのだ。

「水!」

 サンドウィッチもヨーグルトも半分残し、果物にも全然手をつけず、加納は声を上げた。塙女史が大コップ一杯の水を持ってきた。それをごくごくと三分の二もあおった時、突如として玄関でブザーが鳴りわたった。

「そら。来やがったぞ」

 加納はコップを卓に置き、椅子を蹴立てて立ち上り、小走りに玄関に走った。玄閲の扉が半開きに開かれて、皮鞄をぶら下げた長身の若者が顔をのぞかせていた。

「僕は松平先生の秘書で、泉竜之助と申す者ですが――」

 そして竜之助はかるく頭を下げた。

「加納先生はいらっしゃいますか?」

「僕が加納だ」

「ああ、それはお見それいたしました」

 竜之助は顔を門の方に向け、手まねきをした。足音が近づき、陣太郎が悠然と胸を張って玄関に入ってきた。丁寧な頭の下げ方をした。

「昨日は失礼いたしました」

「まあ上りたまえ」

 両方の掌がおのずから拳固の形になるのを、むりやりに拡げながら、加納は言った。

「れいのもの、持って来たか?」

「持参いたしました」

 陣太郎はごそごそと靴を脱いだ。竜之助もつづいて脱靴した。

[やぶちゃん注:「脱靴」は「だっか」と読む。聴き慣れないかも知れないが、学校の下足箱の置かれている場所を古くは「脱靴場(だっかじょう)」と呼んでおり、自衛隊用語に「脱靴許可(だっかきょか)」がある。兵装している際に、正規の自衛隊専用ブーツではなく、運動靴を履くことを許可することである。]

 陣太郎は胸を張り、竜之助は長身ゆえに背を曲げ、加納のあとにつづいて、書斎に入って行った。音もなく玄関に出てきた塙女史の視線が、いぶかしげにその一行のあとを見送った。

 黒檀机の向うに、加納明治はわざと無頼めかして、でんと大あぐらをかいた。なめたら承知しないぞと言う示威なのである。

「君たちもらくにしなさい」

「はい」

 直ちに陣太郎は、正坐をあぐらに切り換えた。横眼で見て、竜之助もそれにならった。

「けしからんじゃないか」

 加納は陣太郎をにらみつけ、押しつけるような声を出した。

「他人の日記を黙って持って行くなんて、不心得もはなはだしいぞ。出来心か?」

「おれが持って行ったんじゃないですよ」

 陣太郎は口をとがらせた。

「昨日電話で申し上げたように、アパートに戻ってリュックをあけたら、それが入ってたんですよ。出来心もくそもありません」

「日記帳に脚が生えてるとでも言うのか」

 加納は忌々しげに舌打ちをした。

「まさか、ムカデではあるまいし!」

 

「ではおれが、無意識裡に、持って行ったとでも言うのですか」

 陣太郎は肩をいからせた。

「この間もおれのことを、夢遊病者あつかいに――」

「もういい。判った」

 加納は掌をにゅっと出して、陣太郎の発言を封じた。

「その、日記帳、持ってきただろうね」

「持参いたしました」

「では、ここに出しなさい」

 加納は発声のしかたに威厳をこめた。

「黙って戻すんなら、一切を不問にする」

「不問にするって、何を不問にするんですか」

 陣太郎は眉をぴくぴくとさせた。

「そちらが不問にしたって、おれの方が不問にしませんよ」

「何を不問にしないんだい?」

「判ってるでしょう。日記帳の内容のことですよ」

 陣太郎はすこし声を高めた。

「あれはりっぱな物的証拠ですよ。可哀そうに、おれんちの家令は、まだ足腰が立たず、寝たっきりなんですよ」

「じゃあ、どうしろと言うんだ?」

「治療費ぐらい出しても、当然でしょう」

「治療費って、いくらかかった?」

「この間、申し上げたでしょう。二十万円」

「二十万円? ムチャを言うな!」

 加納明治は長嘆息をした。

「いくらなんでも、二十万円とは高過ぎるよ。健康保険には入ってないのか」

「そんなものなんかに入ってるもんですか」

 陣太郎は軽蔑したように、指をぱしりと鳴らした。

「さあ、二十万円。出すんですか。出さないんですか」

「出したくっともだね」

 加納は老獪(ろうかい)に声を低めた。

「僕の家の家計は、すべて秘書の塙女史が握っていて、僕の自由になる金は、せいぜい五万円どまりだ」

「雑誌社のどこかで前借りすればいいじゃないですか」

 陣太郎は更に声を高めた。

「この間先生は、物的証拠さえあれば、二十万や三十万は即座に出すと、そう言明しましたね。あれはウソですか」

「よし。二十万、出そう」

 加納も声を荒くした。

「その前に、実際に二十万かかったかどうか、世田谷に電話してみる」

「そ、それはやめたがいいでしょう。それならおれたちは、帰ります」

「帰ってどうするんだ?」

「あの日記を警視庁に持って行き新聞記者立会いのもとに、渡します」

「おい、おい。あんまりムチャなことを言うなよ」

 加納は両掌を前に突き出した。

「そんなことをされたら、一体僕はどうなるんだ」

「そうでしょう。だからおれは、素直に二十万出しなさいと言ってるんですよ」

 そして陣太郎は、手首から腕時計を外しながら、伝家の宝刀を引っこ抜いた。

「二十万円、出すか、出さないか、おれは一分だけ待ちましょう。いいですか。あと五十五秒。……五十秒」

 

「よし。出そう」

 加納明治は無念げに腕を組み、はき出すように言った。

「致し方ない」

「そうでしょう。そう来なければウソです」

 陣太郎は腕時計を元の手首に巻きつけた。

「二十万円とは安いですよ」

「出すとは言ったが、二十万とは僕は言わなかったぞ」

 加納は手を伸ばし、違い棚の置時計をわしづかみにして、どんと机の上に置いた。

「僕は十万円だけ出す。それ以上は、ビタ一文も出さない。十万円で不服なら、日記帳を警察でもどこでも、持って行ったがよかろう。十万円で否か応か、僕は一分間だけ待とう。あと六十秒」

 意外の逆襲に、陣太郎は眼をぱちくりさせた。

「あと五十秒……四十秒……」

 苦悶と焦慮の色を、陣太郎は顔にうかべながら、上目使いに加納の様子をうかがった。加納は決然として秒を読んだ。

「二十秒……あと十五秒!」

「よろしい。まけましょう」

 加納の表情から決死の覚悟を読みとったらしく、陣太郎ははたと手を打って、十方円を承認した。

「そうだろう」

 加納は時計を違い棚に戻した。

「そう来なければウソだ」

「捲き返し戦術とは、うまくやられたなあ」

 陣太郎は憮然(ぶぜん)として腕を組んだ。

「なかなかいい気合でしたねえ、先生。さすがのおれも、圧倒されましたよ」

 皮鞄をかかえ、緊張していた泉竜之助も、ふうと溜息をついて、合点々々をした。

「では」

 加納はにゅっと右掌をつき出した。

「日記帳、返していただこうか」

「ダメですよ。まだ。引替えということにしましょう」

「そうか。仕方がない。では外出用意だ」

 加納は立ち上り、のそのそと次の間の洋服簞笥の前まで歩き、着換えを始めた。竜之助はひょろ長い上半身を、陣太郎の方に曲げ、耳打ちをした。

「すごいですなあ、陣太郎さんは」

「しっ」

 陣太郎は耳打ちをし返した。

「陣太郎さんは止せ。松平先生と呼ぶんだ」

 しょうしゃな背広姿となり、ハンチングをぶら下げて、加納明治が次の間から姿をあらわした。

「さて。雑誌社に出かけるか」

「はい」

 先生と秘書は異口同音に立ち上り、加納のあとにつづいて、玄関から外に出た。加納はさっさと車庫の方に歩き、自動車の扉をあけた。

「さあ。二人とも、これに乗りなさい」

「え。これで行くんですか」

 陣太郎は尻ごみをした。

「大丈夫ですか?」

「大丈夫だよ。心配するな」

「心配するなって、先生はこの間このおれを、いや、おれの家令を、はね飛ばしたんだからなあ」

「心配するな。今日は酔っぱらってないから」

 加納は二人の背を押してむりやりに客席に押し込んだ。

 

「ここを通るたびに、実におれは妙な気分になってくるんですよ」

 窓外を指差しながら、陣太郎は運転中の加納明治に話しかけた。自動車は今、半蔵門から三宅坂へ走っていた。

「何が妙な気分だね?」

「だって、あそこは、大体がおれんちなんでしょう」

 陣太郎の人差指は、濠の向うの宮城の緑の斜面を指していた。斜面の上の石垣に、衛士が立っているのが見える。

「おれのお先祖様があれをつくり、だからもともとおれんちの筈なのに、おれんちと関係のない人が、のうのうと住んでいる。眼鏡をかけた、すこし猫背の、口髭を生やした男が――」

「それ、天皇のことを言ってるのか?」

「そうですよ、もちろん」

 陣太郎は語気を強めた。

「おれんとこなのに、よその人が住んでるなんて、実に奇妙な気分がするもんですよ。おれのこの気持、先生は小説家だから、判って下さるでしょう」

 加納は返事をしなかった。黙ってハンドルを動かした。

「相続問題がこじれて家出をしたんだと、君は言ってたが――」

 日比谷の交叉(こうさ)点を越えかけた時、加納は口を開いた。

「どういう具合にこじれたんだね。君の相続に邪魔でも入ったのか」

「そこにはいろいろ複雑な事情がありましてねえ」

 陣太郎の声はかすれた。

「御譜代会というものがあるんですよ」

「ゴフダイカイ?」

「ええ。そうです。御譜代会」

 陣太郎はうなずいた。

「御譜代会と申しますと、つまり徳川家を中心にした会、松平の同窓会みたいなものです。三河以来の徳川の臣下である大名、その後裔(こうえい)たちが構成分子で、年に一回それが開かれるですな」

「ふん。ふん」

「そこでおれんち、すなわち世田谷の松平家の相続が問題になった」

 陣太郎の声は低く、また暗鬱になった。

「おれ、すなわち陣太郎に相続させようという派と、陣太郎ではダメだ、陣二郎にさせようという派と――」

「陣二郎とは何だね?」

「おれの異母弟です。そこらの入組み具合がたいへん複雑で、一朝一夕には説明しきれない。とにかくそこらがこじれて、おれ自身もイヤになり、飛び出してしまったんですよ。手ぶらで飛び出したんで、こんなひどい恰好はしてるけど」

「家令にでも金を持って来させればいいじゃないか」

「おれもそう思っていたんだけれど――」

 陣太郎は加納の背中を指でつついた。

「先生がはね飛ばしてしまったじゃないですか。おれ、ほんとに迷惑しましたよ」

 加納は黙った。黙ったまま、自動車を停めた。加納につづいて、陣太郎と竜之助は車を出た。

「ここでお茶でも飲みながら、待ってて呉れないか」

 加納は前の喫茶店を指差した。

「僕はちょっと出版社に行ってくる」

[やぶちゃん注:「御譜代会」そのような組織はネットで検索しても見当たらない。徳川将軍家譜代の大名及旗本並びに御家人等の幕臣の子孫が集う「柳営会」というのは現在もあるが、ここで言うような徳川松平家の相続関係に係わる判断や許可をする会などということは、民法上、許されるものではない。]

 

 喫茶店の席につくと、陣太郎は指で女を呼び寄せ、注文した。

「コーヒー二つに、サンドウィッチ」

 そして泉竜之助に顔を向けて訊ねた。

「君は何人分食べる?」

「僕は一人前でけっこうです」

「では、サンドウィッチ、三人前。早いところ頼むよ」

 陣太郎は指をぱちんと鳴らした。

「ああ。おなかがすいた。近ごろおれは、実におなかがすくな。どういう訳あいのもんだろう」

 サンドウィッチが運ばれてくると、陣太郎は一皿を竜之助に与え、二皿を自分の前に引寄せて、黙々として食い始めた。がつがつするなと、いつも竜之助に訓戒を与えているくせに、陣太郎の食べ方はスピードが早く、竜之助がまだ一皿を食べ終らないのに、陣太郎は二皿そっくりを食べ終っていた。

「ああ。これで力がついた」

 ぬるくなったコーヒーを旨そうにすすりながら陣太郎は言った。

「さて。つづいてケーキでも注文するか」

 陣太郎は指を上げて女を呼び、またケーキを注文した。

「よく食べますねえ」

 竜之助は感嘆の声を発した。

「大丈夫ですか」

「大丈夫だよ。どうせ加納明治が支払うんだ」

 高貴の出にしてはずいぶんケチな発言を陣太郎はした。

「しかし、二十万円のところ、十万円とは、ずいぶんあこぎな値切り方をしたもんだなあ」

「しかし陣太郎さんも、よくまけましたね」

「うん。敵も決死の覚悟だったらしいからな」

 運ばれてきたケーキを陣太郎はつまんだ。

「それに、あの日記の頁、ちゃんと写真に撮ってあるからな。また後(あと)口がきくよ」

「え? 僕のカメラをそれに使ったんですか」

 つづけようとして、陣太郎は口をつぐんだ。扉を押しわけて、加納明治がつかつかと入ってきたからである。

「さあ」

 席に腰かけるや否や、加納明治は内ポケットから紙幣束を取出し、催促した。

「日記帳を早く出せ」

 陣太郎は竜之助に目くばせをした。竜之助は皮鞄をがちゃりとあけ、うやうやしく日記帳を取出した。加納は紙幣束を卓に置き、いきなり日記帳をひったくった。

「ほんとに、これだけの金を前借するんだって、僕はずいぶん哀訴嘆願したんだぞ」

「しかし、家令の苦痛を思えば、それくらい何でもないですよ」

 陣太郎は紙幣束をつかみ、その中から千円紙幣十枚を数え、竜之助の方ににゅっと突き出した。

「さあ。これが今月分の秘書手当だ」

「ありがとうございます」

 竜之助はそれをかるく押しいただき、内ポケットにおさめた。その手付きを、忌々(いまいま)しげに横眼でにらみながら、加納は言った。

「もう日記帳はこちらのものになったし、もうこれ以上、家令のことについて、僕に迷惑をかけるなよ」

「ええ。出来るだけそういう具合に、努力します」

 

2023/07/18

譚海 卷之七 武州熊谷農夫妻の事 /(フライング公開)

[やぶちゃん注:昨日より、電子化注作業を開始した「南方閑話」の正規表現版電子化注の冒頭で必要となったので、フライングして電子化する。そちらでの私の読みを減ずるため、特異的にかなり読みを挿入した(底本には読みは全くない)。長いが、途中に底本自体に改段落があるので、底本通りに電子化した。]

 

○武州熊谷(くまがや)に農夫あり。母妻とも三人、住(すみ)たるが、年來(としごろ)、不如意にして田地も質(しち)に入(いれ)、借金おほくたつきなく成(なり)しかば、此男母妻(はは・つま)に云(いひ)けるは、如ㇾ此(かくのごとく)貪窮になりてたふれんよりは、我(われ)江戶へかせぎに行て、いかやうなる奉公成(なり)とも三四年もすれば、江戶の進退にて金子(きんす)も出來(いできた)る事あるべし、さらば又立歸りて質地(しちぢ)をも取返(とりかへ)し、安堵する事もあるべし、其間は艱難(かんなん)を忍(しのん)で、母をも見屆(みとどけ)くれよと相談して、既に在所を立(たち)て江戶へ趣(おもむ)けるが、其夜桶川(をけがは)[やぶちゃん注:現在の埼玉県桶川市。グーグル・マップ・データ。]にとまらんとするに、一人旅なれば驛にてとめず、やうやうにして、宿(しゆく)はづれの百姓の家をもとめて、委細の次第をなげきければ、憐(あはれみ)てそこにとめぬ。其家老夫婦一女子(ぢよし)十二三斗(ばかり)なる三人のみなりしが、此女子ことに怜悧(れいり)にして、旅人をいたはり、夜具飮飯の事まで眞實に世話しければ、此男もことに愛憐(あいれん)を覺えて、朝其家を出(いづ)るとき、其女子に錢二百文紙包(かみづつみ)してとらせ、昨夜より何か心をそへて、世話せられし事かたじけなき、報謝すべきやうも旅中なれば成(なり)がたし、是は志(こころざし)ばかりに進ずるとて出(いだ)しける。老夫婦も聞(きき)てかたく辭しけれども、此男とかくいひこしらへて、あまりに此むすめのいたいけにもてなされし、心にそめてうれしくおもひ侍れば、まことに志ばかりにまゐらすにてあり、何とぞ受納有(あり)て、あの子の何ぞ用あらんものをとゝのへて、とらせ給はれかしと、ひたぶるにうらなくいひければ、夫婦も誠なる心にをれて承諾しけり。さて此男江戶知者(しるもの)の方に居て、彼是(かれこれ)奉公の口など聞合(ききあはせ)けるに、與ㇾ風(ふと)新吉原の妓館丁子屋(てうじや)といへるに、飯米(はんまい)つくべき人ほしがる折(をり)なり、田舍の人なれば成(なる)べき事にやといふに、此男身分に馴(なれ)たる業(わざ)なれば、奉公すベしとて頓(やが)て受狀(うけじやう)とゝのへ、壹箇年(いつかねん)給金二兩の定(さだめ)にて丁子屋に居(ゐ)つきたり。夫より後此男律義一遍に米つく事のみ精(せい)に入(いれ)、給金もろふ度(たび)ごとにみだりにつかはず、たよりを待ては[やぶちゃん注:ママ。]在所へ送(おくり)やりければ、奉公の外(ほか)遊山(ゆさん)に出(いづ)る事もなく、よくつとめけるまゝ、その家主人も奇特成(きどくなる)事におもひ、あれ程よき奉公人はなし、ことしも終(をはり)ぬれば、來年は臺所のかたにつかひてみんとて、あくるとしは又給金をまして、其役をいひ付けるに、朝夕米・薪・肴・酒・醬油等の事まで、深切に心をつけ、疎末(そまつ)なきやうにとりあつかひければ、いよいよ主人よろこびて、又其あくるとしは、二階の事[やぶちゃん注:遊廓の表向きの座敷の担当。]勤(つとめ)させけるに、茶屋のかしかた[やぶちゃん注:「貸方」で、貸席の営業方法か。]も精を入(いれ)て取立(とりたて)、隨分間違なく主人へも勘定差出ければ、かように精を入(いれ)律義なるものは少しと、ますます悅(よろこぶ)事限(かぎり)なし、さる心故に遊客女郞などにも目を懸られ、不時の花もらふ事も人より多く、何(いづ)かたにもよきものとおもはれて勤(つとめ)けるまゝ六年斗(ばかり)こゝにある内に金子百七十兩もふけたくはへたり。此男今はかばかりになりぬれば、在所の借金も返濟すべきに心安し、何とぞ母妻も待兼(まちかね)ぬらんに、一日(いちにち)もとく歸鄕せばやとおもひけれど、此男丁子屋にて一(いと)のきり者(もの)に成(なり)しかば、今更いとまねがひたりとも、中々ひまくれらるべきやうすにも覺えざりしかば、一先(ひとまづ)中歸(なかがへ)りの願(ねがひ)をなして、いとまをこはゞゆるさるべしと思案して、主人へ申けるは、私事(わたくしこと)與ㇾ風(ふと)御家(おんけ)へ奉公にまゐり、段々御蔭にて金子等もたくはへ出來致(できいたし)候に付、全體私事不如意に付(つき)在所をはなれ、江戶かせぎの事に候へ者(ば)、母妻もあんじられ候、何とぞしばらくいとま給はりて在所へ立歸(たちかへり)、持參の金子にて質田地(しちでんち)等もうけ返し、在所のものも安堵致させ、又罷歸(まかりかへ)りて奉公致(いたす)べしといひければ、主人も尤成事(もつともなること)に聞屆(ききとどけ)、さらばしばらく逗留中の不自由はいかやうにも取あつかひやるべし、在所へくだり濟(すみ)候はば、又來りて相(あひ)かはらずつとむベしなど、ねもごろにいひて主人も立(たち)そひ、出立(しゆつたつ)の世話致し、荷物など有(あり)あふものは先(まづ)飛脚にて先へ送りやるべしなどいふに、此男いとうれしくやうやうに荷こしらへなどして、先(まづ)人を賴(たより)て其由(そのよし)いひおくりなどして、事々(ことごと)とゝのへはて、さて終(しまひ)には此男出立の事のみになり、例の金子(きんす)肌(はだ)につけて主人にいとまをいひ、新吉原をいで故鄕にむかひけるが、連(つれ)もなく壹人(ひとり)旅行するに、板橋の邊(あたり)よりあやしき男與ㇾ風(ふと)後先に付(つき)て、同道にもあらず言葉もかはさで行(ゆき)つるもの出來(でき)たり。熊谷(くまがや)の男休めば同じくやすみ、酒のめば同じく酒のみ、小便するにとゞまるにも同じく、暫時もあたりはなれず付(つき)まとふにつきて、つらがまち[やぶちゃん注:面構え。]より眼(まなこ)さし迄、何となく氣味わろくおもふに付(つき)て、是はわが金子所持せしを探知(さぐりしり)て、盜人(ぬすつと)のかく付まとふにこそとおもふに、いよいようるさく、何とぞしてかくれのかれ[やぶちゃん注:ママ。]むとはかるに、半日ばかりをかくはなれず付そひてくるゆゑ、與ㇾ風(ふと)謀(はかりごと)を思ひ付(つき)て、洒屋に入(いり)て酒を壹合かひて、錢をはらひかんをしてたまへといふに、此盜人も同じくそこにとゞまりて、かたのごとく酒かふ體(てい)なりければ、此男笠をぬぎてかたわらに置(おき)大便する所求(もとむ)るに、うらのせどに有(あり)といへば、行てみるにせどに外(そと)へかよふ道有(あり)、嬉敷(うれしく)思ひやがて此道を一走(ひとはしり)にはしりて、やうやう盜人に遠ざかり、はしりはしり又驛路(えきぢ)にいでゝ行(ゆく)に、やうやう桶川にいたるほど、日もまだくれにをそ[やぶちゃん注:ママ。]けれど、盜人のいぶせきにそこにあるあたらしき驛舍(えきしや)に宿をこひて、草鞋(わらぢ)もぬぎあへず奧の一間なる所にこもりて、ひそまりふしたるに、湯あみ飯など過(すぎ)て初夜[やぶちゃん注:午後八時頃。]過(すぐ)る頃、門の戶けはしくたゝく音して、今宵こゝにとまりたる壹人旅(ひとりたび)の男(をとこ)有(ある)べし、夫(それ)に用有(あり)、こゝ明(あ)けよと云(いふ)に、宿のあるじもせんかたなく、戶を明てそれを内に入(いれ)たるに、熊谷の男襖(ふすま)の𨻶(すき)よりひそかにみれば、晝(ひる)のほど付(つき)まとひし盜人にて有(あり)けり。見るにつけていとおそろしく、身の毛もよだつの心地すれど、おしだまりて居(を)るに、盜人は竈(かまど)の側に寢(ね)たる體(てい)なり。此驛舍に廿一二ばかりの女(をんな)一人(ひとり)有(あり)、殊にやさしく宵よりまかなひせしが、與ㇾ風(ふと)來りて此男にいふよふ[やぶちゃん注:ママ。]、御方(おんかた)は何とやらん見しりし心地し侍る、いづこの人にましますなどいふに付(つき)て、此男も是を聞(きけ)ば覺えたるおもざしのやうにみゆ、とかくして此女申けるは、此六年前御方は此宿はづれの家に、とまりける人にてはおはさずやといふに、始(はじめ)て心得つゝ、扨(さて)は其折(そのをり)十三四成(なり)し、いと愛ありて覺(おぼえ)し娘なりしにや、扨いかにこゝにはおはすといへば、兩親もなく成(なり)此家に緣(えん)にふれて、やとはれをるやうにて、今はかく侍るなりといふに、扨々緣あれば二度見まゐらする事の、ふしぎなるなど云(いふ)につけて、さればかく又見まゐらするに付(つき)て外(ほか)ならず思ふまゝ我等今宵一大事の難儀あり、何とぞそもじのはたらきにてすくひ給はれとて、道よりぬす人がつきまとひたる始末、こまかに物がたりければ、此女聞(きき)てされば是は御大事(おんだいじ)の事にて侍る、彼(かの)ぬす人は此海道の名に聞えたるあぶれものにて、かやうの事度々(たびたび)に及ベり、それをうるさしとて此家を追出(おひだ)し侍れば、又此家にあだをなし侍るまゝ宵に御方を尋(たづね)きたりつるも、さくべきやうなくしてとゞめ置(おき)たるなり、とにかくに御方の爲(ため)にはかるには、金子もたせ給ひては命もあやうし、但(ただ)わらはが壹(ひと)つ了簡(りやうけん)あれど是(これ)につき給へとも申(まふし)がたしと云(いふ)に、此男うれしく、今はかく命にかゝれる大事に及びぬれば、いかゞにもあれ其了簡に着(つき)侍るべし、とく敎(をしへ)給へといへば、女さらばいかゞなる申し事(ごと)なれど、其金子をわらはにしばし預け給ひて、今宵夜ふかくこゝをのがれて歸りおはしね、金子預(あづかり)給ふにつきては、外(ほか)にしるしとすべきものも、是ならでなしとて、髮にさしたるくしを取(とり)て、此くしをだに持(も)ておはさば、其金子其まゝ引(ひき)かへて返しまいらすべし、たとへ御自分おはさずとも、人傳(ひとづて)にても此(この)くしだにもたせこされなば、うたがひなく渡可ㇾ申(わたしまうすべし)と云(いふ)に、男打悅(うちよろこ)びて、やがて肌の金を解(とき)て女に渡し、其くしを取(とり)て深くふところに納め、其後(そののち)女(をんな)又いふやう、今勝手への給はんには[やぶちゃん注:「今、これから勝手の方にお告げになる時には」。]、明日(あす)明六(あけ)つ[やぶちゃん注:不定時法で夏至頃ならば午前四時頃、冬至で六時半頃であるが、ここは後の「寅の鐘」で前者と判断出来る。]に立べしとの給ふべし、扨御身は此家の後(うしろ)の道より竹藪をつたひてのがれ給へ、其折(そのをり)わらは家(いへ)の後(うしろ)の戶口を明(あけ)まゐらすべしと約してさりぬれば、敎(をしへ)の如く明六つに立(たつ)べき由、聲高くいひあつらひて、寢所(ねどころ)に入(いれ)ども、とかくぬす人(びと)心にかゝりてまどろまれず、いつそいつそ[やぶちゃん注:ママ。「何時(いつ)ぞ何時ぞ」。]と待(まち)あかすに、寅の鐘(かね)[やぶちゃん注:午前四時。]聞ゆるほど、ひそかに此女來りて、しるべして戶をあけ押出(おしいだ)しければ、いとああはたゞしく敎へし道をしるべにのがれいでて、其日やすらう[やぶちゃん注:ママ。]程もなくいそぎぬるまゝ日高く在所へ着(つき)たり。

 かねて荷物を送りやりし事なれば、みなみな待(まち)をりて悅び、一村の人もかはるがはる入來(いりきたり)て無事を悅(よろこぶ)事大方(おほかた)ならず、夜ふくる迄いとにぎはしく、やうやう人の來(きた)ら靜(しづか)に成(なり)たる頃、此男母妻にかたりけるは、此六年江戶に奉公せししるし有(あり)て、金子かたの如くもふけ[やぶちゃん注:ママ。]たくはひ、此度(このたび)肌につけ來りしが、道にてぬす人にうかゞはれ、せん方なくしかじか女にあつらへて此櫛(くし)をとりきたれり、このくし則(すなはち)金子なれば、麁末(そまつ)にすべからず、先々(まづまづ)今宵は神棚へ收置(をさめおき)て、あす誰(だれ)にてもしたしき人たのみて、金子請取(こひとり)にやるべしといひければ、母妻も悅事限(かぎり)なし。かくて其夜は宿にふして、夜明(よあけ)てしづかに起出(おきいだし)、けふは先(まづ)いそぎ人やとひて、金子請取にやるべしとて、よべの神棚を開(ひらき)たるに、櫛うせて見へず。大(おほき)に驚き若(もし)油(あぶら)じみたる物ゆゑ鼠などの取(とり)さりたるにや、左(さ)もあれ戶は開かず有(あり)、うしろに穴などや有(ある)とて、神棚をおろし穿鑿(せんさく)せしかど其跡も見えず。そこら引(ひき)はらひあなぐり[やぶちゃん注:「搜・探(あな)ぐる」で「探し回る」。]見けれども、いづかたにもその櫛見えず。我等三人の外(ほか)聞知(ききしり)たる人もなければ、うせぬるこそいぶかしけれと思へどせんかたなきまゝ、よしよし櫛はうせぬとも、自身行(ゆき)て女に對談せば、うたがひなく金子渡(わたす)べしと決心して、知(しり)たる人二三人賴(たのん)で[やぶちゃん注:ママ。]同道し、其日の暮がたに桶川の驛舍にいたり、女に逢(あひ)て、扨々申譯なき次第ありて直(ぢき)に參(まゐり)たり、此程約せし櫛をもて金に取(とり)かふべき筈の所、其櫛一夜(いちや)の内に置失(おきうしな)ひたり、家の内(うち)程々(ほどほど)にあなぐり見つれど見へざる間(あひだ)、面目(めんぼく)もなき次第なれど、直に此事(このこと)を申さばうたがはずして、金子渡しくれらるべしと思(おもひ)て參(まゐり)たりといへるとき、此女甚(はなはだ)不容(ふよう)なる[やぶちゃん注:受け入れがたいような。]顏にて、何とも心得ぬ事に候、其金は以前其御方(そのおかた)よりの御使(おつかひ)とて人(ひと)越(こら)れ、尤(もつとも)くはしき御口上(ごこうじやう)にて、くれぐれもあつき御禮(おんれい)にて、其金子は則(すなはち)御使へ渡し侍る、引(ひき)かへつる櫛は是(ここ)に侍るとて、かしらより取(とり)て見せければ、又此男大に驚き入(いり)、何とも辭(ことば)なく深く當惑(たうわく)せし體(てい)を此女見て、わらはを慥成(たしかなる)ものとおぼされ、おほくの金子預(あづけ)られぬる事間違(まちがひ)て、かくある事(こと)何とも心得られず、ひとつにはわらは僞(いつはり)を申(まうす)やうに取請(とりうけ)給はんもきのどくに候、全く此金子預(あづかり)給ひしことは、此家のあるじにも唯今迄物語せざるほどにつゝみ居(をり)し事なるを、かたがたかく淺間(あさま)に成(なり)ぬる事[やぶちゃん注:お粗末なことになってしまったこと。]、かへりて口惜しく恥かしき事になん、たゞし先(まづ)御心(みここころ)をしづめてとくと了簡ましませ、わらは存(ぞん)じには、此金あからさまにはうせまじく候、此上はわらはが了簡につき給はば、萬一金子出(いづ)る事も候はんと云(いふ)。此男今は十方(とはう)にくれぬれば、いかにもあれ了簡あらば申給へ、夫(それ)に付(つき)てはからひ申べしと云(いふ)時、女さらば先(まづ)歸り玉ひても、必(かならず)さはぎまどひたる體(てい)人にみせ玉ふべからず、しばし程へて久々にて江戶より歸り給ふ事なれば、其祝儀とて村中の人々に酒を振舞(ふるまひ)、そば切(ぎり)にてもてうじて[やぶちゃん注:「調(て)じて」。こしらえて。]、殘らず招(まねき)給へ、わらはが櫛と引(ひき)かへ、金を渡せし時の人の容貌はよく覺へはべれば、其振廻(ふるまひ)[やぶちゃん注:ママ。「振舞」が正しい。]の日(ひ)極(きはま)りなば、わらはかたへひそかにしらせ給へ、わらは行(ゆき)て人々をひそかにかいまみせば、もしその人やその中にあるベき、是(これ)必(かならず)遠き所の人の業(わざ)に非ず、村の中の人にあるべしといへりしかば、男も道理に服して、其あくる日そこより歸りて、さのみことなる事もなき體(てい)につくろひ、其後一二日(ひとふたひ)ありて村中へ禮に行(ゆき)て、私事(わたくしこと)も久々(ひさびさ)江戶にありて此たび罷歸(まかりかへ)りし、留守中も皆樣殊外(ことのほか)御世話に預(あづかり)候事故(ことゆゑ)、態(わざ)と[やぶちゃん注:ここは「少しばかりの」の意。]私のいはひながら、御酒一つ進(しん)じ申度(まふしたく)候、日を約せられて何とぞ各樣(おのおのさま)殘らず御出(おいで)下さるやうにと申(まふし)たり。

 其後(そののち)村中(むらぢゆう)約(やく)し合(あは)せ、何日參るべきと申來(まふしきた)りしかば、やがて其日を待受(まちうけ)、酒肴(さかな)そば切のたぐひなどてうじて居(をり)たるに、名主(なぬし)を初(はじめ)村の人々殘らず入來(いりきた)り、挨拶終りて段々(だんだん)もてなし、半(なかば)なる頃、兼(かね)て桶川へも其日をしらせ置(おき)たる事なれば、彼女(かのをんな)ひそかに勝手に來り居(ゐ)て、酒興の闌(たけなは)に燈火(ともしび)を點(てん)ずる頃、彼女をして障子の破(やぶれ)より座中の人々を見せけるに、此女とくと見終(みをはり)て、ひそかに此男に云(いひ)けるは、さればこそ先日(せんじつ)櫛をもつて金受取に來(こ)られし人、座敷に居(を)られ候、それは彼(かの)上客(じやうきやく)より次(つぎ)にあるあの人に候と、ゆびさしけるに、此男みれば名主の子供なりけり、餘りに不思議なる事におぼへて、さもあれ今此席にて申出(まふしいで)んも、いかゞ有(ある)べきとためらふを、此女いな此席を過(すぎ)なば、後(あと)に糺(ただ)し給はん證據(しやうこ)あるべからず、唯(ただ)御方(おんかた)そこにありて、あの人をとらへて事の由(よし)申(まふし)給へ、事(こと)うけごはずば、わらはいでことわり申べしといへりしまゝ、いはんやうにまかせて、此男座敷ヘ出(いで)て人々に申けるは、皆(みな)能(よく)聞(きき)給へ、我輩六年江戶に奉公し侍りて、金子百七十兩此度持參せしが、ぬす人にさまたげられて、桶川宿(をけがはじゆく)のその所の女に金預(あづけ)賴みて、證據に櫛を請取(うけとり)て、これをもて金子に引(ひき)かふべき約束せしに、そのくしその夜にうせぬれば、桶川へ往(ゆき)てたゞし候に、はやくしを持參して、我等より先に金子をうけ取(とり)ぬる人有(あり)、其人誰(だれ)にかとぞんぜしに、則(すなはち)此名主どのの子息に候といひける時、名主聞(きき)て大(おほき)に憤(いきどほ)り、存(ぞんじ)もよらぬ事を承(うけたまは)る物かな、我等代々名主役をも當村(たうそん)にてつとめながら、悴(せがれ)にぬす人もちたりといはれては一分(いちぶん)たゝず、たしか成(なる)證據なきに於(おいて)は、其儘に致しがたしと云(いふ)時、其子供も甚(はなはだ)立腹し、無實の難(なん)をいはるゝ事、其身に取(とり)て外聞(がいぶん)惡敷(あしく)、事にもよるべき事、堪忍(かんにん)成(なり)がたしと云(いふ)に、一座しらけて酒興(しゆきやう)もさめはてたり。其時此男申よう、かく申うへは何かは證據なき事を申べき、則(すなはち)桶川の女今宵呼(よび)よせ置(おき)たり、是(ここ)へめし出(いだ)して御(ご)らんぜさすべしとて、女をよび出(いだ)して名主の子供に逢(あは)せけるに、女申けるは、よも間違なし、くしを持參して金と引(ひき)かへ取(とり)給ひしは、全くあらがひ給(たまふ)べからず、顏をおぼへ侍りてありといふに、名主も始終を聞(きき)て、かく慥成(たしかなる)證據あるうへは、一先(ひとまづ)立歸(たちかへ)り、世悴[やぶちゃん注:ママ。二字で「せがれ」と読ませるか。長男らしいから「世繼」の「悴」で意味は通る。]が器財穿鑿し見るべし、夫迄(それまで)おのれは座を動べからず、各(おのおの)も世悴を返し給ふべからずとて、名主座を立(たち)て歸りしが、やゝありて立歸り、扨々(さてさて)面目(めんぼく)次第もなき事、歸宅いたし世倅が道具あなぐりし所(ところ)、簞笥(たんす)の底に此金子有ㇾ之(これあり)候、はたしていはるゝ如(ごとく)、百七十兩有(あり)、不屆至極成(ふとどきしごくなる)事とて、財布を出(いだ)し亭主へわたしければ、やがて此名主の子供其座を立(たつ)と見えしが、かいくれて見えず。いかになどいふうち、勝手にも其家の妻たゞ今の内に、行(ゆき)かたなくうせぬとて、とりどりさわぎいふ事限りなし。是を聞(きき)て村の人々一同に申けるは、是までつゝみはべれど[やぶちゃん注:包み隠して言わずにいたが。]、かくあるうへは申(まふし)のぶるなり、某殿(それがしどの)江戶へまゐられ六ケ年留主(るす)[やぶちゃん注:漢字はママ。]のあひに、名主殿の子息此家の妻女(さいぢよ)とねんごろいたされ、あまりめにあまる次第、誰(たれ)しらぬものなく候へども、けふまではしらせ申さず、かくあるに付(つき)ては、もはやつゝみ申べきにあらず、さればこそくしの事もはかりけりといひつゞけぬ。かくて人々歸りて後(のち)、此男もやもめなり、母も老(おい)たるに介抱すべき人もなきを、幸(さいはひ)かの桶川の女發明(はつめい)なるうへ、是まで再宿の緣(えにし)もあれば、としはよほどたがひぬれど、是を妻にむかへよかるべしなど、人々すゝめとりもちて、終(つひ)に桶川よりもらひうけて、夫婦に成(なり)たりといへり。

 

梅崎春生「つむじ風」(その14) 「おぼろ月」

[やぶちゃん注:本篇の初出・底本・凡例その他は初回を見られたい。]

 

     お ぼ ろ 月

 

 黄昏(たそがれ)の泉宅のくぐり戸を、陣太郎はあたりを見廻しながら、そっとくぐった。

 すぐ玄関に行くことはせず、立てかけたバーベルを横眼で見ながら、勝手知ったる他人の家といったおもむきで、のそのそと家の裏手に廻った。廻り切ったところに窓があって、陣太郎の指がその曇りガラスをこつこつとたたいた。

「誰だ?」

 内部から声がした。

「おれだよ」

 陣太郎はおうような調子で答えた。

「陣太郎だよ」

「ああ、陣内さんですか」

 ガラス窓ががらりとあいて、泉竜之助が顔を出した。長いこと頰杖をついていたらしく、顎から頰にかけて、くっきりと指のあとが残っていた。

「まあ上りませんか」

「いや、ここでいいよ」

 陣太郎は窓枠に肱(ひじ)を乗せ、薄暗い部屋の中をじろじろと見廻した。黄昏だというのに、まだ電燈もつけていない。陣太郎は竜之助の顔を見た。

「一体何を考えごとしてたんだね?」

「え?」

 考えごとをしていたことが、どうして判ったのかと、竜之助はいぶかしげな表情になった。

「いろいろと、われわれゲイジュツに志す者は、考えることがあるんですよ」

 陣太郎が泉湯で貧血をおこしてぶったおれた時、陣太郎と竜之助の会話は対等の言葉使いだったが、いつの間にか竜之助の用語がていねいになったのも、陣太郎が陰に陽にひけらかす『松平家』の効用に違いない。

「アッ。そうそう」

 竜之助は膝をぽんとたたいて言った。

「浅利家へ電話かけて置きましたよ。ソバ屋に呼出して貰って」

「何と言ってた?」

 陣太郎は無表情に反問した。

「ランコおばはん、出て来たか?」

「こちらは松平の家令ですが、と言ったら、おばはんはちょっと言葉使いがかわって、警戒的になりましたよ」

「おれのこと、何と言ってた?」

「若様は時々やってくるし、また泊ることもあるが、しょっちゅうこちらにいるというわけじゃない。そう言ってましたよ」

「ほんとにぬけぬけと嘘(うそ)を言いやがるなあ。だから女というのは、こわいんだ」

 どちらがぬけぬけとしているのか、とにかく陣太郎は空を仰いで長嘆息した。その空にはおぼろ月が出ていた。

「ああいう女の亭主だからこそ、うちでもクビになったんだ」

「亭主というのも嘘つきですか?」

「いや。亭主の方はそれほど悪者じゃない。善良な男なんだが、女ぐせが悪くってね、女中に手を出したりしたもんだから、とうとうおれんちから追い出されたんだ。つまり俗物だよ」

 圭介がくしゃみしそうなことを、陣太郎は平然として言った。

「おれは、俗物ってやつが、大きらいだ。ほんとに大きらいなんだ」

「僕も大きらいです」

「折角浅利のやつを、復職させてやろうと思ってたんだが、これじゃあ当分ダメだな。全くあいつもバカな女房を持ったもんだよ」

 

「バカなやつですなあ。その浅利ってやつは」

 何も知らないくせに、泉竜之助は相槌を打った。

「僕の周囲も、ごく例外をのぞいては、俗物ばかりですよ。俗物がうようよ、まるで大腸菌みたい」

「それで今も思い悩んでたのかね」

 竜之助の頰に残る頰杖のあとを、じろじろと観察しながら言った。

「そんなにくよくよしないで、おれと一緒に、焼鳥キャバレーにでも行かないか」

「そ、それがダメなんですよ」

 竜之助はしょげた顔になり、掌を振った。

「なぜダメなんだい?」

「僕、無一文になっちゃったんですよ」

「へえ。一昨日までたくさん持ってたじゃないか」

「おやじにすっかり取り上げられたんですよ」

「おやじに取り上げられた? あの恵之助老にか?」

 他人のおやじをつかまえて、平気で老呼ばわりを陣太郎はした。

「息子のはした金を捲き上げるほど、恵之助老は貧乏してるのかね?」

「今のところ、それほど貧乏はしてないんですよ」

 竜之助は舌打ちをした。

「長期戦にそなえるために、在り金全部を集めて、銀行に預けるつもりらしいです」

「長期戦?」

「ええ。つまり三吉湯との長期戦ですな。長期戦にそなえて、蓄えて置こうというつもりらしいですな」

 竜之助は情なさそうに顛を垂れた。

「俗物同士の喧嘩ですよ。息子の立場から言いにくいことだけど。どうもあの喧嘩は、高尚と言いかねる。しかも昨日から、食事の内容が大変化した。今朝は味噌汁にタクアンだけ、お昼はメザシだけですよ。栄養がとれなくて、僕はふらふらです。飯だって、米麦半々の麦飯ですよ」

「バクシャリとは倹約したもんだね。なんでそんなにけちけちするんだい?」

「つまり、将来の耐乏生活を見越して、今から身体を訓練して、粗食に慣らしておこうと言うんですな。おやじの見通しでは、これはどうしても値下げ合戦にまで発展すると言うんです。湯銭の値下げですね。採算を無視して、値下げに値下げをつづける。そして早く音(ね)を上げた方が、負けという算段です。だから、音を上げないために、今から貧乏生活をやって行こうというわけですよ」

「ふうん。それはたいへんな覚悟だな」

 陣太郎はうなった。

「それじゃ三吉おやじも、それに対抗するための、生活切下げはたいへんだろうなあ。ウナギは好きだし、自動車は持ってるし、メカケは囲ってるし――」

「え? 何をどうしてるんだって?」

「いや。これはこっちのひとりごとだ」

 そして陣太郎は胸をどんと叩いた。

「いつもいつも君におごらせてばかりでは悪い。今日は、おれがおごろう。ついて来なさい」

「おや。お金を持ってるんですか」

「そうだ。今日分家の家令をゆすぶって、一万円ほど提供させたんだ」

「そうですか」

 竜之助は顔に喜色を浮べて、いそいそと外出準備にとりかかった。

 

 二人を乗せたタクシーは、焼鳥キャバレーの前でがたぴしととまった。竜之助が先に車を出た。

「千円でおつりあるか」

 猿沢三吉からまき上げた十枚の千円紙幣の、その一枚を運転手にわたし、おつりを握って悠々と陣太郎は車を出た。

 日も暮れた丁度(ちょうど)いい時刻だから、盛り場の人の往き来も繁く、赤や青や黄のネオンサインが、てんでに勝手な明滅をつづけている。

「さあ、入るか」

 今度は陣太郎が先に立ち、焼鳥キャバレーの階段をとことこ登った。いつもはおごっている身であるのに、今夜はおごられる方に転落したのだから、竜之助はやや面目なさそうに、長身の背を曲げて、陣太郎のあとにつづいた。

 キャバレーはほとんど満員であった。

 何列にも並んだ細長い卓の片隅に、やっと空席を見出して、両人は向い合って腰をかけることが出来た。

 むらがるお客たちの話声、楽隊の響き、その他もろもろの雑音が一緒くたになって、まるで数万のカナブンブンを一部屋に閉じこめたようなにぎやかさである。

 近寄って来た女の子に、陣太郎は指を立て、ハイボールとヤキトリを注文した。

「ハイボールはダブルにして呉れ」

 竜之助はハンカチで顔を拭きながら、ふと気がついたように、自分の頰骨を指で押さえた。

「おや。おそろしいもんだなあ。栄養不足がてきめんに頰骨に出ている」

「いくらなんでも大げさな」

 陣太郎がたしなめた。

「君の頰骨は元から出てるんだよ」

「そんなものですかな」

 竜之助は不服そうに頰骨から指を離した。

「でも、僕はデリケートだから――」

「いくらデリケートでも、二日ぐらいで頰骨が出るほど瘦せるわけがない」

 やがてハイボールとヤキトリが運ばれてきた。

 ヤキトリの皿を見ると、竜之助の眼はぱっとかがやき、ハイボールには見向きもせず、ヤキトリの串にむしゃぶりついた。よほど栄養に飢えていたものと見える。陣太郎はまた低声[やぶちゃん注:「ひきごえ」。]でたしなめた。

「いずれは松平陣太郎の秘書にもなろうという男が、そんなにがつがつするんじゃない」

 先ほどは三吉のおごりのウナ重を、欠食児童さながらにむさぼり食ったくせに、ここでは陣太郎は大きく出た。

 しかし竜之助はそのたしなめも聞かず、またたく間に一皿をぺろりと平らげ、やっと人心地ついたらしく、ハイボールに手を伸ばした。

「ああ。やっと力が出た」

 ハイボールをあおり、竜之助は慨嘆した。

「明日もまたバクシャリにメザシか。うんざりするなあ」

「長期戦をやろうと言うのに、そんなにひょろひょろした状態で、勝てるもんか。闘争には、まず栄養、健全なる身体が大切だ」

「僕もそう思うし、そう言うんだけど、おやじは聞き入れて呉れない。どうも明治生れの人間のわからずやには、手を焼くですな」

 竜之助は指を立てて、またヤキトリを注文しながら、

「昨日、おやじは茶の間に貼り紙をした。見ると、ゼイタクハ敵ダ、と書いてありましたよ。今朝はそれに並べて、欲シガリマセン勝ツマデハ、と貼りつけた」

 

「欲シガリマセソ勝ツマデハ、か」

 陣太郎はグラスを傾けながら、にが笑いをした。

「そいつは君もつらかろう。同情するよ」

「それだけなら、まだいいんですよ」

 竜之助はますます悲観的な表情になった。

「おやじは僕に、ゲイジュツをやめろと言うんですよ。ゲイジュツをやめて、せっせと風呂屋稼業にせいを出せという。ああ、僕はどうしたらいいんだ」

「文化に対するおそるべき圧迫だな」

「実際無理解なおやじを持つと、息子は迷惑をしますよ。一(かず)ちゃんだって同じく――」

「一ちゃん? 一ちゃんって、誰のことだね?」

「いや、なに、これはこちらのひとりごとでした」

 竜之助は口の辷(すべ)りをごまかした。

「陣太郎さんのおやじはどうですか。理解ありますか?」

「父上か。そうだな。中くらいだったな。この間死んじまったけれども」

「とにかく三吉湯と泉湯の喧嘩に、子供の僕らがまきこまれるなんて、そんな不合理な話はない!」

 竜之助の声は少々激してきた。

「僕らは自主性を確立して、このおそるべき無理解と戦わねばならぬ」

「そんなにむつかしく力まないでも、おやじたちの喧嘩をやめさせりゃいいじゃないか」

 そして陣太郎はまた指を立てて、ハイボールを注文した。

「ことのおこりは、将棋だろう。将棋と鮨(すし)の食い方だろう。原因がかんたんだから、とりなしようによっては、すぐに元のさやに戻るよ」

「そ、そんなかんたんに行くもんですか」

 竜之助は口をとがらせた。

「それにもう、第四・三吉湯というやつが、現実に建ちつつある。払いが悪いと見えて、遅々として進まないが、とにかくそれは建ちつつある。原因はかんたんでも、こういう形になってきたからには、衝突は必至ですよ。オマンマの食い上げに関係してくるんだから」

「うん。あの建物がガンだな。今更取りこわすわけにも行くまいし」

 陣太郎は頭を上げて、舞台の方に眼をうつした。今しも舞台上では、裸女が二人、楽隊に合わせて、腰をくねらせながら、蠅のような手付きで脇腹をこすり上げている。陣太郎はしばらくぼんやりと、その腰の動きを眺めていたが、突然顔を竜之助に戻して、もの憂(う)げな声で言った。

「うん。あの第四・三吉湯の処分は、何でもないよ。かんたんに解決がつくよ」

「まさか放火して、燃しちまおうというんじゃないでしょうね」

 竜之助は声を低くした。

「それなら実は僕も考えた。が、これはいい思いつきじゃない」

「放火なんて、そんなバカなことをおれが考えるものか」

「では、どういう方法です?」

「あれを劇場にするんだよ」

「劇場?」

 ゲイジュツ好きの竜之助は、ぱっと眼をかがやかして、身体を乗り出した。

「うん。劇場だ」

 陣太郎はもの憂げにうなずいた。

「今、東京には、良心的な劇を上演する劇場が足りない」

 

「劇場の数がすくないに反して、公演をしたがっている劇団はわんさとある」

 陣太郎はしずかにハイボールのコップをとり上げた。

「しかも劇愛好者、芝居を見るだけじゃなくて、自分でやりたがっている連中、この数は年々歳々増加の煩向がある」

「そ、それはいい考えだ」

 泉竜之助は膝をぽんとたたいて、眼をかがやかせた。

「さすがは陣内陣太郎さんだ」

「まだ中途半端にしか出来上っていないから、そのまま転用出来るよ。ボイラー部屋を楽屋に、そして――」

 陣太郎は手を上げて、七彩の色にくるめく舞台の方を指差した。

「舞台はつまり風呂場だね。板の間が客席ということになる」

「それじゃあ舞台にくらべて客席が狭過ぎやしませんか」

「客席なんか狭くってもいいんだよ。あいつ等は、芝居をやってさえいれば満足なんだからな。落語の寝床の旦那と同じようなものだ。近頃のお客は利口だから、そんなもの、見に行きゃしないよ」

[やぶちゃん注:「落語の寝床」落語の演目「寝床」。当該ウィキを参照されたい。]

「ううん」

 竜之助はうなって腕を組んだ。

「それは面白い思いつぎだけれど、三吉おじさんがうんと言うかしら、お客が来なきゃ、経営がなり立たないというのに」

「バカだな。お客が来ようと来まいと、三吉おやじとは関係ない。三吉おやじは、劇団に舞台を貸して、貸し賃をとるのだ。つまり貸し劇場だね」

「三吉おじさんに、風呂屋をやめて、貸し劇場経営を思い立たせるためには――」

「利をもって誘うんだよ。貸し劇場がいかに有利な事業であるか」

 陣太郎はハイボールをぐっと干した。

「それと同時にだね、泉湯の方から大攻勢に出て、第四・三吉湯をつくるのは不利だということを、三吉おやじに悟らせる必要がある。だから、テレビ攻勢もいいが、更に一歩進んで、湯賃値下げ攻勢をやるんだな。早いとこやった方がいい。そうすると三吉おやじもあきらめて、劇場に転向するだろう」

「でも、二吉おじさんも、相当に意地っぱりだから、なおのこと態度が硬化しやしませんか」

「うん。その可能性もあるな」

 陣太郎は竜之助の前に、ぐっと人差指を立てて見せた。

「最後の手段としては、オドシという手がある!」

「オドシ?」

「そうだ。脅迫だ」

 陣太郎は大きくうなずいた。

「人間は誰も弱味を持っている。弱味を持たない人間はない。触られるとギョッとするようなものを人間は誰しも持っているものなのだ」

「そんなものですかな」

「ですかな、とは何だい」

 陣太郎はちょっと気分を害して竜之助をにらみつけた。

「たとえば君だって、さっき、何とか言ったな、ああ、一(かず)ちゃんか、一ちゃんとは一体何者であるか、おれは恵之助老に――」

「じょ、じょうだんじゃありませんよ」

 竜之助はたちまち狼狽した。

「おやじにそんなことを聞かれちゃ、たちまち僕は勘当されてしまう」

 

「それ見なさい」

 陣太郎は得意そうに指をぱちんと鳴らした。

「君だって、ちょっとつつけば、直ぐに弱味が出る。生活の表面の弱味、精神の深部の弱味、人間はいろいろの弱味を持っている。君だって、恵之助老だって――」

「はて、おやじにも弱味があるかな?」

「あるさ、もちろん」

 陣太郎は言葉に力をこめた。

「弱味があるのに、自分に弱味はひとつもないといった顔で生きているのが、一般の人間だ。つまり俗物というやつの生き方だね。そうしないと、俗物は生きて行けない。たとえばあの三吉おやじも、むこう意気は強そうだが、実のところ、中途半端な弱味人間だ」

「しかし」

 竜之助は口をはさんだ。

「三吉おじさんの弱味を、どうして見つけ出すか。見つけ出したとしても、どういう具合にそれをつつくか」

「それは君自身、やればいいだろう」

 陣太郎はそっけなくつっぱねた。

「おれは君に、人間の原則を示してやっただけだ」

「人間は誰も弱味があるというけれど」

 つっぱねられたものだから竜之助は少しいきり立った。

「では、陣内さん、あなたにも弱味があるわけですね」

「うん。おれにあるのは、弱味というもんじゃない」

「じゃあ、なんというんですか?」

「この間まで、おれは皆と同じように、中途半端な弱味人間だった」

 ハイボールが廻ってきたのか、陣太郎の眼はきらきらと光り始めた。

「そしておれは、自分の弱味をかくそうと、あるいはなくそうと、毎日あがいていた。しかしそれはムダだと、ある日のある時、おれは忽然(こつぜん)として気がついたのだ。そして、おれは自分の強味を全部ふりすてて、弱味だけの人間になろうと決心した。その瞬間に、おれは俗物でなくなった。おれは弱味のかたまり、弱味そのものになった」

「でも、お見受けしたところ、あなたはずいぶん強そうな性格に見えるんだがなあ」

「それはそうだ」

 陣太郎は自分の唇をなめた。

「トランプのある遊びで、マイナスを全部集めたら、とたんにそれがプラスになるやつがある。日本の花札にもあるな。素(す)十六というのがそれだ」

「素十六?」

「そうだ。カス札ばかりを十六枚集めると、それを素十六といって、とたんに強力な役になるのだ。だから、おれの弱さは、素十六だよ。すなわちおれは、素十六の陣太郎だ!」

 酔いのせいか、陣太郎はぺらぺらと早口になり、魚眼のような双の眼は、あやしい艶をたたえてぎらぎらと光った。

「人間も、思い切って素十六になれば、もうこわいものはない」

「素十五というのはないんですか?」

「そ、そんなものはない」

 陣太郎はなぜかぎょっとした風(ふう)に身を慄わせた。

「カス札を十五枚集めて、あと一枚というところで勝負が終ることほど、みじめなことはないよ。おれも度々その経験があるが、あれはほんとに泣き出したくなる」

[やぶちゃん注:「素十六」花札の出来役の一つ。素札(すふだ:花札で動物や短冊などの描かれていない札。一点に数える札。素物(すもの)。スベタ)ばかりを、十六枚揃えること。この場合、柳(雨)の札は二十点・十点・五点のものも素札として数えることが出来る(私は勝負事に全く冥いので、小学館「日本国語大辞典」を参照した)。]

 

「劇場はいいなあ。三吉劇場!」

 酔いが廻ってくるにつれ、泉竜之助の思いはすぐにそこに飛ぶらしく、しきりにそれをくり返した。毎日麦飯とメザシでげっそりしていた竜之助も、ハイボールの刺戟とヤキトリ数十本の摂取により、すっかり元気を取り戻したようである。

「こけらおとしには、誰を呼ぼうかなあ」

 まるで自分が経営者であるようなことを竜之助は口走った。

「僕が司会をやって、一人一人に祝辞を読んで貰うんだ」

「うん。お前さんなら司会者に遭当だ。背高ノッポだし」

 竜之助が浮き浮きしてきたに反し、陣太郎の方は、妙に酔いが沈んでくる様子で、言葉使いも陰鬱な調子を帯びた。素十六談義の反動で、酔いが沈んできたものらしい。

「おれも、誰か、連れてきてやろうか。加納明治なんか、どうだい?」

「え? 加納明治を知ってるんですか?」

「知ってるにも知らないにも、あれはおれの家来みたいなもんだ」

 加納明治にまだ会ったこともないくせに、陣太郎は低い声で大口をたたいた。

「ほう。家来ですか?」

「そっくりそのまま家来というわけでもないが――」

 柄になく気がさしたか、陣太郎はごまかした。

「何なら紹介してやってもいいよ。二三日中に」

「是非そう願います」

「一両日中に、おれは加納に会う用事がある」

 そして陣太郎は腕を組み、少時[やぶちゃん注:「しばらく」と当て訓しておく。]首をかしげた。

「うん。その時はちょっと都合がわるいな。その次の時としよう。遅くとも四五日中に会わせてやるよ」

「それはありがたい」

 竜之助は掌をもみ合わせた。

「それまでに、加納の作品をどっさり読んで、研究して置こう」

「なに、それほどまでしなくてもいいよ。あれにろくな作品はない」

 陣太郎は鼻の先でせせら笑った。

「そうだな。その時お前さんを、おれの秘書として紹介しよう。その方が便利だし、事がスムーズに行く」

「秘書でも何でもいいですよ。加納明治。ああ、三吉創場!」

「そんなに浮かれるな」

 陣太郎は眉をひそめてたしなめた。

「この計画は、誰にも口外してはいけないよ。胸にたたんで置くんだ。恵之助老にもだぞ」

「判ってます」

「さっきの、何とか言ったな、一ちゃんにもだぞ」

 陣太郎は釘をさした。

「君はどうも、酔っぱらうと、軽佻浮薄になる傾きがあるようだな。当分酒をつつしむんだね。そして対三吉戦にいそしむんだ」

「判ってます」

「湯銭値下げも、早いとこやった方がいいよ」

 最後のハイボールを飲み干して陣太郎はふらふらと立ち上った。

「どうして俗物ってやつは、つまらないことで、あんなにいがみ合うんだろうなあ。まったく退屈な話だ」

 

 泉宅の夜の茶の間に、泉恵之助はチャブ台の前にあぐらをかき、メザシを肴(さかな)にして焼酎を飲みながら、紙に鉛筆で何かしきりに計算していた。

 この間までは、マグロの中トロか何かを刺身にして、特級酒の盃を傾けていたのであるから、メザシに焼酎とはずいぶん下落したものである。

「うん。大体この位の線か」

 恵之助は鉛筆を置き、そうひとりごとを言いながら、不味(まず)そうにコップの焼酎をすすった。

「ここらが最低線ということにして、作戦を立てて見よう」

 恵之助の坐っている位置から、窓を通して月が見えた。月はおぼろにかすみ、そのおぼろな光線を、あまねく地上に降らしていた。泉宅のくぐり戸にも、そのおぼろな光は落ちていた。今しも伜(せがれ)の竜之助は、背を曲げてそのくぐり戸から忍び入った。

「もう親爺のやつ、寝たかな?」

 ほとんど毎夜のことなので、竜之助の忍び入り方は堂に入っている。

 音もなく玄関に忍び入り、扉をしめてかけ金をおろす。そっと靴を脱ぎ、土間に置く。まるで無声映画の人物のように音を立てない。廊下に上る。伊賀の忍者みたいに巧妙に歩く。どの板のどの部分を踏めば、どんな音を発するか、ということまで熟知しているのだが、今夜は少しハイボールを過したので、そこらをちょいと踏みそこねて、茶の間の前のところで、不覚にも廊下の板をギイと鳴らした。

「誰だ!」

 障子の向うから恵之助の声が飛んできた。

「竜之助か?」

「はい。ただいま」

 声をかけられては仕方がない。余義なく竜之助はあいさつをした。

「少々遅くなりました」

「なにが少々だ。今何時だと思ってる」

 恵之助は舌打ちをした。

「こちらに入って来なさい」

「はい」

 度胸を定めて障子をあけ、竜之助は茶の間に入った。

「おや。もう十二時過ぎですね。僕はまだ十一時頃かと思ってた」

「なにが十二時過ぎだ。時計を見ろ。十二時五十二分じゃねえか。一時前というもんだ」

 恵之助は上目使いに、じろりと伜をにらみつけた。

「おや。お前、酔っぱらってるな。お前には、たしか金はない筈だが、どこでくすねた?」

「くすねた? じょ、じょうだんでしょう。人聞きの悪いことを言わないで下さいよ」

 竜之助は不服げに口をとがらせた。

「おごって貰ったんだよ」

「おごって貰った? 誰に?」

「陣太郎さんという人にだよ。そら、この間、うちの板の間でぶったおれた――」

「あんまりへんな男と遊ぶんじゃねえよ」

「へんな男じゃないですよ。あれでもれっきとした――」

「お種さんの話じゃ、あんまりいい服装をしてなかったというじゃないか」

 恵之助はまた伜をにらんだ。

「そんな風来坊に、豚カツなんかをごちそうしやがって」

「いや。あの陣太郎さんは、あれでもれっきとした松平家の御曹子なんだよ」

 

「なに。松平の御曹子だと?」

 泉恵之助は膝を立てた。

「そんな御曹子ともあろうものが、どうしてきたない服装で、ここらをうろうろしてるんだ? それに銭湯でぶったおれるような醜態を――」

「あ、あの人は猫舌なんだよ。全身猫舌だもんだから、泉湯の熱湯に辛抱出来なかったんだ。身分の高い人は、いろんな関係で、たいてい猫舌になるんだってさ」

 竜之助は掌を交互に振って、懸命に陣太郎を弁護した。

「服装があまり良くないのは、あの人、この頃、家出をしたんだって」

「家出? 何で家出したんだ?」

「相続問題がこじれて、面白くないからだってさ。それに、京都の十一条家の娘と見合いさせられそうなんで、たまりかねて飛び出したんだよ。やはりあんな家柄になると、僕らには判らないようなことが、いろいろあるらしいよ」

「ふうん」

 恵之助は半信半疑の面もちで焼酎のコップを口に持って行った。泉湯は代々のしにせで、江戸時代からつづいているのだから、その血をうけた恵之助老は、松平とか徳川などの家柄には、人並以上の関心を保有しているのである。焼酎を不味そうに飲み下しながら、恵之助はつぶやいた。

「ふん。松平の御曹子ねえ」

「お父さんの焼酎の飲み方は、実に不味そうだねえ」

 竜之助はチャブ台の上の計算紙をのぞき込んだ。

「それは何? 肴がないもんだから、算数の練習でもしてたの?」

「ばか。肴はここにあるぞ」

 恵之助はメザシをつまみ上げてこれ見よがしに、頭からがりがりとかじった。

「生活の計算をしてたんだ」

「生活の計算?」

「うん。そうだ。風呂の水道料、燃料費、人件費、それにわしらの生活費をにらみ合わせてだな、泉湯の湯銭を最低いくらにまで値下げ出来るか、それを計算して見たんだ。計算するのに、一時間余りかかったよ。算数なんてものじゃなく、高等数学だからな」

「高等数学?」

 竜之助はあわてて口を押さえた。

「それで、いくらにまで値下げ出来るの?」

「十二円だ!」

 恵之助は昂然(こうぜん)と言い放った。

「特級酒を焼酎に、中トロ刺身をメザシに切換えて、つまり生活費をぎりぎりに絞っての計算だ」

「メ、メザシ?」

 竜之助はたちまち悲痛な声を発した。

「も、も少し絞りをゆるめて、湯銭を十三円ぐらいにして、メザシだけはかんべんして貰えないかなあ」

「ダメだ! 中途半端なことじゃあ、とても戦[やぶちゃん注:「いくさ」。]には勝てない。わしはメザシから梅干への切下げも考慮している!」

「梅干?」

 竜之助は泣きべそ顔になった。

「そ、それで、いつから値下げをするの?」

 早急に値下げをしろと、あれほど陣太郎から慫慂(しょうよう)されたのも忘れて、竜之助は情ない声で嘆願した。

「実施は出来るだけ遅い方がいいなあ。でないと、僕は栄養失調になっちまうもの」

 

「なに。栄養失調になる?」

 泉恵之助は伜の竜之助をにらみつけた。焼酎の酔いで、恵之助の顔もかなり赤くなっている。

「冗談を言うな。メザシなんて、大した栄養食品だぞ。あれはもとは鰯(いわし)で、鰯という魚は、魚の中で一番栄養価が高いって、この聞の新聞の家庭欄に出ていた」

「しかしナマの鰯とメザシとでは――」

「いや。それはメザシの方が上だ」

 自信ありげに恵之助は断言した。

「メザシというやつは天日に乾された関係上、日光からたくさんビタミンAを吸い込んでいる。それに骨や頭までガリガリ食えるから、カルシュームの補給にはもってこいだ」

「でも、メザシはかさかさしていて――」

 竜之助は必死に抗弁した。

「あぶらっ気が全然ないもの。あれじゃあ、とても元気が出ないよ」

「あぶらっ気というのは、脂訪分のことだ」

 どこで勉強したのか、栄養学にかけては、忠之助老はなかなかあとに退かない。

「脂肪というのは、人間の身体には大敵だ。ことにわしのように、心臓の弱いものにとっては、脂肪分は非常に悪い。心臓のまわりに脂訪がくっついて、心臓の働きが鈍るのだ」

「お父さんは心臓が悪いから、脂肪分は悪いかも知れないけど、僕は心臓は悪くないんだよ。それにボディビルをやっている関係上――」

「ボディビルなんか、止めればいいじゃないか。実際あんなムダな精力の浪費はない」

 恵之助はあっさりと断定した。

「それに、お前は心臓は悪くないと言ってるが、よく考えてみなさい、お前はわしの一人息子だよ。お前のおじいさんは、狭心症で死んだ。お前のお父さん、つまりこのわしのことだな、これも心臓が非常に弱い。だから血筋として、お前も心臓が悪くなるにきまっている。だから今から用心して――」

「でもお父さんは、この間まで、毎日マグロのトロを――」

「だから、その非を悟って、メザシに転向したのだ!」

 恵之助はどしんとチャブ台をたたいた。

「それ以上つべこべと言うなら、メザシをやめて、梅干にしてしまうぞ」

 竜之助はしぶしぶと沈黙した。これ以上言いつのって、梅干に切り下げられてはかなわない。

「時にお前に、是非行って貰いたいところがある」

 焼酎を口に含んで、恵之助は本題を切り出した。

「行くだけじゃなくて、偵察(ていさつ)だな」

「偵察? どこへ?」

「三吉湯だよ、もちろん」

 三吉湯という言葉を口にしただけで、竜之助の額にはもりもりと青筋が立った。

「三軒ともだよ。一日で三軒廻ってもよろしいが、一日一軒、三日がかりでもいい」

 メザシの頭を、さも憎しげに、恵之助はガシガシと嚙んだ。

「情報によると、あの三吉のくそ爺、板の間に縁台を置き、将棋盤の設備をしたそうだ。これは明かに組合の申し合せ違反だ」

「だって、お父さんもテレビを――」

「うちのテレビは、正当防衛だ」

 恵之助は伜をきめつけた。

「法律でも、正当防衛は、罪にならない。テレビでもつけねば、たちまちお客が減って、わしたちはオマンマの食い上げとなる。立派な正当防衛だ」

 

「テレビに対抗するに将棋盤とは、何としみったれた奴だろうなあ」

 泉恵之助は、わざとらしい憫笑(びんしょう)の色を頰に浮べ、コップの焼酎をぐっと飲んだ。

「といっても、将棋だってバカにならない。世の中には、将棋好きも多いからな。だからお前は三吉湯を廻って、どのくらいお客が将棋盤にとりついているか、それを偵察してきて貰いたいのだ」

「いやだなあ、そんな役目」

 竜之助は掌で空気を押し戻すようにした。

「だってお父さんは、先だって、三吉おじさんはもちろん、その家族に対しても、口を一切きいちゃいけない、そっぽ向けって、そう厳命したじゃないの」

「債察するのに、口をきく必要はない!」

 恵之助はきめつけた。

「偵察といっても、のぞきじゃないよ。うっかりのぞいてると、交番に連れて行かれるからな。堂々と十五円を出して、お客として入るんだ」

「三吉おじさんが拒否したら?」

「拒否は出来ない。わるい病気とか酔っぱらいなら、入湯拒否は出来るが、正常で健康な人に対しては拒否出来ないのだ。いくら三吉がくやしがっても、出来ないんだ。だからそっぽを向いて、十五円払い、堂々と入湯して来い。何なら浴槽の中で、そっとウンチをしてもいいよ。臭いから、たちまち三吉湯のお客は減るだろう」

 特級酒とちがって、焼酎は悪酔いするらしく、恵之助老はとんでもない発言をした。

「そんなムチャな――」

 竜之助もさすがに呆れて嘆息した。

「うん。それはちょっと行き過ぎかも知れないな。それは最後の手段に取っとこう」

 恵之助はあっさりと前言を撤回した。

「そして、将棋の情況をよく偵察してこい。出来たら油断を見すまして、王様の駒をかすめ取って来い。王様がなけりゃ、将棋は出来ないからな」

 相当酔いが廻ったと見えて、恵之助は大口をあけてばか笑いをした。

「三軒廻って、王様を六個集めて来い。王様じゃなくても、飛車や銀でもいい。歩はいけないよ。あれは予備があるから」

「そんなに三吉湯の将棋を敵視しないでも――」

 息子としての忠告を竜之助はこころみた。

「うちのテレビで、相当お客が増加したらしいじゃないの。お種さんがそう言ってた」

「うん。いくらか殖えたのは事実だが」

 恵之助は嘆息の表情になった。

「一面その弊害もあるのだ」

「どんな弊害?」

「お客の平均入湯時間が、ぐんと長くなった。その結果、混み方がひどくなったんだ」

「そう言えば、前よりもずいぶん混んでいるようだねえ」

「入湯時間といっても、浴槽につかっている時間じゃない。板の間で休んでいる時間も含まれる。つまりその、板の間の時間が長くなったのだ。この間のプロレスの時なんか――」

 慨嘆にたえぬ表情を恵之助はつくった。

「上ってはプロレスを見、また入り、また上ってはプロレスと、合計六回も入湯したのがいる。出て行く時みたら、掌なんかすっかり白くふやけていた。それでタダの十五円だよ。ひき合った話か?」

 

 浅利家の納戸(なんど)で、浅利圭介は机の前に坐り、古本屋から買ってきた探偵小説を読みふけっていた。最後の一頁を読み終り、ばたんと巻を閉じると、両手を上に伸ばしてあくびをしながら、ひとりごとを言った。

「ふん。こいつが犯人とは、気がつかなかったな。でも、組立てが、ちょっとインチキだぞ」

 その探偵小説をぽんと部屋のすみにほうり、机上の腕時計に眼を走らせた。針は零時五十二分を指していた。

「まだ戻って来ない。一体何をしてるんだろう。泊ってくるつもりかな。こんな遅いところを見ると、あいつ、対猿沢工作に失敗したんだな」

 圭介はにやにやと妙な笑い方をしながら、書棚の前から 一升瓶を引き寄せ、栓をあけた。書棚の前には、まだ二本の一升瓶が残っていた。いずれも特級酒である。

「あいつ、えらそうなことを言ってたが、やっぱり失敗したに違いない。今日もおれは失敗したが、これでアイコだ」

 湯吞に特級酒をどくどくと注ぎ、一息にあおり、圭介は旨そうにタンと舌打ちをした。冷酒はたちまちにして、空腹の圭介の五臓六腑にしみわたった。圭介はまた二杯目をどくどくと注いだ。

 それを口に持って行こうとしたとたん、玄関の方から、扉をあけるがたぴし音が聞えてきた。

「ふん。帰って来やがったな」

 茶碗を元に戻し、圭介は立ち上った。足音を忍ばせて、廊下を歩いた。陣太郎は玄関で靴を脱いでいた。

「おい。どうだった?」

 圭介はその背に小声で話しかけた。大声を出すと、茶の間のランコに目を覚まされるおそれがある。

「やっぱり風呂屋が犯人だったかね」

「ああ、おっさんか。ただいま」

 靴を脱ぎ終え、陣太郎はひょろひょろと玄関に上った。

「まあ部屋に行きましょう」

「おや。君はまた今夜も酔っぱらってるな」

 廊下を先に立ちながら、圭介は腹立たしげに言った。

「僕は寝ないで待ってたんだぞ。やけ酒でも飲んだのか」

「どうしておれが、やけ酒を飲むんです?」

「だって、やりそこなったんだろう」

 圭介は納戸に入り、机の前の元の座に戻った。陣太郎も圭介に相対して坐った。

「おれのことを、やりそこなったなんて、勝手なことを言ってるが、おっさんはどうだったんです?」

 圭介はとたんに面目なさそうに頭を垂れ、茶碗を陣太郎の方に押しやった。

「まあ一杯やって呉れ」

「加納明治に会えたんですか?」

 陣太郎は当然のことのように、茶碗を口に持って行きながら、声を大きくした。

「それとも、また酒一本で、追い返されたんですか?」

「一本じゃなく、三本だ」

 圭介は頭を垂れたまま、小さな声で言った。

「しかし、これは、特級酒だから――」

「特級酒でも二級酒でも、追い返されたにかわりはない!」

 陣太郎はきめつけた。

「今度は、おれが、加納に会う!」

 

「そ、それは――」

 浅利圭介はどもった。

「何が、それはです!」

 陣太郎はおっかぶせるように、更に声を大きくした。

「今日訪問して、それで会えなきゃ、おれにゆずると、約束したじゃないですか。男と男の約束を、おっさんは反古(ほご)にしようとでも言うのですか!」

「そ、そんな大声を出して呉れるな」

 圭介は片手おがみに嘆願した。

「おばはんが眼を覚ますじゃないか」

「眼が覚めたって、おれは平気です」

 陣太郎はいくらか声を低くした。

「おれ、おばはんに、一切を告白して、この家を立ち去ります」

「わ、わかった。加納明治のことは、君にまかせるよ。も少し声を小さくして呉れ」

「よろしい」

 陣太郎の声は圭介の声と同じくらいに、小さくなった。

「おっさんも初めから、我を張らなきゃいいんですよ」

「ああ」

 圭介は両手を顛のうしろに組み、低くうなって、畳にどさりとあおむけになった。ずいぶん奮闘努力したものを、その中途にして、あっさり陣太郎にうばい取られ、絶望したのであろう。

「ああ、おれは一体、この十数日、何のためにかけずり廻ったのか」

「そんなにがっかりしなさんな。がっかりすると、身体に悪いですよ」

 さすがに陣太郎も惻隠(そくいん)の情を起したと見え、やさしく声をかけた。

「今日、猿訳三吉に会って、おっさんのことをよく頼んで置きましたよ」

「え? なに?」

 圭介はむっくりと身体を起した。

「何を頼んだんだ?」

「おっさんの身柄をですよ。つまり、就職――」

「誰が君にそんなことを頼んだ? 余計なさしで口をするな!」

「ランコおばはんから頼まれたんですよ」

 陣太郎もむっとした口ぶりになった。

「そんなに怒るんなら、おれは引きさがります。そして、ことの一切を、ランコおばはんに――」

「わ、わかった。わかったよ」

 圭介は忌々しそうに、また片手おがみをした。

「わかったけれども、どうもその君のやり口は、気に食わんぞ。それだけは、おれははっきり言って置く」

「気に食っても食わないでも、この単純率直が、おれの流儀です」

 陣太郎は昂然と茶碗の酒をあおった。

「おれは、ぐにゃぐにゃしたもの、うそうそしたもの、ねちねちしたものが、大きらいです。世の中がどう変ろうと、一足す一は二です!」

「一体僕の身柄を、何と頼んだんだい?」

「猿訳三吉はですね、今三軒銭湯を持ってるが、更にもう一軒新築中なのです。その新築の銭湯の、つまり、何と言えばいいのかな、支配人です。マネージャーですな」

「こ、この僕に――」

 圭介にはもうどもり癖がついた。

「銭湯のマネージャーになれと言うのか?」

 

「ちょっとおことわりして置くけれど、次の二つのことだけは心得て置いて下さい」

 陣太郎は空(から)の茶碗を圭介の前に戻し、特級酒をとくとくと注いでやった。

「第一は、おっさんは何も知らないと言うことです。つまり、見ざる聞かざる言わざるですな」

「何も知らない?」

「ええ。猿沢の自動車のナンバーのことなんかもですな。ただおれの紹介で就職する、それだけで、あとは何も知らないということにして置いて下さい」

「へんな条件だな」

 圭介は首をかしげた。

「まあよかろう。どうせ一時つなぎの就職だ。もう一つは何だ?」

「お、おれとおっさんの関係ですがね」

 陣太郎はさすがに言いにくそうに、言葉をもつらせた。

「おっさんのことをね、おれは猿沢三吉に、おれんちの元家令だとふれ込んだんですよ」

「元家令? 僕がいつ君の家の家令をやった? でたらめもほどほどに――」

 圭介は憤然たる面もちで、そう言いかけたが、すぐに怒り顔をゆるめて、投げ出すように言った。

「まあどうにでも言って呉れ。どうせ僕が怒っても、君はランコおばはんを持ち出すにきまっている」

「よく気が廻りますな」

 陣太郎はにやにやと笑った。

「でもおれは、おっさんのためを思ってやったんですよ。おっさんは家令だったが、思うところあってそれを辞め、浮世の風に当りたいと、そうおれはふれ込んだ」

「元家令や元家従でなくて、しあわせだ」

 圭介はやけっぱちに、茶碗酒を一息に飲み干した。

「風呂屋のマネージャーだなんてえらそうに聞えるが、つまり番台に坐って金をとるんだね?」

「番台。けっこうじゃないですか。特等席で、女の裸をおおっぴらに眺められるし――」

 圭介の空茶碗を、陣太郎は自分の前に引き戻した。

「かま焚きよりはいいでしょう」

「そうだな。そう言えば、風呂屋には、女湯というものがあるな」

 多少心を動かした風で、圭介は陣太郎の茶碗に酒を充たしてやった。

「退屈しのぎに、勤めてみることにするか、どうせ一時つなぎの就職だ」

「一時つなぎということを、やけに強調するんですな」

 また陣太郎はにやにやと笑った。

「それで、おれ、一両日中に、ここから引越しますよ」

「引越す? なぜ?」

「だってここを、下島がかぎつけたからですよ」

「行き先はあるのかい?」

「ありますよ。富士見アパートと言うんです」

 そして陣太郎は、首をかたむけ、ひとりごとの口調になった。

「富士見アパートって、どこにあるんだろうなあ。電話帳ででも調べて見るか」

「そんなケチなアパートに行くことは止めて、屋敷に戻ったらどうだい」

 圭介は最後の忠告をこころみた。

「君がそこらをうろちょろすると、その度に、そこらに波紋がおこって、あぶなくて仕様かない。まるで君は春先のつむじ風みたいだ」

 

 小説家加納明治は、書斎の仕事机の前に大あぐらをかき、特級酒の一升瓶をでんと据え、たいへん険悪な表情で、ぐびぐびと茶碗酒をあおっていた。

 違い棚の上の置時計は、午前零時五十二分を指していた。

 酒の看としては、ワサビ漬、辛子茄子(からしなす)、佐賀名産のガンヅケなど、刺戟の強いのが四五品並び、加納は茶碗をあおる間の手に、それをつまんでは口に放り込んだ。時には刺戟が強過ぎて涙腺(るいせん)を剌戟し、加納は険悪な表情のままほろほろと涙を流し、あわてて鼻をつまんだりした。

[やぶちゃん注:「ガンヅケ」」甲殻亜門軟甲綱真軟甲亜綱ホンエビ上目十脚(エビ)目抱卵(エビ)亜目短尾(カニ)下目スナガニ上科スナガニ科スナガニ亜科シオマネキ属シオマネキ Uca arcuata の肥大した鋏脚を塩漬けにした有明海沿岸地方の珍味。但し、現在は同種は本邦では絶滅危惧II類(VU)となり、販売されている「がん漬(づけ)」の原材料は総て中国産である。それでも結構、酒の肴としては、いける。福岡生まれの梅崎春生のエッセイ「三好十郎」(昭和二七(一九五二)年八月号『群像』初出)にも出てくる。]

 ふだんの加納なら、塙女史の指示の通り、十二時にはおとなしく就寝している筈なのであるが、こんな時刻に大あぐらをかき、禁制の刺戟物を看にして、茶碗酒をあおっているというのも、今日彼が秘書の塙女史と大衝突をしたからである。

 ことのおこりは、押入れの奥深く隠匿した一升瓶三本を、加納の留守中に塙女史が摘発、折柄来訪した浅利圭介にやってしまったことに発する。

 午後、所用から自動車で帰宅した加納明治は、書斎の机の上に置かれたメモ用紙を一読、かっと額に青筋を立てた。メモ用紙には、こう書いてあった。

 

 押入れを整理していたら、一升瓶が三本も見つかりま

 した。こんなところにお酒をかくすなんて、何という

 卑劣な所業でしょう。先生の中に住むアクマを、あた

 しは心から憎悪します。

                   塙佐和子

 

「何という不逞(ふてい)な女だろう!」

 加納は血走った眼で、ぎろりと部屋の中を見廻した。

「あれほど言っておいたのに、押入れに手をつけやがって!」

 書斎のすみの半間の押入れ、ここだけは私物入れだから絶対にあけてはならぬと、加納が塙女史に申入れたのは、つい四五日前のことである。近頃本棚のうしろの隠匿物資が、ひんぴんと塙女史によって摘発されるので、別のかくし場所を設ける必要上、加納はそんな申入れをしたのだ。

「はい。かしこまりました。先生」

 その時は、塙女史は、はなはだ殊勝な返事をした。

「作品をつくるには、やはり作家の秘密というものが、必要でございますわねえ」

 そんな物分りのいい返答をしたくせに、五日も経たないうちに、約束を破ってお酒を持ち去った。加納明治が青筋を立てるのも、当然であろう。

「よし。もう許しては置けぬ!」

 加納明治は書斎を飛び出し、足音も荒く、廊下を踏み鳴らして、玄関脇の塙女史の居室の前に立った。拳固で力まかせに扉をどんどんとたたいた。

「塙女史。おい、塙女史」

 応答はなかった。加納はノブを廻して、扉を引きあけた。秘書であるとはいえ、淑女の塙女史の居室の扉を、ことわりなしに引きあけることは、ふだん加納は遠慮しているのであるが、勢の余るところいたし方ない。

 扉から首をつっこんで、加納は部屋内をぐるりと見廻した。

 女史の姿はなかった。女のにおいだけがあった。

「ふん」

 加納は扉をがちゃんとしめると、今度はリヴィングキチンに突進した。

 リヴィングキチンにも、塙女史の姿は見当らなかった。買物か何かに外出したのであろう。

 加納明治は拍子(ひょうし)抜けがしたように、ぺたんと椅子に腰をおろしたが、すぐに憤然と立ち上り、つかつかと調理台の方へ歩いた。流しや冷蔵庫や戸棚などをにらみつけた。

「なんだい、こんなもの」

 加納は戸棚の方を力まかせに引きあけて、そこにならんでいた小麦胚芽、脱脂粉乳、醸造酵母のたぐいを、ひとつひとつ取りおろした。それらをまとめて小脇にかかえた。

「ハウザー流がなんでえ。ひとをバカにしやがって!」

 小脇にかかえたまま、加納は玄関に戻り、下駄をつっかけて表に出た。裏木戸の前のコンクリ製の塵芥箱(ごみばこ)の蓋をあけ、彼はそのひとつひとつを、エイエイとかけ声をかけながら、力いっぱいたたき込んだ。

「ざまあみろ」

 やっとせいせいした表情になり、加納は家に戻った。書斎に入り、座蒲団を二つ折りにして、ごろりと横になった。あんまり怒って行動したので、その反動で、全身がぐにゃりと弛緩(しかん)していた。はあはあとあえぎながら、やがて加納はそのまま、うとうとと眠りに入った。

 やがて彼は、リヴィングキチンの方角からの銅鑼(どら)の音で目を覚ました。銅鑼は夕食の合図なのである。加納はむっくりと起き直った。

 帯をしめ直して、加納は書斎を出、大風に逆らうような表情になり、廊下を食堂の方に歩いた。

 食卓の上に、夕食の用意が出来ていた。コールミートの皿、サラダの皿、その傍にいつもの如く、強化パンとヨーグルトが置かれていた。

[やぶちゃん注:「コールミート」cold meat。コールド・ミート。ローストした牛・豚・鶏の肉を冷やしたもの。薄切りにして食する。]

 調理台を背にして、塙女史が立っていた。その顔はつめたく険を帯びて、まるである種の能面を思わせた。

 加納はぶすっとした表情で、椅子についた。そしてちらりと視線を戸棚の方に走らせた。戸棚には新品の小麦胚芽、脱脂粉乳、醸造酵母が、ちゃんと補充されてあった。

 その加納の視線の動きを、塙女史はながめながら、氷のようにつめたい声で言った。

「やっぱり犯人は、先生でしたのね。栄養食品をゴミ箱に捨てた犯人は!」

「犯人とは何だ!」

 加納の眉の根はぐっとふくらんだ。

「あの食品は、僕のかせいだ金で買ったものだ。僕のものを、僕が捨てるのに、何が悪い。それよりも、僕の押入れから酒を盗んだ犯人はどいつだ!」

「盗んだ?」

 塙女史もきりりと柳眉(りゅうび)を逆立てた。

「盗んだとは、何という言い草でございますか。先生こそ、あんな場所に酒をかくすなんて、卑劣なことをなさったくせに」

「押入れは絶対にあけないという約束じゃなかったか」

 加納はフォークの柄で、食卓をコチンとたたいた。

「なぜあけた?」

「酒が入ってたからでございますわ」

「ウソつくな。あけない前に、酒が入ってることが判るわけがない」

「においで判りますわ」

 塙女史も負けてはいなかった。

「酒にはにおいがあるんですよ。においが!」

 

「僕はこれでも人間だぞ。犬なんかじゃないぞ」

 十数分間にわたる大論争ののち加納明治はついに怒号した。

「ドッグ・トレイェング・スクールの要領で、僕を仕込もうなんて、人間冒瀆(ぼうとく)もはなはだしいぞ!」

 大論争というよりは、大水掛論というべきであって、加納明治は人間として嗜好の自由を主張し、塙女史は小説家としての健康保持を主張するのだから、これは永遠の平行線であって、妥協の余地はないのである。加納が怒号するのもムリはない。

「いいえ。先生の心性の中の一部分は、たしかに犬です」

 塙女史も金切声を上げた。

「その犬みたいに卑しい部分を退治することが、あたしの任務です!」

「おれの中に犬なんかいない!」

 そして加納は食卓に手をかけ、かけ声と共にそれをひっくり返した。コールミートやサラダやヨーグルトなどが、めちゃくちゃに床に散乱した。

「こんなものが食えるか。おれは日本人だぞ。おれは今から街へ出て、おれの好きなものを食ってくる!」

「そんなことはさせません」

「する!」

「させません!」

「する。お前はクビだ!」

「まあ。お前だなんて――」

 愕然としたように、塙女史は顔色を変えた。お前呼ばわりをされたのは、これが初めてであったのだ。

「あたしのことをお前だなんて、先生はそれでいいのですか」

「女史があんまりワカラズヤだからだ」

 加納はわめいた。

「僕はワカラズヤを秘書にしたくない。よく判って、献身的な秘書が欲しいのだ」

「あたしは献身的です」

 まっさおになったまま、塙女史は宜言をした。

「先生がクビにしても、あたしはクビになりません。あたしは先生が反省をなさるまで、頑張ります。一歩もあとにはひきませんわ!」

「勝手にしろ」

 加納は立ち上った。

「僕の三本のお酒は、どこにしまった? 出せ。書斎で一杯やる」

「あれはやりましたわ」

「やった? 誰に?」

「浅利圭介という男にです」

「誰だ。その浅利圭介というやつは? 女史の情夫か?」

「情夫? 何て失礼な言い方でしょう」

 塙女史はまたきりきりと眉を逆立てた。

「あたしは清純な処女ですよ。あんまり無礼なことは言わないで下さい。誰があんな男と。浅利というのは、この頃しつこく訪ねてくる、へんな男ですよ」

「今度から、僕を訪ねてくる男に僕は会う。今後来客を、勝手に女史はことわるな!」

 加納は床を踏みならして食堂を出ようとしたが、床のサラダに足をとられて、すってんころりんところがるところを、辛うじて傍の柱に抱きついて事なきを得た。

「おほほほほ」

 塙女史は大口をあけて、あてつけがましく嘲笑した。

 

 塙女史の嘲笑の声をあとにして加納明治は書斎にとって返し、はだかの紙幣を四五枚たもとにつっこみ、憤然たる面もちで玄関を出た。車庫から自動車を引き出し、ハンドルを切って、見る見るその姿は遠ざかって行った。

 調理台を背にして、塙女史はまださっきと同じ姿勢で、つっ立っていた。顔にはもはや嘲笑の色はなかった。

 自動車の音が完全に彼女の耳から消えてしまうと、塙女史の端麗な顔はぐしゃっとゆがみ、美しい眼から大粒の涙が三つ四つ、ほろほろと流れ出た。

「あんまりだわ」

 塙女史はハンカチをとり出して顔に押しあてた。勝気で理知的な塙女史にして、落涙とはめずらしいことである。

「あんなに先生のためを思って、尽して上げてるのに、なんてワカラズヤだろう」

 ハンカチを顔から外(はず)すと、もうすっかり涙はハンカチに吸い取られていた。

 理知的な塙女史のことであるから、もうそれ以上余分の涙は出すことはせず、雑巾を持ってきて、直ちにせっせと床の掃除にとりかかった。

 掃除が終ると、さすがに食欲も出ないらしく、玄関だけ残してあと全部を戸締りして、彼女は自分の居室に閉じこもった。

 加納明治の自動車が戻ってきたのは、もう十二時に近かった。

 玄関の扉をあけて、加納明治がいろんな形の包みを持って入って来たが、玄関脇の居室の扉はぴたりと閉ざされたままで、ふだんなら出迎えに出る塙女史も、今夜は全然姿をあらわさなかった。

「帰ったぞ!」

 加納明治は下駄を土間にはね飛ばし、わざと足音荒く、廊下を書斎の方に歩いた。

 塙女史が出迎えても腹が立っただろうが、出迎えなくても腹が立つのである。

 書斎に入り、いろいろな包みを机の上にひろげた。清酒一升瓶、ウィスキー、ワサビ漬その他の刺戟性食品、洋モク。どれもこれもかねてから塙女史に、口にすることを厳禁されている禁制品ばかりである。あちこちかけ廻って買い求めてきたものらしい。

 それらをすっかり机上に並べ、一升瓶の栓を技き、茶碗を盃のかわりにして、加納明治は盛大にして孤独なる深夜の酒宴を開始した。

 冷酒はこころよく咽喉(のど)をくすぐり、ワサビ漬その他の刺戟性サカナは、こころよく舌の根を刺戟し、あるいは度が過ぎて涙をほろほろと流れ出させたりした。

「ああ。何という旨(うま)さ。何という自由!」

 しかししだいに酔いが廻るにつれて、忿懣(ふんまん)もようやく風船玉みたいにふくれ上ってきた。

 レジスタンスもけっこうであるが、そのレジスタンスの現状、自分が自由に好きなものを飲み食いしている現状を、誰も見て呉れないことに、加納はいらだってきたのである。誰も見て呉れなきゃ、縁の下の力持ち同然だ。

「ちくしょうめ。ふたこと目には、先生の健康のためだと言いやがる。健康だけで小説が書けてたまるか!」

 孤独の宴だから、どうしてもひとりごとになってしまう。

「生意気ばかり言ってると、今から部屋に押しかけて、押さえつけてやるぞ!」

 

「生意気ばかり言ってると、今から部屋に押しかけて、押さえつけてやるぞ」

 これは本心の声でなく、単なる憎たれ口であったのだが、実際にそう呟(つぶや)いてみると、突然ある種のリアリティが加納明治の身体に湧きおこって来た。

 塙女史は八頭身の美人ではあるが、陶器のようにコチコチの、マネキン人形の如き美しさであるから、いつもなら押さえつけてやろうという気は全然起きないのだけれど、今夜はしたたか酒が廻っているし、忿懣がそれに拍車をかけた。

「あんな生意気なコチコチの合理主義者を打ちひしぐには、非合理主義のバーバリズムを用うる他はないではないか。ぐしゃっと押さえつけてやれば、この世は理窟ばかりで通るものでないことを、塙女史は悟るだろう」

 そう考えながら、加納は違い棚の置時計を見た。針は丁度午前零時五十二分を指している。

「ひとつやってやるか!」

 彼は出窓の方に視線を移した。窓ガラスを通して、月が見えた。月はおぼろにかすんでいた。なにか狂暴なものが、加納の身内にあふれてきた。月の色には妖気がただよっていたのだ。

「よし。やってやる」

 塙女史のけたたましい嘲笑の声を、幻覚として耳に再現しながら、加納はふらふらと立ち上った。

「おれが悪いんじゃない。塙女史が悪いんでもない。悪いのは、あの月の色だ!」

 とうとう責任を月のせいにして、加納は眼を血走らせ、足音を忍ばせて廊下を歩き、玄関に出た。塙女史の居室の扉のノブをそっと握って廻した。鍵はかかっていなかった。

 そこは八畳ほどの広さの洋室で、一隅にベッドがあり、スタンドの燈に照らされて、塙女史が眠っていた。

 心臓が咽喉もとまでのぼってきたような気持で、加納は扉をしめ、はあはああえぎながら、抜き足さし足、ペッドに近づいた。蒲団を胸までしかかけていないので、塙女史がピンクの薄いパジャマを着ていることが、加納には判った。

 塙女史の寝顔は、クリスマスカードに刷られた天使みたいで、起きている時のコチコチの憎たらしさはなかった。

(よし。こいつを押しつぶしてやるぞ!)

 加納はいきなりそこに顔を近づけた。加納の肩がそこに触れるか触れない瞬間に、塙女史はその気配で眼を覚ました。

「だ、だれです?」

 塙女史は海老(えび)のようにはずんでベッドの上に飛び起きた。

「な、なにをなさるんです!」

「女史の合理主義を、今夜はぶっこわしてやるのだ!」

 加納は脅迫的に、声にすご味を持たした。

「人間というものは、男というものは、どういう動物であるか、思い知らせてやる。女史の思想改造をしてやるのだ!」

「けだもの!」

 加納が飛びかかってきたものだから、塙女史は金切声を出した。

 次の瞬間、加納はぎょっとしてベッドから飛び離れた。枕の下にでもかくしてあったのか、塙女史の手には、ギラギラ光る白鞘(しろざや)の短刀が握られていたのである。

 塙女史はそれを加納につきつけ呼吸をはずませながら言った。

「いくら先生でも、非合法は許せません!」

 

2023/07/17

「續南方隨筆」正規表現版オリジナル注附 目次 / 「續南方隨筆」~電子化注完遂

[やぶちゃん注:先般、本ブログ・カテゴリ「南方熊楠」(一部はサイト「鬼火」の「心朽窩旧館」PDF縦書一括版も有り)で本文を完結した「續南方隨筆」の「目次」を電子化するのを忘れていた。以下に示す。底本は国立国会図書館デジタルコレクションの原本のここから。なお、私は一部の順序入れ替えて電子化しているので、以下の底本本文篇の一部は、順序は異なるので、注意されたい。また、リーダとページ・ナンバーはカットする。さらに、長い作品は分割したものもあるので、リンクは張らない。上記のカテゴリでのリスト、或いは、「心朽窩旧館」の「南方熊楠」のリストを見られたい。]

 

續 南 方 隨 筆 目 次

 

 著 者 肖 像              卷頭

 鳥が人に生れし話

 十三塚の事

 火齊珠に就て

 古き和漢書に見えたるラーマ王物語

 磬―鰐口―茶吉尼天

 大三輪神社に神殿無りしと云ふ事

 鏡磨に石榴を用ひし事

 釘ぬきに就て

 屍愛に就て

 女性に於る猥褻の文身

 徳川家と外國醫者

 人柱の話

 明智左馬介の死期

 婦女を姣童に代用せし事

 千人切の話

 淫書の効用

 奇異の神罰

 盜人灰を食ひし話

 一休他人の手を觀て惡童を徴せし話

 梔子花の兒戲

 爪切る事

 感冒

 蟻を旗印とせし話

 羊を女の腹に𤲿し話

 糊の滓

 無眼、 一眼、 二眼

 米糞上人の話

 蛇を引出す法

 武邊手段の事

 錢孔に油を通す

 瓦工は不吉の營業

 孕婦厠の掃除

 忠を盡して殺されし話

 駕籠舁互に殺さんと謀りし話

 蟲を搔き出して病を療す

 平賀源内機智の話

 山獺自ら睪丸を嚙去る

 正直者金拾ひし話

 蟻の道

 寂照飛鉢の話

 銀杏樹と女の乳との關係

 紀州の民間療法記

 化け地藏

 熊が惡人を救ひし話

 錐揉み不動

 石田三成

 遠い火災を救ふた人

 水銀の海

 怒らぬ人

 少許を乞て廣い地面を手に入れた話

 ウガと云ふ魚

 魚の眼に星入る事

 夙慧の兒大人を閉口させた話

 母衣

 長柄の人柱

 善光寺詣の出處

 郷土硏究第一卷第二號を讀む

 野生食用果實

 郷土硏究一至三號を讀む

 お月樣の子守唄

 山人外傳資料

 鹽食はぬ人

 影の神祕

 山婆の髮毛

 熊野雨乞行事を讀みて

 池袋の石打

 御伽と云ふ語

 鹿杖に就て

 鴻の巢

 針山供養針千本

 實盛屋敷

 山神の小便

 松山鏡の話

 ヒジリと云ふ語

 天狗の情郞

 じようりきじようまん

 蟹嚙に就て

 タウボシは唐乾飯也

 柳の祝言

 諸君の所謂山男

 海老上﨟

 再び毘沙門に就て

        ~~~~~~~~~~~~~~~

 鷲 石 考

  第一編 鷲石に就て

  第二編 禹餘糧に就て

        ~~~~~~~~~~~~~~~

索 引 最終編卷末に全卷索引を載す

 

目   次 

 

[やぶちゃん注:最後の索引の意味は、実は南方熊楠は、「南方隨筆」・「續南方隨筆」の後に「續々南方隨筆」(仮題)を刊行する予定で草稿も作って揃えておいたものの、遂に刊行に至ることはなかった。その刊行を期して、かく、書いたものである。現在、その草稿(自筆及び雑賀貞次郎氏の筆写)は「全集」及び「選集」で読むことは出来る。そのうち、それらの正規表現版電子化注も国立国会図書館デジタルコレクションの画像を視認してやろうとは思ってはいる。但し、次回は、「南方隨筆」・「續南方隨筆」の前に刊行された「南方閑話」を扱いたく思っている。

 なお、本書の奥附はここ。「南方隨筆」でもやらなかったので、電子化はしない。悪しからず。]

譚海 卷之五 羽州秋田領阿仁銅山森吉登山の事

[やぶちゃん注:句読点・記号を変更・追加した。]

○出羽國、銅山ある所を「阿仁」といふ。城下より三十五里をへて、東南に至る深山也。阿仁山の中に「森吉」といふ高山あり、銅山より、又、三里、絕頂まであるゆゑ、麓より里數を計り見れば、駿河の富士山に、高き事、おとるまじ、といへり。是も、六月、登山する也。半腹に至りては、道、絕(たえ)て、松の枝をふみて、のぼる。此松山に、はひて生(おい)たる松にて、いくらといふ、かぎりなく、道にはひあるゆゑ、枝をふみて、行事(ゆくこと)、あやうからず。道を行(ゆく)如くに思はるゝとぞ。これを十町[やぶちゃん注:一・〇九一キロメートル。]斗(ばか)りのぼれば、草木なく、赤き岩の、はげ山なり。絕頂まで、如ㇾ此(かくのごとし)。その間に、所々、「御田」と號する所あり。田を作りたる如く、畦(あぜ)に似たるものありて、稻の如くなる草、早苗(さなへ)を植(うゑ)たるやうに生(しやう)じ有(あり)。山神(やまがみ)の田なるよしを、いひ傳ふ。絕頂に至れば、柱の如くに、そばたちたる岩ほ、二ツ、立(たち)て有(あり)、何(いづれ)も、高さ二丈あまりなり。その二ツの岩(いは)ほ、立(たち)たる際(きは)、一筋(ひとすぢ)、橫に、堀のごとく、地、裂入(さけいり)てあり。是は銅山の氣をもらす所也と、いへり。晴天にのぼるときは、四方の山、みな、平地の如く、目にさはるもの、なし。只(ただ)東にあたりて、津輕の岩城山、西にあたりて、本莊(ほんじやう)の鳥海山、見ゆる計(ばかり)也。岩城山は、富士山の形に似たりとぞ。山上、神社、なし。歸路も同じ道をくだるなり。山上にて下界を望めば、黃昏(たそがれ)に成(なり)たる氣色(けしき)、殊に奇觀なり。麓、見る内に、暗く成(なり)て、草木のいろあひも見えず成(なり)ゆけども、絕頂は、猶、晝(ひる)の如く、明(あきら)か也。半腹より、いつも、松明(たいまつ)にて、くだる事と、いへり。往來、一日には成(なり)がたき故と、いへり。

[やぶちゃん注:「阿仁」この附近(グーグル・マップ・データ。以下無指示は同じ)に複数の鉱山跡を見出せる。

『「森吉」といふ高山あり』森吉山(もりよしざん)は先の阿仁銅山跡群の東のここ。標高千四百五十四メートルで、秋田県中央に聳える複式火山で、標高千メートル以上の外輪山数座に囲まれた独立峰である。

「城下より三十五里をへて、東南に至る」とあるが、方位は東北の誤りである。「三十五里」は東国で用いられた小道(こみち)・坂東道(ばんどうみち)のそれで、一里は六町(六百五十四メートル)であるから、二十二・八九キロメートルとなるが、これはちょっとドンブリで、地図上で現在の阿仁地区のずっと南端部分までを直線で測ってみても、二十七キロはある。

「御田」読み不詳。他所の例から考えると、「おた」或いは「みた」であろうか。

「そばたちたる岩ほ、二ツ、立て有」後で二「山上、神社、なし」と言っているが、確かに頂上にはないが、ピークの北北西の直下に、古くから森吉神社があって、「冠岩」という岩塊があるので、それを言っているか。そのサイド・パネルの写真のこの一枚の左奥にあるのがそれである。サイト「秋田雑学博物館」の「森吉山古記」に、菅江真澄が描いた森吉山の絵図の写真があり、「冠岩」が描かれているので見られたい。頂上にあるとするが、先の森吉山のサイド・パネルを見ても、頂上付近には岩はあるが、「高さ二丈あまり」という高さの岩塊は、少なくとも現在は確認出来ない。

「津輕の岩城山」岩木山(いわきさん)が正しい。青森県弘前市百沢東岩木山。標高千六百二十五メートル。

「本莊の鳥海山」山形県飽海(あくみ)郡遊佐町(ゆざまち)吹浦(ふくら)にある鳥海山(ちょうかいさん)。標高二千二百三十六メートル。]

佐藤春夫譯「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」正規表現版 「夜半の思ひ」景翻翻

[やぶちゃん注:書誌・底本・凡例等は初回を見られたい。本篇はここ。]

 

  夜半の思ひ

             夜 靜 還 未 眠

             蛩 吟 遽 難 歇

             無 那 一 片 心

             說 向 雲 間 月

                   景 翻 翻

 

しづけさを寢(い)もいね難く

蟲だにもやめぬ歌あり

いかでかは思ひなからむ

語るなり 雲間の月に

 

[やぶちゃん注:作者景翻翻は既出(三篇出るが、一篇は作者は周文の詩篇で誤り。作者解説は初出の「怨ごと」を参照。今一篇は「行く春」である)。標題は中文サイト「采詩網」のこちらによって、「閨情」四首の内の一篇であることが判った。

 佐藤の訳題の「夜半」は「よは」と訓じたい。

 以下、推定訓読を示す。

   *

 閨(ねや)の情(おも)ひ

夜(よる) 靜かにして 還(ま)た 未だ眠れず

蛩(こほろぎ) 吟(ぎん)じ 遽(あわただ)しくして 歇(や)み難(がた)し

那(いか)んぞ 一片(いつぺん)の心(こころ)も無(な)からんやと

說(と)く 雲間(くもま)の月に向ひて

   *

「蛩」蟋蟀(シッシュ/こおろぎ)。コオロギ類は、直翅(バッタ)目剣弁(キリギリス)亜目コオロギ上科コオロギ科コオロギ亜科 Gryllinae に属する種群を狭義に指すとするのが、より正しいと私は考えている。詳しい考証は私の「和漢三才圖會卷第五十三 蟲部 蟋蟀(こほろぎ)」を参照されたい。]

佐々木喜善「聽耳草紙」 一六〇番 テンポ

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここ。]

 

    一六〇番 テ ン ポ

 

 或時京のテンポ(法螺吹き)が田舍(ヰナカ)のテンポの所へ、僞言(ボガ)の吹き較《くら》べにやつて來た。相憎[やぶちゃん注:ママ。誤字。「生憎」。慣用表現で見かけるが、完全な誤字である。]田舍のテンポは山へ行つて童子がたつた一人留守居をして居たので、ぜえぜえ父親(トト)アいたか、俺ア京のテンポだが、ボガの吹き較べにやつて來たと言ふと、その子供は其ア惜しかつた。俺ア父(トト)ア今須彌仙(スミセン)の山が崩れるつて宇殼(ヲンガラ)三本持つて走《は》せて行つたと答へた。母親(ガガ)ア方《はう》アと訊くと、母(ガガ)は今海の水が越えるツて鍋の蓋たないて走せて行つたと答へた。[やぶちゃん注:「蓋たないて」は私は「ふた」の「た」を送り仮名で出し、「ないて」は「擔(にな)いて」の「ないて」であろうと推理した。]

 京のテンポは内心舌を卷きながら、さうか、時に先達[やぶちゃん注:「せんだつて」。]、奈良の大佛樣の釣鐘が風に吹き飛ばされて、何處かへ飛んで行つたといつて、大騷ぎして居たつけが、お前は知らねえかと訊くと、あゝそれで分つた。三日ばかり前に此梨の樹へ、どこから飛んで來たか大きな釣鐘が飛んで來て、引ツ懸つて小半日ゴモンゴモン唸つて居たつけが、又何處かへ飛んで行つたと童子《わらし》が答へたので童子さへこんなボガを吹くもの此親父にはとても敵はぬと思つて、京のテンポはすごすごと其所を立ち去つた。

[やぶちゃん注:「田舍(ヰナカ)」「田舍」という語の語源は「田舍中(たゐなか)」が縮約されたものと考えられているので、歴史的仮名遣は正しい。

「須彌仙」「仙」は「山」が正しい。仏教の宇宙観に於いて、中央に聳える高山を「須彌山」(しゅみせん)と名づける。

「宇殼(ヲンガラ)」歴史的仮名遣「をがら」で現代仮名遣「おがら」の「苧殻」のことであろう。「麻幹」とも書く。皮を剝(は)いだ麻の茎のこと。盂蘭盆の門火(かどび)をたく際に用いる。「あさがら」とも言う。細く強くもないもので、須弥山の崩落を支えるというところで、大法螺となる。]

梅崎春生「つむじ風」(その13) 「入玉」

[やぶちゃん注:本篇の初出・底本・凡例その他は初回を見られたい。

 この章の標題は「にゅうぎょく」と読み、将棋用語で「一方の玉将」又は「王将が敵陣(相手側の三段目以内)へと移動すること」を指す語である。]

 

     入     玉

 

 浅利圭介は風呂敷包みをかかえ、浮かぬ顔をして、黄昏(たそがれ)の道を歩いていた。ソバ屋の前まで来ると、ちょっと立ちどまり、小首をかしげて呟(つぶや)いた。

「ソバも倦(あ)きたな。今日の夕飯はおばはんとこにしよう」

 圭介は包みを持ちかえて、またとことこと歩き出した。風呂敷の中には、塩せんべい、ウィスキーボンボンなどが、ぎっしり詰められていた。

 これらの菓子は、圭介が買ったものでなく、今日も加納明治宅を訪問、れいの如く塙女史に追い返される際に押しつけられたものである。行くたびに何か押しつけられるところを見ると、加納明治のイントク物資は、その度に塙女史によって摘発、押収の憂き目を見ているらしい。

「行く度に何か呉れるんだからな。ふしぎな女だ」

 圭介は我が家の玄関をくぐった。玄関の扉をがたごとと引きあけた。

「ただいま」

「おっさん?」

 いつもの気の抜けた声と違って、直ちにはずんだ声が茶の間から飛んできた。

「ちょっと茶の間に来なさい。話があるから」

「はい」

 圭介は靴を脱ぎ、素直に茶の間に入って行った。どうせ茶の間で夕食をとるつもりだったから、ためらうことはなかった。

「おばはん。僕はおなかがすいた。何かあるか」

「用意してありますよ」

 ランコはチャブ台の上の白い布をとった。夕食の膳がそこにあらわれた。圭介は風呂敷包みをとき、部屋の隅の圭一の寝顔を眺めた。

「塩せんべいは圭一は好きじゃないし、チョコレートは好きだが、こいつは中にウィスキーが入ってるし、も少し気の利(き)いたものを呉れるとたすかるんだがなあ」

 「また何か貰って来たの?」

「今日はこれだ。今日も何か呉れるだろうと思ったから、風呂敷を用意して行ったら、案の定(じょう)役に立った」

 ランコは紙袋の中をのぞき、ウィスキーボンボンをひとつつまみ、ぽいと口の中に投げ込んだ。

「ふん。これは割に上等のボンボンよ」

 圭介は上衣を脱ぎ、チャブ台の前にどっかとあぐらをかいた。ランコはまたボンボンをつまみ、御飯をよそった。

「話って何だい?」

 箸をとり上げながら圭介が訊ねた。

「いや、今日ね、ソバ屋のおやじさんがうちに来たのよ」

「ソバ屋のおやじ? まさか陣太郎の勘定取りにじゃあるまいな」

「いいえ。呼出電話がかかって来たと言うのよ」

「電話? 僕にか?」

「おっさんにじゃない。あたしによ」

「誰から?」

「だからあたしすぐソバ屋に飛んで行ったのよ。電話がかかってくる心当りはないし、とにかく電話口に出てみたの」

「誰だった?」

「それがね、松平家の家令だというのよ」

 ランコはまたボンボンを口に含んだ。

「若様がそちらにいらっしゃるということだが、それは本当かって」

「松平家の家令?」

 圭介は思わず箸の動きを中止した。

「それでなんと答えた? いるといったのか?」

「いいえ。そこをごまかしたのよ」

 ランコはまたウィスキーボンボンを口にほうり込んだ。

「いると言ったら、迷惑がかかるかと思ってさ」

「迷惑って、誰に?」

「もちろんおっさんによ」

 おっさん呼ばわりはしていても、さすがに亭主思いのところをランコは見せた。

「だって、あの陣太郎さんは、おっさんが連れて来たんでしょ。松平家としては、誘拐されたと思ってやしないかと思って」

「誘拐?」

 圭介は失笑した。

「誘拐なんてものはね、子供に対してだ。せいぜい十四、五どまりだね。陣太郎君ぐらいの年頃にもなれば、自由意志で動く。で、いないと言ったのか?」

「いないとも言わない」

 折角亭主思いのところを見せたのに、失笑されて、ランコはいささか気分をこわした。

 「時々やってくるし、また泊ることもあるって、そう言っといたのよ。世渡りというものは、用心第一ですからね」

「その家令、いくつぐらいの男だった?」

「電話ですもの。判るわけないわよ」

 今度はランコが失笑した。

「で、若様が今度やってきたら、伝言願いたいって」

「どういう伝言?」

「すぐ本宅に戻ってこいってさ。何でも京都から、十一条家の今嬢がやって来るんだって」

 圭介は眼を宙に据え、箸を忙しく動かし、またたく間に一杯目を食べ終えた。空茶碗をにゅっと突出した。

「ふん。十一条家の娘か」

 煮魚の平目の緑側のところをほじくりながら、圭介はつぶやいた。

「すると、見合いの話も、ほんとかな。しかし、どうして松平の家令が、僕の家を知ったんだろう。陣太郎が連絡するわけはないし」

「そうよ。そこをあたしも疑問に思ったのよ」

 二杯目をよそって差出しながら、ランコが相槌を打った。

「だからそのことを聞いたら、いや、なに、とかごまかして、向うから電話を切ったの」

「へんだな」

「へんよ」

 そこで夫婦の会話は途切れた。ランコは縫物にいそしみ、圭介は食べることにいそしみ、おのおのいそしみながら、何か別々のことを考えていた。四杯目を食べ終えると、圭介は茶を所望し、チャブ台の端に五十円玉をひとつ、パチンと置いた。それを横目で見てランコが言った。

「それ、ボンボンと差引きにしとくわよ」

 圭介は五十円玉を台から引き剝がし、ポケットに入れた。茶を飲み終えると立ち上った。

「陣太郎君が帰って来たら、すぐ納戸に来るように言って呉れ」

 圭介はそう言い捨てると、廊下を踏みならすようにして納戸(なんど)に歩きながら、ひとりごとを言った。

 「すこし食べ過ぎた」

 

 陣太郎はなかなか戻って来なかった。

 待ちくたびれた浅利圭介は、蒲団をしいて腹這(ば)いになり、ウィスキーをちびちびなめながら、夕刊を読んでいたが、そのうちうとうととして、そのまま眠ってしまった。

 眼がさめたら、朝になっていた。ふと見ると、傍の蒲団の中に、陣太郎の頭が見えた。

 陣太郎は眼を閉じたまま、うなっていた。うなされているらしい。

 圭介は半身を起した。枕もとのウィスキー瓶が、昨夜のままになっている。それをしまおうとつまみ上げたとたん、それがおそろしく軽くなっていることに気がついた。圭介は渋面(じゅうめん)をつくって呟いた。

「おや。昨夜そんなに飲んだかな。おかしいぞ。まさかこいつが――」

 圭介は陣太郎の顔を見た。陣太郎は眼をつむったまま、うなりを断続させている。圭介は手を伸ばして、その陣太郎の肩を乱暴にゆすぶった。

「おい。陣太郎君。おい。しっかりせえ」

 陣太郎はがくがくゆすぶられ、うなりを中止して、ぱっちりと眼をあけた。ごそごそと半身を起した。眼をぱちくりさせて深呼吸を二、三回した。

「ああ。夢だったのか」

「夢を見てたのかい」

 圭介は注意深く陣太郎を観察しながら言った。

「また君が慶喜将軍になって、江戸城から追い出される夢かね?」

「いや。いくらなんでも、いつも同じ夢は見ませんよ」

 陣太郎は両手の指を曲げて、頭髪をごしごしとかきむしった。

「おい。ふけが飛ぶじゃないか。いい加減にしなさい」

「女どもに追っかけられて、おれ、どうしようかと思ったよ。しかし、きれいな女たちだったなあ」

 髪のかきむしりを中止して、陣太郎はぬけぬけと言った。

「五十人ぐらいの女どもが、一人残らずおれに惚れやがってね、弱っちゃいましたよ。逃げ出すのに苦労したよ」

「君は女が嫌いなのかい?」

「嫌いじゃないけど、あんなに大勢だと困りますよ。そいつ等がみんな真裸(まっぱだか)と来ている」

「真裸?」

 圭介はごそごそと膝を乗り出した。

「そんないい夢なのに、うなされるなんて、もったいない話じゃないか。僕なら逃げ出さないな。甘んじて捕虜になる」

「おっさんならそうでしょうな」

 陣太郎はけろりとした顔で言った。

「でもおれ、この間人相見に、人相を見て貰ったんですよ」

「人相?」

「その人相見がね、おれの顔には女難の相が出ていると、そう言うんですよ。女難とは弱ったねえ」

「時に君は――」

 圭介は蒲団の上で坐り直して、きっと陣太郎を見据(す)えた。

「十一条家の娘と見合いするというのは、本当かね?」

「え? どうしてそれを知ってるんです?」

「昨日、電話がかかって来たんだよ。松平家の家令という人から」

 

「家令?」

 陣太郎はとんきょうな声を出して、ごそごそと坐り直した。

「どうしておれがここにいることが、下島にわかったんだろう?」

「ああ、そうだ。今思い出したが――」

 浅利圭介は膝をぽんとたたいた。

「おばはんが僕のことを、君んちの家令に推薦したそうだが、僕はイヤだよ。お断りするよ。今更カレイやシチュウなんかになりたくない」

「なろうたって、なれやしませんよ。下島がいるんだから」

「なぜ? 下島って男は、そんなにうるさいのかい?」

「うるさいうるさくないは、関係ありませんよ。そうだな。おっさんがなれるのは、さしずめ家従だな」

「家従? 聞き慣れない言葉だね。どうして僕が家令になれないのか――」

「家令というのは、大体一人に決っているんです。だからダメなんですよ」

 陣太郎はあわれみの眼で圭介を見た。

「使用人の中の最高の位です。つまり使用人の束ねをする役ですな」

「家従というのは、家令の下か?」

「家令の下は、家扶です。家扶の下に、家従がある」

「家従の下は?」

「その下はない。行き止まりです」

「じゃあ庭番だとか下男だとか――」

「ああ、それは家従の中に含まれる」

「ふうん」

 圭介はすっかり気分を害したらしく、不機嫌に息をはき出した。

「僕の相場は下男並みか。はっきり言明して置くが、僕は家令もイヤだし、まして家従はまっぴらだよ。ランコが何と相談持ちかけたか知らないが、全然お断りだよ」

「それで、下島、何と言ってました?」

「君に本宅に戻ってきて呉れってさ。戻ってやったらどうだい?」

 圭介はつっぱねたような言い方をした。

「戻って、十一条の娘と見合いでもするんだね。こんなあばら家でごろごろしていることはないだろう」

「あばら家とはごけんそんですな」

 陣太郎はにやにやと笑った。

「おれんちだって、ここと似たり寄ったりですよ。戦前はよかったが、戦後はさっぱり、斜陽階級というわけで――」

「十一条家はどうだね?」

「それも似たり寄ったりですな」

 退屈そうに陣太郎はあくびをした。

「おれ、もう、あんな淀んだ世界は、すっかりイヤになったんですよ。小説を書いている方が、ずっと自由でたのしい。アッ、そうだ。おっさんの係りの加納明治は、どうなりました? 会えましたか?」

「会わせて呉れないんだよ。あの女秘書」

 圭介はしょげた顔つきになり、煙草を取出して火をつけた。陣太郎も当然の権利の如く、圭介の煙草を一本抜き取った。

「行く度に何か呉れるんだけどね」

「昨日は何を貰いました?」

「塩せんべいにボンボン」

「それじゃつまらないな。せめてウィスキーか何か――」

「アッ、そうだ」

 圭介は眼を剝いた。

「君は昨夜帰ってきて、僕の枕もとのウィスキーを飲みゃしなかっただろうな」

「飲んだというほどじゃありませんよ」

 

 陣太郎は圭介の煙草の火を借り、煙をふわりと吹き出した。

「せいぜい二杯か三杯ぐらいなものです」

「グラスにか?」

「いいえ。茶碗で」

「茶碗で三杯?」

 圭介の眉は上り、両掌は自然に拳固の形になった。

「殴るよ、ほんとに。茶碗で三杯も飲んで、飲んだというほどじゃないとは、何という言い草だ。あのウィスキーは高いんだぞ!」

「高いといっても、加納明治からタダで貰ったんでしょう」

「貰ったのは僕だ。黙って飲む権利は君にない!」

 圭介は憤然としてきめつけた。

「君はこの間も、僕の眼を盗んで、僕のウィスキーを飲んだ。君には盗癖があるんじゃないか?」

「盗癖? 失礼なことを言わないで下さいよ。臣下の分際で」

「なに。臣下だと。僕はまだ君の家来になった覚えはないぞ。取消せ!」

「じゃあ取消しましょう」

 陣太郎は渋々と失言を取消した。

「でも、昨夜は、おっさんは、ぐうすか眠ってたじゃないか。ずいぶんゆすぶったんですよ。どうしても眼を覚まさないし、それにおれ、くたくたに疲れて、神経がささくれ立って、ウィスキーでも飲まなきゃ眠れない状態だったんですよ」

「何でそんなに疲れたんだい?」

「偵察ですよ」

「まだ図上作戦をやってるのか」

 圭介は呆れ果てたような声を出した。

「のんびりしてるなあ。もうあの日から二週間も経ってるじゃないか」

「作戦は密なるをもってよしとす、ですよ」

 陣太郎は陳腐で月並な言葉をはいた。

「こういうことは、どんなに時間をかけても、かけ過ぎるということはない」

「へえ。それで、あとどのくらい作戦を練るつもりだね?」

「それは昨日で終りました」

「終った? じゃ何時[やぶちゃん注:「いつ」。]行動を開始するんだ?」

「今日ですよ」

 陣太郎は自信あり気に胸を反(そ)らせた。

「いよいよ今日、おれは猿沢三吉にぶっつかって見るつもりです」

「大丈夫かね?」

「大丈夫ですよ。おっさんとは違う」

 陣太郎は声を大にした。

「おっさんは一体全体、何度加納邸に行き、何度むなしく帰ってきたんです? 他人のことを大丈夫かなどという資格は、おっさんにはありませんよ。今後どうするつもりです?」

「明日、も一度行って見るよ」

「明日、ダメだったら?」

「明日は大丈夫」

 圭介は小さな声になった。

「多分大丈夫だと思う」

「明日もダメだったら――」

 陣大郎はかさにかかって声を大きくした。

「加納明治の係りを、おっさんから剝奪することにしますよ。判りましたね」

「剝奪してどうするんだい?」

「おれがやりますよ。おれが」

 陣太郎は自分の胸をどんとたたいた。

「おれにまかせて置きなさい」

 

 午後三時の三吉湯の番台に、猿沢三吉は鬱然たる表情で坐っていた。

 女湯の方はいくらか混んでいたが、男湯の方には一人も浴客がいなかった。

 もっとも男湯と女湯とでは、混む時間がちがう。男湯が一番混むのは五時から六時頃、そしてその時間は女湯はがら空きというわけで、三時から四時となると、その逆になる。三時というと、男はおおむね働いているが、女にとっては一番暇な時間なのだろう。

 いくら働いているとはいえ、浴客の姿が一人も見えないのは、いささかうらさびしい。

「ちくしょうめ。やはりこれもテレビのせいだな」

 三吉は舌打ちをして、男湯の板の間の一隅をにらんだ。そこには縁台みたいなものがあって、将棋盤がその上に置かれてあるのだ。

「やはり将棋では、テレビと太刀打ちは出来ないのか。ああ、わしは頭が痛い」

 将棋盤から三吉は視線を女湯の方にうつした。眼をするどくして女客の数を数え始めた。

 着物を脱ぎつつある女、着つつある女、全裸の女、こちら向きの女、あちら向きの女。さまざまの恰好と姿態と年齢の女性が、三吉の眼界にうごめいているのだが、三吉は微塵(みじん)も欲情することはない。一箇十五円の物体にしか見えないのである。風呂屋の主人としては、当然のことであろう。真知子の裸体には欲情するくせに、番台に黙って坐ればピタリと欲情しないのだから、職業的偏向というか馴致(じゅんち)というか、おそるべきものである。

 もっとも風呂屋の主人にいちいち欲情されては、険吞[やぶちゃん注:「けんのん」。]で女たちは銭湯には行けないであろう。

「ううん。やっぱりいつもより少い」

 数を読み終り、三吉は低くうなって腕を組んだ。

「やはり女もテレビが好きなのか」

 ビキニにおける核爆発が、すぐ日本全土に悪影響を及ぼすように、泉湯に設置されたテレビは、たちまちにして三吉湯のお客を減少させたもののようであった。

「これは戦術を変えねばならないかな」

 その時男湯の扉をがらりとあけて、石鹸箱とタオルをぶら下げた陣太郎が、勢よく入って来た。ごそごそと十五円をポケットからつまみ出し、じろりと三吉を見上げた。

「いらっしゃいませ。毎度ありがとうございます」

 いつもの三吉なら、こんな安っぽいお世辞は言わないのだが、がらがら空きの男湯に、飛び込んで来て呉れたのだから、ついそんな感謝の言葉が口から出た。

 陣太郎はそのお世辞を背にしてふわりと板の間に上った。手早く着ているものを脱いだ。

 いよいよ敵にぶつかる前に、お湯に入って気分をしずめようとの魂胆なのであろう。

 十五分経った。

 相変らず男湯はがら空きで、客は陣太郎ひとりであった。

 子供用の湯槽からざぶりと上り陣太郎は身体を拭き上げ、悠々と板の間に戻って来た。ふと一隅の縁台に眼をむけた。

「ふん。将棋か」

 陣太郎はその縁台の端に腰をおろし、うちわを使いながら、ひょいと駒の一つをつまみ上げた。裏返したり、指で撫でたり、窓の方にすかして見たりした。

 それを見て、三吉の顔はおのずからむずむずとほぐれた。思わず声に出た。

「お客さん。将棋は好きかね?」

 

「おれですか?」

 陣太郎はきょとんとした顔を、番台の猿沢三吉に向けた。

「将棋。将棋はあまり好きでない」

「じゃあ指せないんだね」

「指せますよ。なかなか上手だ」

「上手だと言うのに、なぜ好きでない?」

「王様のエゴイズム――」

 陣太郎は王様の駒をつまみ上げ、指でぽんとはじいた。

「つまり、自分本位の身勝手ですね、それがおれにはイヤなんだ」

「自分本位?」

 陣太郎の奇妙な発言に、三吉はにわかに興を催したらしく、膝を乗り出した。

「王様ってやつは身勝手ですかねえ」

「身勝手ですよ」

 陣太郎は言葉に力をこめた。

「王様というやつは、自分の家来や家族をギセイにして、つまり身代りにして殺して、そんなことまでして、あくまで逃げのびようとする。そういう身勝手が、おれにはイヤなんですよ」

「ヘヘえ」

 三吉はすっかり感服した。

「そういう考え方もあるか。そんなに王様の身勝手がきらいなら、あんたは身勝手でない指し方をすればいいじゃないか」

「そ、それはそうだが――」

 虚をつかれて、陣太郎はどもった。

「一丁指しますか」

 すかさず三吉は指で、駒を動かす形をして見せた。

「わしも相当指しますよ」

「指すか」

 陣太郎も受けて立った。

「お房さん。ここを頼むよ」

 板の間で籠の整理をしている女中に声をかけ、三吉は喜色満面、番台から降り立った。久方ぶりの将棋だから、頰がむずむずとほころぶのも、当然というものだろう。

 陣太郎も手早く衣類を着用、将棋盤をはさんで縁台に対坐、駒をパチパチと並べ始めた。男湯の客はまだ陣太郎一人で、誰も入って来るものはない。

 駒を振って、三吉が先手。

「えい。やったあれ」

 れいによって坂田名人の手を真似て、三吉はかけ声と共に端歩を突いた。

 端歩とは、陣太郎にも驚きだったらしく、眼をパチパチさせたが、すぐに気を取り直した風(ふう)で、

「えい」

 と、低いかけ声と共に、向かい合った端歩を突いた。

 すると三吉はすかさず、力をこめて、反対側の端歩を突き出した。陣太郎も同じく端歩をもって応じた。それで両陣営は端歩のツノを生やした珍しい形となった。

 それから両者とも、ろくに考えもせず、パッパッと駒を繰り出して、大乱戦の模様となった。

 将棋の腕前にかけては、陣太郎の方がずっと上のようであったが、先ほど王様のエゴイズムを云々した手前もあり、家族や家来をそうそうギセイに出来ないという束縛があって、のびのびと戦えない。そこになると三吉の方は、下手(へた)ながら天衣無縫、のびのびと指せる強味がある。

 互角の形勢のまま、中盤戦に入った。

 

 中盤までは、乱戦模様ながら、ほぼ互角の形勢で進んだが、中盤以後はそろそろ実力の差があらわれて来た。いうまでもなく猿沢三吉の腕前の方が下である。

 しかし陣太郎は、何か策略でもあるのか、三吉の陣地を攻めることはあまりせず、妙な手ばかり指していた。

 陣太郎の王将、並びにその一族郎党は、徐々に盤の左辺に集結、王将を中心として、金銀桂香がそれをぐるりととり囲み、しだいに前進し始めた。飛車と角がその先頭に立ち、露払いの役目を受持った。

「ややっ!」

 陣太郎の意外の陣構えに、三吉が声を出しておどろいた時は、もう遅かった。陣太郎の輪型陣はすっかり完成、それに対してそれを進撃すべき三吉の陣営は、全然手薄な状態にあったのである。

「しまったなあ。いつの間にそんな構えをつくったんだい?」

「おっさんがこちらを見てないから、いけないんだよ」

 陣太郎は三吉に対しても、平然としておっさん呼ばわりをした。

「さあ。これで大進軍だ」

「さては全員力をあわせて入玉する気だな」

 三吉は額をたたいてくやしがった。

「こちらの駒組みばかりに気を取られて、うっかりしてたなあ。それ、その形、あまり見慣れないようだけれど、何という名の駒組みだね?」

「松平流陣構えと言うんですよ」

 陣太郎はぬけぬけと答えた。

「自動車の形にヒントを得て、考案したんだよ」

「自動車?」

 露払いの形で並んでいる飛車と角を差して、三吉はほとほと感服の声を上げた。

「なるほど。これがヘッドライトというとこか」

「感心ばかりしていないで、早く指しなさい」

 陣太郎が催促をした。

 そこで三吉も、首をひねりひねり、動員可能の駒を右翼に右翼にと動かしたが、時すでに遅し、三吉のばらばら駒は、ヘッドライトの飛車や角に次々に食べられ、陣太郎の輪型陣は自動車が車庫におさまる如く、すっぽりそのままの形で、一気に三吉の陣地に突入した。

「とうとう入玉されたか」

 やや血走った眼で、そこらあたりをぎろぎろにらみつけながら、三吉は無念そうに絶叫した。

「なるほどなあ。自動車とは考えやがったな!」

「時に、おっさんの自動車は、今から半月前に――」

 陣太郎の声は急に低く押しつけられ、すご味を帯びた。

「正確に言うと、今から十五日前の午後六時二十分、おっさんの自動車はどこにいましたね?」

「自動車?」

 三吉はびっくりして顔を上げた。

「そ、それ、一体何の話だね?」

「おっさんの所有にかかる自動車だよ」

 陣太郎は三吉をきっと見据(す)えたまま、つめたく無表情な声を出した。

「番号は三の一三一〇七だ。三の一三一〇七のナンバープレートをつけた車が、今から十五日前の午後六時二十分、どこにいたか!」

 

「いかにも三の一三一〇七はわしの車だが――」

 猿沢三吉はいぶかしげに陣太郎の顔を眺めた。

「それがどこにいようと、君に何の関係があるんだね?」

「しらばっくれるのは止めなさい」

 陣太郎は能面のように無表情のまま、抑揚のない発声法をした。

「おれは、ちゃんと見たですよ」

「おかしなことを言う人だな。縁起でもない」

 三吉はしぶしぶ胸のポケットから、日付け入り小型手帳を取り出した。

「十五日前だと。十五日前の午後六時と――」

 三吉はぺらぺらとノートを繰って、該当する頁に眼を据(す)えたが、たちまち、

「アッ!」

 と驚愕の声を立てて、ノートをぱたりと閉じた。その日付けの箇所には、次の如く記されていたのである。

『夕方よりマ。二時間ばかり』

「君は何者だ?」三吉は大狼狽のていで、ノートを今度は内ポケットの奥深くしまい込んだ。マという記号は、真知子のところに通ったその心覚えのメモなのである。狼狽を感じたのもムリはなかろう。

「君は何者だ。名を名乗れ。え。一体誰に頼まれた?」

「松平、陣太郎」

 陣太郎は涼しい顔で名乗った。その狼狽ぶりからして、轢き逃げの犯人は三吉だと断定したらしい。ゆったりと胸を張って、

「もちろんおれは、被害者から、頼まれて来たんですよ」

「被害者?」

 三吉は押しつぶされたような声を出した。真剣な顔で首をひねり、探るようなおどおどした眼付きで、

「つ、つまり、被害者とは、ハナコのことか? そ、それとも、泉恵之助か?」

 陣太郎は一瞬動揺し、はてな、という表情になった。が、たちまち陣容を立て直して、トウカイ戦術に出た。[やぶちゃん注:「トウカイ」「韜晦」。自分の本心や真意・目的などを押し隠すこと。]

「いろいろ各方面に、被害を与えていると見えますな」

「誰だ。誰に頼まれた?」

 三吉はいらだった。

「わしは脅迫には負けんぞ!」

「脅迫? では、おれは、脅迫はやめましょう」

 陣太郎は手を伸ばして、入玉の輪型陣をがしゃがしゃとくずした。

「おれは出るところに出ますよ。あとで後侮しなさんな」

「ま、まって呉れ」

 三吉の両手はおのずから、おがむような形になった。

「出るところというと、ハナコのところか。そりゃ困る。待って呉れ。な。わしが悪かったよ。あやまるよ」

「おれだって、なにも、決裂を望んでいるわけじゃない」

 陣太郎はまるでどこかの外交官のように大きく出た。

「も少し話し合って、解決のメドを見つけたい」

「ああ。それでたすかった」

 三吉がほっと胸を撫でおろした時、男湯の扉ががらりとあいて、ハナコが入って来た。縁台の上で、坐ったままの姿勢で、三吉は三寸ばかり飛び上った。

 

 幸いにして三吉の飛び上りは、ハナコに気付かれなかったようである。がらんとした男湯を見渡して、ハナコはすこし眉をひそめた。商売不振をまのあたりに見ては、ハナコといえども眉をひそめざるを得ない。

「まあ。一人も入っていないじゃないの」

 ハナコはのそのそと板の間に上り、縁台に近づいてきた。

「うん。ど、どういうわけか、今日はめっきりとお客がすくない」

 三吉はへどもどと応答した。

「だから、こ、このお客さんと、景気づけに、一番指していたところだ」

「それはそれは、御苦労さまでございます」

 ハナコは陣太郎をにこやかにねぎらった。陣太郎はおうようにうなずいた。

「こちらはお若いのに、なかなかお強い」

 三吉は掌を陣太郎の方にひらひらと動かした。

「さすがのわしも、すっかり負かされた」

「まあ。お強いのねえ」

 ハナコは感嘆これを久しくした。ハナコも世の常の女房なみに、亭主の実力を過大評価しているのである。

「どこで修業なさいましたの?」

 三吉如きを負かすのに、修業もへったくれもないから、さすがの陣太郎も返事のしようがなく、上品な面(つら)つきで黙(もだ)していた。

「いや。とにかくお強いもんだ」

 状況をごまかす時を稼ぐために、三吉は手振りをまじえて、ますます多弁となった。

「なにしろ松平流の陣構えに妙を得ておられる。わしなんか遠く及ぶところではない」

「ほう。松平流をねえ」

 将棋のことは何も知らないくせに、ハナコは嘆息した。そこで陣太郎も、そんなにほめられた関係上、扇でもパッと取出して打ち開き、悠々と胸元をあおぎたいところであるが、生憎(あいにく)と扇子(せんす)の持ち合わせがなかったので、縁台上のうちわで代用、バサバサと顔をあおぎ立てた。

「あなたもこの方について、修業してみたらどう?」

「うん。それはいい考えだ!」

 三吉ははたと膝をたたいた。

「週に二回とか三回とか、ここに出張していただいて、お客さまたちに教授を願おうか。そうすれば、お客さまもぐんと殖えるだろう」

「でも、この方のお都合もおありでしょうからねえ」

 ハナコも好もしげな眼付きで、陣太郎を見た。

「ほんとに、一芸に秀でるということは、容易なことではないわねえ」

 陣太郎はますます力をこめて、自分の顔をあおぎ立てた。あまりにもほめられ過ぎて、てれくさくなったのであろう。

 三吉は縁台から腰を浮かせながら、人差指でハナコをまねいた。

「ちょっと」

 縁合からすこし離れたところに行き、三吉はハナコの耳に口をつけ、何かぼそぼそとささやいた。陣太郎はおっとりと構え、そっぽを向いている。

 やがて三吉は、ハナコの耳から口を離し、あたふたと縁側に戻ってきた。そして今度は、陣太郎の耳に口を近付けた。

「君。ちょっとそこらまで、顔を貸して呉れないか。話があるんだ」

「そうですか」

 陣太郎は悠然と答えた。

「では、参りましょう」

 女中にかわって、ハナコが番台にでんと坐った。そのハナコに、三吉は下駄をつっかけながら、声をかけた。

「じゃちょいとそこらまで、出かけてくるよ」

「行ってらっしゃい。あんまり血圧にさわるようなものを、飲み食いしないでね」

「大丈夫だよ。心配しないでもよろしい」

 三吉はのれんをくぐって外に出た。陣太郎もそのあとに続いた。

 外の空気に触れると、三吉の全身から、今まで押さえていた冷汗が、どっとあふれ流れ出た。ハンカチで顔をごしごし拭きながら、三吉はひとりごとを言った。

「ちぇっ。驚かしやがる。こっちの方がよっぽど血圧にさわるわい」

「え? 何か言いましたか」

 陣太郎がそれを聞きとがめた。

「ひとりごとを言ったんだよ。ひとりごとを」

 三吉は襟筋にハンカチを突っこみ、忌々しそうに答えた。

「そこらをぶらぶら歩きながら話をしよう。それともそこらで、冷いものでも飲むかね?」

「飲みものより、食べる方がいいですな」

 陣太郎はおなかをぺこりと凹ませて見せた。

「おれ、まだお昼を食べてないのです」

「では、そこらで、ラーメンでも食べながら――」

「いいんですか。大切な話だというのに」

 陣太郎はじろりと三吉を見て、声を大きくした。

「ラーメンを食べながら、話をすると、隣の卓につつ抜けですよ」

「アッ、そうか。他人に聞かれちゃまずいな」

「座敷みたいなところはどうですか」

「そうだなあ。ええと、座敷といえば、どこにあったかなあ」

「あそこのポストから、右へ曲って二軒目に――」

 陣太郎は手を上げて指差した。

「ウナギ屋がありますよ。あそこの二階は、一部屋しかない。秘密の相談には持ってこいの場所です」

「時にあんたのお宅は、どちらだね?」

 初めて気がついたように、三吉は陣太郎の顔をじろじろと見た。

「この近くかね? あまりお見かけしないようだが」

「郊外ですよ。ここから二里ぐらいある」

 陣太郎は右掌を額にかざし、いかにも遠いという恰好をして見せた。

「元家令の家に住んでいるのです」

「モトカレイ?」

「ええ。つまり家来ですな」

 そして陣太郎は、急に探るような眼付きになって、三吉の顔をぐっとのぞきこんだ。

「その元家令がね、この間自動車にはね飛ばされてね、大怪我をした」

「そりゃあぶないな」

 三吉は淡々と答えた。はね飛ばしの犯人ではないのであるから、動揺するわけがない。

「そんなに遠くに住んでいて、よくここらの地理を、ウナギ屋の所在まで、あんたは知ってるなあ」

「そりゃ調べたんですよ」

「調べた?」

 三吉はぎくりとした口調で問い返した。

 

 のれんを頭でわけ、陣太郎が先に立って、ウナギ屋の階段をとんとんと登った。三吉は渋々とあとに続いた。

 陣太郎の言の如く、二階は四畳半の小座敷ひとつしかなかった。

 三吉は直ちに窓をあけたり、押入れをあけて見たりして、ぬすみ聞きする者のいないことを確かめた。やっと安心して坐ろうとすると、陣太郎がすでに床の間の上座をしめているので、むっとした表情で下座に廻った。

 女中がおしぼりを持って上って来た。

「何になさいますか?」

「おれにはウナ重の一番いいのを下さい」

 おしぼりで手を拭きながら、陣太郎は平然と注文した。

「三吉湯の旦那さまは?」

「うん。わしは何にしようか。ウナギは高血圧に悪いし――」

 三吉は肥った首をかしげたがやがて憤然とした口調で、

「ええい。わしはカバヤキだ。大串を頼むよ。血圧なんてヘっちゃらだ。ついでにお酒を一本。わしの分としてだよ」

「おれもお酒一本。」

 すかさず陣太郎は口を入れた。

「ぬる𤏐にして下さい。おれは猫舌だから」

「はい。かしこまりました」

 女中が降りて行くと、三吉は坐り直して、ぐっと陣太郎を見据(す)えた。

「君は、秘密探偵かね?」

「探偵?」

 陣太郎はやや憤然とした顔になった。

「探偵じゃありませんよ。探偵なんて、身分のいやしい者がやる仕事だ」

「じゃあ、わしの自動車のことなどを、何故調べるんだ」

 三吉は手を上げて、陣太郎の顔を指差した。

「十日ばかり前、上風タクシーに、三の一三一〇七の番号を調べに来たのは、君だろう――」

「おれじゃありませんよ」

「うん。そう言えば、あれは四十前後のぼさっとした男だと言っていたな」

「ぼさっとしてましたか?」

 陣太郎の頰の筋肉が、ぴくぴくと痙攣(けいれん)した。こみ上げてくる笑いをかみ殺したものらしい。

「おれはぼさっとしてないですよ」

「しかし、一体君は、何のために、わしの自動車の所在を問題にするんだ?」

 三吉の顔にあせりの色が浮んだ。

「一体何のためだ。誰かに頼まれたのか?」

「それは、つまり――」

 獲物をねらう猫のように陣太郎は眼をするどくさせた。

「つまり、それは、正義人道のためですよ」

「正義人道?」

 大上段にふりかぶったようなその言葉に、三吉は眼をぱちぱちさせた。

「あれ、正義人道に反するかねえ」

「反しますよ!」

 陣太郎は卓をどんと叩いた。

 何か言おうと口を動かしかけたとたん、階段を足音が登ってきたので、三吉はむっと口をつぐんだ。

「お待遠さま」

 女中が入ってきた。熱𤏐の方を三吉に、ぬる𤏐の方を陣太郎の前に、それぞれ置いた。三吉は女中に掌を振って言った。

「ちょいと密談があるんだから――」

 

 女中の足音が階下に消えてしまうと、三吉は手酌の盃をぐっとあおって言った。

「君はそう言うけれど、わしのどういう点が正義人道に反するんだい?」

「反しますよ。自分の胸によく手を当てて、考えてごらんなさい」

 三吉の事柄の内容が、まだよく判らないものだから、陣太郎も慎重な口をきいた。

「それとも正義人道に、まるまるかなっているとでも言うのですか?」

「まるまるかなっているとは言わん!」

 三吉も少しずつ釣り出された。

「しかしだね、あれは、今は人道に反するとも言えようが、わしが若い頃は、あんなことは普通だった。むしろ男の甲斐性(かいしょう)とされていたぐらいだよ」

「昔と今はちがいます」

 陣太郎はぬる爛をぐっとあおった。

「昔は甲斐性でも、今は罪悪です」

「一体君は、どういうつもりで――」

 三吉は盃の手をわなわなとふるわせた。

「囲ってるのは、わしばかりじゃない。他にもたくさんいる。それをよりによって、このわしばかりを――」

「カコっている? ふん。しかしですね、カコい方にもいろいろある」

「わしのなんか、罪が軽い方だ」

 三吉はくやしげに唇を嚙んだ。

「しかも質素なものだ。アパートだからな。どうしてもっと君は、大物をねらわないんだい?」

「アパート。カコう」

 陣太郎はクイズでも考えるような顔付きになり、またぐっと盃をあおった。いつもの陣太郎に似ず、カンが働かないらしい。

「しかし、質素であろうとぜいたくであろうと、カコうということに問題がある」

「君の青年らしい正義感は、わしも認めるよ」

 三吉は方針を変えて、懐柔策に出た。

「しかしだね、君のお父さんやお祖父さん、またその祖先さまたちも、わし同様に囲ったかも知れないよ」

「いや、わが松平家に限って、そんな者はおりません」

 陣太郎は大見得を切った。

「いやしくも松平を名乗るもので、カコったものは一人もいないです」

「松平? 松平姓にいない?」

 三吉は低くうなって、腕を組んだ。

「いや。あるぞ。この間講談本で読んだぞ。たしかそれが原因で、お家騒動になる話だった」

「何という講談本でした?」

「題は忘れた。なんとかの方という愛妾が出てくるんだ。これでもいないと言い張るか」

「愛妾?」

 そして陣太郎は膝をポンとたたいて、頭を下げた。

「参りました。そう言えば御先祖さまに、そんなのがいたかも知れない」

「それ、見なさい」

 三吉は胸を反らして、鼻孔をふくらませた。

「その子孫の君に、わしを責める資格はないぞ。正義人道のためじゃなかろう。誰に頼まれたんだね。あの背高ノッポか」

「背高ノッポというのは、泉恵之助ですか」

 陣太郎はまっすぐ三吉を見ながら言った。

「それとも、泉竜之助の方ですか?」

 

「ううん。やっぱりそうだったな」

 猿沢三吉は力まかせに自分の膝をひっぱたいた。

「泉親子の名前まで知ってるんだから、間違いはない。おい、君。君はいくらで頼まれた?」

 陣太郎はぬる𤏐を含み、にんまりと謎めいた笑みをうかべ、返答をしなかった。

 三吉は泉湯の方角に眼を据(す)え、威嚇するように拳固をふり上げた。

「あの背高ノッポの糞じじい。わしと真知子のことを探り出し、ハナコにそれを告げ口をして、わしの家庭の平和を攬乱しようとたくらんだな。テレビといい、今度の件といい、何という卑劣な奴だ。もう許しては置けんぞ。あのゾーリ虫野郎!」

「もしもし。あまり亢奮(こうふん)すると、血圧にさわりますよ」

 見かねて陣太郎が注意した。

「ここらで脳出血で倒れられては、元も子もなくなる」

「おい、君」

 三吉は拳固をおさめ、陣太郎に向き直った。

「いくらで君はこの仕事を請負った? プラスアルファを出すから、こちらに寝返りを打って呉れ。な、頼む!」

「条件次第ですよ」

「条件? どんな条件でも容れるから、わしの側について呉れ。な、よく考えて見なさい。わしの三吉湯は、今出来つつあるのも入れて四軒。背高ノッポは古芭蒼然たる泉湯がただの一軒。わしが中共とすれば、背高ノッポは国府みたいなもんだ。てんで太刀打ちになりゃしない。こっちについたがトクだぞ」

「損得で動いているんじゃありませんよ」

 陣太郎はまた謎めいた笑い方をした。

「時に、あの新築中の三吉湯ですね、あれはもう差配する人がきまってるんですか?」

「差配する人?」

 三吉はきょとんとした。

「いや。まだきまっていない」

「おれの知人で、今ちょっと失業してる奴がいるんですがね」

 思わせぶりな言い方を陣太郎はした。

「ちょっと見にはぼさっとしてるけれど、根は善良で働き者です」

「それを差配にすいせんしようと言うのか」

「イヤならイヤでいいですよ」

 陣太郎は両腕を上に伸ばしてわざとらしい欠伸(あくび)をした。

「ああ。ウナ重はまだかなあ。おれ、おなかがぺこぺこだ」

「イヤだと言ってやしないよ」

 ここで陣太郎の機嫌を損じては大変なので、三吉も狼狽した。

「そ、その知人というのは、いくつぐらいの人だね?」

「四十前後です。つまりおれの元家令ですよ」

「元家今というと、自動車にはね飛ばされたという人か?」

「そうですよ。しかしもう傷はなおった」

「それじゃ一度逢って見ることにしよう」

 そして三吉は念を押した。

「条件はそれだけだね」

「じょ、じょうだんじゃないですよ」

 陣太郎は呆れた声を出した。

「愛妾の件とこれと相殺にされては、おれは立つ瀬がない」

 階段に足音がした。ウナギが焼け上ったものらしい。

 

 ふたたび女中が階段を降りて行くと、陣太郎はおなかをぐうと鳴らしながら、急いでウナ重の蓋をとった。旨そうな鰻香(うなぎか)が、ぷんとそこらにただよった。

「いただきます」

 粉山椒(こなざんしょう)をふりかけ、陣太郎はいきなりウナギに食いついたが、アツツと悲鳴を上げて、あわててそれをはき出した。空腹のあまりに、自分が猫舌であることを、すっかり忘却したらしい。

「ふん。大した猫舌だな」

 三吉はそう言いながら、自分の蓋を取った。カバヤキをむしゃむしゃと頰張りながら、

「そう言えば、さっき君は、子供用の湯槽に入ってたようだね。全身これ猫舌か」

「わが松平家の人間は、みんなそうですよ」

 陣太郎はカバヤキを箸でつまみ上げ、ぶらぶらと打ち振った。早くさめさせようとのつもりであろう。

「食物を調理して、毒見役が毒見をし、それから運んで、やっとおれたちの口に入る。幼い時から、熱いものを口に入れることがないから、自然と猫舌になってしまうんですよ」

「ふうん」

 三吉は箸を動かし止めて、上目使いに陣太郎を見た。少少畏敬の念がきざして来たらしい。

「毒見役というと、それ専門の?」

「いや。家令やなんかがやりますな」

「ふうん」

 三吉はふたたびうなった。

 陣太郎はぶらぶらさせていたカバヤキを、ちよっと舐(な)めてみて、もう安心だと見当をつけたのだろう、ぱくりと嚙みついた。またたく間の早さで一片(ひときれ)を吞み込んでしまった。驚嘆の面もちで、三吉はそれを眺めていたが、陣太郎が二片(ふたきれ)目を振り出したのを見て質問した。

「どうして、あんたは、昼飯を抜いたんだね?」

「金がなかったからですよ」

「金がない」

 三吉は怪訝(けげん)そうに首を傾けた。

「家令を使おうという御曹子が、一体どういうわけで、金を持たないんだね。お金は不浄だからか?」

「お金が不浄だなんて」

 陣太郎はけたたましく笑い出した。

「おれ、家出をしたんですよ。うっかりして、金を持たないで飛び出したから、今は金がない」

「なぜ家出を?」

「先代が死んじまってね、その相続の問題がひどくこじれて、おれのところにお鉢が廻って来そうになったんですよ。だから、おれ、泡をくって飛び出した」

「ああ。何てえもったいねえことを――」

「刀の二、三本も持ち出しゃよかったなあ」

 陣太郎は二片目のカバヤキを口に放り込んだ。

「一本で百万円ぐらいには売れたのになあ。しまったことをした」

「一本で百万円?」

 三吉は眼をまるくして反問した。

「なんであんたは、相続がイヤなんだい?」

「イヤですよ。あんなコチコチの世界」

 陣太郎は徳利を口にあて、残りのぬる酒をごくごくと飲み干した。

「おれはもっと世の中を勉強して、それを小説に書きたいんだ」

 

 ウナ重がさめて行くにつれ、陣太郎の食べ方にはスピードが加わった。三吉の方はあまりおなかが空いていないので、箸でカバヤキを千切(ちぎ)り千切(ちぎ)りすこしずつ口に運んでいた。

 陣太郎は一粒残さず食べ終り、ふうと溜息をついた。

「ごちそうさまでした」

「いいえ。お粗末でした」

 三吉は反射的にそう言って、冷えた酒を盃についだ。

「家に戻りさえすれば、そんなにがつがつしないでも、ウナギなんか毎日でも食える身分じゃないか」

「そりゃまあ、そうです」

「もったいない話だなあ。戻ったらどうだい?」

 さっきからそのことばかりを考えていたらしく、三吉は膝を乗り出して、熱心な口調になった。

「わしがあんたの後楯になって上げる。是非戻って、相続しなさい」

「戻る気になったら、相談に来ますよ。もうその話はよしましょう」

 陣太郎は掌をひらひらと振った。

「時に、あんたの愛妾の件、あんたの愛妾は、何という名だったかな」

「真知子、だよ」

 三吉は顔や身体を緊張させた。

「もうあの背高ノッポに、報告はしないだろうな」

「そうですな。一応保留ということにしときましょう」

 そして陣太郎は首をかしげ、ひとりごとのような、また三吉に聞かせるような、あいまいな口調で言った。

「さて。浅利の家もそろそろ立ち退かねばならないし、どこに行こうかな。金の持ち合せもないし――」

「浅利って、それ、何だね?」

「元家令の名ですよ。おれがそこにいることを、どうも今の家令がかぎつけたちしい」

 陣太郎は眉を上げて、まっすぐ三吉の顔を見た。

「どこかに部屋をさがして呉れますか?」

「部屋ねえ。ちょっと――」

「イヤならイヤでいいんですよ」

 陣太郎は投げ出すように言った。

「おなかもいっぱいになったし、おれ、そろそろ帰らして貰おうかな」

「イ、イヤだと言ってやしないよ。そんなにわしをいらいらさせるな。高血圧なんだぞ」

 酒を飲み、ウナギを食ったくせに、都合のいい時だけに、三吉は高血圧を持ち出した。

「部屋の心当りがないでもない」

「どこです、それは?」

「富土見アパートだよ」

「富土見アパート?」

「知らないか、君は?」

 三吉は大声を出した。

「富士見アパートを知らないとは――」

「ああ、知ってる。知ってます。あそこね」

 三吉の声が大きかったので、陣太郎はあわてて合点合点をした。

「あれはいいアパートですね」

「うん。あのアパートの一室を借りて上げるには、ひとつの条件がある」

「何です、それは?」

「真知子の行状を、そっと監視して貰いたいんだ」

「ああ。真知子。富士見アパート。なるほど、なるほど」

 すっかり納得が行ったらしく、陣太郎はまた合点合点をした。

 

「どうも君には探偵の才能があるらしい」

 三吉は陣太郎に言った。

「あれほど巧妙に、ひたかくしにしていたわしのあの一件を、自動車の番号から、探り出したくらいだからな。全くおどろくよ」

「それほどでもありませんよ」

「その才を見込んでお願いするのだ」

 そして三吉は声を低くした。

「どうも真知子は、ひょっとすると、浮気をしているんじゃないか、と思われる節がある。この間もへんな学生が来ていた」

「且那になるのも、骨が折れますな」

「うん。骨が折れるよ。アプレ娘なんかを、メカケにするもんじゃない」

「部屋はそれで片づいたとして――」

 陣太郎は空の重箱を横に寄せて、開き直った。

「生活費はどうして呉れるんです。まあ今のところ、一万円もあれば――」

「生活費?」

 三吉は悲痛な声を出した。

「生活費まで、わしに持たせようと言うのか!」

「イヤならイヤでいいんですよ」

「イ、イヤだとは、まだ言ってないじゃないか」

「おれに部屋を提供し、月一万円の生活費を出すかどうか、おれは一分間だけ待ちましょう」

 らちあかずと見たか、陣太郎はれいの奥の手を出した。腕時計を外(はず)して、卓の上に置いた。

「いいですか。一分間!」

 三吉の顔に苦悶の色が浮んだ。秒針がこちこちと秒を告げる。三吉はあわてて掌をつき出した。

「一分間だなんて、そんな無茶な。こんな大切な問題を」

「あと、三十秒!」

 陣太郎は冷然と言った。三吉は苦しそうにあえいだ。

「ま、まって呉れ。こういうことは、お互いによく話し合って――」

「あと十秒!」

「そんな無情な、わしはただ!」

「あと五秒!」

 時計を見詰めながら陣太郎は冷然たる声で秒を読んだ。

「あと三秒。二秒。一秒――」

「わ、わかったよ」

 三吉は笛のような声を立てた。

「君の言い分をのむ。これ以上いじめて呉れるな。ああ、わしの血管はまだ大丈夫か。まだつながっているか?」

 三吉の指は、自分の額やこめかみの怒張した血管を、もそもそとまさぐった。

「大丈夫ですよ」

 時計を手首に巻きつけながら、陣太郎は言った。

「血管が切れたり破れたりすれば、そんなはっきりした口はきけませんよ」

「秒読みというやつはつらいなあ」

 血管に異常のないことを確かめて、三吉は少し安心して手をおろした。

「専門棋士たちの苦労がよく判るよ。おい、君。君はどこで、こんな秒読みなんて手を覚えた? やはりそれも、松平流か?」

「まあそう言えば、そう言えるでしょうな」

 陣太郎はやや得意そうにうなずいた。

「時に、その、今月分の一万円、今日欲しいんですよ。おれ、現在、嚢中(のうちゅう)無一文で、電車賃にもこと欠く有様です」

 

「ああ。今日はなんという凶(わる)い日だろう」

 ウナギ屋ののれんをかきわけ、表に出ながら、三吉は小さな声でぼやいた。久しぶりの将棋に妙な負け方をしたことに端を発して、ウナギはおごらされるし、へんにおどかされて、部屋の提供を約束し、しかも月一万円支給の約束もさせられた。しかも今月分は今日よこせという。これでは高血圧ならずとも、頭の痛くなるのは当然であろう。

「いろいろごちそうさまでした」

 表で待っていた陣太郎が、ペコリと頭を下げた。

「今日のウナギは実においしかったです」

「わしはあまり旨くなかった」

 夕方の巷(ちまた)に肩を並べて、三吉は鬱然と、陣太郎は足どりかろやかに、三吉の自宅に向った。

 自宅の玄関に到着、三吉は靴を脱ぎながら、陣太郎に声をかけた。

「君も上りなさい」

 物音を聞きつけて、奥から次女の二美が走り出て来た。

「お父さん。おかえりなさい。あら、お客さま」

「お客さんだけど、お茶なんか持って来なくてもいいよ」

 聞きようによっては、失礼な言い方を三吉はしたが、失礼のつもりではない。一万円授受の現場を子供に見られ、それを母親に報告されたりしたら困るという、深慮遠謀なのである。

「お茶もお菓子もいらないし、もちろん水もいらない」

「そう」

 二美は陣太郎をいぶかしげな眼で眺め、そのまま奥に引込んだ。

 三吉は廊下を先に立ち、茶の間でなく、自分の私室に陣太郎を案内した。私室というのは、小さな床の間つきの三畳間で、机の上には帳簿や硯箱なんかが置かれ、壁には小さなつくりつけの金庫がはめこまれていた。

 陣太郎は窮屈そうに坐り、ものめずらしげに部屋のあちこちを見廻している。

 陣太郎に見られないように、三吉は金庫にかぶさるようにして、カチャカチャと扉を開いた。

 札束を取り出し、ぺらぺらと十枚数え、残りは元に戻し、がちゃりと扉をしめた。明日にでも建築業者に支払うべき分から、流用したのだろう。

 机の前に戻り、三吉は勿体(もったい)なそうにその一万円を、陣太郎につきつけた。

「さあ。今月の分だ。受取りを書いて呉れ」

「承知しました」

 硯箱をひらき、あり合わせの半紙に、陣太郎はさらさらと受領証を書いた。不器用な陣太郎にしては、めずらしく達筆であった。

 三吉はそれを受取り、すみからすみまで眺め廻した。

「何だい、この名前の下に、ぐしゃぐしゃっと塗りたくったのは?」

「花押(かおう)です。ハンコのかわりですな」

 陣太郎はすました顔で説明した。

「おれはハンコは使わない。一切花押で間に合わせているんです」

「その一万円は、あれだよ」

 三吉は未練がましく口を開いた。

「君が相続するまで、立替えて置くんだよ。相続したら、利子をつけて、戻して呉れるだろうね」

「いいですよ。三倍にも五倍にもして、返して上げますよ」

 

 二美は足音を忍ばせるようにして、廊下から子供部屋に入った。長女の一子(かずこ)は畳の上に横になり、脚を上げたり反(そ)りくりかえったり、せっせと美容体操にいそしんでいた。二美が言った。

「お父さん、へんなお客を連れて来たわよ」

「なに。へんなお客って?」

「三十ぐらいの男よ。その顔がね、金魚にそっくりなのよ。金魚が服を着て立ってるみたいで、あたし笑っちゃった」

「そうかい」

 一子はむっくりと起き直り、机上に手を伸ばして、甘食パンをつまみ上げた。

「美容体操をやると、とてもおなかが空(す)くわ」

「お父さん、そのお客を、茶の間じゃなく、金庫の部屋に案内したわ。そしてあたしに、お茶なんか持って来るなってさ」

「近頃のお父さん、何を考えてるんだろうねえ」

 甘食パンを頰張りながら、一子は嘆息した。

「泉のおじさんとは大喧嘩はするし、ほんとにこちらは大迷惑よ。竜ちゃんだって、かげでは悲恋に泣いてるわ」

「ほんとねえ。お父さんといい泉のおじさんといい、更年期の男性って困りものねえ。やはりホルモンの不調から来るのかしら」

「ナマイキ言うんじゃないよ。まだ子供のくせに」

 一子は眼を三角にして、妹をたしなめた。

「ほんとに何も知らないくせに、おませなことを言うんじゃないの。更年期障害だなんて、今度そんなことを言ったら、お父さんに言いつけてやるから!」

 その更年期障害の三吉親爺は、今しも三畳の金庫部屋で、陣太郎とひそひそと密談にふけっていた。

「その真知子のやつがね、もし自分が浮気をしたら、二号を辞めると言うんだね。だから浮気をしているかどうか、その確証を――」

「おれに探れと言うんですね」

「そうだ。浮気の確証が得られれば、わしはチョンと真知子をクビにして、支度金その他を回収することが出来るんだ。そしてその支度金でもって、別の若いおとなしいメカケを――」

「すると真知子が、浮気をしていることを、あんたは望むんですか?」

「うん。万止むを得ない[やぶちゃん注:「ばんやむをえない」。]。泣いて馬謖(ばしょく)を切る気持だ」

 三吉は妙にむつかしい表現を用いた。とかく学のないのが、難解な言葉を使いたがるものである。

「顔も美人だし、いい身体もしているが、なにしろ口答えはするし、わしの言うことを素直に聞かないんだよ。時に、いつ富士見アパートに、あんたは引越すかね?」

「近日中に」

「じゃあわしから、アパートの管理人に話して置こう」

「でも――」

 陣太郎は柄になくもじもじした。

「では、こういうことにしましょう。おれ、荷物をまとめて、こちらにお伺いする。そしてあんたの自動車で、富士見アパートに運んで貰うということに――」

「そんな面倒くさいことをせずに、直接行けばいいじゃないか」

「いや、それはちょっと事情があって――」

 富士見アパートの所在はどこだと訊(たず)ねるわけには行かないものだから、あれこれと陣太郎は苦慮の様子であった。

[やぶちゃん注:「泣いて馬謖を切る」「泣いて馬謖を斬る」は「私情を捨てて法を守り、綱紀を粛正するために親しい愛する者を処断すること」を言う故事成句。蜀の知将諸葛孔明は、劉備の没後、その遺詔を奉じて宿敵の魏を討ったが、「街亭の戦い」で指揮に反して大敗した部将の馬謖を、その輝かしい過去の戦功と親交にも拘わらず、泣く泣く斬罪に処して、一軍への見せしめとした、と伝える「蜀誌」の「馬謖伝」などの故事に拠る。]

2023/07/16

佐藤春夫譯「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」正規表現版 「貧しき女の咏める」兪汝舟妻

[やぶちゃん注:書誌・底本・凡例等は初回を見られたい。本篇はここ。]

 

  貧しき女の咏める

             夜 久 織 未 休

             戛 々 鳴 寒 機

             機 中 一 疋 練

             終 作 阿 誰 衣

                   俞 汝 舟 妻

 

寢もやらで長き夜ごろを

梭(をさ)の音のひびきもさむき

この機のこのねり絹は

織りあげて誰が着るぞも

 

   ※

俞汝舟妻  朝鮮の女子であるといふ。 未詳。

   ※

[やぶちゃん注:作者「俞汝舟妻」は「ゆぢよしふのつま」と読んでおく。ネット上のある日本語の漢詩ページでは、唐代の人物とするが、ちょっとそれは、以下に示す引用から考えて、採れない。ともかく、この詩篇、調べて見ると、作者に大きな疑義があることが判った。丹羽博之氏の論文「蚕婦詩の系譜」(『大手前大学論集』第十号・二〇〇九年発行・こちらからPDFでダウン・ロード可能・雑誌発行年はPDFの各頁の柱では二〇〇九年だが、冒頭書誌には二〇一〇年三月発行とあって不審)の最後の「追記二」に以下のようにあるからである。

   《引用開始》

 作る者と着る者の矛盾を嘆いた詩には、他にも明の兪汝舟(ゆじょしゅう)の妻の詩がある。(一海知義先生ご教示。『漢詩の散歩道』日中出版一九七四年十月 筧久美子先生担当一六九頁〜一七一頁)。その詩は、

    貧女吟     兪汝舟妻

 夜久織未休 夜久しくして 織ること未だ休(や)めず

 憂憂鳴寒機 戛戛(かつかつ) 寒機鳴る

 機中一匹練 機中一匹の練(れん)

 終作阿誰衣 終(つい)に阿誰(あすい)の衣と作(な)る

というもの。同書には、「作者とされる兪汝舟の妻は明代の人だが、夫婦ともにくわしいことはわからない。」とある。

 ところが、最近になって気づいたことであるが、この詩は、韓国の『韓国歴代名詩全書』(一九九七年五月明文堂五〇〇頁))には、次のようにある。

    貧女吟     兪汝舟妻

 夜久織未休 夜久しくして 織ること未だ休(や)めず

 軋軋鳴寒機 軋軋 寒機鳴る

 機中一匹練 機中 一匹の練(れん)

 終作阿誰衣 終(つい)に阿誰(あすい)の衣と作(な)る

とあり、二句目が軋軋となっているが、同一の詩である。

 作者の解説には、「姓は金氏の女性で兪賢良に嫁ぎ、兪汝舟夫人と呼ばれ、詩集一巻が伝わっている。」とあり、『漢詩の散歩道』の作者と同一人物ということになろう。清銭謙益『列朝詩集』の末に「朝鮮」の項目があり、その末に「兪汝舟妻」の名前が見える(覧文生氏ご教示)。

 更に調べると、李氏朝鮮の最高の女流詩人、許楚姫(一五六三〜一五八九)の詩集『蘭雪軒集』に「貧女吟四首」が揚げてあり、その三首目の詩は、前掲、明の兪女舟妻の作と一字の違いも無い(前掲『三韓詩亀鑑』の崔致遠の「江南女」の詩の「参考」にもこの四首が載っている)。ということは、李氏朝鮮時代の女流詩人のトップに位する蘭雪軒(許楚姫の号) の作と愈汝舟の妻の作のどちらかが誤って伝わったのであろう(兪女舟妻の生没年は調査中)。[やぶちゃん注:以下略。]

   《引用終了》

この「許楚姫」は、彼女のウィキによれば、『許 蘭雪軒』(ホ・ナンソロン/きょ らんせつけん 一五六三年~一五八九年)、又は、『蘭雪軒 許氏』(ナンソロン・ホシ/らんせつけん きょし)で『李氏朝鮮時代の女流詩人。本名は許楚姫』(ホ・チョヒ/きょ そき)』で、『蘭雪軒は号。蘭雪とも』。『本貫は陽川許氏。江陵』(現在の韓民国江原特別自治道東部の江陵(カンヌン)市)『出身』である。病いのため、二十七で夭折した。

 標題は「貧女吟」でよかろう。以下、以上の訓読を参考にしつつ、推定訓読しておく。

   *

 貧しき女(をんな)の吟(よ)める

夜(よ) 久しく織(お)りて 未だ休(や)めざる

戛戛(かつかつ)と 寒(さむざむ)とした機(はた)を鳴らす

機(はた)の中(うち) 一疋(いつぴき)の練(ねりぎぬ)

終(つひ)に作(な)れるこれ 阿誰(たれ)の衣(ころも)か

   *

・「戛戛」「カツ! カツ!」で、堅い物同士が触れ合う音。また、その音を立てるさま。一種のオノマトペイアであろう。但し、現代中国語の音写は「ヂィアヂィア」である。

「阿誰」誰(だれ)。何人(なんびと)。]

佐々木喜善「聽耳草紙」 一五九番 カバネヤミ

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]

 

   一五九番 カバネヤミ

 

 或男が、あんまりカバネヤミ(怠者《なまけもの》)なので、燒飯二ツもらつて勘當された。そこで男は燒飯の包みを頭にかけて、何處といふあてもなく步いて行つた。そのうちに腹が空《す》いて來たが、根がカバネヤミだから、頭から包みをおろしたり、それを解いたりするのが面倒なので、空腹をがまんして、誰か來たら解いて貰はうと思つて、[やぶちゃん注:底本は句点だが、「ちくま文庫」版で訂した。]のたりのたりと步いて居た。

 すると向ふから、笠を被つて口を大きく開いて來る男があつた。ははアあの男は腹が空いてあゝ口を開いて來るのだなアと思つて、近づくのを待つて、ざエ、この頭に引掛けた包みの中に、燒飯が二つあるが、それを一ツお前にやるから、取出《とりだ》してくれと賴むと、相手は、いやいや俺は其どころか笠の紐がゆるんでも、それを締めるのが億劫だから、斯《か》うして口を開いて顎で紐を張つて居るのだと答へた。

  (膽澤《いさは》郡下姉帶《あねたい》村生《うまれ》
   の油井德四郞殿の話。森口多里氏御報告の五。)

[やぶちゃん注:「カバネヤミ(怠者)」という方言は東北地方で広く用いられるようであるが、語源について記した記事を私は見出せなかった。推理するに、「屍」(かばね・しかばね)と同じように動くのも面倒といった怠け者を、性質というより病的と捉え、「屍」(かばね)のような「病(や)み」と言ったものかと考えた。

「膽澤郡下姉帶村」これは「膽澤郡下姉村」の誤りである。現在の岩手県奥州市水沢姉体町(みずさわあねたいちょう)及び水沢上姉体(みずさわかみあねたい:先の水沢姉体町内に別個に存在する)に相当する。「ひなたGPS」の戦前の地図で「姉體村」が確認され、その中の「上姉體」及び「下姉體」を確認出来る。これは実は非常に問題のある重大な誤りで、実は別に「姉帶村」が存在したからである。その「姉帶村」はやはり「あねたいむら」と読むのであるが、岩手県二戸郡にあった旧村で、現在の二戸郡一戸町(いちのへまち)姉帯(あねたい)及び同町面岸(ももぎし:こちらはスケールを小さくして奥州市と如何に離れているかを示した)に当たる。こちらも参考までに「ひなたGPS」の戦前の地図を挙げておく(以上は二つの「ひなたGPS」を除いて総てグーグル・マップ・データである)。「ちくま文庫」版も誤ったままで載せており、注もない。甚だ問題である。

佐々木喜善「聽耳草紙」 一五八番 胡桃餅と幽靈

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここ。]

 

      一五八番 胡桃餅と幽靈

 

 極く仲のよい夫婦があつた。そのうちに妻が病んで死んだ。死ぬ時、夫(アニ)な夫(アニ)なおれはこの位お前を思つて死ぬんだから、どうか後妻(アトゾヒ)を貰つてケテがんすなやと遺言した。

 ところが夫は間もなく別の女を娶つた。それでもいつもの癖がついて居るので、佛壇の前へ行つて拜むと、位牌から女房のビタ[やぶちゃん注:前話で出た通り、女性の陰部を言う。]が飛んで來て男の額にピタツとくツついた。夫はひどく困つて外へも出ないで居たが、亡妻が大變胡桃餅を好きであつた事をひよツと思ひ出したので、餅を搗いて胡桃を摺鉢(カラケ)に入れてガラガラと摺《す》りながら、額をのぞけると案に違はずビタは摺鉢の中にぼツたりと落ちた。

  (前話同斷。)

 

奇異雜談集巻第六 ㊂弓馬の德によつて申陽洞に行三女をつれ歸り妻として榮花を致せし事 / 奇異雜談集~全電子化注完遂

[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい。

 因みに、本篇は、前回と同じ仕儀がなされてある。則ち、再び「剪燈新話」からの和訳である。原文は以前に紹介した「中國哲學書電子化計劃」のこちらから、影印本で視認できこれが一番良い(但し、右にある電子化されたものはダメである。機械判読で、とんでもない字起こしになっているから)。何故なら、これ、実は、逆輸入(後の本文の私の注を参照)版で、日本語の訓点附きだからである。

 本篇を以って「奇異雜談集」は終わっている。]

 

   ㊂弓馬(きうば)の德によつて申陽洞(しんやうだう[やぶちゃん注:ママ。「だう」は「どう」でよい。])に行(ゆき)三女(《さんぢよ》をつれ歸り妻として榮花(ゑいぐは)を致せし事

 「申陽洞の記」は、「剪燈新話」にあり。いま、心をとつて、やはらげて記す。

 元朝のすゑ、天曆(《てん》りやく)年中の事なるに、隴西(ろうせい)といふ所に、李生德逢(りせい・とくはう)といふものあり。年、廿五。よく、馬に、のり、よく、弓を、いる。勇(けなげ)[やぶちゃん注:読み「健氣」は、ここでは「勇ましく気丈なさま」の意。]をもつて、稱ぜ[やぶちゃん注:ママ。]らる。

[やぶちゃん注:「元朝のすゑ、天曆年中」一三二八年から一三三〇年まで。元の文宗トク・テムル及び明宗コシラの治世で用いられた元号。明宗コシラの死後、アスト軍閥のバヤンが独裁権を握り、元末の軍閥政権時代が幕を開け、一三六八年、モンゴル帝国第十五代カアン(元としては第十一代皇帝)トゴン・テムル(恵宗。明による追諡は順帝)、大都を放棄して北のモンゴル高原へと退去した(北元の始まり)。

「隴西」旧隴西郡相当の地方名。同旧郡は秦代から唐代にかけて、現在の甘粛省東南部の、現在の甘粛省天水市(グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ)に置かれていた。現在、隴西県があるが、これは甘粛省定西市にあり、旧隴西郡の北西で、ずれる

「李生德逢」「生」は「~という者」の意。「德逢」が名。さても、「隴西」の「李」姓となると、私の偏愛する中島敦の「山月記」(リンク先は私の古いサイト版)を直ちに想起される方が多かろう。私は高校二年生の現代文(私の高校時代は「現代国語」と言った)の初っ端はこの「山月記」の朗読をブチかまして、生徒たちから「李徴」という有難い綽名を貰ったものだった。その私の『中島敦「山月記」授業ノート』もサイト版で公開している(そちらでは、教師駆け出しの頃に作成し、当時、使用した配布用資料の教授用(小汚い書き込み附き)原本『別紙ダイジェスト「人虎傳」』も画像(三分割。)で公開してある)。同作は、唐代伝奇の晩唐の李景亮撰になる「人虎傳」(これは先行する晩唐の張読の伝奇小説集「宣室志」にある「李徴」のインスパイア作品である)を元としている。「剪燈新話」の作者瞿佑(くゆう)は、まず以って「李徵」及び「人虎傳」を意識して主人公の本貫と李姓を使用しているものと考えてよかろう。「李徴」も「人虎傳」も主人公李徴について、『皇族子』則ち、「唐の皇族の子」と設定している。されば、そうした貴種流離譚的ニュアンスも、ここでは主人公に示唆されているものと読んでよいのではなかろうか。

「勇(けなげ)」読みの「健氣」は、ここでは「勇ましく気丈なさま」の意。原作では、ここは『以膽勇稱』となっている。]

 妻子を、ことゝせず、鄕黨に崇敬せられず。

[やぶちゃん注:原文では、妻子がいないという部分はなく、『然而不事生產、爲郷黨賤棄』で、「狩猟にうつつを抜かし、何らの生産的なことに興味を持たなかったことから(ちゃんとした仕事にも就かなかったから)、郷里の成人男子たちからは軽蔑されていた」とある。]

 桂州といふ国に、交友あるをもつて、ゆきて、これをとふに、すでに死して、今は、なし。滯留じ[やぶちゃん注:ママ。]て、かへる事、あたはず。

[やぶちゃん注:「桂州」タワー・カルストの林立する景観で知られる現在の広西チワン族自治区桂林市。ロケーションとしては、まさにツボに嵌まっている。]

 郡に、名山、おほし。日〻に、獵射(れうしや)をもつて、事として、やまず。

 みづから、おもへらく、

『たのしみを、えたり。』

と。

 こゝに、大氏(たいし)[やぶちゃん注:名門の豪族の意であろう。]錢翁(せんをう)といふもの、あり。財寶、おほきをもつて、郡にしやうくはん[やぶちゃん注:「召喚」。]せらる。

 子、たゞ一女《いちぢよ》、あり。とし、十七にをよぶ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]

 はなはだ、鐘愛(しあい[やぶちゃん注:ママ。])す。

 いまだかつて、門を見ず[やぶちゃん注:寵愛のあまり、彼女は家から出たことがないのである。]。親類・隣里(となりのさと)といへども、また、これをみる事、まれなり。

 一夕(《いつ》せき)、風雨(ふうう)、はなはだしく、くらきに、女の在所(おりところ[やぶちゃん注:ママ。])を、うしなへり。

 門(かど)・窓(まど)・戶(と)・扉(とびら)、閉-鎖(とざし)、もとのごとし。

 したがひゆく所を、しること、なし。

 官所(くわんじよ)に、きこえ[やぶちゃん注:行方不明の届けと捜索を頼み。]、仏神(ぶつじん)に、いのり、方〻《はうばう》に、これを、とふ。やゝ[やぶちゃん注:少しも。]、その跡、なし。

 錢翁、女(むすめ)をおもふ事、切(せつ)にいたり、誓(ちかひ)をまうけて、いはく、

「よく女の在所(ありところ)を知(しる)ものあらば、ねがはくは、家財をもつて、これに、つかへん。」

と。

 もとめたづぬるの心、はなはだ、せつなりといへとも[やぶちゃん注:ママ。]、まさに半年にをよぶまで、つゐに[やぶちゃん注:ママ。]音信(いんしん[やぶちゃん注:ママ。])を絕(ぜつ)する也。

 李生、一日《いちじつ》、ゆみやを、もつて、城(さと)を出《いで》て、一《ひとつ》の鹿(しか)に、あへり。

 これを、おふて、すでに、嶺(みね)をこえ、谷(たに)をこえ、よく、をよぶ事、なふして[やぶちゃん注:ママ。追い捕まえることが出来ずに。]、日、すでに、くれたり。

 きたれるみちに、まよひ、ゆくべき所を、しること、なし。

 日、くれたり。

 虎(とら)、うそぶくこゑ[やぶちゃん注:遠吠え。]、さだかに、きこえぬ。

「いづれの所にか、宿(しゆく)せん。」

と、はるかに山上《さんじやう》をみれば、一《ひとつ》の古堂(ふるだう)あり。

 ゆきて、これに宿せむと欲(ほつ)す。

 塵(ちり)、ふかくつもりて、人の跡、なし。

 たゞ、鳥(とり)・けだ物《もの》の跡、あり。

 はなはだ、おそるといへども、いかんとすべきことなく、堂の内にありて、いまだ、すこしも、ねぶらざるに、おほき衆(しゆ)、同行(どうぎやう)の声(こゑ)を、きく。

 とをく[やぶちゃん注:ママ。]よりして、いたる。

 おもふに、

『深山、しづかなる夜、いづくむぞ、かくあらん。うたがふらくは、これ、鬼神(きじん)ならん。又、おそらくは、盜人(ぬすびと)のありく[やぶちゃん注:「歩く」。]か。』

と。

 高梁(かうりやう)[やぶちゃん注:堂の棟の高い梁(はり)の上。]に、のぼりて、そのなす所を、うかゝふ[やぶちゃん注:ママ。]

 須庾(しゆゆ)にして、門に、をよんで、二(ふたつ)のともしびを、かゝげて、さきに、みちびく。

 首人(しゆじん)[やぶちゃん注:「首魁」。親分。]たるもの、頂(いたゝき[やぶちゃん注:ママ。])に、三山《さんざん》の冠(かふり)を、ちやくし、黃(き)なる袍(うはぎ)、玉(たま)の帶(おび)、高官(かうくわん)の人のごとく、正案前(しやうあんぜん)によつて、座(ざ)す。

[やぶちゃん注:「三山の冠」所持する二〇〇八年明治書院刊の竹田晃他編著の『中国古典小説選」第八巻「剪灯新話」の注に、『古来、朝賀や即位式で被る儀礼用の冠』とある。

「正案前」原作では(二行目下)、『神案』とあるから、この古い堂に祀られた神の神前の礼拝用の机を指す。]

 從者(しうしや[やぶちゃん注:ママ。])十餘輩(《じふ》よはい)、をのをの[やぶちゃん注:ママ。]兵具(ひやうぐ)をもつて、階下(かいか)につらなりおれ[やぶちゃん注:ママ。]り。

 よくみれば、皆、猿(さる)のたぐひなり。

 こゝに、李生、邪魅(ばけもの)たることをしつて、腰の間《ま》の箭(や)をとりて、弓に、はげ、十分に、ひゐて[やぶちゃん注:ママ。]、はなつ。

 正面に座したるものゝ肘(ひぢ)・膝(ひざ)に、あたる。

 声を、うしなふて、はしる。從者(じうしや[やぶちゃん注:ママ。])、一度に退散す。ゆく所を、しること、なし。

 後はしづかにして、また音をきかず。

 李生、かりねして、あしたを、まつに、すでに、夜《よ》、あけぬ。

 そのあとをみれば、血、こぼれて、おほく引(ひき)て、門外にいたる。

 路(みち)にしたがつて、たえず、李生、これを、とめて[やぶちゃん注:「尋(と)めて」。]ゆけば、山の南より、まさに五里にをよばんとす、一《ひとつ》の、おほきなる、穴、あり。

[やぶちゃん注:「五里」明代の一里は五百五十九・八メートルしかないから、凡そ二キロ八百メートルである。]

 血のあと、穴に入《いる》。

 李生、あなの、はたに、のぞんで、下を、のぞけば、草、ふかくしげり、草のね、やはらかにして、なめらかなるゆへ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]に、ふみはづし、おぼえずして、おちいりぬ。

 穴ふかき事、數(す)十丈、天《そら》をあふぎみること、あたはず。

[やぶちゃん注:「數十丈」明代の一丈は三・一一メートル。六掛け六十丈で換算すると、凡そ百八十七メートル前後となる。]

 みづから、

『かならず、死す。』

と、おもへり。

 かたはらに、

『すこしき、みち、あり。』

と、おぼゆ。

 これを、たづねてゆけば、にはかに、あかくして[やぶちゃん注:ぱっと明るくなって。]、一《ひとつの》の、石室(せきひつ)、みゆ。

[やぶちゃん注:「石室」これは自然のものではなく、意図的に作られた石造建物を指す。]

 額、あり、「申陽洞」と記(き)す。

 門を、まもれるもの、數輩(すはい)、そのしやうそく[やぶちゃん注:「裝束」。]、昨夕(さくせき)、堂のまへにみし所のごとし。

 李生をみて、おどろきて、いはく、

「汝(なんぢ)、いかんとして、こゝに、きたるや。」

と。

 李生、礼をなして、こたへて、いはく、

「下衆凡人(げしゆほん[やぶちゃん注:ママ。]じん)、ひさしく城-都(みやこ)に居(きよ)して、醫道(いだう)をもつて業(ぎやう)とす。藥種(やくしゆ)に、ともしきがゆヘに、山に入《いり》て、たづね、とる。すゝみ、きたりて、おほえ[やぶちゃん注:ママ。]ず、足を、あやまつて、こゝに、おちたり。ねがはくは、じひ[やぶちゃん注:「慈悲」。]をたれ給へ。」

 門をまもるもの、いふことをきゝて、よろこぶ色あり。

 李生に、とふていはく、

「汝、すでに醫を業とせば、よく、人のために治療(ぢりやう)せんや。」

 李生がいはく、

「是、やすき事なり。」

と。

 門を、まもるもの、おほきに、よろこび、手をもつて、空をさし、

「天なり、天なり、」

といふ。

 李生、そのびやうじや[やぶちゃん注:「病者」。]のゆらい[やぶちゃん注:「由來」。発症の様態。]を、とふ。

 門をまもるもの、いはく、

「我君(わがきみ)申陽侯(しんやうこう)、昨夕(さくせき)、出《いで》て、あそばるゝに、流矢(ながれや)のために、あてられ、やまひにふして、床(とこ)にあり。汝、しぜん[やぶちゃん注:「自然」。自ずから。]、こゝに、きたる。是、天神(てんしん)、醫をも、もつて、たまものせらるゝなり。」

と。

 すなはち、李生を請(しやう)じて、門中に座(ざ)せしめ、はしりゆきて、此むねを、そうす。

 則(すなはち)、主人のことばをつたへて、李生につげていはく、

「予(われ)、養生(ようじやう)を、よく、せず、みだりに、出《いで》あそび、肱股(ここう[やぶちゃん注:ママ。この文字列では「こうこ」。「股肱」が普通で、「股」は「腿(もも)」、「肱」は「肘(ひじ)」で、「股肱」で「手足」の意となる。漢字の誤刻か。])の毒、骨髓(こつずい)にながるゝことを、えて、殘命(ざんめい)つくるを、まつ。いま、さいわゐ[やぶちゃん注:ママ。]にして、神醫(しんい)きたりて、良藥を服(ふく)することを得べしとは。」

 しかるゆへに、李生を請容(しようよう)す。

 李生、衣(ころも)をかきおさめて、入《いり》、重門(てうもん[やぶちゃん注:ママ。])を、わたり、曲廊(きよくらう)をすぎ、幕際(まくのきは)に、をよぶ。

 裀-褥(しとね)、きはめて、はなやに、うるはしゝ。

 一《ひとつ》の老猿(おいざる)有(あり)て、石の床(ゆか)の上に、のべふす。呻(によふ[やぶちゃん注:「呻(によ)ふ」。苦しそうに呻(うめ)く。])こゑ、たえず。

 美女、かたはらに侍るもの、三人。みな、たえたる[やぶちゃん注:「絕えたる」。絶世の。]色(いろ)にして、うつくしき也。

 李生、主人に、ちかづき、その脉(みやく)を診(しん)じ、その瘡(きず)をなでゝ、いたはるよしゝて、いはく、

「あに、いたみなからんや[やぶちゃん注:ここの反語は、「その傷みは御心配には及びません」の意。]。予、仙術の藥《くすり》あり。たゞやまひを治(ぢ)するのみにあらず、かねて、長生(ちやうせい)すべし。今の、あひあふ事[やぶちゃん注:互いに出逢うことが出来たことは。]、けだし、また、緣(ゑん[やぶちゃん注:ママ。])あるのみ。」

 つゐに[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]、ふくろを、かたぶけ、藥(くすり)を出《いだ》して、これを、ふくせさしむ。

 群猿(むらさる[やぶちゃん注:ママ。])、「長生(ちやうせい)の說(せつ)」を聞《きき》て、長生をえむことを、のぞみ、みな、前につらなりて、拜していはく、

「尊醫(そんい)、まことに、是、神人《じんじん》なり。さいわひ[やぶちゃん注:ママ。]にして、あひあふ。我君、すでに仙藥(せんやく)をえて、命をながくす。我等[やぶちゃん注:「等」は底本では異体字のこれ(「グリフウィキ」)だが、表示出来ないので、正字で示した。後の「等」も同じ。]に、なんぞ、一刀圭(かたなのさきひとすくひ)[やぶちゃん注:三字へのルビ。小刀の先で一掬いしただけの僅かな量。]、たまはることを、えざらんや。」

 李生、つゐに、そのつゝみもてるを、つくして、あまねく、これをあたふ。

 みな、ころびおどり、あらそひ、うばふて、これを、ぶくす。

 群猿《むれざる》、すなはち、にはかに、地に、たふれ、まなこ、くれて[やぶちゃん注:「眩れる・暗れる」で眼が見えなくなって。]、しる事、なし。

 けだし、此毒藥(どくやく)は、獵師たるもの、みな、これをもつて、矢(や)じりにぬり、鳥・けだ物をいるに、たとひ、毛羽(けは)にあたるといへとも[やぶちゃん注:ママ。]、つゐに、毒氣、とをり[やぶちゃん注:ママ。]て、死す。

 いはんや、今、ぢきに、かれらが口にいれしゆへに、たちまちに、たふるゝなり。

 きのふ、李生、山に人《いり》て、鹿をいるゆへに、これをもつて、今、これをもちゆ。

 又、こゝに、寶剱(はうけん)、石壁(せきへき)にかゝりてあるをみて、すなはち、李生、これをとつて、ことごとく、これを、きる。

 およそ、猿をころす事、大小、三十六頭(かしら)なり。

「かの三人の美女、これもまた、ばけたる猿なるべし。おなじくこれを、ころすべし。」

といへば、みな、泣《なき》ていはく、

「我等、みな、人《ひと》にして、猿にあらざるなり。いのちをゆるされば、ふたゝびうまるゝの主(しゆ)たらん。」[やぶちゃん注:「生きて帰られることは、生まれ変わったのと同じことで御座いますから、蘇生の御(おん)主人として、お仕え申し上げます。」の意。]

と。

 李生、ちなみに、その姓名・居所(ゐどころ)を、とふ。

 三女、をのをの[やぶちゃん注:ママ。]つぶさにかたるをきけば、そのひとりは、錢翁がむすめなり。その二女もまた、近里良家(きんりりやうけ)のむすめなり。

 李生、三女を引《ひき》て、おなじく出《いで》んと欲(ほつす)といへとも[やぶちゃん注:ママ。]、その道をしらずして、いきどをり[やぶちゃん注:行くに滞ってしまい。]、まよふところに、たちまちに、老夫(らうふ)、四、五人、きたれり。

 みな、身(み)に褐裘(かはたはころも)[やぶちゃん注:粗末な皮革製の着衣。]を、きたり。ひげ、ながく、頷(をとがひ[やぶちゃん注:ママ。])ほそきものなり。

 つらなりて拜する中《なか》に、白衣(はくゑ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。])のもの、ひとり、すゝむで、いはく、

「我等は、二十八宿のうち、虛星(きよせい)の精(せい)なり。久しく此所《ここ》にあつて、ちかごろ、妖猿(ばけざる)のために、うばゝる。我等、ちから、よはくして、敵たい[やぶちゃん注:「敵對」。]に、あたはず。他方(たはう)にさりて、そのたよりをまつところに、はからざるに、君、よく、われらがために、たいぢし給ふ。」

と、いふて、よろこびて、をのをの[やぶちゃん注:ママ。]袖(そで)の中より、金玉(きんぎよく)のたぐひを出して、李生がまへに、をけり。

[やぶちゃん注:「虛星」中国の天文学・占星術で用いられた「二十八宿」の一つである「虚宿」(きょしゅく・とみてぼし)。当該ウィキによれば、「北方玄武七宿」の第四宿。『距星はみずがめ座β星』で、『主体となる星官(星座)としての虚はみずがめ座β、こうま座αの』二『つの星から構成される』とあり、『虚宿には』十『の星官がある』として、それらが司る対象内容が記してある。先に示した明治書院刊『中国古典小説選」第八巻「剪灯新話」の注には、『ネズミは虚星の精であると言われる』とあった。]

 李生がいはく、

「なんぢら、すてに[やぶちゃん注:ママ。]、神通(じんづう)を、ぐす[やぶちゃん注:「具す」。備える。]べし。なんぞ、すなはち、かれに、あざむかるゝや。」

と。

 白衣(はくゑ)のもの、いはく、

「吾(わが)壽(いのち)、たゞ、五百歲。かれ、すでに、八百歲。こゝをもつて、敵(てき)すること、あたはず。しかるに、群猿(むれざる)、此ときに、めつばうす。けだし、かれら、人をたぶらかし、世をわづらはするゆへに、咎(とが)を天にえて、手を君に、かるのみ。しからずば、かれらがあくしん[やぶちゃん注:「惡心」。原作では『兇惡。』]、あに、君一人して、よく制する所ならんや。」

といふて、よろこぶなり。

 ちなみに、李生、とふて、いはく、

「洞(とう)を『申陽(しんやう)』となづくるは、その儀(ぎ)、いづくか、あるや。」

 白衣のいはく、

「猿(さる)は、すなはち、『申(さる)』のたぐひなり。かるがゆへに、これをかりて、もつて、美名(びめい)をもつてす。我土(わがくに)の旧号(きゆうがう)にあらざるなり。」

 李生が、いはく、

「予(われ)、あやまりて、こゝに、おちいりたり。ねがはくは、歸路にみちびくことを、えさしめよ。」

 白衣(はくゑ)のいはく、

「汝、目をとづること、しばらくせば、歸路を得べし。」

と。

 李生、その、いふがごとくす。

 則(すなはち)、耳(みゝ)のほとりに、たゞ、疾風(しつふう)暴雨(ぼうう)のこゑを、きく。

 声(こゑ)やんで、目をひらけば、一《ひとつ》の大白鼡(はくそ/しろねつみ[やぶちゃん注:ママ。])[やぶちゃん注:右左のルビ。]見(けん/みへ[やぶちゃん注:ママ。])[やぶちゃん注:右/左のルビ。]して、前に、あり。

 

[やぶちゃん注:底本の挿絵の大きな画像がこれ

 

 群鼡(ぐんそ)、豕(いのこ[やぶちゃん注:ママ。])のごとくなるもの[やぶちゃん注:豚の大きさほどの鼠の意。]、數輩(すはい)、これに、したがふ。

 かたはらの古穴(ふるあな)をうがちて、歸路(きろ)に通達(つうだつ)することを、えさしむ。

 李生、すなはち、三女を、ひゐて、ともに出《いで》てかへる。

 しかうして、錢翁が門(かど)をたゝきて、さきの事を、かたる。

 すなはち、錢翁、おほきにおどろき、そのかへる事を、よろこぶ。

 すなはち、もと、いひしごとくに、おさめて、婿となすなり。その二女の家に、また、これに、したがはんことを、ねがへり。

 李生(りせい)、一身(《いつ》しん)にして、三女《さんぢよ》をめとるなり。

 冨貴繁昌(ふうきはんじやう)するなり。

 しかしながら、勇敢のちから歟(か)。

 

竒異雜談集卷第六終

[やぶちゃん注:本篇は後発の「伽婢子卷之十一 隱里」で翻案されているので、是非、読まれたい。

 因みに、底本では奥書に以下のようにある。

   *

     孟春穀日

     江都富野治右衛門 繡

     京上茨木多左衛門 梓

   *]

梅崎春生「つむじ風」(その12) 「雨降る」

 [やぶちゃん注:本篇の初出・底本・凡例その他は初回を見られたい。]

 

     雨 降 る

 

 その日曜日は、朝から雨が降っていた。数百年前から降っているぞといった風情(ふぜい)で、雨は実に平然としとしとと降っていた。

 朝眼を覚ました頃から、猿沢三吉の気持はどんよりとうち沈み、またいらいらといらだっていた。三吉の高血圧体質が湿気を忌むゆえでもあったが、いらだちにはもう一つの原因があった。

 実はその日、真知子を同乗して、多摩川べりにドライブの約束がしてあったのである。いうまでもなくハナコには内緒でだ。ハナコに対しては、近所の同業者と一緒に自動車の披露かたがた、どこか気晴しのドライブに出かけるということにしてある。近所の同業者といっても、いきがかり上泉湯は入らない。

 自動車だから、雨が降ってもよさそうなもんだが、つまりドライブだけでなく、真知子手づくりの弁当持参で、堤の芝生かどこかでのどかにぱくつこうという予定だったから、雨降りではやはり困るのである。

 で、眼を覚ました瞬間、雨の音が耳に飛び込んできたので、三吉はムッとしたふくれっ面で飛び起きた。

「何でえ。今日は晴だという予報じゃなかったか。気象台のウソツキ野郎め!」

 縁側から天をにらみつけながら、三吉は腹立たしげにつぶやいた。

「よりによって、今日みたいな日に雨を降らせやがって。農林省といい気象台といい、近ごろの役人どもはクズばっかりじゃないか。もう税金は払ってやらないぞ!」

 農林省と一緒くたにされては、気象庁も迷惑というものだろう。

[やぶちゃん注:微妙だが、本篇が連載された昭和三一(一九五六)年六月五日に農林省の農業共済団体に対する補助金使い込みを巡る、莫大な横領事件、所謂、「多久島事件」が発覚している。サイト「幻冬舎ゴールドライフオンライン」の『1200万円のはずが…?巨額横領「多久島事件」恐ろしい結末』を見られたい。実際の農林事務官多久島貞信(当時二十六歳)の横領額は当初の農林省の記者会見の金額と異なり、最終的には九千万円を超え、一億円に近いことが判ったとあり、同記事を書かれた記者の実感換算では、現在の十億円相当としておられる。]

 洗顔終って、朝食。

 泉湯とちがって、こちらの家族は大人数だから、食卓もにぎやかである。ハナコ以下四人の娘たちも食欲旺盛で、さかんにかっこむ。

 主食は七三の麦飯で、おかずも普通ありきたりのものばかりだが、家長の三吉のだけはハナコによって特別の配慮がしてある。

 すなわち三吉の朝のおかずは、血圧が高いという関係上、主として海草をもって構成されている。

 血管が硬化するのは、血液中にコレステロールというものがたまるからで、コレステフールがたまるのは、甲状腺ホルモンが欠乏するからで、甲状腺ホルモンを欠乏させないためには、海草を大いに食べる必要がある。つまり海草のヨードは甲状腺ホルモンの原料ということになっている。

 ワカメのみそ汁、コブのつくだ煮、ノリのつくだ煮、焼ノリ、ふりかけノリ、ヒジキ油揚煮付、それに食後にはコブ茶が出るのである。

 毎朝毎朝がそれだから、原則として三吉は朝は食欲が出ないのであるが、ことにこの日は食い気が出なかった。斜めに天をにらみながら、一向に箸が動かない。ハナコがそれを見とがめた。

「御飯をめし上らないで、何をぶつぶつつぶやいていらっしゃるの?」

「いや、なに」

 三吉はあわてて箸をもそもそと動かした。

「こんな天気じゃ遠乗りもとりやめだな。房湯や勝湯たちもがっかりしてるだろう」

「ほんとねえ」

 ハナコも憂わしげに斜めに空を見上げた。

「でも、房湯の且那はオッチョコチョイだから、そんな約束忘れてしまってるわよ。勝湯の且那は禿頭だから、こんな放射能雨にはとてもねえ」

 

 にぎやかな朝飯がすむと、娘たちは口々に、

「ごちそうさま」

「ごちそうさま」

 とあいさつをして、座を立って行く。今日は日曜だから、三根(みね)も五月(さつき)も学校には出かけないでいいのだ。

 茶の間は三吉夫妻のみになった。三吉はつまようじを使いながら、にが虫をかみつぶしたような顔で、コブ茶をまずそうにすすっている。多摩川行きがおじゃんになったのが、残念でたまらないのである。

「はい、お薬」

  ハナコの差出したルチン剤を、蛙のようにぱくりと吞み込み、コブ茶で腹中に流し込んだ。すっかり吞み込んだところを見はからって、ハナコは身体ごとぐいと三吉に向き直った。[やぶちゃん注:「ルチン」(Rutin)は蕎麦や無花果に特徴的に含まれるポリフェノールの一種で、血管強化作用や抗酸化作用がある水溶性ビタミン様物質。]

「ちょっと重大なお話があるんですけどね」

「お話?」

 三吉はぎょっと緊張した。ハナコに開き直られると、若い時から三吉はぎょっと緊張する癖があるのだが、真知子を囲って以来、ことにその傾向がはなはだしいのである。

 亢奮したり、恐怖や不安におちいることが、高血圧症にはもっともわるいとされているが、その点でハナコの開き直りは、折角の朝の海藻食の効果を減殺して余りあった。

「お話とは何だい?」

「なにもあたしが開き直ったからといって」

 ハナコは探るような眼で三吉を見た。

「そんなにびくつかなくてもいいじゃないの」

「びくついてなんかいやしないよ」

 三吉は平気をよそおって、コブ茶の茶碗をとりあげた。

「わしがびくつく理由がないじゃないか。考えごとしていたのに、突然話しかけられたから、ちょっと動揺したんだ」

「何を考えごとしてたの?」

「も、もちろんそれは、判ってるだろう」

 三吉はわざと声を高くした。

「金だよ。建築の費用だよ」

「それはおつらいでしょうねえ」

 単純なハナコはもうそれでごまかされて、声をやさしくした。

「実はねえ、一子(かずこ)のことなのよ」

「一子? 一子がどうかしたのか」

「どうかしたというんじゃないんですがね」

 ハナコはまた三吉に、コブ茶をあたらしく一杯つくってやった。

「どうも様子が変なんですよ」

「どういう具合に変なんだ?」

「今朝だって、あんなおてんば娘が、あまりおしゃべりしないでしょ。その上御飯ときたら、たった三杯――」

「三杯食えば結構だよ」

「だってあの子、この間までは、たいてい朝は六杯か七杯食べてたんですよ。それがこの頃は、たった三杯なんて、どうもおかしいの。何かあるんじゃないかと思うのよ」

「何かって、何が?」

「あたしにも判らないんですよ」

 ハナコも自らコブ茶をすすりながら、

「でも、若い女の子がメシをあんまり食べなくなるのは、大体原因がきまってるわ。あたしも経験がある。恋わずらいよ」

「恋わずらい? あんな子供が」

 三吉は失笑した。自分こそ同じ年頃の女子学生をメカケにしているくせに、我が子のこととなると、まだ子供あつかいにしているのだから、笑止千万である。

 

「あんな子供が恋わずらいだなんて――」

 そして猿沢三吉は笑いを頰ぺたから引っ込め、急に眼を光らせた。

「あたしにも経験があるって、いつお前は恋わずらいしたんだね。誰に?」

 ハナコも嫉妬深いが、三吉もなかなか嫉妬探い。ハナコばかりを批難出来ないのである。

「いやですよ。そんなこわい顔をして」

 ハナコは右手を上げて、三吉をぶつ真似をした。

「誰にって、知ってるでしょ。あなたよ」

「ああ、わしのことか。それならばよろしい」

 三吉は安心したように笑いを取り戻した。当時三吉は三助であり、ハナコは板の間係りの女中さんであった。

「だって一子は、もう二十歳(はたち)よ。数え年では二十二。子供じゃありませんよ」

「数え年で二十二か」

 憮然(ぶぜん)として三吉も腕を組んだ。

「恋わずらいをしているというのは、メシの食い方が減ったというだけか?」

「おしゃべりの度合も減ったし――」

 ハナコは指を折った。

「時には溜息なんかもついているようだし、そうそう、レスリングの練習を一切やらなくなったのよ。身体のためにいいからやりなさいと言っても、気が進まないんだって」

「その程度で恋わずらいとは断定出来ん」

 三吉は腕組みを解き、コブ茶に手を伸ばした。

「恋わずらいというのはだな、相手がなくては出来ないものだ。誰か心当りの男性でもいるのか」

「それがねえ」

 とハナコは首をかしげた。

「外ではどんな友達と遊んでいるのか、よく電話で打合わせて映画なんかを見に行ってるようだけど、さっぱり判らないのよ」

 まさか相手が泉竜之助であろうとは、三吉夫婦も考えてみもしない。実は一子(かずこ)も竜之助も、三吉と恵之助が喧嘩をする以前は、恋仲でも何でもなかったのである。ところがあの喧嘩以来、親たちから口をきいちゃいけないよと厳命されて以来、何かもやもやとしたものが一子と竜之助の胸に発生して、そのもやもやがお互いにぴしゃりとくっついた。

 ムリに引き離そうとしたから、かえってくっついたので、そこらでよく見られる平凡な物理現象のひとつである。

「ねえ、いっそのこと――」

 ハナコは思いつめたような声を出した。

「秘密探偵にたのんで、一子の友達を調べて貰おうかしら」

「うん、それもいいな」

 そして三吉はあわてて手を振った。

「うん、そ、それはダメだ。秘密探偵だなどと、飛んでもない話だ、絶対にいかん!」

 もしハナコが秘密探偵を使い、それが便利なものと知ったら、あるいは三吉にも秘密探偵をつけるかも知れない。その危惧(きぐ)がハツと三吉の胸中をよぎったのだ。探偵によって真知子のことがばらされたら、もう臍(ほぞ)をかんでも追付かない。

「絶対にいかん。な、秘密探偵はいけませんぞ!」

 言葉に千鈞(せんきん)の重みをつけて、三吉は訓戒した。

「はい」

 ハナコはうなずいた。かんたんにうなずいたところを見ると、秘密探偵はその場の思い付きに過ぎなかったのだろう。

 

 午前中、猿沢三吉は鬚(ひげ)をそったり、部屋の中をうろうろしたり、縁側からうらめしげに空を見上げたりしていたが、昼近くになって、ついにたまりかねたように外出の準備にとりかかった。今日は日曜日だから銀行その他も休みだし、外出の口実はないのだが、明日から真知子が学校で忙しくなることを思うと、いても立ってもいられないのである。

 洋傘片手に、そっと玄関を忍び出ようとしたところを、三吉はハナコに見とがめられた。

「どちらにいらっしゃるの。こんな雨降りに?」

「うん。ちょっと、か、上風タクシーまで」

「またどこか故障したの?」

「うん。クリーナー[やぶちゃん注:ワイパー。]の具合が悪いんだ。早く直しておかないと、いざと言う場合に困るからな」

 自動車についての知識はハナコは皆無なので、外出の口実には持ってこいだ。

「そう。よく故障するのねえ。では行ってらっしゃい」

 あやうく虎口をのがれ、三吉は洋傘をかざし、ギャレージまで小走りに走った。

 クリーナーの具合は実際に悪かった。そのために雨の街を、三吉は眼を皿のようにして、のろのろと運転せざるを得なかった。

 上風社長は日曜でも出勤していた。三吉の話を聞くと、立ち上って窓をあけ、れいの如く大声でわめき立てた。

「修繕部の野郎ども。猿沢さんのクリーナーの具合が悪いそうだ。即刻修理、かかれっ!」

 窓をしめて社長卓に戻りながら、上風はにやりと笑った。

「わざわざ雨の日に、クリーナーの修繕に来るとはおかしいじゃないか。さてはなんだな、これを外出の口実にしたな」

「えへへ」

 図星をさされて、三吉は照れ笑いをした。

「もしハナコから電話があったら、そうだな、午後五時までに電話があったら、只今修理中だと答えて呉れよ。そして猿沢氏は退屈して、近所にお茶を飲みに行ったってな」

「クリーナーぐらいの故障で、五時までかかるのは不自然だぜ。ばれはしないか」

「大丈夫だよ。ハナコはクリーナーとは何であるか知っていないのだ。ごまかせるよ」

「大丈夫かい」

「ああ、それから番号札がすこし歪んでいる。そいつも直すように言って呉れ」

 上風社長はまた窓に歩き、修繕部の野郎どもに荒っぽい号令をかけた。

「あっ、そうそう」

 卓に戻って椅子をギイと鳴らしながら、上風は言った。

「番号札といえば、あれはいつだったっけな、あの番号の車はお宅のかと、妙な男がたずねて来たよ。十日ほど前だったかな」

「あの番号? 三の一三一〇七か」

「そうだ。だからその車は、猿沢三吉氏という風呂屋の大将にゆずったと、答えておいたんだがね」

「どんな男だった?」

「なんだかぼやっとした男だったよ。そうさな、年の頃は四十か、その前後だよ」

「何のためにそんなことを調べるんだろう?」

「うん。僕も訊ねてみたんだが、もごもごとごまかして、逃げるようにして出て行ったよ」

 窓の外から野郎どもの声がした。

「猿沢さんの修繕、終りました。乗車用意、よろしい!」

 

 雨の中をふたたびぼろ自動車に乗りこみ、猿沢三吉はアクセルを踏んだ。自動車は動き出した。クリーナーも今度はかたりかたりと気持よく動いた。

(わしの番号の車を、どこの誰が、何でしらべに来たのだろう)

 一分一秒がもったいない気持になっているので、三吉はかなりのスピードですっ飛ばした。『雨の日は事故が多い』という立札が、街のあちこちに立っていたが、三吉のその気分をおさえるには何の役にも立たなかった。三吉の自動車の四つのタイヤは、泥水につっこみ飛沫をとばし、通行人をへきえきさせ、中には大げさな悲鳴を上げる婦人などもあった。

「ざまあみろだ」

 三吉は快心の徴笑を頰にうかべた。三十年前、新調の洋服に泥水をあびせられた当時とちがい、今度はこちらが自動車の乗り手なのだ。しかも行先が妾宅ときている。笑いがこみ上げて来ざるを得ないのである。

 十分の後、三吉の自動車は富土見アパートについた。別段富士山が見えるわけではないが、そういう名がついている。横丁の電信柱のそばに駐車。三吉は玄関で洋傘をたたみ、しずくを切った。

 真知子の部屋は二階にあった。すなわちエッサエッサと階段をのぼり、ほとほとと扉をたたく。中から声がした。

「どなた?」

「わしだよ」

「ああ、おじさま」

 ノブを廻して三吉は入った。小さな声でアッと声を立てた。部屋の中は真知子ひとりでなく、若い男が一人坐っていたからである。真知子とその男は、勉強机をはさみ、おでこをぶっつけ合わせそうな恰好で坐っていた。男は学生服を着用していた。

「じゃ、おれ、失礼するよ」

 三吉の顔を見ると、若者は机上の本やノートを鞄にしまい、ごそごそと立ち上った。

「じゃ、明日、学校で」

「バイバイ」

 真知子は手を振った。若者は三吉のわきをすり抜けるようにして出て行った。あけはなたれた扉を、三吉は仏頂面になってガシャリとしめた。

「誰だね、あれは?」

「学校の友達よ」

 真知子も机の上をがさごそと片づけた。

「卒論の打ち合わせをしてたの」

「ソツロン?」

「ええ、卒業論文のことよ。あの人も明治文学をやるというし、あたしも明治文学でしょう。だから相談してたのよ。あたし、やはり、樋口一葉(いちよう)にしようかしら」

「一葉でも三葉でもよろしいが――」

 ふてくされたような恰好で、三吉は部屋の真中にどさりと坐った。

「わしはおなかがすいた」

「弁当、出来てるわよ」

 真知子は食器戸棚から折詰弁当を二つ取り出した。

「雨だったけど、もしかすると晴れるかも知れないと思って、今朝つくっといたの」

「ほう。ほほう。それはありがたい」

 三吉はたちまち機嫌を直して、相好をくずした。

 真知子は折畳式食卓の脚を立て、弁当を二つならべながら、三吉の顔をななめにのぞき込んだ。

「今月分のもの、持ってきて下さった?」

 

 猿沢三吉はちょっとばかり渋い顔をした。金を渡す日が近づいてくると、急に真知子のサービスが良くなる。そのことも気に入らなかったのだ。

「今日は半分だけ持ってきた」

 三吉は内ポケットから五千円入りの封筒を取り出した。

「あら。たった半分?」

 真知子は失望の声を上げた。

「あたし、予定があったのよ。一葉にきめるなら、一葉全集も買わねばならないし」

「わしんとこも困っているんだよ」

 三吉はがさごそと折詰弁当を開いた。黒ゴマがけの飯、肉やタケノコや椎茸(しいたけ)などの煮付や魚の照焼(てりやき)、それが旨(うま)そうにごちゃごちゃとかたまっていた。

「知ってるように、うちも新築の最中だろう。とても金がかかるんだ。この五千円だって、湯銭を少しずつくすねて、ためたものなんだよ」

「くすねなくっても、堂々と持ってくればいいじゃないの。あなたが主人でしょ」

「そ、そういうわけには行かん」

 三吉は割箸を割って、むしゃむしゃと食べ始めた。真知子もお相伴(しょうばん)をした。上は天井だし窓の外は雨だし、とても好天気の多摩川べりには比較すべくもなかったけれども、

 一応しみじみとした感じが出て、弁当もうまかった。三吉は夢中でむさぼり食って、おなかを撫でた。真知子がお茶を持ってきた。

「一万円なんかもったいないって、そう思ってらっしゃるんでしょ」

 封筒を机のひき出しにしまいこみながら、真知子はずるそうに笑った。

「おじさまって人は、大元のところではケチなのよ。さっきの友達にも、あなたのことを話したら、ケチな且那だなあ、なんて批評してたわ」

「だ、だんなだと?」

 三吉は思わず少量の茶を卓にこぼした。

「あんたとわしの関係を、友達に話したのかい?」

「そうよ。なぜ?」

「あんたが二号で、わしが且那ということを、はっきりと話してあるのか?」

「そうよ。皆に話してあるわよ」

 真知子はいぶかしげに三吉の顔をのぞきこんだ。

「アルバイトだもの。何もかくし立てすることはないわ」

「ア、アルバイトって、では、アルサロにつとめてるのと同じか?」

「そうよ。それによってあたしは、学問してるんだもの。うちがああなったんだから、当然だわ」

 真知子の実家は九州にあるのだが、学なかばにして、親爺の工場がつぶれた。そこで真知子は、学業を中止するか働きながら続けるか、その二つの中の後者をえらんだのである。真知子はけろりとして言った。

「アルサロよりこちらの方が、身体がラクでいいわ。暇だから勉強は出来るし、収入は多いし。友達もうらやましがって呉れるのよ」

「ふうん」

 三吉はうなった。感心すると同時に、何やら腹立たしくなってきた。アルバイトだと割り切っているから、献身的な愛情を示さないんだな。そう思うと、この小癪(こしゃく)な人生観をぎゅっと踏みつぶしてやりたい衝動が、三吉にむらむらと湧きおこってきた。

「ふうん。そう言えば月一万円とは、もったいないような気がする」

 

 月一万円はもったいないとは、ふざけや冗談でなく、猿沢三吉のいつわらざる本音であった。

「そうでしょ。そうだろうと思った」

 真知子は手早く折詰のからを片づけながら、勝ち誇ったように言った。

「そぶりなんかで判るわよ。でも、どうしてそんなケチなことを考えるの?」

 考えるなと言っても、三吉も商人である関係上、どうしても原価計算的考え方をせざるを得ないのである。

 前にも書いたように、妾の真知子は授業や卒論や部活動などで多忙だし、且那の三吉も新築その他で多忙だし、それにハナコの眼をごまかさねばならぬという悪条件があるし、逢う瀬の時間も短い時は五分ぐらい、長くても二時間か二時間半くらいなもので、それも毎日というわけではないのであるから、一万円を月の延時間で割ると、途方もなく高いものについているのである。

 一人頭十五円という零細な金額を蓄積して、それからごっそりと真知子に納入するのだから、三吉としても身を切られるようにつらい。一万円に相当する真知子のサービスがあればまだしもだが、三吉の見積りによれば、彼女のサービスは月にしてせいぜい二千円か二千五百円どまりのものであった。

「ケ、ケチで言うわけじゃないが――」

 番茶をすすりながら三吉は提案をした。

「わしがあんたと逢う時間は、一日にならすと、ごくわずかなもんだ。わしにはその余った時間が、もったいなくて仕様がない」

「もったいないって、これはあたしの時間じゃないの」

「そうだ。あんたの時間だ。あんたの時間だから、あんたがあのアルサロに復帰して、そこで稼ぐとしたらどうだろう」

「稼いでどうなるというの?」

 エヘンと三吉はわざとらしいせきばらいをした。

「あんたが稼ぐ。その分だけわしの月々のものを、減らして貰えんかね。つ、つまり、月に四千円か五千円ぐらいに」

「まあ呆れた」

 真知子は両手を上げて、参ったという表情になった。

「それじゃトクをするのは、おじさまだけじゃないの。ソンはあたしの方だけ」

「いや、なに、トクというほどじゃない。それが相場というもんだよ」

 そして三吉は思いやりありげな顔つきになった。

「あんたの全時間を、わしは独占しようとは思わない。それは男のわがままというもんだ。だからご遠慮なくアルサロの方ヘ――」

「イヤですわ!」

 真知子は甲(かん)高い声で開き直った。

「アルサロなんかまっぴらだわ。あそこは空気が悪いし、時間にはしばられるし、勉強なんか出来やしないわ」

「でも、わしの方も、いろいろ費用がかかって、このままで行けば破産ということになるかも知れん」

 三吉はおどしの手を用いた。

「わしから無理矢理一万円とり上げて、破産させるより、五千円ずつにして末長く、といった方があんたにもトクじゃないか」

「末長くなんてまっぴら。卒業までよ」

「でもこのわしが、五千円しか出さないとすれば、どうする?」

「おばさまのところに、いただきにあがるわよ!」

 

「おばさまに?」

 猿沢三吉はたちまち仰天、番茶にむせてせきこんだ。

「そうよ。おばさまよ。だってあたし、月々一万円なくちゃ、勉強が続けられないんだもの」

「おばさまって、あれ、どんな性格の人物か、あんたは全然知らないだろう」

 三吉はおろおろ声を出した。真知子がハナコに金を請求に行く。その場面を想像しただけでも、三吉は身慄いが出るのである。

「レスリングを練習してんだよ、レスリングを。飛んでもないことを言って呉れるな。そんなことをしたら、あんたは半殺しの目にあうよ。あんただけでなく、このわしもだ」

 ふふん、といった顔つきに真知子はなった。

「そんなにこわいの。じゃあ渋ったりしないで、月々一万円出すことね。それが一番よ」

「そ、そこをなんとか――」

「あたしは半殺しにされても平気よ」

 真知子の態度は、すこしずつふてぶてしくなって来た。

「半殺しにされたら、それ相当の賠償がとれるわ。法律というものがあるんですからね。おばさまのレスリング振りを見たいもんだわ」

「そ、そんな――」

「今日だって五千円しか持って来なかったのは、あわよくば値切ろうという魂胆だったんでしょう」

 真知子は三吉をにらみつけるようにした。

「そんな虫のいいことが通るもんですか。あと五千円は、いつ持ってくるの?」

 値切りの魂胆を見抜かれて、三吉は狼狽の色を示した。

「そ、それは、そのうちに――」

「ダメ! 明日いっぱいに持って来なきゃ、あたし、おばさまのところに押しかけるわよ。いいわね」

「あんた、わしを脅迫する気か」

 三吉は両手の指を曲げて、残り少なの頭髪を絶望的にかきむしった。

「ああ、わしは何と不幸な人間だろう。わしにはメカケを囲うような資格も甲斐性もなかったんだ。もうメカケは要らない。家庭に引き退ろう[やぶちゃん注:「さろう」。]」

「そんな身勝手な話がありますか!」

 真知子は憤然ときめつけた。

「おじさまがあたしを必要としないでも、あたしがおじさまを必要としているのよ。卒業までは金輪際(こんりんざい)離しませんからね。そのかわり、卒業出来たら解放して上げるわ」

「あたりまえだ」

 三吉はうめいた。

「そんなにつきまとわれてたまるか」

「だからあんまりわたしの勉強の邪魔をするんじゃないことよ」

 真知子は勝利の微笑をもって宣言した。

「勉強の邪魔をしたら、あたしは勉強不足で落第をする。落第をすれば、それだけ解放の時期が遅れるのよ」

「早く卒業して呉れ」

「勉強にはあのことが一番悪いのよ、あのことが。だから、おじさまがあまりしつこくすると、あたし、わざとでも落第してやるわ」

「そんなムチャな――」

 その時扉が外からほとほとと叩かれた。三吉はぎょっとして、扉の方をふり返った。声がした。

「猿沢三吉さんって方、いらっしゃいますか」

 

 その瞬間、猿沢三吉はぎょっとして、背筋がちぢみ上った。

 この部屋の借主は真知子名義になっているし、猿沢三吉がここにいることを知っているものは、誰もいない筈である。それなのに名を呼ばれたんだから、三吉がちぢみ上るのも当然だろう。

「誰?」

 真知子が訊ねた。声が答えた。

「猿沢さんって方にお電話ですよ」

「電話?」

 三吉は反射的にピョンと飛び上り、扉口へ横っ飛びに飛んだ。廊ドには富土見荘の管理人がのんびりと立っていた。

「電話って、誰から?」

「名前はおっしゃいません」

「わしがいると言ったのか?」

 管理人はうなずいた。三吉は不安に胸をとどろかせながら、管理人の先に立って階段をどたどたとかけ降りた。

(ハナコであったらどうしよう)

(どうしてここがハナコに知れたのか)

 三吉の心臓はシンバルのように鳴りとどろき、血圧もとたんに三十や四十は上った模様である。はあはあと呼吸をはずませながら、三吉は受話器にとりついた。

「もしもし、もしもし」

「猿沢君かね」

 太い落着いた男の声が戻ってきた。

「僕だよ。上風だよ」

「なあんだ。上風君か」

 三吉はハンカチを取り出して、額の汗をごしごしと拭いた。

「驚かせるなあ。わしはまた、ハナコからじゃないかと思って、胸がどきどきしたよ。一体の用事だい?」

「奥さんから電話があったんだよ」

「え? ハナコから?」

「うん。なにか大変なことが出来たそうだ。直ぐ帰って来いって」

「わしがどこにいると答えた?」

「退屈して近所にお茶を飲みに行った、と言っといたよ。今からすぐ自動車で戻って、うまくつじつまを合わせるんだな」

「うん」

 三吉は口ごもり、何か問い返そうとした時、電話はがちゃりと切れた。そこで三吉も余儀なく受話器を置き、本式に顔中の汗をごしごし拭いた。ハンカチはしぼれば、したたらんばかりに濡れた。

「ああ、全く驚かせやがる!」

 わくわくした反動で今度はしょんぼりとなり、三吉は悄然として階段を登った。あまりの激動に、心身ともに疲れ果てたのである。

 真知子は鏡に向って口紅を塗っていた。

「何の電話だったの?」

「うん。うちに何か事件がおこったらしいんだ」

「うちからかかったの?」

「いや、上風君からだ。残念だが、今日はもう帰ることにしよう」

「帰るの。まあ、残念だわ」

 真知子はとたんに身をくねらせ、三吉に飛びついて、三吉のおでこにチュッと接吻した。残念であるよりも、それはむしろ嬉しげに見えた。

「おじさま。明日も来てね」

 真知子は三吉の耳に口をつけてささやいた。

「残り五千円を忘れないでね。あたし、猛勉強をして、きっと見事に卒業してあげるわ」

 

「そのかわりに、浮気なんかしちゃ、ダメだぞ」

 扉口で振り返って、猿沢三吉は最後に念を押した。さっき勉強しに来ていた男の学生の姿が、どうも怪しいものとして、チラチラと三吉の脳裡から去らないのである。

「大丈夫よ」

 真知子は肩をすくめてせせら笑った。

「浮気するぐらいならあたし、さっさと二号をやめるわよ」

「本当だね」

 三吉は扉を背にして、せかせかと廊下を歩き、階段を降りた。雨の中をぼろ自動車にかけこみ、アクセルを踏んだ。

 来る時と同様のスピードで、通行人に泥水をようしゃなくあびせかけながら、三吉の車は疾走したが、そのことによって今度は三吉の心は少しもなぐさまなかった。泥水をはね飛ばすためにスピードを出しているのではないからである。

(大変なことが起きたって、またいつものハナコの人騒がせだろう)

 ハナコは昔から、何でもないことを、やいのやいのと騒ぎ立てるくせがある。折角の日曜日、真知子も学業は暇だというのに、折詰弁当を共にぱくついただけで、あとは何もせず、接吻をひとつ貰っただけで、すごすごと帰りつつあることを思うと、三吉は腹が立って腹が立って、はらわたが煮えくりかえる思いであった。

(しかも、あの真知子のやつも、近頃急に手ごわくなってきたな。どうもわしにはアプレの気持は判らない)[やぶちゃん注:「アプレ」アプレ・ゲール(フランス語:après-guerre :「戦後」の意)の略。戦後、特に第二次大戦後に育った、昔からの考え方や習慣に捉われない人たちをいう。そのうち特に退廃的で、無責任で割り切った考えや行動をとる者、或いは、基礎的な知識が身についていない者などに対して、非難の気持をこめて使う場合が多い。フランスでは第一次大戦後に、戦前の文化に対する青年の反逆が起こり、広がって、この語が一般的となった。本邦では、第二次大戦後の昭和二二(一九四七)年、『近代文学』に拠る青年作家が自らの小説双書に、この名称を冠したのが始まりで、野間宏や埴谷雄高ら戦後に出てきた新人作家たちを指した(当然、梅崎春生もその一人)。その後、それまでの価値観と異なった行動をする若い人たちの意味に転じ、昭和二十年代の数年間、盛んに使われたが(ここまでは主文を小学館「日本国語大辞典」に依拠した)、この連載の頃には半ば死語と化していた。]

 メカケというものは、今までの通念では且那の道具なのだが、真知子は学業を完遂するために、逆に三吉を道具視している趣きがある。その学業に対する異常な執念が、三吉にはよく理解出来ないのである。男の学業を貫徹させるために、女が遊里に身をおとすというのは昔からよくある例だが、この場合はその逆ではないか。

(勉強にはあのことが一番さまたげだなんて、何てえ言い草だ。それじゃあわしは一体何のために、月々の手当を出してるんだ!)

 三吉はぷんぷんに腹を立てながら、乱暴にハンドルを切った。

(卒業するまでは、ダニのようにわしに吸いついて、離れないつもりらしい。何たることだ!)

 自動車はスピードをおとして、上風タクシー会社の構内にがたごとと入って行った。停車すると、三吉の肥った身体は鞠(まり)のように飛び出し、やがて社長室に入って行った。上風社長ははさみをチョキチョキ鳴らして、相変らず顎鬚(あごひげ)の手入れに余念がなかった。

「やあ。早かったな」

 上風は手を休めて言った。

「直ぐ帰ったがいいよ。今また奥さんから電話がかかったとこだ」

「え。またかかった?」

 三吉はくるりと廻れ右をして、部屋を出て行こうとした。

「そりゃ早く帰らなくちゃ」

「おい、おい。待てよ。待ちなさい」

 上風はあわてて呼びとめた。

「おでこに口紅がついてるよ。そのままで帰るのかい?」

「口紅?」

 三吉は方向を変えて壁鏡の前に立った。おでこにはくっきりと、唇の形そのままに、口紅が印されていた。三吉は大狼狽した。

 

 猿訳三吉の自宅は、第一・三吉湯に隣接して建っているが、妻のハナコは先ほどから茶の間で立ち上ったり坐ったり、廊下に出て見たり、眉を八の字に寄せて、いらいらと落着きがなかった。これで何度目かの険しい声をはり上げた。

「一子(かずこ)に二美。まだお父さんは戻って来ないかい?」

「まだのようよ」

 子供部屋から二美の声が戻ってきた。一子の声はしなかった。一子は自分の机に頰杖をついて、憂鬱そうな眼で雨空を見上げていた。

 子供部屋は六畳の広さで、机が二つ置かれ、一子と二美の共用と言うことになっている。若い娘たちの居室らしく、壁には映画俳優の写真などがべたべたと貼ってある。一子は空を見上げたまま、ぽつんとひとりごとを言った。

「竜ちゃん。今頃何をしてるかしら」

「ほんとにお姉さんって可哀そうね」

 二美が一子の肩に手をかけてなぐさめた。

「この間まで、竜ちゃんとは、何でもなかったんでしょ。それなのに、今頃になってねえ」

「そうなのよ。お父さんから、竜ちゃんに会ってもそっぽ向けって言われて以来、あたしの胸はにわかに燃え立ってきたのよ。二美はまだ子供だから、その気持、判らないだろうけど」

「判るわよ!」

 姉の肩から手を離して、二美は胸を反らせた。胸を反らすと、なるほど、胸のふくらみがセーター越しにあらわな形を見せた。

「あたしだって、もう間もなく、十七だもの」

「竜ちゃんもそう言うのよ」

 姉は妹の胸のふくらみを燃殺して続けた。

「竜ちゃんもお父さんたちの喧嘩まで、あたしのことをなんとも思ってなかったんだって。泉の小父さんも竜ちゃんに、あたしたちと口をきいちゃいけないって、厳命したそうよ。近頃はどこのオヤジも、頭がお粗末なのねえ。そんなことをするから、竜ちゃんだって燃え立つんじゃないの。ねえ」

「お母さんが何かかんづいてるらしいわよ」

 二美は声をひそめた。

「お姉さんに近頃変ったことはないかって、あたしに探りを入れてきたわ。昨夜」

「竜ちゃんのこと、しゃべらなかったんだろうね」

「しゃべらないわよ」

 二美は双の腕で自分の胸を抱いた。

「あたし、悲恋というやつが、大好きなんだもの」

「ナマイキ言うんじゃないよ」

 姉は眉を寄せて妹をたしなめた。

「あたしがどんな風(ふう)に変ったって、お母さん言ってた?」

「御飯を、三杯しか食べないから、変だって」

「二十(はたち)にもなって、御飯を六杯も七杯も食べられますかってんだ」

 一子は唇をとがらせて、伝法な言葉使いをした。[やぶちゃん注:「伝法な」「でんぽう」は種々の意があるが、ここは「いなせなこと。勇み肌であること。また、その者や、そのさま。多く女性について用いる、それ。]

「あたし痩せようと思って、ムリして減食してるのよ。だって竜ちゃんは、背高のっぽのひょろひょろでしょう。あたしがぶくぶくじゃ、つり合いがとれないもの。竜ちゃん、ボディビルやってるけど、あまり効果ないらしいのよ」

「おや、自動車の音?」

 二美は聞き耳を立てた。車庫に入る自動車の音がする。二美は両掌をメガホンの形にして、茶の間の母親に呼びかけた。

「お母さん。お父さんが帰ってきたわよう」

 

 玄関の扉をあけて、猿沢三吉があたふたと入ってきた。ハンカチで汗を拭いながら、茶の間に急行した。おでこに印された真知子の口紅は、上風会社でちゃんと拭き取ったので、痕跡すらとどめていない。もっとも、とどまっていたら大変だ。

「あなた」

 ハナコは三吉に呼びかけた。

「大変よ。大変なことがおきたわよ」

「何が大変だ?」

 三吉はハナコの表情から、何かを読み取ろうとするように、眼をぎょろぎょろさせながら、どしんと大あぐらをかいた。真知子のことでないらしいと見当はついた。

「お前の大変は、毎度のことだからなあ。一体何事だい?」

「泉湯さんで、いや、泉湯で、テレビに電蓄を入れたらしいわよ」

「なに? テレビを?」

「今日お客さんが、三吉湯もテレビぐらい置いたらどうだって、そう言うのよ。だからあたしが、ラジオやテレビなどのサービスは、一切遠慮するという組合の申し合せを説明して上げたの。するとそのお客さんはせせら笑って、泉湯じゃ一週間ぐらい前から、テレビを入れてるんだって」

「ううん」

 三吉は腕を組み、額の静脈を怒張させてうなった。

 泉湯がテレビを入れたとは、話はかんたんだが、ことは重大である。組合の申し合せを破棄してまで、テレビを設置したという泉恵之助の魂胆は、三吉にはピンと響いてくるのである。それは新築の三吉湯への対抗策、あるいは苦肉の一策に違いなかった。苦肉の一策というよりも、それは宣戦布告に近かったのだ。

「テレビとはやりゃあがったな。あの背高のっぽのくそ爺! では、こちらもテレビを――」

 と言いかけて、三吉は口惜しげに居をかんだ。敵の泉湯は一軒だから、テレビは一台で済むが、こちらは三軒、新築を入れると四軒で、一台はハナコの手持ちを出すとしても、あと最低三台は仕入れなければならぬ。新築で金が要(い)るというのに、またテレビを三台とは、そうおいそれと金の都合はつかないのである。三吉はハナコの顔を探るように見た。

「もうお前、ヘソクリはないだろうね?」

 もうせん新築場の敷地分をへそくっていたんだから、まだその余りがありはしないかと、三吉は望みをつないだ。

「もうないわよ」

 ハナコはそっけなく拒絶した。

「山内一豊の妻以来、女房のヘソクリ提出は、一ぺんこっきりに決ってますよ。あとは亭主の甲斐性(かいしょう)の問題ですよ」

「それもそうだ」

 道理を説かれて、三吉はしょんぼりとなった。女房から申斐性を云々されるほど、亭主にとってつらいことはないのである。

「畜生奴? しかしあいつも、組合の申し合せを破ったからには、相当な覚悟をしたと見えるな」

 あの新築場における口角泡を飛ばしてのののしり合い、泉恵之助の形相(ぎょうそう)などを、三吉はありありと思い起した。すると三吉の闘魂はにわかに振るい立った。ハナコが言った。

「組合に提訴したらどう?」

「ダメだ」

 三吉は言下に答えた。

「そうすればあいつは、組合を脱退するに違えねえ」

 

 廊下から次女の二美が顔を出したので、三吉夫妻は口をつぐんだ。

「おやつはまだ? あたし、おなかがぺこぺこよ」

「ぺこぺこだなんて、お昼もあんなに食べたじゃないか」

 二美をたしなめながら、ハナコは時計を見上げた。

「じゃそろそろおやつにしましょう。あなたもおなかぺこぺこでしょう」

「わし? うん。わしは大丈夫だ」

 真知子手製の折詰弁当をたらふく平らげたのだから、まだおなかが空(す)く筈がない。

「だって朝半膳しか食べなかったじゃないの。どこかで召上ったの?」

「うん。クリーナーの修繕を待つ間、上風会社の近所で食べた」

「何を召上ったの?」

「ト、トンカツだ」

 頭に浮んだ食物の名を、三吉はとっさに口にした。

「割においしいトンカツだったよ」

「はて。上風会社の近くに、そんなうまいトンカツ屋なんかあったかしら」

「うん、なに、小さな店だよ」

 三吉はさりげなくごまかした。

「あぶら身がたっぷりついてて、値段も割に安かった」

「あぶら身のとこなら、安いに決っていますよ」

 ハナコはおやつの用意をしながらきめつけた。

「それに脂肪分は、高血圧に一番悪いんですよ。これからお昼はソバになさいよ、ざるソバに。判ったわね」

 チャブ台に塩せんべいが山と出され、お茶が入れられた。三吉の分はれいの如くコブ茶である。一子(かずこ)も子供部屋から茶の間にやってきた。しばらくは茶の間の中は、塩せんべいをパリパリと嚙む交響の場と化した。パリパリと嚙んでいるのは女どもの歯だけで、三吉は黙然かつ悄然、コブ茶を不味(まず)そうにすすっていた。泉湯のテレビに対抗する方法を考えていたのである。

「ねえ。この自宅(うち)のテレビ――」

 パリパリ交響楽が一段落を告げた時、三吉は口を切った。

「あれを第一・三吉湯の方に廻して貰えんかねえ。そうするとたすかる」

「うちのを風呂場に廻すの? どうして?」

 二美がいぶかしげに言った。

「じゃあたしたちは、見ることが出来ないじゃないの」

「板の間に行って見ればいい」

「そんなこと出来るもんですか」

「只今のところ風呂屋が三軒、男湯と女湯に入れてテレビが六つ」

 ハナコが口をはさんだ。

「六つ要るというのに、うちのを一つ持って行ったって、焼石に水ですよ。それにうちのテレビがなくなると、一子も二美もたのしみがなくなって、夜遊びばかりするようになりますよ」

「そうよ。そうよ」

 と二美が相槌(あいづち)を打った。一子はうつむいてお茶を飲んでいる。夜遊びという言葉が痛かったのだろう。

「なぜテレビを風呂場に置く必要があるの?」

「サービスだ。客寄せのためだ」

「それならテレビより、お父さんの好きな将棋を置いたらどう?」

 

「将棋?」

 猿訳三吉は眉を上げ、とんきょうな声を出した。

「そうよ。将棋盤に将棋の駒。いくら上等のものを仕入れたって、値段の点でテレビとは問題にならないわよ」

 二美は胸を張った。得意になって胸のふくらみを誇示した。

「それに、泉の小父さんとの喧嘩の原因も、将棋からでしょ。風呂屋にテレビなんか、ぜいたくよ。将棋でたくさん」

「その方が安上りね」

 ハナコも賛意を表した。

「将棋好きのお客さんが集まるでしょう」

「うん、将棋か」

 三吉は低くうなって腕を組んだ。新築費もあるし真知子のこともあるし、当分テレビなんか仕入れ出来そうにもない。月賦や日賦販売もあるが、六台とまとまると相当の出銭になるのだ。

「そうだな。将棋でひとつやってみるか。将棋でつないでいるうちに、第四・三吉湯が完成する。第四湯は泉湯にもっとも近い。そこヘテレビを入れれば、こちらの方が新しいし、泉湯の客はこちらにごそりと移ってくるだろう」

「そうね。それがいいわ。そして早く第四・三吉湯をつくり上げなきゃね」

 金の調達がスムースに行かないので、新築の進行もこの頃、ちょっと停滞気味なのである。

「ええと――」

 コブ茶をごくりと飲み干して、三吉は腰を浮かせた。

「将棋盤はうちに一面あるし、するとさしあたり、あと五組買えばいいんだな」

「女湯の方には置いたって仕方ないでしょ。女は将棋をささないから」

「アッ、そうか」

 三吉は頭をかいた。

「すると、二組か。今からちょっと出かけて、買って来よう。思い立ったが吉日だ」

「あまり雨に濡れたりしないでね」

 三吉の頭の中央のつるつるに禿(は)げた部分を、ハナコは心配そうに眺めやりながら言った。

「アメリカがまた無断で、原爆か水爆かの実験したらしいわよ。今朝また異常気圧が観測されたってさっきラジオが言ってたわ。きっとこの雨にも放射能が含まれてるわよ」

「またアメリカの奴がやりやがったか!」

 三吉は空を仰いで長嘆息した。

「一体アメリカの奴は、日本を何と思っているんだろう。日本の政府も全くだらしがないな」

「ほんとよ。今の政府なんて、アメリカ旦那のメカケみたいなものよ」

 ハナコも激昂の気配を示した。

「まるでメカケみたいに、へいこらして、言いなり放題になってるのよ。沖繩問題にしたってそうでしょ。腹が立つったら、ありゃしない」

「メカケといっても、近頃のメカケは、そうへいこらもしてないよ」

 そして三吉はあわてて言い直した。

「してないらしいよ。かえって且那をやっつけるようなメカケもいるらしい」

「ほんとにやっつけて貰いたいわね」

 激昂のあまりにハナコは、つい三吉の失言を聞き流した。

「あなたの頭はつるつるですからね。放射能雨のしみこみも早いわよ。用心してね」

[やぶちゃん注:「アメリカがまた無断で、原爆か水爆かの実験したらしい」本篇連載時のそれは、「レッドウィング作戦」(Operation Redwing)。第十七次の核実験で、一九五六年の五月から七月にかけて行われた。実験は全てビキニ環礁及びエニウェトク環礁で行われた。]

2023/07/15

奇異雜談集巻第六 ㊁干將莫耶が劔の事

[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい。

 因みに、本篇は、前回と同じ仕儀がなされてある。則ち、冒頭にある漢籍の原著「祖庭事苑」(字典。八巻。宋の睦庵善卿撰。一〇九八年から一一一〇年にかけて刊行された。「雲門録」などの禅宗関係の図書から熟語二千四百余語を採録し、その典拠を示して注釈を加えたもの)からの和訳である。私には、この話、とても懐かしいもので(リンク先で語っている)、二〇一七年で正字化に不全があるのだが、『柴田宵曲 續妖異博物館 「名劍」(その1)』の注で、原文と、私の訓読を示してあるので、まずは、それを参照されたい。

 本文中に漢詩が出るが、返り点のみを附し、後に〔 〕で読み・送り仮名を参考に訓読文を示すこととした。

 なお、高田衛編・校注「江戸怪談集」上(岩波文庫一九八九年刊)では、これ以降は総て掲載されていない。]

 

   ㊁干將(かんしやう)莫耶(ばくや)が劔(つるぎ)の事

 干將・莫耶が劔の事、「祖庭事苑(そていじゑん)」に見えたり。いま、心をとつて、やはらげて[やぶちゃん注:「和訳して」の意。]、こゝにしるす。

[やぶちゃん注:「祖庭事苑」仏教系の字典の一種。全八巻。宋の睦庵善卿撰。一〇九八年から一一一〇年にかけて刊行された。「雲門録」などの禅宗関係の図書から熟語二千四百余語を採録し、その典拠を示して注釈を加えたもの。]

 むかし、楚国(そこく)の大裏(だいり)に、鉄(くろがね)のはしら、あり。

 夏、はなはだ、あつきとき、宮女(きうぢよ)、身(み)をひやさんために、鉄のはしらを、いだく。

 いだけるごとに、夫(おつと[やぶちゃん注:ママ。])をいだくおもひを、なせり。

 その念、つもりて、くはいにん[やぶちゃん注:「懷姙」。]す。

 つゐに[やぶちゃん注:ママ。]一《ひとつ》の丸鉄(まるくろかね[やぶちゃん注:ママ。])を、うめり。

 是、奇異の事なり。

 楚王、此丸鉄をもつて、干將に命じて、劔を、つくらしむ。

[やぶちゃん注:「楚王」名が出されていないので、特定は不能である。]

 干將は、そのときの鍛冶(かぢ)のめい人なり。

 于將、すなはち、かの鉄をもつて、双劔(そうけん)をつくる。一《ひとつ》は雌(し)、一は雄(ゆう)。これ、大事の劔をつくる法なり。

 剱、すでに、なる。その雌劔(しけん)一《ひとつ》をもつて、楚王に、さゝぐ。王、よろこんで、つるぎのはこに、おさむ[やぶちゃん注:ママ。]

 夜々(よなよな)は、この内にして、かなしみ、なける、こゑ、あり。

 王、あやしむで、群臣に、とはる。臣が、まうさく、

「剱は、かならず、雌雄(しゆう)二つ、あり。此劔、雌(し)ひとりなるゆヘ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]に、雄(ゆう)を、おもふて、なくものなり。」

と。

 王、おほきにいかつて、のたまはく、

「まさに、雄劔(ゆうけん)、あるべし。これを出《いだ》すべし。」

と。

 于將、すなはち、その、ころさるべきことを、しつて、雄劔をもつて、わがやの、はしらの内にかくし、わが子、ようせうなるゆへに、我妻の莫耶に、いひをき[やぶちゃん注:ママ。]す。

「わが子の眉間尺(みけんじやく)、せいじむ[やぶちゃん注:「成人」。]の時、これを、しめすべし。」

と、いふて、詩、一首を、かきのこす。

[やぶちゃん注:「眉間尺」古代中国の説話に見える勇士の綽名(あだな)。身長が高く、顔が大きく、眉と眉との間が一尺(中国で最も古いそれは二十二・五センチメートルである)もあるところからいう。後、呉の勇士呉子胥(ごししょ)のことを指し、また、ここに出る刀剣の名工干将の子の名としても有名である。転じて、「眉間の広いこと・眉間の広い人」を言う(小学館「日本国語大辞典」に拠った))。]

 はたして、干將、王命(わうめい)をうけて、ころされし也。

 のちに諸人(しょにん)、その詩をみるに、よむことをえず。詩の文に曰(いはく)、

 日出北戶 南山有ㇾ松 松生於石 劔在其中

  〔日(ひ) 北戶(ほつこ)に出づ

   南山(なんざん)に 松(まつ) 有り

   松 石に生(しやう)ず

   劔(つるぎ) 其の中(なか)に在り〕

と云〻。

 のちに、その子、せいじんす。「眉間尺」と、なづく。けだし、面(かほ)大なる者が、とし十五にして、母に、とひて、いはく、

「父(ちゝ)は、いづくにあるや。」

 母、すなはち、つぶさに、前事(ぜんじ)をかたりて、かの詩を、あたふ。

 子、これをみて、久しく、しゆい[やぶちゃん注:「思惟」。]して、はしらを、ほりて、劔を、えたり。

 此儀、すなはち、世に、ふうぶんす。

 王、きゝて、又、その劔を、こはる[やぶちゃん注:「請(こ)はる」。]。

 尺、出《いだ》さざるときんば、その、ころさるべきことを、おそれて、劔をいだきて、とをく[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]、のがる。

 王、世にせんじ[やぶちゃん注:「宣旨」。]してのたまはく、

「眉間尺をえたる人あらば、あつく褒美せん。」

と云〻。

 尺も、また、父のあた[やぶちゃん注:ママ。「仇(あだ)」。以下同じ。]を、王にむくひんことを、おもふ。

 尺、とをき所におゐて[やぶちゃん注:ママ。]、客(かく)に、あふ。客の、いはく、

「汝、あに眉間尺にあらずや。」

 尺がいはく、

「然(しか)なり。」

 客のいはく、

「吾は甑山人(そうさんじん)なり。我、よく、汝がために、父のあたを、王にむくひしめん。」[やぶちゃん注:「甑山人」不詳。但し、後を見ると、凄絶な奇法を駆使出来る道士のようである。]

 尺、よろこびて、かたつて、いはく、

「我父、つみ、なふして、まげて、罪科(ざいくは)せらる。君、いま、惠念(けいねん)あり。いかんが成(なる)べきや。」[やぶちゃん注:「惠念」強い情(なさ)けの心。]

 客(かく)のいはく、

「まさに、汝が頸《くび》、ならびに、なんぢが劔を、得べし。」

 尺、すなはち、みづから、頸を、きつて、頸(くび)、劔(けん)を、あたふ。

 客、是をえて、都(みやこ)にゆき、大裏(だいり)にまうでゝ、奏(さう)していはく、

「我は甑山人なり。眉間尺がくびを、もつて參る。」

と。

 王、おほきに、よろこぶ。

 甑人のいはく、

「ねがはくは、これを烹(に)て、ゑいらん[やぶちゃん注:「叡覽」。]に、そなへん。」

と。

 王、つゐに[やぶちゃん注:ママ。]、鼎(かなへ)を出《いだ》して、これに、あたふ。

 甑人(そう《じん》)、えて、もつて、くびを烹(にる)に、生色(いきいろ)、変ぜざるゆへ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]に、數日(すじつ)、これを、にる。

 甑人、王を、あざむひて、まうさく、

「久しくにるに、いまだ、たゞれず。請(こう[やぶちゃん注:ママ。])、王、きたりて、のぞき見給へ。」

 王、すなはち、きたりて、鼎中を、のぞみ見らる。

 甑人、うしろより、かの剱をもつて、王のくびを、うつて、鼎中(かなへのうち)に、おとす。

 二のくぴ、あひかむ。

 甑人、尺が、かたざることを、おそれて、すなはち、みづから、くびをはねて、鼎にいるゝ。

  

[やぶちゃん注:底本の大きな画像はここ。まさに甑山人が眉間尺を助っ人するために、自らの頸を落とす直前を切り取った瞬間を絵にしたものである。

 

 もつて、尺を、たすく。

 三《みつ》の頸、あひ、かむ。

 その二劔、つゐに、ゆくゑ[やぶちゃん注:ママ。] を、しらざるなり。

 本《もと》、「孝子傳」に、みえたり。

[やぶちゃん注:「孝子傳」現行、確かに本話の原拠はこの書とする。例えば、「今昔物語集」の「卷九 震旦孝養」の「震旦莫耶造釼獻王被殺子眉間尺語第四十四」(震旦(しんだん)の莫耶(まくや)、釼(つるぎ)を造。りて王に獻(けん)じたるに子(こ)の眉間尺(みけんじやく)殺されたる語(こと)第四十四)を所持する「新日本古典文学大系」版「今昔物語集二」で見ると、脚注で『原拠は孝子伝・下・21』とする。漢籍の「孝子傳」は複数存在するが、本邦には平安時代に伝来している「孝子傳」があるものの、原本は古逸本で、後代の引用集成もので分散して伝わっているようである。私は、かの「神搜記」版のものを、高校時代に読んだ。]

 又、「龍泉(れうせん)・太阿(たいあ)」の二劔あり。「醫學源流」を按ずるに、晋(しん)の醫者張華(ちやうくは)、よく、天文・地理をしる。

[やぶちゃん注:「醫學源流」明の熊宗立(ようそうりつ)の撰になる、古い医学処方書。

「張華」三国時代の魏から西晋にかけての政治家で文人の張華(二三二年~三〇〇年)。彼の書いた幻想的博物誌にして奇聞伝説集である「博物志」全十巻はよく知られる。]

 夜(よる)、紫氣(しき)を見る。地より、天にのぼりて、斗牛(とぎう)の間《かん》に、いたる。

[やぶちゃん注:「斗牛」星座の二十八宿の中に隣り合う「斗宿」と「牛宿」の間。「斗」は「射手座」の一部、「牛」は「山羊座」の一部で、「わし座」の南方にある。]

 これを、豫章(よしやう)の雷煥(らいくはん)に、つぐ。

[やぶちゃん注:「豫章の雷煥」(二六五年~三三四年)は西晋の豫章郡(現在の江西省北部にあった。ここ。グーグル・マップ・データ)南昌出身の天文学者。当該ウィキによれば、『天文に通じた人物として有名であり、恵帝の時代に司空の張華に引き立てられ、豊城の県令となった。同地で龍淵(龍泉)、太阿(泰阿)の名剣を発掘し』、『龍淵を張華に献上し、太阿は自らが所持して子孫に遺し伝えたと言われる』。『また、干宝の志怪小説である』「捜神記」においても、『張華と共に登場し、張華のもとに書生の姿で現れた千年生きた斑模様の狐の正体を見破る助言をする者として登場する』とある。]

 雷煥、また、よく天文・地理をしれる人なり。

 ともに高樓(かうらう)にのぼりて、夜々《よよ》、かの氣を見て、雷煥が、いはく、

「是は、寶劔の氣なり。豊城縣(ほうじやうけん)の地より、天にのぼりて、斗牛の間にいたるものなり。」

[やぶちゃん注:「豊城縣」現在の江西省宜春市豊城市(グーグル・マップ・データ)。]

 雷煥、すなはち、豐城縣の獄基(ごくき)を、ほる事、四丈(《し》ぢやう)[やぶちゃん注:十二・一二メートル。]あまりにして、一の石凾(いしのはこ)を、えたり。

[やぶちゃん注:「獄基」「嶽の麓」の意であろう。とある山岳のふもと。]

 中に双劔(さうけん)あり。

 銘に、一《いつ》を「流泉」といひ、二をば、「大阿」といへり。

 その一を張華に、をくる[やぶちゃん注:ママ。]

 その時に、雷煥が、いはく、

「霊異(れいい)の物は、まさに化(け)して、さるべし。」

と云〻。

 又、一は、雷煥みづから、佩(はけ)り。

 帳花[やぶちゃん注:ママ。「張華」。]が死するときに。その剱の所在を、しらず。

 雷煥、死してのちに、その子、かの剱をはきて、延平津(ゑんべいしん[やぶちゃん注:総てママ。])の河邊(《かは》へん)をすぐるに、その劔の、脇(わき)の間《あひだ》より、みづから出《いで》て、おどり[やぶちゃん注:ママ。]て、水に入《いり》、人《ひと》をして、これを、もとめしむれば、たゞ、兩龍(りやうりう)、相(あひ)繞(まとふ)を見る。

 をのをの[やぶちゃん注:ママ。]、長(たけ)、數丈(すぢやう)[やぶちゃん注:六掛けで約十八メートル。]なり。

 おそれて、かへりぬ。

 雷煥がいひしこと、あたれり。

 「玉海(ぎよくかい)」卷(まきの)百五十一をみるに、張華が、いはく、

「『龍泉』・『太阿』は、その劔の文《ぶん》を、つまびらかにするに、すなはち、『干將』なり。」と云〻。

[やぶちゃん注:「玉海」玉海』南宋の王応麟によって編纂された類書(百科事典)の一種。全二百巻。当該ウィキによれば、『科挙試験の参考書として編まれたものだが、大量の書籍を引用しており、中でも現在では見ることのできない宋代の実録の類を使用しているため、資料価値が高い』。但し、『宋代には出版されず、元』(げん)『の後至元』(こうしげん)六(一三四〇)年に『はじめて刊刻された』とある。]

 又、註にいはく、『汝南《ぢよなん》の西平縣(せいへいけん)に「龍泉水(《りう》せんすい)」あり。刀剱(たうけん)を淬(にぶらす)に、ことに、かたふ[やぶちゃん注:ママ。]して、利(とし)。汝南は、すなはち、楚分野(そぶんの)なり。」と云〻。

[やぶちゃん注:「汝南の西平縣」現在の河南省東南部及び安徽省阜陽市一帯に設置された汝南郡の内、現在の河南省駐馬店(ちゅうばてん)市西平県(グーグル・マップ・データ)。

「淬(にぶらす)」「淬」は音「サイ・シュツ」(現代仮名遣)で、刀剣を鍛える際、「刃(やいば)を焼いて、水入れする」ことを指す。

「楚分野」旧楚地方に含められた原野の意か。]

 かるがゆへに、「龍泉」と題するなり。

 「大阿」は、所の名(な)なり。

 「干將・莫耶」は、楚王の劔。

 「祖庭事苑」、『「甑人」の註につまびらかなり』と云〻。

 わたくしに、いはく、

「むかし、干將がつくる所の雄劔・雌劔、つゐに偶(ぐう)して[やぶちゃん注:二つ揃えて。]、石凾(いしのはこ)に入《いれ》て、地下にあり。年を經て、晋(しん)の時に、ほり出《いだ》し、兩人《りやうにん》、わかちて、佩(はけり)といへども、つゐに、龍と化(け)して、水中におゐて[やぶちゃん注:ママ。]、偶するなり。異(こと)なるかな。」。

 

佐藤春夫譯「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」正規表現版 「旅びと」李筠

[やぶちゃん注:書誌・底本・凡例等は初回を見られたい。本篇はここ。]

 

  旅 び と

             客 中 頻 見 月

             貪 立 露 華 冷

             徘 徊 斂 衣 袂

             愁 人 畏 見 影

                   李 筠

 

草まくら月は飽かなく

立ちつくし濡るる夜露に

さまよひて衣手さむく

己(し)が影は見つつかなしも

 

[やぶちゃん注:李筠は既出。そちらで示した通り、ネット上では彼女の情報がなく、詩も見当たらず、従って、やはり標題も判らない。以下、推定訓読を示す。

   *

客中(かくちゆう) 頻りに月を見る

貪(むさぼ)るごとく立ちつくせば 露(つゆ)の華(はな) 冷(つめ)たく

徘徊(はいくわい)すれば 衣袂(いべい) 斂(ちぢ)まれり

愁人(しうじん) 影(おもかげ)を見(おも)ふことをも 畏(おそ)る

   *]

佐々木喜善「聽耳草紙」 一五七番 雁の田樂

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。標題の「寄せ太皷」は「よせだいこ」と読む。人寄せのための縁起太鼓である。]

 

      一五七番 雁の田樂

 

 或所に、爺樣があつた。爺が山畑へ行くと、雁(カリ)が下《お》りて、豆を食つてゐた。人がせつかく蒔いた豆を、愛(アエ)らしくもねえ雁だと思つて、石塊《いしくれ》を拾つてばえらやえと投げてやつた。するとそれが雁に當つて雁はころりと死んでしまつた。これはよいことをしたと思つて雁を下げて來て、婆樣々々この毛をむしつて串サさして燒いて置きもせと言いつけておいて、また畑へ行つた。

 婆樣は、ほんだら爺樣が歸つて來たら一緖に食うベスと思つて、雁の羽をむしつて、串にさして、火(ヒ)ぼとであぶつた。するとひどくぱんぱん香(ガマ)りがして甘《うま》さうなので、雁の脚(アシコ)のところを少しむしつて食つてみたら其甘いことつたら無かつた。耐(コタ)えられないで、もうぺえツこぺえツこと思つて少しづつ食つて居るうちに遂々《たうとう》皆食つてしまつた。

 食つてしまつてから婆樣はひどく困つた。何と言つて爺樣さ申し譯したらええか、あゝ言ふべか、斯《か》う言ふべかと、いろいろ工風《くふう》[やぶちゃん注:ママ。]してみたが、どうもよい思案が浮かばなかつた。仕方がないから流前[やぶちゃん注:台所の流しのこと。]から庖丁を持つて來て内股をひろげて、自分のペチヨコ[やぶちゃん注:女性器の方言。]をじたじたに切つた。ペチヨコはひどく痛がつて淚をぽろぽろと流した。そこで婆樣が、何して泣くてや、そんなに痛かつたら雁を食はねばええんだと言つて、鍵鍋から箆《へら》をとつて、ビタヅラ[やぶちゃん注:女性器の表面を指すか。]をぴたぴたと叩き叩き、それでもどうやらかうやら切り放した。そして毛をむしつて串にさして、雁のやうにして、火ほど[やぶちゃん注:「火床」(ほど)は囲炉裏の中央にある火を焚く窪んだ所を指す。なお、「ほと」自体が古語で女性器を指す語である。]であぶつて置いた。

 爺樣は夕方山畑から歸つて來た。婆樣々々晝間の雁は燒けて居申《をりまう》すかと訊くと、婆樣はあゝよく燒けてますと答へた。夕飯時《ゆうめしどき》爺樣が婆樣々々、此雁の田樂ウ俺も食ふから婆樣も食へと言つたが、婆樣はおら厭《や》んだますと言つて食はなかつた。ほんだら俺ばかり食ふべと言つて爺樣は雁を食つた。そして、なんたらこの雁は小便臭かべ、小便臭かべ、ほでもなかなか甘い甘いと言つて食つた。

  (村の雁治と云ふ家の婆樣から子供の時分聽いた話。
   この家は今は無い。古い家であつたが、屋敷は田に
   なつた。)

 

梅崎春生「つむじ風」(その11) 「弱点」

[やぶちゃん注:本篇の初出・底本・凡例その他は初回を見られたい。この章は短い。]

 

     弱    点

 

 日もとっぷりと暮れた頃、浅利圭介はむき出しのウィスキー瓶をかかえて、我が家の門をくぐった。玄関の扉をがたごとと引きあけた。

「ただいま」

「どなた?」

 茶の間からランコの声がした。

「僕だよ。おばはん」

「ああ、おっさんか。お帰りなさい。御飯は?」

「ソバを食べて来たよ」

「ここにちょっと入って来なさい。お茶でもいれるから」

 圭介はすこしためらったが、しぶしぶと茶の間に入ってきた。茶の間のすみには、長男の圭一が小さな寝息を立てていた。圭介の持ち物をランコは見とがめた。

「どうしたの、そのウィスキー。買ったの?」

「貰ったんだよ」

 圭介は圭一の枕もとに坐り、父親の眼でその寝顔にしみじみと見入った。

「陣太郎君はどうしている?」

「昼から出かけて、まだ戻って来ませんよ」

 ランコは針に糸を通しながら言った。ランコの厚ぼったい膝の上には、圭一のズボンが乗っかっていた。

「おっさんたちの仕事はうまく行ってるの?」

「うん。まあね」

「一体どんな仕事なの? おっさんに聞いても言わないし、陣太郎さんに訊ねてもハキハキしないし――」

 ランコはズボンのほころびに針を入れながら、

「まさか何か悪いことをたくらんでるんじゃないでしょうね」

「飛んでもない。悪いことなどと」

「そりゃそうでしょね。おっさんなんかに、大それた悪事がはたらける筈がない」

 聞きようによっては、ずいぶん腹の立つ言い方をランコはした。

「ね。相続関係の仕事でしょ。おっさんたちの仕事は?」

「相続関係?」

「そう。陣太郎さんのよ。松平家の――」

「うん。まあ、大体――」

 あとはもごもごと圭介は口の中でごまかした。薬罐(やかん)が沸き立ったので、ランコはお茶を入れ、圭介の前に差し出した。圭介は疲れたような顔で、それを口に持って行った。

「今朝は、陣太郎さんに、遠廻しに頼んで置きましたよ。おっさんのことを」

「僕のことを?」

「そうよ。もし相続したあかつきには、家令か何かに使って貰えないかって」

「家令?」

 圭介はびっくりして声を大きくした。

「す、すると、この僕が、あの陣太郎君の家令になるのか。イヤだよ。いくらなんでもそれはイヤだよ。家令だのヒラメだの、僕はまっぴらだ」

「失業してるよりはましでしょ!」

「家令はイヤだよ」

 圭介はくり返した。

「家令なんてものは、家来だよ。家来になんかなりたくない。それともおばはんは、僕がもう偉くならなくてもいいと言うのか?」

「あたしはこの子に望みを託しています」

 ランコは圭一の寝顔をしずかに指差した。

 

 陣太郎が浅利宅に戻ってきたのは、夜も十一時を過ぎていた。足もとが多少ひょろひょろしていて、玄関に入る時しきいにつまずいて、あやうく下駄箱にとりすがった。

「ただいま」

「どなた?」

「陣太郎です」

「ああ、お帰りなさい。あなたが最後だから、玄関の鍵をかけといてね」

 陣太郎は鍵をかけ、廊下をふらふらと納戸(なんど)に歩いた。浅利圭介はまだ起きていた。小机の前に坐り、頰杖をついて、河か考えていた。小机の上にはウィスキー瓶とグラスがあった。

「ただいま」

 圭介はじろりと陣太郎を見上げた。

「うん。遅いな。どこに行ってた?」

「偵察ですよ」

「まあ、坐れ」

 圭介は机の向うを指差した。

「酔ってるな、君は。どこで飲んだんだ?」

「おっさんも飲んでるじゃないですか」

 陣太郎はじだらくに坐りながら、机上のウィスキーに眼を据えた。

「おや。これはジョニイウォーカーだよ。すごいなあ。しかも黒ラベルと来ている。どうしたんです。買ったんですか?」

「冗談言うな。失業中の身の上で、こんな高いのが買えるか」

 圭介はうやうやしくグラスに注ぎ、口に持って行ってちょっぴり砥めた。

「貰ったんだよ」

「誰に?」

 陣太郎は手を出した。

「おれにも一杯下さい」

「君にはこれで充分だ」

 圭介は本棚に手を伸ばし、寝酒用の二級ウィスキーとグラスをとり出した。それを陣太郎にあてがった。

「加納宅において、これを貰ったんだ」

「加納明治に会ったんですか」

 陣太郎は魚のような眼をきらきらと輝かせた。

「まさかこれが、轢(ひ)き逃げの代償というわけじゃないでしょうね」

「そんなに僕はお人好しではない」

 そして圭介はがっくりと肩をおとした。

「会わせて呉れねえんだよ」

「誰が?」

「女秘書と称するやつがさ」

 今日面会に行ったいきさつを、圭介はめんめんと語り始めた。そのすきをうまくねらって、陣太郎は自分のグラスにジョニイウォーカーを充たした。口に持って行き、舌をぺろりと出して舐めた。

「そして、会わせないかわりとして、このウィスキーを呉れたんだよ。ウィスキーを呉れたところを見ると、やはりうしろ暗いところがあるのかな」

「でも、呉れたのは加納じゃなくて、女秘書なんでしょう」

 陣太郎はまたグラスを口に運んだ。

「その女秘書、美人でしたか? ランコおばはんとどうです」

「おばはんなんか問題じゃない」

 さすがに圭介も声をひそめた。

「八頭身だよ。すらりとして、まるでマネキン人形だ。君にも拝ませてやりたいな」

「じゃあ今度は、おれが行って見ようか」

「ダメだよ」

 圭介は声をはげました。

「君は風呂屋の係りじゃないか!」

 

 翌日の夕方、もうそろそろ暗くなりかかった頃、浅利圭介はなにやら浮かぬ顔をして、ソバ屋の隅の卓に腰をおろし、おちょうしを傾けていた。客は圭介だけである。仕切台の向うから、ソバ屋のおやじが顔をのぞかせた。

「何をサカナにしてんだね。それ」

「うん。これか。甘納豆(あまなっとう)だ」

「妙なものをサカナにするんだね。買って来たのかい?」

「いや。貰ったんだ」

 圭介は卓上の外国タバコの封を切り、火をつけた。

「今日、ある人に面会に行ったんだ。すると秘書というやつがいて、会わせて呉れないんだよ。会わせないかわりにと言って、この洋モクと甘納豆を呉れたんだ」

 あとはひとりごとのように、ぶっぶつと、

「おかしなもんだなあ。会いに行くたびに、何か呉れるよ。昨日はウィスキーを呉れたしな。あの八頭身、おれに気があるのかな」

「甘納豆と洋モクとは、妙な組合せだねえ」

 圭介がさし出した外国タバコの袋から、おやじは一本引っこ抜いておしいただき、話題を転じた。

「あの人、まだ当分、お宅にいる予定かね?」

「あの人?」

「あの、青年さ。ほら、この間――」

「ああ、あれか。そうだなあ、当分いるかも知れない」

「そうかい」

 おやじははちまきを外(はず)して、もそもそと仕切台をくぐり、圭介に向き合って腰をおろした。

「あの人、慶喜将軍の孫だというのは、ほんとかね。あんた、どう思う?」

 圭介はぎくりと顔を動かして、おやじを見た。そして言った。

「あんたにもそんなこと言ったかね?」

「うん。宮城の前を通るたびに、妙な気持になるんだってさ。ここは本来なら、おれの住居なのに、他の人たちが平気で入りこんで住んでいるのが、おかしな感じがするってさ。その気持、おれにはよく判らないが」

「海軍兵学校の話はしなかったかね?」

「兵学校? それは聞かない。見合いの話は聞いたけれど」

「見合い?」

「うん。近いうちに、京都の十一条家の娘と、見合いする破目になるかも知れないってさ。当人はイヤだと言ってたけどね」

「当人って、陣太郎がかい?」

「そうだよ。でも、あんな世界は、当人がイヤだと言っても、通るもんじゃないらしいね。そうなったら、おれんちの店も拡張出来るんだ」

「え? なになに?」

 圭介はとんきょうな声を出した。

「その拡張の金は、誰が出すんだね?」

「その、それは、つまり、松平家がさ」

 おやじは洋モクを中途で消して、耳たぶにはさんだ。

「だから、この頃、あの人のソバ代は、成功払いということにしてあるんだ。つまり、相続したあかつきに――」

 電話がじりじりと鳴った。おやじはぴょんと飛び上って、受話器にとりついた。

「はいはい。毎度ありがとうございます」

 圭介は面白くない顔付きになり、甘納豆を十粒ほどまとめて、口の中にぽいとほうり込んだ。

 

 猿沢三吉の日常は、近頃多忙をきわめていた。その最大の原因は、言うまでもなくあの角地の三吉湯の新築にあった。

 この三吉湯の新築は、前々から三吉が計画していたものでなく、言わばヒョウタンから駒が出たたぐいのものである。自動車の運転免許証下付の祝いに、三吉は家族一同を引き連れ、銀座の中華飯店で宴をはった。その席上、つい口を辷(すべ)らせたことが原因になって、第四・三吉湯の新築ということになったのであるから、新築の予算を確保していたというわけあいのものでない。

 だから建築費の金策に、三吉は自動車であちこちをかけ廻る必要があった。

 第二の原因には、メカケの真知子があった。

 そんなにいそがしいのなら、真知子のところに通うのをよせばいいのにと思うが、そういうわけにも行かないのである。

 三万円の支度(したく)金はすでに渡してあるし、学費の他月々一万円のこづかい。アパート代だってばかにはならない。

 アパートは第一・三吉湯から自動車を駆って[やぶちゃん注:「かけって」。]、十二、三分の距離のところにあるが、敷金五万円の間代が五千円。もっとも敷金は一年以内に出れば一割を引き、二年以内は二割を引いて戻しては呉れる。

 間代も便所の傍なら、三千円という安値のがあるが、いくらなんでも便所の傍の妾宅なんて、情緒がなさ過ぎる。

 角の部屋だと二面が開いているから、六千五百円という高値になる。

 三吉にとっては金が少しでも欲しい季節ではあるし、五千円という並部屋をえらんだ。上部屋との差は月千五百円だが、年に直すと一万八千円になる。

 それほどまでに資本をおろし、気を砕いた妾宅であるから、通わないなんてことは、三吉にとってはもったいなくて出来ない相談である。

 金策と妾宅通い、その二つでもって、三吉は番台に席があたたまる暇がない。自動車が六度も故障をおこし、その度に上風社長に儲けられたのも当然である。

 ただ三吉の妾宅通いは、ふつうのそれとちょっと趣きを異にしている。ハナコ他全家族に秘密にして置かねばならぬ関係上、長時間入りびたっているということができないし、また泊り込みなどということは絶対不可能であった。

 それに真知子は某大学の国文科の学生であるので、日曜をのぞいては、毎日学校に出かけて行く。講義が終っても、部活動その他があり、帰ったら帰ったで、ノートの整理や、予習の仕事がある。つまり真知子も、三吉におとらずたいへん多忙なのである。

 たいへんいそがしい且那とたいへんいそがしい妾だから、ふつうの場合のようにしっくりとは行かない。ジェット戦闘機同士の空中戦闘のように、アッという間もなくすれ違ってしまうこともある。

「今日はお帰りになって。明日は古事記の演習があるんだから」

 いそいそと二階に上り、扉をあけたとたんに、いきなりそう拒絶されることも、時にはあるのである。

 可愛い真知子の勉強を邪魔して、それで彼女の成績が下ったりすることは、三吉にとっても忍び得ないことだ。といって、忍んでばかりいるわけには行かない。

 

 世に学生妻の例はたくさんあるが、学生妾というのはあまり聞かない。学生であることと妻であることは、これはりっぱに両立し得るが、後者の場合はそう行かないような事情があるようだ。

 ことに真知子の場合は、初めにメカケであって後に学に志したのではなく、学に志した後にメカケになったのであるから、学とメカケとどちらかといえば、もちろん学の方にウェイトがかかっている。学が主であって、メカケの方はアルバイトなのである。アルバイトであるからには、手を抜き勝ちにならざるを得ない。卒業までという期限つきだし、支度金はとってしまったことだし、どうしてもそうなってしまう。

 ところが、猿沢三吉の側からすれば、どうもそれは約束がちがうような気がして、内心納得出来ないのである。約束といっても、三吉は真知子と物質上の約束はしたが、それ以上の約束をしたわけではない。が、旦那とメカケというものの間には、おのずからなる約束がある、というのが、明治生れの三吉における抜き難き固定観念であった。

(あの且那とあのメカケの間柄は、実にうるわしく人情があったなあ)

 三吉が三助時代の風呂屋の主人と、そのメカケのことを、三吉は強い羨望の念をもって時折思い起すのである。あのメカケは三吉のことを、不細工な若衆だと侮蔑の言をはいたが、しかし旦那に対しては実に献身的で、後に旦那が相場か何かで失敗して、風呂屋を売りに出さねばならぬ破目になった時、風呂屋を売るならあたしを売って、と申し出て旦那夫妻を大感激させたことがある。その記憶があるものだから、現在の真知子のあり方に、約束が違うような気持がするのも当然だろう。

 しかし三吉といえども、時勢の移りかわりはよく知っているから、昔日の人情を現代に求めようなんて、そんなことはもう考えてはいない。ただ嘆くのみである。

(ああ。わしらの若い時代というものは、年寄りですらも若い女性から献身的愛情を受けることが出来た。ところがわしが今年寄りになって見ると、もうそんな愛情をささげてくれる女性は一人もいないではないか。わしらの世代とは、何という不幸な世代だろう。これもあの戦争が悪いんだ。実にのろわしきは戦争だ!)

 戦争反対は大いに結構であるが、こういう形でのろわれては、戦争もいい面(つら)の皮であるようだ。

 で、上風社長のあっせんによって、やっと真知子をメカケに囲い得た当初の頃は、三吉はことごとく満足であった。なにしろ相手は長女一子(かずこ)とおっつかっつの若さではあるし、大いに学はあるし、しかも端正な美貌の持主と来ている。それが自分の庇護のもとに、すくすくと学を伸ばしているかと思うと、三吉は至大の精神的満足を感じていたのだが、だんだん時日が経つにつれ、前述の如き不満が生じて来たのである。

 莫大な物質的ギセイをはらい、ハナコの眼をかすめるという放れ業的危険をおかして通ってくると、明日は万葉集演習だからお断り、ではいくら辛抱強い三吉でも、すこしはじりじりして来るのも当り前であろう。

(ああ、わしは何のためにメカケを囲ったのか)

 若い日からの二大願望である自動車とメカケ、その二つを今にしてやっと入手出来たのに、前者はガタガタで故障がちだし、後者は意の如くならないし、老三吉の心境察するに余りある。

 

2023/07/14

佐々木喜善「聽耳草紙」 一五六番 鼻と寄せ太皷

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。標題の「寄せ太皷」は「よせだいこ」と読む。人寄せのための縁起太鼓である。]

 

   一五六番 鼻と寄せ太皷

 

 或所に酒屋があつた。そこに使はれて居る夫婦者があつたが、女は其家の酒作男《さかづくりをとこ》といゝ仲になつてゐて、夜々《よよ》女はハシリ前《まへ》へ出て、椀などを洗ふうちに、壁板に穴を開けて置き、女がハシリ前[やぶちゃん注:台所の流しのこと。]の板をパンパンと叩くのを合圖に外から男が來てその穴から話をして居た。

 夫(ゴテ)は妻(オガタ)の每晚の樣子を怪(オガ)しく思つて、或晚ハシリ前に行つて、女房をいきなり突き飛ばしたところ穴の外から出た男根が突き出て居た。夫は大《おほい》にゴセを燒いて(怒つて)その先きをギツチリと握り、嚊に早く庖丁を持つて來うと言ひつけた。女房は後日《ごじつ》の折檻《せつかん》が怖(オツカナ[やぶちゃん注:ママ。「ナ」は衍字か。])ないから庖丁を持つて行くと、夫はウスコゴマツテ(屈み)その頭をやツと掛聲してちよん切つたところ、勢《いきほひ》餘つて自分の鼻頭《はながしら》まで切り落してしまつた。夫は驚いて、サアしまつた、嚊ア早く俺の鼻を拾つて來ウと狼狽(アワテ)ると、女房もアワテテ仇男《あだをとこ》のkarikubiを拾つて來て夫の鼻にくツつけた。すると、そのまゝ變な鼻になつてしまつた。

 夫はそれを笑止(恥かし)がつて、外へも出ぬものだから、女房は心配して、夫(アニ)な夫なこんど町にえゝ芝居がかゝつたぢから行つて見てがい。おれも行くからと言つて、尻込みする夫《あに》を無理やりに連れ出した。鼻がそんなンだから顏が見えないやうに、風呂敷をかぶツて隱して行つた。芝居小屋近くへ行くと、寄せ太皷をパンパンパンと叩いてゐた。其音で夫《あに》の鼻は癖を惡してゐたものだから、急にギクギクとおやつて、むくめき出したので、そのまゝ其所から逃げて歸つた。

  (大正十二年十二月二十三日の夜、隣家の婚禮の席で、
   村の虎爺の話、皆は非常に笑つた。)

[やぶちゃん注:最後のシークエンスの太鼓の、その「音で夫《あに》の鼻は癖を惡してゐたものだから」の意味が全く判らない。太鼓の音が何らかの淫靡な何かを想起させているのであろう(だから接いだ男根が勃起したというのであろう)が、それが私には判らない。色者、基! 識者の御教授を是非とも乞うものである。或いは、男女の性行為の際の音とでも言うのであろうか? とすれば、これを虎爺が婚礼の席で語り、みんな、婿と嫁も、笑ったというのは、なかなかに、「古事記」レベルの性的祝祭と言えようか。

「續南方隨筆」正規表現版オリジナル注附 「『鄕土硏究』一至三號を讀む」パート「四」 の「飯降山」 / 「續南方隨筆」電子化注~本文完遂

[やぶちゃん注:「續南方隨筆」は大正一五(一九二六)年十一月に岡書院から刊行された。

 以下の底本は国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像を視認した。今回の分はここから。但し、加工データとして、サイト「私設万葉文庫」にある、電子テクスト(底本は平凡社『南方熊楠全集』第十巻(初期文集他)一九七三年刊)を使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。疑問箇所は所持する平凡社「南方熊楠選集4」の「続南方随筆」(一九八四年刊・新字新仮名)で校合した。

 注は文中及び各段落末に配した。彼の読点欠や、句点なしの読点連続には、流石に生理的に耐え切れなくなってきたので、向後、「選集」を参考に、段落・改行を追加し、一部、《 》で推定の歴史的仮名遣の読みを添え(丸括弧分は熊楠が振ったもの)、句読点や記号を私が勝手に変更したり、入れたりする。漢文部(紛(まが)い物を含む)は後に推定訓読を〔 〕で補った。

 なお、大物だった「鷲石考」(リンク先はサイト一括版)で私は、正直、かなり疲弊してしまった。されば、残りは、今までのようには――読者諸君が感じてきたであろうところの、あれもこれもの大きなお世話的な――注は、もう附さないことにする。悪しからず。

 本篇は、実際には底本では、既に電子化した「野生食用果實」と、「お月樣の子守唄」の間にある。全四章からなるが、そもそも、これは異なった多数の論考に対する、熊楠先生の例のブイブイ型の、単発の独立した論考の寄せ集めであって、一つの章の中にあっても、特に連関性があるわけでも何でもない。されば、ブログでは、底本の電子化注の最後に回し、各章の中で「○」を頭に標題立てがなされているものをソリッドな一回分として、以下、分割公開することとする。

 また、本篇の対象論考は「選集」の編者注によれば、『三宅光雄「飯降山」』であるとある。この「飯降山」は「いふりやま」と読む。ここ(グーグル・マップ・データ。以下、無指示は同じ)。当該ウィキによれば、『福井県福井市と大野市との境にある山で』、『標高』は八百八十四・三『メートルで福井市としては最高峰の山である。近隣の山は荒島岳』(千五百二十三メートル。本篇にも出る)。『越前大野の町割りの山あての山であり、地元では五穀豊穣、治療の神の山と昔から言われ、通称は御岳さん(おたけさん)』と親しまれ、六『月には松明を持っての参詣登山の行事がある』。『越前大野の地図や都市図によると、篠座神社』(しのくらじんじゃ:ここ。グーグル・マップ・データ航空写真。神社を拡大してみると、同神社の参道は確かに飯降山に向かって直線を成していることが判る)『の参道の延長は飯降山の頂上になっている。篠座神社は大己貴命』(おおむなちのみこと)『を祀る神社で、神苑の霊水は眼の病を治すと伝えられている』(同神社のウィキには、この飯降山が『古くからの神体山と考えられ』てきており、『春分・秋分の日には、鳥居・社殿の延長線上である山頂に日が沈む』と書かれてある)。山名は『泰澄大師が、この山にいたときに、飯が天から降ってきたと伝えられる縁起からだという』。また、『別の話としては、昔この山で三人の尼が修行をしていたところ、毎日』、『飯が降ってくるようになったが、いつの日かこの飯を一人で食べようと考えるようになり、次々と他の二人を深い谷に突き落としたら』、『飯が降らなくなってしまったという伝説から来ている』ともあった。

 なお、一部のインドでの尺度のカタカナ書きの読みは、「選集」にあるものを使用してある。

 さて。本篇を以って「續南方隨筆」正規表現版オリジナル注附は完遂した。この続篇の本書に取り掛かったのが、昨年の七月二十二日であったから、ほぼ一年で完遂出来たことになる。私の神経症的な注につき合って下さった数少ない読者の方々に、心から御礼申し上げるものである。次いで「南方閑話」に取り掛かりたいのだが、ちょっと熊楠の文体(というか表記)に疲れたので、何時、起動するかは、ちょっと判らない。気長に、お待ちあれかし。悪しからず(藪野直史記)。

 

○越前の飯降山(三號一八二頁) の神が、荒島山より馬の鞋《わらぢ/くつ》の高さの半分斗《ばか》り低いのを殘念で、五月五日の祭日に、一握《ひとにぎり》の土《つち》、一片《ひとかけら》の石でも、持登《もちのぼ》る者の、所願、一つ、聞《きい》てやる、と。三宅君の報告に對し、面白い事は、五年前見た、東牟婁郡小口《こぐち》村鳴谷《なきたに》は、甚《はなはだ》しき難處で、高い山の上に谷が多く有る。里人言ふ、「昔し、高野山を他處《よそ》へ移さうとて、此處《ここ》を尋ねあてたが、四十八谷《だに》有《あつ》て、今一つ、高野に比して不足だつたので止《よし》た。」(三號一八三頁「岩の室屋」參照[やぶちゃん注:「選集」の編者割注で著者を『中西利徳』とする。])。主立《おもだつ》た谷の端より直下する瀧を、逈《はる》か上の絕崖《ぜつがい》に一本立《たつ》た扁柏《へんぱく/ひのき》にすがりて見下《みおろ》したが、絕景でも、極《ごく》危難でも有《あつ》た。其瀧は、那智の一の瀧よりも米《こめ》三粒《みつぶ》丈《だけ》短い、という。「鞋の厚さの半分」とか、「米三粒」とか、里俗には、妙な尺度の標準が有る。一笑に附し去《さら》ずに、一々、聚《あつ》めたら、有益な理則を見出だす事と思ふ。印度の尺度は、「極微《バラマヌ》」を、最小、拆《わか》つべからず、とす。其を七倍して「微《マヌ》」、其を七倍して銅水、これはビールの「西域記」英譯に、水を受くる銅盃の小孔の大《おほき》さだらうと註せり。其から、順次、七倍して、「兎毫《うさぎのけ》」、「羊毛」、「牛毛」、「隙塵《ごみ》」、「蟣《きささ》」、「虱《しらみ》」、「麥粒《むぎつぶ》」、「指節《ゆびひとよ》」と、段々、大きく成る。是も、最初は、手近い指や、麥や、虱を標準として、追々、小六《こむづ》かしく、極微《きよくび》迄、理想的に割出《わりだ》したに違ひ無い。英譯、ハクストハウセンの「トランスカウカシア篇」(一八五四年板、四〇九頁)に、其地方で殺された人の創《きず》を大麥《おほむぎ》の粒で測り、一粒の長さ每《ごと》に、一牛を下手人に課す、とある。

[やぶちゃん注:「東牟婁郡小口村鳴谷」恐らくはこの附近と思われる(グーグル・マップ・データ航空写真)、

『ハクストハウセンの「トランスカウカシア篇」(一八五四年板、四〇九頁)』「トランスカウカシア」(Transcaucasia)は「南コーカサス」の英語。この附近(グーグル・マップ・データ)。「ハクストハウセン」はドイツの経済学者アウグスト・フランツ・ルーディング・マリア・フォン・ハクストハウゼン(August Franz Ludwig Maria von Haxthausen 一七九二年~一八六六年)。ロシア農学に関する研究者で、特に農奴制に関する深い実態分析を行い、農業及びプロシアとロシアの社会関係に関する著書を多く著わした。また、グリム兄弟とともにドイツの伝説、特に民謡を初めて収集した人物としても知られる(「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。‘Transkaukasia: Reiseerinnerungen’(「トランスカウカシア――旅の思い出」)。「Internet archive」の英訳本は‘Transcaucasia, Sketches of the Nations and Races between the Black Sea and the Caspian (「トランスカウカシア、黒海とカスピ海の間の国家と人種のスケッチ」)。英訳原本当該箇所はここ。正直、熊楠の略述より、原文の方が、判り易いので、是非、見られたい。]

 扨《さて》、飯降山の祭禮を五月五日に行なう理由は知《しら》ぬが、紀州田邊近傍では、近時迄、「三月三日、山に入れば、『モクリコクリ』、出《で》る。」とて、山に遊ばず、濱に遊び、五月五日、海に入れば、かの怪、出《いづ》るとて、海に近づかず、山に往《ゆ》き、「寶《たから》の風《かぜ》を吹《ふか》しに往く。」と云ふた。昔し、彼輩《かのやから》、異國より攻來《せめきた》つたが、端午の幟《のぼり》の威光で、悉く、敗死した。其亡靈が、殘り居《を》る、と云ふ。「モクリコクリ」は、麥畑中《むぎばたけぢゆう》に、忽ち、高く、忽ち、低く、一顯一消《いつけんいつしやう》[やぶちゃん注:寸時に出現し、寸時に消え去ること。]する、人の形《かたち》したる怪物と、信ずる者、有り。神子濱《みこのはま》にて云ふは、「鼬樣《いたちやう》の小獸《しやうじう》、麥畑に居《を》り、夜、麥畑に入る者の、尻を拔く。」と。是は、田鼠《うごろもち》と、河童を、混製したらしい。凡て、不文[やぶちゃん注:文盲。]の民は、色々の心得違ひから、飛《とん》でも無き誤說を生じ、其《その》誤れるを知《しら》ずに、固く信ずる例、多し。例せば、毒草マンドラゴラは、最初、東方諸國で媚藥として尊《たつと》ばれたが、色々の俗信が加はり、十八世紀迄、佛國の村民は、此草から轉じて、光榮の手(マン・ド・グロ-ル)とて、田鼠の樣《やう》な物が土中に棲み、其れに、每日、食を供へると、飼主《かひぬし》を富《とま》す、と信じた(一八八四年板、フォーカールド「植物俚傳(プラント・ロワール)」四二八頁)。

[やぶちゃん注:「神子濱」現在の和歌山県田辺市神子浜

「鼬」食肉(ネコ)目イヌ亜目イタチ科イタチ亜科イタチ属 Mustela に属する多様な種群を指すが、実はそのイタチ類自体が、本邦の民俗社会では、近代初期まで、妖怪視され、様々な怪異を起こす妖獣とされていた。詳しくは、「和漢三才図会巻第三十九 鼠類 鼬(いたち) (イタチ)」(寺島良安は誤って鼬を「鼠」の仲間としている。まあ、分らぬではないが)の本文と、私のかなりリキの入った注を参照されたい。

「毒草マンドラゴラ」ナス目ナス科マンドラゴラ属 Mandragora の植物。当該ウィキによれば、『根にトロパンアルカロイドのヒヨスチアミン』・『クスコヒグリンなど』、『数種のアルカロイドを含』み、『麻薬効果を持ち、古くは鎮痛薬、鎮静剤、瀉下薬(下剤・便秘薬)として使用されたが、毒性が強く、幻覚、幻聴、嘔吐、瞳孔拡大を伴い、場合によっては死に至るため』、『現在』、『薬用にされることはほとんどない』とある。詳しくは、「南方隨筆」版 南方熊楠「牛王の名義と烏の俗信」 オリジナル注附 「一」の(1)」の私の「歐州の曼陀羅花(マンドラゴラ)」の注を参照されたい。

『一八八四年板、フォーカールド「植物俚傳(プラント・ロワール)」四二八頁』リチャード・フォルカード(Richard Folkard)の一八八四年刊のPlant lore, legends, and lyrics(「植物の伝承・伝説・歌詞」)。「Internet archive」のこちらで原本の当該部が視認でき、また、「Project Gutenberg」のこちらで、一括版で電子化されてもある(右にページ・ナンバー有り)。]

 「和漢三才圖會」によると、「モクリコクリ」は「蒙古・高句麗」だが、此二國の軍勢が、文永と弘安、二度迄、吾が猛兵と大風《たいふう》に、大《おほい》に破られたのは、十月と七月、又、應永二十六年[やぶちゃん注:一四一九年。]、朝鮮・韃靼《だつたん》連合兵が、對馬で大風に遭ひ、大敗したのが、六、七月間《あひだ》の出來事だ。ずつと前に、刀伊賊《といのぞく》が、筥崎《はこざき》を襲はんとして、烈風に妨《さまた》げられ、尋《つい》で、九州人に擊退されたは、寬仁三年四月じやつた。五月に外寇を敗つた例は、「和漢三才圖會」七二、城州藤杜社、祭神舍人親王、每年端午日祭禮、被甲冑、帶兵仗、騎射等有ㇾ之云々、相傳、天應元年、蒙古國賊兵將ㇾ來、早良親王奉征伐之勅、先詣當社、祈加護、五月五日、揃旌旗甲冑、調軍勢、於ㇾ是猛風、破賊船、未ㇾ及一戰、敵軍敗北、平安焉、自ㇾ此當社焉弓兵政所、每五月五日祭禮、著兵器、且民家旗冑立於戶前、亦其遺風也云々〔城州の藤杜社(ふじのもりのやしろ)。祭神舍人(いへひと)親王。每年端午の日に祭禮に、甲冑を被り、兵仗(へいじやう)を帶(たい)し、騎射等(とう)、之れ有り云々。相ひ傳ふ、天應元年、蒙古國の賊兵、將(まさ)に來たらんとす。早良(はやら)親王、征伐の勅を奉り、先づ、當社に詣で、加護を祈る。五月五日、旌旗・甲冑を揃へ、軍勢を調ふ。是(ここ)に於いて、猛風、賊船を破(やぶ)る。未だ一戰に及ばずして、敵軍、敗北し、平安たり。此(これ)より、當社は弓兵の政所(まんどころ)となる。每五月五日の祭禮に、兵器を著(つ)け、且つ、民家、旗(のぼり)・冑(よろひ)を戶前(こぜん)に立つるは、亦、其の遺風なり云々〕。卷四にも、此傳說を載せて、其頃、蒙古襲來之《の》事、甞て、國史に見えぬから、謬說だらう、と有る。田邊近傍の「モクリコクリ」傳說は、一番、此藤杜社の緣起に似て居る。支那では、古くより、此日、競渡(ボート・レース)をする程だから、海に近づくなと云はぬらしい。

[やぶちゃん注:「韃靼」タタール。蒙古系部族の一つ。八世紀に東蒙古にあらわれ、モンゴル帝国に併合された。宋では、蒙古を「黒韃靼」、オングート(同じくモンゴル帝国以前から元代にかけて存在した遊牧民族)を「白韃靼」と称し、明では、元滅亡後、北に逃れた蒙古民族を「韃靼」と呼んでいた。

「和漢三才圖會」の以上の原文は、前と同じく所持する原本と校合した。

「藤杜社」現在の京都府京都市伏見区深草鳥居崎町(ふかくさとりいざきちょう)にある藤森神社(グーグル・マップ・データ)。詳しくは、公式サイトを参照されたい。

「舎人親王」(天武五(六七六)年~天平七(七三五)年)は通常は「とねりしんわう」と読む。天武天皇の第三子で、「日本書紀」の編纂責任者として著名である。母は天智天皇の皇女新田部皇女。子には大炊王(おおいのおう:後の淳仁天皇)・船王・池田王らがいる。奈良時代初期には、皇室(宗室)の長老として尊敬された。「日本書紀」は養老四(七二〇)年に全三十巻・系図一巻として完成した。同年、右大臣藤原不比等が没すると、知太政官事となり、太政官を統轄する立場に任命された。元正・聖武二代の天皇に皇親として仕えて、奈良時代前半の皇親政治の中心的存在であった。神亀五(七二八)年に詔を出した際にも、左大臣長屋王よりも、上の位置に署名して、希有なこととされているが、天武天皇の皇子として、新田部親王と並んで政治的権威を持っていた。また、「万葉集」にも「大夫(ますらを)や片戀せむと嘆けども醜(しこ)の大夫なほ戀ひにけり」など、三首の歌が残されており、歌人としての素養もあった。没後、太政大臣を贈られた。皇子のうち、大炊王が淳仁天皇として即位(天平宝字二(七五八)年)したため、翌年、父として「崇道尽敬皇帝」(すどうじんきょうこうてい)の称号を追贈されている。なお、「延暦僧録」によると、親王の請いによって、僧栄叡が唐へ渡って、戒律を伝える僧を求め、鑑真渡来の契機を作ったということを伝えている(以上は、主文を朝日新聞出版「朝日日本歴史人物事典」に拠った。]

 一八八三年板、リチヤード・コックス「駐日本日記」元和《げんな》三年[やぶちゃん注:一六一七年。徳川秀忠の治世。大御所家康は前年に逝去している。]の條に、五月五日簷(のき)を飾つた草を乾し貯へ、灸を點ずるに、最も神效有る由、記し居《を》る。荊楚歲時記曰、宗則、字文度、常以五月五日雞未ㇾ鳴時採ㇾ艾、見似ㇾ人處、攬而取ㇾ之、用灸有ㇾ驗。〔「荊楚歲時記」に曰はく、『宗則(さうそく)、字(あざな)は文度、常に、五月五日の、鷄(にはとり)、未だ鳴かざる時を以つて、艾(よもぎ)を採る。人に似たる處を見て、攬《つ》んで、之れを取る。用ひて、灸(きう)すれば、驗(ききめ)有り。〕と有るに據《よつ》たんだろ。又、當時、支那人間《じんかん》に行はれた俗說を聞書《ききがき》して曰く、『昔し、支那《しなの》帝、群臣に、「人の命を續くるに、何が、一番大切の物ぞ。」と問《とふ》た時、能《よ》く進んで對《こたへ》たる者、二人のみ。一人は「鹽。」、他の一人は「砂糖、最も必要。」と申す。其處《そこ》で、帝、親《みぢか》ら、此二物を嘗《なめ》、試《こころみ》ると、鹽味が糖味に劣つたから、鹽、最も必要と答《こたへ》た賢人を、海に沈めた。爾後、永々、天氣、惡《あし》く、少しも、鹽、採れず、帝、是《ここ》に於て、大《おほい》に困り、砂糖よりも、鹽の大必要なるを了《さと》つた。一日《いちじつ》、食に臨んで、鹽無きを歎《かこ》ち居《を》ると、多少の鹽が、案上《つくえのうえ》に降《ふつ》た。其日が恰度《ちやうど》、五月一日だつた。其から、每年、此日に、彼《か》の鹽を讃《ほめ》て、海に沈められた賢人の爲に海上で祭式を行ふに、櫓《ろ》を動かす每に、「ピロ」と呼び、太鼓と鉦《かね》で之に應ずるが恒例で、爲めに、鹽、常に乏《とぼし》からず。「ピロ」とは件《くだん》の賢人の名だ。』と有る。支那の書に見えぬ樣だが、元和頃、來朝した支那人輩が信じた俗說ぢや。「和漢三才圖會」四に、唐人來寓居長崎、逢此日、則乘數艘小船、立旗幟而爭ㇾ先、喚曰排龍排龍、以ㇾ速爲ㇾ勝、乃是競渡也、蓋爲屈原之靈逐ㇾ龍之意乎。〔唐人、來(きた)りて、長崎に寓居し、此の日に逢ふときは、乃(すなは)ち、數艘(すさう)の小船に乘り、旗幟(はたじるし)を立てて先を爭(あらそ)ふ。喚(わめ)きて排龍排龍(ハイロンハイロン)と曰ふ。速きを以つて勝(かち)と爲(な)す。乃(すなは)ち、是れ、「競渡(わたしくらべ)」[やぶちゃん注:「船を漕いで競うこと。競漕。船競(ふなきおい)。]なり。蓋し、屈原の靈が爲(ため)に龍を逐ふの意か」。排龍(パイロン)を、コックスが「ピロ」と聞き覺え、俗、支那人の謬《あやまり》を襲(お)ふて人名と心得たのだ。妙な謬說故《ゆゑ》、本文に左迄《さまで》關係無いが、端午の事、書く序でに記し置く。「公事根源《くじこんげん》」に、高辛氏《かうしんし》の惡子《あくし》[やぶちゃん注:性質(たち)のよくない子ども。]、五月五日、船に乘《のり》て海を渡る時、暴風で溺死し、水神と成つて、人を惱ます。或人、五色の絲《いと》もて、粽《ちまき》をして、海に投げ入《いれ》しに、五色の蛟龍《かうりゆう》となる。爾來《じらい》、海神が船に禍《わざはひ》する事止《やん》だ、と有る。往昔、支那に此樣《かやう》の傳說、有《あつ》て、其より「排龍」抔呼ぶ行事も生じた者か。

[やぶちゃん注:「リチャード・コックス」(Richard Cocks 一五六六年~一六二四年)はステュアート朝イングランドの貿易商人。スタフォードシャー州ストールブロック出身。江戸初期に日本の平戸にあったイギリス商館長(カピタン)を務めた。ここに出るのは、その在任中に記した詳細な公務日記「イギリス商館長日記」(Diary kept by the Head of the English Factory in Japan: Diary of Richard Cocks:一六一五年から一六二二年まで)知られる。「Internet archive」のこれで調べたが(グレゴリオ暦・ユリウス暦ともに換算して調べ、前年も同様に調べた)、この記事は見当たらなかった。甚だ不審。

「荊楚歲時記」は「中國哲學書電子化計劃」の影印本の当該部で校合し、返り点の不全を訂した。「荊楚歲時記」は南朝梁(六世紀)時に、江陵(湖北省)の宗懍(そうりん)によって著された荊楚地方(揚子江中流域の現在の湖北省・湖南省一帯)の年中行事記。原名は「荊楚記」であったともされる。七世紀になって、隋の杜公瞻(とこうせん)が注釈を附し、「荊楚俊時記」という書名とされるとともに、原書の内容が補足された。その内容は、正月年始の行事に始まり、「競舟」(けいしゅう)などの民俗行事、灌仏会(かんぶつえ)などの仏教関連の行事や諸種の風俗・習慣・民間信仰に至るまでのさまざまな範囲に及ぶ(小学館「日本大百科全書」に拠った)。

「和漢三才圖會」の巻第四のそれは、「時候類」の「端午」の一節。所持する原本で校合した。一部に誤字や訓読の誤りがあったので訂した。

『「公事根源」に、高辛氏の惡子、五月五日、……』「公事根源」は「公事根源抄」とも呼び、室町時代に一条兼良により記された有職故実書。全一巻。当該ウィキによれば、『後醍醐天皇の』「建武年中行事」や、彼の『祖父二条良基の』「年中行事歌合」『などを参考にして』、『元旦の四方拝から』、『大晦日の追儺までの宮中行事』百『余を』、『月の順序で記し、起源・由来・内容・特色などを記し』たもので、『奥書によると、応永』二九(一四二二)年に『兼良が自分の子弟の教育のために書いたものとあ』る、とある。の当該部は国立国会図書館デジタルコレクションの「公事根源新釈」下巻(関根正直校註・大正八(一九一九)年六合館刊)のここから(「八十六 端午節」)視認出来る]

 鍾馗《しようき》を、端午の日、祭るのも、唐朝の俗を習《なら》ふたんだらうが、劉若愚の四朝宮史「酌中志」卷廿、「辭舊歲〔舊歲を辭す〕[やぶちゃん注:本邦で言う「年忘れ」。]の式を記せるに、室內懸掛福神、鬼判、鐘馗等畫。〔室内に福神(ふくがみ)・鬼判(きはん)・鍾馗等の畫(ゑ)を懸掛(けんかい)す。〕とあれば、明の思宗の頃は、鍾馗を除夜に祀つたものだ。「淵鑑類函」十九、五月五日の條を通覽すると、支那では、餘程、昔から、五月を凶月とし、俗多禁忌〔俗に、禁忌、多し。〕」で、端午の日、百方毒氣惡氣を厭《まじな》ひ、延《ひい》て、辟兵《いくさよけ》の符《まもり》抔も作つた。暑候に向ふ月だから、[やぶちゃん注:以下の句点までの部分は底本にはない。「選集」を参考にして補った。]病疫を氣遣ひ、病疫で困つたら世が亂れる故、兵革《いくさ》迄も氣遣つたと見える。「公事根源」に、天皇、武德殿に出御、群臣に酒を賜ひ、又、惡鬼拂ひの藥玉《くすだま》を賜ひ、其後、騎射の事有り、推古帝の御宇より始つた、とある。是も、支那を模《うつ》せし者なるべく、後世、何《いづれ》の國にも鐵砲を放つて、傳染病を攘《はら》ひし如く、邪氣拂ひに、騎射を行ふたんだらう。其樣《そんな》事から、追々、民間にも、男兒持つた家では、此日、弓箭・甲冑を飾り、印地打《いんじうち》抔、始めた處が、元寇來襲の後ち、大捷《たいせふ》[やぶちゃん注:大勝利。]の記念に、彌《いよい》よ、此日を祝ふことと成つたのかと思ふ。兵革と流行病は、動《やや》もすれば、相《あひ》前後して發するから、病疫の禁厭《まじなひ》と、武備の祝儀を、同日に行ふは、最もな事だ。「大英類典」卷十二、又、一八五五年板、英譯、ハクストハウセン著「高加索諸民族誌(ゼ・トライブス・オブ・カウカサス)」などを稽《かんがふ》るに、昔、西亞細亞のシリア等へ、北狄《ほくてき》、幾度と無く攻入《せめい》り、これを禦《ふせ》がんとて、萬里長城如き大壁を建てし事も有り。故に、北狄を魔物視《まものし》して、「ゴツグ」及び「マゴツク」と稱し、後世迄も非常に懼れた。其と等しく、元寇には、吾邦民、前例なき大恐惶を生じ、加ふるに、其前後に、寬仁の刀伊賊や、應永の朝鮮・韃靼《だつたん》軍襲來等の事も有《あつ》たので、每度、結局は勝軍乍ら、所謂、蒙古《もくり》・高句麗《こくり》の亡靈迄をも、惧《おそ》れたに相違無い。因《よつ》て、端午に武備の祝儀を行ふと同時に、亡靈の復讐を慮《おもんぱか》りて、海へ近《ちかづ》かぬ風《ふう》が一般に有たと見える。「淵鑑類函」を見ると、五月五日、山に登る事無く、九月九日、山に登り、菊酒を飮む事有り、惡氣を辟《さけ》て、初寒を禦ぐ意らしい。略《ほぼ》同じ事だから、邦人が、五月五日、海へ近かずに、山へ登ると定《さだま》つて來たので有《あら》う。

[やぶちゃん注:「酌中志」(明の劉若愚の撰になる元・明の宮廷史)は「中國哲學書電子化計劃」の当該書の影印本画像の当該部で校合した。表字に問題があった。「鬼判」を熊楠は「靈鬼」としている。しかし、「鬼判」は冥界の役人・雑用係を指す語であって、「靈鬼」の語よりも遙かに具体な冥吏のことであるから、訂した。

『「淵鑑類函」十九、五月五日の條……』南方熊楠御用達の類書。「漢籍リポジトリ」のこちらで冒頭部に延々と記されてある。

「公事根源」の当該部は国立国会図書館デジタルコレクションの「公事根源新釈」下巻(関根正直校註・大正八(一九一九)年六合館刊)のここ(「八十五 五日節會」。前の注と同じ見開き)で視認出来る。そこで、「藥玉」について注釈があり、『「藥玉」は菖蒲』(あやめ)『艾』(よもぎ)『その他雜花十種ばかりを、五色の絲にて飾りとゝのへたるもの』とある。]

 此處《ここ》を筆し居《を》る處へ、鄕土硏究の心懸け、甚《いと》厚き楠本松藏なる人、來り、語るらく、「或說には、三月三日は、衆人、濱へ往《ゆき》て、山に往《ゆか》ず、山に往くと、當日、祀《まつ》らずに放置され居《を》る雛人形の靈が、山に衆《あつま》り、泣き居るのを、聞けば、不吉だ。」と。又、言《いは》く、其細君、「幼き時、聞いたは、『モクリコクリ』は、水母《くらげ》樣《やう》の物、夥《おびただし》く群れて、海上に流《ながれ》漂ふのだ。」と。水母は、晝《ひる》見ても、嫌らしく、夜分は、眺めると、心細く成るやうな燐光を放つ。水母群《くらげのむれ》を、蒙古・高句麗兵、水死の靈魂とは、好《い》い思付《おもひつき》だ。今年、陰曆五月朔頃の新紙[やぶちゃん注:新聞。]に、『四國の海へ、四目水母《よつめくらげ》、夥く、漂來《ただよひきた》り、「いりなご」を害する事、甚《はなはだし》く、漁夫、大閉口。』と有《あつ》た。若しくは、水母が、每年五月頃、最も多く浮行《うきゆ》く者なるにや。識者の敎《をしへ》を俟つ。

[やぶちゃん注:「楠本松藏」田辺に住む親しい知人。

「水母は」「夜分」「眺めると、心細く成るやうな燐光を放つ」実際に自ら発光するクラゲはいる。刺胞動物門ヒドロ虫綱軟クラゲ目オワンクラゲ科オワンクラゲ属オワンクラゲ Aequorea coerulescens がそれで(同種はヒドロ虫綱 Hydrozoaでは最大級の大きさを持ち、傘径二十センチメートルにも達する。食性は共食いで他のクラゲを一呑みにする。本種は春から夏にかけて日本沿岸で多く見られる)同種は刺激を受けると、生殖腺を青白く発光させる。この発光現象は古くから知られているが、その機序が明らかになったのは、一九六〇年代で、新しい。既に発光組織から、発光タンパク質イクオリオン(Aequorin)と、緑色蛍光タンパク質(green fluorescent proteinGFP)が発見されている。イクオリオンはカルシウム・イオンと結合して青い色の蛍光を発し、GFPはイクオリオンの蛍光を受けることで、グリーンの蛍光を発する。特にGFPは他の物質と反応することなく、紫外線照射のみで蛍光を発する性質を持つ。GFPの塩基配列は既に決定されいることから、例えば、癌などの播種している遺伝子を追跡する遺伝子に、このGFB遺伝子を組み込んでやると、紫外線照射を合わせてレントゲンを撮ると、たった一つの癌細胞でも、発光させることができ、転移部位が一目瞭然となるという画期的な医療に応用されているのである。他にも、刺胞動物門鉢虫綱旗口クラゲ目オキクラゲ科オキクラゲ属オキクラゲ Pelagia noctiluca や、鉢虫綱カムリクラゲ目ヒラタカムリクラゲ科ヒラタカムリクラゲ属ムラサキカムリクラゲ Atolla wyvillei ・鉢虫綱カムリクラゲ目クロカムリクラゲ科クロカムリクラゲ属クロカムリクラゲ Periphylla periphylla 或いはクロカンムリクラゲ属の仲間の傘も、発光することが知られているが、その機序や目的については、未だ謎が多いらしい。オキクラゲは刺激で発光するが、同種の刺胞毒はかなり強いことから、警告発光の可能性もあるか。また、ムラサキカムリクラゲやクロカンムリクラゲの仲間は、天敵に襲われそうな場合に発光することが知られており、そのシグナルが天敵の敵を呼び出すシステムがあると、当該ウィキ等のネット上の記載にはあった(しかし、本当にそんな都合のいい有効な場面があるのかどうか? 私はちょっと怪しい感じがした)。また、クラゲの中には、傘の構造が、一種の鏡の役割を果たし、海上や沿岸或いは海水中の発光生物の光りを反射して「光って見えるクラゲ」も存在する。沿岸に寄ってくるクラゲ類の多くは、春の終りから夏の初めに姿を見せ始める種が多いので、熊楠の問いには、「イエス」と答えて構わないと私は考える(以上はかなりの部分を所持する並河洋・楚山勇著「クラゲガイドブック」(二〇〇〇年TBSブリタニカ刊)に拠った。因みに、私は海産生物フリークであるが、特にナマコ・クラゲには一家言ある人種である)。]

 飯降山へ、少々の、土なり、石なり、持ち登る者は、所願、一つ、必ず、叶う、と言うのに似た事は、以前、高野山へ、麓の民が、野菜を、每日、運び、寄進するに、「大師の制戒。」とて、一切、洗淨《あらふ》を禁じ、土ついたまま、運び登る定《さだめ》だつた。是は、少しでも、山の土が、雨風で、減じ往《ゆ》くのを補ふ爲《ため》で、今日、掃除・淸潔を口實にして、樹木の自然肥料を斷つ迄、神林や靈山の落葉を盜ませ、到處《いたるところ》、禿山《はげやま》を仕立《したて》る地方役人抔に、聞かせ度《たき》事ぢや。「塵塚物語」四に、傳敎は、叡山の衰微を好みし故、山門、次第に衰へ、弘法は、高野に如意寶珠を埋めし故、萬法《まんぱふ》滅すれども、此山、彌《いよい》よ繁昌す、とあるは、宛《あて》に成《なら》ぬが、上述の制戒抔、隨分、氣の付《つい》た豪《えら》い坊樣ぢや。塚原澁柹園《つかはらじふしゑん》氏が、去年、大正元年八月十二日の『大阪每日』に出した「昔の富士」にも、『以前、登山するには步《あゆみ》を愼んで、成丈《なるたけ》、石を踏落《ふみおと》さぬ樣《やう》にした、山靈、少しも、山が低く成るを、忌む、と言つたのだ。』と有《あつ》た。木村駿吉博士、敎示に、「田村」とかの謠曲に、山神、神林を掃《は》くを忌む事あり、是も、林下の土の、へるのを惜しむ、との事だつた。紀州西牟婁郡川添村、大瀨と竹垣内の間に、「小石」と云ふ處、有り。其邊の山に籠つた敵を、下から攻《せむ》るに、偵察に登る兵士をして、其都度《つど》、下《した》の河原の石を、少々、持行《もちゆ》き、積置《つみおき》て、屹度《きつと》、任務を勤めた證《しやう》とさせた、と傳ふ。本條に、多少、似て居《を》るから、爰《ここ》に書置《かきお》く。

[やぶちゃん注:「塵塚物語」室町時代の説話集。奥書には天文二一(一五五二)年のクレジット及び藤原某の作とあるが、別に永禄一二(一五六九)年の序文があることから、後者が一応の成立とは考えられる。上代以降、主に鎌倉・室町時代の重要人物の人格・逸話や、徳政などの歴史的な事柄に関する話六十五篇を収める。但し、記載内容は厳密性を欠き、近世的な感覚を含んだ叙述も見られ、その信憑性は低いが、中世の風俗や慣習を多く伝える(概ね平凡社「世界大百科事典」に拠った)。国立国会図書館デジタルコレクションの国民文庫刊行会編「雑史集」(大正元(一九一二)年八月刊)のここで当該部が視認出来る(左ページ十行目以降。標題は「弘法大師奥州鹽川奇異事漢中事」)。

「今日、掃除・淸潔を口實にして、樹木の自然肥料を斷つ迄、神林や靈山の落葉を盜ませ、到處、禿山を仕立る地方役人抔に、聞かせ度事ぢや」往年の熊楠が尽力した「神社合祀反対運動」が脳裏を掠めて吐いた怨念のようなものである。

「塚原澁柹園」(嘉永元(一八四八)年~大正六(一九一七)年)は小説家。当該ウィキによれば、『鉄砲方の与力を務める代々の幕臣の家で』、『市之丞昌之とタキの子として生まれる。本名は靖(しずむ)』。明治元(一八六八)年、『徳川家に』従って、『静岡藩士となって静岡に移り、沼津兵学校、静岡医学校』、『浅間下集学所で洋学を学ぶ。一時』、『小学教員となるが』、明治七(一八七四)年、『横浜毎日新聞に入社』、明治十一年には『東京日日新聞に変わり、雑報記者として劇評が紙面の売り物になっていたが』、明治二十一年に『翻訳小説「凱法居士」』を翌年には『政治小説「条約改正」』、明治二六(一八九三)年に『「人造洪水」』、明治三七(一九〇四)『年に社会主義小説「虚無黨」など』、『新聞小説家として一世を風靡し、萬朝報の黒岩涙香と人気を二分した』。一方で、明治二五(一八九二)『年に最初の歴史小説「敵討浄瑠璃坂」を連載してからは、多くの歴史小説、髷物小説を書いた』。『東京日日新聞』の『劇評は』、『やがて新しく入った岡本綺堂に書かせるようになり、渋柿園が多くの薫陶を与えた。渋柿園の小説は文語文であるが、後に中学時代の大佛次郎も「間に合わせでない厳格さ」を感じて愛読し、自身の歴史小説にも影響を受けた』とある。

「木村駿吉」(慶応二(一八六六)年~昭和一三(一九三八)年)は物理学者・電信技術者。無線電信の開拓者の一人。幕臣木村喜毅(よしたけ:摂津守芥舟(かいしゅう))の次男として江戸に生まれた。明治二一(一八八八)年帝国大学物理学科を卒業し、第二高等学校教授・海軍教授などを経て、海軍技師に任ぜられた。海軍の艦船に無線電信を設置する計画の下(もと)に「無線電信調査委員会」が設けられ(明治三三(一九〇〇)年)たが、その委員に任命された。彼の作った無線電信機器は兵器として採用され、改良が加えられた。日露戦争における「日本海海戦」(明治三八(一九〇五)年)の勝因は、哨艦(しょうかん)「信濃丸」から発せられた「敵艦見ゆ」との無線電信にあったとされ、その功により、勲三等に叙されている。晩年は弁理士を開業するほか、会社役員などを務めた(小学館「日本大百科全書」に拠った)。

「田村」二番目物。作者不詳。五流に現行曲。「今昔物語集」に基づく。「修羅能」として扱われるが、他の能とは全く異なった一種の「霊験(れいげん)能」である。東国の僧(ワキ・ワキツレ)が都の清水寺(きよみずでら)に参詣する。満開の桜のなかを花守(はなもり)の童子(前シテ)が現れて、坂上田村麻呂の建立による、この寺の縁起を語り、月の下の都の名数を教え、田村堂に消える。門前の者(間(あい)狂言)が、僧の求めに清水寺、田村堂のいわれを語る。後シテは坂上田村麻呂の霊で、勅命によって鬼神退治に出で立ち、千手観音の力によって鬼神を絶滅したありさまを演じてみせる。古代の武将という姿を、特に強調し、或いは、中国風の扮装をする演出がある。前段の桜の下に喜戯する風情と、後段の凛々しさ・勇ましさが見事に対比した傑作である(小学館「日本大百科全書」に拠った)。別に、解説と詞章は小原隆夫氏のサイト内の「宝生流謡曲 田村」がよい。

『紀州西牟婁郡川添村、大瀨と竹垣内の間に、「小石」と云ふ處、有り』旧村の「大瀨」と「竹垣内」の二つの地名が「ひなたGIS」の戦前の地図で、確認出来る。されば、この中央に「小石」はあったわけだから、現在の和歌山県西牟婁郡白浜町大瀬のこの中央部(グーグル・マップ・データ航空写真)が、それと、推定される。

 なお、この最後に、「選集」では、「『鄕土硏究』一至三號を讀む」全体に就いての編者附記がある。それによれば、『本篇は『郷土研究』一巻一、二、三号掲載の諸論文について、南方熊楠が自説を展開したものである。初出雑誌では、一節は「郷土研究一至三号を読む」、二節は「南方随筆」、三および四節は「南方雑記」と題されていた。岡書院版『続南方随筆』において、多くの増補、追加が行なわれ、「郷土研究一至三号を読む」という論題に統一されたものである』とあったことを附記しておく。]

梅崎春生「つむじ風」(その10) 「接触」

[やぶちゃん注:本篇の初出・底本・凡例その他は初回を見られたい。]

 

     接  触

 

 小説家の加納明治と、その秘書塙佐和子女史の第二の衝突は、書棚の本のうしろにかくされたウィスキーの瓶に始まった。

 秘書といっても、近頃の塙女史はその実[やぶちゃん注:「じつ」。]強力な支配者の位置をしめていて、加納はすでにものを書く人間器械にまでなり下り[やぶちゃん注:「さがり」。]かけていた。ウィスキーを書棚の奥にかくしたというのも、器械にまでなり下りたくないという加納の隠微なレジスタンスのひとつで、書棚の奥にはウィスキーの角瓶の他、数種の外国タバコも同時にかくされてあった。

 いくら小説作製の能率を上げるためとはいえ、煙草は一日に十本、酒は週に二回と制限されては、生きて行くたのしみがない。といって、増額を申し出ても、承諾するような塙女史ではない。

 衝突の数日前の夕食時も、加納は酒タバコの増額を申し出[やぶちゃん注:「もうしで」。]し、最初の大激論となったのである。加納の要求額は、煙草は一日に二十本、酒は毎日二合乃至四合というのであった。

 こういう大幅な増額を申し出る気になったのも加納がれいの自家用自動車を買い入れ、それであちこちドライブすることによって、自由というものの愉(たの)しさ、制限というもののつらさを、しみじみと再認識したからである。

 いうまでもなく、塙女史はその要求を一蹴した。

「ダメでございますよ、先生。煙草の日に十本、酒の週に二回だって多過ぎると、あたしは思っておりますのよ。増額どころか、これを更に半分に――」

「半分になんて、そんな無茶な――」

 加納は天をあおいで嘆息した。

「ねえ、女史は一体、僕のことを、どう思っているか知らないが、僕はこれでもれっきとした人間だよ。器械じゃありませんよ。それなのに女史は、僕のことをミシンやミキサーなどと同一視している」

「同一視しておりませんわ」

「いや、同一視している。僕を人間だと思うなら、もっと人間らしい待遇、人間としての嗜好を認めて欲しいんだ。つまり、酒やタバコ――」

「そりゃお話が違いはしませんか。先生」

 塙女史は色をなした。

「最初の約束はそうじゃありませんでしたわ。最初の日、先生はこうおっしゃいました。この僕をして、如何にして良き小説をたくさん生産させるか、そこに重点を置いて計画を立てて呉れ。ぐずぐず言うなら、ひっぱたいてもよろしいと、先生はその時おっしゃいました。生活の全部、箸の上げおろしから友達付き合いまで、全部あたしに任していただけるという約束でした」

「でもね、塙女史」

 加納もあとには退かない。ここでしりぞくと、酒タバコを更に半減されるおそれがあるのだ。

「酒やタバコが、実際に身体や精神にわるいかどうか――」

「悪うございますとも。酒は肝臓や心臓や胃腸、タバコは肺癌、神経障害、不眠――」

「そ、そんな常識的なことを女史は言うけれどね、あの英国の前首相ウインストン・チャーチルを見なさい。彼は八十歳にして、ノーペル賞を受けた。その頃の彼の食生活はどうであったか。驚くべき分量の食事と、一日十八本の葉巻、一壜の四分の三のブランデー、それに一本のシャンペン。以上を毎日欠かさなかったこと。当時のニューズウイーク誌が伝えているではないですか!」

 

 ウインストン・チャーチルを引き合いに出されて、さすがの塙女史もちょっとたじろいだ。が、すぐに気持を取り直して、

「ほんとですか。そんなことがニューズウイーク誌に出ていましたかしら?」

「出ていたとも」

 加納は勢いこんで言った。

「ウソだと思うんなら、書斎から持って来て、見せて上げるよ」

 加納ははりきってリビングキチンから小走りに出て行った。塙女史は壁によりかかったまま、何か対策を練るように、口の中でぶつぶつ呟(つぶや)きながら、眼をつむっていた。やがて加納が、古ぼけたニューズウイーク誌をふりかざし、打ち振るようにして戻ってきた。その記事のところを指でつきつけた。

「どうだ。ここを読んで見なさい。何と言いてあるか」

 塙女史は眼をそこに据(す)えて黙読した。某女子大学の英文科卒業であるから、女史にもそのくらいの語学力はある。加納は得意そうな声でうながした。

「どうです?」

「これにはそう書いてありますわね」

 女史はそっけない声で返事して、ニューズウイーク誌を押し戻した。

「しかしでございますね、先生、日本の植物学の泰斗(たいと)牧野富太郎博士は、今年九十四歳になられましたけれど、あの方は生れてこのかた、一度も盃を手にせず、煙草も全然手にしたことがおありにならないそうでございますわ。絶対の禁酒禁煙主義であったればこそ、九十四歳というー――」

[やぶちゃん注:「牧野富太郎」は文久二年四月二十四日(一八六二年五月二十二日)生まれで、本作の連載が終わった二ケ月後の昭和三二(一九五七)年一月十八日に循環器系の虚脱により亡くなっている。この年齢は数え年で連載当時は満九十三から九十四歳であった。なお、言っておくと、私は牧野富太郎は「大嫌い」である。彼は南方熊楠を批判して(粘菌を独立した生物群として別にタクソンを主張したことが原因であろうと私は思っている)、「ろくな学術論文を出していない奴が何を語るか。」として、馬鹿にした。英文で幾らも「学術論文」出している南方熊楠を、かくも馬鹿にした(単純に知らなかったのだ!)彼を、私は絶対に許せないからである。朝ドラで、如何にもブレイクしているらしいが、私はゼッタイに見ないことにしている。]

「そ、それはいろんな人もあるでしょう」

 反撃を食って、加納も眼をパチパチさせた。

「しかし、現にチャーチルは、大食、大酒、大タバコ――」

「チャーチルは今いくつでございますか?」

 塙女史は声を高くした。

「まだ八十歳台じゃありませんか。牧野博士は九十四歳でございますのよ。八十台と九十四歳を一緒に論じるなんて」

「八十台、八十台と女史は言うけれど、そりゃ生れ落ちるのが遅かったんだから、仕方がない」

 加納は不服そうに口をとがらせた。

「それにまだ、チャーチルは死んでいない。生きている。まだまだ生きて、九十台、やがては百歳を越すでしょう。禁酒禁煙で百まで生きる人もいるだろうが、片や大酒大タバコで百まで長生きしようという人もいる。僕をして選ばしめるならば、僕は後者の方を――」[やぶちゃん注:かのウィンストン・レナード・スペンサー・チャーチル(Winston Leonard Spencer Churchill)は一八七四年十一月三十日生まれで、本作の連載終了から十年後の一九六五年一月二十四日、満九十歳で亡くなっている。但し、当該ウィキによれば、一九六〇『年代に入った晩年のチャーチルはひどく老衰し、言葉の意味もよく分からなくなって』おり、また、『頻繁に涙を流すようになったという』。一九六五年一月八日、『脳卒中で左半身が麻痺し』、一月二十四日午前八時『頃、家族に見守られながら永眠した』。『最後の言葉はなかったという』とあった。]

「チャーチルは英国人でございますのよ」

 塙女史はきめつけるように言った。

「チャーチルは英国人で、牧野博士は日本人ですわ。そして先生は?」

「僕も日本人ですよ」

 気を悪くして、加納も仏頂面になった。

「しかし、職業上だね、ものを書くという点で、僕はチャーチルに似ている」

「牧野博士もものをお書きになります!」

 塙女史はとどめを刺した。

「ヘリクツはおよし遊ばせ。どうあっても酒タバコは、小説生産の能率を低下させます。絶対に増額は出来ません!」

「どうあってもダメか?」

 加納はすこしいきり立って、唇の端をピリピリとけいれんさせた。

「どうしてもダメだというなら、僕にも考えがあるよ」

 

 僕にも考えがあるよ、と勢い込んで宣言してみたものの、特別の考えが加納明治にあるわけではなかった。せいぜい書棚の奥のかくし場所を強化して、女史の制限のうらをかいてやろうという程度である。

 そんなにつらいのなら、かりそめにもこちらは雇い主であるのだから、塙女史をチョンとクビにしてしまえばいいではないか。

 それもかんたんにそういうわけには行かない。女史がいろいろと加納を圧迫、制限を加えてくるのは、加納を憎んでやっているのではなく、そうすることが加納のためになるのだという、強烈な信念でやっているからである。

 とにかく信念を持っているやつは強い。それが悪しき信念にしろ、信念を持っている人間に対して、信念を持たない連中は、手も足も出ない。そういう塙女史に対抗し得る別の大義名分を、生憎(あいにく)と加納明治は持ち合わせていなかったのだ。

 その上、塙女史のやり方が不成功であるとか失敗であるというならともかく、それは一見大成功の様相を呈しているのである。

 塙女史を雇い入れて以来、加納の健康状態はめきめきと良くなった。血圧も正常に復したし、胃腸も丈夫になり、頭脳も明晰になったし、不眠ということも全然なくなった。適度の運動や散歩によって、手足や胸にも肉がつき、体重も増して来た。身体の調子が良くなったのは、食事の関係も大いにあずかって力あるらしい。

 女子大英文科を出て、栄養研究所につとめた経歴もあるので、女史の給食方針は大体ゲイロード・ハウザー説にのっとっている。

[やぶちゃん注:ベンジャミン・ゲイロード・ハウザー(Benjamin Gayelord Hauser  一八九五 年~一九八四年)はアメリカの栄養士で自己啓発作家。二十 世紀半ばに「自然な食事法」を推進し、ビタミンBが豊富な食品を奨励し、砂糖と小麦粉の摂取を控えるように提唱した。彼は講演会や社交界で人気があり、多くの著名人の栄養アドバイザーを務め、当時の多くの映画スターらから支持されていたが、しばしば医学界と対立した。彼は廃糖蜜・ビール酵母・スキムミルク(脱脂粉乳)・小麦胚芽・ヨーグルトという五つの「驚異の食品」を摂取することで寿命を延ばせるとしたが、一方で、「食の流行主義者」として批判され、彼のダイエットの考えは医師らから疑似科学的でインチキだと評された。ハウザーは肺炎の合併症によって、八十九歳で亡くなったが、直前まで元気な健康状態を保った、と彼の英文ウィキにはあった。]

 ハウザー流であるからして、小麦胚芽、粗製糖蜜、脱脂粉乳、醸造酵母のたぐいが、入れかわり立ちかわり、姿をかえては三度の食膳にあらわれてくる。

「強い消化液、ゆっくりと規則正しい鼓動、よい便通、明るい希望。これらが先生にいい作品を産み出させる原動力ですわ」

 と塙女史は言うのだが、それはそれに違いないのだけれども、ハウザー流も三度三度ではうんざりする。

 ハウザー食は身体や頭脳には好影響をあたえても、精神には悪影響しかあたえないものだと、いつか加納は力説して、塙女史に。憫笑(びんしょう)された。

「頭脳の他に精神が存在するなんて、オホホホ」

 女史は口を押さえてコロコロと笑った。

「頭脳の働きがすなわち精神でございますわ。そんな非合理なバーバリズムの考え方を、先生の口から聞こうとは意外でしたわ」[やぶちゃん注:「バーバリズム」barbarism。「野蛮・未開性」、「野蛮な行為。無作法。反文化的行為」の意。]

 ウインストン・チャーチルと牧野富太郎博士を引き合いに出したあの大論争も、いつもの通り塙女兜からていねいに言いまくられて加納明治の一方的敗北となった。

 むしゃくしゃした加納は、そそくさと夕食をかっこんで、

「今度書く小説に、夜の新宿が出てくるんだから、ちょっと車で調べてくるよ」

 そう言い捨てて、ギャレージかられいの自動車を引っぱり出し、のろのろした速力で新宿に向った。ある事情から、加納は近頃あまりスピードを出さないことにしている。

 新宿では大いに買い物をした。ウィスキーや煙草。塩せんべいや甘納豆など。

 塩せんべいや甘納豆のたぐいもハウザー先生が推拳していないという理由で、口にすることを加納は禁止されているのである。

 新宿で買い求めた禁制品のかずかずを、加納明治は自動車に乗せ、のろのろと自宅に戻ってきた。

 塙女史の居室は、玄関を入ったすぐ脇にある。だから玄関からそれらをかかえて、堂々と入って行くわけには行かない。いきなり扉が開かれて、塙女史から見とがめられでもしたら、たいへんだ。

 そこで加納は自宅のすこし前で車をとめ、ルームライトを消し、ウィスキーその他をかかえ、足音を忍ばせて台所から入った。薄氷を踏む思いで書斎にたどりつくと、くらやみの中を手探りをして、かかえた品物を書棚のそれぞれの場所に隠匿(いんとく)した。闇の中だから時間もかかり、その操作は至難をきわめたが、周到な注意と配慮によって、加納はやっとその難事業に成功した。

(ここはおれの家だというのに――)

 書斎から忍び足で退出しながら、加納はなさけない気持で考えた。

(主人であるこのおれが、コソ泥みたいに出入りしなければならないとは、何たることだろう)

 首尾よく台所から抜け出すと、加納は自動車にたどりつき、アクセルを踏んで、警笛を鳴らした。直ぐに停車してハンドルを廻し、自動車をギャレージにしまい込んだ。

 足音も高く玄関に入ってくると、塙女史が居室から飛び出して、あいさつをした。

「おかえりなさいませ」

「うん。ただいま」

 加納は主人の威厳を見せながら、おうように答えた。

「もう遅いからおやすみなさい」

 塙女史はグリーンのナイトガウンをまとっていた。今は深夜だし、女史は八頭身の硬質の美人だし、この家にいるのは他には雇い婆さんだけだし、その婆さんもすでに白河夜船に眠っていることだし、グリーンのナイトガウンの生地(きじ)は柔かそうだし、何か加納の情緒を刺戟してくるものがあってもよさそうなものだが、それが全然ないのである。

 それは加納が齢をとって、情緒が硬化したわけではなく、塙女史の方にその因があるらしい。

「おやすみなさいませ」

 玄関に鍵をかける音を背後に聞きながら、加納はゆうゆうと廊下をあるき、ちょいと振り返って見て、書斎に辷(すべ)り入った。扉をしめて、燈をつけた。

「ざまあみろ」

 自嘲とも他嘲ともつかぬ呟(つぶや)きをもらしながら、加納は書棚の前に立ち、本のうしろからごそごそとウィスキーと塩せんべいの袋を取り出した。それをたずさえて机の前に坐った。コップを取り出し、ウィスキーをなみなみと注いだ。瓶とせんべい袋は、机の下にかくした。机の下ならば、いきなり扉が外からあけられても、見付からないという寸法なのである。

 コップに唇をつけて、一口ごくりと飲むと、加納明治は日記帳をひらき、ペンをとり上げた。

 『夜、視察ノタメ新宿ニオモムク。行人雑然タリ。

  ういすきい、洋煙草、菓子ナドヲ買イ求メ戻ル。

  価安カラザレドモ、致シ方ナシ。コレラノ禁制

  品ナクシテハ、予ノ精神ハヤガテ窒息スルニ至

  ラン。理由ナキ反抗ナリト、後人笑ワバ笑エ』

 もっと齢をとって小説が書けなくなれば、こんな日記を新聞雑誌に切り売りをして生活しようとの算段なのだから、いい気なものである。

 

 一日の中、午後三時という時刻は、人間にとって一番疲れやすいし、また刺戟を欲する時刻でもある。おやつがこの時刻に出るのも、故なしとしない。

 塙女史はれいのリビングキチンにおいて、おやつの準備をしていた。オレンジを皮のままきざみ、糖蜜と水と氷片と共に電気ミキサーの中に入れ、スイッチを廻した。ミキサーは低いうなり声をたてながら、オレンジと氷片をこなごなにした。女史はスイッチをとめ、内容を大型コップにうつした。ヨーグルトと一緒に盆の上に乗せた。

 加納明治は書斎において、執筆に倦(う)んでいた。両手を上に伸ばして大きなあくびをした。それから油断のならない眼付きで周囲を見廻し、机を離れ、ごそごそと書棚まで膝で歩いた。

 違い棚の上の外国製の置時計が、その時丁度(ちょうど)三時を指していた。もし加納がその時計を見ていたならば、彼は書棚に膝で歩くことをしなかっただろう。三時とは、塙女史がおやつを持ってくる時間だったからだ。

 加納は並んだ本のうしろに手を廻し、ウィスキーの瓶をとり出した。コップに急いでどくどくと注ぐと、中腰のまま一口含んだ。強烈な液体は舌の根をやき、食道から胃に沁みわたった。眠気はすっかりけし飛んだ。

 加納はさらに手を本のうしろに廻して、海苔つきの小さな塩せんべいを五つ六つ摑(つか)んだ。軽く舌を鳴らして、そのひとつをポイと口にほうり込み、またウィスキーを含んだ。

 その時扉がコツコツとたたかれた。

 加納はびっくり仰天して、コップの残りを口にあけ、塩せんべいを摑んだまま、また大急ぎで膝で机の前に戻ってきた。塩せんべいは座蒲団の下に押し込んだ。ペンを持ち、頰杖をついて、さもさも何か考え込んでいるようなポーズになった。ウィスキーの瓶は、本のうしろにかくすのを忘れたので、それはぼんやりと畳の上に立っていた。

「ぐふん!」

 加納は返事ともせきばらいともつかぬような声を出した。

 扉が開かれ、塙女史が盆をささげもって入って来た。

「おやつでございます」

「うん。おやつか」

 初めて放心から覚めたような声で、加納は頰杖をとき、女史の方を見た。

 オレンジュースとヨーグルトを机の上に並べながら、女史はいぶかしげに加納の顔を見た。

「どうなさいましたの?」

「どうもしないよ」

 加納はオレンジェースの方に手を伸ばした。

「考えごとをしていたんだ」

「お身体、苦しくありませんの?」

 塙女史は加納の顔をのぞきこみ、手を伸ばして加納の額にふれた。

「おや、すこしお熱があるのかしら」

「うん。そういえば、すこし身体がだるいような気がする」

 加納は顔をひいて、オレジュースの大コップを、両頰に交互に押し当てた。頰のほてりをしずめようというつもりである。

「体温計を持って来て呉れないか」

 次の瞬間、加納はアッと声を立てた。書棚の前の畳の上に、しまい忘れたウィスキーの瓶に気付いたのである。

「アッ。これは――」

 

「え? どうなさいましたの? 先生」

 塙女史もちょっとおろおろ声になって、加納明治の手首をとり、脈をはかった。脈はドキドキと急調子を打っていた。

「まあ。顔がまっかだし、脈までがお早いですわ」

 ウィスキー瓶の方ばかり見ては、気取られるおそれがあるので、加納はあらぬ方に視線をむけ、いかにも病人らしい深刻な表情をつくっていた。

「は、はやく体温計を!」

 とにかく塙女史を、ひとまずこの部屋から追い出す必要があるので、加納は必死の声をしぼった。

「水、水を一杯。大急ぎで!」

「『応急手当法』という本がございましたわね。どこにしまってあったかしら」

 体温計や水の訴えを黙殺して、『応急手当法』なる本に思いをいたしたのは、さすがに女子大出身だけあって、理知的なものである。塙女史は加納の手首をはなして、書棚の方に向き直った。

「…………」

 加納は首をちぢめ、眼をつむった。

 しばらくして眼をひらくと、塙女史はウィスキーの瓶をわしづかみにして、机の向うにきちんと正座していた。その陶器でつくったようなつるつるした美しい顔の、眼がするどく光り、眉がすこしつり上っていた。

「先生はこのウィスキーを召し上ったんですのね」

 声は低く静かで、乱れを見せていなかったが、それだけに妙な迫力があった。

「どうもおかしいと思いましたわ。先生の御健康には、わたくし万全を尽しておりますから、妙な発作(ほっさ)がおきる筈はございませんものねえ」

「…………」

「このウィスキー、どこで手にお入れになったんでございますの?」

「山本君から貰ったのだ」

 加納はやむを得ず、ウソをついた。わざわざ買いに出かけたとなれば、それは計画的ということになる。

「この間山本君が来たとき、お土産に貰ったのだ」

「何故わたくしに連絡をしていただけませんでしたの?」

 言葉はしずかであったが、瓶をわしづかみにした手がぶるぶると慄えていた。加納はそのせっぱつまった短い時間に、芥川竜之介の「手巾」という短篇を思い出した。

「召し上るもの、お飲みになるものについては、先生の健康保持上、こちらにも周密な計画がございます。こんなものをかくしてお飲みになっては、わたくしの立つ瀬がありません。一体どういうつもりで、しかも昼間っから、こんなものをお飲みになったんですか?」

「ウィスキーがそこにあったからだ」

 英国の高名な登山者のようなせりふを加納ははいた。

「何故飲むか。そこにあるからだ。僕にも飲む自由がある」

「それはいけません。先生」

 塙女史は屑をかんだ。

「こんな強烈な酒は、肝臓をいため、心臓をいため、胃腸障害をおこさせ、神経系統をめちゃめちゃにします。そうなれば必然的に、作品活動は低下いたします。そうお思いになりませんか。先生!」

[やぶちゃん注:『芥川竜之介の「手巾」』は芥川龍之介が大正五(一九一六)年十月発行の『中央公論』に初出した小説。後、処女作品集「羅生門」(大正六年阿蘭陀書房刊)に収録された。読みは「はんけち」である。「青空文庫」にこちらにあるが、新字旧仮名で気に入らない。国立国会図書館デジタルコレクションの『ログインなしで閲覧可能』の大正一二(一九二三)年新潮社刊の後発版「羅生門」のそれをリンク(本文開始ページ)させておく。標題ページには『大正五年九月』とあるが、これは脱稿のクレジットである。この小品の小説、私は好きである。大学時代、三島由紀夫の批判に対し、反駁する短評を同人誌に書いたことがある。]

 

「僕は必ずしもそうは思わない。ねえ、塙女史」

 加納の口調はやや妥協的となり、また説得の調子を帯びた。

「ウィスキーは肝臓や胃腸をいため、神経系統をいためると言うが、作品なんてものは、むしろそういう状態から出て来るものなんだよ。古来ずいぶんその例はある。女史が僕の健康について、いろいろ気を配って呉れるのは感謝するが、そこを何とか――」

「病的な状態から良い作品が出ることは、そりゃ時にはございますわ」

 塙女史も英文科の卒業だから、その事実は認めた。

「しかし、それは一時のことでございます。不健康な状態で、長い間にわたって持続的に、旺盛な作品活動した例はありませんわ。過度の飲酒は、絶対に作品を低下させます」

「僕の作品は低下してもいい!」

 ついに加納はかんしゃくをおこした。

「僕は僕の好きなだけ飲む。好きなだけ飲み食いをする。作品なんか、すこしぐらい低下したって、かまわない」

「そ、そんなエゴイスティックな!」

 塙女史も負けずに声を高くした。

「先生の作品は、もう先生のものではありません。万人のものです。それを先生の身勝手から、作品の質を低下させようなんて、エゴイズムもはなはだしいことですわ。わたくしは先生の芸術のために、先生と闘います。先生のエゴイズムと闘います。ええ、わたくしの生涯をかけても、闘い抜いて見ますわ!」

「だって僕という人間は、いつも言っているように、調和型の作家じゃなく、どちらかというと破滅型――」

「破滅型もクソもありますか!」

 相当に亢奮(こうふん)していると見えて、女史は淑女らしからぬきたない言葉を使った。

「破滅型の作家はでございますね、決して自分で自分のことを破滅型などと――」

 玄関の方でブザーの音が鳴った。塙女史は言葉を止め、ウィスキーの瓶を抱いたまま、きっと加納の顔を見据(す)えながら、そろそろと立ち上った。あとしざりして、扉から廊下へその姿は消えた。

 加納はがっくりと肩を落し、座蒲団の下から塩せんべいをつまみ出して、ぽりぽりと喰んだ。ひとりごとを言った。

「おれの仕事は、もうおれのものでなくなったのか」

 塩せんべいは味はなかった。おがくずのように不味(まず)かった。

「そうすると、このおれというのは何だろう?」

 塙女史はウィスキー瓶を小脇に抱き、つかつかと玄関にあるいた。扉に設備された小さなのぞき窓から外をのぞき、玄関の錠をはずした。押売りや学生アルバイトではないと見極めたのだ。四十前後の齢ごろの男が、のっそりと玄関に入って来た。

「加納先生、いらっしゃいますでしょうか」

 男はハンチングを脱いで、かるく頭を下げながら、そう言った。

「もしおいででしたら、ちょっとお目にかかりたいと思いまして」

「あなた、どなた?」

 塙女史はやや高飛車に出た。あまり有利な客でないととっさに判断したのである。男はあわてて名刺を取出し、不器用な手付きで塙女史に手渡した。塙女史は低い声でそれを読んだ。

「浅利圭介――」

 

「どういう御用件ですか?」

 塙女史は切口上で言った。

「え? 今申し上げたでしょう」

 浅利圭介は手にしたハンチングを、二つに折り曲げたり、くしゃくしゃに丸めたりしながら答えた。

「つまり、加納さんに、お目にかかりたいのです」

「だから、先生にどんな御用件かと、お聞きしてるんですよ」

 塙女史はいらいらしたように、手に持ったウィスキーの瓶をゆすぶった。液体はごぼごぼと音を立てて鳴った。

「どんな用事?」

「そ、それは、直接お目にかかって――」

 圭介はすこし動転していた。ちょっとマネキン人形を思わせるような、硬質の美しさを持った八頭身女性などを、相手にするのは圭介には大の苦手であった。それに当人にあうまでは、自動車のことは絶対に口にしてはならぬと、この間の図上作戦の折、くれぐれも陣太郎から釘をさされているのである。

「一体あんたは、何ですか。奥さまですか?」

「奥さまじゃありません」

 塙女史はつっけんどんに答えた。あんたと呼ばれたのが面白くなかったらしい。圭介は時折、女性に対する呼びかけ方を間違えて、失敗することがある。ランコをおばはん呼ばわりしたのもそうだったし、この場合もそれであった。塙女史は心証を害した。

「あたしは加納先生の秘書兼助手です。一体何の用事ですか?」

「ええ。ええと、それは――」

 圭介は困惑して、ハンカチで頸(くび)筋をごしごしと拭いた。

「雑誌関係ですか?」

「いいえ」

「文化団体ですか?」

「いいえ」

 頸筋を拭いている圭介の顔を、塙女史はつめたい眼で見下した。

「では、紹介状か何かお持ちですか?」

「紹介状?」

 圭介はきょとんと顔を上げた。

「そんなものが要るんですか?」

「初対面だったら、そんなものが必要です。どなたの紹介状をお持ちですか?」

「弱ったなあ」

 圭介は今度は顔の汗をふいた。

「持って来なかったんです。忘れたんですよ」

「では今から行って、貰っていらっしゃいませ」

「弱ったなあ。誰に頼めばいいんだろう」

 圭介は鎖につながれた犬のような、哀願的な眼付きになった。

「あんた、書いてくれませんか」

「あたしが、紹介状を?」

「ええ、そうすれば僕もたすかるんだがなあ」

 圭介は自分の思い付きに満足してにこにこした。

「秘書の、いや、秘書さんの紹介状だったら、加納さんも会って下さるでしょう」

「加納先生、とおっしゃい!」

 塙女史は片足をトンと踏みならした。

「あたしに紹介状を書けだなんて、そんなばかげた話がありますか。一体あなたはここに、なんの用事でやってきたんです!」

 

「そ、それがとても、重大な用件で――」

 浅利圭介はハンチングをくしゃくしゃにして身悶えた。

「加納さん、いや、加納先生は、今御在宅なんですか?」

「いらっしゃいますよ。只今お仕事中です」

 そして塙女史はふと気がついたように、手にしたウィスキー瓶をにらみつけた。

「お仕事中は、一切面会謝絶です」

「お仕事の時間は?」

「一日八時間ですわ」

「では、その仕事の時間を避けて、参上すればいいのですね」

「そうカンタンには行きませんよ」

 塙女史はあわれみの視線を圭介に向けた。

「何故カンタンに行かないんですか」

 圭介はいくらか憤然たる口調になった。意地になっても会わせまいとしているな、と考えたのである。

「仕事が八時間、眠る時間がかりに十時間だとしても――」

「十時間? 先生がそんなに眠るもんですか。せいぜい八時間ですよ」

 塙女史はつめたい笑いを見せた。

「あなたは十時間も眠るんですか?」

「はあ。僕はたいてい十時間から十二時間眠ります。時には十五時間ぐらい。今僕は失業しているんでね」

 何が可笑しいんだという表情で、圭介は答えた。

「じゃ先生は、仕事八時間、眠り八時間。残った暇が八時間あるわけですね」

「暇じゃありませんよ。その間に、三度の食事、酵素風呂、散歩、運動と、スケジュールがぎっしり組まれてんですからね」

「いくらぎっしり組まれていたって」

 圭介は呆れ声を出した。

「寸暇をさいて人に会うぐらい――」

「その寸暇がなかなかさけないんですよ。題材探しや調査のために、自動車でお出かけになるし――」

「自動車」

 圭介は緊張の色を示した。

「そうですよ。自動車ですよ。なにしろ忙しいんですからね。それに街のてくてく歩きは、身体にも悪うございましてねえ」

「三の一三一〇七」

 圭介のその声は、うわごとに似ていた。

「一三一〇七。確かにそうだった」

「何ですか、それ?」

 あれこれとよく気がつく塙女史も、加納の自動車の番号までは記憶していなかった。自動車の番号というものは、たとえば電話番号などと違って、あまり暗記をして置く必要のないものである。

「とにかく面会は謝絶です!」

 面倒くさそうに塙女史は、最後の断を下した。

「そ、そんな殺生な!」

「どうしても面会をお望みなら、紹介状を持参してくるとか、用件を書面にして提出するとか、とにかく出直していらっしゃることですわ」

 そして塙女史はいきなり、ウィスキー瓶をけがらわしそうに圭介に押しつけた。

「はい。その代りにこれを差し上げます」

「はあ」

 瓶を押しつけられ、圭介は何が何だかわけも判らず、きょとんとしてお礼をはった。

「ありがとうございます。こんな結構な品をいただいて」

「どうぞお引き取り下さい」

 塙女史は扉を指差した。

 

 猿沢三吉が経営している銭湯は、目下新築中のを除くと、三軒あった。三軒とも、どれもこれも似たりよったりのつくりであるが、第一・三吉湯が年代的には一番古く、つづいて第二。第三が三つの中で一番新しかった。

 その第一・三吉湯の浅い方の湯槽に、大きな窓から入る昼下りの明るい光線の中で、陣内陣太郎がのんびりと言を浮かしていた。湯に反射した光線が縞になって、陣太郎の顔に揺れている。タオルで顔をしめしながら、陣太郎の瞳は油断なく動いて、番台の様子や客の出入りを観察していた。

「……百戦あやうからず、か」

 陣太郎はもそもそした声でひとりごとを言った。先日浅利圭介と打ち合わせた図上作戦の一環として、三吉湯の現状を偵察にやって来たのだろう。

 やがて彼はざぶりと湯槽から脱出、タオルをしぼって身体を拭き上げた。板の間のカンカンで体重をはかった。十四貫[やぶちゃん注:五十二・五キログラム。]丁度(ちょうど)。板の間を観察しながら、衣服を着用。石鹸入れをタオルで包み、下駄をつっかけた。その節[やぶちゃん注:「せつ」。]番台越しに、女湯を観察することも、陣太郎は忘れなかった。のれんを頭でわけ、外に出た。

[やぶちゃん注:「カンカン」「看貫秤(かんかんばかり)」の略。ここは知られた台秤のこと。古く明治の初めに、生糸の取引の際、生糸の重量を改めて正確に量り看たことに由来する。]

 二十分後。

 陣太郎の首は、今度は第二・三吉湯の湯槽にぽっかりと浮いていた。首自身はのんびりと浮んでいたが、やはり眼だけは抜け目なく、客の出入りや建物の木口などを仔細に観察していた。陣太郎の唇が動いた。

「この木口の古さからすると、第一が建てられて、十年ぐらい経って、これが建てられたんだな」

 陣太郎は湯槽を出、カランの前にぺたりと坐った。石鹸のあぶくをタオルに沢山まぶしつけ、頭のてっぺんから足の先まで、ていねいに洗った。第一・三吉湯でも丹念に洗ったこと故、これはムダな行為というべきであったが、陣太郎にしてみれば偵察の関係上、ムダな時間をついやす必要もあったのであろう。

[やぶちゃん注:「カラン」kraan。オランダ語。水栓金具のこと。ここは、当時の風呂屋のお湯及び水の蛇口の二本のそれを指す。今は混合栓化して一本になった。]

 また湯槽に飛び込み、しばらくして上り、板の間でカンカンに乗る。針は十三貫九百匁[やぶちゃん注:五十二・一二五キログラム。]を指した。

「おや、百匁[やぶちゃん注:三百七十五グラム。]も減ったぞ」

 陣太郎はげんなりした声でつぶやいた。

 下駄をつっかける時、巧妙な視線で女湯を観察。丁度(ちょうど)その時二十前後の女が、こちら向きのまま衣類をすっかり脱ぎ捨てたところなので、さすがの陣太郎も視線をうろうろさせ、やや狼狽気味に第二・三吉湯を飛び出した。

 どうも近頃の若い女は、羞恥心というものを持たないから困る」

 ゆだった顔を風にさらして歩きながら、陣太郎はぼそぼそとぼやいた。

「あんなにあけっぴろげでこちらを向かれちゃ、偵察なんか出来ないじゃないか」

 第三・三吉湯に向う途中、あまりゆだり過ぎてお腹がすいたと見え、陣太郎は「勇寿司」と染め抜かれた店に飛び込んだ。これはかつて猿沢三吉と泉恵之助がつかみ合いの大喧嘩をした店である。陣太郎はつけ台の方には行かず、隅の卓に腰をおろした。

「イナリ鮨」

 まことに陣太郎らしい鮨を、陣太郎は注文した。

 運ばれてきたイナリ鮨を、またたく間に平らげると、陣太郎はまたタオルと石鹸入れをわしづかみにして、勇寿司を出た。

「さあ。あと一軒だ」

 陣太郎は少し前のめりになって、第三・三吉湯へ向けててくてくと急いだ。

 

 第三・三吉湯の隅のカランに、老人が二人尻を並べて、身体を洗いながら世間話をしていた。どちらも歯がほとんど抜けていて、声がはっきりしないので、話の内容をぬすみ聞こうとするなら、その傍に寄って聞く以外にはなかった。

 陣太郎も、もう身体を洗うのはイヤになっていたらしいが、その話を聞くために老人と尻を並べ、タオルに石鹸をごしごし塗りつけ、顔から肩、胸から腹をあぶくだらけにし始めた。

「今度また三吉湯が一軒ふえるだろ」

「うん」

「泉湯の大将だって、これには困らあね」

「いくらも離れてねえからな」

 発音が不明瞭な上に、湯を流す音、タオルを使う音がまじるので、ところどころしか聞き取れない。

「……勇寿司の大喧嘩以来……」

「……なに、新築場でも……」

「……伜(せがれ)の竜之助……」

 陣太郎は全身白いあぶくに包まれたまま、猟犬のようにきき耳を立てていた。老人たちのぼそぼそ会話は、やがて気の抜けた笑い声とともに終った。老人たちは湯槽に入った。

 陣太郎も急いで石鹸を洗い流し、追っかけて湯漕の中に入った。第一、第二・三吉湯では、陣太郎は浅い子供用の湯槽に入ったのだが、今回ばかりは老人たちの話を聞く関係上、深い熱い方の湯槽に飛び込まざるを得なかった。

 猫舌だと自称するだけあって、熱い方に入るのは大へんな苦痛らしく、陣太郎は金太郎みたいにまっかになってうめいた。

「うん。ううん。熱い。こんな熱い湯におれを入れて、おれの身体からスープでも取るつもりか」

 老人たちは平気で全身をひたし会話を続けていたが、陣太郎はそれをぬすみ聞く余裕もなく、それでも五十秒ぐらいは頑張ったが、ついにたまりかねて、飛沫を上げて飛び魚のように湯槽から飛び出した。へたへたと坐り込みタイルの上をごそごそとシャワーまで這(は)い、水をかぶることによってやっと元気を取り戻した。身体をぬぐい、板の間によろめき戻りながら、陣太郎はいまいましげにつぶやいた。

「ああ、熱かった。あと十秒もつかっていたら、煮えてしまうところだった」

 三たびカンカンに上り、目盛を眺めながら、陣太郎は首をかしげて舌打ちをした。針は十三貫八百匁[やぶちゃん注:五十一・七五キログラム。]を指していた。

「おかしいな。さっきイナリ鮨を食べたというのに、また百匁も滅ったぞ」

 衣類をまとい、下駄をはきながら女湯を観察、陣太郎は第三・三吉湯を出た。

 十分後、れいの角地の新築場の前に、陣太郎はタオルをぶら下げて立っていた。

 槌の音やカンナの音、セメントをまぜる音、掘抜き井戸から粘土質の水を汲み上げる器械音。それらががちゃがちゃと混って、その町角に一大騒音地帯をつくり上げていた。

 陣太郎はしばらく人と器械の動きを眺めていたが、更にくわしく観察する必要を感じたのであろう、とことこと囲いの中に入り、下駄のまま材木の山に登り始めた。

 棟梁(とうりょう)風の男がそれを見とがめた。

「おい、おい。土足でのぼっちゃダメだ。何だい、お前さんは」

 陣太郎は素直に降りて、かるく頭を下げた。

「ちょっとうかがいますが、泉湯という風呂屋はどちらですか?」

 

 泉湯の番台で、泉竜之助は長身の背を丸く曲げ、膝の上の翻訳小説を一心不乱に読みふけっていた。

 まだ時刻が時刻なので、男湯も女湯も客は四人か五人程度で、番台の仕事もさほどいそがしくはない。だから女中頭のお種さんも、若旦那のその所業を大目に見ているのである。もしお客が立てこんできたら、お種さんは暴力をふるっても、その小説本を取り上げるだろう。近頃お種さんは、大旦那の恵之助から事態をこんこんと説明され、相当な筋金入りになっているのだから。

 ガラス戸ががらりとあいて、タオルと石鹸入れをわしづかみにした陣太郎が、のそのそと入ってきた。

 竜之助は視線を小説に吸いつけたまま、条伴反射的に長い手を客の方にニューッと突き出した。

 陣太郎はポケットを探り、十円玉ひとつを、つまみ出し、女湯の方をしげしげと観察しながら、ぽいとそれを竜之助の掌の上にのせた。五円玉をついでにつまみ出さなかったのは、時間をかせぐつもりだったのだろう。

 ところが竜之助の掌は、十円玉を握ったままで、すっと引込んだ。再びニューッと突き出てくるかと待っているのに、一向に出て来ないので、陣太郎は下駄を脱ぎ、いぶかしげに番台をのぞき込んだ。

 竜之助はそれにも気付かず、読書に没顛している。

 陣太郎はにやりと笑って、籠を出して服を脱ぎ始めた。服を脱ぐのも、今日はこれで四度目だから、すっかり慣れて手早かった。

 やがて陣太郎の身体は、浅い方の湯槽に沈没、首だけ浮かして、あたりをじろじろと観察にとりかかった。

 カランの前で、裸の客たちが世間話をしている。

 すなわち陣太郎はその傍に陣取り、また頭のてっぺんから足の先まで、石鹸のあぶくだらけにした。

 客の世間話がまた湯槽に移動したので、陣太郎も早速あぶくを洗い落し、深い方の湯槽にちょっと足指を入れたが、たちまち首をすくめて足指を引っこ抜き、浅い方の湯槽にくらがえをした。

 世間話がなかなか終らないので陣太郎も思わず長湯、顔がゆでだこのようになって来た。

 番台の竜之助はその頃、やっと一区切りを読み終え、顔を上げて、視力を調節するために、天井や湯槽の方を眺めていた。

 すると浅い方に入っていた客のひとりが、ぬっと湯槽を出、そのまま身体をふくこともせず、ふらふらと板の間ヘ歩いてきた。

「のぼせたのかな。あのお客さん」

 そのお客さんはカンカンの前に立ちどまり、両手を胸のあたりに上げ、身もだえするような恰好になったかと思うと、そのままどさりとマットの上にぶっ倒れた。飛沫が板の間に飛び散った。

「たいへんだ」

 竜之助の長身はバネのようにはずみをつけて、番台から板の間に飛び降りた。

 お種さんは急いでカランに走りタオルに水を含ませてかけ戻って来た。ぶっ倒れた陣太郎の心臓の上にタオルを乗せた。陣太郎はうめいた。

 図上作戦もほどほどにすればいいのに、短時間に四回も入浴するなんて、いくら陣太郎でも不覚をとるのは当然である。

 

 お種さんは長年泉湯で働いているから、お客の一人や二人くらいがのぼせたり、脳貧血をおこしたりしても、さほど驚かない。すぐにてきぱきと手当をほどこす。

 しかし泉竜之助の方は、近頃から番台に坐り始めたのだし、根が気弱なたちと来ているから、たちまち驚いて、お種さんが制するのも聞かず、

「医者だ。お医者さまを呼ぼう」

 と、大あわてして泉湯を飛び出し、五分後に医師の手を摑んで、かけ戻ってきた。

 陣太郎はマットの上にぐったりと伸び、冷水タオルを身体のあちこちに乗せられ、四方からうちわであおられていた。

「単純な脳貧血ですな」

 かんたんな診察の後、医師はそう診断、鞄をごそごそと開いて、注射を一本打った。陣太郎は薄眼をあけてあたりを見廻し、また物憂(う)げに眼を閉じた。医師はその陣太郎の皮膚をあちこちつまみながら、いぶかしげにひとりごとを言った。

「おかしいな。この人はまだ若いようだが、皮膚がかさかさだな。すっかり脂肪がぬけている」

 通計四回入浴、四回とも石鹸のあぶくをたっぷりつけて洗い立てたのだから、脂肪がすっかり抜けてしまうのも当然だ。

「なるほど。まるでサラシ鯨みたいでございますね」

 お種さんも気味悪そうに、陣太郎の皮膚に触れ、そう相槌をうった。

「元気が回復したら、脂肪(あぶら)ものでもどっさり摂るんですな。トンカツとかウナギとか」

 そう言い捨てて、医師はそそくさと戻って行った。

 医師の姿が見えなくなると、陣太郎はやや元気になって、のろのろと半身をおこした。顎(あご)をしゃくって衣類籠を指し、お種さんにそれを持って来させ、悠然たる動作で衣服を着用した。失神中に裸をさんざん眺められたという羞恥の情は、微塵(みじん)も陣太郎の表情にはあらわれていなかった。

「大丈夫かい、君」

 竜之助が心配そうに訊(たず)ねた。

「何なら僕の家に行って、しばらくやすまないか」

 番台で竜之助が読みふけっていたのは、西欧の某人道主義作家の作品であったから、その後味が胸に残っていて、それが竜之助をしてこのような隣人愛的な発言をさせた。

[やぶちゃん注:「西欧の某人道主義作家」私は即座にロマン・ロラン(Romain Rolland 一八六六年~一九四四年)を想起した。私は小学生五年から二十歳頃まで熱烈なファンで、あらかたの著作を読み漁ったものだった。]

「そうだな。そうさせて貰おうか」

 おうようとも横柄とも見える答え方を陣太郎はした。

「君の自宅はこの近くかい?」

「すぐ裏なんだよ」

 竜之助はその方角を指差した。

「お種さん。あとをたのむよ」

「番台をからにしておくと、大旦那様がうるさいですから、早く戻ってきて下さいませね」

 お種さんが釘をさした。

「ああ、判ってるよ。判ってるよ」

 二人そろって泉湯を出、裏に廻ってくぐり戸をくぐった。竜之助が先に玄関に入った。玄関脇にころがっているバーベルを、興味ありげに眺めながら、陣太郎もあとにつづいた。竜之助は電話の前に立ち、陣太郎をふり返った。

「君、おなかの具合はどうだね?」

「ぺこぺこだよ」

 陣太郎は悠然と答えた。

 

 泉竜之助は受話器をとりあげながら、また訊ねた。

「何を食べる?」

「ご馳走して呉れるのかい」

 じろじろとあたりを観察しながら、陣太郎は答えた。

「何でもいいよ」

「脂肪分を摂ったがいいって、医者がいってたよ」

 そして竜之助はいたましそうに陣太郎の皮膚を見た。

「今日は朝からなにを食べた?」

「朝?」

 陣太郎は首をかしげた。

「朝はモリソバ。昼は、ええと、昼はイナリ鮨を食べたよ」

「イナリ鮨ねえ。イナリ鮨にはいくらか脂肪はあるが――」

 竜之助は指にはずみをつけて、ダイヤルをぐるぐると廻した。

「もしもし、こちらは泉ですがね、トンカツの特大を二つ。ええ、二人前。大至急」

 がちゃんと受話器を置くと、竜之助は陣太郎をかえりみた。

「さあ。僕の部屋に行こう」

 廊下を先に立つ竜之助の顔には、憐憫(れんびん)の情とともに、自分のヒューマニティーに酔った色がありありとあらわれていた。廊下の尽きるところに、れいの穴だらけの障子があった。

「すこし散らかっているけどね――」

 竜之助は障子をあけながら弁解をした。

「僕はあまりかまわない方なんだ。整頓ということが大のニガテでね、いつも親爺から叱られる」

「ずいぶん本を持っているんだなあ」

 あちこちに積み重なった本を見廻しながら陣太郎は言った。

「古本屋でも開業するつもり?」

「古本屋? 冗談じゃないよ」

 竜之助はちょっと気分を害し、顔をしかめて手を振った。

「僕は本が好きなんだ」

「そう言えば、番台でも何か読みふけっていたようだね。あれは小説かい?」

 そして陣太郎は無遠慮に、竜之助の煙草に手を伸ばした。

「番台はあけて置いてもいいのかね?」

「お種さんがいるから大丈夫だよ」

 竜之助も煙草に火をつけた。

「番台坐りがまた、僕には大のニガテなんだ。それに僕が坐ると、たとえば今日みたいに読書にいそしんでるだろう、そこにつけ込んで湯銭をごまかす奴がいるんだ」

「悪い客がいるもんだなあ」

 自分も十円しか出さなかったくせに、陣太郎はけろりとして言った。

「それじゃ商売が成り立たないだろうね。よその風呂屋との競争もあるだろうし――」

「うん。そこなんだ」

 竜之助はたちまち誘導訊問にひっかかって、勢い込んで答えた。

「うちの親爺と、三吉湯の親爺とが、将棋か何かのことで仲違いしてさ」

「三吉湯?」

 陣太郎はとぼけて反問した。

「うん。あそこの角地に、風呂屋の新築が始まってるだろう。あれがそもそも――」

 その時玄関の方から声がした。

「毎度ありい、トンカツ二丁持って参りました」

 

 二皿のトンカツを陣太郎が食べ終えるのに、一時間近くもかかった。それは揚げ立てで熱く、陣太郎が猫舌のゆえでもあったし、文字通り特大で、硯(すずり)箱ぐらいのかさがあったせいでもあった。さきほどイナリ鮨を食べたばかりなので、二皿目の終りの方は、陣太郎もかなり苦しそうであった。

 しかし、一時間もかかった最大の原因は、陣太郎が質問にいそがしく、竜之助の答えに耳を傾けるのにいそがしかったという点にある。

 また竜之助もよくぺらぺらと答えた。番台に坐っているよりも、こんな風来坊的人物を相手にしている方が、はるかにたのしい風情(ふぜい)で、よくよく竜之助という男は風呂屋向きには出来ていないのである。

 トンカツの最後の一片を、フォークで口にほうり込んだ頃には、泉湯と三吉湯の家族構成、仲たがいのいきさつなど、もろもろの知識を陣太郎は仕入れてしまっていた。脳貧血でぶったおれたのは一期(いちご)[やぶちゃん注:「一生」に同じ。]の不覚であったが、それを手がかりにしていろんなことを探り得たのは、作戦としては大成功の部類に属するだろう。

「ううん。すこしはアブラが戻って来た」

 フォークを置き、陣太郎は両掌で腹部を撫でさすった。さっきまでサラシ鯨のようだった皮膚も、すこしに艶を取り戻してきたようである。

「どうも御馳走さまでした。では」

 陣太郎はあっさり言って、腰を浮かせた。得るべきものはすでに得たから、退散にしくはなしと判断したのだろう。

「ちょ、ちょっと待ちなさいよ」

 竜之助はあわてて呼びとめた。せっかく御馳走してやったのに、あっさりと帰られては間尺に合わない[やぶちゃん注:割に合わない。損になる。]。

「君、帰る家はあるのかい?」

「家ぐらいはあるよ」

 浮浪者あつかいをされて、陣太郎はむっとした顔になった。

「もっともおれの家じゃないけれど」

「下宿?」

「うん。ううん。下宿、かな。そうでもないな。何と言ったらいいか――」

「居候?」

「居候じゃないよ」

 陣太郎はまた唇をとがらせた。

「知合いだ。元おれの家の家令をやっていた男のとこにいる」

「カレイ?」

「うん。でも、近いうちにそこも立退くことになるだろう」

 竜之助は上目使いになって、しげしげと陣太郎の顔を見据(す)えた。すこし経って言った。

「君は何という名?」

「陣太郎」

「いや、姓だよ」

「松平。松平、陣太郎」

 そして陣太郎は、急にするどい眼付きになって、周囲を見廻した。

「でも、今は、ある事情があって、陣内姓を名乗っているんだ。だから、陣内陣太郎」

「どういう事情で?」

 陣太郎は苦悶の表情をつくり、返答はしなかった。

「その家令の家というのは、この近くですか?」

 竜之助の口調はすこし改まり、丁寧になった。陣太郎は苦悶の表情のまま首をふった。

 

2023/07/13

佐藤春夫譯「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」正規表現版 「つれなき人に」丁渥妻

[やぶちゃん注:書誌・底本・凡例等は初回を見られたい。本篇はここ。]

 

  つれなき人に

             淚 濕 香 羅 袖

             臨 風 不 肯 乾

             欲 憑 西 去 雁

             寄 與 薄 情 看

                   丁 渥 妻

 

風は勿(な)ほしそうす衣の

なみだに沾(ひ)ぢし袖たもと

西する雁にことづてて

つれなき人に見せましを

 

   ※

丁 渥 妻  十二世紀ごろ(?)。 宋朝。 その夫が游學して久しく家鄕から遠ざかつてゐた。 一夜夢にその妻が燈下で消息を認(したた)めてゐるところを見たが、文中にこの詩があった。 後日妻 から鄕信(きやうしん)を得て見ると果してかつて夢に見た詩が記(しる)されてあつた。 譯出したのはその不思議な話の主題となるものである。

   ※

[やぶちゃん注:「丁渥妻」は「ていあくのつま」と読んでおく。佐藤の解説にあるように、これは伝奇的な不思議な話として複数の中文サイトの漢籍に認められた。例えば、サイト「中國古典戲曲資料͡庫」の「堅瓠補集」の巻六の「眞夢」がそれである。表記の一致する「維基文庫」の「古今圖諸集成」のこちらの活字版本の画像によって、標題は「寄外」であることが確認出来た。以下、推定訓読をする。

   *

 外(ほか)に寄す

淚 濕(しめ)れる 香羅(かうら)の袖(そで)

風に臨むも 乾(かは)かすを肯(がへん)ぜず

欲(ほつ)す 西に去る雁に憑(たの)まんことを

寄(よ)せ與(あた)へん 薄き情(なさ)けを看(み)せんとや

   *]

佐々木喜善「聽耳草紙」 一五五番 姉妹の病氣

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]

 

      一五五番 姉妹の病氣

 

 或家の姉妹が親たちの取つてくれた聟《むこ》たちを嫌つて一向話もしなかつた。聟たちは力を落して山の方サ步いて行つた。すると山路で旅の六部の爺樣に行き會つた。六部の爺樣が、お前たちは若い者ンに似合はず何してそんな賴り無い顏をして何處へ行けアと訊いたので、聟達は其譯を話した。

 六部の爺樣はそれを聽いて、よしよしそんだら俺がよいやうにして遣るから、俺について來ウと言つた。さうして二人の若者を連れて娘達の家サ行つて、二人をば塀の外に隱して置いて、自分はカンカンと鉦《かね》を叩きながら其家の玄關に立つた。

 姉妹は六部樣が來たと云つて、二人で玄關へ出て六部樣を見て居た。爺樣は美しい姉妹の顏を見るとワツと聲を立てゝ泣き出した。娘たちは驚いて、爺樣爺樣どこか惡がすかと云つて、側へ寄つて來た。そこで爺樣は淚をふきふきその譯を話した。

 娘たち娘たち、よく俺の話か聽いてたもれ、實はこの爺々にも、恰度《ちやうど》お前たちの齡頃《としごろ》の娘が二人あつた。そしてもう齡頃にもなつたものだから聟を取つてアヅけたところ、あることか無いことか親不孝な娘どもは其聟どもを嫌つて、夜もロクロク話をしなかつた。それで聟どもは力を落して出て行つてしまつた。それだけだらあきらめもつくが其の後《あと》姉妹どもア不思議な病ひにかゝつて、遂々《たうとう》死んでしまつた。その病ひとは何だと聽いてクナさるな、娘どもの前の物[やぶちゃん注:隠し所。ほと。]サ匂ひがついて、そこからだんだんと腐つて死んでしまつた。それで俺は斯《か》うして娘どもの後世《ごぜ》を弔ふために𢌞國して居る。恰度同じ齡頃のそれも姉妹のお前だちの顏を見てわが子のことを思ひ出して、遂々泣いてしまつたと話した。

 其話を聽いて姉妹は、顏を見合つて居たが、俄かに寢室へ駈け込んで行つて、前の所を嗅いで見た。すると其所《そこ》が大層臭く匂ふてゐた。これは大變だ。私たちもこゝが腐つて死ぬかも知れないと思つて、聟どもに見向きもしなかつたことを後悔して泣いて居た。そこへ六部の爺樣からいゝから眞直ぐに寢室に入れと言はれた聟たちが、眞直ぐに娘たちの許《もと》へ歸つて來た。そして以前とは違つて仲良く暮すやうになつた。

  (村の犬松爺の話の九。大正十二年の冬頃の分。)

 

奇異雜談集卷第六 目錄・㊀女人死後男を棺の內へ引込ころす事

[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい。【 】は二行割注。本篇ではダッシュを一部で用いた。

 因みに、本篇は、前回と同じ仕儀がなされてある。則ち、同前の原著「剪灯新話」の和訳である。それも同原著の中でも、最も本邦の怪談としてインスパイアされ続けた「牡丹灯記」のそれである。前回と同様に、私の五月蠅い注と同じく、作者の解説が冒頭からガッツリと本文に繰り込まれているから、それが五月蠅いとする御仁は、原作の原書の原文を読まれるに若くはない。「中國哲學書電子化計劃」のこちらから、影印本で視認出来るから、これが一番良い(但し、右にある電子化されたものはダメである。機械判読で、とんでもない字起こしになっているから)。「中国語では読めない。」と言う方、ご安心あれ! これ、実は、逆輸入(後の本文の私の注を参照)版で、日本語の訓点附きなのだ!

 なお、高田衛編・校注「江戸怪談集」上(岩波文庫一九八九年刊)に載る挿絵(本篇では二幅ある)をトリミング補正して、適切と思われる箇所に掲げた。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。]

 

竒異錄談集卷第六

          目錄

㊀女人死後(しご)男(おとこ[やぶちゃん注:ママ。])を棺(くわん)の內へ引込(ひきこみ)ころす事

㊁干將莫耶(かんしやうばくや)が剱(けん)の事

㊂弓馬(きうば)の德(とく)によつて申陽洞(しんやうとう[やぶちゃん注:ママ。])に行(ゆき)三女(ぢよ)をつれ歸り妻(つま)として榮花(えいくは)を致(いた)せし事

 

   ㊀女人《によにん》死後男を棺の內へ引込ころす事

 唐(から)には、正月十五日の夜、家々の門(かと[やぶちゃん注:ママ。])に、ともしびをあかし、種々(しゆじゆ)、いぎやう[やぶちゃん注:「異形」。]のとうろう[やぶちゃん注:「灯籠」。]をはりて、門《かど》にかくるゆへ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]に、男女(なんによ)諸人(しよにん)、是をみて、曉(あかつき)にいたるまで、あそびありく事、日本(にほん)の盆(ぼん)のごとくなり。是は、「三元下降(《さん》げんげかう)の日《ひ》」といふて、一年に三度、天帝(てんてい)、あまくだりて、人間の善業(ぜんごう[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。])・惡業(あくごう)を記(き)する日《ひ》也。正月十五日を「上元《じやうげん》」といふ。此の夜を「元宵(げんせう)」とも「元夕(げんせき)」ともいふなり。七月十五日を「中元《ちゆうげん》」といふ。十月十五日を「下元《げげん》」といふなり。此のゆへ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]に、唐には、上元の夜、家々(いけいへ)の門に、ともしびを、あかして、天帝を、まつる。すなはち、是、七月否卦(ひのけ)十五日に、鬼霊(きれう[やぶちゃん注:ママ。])をまつる日に、あたるなり。

  「牡丹灯記(ぼたんとうのき)」 牡丹の枝(えだ)
  のさきに、花、二つ、あひならふ[やぶちゃん注:ママ。]
  形を、灯籠に、はるたり。是を「双頭の牡丹灯」と
  いふなり。

[やぶちゃん注:「鬼霊」。中国語では、本来、「鬼」はフラットに死者を指す。従って、ここでは「亡き人の霊」の意である。]

 元朝(げんてう)のすゑの至正(しせい)年中のことなるに、明州(みやうしう)の鎭明嶺(ちんめいれい)のもとに、喬生(きやうせい)といふものあり。妻をうしなひて、やもめにして閑居す。

 正月十五夜にいたりて、諸人、みな出《いで》て、灯籠を見て、遊び行(ありく)といへども、喬生は、ひとり、門(かど)に、たゝずみて、みちに出《いで》あそばす[やぶちゃん注:ママ。「ず」。]

 夜半のすぎになりて、道に、人もなく、月のみ、あきらかなるに、丫鬟(あくはん[やぶちゃん注:ママ。「あくわん」が正しい。以下同じ。]/びんづう[やぶちゃん注:右左のルビ。左は意訳。以下同じ。])の童女、一人《ひとり》ありて、双頭の牡丹灯を、かたに、かかげて、さきにゆけば、後(あと)に、窈窕(ようぢやう[やぶちゃん注:ママ。「えうてう」が正しい。]/みやびやめ[やぶちゃん注:「雅や」(かなる)「女(め)」。])たる美女一人、したがつて、西(にし)にゆく。

 喬生、これを見て、やむことをえず、すなはち、出行(いでゆき)て、ちかくみれば、はなはだ、すぐれたる美女なり。年に約(やく)せば、十七、八、くれなゐの裙(もすそ)、みどりの袖(そで)にして、ゆるやかに步む。氣(け)だかき躰(てい)、まことに国をかたぶくべき色(いろ)なり。

[やぶちゃん注:「至正年中」元の順帝(恵宗)トゴン・テムルの治世で用いられた元号。一三四一年から一三七〇年。一三六八年に元が大都(現在の北京)を追われた後も、北元の元号として使用された。但し、原作では冒頭、「方氏之據浙東也」(方氏(はうし)の浙東(せつとう)に據(よ)るや)とあり、「方氏」は元末の戦乱の嚆矢となった反乱指導者の一人であった方国珍(一三一九年~一三七四年)で、浙江で反乱を起こし、浙江省東部を占拠した。当該ウィキによれば、『塩の密売を行っていたが』、至正八(一三四八)年に『海賊と繋がっているとの讒言を受け、やむを得ず』、『数千の衆を集めて弟の方国瑛と共に反乱を起こした』。『元はこれに対して討伐軍を出してくるが、その軍は弱く、方国珍は大勝し』、『江浙行省参知政事ドルジバル(朶爾直班)を虜にした。討伐が難しいと思った元政府は方国珍に対し』、『県尉の役職を授けて懐柔しようとし、方国珍も』、『一旦は』、『これを受けて矛を収めたが、その後』、『再び背』き、『再び送られた政府の討伐軍は』、『また』して『も敗れ、江浙行省左丞相ボロト・テムル(孛羅帖木児)は虜となった。その後、方国珍に対し』、『政府は前よりも高い官職を授けた』。『その後、何度もこれを繰り返し、その度に官職が高くなり、最終的に』至正二六(一三六六)年九月に『江浙行省左丞相・衢国公にまで登』ったとある。彼は後に、明の初代皇帝となる朱元璋に降伏している。なお、彼は『朱元璋と争った群雄の中で』、『唯一』、『天寿を全うした』ともある。実は原作では「至正庚子之嵗」とあるので、さらにユリウス暦で一三六〇年に限定出来ることになる。

「明州の鎭明嶺」現在の浙江省寧波市であるが、岩波文庫の高田氏の注よれば、「鎭明嶺」は『市内の小高い街区の名』とある。グーグル・マップ・データ航空写真で同区を見るに、現在では、元は丘陵地であったかと思わせるものでしかない。

「喬生」「生」は中国語では「~の者」を指す名詞を作る語素である。なお、岩波文庫では『喬正』となっている。

「丫鬟」現代中国語の音写では「ィア フゥァン」。岩波文庫の高田氏注に、『頭髪を両脇にまとめた少女の髪型。転じて、少女をいうことがある』とあり、ここでも後者で、「年少の侍女・召使い・婢」を指す。より正確には、髪を左右に分けて角形(丸い塊り状)に結った髪型で、本邦の「あげまき」(総角)に相当する。中文サイト「中文百科」の「丫環」に写真がある。]

 喬生、心もまどふばかりにて、つゐに[やぶちゃん注:ママ。]あとにしたがひ行く。あるひは[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]、さきになり、あるひは、あとになりて、ゆくこと、半町[やぶちゃん注:五十四・五メートル。]ばかりにして、美女、たちまちに、喬生を見て、微哂(すこしわらひ)ていはく、

「旧(もと)、見し人に、あらず。月下(げつか)に、はしめて[やぶちゃん注:ママ。]見る。もと、知(しる)の心に、似たり。」

といへば、喬生、よろこんで、さしよりて、いはく、

「我家(わがいへ)、ほど近し。來たりて、やどり給はんや、いなや。」

といへば、女、すなはち、うけがふ。

 丫鬟(あくわん)をば、名を「金蓮」といふ。牡丹灯をかかげて、さきにゆくぞ。

 すなはち、女の手をとりて、我家に引《ひき》て入れり。

 金蓮をば、はしのま[やぶちゃん注:「端の間」。]に居(きよ)せしめ、女を中堂(ちうのま)に請(しやう)じいるゝなり。

「はからざるの佳遇(かぐう)。」

とて、帳(とばり)を、たれ、枕を、ならべ、はなはた[やぶちゃん注:ママ。]、歡悅(くわんえつ)を、きはむ。

 世にたぐひなき、多情(たせい[やぶちゃん注:ママ。])なり。

[やぶちゃん注:「多情」(たじやう)情が深くて、感じやすいこと。

「もと、知(しる)の心」高田氏の注に、『以前からの知り合いのように思われる、の意』とある。]

 因(ちなみ)に、その姓名と居所(きよしよ)をたづねとへば、女のいはく、

「姓は符氏(ふし)、名は麗卿(れいけい)、字(あざな)は芳叔(はうしゆく)。すなはち、故(こ)奉化州判(はうくはしうはん)の娘なり。先人《せんじん》、早く、さつて、父母兄㐧(《ぶも》けいてい)もなく、親類一族も、なし。家居(いへゐ)もれいらく[やぶちゃん注:「零落」。]し、世の緣も、おとろへつきて、たゝ[やぶちゃん注:ママ。]金蓮と二人、居(きよ)を湖西(こせい)によするのみなり。こよひの、にひまくら[やぶちゃん注:「新枕」。]、わするへからす[やぶちゃん注:総てママ。]。鳥(とり)、なき、天(そら)、あくる。」

と、いふて、出《いで》さるなり。

[やぶちゃん注:「奉化州判」高田氏の注に、『「奉化」は浙江省奉化州。「州判」は裁判所の書記官』とある。「奉化州」は現在の浙江省寧波市奉化市(市轄区:グーグル・マップ・データ)。

「湖西」この湖は後に出るが、月湖(げつこ/がつこ)である。先の鎮明区の西直近にある(グーグル・マップ・データ:地区は寧波市海曙区)。その西岸の意。地図を見られると判る通り、この湖は「三日月」の形を成しているのである。当該ウィキによれば、『人造湖』であって、初『唐の貞観』一〇(六三六)『年に開鑿され、当初は町の西にあることから西湖と呼ばれていたが、宋の元祐年間』(一〇八六年~一〇九四年)『に現在の規模に整備され』、『三日月に似た形状から、月湖と名付けられる』とある。]

 喬生、ゆめのさめたるがごとくして、人と、かたる事なく、よろこび、たのしめり。

 夜(よ)にいたりて、美女、また、きたる。

 これより、夜夜(よなよな)、きたり、朝朝(あさなあさな)にさること、まさに半月(はんげつ)ならんとす。

 

Botantouki

 

[やぶちゃん注:底本の大きなそれはこちら。髑髏(どくろ)の麗卿と対していながら、それに気づかない喬生。右手端に覗く隣家の老翁。下方左手の屋外の軒下に牡丹燈籠を持った、何となく不思議な姿勢で固まって突っ立っているように見える(これは確信犯の描き方で、後で判明する)金蓮。但し、この挿絵は原話に即して中国の景物で描かれてあり、例えば、喬生と髑髏の麗卿のいるのは、中国でも相応の富人の家の御堂風の中で、隣りの老翁は、本文では実際に同じ棟の長屋のような構造の隣り合せであって、壁にあった穴から喬生の部屋の怪異を覗くことになっており、金蓮も喬生の家居の別の部屋にいることになっているから、甚だ違和感がある。]

 

 隣家(りんか)の老翁(らうをう)、これを、うたがひ、壁の穴より、これをうかゞひみるに、粉(こ)をぬり、よそほひしたる髑髏(どくろ/されかうべ)の女、一人、ともしびの下に、喬生とならび居《を》るを、見る。

 老翁、おほきにおどろきて、明日《みやうじつ》、これをつぐれば、喬生、祕(ひ)して、さらに、いはず。

 老翁の、いはく、

「ああ、なんぢにわざわひ[やぶちゃん注:ママ。]あり。なんぢは、すなはち、いたつて、さかんなる陽氣(やうき)、かれ[やぶちゃん注:かの者(存在)。]は、すなはち、いたつて、けがれたる陰氣(いんき)なり。今、汝、骸骨(がいこつ)の妖魅(ばけもの)と、おなじく座(ざ)して、しらず。邪氣(じやき)の幽霊と、おなじく臥(ふ)して、さとらず。汝、日々《ひにひに》に、きりよく、おとろへ、つき、家に、時々、さいなん、出(いで)て、をかさん[やぶちゃん注:「犯さん」。「災難が出来(しゅったい)して、それに致命的に襲われることになるぞ!」。]。おしゐかな[やぶちゃん注:総てママ。]、若年(ぢやくねん)の身にして、にはかにめいど[やぶちゃん注:「冥土」。]の人とならん事、かなしまざるべけんや。」

といへば、喬生、はしめて[やぶちゃん注:ママ。]おとろき[やぶちゃん注:ママ。]おそれて、つぶさに、その由來をかたる。

 老翁のいはく、

「かれ、『湖西に居を寄(よす)』と、いひしや。しからば、なんぢ、まさにゆき、ねんごろに、よく、たづねば、しかるべし。」

といふ。

 喬生、そのをしへのごとく、月湖(くわつこ[やぶちゃん注:ママ。])の西にゆき、長堤(ちやうてい)の上、高橋(かうきやう)の下《もと》に、ゆきゝして、所の人に、とひ、旅人(たび《びと》)に、とへは[やぶちゃん注:ママ。]、みな、しらざるなり。

 日、まさに暮れんとす。

 喬生、湖心寺(こしんじ)の門《もん》に入りて、東(ひがし)の廊架(らうか)[やぶちゃん注:「廊下」に同じ。]を、ゆきつくして、西の廊架に、うつりて、ゆけば、らうかの、つくる所に、一《ひとつ》の小堂(せうだう)あり。

 內に、柩(ひつぎ)あり。

 白紙(はくし)に、その名を、かきて、貼(をし[やぶちゃん注:ママ。])したり。[やぶちゃん注:押し貼り付けてあった。]

 文(もん)にいはく、

――故(こ)奉化(はうか)符州判(ふしうはん)のむすめ麗卿の柩――

と云々。

 前に、双頭の牡丹灯を、かけ、下に、一(ひとつ)の丫鬟(あくはん)の童女(どうによ)を立《たて》たり。

 そのうしろに「金蓮」の二字、あり。

 喬生、これを見て、身(み)の毛(け)だち、鳥(とり)はだ立《たち》て、はしりて、寺を出《いで》て、後(うしろ)をかへりみずして、かへるなり。

[やぶちゃん注:「潮心寺」高田氏の注に、『月湖の中の島にあった寺院』とする。種々の論文その他をさんざん調べた結果、現在の月湖の中の島の中にある、かの本邦の画僧雪舟を記念した「雪舟紀念館」が、旧湖心寺の跡地に建っている(グーグル・マップ・データ)ことが確定的に判った(航空写真に切り替えた場合は、大きなズレが生ずるので注意されたい)

「丫鬟の童女」高田氏の注に、『原話「明器婢子」。童女人形』とある。「中國哲學書電子化計劃」影印本版では、ここで(【 】は二行割注。一部は所持する太刀川清「牡丹灯記の系譜」(平成一〇(一九九八)年勉誠社刊)の巻末にある「剪灯新話句解」所収の原文で補った)、『燈下盟【音明】器婢子【器。禮喪服小記陳器從ㇾ葬明器也此明器蒭人也】背上二字金蓮』とある。何となく、お判り戴けると思うが、太刀川氏の当該書本文冒頭にある「『剪灯新話』と「牡丹灯記」」の中で、国書刊行会昭和六二(一九八七)年刊の『叢書江戸文庫』の「百物語怪談集成」の月報に載る高田衛氏の「百物語と牡丹灯籠怪談」の引用があり(実は私は同書を所持しており、同書の怪奇談の総てを電子化注終えているのだが、その作業中、当該「月報」を、どこかに放置してしまい、今、見出せないため、孫引きにて悪しからず)そこに、『「冥器婢子」(侍女の人形、死者への副葬品)』とあって、金蓮は、その人形が化した呪的人形(ひとがた)であったことが明らかになっているのである。この太刀川氏の著書は、私が読んだ漢籍関連の論考(偏愛する李賀の論考類は別にする)では、甚だ興味深い論文であった。例えば、この章の、この前後では、「牡丹灯記」に於ける、この人形(ひとがた)の呪的人形(にんぎょう)でしかない「金蓮」こそが――麗卿ではなく、である――主人公を致命的な災厄へと導くところの、魔的にして深刻な、おぞましい誘導・起動装置に他ならず、それこそが、ここに現れた「翁」によって何よりも第一に『糾弾され弾劾されなければならな』いところの呪的存在であった、と太刀川氏(高田氏も含めて)は指摘されておられるのである。なお、太刀川氏は『金蓮とは纏足』(てんそく)『の美称であり、「金蓮歩」と言って美女の艶麗な歩みをおいう語でもある』とあり、既にして、この名にも男が魅了されてしまう呪的意義が含まれているのであった。]

 此の夜、となりの、おきなが家に宿(やど)をかりて、つぶさにかたりて、うれへ、おそるゝなり。

 老翁の、いはく、

「玄妙觀(げんみやうくわん)の魏法師は、政開府(せいかいふ)の王眞人(わうしんじん)の弟子なり。符(ふ)のきどく[やぶちゃん注:「奇特」。]、當時(たうじ)㐧一とする也。汝、急(きう)に、ゆきて、是を、もとめよ。」

と云ふ。

[やぶちゃん注:「玄妙觀」道教の道観(寺院)の一つの固有名詞。所持する竹田晃他編著になる二〇〇八年明治書院刊の『中国古典小説選』第九巻「剪灯新話<明代>」によれば、『現在の浙江省鄞県にある道教の寺』とある。現在は、浙江省寧波市鄞(ぎん)州区(グーグル・マップ・データ)。

「政開府」不詳。

「王眞人」不詳。但し、「眞人」は、老荘思想や道教に於いて「人間の理想像とされる存在や仙人の別称」として、よく用いられる語である。

「符」護符。高田氏の注には、『道教で、福を招き、災』(わざわい)『をさけ、魔物をおさえ、鬼神をつかうためのお札』とある。]

 明旦(みやうたん)に、喬生、玄妙觀の內に詣(けい)ずれば、法師、その至(いた)るを見て、驚きて、いはく、

「妖氣(ばけもの)、をかす[やぶちゃん注:ママ。]事、はなはだ、深く、染(しみ)たり。いかんしてか、こゝに、來たるや。」

と。

 喬生、すなはち、座下(ざか)に拜(はい)して、つぶさに、その事をかたば、法師、朱(しゆ)の符、二つう[やぶちゃん注:「通」。]を、さづけて、一《ひとつ》をば、門(もん)に、をき[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]、一をば、座(ざ)に、をかしむ。これを、いまめて、いはく、

「ふたゝひ[やぶちゃん注:ママ。]、湖心寺に行くこと、なかれ。」

と、かたく、しめすなり。

[やぶちゃん注:「座」原作では「榻(とう)」で、寝台。「座」にはその意味はない。]

 喬生、符を受けて歸りて、そのいふがごとくすれば、かの霊(りやう)、はたして

、きたらざる事、一月《ひとつき》あまりなり。

 喬生、知音(ちん)に語りて、いはく、

「われ、衮繡橋(こんしうきやう)のあたりにゆきて、友を、とはん。」

と、いひし。

[やぶちゃん注:「衮繡橋」の「中國哲學書電子化計劃」の影印本や明治書院刊の『中国古典小説選』版では、この「衮」の字を用いている。岩波文庫は「袞」を当てている。迷ったが、底本の崩し字は、どちらかというと「衮」に近く見えたため、かくした。但し、これ、同字の異体字である(リンク先は「グリフウィキ」の「袞」)から、実際にはどちらでも問題はない。なお、『中国古典小説選』版ではこの橋名に注があり、『現在の浙江省鄞』(ぎん)『県の西南にある橋』とある。しかし、岩波文庫の高田氏の注は、『月湖にかかる橋の名』とする。もし、前者であるとすれば、その現行の地区(先に出した寧波市鄞(ぎん)州区)で同じであるなら、わざわざ月湖を通って行く必要は、ない。寧ろ、高田氏の言うそれなら、どこにその橋が架かっているか判らないが、その橋の西側(月湖の西岸一帯のどこか)に友がいるとなら、月湖を大きく南回りするか、或いは北回りして、月湖を渡らずに行くことは可能であり、それほど面倒とは言えない(計測してみたが、短ければ、二キロ程度、長くても、三~四キロである)から、されば、往路では、魏法師の禁制を守って、それを選んだとすれば、すこぶる、腑には落ちるのである。但し、その友人の家が月湖の西岸のほぼ中央附近にあったとすれば、月湖に架かる湖心寺の脇(南)を通る橋を横切った方が、確実に近いことは確かである。

 そのゝち、數日(すじつ)、喬正を、みざれば、知音、その、久しく歸らざることを怪しんで、衮繡橋の邊(へん)にゆきて、その友の家を、とへば、友のいはく、

「喬生、數日《すじつ》さきに、こゝにをいて[やぶちゃん注:ママ。]、酒をのみて、よひて、かへる。湖心寺の道を行くとみて、そのゝちは、しらず。」

といふ。

[やぶちゃん注:「よひて」は「醉(ゑ)ひて」の誤りなら、ママ注記で済ますところだが、実はこの妙に細かい部分は、原作にないので、何とも言えない。原作では、友と溜飲してしまい、魏法師の戒めを、うっかり忘れて、湖心寺の脇を抜ける橋を渡ってしまったところが、寺の門のところで……金蓮が礼拝して彼を待っていた……(以下のカタストロフは実景として語られてある。影印本はここ)。さて、数日、喬生が帰ってこないことを心配して、探しに出たのは、隣りの老翁で、湖心寺へ直行しているのである。「知音」は登場してこないである)。何故なら、岩波文庫版では、ここの原文が『夜(よ)びて』となっており、高田氏は注して『夜になって』とされておられるからである。

 知音の、おもへらく、

「酒にゑひて、魏法師の戒めを、わすれ、又、湖心寺にゆくや。」

と、いひて、湖心寺の門に入《いる》。

 西廊を、ゆきつくせば、古堂(こだう)の內に柩(ひつぎ)あり。「ひつぎ」の間より、衣(きぬ)の裳(も)、すこし、出でたり。

 是、喬生が裳、よく、見しりたり。

 柩のめい[やぶちゃん注:「銘」。]、白紙(はくし)にかける所、さきに、喬生が、かたる所、ならびに、双頭の牡丹灯を、かけ、童女(どう《ぢよ》)のうしろに、「金蓮」の二字等(とう)の事、まつたく、さきにきく處と、おなし[やぶちゃん注:ママ。]

 寺僧につげて、柩のふたを、のみ[やぶちゃん注:「鑿」。]をもつて、あけてみれば、喬生、死して、うつぶきて、上に、あり。

 女は、あふのきて、下に、あり。

 女のかほばせ、いけるがことし[やぶちゃん注:ママ。]

 寺僧、歎(たん)じていはく、

「これは、故奉化州符判君のむすめなり。死せる時、年十七、柩に、おさめて[やぶちゃん注:ママ。]、こゝに、をく[やぶちゃん注:ママ。]。そのとき、親族一家(け)中、皆、こゝにきたる。そのゝち、つゐに[やぶちゃん注:ママ。]音信を絕(ぜつ)する事、十二年なり。おもはざりき、妖怪となることの、かくのことく[やぶちゃん注:ママ。]ならんとは。」

と。つゐに[やぶちゃん注:ママ。]二つ

のかばねの柩、ならびに、金蓮人形(きんれんのにんぎやう)を、西門(さいもん)の外(ほか)に送りてうづむ。

 このゝち、空(そら)のくもるゆふべ、月のくらき夜(よ)、往々(わうわう)に、喬生と、女と、手をたづさへて、おなじく、步あるく。一《ひとり》の丫鬟(あくわん)、双頭の牡丹とうを、かゝげて、さきにみちびき、ゆくを、みるなり。

 是にあふものは、すなはち、重病をえて、寒熱(かんねつ)、往來(わうらい)す。

[やぶちゃん注:この病態は熱性マラリアのそれである。]

 いのるに、くどく[やぶちゃん注:「功徳」。]をもつてし、祭るに、牢醴(らうれい)をもつてすれば、粗(ほゞ)いゆる事をえ、いなやのときんば、いへえさるなり[やぶちゃん注:総てママ。]

[やぶちゃん注:「牢醴」高田氏の注に、『牛・羊・豕』(いのこ:ブタのこと)『の三種のいけにえと』、『酒を供えること』とある。]

 在所(ざいしよ)の衆《しゆ》、おほきにおそれて、玄妙觀に、きそひゆきて、魏法師にあふて、これを、うつたふれば、法師のいはく、

「わが符(ふ)は、たゞその邪氣の、いまだ、ふかゝらざるを、よく治(ぢ)す。いま、たゝり、ふかくなれり。我(わが)しる所に、あらず。きく、鐵冠道人(てつくわんだうにん)といふ人、あり、四明山(しめいざん)のいたゞきに居(きよ)す。行力(ぎやうりき)[やぶちゃん注:霊験力(れいげんりょく)。神通力(じんつうりき)。]、げんぢうにして、鬼神(きじん)をがうぶく[やぶちゃん注:「降伏」。]す。なんぢがともがら、行《ゆき》て、これを、求むべし。」

といへり。

[やぶちゃん注:「我しる所に、あらず」「自分が持っている力で退治せしめることが可能な範囲を超えてしまっているため、それは不可能である。」。

「鐵冠道人」高田氏の注に、『本名を張中または張景華といい、元末に実在した道教の僧』とある。本邦では、芥川龍之介が大正九(一九二〇)年七月一日発行の雑誌『赤い鳥』に掲載した童話の「杜子春」(リンク先は私の古いサイト版)に登場させている仙人の名「鐵冠子」で、専ら、知られる。但し、原作には登場しない(私のサイト版の杜子春 李復言(原典)やぶちゃん版訓読語註現代語訳を見られたい)。

「四明山」浙江省寧波西方(ピークとしての「四明山」は紹興市の県級市である嵊州(じょうしゅう)市に属する:グーグル・マップ・データ航空写真)にあって、天台山から北東方に連なる山一帯を指す。「日月星辰に光を通ずる」の義から四明山と呼ばれる。寧波の古称である「明州」(めいしゅう)もこの山名に因む。山中には雪竇山資聖寺(せっちょうざんししょうじ)・天童山景徳寺(てんどうざんけいとくじ)・阿育王山寺(あいくおうさんじ)など、歴史的に有名な仏教寺院があるが、道教でも、この山は「第九洞天」と称して尊ぶ。十世紀末、阿育王山寺の義寂(ぎじゃく)に天台を受けた知礼(ちれい)は、明州の延慶寺(えんけいじ)に住して「山家(さんげ)派」と称し、「山外(さんがい)派」の梵天慶昭(ぼんてんけいしょう)・孤山智円(こざんちえん)を論破して「四明尊者」と称され、以後の中国天台宗教学は「四明派」に覆われるに至った。本邦の比叡山山頂を「四明ヶ岳」(しめいがたけ)と称するのも、この山名に因む(主文は小学館「日本大百科全書」に拠った)。]

 衆《しゆ》、みな、山にのぼる。葛(くづ)、藤(ふぢ)を、よぢて、けはしき崕(がけ)をわたりて、すぐに山のいたゞきに、いたれば、はたして、草庵、一所あり。

 道人(だうにん)、几(おしまつき)に、よりかかりて座(ざ)す。

[やぶちゃん注:「几(おしまつき)」「おしまづき」が正しい。物を載せたり、肘(ひじ)や腰を掛けたりする足附きの台・机を言う。音は「キ」。その和訓で「脇息(きょうそく)・机」の意。]

 かたはらに、童子(どうじ)、鶴(つる)を愛する、あり。

 衆、みな、庵下(あんか)に、つらなつて、拜す。つぶさに、上來(しやうらい)[やぶちゃん注:今までのかの霊を見てしまうことによって生ずる悪しき事態全般。]のゆへ[やぶちゃん注:総てママ。]をつぐれは[やぶちゃん注:総てママ。]、道人の、いはく、

「山林(さんりん)の隱士(いんし)、旦暮(たんぼ)に、かつ、死せん。いづくんぞ、きどく[やぶちゃん注:「奇特」。]あらん。君がともがら、誤ち聞けり。」

[やぶちゃん注:「儂(わし)は巷間(こうかん)を厭うて、このような深山に隠棲した者であって、今日の暮れか、明日の早朝にでも、直ちに死んじまうような老いぼれに過ぎん! どうして、ぬし等(ら)が言うような、そんなありがたい通力(つうりき)を持っていようはずはないんじゃ! あんたら、何かの聴き違いをしたんじゃて!」。]

 人衆(にんしゆ)をこばむこと、はなはだ、いつくし[やぶちゃん注:極めて頑固であった。]。

 衆の、いはく、

「それがし[やぶちゃん注:複数形。「わたくしども」。]、もと、しらず。けだし、玄妙觀の魏法師、さしをふる[やぶちゃん注:「差し敎ふる」。]ところ、しかり。」

といへば、はじめて、ほどけたり[やぶちゃん注:苦虫を潰して「解かったわい!」という顔をした。]。

 しかうしていはく、

「老夫(らうふ)、山を、くだらざる事、六十年なるに、玄妙觀の小子(《しやう》す)、繞舌(ねうぜつ)に口をきいて、わが出行(しゆつぎやう)をわづらはす。」

[やぶちゃん注:「小子」「小僧っ子めガッツ!」。

「繞舌に口をきいて」「お喋りに過ぎて、ベラベラと吹聴しよるからに!」。

「わが出行をわづらはす」「儂の出動を煩わしおったわッツ!」。]

 すなはち、童子と、山をくだる。

 行步(ぎやうぶ)かろく、すこやかにして、たゞちに西門(さいもん)の外(ほか)にいたりて、一丈四方の壇(だん)をむすんで、むしろをのべて、端座す。

 符をかきて、これを、たけば[やぶちゃん注:「焚けば」。]、たちまちに、符のつかはしめ數輩(すはい)、化現(けげん)す。符の煙(けふり)より、出でたり。

[やぶちゃん注:「つかはしめ」岩波文庫原文では『吏女(つかわしめ)』(同書のルビは悲しいかな、現代仮名遣である)とする。原作では「符吏」(ふり)であり、女の姿を指示していない。呪符によって呼び出されて出現した幽鬼を取り締まる道教の冥府系の断罪をこととする酷吏であり、正直、女の姿はあり得ないと私は思う。]

 すなはち、是、道人(だうにん)の吏(つかはしめ)、護法(ごはう)のたぐひなり。

[やぶちゃん注:以上の一文は本書の作者による解説。「護法」は概ね、本邦に於いて広義には、仏法に帰依して三宝を守護する神霊・鬼神の類いを指すが、狭義には、密教の奥義を極めた高僧や修験道の行者・山伏たちの使役する神霊・鬼神を意味する。童子形で語られることが多いため、「護法童子」と呼ぶことが広く定着しているが、実際には、所謂、鬼や、動物のような姿で描かれることも多い。]

 そのかたち、みな、黃(き)なるぼうし、にしきの襖(おほころも)、こがねのよろひ、ゑりもの[やぶちゃん注:「彫(ゑ)り物」。]したる戈(ほこ)、おのおの、長(たけ)一丈あまり、みな、壇の下に、

「きつ」

と、たてをきて[やぶちゃん注:ママ。]、身を屈し、かうべをたれて、道人の命(めい)をうけて、うやまひ、おれ[やぶちゃん注:ママ。]り。

 道人、これに命じていはく、

「此間(こゝもと)に邪氣のたゝりをなして、人民(にんみん)をおどろかし、わづらはすもの、あり。なんぢがともがら、是をしるべし。かり出《いだ》して、こゝにいたれ。」

といへば、吏(つかはしめ)、すなはち行《ゆき》て、時をうつさず、枷(てがせ)・鎖(くさり)をもつて、三人ともに、ひいてきたり。

[やぶちゃん注:「三人」喬生・符麗卿・金蓮。]

 むち[やぶちゃん注:「鞭」。]を、もつて、うつ事、はかりなし[やぶちゃん注:際限がなく、容赦もない責めであることをいう。]。

 血、ながれて、やまず。

 道人《だうじん》、ことばをもつて、かしやく[やぶちゃん注:「呵責」。]する事、やや久し。

 三人のゆふれい[やぶちゃん注:ママ。]、みな、諾伏(だくふく)して、いはく、

「あへて、ふたたび、たゝりをなし、人をわづらはす事、あるべからず。」

と、いふて、拜(はい)し、さつて、見えず。

 道人と吏《つかはしめ》と、ともに、さりて、かへるなり。

 翌日、衆(しゆ)、みな、山にのぼりて、謝(しや)せんとすれば、たゞ、草庵のみありて、道人、なし。

 又、玄妙觀に行《ゆき》て、魏法師に謁(ゑつ[やぶちゃん注:ママ。])すれば、唖(をし[やぶちゃん注:ママ。])にして、物いふ事、あたはざるなり。

 けだし、鐵冠道人の、なせるところか。

[やぶちゃん注:本話は、後の浅井了意の「伽婢子」(リンク先で全篇正規表現で昨年電子化注を終えている)の名翻案「卷之三 牡丹燈籠」で、大ブレイクしたことから、そちらを先に読み、ここに至る読者が多いとは思う。他にも、幾つもの、翻案・改作が繰り返されたから、それらの時系列を逆に読んでしまうと、本篇は、ちょっと食い足りない感じは残る。しかし、市井に公刊された「牡丹燈記」の濫觴として、やはり、優れたものであり、本邦の大衆に判るように、注形式ではなく、作者が登場して、解説を本文に差し入れて語っているそれは、まことに画期的と言うべきで、もっと本篇は高く評価されるべきものと思う。私のこの電子化が、その一助となれば、恩幸、これに過ぎたるはない。]

梅崎春生「つむじ風」(その9) 「真知子」

[やぶちゃん注:本篇の初出・底本・凡例その他は初回を見られたい。]

 

     真 知 子

 

 猿沢三吉の自動車は、上風タクシー会社の構内に、がたごとと入って行った。

 適当な位置に停車すると、三吉はごそごそと運転台から這い出し、建物入口の受付に歩いた。

「上風君はいますかね?」

「いらっしゃいます。どうぞ」

 受付では、若い男が二人、将棋をさしていた。駒数がすくないところを見ると、もう終盤戦らしい。その盤面をちらと一瞥しただけで、三吉の血は騒いだ。思いあきらめてはいても、やはり血の方で勝手に騒ぎ立てるのである。

「もうずいぶん長いこと、将棋をささないなあ」

 奥の社長室の方に歩きながら、三吉の手は自然と将棋の駒を動かす指付きになっていた。

「あの恵之助の野郎め。将棋は空っ下手のくせに、江戸っ子ぶりやがって。そのうちに一泡吹かせてやるぞ!」

 その将棋の空っ下手の恵之助に、五十一対五十で負けたことも忘れて、三吉はぼそぼそとつぶやいた。

 上風タクシー会社社長上風徳行(かみかぜとくゆき)は、顎鬚(あごひげ)をたくわえた顔の四角な四十男で、大きな社長卓を前にしてでんと腰をおろし、ハサミと櫛でもって顎鬚手入れに余念がなかった。その社長室に、扉を排して[やぶちゃん注:「はいして」。手で押し開いて。]猿沢三吉がのこのこと入ってきた。

「やあ」

「やあ」

「ようこそ」

 三吉は卓をはさんで、上風と向き合って腰をおろした。上風は小さな卓上鏡をのぞき、ハサミをちょきちょきと鳴らしながら訊(たず)ねた。

「朝っぱらから、何か御用かね?」

「うん。ブレーキの具合がちょっとおかしいんでね、お宅で直して貰おうと思ってさ」

「お安い御用だ」

 上風社長はハサミを卓に置き、立ち上って窓をあけ、大声で怒鳴った。

「修繕部の野郎ども。猿沢さんの車のブレーキの具合が悪いそうだ。ただちに故障個所をしらべ、修繕せよ。かかれっ!」

 戦争中は海軍の潜水艦乗りだったと言うだけあって、命令のしかたも大へん勇ましく荒っぽい。

「君んとこからゆずって貰って以来、これで故障は六度目だぜ」

 上風が椅子に戻って来るのを見すまして、三吉は口を切った。これでちょいとした厭味のつもりなのである。

「今日のなんか、修繕代はタダでもいいくらいだな」

「そんなわけには行かないよ。それじゃこちらが持ち出しになる」

 上風は大口をあけて空笑いをした。

「第一売価が破天荒の三万円だからなあ。そこは猿沢さんも辛抱して貰うんだな」

 そして上風は周囲を見廻し、小指を立ててにやりと笑った。

「時に、こっちの方の具合はどうだね?」

「ああ、それ、えヘヘ」

 三吉はちょっと顔をあかくして、照れ笑いをした。その小指は、上風が近ごろ世話して呉れた若いメカケのことなのである。

「いや、上風君からは、いつも乗り物の世話ばかりをして貰って――」

 自前車と女性を一緒くたにするような不謹慎な発言を三吉はした。どうも明治生れの人間の中には、とかくこういう不謹慎な女性観の持主がいるようだが、全く慨嘆にたえない。

「そちらの方はまだこわれないかね。修繕の方は俺が引き受けるよ」

 上風社長はにやにやしながら言った。

「そちらの修繕なら、タダでもいいよ」

「飛んでもない」

 猿沢三吉は手を大きく振った。

「君なんかに修繕が頼めるもんか。かえってこわれ方がひどくなる。それにまだ、あれは修繕の必要はない」

「そりゃそうだろうなあ。あれは中古品でなく、新品なんだからな」

 上風社長も三吉には負けぬ不謹慎な発言をした。

「奥さんの方は、大丈夫かね。何なら僕が密告してやろうかな」

「飛んでもない!」

 三吉は今度は真顔になり、いくぶん蒼白にすらなって、大きく手を振った。

「冗談もほどほどにして呉れ。そんなことをされたら、わしはハナコから半殺しにされてしまう。一体君はわしを脅迫する気か」

「冗談だよ。冗談だよ」

 上風はにやにやしながら、両掌で空気を押さえつけるようにした。

「ずいぶんこわいと見えるね。そんなにこわいもんかなあ」

「こわい。こわいよ」

 三吉は真剣な表情で口をとがらせた。

「何がこわいって、世の中にあんなこわいものはない。近頃は保健のためと称して、娘を相手に、毎日レスリングの練習をしているんだよ。あれのことが知られたら、わしなんか股裂きか何かにされてしまうだろう。わしだってまだ殺されたくない。長生きをして、ますます商売にいそしまねば――」

「時にまた一軒、風呂屋を建てるんだってねえ」

 上風は卓上鏡の中に、自分の顎鬚の形を確かめながら、話題をかえた。

「ずいぶん金がかかるだろう」

「うん。かかるとも。うんざりするくらいだ」

 三吉は窓ガラス越しに、窓外の自動車を指さした。

「だからあのオンボロ自動車に打ち乗って、金策にかけ廻っているんだよ。もっともハナコにはかけ廻っているように見せかけて、真知子のとこに寄ったりしているけれど」

「そんなにかけ廻っては、ブレーキの具合も悪くなるわけだよ」

 上風は憮然として顎鬚をしごいた。

 「それでも、建ってしまえば、しめたもんだね。建物は財産として残るし、毎日の日銭(ひぜに)は確実にあがるし――」

「日銭、日銭と言うけれど、大したことはないんだよ。風呂屋なんてのははかない商売で、タタシー屋みたいに荒かせぎは出来ない」

「そういうと、僕がよっぽど荒かせぎしているように聞えるな」

「わしんとこにくらべると、荒かせぎだよ」

 三吉はまた口をとがらせた。

「いいかい。今、湯銭はいくらか知ってるだろう。大人十五円、小学生は十二円、未就学児童は十円となっている。問題は、この大人の十五円だね。戦争前、湯銭というやつは、盛りかけソバ、シャケの切身、と大体同様だったんだ。ところが今ではどうだ。ソバは標準店二十五円、シャケの切身もその位。シャケの方は北洋があんなことになったから、まだまだ上るだろう。しかるに湯銭は、わずか十五円ぼっちだ!」

[やぶちゃん注:「シャケの方は北洋があんなことになった」これは推定だが、当時のソヴィエトによるシャケの漁獲量制限が日本に勧告されたものか。なお、アメリカ及び旧ソヴィエト連邦が自国沿岸の水産資源保護を目的に二百海里(約三百七十キロメートル)の漁業専管水域を相次いで設定したのは、この二十年後の昭和五二(一九七七)年のことであった。]

「シャケの切身、もりかけのソバが二十五円以上もしているのに、風呂銭ばかりが十五円にとめられて、それでやって行けますかと言うんだ」

 猿訳三吉はどしんと卓をたたいた。しかしこの論理は、三吉が都合のいい例ばかり出しているのであって、戦前に風呂銭とほぼ同額だったものに、他には豆腐や都電の料金がある。豆腐や都電の料金には、三吉はずるくも頰かむりをしているのである。

「ね、君もそう思うだろ。風呂屋というのは、まったくはかない、引き合わない商売だよ」

「そうかねえ」

 上風徳行はうたがわしげに眼をパチパチさせた。

「じゃあ何故あんたは、三吉湯をもう一軒殖やそうとするんだね?」

「そ、それは、もちろん――」

 三吉はどもった。

「もちろん、公衆衛生のために、身を尽したいからだよ。皆さんの身体を清潔にしたい、その一念だけだね。まったくギセイ的商売だ。その可憐なるギセイ的商売に対して、実に当局の取締りがきびしいんだよ」

「取締りはうちの方もきびしいよ」

 上風もうんざりしたような声を出した。

「取締まられるのはタクシー業ばかりかと思ったら、風呂屋もそうなのかい?」

「もちろんさ。ひどいもんだよ。公衆浴場法というのがあるんだ。保健所が年に何回か、検査にやってくる。予告なしの抜打ち検査だよ。湯の成分に、アンモニア、大腸菌、雑菌がすこしでも余計に入っていると、もうそれで営業停止だ。アンモニアなんてものは、これは業者の責任じゃない。一部悪質のお客のせいだよ。しかし罰せられるのは、わたしたちだ」

 三吉は嘆かわしげに、拳固を宙に振り廻した。

「その他、湯の温度はいつも四十二度を保てだとか、湯はいつも湯舟にあふれさせて置けとか、十歳以上の混浴はならんとか、そりゃうるさいもんだよ。こういう弾圧を受けながら、わしらは黙々として、公衆衛生のために尽している。それで十五円は安いな。安過ぎるよ。せめて二十円に値上げを、わしは組合に提訴したいね。十五円では、食うや食わずだ」

「ほんとかい?」

「ほんとだよ。それにわしんとこは大体山の手だろう。山の手の連中は、下町の連中とちがって、毎日は入浴しない。二日おき、三日おきだね。だから下町の連中と違って、一回にお湯をたくさん使うんだ。たまった話じゃないよ。それに近々水道料も上るし、十五円ではまったくわしらは干乾しになる」

「食うや食わずとおっしゃるけれど――」

 と、上風徳行はにやにやとした。

「干乾しになろうという人間が、よくメカケを囲う余裕があるね」

「そ、それとこれとはちがう」

「ブレーキが直ったら、直ぐにそちらに廻ろうと言う算段だろう」

「いくらなんでも、朝っぱらから――」

 三吉は内ポケットから小さな時間割を取り出した。

「ええと、今日は水曜か、水曜の朝八時から十時まで、万葉集の講読と。真知子は今頃、万葉集の講義を受けているんだよ」

 

 猿沢三吉が真知子を見染めたのは、上風徳行と一緒に行ったアルバイトサロンでであった。

[やぶちゃん注:「アルバイトサロン」和製外語。ドイツ語の「Arbeit」にフランス語の「salon」を合成したもの。後に出る「アルサロ」はこの「アルバイト・サロン」の略語。「素人のアルバイト」という触れ込みで、女性が客の飲食の相手をする店を言う。客席に侍るのが、専門のホステスではなく、「アルバイト(内職)のOLや主婦などの素人だ」という喧伝を持って客を呼ぶキャバレーの類い。昭和二五(一九五〇)年八月に大阪の千日前に「バーでもキャバレーでもビヤホールでもない」を歌い文句に開店したのが始まりで、新鮮さが受け、各地に広まった。「アルサロ」自体は関西で多く呼称された。その後、未亡人の「ゴケサロ」、人妻の「Yサロ」なども現われ、一九六〇年代半ばまで盛行した。その後に出現した「女子大生パブ」なども同工異曲の商法と言える(主文は小学館「日本大百科全書」を用いた)。]

 この場合、見染めたという用語は、正しくないかも知れない。第一、見染めるというようなういういしい用語は、三吉の風態にふさわしくない。

 かねてから、若い三助時代のころから、三吉は生涯に一度メカケを囲ってやろうと考えていて、目下物色中のところ、やっと一軒のアルサロにおいて、適当なのを発見したのである。自動車を買い込み、つづいてメカケというのは順当で、これが逆だとすこし困る。メカケのところに通うのに、てくてく歩いたり都電を利用したりしては、時間がかかり過ぎて、ハナコに気取られるおそれがあるのだ。

 実際三吉はこの秘密の妾宅逢いに、自家用車の機動力を存分に利用していた。

 アルバイトサロンなんかに行くのは、三吉にとってはそれが初めてであった。つい行く機会が今までになかったし、行ったことがハナコにばれると、どんなことになるかは判らない。

 自家用車の五度目の故障の修理のお礼に、又はそのお礼という名目で、三吉は上風をウナギ屋に誘って、一諸に酒を飲んだ。宴果てて、上風が三吉を誘った。

「どうだね。アルサロにでも行って見るか」

「うん」

 三吉はハナコのことを考えて、ちょっと渋った。しかし、いささか酩酊(めいてい)はしていたし、ついに好奇心の方が打ち勝った。アルバイトサロンとは如阿なるサロンなりや、かねてから新聞紙上の広告などを見るたびに、むずむずと彼は好奇心をもよおしていたのである。

「うん。君がそんなに誘うのなら、わしもむげにことわるわけにも行かないな。止むを得ず、お伴するとするか」

 三吉は恩着せがましい口をきいた。もしばれた時に、上風から強引に誘われたんだという証拠を残して置く必要があった。

 盛り場の横丁の、パチンコ屋の二階に、狭い階段をとことこと登り切った時、三吉はキモをつぶして呟(つぶや)いた。

「わあ、暗いなあ。なんて暗い店なんだろう」

 三吉が時々行くウナギ屋だの中華飯店だのとくらべると、これは海上と海の底ぐらいのちがいがある。

 その海の底みたいなサロンの中で、お客や女たちが、深海魚みたいにうごめいたり、じっとしたりしていた。

「いらっしゃいませ」

 隅のうすぐらいボックスに、二人は案内された。上風はビールを注文した。

 あやめもつきかねる暗さだと思っていたが、しばらくいるうちにだんだん目が慣れてきた。二人坐っている女の一人に、三吉は興味を引かれた。

 まだ若い、端正な冷たいような顔立ちの子で、図々しいとかすれたという感じが全然なく、挙止も万事控え目なのである。

「アルバイトサロン。アルバイトと言うけれど――」

 三吉はその子の耳にささやいた。

「一体あんたの本業は何だね?」

「学生ですわ」

 女は悪びれずに答えた。

「大学の国文科に行っているんです」

「大学?」

 三吉はすこしおどろいて、ビールにむせた。

 

 アルバイトサロンのその女の子が、大学生であると聞いた時、猿沢三吉は驚いたと同時に、大いに感動もした。なにしろ三吉は高等小学校を出ただけで、山国から上京、風呂屋の三助に住み込んだのであるから、学というものがあまりない。学があまりないから、学というものに対して、三吉は未だにあこがれとおそれを保有しているのだ。

「ううん」

 三吉は思わずうなり声を発した。

「それで、あんたの名は何というんだね?」

「真知子。今度いらっしゃる時は、真知子と指名してね」

 真知子は三吉の顔をまっすぐに見た。三吉はその脱腺にたじろいだ。相手が学の蘊奥(うんのう)をきわめつつある女だと思うと、たじろがざるを得ないのである。

「そ、それで、こんなところで働いているのも、学資かせぎかね?」

「そうよ」

「こんなところで働かないでも、もっと上品なアルバイトはないのかね」

「ここは別に下品じゃありませんわ」

 真知子は三吉をきめつけた。

「ここを下品だと思うのは、お客さんの品性が下劣だからだわ」

「うん。そうだ。そうだ」

 三吉はあわてて賛成した。

「要はお客の気持の持ち方ひとつだ」

「それにここは割に収入はいいし――」

 真知子は説明を補足した。

「この次かならず、真知子と指名してね。指名料というのがあたしに入るのよ」

 指名料なるものの説明を聞き、その夜はビール四本ぐらいにとどめて、三吉と上風徳行は引き上げた。ずいぶんふんだくられるかと覚悟していたら、案外安かったので、三吉はびっくりした。

「あのくらいの値段だったら、女の子たちの手にはいくらも渡らないな」

 帰り途に三吉は感想をもらした。

「そりゃそうだよ。アルバイトだもの」

 上風は当然のことのように言った。アルバイトとは安いという言葉の外国語だとでも思っているらしかった。

[やぶちゃん注:ドイツ語の「Arbeit」(所持するドイツ語辞典を見ると、①「仕事・労働・作業・活動」、②「(機械の)作動・運転」・「火山の活動」、③「労苦・骨折り」(単数のみ)④「課業・課題・作品・著書・研究成果・論文・手際・出来栄え」の意とある)から転じて、本邦では和製外語として「本業とは別に収入を得るための仕事」の意味で使われている。学生が学業のかたわら、一時的に行う仕事を指すことが多いが、最近では主婦がパートタイマーとして一時的・季節的に就労する場合でも、アルバイトと呼ぶ。学生のアルバイトという用語は、その近代的イメージから第二次大戦後の経済生活が逼迫していた混乱期に流行し始め、一般化したものである。それ以前は「内職」と呼ばれていた(主文は平凡社「世界大百科事典」に拠った)。]

「でも、そんな安い収入で、あんなところで働かねばならんとは、可哀そうだなあ。あんなきれいな女の子が」

「おい、おい。惚れたのと違うのか」

 三吉の背中をたたいた上風がひやかした。

「あんなうすぐらいところじゃ判らないよ。おてんと様の下でとっくり眺めなきゃ」

 その夜、三吉は家に戻ってからも、なかなか眠れなかった。血が騒いで眠れないのである。

(学資をかせぐために、あんなうすぐらい不衛生なところで、あまたの男たちの相手をするとは、いくらなんでも可哀そうだ。もっと有利な、収入の多いアルバイトはないものかなあ)

 三吉は寝がえりを打ちながら考えた。

(あまたの男性じゃなくて、一人の男性、たとえばこのわしが、金を出してやって、充分に学問をつづけさせる。そんな具合には行かないもんかなあ)

 暗闇の中で、三吉の胸は動悸が打っていた。つまりあの女がわしのメカケに、と考えて見ただけで、三吉の胸はドキドキと脈打ち始めたのである。

 ハナコの寝息をうかがいながら、三吉はまた切なそうに寝がえりを打った。

 

 寝ては夢、起きてはうつつ、という言葉があるが、その翌日からの三吉の気持も大体それに近かった。気分がふわふわしているので、湯銭のおつりを間違えたり、食事の最中に箸を持ったままぼんやり天井を眺めたりするものだから、その度にハナコに叱りつけられるのである。

 「何ですか、あなたは。フヌケみたいな馬鹿面をして。また血圧が高くなったんじゃないの。イヤですよ。今頃からヨイヨイになられては」

 では思いきってアルバイトサロンを再訪し、気持を切り出せばいいのに、それが三吉にはどうしても出来なかった。なにしろ相手は学の蘊奥をきわめた女性であるし、気持がすくんでしまうのである。海千山千の如く見えて、三吉の心情には意外にもウブなところが残っていた。

 思い余って三吉は、上風徳行を訪問、切ない胸の裡を打ち明けて、あっせん方を依頼した。

「よろしい。引き受けた。あんたも案外ウブなところがあるんだなあ。見直したよ」

 上風社長は胸をどんとたたいて承諾した。

「そのかわり、アルサロで飲食した分は、あんたが持てよ」

 その翌日、上風がもたらしたのは吉報であった。上風から「ニイタカヤマニノボレ」という電報が来たのである。もちろんこれはハナコにはばかって、二人できめた隠語であった。ハナコは丁度(ちょうど)留守だったので、三吉は電報をふりかざしながら自動車に飛び乗り、上風タクシー会社にかけつけた。

「早速かけつけて来るだろうと思ったよ」

 三吉の姿を見ると、上風社長は顎鬚をしごきながら、にやりと笑った。

 上風の話では、切り出して見ると真知子はあっさり承諾したのだという。しかしその条件として、一、衣食住を保証すること、二、学資を出して呉れること、三、以上の他に毎月こづかいとして一万円呉れること、四、支度金として三万円呉れること、の項目があった。

「それにもう一つあるのだ」

 と上風が説明した。

「任期の間題だがね。大学を卒業するまで、という条件がついているのだ。それでもいいかね?」

「卒業までというと?」

「あと一年ばかりだそうだ。卒業すれば就職できるから、それ以後は世話になりたくないと言うのだ」

「ふうん」

 三吉はうなった。あまりにも割り切れた彼女の考え方に、うならざるを得なかったのだ。

 上風社長は三吉に、アルサロの飲食費として、五千四百円を要求した。切り出したらあっさり承諾したと言うのに、そんな飲み食いしたりして、と三吉は内心面白くなく思ったが、真知子を獲得したことではあるし、黙って不承不承支払った。

 かくして真知子は、三吉のメカケとなった。

 三吉は真知子にアルサロを止めさせ、都内の某所、三吉湯から自動車で十二、三分の距離のアパートの一室を、真知子にあてがった。あまり遠いと通うのに時間がかかるし、あまり近いとハナコに気取られるし、十二、三分というのが一番適当なところである。三吉のおんぼろ自動車は、妾宅通[やぶちゃん注:「しょうたくがよ」。]いにおいて、その最大機能を発揮した。

 

2023/07/12

佐藤春夫譯「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」正規表現版 「殘燈を咏みて」沈滿願

[やぶちゃん注:書誌・底本・凡例等は初回を見られたい。本篇はここ。]

 

 殘燈を咏みて

             殘 燈 猶 未 滅

             將 盡 更 揚 輝

             唯 餘 一 兩 熖

             纔 得 解 羅 衣

                   沈 滿 願

 

ともし燈の

消(け)ぬがに見えて

なかなかに

帶解く間(ひま)は燃えまさりつ〻

 

[やぶちゃん注:彼女の詩は既出。佐藤の作者解説はそちらを参照されたい。中文サイトを調べたところ、標題は「殘燈」。以下、推定訓読を示す。

   *

 殘り燈(び)

殘り燈 猶ほ未だ滅(めつ)せず

將(まさ)に盡(つ)きんとするも 更(さら)に輝(かがや)きを揚(あ)ぐ

唯(ただ)餘(のこ)す 一兩(いちりやう)の熖(ほのほ)

纔(わづ)かに得(う) 羅衣(らい)を解くに

   *

・「一兩」「一本、乃至、二本」の意だが、シークエンスとしては、一本の映像の方がいい。

・「羅衣」薄物で仕立てた衣。薄絹(うすぎぬ)の衣。閨で女性の着る肌着である。]

佐々木喜善「聽耳草紙」 一五四番 目腐 白雲 虱たかり

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここ。標題は本文から「めくされ かぶれ しらみたかり」と読んでおく。疾患としての「目腐」(めくされ)は、眼病のために目の縁が爛れて汚れていることを言ったが、江戸時代から、人を罵って言う卑称でもある。同前で「白雲」は、頭部白癬の通称で、頭皮の皮膚糸状菌による真菌感染症で、頭皮に乾燥した鱗状の斑、或いは、斑状の脱毛、又は、その両方が生ずるもので、若干の掻痒感を感ずることがある疾患である。但し、「虱たかり」は、ヒトジラミの寄生によるものであるなら、背部のみに掻痒感が生ずるとあるのは不審で、実際には、背部に発生する強い掻痒感が症状とする慢性皮膚疾患である可能性の方が高いように思われる。]

 

     一五四番 目腐 白雲 虱たかり

 

 或所に目腐レ、白雲タカリ虱タカリと、斯《か》う三人の朋輩どもがあつた。どうも目腐れは眼をこする癖があり、白雲タカリは頭を搔く癖があり、そして虱タカリは背中搖(セナカユス)りをする癖があつて、いつも人に笑はれて居た。だから三人は相談して、これから一切其癖をやらないことに約束した。

 三人は默つて爐《いろり》にあたつて居たが、初めの中《うち》は我慢して居たけれども、だんだん時が經つに隨つて目腐れは目が燒け爛れるやうに痒《かゆ》くなり、白雲タカリは頭がモンモン鳴つて痒くて眩暈《めまひ》がしさうになり、虱タカリは背中が木割(キワリ)で掘ツたくられる樣にむづ痒くなつて、とても居堪《ゐたたま》らなくなつて來た。

 そこで虱タカリはとても我慢が出來なくなつたあげく、あれあれ此手合(テユ)、向い山を見ろ、鹿が斯うして、むツくらむツくらと通るでば、と言つてうんと體《からだ》を搖《ゆす》ぶつて衣物《きもの》で思ふ存分背中を搔き𢌞した。さうすると目腐レは、ウン本當にさ、あれア逃げねえ中に俺は斯うして弓《ゆみ》引くべえ。若し外れたら又矢をちげえて、ぴよンと斯う射つてやるツと言つて目を幾度も幾度も矢を射る恰好をしてこすつた。ところが白雲頭は、これも痒くて痒くてボヤボヤと火(ヒ)ぼてりがして我慢が出來なくなつて居た處だから、此所《ここ》だと思つて、ぜぜ汝(ワレ)どア、若しあの鹿が逃げたら、殘念だツと言つて、がりがりとこれも思ふ存分頭を搔いた。

  (此話は、目腐レ、涕《なみだ》タラシ、虱タカリと
   斯う三人であつたとも話されて居る。昭和三年の冬、
   伯母から聽いたものだとて、私の子供等《ら》が語
   つて居た。)

 

梅崎春生「つむじ風」(その8) 「雲走る」

[やぶちゃん注:本篇の初出・底本・凡例その他は初回を見られたい。]

 

     雲 走 る

 

 泉湯から東方二百五十米にあたる空地に、ヤグラみたいなものが立てられ、材木その他が運び込まれ、それからそろそろ本建築が始まっても、泉湯の経営者泉恵之助は、それは風呂屋だということをまだ気がつかないでいた。

 もともと恵之助はのんきでのんびりした性分であるし、近頃は将棋にかわって謡曲に凝(こ)っていて、組合の会合にもほとんど出ないのだから、つい情報をキャッチする機会がなかったのである。

 住宅にしてはバカでかいものが出来つつあるなと、見るたびに思うのだが、そう思うだけで、このバカでかい建物は一体何の用に供されるのかと、疑問をおこすことを恵之助はしなかった。もっともまだそれは骨組みだけだから、それはムリはない。

 恵之助の一人息子竜之助は、相変らずゲイジュツに凝っていた。ゲイジュツに凝るあまりに、しょっちゅう外に出歩いてばかりいて家業の手助けをしようとしない。

 番台に坐れと、むりやりに坐らせても、うつむいて三文小説に読みふけっていたり、女湯の方を横目で見ながら、膝の上のスケッチブックにデッサンをこころみたり、ろくなことはしないのである。

 それに竜之助を番台に坐らせると、どういうわけか、その日のあがりがすくなくなる。だから恵之助が、

「お前、すこしくすねたんじゃねえか」

 と責めても、竜之助は頑として否認する。

「風呂銭をくすねるほど、僕はおちぶれてないよ」

 竜之助は小器用なたちで、ちょいとした画も描くし楽器もひねくるし、こづかいぐらいは結構自分で稼いでいるのだから、そういえばくすねる必要はない。

 どうもお客たちが、

「あの若旦那が番台に坐っている時は、十五円の湯銭[やぶちゃん注:「ゆせん」。]に、五円玉二つ出したって、何とも言わないわよ」

 というような噂がひろがっていて、そこでちょろまかされているらしい。三文小説に読みふけっている時などは、その油断に乗じてタダで入場されている気配もあるのだ。

「ほんとにしっかりして呉れよ。いずれ将来は、お前が泉湯の経営者になるんじゃないか。入湯料をちょろまかされたりして、そのうちに板の間かせぎでもおこって見ろ。伝統ある泉湯の信用にかかってくるぞ」

[やぶちゃん注:「板の間かせぎ」「板の間稼ぎ」。「板場稼ぎ」とも言う。銭湯などの脱衣場で他人の衣服・金品などを盗むこと。また、その者を指す。]

 その日もそうであった。

 恵之助はどうしても昼間から出かけねばならぬ用事があった。

 用事というのは、恵之助が属している謡曲会の仕舞のおさらい会で、夕方から宴会ということになっていた。志之助は入会早々で技量もつたないが、その年配をもって世話人みたいなものにまつり上げられているのである。

 だから朝飯の時、恵之助は息子に言いつけた。

「今日はわしのお仕舞の会だ。今日一日の番台はお前に頼むよ」

「今日はダメなんだよ。お父さん」

 れいによって竜之助は渋った。

「今日はQ劇団公演の初日なんだよ。もう切符も買ってあるんだから、今朝になってそんなことを言い出されても困るよ」

「また西洋芝居か。そんな切符なんか破っちまえ」

 恵之助は厳命した。

「そして今日は一日外に出るな!」

 

 仕舞のおさらい会において、泉恵之助は『熊野(ゆや)』を舞った。

 習いたてで修業も浅いし、五尺九寸五分という長身のひょろひょろ姿であるから、見物の中にはたまりかねてクスクス笑う者もあったが、どうにか間違えずに舞い終ることが出来たのは幸いであった。たくさんの人の前で舞ったのは、これが初めてのことなので、恵之助も大満悦である。

[やぶちゃん注:「熊野」「湯谷」とも書くので、銭湯(湯屋)に音通する洒落であろう。三番目物で各流に残る。作者は未詳。「平家物語」によるもので、平宗盛の寵愛を受けている熊野(ゆや)は、故郷遠江の母が病気なので暇を請うが、許されず、却って清水への花見の供を言い付けられる。酒宴が始まっても、心の浮かぬ熊野は舞を舞うが、俄かに雨が降ってきて花を散らすのを見、「いかにせん都の春も惜しけれど馴れし東の花や散るらん」と和歌をよむ。これを聞いた宗盛は熊野の心を哀れに思い、暇を与えるというもの(小学館「日本国語大辞典」に拠った)。解説と詞章は小原隆夫氏のサイト内の『宝生流謡曲 「熊 野」』がよい。私は未見。]

 おさらいが終って宴会。

 恵之助もいい気分で、大いに飲んだ。

 宴果てて、散会。

 いい気持で夜道を歩く時、近頃いつも恵之助はうなりたい衝動を感じる。覚えたてというのは、たいていそんなものだろう。

 で、この夜も、恵之助は歩きながらうなった。

 

  花咲かば告げむと言ひし山里の、使ひは来たり馬に鞍……

 

 いつも恵之助の目にのぼってくるのは、この『鞍馬天狗(くらまてんぐ)』の一節なのである。

 この一節は、夜道を歩く時に誰でもうなりたくなるものらしく、幕末を舞台にした小説なんかで、岡っ引きを一刀の下にバッサリと切り倒し、それから怒々と立ち去りながら志士がうなるのが、きまってこの一節である。よほど夜道向きに出来ているらしい。

 

  木陰になみゐて、いざ、いざ花を眺めん……

 

 この『眺めん』というところは、謡(うた)う時には引き伸ばして『ナガアアメン』となるのだが、恵之扇のうなり方はあまり上手でないので、最後の『アーメン』だけがきわ立って、まるで牧師さんのお祈りみたいなバタくさい感じとなった。

[やぶちゃん注:「鞍馬天狗」五番目物。五流に現行曲。宮増(みやます)作。鞍馬山西谷の寺からの使いに迎えられて、東谷の僧(ワキ・ワキツレ)が大勢の稚児を連れて花見の宴をしていると、魁偉(かいい)な山伏(前シテ)が闖入してくる。同座を嫌がって、人々が去ったあと、平家一門の稚児たちの中で、孤立の身を嘆く牛若丸(子方)と山伏が残され、牛若丸に同情した山伏は花の名所へと誘(いざな)い、自分はこの山の大天狗であることを明かし、「兵法を伝え、平家を討たせ申そう。」と約して、雲に消える。この二人の場面には、中世特有の同性間の愛情の面影も残る。アイ狂言の、木の葉天狗が出て兵法稽古の場面のあと、花やかに武装した牛若丸が登場し、本体を現した大天狗(後シテ)は、中国の張良の故事を物語り、平家討滅を予言して終わる。能の豪快な演技、演出が可能とした一つの世界であり、古来の人気曲である。最初に出る大勢の花見の稚児で初舞台を踏むのが、能役者の家の子の仕来たりである(小学館「日本大百科全書」に拠った)。解説と詞章は同前の小原氏のサイト内の「宝生流謡曲 鞍馬天狗」がよい。私は未見。]

 でも、恵之助は大満足で、空の月などをあおぎながら、気取ってつぶやいたりした。

「さてさて、この良夜を如何にせん」

 恵之助はまっすぐ家に戻らずに、ちょいと泉湯の扉をあけて、番台をのぞいて見た。今日の仕舞の出来ばえを、竜之助に話してやろうと思ったのである。

 竜之助の姿はそこになかった。番台はからっぽであった。

「お種さん。お種さん」

 板の間の籠などを整理している老女に、恵之助は声をかけた。

「竜之助はどうしたね。御不浄かい?」

「若且那はお出かけになりました」

「出かけた? いつ?」

「夕方からでございます」

「ちくしょう!」

 恵之助の顔に血がのぼった。

「外に出てはいけない、番台に坐っておれと、あんなに言ったのに。番台をほったらかして、西洋芝居になんか行きやがって。それで、何と言ってた?」

「自分がいなくっても――」

 お種さんは番台の方を指差した。

「それがあれば、大丈夫ですって」

 恵之助は番台を見た。そこにはボール紙の空き箱がおいてあって、それに貼り紙がしてあった。

 

  湯銭はこの中に入れて下さい。オツリのいる人は、

 その中からつまんで取って下さい。    泉湯主人

 

「バカにしてやがる!」

 恵之助の額に、太い青筋が二、三本立った。

「何てえことをしやがるんだろう。それで済むもんなら、誰も番台なんかつくりゃしねえ。それに、泉湯主人とはなんだ。主人はこの俺さまじゃねえか!」

 

 泉湯裏の私宅のくぐり戸に、泉竜之助が戻ってきたのは、午前一時に近かった。

 竜之助は一人ではなかった。若い女性と二人連れであった。

 月の光を避けて、くぐり戸のかげで、二人はひしと別れの抱擁をし合った。熱い肩と肩がぎしぎしと触れ合った。二人の肩が熱かったのは、酩酊(めいてい)のせいでもあった。

「あたしたち、不幸ねえ」

 唇が離れると、女は背伸びして、指で竜之助の頭髪をまさぐった。親ゆずりの体格で、竜之助もべらぼうに背が高い。親爺よりも一寸もぬいて、六尺五分もあるのだから、相手の女も爪立ちせざるを得ないのである。竜之助も相手に髪をまさぐらせるために、膝を少し曲げ、猫背になっていた。ナイトとしてのエチケットである。

「ほんとに、あたしたちほど、不幸なものはないわ」

「僕らはその不幸に耐えて生き抜こう」

 竜之助は女の耳に口をつけて、力をこめてそうささやいた。その姿勢をとるために、彼の身体は更に猫背になる必要があった。

「いつまでも闇ばかりはつづかない。そのうちに、きっと夜明けがやって来る。では、おやすみ」

「おやすみなさい。竜ちゃん」

 女の身体は竜之助をはなれると、月夜の影を地面に引きずって、小走りに走り、角を曲ってその姿は消えた。

 竜之助は憂わしげな姿勢で、空をあおいだ。空には明るい月が、しきりに西方に走っているように見えたが、走っているのは月でなく、それを取巻く雲の群であった。雲は白銀色にかがやきながら、東を目指して走っていた。地上のドブには、泉湯から落ちてきた風呂の湯が、湯気を立てながら流れていた。その流れは人間の肌のにおいをぷんぷん立てた。

「ああ、この良夜をどうしよう」

 親爺とそっくりのセリフを竜之助はつぶやき、音のしないようにくぐり戸をあけ、身体を内に入れた。

 親爺に気付かれぬように自分の部屋に戻るのは、毎度のことであるので、竜之助も修練を積んでいた。

 修練を積んで、まるで鼠小僧のように巧妙な忍び入り方をしたが、今夜ばかりは気付かれないというわけには行かない。親爺の恵之助老が、眼を皿のようにして、四辺の様子に気をくばっていたからだ。

「こら。竜之助!」

 自分の部屋に入ったとたんに、背後から竜之助は声をかけられた。恵之助の声は怒りを含んで、低く押さえつけられでいた。

「あれほど言って置いたのに、番台をほったらかして、一体どこに行ってた?」

「芝居です」

 竜之助の呼吸は、酒とヤキトリのにおいがした。さっきの女性とヤキトリキャバレーででも飲んだのだろう。

「何という奴だ!」

 恵之助はじだんだを踏んだ。

「こともあろうに、西洋芝居ごときにうつつを抜かして。一体お前は、泉湯というものを何と考えているのか。泉湯というものがあればこそ、わしたちはオマンマがいただけるんだぞ」

「それは判っています」

 竜之助は部屋の真中に大あぐらをかき、居直った。

「しかし、僕には、僕の自由がある!」

[やぶちゃん注:「ヤキトリキャバレー」新宿西口のやきとり屋「宝耒屋」の公式サイト内の「花のやきとりキャバレー」に、実際に、まさに、この連載の年の初め頃、話しが持ち上がり、「宝来やきとりキャバレー」を開店したとあり、その経緯や様子も非常に細かく記されてあるので、是非、読まれたい。或いは、彼の随筆から見て、梅崎春生自身が、このお店に行った可能性も極めて高いように私には思われるのである。]

 

「自由?」

 泉恵之助はせせら笑った。

「自由たあ何だ。家業をほったらかして、ゲイジュツにうつつを抜かすのが、自由てえのか。一体お前は、わしが死んだら、どうするつもりだい?」

「仮定の問題には、お答え出来ません」

「おや、どこかで聞いたようなセリフだな」

[やぶちゃん注:政治家や官吏がよく質問に対して切り口上で応ずるそれである。]

 恵之助も息子の部屋に入り、穴だらけの障子をしめて、息子と向い合ってあぐらをかいた。

「なあ、竜之助」

 恵之助は調子をかえて、やわらかく、しみじみと呼びかけた。叱るばかりでは反撥をまねくと判断したのだろう。いつの世でも、子にそむかれる父親の気持は、切ないものである。

「なあ、竜之助。ゲイジュツもよろしい。悪いとは言わない。言わないがだ、ものには適度、節度というものがなくてはいけない。ゲイジュツもいいが、それもほどほどにするところに、趣味の趣味たる所以があるのだ。お前のは、すこし行き過ぎだよ」

 竜之助は黙っていた。黙ってはいたが、少々膝を引き寄せて居ずまいを正したところを見ると、その呼びかけが身にこたえたのだろう。恵之助はつづけた。

「今日もお前は、番台を捨てて、自分の身代りに紙箱を置いた。それで正しいと思っているかも知れないが、それは大きな間違いだよ」

「だって、無人スタンド――」

「無人スタンドと風呂屋の番台とでは、性質がちがう!」

 恵之助は声をはげました。

[やぶちゃん注:「無人スタンド」私の家のそばにも古くから幾つかあるが、所謂、農家の自宅の前で、野菜等を無人で売っているあれであろう。]

「番台に坐るということは、単に湯銭を受取るという役目だけじゃない。お客さんたちは十五円で湯を買いに来てるんじゃないよ。気分とか雰囲気、そんなものを求めているんだ。だからそういう雰囲気の要(かなめ)に、番台がある。番台に人が坐っているといないでは、親しみの程度がぐんと違うのだ」

「…………」

「泉湯に入りに来て下さるお客さんは、今のところ、平均一日に六百人だ。銭湯としては、多い方でもなく、少い[やぶちゃん注:ママ。「すくない」。]方でもなく、丁度普通というところだな。その六百人様のおかげで、わしたちは一応不足なくオマンマがいただけるのだ。その六百人が、無人番台のおかげで、ぐんと減少したらどうなる。オマンマの食い上げとなると、ゲイジュツもヘチマもなくなってしまうよ」

「…………」

「ことにお前も知っている通り、わしはこの間から、あの三吉湯の馬鹿オヤジと仲たがいをしている。泉湯のお客さんが減るとなれば、その分のお客は三吉湯に行くだろう。それはとうてい、わしの辛抱出来ることじゃない」

「そ、そのことを――」

 竜之助はどもった。

「僕たちも心配しているのです」

「僕たち? 僕たちというのは、お前と誰のことだ?」

「いや、僕です。言いそこない」

 竜之助はちょっと狼狽した。

「ここから東の方、一町半ばかり行ったところに空地があるでしょう」

「うん。あの。バカでかい家が建ちかけているところか」

「あの家は、猿沢の小父さんが建てているんですよ。あれは、四軒目の三吉湯です」

 

「なに。三吉湯?」

 さすがに恵之助も仰天して、立て膝の姿勢になった。

「あ、あの建物が、三吉湯だと?」

「そうなんだよ。お父さん」

 あわれみと同情のこもった眼付きで、竜之助は恵之助を見た。

「ヤグラが立っているでしょう。あれは掘抜き井戸を掘るんだって」

「ちくしょうめ!」

 膝をがくがくふるわせながら、それでも掌で心臓を押さえたりして、恵之助は落着こうとあせっていた。猿沢三吉と鮨(すし)屋で大喧嘩した時もそうだったが、近ごろ恵之助は立腹をすると、すぐに心悸亢進(しんきこうしん)をおこす癖があるのである。

「一体お前は、それをどこで聞いて来た?」

「うん。その、あの――」

 心之助はまた狼狽の気配を見せた。なにか狼狽するような理由があるらしい。

「ど、どこからというハッキリしたもんじゃなくて、何となく耳に入って来たんだよ」

「そうか。あれは三吉湯か」

 立て膝をあぐらに戻して、恵之助は腹立たしげにつぶやいた。

「つい近くまで行くおりがなく、遠くから見ていただけなんだが、そうか、ふつうの店にしては、少し大き過ぎると思ってた。三吉の野郎め、あくまでわしに挑戦して来る気だな!」

 今までは、泉湯と三軒の三吉湯は、客の配分がうまく均衡がとれていたのだが、あの空地に更に一軒新築されては、たちまちその均衡は破れることになる。二百五十米ぐらいの近接場所につくられては、迷惑もはなはだしい。

 竜之助が訊(たず)ねた。

「あそこに三吉湯が出来ると、うちのお客は減るかしら」

「そ、そりゃ減るだろう」

 自分の手首の脈をはかりながら、恵之助は答えた。

「泉湯はシニセだから、固定のお客さんはいるが、なにしろ新築というと、設備もいいだろうからな。わしんところから最低二割は減るだろう」

「二割?」

 竜之助は胸算用をした。

「じゃ、うちのお客、一日五百人を割るね」

 恵之助はこめかみをビクビクさせながら、黙っていた。黙って何か考え込んでいた。

 あの空地に三吉湯を新築されても、恵之助は法的に抗議することは出来ないのである。既設の浴場から二百米以内の地点には新築出来ないが、二百米以上だったら、自由に開業出来るということになっているのだ。組合に提訴してもおそらくラチはあくまい。

「いつの間にあの土地を、手に入れやがったんだろう」

 恵之助は忌々(いまいま)しげにぼやいた。

「なにもかも計画的だったんだな」

「どうにかして、取り止めさせる方法はないの?」

 我が家の二割減収は、いずれは竜之助にもひびいてくることゆえ、竜之助の声音にも真剣味が加わった。

「ない!」

 恵之助ははき出すように言った。

「それは道義の間題だ!」

 心臓を押さえたまま、恵之助はよろよろと立ち上った。胸の動悸がゴトッ、ゴトッと大きく鳴り始めたのだ。

 

 翌朝、泉恵之助ははやばやと起き出で、顔をざぶざぶと洗い、神棚に合掌し、それから竜之助の部屋をちょっとのぞいて見た。障子は穴だらけだから、わざわざ障子をあけなくても、らくにのぞけるのである。

 竜之助はまだ蒲団の中で、ぐうぐうと大いびきで眠っていた。

 相変らず部屋の中は乱雑をきわめているが、服だけはハンガーにかけられ、きちんと壁にぶら下っていた。

「しみったれたズボンだな」

 恵之助はにがにがしげにつぶやいた。

「何とまあ生地(きじ)を節約したもんだろう。あんなズボン、昔なら、俥引(くるまひ)きか田植の土百姓[やぶちゃん注:「おんびゃくしょう」と読んでおく。]しか穿(は)かなかったもんだ。いい若い者が、どうしてあんなものを穿く気になるのか」

 恵之助も五十の坂を越したのだから、マンボ族の心理を忖度(そんたく)しかねるのも、ムリはない。

[やぶちゃん注:「マンボ族」「男子専科 official (日本最古の男性ファッション誌) archives」のサイト「年代別『ファッション族』物語:マンボ族のシンボル」の『50年代「マンボ族」1952~1957』に、『音楽の流行から生まれた戦後初のファッション族、それがマンボ族だ。マンボはもともとペレス・プラードが、ルンバにキューバのリズムを加えて作り出したラテン・アメリカ音楽のひとつで、ペレス・プラード楽団の「マンボNO.5」や「セレソローサ」などのヒットによって世界的に大流行した。「ウーッ!」という掛け声が特徴のこのラテン音楽に乗って踊りまくる若者たちがマンボ族で、日本では』昭和三〇(一九五五)年(本篇連載の前年)、『マンボブームのピークを迎えている。本来のマンボスタイルはバンドマンたちのステージ衣装を模したもので、極端に肩幅の広いジャケットに、これまた極端に裾がすぼまったパンツを合わせるスタイルが特徴的だったが、一般にはそのパンツが「マンボズボン」として広まった。股上が深くとられ、腰のあたりはゆったりしているが、裾に向かうにつれて急速に細くなるこのパンツは、まさしくマンボ族のシンボルとされたものだった』とある。]

 恵之助はふところ手のまま、くぐり戸をくぐり、ぶらりと外に出た。肩をそびやかすようにして、すたすたと東の方に歩いた。一町半[やぶちゃん注:百六十三半メートル。三吉が法的に可能ギリギリの位置で建設しようとしていることが判る。]ほど歩くと、れいの角の空地に出た。

 空地といっても、すでにヤグラや柱が立てられ、材木や鉄筋が山と積まれている。

 恵之助は材木の山に登ったり、ヤグラの中をのぞいたり、だんだんその表情が険(けわ)しくなってきた。

「うん。これはたしかに風呂屋に違いない。今まで気が付かなかったとは、すっかりわしの不覚だった」

 材木の上から、諸方角を展望しながら、恵之助は険しい声でひとりごとを言った。

「あそこが掘抜き井戸で、ポンプがそこで、こちらが焚き口で、すると煙突がここらあたりになるな」

 曲りなりにも風呂屋の主人だけあって、一目見ればそのくらいのことは、恵之助にも判るのである。

「しかし、思ったほど大規模な風呂屋でもないな。でも、規模は小さくとも――」

 恵之助は手を額にかざして、四方の屋並を遠望した。

「あそこらに近ごろ、小住宅がワンサ出来たな。あそこの連中がこの風呂屋に入る。その他に、わしんとこのお客の最低二割――」

 恵之助は額から手をおろして、腕を組んだ。二割お客が減ると、収入が二割減る。人件費や物件費は元のままだから、実収入は更にぐんと減る勘定だ。うっかりすると、オマンマの食い上げになりかねない。

「さて、どうしたものか」

 恵之助は首をかたむけた。るいるいたる材木の堆積(たいせき)の上で、五尺九寸五分[やぶちゃん注:一メートル八十センチ二ミリ。因みに、梅崎春生自身、背が高かった。]という長身の老人が、腕組みをして首を傾けているさまは、まことに奇観であった。

「どうにかして、この建築を阻止しなければ――」

 かたむけた首を元に戻し、恵之助はその首をうしろに振り向けた。自動車の警笛が聞えたからだ。

 道路のかなたから、小型のオンボロ自動車が、がたごとと近づいてくる。それはそこの曲り角で、がたんと停止した。運転席の扉があけられて、肥った男の首がのぞいた。

「誰だっ! その材木にのぼっているのは!」

 それはまさしく猿訳三吉であった。三吉はごそごそと運転席から這い出して、恵之助をにらみ上げた。

「誰だっ。そこにいるひょろ長い奴は!」

 

 材木の上にいるのが泉恵之助だと、猿沢三吉は知って怒鳴ったのではない。

 三吉の位置から見ると、丁度(ちょうど)恵之助の頭のうしろに、ぎらりと上りかけた朝の太陽があって、そのために顔かたちがはっきりしなかったのだ。鉛筆みたいにひょろ長い身体の恰好[やぶちゃん注:「かっこう」。]が見えただけである。

「誰だ。降りて来い!」

 三吉は威嚇的に拳固をふり上げた。こともあろうに大切な材木を、土足にかけられたのが面白くなかったのだ。

「朝っぱらから、そんなところに登って、さては何だな、材木泥棒をやる気だな!」

「人聞きの悪いことを言うな!」

 つけつけと怒鳴られて、恵之助もむかむかっとした。近くに風呂屋を建てられることだけでもシャクのたねなのに、その上雑言[やぶちゃん注:「ぞうごん」。]を浴びせかけられるなんて、引き合った話ではない。

「材木泥棒とは何だ。泥棒とはだな、教えてやるが、夜やるもんだぞ。おテント様のまっ光りの下で、泥棒が聞いて呆れらあ。この山猿!」

「なんだと。山猿だと?」

 三吉はあわてて額に掌をかざし、材木上の人物の顔をたしかめた。

「ふん。誰だと思ったら、泉湯か!」

「いかにも泉恵之助だ」

 謡曲できたえた声で、恵之助は気取って答えた。

「この泉恵之助に、何か文句でもあるのか」

「降りて来い!」

 三吉はじだんだを踏んだ。

「他人の地所に無断で押し入り、その上に大切な材木を、土足にかけるとは何ごとだ」

「ケチケチするな。何だい、こんな安材木!」

 恵之助は土足のまま、わざと材木の上で足踏みをした。

「ずいぶん値切って買ったと見えるな。どの材木を見ても、節(ふし)だらけだぞ」

「降りて来い!」

 たまりかねて三吉は、材木の下にかけ寄り、両手に力をこめて、材木の山を揺すり始めた。

「降りて来なきゃ、引きずり落してやるぞ」

「降りるよ。降りるよ」

 材木がぐらぐらと動き始めたものだから、さすがに恵之助も悲鳴に似た声を出し、思わず中腰になった。

「降りるから、材木を揺すぶって呉れるな」

「早く降りろ」

 三吉は材木から手を離した。恵之劾は中腰のまま、材木を一段ずつ、用心深く踏んで降りて来た。地面を踏んだとたんに、恵之助は腰をしゃっきりと伸ばし、元気になった。

「降りりゃいいんだろ、降りりゃ。何でえ、安材木を踏まれたぐらいで、四の五のとわめきやがって」

「安材木で悪かったねえ。お前さんのお世話にゃならないよ」

 三吉はにくにくしげに顎(あご)を突き出した。

「おれの金で、おれが材木を買い、そしておれが建てるんだ。お前さんからつべこべとケチをつけられる謂(い)われはない」

「そ、そんなことを言っていいのか!」

 恵之助の額に青筋が三本ばかり立った。

「自分で金を出せば、どこに何を建ててもいいと思っているのか?」

「何が悪いんだ!」

 

 三吉もわめき返した。

「三吉湯をもう一軒殖やすのに、一々誰かにことわらなきゃいけないのか」

 猿沢三吉は怒鳴った。

「お前さんのとこから、ここは二百四十七米離れている。ちゃんと計ったんだぞ。二百米以内なら文句も出ようが、二百米以上離れているんだから、つべこべと文句を言われる筋合いはない!」

「法規に合いさえすれば、何をしてもいいと言うのか」

 恵之助は額の青筋を、更に一本殖やした。

「そりゃ二百四十七米ぐらいは離れているだろう。しかし、離れているからといって、黙って建てる法はあるまい。いいか。ここから二百四十七米へだてた彼方に、わしという人間が、泉湯というれっきとした風呂屋をやっているんだぞ。それに一言のあいさつもしないで、こそこそと新築しようなんて、一体お前さんはどんな料簡(りょうけん)だい。将棋でいえば、卑怯千万な待ち駒だぞ!」

 近頃将棋は指さないのだが、中毒するほど好きな道だったこと故、ついそのたとえが出た。

[やぶちゃん注:「待ち駒」将棋で相手の王将の逃げ道を予測して、先にその道をふさぐように金や銀などの自分の駒を打って事前に封鎖しておくこと。また、その駒を指す。]

「待ち駒だと?」

 三吉も眉をつり上げた。将棋でたとえられると、三吉も身に力が入る。

「待ち駒なんかであるものか。じゃ、お前さんのやり方は何だい。今頃になってあれこれケチをつけて来るのは、将棋で言えば、待った同然じゃないか。わしのやり方は、正正堂々たる王手なんだぞ!」

「王手?」

 恵之助の全身は怒りに慄(ふる)え、両掌はおのずから拳固の形になった。

「王手と言ったな。さてはなんだな。お前がここに新築するのは、それで稼ごうというよりも、わしんとこに打撃を与えようという魂胆なんだな」

「そんなケチな魂胆は持たん!」

 三吉も両掌を拳固の形にした。

「わしはただ、三吉湯の発展を目指している。それだけだ」

「じゃ何故、新築するについて、わしんとこにあいさつに来ない?」

 恵之助は詰め寄った。

「一言あいさつに来れば、頼むと頭を下げれば、わしも別に文句は言わない。人間には、仁義というものがあるんだぞ。仁義を知らない奴は、もうそれは人間じゃない。鶏だ!」

 山猿から一挙に鶏にまで下落したので、三吉もいきり立った。

「鶏だと。言いやがったな。わしが鶏なら、お前は何だ。ゾーリ虫か?」

「ふん。まだあのことを根に持ってやがるんだな」

 恵之助は鼻の先で冷笑した。

「そんなに口惜しかったのか。このチャボ」

「チャボ?」

「肥って背が低けりゃ、チャボにきまっている」

「ふん。ゾーリ虫のクルクルパア!」

 三吉は肩をそびやかして、自動車の方に戻りかけた。口惜しがっているのは向うであることは判っていたし、それにそろそろ人だかりがして来たからだ。それはそうだろう。六尺の男と五尺の男が、朝っぱらから口角泡を飛ばしてののしり合っているのだから、これは人だかりするにきまっている。その背後から、恵之助は怒鳴りつけた。

「仁義知らずの外道(げどう)野郎め! そのうちに、きっと思い知らせてやるぞ!」

 

 泉恵之助の罵声を背中に聞き流して、猿沢三吉は運転席に這(は)い込み、ドアをがちゃんとしめた。窓ガラスをするするとおろし、頭をつき出して怒鳴り返した。

「また材木を踏みつけると、承知せんぞ。このゾーリ虫野郎!」

「何を言いやがる。放射能にあたって死んじまえ!」

 三吉もまた何か怒鳴ろうとしたが、思い返してアクセルを踏んだ。おんぼろ自動車はがたんと揺れ、がたごとと動き出した。見る見る遠ざかり、角を曲って姿を消した。

[やぶちゃん注:「放射能にあたって死んじまえ!」この直近(本連載は昭和三一(一九五六)年三月二十三日開始))で深刻な放射の汚染を起こしたものは、一九五四年三月一日に太平洋諸島のアメリカの信託統治領マーシャル諸島・ビキニ環礁で行われた、よく知られる、水素爆弾による大気圏内核実験「ブラボー実験」(Castle Bravo:「キャッスル作戦」(Operation Castle)内の一つ)で、当該ウィキによれば、『この実験による放射性降下物はロンゲラップ環礁とウチリック環礁を中心に降り注ぎ、住民は避難が』三『日後となったために放射線障害に苦しむこととなった。また、日本の漁船「第五福竜丸」の乗組員』二十三『名も放射性降下物に汚染され、急性放射線症候群を訴えた』(実際には他の複数の漁船の乗組員も被爆していたことがずっと後に確認されている)。『ブラボー実験を契機として、世界的に大気圏内での核実験に対する反対運動が盛り上がりを見せた』とある。]

 

 恵之助は忌々(いまいま)しげに唾を地面にはき、ついでに右足で力をこめて材木を蹴り上げた。ところが蹴りそこなって、向う脛(ずね)を材木の角にしたたか打ち当て、悲鳴を上げながら、そこにしゃがみ込んだ。

「イテテテテ!」

 三吉の自動車は街中を揺れながら、上風タクシー事務所に進んでいた。時々速力がにぶったりしているのは、三吉がブレーキをかけるからであった。何故必要もないのに、しばしばブレーキをかけてみるかというと、数日前からブレーキの具合が悪くて、試験しているのであった。

(買ってまだ半年も経たないのに、ブレーキの調子が悪くなるなんて、上風徳行もとんだくわせものを摑ませやがったな)

 ハンドルを切りながら、三吉は考えた。

(もっとも三万円という安値だからな。それぐらいは我慢すべきだろうな)

 恵之助は顔をしかめ、びっこを引き引き、自宅の方に戻りつつあった。泉湯のそばを通る時、泉湯の中から、桶を積み重ねる音や、水を流す音などが聞えて来た。お種さんの指揮によって、朝の掃除が始まったのだろう。それらの音は、高い天井にがらんと反響して、本来ならば恵之助にすがすがしい気分をおこさせる筈だったが、この朝ばかりはそうでなかった。

(まごまごしていると、この伝統のある泉湯も、閉鎖ということになるかも知れないぞ)

 くぐり戸をくぐりながら、そんな不吉なことを恵之助は考えた。

(いやいや、そんなことは出来ない。それでは御先祖さまにあい済まない。どんなことがあっでも、泉湯はつぶしてはならない。どんなことがあっても!)

 伜(せがれ)の竜之助は玄関脇の空地で、上半身裸体となり、エキスパンダー、手製のバーベルなどを使用して、朝の行事のボディビルをやっていた。竜之助は自分のボディビルを『自分の美意識を自分の肉体に還元しようとするゲイジュツ的造形のひとつの実践』だなどと吹聴(ふいちょう)していたが、なに、その実は、自分のひょろひょろ姿が恥かしくて、幾分なりともこれで胸囲を拡げようという、可憐な努力の実践なのであった。

 玄関の扉に手をかけ、伜のその姿を横目で見ながら、恵之助は不機嫌な声で言った。

「またそれをやってるのか。そんな暇があるなら、泉湯に行って、粉炭運びでもしたらどうだい」

[やぶちゃん注:「粉炭」「こなずみ」と訓じておく。木炭が砕けて細かくなったものを指す。「ふんたん」とも読むが、その場合、燃料や練炭製造に使う、粉状又は細粒状の石炭を言い、それは、通所は一センチメートル前後の小塊までに限られるので、銭湯の着火補助は前者であろうと踏んだ。]

 恵之助はボディビルが大嫌いであった。何故嫌いかと言うと、全然ムダであり、能率的でないからであった。どうせエイエイと力を出すのなら、粉炭を運ぶなり、荷車を引くなりの方が、はるかに実生活の役に立つのである。

「粉炭運びはイヤだよ。真黒になるもの」

 竜之助は、バーベルをおろしながら、父親の右足を見た。

「足はどうしたの。ビッコなんか引いてさ」

 

「うん。こ、これはちょっと――」

 泉恵之助はいくらか狼狽して、着物の据をまくった。

「ちょっと打ちつけたんだ。向う脛(ずね)を」

 右足の向う脛の一部が紫色に変色し、わずかながら血も滲み出ていた。恵之助は不興気にそれを眺め、裾をおろした。

「さあ、朝メシにしよう」

 竜之助はバーベルやエキスパンダーを始末し、親爺につづいて玄関を上った。茶の間には朝食の用意がすでにととのっていた。小女が味噌汁と牛乳を台所から運んで来た。

「イテテテ」

 チャブ台の前に坐る時、恵之助はまたしても悲鳴を上げた。

「ちくしょうめ、あの三吉の野郎!」

「朝っぱらから、どこの散歩に行ったの?」

 トースターにパンを突っ込みながら、竜之助が訊ねた。

「ああ、判った三吉湯の新築場でしょう」

「そうだ」

 恵之助は不機嫌にうなずいて、味噌汁の蓋(ふた)を取った。息子がトーストに牛乳に目玉焼、親爺が銀メシに味噌汁にお新香というのだから、泉家の朝食というのは、毎朝たいヘん手数がかかるのである。

「そこで転んだんですか?」

「転んだんじゃない」

 恵之助はワカメの味噌汁に口をつけた。

「わしはまだ転ぶような齢じゃない。蹴りそこなったのだ」

「誰を? 三吉小父さんを?」

「三吉小父さんなんて呼ぶんじゃない。三吉のクソ爺と呼べ!」

 はなはだ教育的でない発言を恵之助はした。

「材木だ」

「材木?」

 竜之前は失笑して、牛乳にむせた。

「材木を蹴ろうとしたんですか?」

「笑うな!」

 恵之助は気分を害して、息子をにらみつけた。

「材木を蹴っては悪いのか?」

「悪いとは言いません。言いませんし、また材木を蹴りつけようというお父さんの気持も、よく判りますが――」

 トースターから出て来たトーストに、バターをなすりつけながら、

「僕のボディビルを、全然ムダで非能率的だと、お父さんはいつも言うじゃないの。そのお父さんが材木を、生命のない材木を、いくら三吉小父さん、いや、クソ爺の所有物だとはいえ、足蹴にするなんて、全然ムダ――」

「全然ムダでない!」

 恵之助は息子の発言を封じた。

「足で蹴れば、材木だってすこしは凹(へこ)む。凹めばそれだけ向うの損害だ」

「そのかわり、こちらの下駄も凹むでしょう」

 竜之助も理窟では負けていない。

「下駄が凹むだけでなく、現実には蹴りそこなって、向う脛が凹んだでしょう。何か薬をつけとかないと、化膿すると大変だよ。化膿すればペニシリン。ペニシリン打てば、ペニシリンショック――」

[やぶちゃん注:本小説は本篇は昭和三一(一九五六)年三月二十三日附『東京新聞』で連載が開始され、同年十一月十八日附同新聞で完結しているのだが、恐らくは、ペニシリンの感染症対策の万能性が信じられ、値段も安くなったこの頃、まさに本篇の連載中に発生して、世間に恐怖を与えたペニシリン・ショック死があった。昭和三一(一九五六)年五 月のことであった。『医薬品医療機器レギュラトリーサイエンス』(Pharmaceutical and Medical Device Regulatory Science)第四十七巻第二号(二〇一六年)の『薬事 温故知新』第七十四回の土井脩氏の「ペニシリンによるショック死事件」PDF)によれば(ピリオド・コンマを句読点に代えた)、『東京大学法学部教授が抜歯後の化膿止めの目的でペニシリンの注射を受け、その直後に胸苦しさを訴え、そのまま意識不明となり死亡した。被害者の社会的地位が高かったため、マスコミが大々的に報道したことにより、ペニシリンショックが国民に広く知られるようになった。その後の厚生省の調査により』一九五三年から一九五七年の『間に』、実に千二百七十六『 名がショック発現し、うち』百二十四『名が死亡していることが明らかになった』とある。梅崎は連載中のショッキングなこの事件を、アップ・トゥ・デイトに竜之助に語らせたのであった。]

「よくぺらぺらとしゃべるな。お前という男は」

 恵之助はにがい顔になって、ツクダ煮をつまんだ。

「事態はさし迫っているんだぞ。吞気なおしゃべりをしている時でない」

 

 朝食が済んだ。

 泉恵之助は煎茶(せんちゃ)の茶碗を口に持って行きながら、同じくジュースを飲んでいる息子の竜之助に、しみじみと話しかけた。

「なあ。こうなれば、わしも相当の覚悟をきめねばならないぞ」

 恵之助は煎茶を一口、旨(うま)そうに含んだ。

「三吉湯の馬鹿オヤジが、我が泉湯に対して大攻撃をかけてくる日が、目前に迫っている。それに対処するために、こちらもいろいろ準備をととのえなければならない」

「準備?」

「そうだ。準備だ」

 恵之助はまた煎茶をすすり、煙草に火をつけた。

「今朝、あの新築の状態を見て来たが、規模という点では大したことはない。しかし、新築は新築だからな、設備も新式になるだろうし、木口が新しいということが最大の魅力だ。それに対抗するためには、泉湯としてはどうしたらいいか。サービスだ」

[やぶちゃん注:「木口」ここは「こぐち」ではなく、「きぐち」と読む。それで「建築用材の等級・性質」を指す語となるからである。]

「…………」

「サービスによって、客足をつなぎとめる他はない。そのためにはだね、ラジオやテレビ、蓄音器なんかもいいと思っている」

「テレビはいいね。テレビ」

 竜之助は賛意を表した。

「番台の前に置いて呉れれば、僕だって喜んで番台に坐るよ」

「番台の前に置いて、何になるんだ。お客さまに見せるんだよ」

 恵之助は息子をたしなめた。

「ところがだね、組合の申合せで、ラジオ、テレビ、そんな種類のサービスはお互いに一切遠慮しようという項目があるんだ。しかし、四軒目の三吉湯が出来るとなれば、こちらも背に腹はかえられない」

「組合から文句を言って来たら、どうするの?」

「その時は、組合を脱退する!」

 恵之助はどしんとチャブ台を叩いた。

「同じ条件で、新湯と古湯と競争せよなんて、そりゃムリな話だ。わしは最後の手段として、湯銭の値下げまでも考えているんだ。湯銭を値下げすれば、客はきっと殖えるだろう」

「値下げして、採算が取れるの?」

 竜之助は心配そうに口をはさんだ。

「それに、こちらが値下げすれば、三吉湯でも同じことをしないかしら?」

「それは大丈夫。大丈夫だろう」

 恵之助の声は慄え[やぶちゃん注:「ふるえ」。]を帯びた。

「三吉湯と泉湯とでは、すこし条件が違うのだ。たとえば、燃料だな。三吉湯では高価な石炭を使用している。ところがわしんところではで、バーナー式の燃焼機を使ってるから、安い粉炭で沸(わ)くんだ。また三吉湯は、井戸と水道の併用だが、うちは井戸だけで間に合う。使用人にしてもだ、うちは男衆が二人、女中が三人、それだけでやっている。三吉湯はそれよりも多い。したがって人件費が余計かかる。あんなやり方では、湯銭の十五円はどうしても取らなきゃ、採算は取れない。人件費、税金、償却費――」

「うちじゃ、どの程度まで値下げ出来るの?」

「うん。それが問題だ」

 恵之助は煙草をすりつぶして、腕を組み、憮然(ぶぜん)として言った。

「わしたちの生活費の問題もあるしな。最悪の場合は、お前にもゲイジュツは止めて貰って、働いて貰うということになるかも知れないぞ」

 

2023/07/11

佐藤春夫譯「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」正規表現版 「ともし灯の敎ヘ」李筠

[やぶちゃん注:書誌・底本・凡例等は初回を見られたい。本篇はここ。]

 

  ともし灯の敎ヘ

            夜 半 燈 花 落

            液 淚 滿 銅 荷

            乃 知 消 息 理

            榮 華 憂 患 多

                  李   筠

 

ながき夜の灯に結ぶ丁字の

燭淚となりたまるを見れば

今はた知りぬ世のことはりを

時めける人うれひしげしと

 

   ※

李 筠  明朝の妓女。 未詳。

   ※

[やぶちゃん注:作者名は「りいん」と読んでおく。この作者、ネットで名前や詩句を幾つか変えて行ったフレーズ検索をかけても、いっかな、出てこない。従って、標題も判らない。推定訓読のみを以下に示す。

   *

夜半 燈花(たうくわ) 落つ

液淚(えきるい) 銅(あかがね)の荷(うてな)に滿てり

乃(すなは)ち知んぬ 消息(せうそく)の理(ことわり)を

榮華 憂患(いうくわん)多しと

   *]

佐々木喜善「聽耳草紙」 一五三番 富士山の歌

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]

 

      一五三番 富士山の歌

 

 日本の歌詠みが、秀歌を詠んで唐人《たうじん》に見せた。その歌は、

   夏の日は

   わが家の…

   たのしさよ

   富士よりおろす

   風の凉しさ。

と謂ふのであつたが、唐人はそれをこう願讀した。

   百テクヒヨン

   スペリコ

   カラズ

   チント、キンポロ…

(これは祖父から聽いた話。私の古い記憶故、日本人の名歌の上ノ句を忘れた。夏の日はわが家の庭の樂しさよ…であつたか、また全く別であつたか知れぬ。祖父はどこで聽かれたものか、奧州の百姓老人でもこんなものを覺えていた。唐人の飜讀《はんどく》の方は子供の時幾度も幾度も々々々も繰り返して口遊びにした故不思議にも忘れないでゐる。)

[やぶちゃん注:附記は本文と同ポイントにして引き上げた。最後の丸括弧閉じるは、句点が行末であることから、存在しないが、補った。]

奇異雜談集巻第五 ㊃姉の魂魄妹の躰をかり夫に契りし事 / 巻第五~了

[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい。

 因みに、本篇は、冒頭から、漢籍を正面から取り上げて、和訳をすることを正直に掲げており、その都合上、冒頭以外にも、途中のシークエンスでは、本文中に作者自身が、本邦の読者には馴染みのない中国の語句や民俗風俗について、解説を挿入するという、画期的な方法が採られている。識者や、後発の翻案物を既に読んでおられる方には、釈迦に説法であろうが、私は、今回、電子化するに際して、これは非常に優れた手法であると感じた。恐らく、私が注を附さないではいられない人間であり、如何なる電子化でも、「やぶちゃん注」が、五月蠅く出てくるのを、苦々しく思っておられる御仁には、本篇は私の注と同等に「んなもの、いらねえな。」と呟かれるであろう。では、本篇は読まぬがよかろうと存ずる。作者のやっていることは、私の神経症的な注挿入と全く以って同一であり、本来の話の展開に、しょっちゅう、ブレイクを入れているのと同じだからである。原作の原書の原文そのものを読まれるに若くはない。「中國哲學書電子化計劃」のこちらから、影印本で視認出来るから、これが一番良い(但し、右にある電子化されたものはダメである。機械判読で、とんでもない字起こしになっているから)。「中国語では読めない。」と言う方、ご安心あれ! これ、実は、逆輸入(後の本文の私の注を参照)版で、日本語の訓点附きなのだ!

 なお、高田衛編・校注「江戸怪談集」上(岩波文庫一九八九年刊)に載る挿絵(本篇では二幅ある)をトリミング補正して、適切と思われる箇所に掲げた。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。]

 

   ㊃姉(あね)の魂魄(こんはく[やぶちゃん注:ママ。というか、この時代には半濁音を示す「◦」の記号は未だ存在していないはずなのである。])妹の躰(たい)をかり夫(おつと[やぶちゃん注:ママ。])に契(ちき[やぶちゃん注:ママ。])りし事

 新渡(しんど)に「剪灯新話(せんとうしんわ)」といふ書(しよ)あり。奇異なる物語を集めたる書なり。今、二、三ケ条を取《とり》て、こゝにのする也。「剪灯」とは、『蠟燭の心(しん)をきる』なり。『夜《よ》ふくるまで語る』といふ、こころなり。「新話」とは舊「剪灯夜話(せんとうのやわ)」といふ書、あり。事(こと)ふりたるゆへ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]に、『あたらしき事とも[やぶちゃん注:ママ。]をかたる』ゆヘに、「新話」といふなり。今、唐(から)の言葉を、やはらげ、日本(にほん)のことばになして、記(き)するなり。

[やぶちゃん注:「新渡」「新たに渡来した物」の意。

「剪灯新話」小学館「日本大百科全書」を主文として引き、一部に補塡をした。明初の文語体怪異小説集。撰は瞿佑(くゆう 一三四一年~一四二七年:下級官吏で文人。銭塘(せんとう:浙江省)の人で、若年から詩人として知られていたが、その一生は不遇で、仁和県・臨安府(浙江省)・宜陽県(河南省)辺りの訓導や周王府の右長史という低い官職に就いただけで、筆禍によって保安(陝西省)に流され、十年の年月を過ごしている。多くの著書は、その殆んどが散逸してしまい、現在伝わるものは、この「剪灯新話」・「帰田詩話」・「詠物詩」のみである)で、四巻二十編と付録一編から成る。もとは「剪燈録」と称して全四十巻もあったが、作者が筆禍によって流謫(るたく)されていた間に、散逸してしまい、後に、ある地方官吏がその残篇を入手し、自ら流謫地に行って、作者の校閲を受けた。作者がそれらに一篇を付録したのが、現在、見られるものである。自序によると、「剪燈録」は、古今の怪異を編集して、勧善懲悪のほか、不遇な者への同情を込め、同時に自分の失意を慰めるための余技であったことが知られる。二十一篇の物語は、それぞれに特色のある怪異譚で、唐の伝奇小説の系統を引き継いでおり、怪異と艶情の交錯する世界を妖麗な筆致で展開している。篇中には詩が多く使用され、また、詩を創る話や、詩人に係わる話が多く、文体にも四六駢儷体の美文が使われているのは、作者が詩人であったことと大きな関係があり、小説に典雅な趣きを添えている。出版後は非常な流行を見せ、同類の作品が、数多く、出現し、色情的な作品として当局に禁止されて散佚したが、後に、清代の末に本邦から逆輸入された。本書は室町時代の末に渡来したらしく、本「奇異雑談集」の以下の三篇の翻訳が、現在、知られている本邦初の和訳とされ、中でも、同書の「牡丹燈記」は、浅井了意の「伽婢子」(リンク先で全篇正規表現で昨年電子化注を終えている)の「卷之三 牡丹燈籠」を代表として、幾つもの改作を経て、近代の三遊亭円朝の名作「牡丹灯籠」を生んでいる。私は、漢籍原文及び注釈本・訳本・考証論文を十冊以上、所持している程度には、高校時代からの「剪灯新話」フリークである。]

  「金鳳釵記(きんほうしやのき)」 「釵」は
  「かんざし」也。髮にさす物なるゆへに、
  「かんざし」といふぞ。唐には、男女・諸
  人(しよにん)、みな、髮をながうして、髮
  をたばねて、かみの根に四、五寸なる釵
  (かんざし)を、よこにさして、髮を釵に
  かけて、くるくると、まげて、をし[やぶちゃん注:ママ。]
  かうで、をく[やぶちゃん注:総てママ。]なり。日本
  に、いやしき女の筋曲(すしまげ[やぶちゃん注:ママ。]
  といふごとくなり。釵は金銀・銅・鉄・錫・
  鉛・骨・角(つの)・竹(たけ)・木(き)
  等(とう)をもつて、つくるなり。釵の端
  (はし)に、花鳥のたぐひを作りて、かざ
  りにするなり。「金鳳」とは、「金」をもつ
  て「鳳凰(ほうわう)」をつくるなり。日
  本に「かんざし」といふは、「天冠」なり。
  「楊貴妃」の能(のう)にみえたり。是は
  文字、別にあるか。「記」とは、「金鳳釵の
  物語を記(き)する」也。

[やぶちゃん注:「釵」を「しや」と読んでいるのはママで、以下の本文でも同じである。しかし、「釵」には「シヤ」の音はなく、「サイ」或いは「サ」で(現代中国語の音写は「チァィ」)、一般的に本篇「金鳳釵記」は「きんぽうさのき」「きんぽうさいのき」と読まれる。

「をしかうで」岩波文庫原文では、本文は、『押し込(こ)うで』(「こ」はルビ)とあるので、「押し込んで」の意である。

「筋曲」高田氏の注に、『髪を後頭部に巻き上げて、箸』(はし)『で止めた頭髪のことか』とある。

「鳳凰」中国古代に想像された瑞鳥。博物誌は私の「和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 鳳凰(ほうわう) (架空の神霊鳥)」を見られたい。

「天冠」歴史的仮名遣「てんくわん」。同前で、『能楽の装具。女神、天女、宮女などに用いる金色で透彫』(すかしぼ)『りのある輪状の冠。簪』(シン/かんざし)『があり、左右に瓔珞』(ようらく)『を垂』らす、とある。

『「楊貴妃」の能』世阿弥の娘婿金春禅竹(応永一二(一四〇五)年~文明二(一四七〇)年?)作。白居易の「長恨歌」を題材に作られた謡曲。三番目・鬘(かずら)物。五流、現行曲。小学館「日本大百科全書」から引く。『唐の玄宗』『皇帝は、死んだ楊貴妃を忘れかね、超能力者である方士』『(ワキ)に命じて』、『彼女の魂魄』『のありかを尋ねさせる。常世国蓬莱宮(とこよのくにほうらいきゅう)に至った方士は、仙界に生まれ変わった楊貴妃(シテ)に会い、玄宗の伝言を伝える。対面の証拠として、楊貴妃は七夕(たなばた)の夜の「比翼連理(ひよくれんり)」の愛の誓いを方士に明かし、いにしえの霓裳羽衣(げいしょううい)の曲に、思い出を込めて美しく舞う。方士の去ったあとに、楊貴妃はひとり泣き沈んで終わる。東洋史上最大の恋物語の艶麗』『さを、現世とあの世という憂愁のベールを通して描く、独自の幽玄能。異次元の存在が』、『この世にやってくる能は多いが、ワキが異次元の世界に入ってゆく能は』、『これ』、『一番である』とある。]

 元朝の大德年中[やぶちゃん注:一二九七年~一三〇七年。]の事なるに、楊州に吳防禦(こはうぎよ[やぶちゃん注:総てママ。])と云ふものあり。ほうこう人[やぶちゃん注:「奉公人」。]にあらす[やぶちゃん注:ママ。]、国人(くにたみ)にて冨人(ふくじん)なり。

[やぶちゃん注:「揚州」高田氏の注に、『中国江蘇省揚子江岸の都市』で、後の『明代、商業都市として繁栄した』とある。現在の揚州市(グーグル・マップ・データ)。

「国人」同前で、『土着して主君を持たぬ者』とある。]

 そのきんじよに、崔郞君(さいらうくん)といふ人あり。是は、官人(くはん[やぶちゃん注:ママ。]《じん》)にて、給分(きうぶん)をとつて、堪忍(かんにん)する人なり。防禦と、知音(ちいん)にて、つねに、同遊す。

[やぶちゃん注:「堪忍」同前で『かろうじて生活してゆける程度の収入をいう』とある。]

 防禦は、女子《によし》、二人、あり。ともに、ようせう[やぶちゃん注:ママ。「幼生(やうせい)」。]にして、四さい、二さいなり。

 崔君(さいくん)に、男子(なんし)、一人、あり。五歲なり。

 遊會(ゆうくわい)のついでに、崔君のいはく、

 「我が子、所緣の儀、よそを、たづぬる事、むようなり。さいはひ[やぶちゃん注:ママ。]、防禦に女子あり。契約せん、と思ふは、いかん。」

と、いへり。

[やぶちゃん注:「契約」婚約の取り決め。この場合、指示がないからには、姉が相手である。]

 防禦、すなはち、領承す。

 崔君、よろこんで、わが内婦(ないふ)に此のをもむき[やぶちゃん注:ママ。]を、かたれば、内婦、よろこんで、

「契約のために、手(て)じるしを、やるべし。」

とて、金鳳釵を、紙につゝみて、出《いだ》せり。

[やぶちゃん注:「手じるし」「手印」。簡単にして明確なる証拠となるもの。]

 崔君、これをもつて、防禦に、やりて、

「契約の、しるしなり。」

といふ。

 防禦、よろこび、とりて、わが内婦に、わたす。内婦、喜び、うけとりて、をく[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]なり。

 そののち、崔君、都より召されて、のぼり、遠国の知府になさるべき由あるゆへに、一家中、上洛す。

 およそ知府は、みな、三年持(もち)なり。もし、そのこころあしければ、三年におよばず、在所より、いとひ出す。そのこころえ、よきをば、五年、十年も、よくりう[やぶちゃん注:「抑留」。]するなり。

[やぶちゃん注:「知府」高田氏注に『宋代から清代にかけての府の長官名』とある。当該ウィキによれば、唐代に既にあったものの正式な官職名ではなく、就任者も少なかった。『宋代以前は知府事と称し、知府と称するようになったのは明代以降の事である。古い言い方を好む士大夫層は知府を太守と呼んだ』とある。本邦でも、伝奇・志怪小説の和訳には、現代でも、この「太守」が好んで使われているように感ずる。]

 崔君、何年あるべきを知らず、一族・親類の、るす[やぶちゃん注:「留守」。]に、をくべきものも、なきゆへに、家を賣りて、行く。

 唐(から)には、家際(いへぎは)より、舟(ふね)にて行くゆへに、ざうさ[やぶちゃん注:「造作」。]もなきなり。

 都より遠國の知府になりて、故鄕、はるかにへだたるゆへに、音信、通ぜざるなり。

 防禦の女子、やうやう、せいじんす。

 姉(あね)をは[やぶちゃん注:ママ。]、興娘(こうぢやう)といひ、妹(いもと)をば、慶娘といふ。七、八年このかた、方々より、所緣の儀を、いふといへども、崔君に、すでにけんやく[やぶちゃん注:「兼約」。兼ねてよりの婚約契約。]あるゆへに、他緣の儀、ぜひに及ばざるなり。姉の進退さだまらぬ間《あひだ》は、妹の緣の儀、是また、ぜひに及ばざる也。

 興娘、とし、十八になるまで、をとづれ[やぶちゃん注:ママ。]なし。

 母の心に、これのみ、あむずる[やぶちゃん注:ママ。「案ずる」。]ゆへに、防禦に、いひていはく、「崔君、一たびさつつて、十五年、一書をつぜず。興娘、とし、すでに過ぎたり。けんやくに、まかすべしや、いなや。」

といへば、防禦のいはく、

「我、一たび承諾す。あに、ことばを、むなしくせんや。いはんや、手じるし、をや。」

といふ。

 母、たゞ、あんずるのみなり。

 世人(《よの》ひと)、みな、いはく、

「興娘、美容にして、とみ、さかへたり。おしい[やぶちゃん注:ママ。]かな、薄命にして、幸(さち)なきこと。」

と、いへり。

 これを、ほゞ、興娘、聞きて、氣をやむ。それ、血氣(けつき)も、また、時、いたれり。あに、男をおもふの心、なからんや。かたがた、氣、つもりて、やまひを得たり。

 祈禱・療治、不足なし。冨家(ふか)なるゆへに、事をつくすといへども、氣の病は、いへ[やぶちゃん注:ママ。]がたく、氣に順ずる事なければ、いへ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]ざる也。

 

Kinhousaki1

 

[やぶちゃん注:底本の大型画像はこちら。興娘の臨終間近のワン・シーンととった。枕辺に父防禦、右手端が防禦の妻、その手前側にいるのが、妹の慶娘であろう。]

 

 年を、こえて、十九にして、正月のはじめの頃、死去す。

 父、母、妹(いもと)、一家中(《いつ》けちう)、なきなげくこと、かぎりなし。

 唐(から)には、死(しゝ)たる者、髮をそり、黑衣(こくゑ[やぶちゃん注:ママ。])をきる事、かつてなし。たゞ平生(へいぜい)のごとく、鬢髮(びんばつ)を、とゝのへ、良きいしやうを着(ちやく)し、くつ・したうづまて[やぶちゃん注:ママ。「まで」。]、つねのごとくにして、柩(ひつぎ)にいるゝなり。柩は、棺(くわん)よりも、ながく、身(み)の臥長(ふしだけ)につくりて、内をくろうるし[やぶちゃん注:「黑漆」。]に塗り、ふたをも、おなしくぬり、外をも、くろうるしにぬりて、すみに、みな、きせ物をして、葢(ふた)を、あはするも、漆付け・釘付けにして、すみに、きせ物をするなり。

[やぶちゃん注:「したうず」岩波文庫版原文は『下沓』で、『したうず』とルビし(同書のルビは現代仮名遣)、注で『沓(くつ)の下にはく布製の袋。くつした』とする。

「きせ物」岩波文庫版原文は『被物』で『きせもの』とルビし、注で『漆で塗り固めるかぶせ物』とする。]

 興娘のしがい、すてに柩に入るるに、母、かの金鳳釵をもつて、興娘に對していはく、「是、汝が夫(おつと[やぶちゃん注:ママ。])の家の物也。殘し置きて、用、なし。髮に、さして、やるぞ。」

といふて、なきかなしむ事、きはまりなし。

 ついに[やぶちゃん注:ママ。]柩のふたを、あはせて、をき[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。「置き」。「安置し」。]て、中陰を、するなり。

 中陰の間《あひだ》、をくを、「殯(ひん)する」といふぞ。

[やぶちゃん注:「殯」本邦の「もがり」である。高貴な人物は生命力が絶大であり、蘇生する可能性が高いと考え、遺体は直ぐには葬送・埋葬をせず、柩に納めたまま、特別な場所に安置して、「よみがえり」を待つ作法を指す。]

 中陰、はてて、㙒堂(やだう)におくる。

 方々の柩を納めをく古堂(ふるだう)、㙒邊(やへん)にあるなり。

 中陰すぎてのち、かの崔郞君の子、來たれり。

 吳防禦の家を、たづねてきたれり。

 防ー[やぶちゃん注:ママ。「禦」の略記号。]、出《いで》て、あひぬ。

 崔君の子、先(まづ)、聟舅(むこ・しうと)の礼をなして、いはく、

「それがしが父崔郞(さいらう)、宣德府(せんとくふ)の知府に任ず。事を知るに、ひま、なく、遠路、たよりなきゆへに、十五年、ぶいむを、いたす。たゞ、故鄕、此方《このかた》の事のみ、朝暮(ちやうぼ)の言《こと》とす。さんぬる秋、つゐに[やぶちゃん注:ママ。]死去す。老母は、數年(すねん)さきに、死去す。素生(そせい)の地にあらず。親族のたよりなきゆへに、千里を遠しとせず、防禦のめぐみを、あふいで、きたる。いま、とし、二十(はたち)、名は崔哥(さいか)なり。願はくは、慈悲を、たれ給へ。」

といふ。

[やぶちゃん注:この内、「ぶいむ」の「い」、及び、「言とす」の「す」は、底本では(ここ)、近代の補修用か(対象位置の右丁には虫食いの跡がある)、白い紙が張り付けられていたものが、剥がれた上に、字の上に粘着してしまい、判読不能である。底本の通性が甚だ強い、国立国会図書館デジタルコレクションの「近世怪異小説」(吉田幸一 編・一九五五年古典文庫刊・新字正仮名)の当該部で、以上の二箇所を確定した。ただ、「言」の読みはどちらにもないため、「こと」というそれは、私の推定訓読である。「ぶいむ」は岩波文庫は『無音』とあって『ぶいん』のルビが当てられてある。「無沙汰」と同義で、久しく便りがないことを言う。而して、直後の防禦の台詞には「ぶいん」と表記されてあり、「近世怪異小説」でも同じである。

「宣德府」原作も同じ。現在の河北省張家口(ちょうかこう)市宣化県(グーグル・マップ・データ)の古称。

「素生の地にあらず」「素生」ここでは、もともとの出生(しゅっしょう)の地で、異邦に身を仕方なく葬ったことを示唆している。中国の民俗社会では、故郷に埋葬することは絶対的に大事なことで、異郷の地に葬られた者は、永久に浮かばれず、生地に改葬することが必要とされるのである。]

 防禦、諾(だく)して、内に、よびて、いはく、

「我むすめの興娘、ようせうの兼約あり。十五年の間、他(た)の緣を、禁じきたる。崔家のぶいんを、思ふ。氣、つもりて、やまひをえて、つゐに[やぶちゃん注:ママ。]死す。たゝ[やぶちゃん注:ママ。「ただただ哀れなことに」の意。]、さいはゐ[やぶちゃん注:ママ。]、なし。」

と云《いひ》て、なみた[やぶちゃん注:ママ。]を流すなり。

 崔哥、聞きて、おどろき、いろを變じて歎息す。

 防禦、たつて、崔哥を引きて、佛前にいりて、位牌をみせしむ。

 崔哥、はなをそなへ、香をたき、なみた[やぶちゃん注:ママ。]を流して、去る。

 防禦のいはく、

「汝が亡父崔君は、我がちいんの故人[やぶちゃん注:親友。]なり。故人の子、すなはち、我が子なり。『興娘、なし。』といひて、外人[やぶちゃん注:無縁な他人。]の心をなす事、なかれ。養育の心を、安くせよ。門のかたはらに、小家(こ《いへ》)あり。臥起(ねをき)のすみかと、せよ。」

というて、すなはち、小家の戶をひらき、座を掃きて、をくる[やぶちゃん注:ママ。「贈る」。]

 しかうして、數日(すじつ)のち、三月三日、淸明(せいめい)の節(せつ)にいたるときんば、世人《せじん》の風俗として、塚にのぼりて、先祖一族の靈(りやう)をまつる也。

[やぶちゃん注:「淸明の節」中国の先祖祭。旧暦三月の、春分から 十五日目に当たる節日に、家中こぞって、先祖の墓参りに出かけ、鶏・豚肉・揚げ豆腐・米飯・酒・茶・香燭・紙銭などを供える。これは、古代の三月三日の上巳節に、その起源がある。『人民中国』日本語版の公式サイト内の丘桓興氏の「祭りの歳時記     ④」によれば、『もともと、清明節は春の遊びの日であっ』て、『この日は、朝廷の百官から百姓平民まで、とりわけ若い男女はみな』、『祭りの盛装に身を包み、食べ物を持って郊外に春の遊びに出かける。宮廷人や富貴の人たちは』、『さらに野原に天幕を張る。彼らは』、『まず』、『川に入って身を清めてから』、『岸に上がり、心ゆくまで遊び戯れる。はなはだしい場合は、ここで密会し、野合することさえある』。『これが上巳節の「清め」であり、生命の源である水の中で』、『一年の穢れと不祥を洗い清め、あわせて後継ぎの子を得て、一族の人数が増え、発展することを祈』ったのであった、とある。伝奇・志怪小説では、この日に冥界の相手が出現し、怪異が始まることが、しばしばある。]

 是、日本の「墓まいり[やぶちゃん注:ママ。]」なり。

 防禦夫妻、慶娘、じう類[やぶちゃん注:「從類」。親族・家の使用人ら。]、みな、塚にのぼり、ならびに、興娘が柩を、まつるなり。

 崔哥を、よびて、主殿(しゆでん)を、るす[やぶちゃん注:「留守」。]せさしむ。

[やぶちゃん注:「主殿」防禦の屋敷の本邸。]

 日暮れて、みな、歸る。

 崔哥、門に出《いで》、左のわきに立ちて、かへるをむかへて、礼、あり。

 防禦は、徒步(かち)にて、礼して、すぎぬ。

 母と慶娘と、轎(たごし)、二ちやうあり。

[やぶちゃん注:「轎」音「けう(きょう)」。中国・朝鮮で用いられた、乗る部分の左右両外側部に「担(にな)い棒」をとりつけた一種の輿(こし)である。グーグル画像検索「轎」をリンクさせておく。読みの「たごし」は同種のそれで、本邦の謂い。「手輿・腰輿」。前後二人で轅(ながえ)を手で腰の辺りに持ち添えて運ぶ乗り物。「てごし」とも言う。]

 さきに、母の轎、すぎて、次に、轎、すぐる時、物あつて、かねの響きにして、地に落つ[やぶちゃん注:「かね」は「金」で、何か金属のようなものが、落ちたような音がしたのである。]。

 崔哥、行(ゆき)て、ひろひとり、かすかに見れば、金鳳釵なり。

「いづれの人のおとせるにや。後(のち)に、ぬしを、たづねて、やらん。」

とて、先《まづ》、ふところに、をきぬ[やぶちゃん注:ママ。]

 人、ゆきつくし、事、おはり[やぶちゃん注:ママ。]て、中門、すてに[やぶちゃん注:ママ。]、とざせば、内に行くこと、あたはざるゆへに、我家にかへりて、ともしびを、あかして、ひとり、座して、身上(しんしやう)をおもふに、

「聟の緣(ゑん[やぶちゃん注:ママ。])、はておはんぬ。此家に止宿する事も、ながきはかりごとに、あらず。落居(らつきよ)、いかん。」[やぶちゃん注:「落居」本来は「落着く所」の意であるが、転じて、「向後の自身の身の成り行き」の意。]

と歎息し、且つ、ねぶれる間《あひだ》に、我家の門(かど)を、たたくこゑ、あり。

「たぞ。」

と、とへば、こゑ、せずして、又、たゝくゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に、たつて、戶をひけば、闇の中に、人影、あり。

 戸の開くを見て、をして[やぶちゃん注:ママ。]、入る。

 そのかたち、美女のよそほひ、みやびか[やぶちゃん注:ママ。「雅やか」。]なり。

 崔哥、驚きて、拒(こばま)んとすれば、女《をんな》、すでに、座につきて、かたちを、おさめ[やぶちゃん注:ママ。「形を治め」。しっかりとした様子で居住まいを正し。]、氣をしづめて、こまやかに[やぶちゃん注:心を込めて、親し気に。]、語りていはく、

「我は、興娘のいもうと、慶娘なり。君《きみ》の閑居を慰めんがために、きたれり。あやしむこと、なかれ。」

といへば、崔哥が、いはく、

「多情(たせい)すてがたしといへども、人の知るべきこと、いかん。老父(らうふ)、たちまちに、知らん。みだりなる事は、我、まさに老父の恩を、わするゝになるべし。はやく、出《いで》さり給へ。」[やぶちゃん注:「多情」高田氏の注に、『ここでは男女が互いにあいひかれる氣持をいう』とある。]

といへば、女のいはく、

「さきに、轎(てごし)の下《もと》より、金鳳釵を投げしを、君、取れるや。取れるときんば、ちぎり、さだまるなり。我、此の家のうちをよく知つて、忍びきたれば、人、しらじ。父母(ちゝはゝ)も、また、知るへからす[やぶちゃん注:総てママ。]。心をやすんじ、悠々(ゆうゆう)として、まくらを、ならべん。」

とて、崔哥を、ひゐて[やぶちゃん注:ママ。]、ふせり。

[やぶちゃん注:「ひゐて」岩波文庫本文では、『惹(ひ)いて』とある。]

 

Kinhousaki2

 

[やぶちゃん注:底本の大型画像はこちら。崔哥を訪ねてきた慶娘に金鳳釵を渡した(本篇にはそのシーンはない)ところ(彼女との臥寝を受諾したことを意味する)をスカプルティングしたものとった。]

 

 崔班も、また、辭退をわすれて、嫁宿(かしゆく)す。

[やぶちゃん注:「嫁宿」男女の契りを交わすこと。]

 あかつきにいたつて、女、出でさりぬ。

 崔哥、多情を、かんじて、ひとり、心のうちに、よろこひ[やぶちゃん注:ママ。]ゐたり。

 次の夜、また、來たること、前(さき)のごとし。

 是より、よなよな、來入(らいにう)すること、一月半にをよぶ[やぶちゃん注:ママ。]なり。

 ある時、女のいはく、

「今まで、人の知らざるは、まことに、さいわゐ[やぶちゃん注:ママ。]を、えたり。かくのごときの事には、魔(ま)のさはり、おほし。もし、現はれて、老父のせめ、あらば、緣を絕(ぜつ)し、眉目(びもく)をうしなはん[やぶちゃん注:面目が潰れてしまいます。]。我閨(わがねや)、おく、ふかし。忍び出つる[やぶちゃん注:ママ。]に、通路(つうろ)、めぐり、まがる。重々(ぢうぢう[やぶちゃん注:ママ。])の關(とざし)を出《いづ》るゆへに、身も心も、やすらかならず。ねがはくは、玉(たま)をいたきて[やぶちゃん注:ママ。]のがれゆき、跡を、遠村(ゑんそん)にかくさむ[やぶちゃん注:「隱さむ」。]と思ふは、いかん。」[やぶちゃん注:「玉(たま)をいたきて」原作では「懷璧」(璧(へき)を懷(いだ)きて)。「璧」は「玉」(たま/ギョク)のことで、「完璧」の原義は傷のない完全な宝玉を意味する。ここは「二人の相思相愛の全き恋情を大切なものとして守って」の意となる。]

といへば、崔哥のいはく、

「わがこころも、しかのごとし、はやはや、伴ひ行かんには、我、そのゆかんかたを思ふに、わが父崔郞君の時より、ふだい[やぶちゃん注:「譜代」。]の被官あり。名は金榮、鎭江縣(ちんがうけん)に家居(いへゐ)す。おとづれて、ゆかん。これより數日《すじつ》のほどをへだつ。舟にてゆかば、なんのわづひか、あらん。明日《あす》、舟をやくそくして、來夜《らいや》、ゆかんことを、さだむるなり。」

[やぶちゃん注:「鎭江縣」原作では「鎭江呂城」とし、農業を営んでいるという設定である。現在の江蘇省丹陽市(グーグル・マップ・データ)。]

 女、よろこんで、來夜、つゐに[やぶちゃん注:ママ。]よそほひを、かろくし、金鳳釵を、ぐして、ともに門をいでて、舟にのりて、行くなり。數日に足らずして、鎭江縣につく。

 金榮が家をたづぬれば、はなはだ、おほきに、あつうして[やぶちゃん注:建物が相応に立派で。]、とめり。此の村の長(おさ[やぶちゃん注:ママ。])と見えたり。

 崔哥、おほきによろこんで、すなはち、とふ。

 金榮、いでて會へり。はじめは、しらず。崔哥、揚州の故居(こきよ)、先父(せんふ)の姓名、ならびに、我が乳(ちの)子の時の名[やぶちゃん注:幼名。]をつぐれば、金榮、おほきに驚き、答拜す。

「是、わが家の郞君(らうくん)なり。」

 すなはち、中堂(なかのま)をあけて、しやうじ入《いれ》て、

「いかんとしたる來御(らいぎよ)ぞ。」

と、とへば、

「それがし、父母、ともに、なし。また、別に、親族、なし。少婦(わかきめ)を具(ぐ)するがゆへに、金榮を、賴みて、きたる。」

といへば、金榮、その先主(せんしゆ)のなきを聞(きゝ)て、哀哭(あいこく)す。

「此のちやくなん、今、わが主君なり。卑家(ひか)に御來臨は、はからざる忻悅(きんえつ)[やぶちゃん注:よろこび。]なり。」

 旦夕(たんせき)[やぶちゃん注:朝夕。]の食供(しよくぐ)、四時(《し》じ)[やぶちゃん注:四季。]のいしやう、心にまかせて、とゝのふ。一《ひとつ》として、不足、なし。

 しかうして、一年をすぐるなり。

 女のいはく、

「日月《ひつき》ながるゝがごとくにして、はや、一年、くれたり。父母(《ちゝ》はゝ)の心も、變ずべし。一旦は、いかるといふとも、つゐに[やぶちゃん注:ママ。]は、子をおもふ心、あるべし。いま、ともにかへりゆかば、再見をよろんで、兩人の罪を、いふ事、あらじ。艤(ぎ)して[やぶちゃん注:「舟裝(ふなよそほ)ひして」。出航の準備をして。]、ともにかへりゆかん。」

といへば、崔哥も、また、いはく、

「もつとも。ことはり[やぶちゃん注:ママ。]なり。ともに行《ゆく》へし[やぶちゃん注:ママ。]。」

とて、金榮に謝(しや)して、兩人、舟に、のりて、ゆくなり。

 揚州につきて、女のいはく、

「崔哥、まづ、ゆきてうかゞへ。我は、舟に待(ま)つべし。」

といふ。

 崔君がゆくを、よびかへして、いはく、

「もし、うたがひのことば、あらば、此金鳳釵を見せられよ。」

と、いふて、わたす。

 崔哥、かんざしを、受けとりて、ゆくなり。

 吳防禦の門にいたりて、

「崔哥、來たる。」

といへば、防禦、先(まづ)、謝していはく、

「崔君、たまたま、きたるに、門のかたはらの小家(せうけ)、止宿(ししゅく)、やすからず、旦暮(たんぼ)のやしなひごと、粗菜(そさい)、不足、まことに、老夫が罪なり。千悔千悔(せんくわいせんくわい)。」[やぶちゃん注:「千悔千悔」高田氏の注に、『謝罪のことば。申しわけない、の意。』とある。]

といへば、崔哥、地に伏して、

「死罪、死罪。」[やぶちゃん注:以上は高田氏の注に、『謝罪のことば。私の重い罪をどうか許して下さい、の意』とされ、原話では「但稱死罪」である旨の添えがある。]

と、いくこゑ[やぶちゃん注:「幾聲」。]もいふて、あへて、あふぎみず。

 防禦、疑惑して、

「何事を『しざい』といふぞ。そのゆへを、ひらき、のべられよ。」

といへば、崔哥がいはく、

「去年、出《いで》てゆく事、慶娘美君(けいぢやうびくん)、はからざるのなさけ、あり。夜〻(よなよな)來たりて、我《わが》小門《しやうもん》を、たたき、枕席(ちんせき)のなさけを感ず。いはんや、深閨(しんけい)、とをく出《いで》、通路(つうろ)、人、しらず。その心ざし、せつなるゆへに、告げずして、めとる。そのつみを、おそるゝがゆへに、ひそかに、負(をふ[やぶちゃん注:ママ。])て、遠村(ゑんそん)にかくる。すでに、一年を、へたり。夫妻、安居(あんこ[やぶちゃん注:ママ。])すといへども、父母のおもひをはかるゆへに、今、こゝに、ともに來(きた)る。ねがはくは、さきのつみを、許して、のちの緣(えん)を、とげ、偕老(かいらう)を、えさしめよ。」[やぶちゃん注:「美君」高田氏の注に、他者の『令嬢に対する敬称』とある。]

といへば、防禦のいはく、

「崔哥のことば、みな、虛(きよ)なり。我むすめ、慶娘は、去年(きよねん)、淸明に、塚に、のぼりて、歸りてより、やまひをえて、床(とこ)にふし、轉側(とこかへし)[やぶちゃん注:「寝返り」のこと。]も人を用ゐ、糜粥(びじゆく)[やぶちゃん注:「お粥」のこと。]も口を禁ずる事[やぶちゃん注:食べようとしないこと。]、一年に及べり。あに、此の事、有らんや。定めて、他女(たぢよ)なるべし。」

といへば、崔哥がいはく、

「慶娘、とゞまりて、舟(ふね)にゐます。人をつかはして、あげむかへさしめよ。」

といふ。

 防禦、信ぜずといへども、家童(かどう)を、つかはす。

 崔哥も、ともに、はるかにみれば、舟中に女《をんな》あり。

 舟にいたるときんば、女、消えて見えず。

 家童、すなはち、崔哥を、せめて、此の妖怪を、とがむ。[やぶちゃん注:「妖怪」尋常でないあり得ぬ面妖な出来事を指す語。]

 崔哥も、また、おどろき、あやしんで、ともにかへりて、防禦に、此のむねをつぐれば、防禦、あやしみ、うたがふ。

 ここにおいて、崔哥、袖中(しうちう)より、金鳳釵を、いだして、防禦に、しめす。

 防禦、見て、いはく、

「是は。興娘が髮に簪(かんざし)して、柩(ひつぎ)に、いれつる物なり。何として、今、爰に、きたるや。」

 舟中の女、見えずといひ、かたがた、疑惑するあひた[やぶちゃん注:ママ。]に、慶娘、病の床より、歎然(たんぜん)[やぶちゃん注:フラットな意味で「突如として」の意。]として起きて、すぐに主殿(しゆでん)のまへにいたりて、その父を拜(はい)していはく、

「興娘、さいわゐ[やぶちゃん注:ママ。]あらす[やぶちゃん注:ママ。]して、はやく、養育を、はなれ、遠く荒㙒(かうや)にすてらる。しかるに、崔郞君と緣分(えんぶん)、いまた[やぶちゃん注:ママ。]、たゝず[やぶちゃん注:「絕たず」。]。今、こゝに來《きた》る心も、また、他《ほか》の事にあらす[やぶちゃん注:ママ。]。ことに、いもうとの慶娘を、我、愛するゆへに、崔哥と夫婦の緣を、あひつがしめんと欲(ほつ)するのみ。もし、わがいふ所にしたがふときんば、やまひ、まさに、すなはち、いゆべし。もし、我言《わがげん》をもちゐざるときんば、いのち、こゝに、つきん。」

といへば、一家中のもの、みな、おとろく[やぶちゃん注:ママ。]

[やぶちゃん注:以上の台詞のうち、「また、他の事にあらす。ことに、いもうとの慶娘を、我、愛するゆへに、崔哥と夫婦の緣を、」の部分は岩波文庫版には存在しない。これ! 絶対必要!!! 原作にも同趣旨の「今之來此、意亦無他。特欲以愛妹慶娘、續其婚爾」があるからである!

 その身をみれば、慶娘にして、言語形儀(ごんごぎやうぎ)は、興娘なり。

 父、これを、詰(つめ)て[やぶちゃん注:詰問して。]、いはく、

「汝、すでに、死せり。いづくんぞ、人間(にんげん)にかへりて、此乱惑(らんわく)をなすことを、得るや。」

 答へて、いはく、

「われ、死するといへども、つみなきうへに、冥官(みやうくわん)、かゝわりとめず、かりに化生」けしやう)して、一年の間、崔哥と、此一段の婚緣(こんえん)を、とぐることをゆるすなり。」

 父、そのことばの、切なるを聞《きき》て、すなはち、ゆるして、

「その、いふがごとく、ならしめん。」

といへば、此の人、すなはち、父を拜し、礼謝す。

 又、崔哥と、手を、とりて、なき、なげきて、別(わかれ)をなす。時にまたいはく、「汝、よく、夫婦となりて、つつしんで、別(べちの)人をもつて、慶娘を、忘るゝ事、なかれ。」

と、いひおはりて、地にたふれふす。

 是を、みれば、死せり。

 しきりに湯藥(たうやく)をもつて、是にすすむれば、時を移して、卽ち、よみかへり、やまひ、すでに、さつて、形儀言語、常のごとくにして、もとの慶娘なり。

 そのさきの事を、とへば、かつて、知らず、ほとんど、夢のさめたるがことし[やぶちゃん注:ママ。]

 父母(ちゝはゝ)、つゐに[やぶちゃん注:ママ。]、崔哥が緣を、つがしむるなり。

 崔哥、すなはち、興娘のなさけのこんせつ[やぶちゃん注:「懇切」。]なるをかんじて、かの金鳳釵を、市(いち)に、うりて、銀二十鋌(ちやう)をえて、その内にて、燒香・蠟燭・帋錢(しせん)・幣帛(へいはく)等(とう)を買ひて、銀倶(ぎんぐ)に齎(つつみもち)て、「瓊花觀(けいくはくはん)」といふ山上(さんしやう)の寺にまうでゝ、逢醮(はうしやう)といふ道士に命じて、三日三夜(や)、とふらひをなす。

[やぶちゃん注:「瓊花觀」揚州市のここ(グーグル・マップ・データ)に現存する道覩(道教寺院)。

「帋錢」紙銭。銭形に切り、又は、銭形を押した紙。中国で祭りのときなどに供えたり焼いたりする。冥界で通用すると考えられている冥銭。現代のものでは、現行紙幣に真似て作ったりした凝ったものもある。

「銀倶」包むものらしいが、不詳。これに相当する原作の文々は見あたらない。

「逢醮」これは恐らく、原文の解読を誤ったものだろう。「命道士建醮三晝夜以報之」(道士に命じて醮(しやう)を建(た)つるこお三晝夜にして以つて之れに報之(はう)ず)とある。「醮」は道教の祭祀の一つで、「隋書」の「経籍志」の「道経序録」によれば、醮とは災厄を消除する方法の一つで、夜間、星空の下で、酒や乾肉などの供物を並べ,天皇太一や五星列宿を祭り、文書を上奏する儀礼を指す。後には斎(サイ:物忌み)の儀礼と結合して「斎醮」と呼ばれ、この斎醮の際に上奏する文書を「青詞」といった。唐・宋以後、道教の代表的な祭祀として広く行われ、近代になっても、亡霊を救済する「黄籙醮」(こうろくしょう)、帝王のための「金籙醮」、普く一切を救済する「羅天大醮」などの儀式が行われた。]

 又、夢に、崔哥に、みえて、いはく、

「君の、とぶらひを、うけて、尚(なを[やぶちゃん注:ママ。])、餘情(あまりなさけ)あり。幽明(ゆうめい)をへだつといへども、まことに深く感ずるなり。いもうと慶娘、柔和(にうわ)なり。よろしく、是を、見とどけよ。」

と、いふ、と、見て、さめたり。

 崔哥、おどろき、いたんで、此事、おはれり[やぶちゃん注:ママ。]。あゝ、異(い)なるかな。

 

竒異雜談集巻第五終

[やぶちゃん注:個人的には、本篇の原作「金鳳釵記」自体が、明らかに唐代伝奇の陳玄祐(げんゆう)撰の名作「離魂記」を焼き直したものに過ぎず、「離魂記」を知っていると、どうしても二番煎じのお手軽感は拭えない。本篇を受けて、満を持して再翻案された「伽婢子卷之二 眞紅擊帶」の方が、確信犯のインスパイアとしてはよく出来ている。リンク先では私の注でその辺りを既に述べているが、未読の方は、是非、読まれたい。他に、「無門關 三十五 倩女離魂」のオリジナルな注で、原文・訓読・現代語訳を行ってもいる。また、「小泉八雲 禪の一問 (田部隆次訳)」でも、私の注で本原作に言及しているので、参照されたい。

梅崎春生「つむじ風」(その7) 「作戦」

[やぶちゃん注:本篇の初出・底本・凡例その他は初回を見られたい。]

 

     作  戦

 

 そろそろ日も暮れかかる頃、浅利圭介はソバ屋の卓で、ザルソバをさかなにして、お酒を飲んでいた。

 家にもどって食事をしてもいいのだが、家で食べても食費は取られるし、それに家には酒はないし、ついふらふらとソバ屋に足を踏み入れてしまったのだ。

 酒を飲もうと思い立ったのは、今日あちこちにかけ廻ったねぎらいの意味もあった。

「うん。今日は割にうまく行った」

 二本目のちょうしを傾けながら、圭介はひとりごとを言った。

 今日は割にお客が立てこんでいて、ソバ屋のおやじや小女(こおんな)もいそがしく、それにテレビで間の伸びたような顔の男が、マドロス歌などを歌っていたので、誰もその圭介のつぶやきに耳をとめる者はなかった。

 そして圭介は、わざわざ席をかえてテレビに背を向けた。圭介はあのマドロス歌のようなコジキ節は大きらいなのである。

「あの歌い手は、何てえ面(つら)をしてやがるんだろう。まるで伸び切ったソバみたいじゃないか」

 その頃、ランコは圭一を寝かしつけながら、物思いにふけっていた。今日という日は、ランコにとっで、近来になく物思いにふけった日であった。

「さて。おつもりとするか」

 圭介は代金を卓に置き、ふらふらと立ち上った。のれんをわけて外に出た。

 圭一がかるい寝息を立て、すっかり寝ついたころ、玄関の扉ががたごとと引きあけられた。そして濁った声がした。

「ただいま」

「どなた?」

「僕だよ。おばはん」

「ああ、おっさんか。お帰りなさい。御飯は?」

「ソバを食べて来たよ」

 上り框(がまち)を踏む、ぎいという音がした。

「おっさん。ここに入りなさい」

 ランコはやや命令的に言った。

「お茶をいれますよ」

 廊下の足音は、ちょっとためらう風だったが、そのまま障子をあけて、茶の間にのそのそと入って来た。ランコは上目使いにじろりと圭介を見た。

「お酒を飲んでるんですね」

「ああ、飲んだよ」

 圭介はチャブ台の前にあぐらをかいた。

「あちこちかけ廻って、たいへん疲れたんだ。飲んだって、あたり前でしょう」

「どこをかけ廻ったの?」

 圭介はそれに答えずに、親指を立てて、納戸の方向を指した。

「あれは? 陣内君は?」

「いますよ」

「今日一日、うちにじっとしていたのかね」

「昼から、圭一を連れて、映両を見に行きました」

「ふん」

 注がれた番茶を、圭介はすすった。

「何か話したか。何も話さなかっただろうね」

「あたしが?」

「おばはんじゃないよ。陣内君だよ」

「いろいろ話しましたよ」

 ランコは用心深く、圭介の態度を観察しながら答えた。

「いろいろ、さまざまの話をね」

「そうかね。そりゃよかったね」

 浅利圭介はあっさり答えて、そ知らぬ顔で茶をすすった。

 陣太郎がどんなことをしゃべったのか、まだ見当がつかないし、うっかりした受け答えをすれば、ヤブヘビになるおそれがある。圭介は茶を飲み乾して、二杯目を請求した。

「あの人と一緒に、事業をやるんですってね」

 圭介がそ知らぬ顔をしているものだから、ランコは切りこんだ。

「うん」

 事業とは大げさなことを言いやがったな、と内心では考えながら、圭介はおうようにうなずいた。

「まだはっきりした内容のものじゃないがね」

「あの人、戦争中は、海軍兵学校にいたんですって。生徒としてよ」

「そうなんだ。でも、在学中に、田淵という教官をぶんなぐって、それが問題になって追い出されたんだ」

「教官をぶんなぐったんだって?」

 はてなという表情で、ランコは首をかたむけた。

「違いますよ。何となくふらふらと脱走して、東京で憲兵につかまり、刑務所に入れられたんですよ。海軍の大津刑務所」

 今度は圭介の方が、はてな、という表情になった。

「なかなか反抗心の強い人ねえ。おっさんにもそのくらいの気概があって、早く逃げ帰って呉れれば、あたしもカツギ屋なんかになって、苦労しないで済んだのに」

「ムチャ言って呉れるな」

 圭介は嘆息した。

「僕の部隊は外地だよ。外地で脱走して、どうやって日本に逃げ帰れる? 海があるんだよ、海が」

「そりゃそうね。それにおっさんは、あまり動作が早くないからね。直ぐつかまってしまうわね」

「僕だけがとっつかまるように、おばはんは言うけれど、誰だってつかまるよ。なにしろあの頃の軍隊機構というのは、たいへんなものだったからな。陣内君だって、つかまったじゃないか。もっともあの男も、あまり動作が敏活という方じゃないが。で、大津刑務所に入れられて、それから何と言ってた?」

「軍法会議にかけられないように、家の方で圧力をかけたんだって」

 ランコも自分でお茶を入れ、旨そうにすすった。

「大したものねえ。軍法会議に圧力をかけるなんて。松平家って、徳川もそれに入るんですってね」

「松平? おばはんは一体、何の話をしてるんだい?」

「松平よ。松平陣太郎さんのことよ」

 ランコはいぶかしげに圭介を見た。

「おっさんは自分の友達の名も知らないの?」

「あっ、そうだ。そうだ。松平だ」

 圭介は大げさにうなずいて見せた。心の中では、圭介には通告せずに、ランコにそんなことを打明けた陣太郎に、かんかんに腹を立てながら、

「つい陣内と呼び慣れているから、ど忘れをしていたよ」

「なかなかしっかりした人のようね」

 

 ランコの追求をあれこれとごまかして、浅利圭介が納戸に戻ってくると、陣太郎は部屋の真中に肱(ひじ)枕して、ぐうぐう大いびきを立てて眠っていた。

(何というのんきな奴だ。おれの苦労も知らないで)

 音を立てないように、そっと納戸に入り込み、隅の机の前に坐ると、陣太郎はいびきを中止して、パッと眼を開いた。

「どうでした?」

「どうでしたもくそもないよ」

 圭介は投げ出すように言った。

「僕があちこちかけ廻り、さんざん苦労しているのに、大いびきで寝ていたりして。起きて来なさい」

「だって、あなたがそう言ったんでしょう」

 陣太郎は不服そうに、のそのそと身体を起した。

「自分は出かけるが、君は家にじっとしておれって」

「じっとしていなかったじゃないか。圭一を連れて、映画なんか見に行ったそうじゃないか」

 圭介は口をとがらせ、ポケットから煙草を取り出した。

「一体君は何という名前だね。松平だというのは、ほんとか?」

「そうですよ」

「じゃ陣内というのは阿だ?」

「ペンネームです」

「それならそうと前もって、僕に知らせとかなくちゃ、ダメじゃないか。ランコからそこをつっかれて、僕は大汗をかいた」

 圭介はハンカチをひっぱり出して、額をごしごし拭いた。

「おかげで、酔いがいっぺんに醒めたわい」

「おや、酒を飲んだんですか?」

「飲んだっていいだろう。あちこち廻って疲れたし、それに僕の金だ。他人のお世話にはならん」

「昨日失業保険金がおりたんでしょう」

 陣太郎は当然のように、机上の圭介の煙草に手を伸ばし、一本をつまみ出した。

「でも、酒なんか、あんまり飲まない方がいいんじゃないですか。事業の運動費も要るし、それに毎日の食費を、おばはんに払わなくてはいけないでしょう」

「誰に聞いた?」

 圭介はぎろりと眼を剝(む)いた。

「おばはんがそんなことまでしゃべったのか?」

「おばはんからではありません。坊主からです」

「坊主? あんまり慣れ慣れしく言って呉れるな。圭一君と言いなさい」

 圭介は上半身をねじ向け、手を伸ばして、書棚からウィスキーの瓶とグラス二つを取り出した。醒めた酔いを取り戻そうというつもりらしい。

「実際、圭一の奴、小学一年生だというのに、そんな告げ口をする。これもランコの教育が悪いんだ。おやじをバカにするなんて、飛んでもない息子だ」

「で、持主は何者でした?」

 陣太郎が話題を転じた。

「三・一三一〇七の持主」

「まあ待ちなさい」

 圭介は二つのグラスに、とくとくと液体を充たした。

「おどろいたことにはね、三・一三〇七という番号の自動車が、東京には二台あるのだ。一台は自家用、一台は営業用」

 

「三・一二〇七番の自動車は、東京に二台ある」

 浅利圭介はそう繰り返して、グラスをぐっとあおった。陣太郎もそれにならった。

「一台、自家用車だな、これは加納明治という著述業者が持っている。加納明治、知っているかね?」

「小説家ですよ」

 二つのグラスに充たしながら、陣太郎は答えた。

「ヘボ小説家です」

「そうか」

 圭介は胸のポケットから、小さな革手帳を取り出してひろげた。

「もう一台、営業用だな、これは上風(かみかぜ)タクシー会社の車だ。名前からして全く速そうな感じがするな」

「すると、おれを轢(ひ)こうとしたのは、そいつかな?」

 陣太郎はきらりと眼を光らせてグラスに手をやった。

「僕もそう思った。だから僕は、早速上風タクシー会社に出かけて行った」

「もう出かけたんですか。それはまずかったなあ」

「何故まずい?」

「いや、やはりこんなことは、充分に計画を立ててやるべきですよ」

 陣太郎はまたグラスをあおった。

「ぶっつかる前に、向うの状況をよく調べなくては。それではまるで、日本海軍のミッドウエイ攻撃みたいだ。猪突盲進(ちょとつもうしん)というやつです」

「君は、海軍兵学校を――」

 圭介はそう言いかけたが、それでは話がこんぐらかると思ったのだろう、話を元に戻した。

「僕は上風タクシー会社におもむき、社長に面会を申し込んだ。社長は上風徳行という男だ。僕は応接室に通された。応接室には標語が書いてあった。《スピードこそ最上のサービス》大へんなもんだねえ。街の中を気違いのように走り廻っている車があったら、それはきっと上風タクシーの所属だよ。もっともたいていの車が、気違いみたいに走り廻ってるがね」

 圭介の長広舌のすきをねらって、また陣太郎はグラスをあおった。

「上風徳行という男は、そうだな齢は僕と同じくらいかな、いい体格をしていて、顎髭なんかを生やしている。よくよく聞いてみるとやはり海軍出身で、潜水艦に乗っていたそうだ」

「それで」

 陣太郎はいらいらしたらしく、うながした。

「どう切り出しました? いきなり貴社の車が、人を轢いただなんて、切り出しはしなかったでしょうね」

「もちろんだよ。僕だっていろいろ策略を考えている」

 圭介はちょっと気を悪くしたらしく、鼻翼をふくらませた。

「いきなりそう切り出せば、向うはしらを切るかも知れない。だから、おだやかに、三・一三一〇七という車は、お宅の所属ですかと訊ねてみた。すると上風社長の答は、その車はすでに他人にゆずったというんだ」

「誰に?」

「猿沢三吉。銭湯の経営者だ」

 

「つまりだね、この加納というヘボ小説家、猿沢という風呂屋、そのどちらかの自動車が君をはね飛ばしたのだ」

 そう言って浅利圭介は、ウィスキー瓶に手を伸ばしたが、それをすぐにダラスに注ぐことはせず、いぶかしげにことことと振ってみた。そしで呟いた。

「ずいぶん減りが早いウィスキーだな」

「なるほどね。天に二日なしと言うが」

[やぶちゃん注:「天(てん)に二日(にじつ)無(な)し」天に二つの太陽がないように、一国に二人の君主があってはならない。「礼記」(らいき)の「曽子問」(そうしもん)の第七が出典。]

 陣太郎はごまかすように、早口で相槌を打った。

「同じ番号の車が二台あろうとは、予想もつきませんでしたな」

「うん。そうなんだ」

 圭介はたちまちごまかされて、ウィスキー瓶を下に置いた。

「番号の車さえ突きとめればと、かんたんに考えていたが、そうすらすらとは行かないらしい」

「それで、どうするつもりです?」

「仕方がないよ。一軒ずつ訪ねて見るつもりだ」

「つもりだ?」

 陣太郎はまたもや圭介の眼をぬすんで、自分のグラスにちょろちょろと液体を充たした。

「じゃ、おっさんが、いや、浅利さんが、ひとりでそれをやろうと言うのですか?」

「もちろんそうだよ」

 何を言っているのか、という表情で、圭介は陣太郎を見た。

「僕の他に、誰がそれをやると言うんだね?」

「おれ、ですよ」

 陣太郎は自分の顔を指差した。

「おれだってやりたい。やる権利がある」

「君が?」

 圭介は失笑した。

「何を言ってるんだね。いいかい。君は被害者なんだよ。はね飛ばされて、傷ついたのは君なんだよ。それがのこのこと、加害者のところに出頭すれば、一目で傷ついてないことが見破られるじゃないか」

「だから、両家の訪問を、十日ばかり延ばせばいいじゃないですか」

 陣太郎も負けてはいなかった。

「そうすれば、おれも一口乗れる」

「そう膝を乗り出すな」

 圭介はたしなめ、猫撫で声になった。

「いいかね。こういう交渉というのは、実にむつかしいもんだよ。綿密な頭脳と達者な弁舌、これがなくては成功しないもんだ。ところが、君はだね、自動車ではね飛ばされたショックから、まだ充分に回復していない。十日の期間を置いたとて、頭のネジが元に戻るかどうか――」

「まだそれを言うのですか!」

 陣太郎は色をなした。

「おっさんはあくまで、おれの頭のゼンマイが狂っていると――」

「いやいや、そんなに言うのなら、それは取消す[やぶちゃん注:ママ。]。僕の失言だった」

 圭介は形式的に頭をぺこりと下げた。

「しかしだね、やはりその仕事は、君には不適任だ。なぜかと言うと、君はもともと高貴の生れで、いっこうに下情[やぶちゃん注:「かじょう」。民間の事情。]に通じていない。しもじものことを、あまり卸存じでない。御存じでないことで、うまく行くわけがない。ね、判るだろ。だからこんな仕事は、しもじもの僕にまかせて置きなさい」

 

 下情に通じないと浅利圭介に指摘されて、陣太郎は実に複雑な、あいまいな笑いを頰にうかべた。なるほど陣太郎は昨夜、たしかにそんな意味のことを言った。圭介はしめたとばかり、たたみかけた。

「この事件において、君は立役者なんだよ。立役者は立役者らしく、おっとりとかまえて、ちょこまか動き廻らないように心がけるんだね。それが肝腎(かんじん)だ。ちょこまか動きは、僕が引受ける」

「そういうわけには行かないですよ」

「なぜ?」

「だって、おれが、はね飛ばされた当人だからですよ」

 陣太郎はけろりとした顔で言った。

「当人を抜きにして、事を運ぶことはできない」

「君はそう言うけれども――」

 圭介はじれったそうに、自分の耳の穴に小指を入れて、ごしごしとほじくった。

「あの自動車の番号を見たのは、僕なんだぜ。君はヘッドライトに眼がくらんで、何も見なかったじゃないか。すなわち、僕という人間がいたからこそ、事が成立したんだ。僕がいなければ、何も始まらないんだ」

「そうおっしゃいますけれどね」

 陣太郎も頑張った。

「番号を見た、番号を見たとえらそうにおっしゃるけれど、その自動車がおれをはね飛ばしたからこそ、番号を見るということに価値を生じたんですよ。おれがはね飛ばされなければ、つまりおれという人間がいなければ、おっさんがいくら番号を見たって、何にもならないじゃないですか」

「そりゃそうだが、しかし――」

「いいですか。よく考えてみなさい」

 陣太郎はえたりとばかり、たたみかけた。

「今、おっさんがいなくなっても、事は運ぶんですよ。おれがいなくなったら、おれがこの家を出て姿をくらましたら、どうします? この家を出て、直接加害者に交渉することも、おれにはできるんですよ」

「僕だって――」

 圭介は苦しげな表情になり、抵抗をこころみた。

「僕だって、架空の被害者を仕立てて、交渉することが、できないでもない」

「そうですか」

 ぐっと低い、ドスのきいた声を陣太郎は出した。

「では、そうして下さい。おれは身を引きます。そして、一宿一飯の義理合い上、今までのいきさつを洗いざらい、おれはランコおばはんに報告して、それから退去します」

「そ、それは、待って呉れ」

 たちまち圭介は狼狽の色を示した。

「一宿一飯だなんて、そんな古風な、マタタビ的なことを、言い出さなくてもいいじゃないか」

「義理ということは、大切です」

 陣太郎はゆったりと答え、またウィスキーをどくどくと注いだ。

「おれを無視するか、おれのいい分を聞き入れるか、おっさんの取るべきは、その二つの中の一つです。一分間だけ、おれは待ちましょう。いいですか。一分間!」

 陣太郎は腕時計を外して、二人の間に置いた。

 圭介は苦悶の表情をうかべて、腕を組んだ。秒針がカチカチと動く。やがて陣太郎が言った。

「あと、三十秒!」

 

「あと、五秒!」

 時計を見詰めながら、陣太郎は切迫した声で秒を読んだ。

「あと三秒。二秒。一秒――」

「わ、わかったよ」

 浅利圭介は悲鳴に似た声を出した。

「き、きみの言い分を吞む!」

「そうですか」

 陣太郎はふつうの声音に立ち戻って、無造作に腕時計をつまみ上げ手首に巻きつけた。ついでにグラスに手を伸ばし、中身をぽいと口の中にほうり込んだ。

「それが当然というものです」

「し、しかし、君の言い分を吞むということは、何もかも君にまかせるということじゃない。君の参加を半分ぐらい認めるという意味だぞ!」

 圭介は言葉に力をこめた。圭介としても、今までの行きがかり上、どこかの政府代表みたいに、一方的に相手がたに吞まれっ放しというわけには行かないのである。

「そうですか。それでいいでしょう」

 陣太郎は涼しい声で答えた。

「半分というと、相手が二軒だから、一軒ずつというわけですね」

「そ、そんな意味で言ったんじゃない。半分というのは――」

「半分は半分ですよ。あなたが半分、おれが半分、合わせて一になるわけです。さあ、では、おれがクジをつくりましょう」

「クジ?」

「そうです」

 陣太郎は小机の上から、れいの用箋を一枚引き剝がし、二本の線を鉛筆で引いた。そして圭介には見せないようにして、その二本の線の下端に、素早く何かくしゃくしゃと書き込んだ。

「さあ、これです」

 用箋の下半分をくるくると折り陣太郎は圭介の前につきつけた。

「ヘボ小説家を受持つか、風呂屋を受持つか。どちらかの線をえらんで下さい」

 さっきからばたばたと一方的に取りきめられて、圭介はいささか逆上、落着きをうしなっていた。でも、クジをつきつけられた以上、話を元に戻すわけにも行かなかった。圭介は気持を沈めるために、ウィスキー瓶に手を伸ばした。

「おや、すごく減ったもんだな」

 圭介はウィスキー瓶を電燈に透かして見た。

「わあ、いつの間にか、こんなに滅っている。おい、陣太郎君。君は一体さっきから、これをグラスで何杯飲んだ?」

「何杯というほどじゃありません。せいぜい十杯前後です」

「十杯前後? ムチャを言うな。誰も君に飲んで呉れと頼みゃしなかったぞ」

 圭介は気分をこわして、自分のグラスだけに充たし、瓶はごそごそと背後の書棚にしまい込んだ。

「まったく、油断もすきもありゃしない。これは寝酒用にと、乏しい失業保険金をさいて買い込んだ貴重なウィスキーだぞ」

「それは失礼しました。つい眼の前にあったもんですから」

 陣太郎はおとなしくあやまった。

「さあ、クジを引いて下さい」

 圭介はグラスをきゅっとあおって、二本の線をにらみつけた。やがて意を決したものの如く、その一本の端をぴたりと指で押さえつけた。

「これだ」

 

 圭介の指で線が押さえられたまま、用僕の下半分は、陣太郎によってするすると拡げられた。線の終りには、何か細長いものの形が書いてあった。

「小説家だ」

 陣太郎がいくらか残念そうに叫んだ。

「おっさんは、小説家の係りです」

「これが何で小説家なんだね?」

 細長いものの形を、圭介は指差した。

「これ、象形(しょうけい)文字か?」

「象形文字じゃありませんよ。ペンの絵です」

「ふん。するとこちらは――」

 圭介は別の線の終りに視線をうつした。そこには、クラゲを逆さにした絵が書き入れられていた。

「温泉マークか。なるほどね。でも、何故文字にしなくて、記号にしたんだい?」

「文字だと時間がかかって、その間におっさんがクジはいやだと、言い出しはしないかとおもんぱかって――」

 そして陣太郎は残念そうに、自分の膝をぽんとたたいた。

「実はおれが、加納明治の係りになりたかったんだ」

 圭介はむっとした顔をしていたが、陣太郎のその言葉で機嫌を直したらしく、むずむずと頰の筋肉をゆるめた。

「そうだろう。実は僕も、この二人の中では、加納明治じゃなかろうかとにらんでいたんだ。小説なんかを書こうという連中は、大体において手先が不器用で、運動神経もにぶいにきまっている。自動車の運転をやりそこなったのは、この加納にちがいない」

「おれだって、小説を書こうと思っているんですよ」

 陣太郎が口をとがらせた。

「小説?」

 圭介はいくらか軽蔑したような声を出した。

「今朝がた、はやばやと起きて、何か書いていたようだが、あれが小説かね?」

「そうですよ」

「ふん。だから、加納明治の係りになりたかったのか。でも、クジできまったんだから、仕方がない。あきらめるんだな」

 圭介は得意げににやりと笑った。

「そんなに口をとがらせることはなかろう。君だって、あんまり器用じゃないぞ。車にはね飛ばされたりして」

「おっさんだって、同じですよ」

「そう。僕もあまり器用じゃないな。軍隊ではそれで大ヘん苦労した」

 自分の不器用を、圭介もあっさりと自認した。

「さて。そろそろ寝るか。明日は小説家訪問だ」

「ダメですよ。それは」

 陣太郎は声を高くした。

「十日間の余裕を置くという約束じゃなかったですか」

「十日間の余裕って、君、そりゃ君にとって必要かも知れないが、僕には必要じゃないよ。明日行っても差支えない」

「ダメですよ。それはダメ!」

 陣太郎は必死の頑張りの気配を示した。

「いくらなんでも、おっさんは、準備がなさ過ぎますよ。いきなりぶっつかろうなんて、それは無謀です。図上作戦というやつが必要だ」

「図上作戦?」

 

「図上作戦を知らないんですか?」

 陣太郎は呆れたような口をきいた。

「もっともおっさんは、士官や将校でなく、陸軍上等兵なんだからなあ。仕方がないや」

「おっさんは止せ。おっさんと呼ぶなと、あれほど言ったのに、何時の間にかまたおっさん呼ばわりをしている」

 浅利圭介は陣太郎をにらみつけた。

「それに、僕が陸軍上等兵だったことを、どうして知ってる? 誰に聞いたんだ?」

「おっさんでいいじゃないですか。おっさん」

 グラス十杯のウィスキーが、ようやく全身に廻ってきたらしく、陣太郎の顔はあかくなり、舌もいささかもつれて来た。

「で、図上作戦。図上作戦というのは、戦闘の始まる前に、あらかじめ地図や海図やその他を用意して、作戦を練ることですよ。戦闘を図上でやって、結論を出す。今度の場合も、それをやらねばならない」

「どういう具合にやるんだね?」

 圭介も興をもよおしたらしく、背後の書棚からウィスキー瓶を取出し、また自分のグラスにとくとくと注(つ)いだ。陣太郎はすかさず、自分のグラスをにゅっと突き出したが、圭介がそれに目もくれず、瓶をまた書棚に戻したので、さすがの陣太郎もシュンとした顔になった。

「飲ませて呉れんのですか?」

「あたりまえだよ。もう十杯も飲んだじゃないか」

 圭介はウィスキーを口に含み、さも旨そうにタンと舌を鳴らした。

「さあこれから、図上作戦をやろうじゃないか」

「まだやれませんよ」

 陣太郎はつっけんどんに答えた。

「何もデータがない」

「データ?」

「そうですよ。データが必要です。つまり、おっさんはこの度、加納明治の係りになった。ところがその加納明治について、おっさんはほとんど知ることがない。何も予備知識を持っていない。そうでしょう?」

「うん」

「それでぶっつかろうなんて、無茶もはなはだしい」

 陣太郎は腰に手をあてて、反(そ)り身になった。

「加納明治がどんな作品を言いているか、どの程度の収入があるか、家族は何人か、仕事は何時やるか。また性格として、たとえばケチンボであるかないか、大胆か臆病か、気が荒いかやさしいか、腕力が強いか弱いか、さまざまなことがあるでしょう。それによって、おっさんの切り出し方もちがって来るわけだ。そうでしょう?」

「なるほどね」

 圭介はほとほと感心したらしく、また書棚から瓶を取出して、今度は進んで陣太郎のグラスに注いでやった。

「海軍兵学校では、そんなことまで教えるのか。さあ、注いでやったよ。飲みなさい。ただし、これ一杯きりだよ」

「いただきます」

 陣太郎はグラスをぐっと一息に乾して、よろよろと立ち上った。

「おれ、すっかりねむくなっちゃった。寝ることにします」

「なんだ。もう寝るのか」

 圭介はがっかりした声で言った。陣太郎はそれもかまわず、不器用な物腰で、ばたんばたんと蒲団をしき始めた。

 

2023/07/10

奇異雜談集巻第五 ㊂三歲の子小刀をぬすみあらそひし事

[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい]

 

   ㊂三歲の子(こ)小刀(こがたな)をぬすみあらそひし事

 高辻油小路(あふら[やぶちゃん注:ママ。]の《かう》ぢ)、麓の道塲の寺僧、正休(しやうきう)老人、かたりていはく、

 我(わが)寺の門前の、西頰(にしがは)に鍛冶屋あり、つねに小刀をうつて、うれり。

 あるとき小刀、五《いつつ》をうつて、砥(と)にて、とぐとき、むかひがわ[やぶちゃん注:ママ。]の小家(こ《いへ》)に、三歲になる男子(なんし)あり。

 夏の事なるに、はだかにて、母の、いこんがう[やぶちゃん注:ママ。「藺金剛」で「ゐこんがう」が正しい。金剛草履(藺や藁などで作った丈夫な草履。普通の形のものよりも後部が細く長いのを特徴とする)の一種で、藺を材料として編んだ大型の丈夫な草履。]を、はきて、かぢやにきたりて、作處(さくしよ)のくちに立《たち》て、小刀とぐを、見る。

 常(つね)にきたる子なるゆへ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]に、

「よく、きたる。」

といふ。

 亭主、所用ありて、内に入《いり》て、やがて、作處にかへりてみれば、小刀一つ、うせて、たゞ四つあり。

 此子に、

「とりたるか。」

と、とへば、

「しらぬ。」

といふ。

「今の間(ま)に、べちに、人も、きたらず。汝(なんぢ)が、とるべし。」

といへども、

「しらぬ。」

といふ。

 はだかなるゆへに、袖(そで)にも、いれす[やぶちゃん注:ママ。]、手にも、もたず。

「何處(いづく)に、やるや。」

と、とへども、

「しらぬ。」

といふ。

「もしは、戶のふち、垣《かき》の間《あひだ》にも、をくや[やぶちゃん注:ママ。]。」

と、たづね、

「板じきのおくへも、なげ入《いる》るか。」

と、たづね、

「むしろの下にも有《ある》か。」

と尋ね、

「たかき所へも、なぐるか。」

と尋ね、

「大道(だいたう[やぶちゃん注:ママ。])へも、なくる[やぶちゃん注:ママ。「投ぐる」。]か。」

と、とへとも[やぶちゃん注:ママ。]

「しらぬ。」

といふ。

 よその子なるゆへに、あらく、しかる事、あたはず、かへつて、ほめ、なぐさめて、とへども、

「しらぬ。」

といふ。

 せんかたなくして、をけば[やぶちゃん注:ママ。]、此子、門に出《いで》て、我宿(やど)にかへるを、後(うしろ)よりみれども、手にも、もたすして、ゆけり。

 亭主、小刀を、とひ[やぶちゃん注:ママ。]でおるに、やゝ有《あり》て、むかひの子の母、小刀を、もちきたりて、いはく、

「いたづら物、これの小刀を、とつて來たるほどに、もちてきたる。」

と、いふて、かへしぬ。

 亭主のいはく、

「はだかにてきたりて、手にも、もたずして歸りつるが、きどくや。何として、とりてゆきたるぞ。」

といへば、母のいはく、

「いかんがうのうらに、さしはさんで來て、ぬくほどに、『足を、つかん。』と、いふて、しかる。」

といへば、亭主、おどろきて、

「きどく。」

といふ。

 母、かへりされり。

 三歲の孩子(みどりこ[やぶちゃん注:ママ。])、かくのごとき、ちゑ、胎内(たいない)にをひて[やぶちゃん注:ママ。]、たねより、つたふるものか。

 おそろしき事かな。

 向後(きやうかう)、いかなるものになるべきぞや。

 三ざい[やぶちゃん注:ママ。]の子といふて、あなどるべからず、と云〻。

[やぶちゃん注:「たねより」「種より」で、向かいの家の主人の仕事は何か分らぬが、この子は男子であるから、民俗社会的には、夫の「種より」伝わったというニュアンスであろう。]

奇異雜談集巻第五 ㊁塩竃火熖の中より狐のばけるを見し事

[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい。標題中の「中」は、本巻冒頭の「目錄」の方では、「内」となっている。]

 

   ㊁塩竃(しほがま)火熖(くはゑん)の中(うち)より狐(きつね)のばけるを見し事

 津の国、兵庫の西に、塩屋(しほ《や》)といふ鄕(さと)あり。つねに、塩を、やく所なり。庄内《しやうない》に、しほや、おほし。

[やぶちゃん注:「塩屋といふ鄕」現在の兵庫県神戸市垂水(たるみ)区塩屋町(しおやちょう:グーグル・マップ・データ)。]

 冬の事なるに、おとこ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]一人、塩屋に居て、しほをやく。しほやの長(たけ)、五、六尺にして、兩方に、くち、あり。

 おとこ、かたいつはうの口にゐて、火をたく。臥(ふし)ながら、しほ木(き)を、なげくべ、なげくべ、す。

 夜ふかきに、若き女のこゑにて、しほやの門《かど》にきたりて、

「火に、あたらん。」

といふ。

 みれば、子をいだきたり。

 男のいはく、

「彼方(そなた)の口ヘゆきて、火に、あたれ。」

といふ。

「うれしや。」

といふて、行《ゆき》て、火にあたる。

 竈(かま)の下、火熖の中《うち》よりみれば、狐、ひとつの鴈(がん)をもちて、膝(ひざ)のうヘに、をきて[やぶちゃん注:ママ。]、なでさするなり。

『ふしぎや。』

と思ふて、おきて、竃のうへより見れば、女子(によし)をひざにをく[やぶちゃん注:ママ。]なり。

 又、かまの下より、みれば、狐、さきのことし[やぶちゃん注:ママ。]

 又、かまの上よりみれば、女なり。

『さては。狐、ばけて、きたる也。にくし。』

と思ひて、竃の下のおき[やぶちゃん注:「燠(おき)」。赤くおこった炭火。]を、えぶり[やぶちゃん注:「柄振」・「朳」で長い柄の先に横板のついた鍬(くわ)のような形のもの。 土を均(なら)したり、穀物の実などを、搔き集めたりするのに用いる農具。 「えんぶり」とも。]をもつて、しづかに、をしやり、をしやりして[やぶちゃん注:孰れもママ。]

「よく、あたれ。」

といふて、おき、つもる時、ゑぶり[やぶちゃん注:ママ。]のえを、長く、とりのべて、おきを、一度に、

「くはつ」

と、つきかくぱ、おどろき、こゑあげて、立つ。

 男、

「あれは。」[やぶちゃん注:「貴様は!」の意か。]

といへば、逃げさる。

 をふて[やぶちゃん注:ママ。]出《いづ》れば、狐のこゑをなして、はるかにさりぬ。

 歸りてみれば、鴈(がん)を、のこしをりけり。

 おとこ、雁を拾うて、喜び、むしろの下にをき[やぶちゃん注:ママ。]ぬ。

 やうやう、夜《よ》、あけたれば、鴈を持ちて、我(わが)家にかへりて、さきの件《くだん》のしだいを、かたれば、家中、みな、笑へり。

 亭主、

「此鴈を、市《いち》に出《いだ》して、賣るべし。」

とて、こしふくろ[やぶちゃん注:「腰袋」。]に入れて、こしに、つけてゆく。

『須磨の市まで行かん。』

と思ふに、道、四、五丁[やぶちゃん注:約四百三十七~五百四十五半メートル。]、ゆけば、さきに、人もみえず。

 はからざるに、小男(こおとこ)一人《ひとり》、ろし[やぶちゃん注:「路次」。]にたちて我をまちて、

「いづかたへ、御出でぞ。」

と、とふ。

「市へ鴈を賣りに行く。」

とこたふ。

 小男のいはく、

「それがしは、鴈を買ひに行くなり。しからば、爰《ここ》にて買ひ申《まうす》べし。」

といふ。

「いづくにおひて[やぶちゃん注:ママ。]うるも、おなし事、うるべし。」

とて、ふくろより、鴈を出《いだ》せば、

「近頃、よき鴈なり。代(しろ)は、五百文に買ふべし。」

といふ間、すなはち、うれり。

 小男、代、五百もん、ふところより、取り出《いだ》してわたすを、うけとり、ふくろに入れて、こしにつけて、歸り、家にいり、

「此邊《このへん》にて、五百文にうりてかへる。」

といふ。

 内方《うちかた》[やぶちゃん注:妻。]、

「よきことよ。」

といふ。

 こしぶくろを、とひて、内方にわたせば、うけとりて、

「やう、かるや。」[やぶちゃん注:「樣、輕や。」であろう。但し、岩波文庫の高田氏の注では、そちらの底本(国立国会図書館本)では『「やらかるや」。意によつて改。訳ありげだ、の意』とされるが、塩焼きの職人の妻の台詞としては、ちょっと禅問答風になってしまい、私にはそうは採れない。]

といふて、袋を振り出だせば、馬《むま》の骨、五きれ、錢(せに[やぶちゃん注:ママ。])の長さなるが、ありて、錢は、なし。

 亭主、おどろきて、いはく、

「かの狐、また、小男にばけて、鴈を、とり返したるなり。口おしき[やぶちゃん注:ママ。]事かな。」

とて、腹立(はらたつる)事、きはまりなし。

 世に、狐の物がたり、おほき事かぎりなし。此

 ざうたむ[やぶちゃん注:ママ。]、竒異の儀にあらずと

 いへども、火熖の中において、その眞実(しん

 じつ)をみる事、ふしぎにあらずや。眞言宗に

 護摩木(ごまぎ)をたくこと、八千枚を、たく。

 禪法(ぜんぼう)にいはく、「三世(《さん》ぜ

 の諸佛、火熖の上におゐて[やぶちゃん注:ママ。]、大

 法輪を轉ず」。又、いはく、「丹霞(たんか)、

 木佛(もくぶつ)を燒(やけ)ば、院主(ゐん

 じゆ)、看(みて)、眉鬚(びしゆ)墮落す。」と

 云〻。

[やぶちゃん注:「丹霞、木佛を燒ば、院主、……」福岡県宗像市上八(こうじょう)にある臨済宗大徳寺派安延山承福寺公式サイト内の『<今月の禅語> ~朝日カルチャー「禅語教室」より~』の「真佛坐屋裏 (碧巌録) 真仏(しんぶつ)屋裏(おくり)に坐す」に、

   《引用開始》

 中国・唐の時代慧林寺の丹霞天然禅師の焼仏の話が有名である。厳しい寒波襲来の時、丹霞は仏殿から木彫の仏像を持ち出して、燃やして暖をとろうとしていた。院主は彼の暴挙をみて、なぜそんな無謀なことをするのかとなじる。丹霞は平気な顔で、燃えさかる仏像を探りながら、「舎利を求めようとしているのだ」とこたえる。舎利とは仏舎利のことだ。院主は「木像に仏舎利があるわけがないじゃないか」とカンカンになって怒る。丹霞は「舎利のない仏様ならただの薪と同じではないか」と平然と暖をとったという。

 後で、この仏像を焼いた丹霞には罰が当たらず、丹霞をとがめ、叱責した院主の罰が当たり、眉が抜け落ちたという話なのだが、この丹霞禅師の行為の真意、主旨は何であるかという公案なのだ。真仏を知らず、ただ仏像という形にとらわれ、有難がる院主の浅薄な知見では禅境には程遠い。一切の束縛常識を突き抜けた丹霞禅師の純一無雑、無心の境涯に真仏は宿る。まさに真仏屋裏に坐すである。

   《引用終了》

とあった。所持する「碧巌録」で確認した。「第九十四則 丹霞燒佛」である。これ、なかなかに、いいね!

 なお、冨士昭雄氏の論文「奇異雑談集の成立」(『駒澤國文』(駒澤大学文学部国文学研究室編・通号九号・一九七二年発行・PDF)によれば、本篇は「法苑珠林」(ほうおんじゅりん:初唐の道世なる人物が著わした仏教典籍・類書。全百巻。六六八年成立)の巻四十二「感應緣」の中の「晋時有狸作人婦怪」の翻案であることが明らかにされている。「中國哲學書電子化計劃」影印本のここの三行目の「晉海西公時有一人母」以下(白文)で視認出来る。但し、化かすのは狐でなく、狸である。

佐藤春夫譯「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」正規表現版 「秋の瀧」薛濤

[やぶちゃん注:書誌・底本・凡例等は初回を見られたい。本篇はここ。]

 

  秋 の 瀧

            冷色初澄一帶烟

            幽聲遙潟十絲絃

            長來枕上牽情思

            不使愁人半夜眠

                 薛  濤

 

さわやかに目路澄むあたり

音に見えしかそけき琴は

かよひ來て夜半のまくらに

寢(い)もさせず人戀ふる子を

 

[やぶちゃん注:作者薛濤は「音に啼く鳥」及び「春のをとめ」で二篇が既出。佐藤の作者解説は前者を参照。本篇の標題は「秋泉」。以下、推定訓読を示す。]

   *

 秋の泉(いづみ)

冷色 初めて澄む 一帶(いつたい)の烟(けむ)り

幽聲(いうせい) 遙かなる瀉(かた) 十絲(じつし)の絃(いと)たり

長く來たりて 枕上(ちんしやう)に情思(じやうし)を牽(ひ)く

愁人(しうじん)をして 半夜(はんや)に眠らしめざる

   *

 「漢文委員会」の紀頌之(きのあきゆき)氏のサイト「中国文学 李白・杜甫・韓愈・李商隠と女性詩 研究」の本詩のページを全面的に参考させて戴くと、

・「秋泉」彼女の住む花街から聴き得るほどの距離に離れてあった『秋の夜の澄みきったしじまの中にひびく』『泉水の水音を詠じたもの』とされる。

・「一帶烟」『一般的に』は『たなびく水蒸気、夕もやをいうが、ここは女の部屋に香を焚いて』、それが『しっかりいきわたっていること。この頃の花街は猛烈に香を焚いていたこと』が『書かれている。催眠効果もあったようだ』と解説されておられる。

・「遙瀉」紀氏の注を考えるに、その少し「遙」かな位置にその泉水の水が溜まる「潟」(かた:水溜まり)があるとされる。

・「十絲絃」の水溜まりから聴こえてくる音を指す。『十本以上の弦をつけた琴を弾くような細やかな美しい音。わき水の音の形容であるから』、所謂、人工的に作った『水琴窟のような状況、それも』、『一か所ではなく』、『ポチャ、ポチャが十種類以上も違う音色になることをいう。つまり』、来もせぬ男を『待ち侘びて』、『夜中の間中』、『この音を聞いている』のであるとされる。

・「牽情恩」『愛する男への思いを起こさせる』とされる。

・「半夜」真夜中。因みに紀氏によれば、この語には別に『昼夜に分けて客をとった遊女』の意があることが記されてある。]

佐々木喜善「聽耳草紙」 一五二番 傘の繪

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]

 

      一五二番 傘 の 繪

 

 或所に長者どんがあつた。長者どんの檀那樣はごく物好きな人であつた。それを聞きこんで旅のペテン師が一本の軸物を賣りに來た。はいもしもし此家(コチラ)の檀那樣はお出(デ)んすかと訊くと、檀那樣は話相手が欲しくて居た時だから、直ぐさま玄關へ出て來て、あゝ俺がその檀那樣だ、そしてお前は何しに來てやと言つた。するとペテン師は早速風呂敷包みの中から一本の掛物を出して見せた。その掛物には一人の美しい女が傘を持つてゐる繪が書いてあつた。ペテン師はこの繪の女は天氣のよい日には斯《か》うして傘を疊んで持つて居るが、明日雨が降ると謂ふ日にはこの傘をひろげてさして居る。ひどくええ寶物だと言つた。それを見たり聽いたりすると檀那樣は、欲しくなつて堪《たま》らず、遂々《たうとう》百兩と謂ふ大金を出してその軸物を買い取つた。

 檀那樣はひどくええものを買つたと言つて喜んで、その掛物を座敷の床の間に掛けて每日每日眺めて居た。さうして早く雨の降る日が來ればよい、來ればよいと思つて居た。そのうちにひどい雨降り日が續いた。けれども其繪の女は一向に傘をさゝなかつた。檀那樣は初めてこれは一杯喰つたと氣がついて口惜しがつて居た。

 そこへ或日ひよツくらと、先日のペテン師が來た。檀那樣は面《つら》を見ると、このカタリ者奴《め》先日は俺を騙して金を取つたナと喰つてかゝつた。すると其男は至極落着いて、檀那樣それは何のことだ。人聞きの惡いことだと言つた。何のこともかんのことも、お前から買つたあの掛物の女は、雨がどしや降りの時でも、一向傘をさゝないでつぼめて居やがる。あれは何《ど》うしたことだと言つた。するとペテン師はハテそれは不思議だ。以前はよく傘をさしたり、つぼめたりしたんだがなア、第一檀那樣は一日に何ぼ飯を食べさせると訊いて、檀那樣が一向食べさせないと言ふと、ペテン師はポンと膝を打つて、分つた、あの女は腹が空いて力が無くなつたんだと言つた。

  (私の祖父がよく話して聽かせたつた話の一である。)

 

梅崎春生「つむじ風」(その6) 「春の風」

[やぶちゃん注:本篇の初出・底本・凡例その他は初回を見られたい。]

 

     春 の 風

 

 浅利圭介は戦争の夢を見ていた。

 戦争といっても、現代のそれでなく、夢の中で圭介はヨロイカブトに身を固め、弓矢を持っていた。

 なんでも敵にはものすごく強い女性がいるらしい。彼方にその姿が見える。肥って堂々としたその女性は、やはりヨロイに身を固め、大声をあげて攻め寄せてくるのだ。

(ああ、あれが勇女板額(ばんがく)だな)

 夢の中で圭介は考えた。

(するとこの俺が、浅利義遠与一というわけだな。しかし、いつの間に、おれは御先祖様になったんだろう?)

 圭介は弓をつがえて、板額をにらみつけた。見事に討ち取ろうというつもりなのである。

 すると板額が彼をにらみ返して大声で、呼ばわった。

「こら。そこにいるのは、おっさんだな!」

「あっ。おばはん」

 圭介はたちまちにして戦意を喪失、弓矢を投げ捨てて、一目散に逃げ出した。板額と思ったら、攻め寄せてくるのは、ヨロイに身を固めた妻のランコだったのだ。

「おばはん。許して呉れえ」

 せっぱつまって、そこにあった古池の中に、圭介はどぼんと飛び込んだ。泳ごうとしたが、ヨロイカブト姿だから、そう行かない。ぐんぐんぐんぐんと沈んで行く。呼吸が苦しく、懸命にもがくのだが、浮き上らない。

 沈みに沈んだ揚句、枯葉や泥の堆積(たいせき)した水底に、圭介はどっしりとあぐらをかいていた。ふしぎなことには、もう呼吸は苦しくなかった。

「ああ、たすかった」

 圭介はカブトを脱ぎながら、あたりを見廻した。藻のようなものがゆらゆら動き、魚が何匹も泳いでいる。その魚の一匹が、急に方向を変えて、圭介の正面に泳いできた。

 魚は真正面に圭介と向き合った。

 それはもう魚の顔でなかった。

「あ、君の名は――」

 圭介はそう叫ぼうとした。が、咽喉(のど)をしめつけられて、声が出なかった。魚のヒレが手になって、圭介の首をしめて来たのだ。

 苦しげにうなりながら、圭介の意識は薄紙を剝(は)がすように、すこしずつ目覚めて行った。

 誰かが肩をゆすぶっている。

 圭介はフッと眼をひらいた。

 肩をゆすぶっているのは、陣内陣太郎であった。

「ひどくうなされていたようですな」

 陣太郎はゆすぶり止めた。

「何か夢でも見たんですか?」

「夢?」

 圭介は不機嫌そうに眼をぱちぱちさせた。夢の中の魚の顔は、この陣太郎の顔であったのだ。

「うん。夢を見ていた」

 夢の中で首をしめられたからといって、現実の陣太郎に文句を言うわけにもゆかない。

「どんな夢です?」

「御先祖様の夢だ」

 お前から首をしめられた夢だ、とは言えないので、圭介はぶすっと答えた。

「僕が御先祖様になって、勇ましく戦っていた夢だよ」

「御先祖と言いますと?」

「浅利義遠与一だよ。歴史で習っただろう。板額を手取りにした勇将だ」

[やぶちゃん注:「板額」(はんがく 生没年未詳)巴御前と並び称される鎌倉時代の女傑。越後の豪族城資国(じょうのすけくに)の娘。生来、力が強く、弓術に優れた。兄の城長茂(ながもち)の反乱に呼応して、正治三(一二〇一)年、甥の城資盛とともに挙兵、鎌倉幕府軍と戦った。百発百中の射芸で奮戦したが、応戦した甲斐源氏の浅利与一に捕えられ、後に彼の妻となった。「坂額」とも書くが、ここで振られる「ばんがく」の読みは一般的ではないし、どうも、本来は「飯角」であったようであるから、「ばん」と読むのは誤りと私は思う。私の古い電子化注であるが、「★③★北條九代記 巻第三【第3巻】 改元 付 城四郎長茂狼藉 付 城資盛滅亡 竝 坂額女房武勇」、及び、「北條九代記 坂額女房鎌倉に虜り來る 付 城資永野干の寶劍」の本文及び注(特に後者!)を読まれたい。私は巴とともに、板額姐さんが大好きなのである!

「浅利義遠与一」(久安五(一一四九)年~承久三(一二二一)年)は甲斐の武田信義の弟。逸見流弓術の創始者逸見清光の子。「壇ノ浦の戦い」で、平家方の武将仁井親清(にいちかきよ)を遠矢で射て、その胸を貫いて、武名を挙げた。以上の経緯で板額御前を捕縛し、鎌倉へ連行したが、後、将軍源頼家の許しを得て彼女を妻とした。「義遠」は名の一つ。他に義成・遠忠とも称した。]

 

「浅利、与一?」

 陣内陣太郎は遠いところを見る眼付きになった。

「それ、幕臣ですか?」

「幕臣じゃないよ」

 浅利圭介はうんざりした声を出した。

「徳川幕府が出来るずっと前のことだ。君は何にも知らないな」

「幕臣のことなら、割に知っているんだけれども」

 陣太郎は頭をごしごしとかいた。

「その浅利与一に、夢の中で、僕はなっていた。ヨロイカブトに身をかため、むらがる敵の中を、阿修羅(あしゅら)の如く荒れ廻っていたんだ。面白かったところを、君に起されて、残念だった」

「そんなに面白い夢でしたかしら」

 陣太郎はにやりと笑った。

「たしかに、許して呉れえ、と言う寝言が聞えたようでしたが」

「寝言? 僕は寝言を言ったか?」

 圭介はやや狼狽した。ヨロイ姿のランコから追っかけられた時の悲鳴が、おのずと口から洩(も)れ出たのだろう。

「そ、それは僕の言葉じゃない。敵の悲鳴を、僕が代行してやったんだろう。そんなこと、よくあることだ。で、君は先祖になった夢は見ないかね?」

「さてね」

 陣太郎は首をかしげた。

「この間、曽祖父さんになった夢を見ましたよ。あの夢は、つらかったな。おれ、思わずうなっちゃったよ」

「君の曽祖父さん、商売は何だったね?」

「将軍でしたよ」

「ショーグン?」

「そうです」

 陣太郎はけろりとした顔で言った。

「十五代将軍です。おれ、夢の中で、慶喜(よしのぶ)将軍になっていてね、江戸城をよこせよこせと迫られて、ほんとにつらくて、イヤになっちゃった。その時、おれ、許して呉れえ、と寝言を言ったかも知れない」

 圭介は複雑な表情をつくって、陣太郎の顔を見た。

「でも、夢というものは、ふしぎなものですな」

「君、今朝は何時に起きた?」

 圭介は傷ましげな声で訊(たず)ねた。

「今朝の気分はどうだね。頭かどこか、痛むところはないかね?」

「どこも痛くない。サッパリしていい気分です」

 陣太郎は自分の頭を撫で、それから腹のあたりを撫で廻した。

「おれはおなかが空いた。六時に起きて、ずっと書きものをしてたもんだから」

 圭介は机を見た。客用蒲団を二つ折りにたたみ、そこに机が据えである。机の上には、一束の用箋が置かれてある。昨夜圭介が間代をつつむのに使用した『陣内陣太郎用箋』という原稿用紙らしい。

「おれ、小さい時から、六時になると、パッと起きちゃうんですよ」

 廊下に長男の圭一の足音が近づいてきた。

「今朝、御飯を食べるかって?」

「うん。食べよう」

 圭介はちょっと考えて、そう返事をした。近ごろでは、間代のみならず、一食たべる度に五十円ずつ取られるのである。ふたたび圭一の声で、

「お客さんもどうぞ、だって」

 

 茶の間には、朝飯の準備がととのっていた。圭一だけはもう済ませたらしくランドセルを背負い、草履(ぞうり)袋をぶら下げて、立ったままあいさつをした。

「行って参ります」

「うん」

 圭介は父親らしい威厳を見せて、うなずいた。

「しっかり勉強するんだよ。昨夜のような悪い歌なんか、覚えてくるんじゃないぞ」

「しっかり勉強して、えらい人になるんですよ」

 傍からランコが口をそえた。そのえらい人という言葉を聞いて、圭介は情なさそうに肩をすくめた。同時に圭一も、子供ながらに、うんざりした顔になった。ランコが叱った。

「またそんな顔をする。それじゃあとても、えらい人になれませんよ」

「行って参ります」

 圭一が出て行ったあと、三人は食卓をかこんで坐った。火鉢にはしゅんしゅんと、鍋が湯気をふいていた。

「こちらが陣内陣太郎君」

 圭介は紹介した。

「こちらが、この家の、おばはん」

「浅利ランコでございます」

 分厚な膝をきちんとそろえて、ランコはあいさつをした。そして火鉢の鍋から、シジミの味噌汁を、それぞれの椀(わん)につぎ分けた。

 圭介はシジミ汁は大好物だから、またたく間に一椀食べ終って、手ずからおかわりをしたが、陣太郎君はツクダ煮とかオシンコばかりをつついて、飯をかきこんでいる。それを見て、ランコは心配そうな声を出した。

「シジミ汁はおきらいですか」

「いや」

 陣太郎は箸の動きを止めた。

「これは、おれには、熱過ぎるのです」

「熱過ぎる」

 圭介が手を伸ばして、陣太郎の椀の外側にさわった。

「もうさめているよ」

「これでもまだ熱いのです」

「ずいぶん猫舌なんだなあ、君は」

「熱いものは一切ニガテですよ。ニガテというより、不慣れなんでしょうな。小さい時から、冷えたものばかり食わされて」

 そして陣太郎はランコに言った。

「丼かなにか、貸して呉れませんか」

 運ばれてきた丼に、シジミ汁をあけ、またそれを椀に戻す作業を、陣太郎は二、三度くり返した。すっかりぬるくなった汁に口をつけ、旨そうにすすった。

 すすったのは汁だけで、シジミの貝肉には箸をつけなかった。圭介がまた口を出した。

「シジミを食べないのかい。これは肝臓にいいんだよ。なにしろ蛋白質(たんぱくしつ)のかたまりみたいなものだからね」

「おれは肝臓は強いのです」

 陣太郎は箸を置いた。

「ごちそうになりました。もうおなかがいっぱいです」

 注(つ)がれた番茶も、熱いと見えて、陣太郎はしばらく手をつけなかった。

「さて」

 つまようじを使いながら、圭介は舌を鳴らした。

「君は僕の部屋に行って呉れ」

 陣太郎が部屋から出て行くと、圭介はポケットから十円玉を五枚つまみ出し、それをそっと食卓の端にならべた。

 

 十円玉を五枚並べ終ると、浅利圭介はランコの顔色をうかがった。

「お客の分も、僕が払うのかね?」

「お客さんの分はよござんす」

 ランコは手早く卓上をかたづけながら答えた。

「あれはどういう人?」

「どういう人って――」

 圭介は返答に窮した。どういう人物なのか、彼にもよく判らないのである。

「肝臓が強いとか言ってたけれど、心臓も相当に強いんじゃないの?」

 ランコはつけつけと言った。

「一体どこで知り合ったの?」

「うん。あれで相当高貴の家柄の出らしい」

 どこで知り合ったか、言いたくなかったので、圭介はそんな風にごまかした。

「猫舌なんかも、そのせいなんだよ。ああいう身分の人は、ちゃんと毒見役がいてさ、毒見が済まなきゃ、食事が出来ない。たき立てのメシなどを食べるわけには行かないのだ」

「高貴の家柄?」

「うん。昨夜なんか、蒲団のしき方も不器用だった。自分で蒲団をしくことも、あまりないらしい。あんまりえらい家柄に生れつくのも、考えもんだね。不便なもんだよ」

「えらくない家柄よりも、えらい家柄の方が、よござんす」

 ランコはきめつけた。圭介の言い方が、えらいということにケチをつけた感じだったので、反撥したらしい。

「あのお客さん、いつまで滞在するの」

「うん。あれは大切なお客だから――」

 圭介は腰を浮かした。ランコからいろいろ突っ込まれると、困るのだ。

「とにかく、僕は今日、外出するが、陣内君はここに置いて行く。どこにも行かないように、おばはんは見張ってて呉れ」

「見張る?」

 ランコは片づけの手を休めて、眉の根をふくらませた。

「そんなことを命令する資格が、おっさんにはあるんですか!」

「いや。命令じゃないんだよ」

 腰を浮かしたまま、圭介は両掌を突き出すようにした。

「命令じゃなくて、依頼なんだよ。依頼でもいけないと言えば、それも取消す」

 そう弁解しながら、圭介は中腰のまま後退、廊下に飛び出した。

「ごちそうさまでした」

 ランコも何か言おうとしたが、そのまま圭介の姿が障子のかげに消えたので、言うのを中止して舌打ちをした。

 圭介は廊下を横歩きに歩いて、納戸(なんど)に戻ってきた。陣太郎は机の前に坐って、鼻毛を抜いていた。

「僕は今から出かける」

 圭介は不機嫌な声で言った。

「あの三・一三一〇七の番号車が、誰の所有であるか、調べて来る」

「おれもおともしましょう」

「君はここに残っておれ」

 圭介は高飛車(たかびしゃ)に言った。

「あのおばはんがやって来て、いろいろ訊ねるかも知れないが、余計なことをしゃべっちゃいけないよ。自動車なんかのこともだ。判ったね」

「判りました」

 陣太郎も仏頂面になって、抜いた鼻毛を机に植えつけた。

 

「僕が戻って来るまで待っているんだよ。どこにも行くんじゃないよ」

 障子に手をかけたまま、浅利圭介はも一度念を押した。

「退屈なら、書棚の本でも読んでいなさい。昼飯はおばはんに頼んである」

「おれは、退屈しないです」

 陣内陣太郎はそっけなく答えた。納戸に押しこめ奉られたのを少々無念に感じたらしい。圭介は言った。

「では、行って参ります」

 空はうらうらと晴れわたり、あたたかい春の風が吹いていた。

(はて。ナンバーから自動車持主をしらべるのは、やはり警視庁かな。では、警視庁に行って見ることにしよう)

 凸凹(でこぼこ)道を歩き悩みながら、圭介は今日の方針を立てた。天気はいいし、風はあたたかいし、何もかもすらすらと行くような予感があって、圭介は何となくにやにやと頰の筋肉をゆるめた。

 やがて昨夜の生籬(いけがき)が近づいてきた。その地点に立ち止ると、圭介はやや緊張して、そこらのやわらかい地面に視線をはしらせた。昨夜箸(はし)で書きつけた三・一三一〇七という数字は、すっかり消え去っていた。そこらは一面、彼自身の靴の裏で踏みつけられていた。

(どんな具合にして、あいつは自動車と衝突したんだろうな。いやはね飛ばされたんだろうな?)

 圭介はそこに佇(たたず)んだまま、明るい光の中で腕を組んだ。

(頭を打ちつけたとすれば、この生籬か、それとも地面にか。それとも、あいつの言う通り、打ちつけなかったのか?)

 昨夜からの陣内陣太郎の言動を圭介は反芻(はんすう)するともなく反芻してみた。陣太郎の時折の突拍子(とっぴょうし)もない言動を、後頭部を打ったためだとばかり解釈していたのだが、今ここで実地検証をして見ると、生籬はマサキだし、内でそれを支えているのは古竹だし、道路もアスファルトは中央部だけで、生籬の下は軟土[やぶちゃん注:「なんど」。]だし、ネジが狂うほど頭をぶちつける物件は、そこらに見当らないのである。

 それに陣太郎はリュックサックを背負っていたし、そのリュックサックの中は、用箋とか着換えとか、そんなやわらかいもので詰っていたようだから、あおむけにはね飛ばされても、それほどの衝撃は受けなかっただろう。

「はて。では、あいつは、ほんとに徳川慶喜の曽孫か」

 圭介は思わず口に出してつぶやいた。

 そうつぶやいてみると、なるほど、あの魚のような異相は、そこらにざらにころがっている顔ではないし、悠々と物怖(ものお)じしないところも、タダモノでない感じがする。猫舌であるという点で高貴の出だと、先ほどランコに説明したが、あるいはそれがほんとだったのかも知れない。

(いやいや、下賤の人間にも猫舌はいる)

(とはいえ、はね飛ばされたのが高貴人であるとすれば、はね飛ばした方は、ちょっと都合が悪かろう)

(はね飛ばした方が、ちょっと都合が悪ければ、その分だけこちらは都合がよくなりはしないか)

 そこまで考えて、圭介は腕組みをといた。

 その圭介の後姿に、十米ほどはなれたソバ屋ののれんの下から、ソバ屋のおやじが不審(ふしん)そうに声をかけた。

「浅利さん。一体そこで何をしてんだね?」

 

 午前中、陣内陣太郎は、浅利圭介に言った通り、退屈している様子はなかった。

 窓から晴れた空を眺めたり、ごろりと畳に寝ころがって何か考えたり、机の前に坐って用箋に何か書きつけたり、そんなことをしているうちに、お昼になった。

 浅利ランコも午前中、掃除をしたりミシンをかけたりしていたが、息子の圭一が、

「ただいま!」

 と元気よく戻ってきたので、あわてて台所に入り、昼食の用意にとりかかった。

 その母親のあとを追って、圭一も台所に入り込み、

「おなかがすいた。おなかがすいた」

 とわめき立てたので、ついにランコはたまりかねて一喝した。

「なんですか? 男の子が、おなかがすいたぐらいで、そんなに騒ぎ立てて。そんな風(ふう)では、とてもえらい人にはなれません!」

 それを言われると、たちまち圭一はげっそりして、わめき声をおさめた。親爺がえらくなれなかった埋め合わせとして、早くえらくなれ、えらくなれと要求されるのだから、それは小学生の力には余ることだろう。

 しゅんとなった圭一を、ランコは台所から追い立てた。

「ここは男の子が入るところじゃありません。納戸(なんど)に行って、あのお客さんが何をしているか、様子を見て来なさい」

 圭一はしょぼしょぼと台所を退出、廊下に出て元気を取り戻し、スキップ飛びで納戸にやって来た。障子をがらりとあけた。

「小父さん。何をしてるの?」

 机の前に端坐していた陣太郎は、のっそりと振り返った。圭一は遠慮することなく、その肩に飛びついた。

「何を書いてるの。小父さん」

「何を書いてるかって――」

 陣太郎はペンを置いた。

「字だよ。綴り方を書いているんだよ」

「大人でも綴り方を書くの?」

「書くとも。子供も書くが、大人も書く」

 そして陣太郎は机を部屋のすみに押しやった。

「君は何て名前だね?」

「浅利、圭一だい」

「それでは訊ねるが――」

 陣太郎は先生のような声を出した。声だけでなく態度も、いかにも先生そっくりになった。

「お父さんと、お母さんと、圭一はどちらが好きだね?」

「うん。それは――」

 圭一は困った顔になった。

「お母さんも好きだけど、しょっちゅう、えらくなれ、えらくなれって、言うからイヤさ」

「お父さんは?」

「お父さんも好きだけど、なんだかハッキリしないんだよ」

 小学生のくせに、圭一はませた口をきいた。

「僕、自転車が状しいんだよ。もうせんから、買って呉れって、お母さんに頼んであるんだけれど、ダメなんだよ。なぜダメかというと、お父さんに働きがないからだって」

「お父さんの働きのないのは、昔からか?」

 陣太郎は圭一の眼をのぞき込みながら訊ねた。

「お父さんとお母さんの喧嘩、見たことあるか。圭一」

 昼食の支度が出来るまで、陣太郎のひそやかな訊問は、執拗につづいた。

 

 圭一が納戸からスキップで戻ってきた時、ランコはせっせと茶の間のチャブ台を、布巾で拭いていた。圭一は甘ったれた声を出した。

「僕、ライオンみたいに、おなかがすいてんだよ。早く食べさせないと食いつくよ」

「もう出来てますよ」

 そしてランコは声を低くした。

「お客さん、何をしてた?」

「綴り方を書いていたよ」

「綴り方?」

 ランコは失笑した。

「お手紙か何かでしょ」

「お手紙じゃないってば。綴り方だよ。僕が行ったら止めちゃったけどさ」

「止めてから、何をしたの?」

「僕と世間話をしたよ。早く何か食べさせて」

「世間話だなんて、ナマイキを言うんじゃありませんよ」

 ランコは布巾をたたんで、台所に行き、大皿を三つ持って戻ってきた。

「どんな話をしたの?」

「いろいろさ。おや、中華ソバだね。僕はつめたいのより、あたたかい方がいいな」

「いろいろって、じゃあお前、またつまらんことを、おしゃべりしたんじゃないだろうね」

「つ、ま、ら、ん、こ、と――」

 圭一は困って、とぎれとぎれに復唱した。

「だって、いろいろ聞くんだもの。答えないわけには行かないや。まるで、学校の先生みたいだね。あの、松平の小父さん」

「松平の小父さん?」

 ランコはすこし驚いて反間した。

「松平じゃないでしょ。あのお客さんは、陣内という名なのよ。陣内陣太郎」

「松平というんだよ」

 圭一は真面目な顔になって答えた。

「だって、あの小父さんが、そう言ったん。だもの。おれは、松平陣太郎だって」

「へんねえ」

 ランコは首をかしげなから、大皿を台上に配置し、コショウや醬油や酢(す)の用意をととのえた。

「とにかく、お客さんを、呼んでおいで。お昼の用意が出来ましたって」

「用意が出来ましたか」

 障子越しの廊下から、即座に声が戻ってきた。そして障子がひらかれて、陣太郎がのそのそと入ってきた。ランコはびっくりして、思わず厚い片膝を立てた。

 陣太郎はそれにかまわず、部屋のすみに積まれた座蒲団を一枚つかみ、チャブ台の前にふわりと置いた。おもむろにその上にあぐらをかきながら、平然たる口調で、

「陣内というのは、これはペンネームなんですよ。ああ、おなかがすいた。どうして近頃、こんなにおなかがすくんだろう。これ、旨(うま)そうだなあ」

 機先を制せられた恰好で、ランコは狼狽していた。ぬすみ聞きに対する怒りよりも、ぬすみ聞かれたことのばつの悪さが、彼女をどぎまぎさせていた。そのどぎまぎをごまかすために、ランコは立て膝を元に戻し、わざと重々しげに言った。

「冷し中華ソバですよ。あなたが猫舌だから、特別にこしらえたのです」

「それはありがとう。おば……」

 さすがの陣太郎もちょっと言い淀(よど)んで、ランコの顔をうかがい見た。ランコはすかさず口を入れた。

「さんです。おばさん!」

 

「いや、それほど困らなかったですよ」

 冷しソバをつるつるすすりながら、陣太郎は答えた。

「でも、軍隊というところは、熱いものでも何でも、大急ぎで食べなくちゃいけないんでしょ」

 ランコは箸を止め、酢の方に手を伸ばした。

「うちの圭介ね、あのおっさんも、陸軍に引っぱられて、初めの中は、とにかく早く食わねばならないのが苦しかったと、復員してきて話してましたよ」

「ああ、初年兵の時ね」

 陣太郎も真似して、酢に手を伸ばした。ざぶざぶとソバにふりかけた。

「おれ、初年兵の経験はないんです。いきなり江田島の海兵に入ったもんだから」

「海兵?」

 ランコもかつては、軍国の妻的境遇と心境にあったこともあるのだから、びくりと反応を示した。今でこそカブが落ちたが、なにしろあの頃の海兵という名は、大したものであった。

「海兵では、そんなガツガツした教育は、やらなかったですな。ゆっくりと食べてよかった。その頃も、おれ、熱いのはニガテだったけれど、逃げ出したのはそのためじゃない」

「お逃げになったんですの?」

 ランコはやや気色ばんだ。士官教育という有利な身分を放棄したことのもったいなさ、と同時に、結局上等兵どまりで、終戦二年後までモタモタと引っぱられていた圭介の要領の悪さが、パッと彼女の胸によみがえって来たのだ。

「逃げましたよ。何となくあの世界が憂鬱になってね」

「江田島って、島でしょう。そんなにカンタンに逃げられますの」

「いや、それはカンタンです。しょっちゅう船が通っているから」

 陣太郎はあわれみの眼で、ランコを見た。

 「それで、おれ、東京に舞い戻ってきたんですよ。兵学校生徒の服装のまま、東京をうろついていたら、三目目に陸軍の憲兵にとっつかまった。その頃、あんな服装のは、東京にはいなかったんですな。東京には、海軍経理学校があったが、経理生徒の帽子は白線が入っているし、おれたちのとはそこが違う。ついにつかまって、海軍側に引き渡されちゃった」

 ランコはソバをすするのを忘れて、耳を傾けていた。

「そこで、おれ、横浜の大津刑務所に入れられたんです」

「軍法会議か何かで――」

「いや、まだ未決囚としてです」

 陣太郎は思い出したように、ソバをすすり上げた。

「未決のまま、のびのびになって、とうとう軍法会議にかからずじまいでしたよ。家(うち)の方から、何か圧力をかけたらしいんですな」

「ごちそうさま」

 ソバをすっかり食べ終えて、圭一が口を袖でぬぐった。

「軍法会議にかかると、大変ですからねえ。服役して、それが済んでも、シャバには帰れない。懲治(ちょうじ)部隊というのに入れられる。懲治部隊というのは、囚人上りばかりの部隊です。もしそこまで行けば、おれの運命も変ったかも知れたいが、幸いに未決のまま終戦となりました」

[やぶちゃん注:「横浜の大津刑務所」旧横須賀海軍刑務所(当初の創設されたものは「海軍監獄」と呼ばれたものであった)で、現在の三浦郡浦賀町大津の大津陣屋跡地(この附近であろう)にあった(グーグル・マップ・データ)。

「懲治部隊」陸軍教化隊の旧称。大正一二(一九二三)年以前は陸軍懲治隊と呼ばれた。ウィキの「陸軍教化隊」によれば、『日本軍の部隊の一つで、犯罪傾向の強い兵士や脱走兵などを集めた特別の部隊で』、『問題とされた兵士を』、『一般部隊から隔離して軍紀を維持し、特別教育と懲罰を加えて更生を図ること』を『目的』として特殊部隊であった。『当初は陸軍兵士のみが対象であったが』、明治四一(一九〇八)年、同年の『軍令第』一『号により、海軍兵士も編入されるようになった』とある。沿革や内部実態はリンク先を見られたい。]

 

「つまり、おれ、あんな生活には、性(しょう)が合わなかったんですな」

 冷し中華ソバの最後の一筋をすすり終えると、陣太郎はコップの水をごくりと飲んだ。猫舌だということを承知しているから、ランコもお茶を出さないでいる。

「なにしろ、皆が同じでしょう。朝起きるのも同じ、寝る時刻も同じ、毎日の課業も同じ。皆が皆、予定表通りというやつでね、くさくさして、呼吸がつまりそうで、それでふらふらと逃げ出しちゃった。反抗とか反戦とかいうものじゃなくて、もっと実存的な気分でしたな」

「うちの圭介もそうなんですよ。ちっとも実用的じゃない」

 ランコは共感の意を示した。

「いっそ、あなたみたいに、逃げ出しゃいいのに、その甲斐性もなくて、五年間も引っぱられた挙句(あげく)、上等兵なんですよ。あたしゃ情なくて、情なくって」

「軍隊じゃ出世しなくってもいいですよ」

 陣太郎はなぐさめた。

「いや、復員後も、てんでダメなんですよ。することなすこと、イスカのはしのくいちがいで」

 どこで覚えたか、ランコは古風な言葉を使用した。

「働き出したかと思うと、たちまち失業で、そうですねえ、終戦以来二十ぺんも失業しましたかしら」

「つまり、働きがないというわけですな」

 陣太郎はけろりとして、相槌を打った。ランコは眼をぱちぱちさせ、それからじろりと圭一の方を見た。形勢悪しと見た圭一は、立ち上って、陣太郎の背後から肩をしきりにゆすぶった。

「小父さん。映画に行こうよ。さっき連れてって呉れると言ったじゃないか」

「連れてってやるよ。も少しあとでな」

「圭一。お前は外で遊びなさい!」

 ランコが眼を三角にして叱りつけた。圭一のおしゃべりだと言うことを、見抜いたらしい。

 圭一は陣太郎から離れ、スキップで外に出ていった。それを見定めて、ランコは陣太郎に向き直った。

「さっき、圭一が、あなたのことを松平だと、松平陣太郎だと――」

「陣内はペンネームです。おれ、この頃、小説を書こうと思い立ってね」

「小説をねえ」

 ランコは感心したような、また呆れたような声を出した。

「もっとも近頃、わりと上流階級の若い人が小説を書いて、よく売れているようでございますね」

 陣太郎はちょっと不快そうな顔になった。立ち上ると、のそのそと縁側の方に出て行った。

 ランコが三つの大皿を台所に運び、すっかり洗って茶の間に戻ってくると、陣太郎は縁側にうずくまって、じっと庭の方を眺めていた。庭にはやわらかい風が吹いていた。

「おれ、そういう生活も、イヤになったんですよ」

 ランコの気配を背中に感じて、陣太郎は低い声で言った。

「でも、あんな世界というやつは妙なところがありましてねえ。いやがるおれをつかまえて、むりやりに相続させようと言うんですよ。おれ、一体、どうしたらいいのか」

 

 茶の間と縁側の敷居の上に、厚い膝をそろえて坐りながら、ランコは訊ねた。

「あなたはうちの圭介と、どういうことでお知り合いになったんですの?」

 ランコは疑問の中心をついた。

 陣太郎は黙っていた。黙って空を眺めていた。余計なおしゃべりをするなと、今朝圭介から一本釘をさされているので、河も言わないのだろう。

 空には一筋の飛行機雲が、それも今出来立てと見えて、一端がななめにずんずん伸びつつある。

「なにかうちの圭介と――」

「浅利さんと、今度、共同で、事業をやろうか、と言うことになってるんですよ」

 低い声で陣太郎はしぶしぶと答えた。

「事業? どんな事業ですの?」

 ふたたび陣太郎は沈黙した。掌をかざしで、飛行機雲に気をとられているような仕草をした。

「その事業というのは、見込みあるんでしょうか」

 少し経って、ランコはまた目を開いた。

「うまく行けば、うまく行くでしょう」

 陣太郎はあおむいたまま、あたりまえのような、とんちんかんのような答え方をした。

 また時間が流れた。

「一体、うちの圭介――」

 ランコは思い詰めた、沈痛な声を出した。

「あのおっさんには、見込みがあるんでしょうか?」

「え?」

 意外な質問だったらしく、陣太郎は空から眼を離して、ランコの方に向き直った。それはそうだろう。自分の亭主に見込みがあるかどうか、その糟糠(そうこう)の妻があかの他人に聞くなんて、これはちょっとめずらしい。

「そ、それは、おばはんの方が、いや、おばさんの方が、よく御存じでしょう。おれは、昨晩」

 そこで陣太郎は目をつぐんだ。圭介の釘さしを思い出したのだろう。

「それが一向に判らないんで才よ」

 ランコは肩を落した。

「一所懸命あたしが尻をひっぱたくんですけどね、一向にききめがないんですのよ。失業してごろごろしてるから、部屋代を払えと言ったら、奮起するかと思うと、奮起しないんですよ。おめおめと間代を払うんです」

「間代はいかほどですか?」

「月三千円ですよ」

 ランコは自分の膝をぴしゃりと叩いた。

「でもね、あたしゃ亭主から部屋代を取って、それを使おうという気はないんですからね、圭介名義でちゃんと積立貯金にしてあるんですよ」

「食費の方は?」

「間代を取っても奮起しないから、食費も取ることにしたんですよ。そしたらそれもおめおめと払う。あれは一体、どういう気持なんでしょうねえ」

「さあ」

 陣太郎は困ったような声を出した。

「やはり、何か、考えがあるんでしょう。おれにはよく判らないけれど」

「小父さあん」

 庭の向うの生垣の間から、圭一が顔をのぞかせて叫んだ。

「早く映画に行こうよ。約束じゃないか」

「うん。今行くよ」

 いい機会とばかり、陣太郎は腰を持ち上げた。

 

 春風の中を陣太郎と圭一が出て行くと、ランコは茶の間にでんと腰を据(す)え、茶簞笥(ちゃだんす)から塩センベイを取り出して、ぽりぽりと嚙み始めた。そして考えた。塩センベイとか南京(なんきん)豆とかいうやつは、とかく人をして、物思いにふけらせるものである。

(どうも妙な人だけれど、ウソは言っていないらしい)

(ウソを言ってないとすれば、あの若者は相当の家柄の相続人だ)

(その相続人と、圭介がどこで知り合ったのか、またどんな事業をいとなむのか、よく判らないけれども、うまく行くだろうか。うまく行けばいいが)

 ランコは塩センベイを食べ止めて、立ち上った。廊下に出て、何となく足音を忍ばせ、納戸に入って行った。

 納戸の内をひとわたり見廻すと、つかつかと隅の書棚に歩み寄った。厚ぼったい広辞苑を引っぱり出した。

「ええ。マの部。マツダイラと」

 ランコはぺらぺらと頁をめくり、松平の項を探しあてた。低く音読した。

「まつだいら。姓氏の一。三河国賀茂郡松平から起り、家康に至って徳川家を称し、宗家の外三家、三卿に限ってこれを許し、他は松平を称すると、徳川家も松平なんだわ」

 ランコはぱたりと頁を閉じた。

 「そして、松平はお大名なんだわ。すると、あの人は大名家の相続人――」

 そしてランコは胸に手を当て、視線を宙にして、しばらく何か考えていた。手を胸から外(はず)すと、広辞苑を元の書棚に押し込んで、そろそろと立ち上った。

 納戸を出ようとしたとたんに、ランコはそこの机に、机の上に重ねられた原稿用紙に気がついた。ランコは取って返して、それに顔を近づけた。

「小説かしら」

 しかしランコはすぐに身体を起し、また音を忍ばせる歩き方で、茶の間に戻ってきた。塩センベイの罐の前にどっかと坐った。ふたたび塩センベイをぱりぱりと食べながら、ランコは圭介のことを考えていた。

(あの人も、もうそろそろ四十だし、ここらでどうにかなって貰わなくては、あたしたちが困る。事業もいいかも知れないが、あの人はどこかグズなところがあって、いつも他人にひけを取る傾きがある。へんな事業に手を出すより、陣太郎にでも取り入って、相続の暁には、家令か何かに使って貰ったらどうだろう?)

 ランコは眼を閉じて、圭介の家令姿を想像して見た。すると瞼(まぶた)の裡(うら)で、その想像はぴたりと実を結んだ。ランコはびっくりして、眼を開いた。

 圭介が応召中、ランコは圭介の車服姿を想像しようとして、どうしても目に浮んで来なかったことがあるが、家令姿となると、またたく間に浮んできたから妙である。

(家令職というのが、あの人にはうってつけの仕事なのかも知れない)

 また塩センベイに手を伸ばしながら、ランコは考えた。

(あの人を家令にするためには、あの若者を早く相続させねばならない。ところがあの若者は、相続をいやがって、小説なんかを書きたがっているらしい。もったいない話だ。どうしてもあの若者に、小説を止めさせなければ、ことは始まらないんだわ)

 

 夕方になって、陣太郎と圭一は戻ってきた。圭一は手に大きなゴム風船を持っている。ランコは陣太郎にお礼を言った。

「まあまあ、ありがとうございました。映画だけじゃなく、風船まで買っていただいて」

「いや、圭一君が、映画があまり面白くなかったと言うんでね」

 陣太郎は無表情のまま言った。

「それで風船を買わせられましたよ」

 圭一の手の風船は、春風にのんびりと、ゆらゆらと揺れている。

 陣太郎が納戸に引込んでしまうと、ランコは圭一にうがいをさせ、つづいて手を洗わせながら訊ねた。

「どんな映画だったの。漫画?」

 圭一は首を振った。

「それじゃ、外国映画?」

「そうじゃないんだよ」

 タオルで手を拭きながら、圭一は答えた。

「何だかね、チンドン屋がたくさん出てくるんだよ」

「チンドン屋?」

「うん。チンドン屋の小父さんたちが、喧嘩ばかりしているんだ。退屈しちゃったよ」

「それはチンドン屋じゃありません。お侍さんです」

 ランコは教えてやった。圭一が今まで観た映画は、漫画映画か教育映画ぐらいなもので、時代劇というのを一度も観たことがないのである。圭一が接している現実において、チョンマゲを結ったり刀をさしたりするのは、チンドン屋以外にないのだから、チャンバラ映画をチンドン屋映画と間違うのも、ムリはない。

「昔の人は、皆あんな恰好をしていたんですよ」

「ふうん」

 圭一は納得の行かぬ顔をした。昔の人は皆チョンマゲ姿で、皆そろってチンチンドンドンと、街中をねり歩いているものと思ったらしい。

 夕食時になっても、浅利圭介は戻って来なかった。圭一がぐずり出した。

「おなかがすいた。おなかがすいた!」

 ランコは午後の三時頃から、夕食の献立にあれこれと心を悩ましていた。婦人雑誌付録の『家庭料理全書』のどの頁をめくっても、若人向きとか老人向き、お子様向きや病人食、そんなのはあるけれども、猫舌向きというのはないのである。

 そこで余儀なく、サシミにハムサラダにホーレン草のおひたしという、月並なところに落ちついた。

 実は家令のことを打診して見ようと思い、そのためにビールでも一本出そうかと思ったのだが、あまりにもそれは見えすいているようで、やめにした。

 陣太郎は相変らずたくさん食べた。

 ランコは飯をよそってやりながら訊ねた。

「今日のは、どんな映画でございましたの。マタタビ映画?」

「いや」

 陣太郎は悠然と四杯目を受取りながら答えた。

「マタタビ映画、あんな下品なものは見ないです」

「でも、圭一の報告では、時代劇――」

「そうです。題は、風雲のなんとかといって、つまり、ちょいとしたお家騒動の映画でしたな。でも、あんな世界は、圭一君にはよく理解出来なかったらしい」

 

2023/07/09

奇異雜談集巻第五 目錄・㊀硯われ龍の子出で天上せし事

[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい。【 】は二行割注。

 なお、高田衛編・校注「江戸怪談集」上(岩波文庫一九八九年刊)に載る挿絵をトリミング補正して掲げた。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。]

 

竒異雜談集巻第五

            目錄

 

㊀硯(すゝり[やぶちゃん注:ママ。])われ龍(たつ)の子(こ)出て天上(てんじやう)せし事

㊁塩竃(しほがま)火熖(くはゑん)の内より狐(きつね)のばけるを見し事

㊂三歲(さい)の子(こ)小刀(こがたな)を盗(ぬす)みあらそひし事

㊃姉(あね)の魂魄(こんばく[やぶちゃん注:ママ。というか、この時代には半濁音を示す「◦」の記号は未だ存在していないはずなのである。])妹の躰(たい)をかり夫(おつと[やぶちゃん注:ママ。])に契(ちぎ)りし事

 

竒異雜談集巻第五

   ㊀硯われ龍の子出て天上せし事

 武藏の国の人、語りていはく、武藏に「金河(かながは)の宿」と云ふ大所(《だい》しよ)あり。

 国のひやうらん[やぶちゃん注:「兵亂」。]にめつきやく[やぶちゃん注:「滅却」。]して、今は亡びしなり。

[やぶちゃん注:標題は「硯(すずり)」が「われ」(割れ)、「龍(たつ)」の「子(こ)」が、「出《いで》」て、「天上(てんじやう)せし事《こと》」と訓ずる。さて。この語り初めは、どうも、私には馴染めない違和感がある。何故なら、「金河(かながは)の宿」は「神奈川の宿」を指すからである。神奈川宿がこの話柄内で、兵乱によって、滅却されてしまい、「今は亡びしなり」と言っているのは、読者には強い違和感を抱かせるからである。江戸時代に入ってすぐに、神奈川宿は整備されている。これを仮に、鎌倉時代には鶴岡八幡宮が支配し、室町時代には関東管領上杉氏の領地となっていた「神奈川湊」にあった旧鎌倉道の宿駅と言い換えてみても、やはり、違和感があるからである。何故かというと、本書内のここまでの話柄群の時制は、第一巻の第一話が時制指示としては「応仁の乱」の最中で、最も古いが、それ以降は、戦国時代が主な時制となり、鎌倉幕府滅亡後の南北朝期や室町幕府が完全に機能していた室町前期以前は、今までの話柄の中には設定がないからである。室町前期の鎌倉公方や古河公方の頃ならば、「神奈川湊」周辺が戦乱で滅却したというのは少しもおかしくなく、いかにもあり得ることなのだが、そこまで遡った話は、本書の本話以前にはないからである。そもそも、多くに読まれるようになった本板本は貞享四(一六八七)年刊であって、「今は亡びしなり」という叙述は、板行された当時の読者でさえ、「あら! これ、えらい古い時代の奇異になっておへんか?」という印象を与えたに違いないからである。或いは作者は、この後で漢籍の伝奇小説を訳すことを既にこの時には決めており、「だったら、時制の縛りなんぞは、もう、どうでもええな。既にして、いらしまへん。」とケツを捲ったということなのだろうとは思うのである。

 むかし、金河全世[やぶちゃん注:ママ。「全盛」。]のとき、禅宗の寺あり【寺号、忘却。】。僧、廿人ばかり、沙渴(しやかつ)あり。

[やぶちゃん注:「寺号、忘却」如何にもいい加減で嘘臭い。

「沙渴」「沙彌(しやみ)」(出家して十戒は受けたが、未だ具足戒は受けていない未熟な若い僧)、及び、所謂、禅寺の少年の役であった「喝食(かつしき)」を指す。「喝」は「唱えること」で、もともとは、禅宗で大衆(だいしゅ:僧一般)に食事を知らせ、食事について「湯」・「飯」などの名を唱えること、及び、その役を務めた僧を指したが、後に、専ら、有髪の小童が務め、「稚兒(ちご)」と呼ばれるようになり、しばしば成人僧の男色の対象とされた。]

 寺の靈寶に、硯、一めん、あり。

 水、つねに湧き出《いで》て、よきほどにして、あり。

「きどく[やぶちゃん注:「奇特」。不思議の意。]なる硯。」

といふて、昔より、祕藏の靈寶なり。

 あるとしの夏のころ、方丈、ひろく、あけとをし、書院の、をしいた[やぶちゃん注:ママ。]に、かの硯を置き、前のしやうじを開けて、長老・侍者(じしや)・沙弥・喝食等、數人(すにん)、座敷にゐて、すゞむに、午(むま)の時ばかりに、人もちかづかざるに、かのすゞり、わるゝ音して、二つに、われて、一、二分(ぶ)、はなれのく、なり。

[やぶちゃん注:「をしいた」「押板(おしいた)」。岩波文庫の高田氏の注では、『書院の床の間の称』とされる。確かにそれが辞書類では先の義として載るが、書物や硯などを載せるための台として、室内に、作り付けにはせずに、置いておいた台板を言う語でもある。寺の「祕藏の靈寶」だから床の間に置いていいとも言えるが、しかし、寧ろ「祕藏の靈寶」なればこそ、その台版に据えて床の間に安置しておいたとすれば、私は、よりしっくりくるのである。

「侍者」師僧に近侍する高弟の僧。この語は実際には、「沙彌」と同義の下級の弟子、或いは、雑務担当の実務僧(一般人と接することが多く、金銭の収支担当などの娑婆世界との交渉実務に係わることから、寺院内では表向きは下級僧扱いされる)を指す場合もあるが、以上の序列から、ここは前者の意である。

「一、二分(ぶ)」三~六ミリメートル。

「はなれのく」「離れ退く」。]

 みな人、たつて、見れば、硯の中ほど、竪(たて)に、われて、虫(むし)、出《いで》たり。

 くりむしのごとくにして、二分ばかりなるが、板の上にあり、水もこぼれて、板の上にあり。

[やぶちゃん注:「くりむし」「栗蟲」。本邦の栗の実を食害する代表種と知られるのは、鞘翅(甲虫/コウチュウ)目多食(カブトムシ)亜目ヒラタムシ下目ゾウムシ上科ゾウムシ科 Curculio 属クリシギゾウムシ Curculio sikkimensis の幼虫がよく知られている。当該ウィキによれば、『クリの実を食害するのでクリの害虫であり、『日本の栽培栗においては、最も重要な害虫の一つ』とされる』。『幼虫はクリの種子内部を食うだけでなく、その間の糞も全てその内部に蓄積するため』、『これが発酵して悪臭を放つ。また』、『食害が進むと種皮の外からも色が変わって被害がわかるようになる。種子』一『つに通常』、『数匹、多い場合は』十『匹も幼虫が入る例がある。卵が産卵されただけで孵化しない場合は食味に影響がないが、一度』、『卵が孵化してその幼虫により』一『匹に食害されただけで、その種子全体に悪臭がおよび』、『商品価値が大きく損なわれる』とあった。そんな臭い栗を、幼少の頃、口にして、吐き出して泣いたことを、注を書きながら、思い出している自分がいた。]

 沙弥・喝食、この虫を殺さんとす。

 長老、制して、

「殺すべからす[やぶちゃん注:ママ。]。」

といふて、扇の上ヘゝ、はねのせて、庭の蓮池(はすいけ)に、なげいるゝなり。

沙・喝等(ら)、庭におりて、池に、のぞみみれば、かのむし、水中(すいちう)にて、屈伸(かゝみ[やぶちゃん注:ママ。]つのびつ)すれば、みるみる、大《おほき/だい》になる。

 

Ryuunoko

 

[やぶちゃん注:底本大きなそれはこちら因みに、三人の真ん中の僧、顔が上手く描けておらず、妖怪みたような顔になっていて、龍より、そっちに目がいってしまう。]

 

 五寸になり、一尺になり、すでに、三、四尺になりて、勢ひ、恐しきゆヘ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]に、みな、迯(にげ)さつて、座敷に居(お[やぶちゃん注:ママ。])れば、晴(はれ)たる空、にはかに、曇り、黑雲、くだりて、蓮池の水、さはぐゆへに、長老、僧衆、みな、にけ[やぶちゃん注:ママ。]されば、電雷(でんらい)、庭におちて、めいどうし、黑雲、寺中に、おほふ。

 他鄕(たがう)には、

「寺、燒くる。」

と見て、人みな、はしりきたれば、寺衆(てらしゆ)、門外(もんぐはい)にありて、きもを消し、めいわくして、雲雷(うんらい)、落ちたるゆへ[やぶちゃん注:ママ。]を語る。

 數刻(すこく)あつて、雲中(うんちう)に、龍(たつ)の頭(かしら)、見えかくれ、雲(くも)、天《てん》にのぼれば、龍《たつ》の手足、見え、あるひは[やぶちゃん注:ママ。]、尾(お[やぶちゃん注:ママ。])の先、時々見えて、のほり[やぶちゃん注:ママ。]ゆく。

 はるかに、あがりて、見えず。

 寺中《じちゆう》、雲(くも)、晴(はれ)たるゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に、人みな、寺にかへり、方丈の庭をみれば、石木(いしき)も池水《いけみづ》も、みだれはて、荒田(あらた)をたかやす[やぶちゃん注:ママ。「耕す」。]がごとし。

 淤泥(どろ[やぶちゃん注:二字へのルビ。])、かき[やぶちゃん注:「垣」。]につき、座(ざ)に入《いる》。

 はうはう[やぶちゃん注:「方々」。「はうばう」。]にちり、正躰(《しやう》だい)もなくなりて、客殿のかきも、やぶるゝなり。

 ゆやう、とりしづまつて、かの硯を見れば、そのまま、あり。

 以後は、水、出《いで》ず。

 割れ目、そのまゝをきて[やぶちゃん注:ママ。]、むしの出《いで》たる跡を、人にみするなり。

 古老の人の、いはく、

「およそ、『龍子(りうし)は、海に千年、山に千年、里に千年、三千年、すぎて、龍(たつ)となりて、天にあがる。』といひつたへたり。知(しん)ぬ、海底の石に、龍子、しぜんに、生まれて、千年すぎて、その石、山に在ること、千年の後、又、里にある事、千年の内に、此石を、硯にきる時、龍子、その中興にあたる。竒異、不思議なり。たとへば、六條の道塲(だうぢやう[やぶちゃん注:ママ。])歡㐂光寺(くわんきくわうじ)の靈寶、「箸木(はしき)」の名号(みやうがう)のごとく也。」

[やぶちゃん注:「中興」高田氏の注に、『ここでは、中心、の意』とある。

「歡喜光寺」同前で、『一遍上人の従弟聖戒上人開祖の時宗道場。六條河原にあり紫苔山河原院歡喜光寺といった』とある。「京都オフィシャルサイト 京都観光Navi」の「六條道場 紫苔山河原院 歓喜光寺」によれば、移転して現存する。以上の解説によれば、同寺は、『もとは府下八幡』(現在の京都府八幡市)『にあって善導寺と称し、一遍の肉親と言われる聖戒が創建』し、『正安元年』(一二九九年)『に九条関白忠教』(ただのり)『の庇護を得て、京都六条河原の源融公邸跡に移』ったとある(この旧源融邸「河原院」は平安時代の京都の最強心霊スポットの一つとして「今昔物語集」等で超有名な場所である)。『後、高辻烏丸・四条京極と移転したが』、『明治の神仏分離によって、境内の社は独立し』、『現在の錦天満宮』(ここ)『となった。明治』四〇(一九〇七)年、『東山五条にあった法国寺と合併して』、現在地に移ったとある。現在地は、京都市山科区大宅奥山田(おおやけおくやまだ)のここ(以上の四リンクは総てグーグル・マップ・データ)である。]

奇異雜談集巻第四 ㊈馬細橋に行懸りわたらざる事 / 巻第四~了

[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい。]

 

   ㊈馬(むま)細橋(ほそはし)に行懸(ゆきかゝ)りわたらざる事

 尾張の國、与太郞(よたらう)、かたりて、いはく、旅人、十四、五人、あり。主人は女房なり。諸所(しよしよ)におゐて[やぶちゃん注:ママ。]、駄賃馬(だちん《むま》)を、たてかへてゆくに、ある所にて、馬を、かへてゆく。

 馬のくちつき、[やぶちゃん注:駄賃馬を貸して、その馬の口を取って先導する者。]

「あとにきたる事、をそし[やぶちゃん注:ママ。]。」

といへば、

「馬にまかせて、ゆかれよ。」

といふて、用を弁(べん)じゆく。

 道、二、三町[やぶちゃん注:二百十八~三百二十七メートル。]、ゆけば、山際(《やま》ぎは)に、川あり。

 川のおもて、六、七間[やぶちゃん注:約十一~十二・七三メートル。]なり。

 大木(たいぼく)を二つにひきわりて、一橋(ひとばし)に、かけたり。

 木のもとのひろさ、三尺あまり、すゑは、いたつて、ほそし。橋のたかさ、一丈あまり、下は、がんぜき[やぶちゃん注:ママ。]、多く、げんげんと[やぶちゃん注:ママ。]そびへて、その間に、流水、たぎりて、ふかし。

 かちにて、橋の上を、ありくとも、目まひ、あし、ふるふべし。

 馬、此橋にゆくを、供(とも)の衆(しゆ)、はしのすゑ[やぶちゃん注:向こうの先の方。]をも見ず、馬にまかせてやれば、一間[やぶちゃん注:約一・八二メートル。]あまりゆきて、馬、たちとまる[やぶちゃん注:ママ。]

 その時、ともの衆、橋のすゑのほそきを見て、おどろく。

 あとの、くちつきをみれば、はるかにして、きたらず。

 笠を、ぬひで[やぶちゃん注:ママ。]、これを、まねく。

 くちつき、いそぎ、來りて、馬を見て、いはく、

「是は。馬道(むまみち)に、あらず。不案内(ぶあんない)の人、馬《むま》を、をひやる[やぶちゃん注:ママ。]物なり。」

といふ。

 供の衆の、いはく、

「何事に、をひやるべきぞ。『馬にまかせて、ゆけ。』と、いひしほどに、まかせやるなり。しかしながら、汝が、馬に、つかざるゆへ[やぶちゃん注:ママ。]なり。」

とて、刀を、ぬひ[やぶちゃん注:ママ。]て、

「きらん。」

といふ。

 傍輩(はうはい)、これを、をさへて[やぶちゃん注:ママ。]いはく、

「いかんとして、よかるべきぞ。上樣の御いのち、大事なるべきぞ。」

といへば、口つきが、いはく、

「それがしが馬《むま》は、五貫に、かひ申候。上(かみ)さまよりも、馬が大事に候。」

といへば、

「くはんたい[やぶちゃん注:「緩怠」。過失・手落ち。或いは、無礼・無作法。]を、いふものかな。」

とて、又、二、三人、刀をぬいて、きらんとす。

 傍輩中《ちゆう》、

「しばらく。」

とて、とりさへて[やぶちゃん注:押しとどめて。]、いはく、

「かれを、ころしても、詮(せん)なし。たゞ、だんがう[やぶちゃん注:「談合」。]して、よきやうに、すべきこと、かんよう[やぶちゃん注:「肝要」。]。」

といふ。

 声、たかきを聞《きき》て、そのあたりの地下人(ぢげにん)、男女(なんによ)、みな、出(いで)て、みる。

 供の衆(しゆ)の、いはく、

「此里(《この》さと)に老人あらば、とひ、だんがうすべし。」

といへば、地下人の、いはく、

「此里には、老人、なし。西の隣鄕(りんがう)に、八十あまりの老人、あり。こうざい[やぶちゃん注:「高才」か。「すぐれた才能。また、その持ち主」の意。]の人なり。行步(ぎやうぶ)、かなはず[やぶちゃん注:年をとって歩行することが出来ない。]。」

といふ。

 口つき、ゆきて、おふて[やぶちゃん注:背負って。]きたり。

 橋の邊《へん》に居(をら)しむ。

 老人、馬をみて、いはく、

「是は。一大事なり。きゝも、をよばず、見も、をよはず。いかゝたるへきや[やぶちゃん注:総てママ。]。」

といふ。

 供衆の、いはく、

「いかやうにも、しあんを、めぐらし、調法(てうはう)、たのみいる。」

といへば、

「しからば。」

とて、長竿(ながさほ)、二つ、縄(なは)のきれ、二、三尺、あをく、あたらしき草(くさ)、二、三把(ば)、とりよせて、一つの竿のさきに、草を一把(は)、なわをもつて、かたく、からみつけて、馬《むま》のうしろあしの間《あひだ》より、あしに、さはらぬやうに、前足(まへあし)の間へ、さしいるれば、馬、やがて、しり草《くさ》を、はむ。

 

[やぶちゃん注:底本の大きな挿絵の画像はここ。]

 

 一口、はみて、草を、あとへひくこと、二、三寸(ずん)にしてをけば、馬、あしを、二、三寸、あとへ、ふみもどして、又、くさを、一口、はむ。

 又、二、三寸、草を、ひいてをけ[やぶちゃん注:ママ。]ば、また、あしを、ふみもどして、はむ。

 其草(そのくさ)、つくる[やぶちゃん注:これは「つきる」「盡きる」の誤記かと思う。「附くる」では意味が通らないからである。]ときは、竿を引(ひき)とりて、又、いま一つの竿のくさを、やれば、又、あしを、ふみもどして、草を、はむ。

 かくのごとくする事、たびだびにして、一間(けん)あまり、あとへ、ふみもどる。

 はしづめ[やぶちゃん注:「橋詰」。]より、なを[やぶちゃん注:ママ。]、土の上まで、もどるとき、馬のくちを、とつて、ひきかへす。

 安隱(あんおん)にして、みなみな、大小《だいせう》、よろこぶなり。

 老人に、引物(いんぶつ)・礼錢(れいせん)、濟〻(せいせい)[やぶちゃん注:甚だ多いこと。]にして、かへるなりと云〻。

 此ざうたん、竒異にあらずといへども、人の智略(ちりやく)となるべきゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に、これをしるすなり。

 

竒異雜談集巻第四終

 

奇異雜談集巻第四 ㊇江州下甲賀名馬主の敵をとる事

[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい。]

 

    ㊇江州下甲賀(しもかうか)名馬(めいば)主(しう)の敵(かたき)をとる事

 天文(てんぶん)十四、五年の比《ころ》、江州甲賀のこほりの中(うち)、下甲賀(しもかうか)に、ひとりの商人(あきんど)あり。雜役馬(ざつやくむま)一疋もちて、つねに、はうばうの市にゆきて、商賣(しやうばい)す。

[やぶちゃん注:「天文十四、五年の比」一五四五年~一五四六年頃。

「下甲賀」現在の甲賀市(グーグル・マップ・データ)の南部部分。]

 人の錢《ぜに》を、二、三貫、をふて、返弁する事、あたはず。

[やぶちゃん注:人から、商売のために、二、三貫(正規には一貫は銭一千文であるが、江戸時代には、実際には九百六十文が一貫とされた。話柄内時制は戦国時代であるが、読者はその換算で認識したはずである)を借りて(ツケにして)、それが負債となっていたが、賠償することが出来ずにいたのである。]

「今日、三雲(みくも)の市(いち)に、ゆかん。」

とて、錢一貫、こしにつけて。かの馬にのりて、ゆく。

[やぶちゃん注:「三雲」現在の滋賀県湖南市三雲(グーグル・マップ・データ)。甲賀市の北に接する。]

 橫田山の邊にて、かの錢主に、あふ。

[やぶちゃん注:「橫田山」不詳。但し、現在の三雲の甲賀市寄りに野洲川に架かる「横田橋」がある。この南北の山塊の孰れかであろう。現在は、横山橋の右岸は造成されて丘陵が殆んどないが、「ひなたGPS」の戦前の地図を見ると、低いものの、丘陵があるからである。]

 下馬(《げ》ば)して、礼をいふ。

 錢主のいはく、

「此はうの錢、たびたび、さいそくするといへとも[やぶちゃん注:ママ。]、いまに、ぶさた、くせごとなり。今、こゝにて、あふ事、さいはゐ[やぶちゃん注:ママ。]なり。そのはうのこしに、れうそくあり。今、とるべし。」

といふ。

[やぶちゃん注:「れうそく」「料足」で本来は「あることにかかる費用・代価」の意であるが、ここは単に銭の意。]

 かいだう[やぶちゃん注:「海道」。]の事なれば、たがひに、こゑ、たかきゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に、ゆきゝの人、せうせう[やぶちゃん注:「少々」。]、立《たち》どまりて、みる。

 錢主は、同道(どうだう)ひとりありて、兩人なり。

「腰なる錢を、出(いだ)せ。」

といへば、

「是は、いま、物をかひにゆく。此分にても、皆濟(かいせい)には、ならず。まち給へ。」

といへば、錢主、

「たゞ、とるへし[やぶちゃん注:ママ。]。」

とて、とりかゝれば、商人、かたなをぬきて、錢主を、きる。[やぶちゃん注:「斬りかかる」の意。]

 錢主、ぬきあはせて、商人(あきんど)を、きる。

 同道の人も、ぬひて[やぶちゃん注:ママ。]、商人を、しとむるなり。

 馬《むま》、おどろき、商人の死《しに》たるをみて、同道の助太刀(すけだち)、うちしもの[やぶちゃん注:「助太刀」とイコール。]に、とびかゝり、臑(すね)に、かみつきて、ふりたをし[やぶちゃん注:ママ。]、ふむゆへに、すなはち、死す。

 錢ぬしは、手おふて[やぶちゃん注:商人の刀で多少の負傷していたことが判る。]、一町[やぶちゃん注:百九メートル。]ばかり、にげさる處を、かの馬、をつかけ[やぶちゃん注:ママ。]、すねを、かみきり、ふみころす。

 見物衆(けんぶつしゆ)、みな、にげさりぬ。

 馬は、そのまゝ、我里(《わが》さと)、下甲賀に、はせゆき、我家《わがいへ》には、いらず、商人《あきんど》の兄(あに)の家《いへ》にゆきて、兄がまへに、ひざを、おり[やぶちゃん注:ママ。]て居(お[やぶちゃん注:ママ。])る。

 兄のいはく、

「此馬は、㐧(をとゝ[やぶちゃん注:ママ。「弟」。])の馬なり。何事に、こゝに、きたりてゐるや。」

 みれば、血、おほく、つきたり。

 あやしむ[やぶちゃん注:ママ。]で、㐧《おとと》の宿(やど)へ、人をつかはして、とへば、内方(ないはう)[やぶちゃん注:妻。]の、いはく、

「先刻(せんこく)、三雲の市(いち)にて、『物を、かはむ。』とて、代《しろ》一貫文(もん)、腰につけて、馬をおふて[やぶちゃん注:「追ふて」。馬に乗って、せきたてて進ませて。]、ゆかれしが、馬ばかり、此方《こなた》へ、かへり、馬に、血のつきたるよし、心もとなく候。」

といふ。

 兄のいはく、

「もつとも。心もとなし。我身(わかみ[やぶちゃん注:ママ。])、ゆきて、みん。」

とて、その馬に、うちのり、むちうつて、ゆく。

 馬も、いさみて、ほどなく、橫田山邊(へん)にゆきぬ。

 人、おほく、あつまりし中(なか)に、知人(しるひと)ありて、さきのくだんのしだいを、つぶさに、かたる。

 㐧《おとと》のしがいをみれば、刀(かたな)は、なし。腰に錢あるを、とる。

 錢主の死がいは、一ちやう、よそに、あるを、ゆきて見、

「さては。此馬《このむま》、たちまちに、主(しう)のかたきを、とる。きどくなる馬なり。」

といふ。

「ちかごろの名馬(めいば)なり。」

とて、國中(こくちう)より、高直(かうぢき)に所望(しよまう)せらるゝなり。

 

奇異雜談集巻第四 ㊆三条東洞院鳥屋末期に頭より雀の觜生出る事

[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい。【 】は二行割注。]

 

    ㊆三条東洞院鳥屋(とりや)末期(まつご)に頭(かしら)より雀(すゝめ[やぶちゃん注:ママ。])の觜(くちばし)生出(をひ[やぶちゃん注:ママ。]いづ)る事

三條ひかし[やぶちゃん注:ママ。]の洞院の東頰(ひかしかわ[やぶちゃん注:総てママ。])に鳥屋あり。

 むかしより、ひさしき鳥屋なり。亭主、つねに、黐黏竿(とりもちざほ)をもつて、㙒山を、かけまはり、もろもろの色鳥(いろとり)[やぶちゃん注:奇麗な可愛いい鳥の意であろう。]をとり、籠(かご)にみてゝ[やぶちゃん注:「滿てて」。]、家にかへり。

 をのをの[やぶちゃん注:ママ。]、べち[やぶちゃん注:「別」。]の籠に、わけて、をき[やぶちゃん注:ママ。]て、うる。

 生(いけ)てうるゆへに、つみ、なを[やぶちゃん注:ママ。]、じんぢう[やぶちゃん注:「深重」。]ならず。

[やぶちゃん注:「じんぢうならず」これらについては、観賞用の飼い鳥として売るため、殺生をしている訳ではないからであろう。]

 あるひは[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]、とりさしざほをもつて、村里(むらさと)を、ゆきまはり、雀(すゞめ)をとる事、はかりなし。

 家にかへり、籠ひとつに、これを入《いれ》、鷹(たか)の餌(ゑ)のために、人、おほく、これを、かふ。あるひは、しめころして、うり、あるひは、生(いけ)てうるも、また、人、これを、ころす。そのつみ、いくばくぞや。

 享主、とし、八十に、をよぶ[やぶちゃん注:ママ。]まで、此職(しよく)を、なせり。

 ある時、いはく、

「白髮(しらが)、愧(はづかし)。浄教寺(じやうけうじ[やぶちゃん注:ママ。])にまいり[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]て、髮をそり、入道(にうだう)せん。」

と、いへど、だゞ、あらましのみにして、とげず。

[やぶちゃん注:「浄教寺」京都市下京区寺町通四条下ル貞安前之町(ていあんまえのちょう)にある浄土宗多聞山(たもんざん)鐙籠堂(とうろうどう)浄教寺(じょうきょうじ:グーグル・マップ・データ)。前身は承安年間(一一七一年~一一七五年)に、かの平重盛が東山小松谷の邸内に四十八間の御堂を建てて、一間毎に、四十八体の阿彌陀如来を安置し、四十八燈の燈籠を掲げ、「鐙籠堂」と称されたのが始まり(「京都オフィシャルサイト 京都観光Navi」の同寺の解説に拠った)。]

 こゝに、明應年中[やぶちゃん注:一四九二年から一五〇一年まで。]のころ、はからざるに、やまひに、かゝりて、死す。

 妻子、しうたん[やぶちゃん注:ママ。「愁嘆(歎)」。]かぎりなし。

 妻(め)のいはく、

「さきに、『浄教寺にまいりて、入道せん。』といへり。その心ざしをもつてのゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に、今、御僧、二人を請(しやう)して、剃刀(かみそり)をあてんと思ふ。」

といふ。

 子息、すなはち、浄教寺にまいりて、此をもむき[やぶちゃん注:ママ。]を申せぱ、長老の、いはく。

「ふびんのしだいなり。やすき事、僧を、やるべし。」

とて、すなはち、僧二人、剃刀をもちてゆく。

 その家に、時宗、兩人ありて、沐浴を、なせり。

 浄教寺の僧、よりて、ひとり、剃刀をもつて、頂(いたゞき)にあて、

「流転三界中恩愛不能断棄恩入無爲眞實報恩者(るてん《さん》がいちうをんあいふのうたんぎをん《にふ》むゐしんじつほうをんしや[やぶちゃん注:総てママ。])」

の文をとなへ【「淸信士度人經」。】、かみ、そらむとするに、かしらの皮(かは)に、物、あり。

 砂(すな)のごとし。

 剃刀、ゆかず。

 見るうちに、かたち、まさりて、麦(むぎ)つぶのごとし。

 よくみれば、「雀のくちぱし」なり。

 上、とがり、下、ふとし。

 おほくして、あひだ、すくなければ、剃(そる)こと、あたはず。[やぶちゃん注:頭皮一面に雀の嘴が生えていたのである。]

 ただ、髮を、手にとりて、刈(かり)、みな、おぢ[やぶちゃん注:ママ。]さりぬ。[やぶちゃん注:意味不明。「落ち去りぬ」で、雀の嘴の上のところで引っ張り上げた髪を、剃刀で削ぎ切ってばさばさと落とし尽したというのであろう。無論、それでは剃髪入道にはならない。]

 浄教寺の僧、おどろき、をそれて[やぶちゃん注:ママ。]、さつて、寺にかへりて、かたりしなり。

 うつゝに、いんぐは[やぶちゃん注:ママ。]を見する事、かくのことき[やぶちゃん注:ママ。]は、まれなり。

 予、まのあたり、これをしれるゆへに、しるせる也。

[やぶちゃん注:「その家に、時宗、兩人ありて、沐浴を、なせり」唐突であり、後にも彼らが関わった事柄は、一切、述べられてはいない。なお、時宗は浄土宗の分派であるから、この鳥屋の家に、当時、二人の時宗関係者が滞在していても、何らの不審はない。親族かも知れず、故人の親しい友人かも知れない。そもそも「沐浴」というのは、亡くなった鳥屋の湯灌(ゆかん)のことを指している。されば、親族である可能性が非常に高い。しかし、この一行が意味するのは、この二人の人物が、以下の奇体な怪異を間近に目撃したことを意味し、何より、最後に作者自身がその場に弔問に来ていて、一部始終を「予、まのあたり、これをしれる」と言っているのである。則ち、一見、不審な以上は、同席していた作者の視線で描いた、とっておきのリアリズムのシークエンスとして挿入されたものなのである! これは、なかなか、真正怪奇実話としては、超弩級の凄い書き方だ! 参った!

「流転三界中恩愛不能断棄恩入無爲眞實報恩者」作者が割注する通り、「淸信士度人經」(現代仮名遣「せいしんじどにんきょう」)の一節だが、この経典は散佚して、経典としては存在していない。部分が、諸仏典に引かれていることから、伝わる。大分県日田市の真宗大谷派の「願正寺」公式サイト内のこちらによれば、これは「流転三界の偈」(るてんさんがいのげ)と呼ばれるもので、『剃髪式等にとなえる偈文』とあった。信頼出来る諸記載を見、総て正字化して推定訓読すると、

   *

三界(さんがい)の中(うち)を流轉(るてん)して、恩愛(おんあい)を斷(た)つこと能(あた)はざれども、恩を棄(す)てて無爲(むゐ)に入(い)るは、眞實報恩(しんじいつほうおん)の者(もの)なり。

   *

と読むようである。]

梅崎春生「つむじ風」(その5) 「人間器械」

[やぶちゃん注:本篇の初出・底本・凡例その他は初回を見られたい。]

 

   人 間 器 械

 

 違い棚のオメガの置時計が、十二時二十分前を指していた。そこは十畳の書斎になっていて、真中には黒檀(こくたん)の机がでんと置かれ、傍の小机には本や雑誌や書類のたぐいが山と積まれていた。

 小説家の加納明治は、書き終えた原稿を角封筒に入れ、原稿箱の中にポイとほうり込んだ。そして小机の引出しから日記帳を取り出し、黒檀机の上にひろげながら、ちらと置時計の方をみた。

 加納の就眠時間は十二時と決まっているから、いや、決められているのだから、残すところ二十分が彼の自由時間であった。

 まったく小説家加納の自由になる時間は、一日の中[やぶちゃん注:「うち」。]ちょっとしかない。一日の段どりがきちんと決められていて、眼かくしをされた馬車馬みたいに、そのスケジュールに従って労働せざるを得ないのである。小説を書くことは、加納にとって、すでに労働であった。頭脳の労働というより、筋肉労働という方に近かった。

 加納はペンをとり上げた。

 『八時起床。酵素風呂に入り朝食』

 起床時間と酵素風呂入りは、毎日の行事だから、書く必要はないのだが、つい形式上そう書いてしまう。

[やぶちゃん注:「酵素風呂」正式には、サイト「ホットペッパービューティー」の「酵素風呂・酵素浴とは?」によれば、『ヒノキパウダー(ヒノキのおがくず)や米ぬかなどの有機物を発酵させ、その発酵熱で体を温める乾式温浴のことを「酵素風呂(酵素浴)」と呼びます。自然発酵の熱が全身をじっくり包んでいくので、水を使用するお風呂より体への負担が少なく、体の芯から温まるのが特長です』。『発汗作用により老廃物の排出を促進させ、新陳代謝が活発になるというデトックス効果が期待できます。また、肌の保湿、血行促進による冷え性改善や肩こり・腰痛の緩和、花粉のお悩み軽減など、健康的な体へ導くさまざまな効果・効能を感じることができます』。『良い効果がこれほどたくさんあるというのが酵素風呂(酵素浴)の魅力的なところです』とあるが、これを当時は勿論、現在でも、通常の家庭で行うのは、なかなか大変である。私は単に「酵素」を含んだ入浴剤を風呂に入れるものだろうと踏んでいた。一応、こう注記しておく。]

 『天気』

 と書いて、加納は小首をかしげた。今日は晴れか曇りか雨だったのか、覚えていなかった。加納の日常は、それほど天気と関係なかったのだ。加納はペンを置いて立ち上り、窓をあけて空を眺めた。空にはたくさんの星がチカチカと光っていた。加納は納得した表情になって机の前に戻って来た。

 『天気快晴。朝食。果汁、半熟卵、とーすとぱん、

 まーまれーど。午前中仕事。

  昼食。野菜入りイタメウドン(粉ちーずカケ)野

 菜どれっしんぐ。果物盛合(おれんじ他)。昼食後

 仕事。

  夕食。ぽたーじゅすーぶ、こーるみーと(牛肉、

 はむ)とまと、キューリ、ふるーつさらだ、強化ぱ

 ん、よーぐると。

  夕食後ニ、タマニハ和風ノ食事ヲトリタシト、塙

 (はなわ)女史ニ申シ込ム。夕食後仕事』

 毎日の献立は塙女史が決める。加納の好みはほとんど入れられないのである。何故ならば、毎日の食餌は加納の好みを充たすためのものでなく、加納の健康を保持させるためのものであるからだ。

 毎朝の酵素風呂入りも、やはりそのためのものであった。

 塙女史の説によると、酵素というやつは熱を下げる働きがある由で、かつ大腸菌、ブドウ状菌、その他有害菌を殺菌する力を持っている。神経痛やリューマチスにもよく効き、胃や肝臓や腎臓のためにもいいというのだから、小説家のような座業者には、打ってつけの湯なのである。

 そういうありがたい湯であるから、加納はよろこんで毎朝入湯しているかというと、必ずしもそうでなかった。ことに近頃彼はある種の嫌悪を酵素風呂に感じ始めている。

 自発的に入湯するのではなく、強制的に入湯させられるのが、その理由のひとつでもあった。彼の嗜好に奉仕しているのではなく、彼の健康だけに奉仕していることが、面白くないのである。

 日記帳をパタンと閉じると、加納は急にするどい眼付きになって周囲の気配をうかがった。そして本棚の本のうしろから、ごそごそとウィスキーの角瓶を取り出した。塙女史にも秘密のかくし場所であった。

 

 ウィスキーのことなどが塙女史に知られては大変だ。懇懇と説得された揚句、取り上げられるにきまっている。

 塙女史が加納家にやってきたのは、今から丁度(ちょうど)二年前になる。

 その時加納明治は四十八歳であった。四十八歳にして、彼は糟糠(そうこう)の妻と別れた。

 別居の直接の原因はなかった。ただ何とはないあせりみたいなものが加納にあって、そこで合議の上、別居することになったのである。四十八歳とは、男性にとってかなり危険な年齢なのだ。

「別居しよう」

「ええ。そうしましょう」

 と、さばさばと別居して、加納は二十年ぶりに新鮮な自由感を味わった。彼は考えた。(そうだ。この自由感こそが、創作の源泉だ。もっと早く気がついて別居すればよかったなあ)

 自由感は取り戻したものの、いざ妻がいなくなって見ると、身のまわりの世話をする人が、どうしても必要になってくる。

 そこで加納はいろいろ考えた揚句、新聞広告を出した。

 『秘書兼助手ヲ求ム。当方小説家』

 かなり多数の人々が応募してきた。

『女性ニ限ル』という断り書きをつけるのを忘れたので、その半数は男性であったが、野郎ではどうにもならない。

 六十歳前後の老人も交っていたが、おそらくそれは停年退職後のアルバイトのつもりで、応募してきたのだろう。

 加納の条件は、若くて聡明な女性で、いろいろと細かいことに気が付き、しかもやさしいというのであるが、そうそう条件に合うような女性はいるものでない。

 あれこれ詮衡(せんこう)の結果、塙佐和子という女性を、加納は採用することにした。

 塙佐和子はその時三十四歳、若いという条件には欠けていたが、フチナシ眼鏡なんかをかけ、つめたいような美貌の持主で、一見三十そこそこに見える。

 某女子大学の英文科の卒業で、卒業後は某能率研究所、栄養研究所、某ドッグ・トレイェング・スクール、某大学心理学研兜室などの勤務を経めぐって来ている。スマートなスーツをパリッと着こなしているし、言葉もきれいで丁寧なので、その点も加納の気に入ったのである。

「僕は小説書きだし、生活もだらしない方なんでね。遠慮せずピシピシやって下さいよ」

 今考えると言わないでもいいことを、いや、言うべきでなかったことを、加納は塙女史に言った。

「何もかも、僕の生活の全部、箸の上げおろしから友達付き合いまで、あなたに任せることにするから、よろしくやって下さい。つまり、この僕をして、如何にして良き小説をたくさん生産させるか、そこに重点を置いて、いろんな計画を立てて下さい。もし僕がぐずぐず言うようだったら、ひっぱたいてもいいですよ。僕という人間より、小説が大切!」

 まったく余計なことを言ったものだ。

「はい。かしこまりました。先生」

 塙佐和子はしずかに答えた。

「先生をして、良き小説を書かせることに、全力をつくしますわ」

「よろしい。それから僕は、あなたのことを、女史、あるいは塙女史と呼ぶことにします。他の呼び方は、とかく日本的陰翳(いんえい)を帯びていて、面白くない。女史、ならサッパリしているからねえ」

 

 加納明治に対する塙女史の世話の仕方は、最初のうちは実に献身的であった。いや、今でも献身的なのだが、献身ぶりがすこし違っていた。

 初期の塙女史の献身ぶりは、今のとくらべて、実にういういしく、やさしかった。恋人的ですらあった。恋人的であり、母親的であった。

 だから加納は最初は全く満足していた。生話の周辺にさまざまの改革がほどこされたにもかかわらず、四十八歳の加納はそれに満足していた。快適ですらあった。

 人間も四十八歳ぐらいになると、外界の変化をあまり好まないものであるが、それが快適に感じられたのだから、どんなに恋人的であり、母親的であったかが判る。

(生活の形を変えるのも、なかなか新鮮な感じのするものだわい)

 改革はあらゆる方面において、少しずつ進行していた。

 たとえば、食生活。

 今までみたいな不規則な食事は改められた。味よりも栄養を主としたものに変えられた。なにしろ彼女は、栄養研究所で働いていたこともあるのだから、その方面はお手のものなのである。

 睡眠時間も、ドンピシャリ八時間。それより多くても少くてもいけないのだ。夏期にはそれに一時間の昼寝が加えられる。

 よほどの事情がなければ、十二時就寝の、八時起床。

 それまでは仕事や遊びの関係で、徹夜したりするようなこともあったが、一切それは禁止となった。徹夜なんか能率が悪いという女史の説なのである。かつて能率研究所にも勤めていたんだから、加納も反駁(はんばく)出来ない。

 では、どうしても徹夜をしなければならぬ仕事があれば、どうするか。

 それは安心である。塙女史がそんな仕事を拒絶するからだ。仕事を引受けたり断ったりすることも、塙女史の任務になっていた。加納にオーバーワークさせないように、女史は万全の注意を払うのである。

 八時起床の十二時就寝、毎日毎日そんな生活をしていると、今までと違って、だんだんメシが旨くなってきた。それはそうだろう。

 そのかわりに、酒と煙草の量は制限ということになった。

 これも塙女史の最初の試案では、全面的禁止ということであったが、いくら改革を快適だと思っていた加納も、それには言葉を尽して反対した。

「そ、そりゃ困るよ。いくらなんでも全面的禁止とは、僕は生きている甲斐がない」

 酒も煙草も百害あって一利なし、という塙女史の主張も、加納の必死の頑張りにあって、部分的制限ということに落着いた。

 煙草は一日に十本。

 酒は週に二回。一回が二合。ビールならば二本。

 不用の外出もやがて禁止されることになった。

 小説の取材という外出には、塙女史もついて来るのだから、存分に羽根を伸ばすというわけには行かない。

 住まいも政革された。便所も腰掛式となった。しゃがみ式は身体に悪いというのである。

 塙女史は改革のたびに、やさしい声で言うのである。

「ねえ。先生にいい仕事をしていただくためには、あたし、どんなギセイでも払いますわ」

 

 塙女史の理想主義的な改革ぶりに、最初は満足していた加納明治も、その改革がだんだん進行発展して行くにつれて、そろそろあわてざるを得なかった。

 塙女史は何年計画かで改革を成就(じょうじゅ)させるつもりらしく、いきなり一挙の改革には出ないが、徐々に、確実に、ことを運んで行くのである。

 彼女は心理学研究室にも勤務していたことがあることゆえ、そのへんの呼吸はよくのみ込んでいるらしい。

 しかし、いくらのみ込んでいても、理想主義的やり方というものは、とかく現実と衝突するものだ。

 あぐらをかいて仕事をするよりは、腰かけて仕事をする方が、身体のためにもいいし、能率的だ。その主張にもとづいて、卓子と椅子をあてがわれ、加納は大いに難渋した。長年あぐらが習慣になっているので、椅子では全然仕事が出来ないのである。

「やっぱり椅子はダメだよ。塙女史」

 加納はついに悲鳴を上げて、塙女史に嘆願した。

「椅子では全然頭が動かないよ」

「それはへんですねえ」

 塙女史は眉をひそめた。

「でも、仕事が出来ないとおっしゃるのなら、仕方がありませんねえ。では、先生、元のお机にいたしますから、いい仕事をなさって下さいませ。でも、時々は椅子にかけて、椅子に慣れて下さいませね。トルストイだってカミュだって、あぐらをかいては仕事しませんでしたわ」

 一日の中の時間の割当ても、最初はゆるやかに含みを持たせていたが、その中だんだんきびしくなってきた。

 八時間の睡眠、八時間の労働。のこりの八時間が、食事や入浴や散歩や読書や外出。その割当てをキチンと守るのである。いや、守らされるのである。

 いい仕事をしていただくために、という大義名分があるのだから、加納はふくれ面をしながらも従わざるを得ない。

 それに、最初に彼女と契約した時に、ピシピシやって欲しい、言うことを聞かねばひっぱたいてもよろしい、という言質[やぶちゃん注:「げんち」。]を与えている。今さらそれを変改するわけには行かないのだ。

 塙女史を秘書兼助手として雇い入れて一年間を過ぎた頃から、加納家の主導権は完全に彼女に握られてしまっていた。いつの間にそうなったのか、ほとんど判らないような微妙なやり方で、塙女史はその位置についていたのである。

 そのうちに加納は、自宅では編集者と会うことも、一切なくなってしまった。一切を塙女史が代行するからである。加納は塙女史から、今月はこれこれの仕事をしなさいと伝達され、唯々諾々(いいだくだく)として制作に従事するのである。

 来客ですらも、塙女史が先ず会って、仕事中であれば、どんなのでも追い返してしまうのだ。加納がそれに異議をとなえても、

「僕自身よりも仕事が大切。先生はいつかそうハッキリおっしゃいましたわ」

 と塙女史は一蹴してしまう。

 こうして改革が次第に進行して行くにつれて、加納はだんだん憂鬱になってきた。そろそろ自分が人間でなく器械にでもなったような気がし始めてきたのだ。

 

 こういうわけで、加納明治は人にもろくに会えないのである。朝起きてから夜寝るまで、目にしたのは頃女史だけ、という日も少くなくなってきた。

 前述の如く、八時間睡眠、八時間労働だから、残る時間はまだ八時間あるわけだが、その八時間もなかなか自分の自由にならない。

 運動といえば、庭の芝生に出て体噪や繩飛びをするとか、あるいは散歩。散歩には必ず塙女史がついてくる。

 塙女史が設計した理想主義的生活が、しだいに確乎とした形をとり始めた頃から、加納明治は次第にへこたれてきた。毎日毎日が辛抱出来なくなってきた。

 身体の方は、規則正しい生活と栄養食によって、たいヘん調子よく強健となり、また頭脳の働きもグルタミン酸、ビオチン、カルシューム、燐(りん)などの適量の摂取により、俄然明晰となってきたのだが、精神そのものがへこたれてきたのである。

[やぶちゃん注:「ビオチン」(biotin)はビタミンB群に分類される水溶性ビタミンの一種で、ビタミンB7とも呼ばれるが、欠乏症を起こすことが稀なため、単にビオチンと呼ばれることも多い。栄養素のひとつ。古い呼称でビタミンH、補酵素R当該ウィキに拠った。欠乏症その他はそちらを参照されたい)。]

 いくらいい仕事をするためとはいえ、酒、煙草その他嗜好品の制限、無用の外出の禁止などと言うことは、人間としては辛抱出来かねるのだ。

 ある日の夕方、丁度(ちょうど)その日は飲酒日であったので、加納は神妙にちびちびと盃を傾けていた。場所は台所で、以前はそこは単なる台所であったのだが、塙女史の改革方針にそって徹底的に大改造、今ではリヴィングキチン[やぶちゃん注:ママ。]になっている。リヴィングキチンの丸椅子に腰をおろして、酒を飲むなんて、まことに味けがない。青畳の上に大あぐらをかいて、スダコか何かでキュッとやりたいのだが、この方が能率的であり、衛生的であるというのだから、余儀ないのである。

「ねえ。塙女史」

 調理台に向って料理をこしらえている塙女史に向って、加納は声をかけた。

「毎日の散歩のことだがね、あれはあまり意味がないと、僕は思うんだがね」

「何故でございますの?」

 調理の手を休めて、塙女史は顔を振り向けた。

「何故かというとだね、散歩というやつは、ただ歩くだけで、目的がない。何か用事があって歩くというのなら判るけれども」

「目的はちゃんとございますわ。先生」

 縁無し眼鏡の向うで、塙女史の眼がきらりと光った。言葉は丁寧だけれど、語調はやや押しつけがましい。

「そ、そりゃ保健という目的はあるだろうけどね」

 加納はちょっとどもった。

「でも、僕は散歩なら、あんな川っぺりや畠の中じゃなく、街を歩きたいんだよ。つまり市井(しせい)の塵――」

「それはいけませんわ。先生」

 塙女史は断乎として言った。

「新鮮な空気。それが大切ですのよ。町中の空気は、たいへん汚染していて、肺なんかにもとても悪いんですのよ。わたしがドッグ・トレイュング・スクールで勤務しておりました時も、犬を散歩させるのに――」

「ドッグと僕とでは違う」

 さすがに加納もにがにがしげにさえぎった。

「ドッグは小説は書かないが、僕は小説を書くんだよ。一緒くたにされては困る」

「一緒にしてはおりませんわ」

「いや、してるらしい。その証拠には、散歩といえば、必ず女史はついて来るじゃないですか」

「それは先生のためを思えばこそでございます」

 調理台を背にして、塙女史は居直りの気配を示した。

「わたくしがお伴いたしませんと、きっと先生は街の方にお出かけになってしまいますわ。街に出てきたない空気をお吸いになれば、それだけ体力が低下して、作品活動も衰えるにきまっていますもの」

「そんなに女史は僕を信用しないのか?」

「信用してさしあげたいのですけれども」

 塙女史は憐憫(れんびん)の表情を浮べた。

「この間の山本さんの出阪記念会でも、お酒を二合しか召し上らないとお約束なさったくせに、御帰宅の時、アルコール検出器でお調べしたら、七合以上も先生は召し上っていらっしゃいました。七合以上というと、二週間分の定量になりますわ」

「そ、それは――」

 加納はまたどもった。アルコール検出器というような文明の利器を、塙女史はいつの間にか買い込んで、万全を期しているのだからかなわない。

「あれは、むりやりに飲まされたんだ。つき合いだから仕方がない」

「仕方がないでは済みまぜん」

 塙女史は子供をたしなめるような声で言った。

「散歩というものは、先生のような方には、絶対必要なものでございます。新鮮な空気。適当な運動」

「しかし、だね」

 加納もここぞとばかり頑張った。

「たとえば、昼間に一時間、散歩に出るだろう。それからまた夜に、外出するとする。すると、昼間の散歩で、僕の適当な運動は済んでいるわけだろう。夜の外出分だけが余分なものになるわけだね。そうすれば、それは運動過剰ということにならないか」

「そ、それは――」

 今度は塙久史がどもった。だから加納はたたみかけた。

「僕も今年で五十歳になる。運動過剰はしんから身にこたえるのだ。だから昼間の散歩はやめにして、もっぱら街歩きでそれに替えたいと思う。街の空気はきたないきたないと言うが、なに、塵埃濾過機(じないろかき)を使用すれば何でもない。それに、水清ければ魚棲(す)まずのたとえ通り、人間だって、すこしはよごれたところに住む必要がある」

「塵埃濾過器?」

 塙女史はきらりと暇を光らせた。

「それ、どこで売っているんでございますの?」

「薬屋で売ってるよ。マスクのことだ」

「マスク?」

 塙女史は失笑した。

「大げさなことをおっしゃるものではありませんわ。マスクを塵埃濾過器だなんて。それよりも、そんなに運動過剰とおっしゃるなら街歩きをおやめ遊ばせ。つまり、歩くということを――」

「歩くことを止めろって、そんなことは出来ないよ。用事があって、目的地があるんだから」

「目的地なんか、歩かなくても着けます」

「どうやって着ける?」

「自動車をお買いになればよろしゅうございましょう」

 塙女史は平然たる表情で答えた。

「この間からあたくしは、そのことを考えておりました」

 

 塙女史を秘書兼助手として雇い入れて以来、すべての事務、渉外、会計に到るまで、加納は彼女にあずけ放しにしている。あるいは彼女から取り上げられた、という言い方が正しいかも知れない。

 女史がかくもテキパキと事務的であることは、加納にとって一面気楽でもあるが、一面においては前述の如く、大いに加納をへこたれさせた。あまりにも事務的に過ぎるのである。

 長年連れそった古女房と別居、そして自由の境遇に入り、それから美人秘書を雇ったのであるから、加納の当初の考えには、ロマンティックな要素がなかったとは言えない。いや、言えないという程度ではなく、大いにあったのである。美人という条件をつけたことでも、それは明瞭である。

 ところが塙女史は、美人は美人であっでも、その美しさには情というものが全然こもっていないのである。つまり動物的、または植物的美しさではなく、鉱物の美しさにそれは似通っていた。

 スタイルも八頭身的でスマートだが、腰も胸もふくらんでいないので、まるで竹の筒みたいに見える。

[やぶちゃん注:「八頭身」身長が頭部の長さのおよそ八倍であること。均整のとれた、女性の理想のスタイルとされる。昭和二八(一九五三)年の「ミス・ユニバース・コンテスト」の頃から流行した語(小学館「デジタル大辞泉」に拠った)。]

 その硬質的な美しさに迷わされて、つい雇い入れたわけだが、やがて加納はそこにロマンティックな要素がないことに気がついた。一言にして言えば、この美人秘書に対して、彼は全然食指が動かないのである。最初から動かすつもりで雇ったわけではないが、そこはそれ、も少し軟かいところがあってもいいではないか。

(実際、金魚か熱帯魚みたいな女だな。見る分には美しいが、食べたいという気持が一向におこらない)

 加納がそんな吞気なことを考えているうちに、塙女史は加納の生活の要所要所を確実に押さえてしまったのである。

「自動車を買うんだって?」

 加納はおどろきの声を上げた。

「そうでございます」

 塙女史は切口上で答えた。加納は盃を宙に浮かしたまま、しばらく塙女史を眺めていた。

 近頃では会計一切も塙女史に任せているのだから、自分にどの位の収入があるか、税金関係はどうなっているのか、蓄えはどうなっているのか、加納はほとんど知らない。面倒くさくて知りたくない気持もあるのだが、第一には塙女史がギュツと握って離さないからだ。金銭関係に心を使うと、作品制作の能率が落ちるというのが、その理由である。しかし毎日八時間労働、それに精勤しているのだから、以前よりは生産量が上っているはずであった。それにぐうたら生活による出費もなくなったわけだし。

「どうしても買うと言うんだね?」

「さようでございます。先生」

 塙女史はつめたい声で答えた。

「街歩きは一切自動車でやっていただければ、毎日の散歩はきちんと励行出来る筈ですわ」

 盃を支えたまま、加納の気持はヘナヘナとくずれ折れた。そういう具合に宣言されると、もう抵抗出来ないような感じに、加納は近頃なってしまうのである。猫ににらまれた鼠とでも言うか、よほど深い前世の因縁があるのかも知れない。

 加納は情なさそうな声で問い返した。

「自動車を買うのはいいけれど、運転は誰がやろんだね?」

 

「それは、運転手をおかかえになっても、よろしゅうございましょうし――」

 塙女史は平然として、かねてから予定していたような口調で言った。

「何ならあたくしが、運転術を勉強してもいいと、思っておりますのよ」

「運転手を雇うと、それだけ費用がかさむだろう」

「それはかさみましょうねえ」

 他人事の如く塙女史は返答した。

「では、女史に頼めばタダか。いや、タダというわけにも行かないだろうし――」

 最後はひとりごとじみた口調になって、加納明治は宙に眼を据(す)えた。眼を据えながら、加納の右手はちょうしの首をつかんで、無意識にことことと振っている。まだ酒が残っているかどうか、碓かめるためにだ。これは洒飲みにとっては、たいへんいやしい真似だとされている。

 昔はそんな癖はなかったのに、そんないやしい癖がついたと言うのも、塙女史から酒量を制限されたためである。

 良い作品を書くために、酒を制限され、今度は酒を制限されたために、いやしい癖がついた。いやしい癖がつけば、やがてそれが作品にも影響してくるだろう。

 事実、塙女史の改革が進行して行くにつれて、加納明治の作品は、進行に比例して、質量共に低下の傾向があらわれつつあった。

 いくら身体が丈夫になり、頭脳が明晰になっても、ろくに外出もさせず、よごれた空気を吸わせず、運動が繩飛びと散歩と来ては、まるで温室に栽培された清浄野菜みたいなもので、ロクな作品が書けよう筈がない。そのことを塙女史に切り出さないのは、議論によって女史を納得させる自信を、加納がうしなっているせいであった。理窟という点になると、加納はからきしダメなのである。

「ええと――」

 ちょうしの振り癖にハツと気付いて、加納はそれを卓に戻した。ちょうしはすでに空になっている。

「それは僕がやることにしよう。一石二鳥だ」

「それ、と申しますと?」

「運転のことだよ」

 加納は断乎として言った。

「運転は、僕が練習することにする」

「先生が?」

 塙女史は呆れたような声を出した。

「先生がおやりになるんですか。そのお歳で。ハンドルとペンとでは、少々違っておりますわよ」

「やるったら、やる!」

 酒の気も少々入っているので、加納はふだんに似合わず強気に出た。ここらで強気に出とかないと、総くずれになるおそれがあったのだ。

「女史がどうしても一時間散歩に固執するなら、僕だってすこしは固執してもいいだろう。とにかくそれは、僕がやることにする!」

 塙女史に運転を習わせたら、外出においても後方座席で、自分は囚人の如く護送されるだけだろう。その思いが加納の勇気をかり立てた。

「とにかく僕がやるんだ!」

 なにを力んでいるのかと、塙女史はいぶかしげな表情となった。実際女史には、加納の気持は判っていなかった。塙女史は言った。

「ハンドルとペンとは違う、とあたくしが申し上げたことが、お気にさわったんでございますか?」

 

 このようないきさつで、加納明治は自動車を買い入れることになった。学校時代の同級生の一人が、今ではちょいとした会社の重役になっていて、その自家用車を安くゆずって貰ったのである。外国製の小型車で、まだほとんど傷(いた)んでいない。

 自分が運転するつもりだと加納が言った時、その重役は言った。

「加納。そいつはよした方がいいぜ。悪いことは言わんから、運転手を雇えよ」

「なぜ?」

「なぜもくそもあるかい。お前が運転して、そして人を轢(ひ)き殺して見ろ。早速刑務所入りだぜ。お前はもともとそそっかしい男だからな。運転手だったら、お前は損害賠償だけですむんだ」

「いや。これにはいろんな事情があってな」

「どんな事情だ?」

「おれだって、すこしは、羽根を伸ばしたいんだよ」

 はてな、という顔を重役はした。

「それ以上羽根を伸ばしてどうするんだい。大体小説家なんてものは、朝寝はするし、酒は飲むし、女遊びはするし、羽目の外(はず)し放題じゃないか。おれなんか、いつもお前のことをうらやましく思っているんだぞ」

「お前はそう思うだろうが」

 と加納は苦笑した。

「実際はなかなかそんなものじゃないよ。おれはむしろ、お前の方がうらやましい」

 重役の忠告を黙殺して、加納は運転術を習い、やがて運転免許証を取った。

 この自動車購入を最初に言い出したのは、塙女史であったが、それを逆用することによって、利益を得たのは加納の方である。

 なにしろ自分で運転するのだから、どこにでも飛んで行けるし、またいろいろとごまかしがきくのだ。

 それまでは、取材のための外出といっても、ちゃんと塙女史が随行して、窮屈極まりないものだったが、自動車となると随行というわけには行かない。

 加納が運転席にいるのだから、もし随行するとすれば、女史は後部シートにおさまらざるを得ない。主人がハンドルを握り、秘書兼助手が客席にふんぞりかえるのは、やはり具合が悪いのである。

 塙女史も散歩時間や散歩場所を固執せずに、あっさりと夜の散歩を許しておれば、こんなことにはならなかったのに、女史としては飛んだ手抜かりと言うべきだろう。

 といっても、塙女史は、加納を理想的環境にしばりつけるのを、唯一の目的としていたわけではない。あくまでも女史の目的は、しばりつけることによって、加納に良い作品を多量に書かせるということであった。鶏を窮属な場所に押し込め、いろいろ束縛することによって、多数の卵を生産させるようにだ。

 多分に理知的であり、計画性に大いに富んだ彼女であったが、芸術を鶏卵と同一視したところに、その考え違いがあった。その考え違いのために、塙女史は芸術の擁護者であるかわりに、芸術の破壊者となっていた。

(もうおれは執筆器械にはならないぞ。器械に甘んじておれるものか?)

 そんなにかげで力むのなら、いっそ塙女史をちょんとクビにすればいいのに、と思うのだが、それが出来ないところに加納明治の気の弱さがあった。しかも当人は、その気弱さを、ヒューマニズムだと思い込んでいるのだから、世話はない。

 

2023/07/08

奇異雜談集巻第四 ㊅四条の西光庵五三昧を𢌞りし事

[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい。]

 

   ㊅四条の西光庵五三昧《ごさんまい》を𢌞りし事

 四条の坊門鳥丸に「西阿弥陀仏」といふ、時宗、一人《ひとり》あり、居所(きよしよ)をば、「西光庵」と、がうす。

 若年より、心ざし深き、念仏の行人(ぎやう《にん》)なり。

 「應仁の亂」中(ぢう)に、人、多く、死するゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に、無緣の聖霊(しやうれう)をとぶらはんために、夜な夜な、五三昧をめぐり、念佛を思ひ立つ。

[やぶちゃん注:「五三昧」この場合の「三昧」は墓地のことで、岩波文庫の高田氏の注に、『平安末期に著名だった洛中の』広義の意味で辺縁部にあった『五ヵ所の死体捨て地。五三昧所(ごさんまいしょ)の略』で、『四塚、三条河原、千本、中山、鳥辺野の五所』とある。この内、「四塚」は、高田氏の別注で『東寺四塚』で『朱雀野の南にあった古い三昧地』とあった。さて、この「朱雀野」とは、京が荒廃していた時代に、東寺及び羅城門の南側に広がっていた野原を指すことから、グーグル・マップ・データ(以下同じ)で、現在のこの附近(ポイントは「羅城門」)であり、「千本」が船岡山の西麓の旧蓮台野(南北でそこに通づる「千本通」は、そこへの「野辺の送り」のルートでもある)、「中山」は知られた東山「黒谷」地区と考えられる。「三条河原」はここ、「鳥辺野」はここ(現在。後注参照)である。]

 初夜時(しょうやどき)[やぶちゃん注:午後八時頃。]より、頸(くび)に鉦皷(しやうこ)をかけ、身に破衣(やれ《ごろも》)をきて、先(まづ)、東寺四塚に行きて、罷物処(はぶつしよ)において、念仏、一、二百へん、かうじやう[やぶちゃん注:「高声」。]に唱ふ。てんせい[やぶちゃん注:「天性」。]、音聲(をんじやう[やぶちゃん注:ママ。])よき人なり。

[やぶちゃん注:「罷物処」三昧(墓地)に併設された死体捨て場(高田氏はその特定地を指すとする)、或いは、火葬場を指したようである。]

 次に三条河原に行きても、また、一、二百へん、となへ、また、千本(せんぼん)にゆきて、罷物處に於て、一、二百へん、となふ。

 東にゆき、河をわたり、中山の罷物處に行きて、また、一、二百へん、となへ、また、延年寺に行《ゆき》ても、一、二百へんとなへ、回向して、あかつき、京にかへる。

[やぶちゃん注:「河」鴨川。

「延年寺」高田氏注に、『鳥辺山・鳥辺野は、平安開都以来の墓所』で、『本来は愛宕郡烏部郷の阿弥陀ケ峰とその麓の扇形に開けた裾野を広くさした。その後、親鸞の西大谷廟背後にある延年寺が墓地として増大し、鳥部山の称を独占するようになっていった』とある。]

 毎夜、かくのごとく、やうやく、三年に到る。雨雪(あめゆき)の夜(よ)はゆかず。

 ある夜、西院(さいゐん)の地藏堂の北堤(きたつゝみ)より、上(かみ)へ、二、三町ゆけば、松、茂りて、深夜のやみに、小女(こ《をんな》)のこゑにて、

「是、まいらせ[やぶちゃん注:ママ。]む。」

といふ。

[やぶちゃん注:「西院」高田氏の注に、現在の『右京区西院高山寺町』(こうざんじちょう)『の高山寺』(こうさんじ)。『黒谷浄土宗日照山。中近世を通じて本尊の地蔵尊に対する信仰で知られていた』とある。ここ。この西院から桂川にかけては、嘗つては、やはり三昧であった。]

 ひだりの手を、さし出《いだ》せば、布(ぬの)きれを、かけたり。

「たそ。」

と、とへば、また、をとも、せず、かたちも、みえず。

『是は。ゆふれい[やぶちゃん注:ママ。]なり、』

と思ふて、鉦皷(しやうご)を、たたき、しきりに、念佛す。

 布ぎれ、手にあるゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に、しゆせう[やぶちゃん注:ママ。「殊勝」。]に思ふて、弥《いよいよ》、ねんぶつして、北にゆき、例のごとく、三昧を、めぐりて、我家(わか[やぶちゃん注:ママ。]いへ)に歸り、夜《よ》あけて、みれば、かの布、れきぜんとして、あたらしき布なり。

 是は、りんじうわうじやうの具にせんとて、念仏百遍をかきて、經(きやう)かたびらにそへてをく[やぶちゃん注:ママ。]なり。

「わが願(ぐわん)、すでにじやうじう[やぶちゃん注:ママ。]するゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に、ゆふれいより、布施(ふせ)をえたり。」

と、喜ぶゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に、また、三年、さきのことく[やぶちゃん注:ママ。]に、此行(ぎやう)をしゆ[やぶちゃん注:「修」。]するなり。

 此の人、平生の行儀、實容(じつよう)なり。恭謙(つつみへりくだり)て、おごらず、窮困(きうこん)にして、へつらはす[やぶちゃん注:ママ。]、みだりなることをかたらす[やぶちゃん注:ママ。]、笑顏(ゑめるかほ)、をのづから[やぶちゃん注:ママ。]和順(わじゆん)す。

[やぶちゃん注:「實容」見せかけを飾らぬこと。修行や人格が誰にもはっきりと等身大に理解されること。]

 草庵をきれいにはき、佛檀をしゆせう[やぶちゃん注:ママ。「殊勝」。]にかざる。勤行、けだい[やぶちゃん注:「懈怠」。]なく、念仏、やすむ時、なし。

 請用[やぶちゃん注:日常に使用する衣類その他。]にけつかう[やぶちゃん注:「結構」。取り立てた準備万端。]を嫌ひ、酒を一滴ものまず、嚫金(しんきん)[やぶちゃん注:布施。]を多くむさぼらず、月忌日(かつききひ[やぶちゃん注:ママ。])をかへず[やぶちゃん注:自分の都合に合わせて変えることは決してなく。]、出《いづ》るに褻晴(けはれ)なく、行くに扈從(こせう[やぶちゃん注:ママ。])なし。

 つねに淨敎寺(じやうきやうじ)に來入(らいにう)して、安心決定(あんしんけつぢやう)の法門をきく。談義の時は、毎日、早く來たつて、佛殿に行《ゆき》て、鉦皷を、たたき、ひとり、高声(かうしやう)にねんぶつす。

[やぶちゃん注:「淨敎寺」高田氏の注に、『灯籠堂とも。京都寺町通り四條辺にあった中世以来の念仏道場』とある。]

 そのこゑ、淸亮(せいりやう)にして、かれうびんが[やぶちゃん注:「迦陵頻伽」。]なり。諸人(しよにん)、先(まづ)、はやく、きたりて、西阿弥陀佛の念仏を、ちやうもんするなり。をのづから[やぶちゃん注:ママ。]、だんぎ[やぶちゃん注:「談義」。]、くんじゆ[やぶちゃん注:「群集」。]す。

[やぶちゃん注:「かれうびんが」高田氏の注に、『仏教で想像上の鳥をいう。妙音鳥の意で、美しい声で鳴く』とする。

「だんぎ」高田氏の注に、『時宗で行う讃仏の儀式を談義という』とあった。]

 此の人、とし、八十にすぎて、わうじやうす。

 無病そくさいにして、みづから、死期(しご)の時をしりて、行水(ぎやうずい)し、身をきよめ、經かたびらを、したにきて、かの布(ぬの)ぼうしを着て、みつから[やぶちゃん注:ママ。]鉦皷を、たたき、念佛、百へん、となふ。

 声、ぜんぜんにおとろへ、がんしよく[やぶちゃん注:「顏色」。]、變じ、(しもく[やぶちゃん注:ママ。「撞木」。鉦を叩くための小さな棒。])、弱るゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に、弟子、鉦皷を、たたき、助音(じよいん)念佛すれば、禪定(ぜんぢやう)にいるがごとくにして、いき、すでにたえおはり[やぶちゃん注:ママ。]ぬ。

 かくのごこきのわうじやう、世にまれなり。

 その身、不肖(ふせう)なるゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に、世にきこえざるなり。弟子、聖鎭(しやうちん)、先師(せんし)を反異(へんい)するのみ。

[やぶちゃん注:「不肖」高田氏の注に、『ここでは、めだたない、の意』とある。

「反異」高田氏注に、『はんい。世評を否定し、真実を述べること』とある。しかし、この注の訳では、意味がとりにくくなってしまわないか? これは西阿弥陀仏には、ただ一人の「弟子」に「聖鎭」なる者が居たが、彼は「先師」に背いて、その優れた事績を伝えていなかった。だから、ここで私(著者)が敢えて書く、という意ではあるまいか? 何より、本篇は「布きれ」のシークエンスのみが怪奇仕立てで、それ以外は、一貫して、西阿弥陀仏という稀なる修行僧を細部に至るまで正確に描くことに徹しているのである。

奇異雜談集巻第四 ㊄國阿上人發心由來の事

[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい。

 なお、高田衛編・校注「江戸怪談集」上(岩波文庫一九八九年刊)に載る挿絵をトリミング補正して掲げた。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。]

 

   ㊄國阿(こくあ)上人發心由來の事

 霊山(りやうせん)正法寺(《しやう》ぼうじ)の開山(かいさん)、国阿上人は、晚出家(ばんしゆつけ)なり。在俗の時は、公方(くばう)奉公の人にて、名字は橋崎(はしざき)、名乘(なのり)は国明(くにあきら)、すなはち、播州、橋崎の庄(しやう)の領主なり。

 相國鹿苑寺殿(しやうこくろうくをんじどの)へ、召されてのほり[やぶちゃん注:ママ。]し時、旅宿(りよしゆく)、すなはち、北山鹿苑寺殿ちかく、蓮臺㙒(れんだいの)のあたりにあり。

 伊勢の国、丹生(にふ)の庄(しやう)、御たいぢ[やぶちゃん注:「退治」。]の事あり、橋崎、うけたまはりて、出陣す。

 在陣の間に、留守の内婦、くわいにんの上に、大病(《たい》びやう)をえて、わづらふゆへ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]に、不產(ふさん)して、死去する。

 不便のゆへに、蓮臺㙒(れんだいの)に送りて、土葬にするなり。

 すなはち、使者を、陣中につかはして、此のよしを、つくるなり。

 陣中、不便(ふべん))なるゆへに、作善(さぜん)を營むこと、あたはず、たゞ、三錢をもつて、非人(ひにん)にほとこす[やぶちゃん注:ママ。]

 毎日、かくのごとくほどこすに、とりみだす事ありて、二日《ふつか》、間斷(かんだん)して、施さず。また、あひつゞきて、毎日、ほどこす事、まへのことく[やぶちゃん注:ママ。]なり。

 陣事(じんじ)、功なり、名、とげて、開陣(かいじん)す。

 公方へ、御礼申《まふし》をはり[やぶちゃん注:ママ。]てのち、蓮臺㙒に行きて、かの塚(つか)を見て、燒香念仏するあひた[やぶちゃん注:ママ。]に、塚の下(じた[やぶちゃん注:ママ。])に赤子(あかご)の泣くこゑ、聞こゆ。

 あやしみて、しばらく聞(きく)處に、その一、二丁[やぶちゃん注:百九~二百十八メートル。]、南に、茶屋あり。

 そのていしゆ、きたりて、橋崎殿ヘ、

「御かいぢん、めでたき。」

の由、御礼申して、次に、

「此の間、ふしぎの事、候ほどに申候。廿四、五日以前より、『ゆふれい』と、おぼしき女人《によにん》、茶屋にきたりて、三錢(せん)をもつて、餅を買(かひ)てかへり候。毎日、きたり候が、二日、間斷して、來たらず、又、先のごとく、きたり候。此二、三日いぜんまで、きたり候。かへるをみれば、北(きた)へ行(ゆき)候が、半町[やぶちゃん注:五十四・五メートル。]ばかりにして、きえて、見えす[やぶちゃん注:ママ。]候。」

といへば、橋崎殿、をどろきて[やぶちゃん注:ママ。]いはく、

「陣中にて、非人にほどすところ、ならびに、日かす[やぶちゃん注:ママ。]のしだい、幽霊の來たる所に、あひおなじきは、心さし[やぶちゃん注:ママ。]のかよふ所、うたがひ、なし。しかれば、塚を、ほりてみるへし[やぶちゃん注:ママ。]。」

とて、供衆(ともしゆ)、鋤(すき)をかりて、掘れば、赤子、有(あり)。

 

Kokuasyounin

 

 とり出だして、是をば、茶屋のていしゆにつかはして、

「養育してみよ。」

とて、太刀(たち)・かたな、もたれたる武具を、みな、茶屋につかはし、

「明日、私宅(したく)にきたれ。具足・冑(かぶと)をも、つかはすべし。」

と、いへり。

 かの屍がいは、すでに、爛壞(らんゑ)したり。

 もとのごとく、土(つち)を、かけて、をく[やぶちゃん注:ママ。]なり。

 たゞ、その子を思ふ處の、しうしんこんはく[やぶちゃん注:「執心魂魄」。]、幽霊に化(け)して、子をやしなふて、今日(けふ)まで、赤子のいのち、ありしものなり。

「あはれなる事かな。」

とて、淚をながして、歸宅す。

 すなはち、發心の儀、公方(くばう)へ、御いとま申しえて、關東藤沢に下り、出家して、「國阿弥陀佛」と号し、大道心修行(だいだうしんしゅぎやう)、五十年の間に、佛神(ぶつじん)に通(つう)じて、きどく、おほき事、緣起に、つまびらかなり。

  右、内婦、土葬以下(いげ[やぶちゃん注:ママ。])の事、

  姑獲と同じきゆへに、こゝに記す。もし、毎日、

  三錢、ほどこす事、これなくは[やぶちゃん注:ママ。]

  姑獲となるべきものなり。

[やぶちゃん注:最後の附記に有る通り、これは前の「㊃產女の由來の事」を受けての、姑獲鳥にならなかった貞女の霊魂を讃えた一話である。また、本書電子化の動機となった、『「續南方隨筆」正規表現版オリジナル注附 「『鄕土硏究』一至三號を讀む」パート「二」 の「頭白上人緣起」』にもこの話が載るので、是非、読まれたい。

「國阿上人」岩波文庫の高田氏の注に、『室町時代の僧。時宗国阿派の祖。(一三一四―一四〇五)』とある。

「橋崎」現在の兵庫県たつの市神岡町東觜崎(ひがしはしさき)附近(グーグル・マップ・データ)か。

「相國鹿苑寺殿」同じく高田氏の注に、『臨済宗宗相国寺派鹿苑寺は足利義満の別荘であった。義満のこと』とある。

「丹生の庄」現在の三重県多気(たき)郡多気町(たきちょう)丹生(にう)附近。「ひなたGPS」で戦前の地図と合わせておく。

「御退治。高田氏の注に、『丹生の荘園は建武政府から神宮に贈与』されたが、『後』、『足利氏が取り戻した経緯があ』り、『その反乱の征伐』を指すとある。

「作善」同前で『追善供養。死者の冥福を祈るために行な仏事』とある。

「開陣」陣を引き上げること。岩波文庫版版の底本では「開陳」で、意をとって本文は『凱陣』と変えてある。

「藤沢」時宗総本山遊行寺のこと。私の家からそう遠くない。]

奇異雜談集巻第四 ㊃產女の由來の事

[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい。]

 

   ㊃產女(うぶめ)の由來の事 

 ある人、語りていはく、

 京の西の岡邊の事なるに、二夜(ふたよ)、三夜、產女のこゑを聞くに、赤子(あかご)の泣くに似たり。

「そのすがたを、みばや。」

といふて、二、三人、さとの外に出《いで》て、夜(よ)ふけて、たゝずみ、きけば、一丁[やぶちゃん注:百九メートル。]ばかりひがしの、むぎばたけに、きこえたり。

「火(ひ)をあかして、見ん。」

とて、七、八人をさそふて、弓・やり、おもひおもひの兵具(ひやうぐ)にて、たいまつの衆(しゆ)、四、五人、てわけをして、ゆけば、むぎのすくなき所に、物かけ[やぶちゃん注:ママ。「物影」。]、みえたり。

 近く、四、五間[やぶちゃん注:七・二七~九・〇九メートル。]にしてみれば、人のかたちにて、兩の手を、地(ち)につきて、ひざまづき、ゐたり。

 人を見て、おどろかざるなり。

 みな、

「いころさん[やぶちゃん注:「射殺さん」。]。」

といふを、古老の人の、いはく、

「いること、むよう也。化生(けしやう)の物なるゆへ[やぶちゃん注:ママ。]、死すへから[やぶちゃん注:ママ。]ず。もし、射(い)そこなひ、おとろか[やぶちゃん注:ママ。]さば、あた[やぶちゃん注:ママ。「讐(あだ)」。]をなし、さいしよにたゝりをなす事、あらん。たゞ、みな、歸り給へ。」

といふて、かへるなり。」

と云々。

 此の說、ふしむ[やぶちゃん注:ママ。「不審」。]なり。

 あるひは、世俗にいはく、懷姙不產(くわいにんふさん)して、死せるもの、其のまま、㙒捨《のすて》にすれば、胎内の子、死せずして、㙒にむまるれは[やぶちゃん注:ママ。]、母の魂塊、かたちに化(け)して、子をいたき[やぶちゃん注:ママ。]やしなふて、夜、步くぞ。其赤子のなくを、

「うぶめ、なく。」

といふなり。そのかたち、腰よりしもは、血にひたつて、ちからよはき也。人、もし、これにあへば、

「負(をふ[やぶちゃん注:ママ。])て、たまはれ。」

といふを、いとはずして、負へば、人を福祐《ふくいう》になす、と、いひつたへたり。

 これもまた、そのまことを、しらさる[やぶちゃん注:ママ。]なり。

 唐(から)に「姑獲(こくわく)」といふは、日本の「產女」なり。「姑獲」は鳥(とり)なり。かるがゆヘに、「本草」、「鳥部(とりのぶ)」に、のせたり。その文(もん)にいはく、

『一名は「乳母鳥(にふほてう[やぶちゃん注:ママ。「にゆうほてう」が正しい。])」、いふ。心は、產婦、死し、變化(へんげ)してこれになる。よく、人の子をとつて、もつて、己(をの[やぶちゃん注:ママ。])が子とす。胸前(むなもと)に兩乳(りやうにう[やぶちゃん注:ママ。])あり。』

と云〻。

 是は、人の子を、とつて、我子《わがこ》として、乳(ち)を、のませてやしなふ事、人の乳母(めのと)に似たるゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に、「乳母鳥(にうてう)」といふなり。是は、婦人、子、なふ[やぶちゃん注:ママ。「無(な)う」。]して、子をほしがるもの、たまたま、懷姙すといへとも[やぶちゃん注:ママ。]、產することをえず、難產にして、死するときんば、その執心・魂魄、變化し(へんげ)て、とりとなりて、夜、とびまはりて、人の小子(せうし)を、とるなり。

[やぶちゃん注:「ときんば」小学館「日本国語大辞典」によれば、連語で、「時(とき)には」の変化したもの。中古に、漢文訓読に於いて「則」の補読訓読語として発生した。先行する事柄を受けて、その結果、生じる事柄を述べる際に用いる。「……すれば、すなわち、……する場合は」の意。中世には、博士家では、「則」を不読の置字とし、直前に「ときんば」を補読するのに対して、仏家では、「則」を「すなはち」と訓じるという読み分けが見られる。仏教系の「すなはち」は、中世の後半期を過渡期として、博士家方の訓読方にも援用されるようになり、「ときんば、すなはち」という二重訓読が生じているが、後に補読語「ときんば」は順次、駆逐され、近世後期には、「則」の字の訓は、博士家・仏家とも同一の「すなはち」となり、「ときんば」は一般には消滅した、とある。謂わば、古形の語を用いることで、中昔のニュアンスを添えていると言えよう。但し、「ときんば」は、そうした古さを出すために、現行の訓読でも使用されることがあり、私には全く違和感がない。寧ろ、漢籍訓読ではハリを感じさせて、私は好きである。]

 又いはく、「玄中記」にいはく、『一名を隱飛、一名(《いち》みやう)は「夜行遊女(やぎやうゆうぢよ」、よく、人の小子をとつて、これを、やしなふ。小子あるの家には、すなはち、血、その衣《きぬ》に点ずるをもつて、誌(しるし)とす。いまの、時の人、小児の衣を、夜(よる)、露(さらす)ことをせざるは、このためなり。』

と云〻。

 是は、姑獲鳥、夜、隱飛(をんび[やぶちゃん注:ママ。])し、人の家に行(ゆき)て、子をたづぬるに、小児の衣(きぬ)、夜、そとにをく[やぶちゃん注:ママ。]ときんば、その衣にふるゝゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に、姑獲の血、その衣に点ずるなり。これをみて、姑獲のきたるしるしと、するなり。姑獲は、產婦(さんふ)、死して、變化(へんげ)なるゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に、その身(み)、血におほるゝ[やぶちゃん注:ママ。「溺(おぼ)るる」。]が、日本にも、小児の衣(きぬ)を、夜(よる)、外にほすことを、いむは、此儀なり。

[やぶちゃん注:「西の岡」岩波文庫の高田氏の注に、『現在の京都市西京区上桂以南全域、及び向日市』(むこうし)、『長岡京市一帯。古くから豊かな農村地帯』とある。この中央南北の非常に広い地域に相当する(グーグル・マップ・データ)。

「㙒捨て」同前で、『屍体を埋葬したりせずに、墓所(はかしょ)に野ざらしにしておく葬り方。京都には、蓮臺野、鳥辺野、化野』(あだしの)『の三つの大きな墓所があり、このような方法で行われていた』とある。所謂、風葬である。何故、妊娠女性の遺体をそのように無惨に遺棄するかというと、妊婦は一つの体に二つの生命がある点で、邪気が侵入し易いまがまがしい忌むべき異常死体であるとする、民俗社会の認識が古くからあったからである。

『「本草」、「鳥部」』本邦の漢籍本草書のバイブルたる、明の李時珍の「本草綱目」の「鳥部(てうのぶ)」を指す。巻四十九の「禽之三」の「姑獲鳥」を指す。原文は「漢籍リポジトリ」の同巻[114-28b]を参照されたい(影印本画像有り)が、内容を理解するのであれば、私の「和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 姑獲鳥(うぶめ) (オオミズナギドリ?/私の独断モデル種比定)」がよろしいかと存ずる。そこで、十全に注し、他の私の怪奇談集に各記事にもリンクさせてあるので、ここでは、注さない。

「玄中記」上記リンク先の「本草綱目」の「姑獲鳥」の「釋名」・「集解」に引用されている、西晋時代(二六五年~三一六年)の博物誌。後に原本は散逸してしまい、「太平広記」のような類書中に、その抜書が残るのみである。]

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佐藤春夫譯「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」正規表現版 「思ひあふれて」子夜

[やぶちゃん注:書誌・底本・凡例等は初回を見られたい。本篇はここ。]

 

  思ひあふれて

            誰 能 思 不 歌

            誰 能 飢 不 食

            日 冥 當 戶 倚

            惆 悵 底 不 憶

                  子   夜

 

思ひあふれて歌はざらめや

饑をおぼえて食はざらめや

たそがれひとり戶に倚り立ちて

切なく君をしたはざらめや

 

[やぶちゃん注:作者小夜は、既に先行する「女ごころ」「むつごと」があり、佐藤の作者解説は前のリンク先に示してある。

 以上の原詩は、所持する岩波文庫の松枝茂夫編の「中国名詩選」の「中」(一九八四年刊)を参考に訓読文と注を示す。

   *

 子夜歌

誰(たれ) 能(よ)く思ふて 歌はざらん

誰(たれ) 能(よ)く飢ゑて 食(くら)はざらん

日(ひ) 冥(く)れて 戶に當(あた)りて倚(よ)れば

惆悵(ちうちやう)して 底(なん)ぞ 憶(おも)はざらんや

   *

・「惆悵」恨み嘆くさま。

・「底」ここは反語の副詞としての用法。]

佐々木喜善「聽耳草紙」 一五一番 蒟蒻と豆腐

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここ。]

 

      一五一番 蒟蒻と豆腐

 

 或日、豆腐が豆腐棚から落ちて怪我をした。それを聞いて、蒟蒻《こんにやく》はベツタリ、クツタリと步いて見舞いに行つて、豆腐どん、豆腐どん、おめア棚から落ちたソウですが、ラチも無アごツですなアと慰めた。

 すると豆腐が、おめアは、丈夫でようげアすなアと言ふと蒟蒻は首を振つて、あアにええでだあんまヘン。每晚々々、コンヤクウ、コンヤクウと云はれて居るので生きたソラも無えでげアすよと答えたとさ。

(膽澤《いさは》郡水澤《みづさは》邊の話、森口多里氏からの御報告中の四。ラチも無いは、飛んでもないの意、又「おめアは」の「は」は、ワと發音しないでfaである。…此話、誰が聽いた、猫と鼠とが棚の隅で聽いたなどと、蛇足して語る所もある。)

[やぶちゃん注:附記は本文同ポイントとし、引き上げた。

「膽澤郡水澤」現在の岩手県奥州市水沢(グーグル・マップ・データ)。]

奇異雜談集巻第四 ㊂筥根山火金の地藏にて火車を見る事

[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい。]

 

   ㊂筥根山(はこねさん)火金(ひかね)の地藏にて火車(ひのくるま)を見る事

 ある人、かたりていはく、伊豆の国、筥根山の權現(こんけん[やぶちゃん注:ママ。])のかたはらに、「火金の地藏」と申《まふし》て、験佛(けんぶつ[やぶちゃん注:ママ。「霊験(れいげん)あらたかな御仏(みほとけ)」の意であるから、「げんぶつ」が正しい。])の堂あり。こんげん[やぶちゃん注:ママ。「權現」。]へさんけいの人は、かならず、此地藏へまいる[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]なり。

[やぶちゃん注:「筥根山の權現」現在の箱根神社(グーグル・マップ・データ。以下無指示は同じ)。

「火金の地藏」不詳。但し、非常に詳細な「第 4 回 神奈川県立図書館・公文書館共同展示 箱根再発見!」「元箱根石仏・石塔群-700 年の時を超えて、古道の奇岩に刻まれた地蔵の群れ-」と題する「解説パンフレット」PDF)の中に、そのモデルがあるのではないかと思う。特に「火焚き地蔵」というのがあり(精進池の東岸)、それらしい候補として私は挙げたい。

 するがのふちう[やぶちゃん注:「駿河の府中」。]に、やかた[やぶちゃん注:「屋形」。]衆、朝日名孫八郞(あさひなのまご《はちらう》)殿といふ人、あり、隣家(りんか)に地下人、左衞門といふもの、あり。

[やぶちゃん注:「ふちう」現在の静岡市。

「やかた衆」岩波文庫の高田氏の注に、『室町時代、守護大名に許された尊称が「屋形」。その大名に仕える者』とあった。]

 天文五、六年の比ほひ、伊豆の三嶋に、しよ用ありて、くだる。

[やぶちゃん注:「天文五、六年」この頃の府中は、ウィキの「今川義元」によれば、この五年、今川義輝が亡くなり、多少の混乱があったが、同母弟の義元が当主となり、六年の二月には、兄の時期まで抗争状態にあった甲斐国の守護武田信虎の娘(定恵院)を正室に迎え、武田氏と同盟を結んだが、結果的に旧来の盟友であった相模の、義元の当主継承にも助力をした『北条氏綱の怒りを買い、同年同月、北条軍は駿河国富士郡吉原に侵攻』、『家臣団の統制がとれなかった今川軍は、北条軍に対して適切な反撃が行えず』、『河東(現在の静岡県東部)を奪われてしまう。義元は武田の援軍と連帯して領土奪還を試みたが』、『遠江に基盤を置く反義元派の武将らが義元から離反したため、家臣の反乱と北条氏の侵攻との挟撃状態に陥り、河東は北条氏に占領されたまま』、『長期化の様相を見せた』とある。

「伊豆の三嶋」現在の静岡県三島市しかし、これ以上の注から考えると、北条によって侵攻と奪取が起こっている天文六年では、一介の町人如きが、安穏として所用で逗留出来る場所ではないと思われるので、この時制設定が正しいとなら、天文五年か天文六年年初でないとおかしい。

 四、五日、とうりうして、しよよう、いまだ、すまざるゆへ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]に、先(まづ)、はこねのごんげんへ、さんけいす。

 そのついでに、「火金のぢざう」へまいる。

 佛前にかんきむ[やぶちゃん注:「看經(かんきん)。」]して、すこく[やぶちゃん注:「數刻」。]あるに、女生(にしやう)一人《ひとり》、まゐる。

 見れば、わがとなりの朝日名殿の女中なり。

[やぶちゃん注:「女中」高田氏の注に『ここでは、「奧方」の意』とある。]

 色、あをしろ[やぶちゃん注:ママ。]し。

 やせおとへて、すがた、みぐるしく、ふゆふれいのことし[やぶちゃん注:ママ。]

 大名なるゆへに、じうるい[やぶちゃん注:ママ。「從類」。]・下人、多かるへき[やぶちゃん注:ママ。]に、たゞ一人は、ふしむ[やぶちゃん注:ママ。「不審」。]なり。

 ことに、我(われ)、仏前にあるをも、しり給はす[やぶちゃん注:ママ。]、一目もみ給はさる[やぶちゃん注:ママ。]事、なを[やぶちゃん注:ママ。]もつてふしんなるに、地藏の錫杖(しやくぢやう)、じねんに[やぶちゃん注:「自然に」。]、ふる[やぶちゃん注:「振る」。]こゑ、たかくきこえて、佛《ほとけ》のきはには、人、なし。

 是もまた、不審なるに、すなはち、はれたる天《そら》、にはかに、かきくもり、黑雲(くろくも)、そらにみちて、しんどう[やぶちゃん注:「震動」。]・らいでん[やぶちゃん注:「雷電」。]し、ひかり、はなはだし。

 黑雲、地におちて、雲の中《うち》より、火車(くはしや)、いできたりて、かの女生のうしろに、いたれば、そらに、

「ひゝひゝ」

と、なるこゑ、きこゆ。

[やぶちゃん注:「火車」高田氏注に、『屍をとる妖怪だが、ここでは、その妖怪が驅使する「火の車」の意』とある。先行する話で既注済みだが、再掲しておくと、」雷が鳴るとともに葬礼を襲っては屍体を奪いさる妖怪として、怪奇談集ではかなりメジャーな怪異であるが、幾つかのかなり異なったパターンがあり、妖怪性の強いものから、因業者を迎えに来る地獄の牛頭・馬頭の引き来たるそれまで、話しとしては、私の怪奇談集でもお馴染みである。少しそうした「火車」の概説と、私の怪奇談の各個リンクを注で纏めてみた「狗張子卷之六 杉田彥左衞門天狗に殺さる」を参照されたい。

 なにものゝこゑともしらず、雲の中より、鬼神(きじん)、現(げん)じきたりて、女生を、つかんで、火車に、のせて、さる。

 地藏堂の前に、「むけん[やぶちゃん注:「無間」。]の谷」といふ谷あり。

 火車、ここに到ると思ふ時分に、おほきに、ひゞきて、

「どう」

と鳴(なる)と聞こえて、すなはち、雲、はれ、天(そら)、あきらかなり。

 かの左衞門、仏前にありて、おぢおそれ、きも・たま[やぶちゃん注:「肝・魂」。]をうしなふといへども、氣をしづめて、よく見るなり。

 地藏堂の別当に、問ふて、いはく、

「たゞいまの事、ふしぎのしだいなり。先例ある事に候や。」

と、いへば、別当のいはく、

「かくのごときの事、つねにあるゆへに、それがしは、をとろか[やぶちゃん注:ママ。]ず候。ああるひ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]は、雨のふる日、あるひは、日のくるゝ時、すがたは見えずして、ゆく、あしをと[やぶちゃん注:ママ。]、きこえ、あるひは、なきかなしみてゆくこゑ、きこえ、あるひは、馬(むま)にのりて行《ゆく》をと[やぶちゃん注:ママ。]、きこゆ。此《この》「むけんの谷」のみに、あらず。この山の奧に「地獄谷」と云《いひ》て、熱湯、わきかへり、硫黃(ゆわう[やぶちゃん注:ママ。])、いでゝかたまる所あまたあるを、「ぢごく」と申しつたへて候。」

といふなり。

 左衞門のいはく、

「別当も、さきの女生を御らんじ候や。」

といへば、

「中々、よく見候に、いきたる人には、あらず。魂魄幽靈なる事、一ぢやう[やぶちゃん注:「一定」。]に候。」

といへば、

 左衞門のいはく、

「さては。朝目名殿の女中、死去あるものなり。いたはしき事かな。別当、御覽じ候ほと[やぶちゃん注:ママ。]に、とぶらふてまいらせ[やぶちゃん注:ママ。]られ候へ。」

と、いふて、下向申すなり。

 又、三嶋のさとに行きて、四、五日ありて、所用、すんで、府中に、かへり行《ゆく》。

 私宅につけば、るすの内婦いはく、

「朝日名殿の女中、しきよありて、いま、中陰にて候。」

と申す。

 それについて、ふしぎの事、あるほどに、先《まづ》、殿へ行(ゆく)なり。

 中陰、とりみだしの處に、左衞門、かたりていはく、

「それがし、たゞ今、はこねより、げかう申候。『火金の地ぢざうだう』にて、これの上樣(うへ《さま》)を見申候。」

といへば、みな、おどろきて、御たづね候ほと[やぶちゃん注:ママ。]に、上《うへ》くだんのしだいを、つぶさにかたり申せば、皆〻、愁淚(しうるい)をながしたまへり。

 その中《なか》に、そのざうだんを、うたがふ人もあるゆへに、左衞門がいはく、

「地藏堂の別当も、ゆふれいの御すがたを、よく見られ候。その日を、かぞへ候へば、けふ、六日になり候。」

と申す處に、

「明日、初七日の作善(さぜん)の用意あるゆへに、日數(《ひ》かず)、あふたり。さては、一ぢやうなり。」

と、いへり。

 しかれば、別当へ、ししやを、やり、香典(こうでん)をつかはして、

「かの亡者を、御とふらひ、たのみ入《いり》候。」

よし、申さるゝなり。

 そのあたりのしよにんの申《まうす》は、

「朝日名殿の女中は、へいぜい、けんどむ[やぶちゃん注:ママ。「慳貪(けんどん)」。欲深く、慈悲心を持たないこと。]の人にて、後生(ごしやう)をしらず、一紙半錢(《いつ》しはんせん)をも、ほどこす事なき人也。ぢごくに落ちらるへき[やぶちゃん注:ママ。]こと、うたがひなし。」

といへりと云〻。

 

梅崎春生「つむじ風」(その4) 「にらみ合い」

[やぶちゃん注:本篇の初出・底本・凡例その他は初回を見られたい。]

 

    に ら み 合 い

 

 事のおこりは些細なことであった。食べ物に関してである。

 食べ物に関してというと、終戦直後あたりには、肉親や友人間などでも、かなり深刻な争いがおきたりしたものだが、食糧事情の好転によってだんだんそんな事件も新聞紙上から姿を消して行った。

 だからこの事件も、食べ物のうばい合いから来たものではない。

 食べ物の食べ方から来たのである。

 その食べ方を批難され、その揚句の果てに、カッとして暴力をふるったのが、『三吉湯』というチェーンストア式の銭湯を紅営している、猿沢三吉という男であった。五十の坂を二つも越したというのに、年甲斐(がい)もなく暴力沙汰に出たというのも、よくよく腹に据えかねたのだろう。

 暴力をふるわれたのは、泉恵之助といって、やはり『泉(いずみ)湯』という一軒風呂屋の経営者であった。この男も五十二歳になる。

 職業も同じ、年齢も同じだったけれども、その他の点においてはこの二人は実に同じではなかった。対遮的(たいしょてき)といってよかった。

 三吉は背が低かった。五尺そこそこで、ずんぐりと肥っていた。胴体だけじゃなく、手足の指の先まで肥っていた。指が肥り過ぎているので、三吉は電話をかけることが出来なかった。指がダイヤルの穴に入らないのである。

 だから三吉は、電話をかける時には、指のかわりにシガレットホルダーとか、マッチの軸を束に使って、ダイヤルを廻した。

 それに反し、恵之助はやせていた。ひょろりと背が高く、五尺九寸五分もあった。指なんかも細長くて、関節なども一つぐらいは余分にあったかも知れない。

 指が長いから、鮨の立ち食いなどで、実に器用なスマートなつまみ方をした。

 恵之助は代々の東京人で、泉湯は銭湯としても相当のシニセであった。

 三吉は山国出身で、若い時志を立てて車京に出で来た。三吉は肥っているくせに、声はキイキイと甲(かん)高かった。

 恵之助はやせているくせに、声は低くしゃがれていた。

 三吉はがむしゃらな努力家で、また精力家で、二十歳で上京して以来、今では三軒の銭湯を経営している。まだまだ殖やして行く予定であるらしい。

 恵之助は親爺から引継いだ泉湯を、細々ながら経営している。別に事業を拡張しようという気はなく、現状を維持して行くだけで満足しているらしい。仕事に関しては消極的である。

 三吉の方は実に積極的で、女房の眼をぬすんで近ごろメカケを囲い、また営業用にと中古の自動車をも買い入れた。自分で運転もやるのである。

 恵之助はものぐさで、自転車すら持たないのだ。

 三吉は四人も子供をつくった。二十になる長女以下、みんな女ばかりである。

 それに反して恵之助の方は、息子がたった一人で、二十五歳になる。女房は十年前に、空襲で死んでしまった。後妻を貰わなかったのは、子供のことを考えたせいでもあったらしい。

 

 猿沢三吉と泉恵之助は、昔からにらみ合っていたわけではない。ついこの間まで、

割に仲が良かったのである。

 泉湯と三吉湯の地理的関係を言えば、そこを碁(ご)盤にたとえると、泉湯が天元の位置にあって、三軒の三吉湯が三つの隅を占拠しているという形になっている。つまり三方から囲んでいるというわけだ。[やぶちゃん注:「天元」「てんげん」で、碁盤の目の中央にある黒い星を指す語。]

 だから商売敵(がたき)という関係になっているのだが、大体風呂屋というものは、一軒あたりのお客がきまっていて、そう変動はない。今日はこの銭湯にしたから、明日はあの銭湯に行こうというようなお客はあまりないのである。そこで三吉と恵之助は、前述の如く、商売敵としていがみ合うことなく、割と仲が良かった。

 この両者は、風采や性格においては大へん異っていたが、ただ将棋(しょうぎ)が大好きだという点においてはピタッと一致していた。どちらもヘボ将棋で、勝ったり負けたりで、大へんな負けず嫌いで、そして自分の力量については大へんうぬぼれが強かった。

 ことに猿沢三吉は、同名の由をもって故坂田三吉名人を敬慕し、坂田名人のやり方にならって、第一手に端歩(はしふ)をつくのを得意としていた。端歩をついて、おほんとおさまりかえるのである。

 碁敵(ごっがたき)とか将棋敵というものは、相手におさまりかえられたり得意になられたりすると、はなはだしく腹が立つもので、腸(はらわた)が煮えくりかえるような気分になるものだ。

 で、その日もそうであった。

 その日というと、昨年のある日のことであるが、この両人の間で百一番将棋というのを企画し、丁度その百一番目の勝負の日であった。

 百番とせず、何故百一番将棋としたかと言うと、うっかりすると五十番同士の指し分けになるおそれがあったからだ。闘志あふるる両人にとって、勝負なしになることくらい面白くないこ九はない。

 その配慮通り、抜きつ抜かれつの激戦の後、百番まで打ち終ると両者とも丁度五十番ずつになっていたのである。

 これをもってしても、両者の技倆がいかに伯仲しているかが判る。

 では、この百一番将棋は、何年間、いや何ヵ月間かかったかというと、それがわずか十日間なのである。十日で百一番指そうというのだから、それも家業や仕事のあい間に指そうというのだから、いかに両人の指し手にスピードがあるかが判る。

 何故そんなにスピードがあるかというと、二人ともあまりにもヘボなので、考えることが何もなかったからである。条件反射的に駒を動かす、もっとも原始的な将棋であったのだ。

 その百一番目の勝負場は、泉恵之助の家の縁側で、時刻は夕方であった。

 これで勝負が決する重大な一番だから、さすがに二人は緊張して、先手の三吉は第一手を一分間ほど考えた。未曾有の大長考である。

「えい。やったあれ!」

 三吉は腕組みを解き、坂田名人もどきのかけ声をかけて、勢よく端歩をつき出した。

 恵之助はじろりと上目使いに三吉を見て、これまた一分間ばかり考えた。

 考える内容は何もないのだが相手が芝居がかりで来た以上、こちらも気取って見せないわけには行かなかったのだ。

 

 この百一番目の大勝負は、一時間余りもかかった。両人の勝負において、そんなに時間がかかったのは、空前のことであった。

 それは両者とも、一手一手を割に考えたせいもあったが、指し手の数が多かった故でもある。両者とも落手の顕発で、飛車だの角だのが何度、向うに取られたり取り返したりしたかは判らない。まさに波瀾万丈(はらんばんじょう)の一番だというべきであった。[やぶちゃん注:「落手」「らくしゅ」と読み、囲碁・将棋で「悪い手」を言う。]

 それでも猿沢三吉には、確実に敵将を取れる機会が一度だけあった。三吉の角が王手飛車をかけた時、恵之助は飛車の方を逃げたのである。

「しめた!」

 と敵将を取ろうとすると、その声で自分の失敗に気付いた恵之助が、あわてて飛車を元に戻し、王将を動かしたのである。

 三吉は肥っている関係上、動作がにぶいし、恵之助は指が長くて敏捷(びんしょう)だし、また自陣の内のことでもあるので、動きがちょっとばかり早かったのだ。

「ずるいよ。おい、そりゃずるいよ!」

 三吉は縁側をかきむしるようにして抗議したが、恵之助は聞き入れなかった。

「待ったは厳禁ということになってるじゃないか」

「待ったじゃないよ」

 大切な一番だから、恵之助もあとには退(ひ)けない。

「待ったというのはだね、君が指して、そのあとで訂正を申し込むのがそれだ。ところが君は、まだ指してないじゃないか。だからこれは、待ったではない」

「そりゃまだ指してないけれども、しめた、とかけ声をかけたじゃないか。あれで君は気がついたんだろ。だとすれば、あのかけ声は、角で王様を取った動作の代用品だといってもいいぞ」

「かけ声が代用品になってたまるか。それじゃあ、わしたちは、駒を実際に動かさないで、かけ声ばかりかけていればいいと言うことになる。そんなバカな話があるか!」

 三吉がどんなに力んでも、現実に敵将を取ったわけではないので、涙を吞んで抗議を撤回せざるを得なかった。

 三吉の腹は煮えくりかえって、角で敵の飛車をはらった。

 大体において勝負ごとというものは、カンカンになった方が負けというのが原則になっている。だから勝つために、相手を怒らせるという戦術もあり得るわけだ。しかしこの場合、恵之助は意識的にそれをやったのではない。三吉の怒りは自然発生的なものであった。

「ウヌ、ウヌ」

 頭から湯気を立で、カンカンになって駒を動かすたびに、三吉の形勢がだんだん悪くなって行くのだ。恵之助もけっこう悪手愚手を指しているのだが、三吉がそれに輪をかけた悪手愚手を指すのだから、それも当然である。

 とうとう三吉の王将は、自陣の片隅にぐいぐい押しつけられ、身動きも出来なくなってしまった。雪隠詰めというやつである。三吉は眉を吊り上げて、盤面をにらみつけた。

 坂田名人は、銀が泣いている、という名文句を残したが、ここにいたっては、王様がオイオイ泣いているように、三吉には感じられた。

「おい。何をしてるんだ。早く指さないか」

 恵之助は煙草をくゆらしながら愉快そうに催促した。

 三吉は自分の王将に手をかけた。千をかけたが、動かすところがないので、思い余った王様は盤からピョンと飛び降り、縁側をゴソゴソと這(は)って逃げた。

 

 いくらヘボ将棋とはいえ、王様が盤から飛び降りて逃げるのは違法である。すなわちこの百一番将棋は、五十一対五十で泉恵之助の勝ちになった。

「わしの一番勝ちだな。まったく天佑神助(てんゆうしんじょ)だった」[やぶちゃん注:「天佑神助」天の助けと神の助け。思いがけない偶然によって助かることの喩え。「佑」は「祐」とも書く。四字熟語としての用法は、調べる限りでは、ごく近代のもののようである。]

 駒をざらざらとしまい込みながら、恵之助は小鼻をびくびく勁かした。

「そうだ。まったくだ」

 猿沢三吉は口惜しげに相槌(あいづち)を打った。

「天佑神助でもなければ、君にはとても勝ち目はない。実力はもともとわしの方が上だからな」

「まあ何とでも言わして置くさ」

 勝ったものだから、恵之助は太っ腹なところを見せた。

「すこしおなかが空いた。何か食べに行くかい?」

「行ってもいいが、勘定はそっちもちだぞ」

 三吉はつんつんした声を出した。負けた腹いせに、せめて相手に経済負担をかけようという魂胆(こんたん)である。

「よろしい。おごってやる」

 恵之助はポンと胸板をたたいた。やせっぽっちの薄い胸だから、たたいてもたのもしい音は出ない。恵之助はのっそり立ち上った。つづいて三吉も。

 二人は街に出た。街を歩きながら、恵之助はいつもみたいに低いしゃがれ声でなく、浮き浮きした調子で話しかけてくるのだが、受け答える三吉の方のきんきん声は、いつものようには冴えないようであった。

 やがて恵之助は『勇寿司』と染め抜かれたのれんの店の前に足を止めた。のれんを頭で分けて入った。

「鮨(すし)でもつまむか」

 三吉も渋々とあとにつづいた。三吉は鮨という名の食べ物を、あまり好きではない。三吉の好物は中華料理や洋食、あるいはホルモン焼きのたぐいで、鮨だのソバだの海苔(のり)、つまり東京人が昔から好物としたものを、さほど美味(おいし)いとは感じないのである。やはり山国出身の故なのであろう。それに反して恵之助は関東土着だから、おのずから嗜好も定まっている。そういう点で、つまりソバ屋に入ってラーメンを注文するような三吉を、恵之助は日頃からやや軽蔑しているような傾向があった。

 この空腹を充たすのに、三吉は鮨では不満なのだが、相手のおごりということであれば、文句をつけるわけには行かない。

 二人はつけ台の前に腰をおろした。

「トロ。それからおちょうし一本つけて呉れ」

「わしはアナゴ」

 三吉が言った。

 恵之助は眉をしかめた。恵之助は東京っ子を自任するだけあって、鮨の食べ方もなかなかうるさい。

 恵之助の説くところによれば、先ずマグロとかヒカリモノのたぐいを食べ、つづいてアナゴのような煮物、最後に玉子焼きとかノリマキとか、あっさりしたもので終るのが定法[やぶちゃん注:「じょうほう」。]だというのである。戦前までは玉子焼きが最初だったが、今では違う。何故ならば、戦前は各自の店で玉子焼きをつくったから、それを食べればその店の味は判ったが、現今では大ていの店は河岸(かし)から既製品を買ってくる。既製品では、最初につまむ意味はないのである。

 恵之助は低い声でたしなめた。

「初めからアナゴをつまむやつがあるか」

 

 鮨の食べ方にもいろいろと説があって、必ずしも泉恵之助の説が絶対だというわけではなかろう。

 しかし猿沢三吉の食べ方は、いささか無手勝流に過ぎた。コースを無視してあれこれつまむのはいいとしても、つまみ方がスマートでない。

 恵之助のやり方は、つけ台に置かれた鮨の高い方の中央に人差指をあてがい、親指と中指ではさみ、醬油をつける場合は、それを器用にひっくりかえしてつけ、ぽんと口にほうり込む。そして種がかわるたびにガリ(しょうが)をつまんで、口内の味を消す。

 一方三吉のつまみ方は、いきなりわしづかみである。恵之助の指は長くてスマートだが、三吉の指はずんぐりしているから、どうしてもわしづかみになる。

 醬油をつける場合は、一たん種[やぶちゃん注:「ねた」。]をシャリ(飯)からひっ剝がし、つけてからまた元のシャリに乗せ、それから口にほうり込むという段どりになる。

 ガリも種がかわる度には食べない。ひとまとめにして、ぐしゃっと食ってしまうのだ。

 そういうやり方を、恵之助が黙って見逃すわけがない。大いにヒンシュクしたそぶりで、一々口に出してたしなめる。ヒンシュクするなら連れて来なければいいのに、やはり連れて来るというのも、三吉のそのやり方をたしなめることによって、自分の通人ぶりを確かめるのが楽しかったのであろう。

 この日もそうであった。

 いつもなら三吉も、それほど立腹したりはしないのだが、生憎(あいにく)とその日は将棋に負けている。食べながらだんだん不愉快な顔付きになってきた。

「そう一々はたから口を出すなよ。何をつまもうと、わしの勝手じゃないか」

「そういうわけには行かないよ。洋食だって、中華料理だって、チャンと順序がきまってるじゃないか。コーヒーや果物を先に食べ、最後にスープやオードブルを食べる奴はあるまい。中華では、鯉の丸揚げ……」

「うるさいな。中華と鮨とは違うよ」

「違わないよ。そら、またガリをわしづかみする。ガリなんてえものは、ほんのちょっぴりつまむもんだ」

 三吉の眼はすこしずつ据(す)わってきた。将棋に負けた上、さんざんたしなめられては、面白くないにきまっている。

 それと同時に、三吉の鮨のつまみ方はだんだん早くなっできた。

 恵之助のコースは今や煮物の段階に入っていた。

「ギャレージ」

 恵之助は注文した。シャコのことをギャレージと呼ぶのも、あまり好い趣味ではない。

「わしにもそのゾーリ虫を!」

 三吉が恵之助のその注文に便乗した。

 恵之助がじろりと三吉をにらみつけた。

「ゾーリ虫はいけないね。ゾーリ虫は!」

 恵之助も少々腹を立てたらしく、声が高くなった。

「いくら無手勝流でも、ゾーリ虫はいけないよ。ちゃんとシャコと呼べよ」

 三吉は黙ってシャコを口の中にぐいぐい押し込んだ。そしてつづけて言った。

「トロにイカにエビ。それにも一度ゾーリ虫をつけて呉れ!」

「へい」

 鮨屋は勢いよく返事して、手さばきを早めた。

 

 泉恵之助のコースは最後の段階。あっさり物のノリマキに入っていたが、猿沢三吉はあれこれ注文、ぐいぐいと口に押し込む。何かに憑(つ)かれたような食い方なので、恵之助も呆れて忠告した。

「おいおい。一体いくつ食べるつもりなんだい。先刻から数えてると、もうそれで二十四個目だぜ」

「エビ!」

 それを黙殺して三吉は注文した。

「シャリは半分にして握って呉れ」

「へい」

 タネだけ大きくシャリ半分の鮨が、つけ台に並べられた。三吉はそれをエイと口にほうり込み、両手で胸から腹に撫でおろすようにした。

「エビ。今のと同じくシャリ半」

 恵之助の顔色がさっと変った。食いに食って相手に損害を与えようという三吉の魂胆を、やっと見抜いたのである。彼は声を高くした。

「将棋に負けたからといって、ヤケ飯を食ったりして、みっともないぞ」

「エビ!」

 三吉はふたたび黙殺した。

「シャリは四半分にして呉れ」

「よさないか。いい加減に!」

 恵之助は自分のノリマキをつまむのも忘れて怒鳴った。

「お前さんの魂胆はちゃんと判ってるぞ。うんと食べて、わしに大散財をかけて、意趣ばらししようてんだろう。だから、一番高いエビなんかばかり食べていやがる!」

「ゾーリ虫!」

 三吉は今度はシャコに転向した。

「シャリはやはり四半分」

「三十二個目だぞ。ほんとによさないのか」

 恵之助はそろそろふところが心配になってきたのだろう。しきりに足踏みをした。

「いい歳をして、みっともない真似はよせ。腹も身の内だぞ!」

「エビ!」

 三吉も負けずに声を張り上げた。

「シャリ抜きにして呉れ」

「シャリ抜きなんて、そんなバカなことがあるか。それはもう鮨じゃない。わしはお前さんに、鮨はおごってやる。しかしシャリ抜きで食うんなら、その分は自分で払え!」

「じゃあ飯粒三つくっつけて呉れ!」

 鮨屋はあまりの成り行きに、きょとんとしていたが、三吉の語調の荒さに、あわてて飯粒三つをまぶして、つけ台に差出した。

 しかし三吉はそれに直ぐには手を出さなかった。遠慮したのではなく、鮨が咽喉(のど)までつまっていたからである。最後の方はシャリは小さくなったが、通計三十四個という鮨は、五十二歳の三吉にはやはり多週ぎた。

「こ、これは折に詰めてくれ」

 三吉は情なさそうな声を出した。

「お土産に持って帰る」

「お土産まで持って行くつもりか?」

 とうとう恵之助のかんしゃく玉が破裂した。

「それでお前さんは人間か。人間なら人情というものがある筈だ。お前は山猿だ!」

「なに。山猿だと?」

 山猿の一言でカッとなった三吉は、飯粒つきのエビをわしづかみにして、恵之助の顔にはたきつけた。

「何をしやがる!」

 恵之助も我を忘れて、ノリマキを三吉めがけて投げつけた。

 かくして二老人は飯粒だらけになり、自分たちの年齢も忘れて、わめきながらつかみ合った。

 猿沢三吉と泉恵之助のつかみ合いは、鮨屋や店に居合わせた客たちの手によって、またたく間に引き分けられた。つかみ合いといっても、片や六尺、片や五尺そこそこだから、うまくつかみ合えず、そこをたちまち引き分けられたので、両者とも別に負傷はなかった。

 両者とも亢奮(こうふん)して、肩で大きく呼吸をしながら、おろおろ声で相手をののしり合った。

 ことに三吉は、山猿と呼ばれたことがよほど口惜しかったらしく、殿中の内匠頭(たくみのかみ)もどきに引き留められながら、

「言いやがったな。この俺のことを、ヤマザルと言いやがったな。覚えてろよ。かならずうらみは晴らして見せるぞ!」

 大わめきにわめいて、店の外に押し出されて行った。

 あとに残された恵之助も、しきりにわめき返していたが、相手が店の外に消えてしまうと、急に心配顔になって自分の脈をはかり、それから突然心悸亢進(しんきこうしん)をおこして、三十分ばかり小座敷に横になってあえいでいた。

 一方表に引き出された三吉も、ふと我にかえり、急に自分の血圧のことが心配になり、いかほどの距離もないのにタクシーで帰宅、薬箱から薬を出して服用、これも蒲団をしいて横になっていた。

 そんなに自分の身体が心配なら、初めから喧嘩しなければいいのにと思うのだが、とかく明治生れの人間には、こういう不条理な意地っ張りな傾向があるようだ。

 心悸亢進がようやくおさまった恵之助に、鮨屋が代金を請求したところ、

「あんな無礼な山猿の分まで払えるか!」

 といきり立ち、また心悸亢進をおこしそうになったので、鮨屋の方で折れて、代金はいらないかわりに、向う十日間鮨屋一家がタダで泉湯に入る、ということでけりがついた。丁度お客が立てこむ時刻だったし、こんなにひょろ長い爺さんに小座敷を占領されては、商売にさしつかえるのである。

 一方三吉は丁度その頃、妻のハナコと四人の娘を枕もとに呼び寄せ、訓戒をたれていた。

「いいか、以上のようないきさつで、わしは泉と絶交することにした。もうあんな奴とは、将棋も指してやらんし、道で逢ってもそっぽを向いてやるつもりだ。なあ、ハナコ。お前の亭主がこんな目に合わされたんだから、お前も泉の野郎にそっぽを向いて呉れるだろうな」

 ハナコは唇を嚙んで大きくうなずき、亭主と行動を共にすることを約した。ハナコは三吉に対して、大へんなヤキモチ焼きであって、その点においては三吉は大の恐妻家であったが、なにぶんハナコも明治生れであるので、大元[やぶちゃん注:「おおもと」。]のところではいつも夫唱婦随の原則が守られるのである。

 三吉は寝返りを打って、今度は四人の娘に顔を向けた。

「いいか。今話したように、お前たちのお父さんがこういう目にあった。だからお前たちも、そっぽ向けよ。泉の親爺に対してだけでなく、泉の息子に対してもだ。あの息子、バカ息子、何と言う名だったかな。ああ、そうだ。竜之助だ。泉竜之助」

 長女の一子(かずこ)と次女の二美(ふみ)は、顔を見合わせて、けらけらと笑い出した。三女の三根(みね)と四女の五月(さつき)はまだ小学生だから、きょとんとしている。

 三吉の娘の名は、生れた順に、一、二、三、と数字を使用してあるが、四女が五月となっているのは『四』は縁起が悪いので欠番となっているのである。三吉夫婦は縁起かつぎ屋であった。

 

 一子と二美が顔を見合わせてけらけらと笑ったので、猿沢三占はむっとして、むくむくと起き直った。

「何で笑う。笑いごとじゃありませんぞ」

「だって、これ、お父さん同士の喧嘩でしょ」

 二十歳になる長女の一子が言った。

「あたしたちとは関係のない話だわ。ねえ、二美ちゃん」

「そうよ。そうよ」

 二美も唇をとがらせた。この子はまだ十六歳だが、セーターを着ているので、胸のふくらみが目立つ。桜で言うと、四分咲ぐらいにはふくらんでいるのである。

「お父さんたち同士で喧嘩する分にはあたしたち、何も言やしないわよ」

「そうよ。それをあたしたちまで引きずり込もうなんて、フェアプレイじゃないわ。インチキよ」

「泉の小父さんだけでなく、竜ちゃんにまでそっぽ向けなんて、横暴もはなはだしいわ。そんなの、人権ジュウリンよ」

「何を言うかっ!」

 娘たちにさんざん言いまくられて、三吉はカッとなって、蒲団の上に立ち上ろうとした。子ぼんのうの三吉のことだから、ふだんならカッとなったりしないのだが、そこはそれ、さっきの鬱憤(うっぷん)が、娘たちの言葉でふたたび誘発されたのである。

「まあ、あなた」

 ハナコが三吉に取りすがった。

「どうしたんですよ。プンプン怒ったりして。血圧にさわりますよ。さあ、お前たち、早くあっちに行きなさい」

 一方泉恵之助も大急ぎで帰宅しながら、猿沢一家と絶交のことを、竜之助に言い聞かせねばならぬと考えていた。この世のオヤジたちの考えることは、大体において同じようなものである。

 竜之助は今年で二十五歳になる青年で、恵之助にとっては目に入れても痛くない一人息子だが、恵之助にとって遺憾(いかん)至極なことには銭湯業の跡を継ごうという気持を全然持っていないらしいのである。銭湯業が職業として有利なこと、泉湯というのは伝統あるシニセであることなどを、時あれば説き聞かせるのだが、竜之助は面倒くさそうに耳をかそうとしない。

(大学なんかに入れなきゃよかったんだ。風呂屋稼業に、学問なんか要るものか。学校に入れたばかりに、ゲイジュツなんかに凝りやがって!)

 まさしく竜之助はゲイジュツに凝りかたまっていた。ゲイジュツと名のつくものには、それが文学であろうと新劇であろうと、カメラであろうと前衛書道であろうと、何にでも竜之助は興味をもよおすのである。

 泉宅は泉湯の裏に隣接して、建てられていた。くぐり戸をくぐって帰宅、恵之助は足音も荒く、息子の部屋に歩いて、障子をがらりと開いた。竜之助の姿は見えなかった。

「また西洋芝居かヤキトリ酒場に出かけたに違[やぶちゃん注:「ちげ」。]えねえ」

 恵之助はにがにがしげに呟(つぶや)いた。

「それにこの部屋の乱雑なこと。すこしは片付けたらどうだ。本は出しっぱなし、新聞紙は散らかしっぱなし。障子までが穴だらけじゃねえか。まさか『太陽の季節』の影響じゃあるまいな?」

 ゲイジュツには無縁の恵之助老ですらも、この高名な小説にだけは目を通しているのだから、大したものである。

 

 以上のようないきさつで、泉家と猿沢家は、いや、泉恵之助と猿沢三吉夫妻は、完全なにらみ合いの冷戦状態に入った。息子や娘たちは、それぞれの父親から叱責され、あるいは説得されて、一応にらみ合いを承諾したが、それはうわべだけで、真剣ににらみ合う気持はなかったようである。

 にらみ合い状態に入ったのは良かったが、三吉も恵之助もひとつだけ困ったことがおきた。

 それは将棋が指せないことである。

 そんなに将棋が指したいなら、将棋会所にでも行けばいいのにというだろうが、それはそういうわけには行かない。二人ともあまりにへぼ過ぎて、相手になるのがいないのである。強過ぎて相手がいないというのはあるが、弱過ぎて相手がいないというのはめずらしい。

 それでは駒を落して貰えばいいではないか。それもそんなわけには行かない。両人とも将棋に関しては自尊心が強いのだから、駒落[やぶちゃん注:「こまおち」。]将棋なんて論外の沙汰である。

 長年二人で指し合っていたのだから、煙草のみがニコチン中毒になるように、二人とも将棋中毒にかかっていた。

 自分たちが中毒症状にあるということを、あの鮨屋騒動の翌日か翌々日ごろから、彼等はそれを自覚し始めた。

 勝負ごとというものは、碁にしてもゴルフにしても玉つきにしても、多かれ少かれそういう傾向を持っている。たとえば玉つきの習い始めあたりには、道行く人が玉つきの玉に見えたりするものだ。

 この両人の場合もまさしくそれであった。

 番台に坐っていても、脱衣所の裸の男性、あるいは裸の女性が、ふと将棋の駒に見えてくるのである。猿沢三吉の方は、それでも稀代の商売熟心だから、はっと我にかえり、イヤイヤこれは一個十五円也のお客様だ、と気を取り直すが、それでもまたぼんやりしていると、たちまち将棋の駒に見えてくるのである。

 中毒もここまでくるとおそろしい。

『あなたは。将棋がやめられる』というような本でもあればいいが、どの書店を探しても、そんな本なんか売っていやしない。

 番台に坐って、女湯の脱衣所をながめながら、あの駒をこう動かすと、向うがこう動く、するとこちらがこうやって王手飛車、なんて考えたりするものだから、自然に眼が据わって、そこらの金棒引きが、泉湯の旦那と三吉湯の旦那は鮨屋で喧嘩して以来気が変になったようだよ、と噂を立て始める始末であった。[やぶちゃん注:「金棒引き」「かなぼうひき」「鉄棒曳き」とも書く。金棒(頭部に幾つかの鉄の輪を附けた、長い杖のような鉄の棒。夜回りや修行者たちの行列の先頭に立つ者などが地面に突いて鳴らして歩く棒)を突き鳴らしながら夜警などをすることや、その人を指すが、転じて、「噂(うわさ)などを大袈裟に触れ回る人」の喩え。]

 かくてはならじ、と両者が反省し始めたのが、約一ヵ月後である。にらみ合っているのだから、相談して反省したのではない。五十二歳における反省期がおのずから一致したのだろう。

 泉恵之助は謡曲を始めた。謡曲によって、将棋中毒をごまかそうというのである。煙草に替うるにチューインガムを以てするようなものだ。

 猿沢三吉は自動車の運転を始めた。

 知合いのタクシー業者から、五十年型ダットサンを三万円で譲って貰って、せっせと教習所通いを始めた。相当のおんぼろ車ではあるが、それにしても自動車一台三万円とは、破天荒の安値である。万一のことを考えて、三吉は金だけを払って、登録はまだタクシー会社に止めて置いた。

 

 猿沢三吉がなぜ五十の手習いとして自動車運転を始めたか、これには深い仔細(しさい)がある。自動車を所有するというのが、年来の彼の宿望であった。

 話は三十年前にさかのぼるが、三吉は山国を出て、志を抱いて上京、とある風呂屋に三助として住み込んだ。三助稼業にはげみながら、将来はひとかどの銭湯主[やぶちゃん注:「あるじ」。]たらんとの夢を見ていた。

[やぶちゃん注:「三助」元来は江戸時代の下男・小者(こもの)などの奉公人の通称で、「三介」とも書いた。この「三」は炊爨(すいさん:飯を炊くこと。)の「さん」の意である。飯炊き、その他雑用に従事したからで、下女を「おさん」とも呼んだ。その後、「三助」と言えば、一般に「銭湯の下男」を指すようになったが、このような呼称は享保(一七一六年~一七三六年)頃からとされる。田舎から、同郷などの縁故を頼って奉公する若者で、越中・越後の出身者が多かった。見習いの間は、昼は焚木(たきぎ)とか古材などの燃料になるものを集め、夕方からは、下足番を勤めた。二、三年して釜焚(かまた)き番をしながら、流しに出るようになって初めて「三助」と呼ばれるようになった。流し専用の桶を用意し、湯銭のほかに、流し代を払った浴客の注文により、その専用桶を使って背中を流した。昭和の初め頃でも、一人前の三助になるには普通十年はかかった。年季を積むと番頭になるが、番頭は主人の代わりに番台にも座り、技術を覚え、資金を蓄えて三十歳前後に独立して銭湯の経営者になるのが普通とされていた(小学館「日本大百科全書」に拠った)。事実上の正統な三助の最後の方は二〇一三年に引退されている。但し、その方の直伝を受けたサービスが残っているところが、三箇所残っているそうである。サイト「温泉部」の「【生ける伝説】三助とは?江戸時代からの歴史や現在の使い方まで」を見られたい。]

 その頃の三吉もずんぐりして、指も太くて短く、決して器用な三助ではなかったが、働きぶりが実直で、主人にも可愛がられていた。

 住み込んで一年経った時、御仕着せとして主人が三吉に、一着の背広をつくって呉れた。自分が背広を着ることになろうとは、夢にも思わなかったことだけに、三吉の喜びようはひと通りではなかった。

 彼の生国[やぶちゃん注:「しょうごく」。]では、背広を着用しているのは、小学校の先生だけなのである。

 その神の如き小学校の先生と同じものを着ている。浴場の大鏡に自分の背広姿をうつし、と見こう見、倦きず打ち眺めて、若い三吉の胸はわくわくと弾んだ。自分の身体には背広はあまり似合わないようだなと、うすうすと感じはしたけれども、現実に背広を着用したという喜びが、そんなささやかな憂いなど一蹴した。

 そして三吉は意気揚々、外出した。

 外出して、恋愛映画を見て、その帰途、自動車に泥水を頭からひっかけられたのである。アッと避ける間もなく、新調の背広はぐしょぐしょに泥だらけとなった。

 その日が雨上りだったことも、三吉の不幸の一因であったが、それにしても三吉は不注意に過ぎた。映画の中の恋愛の後味、活弁の説明文句などを反芻(はんすう)しながら、呆然として歩いていたのがいけなかったのである。

「ちくしょょょっ!」

 三吉は両手を拳固にして振り上げ、大わめきにわめきながら追っかけたが、もちろん追っつけるものではない。追い疲れてハアハアあえぎながら、若い三吉はこう決心した。

(畜生! 俺は一生かかっても、自家用自動車の持主になって見せるぞ!)

 自動車に泥水をひっかけられて大悟一番、日本の道路の改良に一生をささげようと決心するとか、タイヤの泥除けの発明に志すというのなら話は判るが、一生かかって自家用車の持主になり、諸人に泥をひっかけてやろうと志すのは、不穏当のように見えるけれども、資本主義興隆期の明治に生れた人間の中には、間々(まま)こういう考え方をするのがいるのである。それは当人の育った環境や時代のせいであって、決して三吉ばかりを責めるわけには行かない。

 泥水をかぶってしょぼしょぼと戻り、主人には叱られ、同僚にはわらわれたが、三吉は押し黙って、一言の弁解だにしなかった。

 その日以来の宿願であるし、妻のハナコと寝物語にも、そのことはしばしば話してあるのであるから、自動車購入に対しては、ハナコもむげには反対しなかった。

 風呂屋稼業に自動車は必要というものでないし、いわばゼイタク品だから、ハナコは主婦の立場として、ただ予算を削減(さくげん)したまでである。

 その削減の結果が、中古品の三万円の五十年型ダットサンということになって現れた。三万円といっても、ガソリンさえ入れれば、ちゃんと人を乗せて動くのである。

 

 生来あまり器用でないこと故、猿沢三吉の運転術会得(えとく)は難渋を極めたが、しかし熱心がそれをおぎなって余りあった。やがて三吉はすっかり習得して、運転免許証を取った。

「とうとうわしも免許皆伝(かいでん)となったよ」

 免許証が下付された日に、三吉はよほど嬉しかったのであろう、妻子をその自動車に満載して銀座ヘドライブ、一流の中華飯店に案内して妻子を嬉しがらせた。ところがその席上で、三吉はうっかりと口を辷(すべ)らせてしまったのだ。

「さあ。かねがね望んでいたことが、やっとこれで一つかなったぞ。残るはあと一つだ」

「もう一つの望みって、何?」

 聞きとがめたのは、長女の一子(かずこ)である。それで皆の視線が三吉に集った。

「いや、なに、その――」

 三吉はへどもどと口ごもった。妻のハナコが傍から口を出した。

「まだ望みがあるの。それじゃここでおっしゃい。あたしだってガリガリじゃないんだから、事によっては、たすけて上げますよ」

「うん。そ、それは、ありがとう」

 三吉は眼を白黒させて、礼を言った。が、望みの内容は言わなかった。言わなかったのではなく、言えなかったのである。残る一つの望みとは、メカケをつくることだったのだからだ。

 やはり話がまた三十年前にさかのぼるが、三吉が三助時代、その風呂屋の主人はメカケを一人畜えていて、三吉は一度だけそのメカケのところに使いに出されたことがある。それはただ一度だけであった。何故ならば、そのメカケが主人に向って、

「あんな不細工な男、見ると食欲がなくなるから、使いに出さないでよ」

 と寝物語に及んだからである。次の日の主人の晩酌時に三吉は呼ばれて、

「あの子がお前のことを不細工だと言いおったよ」

 と夫妻から大笑いに笑われた時、三吉は歯を食いしばってそれに耐えた。そして心中固く決心した。

(畜生! 俺は一生かかっても、メカケの持主になって見せるぞ!)

 他人のメカケからはずかしめられて、廃妾論者になるのではなくて、自分が蓄妾の身分になろうと決心するところに、三吉の面目があった。自動車から泥水をかけられて、自動車の所有を決心したのと、同じ論理であり、同じ心理なのである。

 この二つの望みの中、自動車の方は、三吉はハナコにかねがね寝物語などで含めて置いたから成功したのだが、もう一つの方はそういうわけには行かない。ハナコという女性は、結婚当初から極度に悋気(りんき)深くて、女中なんかと立話していても、たちまち角を生やすのである。メカケのことなんか切り出したら、どう言うことになるか判らない。

 それにハナコは女学生時代、砲丸投げと高飛びの選手で、夫婦喧嘩でも三吉はいつも負けるのである。それに近頃テレビでプロレスに熱狂、それも鑑賞の域にとどまらず、保健のためと称した、一子(かずこ)相手に練習なんかもしているのだ。しまい湯のあとの脱衣所にマットをしき、どたんばたんとやっている。ハナコの得意とするところは、彼女の言によれば、空手チョップと飛び蹴りである。昔日[やぶちゃん注:「せきじつ」。]高飛びの選手だったのだから、彼女の飛び蹴りは相当の威力があった。

 ハナコは鯉の丸揚げをガリガリ嚙みながら、三吉をじろりと見た。

「ねえ。もう一つの望みとは、一体なに?」

「そ、それはだね」

 猿沢三吉はすでに満腹しているくせに、質問をはぐらかすために、箸の先で鯉の尻尾のところをがりがりとむしった。

「もう一つの望みというのは、つまり、なんだね、商売繁昌ということだ」

 三吉はそう言いながら、脇の下から冷汗が流れ出るのを感じた。

 これが率直に、実はメカケを持ちたいのだと言えたら、どんなにかいいだろう。三十年前に仕えたあの風呂屋の主人一家のことが、三吉にはしみじみとうらやましかった。あの風呂屋主人の蓄妾は、妻君も公認のものであった。あの妻君には子供が出来なかったから、そこでメカケを公認したのだが、その点においては三吉もいささか言い分がある。ハナコは子供を産むには産んだが、そろって女の子ばかりで、あととりになる男子を一人も産まなかったのである。

(その点において、おれはメカケを持つ権利があるぞ!)

 時に三吉は心の中で、声なき声を張り上げるのだが、もちろん口に出しては言わない。そんなことを言ったら、飛び蹴りと空手チョップで、ハナコから半殺しにされるおそれがあるのだ。

「商売繁昌だって?」

 ハナコはいぶかしげに、じろりと三吉を見た。

「今だって結構商売繁昌してるじゃないの」

「うん繁昌はしてる。してるがだ」

 三吉は箸を置いて、四人の娘たちの顔を見廻した。娘たちは両親の会話に耳もかさず、おそるべき食欲をもって、しきりに箸で鯉の丸揚げの攻略に取りかかっている。その攻略の烈しさは、まるで南米アマゾン河産の猛魚ピラニアの攻撃ぶりを思わせた。

「実はわしの風呂屋を、もう一軒だけ殖やしたいのだ。それが数年前からのわしの念願なんだよ」

「もう一軒?」

「そうだ。四軒にしたいのだ」

 やっとごまかせる見通しがついたので、三吉はごくりとお茶を飲み、また四人の娘たちか見廻した。

「つまりだな、わしとお前の間に、四人の娘がいる。すくすくと育って呉れて、わしは大変ありがたいと思っているが、そのわしがだな、脳出血かなにかで、ある日コロリと……」

「縁起でもない!」

 ハナコは眉をひそめた。

「そんな縁起でもないことを……」

「いやいや、そうでない。老少不定という言葉もある。人間の生命は定まりないもので、年齢と関係なく、人間というものは何時死ぬかは判らないのだ。そこでこのわしが死ぬと、遺産の分配もしなけりゃならん。な、判るな。娘が四人もいるのに、いかんせん、わしの風呂屋は三軒しかない。三を四では割れないことは、小学生でも知っとる」

「判りました」

 ハナコは嬉しげに大きくうなずいた。

「それはいい望みです。あたしゃまた大それた望みじゃないかと思って……」

「大それた望みなんか、このわしが持つわけがないじゃないか。たとえば、代議士に打って出たいとか、メカケを囲いたいとか――」

「メカケ?」

 代議士の方はとがめずに、メカケの方を聞きとがめた。

 三吉はあわてて、

「いや、なに、たとえ話だよ。世の中の奴は、一応身代が落着くと、すぐメカケを囲いたがるもんだが、そんなのとわしを一緒にされちゃ困るよ。ワッハッハア」

 

 中華飯店を出て、また女房子供をオンボロ自動車に満載し、猿沢三吉は帰途についた。免許証取りたての三吉の腕にすら、ハンドルが重く感じられたのであるから、いかに彼女らが盛んな食欲をもって、モリモリと料理を詰め込んだかが判る。往路よりも復路の方が、一人分ぐらい余計乗っけたような重量感があった。

 帰途も娘たちはキャアキャアとはしゃいでいたが、ハナコはへんにむっつりして、運転席のそばにでんと腰をおろしていた。

 往路はハナコも浮き浮きしていたのに、帰りにそんな態度を取られれば、三吉といえども気にせざるを得ない。

(はて、さっき、メカケという言葉を口辷[やぶちゃん注:「くちすべ」。]らせたのが悪かったのかな。でも、あれはたとえ話なんだからな。おれがメカケを囲おうというんじゃなくて、とかく世の中の男にはそんな傾向がある、と言っただけなんだからな。怒られる筋合いはない)

 実際怒られる筋合いはなく、また実際にハナコは怒っていなかったことは、その夜に判った。

 三吉が夜遅く自室で、パチパチと算盤(そろばん)を弾(はじ)いていると、ハナコが手提(てさげ)袋をさげてのっそりと入って来た。顏が緊張し、

眼が据(す)わっているので、三吉はギョッとした。

「おい。どうしたんだい?」

 ハナコは三吉と膝をつき合わせるようにして、どしんと坐った。

「あなた。先ほどはあいの中華飯店で、たいへんいいことを言って下さいました」

 そしてハナコは三吉の膝をポンと叩いた。

「実はあたしも、あれと同じようなことを考えてたのよ」

「あれというと?」

 メカケのことかと、三吉はぎくりとした。

「あれですよ。一軒殖やすという話ですよ」

「あっ、そうだ、そうだ。いかにもわしはそう言った。お前も同じ考えか?」

「そうよ。全然同じなのよ。夫婦一身とはよく言ったものねえ」

 ハナコは嬉しげに身をくねらして、ながし目を使った。

「あたし、あなたに、実はお詫びしなくちゃならないことがあるのよ」

「何だい、それは?」

 メカケのことでないと判ったから、三吉はほっと安堵して、にやにや顔になった。

「お詫びしようかしまいか、帰りの自動車の中でいろいろ考えたんですけどね、やはりお詫びをした方がいいと思って――」

 何か重大な話らしいので、三吉もやっとにやにや顔を引きしめた。

「実はあたし、万一のことを考えて、終戦以来相当なヘソクリをこしらえたのよ」

「ヘソクリ?」

「そうよ。万一のことがあったら困るでしょう。それにヘソクリをヘソクリのままで持っているのは全然妙味がないでしょ。だからあたし、昨年、それを全部土地に投資したのよ」

「おいおい。いつの間にそんなにへそくった?」

「でもね、今日あなたの話を聞いて――」

 ハナコは三吉の反問を無視してつづけた。

「あたしは全く感動したし、それに、山内一豊の妻のことを考えたりしてね、打ちあける気になったのよ。その土地、丁度(ちょうど)風呂屋を建てるのに、適当な場所だし、広さも打ってつけなのよ」

 ハナコは手提袋をがさがさと拡げた。

 

 猿沢三吉は仰天した。

 こともあろうに、土地を買うほどへそくられていたとは、夢にも知らなかったからであるで。三軒の銭湯からの上りは、三吉がちゃんと管理しているのだから、そこからどうやってへそくったか、これはもう魔術という他はない。

「一体お前は、どういう方法で、そんな巨額の金を、おれからかすめ取ったんだい?」

「かすめ取っただなんて、人聞きの悪いことは言わないでよ」

 ハナコは手提袋から、がさごそと書類らしきものを取り出した。

「小額のヘソクリをモトにして、あとは株で殖やしたんですよ」

「へえ。大肌不敵なことをするもんだな。で、その土地というのは一体どこだい?」

「そら、泉湯さんから東ヘ一町半ばかり行った……」

「泉湯さんはやめろ。泉湯と言え!」

「ええ、あそこの角に空地があるでしょう」

「子供なんかがよくキャッチボールをしてるところか」

「そうよ。あそこよ。いい場所でしょ」

 ハナコは勢いこんで膝を乗り出した。

「あそこに風呂屋を新築すれば当るわよ。あそこら、近頃、どんどん家が建ってるでしょう。あたし、この間行って調べたんだけど、たいてい十二坪かそこらの小住宅で、浴室なんか持ってないようよ。だから当るわ。そのかわり泉湯さん、いや、泉湯はちょっと客足が落ちるかも知れないけれど」

 三吉は大きく呼吸をして腕を組んだ。そして天井を向き、泉恵之助の顔を思い浮べた。

 あの鮨屋事件以来、しばらくの間は、三吉と恵之助は道で会っても、プンとそっぽ向く状態がつづいていたが、近頃ではそのにらみ合いの状態が、更に悪化する傾向にあったのだ。

 考えれば考えるほど憎らしくなってくるので、ある日三吉は道で恵之助とすれ違いざまに、舌をぺロリと出してやったのである。

 その時恵之助はプンとそっぽ向いていたのであるが、そっぽ向きながらも、横目で三吉の挙動をにらんでいたらしい。

 その次に道で出会った時には、今度はいきなり恵之助の方からアカンベーをした。

 その次の出会いでは、両者は同時にアカンベーをした。

 その次の出会いでは、アカンベーばかりでは芸がないと思ったのであろう、恵之助はやや手の込んだ仕草をした。両手の人差指で空に四、五回輪を描き、次に両掌をパッとひろげて、それから白い歯をむき出してわらったのである。

 恵之助のつもりでは、お前はクルクルパーだという仕草であったが、三吉はそう取らなかった。

 掌のひろげ具合だといい、歯のむき出し方だといい、そっくりお前は山猿だ、と諷(ふう)しているのだと解した。

 だから三吉の全身の血は逆流した。あの日以来、いや、それよりずっと以前から、三吉には山猿コンプレックスがあったのである。

「ちくしょうめ!」

 三吉は腕組みをといて、自分の膝を拳固でなぐりつけた。そしてその痛さに顔をしかめながら言った。

「ひとつ、でんと建ててやるか。そうすればあの背高ノッポも、音(ね)を上げるだろう。音を上げて、わしにあやまりに来るだろう。ざまあ見ろだ!」

2023/07/07

佐藤春夫譯「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」正規表現版 「もみぢ葉」靑溪小姑

[やぶちゃん注:書誌・底本・凡例等は初回を見られたい。本篇はここ。]

 

  も み ぢ 葉

            日  暮  風  吹

            落  葉  依  枝

            寸  心  丹  意

            愁  君  未  知

                 靑 溪 小 姑

 

日はくれ風ふき

枝に葉は落つ

もゆる思ひは

君に知られず

 

   ※

靑溪小姑  五世紀。 宋の秣陵尉(まつりやうい)蔣子文(しやうしぶん)の第三妹である。 靑溪はその居住の地名で小姑(せうこ)といふのは學藝ある貴婦人に對する敬稱である。 簡素な文字のなかに情感の溢れてゐるのを見る可きである。

   ※

[やぶちゃん注: 調べたところ、標題は「落葉」である。

・「秣陵尉蔣子文」「秣陵」現在の南京市。後漢時代の同所の県の県長相当の人物。かの四世紀に東晋の干宝が著した志怪小説集「捜神記」の巻五の冒頭で、死後、土地神となって、永く民から祀られた話が載る。

 以下、推定訓読を示す。

   *

 落葉(らくえふ)

日 暮れ 風 吹き

落ち葉するも 枝(えだ)に依(よ)るあり

寸心(すんしん)の丹意(たんい)

愁(うれ)ふ 君の未だ知らざるを

   *

・「寸心」ちっぽけな私の心。

・「丹意」赤心。真心。ここは燃えるような恋心。]

奇異雜談集巻第四 ㊁下總の国にて死人棺より出て靈供の飯をつかみくひて又棺に入る是よみがへるにあらざる事

[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい。]

 

   ㊁下總(しもふさ)の国にて死人《しにん》棺(くわん)より出《いで》て靈供(りやうぐ)の飯(いひ)をつかみくひて又《また》棺に入る是《これ》よみがへるにあらざる事

 同(おなし[やぶちゃん注:ママ。])人[やぶちゃん注:前話を語った「ある人」と同一人物。]、語りていはく、行脚の僧、一人、下總の国において、山家(《やま》が)を行(ゆく)に、日、すてに[やぶちゃん注:ママ。]、くれて、小家《こいへ》のうちに、人のなくこゑ、きこゆ。

 家《いへ》、おほからざるゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に、此家に行《ゆき》て、一宿(《いつ》しゆく)を、かる。

 家主(《や》ぬし)、僧をよびて、いはく、

「宿(やど)を貸し申《まうす》べし。それがしのおや、死去(しきよ)す。他所(たしよ)の寺へ、僧をよびに、つかはし候。つかひ、いまだ、かへらず候。僧、らいりん[やぶちゃん注:「來臨」。]あらば、引導させ申すべし。もし、來臨、なくんば、御僧を、たのみ申すべし。先《まづ》、内へ、御入りあれ。」

と申すゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に、僧のいはく、

「かくのごときの事、出家のやくなり。」

とて、内に入る。

 死人を、端の間に、をき[やぶちゃん注:ママ。]、棺にいれ、ふたを、きせ[やぶちゃん注:かぶせ。]、いまだ、なわからげ[やぶちゃん注:「なわ」はママ。「繩絡げ」。]せず、灯明・靈供を、そなふ。

 家主のいはく、

「うちしゆ[やぶちゃん注:「内衆」。]、みな、數日(すじつ)のしんらう[やぶちゃん注:「心勞」。]に、夜を、ふさず。今夜(こよひ)は、先《まづ》、すこし休息すべし。御僧は、はしのま[やぶちゃん注:「端の間」。]に御座ありて、棺をしゆご[やぶちゃん注:「守護」。]し給へ。」

と、いひて、内のしやうじをへたて[やぶちゃん注:ママ。]ゝ臥すなり。

 僧一人、靜まりゐて、しばらくして、死人(しひと[やぶちゃん注:ママ。「しびと」。])、棺のふたを、もたげて、脇にをき[やぶちゃん注:ママ。]て、おきあかり[やぶちゃん注:ママ。]、たたずして、あたらしき帽子、ふかく、きせたるを、手をもつて、ぬひて[やぶちゃん注:ママ。「脫(ぬ)ぎて・脫いで」。]、脇にをき[やぶちゃん注:ママ。]て、僧を、ひとめ、見て、棺のはたに、とりつき、足を出《いだ》し、棺を出(いで)つ。[やぶちゃん注:「帽子」天冠。前話の注を参照されたい。]

 僧の心に、

『是は、物怪(もつけ)かな[やぶちゃん注:「奇怪だ!」の意。]。うちしゆに、つく[やぶちゃん注:ママ。「告ぐ」。]べきか。』

と思へども、

『死人、もし、我に、とりかゝらば、其のとき、つぐべし。』

とて、しづまれば、死人、また、我を、ひとめ見て、㚑供(りやうぐ)[やぶちゃん注:「㚑」は「靈」の異体字。]の飯を、右の手に、つかんで、大《おほ》ぐちに、これを、食ふ。

 ふたゝび、つかみくう[やぶちゃん注:ママ。]て、棺のうちに入《いり》、また、ぼうしを、とつて、元のごとくに、かづきて、臥して、棺のふたをとつて、もとのごとくに、おほふなり。

 この時、僧、内衆を、よびおこして、上《うへ》くだんのしだい、つぶさに、かたれば、内衆、よろこびて、

「いきかへるや。」

といふて、棺を、ひらきてみれば、身、あたたかならず、死しおはり[やぶちゃん注:ママ。]て、右の手に、飯粒(いひつぶ)、おほく、つき、㚑供の飯も、また、減(げん)ずるゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に、みな人、おほきにおとろく[やぶちゃん注:ママ。]なり。

「客僧、人に告げずして、よく、こらへたり。がんじやう[やぶちゃん注:「强精」。]なる人なり。」

といへりと云〻。

佐々木喜善「聽耳草紙」 一五〇番 鰐鮫と醫者坊主

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。「鰐鮫」は「わにざめ」。]

 

      一五〇番 鰐鮫と醫者坊主

 

 或渡場で、乘合ひの船が突然動かなくなつた。すると船頭はお客一同に、これは鰐鮫がお客樣方の中の誰かを見込んだためだから、どうか銘々の持ち物を一つ宛《づつ》海へ投げて下さい、さうすると見込まれない人のは、そのまゝ流れるが、見込まれた人のは水の中に沈むからと言つた。

 そこでみんなは夫々《それぞれ》持ち物を一つづゝ取り出して海に投げ入れた。するとゲンナさんという醫者坊主の投げた手拭《てぬぐひ》だけが、引き込まれる樣に沈んで行つた。ゲンナさんも斯《か》うなつては一同の難儀を救ふためなら仕方がないと覺悟して、藥箱を肩にかけて、水の中に飛び込んで、鰐鮫に呑まれた。

 ゲンナさんは鰐鮫の暗い腹の中で考へて居たが、やがて襷《たすき》がけで、藥箱の中から一番苦味《にが》い藥を取り出して、それを一生懸命に鰐鮫の腹の中一面になすりつけた。鰐鮫はあんまり苦《にが》くて頻りに嘔吐(フイ)たが、とうとう[やぶちゃん注:ママ。]我慢が出來なくなつてゲエツと吐いた。それと一緖にゲンナさんも吐き出されて、渚の砂の上へ投げ出された。

 船の人達はそれを見て、それツと言ひ乍ら、船を岸に漕ぎ寄せて、靑い顏をして居るゲンナさんを介抱した。そして鰐鮫の腹の中はどんな風だつたと訊いた。ゲンナさんは、いろいろと話しをして聞かせた。それで一同はともかくゲンナさんが助かつたからと云つて、砂濱でお祝ひの酒盛りを初めた。そして先づゲンナさん、お前が先に一つ踊らツしやいと一同が促《うなが》すので、ゲンナさんも其氣になり、立ち上つて、鉢卷をして、

   鰐鮫エに呑まアれて

   そして又吐アき出さアれ…

 と歌ひながら踊つた。すると海の中から鰐鮫が顏を出して、

   ウナ(汝)よな臭ア坊主

   呑んだことねア

   こんど初めて

   呑んでみたツ

 と罵つた。

(ゲンナ醫者の歌を間を引いて流暢に歌つた後、鰐鮫の罵言《ばげん》を早いテンポで、無器用に怨しさうに歌ふところにこの話の瓢輕《へうきん》な面白味があるのである。森口多里氏から頂戴した物の中の三。)

[やぶちゃん注:附記は本文同ポイントにして引き上げた。「瓢輕」は普通は「剽輕」(ひょうきん)と書くが、江戸時代に「瓢輕」と書く例があった。「駒澤大学総合教育研究部日本文化部門 情報言語学研究室」の公式サイト内の「ことばの溜め池」のこちらの冒頭の「瓢軽」の解説を参照されたい。

 なお、偶然だが、二段落目までとシークエンスが似ている怪奇談「奇異雜談集巻第三 ㊄伊良虞のわたりにて獨女房舩にのりて鰐にとられし事」の電子化注を二日前にアップしているので、そちらも読まれたい。「鰐鮫」の注も、そちらの私の注や、その私の別なリンク先に譲ることとする。]

佐々木喜善「聽耳草紙」 一四九番 生命の洗濯

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。「生命」は「いのち」と読んでおく。]

 

   一四九番 生命の洗濯

 

 相撲《すまふ》芝居は命の洗濯と謂ふ諺がこの地方にある。その起原(オコリ)は斯《か》うである。

 ある時、若い衆三人が長い土手を步いてゐると、向ふから一人の按摩がやつて來た。三人は相談してその按摩にハツキヨ(八卦)おいて貰つた。按摩はハツキヨおいて見て、お前がた三人は明日の晝時頃に死ぬと占つた。三人は心配しながら家へ歸つたが、翌日になつて、三人のうちの二人は度胸を定(キ)めて、死ぬなら死ねと覺悟して、芝居を見に行つた。他の一人は親戚や知人をよんで別れを惜しみ、此世の名殘《なご》りに甘《うま》いものをウント食べたりして居たが、占いの通りお晝食(ヒル)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]頃に死んでしまつた。芝居に行つた二人は、何もかにも忘れて見て居たが、死ぬと謂ふ時刻が來ても死なないで見物を續けて、とうとう[やぶちゃん注:ママ。]死なないでしまつた。これが相撲芝居は命の洗濯のゆはれ因緣である。

(森口氏の御報告の分の二。同氏の話には明日の一時半頃とあるが、私の祖父はお晝飯頃と語つて居たから、報告者には不忠であつたが此部分だけを私見にして置いた。)

(私の祖父は、一人は相撲見物に行き、一人は芝居見物に行つていて…と語つて居た。)

[やぶちゃん注:附記二条は引き上げてポイントも本文と同じにした。最後の附記で諺の「相撲」の不審が解けた。]

「續南方隨筆」正規表現版オリジナル注附 「『鄕土硏究』一至三號を讀む」パート「四」の「牛疫予防」

[やぶちゃん注:「續南方隨筆」は大正一五(一九二六)年十一月に岡書院から刊行された。

 以下の底本は国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像を視認した。今回の分はここ。但し、加工データとして、サイト「私設万葉文庫」にある、電子テクスト(底本は平凡社『南方熊楠全集』第十巻(初期文集他)一九七三年刊)を使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。疑問箇所は所持する平凡社「南方熊楠選集4」の「続南方随筆」(一九八四年刊・新字新仮名)で校合した。

 注は文中及び各段落末に配した。彼の読点欠や、句点なしの読点連続には、流石に生理的に耐え切れなくなってきたので、向後、「選集」を参考に、段落・改行を追加し、一部、《 》で推定の歴史的仮名遣の読みを添え(丸括弧分は熊楠が振ったもの)、句読点や記号を私が勝手に変更したり、入れたりする。漢文部(紛(まが)い物を含む)は後に推定訓読を〔 〕で補った。

 なお、大物だった「鷲石考」(リンク先はサイト一括版)で私は、正直、かなり疲弊してしまった。されば、残りは、今までのようには――読者諸君が感じてきたであろうところの、あれもこれもの大きなお世話的な――注は、もう附さないことにする。悪しからず。

 本篇は、実際には底本では、既に電子化した「野生食用果實」と、「お月樣の子守唄」の間にある。全四章からなるが、そもそも、これは異なった多数の論考に対する、熊楠先生の例のブイブイ型の、単発の独立した論考の寄せ集めであって、一つの章の中にあっても、特に連関性があるわけでも何でもない。されば、ブログでは、底本の電子化注の最後に回し、各章の中で「○」を頭に標題立てがなされているものをソリッドな一回分として、以下、分割公開することとする。

 また、本篇の対象論考は「選集」の編者注によれば、『新川末次「朝鮮畜牛禁厭療法」』であるとある。]

 

○牛疫予防(三號一七九頁) に、朱砂《しゆしや》と呼ぶ赤土を水で煉《ねつ》て、牛の兩角に塗る韓俗と同樣の習はしが、紀州西牟婁郡富里村抔に行《おこな》はる。乃《すなは》ち、魔除《まよけ》の爲に、牛部屋の關木《かんのき》を赤く塗り、又、牛を賣買顏見世《ばいばいかほみせ》につれ行く時、體《からだ》の諸部に、赤き裝飾を加へ、又、兩角をベニガラで赤く塗る。外見を美にする爲と言ふが、實は特に惡鬼、又、人の邪視《イヴル・アイ》を避《さけ》る古風が遺つたので有らう。邪視の事は『東京人類學會雜誌』二七八號二九三頁以下に、予、長々しく述置《のべお》いた。

[やぶちゃん注:「朱砂」「辰砂・辰沙」(しんしゃ)の古い呼称。水銀の硫化鉱物。特徴のある紅色の土状又は塊状物。六方晶系。水銀の原料鉱物として重要である。古くから顔料の朱としても用いられた。中国の辰州(湖南省沅陵県)から産したので、この名がある。「丹砂」「丹朱」とも言う(小学館「日本国語大辞典」に拠った)。

「紀州西牟婁郡富里村」「Geoshapeリポジトリ」の「歴史的行政区域データセットβ版」の「和歌山県西牟婁郡富里村」を参照されたい。現在の田辺市のこの附近(グーグル・マップ・データ)。

「關木《かんのき》」読みは「選集」に従った。当初は牛小屋の中の固定栅の横木のことかと考えたが、牛小屋の入り口の閂(かんぬき)棒のことだろう。邪気の侵入を阻むならば、それの方が万全と私は考えた。

「ベニガラ」ベンガラ(オランダ語:Bengala)。赤色顔料の一つで。主成分は酸化鉄(Ⅲ)で、着色力が強い。塗料・油絵の具・ガラス・金属の研磨剤などに用いる。インドのベンガル地方で産出したところからかく呼ぶ。

「邪視の事は『東京人類學會雜誌』二七八號二九三頁以下に、予、長々しく述置いた」私の「小兒と魔除」(「南方隨筆」底本正規表現版・オリジナル注附・一括縦書ルビ化PDF版・3.82MB91頁)のこと。]

「續南方隨筆」正規表現版オリジナル注附 「『鄕土硏究』一至三號を讀む」パート「四」 の「產兒の足」

[やぶちゃん注:「續南方隨筆」は大正一五(一九二六)年十一月に岡書院から刊行された。

 以下の底本は国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像を視認した。今回の分はここ。但し、加工データとして、サイト「私設万葉文庫」にある、電子テクスト(底本は平凡社『南方熊楠全集』第十巻(初期文集他)一九七三年刊)を使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。疑問箇所は所持する平凡社「南方熊楠選集4」の「続南方随筆」(一九八四年刊・新字新仮名)で校合した。

 注は文中及び各段落末に配した。彼の読点欠や、句点なしの読点連続には、流石に生理的に耐え切れなくなってきたので、向後、「選集」を参考に、段落・改行を追加し、一部、《 》で推定の歴史的仮名遣の読みを添え(丸括弧分は熊楠が振ったもの)、句読点や記号を私が勝手に変更したり、入れたりする。漢文部(紛(まが)い物を含む)は後に推定訓読を〔 〕で補った。

 なお、大物だった「鷲石考」(リンク先はサイト一括版)で私は、正直、かなり疲弊してしまった。されば、残りは、今までのようには――読者諸君が感じてきたであろうところの、あれもこれもの大きなお世話的な――注は、もう附さないことにする。悪しからず。

 本篇は、実際には底本では、既に電子化した「野生食用果實」と、「お月樣の子守唄」の間にある。全四章からなるが、そもそも、これは異なった多数の論考に対する、熊楠先生の例のブイブイ型の、単発の独立した論考の寄せ集めであって、一つの章の中にあっても、特に連関性があるわけでも何でもない。されば、ブログでは、底本の電子化注の最後に回し、各章の中で「○」を頭に標題立てがなされているものをソリッドな一回分として、以下、分割公開することとする。

 また、本篇の対象論考は「選集」の編者注によれば、『吉原頼雄「産児の足」』であるとある。]

 

○產兒の足(三號一七七頁)十三年前九月―十月ロンドン發行『隨筆問答雜誌《ノーツ・エンド・キーリス》』に載せた予の「神跡考」に、東西諸邦の神や人の足跡が保存された例を多く列《つら》ねたが、小兒の足跡の例は、「和漢三才圖會」卷七三、大和の『大三輪寺』、『丑寅隅有人足跡、遺形於板、于ㇾ今温煖、相傳明神見里人女生ㇾ子、其兒十歲入定去云云。〔大三輪寺 丑寅(うしとら)[やぶちゃん注:東北。]の隅(すみ)に人の足跡有り、形(なり)を板(いた)に遺(のこ)す。今に、溫-煖(あたゝ)かなり。相ひ傳ふ、明神、里人の女(むすめ)に見(まみ)えて、子を生(うま)す。其の兒(こ)、十歲にして入定(にふぢやう)して去ると云云。〕と有る。此他に一つも知《しら》なんだが、今度、本誌吉原君の報告を讀《よん》で、常陸にも斯《かか》る例有るを知《しり》たるを悅ぶ。

[やぶちゃん注:足形付土製品・手形付土製品が、近年、縄文早期から晩期の北海道から東北地方にかけて出土している事実を知ったら、南方熊楠もびっくりし、歓喜もしたであろうと思う。因みに、これらは実際の幼児・子どもの足形・手形であり、墳墓の副葬品としての用途が推測されたりもし、死んだ子どもの形見と見做す見解もあるが、一部の研究者は、ある出土したそれらの一つのへこみの形状から、亡くなった遺体から圧し取ったものではなく、生きている子どもを立たせたり、押しつけさせたことが判明しており、一部のものには、小さな穴があいたものがあって、例えば、御守りのように子にぶら下げさせたものと思われるものもあることから、子どもが無事に育つことを祈って作られたとする説に私は組みするものである。

「神跡考」‘Footprints of Gods, &c.’。一九〇〇年七月五日に‘Notes and queries’に投稿され、同誌の九月一日号、九月二二十二日号、十月二十七日号に三回に分割されて掲載された英文論文。幾つかの英文のアーカイブを探したが、当該原投稿記事を探し得なかった。訳文は「選集」第六巻他で読める。梗概なら、かなり詳しいものが、志村真幸氏の論考「南方熊楠と『ノーツ・アンド・クエリーズ』誌 ――‘Footprints of Gods, &c.’から「ダイダラホウシの足跡」へ――」の「3 ‘Footprints of Gods, &c.’」(PDF)で読める。ただ、「選集」第六巻の巻末の解説である鶴見和子氏の「南方熊楠の創造性」を見ると、『「神跡考」は南方自身が日本文で書き直した』とあるのだが、それは活字化されていないようである。

『「和漢三才圖會」卷七三、大和の『大三輪寺』……』以下は、所持する原本と校合し、一部を改めた。「大三輪寺」は、三輪神社(現在の大神神社。グーグル・マップ・データ)に附帯した別当寺の一つである。ウィキの「大神神社」によれば、『当社には、聖徳太子の開基だという』二『つの神宮寺、平等寺と大御輪寺』(☜表記違いはママ。神仏習合時に表記を変えて区別化することはよく行われた)『の他、大御輪寺の配下にある尼寺・浄願寺、という』三『つの寺院があったが、明治時代に行われた廃仏毀釈によって三寺全てが廃寺となり、大御輪寺の本尊であった十一面観音像(国宝)は聖林寺に移管されている』後に『平等寺は曹洞宗の寺院として再興されている』とある。残念ながら、現在の大神神社にはこの足形は残っていないようで、ネット検索でもかかってこない。

「常陸にも斯る例有る」国立国会図書館デジタルコレクションの高木敏雄著「日本傳說集」第四版(一九二六年武藏野書院)のこちらの「民間信仰篇第十九」の「(ロ)產兒の足」に当該記事(最後に引用を『(常陸土浦吉原賴雄)』とするので、同内容と判断してよい)を視認出来る。

梅崎春生「つむじ風」(その3) 「おっさん」

[やぶちゃん注:本篇の初出・底本・凡例その他は初回を見られたい。]

 

     お っ さ ん

 

 玄関の扉をがたごとと引きあけた。浅利圭介は陣内陣太郎に低声で言った。

「暗いから、足もとに気をつけるんだよ」

 上り框(がまち)も古ぼけているから、ぎいときしんだ。圭介は奥に声をかけた。

「ただいま」

「どなた?」

 茶の間からランコの声がした。その声につづいて、長男の圭一の声で、

「おっさんらしいよ」

 圭介は眉をひそめ、情なさそうに顔をくしゃくしゃにした。陣太郎はごそごそと靴を脱ぎ終えた。圭介は言った。

「僕だよ。おばはん」

 ランコの声がこだまのように戻ってきた。

「ああ、おっさんか。お帰りなさい」

 圭介のおばはんに対抗して、ランコがおっさん呼ばわりを始めたのは、もう半月ほど前になる。こちらもおばはん呼ばわりをしている関係上、圭介はそれに難癖をつけるわけには行かなかった。ただおっさんと呼ばれで見ると、急に自分が爺むさくなったような気がして、情なかった。

 しかし、ランコもおばはんと呼ばれて、とたんに婆むさく情なかっただろうと、想像してやる力は圭介に欠けていた。怠け者のくせに、彼の想像力は案外に貧弱だったのだ。

 ただ困るのは、圭一までが近頃母親の口真似をして、圭介のことをおっさん呼ばわりをし始めたことだ。間借人に転落して覚悟はきまっているつもりなのに、子供のそれは圭介にひどくこたえるのである。

「こちらだよ」

 圭介はうすぐらい廊下を先に立ち、顔をしかめたまま、納戸の方にすたすたと歩いた。陣太郎はリュックサックを引きずり、そのあとにつづいた。

 初めての家だから、ふつうならば尻ごみしたり、おどおどしたりするものなのに、陣太郎の態度は悠々迫らず、まるで自分の家に戻ってきたような歩き方であった。

 茶の間の障子がすこしひらかれ、そこから圭一の幼い顔が廊下をのぞいた。

「おっさん、誰かお客さんを、連れてきたヨ」

 圭介につづいて、陣太郎も納戸に足を踏み入れ、リュックサックをどしんと畳に置いた。ぐるぐると見廻した。

「ほこりっぽい部屋だろう」

 圭介は先手を取って言った。陣太郎がそのような顔をしていたからだ。

「僕は生来、あまり掃除というやつが、好きでないんだ。軍隊でも苦労したよ。君は兵隊には行ったかね」

「兵隊?」

 陣太郎はそう問い返しながら、畳に腰をおろそうとしたが、思い直したように腰を浮かせ、リュックサックに腰掛けた。床几(しょうぎ)にうち掛けた武将のように、足をゆったりとひろげ、胸をそらして、

「おれ、海兵にいたんですよ」

「カイヘイ?」

「ええ。江田島の海軍兵学校です」

 圭介は陣太郎の顔を見た。陣太郎は魚のように無表情である。圭介は畳に腰をおろした。何かに腰かけたかったが、生憎(あいにく)手頃のものがなかったのだ。陣太郎はつづけた。

「在学中に、気に食わぬことがあってね、田淵という教官をぶんなぐってやったんですよ。それが問題になって、とうとう江田島を追い出されたね。ははは」

 

「本当かい、それ」

 浅利圭介は探るような眼付きで、陣内陣太郎を見上げた。陣太郎はリュックサックに腰かけているし、圭介は畳にあぐらをかいているので、どうしても見上げるという恰好になる。見上げられても、陣太郎は悠然としていた。

「それからどうしたね?」

「追い出されたから、仕方なく東京に舞い戻って、学校に入り直しましたよ」

「どこの学校?」

「東大」

 陣太郎はすらすらと発音した。

「フランス文学科に入ったんだけどね、途中で止めちゃった。敗戦でうちも斜陽族になったし、それに仏文の内部でもいろいろ勢力争いがありまして、何かというと、このおれを利用しようとしやがってねえ、いや気がさしてとうとう飛び出しちゃったんですよ」

「よく飛び出したり、追ん出されたりするんだな」

 何かを計るように圭介は陣太郎を眺めながら、煙草を一本吸いつけた。陣太郎はためらうことなく掌をさし出した。

「おれにも一本ください」

 箱ぐるみ出しながら圭介は言った。

「さっき、教官をぶんなぐったということだったが手」

「ああ、あれ、イヤな男だったなあ。生意気でおしゃれで、それに意地悪でねえ、生徒たちから手荒く嫌われてたんですよ。棒倒しという競技があるんですよ。江田島の棒倒し。御存じですか?」

「棒倒しなんか知らないが――」

 圭介は陣太郎の饒舌を封じた。

「かりにも教官をぶんなぐって、それで退校だけで済むかね。海軍のことはよく知らんけれども、やはり、軍法会議とかなんとか――」

「いや」

 陣太郎は両手をにゅっと突出して、圭介の発言を封じた。声の調子を一段と落して、

「これには深い事情がありましてねえ」

 そしてそのまま陣太郎は突然口を閉じた。沈黙が来た。

 やがて圭介はのそのそと立ち上り、部屋の隅の書棚から、一冊のスクラップブックを引き出した。元の場所に戻ってきた。

「僕は、君に、同情している」

 スクラップブックをぱらぱらとめくりながら、圭介は重重しく目を開いた。

「僕の考えでは、あれはそのまま放って置く手はないと思う」

「おれも、そう思っているんです」

「放って置くから、ますますあいつらは増長するんだ。僕はまったく義噴を感じるよ」

 圭介はやや亢奮(こうふん)して、拡げたスクラップブックの一頁をぽんと叩いた。

「だから運輸省でも、近頃こういう公示を出した。読んでみるよ。自動車をお持ちの方へ、運輸省――」

「なんだ、自動車のことか」

 陣太郎は意外そうに呟いた。圭介はつづけた。

「ええ。自勁車損害賠償保障法は、二月から全面的に実施されているので、この法律に定める自動車損害賠償責任保険に加入した上保険証明書を備えつけなければ、自動車を運行の用に供することが出来ません。ええ、下手っくそな文章だな。全く役人という奴は、頭が悪いよ。ええと、これに違反すると、三ヵ月以下の懲役又は三万円以下の罰金――」

 

 浅利圭介はスクラップブックを読むのをやめて、じろりと陣内陣太郎を見た。

「君。そのリュックからおりて、畳に坐らないか。上から見おろされていては、どうにも具合が悪い」

 陣太郎は腰を浮かし、指で畳のざらざらをたしかめ、そしてぎごちなくあぐらをかいた。

「そんなに気味悪そうに坐らなくてもいいじゃないか」

 圭介はちょっと気を悪くしてたしなめた。視線をスクラップに戻して、

「ええと、次は、自動車事故による被害を受けた方へ、だ」

 どこを見ているか判らないような眼付きで、陣太郎は神妙にあぐらをかいている。

「自動車事故により被害(人身)を受けた方は、その自動車が加入している損害保険会社にも、損害賠償額の支払請求ができます。ひき逃げされた方も批害保険会社に請求して、政府の保障金を受けられます」

「ひき逃げ?」

 陣太郎が反問した。

「ひき逃げされたというのは、おれのことですか?」

 廊下から幼い足音が、歌とともに近づいてくる。お手々つないで、の節(ふし)で、

 

  おててんぷら つないでこちゃん

  のみちを 行くおっさん

  みんな かわゆくない

  のんきなおっさん 毛が三本

 

「まだ小学一年だというのに、ろくな歌はうたわない。全く将来が思いやられる」

 圭介おっさんは頭をかかえてぼやいた。陣太郎がそれをとりなした。

「独創的で、なかなか面白い歌じゃないですか」

 障子が外からひらかれて、長男の圭一が顔を出した。

「お母ちゃんがね、今月分の部屋代をちょうだいってさ」

「ああ、判ったよ」

 圭介は情ない声を出した。

「ここに入って坐りなさい。ほら、子供のくせに、またあぐらをかく。きちんと坐るんだ」

 圭介は内ポケットから、今日貰った失業保険の袋を引っぱり出した。紙幣を指で数えながら、

「圭一、お前は今へんな歌をうたっていたな。ああいう歌をうたってはいけないよ。とても偉くなれないよ」

「僕、偉くならなくてもいいんだ」

 圭介はぎょっとしたように圭一を見た。それからもごもごと、

「うん。偉くならなくてもいい。いいがだ、そんな歌をうたうのはよろしくない。それから、お前は近頃、お父さんのことを……」

「紙ならありますよ」

 圭介が千円紙幣三枚をつまんで、視線をうろうろさせているので、陣太郎が気をきかせて声をかけた。手早くリュックサックの口をひらいて、紙を一枚引っぱり出した。

「原稿用紙だね。ふん」

 ふん、と圭介がつけ加えたのは、その原稿用紙の隅に、『陣内陣太郎用箋』と小さく印刷してあったからである。

 圭介はそれに紙幣を乗せ、器用に折り畳んだ。

「これ、持って行きなさい」

 圭介は父親の威厳を見せて発音した。

「のんきなおっさん毛が三本、なんて歌は、本当によすんだよ。判ったね」

 

「ひき逃げじゃない」

 圭一の足音が廊下に消え去るのを待って、圭介は陣内陣太郎の方に向き直った。

「しかし君は、あの自動車のために、地面にひっくり返ったのだ。あの自動車がなければ、ひっくり返るということは、なかったわけだな。そして自動車は、そのまま逃げた。あの自動車が五分間ばかり君をにらんでいた、と君は言ってたようだが、それは君の記憶違いだよ。ほんの一瞬の間で、自動車は逃げたのだ。この僕が見たんだから、間違いはない」

 はてな、という顔付きになって、陣太郎は小首をかしげた。

「じゃあ、おれに、損害保険会社に行け、と言うんですか?」

 いぶかしげな表情のまま、陣太郎は自分の後頭部をとんとんと叩いた。

「でも、服とリュックが汚れたくらいで、損害保障をして呉れるかなあ?」

「そ、そこなんだよ。君」

 圭介の声は急にやさしく、わがままな病人をなだめる看護婦みたいな口調になった。

「物質的な損害は、服とリュックだけかも知れないが、精神的な面も考えなけりゃいけない。ね。あんな目にあって、君はびっくりしただろう。つまり、相当のショックを受けたわけだろう?」

「ショック?」

 陣太郎はおうむがえしに言った。

「そう。ショック。ショックだけでも、大いなる精神の損害だ。それに、そ、そのショックのためにだ――」

 やや言い辛[やぶちゃん注:「づら」。]そうに言葉がもつれた。

「精神の活動がにぶるとか、あるいは頭の歯車が狂うとか、そんなことがあれば、これはもうたいへんな損害だね。つ、つまり、人間から毛が三本足りなくなる状態――」

「それ、おれのことを言ってるんですか」

 陣太郎はすこし気色ばんだ。

「三本足りないのは、さっきの歌じゃないが、のんきなおっさんのことでしょう」

「仮、仮定のことだよ。ね」

 圭介は両掌で眼の前の空気を押さえつけるようにした。

「しかしだね、ショックでちょっと頭の歯車が狂うということは、それはよくあり勝ちのことだ。なにも恥かしいことじゃない。たとえば錯覚なんかもそうだね。君があの時、一瞬の出来事を、五分間のことのように思ったのも、その一種だよ。その錯覚だけで済めばいいが、それがへんな具合に亢(こう)じたりすると、ことは面倒になる。それは君にも納得が行くだろう」

「一応納得することにしましょう」

 陣太郎は面倒くさそうに言った。

「それで、その錯覚分まで、保険会社が賠償して呉れると言うんですか?」

「錯覚だけじゃダメだろうね」

 思わせぶりな口調に圭介はなった。

「錯覚が亢じて、つまり、本式のクルクルパー――」

 陣太郎がまた眼を剝(む)いたので、圭介はあわてて語調を変えた。

「つまり錯覚だけに止っていてもだ、それを本式のクルクルパーという具合に申告すればだ、それ相当の保障金が受けられるということになる。ね、そうだろう?」

 陣太郎は腕を組んで首を傾けた。

「おれ、しもじものことはよく知らないけれど、保険会社というやつはそんなに甘っちょろいものかなあ」

 

「しもじものこと?」

 浅利圭介は笑った。陣太郎のその言葉を冗談と受取ったのだ。

「しもじもとは大きく出たもんだね。もちろん保険会社は、そんなに甘っちょろくないさ」

「じゃあダメしゃないですか」

「まずダメだろうな」

 圭介はけろりとして言った。しかしその眼は油断なく陣太郎を注視していた。陣太郎はやや混乱したかのように、唇をゆるめ、眼をぱちぱちさせた。

「君はずいぶん変った顔をしているな。眼と眼がたいへん離れている」

「おれんとこの一族は皆そうですよ」

「そうかね。一度見ると忘れられない顔だ。そんなに離れていては不便だろう」

 圭介は書棚の本のうしろから、ウィスキーの瓶を取出した。グラスを二つ並べ、とくとくと注いだ。[やぶちゃん注:本作の後の部分から「注いだ」は「そそいだ」ではなく、「ついだ」である。]

「不便じゃないですね」

 そのくらいのサービスは当り前といった態度で、陣太郎はそれを一気に飲み乾した。舌鳴らして言った。

「もう一杯下さい」

「そんな顔に生れつくと、得もするだろうが、損もするだろうね」

「損得はないですね。顔は他人(ひと)のためにあるんだから」

「他人のために?」

「そうですよ。顔というのは、眼や鼻や口や耳、そんなものの配置の具合を言うんでしょう。もちろん、眼や鼻や耳、そんな器官のひとつひとつは、当人のためにある。見たり、聞いたり、味わったりするためにですね。そのために具えつけられている。しかし、それらの器官の全般的な配置のし具合は、当人とはあまり関係がない。つまりそれは他人がその人を識別するためにあるのです。そして配置の具合の微妙な変化によって、他人はその人の気持を知ることが出来る。たとえば、頰に皺(しわ)を寄せ、口をあけ、目を細めたとすれば、当人が嬉しがって笑っていると、他人が知る仕組みになっているですな」

 そして陣太郎はまたグラスをにゅっと突出した。

「もう一杯」

 何だかげんなりした気分になって、圭介はまたウィスキーを注いでやった。陣太郎はそれも一気に飲み乾した。ふつうの声で、

「あの自動車の番号を、おっさんは見たんだね。そうでしょう?」

 圭介はぎよっとして陣太郎を見た。ぎょっとしたことを、陣太郎に悟られたと思ったが、しかしあくまでしらばっくれて、

おっさんはよして貰いたいな。君からまでおっさん呼ばわりをされるいわれはないぞ。浅利さんと呼べ」

「浅利さんの器官の配置が、ちょっと変りましたね」

 皮肉めいた口調でなく、淡々とした調子でつづけた。

「おれには見えなかった。前燈があんまりぎらぎらしていたもんだから、つい見そこなった。あのナンバーは、何番でした?」

 そうと決めてかかった言い方だったので、つい圭介はつられて口に出してしまった。

「三の、一三一〇七」

「三の、一三一〇七、ね」

 頭に刻もうとするかのように、陣太郎はゆっくりした声で復唱した。

[やぶちゃん注:陣太郎が「教官をぶんなぐってやった」結果、「江田島を追い出された」というその具体的な動機が、はぐらかされて自動車事故の損害賠償の話に変えつつ、精神的なショックを圭介は、暗にその動機の正体を示唆しようとしているのは、明らかである。梅崎春生は戦争末期を九州の海軍基地を転々として桜島で解除を受けたのだが、梅崎は、桜島以外については、その頃、どこで何をしたかを、生涯、語らなかった。そこには言うもおぞましい体験があったからに他ならない。ここで圭介が陣太郎の動機にある事件を、梅崎春生は、自身のトラウマ体験と重ね合わせて、読者に匂わしていると考えるべきであろう。具体的には、私は梅崎が海軍の中で、上官などから受けた同性愛の強制行為であったに違いないと踏んでいる。考えて見れば、実際には、自動車にはねられたのではなかったが、それは「車に尻(ケツ)をほられた」ということ、則ち、「オカマをほられた」ことと同義でもあるからである。

 

 その夜は納戸(なんど)に二人で寝ることになった。

 こちらが招いたのだから、本来ならばお客あつかいにすべきなのだが、浅利圭介はすでにこの家の主人でなく、単なるおっさんでしかない関係上、充分なもてなしは出来ないのである。圭介の自由になるのはこの部屋だけで、他の部屋はランコ母子、止宿人たちで占められているのだ。

(こんな妙な男、連れて来なければよかったな)

 ばたんばたんと蒲団をしきながら、圭介はちょっと後悔をした。

 自動車のナンバーを地面に控えた時、また陣内陣太郎を家に誘った時、圭介にはまだはっきりした方針が立っていたわけではなかった。とにかくこれは放って置けないという義憤みたいなものだけで、一役買おうという気持はまだ胸に発生していなかった。いないつもりであった。

 ところが、つい陣太郎にそのナンバーを洩(も)らした瞬間、圭介がわけもわからない忌々(いまいま)しさを感じたのも、最初からこの事件をモノにしたいと、彼が潜在的なところで考えていたせいに違いない。モノにするためには、加害者のナンバーさえ判ればいいので、被害者の身柄なんかさして必要ではないのだ。

(モノにすると言うと、この俺がそれをネタにして、ゆすりたかりを働こうというわけか? この俺が?)

 掛布団を力まかせに押入れからひっぱり出しながら、かるい戦慄(せんりつ)と共に圭介は考えた。まだゆすりたかりを働かない前に、その想像を自分に課することによって、戦慄してみるところに、圭介という人間の小市民的善良さがあるのだろう。こういう人物は、いくらランコあたりから尻をひっぱたかれても、とうていこの世では出世の見込みはないのである。圭介はあわててその想像を打ち消した。

(イヤイヤ、これはゆすりたかりというものではない。とにかく通行人をひっくり返して、そのまま逃げるということは、この世の秩序を乱す行為だ。そういう行為を、俺は市民の一人として……)

「三の一三一〇七、か」

 陣太郎はノートを取出して、鉛筆をなめていた。酔いがその頰をあかくしていた。

「どういうつもりで、おれを轢(ひ)こうとしたんだろう?」

「轢くつもりじゃなかったんだ」

 圭介は忌々しげに言って、蒲団を畳に投げ出した。

「あんまりうぬぼれないがいいよ。それとも轢かれるような理由でもあるのかい?」

「おれ、ねらわれているんです」

 陣太郎はしずかな声で言った。

 その声音は妙なリアリティを圭介に感じさせた。

「誰から?」

「近いうちに、おれ、相続することになっているんです。一方それを邪魔しようとする一味がいるんだ」

 茶の間の方から、重々しい足音が廊下を近づいてきた。障子がそっと開かれた。ランコが立っていた。

「お客さんなの?」

 ランコは陣太郎を一瞥(べつ)し、圭介をにらみ据(す)えるようにした。

「うん。ううん。僕のお客さんだ」

 僕の、というところに圭介は力を入れた。

「おばはんとは関係のない御仁(ごじん)だよ」

 

「僕のお客さん?」

 わけの判らんことを聞くもんだ、という表情にランコはなった。

「あんたのお客さんなら、うちのお客さんじゃないの。うちのお客さんなら、すなわちあたしのお客さんよ」

「だ、だって、僕は間借人……」

「部屋代は徴収していますよ、部屋代は」

 ランコは圭介をきめつけた。

「しかしあんたはまだ、あたしのオットですよ。それを忘れちゃ困るわね」

「でも、この家の主人は、もう僕じゃなく、おばはん……」

「もちろん主人はあたしですよ。しかしまだあんたは、あたしのオットです。それともオットの籍が抜けたとでも思ってるの?」

 何だか奇妙な論理だと思ったが圭介はあらがうことを止めた。陣太郎を前にして夫婦喧嘩を見せたくなかったのである。

 しかし、その口争いに陣太郎は一向無関心なふうで、圭介の煙草を悠々とふかしていた。その陣太郎の姿と、投げ出された蒲団を、ランコの眼がじろりと見た。

「お客さんには、お客用の蒲団があります」

 ランコは命令した。

「取りに来なさい。おっさん」

 圭介は余儀なく、ランコに従って部屋を出て、やがてエッサエッサと客用蒲団をかかえて戻って来た。それを畳に投げ出して、自分の方の蒲団をばたばたとしいた。それでも陣太郎が傍観しているものだから、圭介はついに怒鳴った。

「君も手伝え。君の蒲団だぞ!」

 陣太郎は立ち上って、のろのろと手伝った。その手伝い方はびっくりするほど不器用だった。

「そんな蒲団のしき方があるか。君は蒲団のしき方も知らないのか?」

 やっと蒲団をしいてしまうと、部屋は蒲団だらけになって、畳の目も全然見えなくなった。六畳から家具の占領分をさし引くと、実質四畳しかないから、それも当然なのである。

 陣太郎はリュックサックを蒲団の裾(すそ)に置き、寝巻に着換えて、ごろりと客用蒲団に横になった。

 圭介も消燈してつづいて横になったが、あまりいい気持のものでなかった。圭介のせんべい蒲団に対し、陣太郎のは客用でふかふかしていて、第一厚みがちがう。一段下に寝ている恰好なのである。その一段上から、陣太郎が声をかけた。

「おれ、眠ります」

「眠れ」

 圭介は忌々しげに返事をした。陣太郎はおっかぶせるようにいった。

「おれ、蒲団をしいたこと、あまりないんですよ」

「それは、どういう意味だい?」

 少し経って圭介は、闇の中から問い返した。返事はなかった。陣太郎はもはや眠りに入っているらしく、かすかないびきがそこから流れてきた。

(やはりこの男は、あのショックのために、すこし歯車が狂っているらしいな)

 うつらうつらとした状態で圭介は考えた。

(とにかく明日から、あのナンバーの自動車を探さねばならん。探し出したら、そこからまた事がはじまるだろう――)

2023/07/06

「續南方隨筆」正規表現版オリジナル注附 「『鄕土硏究』一至三號を讀む」パート「四」 の「磐城荒濱町の萬町步節」

[やぶちゃん注:「續南方隨筆」は大正一五(一九二六)年十一月に岡書院から刊行された。

 以下の底本は国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像を視認した。今回の分はここから。但し、加工データとして、サイト「私設万葉文庫」にある、電子テクスト(底本は平凡社『南方熊楠全集』第十巻(初期文集他)一九七三年刊)を使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。疑問箇所は所持する平凡社「南方熊楠選集4」の「続南方随筆」(一九八四年刊・新字新仮名)で校合した。

 注は文中及び各段落末に配した。彼の読点欠や、句点なしの読点連続には、流石に生理的に耐え切れなくなってきたので、向後、「選集」を参考に、段落・改行を追加し、一部、《 》で推定の歴史的仮名遣の読みを添え(丸括弧分は熊楠が振ったもの)、句読点や記号を私が勝手に変更したり、入れたりする。漢文部(紛(まが)い物を含む)は後に推定訓読を〔 〕で補った。

 なお、大物だった「鷲石考」(リンク先はサイト一括版)で私は、正直、かなり疲弊してしまった。されば、残りは、今までのようには――読者諸君が感じてきたであろうところの、あれもこれもの大きなお世話的な――注は、もう附さないことにする。悪しからず。

 本篇は、実際には底本では、既に電子化した「野生食用果實」と、「お月樣の子守唄」の間にある。全四章からなるが、そもそも、これは異なった多数の論考に対する、熊楠先生の例のブイブイ型の、単発の独立した論考の寄せ集めであって、一つの章の中にあっても、特に連関性があるわけでも何でもない。されば、ブログでは、底本の電子化注の最後に回し、各章の中で「○」を頭に標題立てがなされているものをソリッドな一回分として、以下、分割公開することとする。

 なお、底本では冒頭の「三」の四字下げで初出書誌が載るが、引き上げた。

 また、本篇の対象論考は「選集」の編者注によれば、匿名の『愛読者「磐城荒浜町の万町歩節」』であるとある。]

 

      (大正二年十一月鄕土硏究第一巻第九號)

 

○磐城荒濱町の萬町步節(三號一七六頁)明治十八年、予、東京大學予備門に在《あつ》た時、「柳屋つばめ」と云ふ人、諸處の寄席で、「奧州仙臺節」を唄ひ、予と同級生だつた秋山眞之氏や、故正岡子規等、夢中に成《なつ》て稽古し居《を》つた。其内に「妾《わたし》お○○○[やぶちゃん注:伏字。]播磨の名所、緣《ふち》は高砂、中明石、邊に舞子の松林云々」と云《いふ》のが有《あつ》た。程なく渡米して、沙翁《シエキスピア》の全集を買ひ、眼を通すと、是は、したり、文明國の士女が、文章にも行儀志操にも、典型と尊崇すると聞《きい》て居《をつ》た沙翁著作中の敍事詩「ヴナス・エンド・アドニス」に、婬女神ヴィナスが、無情少年アドニスを、鹿、自分を園に比べて、他《かれ》を口說《くど》く、其園の光景を、丁度、件の播磨名所同前に述有《のべあつ》た。驚《おどろい》て、沙翁學專門の學者に問ふと、「如何《いか》にも如何《いかが》はしい所が多いから、此詩斗りは表立《おもてだつ》た所で、讀まぬものだ。」と誨《おし》へられた。其は兎《と》まれ、エリザベス女皇時代には、無双の好色本として、男女俱に賞翫したとハーフォードが書《かい》た(一八九九年板「沙翁全集」卷十、二五四頁)。吾邦には、今も、耳食《じしよく》の徒、多く、實相を知《しら》ずに、沙翁の著作抔は、悉く、淸淨な物と呑込《のみこ》み、無闇に其を定規《ぢやうき》にして、我國の俗謠抔を、不埒極《きはま》る樣に罵る人が多いから、一言し置く。

[やぶちゃん注:「磐城荒濱町」現在の宮城県亘理(わたり)郡亘理町(わたりちょう)荒浜(グーグル・マップ・データ)。

「萬町步節」不詳だが、以上の熊楠の解説から、女性の生殖器の各部を風景に擬えた、極めて猥褻な艶歌・民謡の替え歌と推定される。

「柳屋つばめ」初代柳つばめ(安政五(一八五七)年~明治四五(一九一二)年は落語家。本名は岡谷喜代松。当該ウィキによれば、『生地は諸説あって、一つは紀州和歌山市小野町の材木商、一説は大坂難波新地揚屋「西村」、また大坂下西成郡の出生、さらにもう一説は深川木場の材木屋の倅。または大坂で生まれ深川木場育ちとも』される。十七『歳から道楽が高じていろいろな音曲に手を出し』、二十三『歳頃の』明治一二(一八七九)年頃、『初代談洲楼燕枝』(だんしゅうろう んし)『の門で楽枝、その後』、『性格が無口で』、『むずむずする行動から動物の狢』(むじな)『に似ていたことから』、『初代春風亭柳枝の門で燕枝に春風亭?[やぶちゃん注:「?」はママ。]むじなと名付けられる。明治一六(一八八二)年から翌年頃に、『柳家つばめとなる。つばめになってからは仙台節を唄い』(☜)『花柳界、市中で大流行した』。明治二七(一八九四)年六月に『春の家柳舛と改名』し、二年後の二月に『つばめに復名し』、『真打昇進』をした。明治三五(一九〇二)年一月には、『音曲師の由緒ある名前』五『代目都々一坊扇歌』(どどいつぼうせんか)『を襲名』したが、『病気がちになり』、『高座を勤められないことが多かったが』、『縁起を担いで』、明治四三(一九一〇)年二月、『三度』めの『柳家つばめを名乗った。第一次落語研究会が発足した際』、『扇歌も声がかかったが「ナニ、落語を研究する会? 俺の落語は研究ずみだよ! いまさら研究でもあるまい」とコメントし』、『参加しなかった。本人は』三『代目柳亭燕路』、三『代目春風亭柳朝らと』ともに、既に『「昔噺洗濯会」を創り』、明治三九(一九〇六)年一月七日より、『下谷広小路鈴本亭で第一回を開き』、『後進の指導に勤めた』。『「昔噺洗濯会」は』、『つばめ』の『死後』、『廃会したが、門下の』八『代目入船亭扇橋が震災後』に『復活させている』。最晩年の彼は『「善光寺行李詰め殺人事件」』で命を縮めた。彼の『実の妹おこうが』、『夫に殺害され』、『行李詰めになったセンセーショナルな事件が』発生し、『扇歌は痛く』、『気に病み、そのためか』、『病勢が悪化し』、『肺炎になり』、『静養中に腹膜炎を併発』、『「束の間に土となりけり春の雪」の辞世の句を残し』、『この世を去っ』ている、とあった。

「予、東京大學予備門に在た時」南方熊楠は明治一六(一八八三)年に和歌山中学校(現在の和歌山県立桐蔭高校)を卒業し、上京、神田の共立学校(現在の開成高校。当時は大学予備門(東京大学の前身)入学を目指して、主として英語によって教授する受験予備校の一校であった)に入学、翌明治十七年九月に大学予備門に入学した。参照した当該ウィキによれば、『同窓生には塩原金之助(夏目漱石)、正岡常規(正岡子規)』、『芳賀矢一、山田美妙』『などがいた。学業そっちのけで遺跡発掘や菌類の標本採集などに明け暮れる』日々を送ったが、翌明治十八年十二月二十九日、『期末試験で代数』一『課目だけが合格点に達しなかったため』、『落第』となり、そのまま『予備門を中退』している。先の注に出た通り、柳家つばめが「仙台節」(現行、残るそれは、仙台名所尽くしの唄であるが、思うに、彼のそれは、恐らく先に述べた性的なミミクリーが巧妙に施されたものであったものと私は思う)なるものを唄って大流行した時期と一致する。なお、熊楠は大学予備門を中退した翌年の、明治一九(一八八六)年十二月二十二日に横浜港を出航して渡米している。

「耳食」「聞いただけでその物の味を判断する」の意から、「人の言うことを是非を判断せずに、無批判にそのまま信用することを言う。]

 何の宗敎も、陰陽の祕事が、多少、其根本に參入《まぢりいつ》て成《なつ》た如く、何國《いづく》の文學にも、彼事《かのこと》の、多少、入《い》らぬは無い。吾邦にも、「古事記」や「神代卷」などは、姑《しばら》く措《お》く、「堤中納言物語」、「蟲愛づる姬君」の卷、ある人々は、心付《こころづき》たる有《ある》べし。流石に糸惜《いとほ》しとて、『人に似ぬ心のうちはかはむしの、名を問《とひ》てこそいはまほしけれ』、右馬佐《むまのすけ》、『かは蟲に紛るゝ前の毛の末に、當《あた》る許りの人は無き哉《かな》』云々。「和名抄」、『「兼名宛」云、髯蟲一名烏毛蟲。』。和名加波無之。〔「兼名宛」に云はく、『髯蟲(かはむし)、一名は「烏毛蟲(うまうちゆう)」と名づく、和名「加波無之(かはむし)」。〕と見えて、今、云ふ毛蟲也。彼《かの》姬君の陰毛を毛蟲に擬《なすら》へて嘲《あなど》りたる也(「嬉遊笑覽」附錄)。又、「玉造小野」で、小町の髑髏《どくろ》に生《はへ》たる薄が、「秋風の吹くに付《つけ》てもあなめあなめ」と聲するに、業平が「小野とは言《いは》じ。薄、生《おひ》たり」と付《つけ》たと「無名祕抄」に見ゆるを、實は女陰《ぢよいん》を詠んだに相違無いと、物徂徠《ぶつそらい》の說だつたと記憶する。今は知《しら》ぬが、明治十八、九年迄、和歌山抔で、三線稽古の手解《てほどき》に、必ず「齋藤太郞左衞門、一寸《ちよつと》ツテチン、一寸ツテチン、會《あひ》たい事ぢやとなあ」と云《いふ》のを敎へた。西澤一鳳の「傳奇作書」附錄上に、享保七年[やぶちゃん注:一七二二年。]興行せし「井筒屋源六戀寒晒《ゐづつやげんろくこひのかんざらし》」に、『「東がねの茂右衞門、サア來た來た。」(これは予は一向聞かぬ)、また、「齋藤太郞左衞門、一寸逢度《あひたい》事ぢや。」との唱歌を唄ふ事、有り。此二つの歌、最《もつとも》古き物と思はる。』と有る。又、明治十九年頃、上方で「所詮女房に持ちやしやんすまい、せめてお側の下女なりと」てふ唄、行《おこなは》れた。長々、洋行して歸つて、三十四年冬、熊野へ來ると、勝浦港抔で、盛んに唄ひ居《をつ》た。是も、元祿十五年[やぶちゃん注:一七〇二年。]、近松門左衞門作「曾根崎心中」、「道行血死期の霜」に、德兵衞とお初と、梅田橋を渡り乍ら、情死唄《しんぢゆううた》を聞き、自分らも頓《やが》て、「噂の數に入り、世に唄はれん、唄はば唄へ、唄ふを聞《きけ》ば、どうで女房にや持《もち》やさんすまい、入《いら》ぬ者ぢやと思へども」と有るを見ると、「所詮、女房に持《もちや》しやんすまい。」てふ冒頭で作つた俗謠は、元祿の昔し、既に有《あつ》たのだ。是等から推すと、上に述《のべ》た播磨の名所の文句も、荒濱町の萬町步節の趣向も、ずつと古く世に出て居《をつ》た事と惟《おも》はれる。〔(增)「爲愚痴物語《ゐぐちものがたり》」六の「女は佛菩薩出生の本懷なること」參照すべし。〕

[やぶちゃん注:『「堤中納言物語」、「蟲愛づる姬君」の卷、ある人々は、心付《こころづき》たる有《ある》べし。……』以下の「嬉遊笑覽」附錄の引用に私は激しく賛同すものであるる。眉毛を剃らずに毛虫のような眉を残したままの気味の悪い少女を見、右馬佐は、その眉の忌まわしさを、即座に、女の秘所に生える陰毛の茂るそれにミミクリーして、この奇体な少女を嘲ってかく詠じ捨てたのである。私は大学時分に同話の国文学者の講義を聴いたが、当然、こうした肝心の裏の意味を感じていたであろうに、それを授業で指摘するには、当時の多くの国文学者連中は、甚だシャイであって、そこまで述べなかったのには、寧ろ、お笑いとして、私はその教師を嘲って、それ以降、講義を完全にサボったのを思い出すのである(試験論文では「優」を頂戴したが)。

「和名抄」の当該部は巻十九の「虫豸部第三十一」の「虫豸類第二百四十」の「烏毛虫」であるが、国立国会図書館デジタルコレクションの寛文七(一六六七)年の版本の当該部で校合した。

国立国会図書館デジタルコレクションの成光館出版部昭和七(一九三二)年刊の同書の下巻(正字)の右の頭書「陰毛を毛虫になずらふ」が当該部。

『「玉造小野」で、小町の髑髏に生たる薄が、……』これは「玉造小町子壯衰書」ではなくて、江戸中・後期の国学者尾崎雅嘉の「百人一首一夕話」(ひゃくにんいっしゅひとよがたり:「百人一首」の作者に関して和歌や様々な文献資料により詳細に記された解説書。没後の天保三(一八三三)年刊。私は岩波文庫版で所持する)の巻之二の「小野小町」に依拠したものである。国立国会図書館デジタルコレクションのこちらの活字本のここ(画像中央附近の右左前後)で視認出来る。

「西澤一風」(寛文五(一六六五)年~享保一六(一七三一)年)は江戸中期の浮世草子・浄瑠璃作者。大坂の書肆正本(しょうほん)屋主人。本名は義教。「新色五巻書」の発表以来、「御前義経記」などの浮世草子が好評を博し、西鶴没後の浮世草子界で活躍した。享保八(一七二三)年頃からは、豊竹座の座付作者として浄瑠璃を執筆。作品に「北条時頼記」、浄瑠璃の歴史・故実を記した「今昔操年代記」(いまむかしあやつりねんだいき)等がある(小学館「日本国語大辞典」に拠った)。

「井筒屋源六戀寒晒」国立国会図書館デジタルコレクションのこちらで活字本が視認出来る。当該部を探す気になれない。悪しからず。

「曾根崎心中」これは知り過ぎているほど、文楽で何度も見た作品であるので、私には注は必要ない。一応、当該ウィキをリンクはさせておく。

「爲愚痴物語」仮名草子。曾我休自(そがきゅうじ)作。寛文二(一六六二)年刊の随筆。全八巻。作者については伝記不明であるが、作中に、独身であったこと,朝鮮に行ったことなどが告白されてある。全巻で百四十二段あり、神・儒・仏の教訓を語りつつ、また、故事や見聞等をも書き記している。織田信長の家来野間藤六の話、一休和尚の話、大福長者の教えなど、雑多なものが含まれている。「可笑記」に始まる仮名草子の随筆系統の作品である(平凡社「世界大百科事典」に拠った)。]

奇異雜談集巻第四 目錄・㊀越後上田の庄にて葬の時雲雷きたりて死人をとる事

[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい。

 なお、高田衛編・校注「江戸怪談集」上(岩波文庫一九八九年刊)に載る挿絵をトリミング補正して掲げた。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。]

 

竒異雜談集巻第四

          目錄

㊀越後上田(うへだ)の庄(しやう)にて葬(さう)の時(とき)雲雷(うんらい)來りて死人(しびと)をとる事

㊁下總(しもふさ)の国にて死人(しにん)棺(かん)より出て靈供(りやうぐ)の飯(いひ)をつかみくひて又棺に入(いる)是蘇(よみがへる)にあらざる事

㊂筥根山(はこねやま)火金(ひがね)の地藏にて火車(くはしや)を見る事

㊃產女(うぶめ)の由来の事

㊄國阿(こくあ)上人發心山来の事

㊅四條の西光庵(さいこうあん)、五三昧(まい)を廻(めぐ)りし事

㊆三條東洞院鳥屋(とりや)末期(まつご)の頭(かしら)より雀(すゝめ[やぶちゃん注:ママ。])のくちばし生出(をひ[やぶちゃん注:ママ。]いづ)る事

㊇江州下甲賀(しもかうか)名馬(めいば)主(しゆ)の敵(かたき)をとる事

㊈馬(むま)細橋(ほそはし)に行懸(ゆきかゝ)りわたらざる事

 

竒異雜談集巻第四

   ㊀越後上田の庄にて葬の時雲雷きたりて死人をとる事

 ある人語りていはく、ゑちご[やぶちゃん注:ママ。]の国、上田の庄に、寺あり、雲東庵とがうす。

 その檀那、庄内(しやうない)の人、死す。

 その長老、いんだうを、なす。

 葬礼、すでに山頭(さんとう)にいたるとき、電雷(でんらい)、はなはだ、なりて、人、頭(かうべ)を割るがごとし。

 大雨(《だい》う)、降ること、盆(ほどき)の水をかたむくるがごとし。

 下火(あこ)の松明(たいまつ)も、きえなんとする時に、黑雲(くろくも)一むら、龕(がん)[やぶちゃん注:ここでは棺桶のこと。]のうへに、おちくだりて、龕の盖(ふた)を、はねのけて、死人を、つかんで、あがる處を、長老、たいまつを、すてて、はしりかかりて、死人の足(あし)に、とりつく。

 なを[やぶちゃん注:ママ。]、引《ひき》て、あがる。

 

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[やぶちゃん注:底本の大型のくっきりした挿絵はこちらなお、葬送する人々の額に例の三角の白い布「天冠(てんかん・てんがん)」をつけているが、死装束の一つであるが、地方によっては、古くより親族の会葬者がつけて行うことは、多く見られる。閻魔大王や仏・菩薩に面会するための正装とする説が代表的であるが、私はそれに組み出来ない。これは、類感呪術の古形式の一つと見る。遺体は魂が空になったもので、そこには種々の魔物や妖怪が入り込み易いと民俗社会では考える。そこで、禍々しい事態が発生しないように、会葬者が遺体の複数のダミーとなって、そうした事態を避けるためのものと考えている。三十年ほど前、私の同僚は、田舎の伯母が亡くなって葬儀に行った際、天冠だけでなく、遺体と同じ白帷子を着せられた上、その恰好で火葬場へ行く会葬者たちを乗せる自動車の運転までした、と言っていた。その地方では当たり前のことらしいが、それを聴いた時、私は、すれ違った何も知らない土地の人でない対向車の運転手が見たら、驚いて、事故を起こすのではないかと心配したのを思い出す。

 

長老、手をはなさず、かたく、いだきつきて、共(とも)に、そらにあがる事、一丈ばかりあがつて、四、五間[やぶちゃん注:七・二七~九・〇九メートル。]、よこにゆくとき、死人、落つるゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に、長老、地におちて、氣をうしなふ。

 しよにん、いだき、たすけ、死人をば、とりて、龕に、いるるなり。

 雷(かみなり)・雨(あめ)、やうやく止み、長老、氣、たいらかに[やぶちゃん注:ママ。]して、つゐに[やぶちゃん注:ママ。]、火下(あこ)を、なすなり。

 此事、ふうぶん、かくれ、なし。

「長老のきぶん[やぶちゃん注:「機分」。天性(てんせい)生まれつきの気質。]、强精(かんじやう)なり。いかなる罪人なりとも、たすけらるべし。」

と、諸人、いへり。

 その邊(へん)に高山(かうざん)あり。黑雲(くろくも)、嶺(みね)にかゝれば、火車(くはしや)、いてゝ[やぶちゃん注:ママ。]、雷雨、甚だしき事あり。

 此の葬(さう)の日、黑雲かかれるゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に、

「葬、いかゝ[やぶちゃん注:ママ。]。」

といへば、長老、雅意(がい)にて、

「苦しからじ。たゞ葬を、せよ。」

といはれ、かくのごとく也。

[やぶちゃん注:「越後の国上田の庄」岩波文庫の高田氏の注に、『現在の新潟県南魚沼郡のほぽ全域の古称』とある。以下、二重鍵括弧は総て同書の高田氏の注からの引用である。

「庄内」『上田の庄内。庄は中世の村落形態の荘園』。

「下火」『禅宗で、葬式の時、導師が松明をとって火葬とする意を表わす儀式』。

「强精」『気丈なこと』。

「火車」『雷とともに葬礼を襲って屍体を奪いさる妖怪』。怪奇談集ではかなりメジャーな怪異であるが、幾つかの異なったパターンがあり、妖怪性の強いものから、因業者を迎えに来る地獄のそれまで、話しとしては、私の怪奇談集でもお馴染みである。少しそうした「火車」の概説と、私の怪奇談の各個リンクを注で纏めてみた「狗張子卷之六 杉田彥左衞門天狗に殺さる」を参照されたい。なお、挿絵では、引き上げるのは、見たまんまの雷神であるが、雷神が何のために遺体を奪取するのか、他の話でも実は理由が明らかにされているものは少なく、私は一種、消化不良を起こす類いである。

「雅意」『我意の意』。]

佐藤春夫譯「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」正規表現版 「戀するものの淚」景翩翩(誤り。本詩の作者は周文)

[やぶちゃん注:書誌・底本・凡例等は初回を見られたい。本篇はここ。]

 

  戀するものの淚

            幾點愁人淚

            不許秋風吹

            吹到長江裏

            江流無盡期

                 景翩翩

 

戀するものの淚を

な吹きはらひそ秋風

吹きて河べにいたらば

ながれは盡きせじ

 

   ※

景翩翩  十六世紀中葉。 明朝。 建昌の妓女。 字は三味。 四川の人。 閔人というのは誤であるらしい。 後に嫁して丁長發の妻となつたが、丁は人の爲めに誣いられて官に訴へられた時、景は竟に自ら縊れた。 その集を散花吟と名づけたといふのが、讖をなしたかとも思へて悼ましい。 才調の見るべきものがあると思ふ。

   ※

[やぶちゃん注:調べたところ、これは佐藤の勘違いで、景翩翩(けいへんへん)の詩ではなく、既出の同じ明朝の妓女周文の「詠懷」という詩であることが判明した。中文サイト「中國古典戲曲資料庫」の「靜志居詩話」の「卷二十三」の「教坊」の「周文」の末尾に載る(その第三句末の「裡」は「裏」の異体字であるから問題ない)。景翩翩の詩は九首後に出るので、以上の解説はここでは無効なので、そこで、再度、挙げて、幾つかの語を注する。従って、附そうと思った読みも示さない。

 推定訓読を示す。

   *

 詠懷(えいくわい)

幾點(いくしづく)か 人を愁ふる淚あり

秋風(あきかぜ)の吹くを 許さざるに

吹きては到れり 長江(ちやうかう)の裏(うち)

江(かう)は流れ 期(とき) 盡くること無し

   *

 それにしても、ここまででも、多数の誤りや、原詩を弄っていることが、既に紹介した小林徹行氏の既出論考でも指摘されてあるのに、講談社文芸文庫一九九四年刊佐藤春夫「車塵集 ほるとがる文」では、そうした指摘が、「解説」の池内紀池内紀氏の「心にくき霊筆」では、少ししか、指摘されていない。せめて漢文学者による別な注記が、これ、どう考えても必要不可欠である。杜撰な本と言わざるを得ない。因みに池内氏を私は評論家としてはカフカのそれ以外は殆んど評価していない。それは、彼のとんでもない芥川龍之介に対するどうしようもない誤認に呆れ果てているからである。私の『無知も甚だしいエッセイ池内紀「作家の生きかた」への義憤が芥川龍之介の真理を導くというパラドクス』を読まれたい。

佐々木喜善「聽耳草紙」 一四八番 新八と五平

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここ。]

 

      一四八番 新八と五平

 

 昔或所に新八(シンパ)と五平といふ飮み友達があつた。樽酒を買つて來て、ゼゼエ五平、この酒を名指しで飮むべでアねえかと新ハが言つた。なぞにするのだと五平が訊くと、それは樽から酒をつぐ時、シンパツたら俺が飮むし、五平ツたらそち(お前)が飮むことだと言つた。五平も面白いから、それはよかろうと賛成した。

 そこでまづ新八が樽を持つて盃へつぐと、酒は勢ひよくシンパシンパという音を出し出てきた。いつまでもシンパシンパといふので、新八は樽の酒をあらかた飮んでしまつた。そして殆ど底になつた時、やつとゴヘゴヘツといふ音がしたので、ささ今度はそつちの番だと言つて初めて盃を五平に渡した。

 だが五平の分は盃にやつと半分ぐらゐで、それも泡(アブク)のところばかりであつた。

  (昭和三年三月二十七日、村の田尻丸吉殿談。)

梅崎春生「つむじ風」(その2) 「おばはん」

[やぶちゃん注:本篇の初出・底本・凡例その他は初回を見られたい。]

 

     お ば は ん

 

 あの昭和十六年十二月八日に、浅利圭介が嵐子(らんこ)と結婚式をあげたのは、偶然と言えば偶然であるが、ある意味では象徴的な偶然といってよかった。あの日は一見、国家的伸展の日に見えていながら、その実は大没落のきっかけの日であったのである。

 その頃は、もちろんのことであるが、圭介も若かったし、ランコも若かった。ランコは数え年二十一であった。

 仲人の説明によると、彼女の生れたのが大嵐の日で、だから両親が嵐子と名付けたのだという。誕生日環境が、生れた子の人格に作用を及ぼすものかどうか、圭介もよく知らなかったが、どうも最初からランコの性格には、嵐的なものがあったようだ。

 たとえば結婚式が済んで、やっと二人だけになれた時、ランコは圭介の前にきちんと正坐して、はっきりした声で言った。

「わたしはあなたの妻として、一生献身して内助の功をつくします。そしてあなたに偉くなっていただきたいと思います」

 切口上でそう宣言されて、圭介は一時オヤと思ったが、なに、両親からそう言えと言いつかって来たのだろう、と解釈して、あまり意にも止めなかった。むしろそういうことを言う新妻を、可憐だとすら感じたのだ。

 ランコが自分の意志でもって、自発的にそう発言したことを、当時の圭介が知っていたならば、圭介は大あわてして、その結婚を解消したに違いない。何故ならば圭介は、自分が世間的に偉くなれるような人間でないことを、誰よりもよく知っていたからだ。

 結婚して半年ほど経って、圭介に召集令状が来た。

 圭介は大いに狼狽(ろうばい)し、かつ落胆したが、ランコは泰然として、微塵(みじん)の動揺も示さなかった。

「一所懸命お国のために尽して下さい」

 そう言ってランコは圭介を送り出した。冷然というわけでなく、熱情をこめて彼女は送り出したのだ。つまり彼女の情熱は、別れを惜しんでヨヨと泣きすがるという形でなく、あくまで夫を立派なシコのミタテに仕立てたいという形に結実したのである。

[やぶちゃん注:「シコのミタテ」「醜(しこ)の御楯」。「楯」は矢を防ぐ武具の名。「卑しい身(或いは「醜い者」)で天皇のために楯となって外敵を防ぐ者」(単に古代の武人が卑下して言ったものとする説)、或いは「天皇の守りの強力な楯となる頑強な者」の意ともされる。「万葉集」巻第二十の「下野國」の防人(さきもり)の歌十一首の筆頭(四三七三番)に出る上代語。

   *

今日(けふ)よりは顧(かへり)みなくて大君(おほきみ)の醜の御楯と出で立つわれは

   *]

 応召中、ずいぶん手紙のやりとりもあったが、どの手紙においても、ランコは立派な軍国の妻であった。それはなにもランコが軍国主義者であったわけでなく、当時の状況において、彼女は立派な妻であろうと努めたのであり、自分が立派であることによって、夫を立派な夫に仕立てようと考えたのらしい。

 入営後、圭介は強制的に幹部候補生の試験を受けさせられ、そしておっことされた。

 おっことされたというより、自発的におっこちたという方が正しい。将校になるよりは兵士のままでいた方が、たすかる可能性が多いらしいと、圭介の本能が判断したからである。

 ところがそのことをランコに手紙で報告すると、ランコから怨みと嘆きに満ちた返事がきた。

 偉くなって欲しいとあたしが毎日念願していたにもかかわらず、あなたが将校になれないとは、腸(はらわた)が裂けんばかりにかなしい。そういった文面であった。

 ランコが圭介に偉くなれというのは、理想的人間になれという意味と同時に、階級的にも偉くなれという意味もあることを、むしろ後者の方に力点が置かれているらしいことを、圭介は初めて気がついた。

 

 浅利圭介は結局将校にはならず、あまり要領のよくない兵隊として、そして外地に連れて行かれた。将校になっていた方がトクか、兵士のままがトクだったか、これは圭介にも神様にも判らない。とにかく外地ではさんざん苦労をした。

 やっと復員してきたのは、終戦の日から二年も後のことである。

[やぶちゃん注:梅崎春生自身は桜島で敗戦を迎え、兵役を解除(下士官教育を受け、敗戦の年の五月に二等兵曹となっていた)され、一ヶ月後の九月には東京の友人の下宿に転がり込んでいる。そして、その十二月には名作「桜島」を執筆し、出版社に持ち込んでいる(実際には、いろいろあって、翌年の九月に雑誌『素直』に初出発表された)。また、敗戦から一年半後の昭和二二(一九四七)年一月に雑誌編集者であった山崎恵津と結婚している。]

 家も焼けただろうし、ランコなんかも死んだかも知れないと、半分覚悟して戻ってきたのに、家も健在であったし、ランコもちゃんと生きていた。もっとも家は密集地帯でなく、田園中の一軒屋みたいなものだったから、焼け残るのも当然であった。

 圭介の帰還を知って、ランコは泣いて喜んだ。ランコの涙を見たのは、圭介の生涯中これが只一度である。よほど嬉しかったのであろう。

 生きていても、女手の一人暮しだから、生活的にも困窮しているだろう。その圭介の予想も完全に裏切られた。戦後の混乱の中で、ランコは実に逞しく生きていた。どういう風に生きていたかというと、家の近くの百姓にわたりをつけ、その農作物を動かし、そのサヤで生活をしていたのだ。つまりカツギ屋である。

[やぶちゃん注:「カツギ屋」第二次世界大戦の戦中や戦後、米などの統制配給物資を、正規の手続きによらずに、こっそりと買い入れ、担(かつ)いできて、手数料を増して売り渡す者。前の「サヤ」は、そうしたマージンの利鞘(りざや)の「さや」。]

「あたしはなかなかすばしっこいから、巡査なんかにつかまらないんだよ」

 ランコは圭介にそう自慢をした。そして復員祝いにお赤飯をたき、その他いろんなご馳走をこしらえた。当時としては、お赤飯などというものは、夢の中のご馳走にひとしかった。

 復員当座しばらく、圭介はランコの稼ぎによりかかって徒食をしていた。外地でいためつけられた健康を、回復させるためでもあった。怠け者の圭介にとっては、こんな幸福な時期はめったになかった。

 すばしこく法網をくぐるのを自慢したように、ランコはすでに軍国の妻ではなかった。敗戦と同時にいちはやく頭を切りかえて、混乱に生きる決意をしたらしい。決意というより、そういう転身がランコの本体だったのかも知れなかった。

「早く身体をなおして、偉い人になってちょうだいね」

 頭の切りかえは完了したが、亭主を偉いやつに仕立てようという考えは、これはすこしも変っていなかった。そう言われると、どう返事していいのか判らなくて、圭介は口をもごもごさせてしまう。

 健康も回復してきたし、いつまでも徒食するのも心苦しいので、ある日の朝飯の後、圭介はランコに申し出た。

「すっかり丈夫になったし、そろそろ仕事を始めたいと思う」

 ランコは頼もしげに亭主を見た。

「いろいろ考えた結果、お前のやっている仕事な、あれを僕もやろうと思う」

「カツギ屋?」

 ランコは驚きの声を立てた。

「カツギ屋はだめですよ。絶対にだめ!」

「何故だね。お前もやってるじゃないか」

「カツギ屋はだめよ。第一あなたの性に向かない」[やぶちゃん注:「性」「しょう」。気質。]

 そしてランコは声を高くした。

「それに、カツギ屋というのは、軍隊で言うと、一兵卒よ。そんな一兵卒にあなたをしたくない。どうせ物を動かすなら、将軍級の大ブロカーになったらどう? とてもあなたには出来ない相談でしょう」

 

 自分をカツギ屋という一兵卒の身分におとしめてまで、亭主を偉くさせようというランコの申し出は、浅利圭介を感動もさせたが、同時に重い負担をも彼の胸にうえつけた。重い負担というより、絶望的な負担といった方がよかった。

「あなたはれっきとした学校出だから、やはり力仕事よりも、頭の方の仕事をするのが本筋なのよ。そんな仕事を探したらどう?」

「今、頭の仕事の方は、給料が安いそうだよ」

「安くてもいい。初めは誰だって安いわよ。そこからだんだん上って、偉くなるんだから」

 実際その頃は職は多かった。新聞にも求人広告はいくらでも出ていた。ただ進行するインフレに給料が追っつかないだけの話であって、それさえ我慢すれば、職はいくらでもあったのだ。

 そこで圭介は伝手(つて)を求めたり、求人広告に応じたりして、あれこれの職についたが、どういうわけか圭介が職につくと、間もなくその勤め先がつぶれてしまうのである。

 戦後の各事業の浮沈のはげしさがその原因であって、決して自分のせいではないと圭介は信じていたが、それでも彼の場合ははげし過ぎた。

 長くて一年、短いのになると、入社して一ヵ月目に解散ということもあって、ろくろく席のあたたまる余裕がないのである。

 どれもこれも短期間であるから、とても偉くなる余裕がない。

 ランコは相変らず圭介に対して、献身的であり愛情深かったが、勤め先がつぶれたという報告を聞くと、おそろしくにがい顔になった。

「またつぶれたの。困るわねえ。また新規まきなおしじゃないの」

「そうなんだよ。僕も困っているんだ」

 「どうしてそんなにつぶれるんでしょう。何時まで経っても、長(ちょう)にはなれないじゃないの」

 ランコは嘆声を発した。圭介は面目なげにうつむく他はない。そういえば、圭介はまだ一度も、長のつく役目についたことがない。軍隊においても、ついに上等兵どまりで、兵長にはなれなかった。

「あなたという人間の中に、何かしら会社をつぶすような要素があるんじゃない?」

 あまりにも勤め先がつぶれるものだから、とうとうランコはこういう物騒なことを言い出してきた。

「あたしだって、そんなことを思いたくないんだけれど、あんたにそんな気(け)があるんじゃない?」

「じょ、じょうだんじゃないよ。そんなことがあってたまるものか」

 圭介は顔色をかえて抗弁した。顔色をかえたのは、ひょっとすると自分にその気(け)があるんじゃないかと、近頃自分でも疑い始めていたからだ。

「運が悪いんだよ。運が悪いだけなんだ。そうそう悪運ばかりがつづくわけがないから、もうそろそろ僕にも運が開けてくるよ」

「そうかしら。早く運が開けなきゃ、困るわねえ。だってあなたは、もう三十六でしょ。もうどうにかならなきゃ、そのままヒネショウガみたいになっちまうわよ」

 圭介は返す言葉もない。

 それで奮起したというわけでもなかったが、圭介は軍隊時代の仲間と組んで、小さな商事会杜をつくり、これはかなり成功した。

 

 この商事会社は割にうまく行ったのだが、なにぶんにも小規模のものだったので、ちょっとした手違いで、創立三年目にしてつぶれた。

 こぢんまりやるということは、近代資本主義社会では手固いように見えて、やはり大海にボートを浮べたようなもので、あおりが来ると直ぐにひっくりかえってしまうのだ。

 しかしこの三年間は、圭介夫妻にとって割に安泰な時期で、ランコも嵐の如き性格を露出することもなく、身体も肥ってきた。

 結婚したてのころは、きりっとした細おもての美女だったのに、だんだん肥り出して、どっしりとした大年増になってきた。

 精神の安泰がこれをもたらしたのか、中年の生理のゆえなのか、食糧事情好転のせいなのか、よく判らないが、とにかくランコは肥りに肥った。着物を着てきちんと坐ると、膝の厚みが一尺ほどにもなった。

 圭介の方は別段肥りも瘦せもせず、三十九回の誕生日をむかえた。

[やぶちゃん注:「三十九回の誕生日」実際の梅崎春生は大正四(一九一五)年二月十五日生まれであるので、数えならば、昭和二八(一九五三)年、満で言っているなら、その前年となる。この「三十九回の誕生日をむかえ」るまでの時間経過がややぼかしてあるが、太平洋戦争開戦の日の結婚と軍歴、戦後の職歴で大きな相違はあるもの、「れっきとした学校出」であることなどで、浅利圭介に梅崎春生自身の影を、ほのかに匂わせるものは、ある。また、ここでの年齢指示から、本作が新聞連載された昭和三一(一九五六)年の梅先の実満年齢に急速に近づいている(連載開始時は梅崎は四十一歳になったばかり)ことも指摘出来る。]

 会社がつぶれたのは、それから八ヵ月後、歳の瀬も押しつまってからである。

 圭介も大狼狽したが、ランコの驚愕と憤怒(ふんぬ)はまた格別のものであった。長男も小学校に入学したし、あとはたんたんたる人生航路を予想していたのに、その夢が一挙に破れ去って、ランコはいささか逆上した。

「どうするんですよ。あなたは!」

 厚み一尺の膝を詰めよって、ランコは圭介を責め立てた。

「圭一ももう学校だし、今からしっかりしなくちゃいけないのに、今更失業とは何ですか!」

「僕が悪いんじゃないんだよ」

 圭介は必死に抗弁した。

「つまり、社会の機構が、悪いんだ」

「お黙りなさい。あなたが悪い」

 ランコは力まかせに畳をたたいた。

「社会の機構にうまく合う人が立派な人で、合わないのは当人の心がけが悪いんです。つまり、あなたは、不合格品よ」

「不合格品かどうか、まだ判らないよ。今からも一度……」

「も一度も何も……」

 とランコはまた畳をなぐりつけた。

「あなたは今いくつだと思っているんです。三十九じゃないの。もう何カ月かすると、四十男になるんじゃないの。四十面をぶら下げて、失業中でございなんて、恥かしいと思わないの。一体あなたは、どういう気持なの?」

「僕はほんとに、疲れたんだ」

 思わず圭介は本音をはいた。

「疲れた? 一体何に疲れたんです?」

「つまりさ、偉くなることに疲れたんだ」

「まあ呆れた。いっこうに偉くなってないじゃないの?」

「だからさ、偉くなろうと努力することに疲れたと言っているんだ」

 圭介は半分やけっぱちになって、怒鳴り返した。

「疲れた。ああ、おれは疲れた。当分のんびりとして、魚釣りでもして暮すんだ。おれにはおれの自由がある!」

 ランコも更に言いつのろうとしたが、何を思ったか、ふいに口をつぐんだ。両手を膝の上にきちんと乗せ、きらきらと青く光る眼でじっと圭介の顔を見据えた。

「あなた。今のあなたの言葉は本心ですか?」

「本心だ」

 圭介はふてくされた。

「どうせ僕は不合格品さ。規格外のニセモノだよう」

[やぶちゃん注:梅崎春生の長男知生(ともお)は昭和二六(一九五一)年五月生まれで、本篇発表の翌年に小学校に上がったはずであるから、よく一致する(因みに長女史子(ふみこ)は昭和二十二年十月生まれ)。また、ここでだだを捏ねる圭介は、梅崎がそうだというのではないが、彼が小説で登場させる梅崎春生然とした主人公の、多分に我が儘な性格と、かなり強い親和性を持っているとも言える。但し、実際に梅崎春生には、精神的にやや普通でない一面があったようで、底本別巻の年譜の昭和二十八年満二十八歳の条には、最後に『先天的無力体質と診断されるなど憂鬱症の兆候があらわれた』とある。]

 

 その翌日からのランコの日常は、よそ目にはほとんど変化がないと言ってよかった。

 ちゃんと家事もやるし、圭介が話しかければふつうに応対するし、家庭内で変ったことと言えば、圭介が毎朝きちんと出勤しないということだけであった。

 しかし、そのランコの態度の大根(おおね)のところでは、あきらかに変化のきざしがあった。

 つまり、圭介の将来に望みを絶ったこと、圭介をエラブツ[やぶちゃん注:「偉物」。]に仕立てようとの努力を打切ったこと、亭主が人生の不合格品たることを確認したことなどによって、彼女の内部のものは大元[やぶちゃん注:「おおもと」。]のところで変化しつつあった。

 長年連れそった女房のことだから、亭主の圭介にはそのくらいのことは感知出来る。

 亭主として一応立てて呉れてはいるが、根本のところでケイペツされているということは、あまり愉快な気持ではない。

 こちらから規格外のニセモノだと宣言したものの、その言葉を額面通り受取られては、亭土として立つ瀬はないではないか。

 では、どうしたらいいか?

 女房のその態度に発奮して、新しい仕事を求め、早くエラブツになること。これはあまりにも美談めいて、圭介の性に合わぬ。それにその可能性があるかどうか。

 では、不合格品であることを自分でも確認して、のらりくらりと生きるか。それはちょっと淋し過ぎるし、そんなことをしていると、親子三人の口が乾(ひ)上る。

 あのいさかいがあって以来、長男圭一に対するしつけと言おうか教育と言おうか、そのことにランコは急に熱心になったことを、圭介は知った。

(おれがもうダメだもんだから、今度は圭一をエラブツに仕立てようとしてるんだな)

 ひがむわけではないけれど、露骨にその気配を見せられては、圭介も面白くない。

 面白くないから、宣言通り魚釣りに出かけてもみたが、魚釣りというやつも退屈で、あまり面白くないものだ。

 失業以来、圭介の気分は急速に頽廃しつつあった。

 失業一ヵ月目の夕食の時、ランコはやおら坐り直して、圭介に切口上で宣言した。

「あたしはね、いろいろ考えた揚句、空いている郎屋を、他人(ひと)に貸したいと思います」

 圭介は黙っていた。失業して、うちに金を入れてないのだから、異議をとなえるわけには行かないのである。

「ですから、あなたの、あなたの書斎をあけ渡していただきたいのよ。あなたはあの納戸(なんど)にうつってください」

「お前は?」圭介は訊ねた。「お前たちは?」

「あたしと圭一は、茶の間です」

 いろいろ考えて置いたらしく、ランコはてきぱきと答えた。

「あなたが納戸に引っ込んで下されば、部屋が三つあきます。三部屋を貸せば、どうにか食って行けるわ。もうあたしも、カツギ屋をやる体力もないし、またカツギ屋の時代でもなくなったし」

「するとお前は、下宿屋のおばさんになるのか?」

「なりますとも」

 おばさん、という言葉がぐっと胸に来たらしく、ランコはちょっと声を険しくした。

「だってこの家は、あたしの家なんですからね。何をやろうと、誰の指図も受けません!」

 

 ランコのその言葉に、浅利圭介はすくなからずむっとした。何故ならばこの家は、もともと圭介のものだったからだ。

「へえ。これ、お前の家かねえ」

「そうですよ。ちゃんとあたしの名義になってるじゃないの!」

 そう言われれば、言い返すすべもない。

 召集令状が来た時、圭介は残さるる[やぶちゃん注:ママ。]新妻のあわれさを思いやり、かつまた万一の事態をも考えて、大急ぎでランコの名義に直しておいたのだ。そのたたりが、十数年経った今になってあらわれようとは、神ならぬ身の知る由もなかった。

 ランコは三度(みたび)畳をたたいて言いつのった。

「そうよ。ここはあたしの家よ。あたしがこの家の主人よ!」

「すると、僕はこの家の主人ではないと言うのか?」

「もちろんよ。あくまで主人の座に執着するなら、その前に主人としての働きを見せてちょうだい!」

 長年連れそった夫婦でも、ちょっとした言葉の行き違いで、むきになって意地を張り合うことがある。主人としての働きを云々されたのだから、この圭介の場合はことに深刻であった。ここは亭主としてもっとも痛いところなのだ。圭介は内心悲憤の涙にむせびながら、押しつぶされた声を出した。

「よろしい。この家の主人の座は、お前にあけ渡そう。仕方がない」

「あたり前よ。あけ渡すんだったら、ついでに、お前という呼び方もやめてもらいましょうか」

 女というものは大へんやさしく、且つかしこい生きものであるが、男にくらべると、惜しいかな、亢奮(こうふん)時における抑制というか節度というか、その点においてやや欠くる[やぶちゃん注:ママ。]ところがある。この場合のランコもそのうらみがあった。圭介の胸はふたたび悲憤の情にはり裂けた。しかし彼は忍耐した。

「よろしい。主人の座は、お前さんにあけ渡す!」

「お前さん?」

 ランコは眉をつり上げた。

「それが主人に対する言葉ですか」

 圭介はちょっと沈黙した。そしてしぼり出すような声を出した。

「とにかく、僕は、主人の座をあけ渡す。あけ渡しゃいいんだろ」

 圭介はすっくと立ち上り、畳を蹴立てて外に出た。パチンコ屋に直行し、三時間にわたって一心不乱に玉を弾(はじ)いた。あれほど献身的であった妻から、この度[やぶちゃん注:「たび」。]こんな仕打ちを受ければ、圭介ならずともパチンコを弾いたり酒を飲みたくなるにきまっている。

 三つの部屋から家具が撤去され、きれいに掃除され、貨間札が貼られ、一ヵ月も経たずして、三人の他人が入居してきた。

 圭介が押し込められた納戸というのは、北向きの日当りの悪い六畳だが、三つの部屋の家具をここに運び込んだので、実質的には四畳ぐらいにしか使用出来ない。

 主人の座から降りて、臣下ともつかず浪人ともつかぬ、まことに中途はんぱな位置に立って、圭介はこの部屋に起居することとなった。

 一方ランコは一家の主人として、また止宿人にとってはやさしいおばさんとして、ますます貫禄が具わってきたようである。

 

 一家のあるじの位置に立ったランコを、いかに呼ぶべきや、圭介もいささか困惑した。お前からお前さんまで譲歩したのに、ランコは聞き入れて呉れない。お前さんでいけなければ、あとはあなたあんただが、そこまでの後退は圭介の自尊心が許さなかった。それにここを後退すれば、サイパン失陥[やぶちゃん注:「しっかん」。攻め落とされて軍事支配を失うこと。]の日本軍のように、総くずれになるおそれがあった。

 しかし、そこはよくしたもので、日本語というやつはたいへん便利にできていて、主語を抜きにして会話ができるのである。お前とか、あなたとか、そんな言葉を使わないでも、ちゃんと会話ができ、意味が通じるようにできているのだ。

 その日本語の柔軟性によりかかって、圭介はほぼとどこおりなく、ランコとの会話に成功していた。

 あんなに激突したんだから、その翌日からにらみ合いの冷戦になる筈だと、あるいは独身の読者は思うかも知れないが、夫婦というものはそんなものでない。そんなにかんたんに割り切れたものでなく、もっと複雑にして微妙なものなのだ。

 ところがある日、圭介はどうしてもランコを呼ばねばならぬ事態におち入ってしまった。

 上厠(じょうし)して用を果たし、ふと気がつくと紙がそなえてなかったのである。

 午前の十時頃で、止宿人たちはいないし、圭一は学校に行っているし、いるのはランコだけであった。

 紙を使用しないままの状態で出てやろうかと、よほどのこと考えたが、さすがに圭介の衛生思想がそれを許さなかった。

 圭介の頭の中を、さまざまの呼称の言葉がかけめぐった。お前さんでは叱られるし、あなたとは舌を抜かれても言う気持になれなかった。

 ついに圭介は、止宿人たちが呼んでいるところの、おばさん、という言葉を思いついた。それにならって、おばさん、と声を出そうとしたが、やはり何か心にひっかかるものがあった。といって、何とか言わないわけには行かない。圭介はせっぱつまった。せっぱつまったまま、おばさん、という言葉に若干のデフォルメを加えて、声を張り上げた。

「おばはーん」

「おばはーん。紙持ってきて呉れえ」

 言うまでもなく、圭介はランコを侮辱するつもりではなかった。せっぱつまったせいもあり、また親しみをこめたつもりでもあったのだ。

 廊下を踏みならして、ランコは一束の紙を持ってきた。

 その眼は怒りに燃えていた。

 

 圭介はその時の眼を見なかったから、ランコの怒りには気付かなかった。

 そしてランコはその怒りを、その場でぶちまけることはしなかった。

 三日か四日間、ランコは内心あれこれと考えめぐらすところがあったらしいが、それを表情や態度に出すことは全然しなかった。だから圭介は何も気付かないでいた。相変らず主語抜きの会話をランコと交していた。おばはんという言葉を一度は使ってみたが、それは緊急の場合だったからで、面と向ってはやはり使いにくかった。

 四日目の夕方、圭介が納戸にひっくり返って夕刊を読んでいると、唐紙(からかみ)ががらりひらかれて、ランコがぬっと入ってきた。圭介の枕もとにきちんと坐った。

「あんたはこの間、あたしのことを、おばはんと呼んだわね」

 

 その声を聞いて、圭介は反射的に、むっくりと起き直った。以前ならば女房の声ごときで起き上ったりしないのだが、失職以来、とかく気が弱くなって、水鳥の羽音にすら驚かされるような心境になっているのである。

「言ったじゃないのさ。トイレの中で」

「言ったよ」

「どういうわけでそんな呼び方をするの?」

 ランコは厚い膝で詰め寄った。圭介もきちんと膝をそろえたままあとしざりした。

「こともあろうに、おばはん、とはなんですか。一体あんたは、どういう心算(つもり)なの?」

 お前呼ばわりを禁止して以来、ランコは圭介の呼称をあなたからあんたに格下げをしていた。これは意識的なものでなく、圭介の人物評価が低下したために、自然と格下げになったもののようだ。

「うん。だって、お前とか、お前さんとか言うと、怒るじゃないか」

「誰が怒るの?」

「そ、そこに坐っている人が、さ」

 圭介はランコの顔をまっすぐに指差した。せっぱつまった圭介のその動作を、ランコはまたしても揶揄(やゆ)ととったらしかった。ランコの眉はびくびくと上下した。

「それがおばはん呼ばわりする根拠に、どうしてなるの?」

 ランコの眼がきらきらと光った。

「あたし、くやしい!」

「だって――」

 圭介はなだめるような、またごまかすような声を出した。

「間借人[やぶちゃん注:「まがりにん」。]たちも、おばさん、と呼んでるじゃないか。おばさんとおばはんは、一字違いだけだから、そんなにくやしがることはないと思うがなあ」

「じゃ、あんたは間借人なみというわけなの?」

「うん、呼び方においてはね。つまり僕はわざとやっているんじゃなく、自然と遠慮しているんだよ」

「そう。判ったわ。判りました」

 ランコは急に開き直って、よそよそしい切口上になった。

「遠慮して間借人なみになったのね。では、今月から、この間代[やぶちゃん注:「まだい」。部屋代。]を払っていただきましょう」

「え?」

 圭介は仰天した。

「ぼ、ぼくから、部屋代を取ろうというのか。この僕から?」

「そうですよ。ここはあたしの家なんですからね。おばはん呼ばわりをするような人間を、タダで住まわせるわけには行きません」

「そんなムチャな」

 圭介は嘆息した。

「僕は失業してるんだよ。失業中のあわれな亭主にむかって――」

「失業保険があるはずじゃないの!」

 ランコは畳をどしんとたたいた。

「失業以来、どうするかと黙って見ていると、知らんふりして、うちに一文も入れないじゃないの。一体あんたは、失業保険をうちに入れないで、何に使ってるの?」

「そ、それは」

 虚をつかれて、圭介は絶句した。ランコはたたみかけた。

「言えないのね。よろしい。あんたは妻子が餓えても、平気なのね。あたしはあんたから、部屋代だけでなく、飯を食うんだったら食費も払っていただくことにします。判ったわね」

 

 失業保険を家に入れなかったのは、それはたしかに圭介が悪かった。しかし圭介はそれを遊興なんかに消費したわけでない。万一の場合にそなえて個人的に蓄積、つまりヘそくっていたのである。

 人間も四十ぐらいになると、青年時代と違って、すこしは用心深くなる。行き当りばったりのことは出来なくなるものだ。

 それに現実にランコが止宿人を入れているし、保険金は自分で蓄積して置いた方がいいと判断したのだ。

 おそらくランコは失念しているのだろうと、半分は安心、半分はたかをくくっていたのに、突然そこをつかれて、圭介は大狼狽した。大狼狽をした揚句に、ランコに一挙に押し切られた。

「じゃあどうしても、おばはんは――」

 圭介は居直った。やけっぱちになって、禁句を使用した。

「おばはんは僕から、部屋代を取ると言うんだね」

「取りますとも」

 ランコは勝ち誇ったように、部屋中をぐるぐる見廻した。

「六畳だから、四千八百円。三百円お引きして、四千五百円にしとくわ」

「そりゃ高い。いくらなんでも高過ぎる。暴利というもんだよ」

 圭介も真剣になった。実際火の粉が身にふりかかっているのだから、真剣にならざるを得ないのである。

「他の部屋とちがって、ここは日当りも悪いし、寒いじゃないか。それを他の部屋なみに、一畳八百円だなんて――」

「じゃ、四千円にまで負けて上げるわ。しかし、日当り日当りというけれど、あんたはもう三十九でしょ。日に当ったって、もう育ちはしないわよ」

「それにこの部屋」

 圭介は両手をつかって、ぐるぐると指差した。

「あの三つの部屋から、こんなに家具や道具を運び込んで、見なさい、六畳の中[やぶちゃん注:「うち」。]二畳はそれに使われているじゃないか、僕が使ってるのは、わずかに四畳だよ」

「何を言ってんですか。その家具や道具は、まるで他人のものみたいな言い方ね。じゃ、よござんす。家具類はこちらで引取りましょう。引取ってたたき売ることにしましょう」

「おいおい、それは待ってくれ」

 圭介の声は俄(にわ)かに哀願的になった。

「そんなにつんけんしなくってもいいじゃないか。そりゃ僕の家具類だけれど、しかし、現実に使用……」

「何時あたしがつんけんしました?」

「いやつんけんじゃなくて、こちらの弱味につけこんで、巧妙にたたみかけてくる。おばはんのやり方はまるでアメリカ的だ。すこし侵略的に過ぎるぞ」

「おや、何時侵略しました?」

「したじゃないか! 沖繩は返さないし、富士山は取り上げるし、砂川町や妙義山……」

「アメリカのことじゃありません!」

 ランコはまた畳を引っぱたいた。

「あたしのことよ。あたしが何時侵略したかというのよ。教えて上げますけれどね、あたしのやり方は、侵略的というんじゃなくて、論理的というんですよ。アメリカなんかと一緒くたにされてたまるもんですか!」

「じゃあ、アメリカは取消そう。でもね、おばはん、この部屋は日当りが悪いだけでなく、畳もぼろぼろだし、鼠もうろちょろ出没するんだよ」

 

 そういう論争を一時間もつづけた揚句、結局六畳の間代は、月三千円ということでケリがついた。四千五百円を三千円に値切ったのだから、浅利圭介としては異常な奮闘ぶりであり、成功であったと言えるだろう。

 話がついてランコが立ち去ったあと、圭介はふたたび畳にひっくり返り、千五百円の値切りを考えてにやりと笑ったが、次の瞬間、笑いは頰に凍りつき、にがいものが胸をつき上げて来た。

 よくよく考えてみると、これは千五百円などの問題ではないのである。

 この間まで一家の主人の地位にいたのに、その主人の座を追われた。それだけならまだ復辟(ふくへき)[やぶちゃん注:一度、退位した君主が、再び、位に就くこと。復位。 重祚。]の可能性もあったが、この度は一介の間借人の位置までに転落してしまったのだ。一等国が四等国に転落したのより、もっともっとひどい。

「あいつはもう俺を愛していないのかな?」

 苦虫をかみつぶした顔になってむっくり起き上り、圭介はつぶやいた。

「あいつは俺に、偉くなれ偉くなれと強要するが、そんなムリな話はないぞ。俺たちみたいに偉くなれないのがいるからこそ、偉いやつが偉いやつになれるんだ。皆が皆偉くなれば、もうそこに偉いということはあり得ないのだ」

 圭介は眼を据えて、自分のゆく末のことを、じっと考えてみた。行く先はあんたんとしていた。圭介はつぶやいた。

「もう四十になる」

 人生は四十から、という言葉があるが、これは薬の広告かなにかで、実際の人生にはあまり適用しにくい。四十までに足場をかためたものにとっては、その言葉も当っていようが、圭介みたいに四十で失業状態では、お話にならないのである。人から使われるにはヒネ過ぎているし、といって第一歩から始めるには、心身が硬化している。まだしも一家の主人であれば、どうにか形がつくのだが、間借人ではどうにもならない。

「どうしたらいいか。どうしたらいいのだろう?」

 失業保険もあと二カ月で打ち切られるのだ。四十にして大いに惑わざるを得ないではないか。

 圭介はごそごそと立ち上り、押入れから毛布をひっぱり出して、また畳にひっくり返った。毛布を頭からひっかぶった。ほこりくさいにおいと共に、圭介の眼界にチカチカと暗い火花みたいなものが飛び散った。

「よし。どんなことがあっても、俺は偉くなってやらないぞ!」

 毛布をひっかぶり、まるで石みたいに身体を硬くして、圭介は力んでいた。

「ランコが何と言おうと、俺は偉くなってやらないぞ!」

「あくまで態度をかえなければ、俺も一生ランコのことを、おばはん呼ばわりしてやるぞ!」

「偉くならないでも、俺は生きて行けるぞ!」

「どうせ世に入れられぬなら、入れられぬ者としての自己表現が、この世のどこかにあるわけだぞ!」

「逆手やハメ手を使ツでも、俺は生きで行ってやるぞ!」

「あとで後悔をするな!」

 後悔をする者は一体誰なのか、それもよく見当がつかないまま、浅利圭介は毛布の中で力みに力んでいた。

[やぶちゃん注:「逆手」一般的に広く、「相手の攻撃をそらし、それを逆用してこちらから攻め返すこと。また、ある状況や他人の行為などに対して、普通に予想されるような方法とは反対の方法で対処すること。」を指すが、次の「ハメ手」から梅崎春生が好きだった囲碁将棋でのそうした攻め方を特に指していると推定される。なお、読みは「さかて」「ぎゃくて」と二様に読む。

「ハメ手」「填(塡)手」。「はめで」とも言う。相手を陥れるための方法で、特に囲碁や将棋で相手の間違いを誘う目的で意識的に行なう手を言う。]

2023/07/05

奇異雜談集巻第三 ㊄伊良虞のわたりにて獨女房舩にのりて鰐にとられし事 / 巻第三~了

[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい。

 「伊良虞(いらこ)」「いらご」(三河の現在の愛知県渥美半島先端にある伊良子岬(いらごみさき)。古くから伊勢参りの渡船が伊勢や鳥羽と結ばれていた)の読みの混在はママ。現行では「いらご」に統一されているようだが、清音の「いらこ」も読みとしてある。

 なお、高田衛編・校注「江戸怪談集」上(岩波文庫一九八九年刊)に載る挿絵をトリミング補正して掲げた。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。]

 

   ㊄伊良虞(いらこ)のわたりにて獨女房(ひとり《によ》ばう)舩(ふね)にのりて鰐(わに)にとられし事

 明應年中[やぶちゃん注:一四九二年から一五〇一年まで。]の事なるに、猿樂の太皷(たいこ)善珎(ぜんちん)と、笛(ふえ[やぶちゃん注:ママ。])彥四郞(ひこ《しらう》)と、兩人、駿河にくだるに、

「いらごの渡りをすべし。」

とて、伊勢の大みなとにゆきて、便舩(びんせん)をまつに、やかて[やぶちゃん注:ママ。]、客衆(きやくしゆ)、おほく、

「天氣、よし。」

とて、舟を出《いだ》す程に、兩人、のりぬ。

[やぶちゃん注:「伊勢の大みなと」三重県伊勢市にある港町大湊町(おおみなとちょう:グーグル・マップ・データ)。]

 善珍が中間《ちゆうげん》の妻(つま)は、こんぼん[やぶちゃん注:「根本」。副詞の「もともと」。]、するが[やぶちゃん注:「駿河」。]の者なるゆへ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]に、

「よきべんぎに[やぶちゃん注:「便宜に」。ちょうど良い折りだから。]、くだりて、親を、みまはん。」

とて、つれてゆく。

 おなじく、舩に乘りぬ。

 別(べち)に、女人、なし。

 舩頭のいはく、

「獨女房をば、舟に乘せぬ法(はう)にて候ぞ。おりられよ。」

といへば、夫(おつと[やぶちゃん注:ママ。])の中間、

「是は、こなたのつれにて候。」

といふ。

[やぶちゃん注:「獨女房」岩波文庫の高田氏の注に、『航海上の禁忌の一つ。乘組みの中に女人が一人しか居ない場合をいう。「女房」は「女人」の意で、娘、人妻、老女を問わない』とある。一般に海神は女性とされ、古く、漁師などは、女を乗せると、海神が嫉妬し、災いをもたらすとして、激しく嫌った。]

 舩頭の、いはく、

「たれにても御座(ござ)あれ、舟の法にて候ほどに申候。いづかたの浦の舟も、ひとり女ばうをば、乘せぬ法にて候。ことに此のわたりは、大事のわたりにて候ぞ。もとも[やぶちゃん注:最も。]、さる事ある程に申候。乘(のせ)られん事は、然るべからす[やぶちゃん注:ママ。]候。別(べち)の舩に、女房づれ、有るへし[やぶちゃん注:ママ。]。あとの舩に、のり給へ。」

といへば、夫、目をいからし、こゑを荒くして、

「何の別の舟といふ事あらんぞ。くるしからぬぞ。たゞ、のれ。」

といふ。

[やぶちゃん注:「ことに此のわたりは、大事のわたりにて候ぞ。もとも、さる事ある程に申候」伊良子水道は難所として古くから知られていた。]

 舩頭、

「ことをわけて申せども、『ただ、乘(のれ)。』とあるに付《つき》ては、ぜひにをよば[やぶちゃん注:ママ。]ず。もし、いかやうの事ありとも、舩頭のれうじ[やぶちゃん注:「聊爾」で「いい加減なこと・思慮がないこと」を言う。]にてあるましく[やぶちゃん注:ママ。]候。」

といふて、舟を漕ぎ出《いだ》したり。

 七里のわたりを、三里あまり行く時分に、よき天氣の空(そら)に、黑雲(くろくも)の一尺ばかりなるが、にわかにいでうかぶなり。

 舩頭、これをみて、

「あやしき雲かな。是は、ふしん[やぶちゃん注:「不審」。]なり。」

といふ。

 舩子(ふなこ)、かんどり[やぶちゃん注:「揖取」。「かぢとり」の音変化。]も、見て、あやしむなり。

 その雲、ときのまに、はびこり、天(そら)、くもりて、夕(ゆふべ)のごとくなり、風、あらくふき、波、さはぎたつて、すなはち、大波《おほんあみ》になりて、舩に、うち入《いる》なり。

 舩頭、おほきに驚きて、

「みなみな、荷物、うたれよ。」

といふて、舩頭の、わたくしに置きたる荷を、二、三荷、先(まづ)、取り出《いで》て、なげ入《いれ》たり。

[やぶちゃん注:「うたれよ」海に投げ捨てられよ。

「舩頭の、わたくしに置きたる荷」船頭が、私物、或いは、私的に運ぶために載せてあった荷物ということであろう。]

 客衆(きゃくしゆ)、これを見て、をのをの[やぶちゃん注:ママ。]、皮子(かはご)[やぶちゃん注:携帯用の行李(こうり)。]・櫃(ひつ)、大事の荷物、みな、ことことく[やぶちゃん注:ママ。後半は底本では踊り字「〱」。]、なげいれぬ。

 舩頭のいはく、

「たれも、舍利を御所持ならば、いそぎ、海へ、入れられよ。龍神のほしがる物にて候。そのほか、ひさう[やぶちゃん注:ママ。「祕藏」。]の物、太刀(たち)・刀(かたな)なんど、みな、なげ入られよ。」

といふ。

[やぶちゃん注:「舍利」高田氏の注に、『ここでは「遺骨」の意』とある。]

 客衆、みな、投入(なげ《いれ》)たり。

 善珎は、太皷のいゑ[やぶちゃん注:ママ。岩波文庫本文では『家』(いへ)とある。高田氏注に、太鼓を入れる『箱』とされる。後で底本も「家」と出る。]を脇に置きたるを、舩頭、これを見て、

「それは、何ぞ。」

といふ。

「太皷なり。」

といふ。

「それこそ、龍神のほしがる物にて候へ。いそぎ、なげ入《いれ》られよ。」

といふ。

 客衆も、みな、いへば、善珎、太皷の家の緖《を》をときて、取り出《いだ》せば、光り輝き、さいしよくゑ[やぶちゃん注:「彩色繪」。]ゑかきたるを、なけいるれは[やぶちゃん注:総てママ。]、波にうたれて、すこし、太皷のこゑ、あるを、聞(きゝ)て、感(かん)にたえ[やぶちゃん注:ママ。]、なみだをなかし[やぶちゃん注:ママ。]、しうしん[やぶちゃん注:「執心」。]してながめやるてい[やぶちゃん注:「體」。]を、みな人、みて、あはれを、もよほせり。

 撥(ばち)をば、のこして、こしにさしたり。

 舩頭、見て、

「そのばちをば、何とて、のこさるゝぞ。」

といへば、

「是は、さしたる物にあらざれども、わが手にあふたるばちにて、いのちとともに、おもふなり。」

といへば、

「さやうに祕藏の物を、龍神、さはり[やぶちゃん注:「障り」。]をなす事にて候。いそぎ、なげいれられよ。」

といヘば、ちから、をよば[やぶちゃん注:ママ。]ず、なくなく、なげ入《いれ》たり。

「それがしは、生きても、曲(きよく)なし。」

と、いふて、なげく躰《てい》、哀れなり。

[やぶちゃん注:「曲なし」「何の面白みもなくなった」の意だが、太鼓打ちであるから、演奏する「曲」に掛けてあるのであろう。]

 彥四郞は、笛を、ふところにさして、知らぬ顏にてゐたり。

 客衆より、

「何とて、笛をば、なげ入られぬぞ。」

といへは[やぶちゃん注:ママ。]

「是ほと[やぶちゃん注:ママ。]の物は、ものゝかすにあらす[やぶちゃん注:総てママ。]。」

といふて、をしかくしてをけ[やぶちゃん注:総てママ。]ば、みな、いはく、

「貴所(きしよ)は、笛のめいじんなり。笛を、おしま[やぶちゃん注:ママ。]れば、龍神のとがめ、あるへし[やぶちゃん注:ママ。]。」

といへば、

「ちから、をよばず[やぶちゃん注:ママ。]。」

とて、ふところより、ぬきいだして、なけ[やぶちゃん注:ママ。]いれたり。

 波、なを[やぶちゃん注:ママ。]、たかく、うち入《いる》ほどに、舩のあかを、かゆる事、たゞ、手も、をかず[やぶちゃん注:ママ。]、客衆、みな、かへいだすなり。

[やぶちゃん注:「あか」「閼伽」。仏教で供える水を言う。高田氏の注では、『「淦(あか)」は船底にたまった水。水というのを忌んでいう』とされる。]

 舩は、

「くるりくるり」

とめぐりて、こげども、行かず、かへらんとして、あやうきゆへに、舩頭、櫓を、をさめて、かけがへ[やぶちゃん注:予備の「掛け替え用」の櫓(ろ)の意。]の、櫓、二、三丁、取り出だし、左右のわいかぢ[やぶちゃん注:「脇揖(わきかぢ)」のイ音便。]にかけて、舩子ども、ならびゐたり。僧は經を、よみ、俗は念仏を、となふ。

[やぶちゃん注:「かけがへの、櫓、二、三丁、取り出だし、左右のわいかぢにかけて、舩子ども、ならびゐたり」前後に動くことが出来ないので、ローリングによる転覆を予防するために行った仕儀であろう。]

 舩頭の、いはく、

「これほどに大事の荷物をうち、經・念佛の声、たつときに、浪風(なみかぜ)、すこしも、しづまらず、なを[やぶちゃん注:ママ。]、あしく、たつやうは、しかしながら、『ひとり女房』の祟りと、おぼえ候。」

といへば、客衆、同音に、

「もつとも。それ、候よ。」

といふ。

「女人ひとりゆへに、三十五、六人、みな、死すべき不運の次㐧(しだい)なり。」

といへば、女、きゝかねて、

「我ゆへに、かやうにある事ならば、我一人、海へ、とび入りて、みなを、たすけ申さん。」

といへば、夫のいはく、

「うつけたる事を、いひそ。何の、我ゆへにて、有るへき[やぶちゃん注:ママ。]ぞ。わが[やぶちゃん注:お前が。]、とひ入《いり》たりとも、此のなみ風が、しつまる[やぶちゃん注:ママ。]べきか。」

といヘば、客衆、みな、いはく、

「さいわひ[やぶちゃん注:ママ。]、主(ぬし)がおもひ寄る事を[やぶちゃん注:本人自身が思い詰めて言い出したことを。]。中間は、いはれざる申され事かな。」

といふほどに、此時、善珎、中間にたいして、いはく、

「をのれ[やぶちゃん注:ママ。]が申す事、くわんたい[やぶちゃん注:「緩怠」。過失・手落ち。或いは、無礼・無作法。]なり。そう[やぶちゃん注:「左右」。]の衆議(しゆぎ)に、まかせよ。」

といふ間に、舟より三、四間[やぶちゃん注:五・四五~七・二七メートル。]さきに、黑き入道(にうだう)のかしら、一つ、うかみ出《いで》たり。

 波の間に、見えつ、隱れつする也。

 そのかたち、つねの人の頭(かしら)、五つ、六つ、あはせたるおほきさにて、目は天目(てんもく)[やぶちゃん注:天目茶碗。口径は十二、三センチメートルが普通。]の口ほどに光りて、くちばし、ながく、馬のごとくにて、口の大きさ、二尺ばかりなり。

 舩頭、これを見て、いはく、

「是は、大事なり。みな人、靜まりて、物な、いはれそ。經・念仏をも、さゝやき給へ。是は、例(れい)の物なり。一大事なり。」

といふ。

 みな、いろをへんず。

 

Nyuudouesni

 

 女の云《いはく》、

「とても、死ぬべきに。とび入《いる》へし[やぶちゃん注:ママ。]。」

とて、かみを、結(ゆひ)なをし[やぶちゃん注:ママ。]、たすきを、かけ、おびを、しめなほし、脚布(きやくふ)[やぶちゃん注:腰巻。]を、つよくして、念仏を、となふ所を、夫、ひきとむるを、みな、よりて、夫の手を、とりすくむれば[やぶちゃん注:押さえつければ。]、女人、ふなばたにとびあがり、念仏のこゑとともに、とび入《いり》たり。

 客衆、一同に、こゑをあげて、感(かん)ず。

 かの黑入道、すなはち、女をくはへて、さしあげて、みせたり。

 夫、見て、

「くちおしき[やぶちゃん注:ママ。]事かな。」

とて、飛び入らむとする處を、みな、よりて、とりとめたり。

 やゝ有《あり》て、風、すこし、やはらぎ、浪(なみ)、ほゞ、しづまるゆへに、舟をこぎゆき、やうやう、汀(みぎは)につきて、舩より、あがれば、荷物、なくして、みな、めいわくす。

「さても、さきの黑入道は、なに物ぞ。」

と問へば、舩頭のいはく、

「『入道鰐(《にふだう》わに)』といふて、此邊(《この》へん)の海に有《あり》て、人を、とる事、しげし。今日、此わたりへきたりて、かくのごとくに候。しかしながら、『ひとり女房』を取らんとて、きたり候。」

 客衆の、いはく、

「さきの女房、勇(けなけ[やぶちゃん注:ママ。])なる事、たぐひ、なし。黑入道をみて、おぢおそれず、海にとび入《いれ》は[やぶちゃん注:ママ。]、みな人を、たすけんがための、心ざしは、ちうせつ[やぶちゃん注:「忠節」。]なり。いたはしき心中(しんぢう)なり。僧衆《そうしゆ》、みな、ながく、とぶらふべし。」

といへば、僧衆、みな、

「ちかごろ、もつともなり。」

といふ。

「さりながら、はじめは、龍神のとがめかと思ふて、大事の荷物をなげ入るれども、波風、すこしも、しづまらずして、女、一人、とび入《いり》たれば、波風、しづまるは、しつかい[やぶちゃん注:「悉皆」。まことに。]、『ひとり女房』をのせたるゆへなり。舩頭の、ことを、わけていふを、きかず、のせたるは、中間のわざ、くせ事なり。諸人(しよにん)の、しつかい、めいわくなり。中間を、生害(しやうがい)させられよ。」

といへば、善珎、いはく、

「久しくめしつかふたる、ふだい[やぶちゃん注:「譜代」。]の中間也といへども、われらも、ひさう[やぶちゃん注:ママ。]の物どもをうしなふて、くちおしく[やぶちゃん注:ママ。]候。みな、御心中をさつし申すなり。生害さすへし[やぶちゃん注:ママ。]。」

といへば、僧衆、みな、いはく、

「生害させられても、海に入《いり》たる物は、かへるへから[やぶちゃん注:ママ。]ず。夫妻(ふさい)の間《あひだ》、みすてがたくて、舩にのせたるも、ことはり[やぶちゃん注:ママ。]なり。みなみな、舟に乘のり合《あはせ》たるが、時(とき)のふうんなり。みな、よくよく、御かんにん[やぶちゃん注:「堪忍」。]あれ」と、くり返し申さるゝゆへに、皆々、堪忍申《まうす》也。

「善珎も御かんにん、かんよう[やぶちゃん注:「肝要」。]なり。」と、みな、いへば、善珎も、

「しからば、同心(どうしん)申《まふし》候。」

といひて、無事になるなり。

 彥四郞は、ちと、とりのきて、岩(いは)の上に、笛をふけば、善珎、みて、おどろきて、ちかくよりて、いはく、

「いかに、笛を、ふくぞ。」

といへば、

「我(わが)ひさう[やぶちゃん注:ママ。「祕藏」。]笛也。何事《いか》に、捨つべきぞ。笛をば、ふところにとゞめて、さや[やぶちゃん注:「鞘」。]ばかり、海へ、入《いれ》たるぞ。」

といへば、善珎、はらを、たて、ほむらをにやして、云ふ。

「太皷は、おし[やぶちゃん注:ママ。]からず。ひさうの撥(ばち)を、うしなひたり。」

といひて、うらみなげく事、かぎりなかりしなり。

[やぶちゃん注:「ほむらをにやして」岩波文庫本文は『焰(ほむら)をにやして』とあり、高田氏の注に『頭から湯気をたてて』とされる。]

 

竒異雜談集巻第三終

[やぶちゃん注:岩波文庫の底本は国立国会図書館本(公開はされていない)であるが、本篇の「鰐」に相当する箇所は総て脱落している旨の注記がある。漢字表記を期した意識的脱字と思われるが、同文庫では、そこを意から『鮫』と当てて、ルビは『わに』である。本邦の古文献や怪奇談に登場する本邦での「わに」「鰐」は、まず、概ね、サメをモデル候補として比定して問題はないだろう。ただ、かなり早い時期に、真正のワニ類の存在自体は本邦に伝わってはいたようであり、古伝説に出る「和邇」には、その聞書の影響を受けた粉飾があるものが多い。しかし、ここで登場する「入道鰐」は、サメの類をモデルとしているとは、凡そ、見えない。そもそも本文では、「つねの人の頭(かしら)、五つ、六つ、あはせたるおほきさにて、目は天目(てんもく)の口ほどに光りて、くちばし、ながく、馬のごとくにて、口の大きさ、二尺ばかりなり」であって、挿絵で判る通り、海坊主の黒化型のおぞましい妖怪であって、モデルとなる海棲動物を当て嵌めるのは、それと名指しされたサメや海獣類が可哀そうであるほどに荒唐無稽のクロモノ、基! シロモノである。ウィキの「和邇」もあって、長々と語っているが、博物学的には、正直、退屈な内容である。まんず、私の「南方熊楠 本邦に於ける動物崇拜(23:鮫)」の方が、面白からろうとは思う。なお、そこでも再掲したが、江戸中期の大坂の医師寺島良安によって書かれた百科事典「和漢三才圖會」では、モロに真正ワニの姿が、ちゃんと挿絵に描かれてあるのである。]

佐藤春夫譯「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」正規表現版 「秋ふかくして」魚玄機

[やぶちゃん注:書誌・底本・凡例等は初回を見られたい。本篇はここ。]

 

  秋ふかくして

            自 嘆 多 情 是 足 愁

            況 當 風 月 滿 庭 秋

            洞 房 偏 與 更 聲 近

            夜 夜 燈 前 欲 白 頭

                  魚 玄 機

 

わかきなやみに得も堪えで

わがなかなかに賴むかな

今はた秋もふけまさる

夜ごとの閨(ねや)に白みゆく髮

 

   ※

魚玄機  九世紀。 唐朝。 薛濤などのすぐ次の時代である。 彼女の生涯に到つては最も浪漫的であまりに慘然たるものである。 長安の狹斜(けふしや)の地で生れた彼女が、十五歲の時、題を得て卽座に賦した江邊柳といふ五言律詩は溫庭筠(をんていゐん)をして好しと言はしめた。十八歲の時、人の妾となつたが情を解しなかつたので、彼女は送られて道觀の女道士となつた。 しかし彼女が一度情を解するや、この女道士は妓女のやうな日夕を送つた。 遂にその婢が彼の愛人と通じたのではないかといふ猜疑に驅られてこれを責めてゐるうちに誤つて婢を死に致した。 彼女は刑によつて斬(ざん)せられ、その多情多恨の生涯は二十六歲で終つた。 唐女郞魚玄機詩一卷が傳はつて世に行はれてゐる。 森鷗外に「魚玄機」といふ作があつて、創作といふよりも彼女の評傳と見得るものである。 詳しくは就て看らる可きである。 その生涯を知つて「自歎多情是足愁」の詩を見ると一層感が深い。 靑春の憂悶の堪え難いのを歎いて、身の寧ろ白髮たらんことを願つたこの詩と殆んど同想同句が、現代英國の狂詩人アアサア、シモンズにあるのも亦一奇である。

   ※

[やぶちゃん注:魚玄機(八四四年?~八七一年?)は晩唐の女流詩人。小学館「日本大百科全書」によれば、『字(あざな)は恵蘭(けいらん)』、『また』、『幼微(ようび)』で、『長安』(現在の陝西省西安の『娼家』『に生まれたが、読書好きで』、『詩才に恵まれ、長安の風流人士に名を知られ、彼らと詩を応酬した。ことに』、ここに出る『詩人温庭筠』『との交際が有名である。若くして補闕』(予備役の官吏)『の李億』『(字は子安)の妾(しょう)となり、幸福な生活を送ったが、夫人に嫉妬』『され、咸宜観(かんぎかん)に入って女道士となった』。後、『侍女を殺した科(とが)で死刑に処せられ、短い生涯を閉じた。現存』四十六『首には「賦(ふ)し得たり江辺の柳」など、人口に膾炙』『した作品があり、詩が社会的に広まっていた現象を物語る』とある。

・「狹斜」元は、長安(現在の西安)の道幅の狭い街の名であり、そこに遊里があった。後に転じて、花柳街・遊里の一般名詞となった。

・「溫庭筠」(八一二年~八七〇年?)同前で引く。『晩唐の唯美詩人。字』『は飛卿(ひけい)。太原(たいげん)(山西省)の出身。優れた詩才をもちながらも、あえて自ら酒色や賭博』『などに身を持ち崩し、ついに科挙に合格できなかった。その最終官職は国子助教という低いものである。彼が好んで詠(うた)ったテーマは、退廃的な恋愛とみなされがちであるが、はばかるところない官能への埋没こそ、唐王朝末期に生まれ合わせた詩人が、徹底して自己を凝視し、かつ主張する手段として恋愛を把握していたことを意味する。その結果として』「温庭筠詩集」七巻・同「別集」一『巻は、各人が分有する特殊な個(エゴ)の基底に横たわる人間一般の描写に、はしなくも成功しているのである。詩とともに詞(ツウ)の開拓者としても重要』である、とある。

・「森鷗外」『「魚玄機」といふ作』『中央公論』大正四(一九一五)年七月発行初出。「青空文庫」のこちらで新字新仮名であるが、読める。正字正仮名では、国立国会図書館デジタルコレクションの大正一二(一九二三)年刊の「鷗外全集」第四巻のここから視認出来る。

・「現代英國の狂詩人アアサア、シモンズ」イギリスの詩人で文芸批評家・雑誌編集者でもあったアーサー・ウィリアム・シモンズ(Arthur William Symons 一八六五年~一九四五年)。一九〇八年、四十三歳の時、妻とイタリア旅行中、精神的に不安定な状態に陥り、帰国後、暫く療養生活を送ったが、精神病は完全には回復することなく、後半生は殆んど執筆は出来なくなってしまった。

 原標題は「秋怨」(しうゑん)。推定訓読を示す。

   *

 秋(あき)の怨(うら)み

自(みづか)ら歎(たん)ず 多情(たじやう)は 是れ 足愁(そくしう)なるを

況(いは)んや 風月(ふうげつ) 庭(には)に滿つる 秋に當(あき)るをや

洞房(どうばう) 偏(ひと)へに 更聲(かうせい)に近く

夜々(よよ) 燈前(とうぜん)ににして 白頭(はくとう)とならんとす

   *

・「多情」人を恋する情が深く、甚だ感じやすいこと。また、そのさま。

・「足愁」胸が全き愁(うれ)いに満ちてしまっている状態にあることを言う。

・「風月」秋の夜の美しくも侘びしい景観であるが、同時に恋情悲愁の孤独な「心の秋」(心傷)の思いを確信犯でダブらせてある。

・「洞房」婦人の閨(ねや)。ここは無論、たった独りで、夜、まんじりともせずに起きている作者のそれ。

・「偏」ここは「如何にも厭なことには」の含意がある。

・「更聲」夜の定時を告げるために打たれる太鼓の音を指す。「更」は夜間を五つに区切った「初更」から「五更」まである。通常は初更は午後八時頃に当たり、以下、現在の二時間間隔で、五更は午前四時相当である。遂に未明を知らせるそれまで、彼女は愁いに捉われて、眠れずにいるのである。

   *]

佐々木喜善「聽耳草紙」 一四七番 雁々彌三郞

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから

 標題の「雁々彌三郞」であるが、読みは国立国会図書館デジタルコレクションの「日本童謡集」(北原白秋編・昭和四(一九二九)年アルス刊)のこちらに載る、常陸での採取のこちらのルビを参考とし、「かんがんやさぶらう」と読んでおく。]

 

      一四七番 雁々彌三郞

 

 或山奧に彌三郞と云ふ子供があつた。或時町さ用たしに行く途中で、ばえら(不意に)雁《がん》たちに攫はれてしまつた。彌三郞の母親は大層悲しんで、其夜、野原さ出て、雁が空を飛んで通る時、

  雁々彌三郞

  カギになれ

  竿になれ

 と聲のあらん限り叫んだ。すると雁どもは彌三郞を野原の草の上に、そつこりと落して行つた。

  (膽澤《いさは》郡小山村の話、織田秀雄君の御報告分の三。)

[やぶちゃん注:「カギ」後の「竿」(さお)から、「鍵」で「カギ(┌─)」型に群れをなせ、ということを指していよう。「雁たちに攫はれてしまつた」というのは、群れを作った複数の雁に捕まったということで、単数で「カギ」「竿」に編隊を組めば、一羽では、支えきれずに、弥三郎を落とすであろうと思ったということと採る。

「膽澤郡小山村」現在の岩手県奥州市胆沢小山(いさわおやま)であろう(グーグル・マップ・データ)。]

ブログ開設十八周年記念 梅崎春生「つむじ風」始動 (その1) 「魚眼」

[やぶちゃん注:本篇は昭和三一(一九五六)年三月二十三日附『東京新聞』で連載が開始され、同年十一月十八日附同新聞で完結した、梅崎春生の長編小説の一篇である。翌昭和三十二年三月刊の角川書店「つむじ風」で単行本化された。因みに、この単行本刊行の前月の十五日夕刻、私は生まれている。

 底本は昭和五九(一九八四)年十二月発行の沖積舎「梅崎春生全集 第五巻」に拠った。同全集は全八巻(本巻七巻・別巻一巻)は「第一期」と名乗っており、梅崎春生の全作品を網羅してはいない。但し、現在に至るまで、「第二期」は刊行されていない。私は、このブログ及びサイト「鬼火」で、同第一期分の同全集の殆んどを電子化注してきた(「青空文庫」(ここ)で私よりも先行電子化された分の同全集中に含まれている十一篇(「日の果て」「風宴」「蜆」「黄色い日日」「Sの背中」「ボロ家の春秋」「庭の眺め」「魚の餌」「凡人凡語」「記憶」「狂い凧」を除く。以上は順列を私の底本全集の並びに変えてある)。全ての私の梅崎の電子化注ラインナップは、

私のサイト内の「心朽窩旧館」の「■梅崎春生」

及び、

ブログ・カテゴリ「梅崎春生」

及び、ブログ版(孰れも前リンク先「心朽窩旧館」にPDF一括版がある)

梅崎春生「幻化」附やぶちゃん注【完】

と、

梅崎春生「桜島」附やぶちゃん注【完】

そして、

梅崎春生日記【完】

を参照されたい。残るのは、而して、沖積舎全集の本長篇「つむじ風」一篇のみとなった。彼の著作権満了の翌日である二〇一六年一月一日から始めた、私のマニアックに五月蠅い注附きの梅崎春生の電子化も、七年目にして、もう遂に終わりに近づいた。国立国会図書館デジタルコレクションの本登録で沖積舎全集に載らない作品を幾つかコレクションしてあり、それらを視認して、まだ続けるつもりではあるが、私の「梅崎春生の季節」の大きな一つは、本篇を区切りとすることとする。

 太字は底本では傍点「﹅」。ブログでの分割公開となるが、一行空け部分が新聞連載の一回分ではあろうが、それを再現するのもちまちまとして私自身が厭だから、一応、作品内の「見出し」毎の電子化注とする。

 なお、本電子化注始動は、二〇〇五年七月五日夜に開設した、この「Blog鬼火~日々の迷走」(リンク先は二〇〇五年七月分)の十八周年記念として始動する。【二〇二三年七月五日早朝】]

 

    つ む じ 風

 

 

     魚  眼 

 運ばれてきたモリソバをしゃくり上げて、どっぷりと汁につける。箸の先で完全に汁の中に沈没させ、それからおもむろに引き揚げて口に運ぶ。ソバ食いとしては邪道だが、名の通った店でなく、東京都メン類標準店のしるしをかかげたありきたりの店なので、そういう食べ方も止むを得ない。二箸目を汁にひたしながら、浅利圭介(あさりけいすけ)は声をかけた。

「また汁を甘くしたね」

「そうですかね。そうでもないんだがね」

 仕切台の向うから、あるじが顔をのぞかせた。はちまきをして、無精ひげを生やしている。

「もっとも今の一般のこのみが甘くなったんだあね。甘くしないと、お客が寄りつかねえんだ」

「そうかね」

「ことに若い人がそうですよ。学生に若い勤め人」

 あるじは仕切台をくぐって、のそのそと店に出て来た。時計が午後の七時をさしている。客は圭介ひとりだ。あるじは手を伸ばしてパチンとテレビのスイッチを切った。客がただのひとりだから、もったいないと考えたのだろう。

「戦前は本返(ほんがえ)しをつくるのに、醬油樽二本、ミリン一本。それに砂糖の五百匁[やぶちゃん注:一・七八五キログラム。]ぐらいで済んだんだが今じゃ一貫目[やぶちゃん注:三・七五キログラム。]だね。一貫目入れなきゃ、お客がよろこばない」

「そんなものかね」

「甘いもんだから、どうしてもソバをどっぷりつけて食うようになる。若えのはみんな、そんな食い方をするねえ」

 何箸目かをどっぷりひたそうとして、圭介はあわてて中止した。半分ひたしたところで、口に持って行った。圭介はもはや若者ではない。今年で三十九歳になる。

「だからソバが残っているのに、汁がなくなってしまう。すると若いのは、どうするか。汁のお代りをするんだよ。まったくかなわねえよ」

 あるじははちまきを取り、腹立たしそうに上っ張りの裾をはたいた。一盛りのソバよりも、一杯の汁の方が、元価は高くついてるんですよ。くやしいねえ。と言って、おかわり代を取るわけにも行かねえしねえ」

「つまり若い世代の――」圭介はなぐさめるように言った。「味覚がかわって来たんだろう」

「そうなんですよ、近頃の若いもんは、ホンモノの味が判らねえんだ」

 標準店のあるじに似合わぬ気骨のある語調を見せた。

「ホンモノよりニセモノの方が、通りがいいんだ。うちのソバなんかもそうですよ。この間までは、ウドン粉とソバ粉の割を、四でやってたんだ。それを試みに、七三にしてみたら、とたんに旨くなったと言いやがる。だからそ以来、おれんとこは七三さ」

「七三かいこれ」

 圭介は情なさそうにソバをつまみ上げた。七三か六四か知らないが、急にソバの味が水っぽく感じられて来た。

「そうだよ。七三だよ」

 表の黄昏(たそがれ)のアスファルト道を、奔走する自動車の音がした。するどい短い警笛と共に、タイヤがぎぎっときしんだ。濡れ雑巾を床にたたきつけたような音がした。

 圭介は思わず立ち上った。

[やぶちゃん注:「東京都メン類標準店」「東京都麺類協同組合・東京都麺類生活衛生同業組合」公式サイトによれば、「標準営業約款(Sマーク)の申請窓口」の「店頭表示ステッカー」の画像とともに『組合は「めん類飲食店営業」に関する標準営業約款(Sマーク)の申請窓口です。決められたいくつかの条件を満たせば取得することができます。〝安心・安全〟なお店を消費者にPRする手段の1つとして利用されています。また、標準営業約款を取得すると㈱日本政策金融公庫の融資制度の一部で利率が優遇されます』とあり、こちらにPDFで「東京都麺類生活衛生同業組合 加盟店リスト」一覧がある。但し、こうした標準店認定制度が開始されたのが、何時かは調べ得なかった。なお、ウィキの「蕎麦」によれば、『いわゆる蕎麦屋にも任意登録の品質基準に蕎麦粉割合の規定が存在する』『が、登録料が必要な点と』、『蕎麦打ちの能力とは異なるマネジメント能力が必要になる点からか』、『普及していない』とあり、そこに「めん類飲食店営業に関する標準営業約款規程集」の「第3条(役務の内容又は商品の品質の表示の適正化に関する事項)」が載るが、そこには、『(1)そば粉の含有率の表示』として、『営業者が提供する「そば」は、そば粉の割合は70パーセント以上とし、その旨を店頭又は店内に表示するものとする』とあり『(2)めん及びつゆの製法の表示』には、『営業者が提供するめん及びつゆは、自家製であることとし、その旨を店頭又は店内に表示するものとする』とあった。]

 

 自動車二台が、やっとすれ違える程度の、お粗末なアスファルト道路だ。

 もう物のかたちがはっきり見えないくらいの暗さで、ソバ屋の入口から十米余り離れたかなたに、自動車が一台むこう向きに停止していた。

 と見る間に、ぐらりとその自動車は動き出した。スピードを加えた。尾燈が見る見る遠ざかる。何かを振り切って逃げるような速さであった。自動車は物質だけれども、その動きはなにか表情があった。

「何だか妙な音がしたようだったね」

 のれんをわけて、ソバ屋が首を出した。

 自動車がスピードを加えようとした瞬間に、浅利圭介はその番号札の数字を読みとっていた。自動車という物質のあやしげなそぶりが、圭介を本能的にそうさせたのだ。

「スリップの音じゃなかったな。何かがぶつかったんじゃないか」

「あ。あそこに何かがいるよ」

 自動車が停止していた地点の、すぐそばの生籬(いけがき)の根元に、うずくまっている黒い影が、わずかに動いた。手を地面について、頭をもたげた。

「はね飛ばされたんじゃないか」

 ソバ屋がのれんをはじいて走り出した。そのあとに圭介はつづいた。

 反対の方角には店がぼちぼちあるが、そちらの方は住宅街で、生籬や板塀がつづいていて、したがって光に乏しい。しかし、そこに頭をもたげたのは、犬や猫のたぐいでなく、人間であることは、その輪郭や色合いでも直ぐに判った。

 それは生籬にとりすがって、ひょろひょろと立ち上った。

「大丈夫かい。あんた」

 ふらふらと立った男の右腕を、ソバ屋がかけ寄って抱き支え、はげますように声を高めた。

「しっかりせい。傷は浅いぞ」

「ええ。別段、傷はないようです」

 男は大きな呼吸をしながら返事をした。

「このリュックのおかげでたすかったらしい」

 二十七、八に見えるほそおもての若者で、リュックサックを背にかついでいる。リュックサックの背面が泥だらけになっているところを見ると、はね飛ばされたのか自分で飛びのいたのか知らないが、とにかく生籬の裾に、あおむけに転倒したのらしい。

 若者はやや演技的な動作で、大きくあえぎながら、繰り返した。

「ええ。もう、大丈夫、です」

「大丈夫かい、ほんとに」

 ソバ屋はためしに支えた腕を離し、その若者を見守った。自動車が逃げた方向に顔を向けながら、若者はつぶやいた。

「ひどい自動車だなあ。あぶなく轢(ひ)かれるところだった」

「しまった。番号を見とくんだったな」

 ソバ屋は膝をたたいてくやしがった。圭介に向って、

「あんた、見ませんでしたかね?」

「え。番号?」

 圭介はもそもそと唇を動かした。

「おれんちで汚れをおとしたがいいよ」

 ソバ屋は若者のリュックサックに手をかけた。

「これ、おれが持ってやるよ」

 若者は素直にリュックサックをソバ屋の手にゆだねた。

 

 ソバ屋と若者の姿は、ふらふらと道路を横切り、ソバ屋ののれんのかげに消えた。

 浅利圭介は棒杭のように立っていた。自分が割箸を持ったままであることに、その時彼は初めて気付いた。圭介はそれを役げ捨でるかわりに、そこにしゃがみこんで、生籬の下のやわらかい地面に、箸で3・13107[やぶちゃん注:底本では縦書単数字全角一列。]という数字を書きつけた。一ヵ所でなく、三ヵ所も四ヵ所も。

 昏(く)れかかった地面のその文字を、圭介はしゃがんだまま、しばらくにらみつけていた。

 やがて立ち上ると、油断なくあたりを見廻し、地面の文字を靴の裏でさんざんに踏みつけた。そして口の中で言ってみた。

「三・一三一〇七。三・一三一○七」

 若者はソバ屋の調理場で、あるじが貸して呉れた濡れタオルで、手足や服の汚れを拭いとっていた。調理場では、釜から立ちのぼる湯気さえも、ウドン粉のにおいがした。

「あぶないところだったなあ」

 善良なソバ屋のおやじは、まるで自分が若者の生命をたすけたかのような気分になって、詠嘆的に言った。

「気をっけなきゃ、いけないよ。若い身空で、片輪にでもなったら、一生台なしだからなあ」

 若者はぼんやりした表情で、濡れタオルを折り返し折り返し、丹念に神経質に、汚れをぬぐっていた。

「ここらじゃあんまり事故はおきないんだがなあ。見通しはきくし――」

 浅利圭介は割箸を投げ捨て、つかつかと道路を横切り、ふたたびソバ屋の前に立った。頭でのれんを分けて入った。さっき食べ残したソバはのびていた。圭介は奥に向って声をかけた。

「モリひとつ」

 汚れをぬぐい終えた若者が、仕切台をくぐって店に出て来た。圭介は若者の顔を見た。若者は言った。

「水を一杯ください。おれ、のどが乾いちゃった」

「おなかは空いてないのかい?」

 圭介は探るような眼付きで若者を見ながら言った。

「おなかが空いているなら、僕と一緒に食べないか」

 若者は返事をしなかった。黙ってまじまじと圭介を見返した。その若者の顔には、妙な特徴があった。これと同じような感じの顔を、どこかで見たことがある。そう思いながら、自分の記憶をかき探りながら、圭介も若者の顔を凝視していた。

「水だよ」

 あるじの手が大きなコップを什切台の上に乗せた。

 若者は手を伸ばして、コップをとった。一口ふくんで、しばらく味わうように、首をかたむけた。圭介は卒然と思い当った。

(そうだ。あの顔だ!)

 それは水族館の水槽で、正面から見たある魚の顔に、どこか似かよっていたのだ。眼と眼の間隔が広くて、顔の両側についているような印象。それが若者の顔に、ある異様な雰囲気をただよわしている。

 若者は一口目をやっとごくりと飲みこんだ。それから残りの水を咽喉ぼとけをつづけざまに上下させながら、一気に飲み乾した。コップを仕切台に戻した。

「夕食はもう済んだのかい?」

 圭介は押しつけた声で、同じ意味の質問をふたたび繰り返した。

 

 運ばれてきた大ザルソバの、そのてっぺんの幾筋かを、若者の箸がつまみ上げた。汁にひたした。

 その一口目を、若者は味を確かめるように、しばらく口を動かしながら、首をかたむけていた。それはさっきの水の飲み方と同じやり方であった。

(妙な若造だな)

 浅利圭介は頰杖をつき、横目でそれを眺めている。

 一口目をのみこむと、残りのソバを若者は大へんなスピードで、さらさらと平らげてしまった。タンと舌を鳴らした。圭介はたずねた。

「もう一つ取るかね?」

 若者はうなずいた。よほどの空腹状態にあるらしかった。

 スピードは相当に落ちたが、それでも若者は二つ目もきれいに平らげた。頰杖をついたまま、圭介はふたたび訊く(たず)ねた。

「君は何という名前だね」

「陣内」

 若者はそして首をかしげた。まるで自分の名前を憶い出そうと努力するかのように。

「陣内、陣太郎」

「へえ、変った名前だ。頭韻(とういん)を踏んでいるよねえ。それ、本名かい?」

「本名?」

 陣内陣太郎はまた首をかしげた。

 すこし頭がヘンなんじゃないか、とそろそろ圭介は本気で考え始めていた。顔の感じだけじゃなく、この男の態度や動作の全部に、どことなく妙なところがある。やがて陣内陣太郎は気の抜けたような声で言った。

「本名。本名は、別にある」

「ねえ、さっきの自動車――」

 圭介はすこし猫撫で声になった。

「あれから、どんな具合に、はね飛ばされたんだね?」

「おれにもよく判らないんですよ」

 陣太郎は苦痛の色をありありと顔にうかべた。

「横からどしんとリュックにぶっかって、おれはひっくり返ったらしい。あぶないと思ったから、おれはそのまま死んだふりをしてたんですよ。死んだふりをして、薄眼をあけていたんだ」

「死んだふり?」

 圭介の声はますますやさしく、また誘導的になった。

「何故死んだふりをする必要があるんだね?」

「死んだふりをしなけりゃ、轢(し)くでしょう」

「何故轢くんだね?」

「それはおれにもよく判らない」

 陣太郎はけろりとした顔で言った。

「おれが薄眼で様子をうかがっていると、向うもこちらの様子をうかがっていた。おれがころがったのは、生籬(いけがき)の下でしょう。おれを轢くためには、どうしても自動車は生籬に突っ込まねばならない。だから自動車はためらっていたんですよ。どうすればいいかと思って、死んだふりをしながら、おれ、胸がどきどきしちゃった。つらかったなあ。あの五分間」

「五分開?」

 仕切台からソバ屋がはちまきの頭を出して、大きな声を出した。

「五分間、そんな……」

「あんたは黙ってなよ」

 圭介はソバ屋を手で制した。そして本式に陣太郎の方に向き直った。

「そのとたんに、どこか打たなかったかい。たとえば、頭とか――」

 

「頭?」

 陣内陣太郎は自分の頭を撫で廻した。

「いや、頭は打たないですよ。頭は身体の中でも、一等大切なところだから」

「頭のうしろにも、泥がくっついていたようですぜ」

 ソバ屋が浅利圭介をかえり見て目をはさんだ。

「やはり打ちつけたんじゃないのかな」

「死んだふりの薄眼で――」

 圭介はソバ屋の言葉を黙殺し、陣太郎を見据えるようにして言った。

「自動車のナくハーを見たかね?」

「見ないですよ。へッドライトがぎらぎらとまぶしくって」

 陣太郎はのそのそと立ち上り、店のすみのリュックサックまで歩いた。片方の肩にかついで、陣太郎は圭介を振り返った。

「ソバの代、おれが払うんですか?」

「いいんだよ。おれがおごるよ」

 ソバ屋が言った。陣太郎の生命を救ってやったという錯覚に、ソバ屋はまだ落ちていて、それでそういう気前を見せたものらしかった。

「気をつけて行くんだよ。夜道はあぶないからな。行く先はどこだい?」

 陣太郎はまた小首をかたむけた。離れ離れの双方の眼に、きらきらと妙な光が走った。

「行く先は、ない」

「それじゃあ困るじゃないか」

 陣太郎は瞳を寄せるようにして黙って土間に佇立(ちょりつ)していた。圭介は腕組みをして、何かしきりに考えていた。ガラス戸をがたがたと引きあけて、出前持の少年が戻ってきた。ソバ屋がまた口を開いた。

「今まではどこにいたんだね?」

「イトコのところに居候になっていたんです。居候もいい加減いやになったから、今朝、飛び出した」

「そのイトコの家って、どこにある?」

「本郷」

 ソバ屋はうたがわしげに質問を重ねた。

「名前は?」

「松平というんです」

 電話のベルが鳴った。出前の少年がそれにとりついた。それで会話が中断した。その間ソバ屋の眼は、陣太郎の全身を計るように、ぐるぐると動いていた。

「どこにも行くあてがないんなら、おれんちで働かないか」

 電話が終ると、ソバ屋がつくった声で陣太郎に話しかけた。

「うちも今、人手が足りないし、それにうちの前で轢かれかかったんだからな。袖すり合うも他生の縁ということわざもあるし、あんた、自転車に乗れるかね?」

 圭介は腕を組み、むっつりした顔で、心のなかではわらっていた。このソバ屋は人使いが荒く、だから人の居付きがわるく、しょっちゅう使用人がかわっていることを知っていたからだ。ソバ屋がうながした。

「どうだね?」

 陣太郎はやはり黙っていた。黙って店の中をぐるぐる見廻していた。困っているようでもあり、迷っているようでもあり、また怒っているようでもあった。

「行く先がなければ、僕んとこに来てもいいよ」

 圭介が口を出した。陣太郎はぎょっとした顔になって、圭介を見た。

 

 夜道には沈丁花(ぢんちょうげ)が匂った。夜気はねっとりと重苦しい。けつまずいてよろめいたりしながら、陣内陣太郎が言った。

「道が相当に悪いですな」

「うん。道が悪いんだ」

 浅利圭介は応じた。

「ここらはどんどん家が建っている。一年前から見ると、見違えるようになった。その割には道は一向によくならない。周囲が畠であった頃から、全然変っていないんだよ。区の怠慢だね」

「小父さんは、ずいぶん前から、ここに住んでいるんですか」

「小父さんはよせ」

 暗がりの中で、圭介は眉をひそめた。

「浅利さんと呼びなさい。僕がここに住みついたのは、あいつと結婚してからだから、昭和十六年かな。十六年の十二月八日だ。まったくいやな日にあいつと結婚したもんだよ。その頃ここらは一面の畠で、丘などがあって、桃や桜がきれいだったな。家なんかほとんど見えなかった。それが今となると、こんなにうじゃうじゃと建っている」

 圭介は両手で前途の闇をひっかき廻すようにした。

「家の増加がある程度に達すると、必ずソバ屋が出来る。さっきのソバ屋なんかがいい例だね。あれは一年前に出来たんだ。あの店のソバは、あまり味が良くない。近所のソバ屋がうまいかまずいか、これは住宅の条件の中でも重要なものの一つだね。日当りがいいとか悪いとか、それに次ぐほどの重大な条件だ。なにしろ一日に一度か、少くとも二日に一度くらいは、どうしても食べることになるからな。あのソバ、まずかっただろう」

 陣太郎は返事をしなかった。大盛り二杯を平らげた関係上、返事が出来なかったらしい。

「ここらの家の殖え方に比例してあのソバ屋は大きくならない。早く店を拡げて人手をふやさなければ、他にもう一軒が店開きする余地が出来る。だからあのおやじ、あせっているんだ。あせるあまりに人使いを荒くし、そして使用人に逃げられてしまう。君もあんなところに勤めなくてよかったよ」

「小父さんの家は――」

 陣太郎はそう言いかけて、あわてて言い直した。

「浅利さんのお宅は、日当りはいいのですか?」

「うん。全体的には日当りがいい」

 そして圭介は忌々(いまいま)しげに舌打ちをした。

「ただし、僕の部屋は、日当りが悪い。だから、その点に難癖をつけて、六畳間を三千円に負けさせた」

 暗がりの中で、陣太郎は腑(ふ)におちぬ顔付きになった。

「浅利さんの御一家は、間借りなんですか?」

「御一家じゃない。間借りしているのは、僕だけだ」

 圭介の声音(こわね)はやや沈痛な響きを帯びた。

「先月から間代を払わせられることになったんだ。僕だって、せっぱつまっているんだよ。この世の人間は、みんなみんなせっぱつまっている」

 闇の中から、また沈丁花がかおってきた。近頃出来の家は、軒下には沈丁花、仕切りにはバラのアーチ、とかくそんなのを植えたがるようだが、あれは何故だろう。圭介はつづけた。

「僕の家に、おばはんという女性がいる。それにはあまりさからわない方がいいよ」

[やぶちゃん注:何も主人公浅利圭介を作者自身がモデルと考える必要はない。事実、浅利は「昭和十六年」「十二月八日」に結婚したと述べているが、梅崎春生は戦後の昭和二二(一九四七)年に恵津さんと結婚している。ただ、以上の浅利の台詞の内、「その頃ここらは一面の畠で、丘などがあって、桃や桜がきれいだったな。家なんかほとんど見えなかった。それが今となると、こんなにうじゃうじゃと建っている」という謂いである。梅崎春生は、本篇発表の前年である昭和三〇(一九五五)年に練馬区の建売住宅に当選し、練馬区豊玉中(とよたまなか)に転居している(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。私は二歳から六歳まで、ここより西寄りの練馬区大泉学園(東大泉。「東映通り」沿いで、クレージー・キャッツなどのタレントが、よく家の前を通って行ったのを覚えている)に住んでいたが、家からすぐ北には、田畑と河原が広がっていたが、居住地の周辺には、新居がどんどん建っていた。区の建売住宅といっても、当初は野良地も多かったことは、同時期の梅崎自身をモデルとした作品群で容易に知り得る。則ち、この浅利の台詞には、多分に急速な住宅地化をする梅崎が当時住んでいた練馬区の変化をモデルとして如実に語っていると私には思えるのである。]

2023/07/04

奇異雜談集巻第三 ㊃越中にて人馬になるに尊勝陀羅尼の奇特にてたすかりし事

[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい。

 なお、高田衛編・校注「江戸怪談集」上(岩波文庫一九八九年刊)に載る挿絵をトリミング補正して掲げた。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。]

 

   ㊃越中にて人(ひと)馬(むま)になるに尊勝陀羅尼の奇特(きどく)にてたすかりし事

 寶幢院(ほうどうゐん)の宗珎(そうちん)、語りていはく、

[やぶちゃん注:「巻第一 ㊁江州枝村にて客僧にはかに女に成りし事」でも話者として登場する。そちらの私の注を参照されたい。]

 むかし、正道(《しやう》だう)[やぶちゃん注:「唱道」に同じ。]の僧、七人、同道して北国(ほつこく)に、くだりゆく。

 越中におゐて[やぶちゃん注:ママ。]、ひろき㙒を行くに、㙒中に、古き門(もん)あり。

 時分は、ひるなるに、晴(はれ)たる天(そら)、にはかに、曇りて、夕(ゆふべ)になれり。

 かは[やぶちゃん注:「革」。]衣《ごろも》きたるおとこ[やぶちゃん注:ママ。]、一人、門より出《いで》て、

「こなたへ、きたれ。」

と、よぶゆへ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]に、みな、門の中にいりぬ。

 奧より主人の老翁、出《いで》て、七人をみて、その中《うち》、一人《ひとり》を、ゆびさして、いはく、

「此の僧に、轡(くつわ)を、はめよ。」

といふ。

 

Jinmenuma

 

[やぶちゃん注:底本の明瞭でサイズの大きいそれは、ここ

 

 男、轡を、もつて、一僧に、はむれば、すなはち、變じて、馬(むま)になりて、いななき、踊りぬ。

 のこりの僧、これを見て、おほきにおどろき、

『ここは、畜生道(ちくしやうだう)なり。「越中の国には、地獄道(じごくだう)、ちくしやうだうあり。」と聞きし。こゝは、まさしく、ちくしやうだうなり。みな、馬になるへきや。』

と、おもふて、めいわく[やぶちゃん注:「迷惑」。激しく戸惑うこと。]す。

「『尊勝陀羅尼』を唱ふれば、來世(らいせ)に馬に生まるゝ事、なし、といふことあり。今、これを、唱ふべし。」

とて、六人、をのをの[やぶちゃん注:ママ。]、廿一遍を、となへたり。

[やぶちゃん注:「尊勝陀羅尼」尊勝仏頂の悟りや、功徳を説いた陀羅尼。読誦(どくじゅ)すると、罪障消滅・除災・延寿の功徳があるとされる。「仏頂尊勝陀羅尼」。]

 老翁も、男も、ちやうもん[やぶちゃん注:「聽聞」。]して、しづまりゐるゆへ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]に、

『さては。馬になさゞるよ。』

と思ひて、門を出《いで》て去りぬ。

 一町ばかりゆけば、かの男、出《いで》て、よぶ。又、みな、めいわくす。

「馬になるべきにや。にぐるとも、のがるべからず。因果のみち、力(ちから)、およばず。」

と、いふて、みな、立ち返りたれば、老翁、出《いで》て、いはく、

「たゞいまの『尊勝陀羅尼』、近頃、しゆせう[やぶちゃん注:ママ。「殊勝」。]なり。その布施(ふせ)に、此の僧を、返し申すなり。」

とて、馬のかたちを改め、もとの僧になしてかへしすなり。

 六人、大によろこぶ事、かぎりなし。

 皆、いはく、

「是は、何としたる事ぞ。」

と問へば、老翁のいはく、

「此の一僧は、備中の国、吉備津宮(きびつのみや)のかんぬしの子なり。此の親、くろがねの商賣をする事、とし久し。毎日、馬をつかふて、をもに[やぶちゃん注:ママ。]をおふせて、馬をくしめ、あはれむ心、一念、なし。そのいんぐわによらずして、子にむくふなり。かるがゆへに、今日、馬になりて、なかく[やぶちゃん注:ママ。「長く」。]ちくしやうになるへき[やぶちゃん注:ママ。]に、おんせうだらにのくどくによつて、いんぐわを轉じて、僧になしてかへすなり。同道して、ゆけ。」

と、いひて、去れば、門も、なし。

 老翁も、男も、なく、天(そら)、はれて、日、たかし。

「きどくなる事かな。」

と、いひて、かの一僧を同道せんとすれば、腰・膝、たたずして、行《ゆく》こと、あたはず。かるがゆへに、六人、互ひに、おふて、ありく。

 其の一僧の素生(《す》じやう)を、とへば、老翁のいひしごとくに、

「我は、きび津宮のかんぬしの子なり。」

と、いへり。

[やぶちゃん注:「くろがねの商賣」岩波文庫の高田氏の注に、『吉備国は古代から砂鉄の産を以て著名。また吉備津神社は鋳物師集団とかかわりがあったとされる。』とある。といよりも、神仏習合時代の当時にあって、かの知られた吉備津神社の神主の子がこの僧という設定、その神主は、馬を激しく使役して、虐待の限りを尽くしている悪党だという設定自体に、ある種の作者自身の寺院寄りの立ち位置を感じる。そもそも、何故、ここに吉備津神社を、わざわざ出さなくてはならないのかが、全くのブラック・ボックスなのである。それについての学術論文も一つ見つけたのだが、私の注は学術研究ではないし、それを言い出すには、当該論文の引用も必要なので、そこには今回は立ち入らないこととする。悪しからず。

 加賀の国に、いでゆ、あり。行きて湯治(たうぢ)して、いゆる事を、えたり。

 その時、りよかく[やぶちゃん注:「旅客」。]の僧、一人ありて、此の病僧(びやうそう)を見上《けんじやう》、くだんのゆらいを聞《きゝ》て、

「ふしぎの事なり。路費(ろひ)ののこり、すこし、あり。」

とて、五十錢、病僧に、あたへられたり。

「そのりよかくの僧は、後に泉涌寺(せんゆうじ)の住持長老になり給へり。」

ときこえたりと云々。

[やぶちゃん注:「加賀の国に、いでゆ、あり。……」以降は、六人の僧と別れて、馬にされそうになった僧が、ここで湯治したのである。その時、事情を聴き、布施を呉れた旅の僧が、後の「泉涌寺の住持長老」となったという後日談を附すことで、荒唐無稽な怪奇談にリアリズムを与えているのだが、流石に、この話、著者も嘘臭さを感じて、それを察した宗珎が、言い添えたものだったのかもしれない。前の話で掲げた、『「南方隨筆」版 南方熊楠「今昔物語の硏究」 二~(5) / 卷第三十一 通四國邊地僧行不知所被打成馬語第十四 / 二~了』にも言及がある。しかし、寧ろ、前の「奇異雜談集巻第三 ㊂丹波の奧の郡に人を馬になして賣し事」で気をよくした著者自身が、「二匹目の鰌」を狙って二番を煎じて創作したと考えた方が、納得が行く気もしないではない。どうも、この謎の翁であるとか、轡をして、馬に変える変な男、人面馬のえげつない画像といい、どうも、本邦の怪奇談というより、やはり唐代伝奇の俤がするように思うのは、私だけだろうか? 妙に固有名詞が出るという点でも、この一篇は特異点で、逆に日本らしくないと疑いを持ってしまいたくなるのである。

「見上」岩波文庫では本文は『見情』であるが、高田氏は注を附して、『事情を推量すること。』と解説しておられる。まず、見かけない熟語ではあるが、意味としては、それで納得は出来る。]

奇異雜談集巻第三 ㊂丹波の奧の郡に人を馬になして賣し事

[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい。]

 

   ㊂丹波の奧の郡(こほり)に人を馬になして賣(うり)し事

 はるかの昔、たんばの国、おくのこほりの事なるに、山ぎはに、大なる家、一間[やぶちゃん注:ママ。「一軒」。](けん)あり。隣(となり)も、なし。人數《にんず》、十人あまり、渡世(とせい)、心やすく見えたり。農作をも、せず、職(しよく)をも、せず、あきなひをも、せず。心やすき事、人みな、ふしん[やぶちゃん注:「不審」。]す。

[やぶちゃん注:「心やすき事」何も仕事をしていないにも拘わらず、日々の一家の暮しが、至って豊かであること。]

 馬を買ひゆくとも見えぬに、よき馬を、うれり。

 一月に、二疋、三疋、賣るゆへ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]に、これまた、人、ふしんするなり。

 かいだう[やぶちゃん注:「街道なる」。]ゆへに、旅人(たび《びと》)、一宿(《いつ》しゆく)する事、あり。

 ないない、人の申すは、

「亭主、大事(《だい》じ)の祕術(ひじゆつ)をつたへて、人を、馬になして、賣る。」

と、いへり。

 一定(《いち》ぢやう)をば、知らざるなり。[やぶちゃん注:「そう人が噂するだけのことで、本当のところはよく判らないのである。」の意。]

 あるとき、たび人、六人、つきたり。

 五人は俗人(ぞく《じん》)、一人《いちにん》は會下僧(ゑげそう)なり。

[やぶちゃん注:「會下僧」特に一寺を持たず、師の下(もと)で学んでいる僧。「えか」とも読む。なお、小学館「日本国語大辞典」によれば、「日葡辞書」には「Yeguesô」で載り、訳すと、『二派に分かれている禅宗の僧侶のうちの一方の僧侶』、『(注)曹洞宗の僧侶を指す」とある』とあった。]

 亭主、うちへ請(しやう)じ入れて、枕を、六つ、出《いだ》して、

「御くたびれなるべし。先《まづ》、御休みあれ。」

といふ。

 俗人、みな、臥(ふし)たり。

 客僧は、丹後にて、粗(ほゞ)きくことあるゆへに、ようじんする也。

 ざしきの奧にゐて、ふさず。

 垣(かき)のひまより、内を、のぞけば、忙はしくみえたり。[やぶちゃん注:「垣」この場合は室内を仕切っている障子、或いは、衝立(ついたて)の類いである。]

 小がたなにて、かきのひまを、すこし、くりあけて、よくみれば、疊(たたみ)の臺(だい)ほどなるものに、土(つち)、一盃(ばい)あり。

 そのうへに、物のたねを、まきて、上(うへ)に薦(こも)をきせたり。

 釜には、飯(いひ)を、たき、汁を、たき、鍋に湯をたけり。

 茶、四、五服のむほどして、

「もはや、よかるべし。」

とて、薦をとれば、あをあをとしたる草(くさ)、二、三寸(ずん)に、をひ[やぶちゃん注:ママ。]しげりたり。葉は、蕎麥(そば)に、にたり。

 それをとつて、湯に煮(に)て、そばのごとくに、あへて、大《おほき》なる椀(わん)にもりて、さい[やぶちゃん注:「菜」。]にして、飯《いひ》を出《いだ》したり。

 俗人、おきて、みな、食(しよく)す。

「めづらしきそばかな。」

と、いふて、しやうくはん[やぶちゃん注:ママ。「賞翫」。]す。

 僧は、

「食する。」

よしして、すみ[やぶちゃん注:「隅」。]のすのこ[やぶちゃん注:「簀子」。]の下へ、すてたり。

 饌(ぜん)[やぶちゃん注:「膳」と同義。]をあげてのち、風呂(ふろ)をたきて、

「たちて候。一風呂、御入りあれ。」

といへば、

「もつとも。しかるべし。」

とて、みな、いれり。

 僧は、

「入る。」

よしして、脇へ、はづして、東司(とうす)[やぶちゃん注:禅宗で「厠」(かわや:便所)の呼称。]のうちにかくれゐて、よくみれば、亭主、きり・かなづち・かなくぎを、もちきたりて、風呂の戶を、うちつけたり。

 客僧、

『ここに居(ゐ)て、人にみつけられては、曲(きよく)なし。』[やぶちゃん注:「曲なし」は「つまらない」「なさけない」の意。]

とて、くらまぎれに[やぶちゃん注:暗闇に紛れて。]、出《いで》て、風呂のすのこの下へ入《はい》りて、靜まりゐて、みれば、良(やゝ)ありて、亭主、

「もはや、よきぞ。戶を、あけよ。」

と、いひて、釘ぬきにて、戶を、あくれば、馬一疋、出《いで》て、いなゝひ[やぶちゃん注:ママ。]て走りゆく。

 夜にて、門をさすゆヘに、庭に、踊りまはる。

 又、一疋、いで、又、一疋、出《いで》、五疋、出《いで》たり。

「今、一疋、出づべし。」

とて、まてども、出《いで》ず。

 火を、あかして、みれば、何も、なし。

「今一人は、いづかたへ行《ゆき》たるぞ。」

と、たづぬる間に、すのこの下より、出《いで》て、うしろの山にのほり[やぶちゃん注:ママ。]て、とをく[やぶちゃん注:ママ。]行《ゆく》なり。

 翌日、国のしゆご所[やぶちゃん注:「守護所」。]にゆきて、上(かみ)くたん[やぶちゃん注:ママ。「件(くだん)」。]のやうを、つぶさにかたれば、しゆごのいはく、

「曲事(くせごと)なり。聞(きゝ)およびし事、さては、まことなり。」

とて、人數《にんず》をそつ[やぶちゃん注:「卒・率」。]して彼(かれ)[やぶちゃん注:かの場所。]に發向(はつかう)し、人を、みな、うちころして、はたすなり。

 右、霊雲(りやううん)の雜談(ざうたん)なり。

[やぶちゃん注:「霊雲」作者の知り合いの僧らしい。が、これは、中唐代伝奇の「河東記」の「板橋三娘子」辺りを元にした、「曲がない」バレバレの焼き直しである。私の電子化注では、古いところでは、「柴田宵曲 續妖異博物館 馬にされる話」で、「江戸怪談集」上を底本に本篇を不全な正字化で電子化してある。しかし、この話と類似した奇怪譚は既に「今昔物語集」に見出されるのである。私の『「南方隨筆」版 南方熊楠「今昔物語の硏究」 二~(5) / 卷第三十一 通四國邊地僧行不知所被打成馬語第十四 / 二~了』、及び、『「南方隨筆」版 南方熊楠「今昔物語の硏究」 三 / 「卷第三十一 通四國邊地僧行不知所被打成馬語第十四」の「出典考」の続き』である。なお、この人を獣にすることの最後の本邦の幻想文学での奇体な輝きは、泉鏡花の「高野聖」にとどめを刺すと言うべきであろう。

佐藤春夫譯「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」正規表現版 「秋の別れ」七歲女子

[やぶちゃん注:書誌・底本・凡例等は初回を見られたい。本篇はここ。]

 

  秋 の 別 れ

            別 路 雲 初 起

            離 亭 葉 正 飛

            所 嗟 人 異 雁

            不 得 一 行 飛

                  七 歲 女 子

 

別れ路に雲湧きうかび

葉は散るよ峠の茶屋に

かなし、 人、 雁(かり)にあらねば

一つらに飛ばんすべなし

 

   ※

七歲女子  七世紀末。 唐朝。 この幼女が詩を能くすることが宮廷にまで聞え、則天武后が召して「送兄」といふ題を與へそれによって作らせたのがこれである。

   ※

[やぶちゃん注:訳詩の読点の後の字空けは総てママ。国立国会図書館デジタルコレクションの『和漢比較文学』(一九九二年十月発行)の小林徹行氏の論文「『車塵集』考」のここによれば(左ページ上段)、佐藤は最終行を弄っている。原詩は「名媛詩篇」では最終行は「不作一行歸」とし、「全唐詩」の巻七十九でも同じく「不作一行歸」であり、「古今女史」では、「不作一行飛」となっているとある。弄りの少ない「古今女史」版で推定訓読する。標題は自身のものではないが、則天武后のそれを使用する。

   *

 兄に送る

別かれ路(みち) 雲(くも) 初めて起こり

離亭(りてい) 葉(は) 正(まさ)に飛ぶ

嗟(なげ)く所のものは 人(ひと) 雁(かり)とは異(こと)なりて

一行(いつかう)に飛(とびさ)るを 作(な)さざること

   *

・「離亭」遠くまで見送った最後の宿駅の宿屋。]

佐々木喜善「聽耳草紙」 一四六番 大岡裁判譚

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから

 なお、「其の一」の標題は「愛岩樣」となっているが、本中では総て「愛宕樣」(読みは「あたごさま」と読んでおく)となっているので、特異的に訂した。無論、「ちくま文庫」版でも『愛宕様』である。]

 

      一四六番 大岡裁判譚

 

        愛宕樣(其の一)

 嫁と姑とがあつた。或日嫁がお姑(フクロ)樣シあの山の愛宕樣と云ふ神樣は馬さ乘つてお居《ゐ》でアるけナシと訊いた。すると姑は否々《いやいや》愛宕樣なら馬さ乘つてお出《いで》アる神樣ではない。こんなことにも女子《をなご》と謂ふものは愼んで物を云ふもんだと言つた。そのことで二人終日言ひ爭ひをしたが、どうしても埒《らち》が明かないので、遂々《たうとう》大岡樣の所さ行つて裁判(サバ)いて貰ふことにした。

 其夜、嫁と姑は、どつちも内密(ナイシヨ)で、大岡樣に白布一反づつ持つて行つて、袖の下を使つて、どうか私の云ふ方が本當だと申して下(クナ)さいと賴んだ。大岡樣はどつちにも、ウンよしウンよしと言つた。

 翌日、嫁姑は揃つて大岡樣の前行つて、嫁が、な申し大岡樣シ、愛宕樣ジ神樣は馬さ乘つてお出アるぜナシと言ふと、大岡樣はイヽヤと首を振つた。

 姑はここだと思つて、大岡樣シ愛宕樣ジ神樣は馬さ乘つておいでねアぜなもシと言ふと、大岡樣はこれにも、イヽヤと言つて首を橫に振つた。

 そこで嫁姑はお互にそれでは約束が違ふと思つて、そんだら彼《あ》の山の上に御座る神樣はあれは何神だシと問ひ軋すと、大岡樣は、あああれかアレは二反の白布タダ取り公樣さと答へた。

 

       提灯と火チン(其の二)

 又或時、嫁姑して、提灯《てうちん》のことで言ひ爭ひをした。嫁があれは提灯だと云ふと、姑は否々《いやいや》火《ひ/くわ》チンと云ふものだと頑張つた。そこで又二人は夜ひそかに白布を持つて行つて、自分の云ふ方が本當だと言つて下《くな》さいと賴んだ。大岡樣はああよいともよいともと言つて居た。

 翌日、嫁姑が行つて聽くと、大岡樣はなあにあれは提灯でも火チンでもない。二反の白布タダトリの火袋と云ふもんだと云つた。

 

        馬 鹿(其の三)

 又或時、嫁と姑とが針仕事をしながら、向ひ山に居る馬を見て、あれ姑(ガガ)さま向い山に馬が居ますヤと云ふと、姑はなに云ふアレは馬ではないシシ(鹿)だジエと否消(ヒゲ)した。否々《いやいや》馬だと言つたり、終日言合ひをしたが埒が明かず、遂々《たうとう》大岡樣のところへ行つて裁判いて貰ふことにした。そしてその前夜、前の話と同樣に二人は各々白布一反づつを持つて行つてワイロを使つた。

 翌日、嫁姑が行くと、大岡樣の云ふことには、あれア何だ、その馬でも鹿でもない、馬鹿と云ふものだと言つて白布を二反たゞ取られた。

  (この類語は多くあるらしい。三話とも伯母から
   聽いたものである。)

奇異雜談集巻第三 ㊁牛触合て勝負をいたし前生を語る事

[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい。立札の部分は、ダッシュと字空けで読み易くした。]

 

   ㊁牛(うし)触合(つきあひ)て勝負をいたし前生(ぜんじやう)を語る事

 田舍のことなるに、ふくゆう[やぶちゃん注:「福裕」。]なる百姓、よき牛を一疋もちたり。

 およそ、牛をば、一疋とは、いふべからず。一疋・二疋とは、馬(むま)にかぎりて、いふことばなり。唐(から)には、牛をば、一頭・二頭といふなり。日本のことばに約せば、湯桶文章(ゆとうぶんしやう)にして、牛一牽(びき)といふべきか。[やぶちゃん注:「湯桶文章」漢字二字で書き表す熟語に於いて、上の字を訓で、下の字を音で読む読み方。現代でも「手本(てほん)」・「消印(けしいん)」・「身分(みぶん)」・「手数(てすう)」など、多くその例がある。]

 馬を一疋といふいはれは、馬の目には、絹(きぬ)一疋長(《いつ》びきだけ)の間をみるなり。字注にいはく、『一疋は四丈(ぢやう)[やぶちゃん注:十二・一二メートル。]なり。馬の光景(くわうけい)、疋の長(たけ)なり。』と云ふ。

[やぶちゃん注:「馬の目には、絹(きぬ)一疋長(びきたけ)の間をみる」ちょっと意味をとり難いのだが、これは馬の両眼の視野が「絹一疋」の丈(たけ)に相当することを意味しているように思った。検索したところ、福岡女子大学国際文理学部教授目加田さくを氏の論考「奇異雑談集の語彙について」(同学部紀要『文芸と思想』一九五五年七月発行所収・ネット上でダウン・ロード可能)の「光景」の注に(「34」ページ上段)、『「馬を一疋といふいはれは馬の目には絹一疋長(だけ)の間をみるなり字註にいはく一疋は四丈なり馬の光景(くはうけい)疋の長(たけな)り」』の『光景は、有様、様子、景色等の意であるが、此の用例では、視野、視界の意に使用している。』とあったので、間違いない。なお、この論文は、最初に、本書の幾つかの篇に出る諸年号や事件(「応仁の乱」等)から、作者の年譜が作られており、非常に興味深いので、是非、読まれたい。

 絹を一疋といふいはれは、一疋は二(ふた)きだけなり。夫婦二人のいしやう[やぶちゃん注:二人分の「衣裝」。]となるゆへ[やぶちゃん注:ママ。以下、総て同じ。]に、一疋といふなり。夫婦二人、相(あひ)したがふを、『一疋の夫婦』といふなり。「論語」に『匹夫匹婦(ひつぶひつふ)』といふ、是なり。「匹(ひつ)」は「配(はい)」なり。物を『一對(《いつ》つい)』といふがごときなり。「疋」の字、同《おなじ》なり。

 犬を一疋・二疋といふいはれは、犬追物(いぬをふもの[やぶちゃん注:ママ。])の時、河原者(かはらもの)、輸の内より、犬を、はなせば、馬上(ばしやう)、一矢(《いち》や)、犬を、いる。若(もし)、二騎・三騎、をつかけて[やぶちゃん注:ママ。]いるといへども、本《ほん》になる矢は、一つなり。馬一疋に、犬一なるゆへに、犬を「一疋」といふなり。ことなる犬をば、一疋・二疋とはいふべからずといへども、世俗のことぱ、みだりにして、つねの犬をも、一疋・二疋といひ、あまつさへ、鹿(しか)・兎・狸・狐・猫・鼡(ねづみ)・小虫(こむし)にいたるまで、一疋・二疋・五疋・十疋といふは、まことに、下賤愚昧のいひならはしなり。

[やぶちゃん注:「犬追物」馬上から犬を標的として弓を射て、その技能を競う武芸。馬場の中央に、縄で円形の囲いを作り、その中に犬を放ち、三手に分かれた射手が外周からこれを射る(一般には、犬を使い廻すために、矢の先を鏃ではなく、鈍体にした)。流鏑馬(やぶさめ)や笠懸(かさかけ)などとともに「騎射三物」(きしゃみつもの)の一つとして、中世には大いに流行したが、室町末期には戦闘法の変化とともに衰えた。

「河原者」中世の賤民の一つで、平安以後、河原に住むことを強制された人々。肉体労働・染色・皮鞣(なめ)し・雑芸能・雑務などを業とした。室町時代には、隷属関係をもつ寺社の権力を背景に、さまざまの特権を獲得したものもあり、特殊な技能者の集団として多様な活動もしたが、一般に蔑称として用いられた。]

 料足(れうそく)[やぶちゃん注:あることにかかる費用。代価。中世に銭の異称として使われ始めた。]を、十疋・廿疋といふいはれは、犬追物の時、河原者、犬を百疋、はなてば、一貫文、とる。五十疋、はなてぱ、五百文、とるなり。犬一疋は、十錢にあたるゆへに、十錢を一疋といひ、百文を十疋といへり。是、犬追物より出たることばなり。

 さて、かの裕福百姓のもちたる牛一びきは、大にして、ちから、はなはだ、つよし。地目天角(ぢもく《てん》かく)にして、吉相(きつさう)、すぐれたり。飼料(かひれう)、じゆんたくなるゆへに、肥(こへ[やぶちゃん注:ママ。])たる事、象(ざう)のごとし。

[やぶちゃん注:「地目天角にして、吉相、すぐれたり」先の目加田氏の論考に(「35」ページ上段)、この語を掲げられて、『牛の相のすぐれたのを形容して言つている。仏家で言うところの智目行足等より出た語歟。』とあった。「智目行足」(ちもくぎょうそく)は「WEB版新纂浄土宗大辞典」によれば、『悟りに至るために必要な智を目に、行を足に譬えて表現したもの』とある。各種仏典によって解釈が多様。リンク先を読まれたい。]

 人の牛と觸合(つき《あひ》)て、かつこと、おもしろきゆへに、ふだをたてゝいはく、

――誰も牛をひき きたりてつきあはせられよ 此方の牛 まけたらば れうそくを百貫文しんずべく候 よそのうしまけたらば れうそくをば とるべからず たゞそのうしを取べきなり――

と云ふ。

 此札をみる人、みな、

「れうそくを、とるべし。」

とて、牛をひき來りて、つき合《あひ》て、まけて、牛を、とらるゝもの、おほき事、かぎりなし。

 その牛を、うりて、いよいよ、ぶんげんになるなり。

 又、五、六里よそに、牛を、もらたるもの、あり。

 その牛、駮(ぶち)にして、ひだりのかたより、右のわきにいたりて、脊(せ)の毛色、黃(き)なり。その外は、くろし。やせて、よはきゆへに、犁(からすき)をも、かけず、おもにをも、おはず、あはれみをなして、飼事(かふこと)、年、久し。

 あるとき、此牛、家主の夢にみえて、いはく、

「某(それがし)、牛とし、久しく、やしなひをうけ、あはれみにあづかりて、かいがいしく用にたつこと、なし。いたづらに飼料をついやす事、本意(《ほ》い)のほかなり。此間、これより、五、六里みなみに、ゆうふくの百姓、よき牛をもちて、人の牛とつきあはせて、せうぶ[やぶちゃん注:ママ。]にして、『我(わが)牛、つきまけたらば、銭百貫文、出《いだす》すべし。よそのうし、まけたらば、錢をば、とるべからず。たゞ、牛をとるぺし。』といふて、「ふだ」を、たてたり。それがしを引《ひき》ゆきて、つきあはせられよ。われ、つきかちて、錢百貫、とらせ申《まふし》て、としごろのをん[やぶちゃん注:ママ。]を、ほうずべし。」

と、いふと、みて、夢、さめたり。

 家主、おもふに、

『かの牛、きゝをよぶに[やぶちゃん注:ママ。]、力つよき大牛なり。此うし、かつべき事、おもひもよらず。牛をとられんこと、むようなり。』

とて、ひきゆかず。

 又、かさねて、夢に、いはく、

「何とて、それがしを、ひきゆき給はぬぞ。それがし、かならず、かつべし。うたがひ給ふ事、なかれ。」

といふ。

「さては。ふしぎなり。引《ひき》てゆくべし。」

とて、くはたつる[やぶちゃん注:ママ。]なり。

『もし、錢百貫とることもや、あらん。』

と、おもふて、人數(にんじゆ)あまた、つれて、ゆきたり。

 かの在所にゆきて、かたはらに桃林(たうりん)のあるに、先《まづ》、この牛をつなぎをきて[やぶちゃん注:ママ。]、かの家に、あんないを、いふ。

 亭主、よろこび出《いで》て、

「いづかたより御出《おいで》ぞ。」

と、いへぱ、

「五、六里よそより、札のおもてにまかせて、參り候。」

といふ。

「その牛を見申《まうす》べし。」

といふに、瘦牛(やせうし)を引きたりてみすれば、亭主、あざわらひて、わが門(かど)に入《いり》て、大牛をひき出《いづ》れぱ、聞《きき》をよび[やぶちゃん注:ママ。]しより、なを[やぶちゃん注:ママ。]見ごとなる大うしなり。

 人數、目をおどろかす[やぶちゃん注:ママ。]處に、瘦牛、すゝみ出《いで》て、大道(だいだう)の場中(ばなか)にゆく。

 大牛、すなはち、出ゆきて、ちかくよりて立《たち》むかへば、大牛、おそるゝ躰(てい)、有(あり)。

 頭(かしら)を、わきへ、ふつて、そのまゝ、にげさり、我門(わがかど)に入《いり》て、かけ足を出して、後園(こうゑん)ににげゆくを、瘦牛、をつかけ[やぶちゃん注:ママ。]、かけゆきて、後園に、をつつめ[やぶちゃん注:ママ。「追ひ詰め」。]たり。

 大牛、にげがたなく、めいわくして、四《よつ》ひざを、おり[やぶちゃん注:ママ。]ふして、かしらを、うなたれ[やぶちゃん注:ママ。]たり。

  

[やぶちゃん注:底本の挿絵はここ。黒い大牛が四肢の膝をついて相手の痩せ牛に降参しているシーンである。奥の絵は、負けた結果、痩せ牛の主人が引き連れてきた村人らが、銭緡(ぜにさし)を受け取っている。

 

 瘦牛、とんでかゝる所を、牛のぬし、ひきとめて、

「それがしがうし、かち申候。」

と、いへば、亭主、

「なかなか、よぎなく候。頁貫文、しんずへく[やぶちゃん注:ママ。]候」。

と、いふて、人數をよびて、わたしたり。

 うけとりて、牛を引(ひき)て、かへれり。

 亭主、大《おほき》にぶけう[やぶちゃん注:ママ。「無興」。「ぶきよう」でよい。後も同じ。]し、腹をたてたり。

 日《ひ》、すでにくれ、その寄り、大牛、亭主の夢に見えて、いはく、

「今日《けふ》の儀、御ぶけう、もつともなり。子細あるゆへに、つげ申候。それがし、さきの生(しやう)の時に、山上に、禪宗の寺、あり、それがしは、その寺僧なり。住持は西堂(せいたう[やぶちゃん注:ママ。比叡山の西塔で学んだ禅僧ということであろう。])なり。やせたる僧なれども、福分(ふくぶん)[やぶちゃん注:裕福であったこと指す。]にて、たのしき[やぶちゃん注:「賴(たの)もしき」の意であろうか。]ゆへに、人みな、錢を、かるなり。それがしも、莫太(ばくたい[やぶちゃん注:ママ。])、かり債(おふ)て、活計(かつけい)をするゆへに、こえ、ふとりて、ちから、つよかりしが、そのしやくせん[やぶちゃん注:「借錢」。]、つゐに[やぶちゃん注:ママ。]、九牛(くぎう)が一毛(いちもう)ほども、返さずして死(しに)き僧なりしゆへに、牛に、むまれて、此家にやしなはれ申候。住持は、山下(やまもと)の檀越(だんゑつ[やぶちゃん注:ママ。])の家の牛に、むまれてゐられ候。西堂ゆへに、左のかたより、右の脇まで、脊の毛色、黃なるは、袈娑の色なり。僧にても、やせたるゆへに、牛にても、やせたり。住持の德に、からすきをも、かけず、重駄(おもに)をも、をはず[やぶちゃん注:ママ。]して、うやまはれ、やしなはるなり。今日きたる所の牛、いづれのうしともしらず、立むかふてみれば、かの西堂牛(さいたううし)なり。それがし、債(をいめ[やぶちゃん注:ママ。])が身なるゆヘ、難義、折角して[やぶちゃん注:全力を出して。]、にげさるなり。まけて、百貫文の失墜をさせ申事、ほんいの外(ほか)なり。さりながら、此よし、世にふうぶんせば、いよいよ、牛をひいてきたるもの、おほかるへし[やぶちゃん注:ママ。]。涯分(がいぶん)[やぶちゃん注:以後、残る命の間のこと。]、つきかちて、牛を、おほく、とらせ申さば、百貫文は、やがて、いゆべし。御心やすくおぽしめさるへし[やぶちゃん注:ママ。]。」

と、よだれを、ながして、いふほどに、亭主、

『まんぞくす。』

と、おもふて、夢、さめたり。

 

奇異雜談集巻第三 目錄・㊀四竪五橫のきどくたんてきなる事

[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい。]

 

竒異雜談集卷第三

          目錄

㊀四竪五橫(ししゆごわう)のきどくたんてきなる事[やぶちゃん注:国立国会図書館デジタルコレクションの活字本「近世怪異小説」のこちらでは、この「竪」は「豎」の誤りか? という旨の丸括弧注記があり、以下の本文もそうなっているため、以下同じの旨が記されてある。しかし、「竪」も「豎」も「縱」(縦:たて)の意を持ち、本邦の主に修験道に於いて行われる除災戦勝等を祈るための九字の呪文と九種類の印からなる「九字護身法」(くじごしんぼう)では、縦に四本、横に五本の格子状に線を空中に書く。それを「四縦五横」(しじゅうごおう)と呼ぶから、漢字としては「竪」「豎」でも問題はないと私は考える。以下の本文への注で再度、詳しく述べる。]

㊁牛(うし)触合(つきあひ)て勝負をいたし善生(ぜんしやう)を語る事

㊂丹波の奧の郡(こほり)に人を馬(むま)になして賣(うり)し事

㊃越中にて人馬になるに尊勝陀羅尼の奇特(きどく)にてたすかりし事

㊄伊良虞(いらご)のわたりにて獨女房(ひとりねうばう[やぶちゃん注:ママ。])舩(ふね)にのりて鰐(わに)にとられし事

 

竒異雜談集卷第三

   ㊀四竪五橫(ししゆごわう)のきどくたんてきなる事

 むかし、ある人の雜談(ざうたん)にいはく、「四竪五橫の法」、たんてきに、きどくを見しことあり。

 丹波のおくのこほり、上杉へんのことなるに、国侍(《くに》さふらひ)、一人《ひとり》あり。

「二、三里、よそに、きう用[やぶちゃん注:ママ。「急用(きふよう)」。]あり。」

とて、あかつきより、わかたうを、つかひにやる。

 わかたう、山路(やまぢ)をすぎて。里あり、とおぽゆる處に、しんのやみなるに。しろき物、おほきさ、からかさを、はりたる程にみえたり。

『何やらん。』

と、あやしくて、むなさはぎす。

 此人、平生(へいぜい)、「九字(くじ)の法(はう[やぶちゃん注:ママ。「はふ」が正しい。])」を傳受して、つねに、をこなふ[やぶちゃん注:ママ。]

 此時、

『かんよう[やぶちゃん注:「肝要」、]。』

と思ひて、口に九字をとなへ、手に四竪五橫をきるなり。

 道、二、三町の間、しきりにとなへ、しきりに、きつてゆく。

 やうやう、東(ひがし)しらむ時分に、しろき物をみれば、家のかきに、しろきかたびらを、かけひろげて、をき[やぶちゃん注:ママ。]たり。

 是をみて、

『むなさはぎせしは、おくびやうなり。』

と思ふ所に、家の内より、おとこ[やぶちゃん注:ママ。]出《いで》て、かたびらをみて、

「此かたびらは、たが、したる事ぞ。寸々(すんずん)、たて・よこにきれて、あるは。」

といヘば、女、出て見て、おどろきて、いはく、

「まことに。たて・よこに、寸々にきれて、つゞく所も、なし。」

といふ。

 若黨、たちどまりて、聞(きゝ)て、すなはち、心えたり。

『さては。九字のきどく、たんてきなり。しゆせう[やぶちゃん注:ママ。「殊勝」。「しゆしよう」でよい。]の兵法かな。たつとし。』

と、おもふて、いよいよ、信仰す、といへり。

[やぶちゃん注:「四竪五橫の法」「九字の法」同義。「九字護身法(くじごしんぽふ)」とも呼ぶ。真言密教、特に修験道の一派で行なう秘法で「臨・兵(ヒヤウ)・闘・者(シヤ)・皆・陣(或いは「陳」:ヂン)・列・在・前」の九字を唱えながら、虚空を縦に四線、横に五線に切り払えば、一切の災難を除き、その身を護るという。当該ウィキに各印と当該の四縦五横の格子状の各線の配置が明治一四(一八八一)年の板本の図とともに乗る。「竪」(音「ジユ」)は「縱」と同義であり、「豎」(音「ジユ」)は通常は「小者・子供・小僧」の意で用いるものの、別に「縱・立てる・立つ」の意があるので、このままで誤りとは言えないので、ママ注記は附さなかった。また、「法」は歴史的仮名遣は通常は「はふ」だが、仏教用語では「ほふ」である。しかし、この呪文は仏教と修験道の混淆したものであるからして、「はふ」「ほふ」「ぼふ」の孰れでも歴史的仮名遣としては誤りとは言えないのである。]

2023/07/03

奇異雜談集巻第二 ㊆江州の三塚小者をきるに順礼の札代に切れし事并山崎の人下人をきれば伊勢の祓箱代にきられし事 / 巻第二~了

[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい。]

 

   ㊆江州の三塚(みつづか)小者(こもの)をきるに順礼(しゆんれい[やぶちゃん注:ママ。])の札(ふだ)代(かはり)に切(きら)れし事山崎(《やま》さき)の人《ひと》下人をきれば伊勢の祓箱(はらいばこ[やぶちゃん注:ママ。])代にきられし事

 江州、ひがしのこほり、三雲(みくも)の庄(しやう)、山南《やまみなみ》のおくに、一村(《ひと》むら)、あり。村の中に妙感寺あり。

[やぶちゃん注:「三雲の庄」現在の滋賀県湖南市三雲(グーグル・マップ・データ)。]

 六角殿、文明年中に、妙感寺に居住(きよぢう)す。數年(すねん)に諸侍(しよさふらひ)、みな、家をつくりて居(お[やぶちゃん注:ママ。])れり。予が父中村豐前守も、家をつくりて、居するなり。

[やぶちゃん注:「六角殿」近江国守護で南近江の戦国大名の六角氏第十二代当主であった六角高頼(?~永正一七(一五二〇)年)。詳しくは当該ウィキを見られたい。

「文明年中」一四六九年から一四八七年まで。

「妙感寺」現存する。ここ(グーグル・マップ・データ航空写真)。

「予が父中村豐前守」これが正しいとすれば、著者の父は六角氏の家臣であり、著者自身も武士であったことになる。]

 はうばいに、三塚と云人、あり。すこし、ぶげん[やぶちゃん注:「分限」。但し、ここは「すこし」の形容と、以下から、財力に限りがあったことを言っているかとも思ったが、そういう用法で「分限」は使った例を知らない。されば、やはり少し「金持ち」であったが、異常な吝嗇(けち)で、使用人も二人だけにしていた、という意味であろう。]にして、たゞ、中間(ちうげん)、小者(こもの)、二人のみなり。

 ある時、三塚、早朝に小者松若(まつわか)をよぶに、みえず。

 中間、門(かど)にいでゝたづぬるに、隣家(りんか)の下女のいはく、

「このへんの小者ども、十人ばかり、『順礼する。』とて、あかつき、ゆけり。それの松若も、さそはれゆくを、『御いとま、申《まふし》てあるか。』と、とヘば、『とても。いとまは御出《おだ》し有《ある》まじきほどに。いとま、こはずに出《いで》候。中間にも、あんない、申さぬ。』と申候つる。」

 中間、此よしを、三塚殿へ申せば、

「くせごとよ、くはんたいもの[やぶちゃん注:「緩怠者」。無礼者。]、事をかゝするなり[やぶちゃん注:「言うに事欠いて何を言いやがる!」。]。かへりたらば、くびをきるべし。」

とて、大《おほい》に、いかれり。

 三、四十日にして中入(なか《いり》)[やぶちゃん注:休憩。]とて、かへりて、母の家に、ゆきぬ。父はなし。

 母の、いはく、

「三塚殿、もつてのほかのふくりう[やぶちゃん注:「腹立」。]にて、『しやうがいさすべし。』とあり。そつじに[やぶちゃん注:軽率に。]、殿へ、ゆくな。」

と、いへば、

「くたびれてあるほどに、二、三日、やすむべし。」

とて、ふしたり。

 母、殿へ、ゆきて、内方《うちかた》[やぶちゃん注:三塚の妻。]につきて、わびことを、まうす。

 内方、

「そのよしを、いふべし。先(まづ)、かへれ。」

と、いへば、母、宿にかへる。

 内方、殿へ、いへば、殿、大にいかり、

「しやつめ。かへりてあるか。しやうがいさせん。」

とて、中間をよびて、

「松若、居《ゐ》たらば、たぱかりて、松原(《まつ》はら)へ、つれてゆけ。我、ゆきて、しやうがいさせん。」

と、いふ。

 中間、いはく、

「しやうがいは、あまりふびんの事にて御座候。がいぶん、せつかん、つかまつるべく候。先(まづ)、御ゆるし、あれかし。」

と申せば、目を、いからかして、

「をのれ[やぶちゃん注:ママ。]、代(だい)に、たつべきか。」

と申さるゝほどに、是非に及ばず、やどにゆけば、松若、門(かど)に、たちてゐたり。

「殿へ、わびことを申《まふし》てやるべし。きたれ。」

とて、うちつれ、かの松原へゆく。

 

[やぶちゃん注:底本の挿絵はここ。]

 

 三塚、きたりて、

「草むらへ、引(ひき)すへよ。」

と、いふて、こしがたなにて、うしろより、けさぎりにきりて、

「氣を散じたり。」

とて、かへる。

 中間も、あとにつきて、かへる。

 三塚は、すぐに、はうぱいの所へゆき、中間は、内へかへれば。かの母、來りて、内方に、わびごとを、いふ。

 内方も、中間も、おなじくいはく、

「はや、それは、たゞ今、しやうがいさせてあるぞ。」

と、いへば、母、いはく、

「宿にくたびれて臥(ふし)候。」

といふ。

「ふしぎの事をいふものかな。それがし、ゆきて見ん。」

とて、母と二人、ゆけば、松若、ぜんごもしらず、臥てゐたり。

 中間、おどろひて、かの松原に、ゆきてみれぱ、しがいもなく、血もこぼれず、そのあともなくして、順礼のふだ、一まい、よこすぢかへに、きれて、あり。

 中間、札を、ひろひてかへり、三塚殿へ、これをみせて、

「しがい、なき。」

よしを、かたれば、三塚、大におどろき、松原へ、ゆきてみれぱ、その跡なきゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に、ふしき[やぶちゃん注:ママ。]なり。

「松若を、ゆるすなり。これより、みのに、ゆき、順礼のけちぐはん[やぶちゃん注:「結願」。]せよ。」

とて、路せんを、つかはして、やる、となり。

[やぶちゃん注:ここで底本も改行している。ここでは一行空けを施しておく。「因記」後の字空けも底本のママである。]

 

因記(ちなみにしるす) ある人のいはく、山崎に、ある人の下人、いとまをこはず、伊勢參宮をいたす。主人のいはく、

「くはんだいもの。くせ事なり。下向したならぱ、くびをきるべし。」

といふて、大に、いかる。

 七日にして、げかうす。

 くれほどに、きたりてあるを、主人、手うちにして、しやうがいす。

 中間をよびて、

「これを、とをく[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]、すてよ。」

といふ。

 むしろどもに、つゝみて、とをく、もてゆきて、すてたり。

 翌日、さうてう[やぶちゃん注:「早朝」。]に、かの下人、大道(おほみち)をゆく。

 中間、これを見て、おどろき、主人に、此よしを、つぐ。

 主人、昨夕(さくせき)、うそぐらきに[やぶちゃん注:ママ。「薄暗い夕刻、確かに」の意。]、きりころす。もし、別の人か、中間、ゆきて、そのしがい、みよ。」

といふ。

 中間、ゆきて見れぱ、そのまゝ、からげなから[やぶちゃん注:ママ。「莚にひっからげたまんまに。]あるを、あけてみれば、しがいもなく、むしろに血もつかずして、御祓箱一つ、よこすぢかい[やぶちゃん注:ママ。]に、きれてあるをみて、おどろき、むしろながら、とりて、かへり、主人に見すれば、主人、おどろきて、

「さては。神明(しんめい)の御たすけなり。御祓をきりたる事、おそるべきなり。下人は、ゆるすぞ。」

といふて、料物(れうもつ)をあたふるなり。

[やぶちゃん注:「御祓箱」中世から近世にかけて、伊勢神宮の御師(おし)が、毎年、諸国の信者に配って歩いた伊勢神宮の厄(やく)よけの大麻(たいま:大幣(おおぬさ))を納めた小箱。]

 

竒異雜談集巻第二終

奇異雜談集巻第二 ㊅獅子谷にて鬼子を產し事

[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい。【 】は二行割注。]

 

   ㊅獅子谷(しゝがたに)にて鬼子(おにご)を產し事

 京のひがし山、獅子の谷の一村(《ひと》むら)は小里(《こ》さと)なり。

 明應七年[やぶちゃん注:一四九八年。]のころほひ、地下人《ぢげにん》の妻、產の時、竒異なる物をうむ事、三度に、をよぶ[やぶちゃん注:ママ。後も同じ。]

 一番の產には、男子を、うむ。つねの人なり。是、嫡子なり。

 二番の產には、異形(いぎやう)の物を、うむ【そのかたち、くはしくはきかず。】。

 三番の產には、槌子(つちのこ)を、うむ。目・はな・口なきゆへに、やがて、これを、ころしおはん[やぶちゃん注:ママ。]ぬ。

 四番の產には、鬼子をうむ。

 うまれおちて、すなはち、大なること三歲子(《さん》さい《ご》)のせいなり。

 やがて、はしりありくゆへに、父、をつかけ[やぶちゃん注:ママ。]、とりすくめて、ひざの下に、をしつけ[やぶちゃん注:ママ。]てみれば、色、あかきこと、朱(しゆ)のごとし。

 兩の目のほかに、又、ひたいに、一目、あり。

 口、ひろくして、耳に、をよぶ。上(うへ)に、齒(は)、二《ふたつ》、下(した)に、齒、二あり。

 父、ちやくし[やぶちゃん注:「嫡子」。]を、よびて、

「よこづち、持來(もちきた)れ。」[やぶちゃん注:「よこづち」「橫槌」。砧(きぬた)や藁などを打つための、やや太い丸木に柄を附けた槌。頭部の側面で打つところから、かく呼ぶ。底本の挿絵を見られたい。]

と、いへば、鬼子、きゝて、父が手にかみつくを、つちをもつて、しきりにうつて、たゝきころすなり。

 人、あつまりて、これをみること、かぎりなし。

 その死がいをば、西の大路(おほち[やぶちゃん注:ママ。])、真如堂(しんによだう)のみなみ、山ぎはの、きしの下に、ふかく、うづみたり。

[やぶちゃん注:「真如堂」京都市左京区浄土寺真如町にある天台宗鈴聲山(れいしょうざん)真正極楽寺(しんしょうごくらくじ)の通称。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「きし」「岸」だが、ここは崖の意であろう。]

 その翌日(あくるひ)、㙒人(やじん)、三人、をのをの、抝子(おうこ)を、かたげて、どうだう[やぶちゃん注:「同道」。]してゆくに、きしの下の土(つち)、うごもてるをみて、

「土龍鼡(うごろもち)あり。」

とて、わうこのさきにて、つけば、鬼子、出《いで》たり。

[やぶちゃん注:「㙒人」「野良(のら)の人」で、百姓のことであろう。

「抝子(おうこ)」この「抝」の字(音「オウ・ヨウ」/こじ(れる)・す(ねる)・ねじ(ける)等の意)は不審だが、読みの「おうこ」から、「枴(おうこ)」の誤刻かと思われる。天秤棒。

『うごもてるをみて、「土龍鼠(うごろもち)あり。」』モグラは畠の地下を縦横に荒らし、田の畦などにも穴をあけるので、彼らは、その「うごもてる」(土が盛り上がって動いている)のを見て、仕事柄、退治しようとしたのである。]

 三人、大《おほき》におどろきて、

「是は、きゝをよびし、『獅子のたにの鬼子』なり。たゞ、はやく、うちころすべし。」

とて、三人、わうこをもつて、だゝき[やぶちゃん注:ママ。]ころすに、つゐに[やぶちゃん注:ママ。]、しなざるを、しきりに、うつて、ころしおはんぬ。

 縄をつけて、引(ひき)て、京にいたるに、路中(みち《なか》)、おほくの石にあたるいへ共[やぶちゃん注:ママ。「といへ共(ども)」の脱字であろう。]、その皮膚(かははだ)、つよくして、すこしも、やぶれず。

 京中の諸人(しよにん)、みて、うちひしぎ、たゞらかして[やぶちゃん注:「爛(ただら)かして」。しかし「皮膚、つよくして、すこしも、やぶれ」ないものを、どうやって爛らかしたんだろう?]、すつるなり。

 此事、常樂寺の栖安軒琳公(せいあんけんりんこう)、

「ようせう、喝食のとき、きしの下にて、うちころすを、まのあたり、みたり。」

と、いへりと云〻。

[やぶちゃん注:何とも言えず、生理的嫌悪感、満載。

「常樂寺」京都市下には少なくとも二つはあるので、特定出来ない。

「栖安軒琳公」不詳。]

佐藤春夫譯「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」正規表現版 「月は空しく鏡に似たり」周文

 

[やぶちゃん注:書誌・底本・凡例等は初回を見られたい。本篇はここ。]

 

  月は空しく鏡に似たり

            醉 罷 月 已 明

            照 我 還 照 君

            如 何 君 不 見

            只 見 天 邊 雲

                  周   文

 

醉ひざめの月のさやけさよ

君をも照らすものからに

君がすがたは見えもせで

ただわりなさの天つ雲見ゆ

   ※

 周  文  明朝の妓女。 未詳。  

   ※

[やぶちゃん注:巻末の「原作者の事その他」では「陳眞素」の後にあって『同上。』とあるだけなので、「陳眞素」のそれをそのまま移した。

 本篇は中文サイトで検索したところ、第一句はどれも「醉罷見明月」となっている。或いは佐藤の示した一本があるのかも知れないが、こちらで推定訓読する。なお、標題は「有怀」で二首の一首である。

   *

 怀(おも)ひ有り

醉(ゑ)ひ罷(や)みて 月(つき) 已すでに明(あき)らかなり

我を照らし 還(ま)た 君(きみ)を照らす

如何(いかん)ぞ 君 見えず

只(ただ) 見る 天邊(てんへん)の雲を

   *]

奇異雜談集巻第二 ㊄伊勢の浦の小僧、圓𮫭の子の事

[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい。

 なお、「𮫭」は「魚」の異体字である。「圓𮫭(えいのうお)」は軟骨魚綱板鰓亜綱エイ上目(シビレエイ目・ノコギリエイ目・ガンギエイ目・トビエイ目)のエイ類を指すと考えてよい(作者は推定で読みを示しているとするが、私はそれでよいと思う。後述する)。本文では「ゑい」と読みを振るが、歴史的仮名遣は「えひ」が正しい。「𮫭」は「魚」の異体字。]

 

   ㊄伊勢の浦の小僧、圓𮫭(ゑいのうお)の子《こ》の事

 紫㙒大德寺、應仁亂中に、寺、たいてん[やぶちゃん注:「退轉」。廃(すた)れて他の地へ移転すること。]の間に、衆僧(しゆそう)、所々に散在す。

 岐庵(きあん)和尚の㐧子(でし)某書記、而(あざな)は牛庵(ぎうあん)、俗姓(ぞくしやう)は中村なり。

 近国を一見するに、伊勢の国の海邊(《かい》へん)に漁村あり[やぶちゃん注:「漁」は「グりフウィキ」のこれであるが、示せないので、通用字とした。]、山の腰に小庵あり。のぼりゆきてみれば、遠景、奇妙なり。

 小庵の緣(えん)に、腰をかけて、休息す。

 庵主(あんじゆ)、出でてざうだんす。

 小僧をよびて、

「茶を喫(きつ)せしめよ。」

といふ。

 小僧、茶を、もちきたる。

 牛庵、此の小僧を見れば、

『人にて、人とするに、たらず。』

と、あやしみて、つくづくとみれば、庵主のいはく、

「此小僧は、圓𮫭(ゑいぎよ)の子(こ)なり。」

といへば、牛庵、なほ、怪しみて、そのゆへ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]を問はる。

 庵主のいはく、

「ふもとの漁村[やぶちゃん注:「漁」は底本では「グリフウィキ」のこの異体字であるが、表示出来ないので、通用字とした。]に、一人のれうし[やぶちゃん注:「漁師」。]あり。大なる圓𮫭(ゑいぎよ)をつりえたり。もちて、家にかへりて、あふのけてをけり[やぶちゃん注:ママ。]。その開閇(かいひん)[やぶちゃん注:の生殖器を指すが、エイの場合は、実際には複雑な襞を有した「螺旋腸」と呼ばれる組織が奥にある肛門部である。但し、外見の形状はヒトの女性生殖器とよく似て見える。実際にそうした行為が行われた事実があるようだが(江戸時代の絵に残っている。ネットで探されたい)、直下の尾の付け根に強力な毒針があるので、極めて危険な行為である。]のうごくを見て、人の如くなるゆへに、これを犯せば、只(たゞ)、人のごとし。不憫なる心出でくるゆへに、海に放す。見れば、よろこびて、海底に、いりぬ。十ケ月すぎて、夢に、圓𮫭、きたりて、

『君(きみ)の子あり。他所(たしよ)のうらの岩の間にあり。たづねて、とり給へ。』

と、いふ、と、みて、夢、さめたり。

 ふしぎの夢なり。

 つらつらおもふに、しかの事、あり。

 そのうらにゆきて、たつぬる[やぶちゃん注:ママ。]に、はたして、子あり。

 だづさへて、家にかへりて、これをやしなへば、人となりて、我《わが》㐧子(てし[やぶちゃん注:ママ。「弟子(でし)」。])となして、此の庵に、をきぬ[やぶちゃん注:ママ。]

 とし今十八なり。人といはんや、人にあらずと、いはんや。」

ともに一笑して、牛庵、かへるなり。

[やぶちゃん注:以下は底本では全体が二字下げ。]

本草に圍魚あり。是、別なり。今、圓魚、其(その)字(じ)不ㇾ詳(つまひらかならず[やぶちゃん注:ママ。])。許(はか)りて[やぶちゃん注:推測して。]書ㇾ之(《これ》をかく)。

[やぶちゃん注:「圍魚」「漢籍リポジトリ」でテキスト検索すると二十四件ヒットするが、それらには本格的な本草書と思われるものはない。漢文なので、種同定は不能である。単に漢籍で「本草」と言った場合、李時珍の「本草綱目」を指すが、同書には「圍魚」は載らない。本邦の本草書か。試みに、国立国会図書館デジタルコレクションで検索してみたが、あっても殆んどが「囲い網漁」の記載で、最早、万事休す。識者の御教授を乞うものである。

 

佐々木喜善「聽耳草紙」 一四五番 五德と犬の脚(二話)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここ。]

 

      一四五番 五德と犬の脚(其の一)

 

 昔、天神樣は爐の五德には脚を四本與《あた》へ、犬には三本しか吳れなかつた。ところが五德は一本の脚をエレジ(邪魔)がつて、ひどく粗末にした。

 天神樣はこれを見て、あの五德の奴は無作法だと云つて怒つた。そして五德から脚一本を取返《といかへ》して犬に接着(クツツ)けてやつた。それから犬は今のやうに早く步けるやうになり、五德は少しも步けなくなつた。

 そこで犬は天神樣から貰つた脚が勿體《もつたい》ないとて、今でも其脚をちよんと持ち上げて、小便をするのだと謂ふ。

 

       (其の二)

 

 昔、弘法大師樣が諸國を行脚なされて居た頃は、犬の脚は三本しかなかつた。そして爐《いろり》の中にじつとして居る今の五德には脚が四本あつて、その頃は名前も四德と呼んでおつた。

 大師樣はこの自分で動くことを知らない四德の脚を三本にして、その一本を夜晝走《はせ》せて步きたがる犬に足《た》してくれた。犬は大層ありがたがつて、大師樣から貰つた脚をば尊いからと小便をする時にはチヨンと持ち上げた。御覽なさい今でもそれをやつて居るから…

 又脚をとつた四德には德を一ツ增してくれた。その時から四德が五德になつた。

  (私の稚い記臆、祖父からよく聽いた話。今でも
   犬の所作や爐の五德を見ると、その都度に思ひ
   出すのである。)

2023/07/02

奇異雜談集巻第二 ㊃高㙒の鍛冶火をもつて虵の額に点ずれぱ妻の額に瘡いできし事

[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい。]

 

   ㊃高㙒(かうや)の鍛冶(いあぢ)火をもつて虵(へび)の額(ひたい[やぶちゃん注:ママ。])に点(てん)ずれぱ妻(つま)の額に瘡(かさ)いできし事

ある人のざうたんにいはく、高㙒山は諸坊の間に、諸職人の在家、おほく、つらなりて宇(のき)[やぶちゃん注:「軒」に同じ。]をならぶ。

 女人けつかいの地なるゆへ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]に、みな、妻子をば、ふもとの里におきて、私宅(したく)をかまへ、山上職商(さんじやうしよくあきない[やぶちゃん注:ママ。])のよけい[やぶちゃん注:「余慶」。]をもつて、妻子を、やしなふ。五日、十日、廿日、丗日にて、ふもとにくだりて、妻の家を見まひ、二日、三日、とうりう[やぶちゃん注:「逗留」。]して、山にかへるなり。

 山上職人(しよくにん)に、一人の鍛冶あり。夏のころ、しよく[やぶちゃん注:「職」。仕事。]、はやりて、ふいがうをふき、剃刀・小刀を、にぶらし、うつ。

[やぶちゃん注:「ふいごう」「ふい‐ご」(鞴・韛・吹子・吹革)の古い言い方。最後の「ふきがは」の変化したのが「ふいごう」でそれがさらに「ふいご」と音変化した。火力を強めるために用いる送風装置。古くは獣の皮革で出来た可動する踏み押し型のそれが用いられた。金属の精錬・加工に使用された。

「にぶらし」「鈍らし」熱で柔らかくし。]

 炉(ろ)のほか[やぶちゃん注:「外(そと)」。]のすみ[やぶちゃん注:「炭」。]のうへに、小虵(ほそくちなは)、一すぢ、ありて、亭主に、むかふ。

 亭主、ひばし[やぶちゃん注:「火箸」。]を、とつて、これをおへば、さりかくれて、また、きたる。又、をへば[やぶちゃん注:ママ。]又、さりかくれて、また、きたる。

 亭主、すみかきのかね[やぶちゃん注:「炭搔きの鐵(かね)」。]のさきを、あかく、やきて、虵(へび)のひたい[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]に点ずれば、虵、さりかくれて、ふたゝびきたらず。

 後(のち)、四、五日して、ふもとの里にくだり、私宅にゆけば、妻、やみて、ひれふしぬ。

 夫(おつと[やぶちゃん注:ママ。])、かなしみて、

「病(やまひ)は、いくかを、ふるぞや。いかんとして、やむぞや。」[やぶちゃん注:「いくか」「幾日」。]

と、いへば、妻のいはく、五日いぜんに、牛時(ひる《どき》)、まくらをとつて、しばらくねふれば、夢に高㙒にのぽり、その方《はう》へ、ゆきければ、とび火、ひたいに、あたる、と、みて、夢、さめて、ひたいに、瘡、いでゝ、いたむ事、はなはだしうして、いまに、おこたる事を、えず。」[やぶちゃん注:「おこたる」「怠る・惰る」には「病気がよくなる」という意味がある。]

といヘぱ、夫、その日を、かんがへ、時を、かんがへみるに。かの虵のひたいに点ずる時とおなし。

 かるがゆへに、夫、すなはち、さとれり。

『識心(しきしん)の虵(じや)、うたがひなし。』

と。

[やぶちゃん注:「識心の虵」仏教でいう広義の人間の感覚認識である「六識」(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識)と心の働きが、夫への欲情感情と一度に集結し、蛇体と変じて出現したことを言っているのであろう。]

 その事、妻にかたらず。

 あはれなるかな、夫妻の道。

 妻を、なぐさめて、いはく、

「貧家(ひんか)に、ひとりゐて、るす[やぶちゃん注:夫が「留守」の状態が。]、日、ひさしく、世事、まかなひ、まさに、たいてんすべし。もし、結界の地にあらずば、みづから、のほり[やぶちゃん注:ママ。]ゆくべきに。結界不通ゆへに、夢に、のぽりゆく事、もつとも、ことはりなり。是、かへりて、よろこぶなり。それの、別心なきゆへなり、と。山上職商(あきなひ)のよけい、おほからず、今、たゞ一緡(《いち》びん)を、たづさへて、きたれり。これをもつて、世事(せいじ)を、つぐのはるべし。」

と、いヘば、妻、よろこんで、おきて、座(ざ)す。額のいたみ、たちまちに、いえ、額の、かさ、あと、なし。

[やぶちゃん注:「一緡」銭縄(ぜになわ)にさしてある銭。百文乃至は千文(一貫)を単位とした。]

 けだし、心地《ここち》の変(へん)なるゆへに、実(じつ)に「かさ」あるに、あらす[やぶちゃん注:ママ。]

 夫、つらつら、これをおもふに、

『女人の心念(しんねん)しうぢやく[やぶちゃん注:ママ。「しふぢやく」が正しい。]、もつとも、ふかし。現在、すでに、かくのごとし。來世(らいせ)、まさに、しるべきものなり。をろかなる[やぶちゃん注:ママ。]かな。まうえんにほだされて、つゐに[やぶちゃん注:ママ。]、ぢごくの果(くは)をうけん事、高㙒衆のざうたんに、經文を引(ひき)て、いはく、「女人は、地ごくのつかひなり。よく仏(ほとけ)の種子(しゆし[やぶちゃん注:ママ。通常は「しゆじ」と濁る。])をたつ[やぶちゃん注:「斷つ」「絕つ」。]。外面は、ぽさつに、にたれども、内心は夜叉(やしや)のごとし。」と云《いひ》て、しよせん、りべつして、ほつしん。』

と、おもひえたり。

[やぶちゃん注:「まうえん」「妄緣」。「虚妄の因縁」の意。深い因縁を持っているように見えて、実際はそうでない因縁。また、自分と関係のある人や事物が、いろいろの欲望や思念を生じさせる原因となること。また、それらの人や事物そのものをも指す。

「種子」広義には「物事を引き起こす可能性・要因」を言うが、ここは「仏(ほとけ)の種子」と言っているので仏・菩薩の人知を超えた衆生を済度する力が対象人物に届かなくなることを言う。]

 妻、みづから、我(わか[やぶちゃん注:ママ。])ひたい[やぶちゃん注:ママ。]をなでゝ、瘡、たちまちに、あとなき事、

「是、何としたる事ぞ。」

と、あやしむゆへに、夫、高㙒にて、心虵(しんじや)きたりしことを、つぶさにかたれば、妻、おほきにおどろき、ざんぎして、なげき、なみだを、ながす。

[やぶちゃん注:「ざんぎ」「近世怪異小説」版では、わざわざママ注記を打っているが、必要ない。何故なら、「慚愧・慙愧」古くは「ざんぎ」と読んだからである。「慙」は「自ら恥じること」、「愧」は「人に向かってその気持ちを表わすこと」を言う。いろいろと自分のことを反省し、心から、恥ずかしく思うことを指す。]

 そのつゐて[やぶちゃん注:総てママ。「ついで」(「序」。]に、夫、しめして、いはく、

「今世(こんしやう[やぶちゃん注:ママ。])は、かりの世[やぶちゃん注:前に従うなら「しやう」となるが、ここは「よ」と読むのが自然。]なり。明日(あす)を、しらず。人みな、後生(ごしやう)を一事(《いち》だいじ)とす。われ、高㙒にありて、昼夜(ちうや)、職をいとなみ、後生をわするるは、これ、妻(つま)を、やしなはんがためなり。そのとが[やぶちゃん注:「咎」。後生を考えないことのそれ。]、妻より、おこる。妻、夢のたましゐ[やぶちゃん注:ママ。]、山にゆき、虵躰《じやたい》の變現(へんげん)をなすは。是、夫に、そはん、と、おもふゆへなり。そのつみ[やぶちゃん注:「罪」。]、夫より、おこる。ゆへに、夫妻《をつとつま》ともに、つみを、むすぶ事、おほし。來世(らいせ)の墮獄(だごく)、いかんが[やぶちゃん注:「如何(いかん)が」。「如何(いかに)か」の音変化。和文の漢文訓読でしばしば行われる。]せん。をよそ[やぶちゃん注:ママ。]、夫妻の道は、前世(ぜんせ)に、いんゑん[やぶちゃん注:ママ。「因緣」。後も総て同じ。]あつて、今世《こんじやう[やぶちゃん注:冒頭の当て読みを採用する。]》に、夫婦わがう[やぶちゃん注:「和合」。]のむくひをなす。現世の(げんぜ[やぶちゃん注:ママ。私は「後世(ごぜ)」以外は清音で読む。])いんゑん、又、來世(らい《せ》)に、そのむくひを、なす。前生《ぜんしやう》のいんゑん、よきときんば[やぶちゃん注:「時んば」「時(とき)には」の音変化で、「~する時には・~する場合には」の意。中古以後の漢文脈の訓読文で用いられ、「則」の訓として定着した。]、今生《このんじやう》のむくひ、をのづから[やぶちゃん注:ママ。後も同じ。]、とみ、さかへて、善をなし、𢙣(あく)をなさず。前世、あしきときんば、今生、をのづから、まづしく、いやしくして、𢙣をなし、善をなさず。二世《にせ》のむくひ、のがれざる事、たとへば、高㙒にて、虵(へび)のひたひに、火を点ずれぱ、此家にて、妻のひたゐ[やぶちゃん注:ママ。]、いたみて、にはかに、かさ、あるがごとし。善をしゆすれ[やぶちゃん注:「修(しゆ)すれば」。心を込めて行えば。]ば、つみ、滅する事、たとへば、我(われ)きたつて、いひなぐさめ、世事(せいじ)のつぐのひを、なせば、妻、よろこび、おきて、座(ざ)し、額のいたみ、やんで、かさ、たちまちに、あとなきがごとし。しかるときんば、夫妻(ふさい)ともに、發心(ほつしん)し、出家して、後生(ごしやう)ぼだい[やぶちゃん注:「菩提」。]を、おもふべき事、かんよう[やぶちゃん注:「肝要」。]なり。」

と、いへば、妻、きゝえて、領解(りやうげ)することに、ほつしんすべき氣色、みえたり。

 夫の、いはく、

「此家をば、その方《はう》に、あたふ。我(われ)、しるべからず。こゝに、とうりうすれば、まうえむ[やぶちゃん注:ママ。先の「妄緣」に同じ。後も同じ。]、はなれず。」[やぶちゃん注:「我、しるべからず」これは、「その後のことは私は、一切、関知しない。」という宣言である。「完全に縁を切るからには、我々は、何らの関係もなくなるのだから、お前が出家して比丘尼なることを強制したりする気持ちは、毛頭、ないし、再婚するも、女一人で生きようが、これ、勝手せよ。」というようなことを言っているのである。]

と、いひて、日、くれに、をよぶ[やぶちゃん注:ママ。]といへとも[やぶちゃん注:ママ。]、出《いで》て、高㙒にかヘり、すぐに、奧の院に、まいりて、ほつしんし、しゆつけし、道心けんご[やぶちゃん注:「堅固」。]にして、ふたゝび高㙒山のうちを出《いで》ざるなり。

 かるがゆへに、あくごう[やぶちゃん注:ママ。「惡業」であるから「あくごふ」が正しい。]のいんゑむ、すなはち、ぼだいのくはほう[やぶちゃん注:ママ。「果報」で「くわはう」が正しい。]と、なるものなりと云〻。

[やぶちゃん注:「高㙒」「奧の院」ここ(グーグル・マップ・データ航空写真)。]

奇異雜談集巻第二 ㊂越中にて武士の内婦大虵になりて大工をまとひし事

奇異雜談集巻第二 ㊂越中にて武士の内婦大虵になりて大工をまとひし事

[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい。なお、底本では、標題の上の数字が㊅となっているが、これは誤刻であるので、㊂に訂した。【 】は二行割注。]

 

   ㊂越中にて武士の内婦大虵(だいじや)になりて大工をまとひし事

 越中の国に晚出家(ばんしゆつけ)あり。名を源幸(げんこう)といふ。[やぶちゃん注:「晚出家」かなり年をとってから出家した者。]

 京の鳥山黨(とりやまたう)なり。のぼりて、一年、在京す。[やぶちゃん注:「鳥山黨」高田衛編・校注「江戸怪談集」上(岩波文庫一九八九年刊)の注に、『不詳。「鳥辺山党」の誤記とすれば、浄土真宗本願寺派をさす』とある。]

 そのざうだんにいはく、

「わが国に、一人の国侍(《くに》さふらひ)あり【名字は忘却。】。馬(むま)をたて、わかたう、五、六人あり。常に作事(さくじ)を好んで、大工をつかふ。定まりたる大工壱人《ひとり》ありて、つねに、きたる。その大工、いんぎん[やぶちゃん注:「慇懃」。]にして、きよう[やぶちゃん注:「器用」。]、こつがら[やぶちゃん注:「骨柄」。]、仁物(じんぶつ)也。

 内婦、これを、みるごとに、心を動かし、念をむすぶ。

 大工は、何ごころもなし。

 内婦は、見にくき顏の麁惡(そあく)にして、ぶきよう[やぶちゃん注:「無器用」。]なり。亭主、粗(ほゞ)、いとふゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に、子もなし。

 亭主、ある時、馬にのりて、遠所(えんじよ[やぶちゃん注:ママ。])にゆきぬ。

 その留守に、内婦、かの大工をよぶ。

 大工、きたる。

 内婦のいはく、

「帳臺(ちやうだい)[やぶちゃん注:閨(ねや)。]の中に用所(ようしよ)あり。來たりて、みよ。」

と、いへば、大工、中に行きてみるに、内婦、すなはち帳臺の戶をさしぬ[やぶちゃん注:「鎖しぬ」締め切った。]。

 戶の外の、人、みな、驚きて、

「是は。しかるべからず。」

とて、戶を開けんとすれば、くるる[やぶちゃん注:「樞」。戸締まりをするために、戸の桟から敷居に彫った穴に木片を差しこんで開閉出来ないようにする仕掛け。]あり、掛金ありて、開くることを、得ず。

 中には、こゑもたてず、たゞ、しんどう[やぶちゃん注:「震動」。]するをと[やぶちゃん注:ママ。]聞こゆ。

 ややありて、帳臺の四囲(まはり)の垣を、一度に押す勢ひあり。若黨衆みな怪しみて、帳臺の天井(てんじやう)にあがりて、板(いた)のはしをあけて、中をみれば、かきのすきまより、あかり、すこし入れて[やぶちゃん注:少し射しているいるので。]、みれば、内婦、大虵《だいじや》になりて、中に滿ちたり。

 大工は、まとはれて、いきたるか、死(しし)にたるか、こゑを、せず。

 大虵のかしらは、すみに、あり、内婦の顏、長くなりて、口は馬のごとく、まなこは、天目(てんもく)[やぶちゃん注:天目茶碗。口径は十二、三センチメートルが普通。]のおほきさにして、かゞみのごとし。

 みな、二目(ふため)見ること、あたはずして、とびおりて、にげさる。

 家中の男女(なんによ)、みな、にげさりて、とをく[やぶちゃん注:ママ。]隔てて、一處(いつしよ)にあり。

 亭主のかたへ、追[やぶちゃん注:ママ。](むか)へを、つかはす。

 地下人と隣鄕(りんがう)の人、きたり、集まりて、

「いかんがせん[やぶちゃん注:「如何せん」に同じ。]。」

と、詮議、まちまちなり。

 亭主、馬上(ばしやう)、きたりつく。

 上(かみ)くだん[やぶちゃん注:「上」の「件」。以上の変事。]の次第を、つぶさにかたれば、おほきに驚き、馬(むま)をよせて、家のうちを、門より、みれば、帳臺のかきのもとを、をし[やぶちゃん注:ママ。]やぶりて、大虵、よこたはりて、半身(はんしん)、出《いで》たり。

 亭主見て、

「くちおしき[やぶちゃん注:ママ。]しだいなり。ゆきて、たちをもつて、虵(じや)をきるべし。みなみな、やり・なぎなたを、もちて、きたれ。」

といふ。

 地下衆、よりて、

「勿躰(もつたい)なし[やぶちゃん注:「とんでもない!」。]。一大事なり。しかるへからす[やぶちゃん注:総てママ。]。」

と、いふて、ひきとどむ。

 亭主いはく、

「此家、いまよりのち、すむべからず。放火して、虵を、燒き殺すべし。」

と、いへば、みな、

「もつとも。」

と、いひて、松明(たいまつ)、おほく、つくりて、諸人(しよにん)、手ごとに、火をつくれば、つくりこみたる家なれば、はやく、やけゆきぬ。

 ちやうだいのへん、やくるとき、けふりの下より見れば、大虵、宛轉(ゑんてんと/ふしまろふ)[やぶちゃん注:右左のルビ。右「と」が含まれているのはママ。]、大なるうな木[やぶちゃん注:「棟木」。]・うつばり[やぶちゃん注:「梁」。]・けた[やぶちゃん注:「桁」。]・柱抔(とう)、おちかかるゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に、大虵、はたらかず[やぶちゃん注:抜け出すことが出来ず。]して、やけ死《じに》し、灰となりて、事、おはれり、と。是、それがし、ぢきに見るにあらす[やぶちゃん注:ママ。]、人、語りつたへたり。」

と云々。

[やぶちゃん注:「抔(とう)」の字は、殆んど、カタカナの「ホ」に近い異体字で、「グリフウィキ」のこれが近いが、表記出来ないので、この字を当てておいた。]

佐々木喜善「聽耳草紙」 一四四番 物知らず親子と盜人

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここ。標題の「盜人」は「ぬすびと」と訓じておく。]

 

      一四四番 物知らず親子と盜人

 

 或所に物は分らないが正直な親子三人が、寺の門前に住まつて板。或る時親父が錢百文持つてお寺の和尙樣のところへ行き、和尙樣し和尙樣し、何でもよいから話を敎へてクナさいと賴むと、

   そろりそろり來たわいナ

 とこれだけ敎へた。次に母親(アツパ)が矢張り錢百文持つて行つて、同じことを云つて賴むと、

   そのまゝそこに立つて居る

 とこれだけ敎へた。次に息子が行つて同じやうにして賴むと、こんどは、

   その者逃がすな追ひかけろ

   ズツテン、ズツテン

 と、斯《か》う敎へた。そこで親子三人は每日每夜其を繰り返して語つて居た。[やぶちゃん注:底本では句点だが、「ちくま文庫」版の読点を採用した。]ところが或夜その家へ泥棒が入つた。すると父親(トヽ)が、

   そろりそろりと來たわいナ

 といきなり言つた。[やぶちゃん注:底本では句点だが、「ちくま文庫」版の読点を採用した。]それを聽いた泥棒は二の足を踏み出しかねて居ると、それに續いて母親《かか》が、

   其まゝ其所に立つて居る

 と叫んだ。泥棒は氣味惡くなつて、後《うしろ》を向いて逃げ出さうとすると、息子が、

   其者逃がすな追ひかけろ

   ズツテン ズツテン

 と叫んだ。泥棒はアワ食つて[やぶちゃん注:底本では「て」はなく、空白(恐らく誤植)であるが、同前で訂した。]一目散に逃げて行つた。

 (佐々木緣子氏の御報告の分の八。)

 

奇異雜談集巻第二 ㊁糺の森の里胡瓜堂由來の事

[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい。

 なお、高田衛編・校注「江戸怪談集」上(岩波文庫一九八九年刊)に載る挿絵をトリミング補正して掲げた。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。]

 

   ㊁糺(たゞす)の森の里(さと)胡瓜堂(きうりだう)由來の事

 糺の森は、むかし、大木(たいぼく)、おほく、保境(ほうきやう)[やぶちゃん注:境内地。]、ひろし。社頭、いらかを磨き、神威靈驗、あらたなり[やぶちゃん注:「あらたかなり」に同じ。]。

[やぶちゃん注:「糺の森」ここ(グーグル・マップ・データ。以下無指示は同じ)]

 地下《ぢげ》[やぶちゃん注:周辺の一般の民草。]、五、六町[やぶちゃん注:五百四十五~六百五十四半メートル。]、繁盛し、民家、おほく、つらなる。叡山より、出京の街道なるゆへ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]に、人の往來、絕ゆることなし。

 地下の、にしよりに、きれいにして、おほきなる家、あり。「ちや屋」なり。

 家ぬしは、婦人にして、夫(おつと[やぶちゃん注:ママ。])、なし。一、二年、ひとりやもめなり。つねに、茶屋の本座(ほんざ)に居(ゐ)て、茶を、うる。[やぶちゃん注:「本座」高田氏の注に『店の主人の坐る場所』とある。]

 おもてに、いたをもつて、かりに棚(たな)をつりて、胡瓜(きふり[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。])、五、六を出して、賣る。

 山の小法師原(こぼうしばら)、三人、同道して通るが、

「めつらしき[やぶちゃん注:ママ。]胡瓜あり。」

とて、よりてみる。

 ひとりのわらは、手に胡瓜をとりて、

「わが坊のばうずのわたくし物は、たゞ、是よ。かたちも、此のやうなるぞ。」[やぶちゃん注:言わずもがな、「わたくし物」は陰茎のこと。稚児僧は男色の対象とされたので、しっかり知っている訳である。]

といふて、棚に置きて、三人、わらひて、ゆけり。

 内婦、きゝて、心をうごかし、念を、むすぶ。

 おもひ、やゝ、いやましにして、思案・工夫するゆへに、一《ひとつ》の方便を、えたり。

 三人のこばうしばら、京に入《いり》て、おもひおもひの用を、弁(べん)ずるゆヘに、歸路は各々(おのおの)なり。

 内婦、めをはなたず、かいだうを見て、小法師ばらのかへるを、待つ。

 かのきふり、手にとりしわらは、一人、とをり[やぶちゃん注:ママ。]ゆくをみて、内婦、これをよびて、

「物申すべき事あり。」

とて、先(まづ)、茶を、すすむ。

「その方は、何谷(なにだに)何坊(なにばう)の人ぞ。」

と問へば、わらはのいはく、

「東塔(とうどう[やぶちゃん注:ママ。])のひがしだに、『正覚坊(しやうかくばう)』に候。」

と、こたふ。[やぶちゃん注:「正覚坊」現存しないが、歴史的資料を見ると、確かに比叡山東谷(所謂、「東塔」(とうとう)地区)に正覚坊はあった。]

 婦のいはく、

「御ばう樣は、祈禱のために、いづかたへも、御出で候や。」

と、いへば、

「なかなか。いづかたへも御出《おいで》候。」

といふ。

「こゝもとの、見ぐるしき所へも、御出であるべきや。」

「なかなか、御出あるべし。」

といふ。

 婦のいはく、

「われわれ[やぶちゃん注:謙遜の一人称単数。「わたくしめ」。]、年久しきりうくわん[やぶちゃん注:ママ。「立願(りふぐわん)」。]の事候ひて、七日の護摩(ごま)をおこなひたく候。おくのざしきを見給へ。」

と、いへば、わらは、ゆきて見れば、四間(よま)のざしきにをしいた[やぶちゃん注:ママ。「押板」。「床の間」のこと。]あり、次は三間(みま)、また、三でうじき[やぶちゃん注:ママ。「三疊敷」は「さんでふじき」が正しい。。]なり。

「護摩も、しかるべき手(て)つかひ[やぶちゃん注:ママ。「手番(てつが)ひ」で、高田氏の注に、『遣(てづか)いに同じ。手はず。てくばり』とあった。]なり。」

といふ。

「しからば、そのはうを賴み入れ候。」

といひて、飯酒、すすむ。

 七日の朝夕(てうせき)御布施のやうだい[やぶちゃん注:「樣體」。仕来たり・作法。]、談合す。

「御坊へ、うかゝひ[やぶちゃん注:ママ。]ありて、明日のべんぎ[やぶちゃん注:「便宜」。]に、御さううけたまはりたく候。」

と、いへば、わらは、

「心得申す。」

とて、山に、かヘりゆき、その翌日(よくひ)、かのわらは、きたりて、御りやうしやう[やぶちゃん注:「了承」。]の由を申す。

 内婦、よろこんで、また、飯酒、すすめ、引物(いんぶつ)[やぶちゃん注:贈り物。]をあたふ。

「しからば、明日、御とも申し、まいるへく[やぶちゃん注:総てママ。]候。」

とて、歸る。

 そのあけの日、かのわらは、本尊のゑばこ[やぶちゃん注:「繪箱」。本尊を絵に写したものを入れた箱。]、護广[やぶちゃん注:ママ。](ごま)の檀[やぶちゃん注:ママ。]、仏具の箱、ごま木(き)、礼盤(れいばん)等(とう)をになひ、もちきたる。

[やぶちゃん注:「礼盤」高田氏の注に、『本尊の前に置く壇。導師が礼拝を行う台。らいはん』とあった。]

 あとに御坊、ただ中方(《ちゆう》ばう)一人、小者(こもの)一人ばかりにて、御出《おいで》あり。

[やぶちゃん注:「中方」同前で、『雑務にあたる身分の低い僧。法事執行の』際、『助手の役をはたす。なかかた。中坊』とある。]

 内婦、よろこびて、奧の座敷へ請じ申し、やがて、ざしきをかざりて、ごまを、はしめ[やぶちゃん注:ママ。]らる。

 

Tyayaonanokakusei1

 

[やぶちゃん注:底本では見開きに二図がのる

 

 内方《うちかた》[やぶちゃん注:「内婦」に同じか。]、ごんぎやうのひまを、ねらふ[やぶちゃん注:ママ。]てとりより[やぶちゃん注:言い寄り。]、引きおとさん[やぶちゃん注:無理に引いて共寝しよう。]とすれども、すこしもゆだんなく、灯明(とうみやう)、をこたら[やぶちゃん注:ママ。]ず、ごんぎやう・かんきん[やぶちゃん注:「看經」。]し、よこ臥(ぶし)し給はず、とりしよるべきやう、さらになくして、七日、すでに。おはれり[やぶちゃん注:ママ。]

 内婦のけしきを、怪しく思ひ給《たまひ》て、いとまごひもせず、門(かど)に出《いで》給ふ。

 内婦、かどをくり[やぶちゃん注:ママ。]にいでて、したひゆく。

 御坊の御身近く、よりてゆくほどに、御坊、あしばやに、ありき給へば、婦も、また、あしばやに、ありく。

 中方・小者、よりて、

「さやうには、なき事ぞ。しりぞけ。」

といへども、もちひず。

 

Tyayaonanokakusei2

 

 なを[やぶちゃん注:ママ。]、袖にとりつくを、ひききり、はしりゆき給へば、婦も、また、はしらんとするを、御むかへにきたりたる衆(しゆ)・供奉(ぐぶ)の衆、みな、をさへ[やぶちゃん注:ママ。]てひきとむれば、御坊は、はるかに、ゆきさり給ふを見て、婦人、おほきにいかりて、けしき、變じ、おそろしく、すさましく[やぶちゃん注:ママ。]なりて、みちのほとりに、池水(いけ《みづ》)ありしに、とび入《いり》て、たちまち、大虵(だいじや)となる。

 諸人(しよにん)、あつまりて、みる事、群(ぐん)を、なせり。

「是、たゞ事に、あらず。」

といふて、地下《ぢげ》より、管領(かんれい)へちうしん[やぶちゃん注:「注進」。]申せば、人、數《かず》きたり、兵革(ひやうかく)をたいして[やぶちゃん注:「帶して」。]、大虵を退治す。

 ころしおはつて[やぶちゃん注:ママ。]、土(つち)をあつめて、池をうめ、虵(じや)を、うづみて、そのうへに、堂を、たつ。きりいしを、もつて、堂をつくり、佛像をあんちし、香花(かうはな)をそなへて、かの婦人の、しうしんあくごう[やぶちゃん注:「執心惡業」。]、蛇躰變作(《じや》たいへんさ)のざいしやう[やぶちゃん注:「罪障」。]をとぶらふなり。

 此堂、「きふり」より、事おこるゆへに、「胡瓜堂」となづくるなり。「應仁の亂」中(ぢう)に、地下民家(ぢげみんか)、たいてん[やぶちゃん注:「退轉」。]すといへども、石の堂は、のこりて、今に、あり。

 此の雜談、津田紹長(つだのぜうちやう)、

「叡山にて、聞く。」

と、いへり。

[やぶちゃん注:「津田紹長」高田氏の注に、『不詳。泉州堺の茶人津田宗及の関係者か』とある。

 一物の長さだけで、魅了されるこの女は、恐らくは、かなり特異的なニンフォマニア(nymphomania)としか思われない。正覚坊の坊主の年齢も容貌も聴かずに、招聘しているからである。しかし、年も茶屋の経営の様子や挿絵からは、中年とは思われず、寧ろ、文字通り、番茶も出花の女性であって、されば、そうした病的な色情疾患であれば、幾らも市井に相手は、いよう筈であり、或いは、この小坊師のふざけた台詞に敏感に、しかも突発的に感応し、それまで潜在していたニンフォマニア疾患が覚醒してしまった不幸なケース(或いは彼女は処女であったのかも知れない)とも考えられる。そうした未経験者の遅い覚醒型のニンフォマニアの思い込みの強さが、愛憎の結果として、遂に身を蛇体へ変じるというのは、寧ろ、判り易い神話や伝説の古形をもとにしていると言えるのである。

 なお、「胡瓜堂」は実在しないようである。ネットで検索すると、かなりセクシャルな内容の画像を持った怪しい複数のポルノ的サイトがかかってくるので、検索はおやめになった方がよろしいかと存ずる。]

2023/07/01

奇異雜談集巻第二 目錄・㊀戶津坂本にて女人僧を逐てともに瀨田の橋に身をなげ大虵になりし事

[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい。

 なお、高田衛編・校注「江戸怪談集」上(岩波文庫一九八九年刊)に載る挿絵をトリミング補正して掲げた。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。]

 

竒異雜談集巻第二

         目錄

㊀戶津(とづ)坂本(さかもと)にて女人(によにん)僧を逐(おう)てともに瀨田(せた)の橋に身をなげ大虵(だいじや)になりし事

㊁糺森(たゞすのもり)の里(さと)胡瓜堂(きうりだう)由來の事

㊂越中にて武士の内婦(ないふ)大虵になりて大工(だいく)をまとひし事

㊃高㙒(かうや)の鍛治(かぢ)火(ひ)をもつて虵(へび)の額(ひたひ)に点(てん)ずれば妻(つま)の額に瘡い(かさ)できし事

㊄伊勢の浦の小僧圓魚(ゑいのうを[やぶちゃん注:ママ。「鱏」は「えひ」が正しい。])の子(こ)の事

㊅獅子谷(ししがたに)にて鬼子(おにご)を產(うみ)し事

㊆江州の三塚(みつづか)小者(こもの)をきるに順礼の札(ふだ)代(かはり)に切れし事山崎(《やま》ざき)の人下人(げにん)をきれば伊勢の祓箱(はらひばこ)代(かはり)にきられし事

 

 

竒異雜談集春第二

   ㊀戸津・坂本にて、女人、僧を逐て、共に瀨田の橋に身をなげ、大虵になりし事

 ある人、雜談(ざうたん)にいはく、

「女人の執心、忽ちに蛇になりし事、まのあたり見しなり。

 たとへば、曹洞宗(そうとうじふ[やぶちゃん注:総てママ。])の知識の僧、とし四十あまりなるが、坂本のとづに來たりて、一夏(《いち》げ)をむすび、法談を、のぶ。叡山のきんぜい[やぶちゃん注:「禁制」。]あるゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に、をし[やぶちゃん注:ママ。]出《いで》たる談義にあらず、小庵(せうあん)にて、密々(みつみつ)なり。地下衆(ぢ《げしゆ》)、おほくちやうもんす。

[やぶちゃん注:「戸津・坂本」前掲の高田氏の注に、『中世、琵琶湖畔、比叡山の東麓一帯が坂本、その東が戸津で、此叡辻の南。山門の影響が強く、交通上の要所』であったとある。現在の滋賀県大津市坂本本町、及び、同市の坂本地区がここで言う「坂本」で、その坂本地区の東の琵琶湖沿岸の一帯が戸津(この地名は現存しない。戦前の地図も調べたが、見当たらなかった)であったようである。

「一夏(げ)をむすび」夏安居(げあんご)の地として、ここの小庵を借りたのである。夏安居は、仏教の本元であったインドで、天候の悪い雨季の時期の、相応の配慮をしたその期間の修行を指した。多くの仏教国では陰暦の四月十五日から七月十五日までの九十日を「一夏九旬」(いちげくじゅん)、或いは、「夏安居」と称し、各教団や大寺院で、種々の安居行事(修行)がある。安居の開始は「結夏(けつげ)」と称し、終了は「解夏(げげ)」と呼ぶ。本邦では、暑さを考えたものとして行われた夏季の一所に留まった修行を指す。

「をし出たる」特に華々しく喧伝して目立つような。

「地下衆」坂本や戸津の及びその周辺の一般の民を指す。]

 婦人一人《ひとり》、べつして、信仰す。とし、三十あまりなり。每日、聽聞《ちやうもん》》のほる[やぶちゃん注:総てママ。「聽聞」「に」「登る」。]に、二度、三度、ゆきかよひ、内儀に、とり入り、ちいん、はなはだ、過ぎたり。

[やぶちゃん注:「内儀」この場合は、高田氏の注にあるように、『内々の私生活』のことである。

「ちいん」「知音」。この場合は、やはり高田氏の注にあるように、特に『男と女が親しくすること』の意であろう。或いは、小庵の貸主や、その僧の友人・知人たちにまで、とりいって親しい関係を結んだことを指すのでもあろう。]

 見ぐるしき事あるゆへに、人、これを沙汰す。

 僧、こうくわい[やぶちゃん注:「後悔」。]して、めいわく[やぶちゃん注:「迷惑」。]す。うとまん[やぶちゃん注:「疎まん」。近づけなくしよう。]とすれども、婦人、ゆるさざるゆへ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]に、うとき事を、えず。

 ある時、

『婦人、來たらざる間に、ちくでん[やぶちゃん注:「逐電」。]せん。』

と思ひて、わらんじを、はき、手巾(しゆきん)をしめて、門を出でて、一、二町[やぶちゃん注:百九~二百十八メートル。]ゆくとき、かの婦人、いほりにきたりて、[やぶちゃん注:「手巾」「手巾帶」(しゅきんおび)。異様に長い手拭いのような、長さ五尺(約一・九メートル)ほどの布を帯にしたもの。主に僧尼が用い、衣の上から巻いて、前で結んだ。]

「御僧《おんそう》は、いづかたへぞ。」

と問へば、内衆《うちしゆ》、

「たゞいま、門(かど)へ御出《おい》で。」

といふ。

 婦人、すなはち、門を出《いで》て、ここかしこを、みれば、二町ばかり南に、その影、みえたり。

 婦人、そのまゝ、はしりゆく。

 急に、走るゆへに、藺金剛(いこんがう)、やがて破れて、はだしになりて、走りゆく。[やぶちゃん注:「藺金剛」藺草で編んで作った形の大きい丈夫な草履。普通の形のものより、後部が細く長い。]

 一囬[やぶちゃん注:「囘・回」の異体字。]、むすぶおびは、きれておち、かたびらのもすそは、風にふかれて、うしろへ、ひるがへる。

 かしらは、紙筋(かみより/すぢ)[やぶちゃん注:後半は左ルビで「筋」のみに附されてあるから「かみすぢ」ということであろう。これはよく判らないが、長い髪を束ねた環状の髪留めであろう。]、きれて、髮、ながく亂れて、うしろに、よこに、なびく。

 いのちを、すてゝ、はしりゆく。

 坂本地下中(さかもとぢけ[やぶちゃん注:ママ。]《ちゆう》)[やぶちゃん注:坂本の町中。]をはしりすぎ、濱(はま)にゆく。

 見る人、おどろき、おそる。あるひは、おひみる[やぶちゃん注:「追ひ見る」。追跡を試みる。]。

 僧は、かへりみれば、やや近くなるほどに、いちあし[やぶちゃん注:「逸足」。早足(はやあし)。]を出《いだ》して、はしるほどに、大津をすぎ、粟津、松本をすぎて、瀨田の橋ぎはになりて、すぐにゆかん、と、せしが、

『かなふまじ。』

と、おもひ、かへりて、橋に、ゆく。

[やぶちゃん注:「大津」滋賀県大津市市街。「JR大津駅」をポイントした(グーグル・マップ・データ。以下無指示は同じ)。

「粟津」現在の大津市晴嵐(せいらん)附近。京阪石山坂本線に「粟津駅」があるが、ここでは、かの木曽義仲の最後の地に近い、彼の乳母子で名臣であった今井兼平の墓をポイントした。なお、現在の大津市粟津町はここ

「松本」滋賀県大津市松本はここだが、不審。「大津」と「粟津」の間に入れるべきところを誤ったか。或いは、現在の前記の粟津町の東、瀬田川右岸に大津市松原町があるので、それと書き誤ったのかも知れない。

「瀨田の橋」ここ。瀬田の唐橋西詰の「橋姫竜神」をポイントした。]

 婦人、なほ、ちかくなる。

 

Setabasidaijya

 

 僧、橋の中ほどより、とんで、水に入る。

 婦人、すこしも、とゞこほらず、飛(とん)で、水に、いりぬ。

 見物衆(けんぶつしゆ)、にし東より、橋の上にみつ[やぶちゃん注:「滿つ」。]。

 瀨田の水練者、五、六人、

「これをみずんば、有るへからす[やぶちゃん注:ママ。]。」

とて、はだかになりて、みな、とひ[やぶちゃん注:ママ。「飛び」。]入りて、水のそこをみれば、婦人、大虵(だいじや)となつて、僧を、まとひけり。

 是を見て、逃げさり、浮き上がつて、歸るなり[やぶちゃん注:主語は野次馬で飛び込んだ「水練者」たちである。]、と云々。

[やぶちゃん注:一読、「道成寺」をインスパイアしたことが見え見えである(私はサイトに「――道成寺鐘中――Doujyou-ji Chronicl」を独立させて作る程度には「道成寺」フリークである)。但し、古来より瀬田川には竜神が棲むと言い伝えられ、瀬田橋の左岸直近に勢多橋龍王宮秀郷社があり、藤原俵藤太秀郷の百足退治等でも著名であるから、蛇変とロケーションは、よくマッチしていて、無理がない。追跡シークエンスの描写も、簡潔にしてなかなかよい。]

佐藤春夫譯「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」正規表現版 「手巾を贈るにそへて」陳眞素

[やぶちゃん注:書誌・底本・凡例等は初回を見られたい。本篇はここ。芥川龍之介の影が本書には色濃く残っていることから、個人的には「手巾」は芥川龍之介の同名の小説(大正五(一九一六)年十月発行の『中央公論』初出。後、処女作品集「羅生門」に収録された)から断然、「ハンケチ」と読みたく思う。]

 

  手巾を贈るにそへて

            愁 聽 玉 漏 夜 偏 長

            薄 命 如 儂 固 自 當

            一 縷 機 絲 聊 寄 恨

            莫 敎 抛 擲 阿 誰 傍

                   陳 眞 素

 

うれひぞ長く更くる夜に

身をこそうらみ一すぢに

織りてまゐらすものをしも

誰がよき閨に人や捨つらむ

 

   ※

 陳 眞 素  明朝の妓女。 未詳。

   ※

[やぶちゃん注:訳中の「閨」は「閏」と誤っている。恐らくは誤植で校正で佐藤自身も気づかなかったのであろうが、「乳房をうたひて」趙鸞鸞での全く同様のそれは、作者解説での同じ字の同じ誤りではあるが、これは肝心要の佐藤の訳文での誤植であり、正直、佐藤の校正不注意がひど過ぎる。講談社文芸文庫版で訂した。

 ネットで調べても、この詩人の、この詩の記載が、中文サイトでも見出せなかった。全面的に信用が出来るものではないが、国立国会図書館デジタルコレクションを検索してみたところ、機会的表示で、或いは、詩の標題は「贈汗巾」とする検索結果が出た。原文に当たれないので、或いは機会判読が誤っている可能性は十分あるのだが、まあ、詩題としてはおかしくないので、取り敢えず、それを当てて、推定訓読しておくが、どうもこの詩、上手く読めない。

   *

 汗巾(かんきん)を贈る

愁(うれ)へて玉漏(ぎやくらう)を聽く夜(よ)は 偏(ひと)へに 長し

薄命  儂(わらは)のごときは 固(もと)より當(あ)たれり

一縷(いちる)の機絲(はたいと) 聊(かりそ)めに恨みを寄す

-誰(たれ)か傍(ちか)きに抛擲(はうてき)せしむる莫(な)かれ

   *

・「玉漏」珠玉で飾った美しい水時計。または、水時計の美称。中国の水時計は大掛かりなもので、宮中に置かれたものが多い。]

佐々木喜善「聽耳草紙」 一四三番 雷神の手傳

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここ。「匹」と「疋」の混用はママ。]

 

      一四三番 雷神の手傳

 

 或所に一人の男があつた。町へ行つて見ると、苗木賣りの爺樣が居たから、それから桃の木の苗木を一本買つて來て、それを裏の畠のほとりに植ゑて、早くおがれと言つて、一生懸命に肥料(ヂキ)をやつて置いてその夜は寢た。

 翌朝起きて見ると、昨夕方(ユウベガタ)あんまり肥料(ヂキ)をやつたものだから、一夜の中に桃の木がおがるおがる、ウントウント大きくおがつて、天の雲を通しておがつてゐた。男は常々いつか天上を見物したいものだと思つて居たところだから、これはよいことをしたと思つて、其桃の木傳ひに天へ登つて行つた。すると雲の上に靑鬼が二匹控へて居て、コレコレお前は何しに此所さ來たと訊いた。すると男は此所のところが天か、何が何でも俺は雷樣に逢ひたいから、雷樣の居るところへ連れて行つてくれろと言つた。鬼どもは、ほんだら此所を眞直ぐに通つて行けと敎へた。男が敎へられた通りに行くと、大きな家があつて廣い座敷の中で雷樣が晝寢をして御座つた。そこへ赤鬼が二疋やつて來て、もしもしハア出かけますべえと雷樣に言ひながら向合《むきあ》つて、燧石《ひうちいし》をカチツカチツと兩方から打《ぶ》ツつけ合つた。するとピカツと稻妻が飛び散らけた。雷樣はやつと目を覺まして、ナンタラ野郞ども早いよ、俺はまだ眠(ネブ)たい々々[やぶちゃん注:「々」二つはママ。]と言つて大きな欠伸《あくび》をして起き上つて、長押《なげし》に掛かつてあつた八《やつ》ツ太鼓を取つて、ドンドコ、ドンドコ打ち鳴らしながら出て來た。そして玄關で男と出會《でくは》[やぶちゃん注:この読みは「ちくま文庫」版を参考にした。]して、ヤアお前は見たことのない人だが、誰だアと訊いた。男が俺は日本から來たと言ふと、[やぶちゃん注:底本では句点だが、「ちくま文庫」版で訂した。]あゝあうか恰度《ちやうど》よい所へ來てくれた。早く此桶の底をブン拔いて水撒きをやつてくれと言つて、雨降らせ役を男に賴んだ。男はそれを承知して、桶の底をブン拔いて、雲の上から下界ヘザアザアと水をブンまけた。ところが下界で今を盛りと稗干《ひへぼし》をして居た爺樣や婆樣たちが、それア神立雨(カンダチアメ)だと言つて大騷ぎをしはじめた。男はそれが面白くてウツカリ見惚れて居るうちに、雲を踏ン外して、ドンと下界へ墜ちてしまつた。そして桑畠に落ちて來て、桑の木の枝に引懸《ひつかか》つた。雷樣はそれを見て、あははははツあの男は桑の木に引懸つた、可愛想だからあれに障《さは》るなと言つた。だから雷樣の鳴る時には何處でも桑の小枝を折つて來て軒にさすのだといふ。

  (村の小沼秀氏の話の五。一番同斷。)

[やぶちゃん注:「神立雨」雷雨。]

「奇異雜談集」巻第一 ㊅作善の齋會に僧衆中酒をのめる時位牌の靈魂の喝食形を現じて火炎に燒し事 / 巻第一~了

[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい。]

 

   ㊅作善(さぜん)の齋會(さいゑ)に僧衆中(そうしゆちう)酒(しゆ)をのめる時《とき》位牌の靈魂の喝食(かつしき)形(かたち)を現じて火炎(くわゑん[やぶちゃん注:ママ。]以下同じ。)に燒(やけ)し事

 ある人のざうたんにいはく、田舍の事なるに、一人のしゆぎやうじや、人家の邊(へん)を行《ゆく》に、喝食一人《ひとり》、ふと、來りていはく、

「客僧、きたりて、齋を喫せよ。」

とあり。

[やぶちゃん注:「喝食」「喝」は「唱えること」の意で、禅宗で、大衆(だいしゅ)に食事を知らせ、食事に就いて、「湯」・「飯」などの名を唱えること。また、その役を務める僧。後には、専ら、有髪(うはつ)の少童が務め、「稚児」或いは「喝食行者」(かっしきあんじゃ)と呼んだ。しばしば、成人僧らの男色の対象となった。]

 客僧、うけごひ、よろこびて、したがひゆけば、すなはち、寺の門に入《いり》ぬ。

 喝食、ざうりを、ぬいで、緣にあがりて、みかへりて、

「客僧、這裏(こち)へ。」

と、いひて、おくへ行《ゆき》て、見え給はず。

[やぶちゃん注:「這裏」通常は「しやり(しゃり)」と読む。「這」は中国語の俗語で「此」の意。「ここ・このうち・この・こちら」。「者裏」とも書く。]

 客僧、緣にあがりて、茶堂(さだう)のきわ[やぶちゃん注:ママ。]に居す。

[やぶちゃん注:「茶堂」茶室。但し、底本の挿絵を見ると判る通り、独立した堂ではなく、寺院中の相当に大きな仏壇のある間(ま)であることが判る。]

 客殿には、僧衆、れきれきとして、齋(とき)のさいちうなり。

 客僧にも、おなじく、膳を供(そなへ)て喫(きつ)せしむ。

 客僧、はるかに、仏檀をみれば、喝食、だんのうへに、靈供(りやうぐ)にむかつて居《きよ》す。

[やぶちゃん注:「仏檀」ママ(というより、実は底本では、どう見ても、私には崩し字としても「擅」にしか見えないのだが、これでは完全な誤字(「擅」には「壇」や「檀」に通ずる意味は全くない)となって話にならないので、国立国会図書館デジタルコレクションの活字本の「近世怪異小説」のそれで(右ページ七行目)、「檀」とした)。しばしば見られる表記だが、正確には誤りである。この「仏檀」は仏教では専ら「布施」の意で用いられる。]

 是は、喝食の御影(ごゑい)[やぶちゃん注:ママ。]なり。

 よく、さきの喝食に、にたり。

 座敷中(さしきちう)、酒(しゆ)の時分になりて、給仕人(きうじにん[やぶちゃん注:ママ。「きふじにん」が正しい。])、てうし[やぶちゃん注:「銚子」。]を持(もち)きたりて、ざしきに入れば、喝食の御影、あをき火に、全体、もゆるなり。

 あやしんで、つくづくみれば、僧衆、みな、酒を、うけて、のむとき、火炎、あかくなりて、はなはだ、もゆるなり。

 茶堂の僧に、

「仏だんのうちを、見たまへ。」

と、いへば、みて、おどろき、たつて、ゆきて、消さんと、おもへば、火、すなはち、きえて、あと、なし。

 その目には、喝食、見えず。

 客僧の目にも、

「火(ひ)、消(きえ)て、喝食の御影、なし。」

と、いヘば、茶堂の僧のいはく、

「なんぞ、喝食の御影あるべきや。喝食は、年(とし)十三なるが。此ほど、やみ給ひて、死去(しきよ)あつて、今日《けふ》、初七日の作善なり。いまに、御影の、ようい、なし。」

と、いふ。

 客僧、すなはち、心えたり。

『さきに、みちにて、我をよびしは、喝食の魂魄なり。いまの、御影とみえしも、こんぱくなり。作善に飮酒破戒(をんじゆはかい[やぶちゃん注:ママ。「をん」は「おん」が正しい。])のとが、たちまちに、火ゑんとなりて、もえたり。奇異の事なり。これを、院主(ゐんしゆ)につげ、かたらむ。』

と、おもふて、齋、おはる[やぶちゃん注:ママ。]を、まちてゐたり。

 僧衆、かへり散んじてのち、院主、茶堂にきたりて、

「客僧は、いづかたよりぞ。」

と、とへば、客僧のいはく、

「諸国一見のしゆぎやうじやにて候が、奇異なる事あつて、まいりて、囉齋(ろさい)を申候。」[やぶちゃん注:「囉齋」一般には「僧が四方を巡って托鉢して歩いては供養を請うこと」を指すが、ここはその「供養(喝食へのそれ)を院主に請うこと」を言っている。]

と、いへば、院主、

「何事ぞ。」

と、とふ。

 客僧、

「けさ、みちにて、喝食の、我を、よぴし。」

より、このかたの事を、つぶさにかたれば、院主は、ふしんの氣色(けしき)あり。

 客僧、また、いはく、

「喝食、ざうりをぬいで、緣にあがり給ひし。そのざうり、ありや、いなや。」

と、いへば、院主、たちてみるに、まことに、そのざうり、あり。

 見れば、喝食のざうり、燒繪紋(やきゑもん)、まぎれざるなり。[やぶちゃん注:「燒繪紋」不詳だが、紋を彫った鏝(こて)を当てて草履を飾ったものであろう。]

「此《この》城履(ざうり)は、病中より、くつだな[やぶちゃん注:「履棚」。]にありつるに、けさ、誰(た)が、とりいだすぞ。」

と、とへば、誰(たれ)も、とりいだすもの、さらに、なし。[やぶちゃん注:「城履」「草履」は「じやうり」とも読んだので、それに当て字したものと思われる。]

 これにて、院主、すこし、信ず。

 茶堂の僧も、また、いはく、

「仏檀のうち、やくるをみて、たつて、けさんと思ひつれば、火、きえて、あと、なし。」と、いへば、院主、

「さては。うたがひ、なし。」

と、いへり。

「客僧は、下戶(げこ)か、上戶(じやうご)か。」

と、とひ給へば、客僧のいはく、

「一盃(《いつ》ばい[やぶちゃん注:ママ。])はのみ候といへども、今の儀に、さかづきも、とらざるなり。」

と、いふ。

 院主のいはく、

「しよせん、中陰の間、酒(さけ)を禁斷(きんだん)すべし。」

と、いへり。

「客僧は、しんじん[やぶちゃん注:「信心」。]の道人(だうにん)、大修行底(《だい》しゆぎやうてい)の僧なり。」

とて、嚫金(しんきん)を、ほどこしあたふ。

 客僧、拜受して、さると云〻。

 

竒異雜談集巻第一終

[やぶちゃん注:「大修行底の僧」只管打坐(しかんたざ:余念を交えず、ただひたすら座禅すること。特に禅宗の語で、「只管」は「ひたすら」、「ただ一筋に一つのことに専念すること」で、「打坐」は「座禅をすること」を言う)のただ中にある優れた修行者のこと。

「嚫金」布施。但し、通常は「檀信徒から施される金品」を指す。]

「奇異雜談集」巻第一 ㊄九世戶の蚊帳の中に思ひの火僧の胸より出し事并龍灯の事

[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい。

 なお、高田衛編・校注「江戸怪談集」上(岩波文庫一九八九年刊)に載る挿絵をトリミング補正して掲げた。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。]

 

   ㊄九世戶(くぜのと)の蚊帳(かちやう)の中(なか)に思ひの火(ひ)僧の胸より出《いで》し事并《ならびに》龍灯(りうとう)の事

 丹後の府中に、「鉾立(ほこだて)の道場」といふ時宗寺あり。

 その上人、愛阿弥陀仏(あいあみだぶつ)は、福力(ふくりき)の人にして、道心けんご也。

 在国のとき、報恩を受けたる事、あり。

 此の上人、「九世戶の文殊」を信仰せられ、每月に、三度(《さん》ど)、さんけいし、つやして、仏前に、夜もすがら、よこね[やぶちゃん注:「橫寢」。]せず、称名念仏し給へば、

「龍灯を、しげく、みる。」

と、いへり。

 龍灯とは、橋立のきれと[やぶちゃん注:「切戶」。]二丁[やぶちゃん注:約二百十八メートル。]ばかりの中に、にはかに、一段、ふかき所、あり、是を、

「龍宮の門(もん)なり。」

と、いひつたへたり。

 天氣よく、波風なき夜(よ)、きれとより、ともし火、出《いで》て、文殊の御前(《おん》まへ)に、まいる[やぶちゃん注:ママ。]

 無道心の人は、みる事、まれなり。

 あるひは[やぶちゃん注:ママ。後も同じ。]、みて、

「漁火(ぎよくは)なり。」

といふ人もあり。

 文殊堂の前、二十間[やぶちゃん注:三十六・三六メートル。]ばかり南に、たかき松あり、その上に、龍灯、住(とま)るなり。半時(はんじ)[やぶちゃん注:現在の一時間。]ばかりありて、消(き)ゆ。あるひは、はやくも、きゆるなり。

 もし[やぶちゃん注:もしくは。]、松の上に、童子、ありて、ともし火を、さゝぐる事あり。

 是をは[やぶちゃん注:ママ。]、「天灯(てんどう)」といふなり。

「昔は、天灯、しげかりしが、今は、まれなり。」

と、いへり。

 夏になれば、ここもと、蚊の多き事、限りなし。諸国の順礼、あつまり、臥(ふす)に、蚊の多きことを、苦しみ、やすく臥すこと、あたはず。

 愛阿上人、これを見て、ふびんにおもひて、大《おほき》なる蚊帳をしたゝめて、寄進す。堂の奧に、つりて、順礼、廿人も、三十人も、一所にふして、蚊の苦しみなきを、よろこぶ。

 

Kenrenoaobi

 

[やぶちゃん注:底本のはっきりした挿絵はこちら。絵師は、以下の怪火を描くだけでは面白くないと思ったのであろう。実際には、文殊堂からは少し離れているはずの龍灯の松の上に、童子が小さなお堂のような灯台を掲げている絵を下方に描いている。]

 

 愛阿上人、あるとき、仏前より、夜ふけて、蚊帳の中に、ともしびのありけるを、見らる。

 あやしみて、よくみれば、臥したる人の胸のうへに、靑き、ともし火、ありて、まなか[やぶちゃん注:「眞中」。]ばかり、西へ、人の上にありて、消えたり。

 夜あけて、順礼のおくるを待(まち)て、目当(めあて)したる所の順礼を、よび出せば、僧なり。

 かたはらに、よびて、ひそかに、告げていはく、

「それがし、今夜(こよひ)、仏前に念佛して、ねふらず。蚊帳の中に、ともしひ[やぶちゃん注:ママ。]あり、貴処(きしよ)のむねの上より、まなかばかり、西にうつりて、人の上にありて、きえて候。その西なる人を、けさ、みれば、比丘尼なり。貴所(きしよ)、念[やぶちゃん注:思い。惹かれる感情。]をかけられ候や。ふしぎなる事にて候ほどに、つげしらせ申候。」

と、いヘば、僧、手をあはせて、いはく、

「上人の御意(ぎよい)、いつはりにてあるまじく候。その比丘尼は、知人(しるひと)にあらず、同行(どうぎやう)にあらず、おなじ順礼道のことなれば、こゝかしこにて、見るとき、小念(せうねん)、すこし動き候。此道《このみち》なるゆへ[やぶちゃん注:ママ。以下総て同じ。]に、べちなる儀、あるべからず。小念、動く事、つもりて、胸の火と現はれ候や。自今以後(じこんいご)、その心得をなして、絕斷(ぜつだん)すべく候。御しらせありがたく、たつとく存し[やぶちゃん注:ママ。以下も同じ。]候。しかしながら、文殊の御りしやうと存し候。」

とて、去りぬ。

 上人のこゝろに、

『蚊帳一帖(《いち》でう)に、男女(なんによ)、混雜して臥す事、しかるべからず。しよせん、蚊帳二帖に、男女、各《おのおの》、別に、間をへだてて臥さば、しかるべし。』

とて、また大なる蚊帳を、一はり、したゝめて、きしんせられたり。

 予、はかるに、文殊堂、㚑地(れいち)なるゆへ、または、上人、しんじんなるゆへに、むねの火、あらはれ見えたり。

[やぶちゃん注:「九世戶」「の文殊」「㊂人の面に目鼻なくして口頂の上にありてものをくふ事」で既出既注。

「龍灯」狭義のここの龍灯については、私の「諸國里人談卷之三 橋立龍」、及び、『「南方隨筆」版 南方熊楠「龍燈に就て」 オリジナル注附 始動 「一」』に言及がある。因みに、後者は各地にある龍灯伝説全般を考証した強力な長大論考で、PDF一括版がこちらにある。

「鉾立の道場」高田衛編・校注「江戸怪談集」上の注に、『丹後国与謝郡(現京都府宮津市内)の万福寺。時宗天橋立道場として大伽藍を誇っていた』とある。現存しないが(以下の寺名のリンクはグーグル・マップ・データ)、Kiichi Saito氏のサイト「丹後の地名」の「中野(なかの)宮津市中野」によれば、浄土宗鉾立山大乗寺の解説中に、『大乗寺は貞観』五(八六三)年、『利生上人の開基、寛印供奉重修上いう。近世には時宗との関係をもったこともあった』(☜)とあり、『付近は南北朝期から時宗天橋立道場となる万福寺の比定地とされている』(☜)とあった。さらに、その前の、日蓮宗栄昌山妙立寺の境内にある案内板を字起こされた中には、『もとこの妙立寺の境内をふくむこの辺一帯は、真言宗』(☜)『万福寺の故地』(☜☞)『であり、この万福寺は空海(弘法大師)唐の留学から帰って三年目の大同三年(八○八)、空海がはじめて開山建立した寺であること、そして万福寺は細川忠興の真言倒しによって破壊された』(☜)『が、その寺内にあったこの「厨子」は、同じ寺祉に開山された妙立寺に伝えられたもので、おそらく鎌倉期の名工によって作られたものであろう。はたして去る大正十五年四月、旧国宝に指定をうけた。これを見るものの誰でもがその立派さをおどろき、かっての万福寺時代をかぎりなく追想させずにはおかない』とあった。因みに、この忠興の「真言倒し」というのは、文禄二(一五九三)年に丹後にあった真言宗四十八ヶ寺を廃し、僧侶を追放したことを指す。同じサイト内の「『丹後国寺社帳』(1682)」のページによれば、「峰山郷土志」を引用されて、『ことの起りについてはまちまちであるが、その理由の一つは、元亀二年、織田信長のために焼かれた比叡山延暦寺の僧が丹後に逃げ込み、真言の僧たちをかたらって信長誅滅の祈祷を行なったが、その祈祷の霊験によって、天正十』(一五八二)『年六月二日(一説、三日)逆臣明智光秀のために、本能寺で自刃したのであるという噂がひろがったためであるという』。『今、一つの理由は、文禄二』(一五九三)『年のこと』、『細川思興の内室(おくがた)の依頼によって、丹後の国中の真言宗の寺院が、ひそかに家孕を祈ったが、それがもれたため、忠興は非道な祈祷を行なうた四十八ヵ寺を倒し、寺領を取り上げ、僧を追放したと伝えられる。家孕とも、国孕とも孕女、または子女を祈らせたとも記されていて、これ以上何の説明もしていない。文字の上から考えると、世継ぎの子供を生むことを祈らせたものと解せられるが、忠興が「非道の祈り」と激怒したくらいであるから、余程のいきさつがあったのではなかろうか。確かな資料がほしいものである。また、内室とは玉子(ガラシャ夫人)ではなかったであろう』とあった。これらを総合すると、本話柄内時制は文禄二(一五九三)年に寺は破砕されている以上、それ以前の室町か戦国時代の時宗道場万福寺時代となる。若干の違和感は、本書が貞享四(一六八七)年刊であるのに、冒頭の記載は、あたかも江戸時代に万福寺があるかのような印象を与えることである。

「愛阿弥陀仏」不詳。

「橋立のきれと」この中央附近(グーグル・マップ・データ)。]

「まなか」(眞中)「ばかり、西へ、人の上にありて、消えたり」この部分、どういう映像なのか、どう怪火が動くことを言っているのかが、上手く説明出来ていない憾みがあるが、挿絵で意味が解る。挿絵の終夜念仏する愛阿上人のすぐ前の蚊帳の中で端に臥して寝ているのが、かの比丘尼に懸恋の情を持ってしまった僧であり、その胸の上のところに怪火が描かれているのが確認出来る。而して、奥には二人の巡礼の男性が臥しているいるが、その奥、丁度、そこが恐らく大きな蚊帳の「眞中」なのであろうが、そこにかの比丘尼が臥しており、その顔のすぐ上に、男僧の胸の上の怪火と全く同一の怪火が見えるのである。]

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