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2023/07/31

譚海 卷之五 羽州湯殿山の麓大沼あそび島の事

 

[やぶちゃん注:句読点・記号を変更・追加した。]

○羽州湯殿山の麓、大沼と云(いふ)は、道中より、一日、路、北によりて、見らるゝ所也。此大沼、誠に大(おほき)なる事にて、汀(みぎは)に、山伏の修瞼者、庵(いほり)をむすびて居(を)る。沼中(ぬまなか)に「あそび島」といふものあり、水上に、うかびたる島山、一面に、あり、時として、自然に、わかれわかれて、ながれ出(いで)る。或は、風にむかひ、又は、風に、さかひて、心のまゝに、ながれありく。その流れ、うかぶ島、ことごとく、草木、生(はえ)てあり。一面の島山、別に、はなれて、流れ別れ、又、行合(ゆきあ)ひて、ひとつに合(がつ)し、又、別所(べつのところ)に、ながれ行(ゆく)など、甚(はなはだ)奇怪なる壯觀なり。おのづから、人、有(あり)て、如ㇾ斯(かくのごとく)遊戲するに似たり。仍(よつ)て、むかしより、「あそび島」と號せり。土俗は、「日本の國にかたどりて、六拾六島あり、その國の人、いたれば、その島、ながれいづる。」と、いへり。但し、「おほくは、春・夏の際(きは)、ある事にて、秋・冬は、さほどに、島、うかび出(いづ)る事、なし。」とぞ。この說、をかし。この修瞼者、江戶へ出(いで)たる時、逢(あひ)て、叩(とひ)しかば、「さのみ、ふしぎなる事にも、はべらず。我ら、かしこにて生長せしゆゑ、幼年の比は、日々、沼に遊びて、たはむれには、同輩のものと、島を押し出(いだ)し、をし[やぶちゃん注:ママ。]返しなど、常に、せし事なり。よく思惟するに、此沼には、ふるき「まこも」の根、おほくあり、その朽(くち)たる根、土を、ふくみ、年をへて、かたまり、島と成(なり)たる、おほし。又、それに、自然(おのづと)、草木などを生じたるは、まことに、外よりみれば、まがひもなき島にてあれど、元來、「まこも」の根のかたまりたるより成(なり)たるものゆゑ、よるかたなく、水上に、うかびてある也。その上、此島には、すつぼん・大かめのたぐひ、おほければ、時々、すつぼん・鯉・鮒(ふな)のたぐひ、島を押(おし)うごかせば、そのたよりを得て、島々、うごき、わかれ、水上にうかびて、自然に動き出(いづ)るやうに見え、又、風にふきやられて、かなたこなた、ゆきめぐるを、はじめて見たる人は、奇異の事におもへるも、誠に斷(ことわり)なる事也。」と物語りし。さも、ありける事にこそ。

[やぶちゃん注:底本の竹内利美氏の注に、『浮島のこと。山形県置賜』(おきたま)『地方の浮島は「東遊記」にも見えるが、地理があわない。あるいは、東田川郡の丸沼』(現在は酒田市丸沼。グーグル・マップ・データ航空写真。最上川左岸。今でこそ整理された田圃であるが、「今昔マップ」で戦前の地図を見ると、最上川の蛇行痕跡が上流で閉鎖し(地下の砂地を伏流していたのかも知れない。しかもその上流で陸続きなった中州状の部分は古くは沼を呈していた可能性もありそうだ。しかもそこは草地となっており、浮島があってもおかしくないのである)、かなり広い溝状の沼があったことが判る)『か。最上川下流の池沼群の一つ』とある。しかし、この竹内氏の注自身にも地理があわない不審がある「東遊記」に見えるそれは事前に電子化注しておいたが、このロケーションは、現在の山形県西村山郡朝日町大沼字大比良にある「大沼の浮島」のことであると断定してよいと思うが(古くは西村山郡大谷村大沼の大沼。Stanford Digital Repository」のこの戦前の地図の上部で確認出来る。そばに『浮島稻荷神社』とあるのが、視認出来る) 、この池がある所は、所謂「置賜地方」(具体的な地方域はウィキの「置賜地方」を参照されたいが、その地方名地図を見ても、「大沼」は村山地方に入るのである)ではなく、その北外だからである。さらに言うと、「東遊記」の最後には、湯殿山登山しての帰途の江戸の旅人の四、五人が登場しているのが、気になる。橘南谿の「東遊記」の板行は、本「譚海」の二年後だが、実際には、それ以前に、同書は写本で世間の文人間に於いて、読まれていた事実がある。或いは津村は、その写本の「浮島」の条を読んでいたのではなかったか? そこで、ラスト・シークエンスから、この浮島のある池を、湯殿山の麓にあると、早とちりで勘違いしたのではなかったか? ふと、そんなことを考えたのだが、遙かに先行する「諸國里人談卷之四 浮嶋」が、全く同じフレーズで始まっていることから、実際に行ったことのない連中は、その誤った情報を無批判に誰もが使い廻したのだとする方が正しいようである。

「まこも」単子葉植物綱イネ目イネ科エールハルタ亜科 Ehrhartoideae イネ族マコモ属マコモ Zizania latifolia 。博物誌は私の「大和本草卷之八 草之四 水草類 菰(こも) (マコモ)」を参照されたい。]

橘南谿「東遊記」卷之五の「浮島」の条

 

[やぶちゃん注:カテゴリ『津村淙庵「譚海」』「譚海 卷之五 羽州湯殿山の麓大沼あそび島の事」で必要になったので、電子化する。

 橘南谿(たちばななんけい 宝暦三(一七五三)年~文化二(一八〇五)年)は江戸後期の医師であったが、文をよくし、紀行「東遊記」「西遊記」(併せて「東西遊記」と称される)と、優れた随筆「北窓瑣談」で知られる。当該ウィキによれば、彼は天明二(一七八二)年から天明五年にかけて、三十から三十三歳の時、三度の蝦夷を除く日本各地に、臨床医としての見聞を広めるための旅に出ていたが(実際に各地で治療もしている)、後の四十五の寛政九(一七九七)年一月に、かねてより、写本で回覧されて知られていた上記二篇の紀行文について、書肆から慫慂があり、「東遊記後篇」を刊行し、翌年六月に「西遊記続篇」を刊行している。

 私は「東洋文庫」版(宗政五十緒校注一九七四平凡社刊)を所持しているが、これ、買って後悔したのは後の祭りで、気持ちの悪い新字新仮名版である。そこで、それを加工データとして、国立国会図書館デジタルコレクションの「東遊記」(今泉忠義校註・昭和一四(一九三九)年改造社刊)の当該話を底本とした。底本の読みは、一部に留めた。逆に読みが振れそうなものは、私が推定で《 》で附した。一部で読点・記号を追加、或いは、除去(和歌の間に読点は厭なので)した。底本は全一段落であるが、「東洋文庫」版を参考に段落を成形した。挿絵は「東洋文庫」版にあるものをトリミングした。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。]

 

      浮   島

 

Ukisima

 

 出羽國山形より奧に、「大沼山(おほぬま《やま》)」といふ所あり。其山主(やまぬし)を大行院(だいぎやうゐん)といふ。修驗道(しゆげんだう)にて、俳諧の數寄(すき)人、俳名を「鷹窓(ようそう)」といふ。

 此山の緣記(えんぎ)[やぶちゃん注:「記」はママ。]を聞けば、人皇(にんかう)四十代のみかど、天武天皇の朝(てう)、白鳳年間[やぶちゃん注:私年号。通説では白雉(六五〇年〜六五四年)の別称・美称とされる。]、役行者(えんのぎやうじや)の開基にて、蒼稻魂神(あをなたまのかみ)勸請(くわんじやう)の地なり。

 此山に、「みたらしの大池」あり。「大沼」と名附く。是は、池の形(かたち)、「大」の字(じ)に略(ほゞ)似たるをもて、名附けし、とかや。

 此池に奇妙の靈異あり。世間未曾有の奇事なれども、か〻る僻遠(へきゑん)の地なる故、尋入(たづねい)る人も、稀々にて、知る者、すくなし。

 いかなる事ぞといふに、池の中に六十六の島ありて、其島、時々に、水面を遊行(ゆぎやう)す。島の數(かず)、六十六といふは、日本成就の形相(ぎやうさう)といふ。

 其昔、行基菩薩も此池に至り、實方(さねかた)中將も、此浮島を見物し給ひしとぞ。實方、遊び給ひし時、

  四つの海波靜(しづか)なるしるしにやおのれと浮きて𢌞はる島哉

と詠置(えいじおき)給ひしと、いひ傳ふ。

 池のほとりに、古松(こしやう)二株(にちゆ)あり。

 一株(いつちゆ)を「實方中將の島見松」といふ。

 實方、此松に倚りて、島を見給ひしとなり。其時、明神、感應ありて、池水を卷上(あげ)て、松の根まで、そ〻ぎし、とて、一株の松を「浪上(なみあげ)松」といふ。

 浮島、常は、池の岸に引附《ひきつき》て、渚(なぎさ)のやうに見ゆ。

 其中にて最(もつとも)大なるを「奧州島(おうしうしよ)」と名附く。其餘の島々も皆國々の名ありしかど、今は、まぎれて、何國(なにくに)といふこと、しかと、わからず。

 唯(たゞ)一所(いつしよ)、池の中へ突出でたる岸根を、「芦原島(あしはらじま)」といふ。此島ばかり、動かず、昔より、同じ所にあり。

 又、池の向う[やぶちゃん注:ママ。]の方(かた)の右の方によりて、浮みたる、色黑き木の株(かぶ)のごときもの、あり。是を「浮木(うき《ぎ》)」と名附《なづけ》て、天下の吉凶を占ふ、とぞ。浮みたる時は、天下太平の象(しやう)なり。沈みて見えざれば、必ず、變を示す、と也。

 塘雨(たうう)が遊びしは五月上旬の事なりしが、俳諧の交り、厚ければ、大行院主のもてなしを得て、一ト日、池邊(いけのほとり)に出《いで》て見るに、水面(すゐめん)、藍(あゐ)よりも靑く、水際(みづぎは)には蘆(あし)、萱(かや)、生い茂り、いとゞさへ、山深く、人跡絕(たえ)たる土地なるに、いと物凄く靜(しづか)にて、世外(せぐわい)の思(おもひ)を觀ぜり。時、夏の半(なかば)なれど、此邊(《この》へん)、深山(みやま)にて、寒氣、强ければ、藤、山吹、躑躅(つゝじ)など、折(をり)しり顏(かほ)に、咲亂(さきみだ)れて、鳥の囀(さへづる)るまで、のどやかなるに、心なぐさみて、今や、島々の浮出(いづ)るかと、目も、はなたで、詠居(ながめゐ)けれども、水面には、只(ただ)、三、四尺許(ばかり)と、七、八尺許の小島、二つのみ、有りて、さらに動く氣色(けしき)もなく、外《ほか》に、島々の、數々、有るやうにも見えず、日暮る〻まで、守り居(ゐ)けれども、それというべき事も、なし。

 早(はや)、日影も西山(せいざん)に傾(かたぶ)き、鳥(とり)は樹(き)に宿(しゆく)し、雲は高峯(かうはう)に歸れば、いと物すごくなりゆく程に、空(むな)しく大行院に歸りぬ。

 主僧、待得(まちえ)て、

「島遊(《しま》あそび)を拜み給ひしにや。」

と問ふに、

「いや。其事も無かりし。」

と、いうにぞ、主僧、

「日によりて、遊び給はぬこともあるなり。猶、逗留して、又の日こそ拜み給へ。」

といふ。

 塘雨、いと怪しみて、

「島の浮(うき)遊ぶといふは、そらごとなるべし。世に云傳(いひつた)ふること、さてもなき事をも、珍敷(めづらしき)やうに、いひなして、人を迷(まよ)はしむるは、世に多き習ひ也。此池の不思議も、其たぐひなるべし。」

と、いと、ほいなくて、其夜は臥(ふし)たり。

 其翌日、起出(おきいで)て見るに、天氣、殊に、ほがらかにて、たゞにやむべき心地(こゝち)もせざれば、朝、とくより、晝のもうけなどを懷(ふところ)にし、

「けふは、終日(ひねもす)、池に臨みて、ぜひ、其不思議をも見屆けん。」

と、例の二木(ふたき)の松の本《もと》に箕居(ききょ)して、池の面(おもて)を見渡したるに、きのふ見たりし二つの小島、見えず。

「こは。怪し。さるにても、動けばこそ。」

と、空賴母(そらたのもしく)しく、出ずるままの發句など、口ずさみ居(ゐ)ける程に、こなたの岸根、少し、動くやうに見ゆるにぞ、

「されば、こそ。」

と、目も、はなたず、詠居(ながめゐ)るに、一つの、島と、わかれて、浮かみ出でつ〻、靜(しづか)に、池の中に、はなれ行くさま、いと、目ざまし。

 又、しばし有りて、向う[やぶちゃん注:ママ。]の岸根、はなれ出《いで》て、こなたに、浮かみ來《きた》る。

 かくて、そこここより、浮かみ出《いづ》る程に、池の中に、數々(かずかず)の島、出來(いでき)て、遊行往來(ゆぎやうわうらい)す。

 其さま、物、有りて、島を負ひ𢌞るがごとし。

 目、さめ、心、動きて、悅ばしさ、いはんかたなし。

 中にも、彼《かの》「奧州島」にてもや有《ある》らん、二、三丈餘《よ》に及びて、いと大きく、其島の上には、小松、生ひ茂り、藤の花、咲(さき)か〻りて、つ〻じ、色を爭ひながら、浮《うか》み出《いで》て遊行するさま、不思議というも、あまりあり。

 面白さ、限りなくて守(まも)り居《ゐ》るに、其島、直(ぢき)に、岸に付くにもあらず、右に寄り、左に赴き、心のま〻に、遊ぶ。

 又、跡より出來《いでく》る島、先の島に行(ゆき)あたるに、よの常ならば、倶(とも)に押行(おしゆ)くべきに、左(さ)はなく、先(さき)の島、おのづから、傍(かたはら)によけて、行くべき島を通すなど、誠《まこと》に、心あるさまなり。

 終日(しうじつ)見居(みゐ)たるにも、いかなるゆゑ、といふことを、しらず。

 さて、有(ある)べきにあらねば[やぶちゃん注:(日も暮れかけて)そうもしておられぬので。]、大行院に歸るに、主僧も、浮島を見たることを、賀して、浮島の發句などを乞(こ)へり。

 其翌日は、いとまして立出《たちいづ》るに、江戶の旅人、四、五人、湯殿山登山して歸るさ、

「此浮島を見物せん。」

とて、來れるに逢ひ、きのふのことを語れば、

「是非、今一度、伴ひ申すべし。」

といふにぞ、いまだ餘興も盡(つき)ざれば、又、同道して、再び、彼《かの》池邊(ちへん)に至り見るに、きのふ見し、數々の島もなくなり、纔(わづか)に、二つばかりぞ、浮み居て、少しも、動く氣色、みえず。

 塘雨は、益(ますます)、信じて、

「やがて、遊行すべし。見給へ。」

と、いひて、待居《まちをり》けれど、さらに動くべき色もなけれぱ、旅人、大(おほき)に退屈し、

「いたずらなる所に、ひま入りては、明日の道のつもり、惡《あし》し。はや、行くべし。」[やぶちゃん注:「面白くもない、こんな嘘っぱちだらけの退屈な所で、こんなに暇(ひま)を持て余してしまっては、明日の旅程の捗(はか)も、大いに悪くなっちまう! さあ! 行くべえよ!」。]

とて、むなしく去れり。いと、殘り多きことなりき。

[やぶちゃん注:「大沼」「諸國里人談卷之一 芝祭」で私が考証した、現在、「大沼の浮島」として知られる山形県西村山郡朝日町大沼と比定する(グーグル・マップ・データ)。

「塘雨」は江戸中期の旅行家百井塘雨(ももい とうう ?~寛政六(一七九四)年)。「塘雨」は雅号で、俳号は五井。実名は定雄。紀行随筆「笈埃随筆」(きゅうあいずいひつ)でよく知られる。文人として、橘南谿と親交があり、南谿は百井の死後の「東西遊記」を板行するに際し、「笈埃随筆」を参考としている。また、かの「近世畸人伝」で知られる伴蒿蹊(ばんこうけい)や、同書の挿絵を描き、後の同続篇を書いた三熊花顚(かてん:思孝)らとも交友があった。蒿蹊は『おもしろき老人』と評し、花顚は、塘雨の死を悼んで「続近世畸人伝」にその伝記を載せている。【2023年8月15日追記】先ほど、『百井塘雨「笈埃隨筆」の「卷之七」の「大沼山浮島」の条(「大沼の浮島」決定版!)』を電子化注した。残念乍ら、その最後の部分を見るに、明かに確信犯で、以上のエンディングは、それインスパイアした作り物でしかないことが発覚した。実は……本文自体も、これ――そっくり――だもん……これ、ちょっと……残念だわサ!…………

譚海 卷之五 奥州津輕秋田境杉峠高岩の事

 

[やぶちゃん注:句読点・記号を変更・追加した。]

○奧州津輕秋田の境に杉峠といふ在(あり)。その上下に、柱の如く、直(ちよく)に立(たつ)たる石、壹ツあり。根元は、五、六間のまはりにして、空へ擢出(ぬきんで)たる事、三十丈あまりに有(あり)。それゆゑ、松柏(しやうはく)のしげりたる中にあれども、諸木(しよぼく)のいたゞきより、はるかに高く顯(あらは)れて、遠方より見るにも、たがふ事、なし。遠境の地ゆゑ、常の往來なき所にて、わざわざ、行(ゆく)て見る所也。その所に至りて、あふぎ見れば、限りなく、空へ、ぬきいでて、中々、石の根もとに至(いたり)ては、恐しき事、いふばかりなし。

[やぶちゃん注:「杉峠」底本の竹内利美氏の注に、『大館から碇ヶ関にこえる途中の矢立峠。大杉が津軽秋田両領の境のしるしに立っていた』とある。旧矢立杉の位置はネットの地図上では、明確に示されてはいない。写真が添えられた「大館市どこでも博物館」の「No.11 国境矢立杉」には、『矢立杉は元禄の』頃、『風折れで根株だけとなり、これを杭で囲った。宝暦』六(一七五六)年には『根株の真中に新しい苗木を植えた。この地を旅した菅江真澄、高山彦九郎、伊能忠敬、扇遊亭扇橋、吉田松陰はこの』二『代目矢立杉に注目し』、『記録している。この矢立杉は太平洋戦争の』頃、『伐採されてしまい』、『その株だけが残った。現在切株の後に』三『代目の杉が育てられている』とある。唯一、元矢立杉の位置が明記されている手書き地図がサイト「北羽歴史研究会」のここにある。ただ、地図の国境線の形が厳密でないようで、正確にポイントとして指し示すことが出来ない。但し、恐らくは「道の駅」との関係から、グーグル・マップ・データの、この中央の県境線上であると、推定した。]

譚海 卷之五 越後國水中燈油を產するの事

 

[やぶちゃん注:句読点・記号を変更・追加した。]

○越後の國に、水中より、油を生ずる所あり。燈に點じ、用るに、臭氣、甚しけれども、終中(じゆうちゆう)、用(もちひ)て、盡ず。數村(すそん)の用に足れり。此油、はじめ、生(しやうず)る時、水底より、苔(こけ)のかたまりたるが如く、一ひらづつ、うき出(いづ)るを、下流に、柴(しば)を積置(つみおき)て取(とる)事也。此柴へ、苔のやうなるもの、ながれかゝりたるを、かきあつめて、しぼる時は、油、出(いづ)る、といふ。

[やぶちゃん注:これは、私の「諸國里人談卷之四 油が池」が大いに参考になる。参照されたい。そこでは、冒頭に、『越後國村上の近所の山中、黑川村【高田領也。】に、方十間余の池あり。水上に、油。浮ぶ。土人、芦(あし)を束(つかね)て水をかき搜(さが)して穗(ほ)をしぼれば、油、したゝる。それを煑かへして、灯の油とす。其匂ひ、臭(くさ)し。よつて「臭水油(くさうづのあぶら)」と云』とあって、この記載と類似している。

「終中」夜の間中の意であろう。]

譚海 卷之五 常州銚子宮山の鷲の事

 

[やぶちゃん注:句読点・記号を変更・追加した。]

○常陸の銚子川は、東𢌞りの舶(ふね)の湊にして、家數(いへかず)三千軒に及び、甚(はなはだ)繁昌なる所也。川の西岸に、町、有(あり)て住居す。又、銚子の北に「とかは」と云(いふ)あり。此外側に宮山といふ大山、在(あり)、木立、繁(しげり)て、東へ走たる尾は、筑波山につづき、三里に橫(よこたは)れる山也。山の南北によりて、冬は、寒暖、格別に、たがふ事とぞ。此宮山に、鷲、多く、すんであり、殊に、年(とし)へたるあり。一とせ、鐵炮にて打(うち)たるに、疊(たたみ)四疊(しでふ)合(あはせ)たる程、在(あり)しと、いへり。下總印幡沼へも、時々、來りて、魚をとる。宮山と、印幡とは、三里計(ばかり)隔(へだ)たる所也。印幡沼は、七里に、三里あり。松戶の宿まで績(つづき)て、實(まこと)には、湖水也。沼の中に、水、わく時(とき)、有(あり)て、海へながれ出(いづ)る。沼の岸に住(すみ)たる村民、漁獵をもちて、渡世するもの、甚、多し、鯉・鮒は美味なりと、いへり。

[やぶちゃん注:『銚子の北に「とかは」と云あり。此外側に宮山といふ大山、在』とあるが、「とかは」という地名・川名は戦前の地図を見ても見当たらず、さらに「宮山といふ大山」も判らない。万事休す。識者の御教授を切に乞うものである。]

譚海 卷之五 上總國大東崎ほしか鯛の事(「鯛」は「鰯」の誤記と断定)

[やぶちゃん注:句読点・記号を変更・追加した。

 「目錄」の標題中の「ほしか鯛」はママ。国立国会図書館デジタルコレクションの大正一九一七)国書刊会刊(本底本は東北大学附属図書館蔵の加納文庫本(寛永年間の写本)と日比谷図書館蔵の加賀文庫本に、この国書刊行会本を対照させて校訂したもの)でも同じ(右ページ八行目下方)であるが、これは、「ほしか」で既にして「干鰯」と書き、鰯(条鰭綱ニシン目ニシン亜目マイワシ属 Sardinops・サルディナ属 Sardina・ウルメイワシ属 Etrumeus・カタクチイワシ属 Engraulisに属する別種群を一緒くたにして呼んだ、人為的分類総称名であるところの「鰯」を、乾燥させて作った魚肥のことであり、江戸時代には大量に生産され、広範に流通し、使用されていた。しかし、「鯛」は魚類の優れて見事で美味いことから、驚くべき多数の、しかも条鰭綱スズキ目タイ科 Sparidae とは全く縁のない別種魚類の標準和名の美称語尾等として、多数、用いられてはいるものの、大きさや体型・色彩がタイとは異なるイワシ類にそのような美称を添えたものは、私は知らないし、ネット上に「ほしか鯛」「干鰯鯛」という熟語或いは連語は発見出来ない。従って、この「鯛」は「鰯」の誤記と考える。底本の『日本庶民生活史料集成』版は、三種の校訂をした上で「ほしか鯛」であったのだとすれば、それら総てが「ほしか鯛」と誤記していた可能性が高いと思われる(但し、「鯛」と「鰯」の(つくり)の崩し字は似ていないが、一行並置されている真上の標題が「駿州興津鯛の事」であることから、書写者が、うっかり、その「鯛」に引かれて不全に書きなぐって誤ってしまった可能性が大であると斷ずる)。

 さて、ウィキの「干鰯によれば、『農業を兼業していた漁民が余った魚類、特に当時の日本近海で獲れる代表的な魚であった鰯を乾燥させ、肥料として自己の農地に播いたのが干鰯の始まりと言われている。この背景には、鎌倉時代から室町時代にかけて、二毛作導入によって肥料の需要が高まったことがある』。十六『世紀頃になると』、『地域によっては魚肥の利用が始まった。気候の温暖化によって』、『鰯が豊漁となり、干鰯が生産されたからである』。(☞)室町後期の天文二四・弘治元(一五五五)年には、『関西の漁民が九十九里浜に地曳網を導入したことが知られている』。『やがて江戸時代も』十七『世紀後半に入ると、商品作物の生産が盛んになった。それに伴い』、『農村における肥料の需要が高まり、草木灰や人糞などと比較して』、『安く』、しかも『即効性にもすぐれた』『干鰯が注目され、商品として生産・流通されるようになった』。『干鰯の利用が急速に普及したのは、干鰯との相性が良い綿花を栽培していた上方及びその周辺地域であった』。『上方の中心都市・大坂や堺においては、干鰯の集積・流通を扱う干鰯問屋が成立した』。享保九(一七二四)『年の統計では』、『日本各地から大坂に集められた干鰯の量は』百三十『万俵に達した』。『当初は、上方の干鰯は多くは紀州などの周辺沿岸部や、九州や北陸など比較的近い地域の産品が多かった。ところが』、十八世紀に入ると、『江戸を中心とした関東を始め』、(☜ ☞)『各地で干鰯が用いられるようになる』『と、需要に生産が追い付かなくなっていった。更に供給不足による干鰯相場の高騰が農民の不満を呼び、農民と干鰯問屋の対立が国訴(農民闘争の一形態)に発展する事態も生じた』。『そのため、干鰯問屋は紀州など各地の網元と連携して新たなる漁場開拓に乗り出すことになった。その中でも』(☜ ☞)『房総を中心とする「東国物」や』、『蝦夷地を中心とする「松前物」が』、(☞)『干鰯市場における代表的な存在として浮上することとなった』。(☞)『房総(千葉県)は近代に至るまで鰯の漁獲地として知られ、かつ広大な農地を持つ関東平野に近かったことから、紀州などの上方漁民が旅網や移住などの形で房総半島や九十九里浜沿岸に進出してき』て、東房総の『鰯などの近海魚を江戸に供給するとともに』、『長く』(☞)『干鰯の産地として知られてきた(地引網などの漁法も上方から伝えられたと言われている)』とある(因みに本書「譚海」は跋文から寛政七(一七八五)年夏に二十年間の筆録を取り纏めたことが判っている)。『一方、蝦夷地では』、『鰯のみではなく』、『鰊(かずのこを含む)』『やマス類』『が肥料に加工されて流通した。更に幕末以後には鰯や鰊を原料にした魚油の大量生産が行われるようになり、油を絞った後の搾りかすが』、『高級肥料の鰊粕として流通するようになった』。明治一〇(一八九八)年『頃までは干鰯と菜種油粕が有機質販売肥料の主流を占めていたが』、明治一五(一九〇四)年『頃にニシン搾粕』(しぼりかす)が、『生産量で干鰯を上回って』おり、『昭和初期には肥料としての役割をほぼ終え』た。『魚肥全体の生産量は』昭和一一(一九三六)年で四六万『トンあったが、戦後は化学肥料の生産増加に伴』って、減少し、昭和四二(一九六七)年には八万トンが『生産されたに過ぎ』ず、『現在、干鰯が肥料として使われることは』殆んどない、とあった。]

○上總の東南海に大東崎(たいとうざき)と云在(いふあり)。「ほしか」の地引網を持(もつ)て、渡世するもの、住(すめ)る所也。網のながさ、五丁・六丁・十丁にも及ぶゆゑに、鰯(いはし)の、きほひて、汐(しほ)に乘(じやう)じ來(きた)る時は、一網に數千金(すせんきん)の獵を得る故、いづれも豪富にて、居宅・園地、諸侯の如く、素封(そほう)の民、おほし。みな、海邊より半里、一里、のきて、山を隔(へだて)て、林をかたどりて、住居(すまひ)せり。「失火の害、なければ、喬木(けうぼく)、殊におほし。」と、いへり。その大東崎に、「音づれ山」と云有(いふあり)。「夫木抄」に載(のり)たる和歌の名所也。山は、大(だい)ならず、海より、五、六町、陸にあり。はげ山にて、岸に松、數株(すかぶ)、生じ有(あり)、海にむかひたる、片つら、かけおちて、洞(ほら)のやうに、へこみて有(あり)、此陰(このかげ)に居(ゐ)て、聞(きく)ときは、はるかに、鐘をつくやうに聞ゆる音、絕えず。「是は、海岸の山、うつろなる、おほきゆゑ、穴へ、波のうち入(いる)ときは、鐘のやうに聞ゆる。」と、いへり。東坡居士のいへる、もろこしの「石鐘山(せきしようざん)」の事に、能(よく)似たり。

[やぶちゃん注:「大東崎」太東岬(たいとうみさき)は、現在の千葉県いすみ市の九十九里浜南端のリアス式海岸に位置する岬(グーグル・マップ・データ)。別称は太東埼(たいとうざき)。房総丘陵東端の砂質凝灰岩からなり、標高は約十メートルから最高六十八・八メートルある。起伏に富んだ海岸延長は四・五キロメートルあり、太平洋まで断崖絶壁となっている。北側は、刑部岬(ぎょうぶみさき)から、九十九里浜が、ずっと弓なりに連なっており、太東漁港がある。南側には、夷隅川河口と、大原の町並みが見える。江戸時代は、現在より、数キロメートル、海に突き出ていたとされ、「元禄大地震」(元禄十六年十一月二十三日(一七〇三年十二月三十一日)午前二時頃、関東地方を襲った巨大地震で、震源は相模トラフ沿いの房総半島南方沖 (野島崎沖)で、上総国を始め、関東全体で十二ヶ所から出火、被災者約三万七千人と推定される(江戸での損壊被害は比較的軽微であったが、七日後にかなりの大火が発生しており、これは震災後の悪環境下に於ける二次災害ととることが可能である。また、この地震で三浦半島突端が一・七メートル、房総半島突端が三・四メートルも隆起している。ここは当該ウィキに拠った)と海蝕により、現在の姿になった(以上は当該ウィキに拠った)。

「五丁」五百四十五・四五メートル。

「六丁」六百五十四・五四メートル。

「十丁」約一キロ九十一メートル。

「みな、海邊より半里、一里、のきて、山を隔て、林をかたどりて、住居せり」現在の太東岬の丘陵の西後背地の、千葉県いすみ市岬町(みさきちょう)和泉(いずみ)だけでなく、その北方の岬町中原、及び、その西の岬町椎木(しいぎ)、そしてそれらの南方の内陸地の岬町内の殆んどが、太平洋からの風波を避けることが出来る自然丘陵によって保護されていることが判る(総てグーグル・マップ・データ航空写真)。

『その大東崎に、「音づれ山」と云有。「夫木抄」に載たる和歌の名所也。山は、大ならず、海より、五、六町、陸にあり。はげ山にて、岸に松、數株、生じ有、海にむかひたる、片つら、かけおちて、洞のやうに、へこみて有、此陰に居て、聞ときは、はるかに、鐘をつくやうに聞ゆる音、絕えず。「是は、海岸の山、うつろなる、おほきゆゑ、穴へ、波のうち入ときは、鐘のやうに聞ゆる。」と、いへり。』国立国会図書館デジタルコレクションの『房総叢書』第六巻「地誌其一」(昭和一六(一九三一)年紀元二千六百年記念房総叢書刊行会刊)を見ると、冒頭の第二項に、

   *

一、荻原より一里許北に當り、妙樂寺村と云所あり。山の嶺に狼臺・だいだいくぼ・人見坂など云。此地より東を望ば、泉浦の大東崎(たいとうがさき)・白井村の一本松・高松村の旅建山・硯村の高坂など、百山眼下に見ゆ。甚佳景の地なり。

   *

とあるが、ここに書かれた内容とは、地理的に全く一致するものは、全くない。さらに、見たところ、ここに、

   *

一、同郡矢田村に音信山光明寺と云台刹あり。寺領十五石。上總五ケ寺の其一。後の山を音信(おとづれ)山と云。夫木集の歌に、「時鳥尋來つれば今こそは音信山のかひに鳴なれ」とよみしは此地のこと也。彼土今に五月の候に至りぬれば、時鳥多く飛鳴すと。夷隅・長柄の二郡などには絕てなきこと也。

   *

とあるのだが、千葉県市原市矢田がそこであるなら、全然、方向違いである(「今昔マップ」のこの戦前の地図の中央)。津村の何らかの誤認があるか。なお、「日文研」の「和歌データベース」の「夫木和歌抄」で調べると、この一首は、ガイド・ナンバー「08255」で、

   *

ほとときす-たつねきたれは-いまこそは-をとくれやまの-かひになくなれ

   *

となっていて、「おとつれやま」ではない。これ以上は、探索不能である。

『東坡居士のいへる、もろこしの「石鐘山」の事』蘇軾(東坡)の「石鐘」は蘇東披の「石鐘山記」という文を指す。個人ブログ「中国武術雑記帳 by zigzagmax」の「蘇東披『石鐘山記』」に原文と梗概が記されてある。石鐘山は鄱陽湖と長江の合流点にある海抜五十四メートルの岩山で、その形が鐘の形をしており、しかもそこの石を敲くと金属音がすることから、この名がついたという。]

2023/07/30

譚海 卷之五 駿州興津鯛の事

[やぶちゃん注:句読点・記号を変更・追加した。]

○駿河の「沖津鯛」と云(いふ)は、總名ばかりには、あらず。たしかに「おきつ鯛」と號する大魚ある事也。「さつた峠」の上の山に、地藏堂あり。此堂より、二、三丁も上(のぼ)りて、頂上に、燈明堂、有(あり)。海舶(かいはく)の目印に、火を、ともす所なり。この山、眞直(まつすぐ)に、海岸より立(たち)のぼりたる一片の石にて、麓は、波に、ひたりたり。其(その)波にひたりたる所の石、幅、四、五尺斗り、竪(たて)に裂(さけ)て、内は、洞(ほら)に成(なり)て、廣さ、いかほどといふ事も、しれず。鮑(あはび)の、おほく、つく所にて、常に、蜑(あま)の、かよふ所也。此あまの物がたりせしは、「此石の裂(さけ)たる間(あひだ)より、のぞけば、内は、南を受(うけ)て、あきらかに、能(よく)見ゆる。その洞の内に、大(おほい)なる鯛、壹(ひと)ツ、住みて、あり。人のの、ぞくをみては、驚き、いかりて、ひれを、ふり、かしらを、もたぐるさま、おそろしき事、いはんかたなし。此鯛、水にひたり居《を》るゆゑ、全體は見えねども、いかほど大なるものとも、計りがたし」是は、はじめ、この鯛、石の裂(さけ)たるあひだより、入(いり)て、洞の中にて生長して、出(いづ)る事、成(なり)がたく、年へて、かくある也。是を「興津鯛」と號し來(きた)る。」と、いへり。

[やぶちゃん注:海水がたっぷり入りながら、海食洞の中で成長してしまい、出入り口が結果して狭くなったために、そこに封じ込められてしまった、モンスター並みになってしまった人をも威す巨大な鯛の怪奇動物談である。

 まず、「總名」というのは、興津の面した駿河湾湾奥西方(グーグル・マップ・データ。以下同じ)で漁獲される、広義のタイ類の総称名ということであろう「おきつだひ」という御は、「沖つ鯛」に通じ、それでなくとも、鯛類の通称名に相応しい。

 次に、「さつた峠」=薩埵峠は、この附近である。而して、「頂上に、燈明堂、有」とあるのを、文字通り受け取るなら、「今昔マップ」の「薩た山」(国土地理院図では峠名も「埵」はひらがな表記である)標高二百四十四メートルの箇所に当たることになる。

 そして、その直下にあったという海食洞は、現在の「薩たトンネル」の上り側出口附近に存在したということになろう。現在のその附近には、ここ(グーグル・マップ・データ航空写真)に有意な岩礁塊があるのが確認出来るから、ここを第一候補として問題はあるまいかとも思う。

 さても本題に入ろう。底本の竹内利美氏の注には、『この興津鯛は不思議な話だが、かなりひろく知られていた』とある。

 奇談絡みではないが、「甲子夜話卷之五 5 興津鯛、一富士二たか三茄子の事」に記されてあった。

 そして、そこで私はこの「興津鯛」を、京阪で「グジ」の名で親しまれ、西京漬けなどにされるアマダイ、則ち、スズキ目スズキ亜目キツネアマダイ(アマダイ)科アマダイ属 Branchiostegus のうち、本邦近海で見られるそれら、アカアマダイ Branchiostegus japonicus・キアマダイ Branchiostegus argentatus・シロアマダイ Branchiostegus albus の三種としたが、その後、『畔田翠山「水族志」 アマダヒ (アマダイ)』の私の注では、今一種、スミツキアマダイ Branchiostegus argentatus も追加している。一番の候補は最初のアカアマダイである(後述)。アマダイの博物誌は、それらの私の注、及び、絵が見たいなら、私の『栗本丹洲自筆巻子本「魚譜」 方頭魚 (シロアマダイ)』、及び、同魚譜の「方頭魚 (アカアマダイ)」を見られんことをお勧めする。この私のアカアマダイ比定が信じられない方は、「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」のアカアマダイのページを見られたい。そこに、『興津鯛』と項立てされて、『静岡県静岡市(旧清水市)興津の名産とされる。それで「興津鯛(オキツダイ)」。徳川家康に、おきつという奥女中が献上し、賞味されたから「おきつ鯛」』と記しておられる。]

譚海 卷之五 秩父領山中から芋を植事

 

[やぶちゃん注:句読点・記号を変更・追加した。標題の末は「ううること」と訓じておく。]

○秩父中(ちゆう)、山の民、薯蕷(しよよ)といふものを栽(う)ゑて食とす。いたる所、ことごとく、あり。中井淸太夫殿といふ御代官、殊に世話ありて、飢饉の用に、うゑさせられしより、諸所に、ふえたり。夫(それ)ゆゑ、ちゝぶにては、薯蕷を「淸太夫いも」と號する也。葉はほうづき[やぶちゃん注:ママ。歴史的仮名遣は「ほほづき」が正しい。]の如く、枝葉の間に、いくらも、いも、出來る。根に出來るいもは、枝に生ずるより、大きし。形は何首鳥(かしゆう)より小(ちいさ)く、毛、あり。枝をきりて、土に、させば、皆、根付(ねづき)て、生ずる也。その葉、なびきて、土へ着(つき)たるところも、やがて、根を生じて、ふえる也。夫(それ)によりて、たねを、殊さらに、ふせて、ううるにもあらざれど、生じやすき物ゆゑ、自然に珍重して、ううる事に成(なり)たり。ちゝぶ領土地に、よく、あひたると見えて、いづくにも、生せずといふ事、なし。煮てくふに、やはらか成(なる)事、里いもに同じと、いへり。

[やぶちゃん注:「薯蕷」この場合は、以下の解説からも、本邦原産(固有種)である単子葉植物綱ヤマノイモ目ヤマノイモ科ヤマノイモ属ヤマノイモ Dioscorea japonica を指している。別名、自然薯(じねんじょ)である。当該ウィキによれば、『古くは中国原産のナガイモ』(ヤマノイモ属ナガイモ Dioscorea polystachya :但し、ウィキの「ナガイモによれば、『ナガイモは、日本では中世以降に中国大陸から持ち込まれたとの説もあるが』(ウィキのヤマノイモの方の記載者は、この説を採っていることになる)、『中華人民共和国にもヤマノイモ科』Dioscoreaceae『の作物は複数あるものの、本』種と『同種のナガイモは確認されていない』。『日本で現在』、『流通しているナガイモは』、『日本発祥である可能性もあり、現状は日本産ナガイモと呼んでいる』とあった)『を意味する漢語の薯蕷を当ててヤマノイモと訓じた』とある。

「中井淸太夫」(せいだゆう 享保一七(一七三二)年~寛政七(一七九五)年)は江戸中・後期の旗本。三河出身。諱は九敬。安永三 (一七七四) 年、代官として甲斐上飯田陣屋に赴任、三年後には甲府陣屋に移った。「天明の飢饉」の際、ジャガイモ(清太夫芋)の普及に尽し、又、富士川沿いの大塚村他二村に、水路を開いて水害を防いだ。農民に、その功を讃えられ、生祠(せいし)が建立されている。後、陸奥小名浜代官に移ったが、寛政三(一七九一)年、罪をえて、罷免されている。以上は小学館「日本国語大辞典」に拠ったが、当該ウィキも詳しいので、参照されたい。そちらでも、ヤマノイモではなく、ジャガイモの栽培を指導した人物として記されており、秩父のヤマノイモの栽培促進の話はネット上では調べ得なかった。しかし乍ら、以上の津村の説明は、ジャガイモではなく、間違いなくヤマノイモである。ヤマノイモ特有の葉腋に発生する栄養体、球状の芽である「零余子」(むかご・珠芽)が述べられてあることから明らかであり、ジャガイモと混同しようはない。津村は今までの記載から、博物学には、それほど造形は深くないと推定されるから、この話は、現地の、しかも、ヤマノイモの生態にかなり詳しい人物でなくては、語れない内容であると考える。されば、私は中井の秩父でのヤマノイモ栽培奨励は、事実あったもの、と感じるものである。

「何首鳥」これは、ヤマノイモ属カシュウイモ Dioscorea bulbifera である。別名をニガカシュウ(苦何首烏)と言い、ウィキの「ヤマノイモ」の「類似している植物」の項の当該種によれば、『名前は根塊が薬用の「何首烏」』(双子葉植物綱タデ目タデ科ツルドクダミ属ツルドクダミ Reynoutria multiflor :漢方薬の生薬として「何首烏(かしゅう)」と呼び、古くから不老長寿の滋養強壮剤として利用されてきた。また、カラスのように髪を黒くする作用があることから、「烏」の文字が附けられてある。なお、和名は葉がドクダミの葉と似ていることからの呼称であるが、コショウ目ドクダミ科ドクダミ属ドクダミ Houttuynia cordata とは全く縁はない。以上はウィキの「ツルドクダミ」に拠った)『に似ていることからついた。葉はハート型で大きく、デコボコした大ぶりのむかごがつくが、日本野生種は』、『苦く』、『有毒で食用にならない。しかし苦味や毒のない品種もあり、ヤマイモほど大きくはならず』、『粘りも出ないが』、『食用できる。むかごが数百グラムにも肥大する「Air potato(空中のイモ)」と呼ばれる食用品種もあり、日本でも「宇宙イモ」という名前で一部で栽培されている』とあった。]

怪異前席夜話 正規表現版・オリジナル注附 巻之三 匹夫の誠心剣に入て霊を顯す話

[やぶちゃん注:「怪異前席夜話(くわいいぜんせきやわ)」は全五巻の江戸の初期読本の怪談集で、「叙」の最後に寛政二年春正月(グレゴリオ暦一七九〇年二月十四日~三月十五日相当)のクレジットが記されてある(第十一代徳川家斉の治世)。版元は江戸の麹町貝坂角(こうじまちかいざかかど)の三崎屋清吉(「叙」の中の「文榮堂」がそれ)が主板元であったらしい(後述する加工データ本の「解題」に拠った)。作者は「叙」末にある「反古斉」(ほぐさい)であるが、人物は未詳である。

 底本は早稲田大学図書館「古典総合データベース」の同初版本の画像を視認した。但し、加工データとして二〇〇〇年十月国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』の「初期江戸読本怪談集」所収の近藤瑞木(みづき)氏の校訂になるもの(玉川大学図書館蔵本)を、OCRで読み込み、使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 なるべく表記字に則って起こすが、正字か異体字か、判断に迷ったものは、正字を使用した。漢字の読みは、多く附されてあるが、読みが振れると思われるものと、不審な箇所にのみ限って示すこととした。逆に、必要と私が判断した読みのない字には《 》で歴史的仮名遣で推定の読みを添えた。ママ注記は歴史的仮名遣の誤りが甚だ多く、五月蠅いので、下付けにした。さらに、読み易さを考え、句読点や記号等は自在に附し、オリジナル注は文中或いは段落及び作品末に附し、段落を成形した。踊り字「〱」「〲」は生理的に厭なため、正字或いは繰り返し記号に代えた。

 また、本書には挿絵があるが、底本のそれは使用許可を申請する必要があるので、単独画像へのリンクに留め、代わりに、この「初期江戸読本怪談集」所収の挿絵をトリミング補正・合成をして、適切と思われる箇所に挿入することとした。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。

 なお、本巻之三は本篇一篇のみが載る。]

 

怪異前席夜話  三

 

怪異前席夜話巻之三

    匹夫(ひつふ)の誠心(せいしん)剣(けん)に入《いり》て霊(れい)を顯(あらは)す話

 中花(ちうか[やぶちゃん注:ママ。])[やぶちゃん注:中華。中国。]に劍匠(けんせう[やぶちゃん注:ママ。])の少《すくな》き事は、「遵生八𤖆《じゆんせいはつせん》」に見えて、「鋳剱(とうけん[やぶちゃん注:ママ。「刀劍」の当て訓だが、「たうけん」が正しい。])の術、不ㇾ傳(つたわらず[やぶちゃん注:ママ。])。典籍、また不之載(これをのせす[やぶちゃん注:ママ。])。故(ゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に)今無劍客而(けんかくなくして)、世少名劍。」と、いへり。干将(かんしやう)・莫耶(ばくや)は、いざしらず、我國の古しへより、剱匠の出るもの、數を、しらず。中に妙巧を極むるもの、甚た[やぶちゃん注:ママ。]多し。

[やぶちゃん注:「遵生八𤖆」。明の高濂 (こうれん) 著になる随筆。 全二十巻。自序は一五九一年に記されてある。日常生活の修養・養生に関する万端のことが述べられ、また、歴代隠逸者百名の事跡が記されてあり、文人の趣味生活に関する基礎的な文献とされている(「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。

「干将・莫耶」先般、電子化注した「奇異雜談集巻第六 ㊁干將莫耶が劔の事」のことを読まれたい。]

 中古(ちう《こ》)、京師に関何某(《せきなに》がし)といへる神工(しんこう)あり。昆吾(こんご)の石を砥(と)となして、精鐵(せいてつ)を鋳(きた)ふに、石を切《きる》事、恰(あたか)も泥(どろ)のことく[やぶちゃん注:ママ。]、王侯・貴人、これを爭ひ買(かふ)て、百金を惜まず。

[やぶちゃん注:「中古」現代のそれの平安時代ではない。江戸時代を起点にした、「中昔」(それほど古くない過去)で、概ね鎌倉・南北朝から室町・戦国時代中・後期頃までを指す。

「関何某」古い刀剣で「關物」がある。これは美濃国関の刀工らによる刀剣で、南北朝時代から室町時代における美濃の作刀は「備前物」に次いで繁栄し,その中心地が関(現在の岐阜県関市(グーグル・マップ・データ)であったので,「関物」といえば、「美濃物」の代名詞となっている。南北朝時代には「正宗(まさむね)十哲」の一人,志津兼氏(しづかねうじ)とその一族があり,さらに直江に移った兼次・兼友、同じく正宗の門人で関鍛冶の祖となった金重(きんじゅう)一門がある。室町時代は戦乱の時代で,戦闘方法の変遷などを背景として打刀(うちがたな)が流行し,多量の武器の需要により、粗製乱造になった。この時代に最も繁栄した「備前物」(末備前物)に次いで,美濃鍛冶が前代に続き、ますます発展し,孫六兼元・兼定を巨頭とし,その他「兼」の字を冠する刀工が多数出て、隆盛を極めた。その作風は実用性に優れ,刃文は共通して関の「尖り互(ぐ)」の目で、なかでも兼元の三本杉・入道雲・兼房の乱(みだれ)などは著しい特色である。美濃鍛冶は各地に移住、或いは、出張して、諸国の刀工に影響を与え、また、新刀時代の良工には関鍛冶の系統に属するものが少くない(「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。この人物も、その流れを汲む者という設定である。

「昆吾の石」小学館「日本国語大辞典」によれば、「昆吾の剣」という連語があり、周の時代、現在の新疆ウイグル自治区哈密(クムル)県(現在は市)にあった国名が昆吾で、そこで作られた剣で、鉄や玉をも切る利剣とされた。そこに『昆吾渓の宝剣』ともあったが、無論、そこから石を得た訳ではなく、「昆吾の剣」にあやかった、優れた砥石の謂いであろう。]

 その弟子に佐伯好隣(《さ》いきよしちか)なるものあり。若年より放蕩にして、宋玉(そうきよく)が人となりを慕ひ、或は、東家(となり)の女(むすめ)を挑み、あるひは、花柳(くわりう)の春色(しゆんしよく)を愛して、曾て、こころを鋳剣に留(と)めざれば、師のおしへを受(うけ)るといへども、いまた[やぶちゃん注:ママ。]その妙を究むる事あたぱす。

[やぶちゃん注:「宋玉」(そうぎょく 生没年不詳)は戦国末期の楚の辞賦作家。伝記も明らかでないが、往古の記録から推せば、楚の鄢(えん:現在の湖北省宜城県)の人。貧士の出身で、頃襄(けいじょう)王(在位紀元前二九八年~紀元前二六三年)に仕えて小官となり、やがて唐勒(とうろく)・景差とともに楚の宮廷文壇に参加し、艶めかしく美しい作風を以って頭角を現したらしい。彼の作風は、以後に展開する漢代宮廷辞賦の先駆をなすものといえる。その作品は、もと十六編あったとされるが、現在伝わる辞賦の内、ほぼ確実なものは、「楚辞」所収の「九弁」・「招魂」、「文選」所収の「風賦」・「高唐賦」・「神女賦」・「登徒子好色賦」の六篇のみである。孰れも、甘美で哀切な叙情に富む作品である(以上は小学館「日本大百科全書」に拠った)。また、ウィキの「倩兮女」(けらけらおんな:江戸時代の妖怪名)の解説中に、「文選」巻十九集に『載る「登徒子好色賦」に記されているよく知られた逸話』として、『美男として有名な中国の文人・宋玉が「自分は決して好色ではない、隣に住んでいた国一番の美女が牆(かき)からその姿を見せ』、三『年間』、『のぞき込まれ』、『誘惑され続けたが』、『心を動かした事は一度も無かった』。『私のことを好色と称する登徒子(とうとし)こそ好色である」と王の前で反論した故事(宋玉東牆)』があるとあり、ここで主人公佐伯好隣が彼に惹かれているニュアンスがよく判る。]

 一日(ある《ひ》)、一人の賎夫(せんふ)來りて、好隣に逢(あひ)て、

「僕(われ)は山﨑の幽僻(かたほとり)、農家に傭(やとわ[やぶちゃん注:ママ。])れて、力作(はたらき)する奴(やつこ)なり。君の師、剱を、鋳給ふ事の、霊妙なるを聞(きく)。冀望(のぞむ)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]事、年、久し。願《ねがは》くは、その價(あたい[やぶちゃん注:ママ。])を聞(きか)む。」[やぶちゃん注:「幽僻」の「幽」の字は、底本では、この異体字(「グリフウィキ」)だが、表示出来ないので、通用字を用いた。]

 好隣、笑《わらひ》て、

「我師は、王公より、需(もとめ)給ふ事ありても、期年(いちねんのゝち)に非《あらざ》れば、鋳(うつ)て献(けん)ぜす。汝ことき[やぶちゃん注:ママ。]、妄意(のぞむ[やぶちゃん注:二字へのルビ。])所に、あらず。」

といふ。

 かの奴、

「しかれども、その價、幾(いくば)くぞ。」

と問《とひ》てやまず。

 好隣、戯(たはむれ)て、いわく、

「汝、左《さ》ほどに、望むぞ。ならば、十金の價《あたひ》を、齎來(もちきた)らは[やぶちゃん注:ママ。]、わか[やぶちゃん注:ママ。]師に乞《こふ》て、剱を賣りあたふべし。」

と、奴に語れば、これを信然(まこと)とし、

「我、卑賎の役夫(えきふ)、十金の直(あたへ)は、これ、なしといへども、力を労(らう)し、年を積(つみ)なば、辨(とゝのへ)ざる事、あらし[やぶちゃん注:ママ。]。必(かならず)、約を違(たがへ)給ふな」

と、別れて去る。

[やぶちゃん注:「信然」(しんぜん)は「信じる値打ちのあること・そのさま」を言う語。

「十金の直(あたへ)は」の「直」は判読に迷った。底本のここ(左丁の四行目行末)。「初期江戸読本怪談集」では、『価』の字で起こしてあるが、私の底本の字は、その崩しとは到底、思えない。「直」は「價(あたひ)」の意があり、崩し字としても、これで採れるので、かく起こした。]

 是より、かの奴、耕耘(たかやし[やぶちゃん注:ママ。])のいとま、或は、山に樵薪(しばかり)し、野に滯穗(おちぼ)を拾ひ、或は、夙(つと)に茅(ちかや)[やぶちゃん注:ママ。]を苅(かり)、夜は寢(いね)ずして索絢(なはなひ)、千辛万苦の労、空しからず、三年過(すぎ)て、漸(やうやう)、十金を積(つみ)得たり。

 嬉しくおもひて、いそき[やぶちゃん注:ママ。]、よし、隣かたへもち行て、剣を乞ふ。

 よしちかは、只《ただ》、苟旦(かりそめ)の戯言(たはむれ)なりしを、今は、かくとも、辞(いなむ)に、こと葉なく、奴を給(あざむい[やぶちゃん注:漢字ともにママ。「紿」の誤記であろう。])て云《いひ》けるは、

「汝に約束せし剱、わか[やぶちゃん注:ママ。]師、すでに鋳(うち)給へり。いまだ錯礪(さくさい)せず。明日、來るべし。かならす[やぶちゃん注:ママ。]、與(あたへ)ん。」

と、いふに、奴は歸れり。

 好隣、よしなき約をなし、今はいかんとも、せんかたなく、師に苦(つげ)なば、呵責(しかり)を受《うけ》ん事を、おそれ、潛(ひそか)に、市中《いちなか》に於て、鉛刀(なまくら)一口(《ひと》ふり)、買求(かいもと[やぶちゃん注:ママ。])め、つくろひ磨礲(とき[やぶちゃん注:ママ。「とぎ」。研磨。])して、明日、奴、來りしかは[やぶちゃん注:ママ。]、則ち、是をあたへけるに、奴は、

「望み、足(たり)ぬ。」

とて、大《おほき》によろこひ[やぶちゃん注:ママ。]、厚く謝し、十金お[やぶちゃん注:ママ。「を」。]、送りて、歸りぬ。

[やぶちゃん注:「礲」は音「ロウ」で、「とぐ・みがく」の意がある。]

 是より、かの奴は、坐卧行住(《ざ》くわかうぢう[やぶちゃん注:ママ。])、身を放さず、しばしのあいだも、わするゝ事なく、無比(うへもなき)の拱壁[やぶちゃん注:ママ。](たから)となして、祕襲(ひそう[やぶちゃん注:ママ。「祕藏」。])しけり。

[やぶちゃん注:「拱壁」「初期江戸読本怪談集」では、傍注で『璧』(へき:宝玉の意)の誤字とする。]

 さても、その后(のち)、好隣は、女色に感溺(おぼるゝ)癖、やまずして、ついに[やぶちゃん注:ママ。]師の怒りに触(ふれ)、さまざま、陳謝(わび)するといへども、許されずして、逐出(おいいだ)されければ、只得(ぜひなく)。その身は、郷籍(ふるさと)豐後國、蒲戶(かまど)か[やぶちゃん注:ママ。]﨑に歸りける。

[やぶちゃん注:「豐後國、蒲戶(かまど)か﨑」現在の大分県佐伯(さいき)市上浦(かみうら)大字最勝海浦(にいなめうらうらかまと)に蒲戸港があり、その東方に蒲戸崎(かまどざき)が延びている(グーグル・マップ・データ)。]

 渠(かれ)か[やぶちゃん注:ママ。]親、庄司(せうじ[やぶちゃん注:ママ。])は、冨貴(ふうき)の 農(ひやくせう)にして、屋宅(おくたく[やぶちゃん注:ママ。])・田圃(てんほ[やぶちゃん注:ママ。])、あまた、もち、庄司は、家を、好隣に、讓りあたへ、その身、落髮して、世の営(いとなみ)を息(やめ)ければ、好隣は、近邑(きんむら)の豪民(がうみん)何某か[やぶちゃん注:ママ。]女(むすめ)を、親迎(むかへ)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]て、妻(さい)となし、琴瑟(ふうふ)の中も、むつましく、家を治め、業(げう[やぶちゃん注:ママ。])を守れり。

 一日《いちじつ》、好隣、早(とく)行(ゆく)事のありしか[やぶちゃん注:ママ。]、路(みち)の傍(かたわら[やぶちゃん注:ママ。])に、一人の少(わかき)女《をんな》の、容色、艷麗(ゑんれい)に鄙陋(いやし)からざるが、徒跣(すあし)にて、步みかね、木蔭(こかけ[やぶちゃん注:ママ。])に愒(やすら)ひ、立《たて》るあり。[やぶちゃん注:「愒」には「やすらう・休む」の意がある。]

 好隣、不圖、詞(ことは[やぶちゃん注:ママ。])をかけ、

「若き乙女の倶(ぐ)せる紀綱(ともひと)もなく、夙(とく)より、(ひとりあるき)し給ふは、いかに。」[やぶちゃん注:「紀綱」「紀」は「細い綱」、「綱」は「太い綱」の意で。これは「国家を治める上で根本となる制度や規則・綱紀」の意であり、「同行人」を指す語ではない。どうも、この篇、作者の過剰にして半可通な衒学的(ペダンティック)のひけらかし傾向が感じられ、ちょっと厭な感じがする。されば、以下、私の躓く部分以外は語注・字注をしないので、悪しからず。]

と問ふ。

 女、顧(かへりみ)て、ため息し、

「行路(ゆきし[やぶちゃん注:ママ。「ゆきぢ」。])の人、いかで、わか[やぶちゃん注:ママ。]心の愁(うれへ)を、しりなんや。心づくしの、問(とひ)ことかな。」

と、由ありげなる風情なりけれは[やぶちゃん注:ママ。]、好隣、ちかく寄(より)て、

「女子《によし》、抑(そも)奚自(いづくより)、來りたまふ。年(とし)、幾許(いくばく)ぞや。何事のありて、愁へ給へる。試みに語り、御身の力(ちから)になり參らせん。」

と、念頃に尋(たづ)ぬ。

 女、そのとき、黯然(しほしほ)と、ふくめる淚をぬぐひて、[やぶちゃん注:「黯」は底本では「黒」の(れっか)が下方全体に広がった字体(右丁後ろから二行目下方)。「暗い」の意。なお、「初期江戸読本怪談集」(玉川大学図書館蔵本底本)では、『黙』と起こしてある。]

「嬉しき人の仰(おゝせ[やぶちゃん注:ママ。])かな。行路の人にはあらて[やぶちゃん注:ママ。]、君は我か[やぶちゃん注:ママ。]爲の鮑叔(ほうしゆく)なりしそよ[やぶちゃん注:ママ。]。何をか匿(かく)し參らせん。妾(せう)は、當國、西の浦の漁夫の女《むすめ》、とし十八歲なるが、幼き時、父母におくれ、伯父(おば[やぶちゃん注:ママ。])なる者に育はれしに、伯父の子、賭博(ばくゑき[やぶちゃん注:ママ。])を好み、家資(しんだい)、みな、烏有(うゆうと)なし、近頃、伯父も死し去りしかば、妾に、せまり、豪民(かうみん[やぶちゃん注:ママ。])何某か[やぶちゃん注:ママ。]家に、妾を、身價(みのしろ)十金にうり、その金をとりて、行衞知れずになりぬ。妾か[やぶちゃん注:ママ。]うられつる朱門(いへ)の、嫡(ほんさい)、嫉妒[やぶちゃん注:「妒」は「妬」の古形。]、つよく、妾を、昼夜、罵詈(のゝしり)、楚捷(うちたゝ)く事、やむ間なくて、その苦しみ、いわんかたなし。『よしや、深き淵に此身を沈め、乃邊に輕體(からだ)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]を弃(すつ)るとも、此くるしみを受(うけ)るには、勝りなん。』と、夜は紛(まき[やぶちゃん注:ママ。])れて、のかれ[やぶちゃん注:ママ。]出(いで)ぬ。」

と、語りも、あへぬに、淚、雨のことく[やぶちゃん注:ママ。]に泣(なく)。

 好隣か[やぶちゃん注:ママ。]いふ。

「息壤(やくそくのことば)、前に、あり。こゝろのかきり[やぶちゃん注:ママ。]は、力に、なりまいらせん。幸《さひはひ》、敞𢨳(わかいへ[やぶちゃん注:ママ。])近きにあれは[やぶちゃん注:ママ。]、いざ、たちより給へ。」

と、手を携へて、おのか[やぶちゃん注:ママ。]別莊に俦(ともな)ひ、[やぶちゃん注:「携」は異体字のこれ(「グリフウィキ」)であるが、表示出来ないので、かく、した。以下も同じ。]

「此所《ここ》は、常に人の出入事《でいりごと》もなければ、心やすく安歇(やすみ)たまへ。」

と、饔飱(したゝめ)など、いたさせ、彼これ、遺(おち)なく、世話すれば、女か[やぶちゃん注:ママ。]云、[やぶちゃん注:「饔飱」「饔」は「食物」、特に「よく煮た食べ物」の意、「飱」は「夕食」の意。]

「おもひよらす[やぶちゃん注:ママ。]、君に逢(あひ)まひらせ、かく、あわれみを受(うけ[やぶちゃん注:ママ。])べしとは。肝に銘じ、大恩、忘(わすれ)侍らし[やぶちゃん注:ママ。]。」

と、愁眉(しうび)をひらき、笑(わらい[やぶちゃん注:ママ。])をふくめる姿、西施が五湖に携(たつさへ[やぶちゃん注:ママ。])られ、蔡文姬(さいぶんき)か、胡國(ごこく)を逃(のが)れし、歡(よろこ)ひ[やぶちゃん注:ママ。]も、かくや、とばかりに、おぼへ、もとより、淫男(たわれお[やぶちゃん注:ママ。])の好隣、心地(こゝち)、まどひ、[やぶちゃん注:「蔡文姬」後漢の女流詩人蔡琰(さいえん 一七七年?~?)の字(あざな)。陳留(河南省)の人。後漢の学者蔡邕(さいよう)の娘で、父同様、博学であった。最初の夫と死別したのち、後漢末の動乱の際に匈奴に捕らわれ、左賢王の妻となって二子を産んだ。十二年後、蔡邕と親交のあった曹操が、邕に後継ぎがないことを哀れみ、琰を購(あがな)って帰国させ、のちに董祀(とうし)と再婚した。自らの数奇な生涯を歌った「悲憤詩」二首と「胡笳(こか)十八拍」が名高い。両詩篇は、その真偽を巡って古来より議論があるが、「悲憤詩」は唐の杜甫の「北征」などに影響を与えたとされている(小学館「日本大百科全書」に拠った)。]

「いかで、此儘、やみなん。」

と、その夜は、榻(しぢ[やぶちゃん注:ママ。])[やぶちゃん注:ここは「寝台」のこと。]をともになし、巫陽(ふやう)の夢路(ゆめぢ)を倡(いざ)なひける。[やぶちゃん注:「巫陽の夢路」は「楚辞」にある、天帝が屈原の魂が彷徨っているのを憐れんで、この世に呼び戻したという故事に基づく。「巫陽」はその際に道術を使った巫女(ふじょ)の名である。]

 これより。好隣は、此女か[やぶちゃん注:ママ。]事、忘れがたく、本莊(ほんそう)には、しばしも居《ゐ》ず、夜ことに[やぶちゃん注:ママ。]行通(ゆきかよ)ひしかは[やぶちゃん注:ママ。]、好隣か[やぶちゃん注:ママ。]ほんさいは、賢女なりしが、日頃の偕老、かれかれ[やぶちゃん注:ママ。「枯れ枯れ」で「かれがれ」。]となりけるうへに、夫の顏色(かんしよく[やぶちゃん注:ママ。])、日々に、惟悴(しやうすひ[やぶちゃん注:ママ。])するを、あやしみ、一日《いちじつ》、詰(なし[やぶちゃん注:ママ。]。)り問(とひ)けるに、好隣、やむ事を得ず、かの女か[やぶちゃん注:ママ。]ことを語りたり。

 妻は、妬(ねた)める色もなく、

「『嫁眉(いろ)は、性(せい)を伐斧(きるおの)。』とやらん聞(きゝ)ぬ。色にふけりて、隕身(ほろぶる)もの、古今、その例、おゝし[やぶちゃん注:ママ。]。况(まし)てや、野合(やこう[やぶちゃん注:ママ。])のいたづらもの、出處(しゆつしよ)も、明白(さだか)ならず。必《かならず》、渠(かれ)に蠱惑(まどわ[やぶちゃん注:ママ。])され給ふな。」

と、諫(いさむ)といへども、一向、承引せず、却て、是を、

「嫉妒なり。」

と、罵りて、妻(さい)を疎(うと)み、いよいよ、女か[やぶちゃん注:ママ。]もとに行(ゆく)ほどに、いつしか、精髓(せいずい)、枯竭(かれつき)て、肌肉(きにく)、次第に羸瘦(るいそう)し、病《やまひ》》を得て、別莊に打卧(うちふし)、數日(すしつ[やぶちゃん注:ママ。])、本莊(ほいいやしき)に歸らず。

 妻は、不安(こゝちもとなく)おもひ、

「そも、いかなる花月妖(いたづらおんな[やぶちゃん注:ママ。])なれば、わが夫をは[やぶちゃん注:ママ。]、かくまで、沈溺(まよわ[やぶちゃん注:ママ。])するやらんぞ。」

と、

「覘來(うかゝひ[やぶちゃん注:ママ。]《きた》らん。)

と、一夜(あるよ)、密(ひそか)に、侍婢(こしもと)を倶(ぐ)し、別莊に行《ゆき》見れば、門は、かたく鎖(とざ)して、燈《ともしび》、微(かすか)に、見へたり。

 月、さし入《いり》たるに、庭の垣(かき)、狗竇(いぬあな)あるを幸(さいわい[やぶちゃん注:ママ。])に、くゝり[やぶちゃん注:ママ。]入《いり》、伺ふに、障子に、かげは、写りぬれども、物語(ものかたり)の声も、聞へず。

 忍びて、廡下(のきば)に、さしより、𨻶(ひま)より、裏面(うち)を覦見(のぞき《み》》れば、夫(おつと[やぶちゃん注:ママ。])好隣は、牀蓐(とこ)に卧(ふし)、昏々(こんこん)と熟睡せし躰《てい》なり。

 かの妾《せう》と覚しく、妹(かはゆき)女の、側(かたわら[やぶちゃん注:ママ。])に在(あり)て、好隣か[やぶちゃん注:ママ。]顏色を、つくづく游睇(ながめ)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]居《をり》けるが、俄に、宛轉(ゑんてん)たる嫁眉(かび)、変じて、煤(すゝ)のことく[やぶちゃん注:ママ。]に黒み、両眼、鏡(かゝみ[やぶちゃん注:ママ。])のことく[やぶちゃん注:ママ。]光り、一室(《いつ》しつ)の中(うち)を、てらし、嬋娟(せんげん[やぶちゃん注:容姿のあでやかで美しいさま。「せんけん」以外に濁音表記もある。])たる雲の髮(びんづら)、化(け)して、棘(おとろ[やぶちゃん注:ママ。])の髮と、乱れ、皤腹(おゝいなる[やぶちゃん注:ママ。]はら)[やぶちゃん注:「皤」自体に「腹が大きい」の意がある。]、ちゝめる[やぶちゃん注:ママ。]頭(かしら)・手足、岐(みつかき[やぶちゃん注:ママ。「蹼(みづかき)。」])ありて、龜(かいる[やぶちゃん注:ママ。蛙。挿絵は巨大な蟇蛙(ひきがえる)である。])に似たり。

 

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[やぶちゃん注:底本の大型画像はこちら。]

 

 舌を延(のべ)て、好隣か[やぶちゃん注:ママ。]惣身《そうしん》をなめけり。

 まことに、威怖(おそろしき)ありさま、いはんかたなく、

「こは。淺間(あさま)し。」

と、好隣か[やぶちゃん注:ママ。]妻は、毛骨《まうこつ》[やぶちゃん注:ここは一身全体の意。]、竦然(しようぜん)として、魂(たましい[やぶちゃん注:ママ。])、体(たい)に、つかず、走り、外面(そとも)に出《いで》つゝ、侍女に、かくと、語りも、あへず、足にまかせて、もろともに、本莊(《ほん》そう)に迯(にげ)かへりぬ。

 一夜をあかすこと、三秋のおもひにて、暁(あけ)にいたりて、疾(とく)、家の長(おさ[やぶちゃん注:ママ。])何かし[やぶちゃん注:ママ。]を呼(よび)て、申《まふし》けるは、

「籃輿(かご)を奴僕(けらい)に扛(かゝ)せて、別莊の夫を、むかへかへるべし。」

といふに、いそき[やぶちゃん注:ママ。]、各々、別莊にゆき見るに、好隣、すでに、病(やまひ)に卧(ふし)てより、此女、愈(いよいよ)、側(そば)を去(さら)ずして、日夜朝暮、雲雨(うんう)の情(じやう)を、いとみ[やぶちゃん注:「挑(いど)み」であろう。]、魚水(きよすい[やぶちゃん注:ママ。])の契り、止む事なさに、よしちかも、少しく、心に厭(いとへ)ども、身體(しんたい)を、くるしめ、跬步(あゆむ)事さへ叶わねは[やぶちゃん注:ママ。]、本莊に歸る事あたわず。[やぶちゃん注:「跬步」は現代中国語で「僅かな距離」を言う語。]

 せんかたなかりし折から、家の長、迎ひに來りけるを見て、大によろこび、歸らんとするに、此女、牢(かた)く率(ひき)とどめ、

「きみの病《やまひ》、舊(もと)、風寒(ふうかん)の外傷(くわいしやう)なれば、若(もし)、路次(ろし)にて、再(ふたゝひ)、風に能冒(あたり)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]玉《たま》わは[やぶちゃん注:総てママ。]、大事なり。唯(たゞ)、いつ迄も、此所にて、輔養(ほよう[やぶちゃん注:ママ。])し給へ。妾(しやう)、心を盡(つく)して、仕へまいらせ[やぶちゃん注:ママ。]、君か[やぶちゃん注:ママ。]平生(ひころ[やぶちゃん注:ママ。])の恩愛、萬分(まんぶん)の一ツをも、報ぜん。」[やぶちゃん注:「風寒」漢方医学で悪寒を代表症状とする症状を指す。現在の感冒・インフルエンザ等に相当する。]

と、淚、玉《たま》をあらそへば、さすがに、戀々(れんれん)として、別るゝに忍びさる[やぶちゃん注:ママ。]を、家長(おさ[やぶちゃん注:ママ。])、大《おほい》に女を叱りて、遠ざけ、强(しい)て、主人を輿(かご)にのせしめ、飛《とぶ》かことく[やぶちゃん注:総てママ。]家に歸りける。

 さて、妻は、よしちかにむかひ、前夜見しありさま、逸々(いちいち)に、ものがたりけれは[やぶちゃん注:ママ。]、夫は、始《はじめ》て、大に、おとろき[やぶちゃん注:ママ。]、舌を吐(はい)て、物も、いわず。

 良(やゝ)ありて、淚を流して云《いふ》。

[やぶちゃん注:以下の語りは長いので、段落・改行・記号を加えた。回想の直接会話記号は鍵括弧で示した。]

「わか[やぶちゃん注:ママ。]命(いのち)。正(まさ)に盡(つき)ぬべし。われ、汝に包むべきにあらねば、巨細(ことごとく)、語りきかすべし。

 われ、若き時、京師(みやこ)の剣匠關何某か[やぶちゃん注:ママ。]家につかへ、名にをふ花の都、春は、東山のさくらを探ねては、島原(しまばら)の色香を思ひ、秋は桂川(かつらか[やぶちゃん注:ママ。]わ)の紅葉(もみち[やぶちゃん注:ママ。])を觀て、祗園の面俤(おもかけ[やぶちゃん注:ママ。])を慕ひ、目に絕(たへ)へ[やぶちゃん注:総てママ。]せぬ興(きやう)を催して、夜晝となく、翠帳紅閉(すいてうこうけい[やぶちゃん注:総てママ。])のうちに、うかれ遊び、更に、月日の流るゝを、しらず。或時、郭(くわく)何某か[やぶちゃん注:ママ。]亭にて、芳野といへる遊女と綢繆(かたらひ)、いもせの誓淺からぬ中に、夏は、森の下、すゞみ、連理のゑだを喩(たとふ)れは、冬はうつ見火(みび)[やぶちゃん注:「埋火」。]のもとに、鴛鴦(ゑんおう)の羽(は)をうちかさね、

「汝か心、鏡のことくならは[やぶちゃん注:総てママ。]、わか[やぶちゃん注:ママ。]心は、玉にひとしく。」

起請誓詞(きせいせいし)、いふも、くだくだしく、恩愛、たとふるにものなし。[やぶちゃん注:「綢繆」「ちうべう(ちゅうびゅう)」の当て訓。「睦み合うこと。馴れ親しむこと」の意。]

 是に仍(よつ)て、我か[やぶちゃん注:ママ。]鋳冶(かぢ)の業(わざ)も、わすれ果(はて)、師の怒りに逢(あひ)て、家を逐出(おひいだ)されけれとも[やぶちゃん注:ママ。]、芳野か[やぶちゃん注:ママ。]事、露《つゆ》、わすられず、猶も、靑樓に、はまりて、不絕(たへず[やぶちゃん注:ママ。])通ひしに、いつしか、芳野は風(かぜ)の心地(こゝち)の煩(わつらひ[やぶちゃん注:ママ。])して、やまふ[やぶちゃん注:ママ。]の床に卧(ふし)、日々《ひび》に重(おも)りけるに、晝夜、側(そば)を、はなれず、さまさま[やぶちゃん注:ママ。後半は踊り字「〱」。]に醫療を盡せども、効(しるし)、更になくして、苒荏[やぶちゃん注:「初期江戸読本怪談集」では編者の傍注があり、『荏苒』とある。荏苒(じんぜん)は「なすことのないまま歳月が過ぎるさま・物事が延び延びになるさま」の意。](しだい)に、よわりし故、

「こは。いかに。」

と、遽(あはて)まとひ[やぶちゃん注:「遽」は異体字だが、表示出来ないので通用字とした。]、神祠(しんし)に祷(いのり)、佛寺にいのりて、心のかきり[やぶちゃん注:ママ。]、芳野か[やぶちゃん注:ママ。]病、愈(いへ[やぶちゃん注:ママ。])なん事を、悲しみ、求むれども、造化(そうくわ[やぶちゃん注:ママ。])の小兒(しやうに)[やぶちゃん注:病気の擬人法。]、付纏(つきまと)ひて惱(なやま)し、無常の風、吹來《ふききた》りて、誘引(ゆういん)するを如何(いかん)。

 十八歲の暁(あかつき)に、地水火風の假(かり)の世を、空しく見なして、果(はて)にけるにぞ、狂氣のことく[やぶちゃん注:ママ。]に、精神、乱れ、甲斐なき亡骸(ぼうがい[やぶちゃん注:ママ。])、肌(はだへ)に抱(いだ)き、紅淚、膓(はらわた)を断(たつ)といへども、いかにとも、せんかたなく、枕に残りし薬のみそ、恨めしく、かくても、有(ある)べき事ならねば、亭(うち)の長(てう)[やぶちゃん注:芳野を抱えていた遊廓の主人。]と議(はかり)て、鳥部野一片の烟(けむり)となせしが、相應に吊《とふ》らひして、墓間(はか)の供養、怠たらず。

 已(すで)に七七《なななぬか》の忌日にあたりしかは[やぶちゃん注:ママ。]、夙(とく)、起出(おき《いで》)て芳野か[やぶちゃん注:ママ。]墳(つか)に詣(まいり[やぶちゃん注:ママ。])、香花(かうはな)を手向(たむけ)んとするに、石の印(すりし)のうへに、一の蛙(かはづ)、在(あり)けるが、我か[やぶちゃん注:ママ。]面《おもて》を、つくづくと見て、両眼に、淚を流す事、雨のことし[やぶちゃん注:ママ。]

 奇異の事におもひしか[やぶちゃん注:ママ。]、翌日、また、行《ゆき》、見るに、蛙、その所を、去らす[やぶちゃん注:ママ。]居《ゐ》て、我を見ては、淚を流す。

「是こそ、日ころの誓詞に、心を残し、死たる女の、幽鬼(ゆうき)[やぶちゃん注:「幽」は異体字だが、表記不能のため、通用字とした。]、蛙と変し[やぶちゃん注:ママ。]たるにや。よし、さもあらは[やぶちゃん注:ママ。]あれ、わか[やぶちゃん注:ママ。]三世《さんぜ》を約せし妻の、ふたゝひ[やぶちゃん注:ママ。]、陽間(このよ)に於《おい》て、相逢《あひあ》ふは、かの漢宮の李夫人の、武帝に見《まみ》え、楊大眞が玄宗に値(あい[やぶちゃん注:ママ。])し例(ためし)に同し。」

とて、かの蛙にむかひて、さまさまに、私語(さゝめこと)し、平生《へいぜい》の哀情(あいじやう)を訴ふに、蛙の姿は、きへ[やぶちゃん注:ママ。]うせて、それより後、再ひ[やぶちゃん注:ママ。]見えす。

 かくて、故郷に歸りしに、老親、われに、家をゆすり[やぶちゃん注:ママ。]、御身を迎へて、年月、かさね、芳野か[やぶちゃん注:ママ。]事も、諺にいふ、『去るもの日々に疎(うと)く』して、思ひ出す事も、なかりし。

 然《しか》るに、往(ゆき)つる頃、路次《ろし》にて、邂逅(ゆきあひ)し女に、不圖、心を迷はし、戀慕のきづな、きれども、きれず、煩惱の火、逐(おへ)ども來り、見ぬ夜をかこては[やぶちゃん注:ママ。「かこちては」。]、逢(あは)ぬ夕べを、うらみ、以前、芳野と、ちきり[やぶちゃん注:ママ。]しに、少しも違はぬ、恩愛なりしか[やぶちゃん注:ママ。]、さては、渠(かれ)か[やぶちゃん注:ママ。]、生(しやう)を更(うけ)て、ふたゝひ[やぶちゃん注:ママ。]我に見へしなるへし[やぶちゃん注:ママ。]。縱(たとへ)、われ、かれと、絕(たへ[やぶちゃん注:ママ。])て、別莊にゆく事なく共《とも》、かれ、かく迄、我に、執心、残す。終(つい[やぶちゃん注:ママ。])には、死㚑(しれい)の為に、一命を、失ふべし。」

と、語(かたり)、鏡を、とりて、面《おもて》を映(うつ)し、始て、わがかたちの、枯稿(おとろへ)たるを見、淺間敷(あさましく)おぼへげれば、

「かくては、黃泉(かうせん)のみち、遠かるまじ。身のうへを、占(うら[やぶちゃん注:ママ。])ひ見ん。」

と、夫《それ》より、好隣は、衣を、とゝのへ、强(おし)て立(たつ)て、家人に扶(たすけ)られ、市中《いちなか》、賣卜(うらなひしや)の肆(みせ)に、いたりぬ。

 好隣、算命者(うらないしや[やぶちゃん注:ママ。])にむかひて、支干(しかん)を告(つけ[やぶちゃん注:ママ。])、卦(くわ)を賴むに、算命(うらなひ)、一卦を、もうけ、見るに、「履(り)」の卦に當りたり。

 曰(いはく)、

「履虎尾不ㇾ咥ㇾ人。(とらの、をゝふむ。ひとを、くわ[やぶちゃん注:ママ。]ず。)」

 先生いわく[やぶちゃん注:ママ。]

「危(あやう)きかな。されども、うらかた、あしき事、なし。今宵、汝か[やぶちゃん注:ママ。]家に、客(かく)あり。これ、吉(きつ)を司(つかさど)る。此客、よく、恠(くわい)を驅(のぞく[やぶちゃん注:ママ。])くべし。」

と判斷するに、好隣、少し、心易く、急き[やぶちゃん注:ママ。]、家に、かへり、其日、暮かたに、一人の士(さむらひ)來り、

「某(それがし)は、東國の矦家(かうけ[やぶちゃん注:ママ。])に仕へる稗官(かるきぶし)、曾根平内(そねへいない)といふものなり。主用にて、西國に趣くが、日暮るゝによつて、貴莊を、一夜、かり明(あか)さん。何卒、許容あれかし。」

といふに、好隣、いそき[やぶちゃん注:ママ。]、坐敷に通し、臧獲(けらい)を咄嗟(げち)して、酒(さけ)・肴(さかな)・飯《めし》までを、新鮮(きよらか)に調理せしめ、慇勤[やぶちゃん注:ママ。](いんぎん)に執成(とりなし)けるに、客、大によろこひ[やぶちゃん注:ママ。]て、元より、田舎武士の、禮儀をも、しらす[やぶちゃん注:ママ。]、酒・肴・飯まて[やぶちゃん注:ママ。]を、飢(うへ[やぶちゃん注:ママ。])たる鷹のことく[やぶちゃん注:ママ。]、給終(たへおわ[やぶちゃん注:総てママ。「食べ終(をは)」。])り、その身は、滿醉(まんすい)して、床に入《いり》て臥(ふし)、鼾睡(いびき)、牛のことく[やぶちゃん注:ママ。]なれば、好隣は、

『案に相違して、我《われ》此客を怙(たのみ)て、妖鬼を除き、災害(わさはひ)を免(まぬか)れんと、思ふ所に、此客、かくのことく[やぶちゃん注:ママ。]に醉臥(よひふし)たり。いかゞはせん。』

と、案事(あんじ)けるか[やぶちゃん注:ママ。]、せん方なければ、燈燭(あかり)、白昼(はくちう)のことく[やぶちゃん注:ママ。]に、てらし、その身は、客の側(そば)に卧(ふし)て、猶、動靜(ようす)をうかゝふ[やぶちゃん注:ママ。]に、既に夜半の頃、暴風、一陣(《ひと》しきり)、

「さつ」

と、吹通《ふきとほ》り、戶の外(そと)に、もの音し、

「薄情(はくぜう[やぶちゃん注:ママ。])の郞君(おとこ[やぶちゃん注:ママ。])、いづくに、あるや。何とて、我を弃(すて)しや。あら、うらめしの郞君や。」

と、呼(よば)わる[やぶちゃん注:ママ。]その声、軒端(のきば)の嵐(あらし)に、はげしく、耳もとに、ひゝきけれは[やぶちゃん注:総てママ。]、好隣は、亡論(もと)より、家内の男までも、肝をけし、驚き、噪(さは)ぎ、かの客を、喚起(よび《おこ》)さんとするに、はや、妖鬼は、せまり來て、一重(《ひと》へ[やぶちゃん注:ママ。])の隔(へだて)は、

「ものかは。」

と、戶を蹴放(けはな)して、飛入《とびい》る所に、

「錚然(はつし)」

と、ひゞきて、かの客の、枕もとなる襆(つゝみ)の中より、一すじ[やぶちゃん注:ママ。]の小虵(《こへび》》、顯《あらは》れ、鱗(うろこ)の光は、金・銀・珠玉、紅(くれない[やぶちゃん注:ママ。])の舌を巻(まき)て、たゞ、ひとのみと、かゝりける。

 

Hippuseisin2

[やぶちゃん注:底本の大型画像はこちら。

 

 妖鬼は、たちまち、色(いろ)をうしなひ、あわてゝ、外へ、しりそき[やぶちゃん注:ママ。]出《いづ》るを、小虵は、追缺(おつかけ)、逐廻(おひまは)し、その疾(はやき)事、風(かぜ)のごとし。

 終《つひ》に、妖鬼に、とひ[やぶちゃん注:ママ。]かゝり、鮮血、

「颯(さつ)」

と、はしるとみヘしか[やぶちゃん注:ママ。]、妖鬼の姿は、いつく[やぶちゃん注:ママ。]ともなく、きへ[やぶちゃん注:ママ。]うせたり。

 只、一口(《ひと》ふり)の刀(かたな)のみ、外に殘りて、小虵の形は、見えざりしに、かの武士、此もの音に、驚き、目覚(《め》さめ)て、枕もとを見るに、

「我か身命(しんめい)の、かゝる宝貨(ほうくわ)は、何ものか、盜みしや。」

と、寢間を探し、戶外《こがい》を尋ねるに、宝剣、落《おち》てあるを、削(さや)[やぶちゃん注:本来の「削」は刀の鞘の意であるので誤りではない。]に、おさめ、襆《つつみ》の中に、押入《おしいれ》て、枕とし、再(ふたゝひ[やぶちゃん注:ママ。])、卧しにけり。

 好隣か[やぶちゃん注:ママ。]小蛇と思ひしは、彼(かの)刀なり。

 ほとなく[やぶちゃん注:ママ。]、晨光(あさひ)、東の窗(まど)を輝(斯くやかし)けるに、家來のものも、起出《おきいで》て、戶の外を見せしむるに、血、夥しく、流れたり。

 跡を、引尋(ひき《たづ》)ね、遙々(はるはる[やぶちゃん注:ママ。後半は底本では踊り字「〱」。])ゆくに、別莊にいたりて、止(とゞ)まる。

 各々(おのおの)、坐敷に入《いり》、見るに、盤(たらい[やぶちゃん注:ママ。])に齊(ひと)しき、蛙《かいる》、あり。

 頭腦(づのう[やぶちゃん注:ママ。])を、裂(さか)れて、朱(あけ)に染(そみ)、死し居《ゐ》たりしを、みなみな、集(あつま)りて、是を觀(みて)、大きに驚き、やかて[やぶちゃん注:ママ。]穴をふかく堀(ほり)[やぶちゃん注:漢字はママ。]、蛙の尸(かばね)を葬(ほうむ)り、墳(つか)を築(きづ)いて、「蛙塚(かいるづか)」と名付《なづけ》、今にかの所に殘れりと云《いふ》。

 此後、好隣か[やぶちゃん注:ママ。]家には、絕(たへ[やぶちゃん注:ママ。])て怪事なかりしかは[やぶちゃん注:ママ。]、好隣夫妻、悅ひ[やぶちゃん注:ママ。]、不斜(なのめなら[やぶちゃん注:ママ。返って読めということらしい。])。

 かの客、曾根平内を、數日(すじつ)、滯留なさしめ、饗應、心を盡し、さて、好隣は、平内に向(むかい[やぶちゃん注:ママ。])て、いわく、

「御身の所持し給ふ刀は、いかなる名工の作なれば、かゝる奇瑞のありけるぞや。某(それがし)も、むかしは、鋳剱(とうけん)を学びし故、許多(あまた)の剱を見侍れども、未た[やぶちゃん注:ママ。]、かゝる事をは[やぶちゃん注:ママ。]、聞《きき》も及はす[やぶちゃん注:ママ。]。」

と、いふに、平内、襆《つつみ》の中《うち》より、錦(にしき)の袋を、とき、一挺(《ひと》ふり)の刀を取出《とりいだ》し、好隣に見する。

 好隣、見るに、銘もなく、漫理(みだれやき)なれども、鉛刀(なまくら)にひとしき、鈍剣(どんけん)、更に賞ずべき所、なし。仍(よつ)て、再ひ[やぶちゃん注:ママ。]驚き、不審、晴(はれ)やらねば、平内、その時、語《かたり》ていわく、

「抑(そも)、此刀は、徃昔(そのむかし)、京師(みやこ)に名高き剱匠(かぢ)関何某か[やぶちゃん注:ママ。]鋳(うち)給ふ所なり。某、匹夫(ひつふ)たりしとき、山﨑の邑(さと)、農民の家に傭(やとわ[やぶちゃん注:ママ。])れ、あり。兼て、関氏の剱を聞及(きゝおよ)ひ[やぶちゃん注:ママ。]、望(のぞみ)、限りなく、よつて、耕作の暇(いとま)には、薪(たきゞ)を折(おり[やぶちゃん注:ママ。])、荷を擔(になひ)、しばしも、息(やす)む間なく、人の役(えき)をなして、賃(ちん)を取り、家に有《あり》ては、冬夜に、寒嚴(かんげん)を單(ひとへ)の衣(きぬ)に凌(しの)ぎ、三度の飯(めし)も減じ、飢を春の日の長きに忍(しの)ひ[やぶちゃん注:ママ。]、月下に索縄‘なはなひ」、星(ほし)を戴(いたゝき[やぶちゃん注:ママ。])て起(おき)、三年のあいた[やぶちゃん注:ママ。]、風雨・雷電・寒暑のいとひなく、積貯(つみたくわ[やぶちゃん注:ママ。])へたる、十金の價(あたい[やぶちゃん注:ママ。])にて、やうやうに、求め得たる剣(けん)なり。仍(よつ)て、身に添(そう[やぶちゃん注:ママ。])影のことく[やぶちゃん注:ママ。]に秘臟(ひそう)[やぶちゃん注:漢字・読みともにママ。]し、深山(しんざん)に入(いる)時は、魑魅魍魎のおそれなく、闇行(あんこう[やぶちゃん注:ママ。])には、狐狸盜賊の難をのかれ[やぶちゃん注:ママ。]、わか[やぶちゃん注:ママ。]精神、偏(ひとへ)に、此剣の外に、なし。」

といふ。

 よしちか、是(これ)におゐて[やぶちゃん注:ママ。]思ひ出《いだ》し、

『是社(こそ)、已前、己(おのれ)か[やぶちゃん注:ママ。]、市(いち)にて買求め、あざむいて、渠(かれ)にあたへしが、渠、三年の艱苦(かんく)を嘗(なめ)て後、調得(とゝのへえ)たりし。十金を貪取(むさぼり《とり》)たる冥罰(めうばつ[やぶちゃん注:ママ。])、自然(しぜん)と報い來て、既に妖鬼の祟(たゝり)を受(うけ)、命を失わん[やぶちゃん注:ママ。]とせしに、われ、却《かへつ》て、かれか誠心(せいしん)、名剱と思へる精神(たましい[やぶちゃん注:ママ。])の、鉛刀(ゑんとう[やぶちゃん注:ママ。])の切先(きつさき)に入《いり》て、かゝる奇瑞を、顯しけるゆゑ、萬死(まんし)をまぬかれし事、古今未曾有の奇事也。』

とて、始て、

「己(おの)か[やぶちゃん注:ママ。]身の上を、かたり聞せ申《まうす》べし。徃昔(そのむかし)、給(ざむひ)て[やぶちゃん注:前に同じ。「紿」の誤字。]、此鉛刀《なまくら》を賣(うり)し事を、さんげし、御身、實に、わか[やぶちゃん注:ママ。]師の剣を望み給はゝ[やぶちゃん注:ママ。]、わか[やぶちゃん注:ママ。]所持せし、刀、一ふりあり。これぞ、まことに關何某、百日、注連(しめ)を張り、斎(ものいみ)して、鋳(うち)たる名作なり。御身の鉛刀の、奇瑞には、及ばし[やぶちゃん注:ママ。]。なれども、鉛刀だに、精神《たましひ》、凝(こつ)ては、奇瑞あり。いわんや[やぶちゃん注:ママ。]、名剣に於ておや[やぶちゃん注:ママ。]。」

と、則(すなはち)、取出《とりいだ》し、

「價(あたい[やぶちゃん注:ママ。])に不及(およばず)なり。」

と、平内に、あたへ、また、以前、給《あざむ》[やぶちゃん注:同前で誤字。]きとりし、十金の代《しろ》を返し、外に五十金を贈り、

「御身は、わか[やぶちゃん注:ママ。]再生(さいせう[やぶちゃん注:ママ。])の父母(ふぼ)なり。」

とて、夫婦、厚く謝しけれは[やぶちゃん注:ママ。]、平内も、不測(ふしぎ)の事にあひて、年の假念(けねん)を晴(はら)し、まことの名剣を、得るのよろこび、おゝかた[やぶちゃん注:ママ。]ならず。[やぶちゃん注:「」「多」の異体字。]

 夫(それ)より、別れて、發足(ほつそく)せし、となり。

 

怪異前席夜話卷之三終

 

2023/07/29

只野真葛 むかしばなし (79) 妖猫

 

一、土井山城守樣の御國(おくに)、刈屋の城に、小犬ほどの猫、有(あり)。「大ねこ」と名付(なづけ)て、折々、番人、見る事あれども、あだせし事、なしとぞ。

 いつの比よりすむといふ事も、しらず、といふ事は、折々、山城守樣の御はなしも有(あり)し由(よし)、父樣、猫のはなしなど、いでし時、度々(たびたび)はなしにも聞(きき)しが、數年(すねん)をへて、ある春のことなりしが、花の盛、いつよりも、出來、よく、日も、すぐれて長閑(のどか)のこと有しに、御番の侍、申合(まふしあは)せ、

「餘り、すぐれて、よき天氣なり。花見ながら外庭の芝原にて、辨當を、つかわん[やぶちゃん注:ママ。]。」

とて、いで居(をり)しに、いづくよりか來たりけん、えもいはれず、愛らしき小猫の、毛色、みごとにふち[やぶちゃん注:「斑(ぶち)」であろう。]たるが、紅(くれなゐ)の首(くび)たが[やぶちゃん注:「首箍」。首輪。]懸(かけ)て、はしりめぐり、胡蝶に戲れ遊び狂ふさま、あまり美くしかりし故、何(いづ)れも見とれてゐたりしが、

「首たが懸しは、かい猫なるべし。かゝる小猫の、いかにして、城内まで、まどひ來にけん、あやし、あやし。」

と云つゝ、

『手ならさん。』[やぶちゃん注:「手なづけよう」。]

と思ひて、燒飯を一ツ、なげて、あたへしかば、かの小猫、はしり來りて、其やき飯を、くはゆると、ひとしく、古來よりすむ、大猫と成(なり)しとぞ。

「それ、大猫の、ばけしよ。」

と、いはれて、にげさりしが、其後(そののち)、番人、

「たえて、形を見ず。」

とぞ。

「『不思議のこと。』とて、御(おん)じきはなしに、うかゞひし。」

と、父樣、

父樣、被ㇾ仰し。

[やぶちゃん注:「土井山城守」恐らくは、三河刈谷藩第二代藩主土井利徳(寛延元(一七四八)年~文化一〇(一八一三)年)であろう。彼は従五位下山城守であった。

「刈屋の城」現在の愛知県刈谷市城町(しろまち)に城跡がある(グーグル・マップ・データ)。]

只野真葛 むかしばなし (78) 二度目の夫只野伊賀の急死を知った折りの記載

 

 こゝまで書(かき)さして、

「藤平(とうへい)、誕生日の祝儀。」

とて、中目家へ、まねかれて行(ゆき)しは、四月廿五日なりし。二夜(ふたよ)とまりて、同じ七日の夕方歸りしに、江戶より、急の便り、有(あり)、同じ月の、

「廿一日朝四ツ時[やぶちゃん注:不定時法で午前九時半頃。]より病付(やみつき)て、ひる八ツ過(すぎ)[やぶちゃん注:同前で午後二時半を回った頃。]に、伊賀、むなしくなられし。」

とて、つげ來たり。

[やぶちゃん注:「中目家」五女照子(兄弟通り名は「撫子」)は仙台の医家であった中目家に嫁した。真葛(あや子)より二十三歳下。「藤平」というのは、彼女の産んだ男子の名であろう。祖父の工藤平助の姓名から貰ったものであろう。

「伊賀」真葛の当時の二度目の夫。寛政九(一七九七)年、真葛三十五歳の時、仙台藩上級家臣で江戸番頭の只野行義(つらよし ?~文化九(一八一二)年:通称、只野伊賀)と再婚していた。以上は文化九(一八一二)年のことである。]

 人の世は常なしとは知りながら、今朝までも、事なかりしを、只三時(さんとき)の程に命たゑん[やぶちゃん注:ママ。]とは、夢、おもひ懸(がけ)ぬことなりし。

 日をかぞふれば、其日は初七日(しよなぬか)なりけり。

 にはかに、かたち、直し、水、そなへ、花、たむけなどするも、何の故とも、わきがたし。

 五日、六日、有(あり)ておもゑ[やぶちゃん注:ママ。]めぐらすに、

「かく聞傳(ききつたへ)しことの『むかしがたり』を、書(かき)とめよ、書とめよ。」

と、つねに、いはれしを、世のわざにかまけて過(すぎ)しきにしを、

『今はなき人の、たむけにも。』

と思ひなりて、かきとゞむるになむ。【此ふしは、うれい[やぶちゃん注:ママ。]にしづみ、哀(あはれ)のはなし、かく事、能わず[やぶちゃん注:ママ。]。よりて、これを、あげたり[やぶちゃん注:底本に『原割註』とある。]。】

[やぶちゃん注:

只野真葛 むかしばなし (77) 巾着切の陰徳の話

 

一、巾着切(きんちやくきり/きんちやつきり)といふものは、三度、牢入になれば、落首(うちくび)[やぶちゃん注:当て訓した。]の定めなるに、三度目に御免に成(なり)しもの有(あり)し故、其時の町與力に名代の人有しが、

「宅へ參れ。」

と呼(よび)よせて、

「扨(さて)。外の事にて、なし。其方は、死罪の罰を、ふしぎに、命、たすかりしは、陰德にても、ほどこせし事、多く有(ある)や。」

と聞(きき)しに、

「外(ほか)に覺(おぼえ)とてもなけれど、久しき跡に、兩國邊を、かせぎました時、七、八兩に成(なり)ました。暮方(くれがた)、まなべ川岸(かし)[やぶちゃん注:当て訓した。]の方へ參りしに、本柳橋のきわで、身をなげそふ[やぶちゃん注:ママ。]にする、ぢゞが、ござりました。ひよつと、『むごい事だ。』と、胸に、うかびましたから、『若(もし)、ぢゞさん。わたしは巾着切だが、死ほどの事なら、わたしが、今日、仕事にした金が、ちつと有(ある)から、借(かし)やせう。』と申(まうし)たら、きもを潰した顏を仕(し)て居(をり)ましたを、金を、ふところに、入(いれ)て、つきたほして、にげ行(ゆき)、陰(かげ)から見て居(をり)しに、ぢゞは、おきて、其金を、かぞへて、いたゞき、懷中して行(ゆき)ましたから、たすかつたろう[やぶちゃん注:ママ。]と存じます。」

と語りしを、

「其樣なことの故にも有べし。是より、巾着切を、やめたら、よかろふ[やぶちゃん注:ママ。]。」

と云(いひ)しに、

「私も、やめとふ[やぶちゃん注:ママ。]ござりますが、中々、仲間が、合點、致しません。」

と、いふを、

「それなら、近在に、おれが知つた百姓が有(ある)から、それが所へ賴んでやろう[やぶちゃん注:ママ。]から、田舍でも行(いつ)て素人に成(なれ)。」

と、すゝめしに、悅んで、

「左樣なら、どふぞ被ㇾ遣被ㇾ下(やられくだされ)。」

といふ故、そこへ、やりしとぞ。【此(これ)、よびて聞(きき)しことも、うたがはし。[やぶちゃん注:底本に『原頭註』とある。]】

 至極、正直者と見えて、手がたき家なりしが、あめ商賣をせしとぞ。

 庭の隅に、少し、土を高くして、塚の樣な物あるに、日々に、茶や花を上(あげ)しとぞ。

 或日、

「少し、心ざしの事、有(あり)。」

とて、人を呼び、茶菓子など、いだして、此比(このごろ)來りし人にむかい[やぶちゃん注:ママ。]、

「今日の心ざしは、前かた、不仕合(ふしあはせ)が續きし故、娘を江戶へ連(つれ)て行きうりましたが、十六兩でござりました。『是で、どふしてこふして[やぶちゃん注:ママ。後も同じ。]。』と、胸算用して、かへる時、兩國で、すりに取られましたから、『死ぬより外の事、なし。』と覺悟した時、外(ほか)のすりが來て、金をくれて助けてくれました。半金にも、たらぬほどなれど、どふかこふか、それで、あめ屋も、だしましたが、それから仕合(しあはせ)が直(なほ)り、此通りに、くらして居(をり)ますも、たすけられたすりの蔭(おかげ)。生(いき)てあるか、死(しん)だか、しらねど、七年已前の事、其時、わしが、しねば、今日が七年忌とおもゑ[やぶちゃん注:ママ。]ますから、其人の爲に囘向(ゑかう)仕(つかまつり)ます。」

と語(かたり)しを、巾着切も、

『ふしぎ。』

とは聞しが、其時は、かたらず。

 後に、そのわけを、かたりしかば、限りなく、悅びし、とぞ。

 是は父樣、外より御聞被ㇾ成て御はなしなりしが、あまり、こしらい[やぶちゃん注:ママ。]過(すぎ)たるやうなり。日々、おこたらず人の念ずれば、必ず、思(おもひ)のとゞくものとは聞(きき)しが。

[やぶちゃん注:「巾着切といふものは、三度、牢入になれば、落首の定めなる」ウィキの「スリ」によれば、『元禄・宝永』頃、『名人坊主小兵衛が現われたが、これは同心目付役加賀山(加々山)権兵衛の寵愛を受けた。このころから』、『スリと同心の因縁が生じたという。当時の手口は袂さがし、腰銭はずし、巾着切りが主で、敲きの上』、『門前払いに処罰されたが、巾着切りの横行の流行にかんがみ、延享』四(一七四七)年二月、『御定書に「一、巾着切、一、腰錢袂錢を抜取候者、右何れも可為入墨之刑事。儋()入墨之者惡事不相止召捕候はば死罪」と達せられ、突き当たりの手口で荒稼ぎする者を』、『入れ墨、重敲』(じゅうたたき:江戸時代の刑罰の一種。罪人の肩・背・尻を鞭百回打つこと。江戸では牢屋同心が小伝馬町の牢屋の門前で執行した。八代将軍吉宗時代に始まった)『すべきを見合わせて』、(☞)『死罪にする判例が生じた。その手口はますます巧妙化し、荒稼ぎ、山越し、達磨外し、から、天保ごろから、違(ちがい。すれ違いざまにおこなう)、飛(かっさらい)、どす(おどしとり)へと変わり、白昼の追いはぎも現われ、スリは並抜きをして、同類と共同で稼ぐものもあったので、遂に天保の大検挙が行われ、万吉、虎、勇九郎、遠州屋のような有名なスリの入牢があった。しかし』、『その後もスリの跳梁跋扈はやまず、天保の大検挙で入牢した親分たちが出牢するにおよんで』、『ますます』、『さかんになり』、慶応元(一八六五)年、『浅草年の市には』、『勇九郎の流れをくむ』『手合いが』、『手当たり次第にすりとった紙入れは炭俵』一『杯分あって、石を付けて大川に放り込んだという』また、彼らは『必ず』、『集団で行動し、仲間のスリがしくじった場合は』、『見ず知らずの町人を装った仲間が袋叩きにし、番屋に突き出す振りをして奪還した。組に所属しない流しのスリは十指全てをへし折られる凄惨な制裁を受けた』とある。]

只野真葛 むかしばなし (76) 命を救って命助かる奇譚

 

一、鈴木常八は、「うべがたり好(ずき)」[やぶちゃん注:意味不詳。識者の御教授を乞う。「うべ」は「宜」・「諾」か。「如何にも聴く者が『もっともらしい話じゃ』と感嘆する話の意か。]にて、度々(たびたび)語りしは、本庄の道具屋、川むかふの道具屋の會(くわい)に行(ゆく)事のよし。

 渡しを渡りて、例のごとく行(ゆき)しに、おもはしき品も無(なかり)しかば、金を懷に入(いれ)て歸りし事有(あり)しに、暮がたなり。

 今、船を漕出(こぎいだ)したるあとへ來て、行(ゆき)かへる迄、待(まち)てゐしに、そこら、見𢌞せば、石垣を傳へて[やぶちゃん注:ママ。]、若き夫婦と見ゆる人、ひそひそ咄(ばな)してゐるを見つけ、

『たしかに。義理に、つまりて、身を、なげる人。』

と心付(こころづき)、其そばへ行(ゆき)て云(いふ)は、

「一寸(ちよつと)見受(みうけ)た所が、たしかに、金につまりて、死心(しぬこころ)と見えるが、どこの人かは、しらねど、いとほしき事なり。私が懷に、十兩、かねが有(ある)から、是を、かしませうから、どふぞ、死なぬ工面、せられよ。」

と、いひしを、餘り、おもひかけぬ事にて、合點ゆかぬ顏して居(をり)し内、舟がつきし故、なげだして、船に、のりしとぞ。

 家に、かへりて、きげんよく、

「よいもの、買(かひ)し。」

と云(いひ)て有しとぞ。

 其後(そののち)、二年ばかり過(すぎ)て、例の如く、會に出て、歸りがけ、少し用事有(あり)て、外(ほか)へまはり、常に通る道より、外の所へ、かゝるに、ある家の内に、女房らしきもの、髮をとかしてゐしが、散(ちら)し髮にて、かけ出(いで)て、

「あなたは、たしかに、先年、お目にかゝつた、お人。」

とて、取付(とりつき)しとぞ。

 顏をみれば、金をくれし女なり。

 夫も、きゝつけて、かけいでゝ、

「先(まづ)、一寸、内へお上り被ㇾ下。」

とて、無理に引入(ひきいれ)、だんだんの禮を述べ、御蔭により、命(いのち)、たすかりし悅(よろこび)を、いひ、

「其時は、途方にくれ、御名(おんな)や、所を、もうけ給わら[やぶちゃん注:ママ。]ざりしを、くやみし事、又、『渡し場を通られし故、此邊にすまはゞ、御目にかゝる事もや。』と、家、借りし事、又、か樣(やう)に、ふしぎな、命、ひろい[やぶちゃん注:ママ。]しも、淺草の觀音樣の御蔭と、日參して、

「一度は行逢樣(ゆきあふやう)に。」

と、いのりし事、色々、くだくだしく、ならべていふを、

「いや、おそく成(なる)から、重(かさね)てきませう。」[やぶちゃん注:「重て」は、折りを見て、今一度、来ることを言っていよう。]

と斷(ことわり)ても、中々、聞かず、わざと、

「お盃(さかづき)。」

とて、酒など出(いだ)し、時刻、おくれたり。

 いそぎ、行(ゆき)てみしに、

「渡し船、かへりて[やぶちゃん注:「反りて」。転覆して。]、夥しく、人、死(しぬ)なり。」

とて、大さわぎなりしとぞ。

「折もあらんに、此日に行逢(ゆきあひ)、手間取(てまどり)て、其沈みし船に乘(のら)ざりしは、誠(まこと)に、命、救ひしかはりに、我(わが)命、たすかりしなり。」

とて、殊の外、好(よき)なるはなしなりし。

 其道具屋の、じき咄し、とぞ。

[やぶちゃん注:「本庄」当初、底本も『日本庶民生活史料集成』も注記等がないので、「川むかふ」とあることから、現在の埼玉県本庄市か(グーグル・マップ・データ)。北の端は利根川で、川向うは群馬県伊勢崎市である。しかし、後の方で浅草の観音に日参するという語りがあり、『これは、思うに「本所」の誤りではないか?』と判断するに至った。]

只野真葛 むかしばなし (75) 妖狐譚(三話)

 

一、疱瘡やみのかさぶたを喰(くふ)は、まさしく、狐のわざなり。人の目には、病人の喰(くふ)と見えて、實は、狐のくふなり、とぞ。是は人に付(つき)たる狐の、じき咄(ばなし)しなり。實(まこと)に、さること、有(ある)なり。

 或庄屋、法事ふる舞(まひ)に行(ゆき)しに、手前、油物の、しごく、かげんよかりしを、もらいて、十枚ばかり、もちて還りしが、

『爰(ここ)らには、わるい狐がゐる所。』

と思ふと、晴たる月夜なりしが、眞黑に成(なり)たり。

 よくみれば、下壱尺ばかりは、月のひかり、見えて、其上は、くらし。

 是、狐の、此油物を、ほしがるなり。

『終(つひ)にばかしとらるゝよりは。』

と思(おもひ)て、木の根に、腰かけて、はしより、だんだん、くひしが、くひしまへば、空、晴(はれ)て、元の如く成(なり)しとぞ。

 十枚の油物、法事ふる舞の跡にて喰(くは)るゝものならず。後(のち)、食當りもせねば、是もやはり喰れしなり。

 日向桃庵(ひうがたうあん)、

「品川へ遊び、御殿山の夜の花、みん。」

と、大一座、たいこ持・藝者まで、かけて、三拾人近(ちかく)の人數(にんず)、いろいろの肴(さかな)もの、とりよせ、とりよせ、酒のみ、物くひして、遊ぶに、九ッ時分[やぶちゃん注:正午頃。]になり、

「サア、家の内へ、はいつても、よかろふ。」

と、誰か、いひだし、いづれも、

「それが、よかろふ、よかろふ。」

とて、立(たち)し時、みしに、取寄たる肴共(さかなども)、

「からり」

と、骨まで、なし。

「座中の人、殘らず、空腹なりし故、夜食を、いひ付て、食(たべ)し事、有(あり)しが、たしかに、狐に、くわれしならん。」

と語られし。

[やぶちゃん注:最初の、疱瘡病みの痂(かさぶた)食い(かなりエグい話である。しかし、私が高校時代、友人に「痂を食うのが好きだ」と公言していた奇体な男が確かにいた)を一話と数えた。

「日向桃庵」不詳。名乗りからみて、父の医者仲間か。

「御殿山」江戸時代から桜の名所として知られる。ここ(グーグル・マップ・データ)。当該ウィキも参照されたい。]

只野真葛 むかしばなし (74) 井伊玄番守逝去直前の怪事

 

一、井伊玄蕃守(げんばのかみ)[やぶちゃん注:底本は「玄番」であるが、『日本庶民生活史料集成』版の表記を採用した。]樣御かくれ被ㇾ遊しは、七月十一日なり。

 六月あたり、廊下のともし火は猶の事、諸方へ出すあんどんの火、つけるやいなや、引(ひき)いる樣に、くらく成し事、有(あり)し。

「油に、まぜ物ある[やぶちゃん注:底本は『あり』でママ注記があるが、『日本庶民生活史料集成』版で訂した。]故にや。」

とて、油屋を取替などしたりしが、かわる[やぶちゃん注:ママ]。ことなく、其内、いたつて消やすき時は、仕かたなくて、蠟燭をつけて置(おき)し事、ありし。

 御大變あらんとての、しらせなるべし。

[やぶちゃん注:「井伊玄番守」まず、「玄蕃」頭(かみ)を名乗っていそうで、七月十一日が命日で、井伊姓の人物となると、江戸初期のえらく昔の話だが、近江彦根藩二代藩主で後に上野安中藩初代藩主となった井伊直勝(天正一八(一五九〇) 年二月~寛文二年七月十一日(一六六二年八月二十四日):井伊直政の長男)しかいないと思う。近江彦根藩藩主の井伊家は、後の何人もが「玄蕃頭」を名乗っている(サイト「世界帝王事典」の「井伊氏(近江彦根藩)」を参照。そこに出る以外にも「玄蕃頭」を名乗っていたらしい藩主がいることも、あるネット記事から確認出来た)。昔話として仙台藩邸の女中奉公をしている折りにでも、耳にしたものであろう。真葛は怪奇談好きだから、少しもおかしくはない。]

只野真葛 むかしばなし (73) 村上平兵衛の妄想と失踪

 

一、村上平兵衞といひし人、近比まで御目付など勤めたりしが、其ぢゞは、御身近き役【何役にや。[やぶちゃん注:底本に『原割註』とある。]】を勤めしに、其子、嫁もとり、孫も【孫は平兵衞なり。[やぶちゃん注:底本に『原割註』とある。]】有(あり)などせしが、廿人餘なるべし。

「御小性(こしやう)[やぶちゃん注:「小姓」は、江戸時代の書籍では、しばしば、かく、書かれる。]に被仰付し。」

と吹聽(ふいちやう)し、

「直々(ぢきぢき)、御入(おいり)[やぶちゃん注:江戸城へ呼ばれること。]へ相(あひ)とほさるゝ。」

と、いひ、又、

「急(いそぎ)、登り被仰付し。」

とて、已にも、あい金[やぶちゃん注:途上のための支度金か。]まで受取、たゝむとせし事有しに、

「合點、ゆかず。左樣の被仰付なし。」

といふ人、有(あり)し故、能(よく)たゞしてみしに、空事(そらごと)なり。

 其身は、信じて、きかざりしが、狐にばかされしといふ事、あらはれし、とぞ。

 父は江戶づめ、女ばかりの時にて、さやうには、せしなり。

「御城にて、被仰付。」

とて、供人つれて出(いで)し事も度々(たびたび)なり。

 いかにも、御城へ出入《でいり》せし事は、御門(ごもん)にて見しかども、何しにせし、とまでは、誰(たれ)も心つかず。

 それより、家内、心付(こころづき)、あたら、わかき人を、外出をとめて有しが、何も、少しも、心の違ひし樣にも見えねば、隱居ぢゞの、つれて、三年目の春、花見に行(ゆき)しに、人ごみにまぎれて、行衞(ゆくへ)知れず成(なり)しとぞ。

 誠に、せんかたなきなり。

[やぶちゃん注:一種の妄想性精神疾患で、見かけは正常に見えただけであろう。]

「人柱の話」(「南方閑話」版・初出稿(一部を除き注を附していない)・PDF縦書版・1.57MB)公開

南方熊楠の「人柱の話」(「南方閑話」版・初出稿(一部を除き注を附していない)・PDF縦書版・1.57MB)「心朽窩旧館」に公開した。

南方閑話 「人柱の話」(完全原文そのままの電子化で注も一部を除き附さない)

[やぶちゃん注: 「南方閑話」は大正一五(一九二六)年二月に坂本書店から刊行された。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像を視認した(リンクは表紙。猿二匹を草本の中に描いた白抜きの版画様イラスト。本登録をしないと見られない)。画像もそこからトリミングした(その都度、引用元を示す)。但し、加工データとして、サイト「私設万葉文庫」にある、電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊)を加工データとして使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。疑問箇所は所持する平凡社「南方熊楠選集3」の「南方閑話 南方随筆」(一九八四年刊・新字新仮名)その他(必要な場合は参考対象を必ず示す)で校合した。今回分はここから。

 なお、私は、本「人柱の話」は、発展的決定稿としてのそれである

「續南方隨筆」版をブログ版で全六回で完遂

しており、それ以外に、先行して、古くに

「選集」版を底本にしたサイト版「人柱の話」(新字新仮名)を電子化しており(「徳川家と外国医者」とのカップリング版)

を、さらには、

『「人柱の話」(上)・(下) 南方熊楠 (平凡社版全集未収録作品)』

も、その後に電子化している。その関係上、この際、初期決定稿の一つとして、本書のものも電子化することで、南方熊楠の「人柱の話」思考過程の全貌を見渡せるものとしたく思い、性懲りもなく電子化注することとした。

 但し、本篇の場合は、以上の通りで、特に「續南方隨筆」版のブログ版(六分割)で、さんざん、読みや注を附した関係上、特異的に、今回は、読みの追加や記号挿入、さらには、注等は一切附さず、原本に忠実に電子化して、他と本書で単行本初出となった同論文と、以上の後発版との差異を明確に示しておくこととする。但し、踊り字「〱」は生理的に厭なので、正字或いは「々」とした。これは、結果して、南方熊楠の文章が如何に読み難いかをはっきりと示すことにもなるであろう。ママ注記も、原則、打たない。但し、今回、再々読してみて、明らかに躓く(違和感がある)箇所には例外として注を入れた)。歴史的仮名遣や、漢字の誤記は勿論、書誌情報の記載等にいささか不審な部分があったりするのだが、それらも、無批判にそのままとしてある。されば、不審箇所は、決定稿であるブログ版(六分割)の本文及び私の注、或いは読みは編者によって補訂された「人柱の話」(新字新仮名)で、概ねは、明白になる。それらでも不審な箇所は、初出に当ってみる以外に方はないのだが、初出誌(大正十四年九月『變態心理』十六巻三号)はネット上では視認出来ないので、不可能である。悪しからず。

 なお、人柱を近世以前のものと勘違いしている人のために、私のブログの、

「明治6年横浜弁天橋の人柱」

をリンクさせておく。

 最後に、その代り、ブログ版が終わった後、本篇を「人柱の話」縦書PDF版として成形することとする。過去のものは総て横書だからである。

 

      人 柱 の 話

 

        

 建築土工等を固めるため人柱を立てる事は、今も或る蕃族に行なはれ其傳說や古蹟は文明諸國に少なからぬ。例せば印度の土蕃が現時も之を行なふ由時々新聞にみえ、ボムパスのサンタルパーガナス口碑集に王が婿の强きを忌んで、畜類を供えても水が湧かぬ涸池の中に乘馬のまゝ婿を立せると流石は勇士で、水が湧いても退かず、馬の膝迄きた、吾が膝まできた、背迄きたと唄ひ乍ら、彌々水に沒した。其跡を追つて妻も亦其池に沈んだ話がある。源平盛衰記にも又淸盛が經の島を築く時白馬白鞍に童を一人のせて人柱に入れたとあれば乘馬の儘の人柱も有つたらしい。但し平家物語には、人柱を立てようと議したが罪業を畏れ一切經を石の面に書いて築いたから經の島と名づけたとある。

[やぶちゃん注:以下、行空けの前までは、底本では、全体が一字下げである。これは南方熊楠がよくやる、前の文章に対する附記であることを意味する。]

 今少し印度の例を擧げると、マドラスの一砦は建築の時娘一人を壁に築き込んだ。チユナールの一橋は何度かけても落ちたから、梵種の娘を其地神に牲にし、其れがマリー乃ち其處の靈と成り凶事ある每に祭られる。カーチアワールでは城を築いたり塔が傾いたり池を掘るも水が溜らぬ時人を牲にした。シカンダールブール砦を立てた時梵種一人とズサード族の娘一人を牲にした。ボムペイのワダラ池に水が溜らなんだ時村長の娘を牲にして水が溜つた。シヨルマツト砦建立の際一方の壁が繰返し落ちたので或初生の兒を生埋すると最早落ちなんだといふ。近頃も人口調査を行ふ每に僻地の民は是は橋等の人柱に立てる人を撰ぶ爲めだと騷ぎ立つ。河畔の村人は橋が架けらるゝ每に嬰兒を人柱に取られると驚惶する(一八九六年板、クルツクの北印度俗宗及俚俗二卷頁一四。一九一六年板ホワイトヘツド南印度村神誌六〇頁六)。パンジヤブのシアルコツト砦を築くに東南の稜堡が幾度も崩れたので、占者の言に據り寡婦の獨り子の男兒を牲にした。ビルマにはマンダレイの諸門の下に人牲を埋めて守護とし、タツン砦下に一勇士の屍を分ち埋めて其砦を難攻不落にし、甚しきは土堤を固めん爲め皇后を池に沈めた。一七八〇年頃タヴオイ市が創立された時、諸門を建るに一柱每の穴に罪囚一人を入れ、上より柱を突込んだ故四方へ鮮血が飛び散つた。其靈が不斷其柱の邊にさまよひ近付く者を害するより全市を無事にすと信ぜられたのだ(タイラー原始人文篇、二板一卷、一〇七頁。バルフオール印度百科全書三板四七八頁)

 

 支那には春秋時代吳王闔閭の女藤王がすてきな癇癪持ちで、王が食ひ殘した魚をくれたと怒つて自殺した。王之を痛み、大きな冢を作って、金鼎玉杯銀樽等の寶と共に葬り、又吳の市中に白鶴を舞はし萬民が觀に來たところ、其男女をして鶴と共に家の門に入らしめ機を發して掩殺した(吳越春秋二。越絕書二)。生を殺して以て死に送る國人之を非とするとあるから無理に殉殺したのだが、多少は冢を堅固にする意も有つたらう。史記の滑稽列傳に見えた魏の文侯の時、鄴の巫が好女を撰んで河伯の妻として水に沈め洪水の豫防としたは事頗る人柱に近い。ずつと後に唐の郭子儀が河中を鎭した時、水患を止めて吳れたら自分の娘を妻に奉ると河伯に禱ると水が退いた。扨程なく其娘が疾ひなしに死んだ。其骨で人形を作り廟に祀つた。所の者子儀を德とし之を祠り河瀆親家翁乃ち河神の舅さまと名づけた。現に水に沈めずとも水神に祀られた女は久しからぬ内に死すると信じたのだ。又漢の武帝は黃河の水が瓠子の堤防を切つた時、卒數萬人を發して之を塞がしめたのみか、自ら臨んで白馬玉璧を堤の切れた處に置かしめたが奏功せず。漢の王尊東郡太守たりし時も此堤が切れた。尊自ら更民を率ひ白馬を沈め珪璧を執り巫をして祝し請はしめ自身を其堤に埋めんとした。至つて貴い白馬や玉璧を人柱代りに入れてもきかぬ故太守自ら人柱に立たんとした。本邦にも、經の島人柱の外に陸中の松崎村で白馬に乘つた男を人柱にし、その妻ともに水死した話がある(人類學雜誌三三卷一號、伊能嘉矩君の說)。江州淺井郡の馬川は洪水の時白馬現じて往來人を惱ます。是は本文に述べた白馬に人を乘せ、若くは白馬を人の代りに沈めた故事が忘れられて馬の幽靈てふ迷信ばかり殘つたと見える。其から大夏の赫連勃々が叱干阿利をして城を築かしめると、此者工事は上手だが至つて殘忍で土を蒸して城を築き、錐でもみためして一寸入ればすぐ其處の擔當者を殺し、其屍を築き込んだ。かくて築き立てた寧夏城は鐵石程堅く、明の哱拜の亂に官軍が三月餘り圍んで水攻め迄したが内變なき間は拔けなんだ。アイユランドのバリポールトリー城をデーン人が建た時、四方から工夫を集め日夜休みなし物食はずに苦役せしめ、仆るれば壁上に其體をなげかけ其上に壁を築かしめた。後ち土民がデーン人を追拂ふた時、此城が最後に落ち父子三人のみ生きて囚はれた。一同直ちに殺さうと言つたが一人勸めて之を助命し、其代りアイリツシユ人が常に羨やむデーン人特長のヘザー木から美酒を造る祕訣を傳へよと言ふた。初めは中々聽き入れなんだが、とうとう承引して、去らば傳えへよう、だが吾れ歸國して後ち此事が泄れたら屹度殺さるゝから只今眼前に此二子を殺せ、其上で祕訣を語らうと述べた。變な望みだが一向こつちに損の行かぬ事と其二子を殺すと、老父、「阿房共め、吾二子年若くて汝等に說かれて心動き、どうやら秘訣を授けさうだから殺させた、もはや秘訣は大丈夫洩るゝ氣遣ひがないわい」と大見得を切つたのでアイリツシユ人大いに怒り其老人を寸斷したが造酒の秘法は今に傳はらぬさうだ。是等は人屍を築き込むと城が堅固だと明記はし居らぬが、左樣信じたればこそ築き込んだのだ。其信念が堅かつたに由つて、極めてよく籠城したのだ(琅邪代酔編三三。史記河渠書。淵鑑類凾三六、三四〇及四三三。近江輿地誌略八五。五雜俎四。一八五九年板、ノーツ・エンド・キーリース撰抄。一〇一頁)。予が在英中親交したロバート・ダグラス男がユツ・ヘア・ケてふ占ひ書から譯した文をタイラーの原始人文篇、二板一卷一〇七頁に引いたが「大工が家を建て初めるに、先づ近處の地と木との神に牲を供ふべし。其家が倒れぬ樣と願はゞ、柱を立てるに何か活きた物を下におき其上に柱を下す。扨邪氣を除く爲め斧で柱を打ちつゝよしよし此内に住む人々は每も溫かで食事足るべしと唱へる」とある。

 

        

 日本で最も名高いのは、例の「物をいふまい物ゆた故に、父は長柄の人柱」で、姑く和漢三才圖會に從ふと、初めて此橋を架けた時水神の爲に人柱を入れねば成らぬと關を垂水村に構へて人を捕へんとす。そこへ同村の岩氏某がきて人柱に使ふ人を袴につぎあるものときめよと差いでた。所が、さういふ汝こそ袴につぎがあるでは無いかと捕はれて忽ち人柱にされた。其弔ひに大願寺を立てた。岩民の娘は河内の禁野の里に嫁したが、口は禍ひの本と父に懲りて啞で押通した。夫は幾世死ぬよの睦言も聞かず、姿有つて媚無きは人形同然と飽き果て送り返す途中交野の辻で雉の鳴くを聞き射にかゝると駕の内から妻が朗らかに「物いはじ父は長柄の人柱、鳴ずば雉も射られざらまし」とよんだ。そんな美聲を持ちながら今迄俺獨り浪語させたと憤る内にも大悅びで伴返り、それより大聲揚げて累祖の位牌の覆へるも構はずふざけ通した慶事の紀念に雉子塚を築き杉を三本植付けたのが現存すてな事だ。この類話が外國にも有り埃及王ブーシーリスの世に九年の飢饉あり、キプルス人フラシウス每年外國生れの者一人を牲にしたらよいと勸めたところが、自分が外國生れ故イの一番に殺された由(スミスの希羅人傳神誌名彙卷一)。左傳に賈大夫が娶つた美妻が言はず笑はず、雉を射取つて見せると忽ち物いひ笑ふたとある(昭公二十八年)

[やぶちゃん注:以下の一段落は先と同じく、全体が一字下げである。]

 攝陽群談一二に嵯峨の弘仁三年六月岩氏人柱に立つたと見え、卷八に其娘名は光照前、美容世に勝れて紅顏朝日を嘲るばかり也とある。今一つ類話はルマニアの古い唄に大工棟梁マヌリ或る建築に取懸る前夜夢の告げに其成就を欲せば明朝一番に其場へ來る女を人柱にせよと、扨明朝一番に來合せたはマヌリの妻だつたので之を人柱に立てたと云ふのだ(一八八九年板ジヨーンスとクロツプのマジヤール俚譚、三七七頁)

 大正十四年六月二十五日大阪每日新聞に誰かゞ橋や築城に人柱は聞かぬといふ樣に書かれたが、井林廣政氏から曾て伊豫大洲の城は立てる時お龜てふ女を人柱にしたのでお龜城と名づくと聞いた。此人は大洲生れの士族なれば虛傳でも無からう。

[やぶちゃん注:以下の一段落は先と同じく、全体が一字下げである。]

 橫田傳松氏よりの來示に大洲城を龜の域と呼んだのは後世で、古くは比地の城と唱へた。最初築いた時下手の高石垣が幾度も崩れて成らず、領内の美女一人を抽籤で人柱に立てるに決し、オヒヂと名づくる娘が中つて生埋され、其より崩るゝ事無し。東宇和郡多田村關地の池もオセキてふ女を人柱に入れた傳說ありと。氏は郡誌を編んだ人ときくから特に書付けて置く。

 淸水兵三君說(高木敏雄氏の日本傳說集に載す)には、雲州松江城を堀尾氏が築く時成功せず、每晚其邊を美聲で唄ひ通る娘を人柱にした。今も普門院寺の傍を東北を謠ひながら通れば必ず其娘出て泣くと。是は、其娘を弔ふた寺で東北を謠ふ最中を捕はつたとでもいふ譯であらう。現に予の宅の近所の邸に大きな垂技松[やぶちゃん注:「垂枝松」の誤記或いは誤植。]あり、其下を夜更けて八島を謠ふて通ると幽公がでる。昔し其邸の主人が盲法師に藝させ八島を謠ふ所を試し切りにした其幽じるしの由。いやですぜいやですぜ。

[やぶちゃん注:以下の一段落は先と同じく、全体が一字下げである。]

 英蘭とスコツトランドの境部諸州の俗信に、パウリーヌダンターは古城砦鐘樓土牢等にある怪で、不斷亞麻を打ち石臼で麥をつく樣の音を出す。其音が例より長く又高く聞ゆる時其所の主人が死又は不幸にあふ。昔しピクト人は是等の建物を作つた時土臺に人血を濺いだから殺された輩が形を現ずると。後には人の代りに畜類を生埋して寺を强固にするのが基督敎國に行はれた。英國で犬又は豚、瑞典で綿羊抔で、何れも其靈が墓場を守ると信じた(一八七九年板、ヘンダーソンの北英諸州俚俗二七四頁)。甲子夜話の大坂城内に現ずる山伏、老媼茶話の猪苗代城の龜姬、島原城の大女、姬路城天守の貴女等築城の人柱に立つた女の靈が上に引いた印度のマリー同然所謂ヌシと成りて其城を鎭守した者らしい。ヌシの事は末段に述ぶる。

 

        

 五月十八日(大正十四年)薨ぜられた德川賴倫候は屢ば揮毫に※[やぶちゃん注:「※」は「グリフウィキ」のこの字。音「テイ・ダイ」、意味は「臥す・臥せる」及び「虎の寝息」。]、城倫と署せられた。和歌山域を虎臥山竹垣域といふ所へ漢の名臣第五倫といふのと音が似た故の事と思ふ[やぶちゃん注:句点なしはママ。]そんな六かしい字は印刷に困ると諫言せうと思ふたが口から出なんだ。是もお虎てふ女を人柱にしたよりの山號とか幼時古老に聞いて面白からずと考へたによる。扨家光將軍の時日本に在つた蘭人フランシス・カロンの記に、諸侯が城壁を築く時多少の臣民が礎として壁下に敷かれんと願ひ出ることあり。自から好んで敷殺された人の上に建てた壁は損ぜぬと信ずるからで、其人許可を得て礎の下に掘つた穴に自ら橫はるを重い石を下して碎き潰さる。但しかゝる志願者は平素苦役に飽果てた奴隷だから、望みのない世に永らへるより死ぬがましてふ料簡でするのかもしれぬと(一八一一年板、ピンカートン水陸旅行全集七卷六二三頁)

 

 ベーリング・グールドの「奇態な遺風」に、蒙昧の人間が數本の杭に皮を張つた小屋をそここゝ持ち步いて暫し假住居した時代は建築に深く注意をせなんだが世が進んで礎をすえ土臺を築くとなれば、建築の方則を知ること淺きより屢々壁崩れ柱傾くをみて地神の不機嫌故と心得、恐懼の餘り地の幾分を占め用ふる償ひに人を牲に供へたと。フレザーの「舊約全書の俚俗」には、英國の脫艦水夫ジヤクソンが、今から八九十年前フィジー島で王宮改築の際の目擊談を引き居る。其は柱の底の穴に其柱を抱かせて人を埋め頭はまだ地上に出て有つたので問合すと、家の下に人が坐して柱をさゝげねば家が永く立ち居らぬと答へ、死んだ人が柱をさゝげる物かと尋ねると、人が自分の命を牲にして迄柱をさゝげる其誠心を感じて、其人の死後は神が柱をさゝげくれると云ふたと。是では女や小兒を人柱にした譯が分らぬから、雜とベーリング・グールド說の方が一般に適用し得ると思ふ。又フレザーは敵城を占領する時抔のマジナヒに斯る事を行ふ由をも說いた。今度宮城二重櫓下から出た骸骨を檢する人々の一讀すべき物だ。

 國學に精通した人より大昔し月經や精液を日本語で何と呼んだか分らぬときく[やぶちゃん注:行末で句読点なし。]滿足な男女に必ずある物だが、無暗に其名を呼ばなかつたのだ。支那人は太古より豚を飼ふたればこそ家という字は屋根の下に豕と書く。アイユランドの邊地でみる如く、人と豚と雜居したとみえる。其程支那に普通で因緣深い豕の事をマルコ・ポロがあれ丈支那事情を詳述した中に一言も記し居らぬ。又是程大な事件はなきに、一錢二錢の出し入れを洩さず帳付けながら、今夜妻が孕んだらしいと書いておく人は先づないらしい。本邦の學者宮城の櫓下の白骨一件などにあふとすぐ書籍を調べて書籍に見えぬから人柱抔全く無かつたなどいふが、是は日記にみえぬから吾子が自分の子でないといふに近い。大抵マジナヒ事は秘密に行ふもので、人に知れるときかぬといふが定則だ。其を鰻屋の出前の如く今何人人柱に立つた抔書付くべきや。こんなことは篤學の士が普ねく遺物や傳說を探つて書籍外より材料を集め硏究すべきである。

[やぶちゃん注:以下の一段落は先と同じく、全体が一字下げである。]

 中堀僖庵の萩の栞(天明四年再板)上の十一張裏に「いけこめの御陵とは大和國藥師(寺か)の後にあり、何れの御時にか采女御門の御別れを歎き生ながら籠りたる也」是は垂仁帝の世に土偶を以て人に代へ殉葬を止められたに拘らず、後代までも稀れに自ら進んで生埋にされた者が有つたのが史籍に洩れて傳說に存したと見える。所謂殉葬の内には御陵を堅むる爲めの人柱も有つたと察する。

 又そんな殘酷なことは上古蒙昧の世は知らず二三百年前に在つたと思はれぬなどいふ人も多からんが、家康公薨ずる二日前に三池典太の刀もて罪人を試さしめ、切味いとよしと聞いて自ら二三度振廻し、我此劍で永く子孫を護るべしと顏色いと好かつたといひ、コツクスの日記には、侍醫が公は老年故若者程速く病が癒らぬと答へたので、家康大に怒り其身を寸斷せしめたとある。試し切りは刀を人よりも尊んだ甚だ不條理且不人道なことが、百年前後迄もまゝ行はれたらしい。なほ木馬水牢石子詰め蛇責め貢米賃(是は領主が年貢未進の百姓の妻女を拉致して犯したので、英國にもやゝ似たことが十七世紀までも有つて、ペピース自ら行つたことが其日記に出づ)、其他確たる書史に書かねどどうも皆無で無かつたらしい殘酷なことは多々ある。三代將軍薨去の節諸候近臣數人殉死したなど虛說といひ黑め能はぬ。して見ると人柱が德川氏の世に全く行はれなんだは思はれぬ。

 

        

 こんな事が外國へ聞えては大きな國辱といふ人もあらんかなれど、そんな國辱はどの國にもある。西洋にも人柱が多く行はれ近頃まで其實跡少なくなかつたのは上に引いたベーリング・グールド其他の民俗學者が證明する。二三例を手當り次第列ねると、ロムルスが羅馬を創めた時ファスツルス、キンクチリウス二人を埋め大石を覆ふた。カルタゴ人はフヰレニ兄弟を國界に埋めて護國神とした。コルバム[やぶちゃん注:ママ。「コルムバ」が正しい。]尊者がスコツトランドのヨナに寺を立てた時、晝間仕上げた工事を每夜土地の神が壞すを防ぐとて弟子一人(オラン尊者)を生埋にした。去らば歐州が基督敎に化した後も人柱は依然行はれたので、此敎は一神を奉ずるから地神抔は薩張りもてなくなり、人を牲に供えて地神を慰めるてふ考へは追々人柱で土地の占領を確定し建築を堅固にして崩れ動かざらしむるてふ信念に變つたと、ベ氏は說いた。是に於て西洋には基督敎が行渡つてから人柱はすぐ跡を絕たなんだが之を行ふ信念は變つたと判る。思ふに東洋でも同樣の信念變遷が多少有つただらう。

 なほ基督敎一統後も歐州に人柱が行はれた二三の例を擧げれば、ヘンネベルグ舊城の壁額(レリーヴイング・アーチ)[やぶちゃん注:ルビではなく、本文。]には、重賞を受けた左官が自分の子を築き込んだ。其子を壁の内に置き菓子を與へ父が梯子に上り職工を指揮し、最後の一煉瓦で穴を塞ぐと子が泣いた。父忽ち自責の餘り梯子から落ちて頭を潰した。リエベンスタイン城も同樣で母が人柱として子を賣つた。壁が段々高く築き上らるゝと子が「かゝさんまだ見える」次に「かゝさん見えにくゝ成つた」最後に「かゝさんもうみえぬ」と叫んださうだ。アイフエルの一城には、若い娘を壁に築き込み穴一つあけ殘して死ぬまで食事を與へた。オルデンブルグのプレクス寺(無論基督敎の)を立てるに土臺固まらず、由て村吏川向ふの貧婦の子を買つて生埋にした。一六一五[やぶちゃん注:「年」の脱字。](大坂落城の元和元年)、オルデンブルグのギユンテル伯は堤防を築くに小兒を人柱にする處へ行合せ其子を救ひ、之を賣つた母は禁獄、買つた土方親方は大お目玉頂戴。然るに口碑には此伯自身の城の土臺へ一小兒を生埋にしたといふ。以上は英人が獨逸の人柱の例斗り書き集めた多くの内の四五例だが、獨人の書いたのを調べたら英佛等の例も多かろうが餘り面白からぬ事ゆえ是だけにする。兎に角歐州の方の人柱のやり方が日本よりも殘酷極まる。其歐人又其子孫たる米人が今度の唯一の例を引いて彼是れいはゞ、百步を以て五十步を責る者だ。

 

       [やぶちゃん注:「五」の誤り。以下、ずれたままで続いてしまっている。]

 英國で最も古い人柱の話は有名な術士メルリンの傳にある。此者は賀茂の別雷神同然、父なし子だつた。初め基督生まれて正法大に興らんとした際邪兇輩失業難を憂ひ相謀つて一の法敵を誕生せしめ大に邪道を張るに決し、英國の一富家に禍を降し、先づ母をして其獨り息子を鬼と罵らしめて眠中其子を殺すと、母は悔ひて縊死し、父も悲んで悶死した。跡に娘三人殘つた。其頃英國の法として私通した女を生埋し、若くは誰彼の別なく望みさへりや男の意に隨はしめた。邪鬼の誘惑で、姉娘先づ淫戒を犯し生埋され、次の娘も同樣の罪で多人の慰み物と成つた。季娘大に怖れて聖僧プレイスに救ひを求め、每夜祈禱し十字を畫いて寢よと敎へられた。暫く其通りして無事だつた處、一日隣人に勸められて飮酒し、醉つて其姉と鬪ひ自宅へ逃げ込んだが、心騷ぐまゝ祈禱せず十字も畫かず睡つた處を、好機會逸す可らずと邪魔に犯され孕んだ。斯くて生まれた男兒がメルリンで容貌優秀乍ら全身黑毛で被はれて居た。こんな怪しい父なし子を生んだは怪からぬ[やぶちゃん注:「南方熊楠選集 第四巻」底本の「人柱の話」でも同様。「普通でないどころではなく、とんでもないことだ!」という強調形慣用語であるが、文法的には誤りである。恐らくは打消の助動詞「ぬ」は怒髪した誰かが誤って添えてしまったものと思われており、余程、頭に来た誰彼が怒りに任せて対象を全否定するために「ぬ」を誤用付加してしまったのではないかと考えられているようである。現代の表記「怪しからん(!)」だと、その違和感は完全に減衰しており、文法的誤謬性は消えてしまっていて、我々も普通にそう言ってしまっている。]と其母を法廷へ引出し生埋の宣告をするとメルリン忽ち其母を辯護し、吾れ實は强勢の魔の子だが聖僧ブレイス之を豫知して生れ落ちた卽時に洗禮を行はれたから邪道を脫れた。予が人の種でない證據に過去現在未來のことを知悉し居り、此裁判官抔の如く自分の父の名さへ知らぬ者の及ぶ所でないと廣言したので、判官大に立腹した。メルリン去らば貴公の母を喚べと云ふので母を請じメを別室に延いてわれは誰の實子ぞと問ふと、此町の受持僧の子だ。貴公の母の夫だつた男爵が旅行中の一夜母が受持僧を引入て會ひ居る處へ夫が不意に還つて戶を敲いたので窓を開いて逃げさせた。其夜孕んだのが判官だ、是が虛言かと詰ると、判官の母暫く閉口の後ち實に其通りと告白した。そこで判官嚴しく其母を譴責して退廷せしめた跡で、メルリン曰く、今公の母は件の僧方へ往つた。僧は此事の露顯を慙ぢて直ちに橋から川へ飛入つて死ぬと。頓て其通りの成行きに吃驚して、判官大にメを尊敬し卽座に其母を放還した。其から五年後ブリトン王ヴヲルチガーンは自分は前王を弑して位を簒ふた者故いつどんな騷動が起るか知れぬとあつて、其防ぎにサリスベリー野に立つ高い丘に堅固な城を構へんと、工匠一萬五千人をして取掛らしめた。所が、幾度築いても其夜の間に壁が全く崩れる。因つて星占者を召して尋ねると、七年前に人の種でない男兒が生まれ居る。彼を殺して其血を土臺に濺いだら必ず成功すると言つた。隨つて英國中に使者を出してそんな男兒を求めしめると、其三人がメルリンが母と共に住む町で出會ふた。其時メルリンが他の小兒と遊び爭ふと一人の兒が、汝は誰の子と知れず、實は吾れ吾れを害せんとて魔が生んだ奴だと罵る。扨は是がお尋ね者と三人刀を拔いて立向ふと、メルリン叮嚀に挨拶し、公等の用向きは斯樣々々でせう、全く僕の血を濺いだつて城は固まらないと云ふ。三使大に驚き其母に逢ふて其神智の事共を聞いて彌よ呆れ請ふてメと同伴して王宮へ歸る。途上で更に驚き入つたは先づ市場で一靑年が履を買ふとて懸命に値を論ずるを見てメが大いに笑ふた。其譯を問ふに彼は其履を手に入れて自宅に入る前に死ぬ筈と云ふたが果して其如くだつた。翌日葬送の行列を見て又大に笑ふたから何故と、尋ねると比[やぶちゃん注:「此」の誤記か誤植。]死人は十歲計りの男兒で行列の先頭に僧が唄ひ後に老年の喪主が悲しみ往くが、此二人の役割が顚倒し居る。其兒實は其僧が喪主の妻に通じて產ませた者故可笑しいと述べた。由て死兒の母を嚴しく詰ると果して其通りだつた。三日目の午時頃途上に何事も無きに又大に笑ふたので仔細を質すと只今王宮に珍事が起つたから笑ふた、今の内大臣は美女が男裝した者と知らず、王后頻りに言寄れど從はぬから戀が妬みに變じ、彼れは妾を强辱しけたと讒言を信じ、大臣を捉えて早速絞殺の上支解せよと命じた所だ。だから公等のうち一人忙ぎ歸つて大臣の男たるか女たるかを檢査し其無罪を證しやられよ、而して是は僕の忠告に據つたと申されよと言ふた。一使早馬で駈付け王に勸めて、王の眼前で内大臣が女たるを檢出して之を助命したとあるから餘程露骨な檢査をしたらしい。扨是れ漸く七歲のメルリンの告げたところと云ふたので、王早く其兒に逢ふて城を固むる法を問はんと自ら出迎へてメを宮中に招き盛饌を供し、翌日伴ふて築城の場に至り夜になると必ず壁が崩るゝは合點行ぬといふに、其は此地底に赤白の二龍が凄み每夜鬪ふて地を震はすからと答へた。王乃ち深く其地を掘らしめると果して二つの龍が在り大戰爭を仕出し赤い方が敗死し白いのは消失せた。斯くて築城は功を奏したが王の意安んぜず。二龍の爭ひは何の兆ぞと問ふこと度重なりてメルリン是非なく、王が先王の二弟と戰ふて敗死する知らせと明して消え失せた。後果して城を攻落され王も后も焚死したと云ふ。(一八一一年版エリス著、初世英國律語體傳奇集例、卷一、二〇五―四三頁) 英國デヷオン州ホルスヲーシーの寺の壁を十五世紀に建てる時人柱を入れた。アイユランドにも圓塔下より人の骸骨を掘出したことがある。(大英百科全書、十一板、四卷七六二頁)

 

       [やぶちゃん注:既に述べた通り、「」の誤り。]

 一四六三年獨逸ノガツトの堰を直すに乞食を大醉させて埋め、一八四三年、同國ハルレに新橋を立てるに人民其下に小兒を生埋せうと望んだ。丁抹首都コツペンハーゲンの城壁每も崩れる故、椅子に無事の小兒を載せ玩具食品をやり他意なく食ひ遊ぶを、左官棟梁十二人して圓天井をかぶせ喧ましい奏樂紛れに壁に築き込んでから堅固と成つた。伊國のアルタ橋は繰返し落ちたから其大工棟梁の妻を築き込んだ。其時妻が咀[やぶちゃん注:「詛」の誤記か誤植。]ふて今に其橋花梗[やぶちゃん注:「くわこう」は「花柄」(かへい)のこと。花軸から分かれ出て、その先端に花をつける小さな枝を言う。]の如く動搖する。露國のスラヴエンスク黑死病で大に荒され、再建の節賢人の訓へに隨ひ、一朝日出前に人を八方に使して一番に出逢ふ者を捕へると小兒だつた。乃ち新砦の礎の下に生埋して之をヂエチネツ(小兒城)と改稱した。露國の小農共は每家ヌシあり、初めて其家を立てた祖先がなる處と信じ、由つて新たに立つ家の主人或は最初に新立の家に步みを入れた者がすぐ死すと信ず。蓋し古代よりの風として初立の家には其家族中の最も老いた者が一番に入るのだ。或る所では家を立て始める時斧を使ひ初める大工が或る鳥又は獸の名を呼ぶ。すると其畜生は速に死ぬといふ。その時大工に自分の名を呼ばれたらすぐ死なねばならぬから、小農共は大工を非常に慇懃に扱つて己の名を呼ばれぬやう力める。ブルガリアでは家を建てに掛るに通り掛つた人の影を糸で測り礎の下に其糸を埋める。其人は直ちに死ぬさうだ。但し人が通らねば一番に來合せた動物を測る。又人の代りに鷄や羊などを殺し其血を土臺に濺ぐこともある。セルヴヰアでは、都市を建てるに人又は人の影を壁に築き込むに非ざれば成功せず。影を築き込まれた人は必ず速かに死すと信じた。昔し其國王と二弟がスクタリ砦を立てた時晝間仕上げた工事を夜分鬼が壞して已まず。因つて相談して三人の妃の内一番に食事を工人に運び來る者を築き込まうと定めた。王と次弟は私かに之を洩らしたので其妃共病と稱して來たらず。末弟の妃は一向知ずに來たのを王と次弟が捕へて人柱に立てた。此妃乞ふて壁に穴を殘し、每日其兒を伴れ來らせて其穴から乳を呑せること十二ケ月にして死んだ。今に其壁より石灰を含んだ乳樣の水が滴るを婦女詣で拜む(タイラーの原始人文篇、二板一卷、一〇四―五頁。一八七二年板、ラルストンの露國民謠、一二六―八頁)。

 其からタイラーは人柱の代りに獨逸で空棺を、丁抹で羊や馬を生埋にし、希臘では礎を据えた後ち一番に通り掛つた人は年内に死ぬ、其禍を他に移さんとて左官が羊鷄を礎の上で殺す、ドイツの古話に橋を崩さずに立てさせくれたら渡り初る者をやらうと鬼を欺むき、橋成つて一番に鷄を渡らせたことを述べ、同國に家が新たに立つたら先づ猫か犬を入らしむるがよいといふ等の例を列ねある。日本にも甲子夜話五九に、「彥根侯の江戶邸は本と加藤淸正の邸で其千疊敷の天井に乘物を釣下げあり、人の開き見るを禁ず、或は云く淸正、妻の屍を容れてあり。或は云ふ、此中に妖怪居て時として内より戶を開くをみるに老婆の形なる者みゆと、數人の所話如是」と。是は獨逸で人柱の代りに空棺を埋めた如く、人屍の代りに葬式の乘物を釣下げて千疊敷のヌシとしたので有るまいか。同書卅卷に「世に云ふ姬路の城中にオサカベと云ふ妖魁あり、城中に年久しく住りと、或は云ふ、天守櫓の上層居て常に人の入るを嫌ふ、年に一度其城主のみ之に對面す。其餘は人懼れて登らず、城主對面する時、姥其形を現はすに老婆也と云ひ傳ふ。(中略)姬路に一宿せし時宿主に問ふに成程城中に左樣の事も侍り、此所にてハツテンドウと申す。オサカベとは言ず、天守櫓の脇に此祠ありて其の神に事うる社僧あり、城主も尊仰せらると。」老媼茶話に加藤明成猪苗代城代として堀部主膳を置く、寬永十七年極月主膳獨り座敷に在るに禿一人現じ、汝久しく在城すれど今に此城主に謁せず、急ぎ身を淨め上下を著し敬んで御目見えすべしといふ。主膳此城主は主人明成で城代は予なり、外に城主ある筈無しと叱る。禿笑ふて、姬路のオサカベ姬と猪苗代の龜姬を知らずや汝命數既に盡たりと云ひ消失す。翌年元朝主膳諸士の拜禮を受けんとて上下を著し廣間へ出ると、上段に新しい棺桶があり其側に葬具を揃えあり、其夕大勢餅をつく音がする。正月十八日主膳厠中より煩ひ付き廿日の曉に死す。其夏柴崎といふ士七尺許りの大入道を切るに古い大ムジナだつた。爾來怪事絕えたと載せ、又姬路城主松平義俊の兒小姓森田圖書十四歲で傍輩と賭してボンボリを燈し、天守の七階目へ上り三十四五のいかにも氣高き女十二一重をきて讀書するを見、仔細を話すと、爰迄確かに登つた印にとて兜のシコロをくれた。持つて下るに三階目で大入道に火を吹消され又取つて歸し、彼女に火をつけ貰ひ歸つた話を出す。此氣高き女乃ちオサカベ姬で有らう。嬉遊笑覽などをみると、オサカベは狐で時々惡戲をして人を騷がせたらしい。扨ラルストン說に露國の家のヌシ(ドモヴヲイ)は屢々家主の形を現じ其家を經濟的によく取締り、吉凶ある每に之を知らすが又屢ば惡戲をなすと。而して家や城を建てる時牲にされた人畜がヌシになるのだ。類推するに龜姬オサカベ等も人柱に立てられた女の靈が城のヌシに成つたので後ちに狐狢と混同されたのだらう。又予の幼時和歌山に橋本てふ士族あり、其家の屋根に白くされた馬の髑髏が有つた。昔し祖先が敵に殺されたと聞き其妻長刀を持つて驅付たが敵見えず、せめてもの腹癒せに敵の馬を刎ね其首を持ち歸つて置いたと聞いた。然し、柳田君の山島民譚集一に馬の髑髏を柱に懸けて鎭宅除災の爲めにし又家の入口に立てゝ魔除とする等の例を擧げたのを見ると、橋本氏のも丁抹で馬を生埋する如く家のヌシとして其靈が家を衞りくれるとの信念よりしたと考へらる。柳田君が遠州相良邊の崖の橫穴に石塔と共に安置した馬の髑髏などは、馬の生埋めの遺風で、其崖を崩れざらしむる爲に置いた物と惟ふ。

 予は餘り知らぬ事だが、本邦でも上述の英國のパウリーや露國のドモヴヲイに似た奧州のザシキワラシ、三河、遠江のザシキ小僧、四國の赤シヤグマ等の怪がある。家の仕事を助け、人を威し、吉凶を豫示し、時々惡戲をなすなど歐州の所傳に異ならぬ。是等悉く人柱に立てた者の靈にも非ざるべきが、中には昔し新築の家を堅めんと牲殺された者の靈も多少あることと思ふ。飛驒紀伊其他に老人を棄殺した故蹟が有つたり、京都近くに近年迄夥しく赤子を壓殺した墓地が有つたり、日本紀に歷然と大化新政の詔を載せた内に、其頃迄も人が死んだ時自ら縊死して殉し又他人を絞殺し又强ひて死人の馬を殉殺しとあれば垂仁帝が殉死を禁じた令も洵く[やぶちゃん注:恐らく「洽」「浹」の誤記か誤植で、「あまねく」である。]行はれなんだのだ。扨信濃國では妻が死んだ夫に殉ずる風が行はれたといふ。久米邦武博士(日本古代史、八五五頁)も云はれた通り、其頃地方の殊俗は國史に記すこと稀なれば尋ぬるに由なきも、奴婢賤民の多い地方には人權乏しい男女小兒を家の土臺に埋めたことは必ず有るべく、其靈を其家のヌシとしたがザシキワラシ等として殘つたと惟はる。ザシキワラシ等のことは大正十三年六月の人類學雜誌佐々木喜善氏の話、又柳田氏の遠野物語等にみゆ。

 

 數年前の大阪每日紙で、曾て御前で國書を進講した京都の猪熊先生の宅には由來の知れぬ婦人が時々現はれ、新來の下女などは之を家内の一人と心得ることありと讀んだ。沈香も屁もたきもひりもしないでたゞ現はれるだけらしいが、是も其家のヌシの傳を失した者だらう。其から甲子夜話二二に大阪城内に明ずの間あり、落城の時婦女自害せしより一度も開かず之に入り若くは其前の廊下に臥す者怪異に逢ふと。叡山行林院に兒がやとて開かざる室あり之を開く者死すと(柳原紀光の閑窓自語)。昔し稚兒が寃死した室らしい。歐州や西亞にも、佛語で所謂ウーブリエツトが中世の城や大家に多く、地底の密室に人を押籠め又陷れて自ら死せしめた。現に其家に棲んで全く氣付かぬ程巧みに設けたのもあると云ふ(バートンの千一夜譚二二七夜譚注)。人柱と一寸似たこと故書添へ置く。

 又人柱でなく、刑罰として罪人を壁に築き込むのがある。一六七六年巴里板、タヴエルニエーの波斯紀行一卷六一六頁に盜人の體を四つの小壁で詰め頭だけ出してお慈悲に煙草をやり死ぬ迄すて置く、其切願のまゝ通行人が首を刎ねやるを禁ず、又罪人を裸で立たせ四つの壁で圍ひ頭から漆喰ひを流しかけ堅まる儘に息も泣くこともできずに惱死せしむと。佛國のマルセルス尊者は腰迄埋めて三日晒されて殉殺したと聞くが頭から塗り籠められたと聞かぬと、一六二二年に斯る刑死の壁を見てピエトロ・デラワレが書いた。

 嬉遊笑覽卷一上に、「東雅に、南都に往て僧寺のムロと云ふ物をみしかど上世に室と云し物の制ともみえず、本是れ僧寺の制なるが故なるべしと云ふは非也、そは宮室に成ての製也、上世の遺跡は今も古き窖の殘りたるが九州などには有ると云へり。彼の土蜘蛛と云し者などの住みたる處なべしとかや、近くは鎌倉に殊に多く、是亦上世の遺風なるべし、農民の物を入れおく處に掘たるも多く、又墓穴もあり、土俗是れをヤグラと云ふ。日本紀に兵庫をヤグラと讀るは、箭を納る處なれば也、是は其義には非ず谷倉の義なるべし。因て塚穴をもなべていふ。實朝公の墓穴には岩に彫物ある故に繪かきやぐらといふ。又囚人を籠るにも用ひし迚、大塔の宮を始め景、唐糸等が古跡あり(下略)」紀州東牟婁郡に矢倉明神の社多し。方言に山の嶮峻なるを倉といふ。諸莊に嶮峻の巖山に祭れる神を矢倉明神と稱すること多し。大抵は皆な巖の靈を祭れるにて別に社がない。矢倉のヤは伊波の約にて巖倉の義ならむとは紀伊續風土記八一の說だ。唐糸草紙に、唐糸の前賴朝を刺んとして捕はれ石牢に入れられたとあれば、谷倉よりは岩倉の方が正義かも知れぬ。孰れにしても此ヤグラは櫓と同訓ながら別物だ。景淸や唐糸がヤグラに囚はれたとあるより、早計にも二物を混じて、二重櫓の下に囚はれ居た罪人の骸骨が出たなど斷定する人もあらうかと豫め辯じ置く。

 

2023/07/28

怪異前席夜話 正規表現版・オリジナル注附 巻之二 「二囘 狐鬼 下」(巻之二は本篇のみ)

[やぶちゃん注:「怪異前席夜話(くわいいぜんせきやわ)」は全五巻の江戸の初期読本の怪談集で、「叙」の最後に寛政二年春正月(グレゴリオ暦一七九〇年二月十四日~三月十五日相当)のクレジットが記されてある(第十一代徳川家斉の治世)。版元は江戸の麹町貝坂角(こうじまちかいざかかど)の三崎屋清吉(「叙」の中の「文榮堂」がそれ)が主板元であったらしい(後述する加工データ本の「解題」に拠った)。作者は「叙」末にある「反古斉」(ほぐさい)であるが、人物は未詳である。

 底本は早稲田大学図書館「古典総合データベース」の同初版本の画像を視認した。但し、加工データとして二〇〇〇年十月国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』の「初期江戸読本怪談集」所収の近藤瑞木(みづき)氏の校訂になるもの(玉川大学図書館蔵本)を、OCRで読み込み、使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 なるべく表記字に則って起こすが、正字か異体字か、判断に迷ったものは、正字を使用した。漢字の読みは、多く附されてあるが、読みが振れると思われるものと、不審な箇所にのみ限って示すこととした。逆に、必要と私が判断した読みのない字には《 》で歴史的仮名遣で推定の読みを添えた。ママ注記は歴史的仮名遣の誤りが甚だ多く、五月蠅いので、下付けにした。さらに、読み易さを考え、句読点や記号等は自在に附し、オリジナル注は文中或いは段落及び作品末に附し、段落を成形した。踊り字「〱」「〲」は生理的に厭なため、正字或いは繰り返し記号に代えた。

 また、本書には挿絵があるが、底本のそれは使用許可を申請する必要があるので、単独画像へのリンクに留め、代わりに、この「初期江戸読本怪談集」所収の挿絵をトリミング補正・合成をして、適切と思われる箇所に挿入することとした。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。

 なお、本話は「巻之一」の「二囘 狐精鬼靈寃情を訴ふる話」の続篇であるので、そちらを読まれていない方は、まず、そちらから読まれたい。

 

 怪異前席夜話  二

 

怪異前席夜話巻之二

   〇狐鬼(こき) 下

 斯面(かくて)つく[やぶちゃん注:ママ。「次ぐ」。翌日。]の夕べ、蘭(らん)は藥(くすり)を携へきたりて、暁(さとあき)明に、すゝむ。

 暁明、その時、戲(たわむれ[やぶちゃん注:ママ。])て云(いゝ[やぶちゃん注:ママ。])けるは、[やぶちゃん注:前回分で述べたが、「携」は異体字のこれ(「グリフウィキ」)であるが、表示出来ないので、かく、した。以下も同じ。]

「汝を、『きつねなり。』といふ人あり。我は信にせずといへとも[やぶちゃん注:ママ。]、傳へきく、『狐は、人を惑(まどは)するものにて、その人、かならす[やぶちゃん注:ママ。]、命(めい)を失ふ。』といへり。こゝにおゐて、少しく、おそれなきにあらず。」

 蘭、是を聞(きゝ)て、忽(たちまち)おとろき[やぶちゃん注:ママ。]

「何人《なんびと》か、我を、きつねと、いふしや。」

と問《とふ》。

 暁明、うち笑ひて、「是や、わか[やぶちゃん注:ママ。]一時の戲言(たはむれ)なり。」

 蘭[やぶちゃん注:ママ。]か、いわく、

「狐は、人を惑せども、人の命を害する事、なし。人を害するは、鬼霊(きれい)にて候覽(《さふらふ》らん。今、妾(せう)か[やぶちゃん注:ママ。]來(きた)るを知(しり)て、背後(かげ[やぶちゃん注:蔭。])にて、そしるものありと、覺ゆ。君、包まずして語りたまへ。」

 暁明、なを[やぶちゃん注:ママ。]、笑(わらつ[やぶちゃん注:ママ。])て、こたへず。

 蘭は、いよいよ責(せめ)て問。

 全方(せんかた)[やぶちゃん注:ママ。「詮方」。]なく、終(つい[やぶちゃん注:ママ。])に白露か[やぶちゃん注:ママ。]ことを語りしかは[やぶちゃん注:ママ。]、蘭、大《おほき》に、おとろき[やぶちゃん注:ママ。]

「あれは、もとより、君の顏色(かんしよく[やぶちゃん注:ママ。])、憔悴(おとろへ)給ふを不思儀なりと覺へ[やぶちゃん注:ママ。]しに、偖社(さてこそ)、君を蠱惑(まどわす[やぶちゃん注:ママ。])もの有《あり》けるよ。是、定《さだめ》て、人間に、あらじ。妾、しばらく、身を匿(かく)すべき間《あひだ》、きみ、かれを、まねき、密(ひそか)に、妾に窺(うかゝわ[やぶちゃん注:ママ。])せたまゑ[やぶちゃん注:ママ。]。その邪正(じやせい)を监定(めきゝ)すべし。」[やぶちゃん注:「监」「鑑」の異体字。]

と、おくの方にいりて、身を隱し居《を》るに、暁明、やかて[やぶちゃん注:ママ。]、かの練絹(ねりきぬ)を、とり出して、手に弄(らう)すると斉(ひと)しく、白露、戶外(そと)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]に來り、伺ふ。

 暁明、その手を携へて、坐敷に俦(ともな)ひ入(いり)、つねのことく[やぶちゃん注:ママ。]、もの語りするに、白露、よろこふ[やぶちゃん注:ママ。]氣(け)しきなく、いふけるは、[やぶちゃん注:俦「儔」(ここは「伴う」の意)の異体字。]

「君、すてに野狐(やこ)を愛し給ふ。妾、まことを盡(つく)すとも、ついに[やぶちゃん注:ママ。]秋の扇(おふき[やぶちゃん注:ママ。])と、すてられ、婕妤(しやうよ[やぶちゃん注:ママ。]「せふよ」が正しい。)が怨(うらみ)を懷(いだか)んのみ。」[やぶちゃん注:後半部は、班婕妤(はんしょうよ)の故事。班婕妤(班女とも呼ぶ)は前漢の女官(婕妤は女官の階級名)。成帝に仕えたが、寵を趙飛燕姉妹に奪われ、その後は退いて、太后に仕えた。君寵の衰えた我が身を秋の扇に喩えて作ったとされる「文選」所収の「怨歌行」、別名「団扇歌」は、その時の悲しみを歌ったものされ(但し、擬作とされている)、男の愛を失った女の喩えとして「秋の扇」という故事成句が出来た。]

抔(な)ど、言葉の終らざるうちに、奧のかたにて、咳嗽(しばふき[やぶちゃん注:ママ。])の声、しきりに聞へけれは[やぶちゃん注:ママ。]、しら露、遽(あわ)てる風情にて、

「君か[やぶちゃん注:ママ。]斉中[やぶちゃん注:以前にも出たが、「書斎の中」(実際には書斎を中心とした屋敷の意)。]は、外(ほか)に人ありと覺へたり。妾は、いそき[やぶちゃん注:ママ。]、歸らん。」

とて、

「ずつ」

と、はしり出《いで》て去る。

[やぶちゃん注:「咳嗽」通常、「しはぶき」と訓ずる。ここは、「わざと咳(せき)をすること・咳払い」の意。

「遽」の字は底本では異体字のこれ(「グリフウィキ」)だが、表示出来ないので、通用字とした。]

 此時、蘭、奧より出來《いできた》りけれは[やぶちゃん注:ママ。]、暁明か[やぶちゃん注:ママ。]、いふ。

「汝は、今の、白露を、見しや。」

と聞《きこえ》けれは[やぶちゃん注:ママ。]、蘭、ため息して、

「扨々(さてさて)、危(あやふ)き事かな。君か[やぶちゃん注:ママ。]命、風前(ふうぜん)の燈火(ともしび)、日かけ[やぶちゃん注:ママ。「日蔭」。]まつ間《ま》の蜉蝣(かけろう[やぶちゃん注:ママ。「かげろふ」。以上は、カゲロウ類が朝に生まれて夕べに死ぬとされたことから。但し、実際の同類や「カゲロウ」という和名を持つ複数の全くの別種類は(私の「橋本多佳子 生前句集及び遺稿句集「命終」未収録作品(23) 昭和二十三(一九四八)年 百十七句」の「薄翅かげろふ墜ちて活字に透きとほり」の句の注を参照されたい)、実際には成虫の寿命はもっと短い種(最短では一~二時間)さえある。])のことし[やぶちゃん注:ママ。]。妾、今、かれを伺ふに人間にあらず。既に此世を秋風(あきかぜ)の、芒(すゝき)生出(おひ《で》)る斗《ばかり》なり。髑髏(されかうべ)にては候也。君、かれを、親しみ給ふときは、ついに、病、膏肓(かうかう[やぶちゃん注:ママ。「かうくわう」が正しい。])に入《いり》、䐡(ほぞ)[やぶちゃん注:「臍」の異体字。]を噬(かむ)とも益(ゑき[やぶちゃん注:ママ。])なからん。願《ねがは》くは、此後(《この》のち)、かれと恩愛の情を割(さき)、ふたたび近づけ給ふな。」

といふに、暁明、笑《わらひ》て云《いひ》けるは、

「あのことき[やぶちゃん注:ママ。]淑女(たをやめ)、何をもつて髑髏とは、いふぞ。また、我病《わがやまひ》は、曽(かつ)て、なし。汝、さほどに、ねたみ給ふな。」

と、正色(まかほ)になりて、蘭に語れは[やぶちゃん注:ママ。]

「妾は、緣ありてこそ、同床(《おなじ》とこ)の恩を受(うけ)、君(きみ)の危きを見るに、うち捨(すて)もいかゝ[やぶちゃん注:ママ。]と、拯(すく)ひ參らせんとすれば、終(つい[やぶちゃん注:ママ。])に、金言(きんけん[やぶちゃん注:ママ。])、耳にさからひ、却(かへつ)て嫉妬の名を、かうむる。悲しいかな、傷ましいかな。是より永く、訣(わk)れ參らせん。」

と、淚を流し、出行《いでゆ》けり。

 暁明、あわてゝ留《とどめ》んとせしか[やぶちゃん注:ママ。]、はやくも、姿は、見へさり[やぶちゃん注:ママ。]けり。

 独(ひとり)殘りし暁明は、ぼう然として居《をり》けるに、

「よしや、芳野の[やぶちゃん注:底本では「の」は踊り字「ゝ」であるが、躓くので、かく、した。]中(なか)絕(たへ[やぶちゃん注:ママ。])て、妹背(いもせ)の山は隔(へだ)つとも、爰(こゝ)にも人のありけり。」

と、又、練絹を手に取れは[やぶちゃん注:ママ。]、白露、ふたゝひ[やぶちゃん注:ママ。]來りたり。

 暁明、やかて[やぶちゃん注:ママ。]、かき抱き、

「我、汝を愛する事、璧(たま)のことしといへとも[やぶちゃん注:ママ。]、汝を、『髑髏なり。』と、いふもの、あり。少しく、疑(うたがひ)、なきに、あらず。」

と、いふけれは[やぶちゃん注:総てママ。]、白露、愕(おどろ)く面色(めんしよく)にて、淚を流し、

「是、察するに、野狐の精(せい)か。君と妾《せう》との恩愛を、嫉妒《しつと》[やぶちゃん注:「妒」は「妬」の異体字。]する心より、谗言(そらごと)[やぶちゃん注:「谗」は「讒」の異体字。]せしならん。もし、かれか[やぶちゃん注:ママ。]言葉を、誠とし給わゝ[やぶちゃん注:総てママ。「給はば」。]、妾は、ふたゝび、來るまし[やぶちゃん注:ママ。]。」

と、暁明か[やぶちゃん注:ママ。]ひざにうち倒れて、暗々(さめさめ[やぶちゃん注:ママ。後半は踊り字「〱」。])と泣(なく)すがた、正(まさ)に是こそ、昨夜、春風(しゆんふう)、惡(あし)く、桃李の花(はな)の散(ちり)なんとする粧(よそほひ)。

 暁明、心地(こゝち)まとひ、百計(とかふ[やぶちゃん注:ママ。副詞「とかく(兎角)」の変化した「とかう」の当て字・当て訓。「あれやこれや」の意。])慰め、

「今のこと葉は、戲《たはむれ》ぞかし。必、心に介(かけ)給ひぞ[やぶちゃん注:総てママ。「そ」でないと意味が通じない。]。」

と、是より、いやましの愛着(あいぢやく)、片時(へんし)の間(ま)も側(そば)を去(さら)しめず、昼夜(ちうや)、偕老同穴(かいらう《どう》けつ)のちかひは、いふもくたくたし[やぶちゃん注:総てママ。底本では後半の「くた」は踊り字「〱」。「くだくだし」。]

 かくて一月ほども過(すぐ)るに、暁明、ふと、病(やまひ)を得、身体、大《おほい》に困頓(くるしみ)、漸々(せんせん[やぶちゃん注:ママ。]底本では後半は踊り字「〱」。)に重(おも)るほどに、終(つい[やぶちゃん注:ママ。])に、水も、咽(のど)に、くだらす[やぶちゃん注:ママ。]、粒類(ごく[やぶちゃん注:ママ。]《るゐ》)を食(くう[やぶちゃん注:ママ。])に、たちまち、呕出[やぶちゃん注:「呕」は「嘔」の異体字。但し、底本では、(つくり)の「区」の明いている右部分にもしっかり縦画があり、誤刻と思われる。]し、形(かたち)、甚《はなは》た[やぶちゃん注:ママ。]おとろへ、一絲(ひとすじ[やぶちゃん注:ママ。])の息(いき)は通(かよ)へども、精神、恍惚として、日《ひ》に、幾度(いくど)か、死し[やぶちゃん注:失神・気絶の意。]、また、甦(よみがへ)る。

 苦しきなかにも、白露か[やぶちゃん注:ママ。]、側《そば》に在(ある)を知つて、長嘆して、云けるは、

「我、悔(くへ[やぶちゃん注:ママ。])らくは、蘭か[やぶちゃん注:ママ。]詞を用ひず、命(いのち)、旦夕(たんせき)に、せまりける。」

 白露、是を聞(きゝ)て、抑首(うつむき)て、更に、詞(ことば)、なし。

 暁明、今は、せん方なく、

「嗚呼(あゝ)、苦しいかな。」

と叫ひしか[やぶちゃん注:総てママ。]、忽(たちまち)に、目を瞑(ふさ)き[やぶちゃん注:ママ。]、やゝありて、蘇生(そせい)し、あたりを見れば、白露は、いつ地(ぢ)[やぶちゃん注:ママ。]へ行(ゆき)けん、姿は、見ヘず。

 暁明、いよいよ、後悔する所に、戶外(そと)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]に、人、來《きた》るあり、声、低(ひきゝ[やぶちゃん注:ママ。])いふは、

「郞君(きみ)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]、妾(せう)か[やぶちゃん注:ママ。]詞《ことば》、今こそ、思ひ知らせ給はん。」

といふ。

 その声、正(まさ)しく蘭なれは[やぶちゃん注:ママ。]、暁明、あるひ[やぶちゃん注:ママ。]は、よろこび、或は、悲しみ、起(おき)んとすれども、身體(しんたい)重くて、心にまかせねは[やぶちゃん注:ママ。]、苦しき息をつぎて云《いふ》。

「我、汝に負(そむ)きたり。願くは、日頃の契り、空(むなし)うせず、命をすくひ得させよかし。」

 蘭、答《こたへ》ていふは、

「君か[やぶちゃん注:ママ。]病ひ、たとへ、扁藉(へんじやく[やぶちゃん注:ママ。「へんしゃ」が正しいか。ただ、この熟語、意味不明である。])、再生すとも、施すべき術《すべ》あらんや。妾、一旦、別れ參らせぬれども、日頃の夫妻の情(じやう)、忘れがたく、いとま乞(こひ)を爲(す)べきためにこそ、假(かり)に、再(ふたゝ)ひ[やぶちゃん注:ママ。]見(まみゆ)るなり。」

 暁明、是を聞(きゝ)て、大に悲しみ、泪(なみだ)、漣如(はらはら)として、床の下より、一疋の練絹、とり出《いだ》し、

「只、恨めしきは、此《この》物件(もの)なり。われに代り、引(ひき)さき捨(すて)よ。」

と投出(なげ《いだ》)すを、蘭、とりあけて[やぶちゃん注:ママ。]、燈(あかり)の下におゐて[やぶちゃん注:ママ。]、よくよく見るに、白露、斎の戶を、押明(おしあけ)、入り來りしか[やぶちゃん注:ママ。]、蘭か[やぶちゃん注:ママ。]居《をり》たるを見、急に、迯(にけ[やぶちゃん注:ママ。])いださんとするを、蘭、走り出《いで》、抱《いだ》きとめ、暁明か[やぶちゃん注:ママ。]まくらもとに、引來《ひききた》る。

 

Koki1

[やぶちゃん注:底本の大型画像はここ。] 

 

 暁明、恨(うら)める顏色(かんしよく[やぶちゃん注:ママ。])にて、

「わか[やぶちゃん注:ママ。]今日の危きに至るは、みな、汝か[やぶちゃん注:ママ。]所爲(なすところ)ぞかし。しかるに、我を捨行(すて《ゆき》し薄情(はくじやう)、うらみても、猶、うらめしけれ。」

 白露、是を聞《きき》、いわんとすれとも[やぶちゃん注:総てママ。]、むね、せまり、声さへ、出《いで》す[やぶちゃん注:ママ。]して、ひたふるに、雨の淚にむせへ[やぶちゃん注:ママ。]ば、蘭、笑《わらひ》て、いわく、

「今日《けふ》、始(はじめ)て、妻妾(さいせう)、相見(たいめん[やぶちゃん注:「對面」の当て訓。])する事を得たり。聞《きき》しに勝(すぐ)れる、美人。われ、女(おんな[やぶちゃん注:ママ。])なれども、猶、憐(いとおし[やぶちゃん注:ママ。])む。いかに、况(いはん)や、男子たるもの、迷ひ玉へるも理(ことは[やぶちゃん注:ママ。])りぞかし。抑(そもそも)、御身は、いかなるものぞ。來歷を、くわしく語り給へ。」

 しら露、淚を揮(ぬぐふ)て、いわく[やぶちゃん注:ママ。]

「妾、何をか、包むべき。誠は陽間(このよ)の人に、あらず。東邑(ひかし[やぶちゃん注:ママ。]むら)の庄屋、兒玉何某(こたま《なに》がし)が女《むすめ》なり。幼き時、父母を、うしなひ、伯母なるものに育(やしなは)れ、今年、十六歲の春、梢(こづへ[やぶちゃん注:総てママ。「こずゑ」が正しい。])の花と、ちり行《ゆき》し身のうへ、語り侍らんあいだ[やぶちゃん注:ママ。]、聞《きき》て、憐み給へかし。妾か[やぶちゃん注:ママ。]隣家、棟を連ね、壁を隔てゝ、日下部左近(くさかべ《さこん》)と云もの、住(すめ)り。平生(へいぜい)、妾か[やぶちゃん注:ママ。]容色を愛(あいし)、或夜、伯母の留守を考(かんかへ[やぶちゃん注:ママ。])て、密(ひそか)に來りて、非道を行わん[やぶちゃん注:ママ。]とす。妾(せう)は、『人ならぬものに、身を汚(けが)さじ。』と、あへて從わず[やぶちゃん注:ママ。]、却(かへつ)て、罵(のゝし)り辱(はじ[やぶちゃん注:ママ。])しめければ、左近、大《おほい》に怒り、情なくも、妾を縱死(くひり[やぶちゃん注:ママ。]ころ)し、後(うしろ)の堤(つゝみ)の下に持行(もち《ゆき》》、深く埋(うづ)みて、去《さり》けり。その夜は、風雨、烈しくて、更に人の知る事なけれは、妾か[やぶちゃん注:ママ。]拄死(わうし)の寃(うらみ)をは[やぶちゃん注:ママ。]、訴(うつたへ)なん所なく、魂魄、終(つい[やぶちゃん注:ママ。])に消散せず、堤の邊りをはなれやらず。死したる時のすかた[やぶちゃん注:ママ。]にて、恥を世に揚(あげ)むとせし所に、君か[やぶちゃん注:ママ。]ふかき惠みを被(かふむ)り、妾か[やぶちゃん注:ママ。]首(くび)に纏(まとひ)たる、練絹を、とき玉わりし故、冥路(めいろ)の苦しみ、やゝ輕く、仍(なを[やぶちゃん注:ママ。])も、君を、たのみまいらせ、仇(あた[やぶちゃん注:ママ。])を報わん[やぶちゃん注:ママ。]爲《ため》、苟旦(かりそめ)の綢繆(ちきり[やぶちゃん注:ママ。])をなしぬ。此練絹こそ、妾か[やぶちゃん注:ママ。]此世の命を斷(たち)たる怨(うらみ)のきづな。人の、手にふるゝ時は、陽間(このよ)へ引《ひか》れ來て、姿を顯(あらは)し侍《はべら》ふ也。然るに、君との愛着《あいぢやく》、夜々《よよ》ことに[やぶちゃん注:ママ。「每(ごと)に」であろう。]加《まさ》り、うらみも、仇も、うちわすれ、云出《いひいだ》すべき心なく、月日を空しく過《すぐ》るうち、君、妾《せう》故《ゆゑ》に、重き病を受(うけ)給ふ。ちきり[やぶちゃん注:ママ。]し初(はじめ)、おもひきや、君、かく成果(《なり》はて)玉わん[やぶちゃん注:ママ。]とは。今は悔(くやみ)ても、あまりあり。願くは、御身、霊藥(れいやく)を用(もちひ)、君のいのちを、すくひ、妾か[やぶちゃん注:ママ。]幽冥の罪(つみ)を重ねずは、此恩、深く、感ずべし。」

と。

 亦、暁明に、うちむかひ、

「今こそ、君上(きみうへ)、永く訣(わか)れん。君、必《かならず》、藥(くすり)をふくし、御身を保ちたまへかし。」

と、紅淚、千行(《せん》かう)す、と、見えし姿は、失《うせ》て、練絹のみ、坐敷に殘り留《とどま》りぬ。

 暁明、始て、大におとろき[やぶちゃん注:ママ。]、あきれはてゝぞ、居《ゐ》たりける。

 蘭か[やぶちゃん注:ママ。]また、暁明に向《むかひ》ていわく、

「今は、何を包み申さん。妾《せう》も、是、人間にあらず。南山(なんざん)に年を厯(へ)て[やぶちゃん注:「厯」は「歷」の異体字。]、子孫、あまたもちたる狐にて、さむろふ[やぶちゃん注:ママ。]。此たひ[やぶちゃん注:ママ。]、人、ありて、府尹(ぶぎやう[やぶちゃん注:前編の冒頭に出た通り、「奉行」の当て訓。])に訟(うつた)へ、『南山を切(きり)ひらいて、墾(あらきばり[やぶちゃん注:新たに開墾することを言う。])して、新田とせば、大《おほい》なる民の利なり。』と、いふによつて、府尹、是に隨わん[やぶちゃん注:ママ。]とす。かくては、我か[やぶちゃん注:ママ。]すむ窟穴(ほらあな)、杲發(ほりあば)かれて、わが子孫も盡《ことごと》く殺されるの、悲しく、此事を止むべき人、君(きみ)ならであらし[やぶちゃん注:ママ。]と、假(かり)に人身《じんしん》に変(へん)し[やぶちゃん注:ママ。]、一夜は、東西に行《ゆき》て、食を求め、子孫の狐を、やしなひ、一夜は、來りて、君とかたらひ、かくまて[やぶちゃん注:ママ。]親しみ參らせぬ。然るに、君、今、重き病を得給ふ故、もし、死したまひなば、妾か[やぶちゃん注:ママ。]願《ねがひ》、果(はた)さゝる[やぶちゃん注:ママ。]事の悲しさに、凡《およそ》、日本六十八州の深山・幽谷[やぶちゃん注:底本では「幽」はこれ(「グリフウィキ」)であるが、表示出来ないので通用字で示した。]に、いたらぬくまもなく、あしにまかせて、奔走し、辛労(しんろう[やぶちゃん注:ママ。])して、やうやう、仙人石室(《せんにん》せきしつ)の霊薬(れいやく)を採得(とり《え》)、持來(もちきた)りはべる。是、見給へ。」[やぶちゃん注:「仙人石室の」深山の仙人が隠し部屋である石室に封じた秘密の仙薬。]

と、袖のうちより一包《いつぱう》の藥を出《いだ》し、また、云けるは、

「我か[やぶちゃん注:ママ。]本身《ほんしん》を語りし上は、暫くも留《とどま》るへき[やぶちゃん注:ママ。]にあらず。今は、まことに、別れ參らせん。願くは、君、此藥をふくし、病(やまひ)癒(いへ)給ふの後(のち)、妾《せう》か[やぶちゃん注:ママ。]ため、左擔(せわ[やぶちゃん注:「世話」の当て訓。])のちからを勞し、南山墾田(こんでん)の事を、止(や)め給わゝ[やぶちゃん注:ママ。]、生々(せいせい)の大恩、何事か、是に過(すぎ)ん。われ、君か[やぶちゃん注:ママ。]子孫の、冨貴長壽(ふうきてう[やぶちゃん注:ママ。]じゆ)ならん事を誓ひ候半《さふらはん》。」

と、云終(いひおわ[やぶちゃん注:ママ。])りて、立《たち》あかりしが、さすがに、恩愛、捨がたきにや、戀々(れんれん)として顧盼(ふりかへりて)、佇立(たゝずみ)て、泣居(なき《をり》)ける。

 暁明は、

「狐狸は、おろか、豺狼(さいらう)[やぶちゃん注:野犬やオオカミ。]の変化(へんげ)なりとも、かく迄、情(じやう)の深かりし、いもせのちかひ、此侭(このまゝ)に、いかてか[やぶちゃん注:ママ。]捨ん。」

と、起出(おき《いで》)て、引(ひき)とめんとするに、蘭か[やぶちゃん注:ママ。]すがたは、はや、見えず。

 暁明、跌足(すりあし)して、泣(なく)といへども、爲方(せんかた)なく、屹(きつと)、心を定めて云《いふ》。

「此うへは、わかいのちを全ふし、渠(かれ)か[やぶちゃん注:ママ。]望(のぞみ)を果(はた)し得《え》させ、日頃のよしみを、報ぜん。」

と、枕の上にありける薬をとり、自(みづか)ら煎じ、腹[やぶちゃん注:ママ。](ふく)するに、精神、忽(たちまち)、爽(さはやか)になり、日を經て、終(つい[やぶちゃん注:ママ。])に本復(ほんぶく)す。

 こゝに於て、長崎の尹(いん)、何某邸(《なに》がしやしき)に行(ゆき)、

「かゝる不側(ふしぎ[やぶちゃん注:「不思議」の当て訓。])の事、侍りき。」

と、始《はじめ》より終り迄、一々、語り、

「南山新田開發の事、何とぞ、止(や)め給われ[やぶちゃん注:ママ。]。」

と、悲しみ、訴ふ。

 尹、おどろきて、

「奇異の事。」

とし、

「此度(《この》たび)、墾田(こんでん)の事を、ひそかに、我に、すゝむるもの、ありといへとも[やぶちゃん注:ママ。]、いまた[やぶちゃん注:ママ。]、他人、知るもの、なし。然るに、足下(そつか)、これを、いふ。是、霊狐(れいこ)の告(つぐ)る所、疑ふべきにあらず。心やすくおもひ給へ。此事を止めん。」

と、則(すなはち)、かの苦首(そしやうふん)[やぶちゃん注:「初期江戸読本怪談集」の本文(読みは「そしやうぶん」とある)では、「苦」の左に『(告)』と補訂注がある。「告首」は進言した当の本人の意であろう。後に示す挿絵では、月代を剃らず、ぼさぼさの頭であるから、姓もあればこそ、所謂、浪人者のようには見える。別な潘から流れてきたもので、相応の才覚は持っており、奉行に直接に提案するほどには取り立てられてはあった者であったのであろう。]、日下部左近を召(めし)て、

「此たひ[やぶちゃん注:ママ。]、新田、あらきばりの一件、無用たるべき。」

の、むねを、喩(さと)す。

 然(しか)るに、暁明、「日下部左近」か[やぶちゃん注:ママ。]姓名、きゝ申連(《まふし》たて)[やぶちゃん注:奉行が対象者の名を言ったのを「聴き申し上げたことろが」の意。]、かの白露(しらつゆ)を殺せし次㐧(しだい)を申《まうす》に、ふたゝひ[やぶちゃん注:ママ。]府尹、聞て、

「さては。渠《かれ》、かゝる惡行ありけるや。」

と驚きて、左近を、からめさせ、責問(せめとふ)ところに、

「覺へ[やぶちゃん注:ママ。]なし。」

と陳(のぶ)る。

 

Koki2

[やぶちゃん注:底本の大型画像はここ。] 

 

 是によつて人、を遣(つかが)して、堤(つゝみ)の下を堀(ほら)[やぶちゃん注:漢字はママ。]らしむる所に、果して、女の死骸、出《いで》たり。

 斯日を經(へ)るといへども、少しも、朽(くち)ず、身体面容(しんたいめんよう)、生(いき)るかことし[やぶちゃん注:総てママ。]

 左近、是を見て、大におとろき[やぶちゃん注:ママ。]、毛骨(みのけ)、森然(しんぜん)として[やぶちゃん注:所謂、恐ろしさの余り、「総毛立つ」ことを言う。]、顏色(がんしよく)、土(つち)のことく[やぶちゃん注:ママ。]にして、終(つい[やぶちゃん注:ママ。])に、白露を殺せし事を招(はくでう)す。

 府尹(ぶぎやう)、怒りにたへず、卽刻、左近を斬罪し、暁明に命(めい)し[やぶちゃん注:ママ。]、白露か[やぶちゃん注:ママ。]尸(かはね[やぶちゃん注:ママ。])をは[やぶちゃん注:ママ。]、ちかき寺院に葬(ほうむ)らしむ。

 その夜、暁明は、白露を夢みしに、彼(かの[やぶちゃん注:ママ。])の恩志を、厚く謝していわく[やぶちゃん注:ママ。]

「君の力をもつて、仇(あた[やぶちゃん注:ママ。])をほうじ、冥路の、寃魂消(えんこん[やぶちゃん注:ママ。])散し[やぶちゃん注:ママ。通常は「散じ」。]、天堂(てんとう[やぶちゃん注:ママ。六道の「人間道」の上の「天上道」のことであろう。]に生《しやう》を得たり。」

とて去りぬ。

 亦、暁明、一日(ある《ひ》)、南山に、いたりて、狐窟(こくつ)を、たづね、「蘭」に、今一たひ[やぶちゃん注:ママ。]見(まみ)ゑん[やぶちゃん注:ママ。]ことを、いのるに、窟中(ほらのなか)より、一匹の雌狐(めきつね)、あまたの小《こ》きつねを連(つれ)て出《いで》、暁明に、むかひ、首を、ふし、拜を、なして、また、穴(あな)に《いり》入たり。

 是よりのち、暁明は、儒業、いよいよ、すゝみ、門人數千にいたり、四方の士、みな、秦山・北斗のごとく、尊(たつと)ひ[やぶちゃん注:ママ。]、終(つい[やぶちゃん注:ママ。])に府尹(ふきやう[やぶちゃん注:ママ。])の女(むすめ)を、めとり、子孫、多く、一門、枝葉(しよう[やぶちゃん注:ママ。])、蔓延(はびこり)し、冨貴に至る。

「今に、長崎に、その子孫あり。」

といふ也。

 

怪異前席夜話卷之二終

 

2023/07/27

佐々木喜善「聽耳草紙」 一八三番 きりなし話(五話) / 佐々木喜善「聽耳草紙」正規表現版・オリジナル注附~完遂

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。

 なお、これを以って本書は終わっている。]

 

      一八三番 きりなし話

 

        橡の實(其の一)

 或所の谷川の川端に、犬きな橡《とち》の木が一本あつたヂも、其橡の木さ實がうんと鈴なりになつたヂもなア、其樹さ、ボフアと風が吹いて來たヂもなア、すると橡の實が一ツ、ポタンと川さ落ちて、ツプン[やぶちゃん注:「ちくま文庫」版は『ツブン』であるが、ガンマ補正をかけて検証した結果、明かに半濁音であった。前後からもこれだけが濁音なのは、民譚のリズムからもおかしいと判断する。]と沈んで、ツポリととんむくれ(轉回)て、ツンプコ、カンプコと川下の方さ流れて行つたとさ……

  (斯《か》ういふ風にして、其大きな橡の木の實が
   風に吹かれて、川面に落ちて一旦沈んで、そして
   又浮き上つて、そこから流れてゆく態《さま》を、
   際限なく語り續けてゆくのである。)

 

        蛇切り(その二)

 或所に爺樣があつたとさ、山さ行つてマンプ(堤狀の所)を鍬で、ジヤクリと掘ると、蛇が鎌首《かまくび》をべろりと突《つ》ン出したとさ。だから爺樣はそれをブツツリと切つたとさ。すると又蛇がべろりと出たとさ。爺樣ぱそれをブツツリと切つたとさ。又蛇がべろりと出たとさ。そこで、

   蛇はのろのろ

   爺樣はブツツリ

   のろツ

   ブツツリ…

(之れも斯ういふ風に際限なく續くのである。これは重《おも》に[やぶちゃん注:ママ。]童子達《わらしたち》に、昔話昔話とせがまれるが、話の種も每夜のことなれば盡きてしまつた困つた時に、爺婆が機轉を利かして、臨機應變、卽興的に作話したものの中《うち》比較的優秀なものが後世に殘つたものであらう。此種のものが數種殘つて居る。)

[やぶちゃん注:附記は、ポイント落ち字下げをやめて、引き上げた。]

 

        蛇の木登り(其の三)

 昔アあつたジもの…家の門口《かどぐち》に大きな梨の木が一本あつたどさ。すると其木さ、大きな大きな長いイ長いイ蛇がからまつて、のろのろのろツ…と登つたと。

   そして、今日もノロノロ…明日もノロノロ…

  (和賀郡黑澤尻町邊の話。妻の幼時の記臆。)

[やぶちゃん注:本文最後の行の四字下げはママ。

「和賀郡黑澤尻町」現在、岩手県北上市黒沢尻(グーグル・マップ・データ)があるが、旧町域は遙かに広い。「ひなたGPS」の戦前の地図を確認されたい。]

 

        爐傍の蚯蚓(其の四)

 或童(ワラシ)アいつもかつも爐(ヒボト)の灰(アク)を堀る[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。「掘る」。誤字だが、近代の小説家でもよく慣用する。]癖があつた。[やぶちゃん注:読点であるが、「ちくま文庫」版で訂した。但し、これ以降はリズムから底本に従って訂していない。]或時いつものやうに灰を掘ると、灰の中から蚯蚓《みみず/めめず》がペロツと出たジ。それをそこで父親ア使つて居た毛毮《けむしり》コ(小刀)で、ちヨきツと切つたと、するとまたペロツと出たと、またちヨきツと切つたと。またペロツと出たと、またちヨきツと切つたと…

  (我の子供等の記憶。祖母から聽いたものである。)

 

        シダクラの蛇(其の五)

 ある童(ワラシ)ア裸體(ハダカ)で外へ步く癖があつたト、いつものように裸で外へ出ると、[やぶちゃん注:底本は句点であるが、「ちくま文庫」版で訂した。]シダクラ(石積《いしづみ》)の石と石の間から眞赤(マツカ)な蛇が面《つら》出して見て居たド、そだから毛毮(ケムシリ)コ(小刀)で、チヨツキリと切つたト、すると又ペロツと出たと、又チヨツキリと切つたト、又ペロツと出たト、又チヨツキリ切つたト…

(これらの話のキリは、話手が適宜にやる。そして遂々《たうとう》蛇の尻尾を切り上げたり、大風がバフアツ [やぶちゃん注:一字空けはママ。]とヒトカエリ(一時)に吹いて來て、サツパリ、カツパリ橡の實をバラバラと川面に吹き落してしまつたりする。)

(此の類の話には、「雁々《かりかり/がんがん》ギツギツ」「山の木の算(カゾ)へ」「田の蛙」などがあつた。かなり重複して面倒くさいから、その梗槪だけを話すと、五月頃の眞暗い夜、

   行グ行グ行グ

と雄蛙が向ふの田で啼くと、こちらの田の中では雌蛙どもが、

   ゴジヤラばゴジヤレ おココロモチよ

と夜徹し鳴くのであるから、いゝ加減に童子達も倦《あ》いて、眠くなるのである。)

(又前の橡の木の話は、下閉伊郡安家にあつた。(栗川久雄氏)なほ岩手郡雫石村にもあることを田中喜多美氏が報告してゐる。それによると、昔、或所に、お宮があつて、大きな栃の木があつた。木に實がタクサンあつた。そして風がドウと吹いて來ると、栃の實がポタリと落ちて、ゴロゴロゴロと轉《ころが》ると、其の根もとから、蛇が一匹ペロペロと出て這ひ𢌞つた。すると一疋[やぶちゃん注:底本は「一足」。「ちくま文庫」版は『一匹』であるが、私は「疋」の誤植と判断して、かく、した。]のカラスがガアと啼いて來る。又ドウと風が吹くと栃の實が、ボタリと落ちてゴロゴロと轉《ころが》る。その根元から、一匹の蛇がベロベロと出て逃げ、そこへ東の方からカラスがガアと鳴いて來る、と云ふのであつた。)

[やぶちゃん注:この最終話の本文は、底本は句読点が「ちくま文庫」版と比べると甚だしく異なる。しかし、全体のリズムを考えて、今回は、一箇所を除いて、いじらないこととした。また、附記は長いので、ポイント落ち字下げをやめて、引き上げた。]

 

 

聽耳草紙(をはり)

 

[やぶちゃん注:以下、奥附あるが、リンクに留める。]

佐々木喜善「聽耳草紙」 一八二番 眠たい話(五話)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。標題の「屁ぴり」は「へつぴり」。]

 

      一八二番 眠たい話

 

        三人旅(其の一)

 或所に、ムカシとハナシとナンゾという三人があつた。伊勢詣りをすべえと相談して、三人で旅に出た。行くが行くが行くと大きな川に一本橋が架《かか》つてあつた。

 三人が橋の眞中《まんなか》ごろへ來た時、バウバと大風が吹いて來た。するとムカシはムクして、ハナシはハズクレテ、ナンゾは流れてしまつたとさ。

  (村の話。子供に話をセビラレ、さて語る話も盡
   きてしまつて、こんな他愛もないことまで語ら
   ねばならない時刻になると、やつと子供達は眠
   たくなるのである。)

[やぶちゃん注:「ムクして」不詳。「默(もく)して」か?

「ハズクレテ」不詳。「すっかり本来の様子から外れて」か?]

 

        三ツ話(其の二)

 怖(オツカナ)い話と可笑《をか》しい話と悲しい話とがあつた、それは鬼がいたので、怖《おつかな》いと思つて居ると、其鬼が屁をひツたから可笑しいので笑つて居ると、其鬼が死んでしまつた、シけど…それで悲しかつたと謂ふ事。

 (柴靜子氏の筆記。武藤鐵城氏御報告の一三。)

 

        笹山燒け(其の三)

 或所に盲とオツチ(啞)と足ポコ(跛《びつこ》[やぶちゃん注:底本では「跋」であるが、誤植と断じ、「ちくま文庫」はひらがなで『びっこ』とする。])の三人があつた。春さきの乾燥時(ハサキ)になると、向《むかひ》の笹山に火がついた。それをメクラが見ツけて、オツチが叫んで、足ポコが唐鍬《たうぐは》持つて駈け出した。火消したさ…

  (村の話。)

[やぶちゃん注:「唐鍬」鍬の一種。長方形の鉄板の一端に刃をつけ、他の端に木の柄をはめたもの。開墾や根切りに使う。]

 

        昔さら桶(其の四)

 昔々或人が一つの大きなほんとう[やぶちゃん注:ママ。]に大きな桶を持つて來た。それで其桶は何桶だかと訊くと、これは「ムカシサラオケ」だと答へましたとさ。

 「ムカシサラオケ」とは昔話(ムカシ)[やぶちゃん注:二字へのルビ。「ちくま文庫」版もそうなっている。次話も同じ。]を棄てるなとの意味ださうだ。

  (秋田縣角館小學校高等科、淸水キクヱ氏筆記。
   武藤鐵城氏御報告の一四。)

 

        昔刀(其の五)

 昔々或人が長い々々刀《かたな》をさして、其先の方に小さな車をつげて、カラカラと鳴らせて來たので、其刀は何刀《なにがたな》だと訊くと、これは「ムカシカタナ」と云ふ刀だと答へましたとさ。

 「ムカシカタナ」とは昔話(ムカシ)を語(カタ)るなと云ふ意味ださうである。

  (前話同斷の一五。)

佐々木喜善「聽耳草紙」 一八一番 屁ぴり嫁(二話)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。標題の「屁ぴり」は「へつぴり」。]

 

      一八一番 屁ぴり嫁(其の一)

 

 或所に、餘り富裕でない母子の者があつた。隣村からお嫁をもらつたが、その嫁女《よめぢよ》が每日欝《ふさ》いで居るので、姑《しうとめ》が心配して其の理由(ワケ)を訊くと、私はどうもおならが出度《だした》くつて困りますと言ふ。姑はそれを聞いて、呆《あき》れて、何をそんなことで靑くなつて居る人があるものか、行儀作法にも程《ほど》といふ事がある。さあさあいゝから思ふ存分氣を晴らしたらいゝと言つた。嫁はひどく喜んで、それでは御免を蒙つて致しますが、たゞ私のはあたりまへの屁《へ》ではないのだから、お母さんは彼《あ》の庭の臼へしつかりと、つかまつてゐて下されと言つた。姑も驚いたが、仕方がないから庭へ出て臼にしつかりつかまつてゐると、嫁子《あねこ》はやがて、着物の裾をまくつて、ぼがあんツと一つ大きな奴《やつ》をひつたところが、姑は臼ごと吹き飛ばされて、馬舍《うまや》の桁《けた》に吹き上げられ、腰をしたゝか梁《はり》に打ちつけて、大變な怪我をした。

 それを見ていた息子は、たとへ俺は一生妻をもたぬことがあるとも、現在の親を屁で吹飛《ふきと》ばして、怪我をさせるやうな嫁子は困ると思つて、里へ歸さうと、妻を自分で送つて行つた。其途中で、或村を通りかゝると、濱の方から山を越して來た駄賃づけ[やぶちゃん注:馬を用いて人や物資を運ぶことを生業とする卑賤の者。]の者共が、路傍の梨の木に石や木を投げ上げて居たが、一つも梨の實は取れなかつた。嫁はそれを見てひどく笑つて、なんて甲斐性のない人達なんだらう。妾《わらは》なら屁ででも取つて見せるのにと言ふと、其駄賃づけの者共が、それを聽きつけて大變に怒り、何をいふそんだら屁でこの梨を取つて見ろ、若し取れぬ時はお前の體《からだ》を貰うぞと言ひ罵《ののし》つた。女は尙も嘲笑《あざわら》つて、よし取りませう。そんだら若し今言つた通りに屁で取ることが出來たら、お前達の馬と馬荷を皆妾に寄こせ、そして、妾が失敗(シクジ)つた時は、私の體はお前達の物だと言つた。

 男共は、これは面白い、これは面白いと、手を打つておぢよめいた[やぶちゃん注:南部方言に従うなら、「からかって囃した」の意である。]。そして、さあ女早く早くとせきたてた。嫁子は心得て、靜かに衣物の裾をまくり、身構《みがまへ》をして、例の奴をぼがあんツと一つぶつ放《ぱな》した。すると大きな梨の木が根こそぎ、わりわりと吹き倒されて了《しま》つた。嫁子はそこで約束の通りに、織物七駄《だ》、米七駄、魚荷七駄、三七二十一[やぶちゃん注:掛け算をそのまま示したもの。]駄の馬と荷物を受取つた。

 それを見て息子は、こんな寶女房《たからにようばう》をどうして里へなど歸されやうかとて、家へ連れて戾つた。そして別に小さな部屋を造り、女房は折々其處へ入つて戶を締めて置いて屁をひるやうにした。其處を部屋(屁をひる室《へや》)と名付けた。それが部屋(ヘヤ)の起源(オコリ)で、今でも嫁をとれば間違ひがないやうにと、直ぐ其部屋に入れると言ふことである。

  (和賀郡黑澤尻町邊の話。家内の幼い記臆。)

[やぶちゃん注:「部屋」のトンデモ起源譚をブッパナした痛快な話ではないか。]

 

        (其の二)

 

 昔々あつとこへ嫁が來た。每日每日靑い顏をして欝ぎ込んでゐるので、姑が或日のこと、何してあんたは每日每日靑い顏してふさいで居るのか、譯があつたら言はせと訊いて見たら、嫁は私には一ツ惡い癖が御座りますと答へた。姑が重ねてどう云ふ癖だと訊いたら、嫁は屁《へ》たれる癖で御座りますと答へた。するとほんなら遠慮無くたれさえと姑が云つたので、嫁は、ほんではと云つて、たれると、出るわ出るわプツプツプツと止め度《ど》もなく屁をたれて、しまひにブウツと一ツ大きな屁をたれたら、姑は吹き飛ばされて、やうやく爐端《ろばた》の柱につかまつて、嫁やア嫁やア屁袋《へぶくろ》の口をしめろと叫んだ。

 とても斯《か》う云ふ屁たれ嫁は家に置けないと、里へ歸すことになつた。[やぶちゃん注:底本では読点であるが、「ちくま文庫」版で句点に代えた。]そして姑が嫁を連れて里へ歸つて行くと、途中の路傍に大きな柿の木があつて、柿が澤山實つてゐた。姑がそれを見上げて、とても甘《うま》さうな柿だどきに[やぶちゃん注:意味不詳。接続詞「時に」で「さても」の意か。]喰ひてえもんだと云ふので、嫁は柿の木の下さ行つて裳《もすそ》をまくつて、大きな屁を一つブウツとたれたら、柿がバラバラと落ちて來た。すると姑は大した喜び樣《やう》で機嫌も直り、かう云ふ重寶《ちやうほう》な嫁はとても里さ歸されないと言つて、途中から引き歸した。

  (昭和五年四月六日夜の採集として、三原良吉氏御報告の八。)

佐々木喜善「聽耳草紙」 一八〇番 屁ぴり番人

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。標題の「屁ぴり」は「ちくま文庫」版を参考にすれば、「へつぴり」である。]

 

   一八〇番 屁ぴり番人

 

 昔、彌太郞と云ふ心の良(エ)い爺樣があつた。この爺樣は面白い屁をひるので名高かつた。その屁は、

   ダンダツ (誰だツ)

 と鳴つた。だから知らぬ者は誰でも咎め立てでもされて居るやうに思つた。爺樣の屁の音も面白がる者と厭がる者とがあつた。

 所の長者殿でそれを聞き込んで、或日爺樣に來てくれと言つた。爺樣は何用があるかと思つて行くと、檀那樣は、爺樣爺樣俺家(オラエ)の米倉の番人になつてくれないか、祿(ロク)はお前の望み次第だと言つた。

 爺樣は大層喜んで、其夜から長者どんの米倉の守り番となつた。それからは戶前《とまへ》の二疊敷に每夜寢ていた。[やぶちゃん注:「戶前」土蔵の入り口の戸のある所。その内側に小さな二畳敷の間があったのであろう。]

 或夜盜人《ぬすつと》が來た。ソコソコ(靜かに忍び足で)米倉へ忍び寄ると、暗《くら》シマこの中から、いきなり、[やぶちゃん注:底本では、五字分の字空けをして、改行して「いきなり、」が行頭にあるが、不自然なので、誤植と断じ、「ちくま文庫」版で訂した。]

   ダンダツ

   ダンダツ

 と呶鳴《どな》られた。盜人は驚いて一目散に逃げて行つた。

 次の夜も盜人が來たが、矢張そのダンダツの聲に魂消《たまげ》て逃げ歸つた。それから次の晚も、次の晚もと恰度《ちやうど》七夜《ななよ》續けて來たが、いつもダンダツと咎め立てされて、遂に一物《いちもつ》も盜まれなかつた。

 八日目の夜に盜人は考へた。ハテ今迄こんなことはなかつたんだが、どうもあの聲はただの聲ではない。不思議だと思つてまたンコンコと忍び寄つて見ると、それは倉番人の爺樣の屁ツぴり音《おと》であるといふことが分つた。

 なんだア今迄この爺(ヂ)ンゴの屁に魂消らされて逃げ歸つて居つたのか、よし來た今夜其の仇《かたき》を討つて遣ると言つて、胡瓜畑へ行つて胡瓜を一本取つて來て、爺樣の尻の穴に差し込んで置いた。それでさすがのダンダツの音も出せぬので、盜人は安心して米俵をしこたま背負ひ込んだ。そして歸りしなに少々狼狽《あわて》たので胡瓜の蔓《つる》に足を引ツかけて、胡瓜をスポンと引ン拔いてしまつた。するとそれまで餘程溜つて居たものと見えて、

   ダンダツ

   ダンダツ

   ダンダツ

 とえらい大きな音をしきりなしに放し續けた。それで寢坊の爺樣も目を覺《さ》まして、本統[やぶちゃん注:ママ。]に、

   誰だツ

 と叫んだので、泥棒は腰を拔かした。やつぱり捕(オサ)へられた。

  (膽澤《いさは》郡金ケ崎邊の話。千葉丈勇氏御報告の四。)

[やぶちゃん注:「膽澤郡金ケ崎」現在の岩手県胆沢郡金ケ崎町(グーグル・マップ・データ)。]

佐々木喜善「聽耳草紙」 一七八番 屁ツぴり爺々(二話)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。第一話の三字下げ全分かち書きはママ。本書中の表記上の特異点である。なお、八行目「炒つて黃粉(キタコ)にでもすべえかなもシ」のルビは、「ちくま文庫」版では『きだこ』(同文庫版はルビを総てひらがなにしてしまっている)である。その方言の方が正しい印象はあるが、方言確認がネット上では出来なかったので、ママとした。]

 

   一七九番 爺婆と黃粉(其の一)

 

   或所に爺と婆とあつたとさ、

   婆樣はウチを掃き

   爺樣は土間(ニワ)掃いた…

   そすると土間のスマコ(隅)から

   豆コが一ツころころと轉(コ)がり出た。

   婆樣婆樣これア豆コ見ツけたざア

   畠さ蒔くべえか

   炒つて黃粉(キタコ)にでもすべえかなもシ

   婆樣は畠さ蒔くのアあつから

   それば炒つて

   黃粉にし申すべやと言つた。

   そして大きな鍋で炒《い》ンベえか

   トペアコ(小)な鍋で炒ンベえか

   大きな鍋で炒ンベや……

   大きな鍋を爐(ヒボト)にかけて

   其の一粒の豆コを入れて

   一粒の豆コア千粒になアれ

   一粒の豆コア萬粒になアれ

   カアラコロヤエ、カアラコロヤエ

   カラコロコロと搔𢌞した。

   すると豆が大きな鍋一杯になつた。

   婆樣な婆樣な

   こんどは大きな臼で搗くべえか

   小さな臼で搗き申すべか

   大きな臼で搗き申さい

   大きな臼で

   ヂヤクリ、ヂヤクリと搗いた。

   そしたば豆が搗けて

   大きな臼一杯になつた。

   婆樣な婆樣な

   粉下(コオロ)しコ無《なう》申すか

   隣りさ行つて借りて來もさい

   これアこれア太郞太郞

   隣りさ行つて粉下しコ借りて來ウ

   爺樣な婆樣な

   門口にや赤(アカ)エ牛(ベコ)コがいツから

   俺ア厭ンだツ

   太郞々々そんだら裏口から行つて來ウ

   裏口にや犬コいツから

   俺ア厭ンだツ

   ほんだら厩口《うまやぐち》から行つて來ウ

   厩口にや馬コいツから

   俺ア厭ンだツ

   そんだらえエえエ

   爺樣のふんどしの端コで

   おろすベアに…

   爺樣のふんどしの端コで

   プウフラ、パアフラ

   パサパサツとおろした。

   爺樣な婆樣な

   この黃粉コなぞにして置くべなもす

   棚さ上げれば鼠が食ふし

   下さ置けば猫が舐めるし

   ええから、ええから

   爺樣と婆樣の間さ

   置いて寢ベアなアに…

   夜中に爺樣は

   大きな大きな屁ツコを

   ボンガラヤエとひると

   黃粉はパフウと吹ツ飛んで

   婆樣のケツさ行つて吹ツ着いた

   これアこれア太郞太郞

   婆樣のケツさ粉アついた

   早く來て舐めろ

   俺アシヤラ臭いから厭ンだツ

   ほんだらえエ

   あゝ勿體ねア勿體ねア

   ペツチャラ、クツチャラ

   爺樣はみんな砥めてしまつた。

 

[やぶちゃん注:民俗社会の豊穣の祝祭歌のようで、映像が見事に浮び、まっこと、素敵だ。]

 

        爺の屁(其の二)

 昔さあつたどサ、或所に爺樣と婆樣とあつたとサ、爺樣は屋根葺く、婆樣は萱《かや》のべだどサ。嫁子《あねこ》ア一人で土間(ニハ)掃いたば、豆(マメコ)アコロコロと出《で》はつたけどサ。

 爺樣うんす、婆樣うんす、豆ア一ツ出はつた、なぢよにすべます、種《たね》にすべすか、煎《い》つて喰べすかて聞いだどサ、したば、種ば買つて蒔くべす、煎つて喰エ煎つて喰エてセつたどサ。それから嫁子ア鍋出して、カラカラと煎つたど。

 煎つたば煎つたば一鍋、それから臼出して、トントントンと搗いだど、搗いだば搗いだば一臼、今度ア粉下《こなおろ》し出して下したど、下したば下したば一粉下し、

 爺樣うんす婆樣うんす、此のきな粉なぢよにすべますて聞いだと、土間さ置けば雞《にはとり》に喰はれる、馬舍《うまや》さ置けば馬に喰はれる。戶棚さ置けば鼠に喰はれる、臺所さ置くと猫に喰はれるけど、其處で爺と婆の間こサ置いたどサ、したば爺大きな屁ボンとたれたどサ、粉はポツポツと飛んで婆のまんヘサ付いたど、したばての犬子來て、小便臭いぞ美味いぞ美味いぞと言つてみな砥めたとサ、ドツトハライ。

  (田中喜多美氏御報告の二四。)

[やぶちゃん注:同前の祝祭の唱え詞である。「ちくま文庫」版では、佐々木の振った読点の幾つかを句点にしているが、私は、ママが一番(寧ろ、最後の「ドツトハライ。」の他は総て読点にするか、第一話同様に、分ち書きの歌にしたいぐらいである。

「婆のまんヘサ」「婆様の前(隠しどころ)のとこへ」或いは、ダイレクトに「まん」で女性の外陰部を指しているように私は読んだ。豊穣の祝祭に性的表現は必須である。

「したばての」「そうなってしまったところに、の」の意であろう。]

佐々木喜善「聽耳草紙」 一七八番 屁ツぴり爺々

佐々木喜善「聽耳草紙」 一七七番 啞がよくなつた話

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]

 

      一七八番 屁ツぴり爺々

 

 或所に木伐《きこ》り爺樣があつた。山へ行つて、ダンギリ、ダンギリと木を伐つて居ると、山の神樣が出て來て、誰(ダン)だ人の山で、木伐《きこ》る者アと呼ばつた。すると爺樣は、ハイハイ私はミナミナの屁《しり》ツぴり爺々《じんご》で御座ると言つた。そんだら此所さ來て、屁をひツて見ろと言はれた。そこで爺樣は山の神樣の前へ出て四ツん這ひになつて、

   コシキサラサラ

   コヨウの寶《たから》をもツて

   スツポンポン

 と屁をたれた。山の神樣は、イヤ全くこれは面白い音なもんだ。よしよしそれではこれから俺の山で何ぼ木を伐つてもええぞと許した。

 次の日には、隣の爺樣がその山へ行つて、ダンギリ、ダンギリと木を伐つて居た。すると又山の神樣が、誰だツ人の山で、木伐る者アと呼ばつた。ここだと思つて、ハイハイ私はミナミナの屁ツぴり爺々で御座ると答へた。そんだらここさ來て、屁をひツてみろとまた山の神樣が言つた。

 その爺樣は、話は聞いて來たが、どんな風にしてどんな音を出して好《よ》いものだか、遂《う》ひ聽き洩らして來たので、仕方がないから、山の神樣の前へ行つて、四ツん這ひになつて、ウウンツウウンツとうんと力(リキ)んだが、なんぼしてもうまく佳《よ》い音が出なかつた。それで一生懸命にウウンと力むと、グワリグワリグワリツと飛んでもない物を其所へ押し出した。

 山の神樣は厭な顏をして、どうもお前はいかぬ。以來此の山の木伐りに來るなと叱つた。

  (下閉伊郡岩泉町《いはいづみちやう》邊にある話の、
   爺樣の屁の音は、ビリンカリン五葉の松ツポンポン
   ポンツで他の部分は同樣である。昭和五年六月二十
   三日、野崎君子氏談話一〇。)

[やぶちゃん注:「下閉伊郡岩泉町」岩手県下閉伊郡岩泉町(グーグル・マップ・データ)。]

佐々木喜善「聽耳草紙」 一七七番 啞がよくなつた話

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここ。]

 

      一七七番 啞がよくなつた話

 

 或家で嫁子を貰つた。姑《しうとめ》が一寸《ちようと》小用に行つた間に棚探しをして口に饅頭一つを頰張つた。其所へ姑が顏を出して、これこれと呼んでも一向返辭が出來ないで、目を白黑にして居るから、これはてつきり啞《おし》になつたものと思つて、姑は山伏を賴んで來て御祈禱をして貰うことにした。

 賴まれて來た山伏は屛風を立て𢌞して其中へ嫁子《あねこ》を入れて、さうして斯《か》う唱へた。

   この間(マ)に

   嚙み給へ

   飮み給へ…

 すると其御祈禱が直ぐ利いて、嫁子の啞がすつかりよくなつた。

  (秋田縣角館小學校高等科一、柴靜子氏の筆記、
   武藤鐵城氏の御報告の一二。一七九番の其の一
   及び一八〇番。)

[やぶちゃん注:「秋田縣角館小學校高等科」恐らくは正式には当時は「角館尋常高等小學校」で、現在の秋田県仙北市角館町(かくのだてまち)東勝楽丁(ひがしかつらくちょう)のここが跡地(グーグル・マップ・データ)。サイド・パネルの碑を見ると、「角館小学校跡」とあって、下方に明治七(一八七四)年六月二日創立と記されてある。]

2023/07/26

怪異前席夜話 正規表現版・オリジナル注附 巻之一 「二囘 狐精鬼靈寃情を訴ふる話」 /巻之一~了

[やぶちゃん注:「怪異前席夜話(くわいいぜんせきやわ)」は全五巻の江戸の初期読本の怪談集で、「叙」の最後に寛政二年春正月(グレゴリオ暦一七九〇年二月十四日~三月十五日相当)のクレジットが記されてある(第十一代徳川家斉の治世)。版元は江戸の麹町貝坂角(こうじまちかいざかかど)の三崎屋清吉(「叙」の中の「文榮堂」がそれ)が主板元であったらしい(後述する加工データ本の「解題」に拠った)。作者は「叙」末にある「反古斉」(ほぐさい)であるが、人物は未詳である。

 底本は早稲田大学図書館「古典総合データベース」の同初版本の画像を視認した。但し、加工データとして二〇〇〇年十月国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』の「初期江戸読本怪談集」所収の近藤瑞木(みづき)氏の校訂になるもの(玉川大学図書館蔵本)を、OCRで読み込み、使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 なるべく表記字に則って起こすが、正字か異体字か、判断に迷ったものは、正字を使用した。漢字の読みは、多く附されてあるが、読みが振れると思われるものと、不審な箇所にのみ限って示すこととした。逆に、必要と私が判断した読みのない字には《 》で歴史的仮名遣で推定の読みを添えた。ママ注記は歴史的仮名遣の誤りが甚だ多く、五月蠅いので、下付けにした。さらに、読み易さを考え、句読点や記号等は自在に附し、オリジナル注は文中或いは段落及び作品末に附し、段落を成形した。踊り字「〱」「〲」は生理的に厭なため、正字或いは繰り返し記号に代えた。

 また、本書には挿絵があるが、底本のそれは使用許可を申請する必要があるので、単独画像へのリンクに留め、代わりに、この「初期江戸読本怪談集」所収の挿絵をトリミング補正・合成をして、適切と思われる箇所に挿入することとした。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。]

 

   ○狐精(こせい)鬼靈(きれい)寃情(ゑんしやう)を訴ふる話

 寬延之比、肥前國長崎に、一儒生、菅生圖書暁明(すげうづしよさとあき)といへるものあり。尹(ぶきやう)何某(《なに》かし[やぶちゃん注:ママ。])か[やぶちゃん注:ママ。]邸に出入《でいり》し、舌耕(かうしやく)を以て、五斗米(《ご》とべい)を宛行(あてかわ[やぶちゃん注:ママ。])れ、くちすき[やぶちゃん注:ママ。]となす。

[やぶちゃん注:「寬延」一七四八年から一七五一年まで。徳川家重の治世。

「尹(ぶきやう)」「奉行」の当て訓。「尹」(イン)は中国で官職の「長官」の意。本邦では「弾正台」(律令制で、非違の取締・風俗の粛正などを司った役所であるが、検非違使が置かれてからは形骸化した。江戸時代は武士の有名無実の名乗りに「弾正」が、よく用いられた。但し、ここは長崎奉行を指す。

「舌耕(かうしやく)」「講釋」の当て訓。才知ある弁舌。

「五斗米」 五斗の米(現在の約五升の米)で、ここは「年に五斗の扶持米」の意から、「僅かばかりの扶持米、則ち、俸祿(ほうろく)を指す。

「くちすき」「口過ぎ」。「食物を得ること」から転じて、「暮らしを立てること・生計・糊口(ここう)」の意。]

 ある夜、只ひとり、我家に坐するの處、密(ひそか)に、戶をたゝくの声(こへ[やぶちゃん注:ママ。])するを聞て、扉をひらけは[やぶちゃん注:ママ。]、一人の婦(ふ)、その姿色(ししよく)、美麗にして、傾國の珠(あてやか)なる。

 やかて[やぶちゃん注:ママ。「やがて」。]入りて、暁明に、むかひて、礼を述(のぶ)る。

 おどろきて、

「誰(たれ)。」

と問《とふ》に、

「妾(せう)は、丸山の遊女「蘭《らん》」といふものなり。君の芳名をきくによつて、敎(おしへ[やぶちゃん注:ママ。])を受(うけ)んことを願ふの日、久し。昼は、人の議論をおそるゝ故、夜にまぎれて、大膽(そつじ)に、きたりたり。」

といふ。

[やぶちゃん注:「丸山」は長崎の旧花街「丸山遊廓」として知られた町。現在の長崎市丸山町(まるやままち)及び寄合町(よりあいまち)附近に当たる(グーグル・マップ・データ)。

「人の議論をおそるゝ」他人が見かけて、噂になっては、御迷惑を掛けると恐れて。

「大膽(そつじ)に」「卒爾に」の当て訓。「突然に・俄かに」。]

 暁明、

『奇なる女。』

と、おもひ、則(すなはち)、書(しよ)を取《とり》て讀(よま)しむるに、一たひ[やぶちゃん注:ママ。]誦(よみ)して了悟(さとし)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]。

 問答・辨舌、水のなかるゝことし[やぶちゃん注:総てママ。]

 暁明、大《おほい》によろこひ[やぶちゃん注:ママ。]、手を携へていわく[やぶちゃん注:ママ。]、[やぶちゃん注:「携」は異体字のこれ(「グリフウィキ」)であるが、表示出来ないので、かく、した。後に出るものも同じ処理をした。]

「斉中(さいちう)[やぶちゃん注:書斎の内。]、幸(さいわい[やぶちゃん注:ママ。])に、人、なし。汝と、いもせの交(ましはり[やぶちゃん注:ママ。])をなさん事を、ほつす。」

 かの女も、暁明か[やぶちゃん注:ママ。]、年わかく、容貌(ようぎ)[やぶちゃん注:「容儀」の当て訓。]、閑麗(かんれい)なるに、心動きしや、欣然として居たりし。

[やぶちゃん注:「閑麗」上品で美しいこと。雅やかで、麗しいさま。]

 これにおゐて[やぶちゃん注:ママ。]終(つい[やぶちゃん注:ママ。])に、雲と成(なり)雨と成るの情(じやう)、いとこまやかにして、暁(あけ)になりて、別れ去(さら)んとするに、蘭(らん)か[やぶちゃん注:ママ。]云(いふ)。

「妾(せう[やぶちゃん注:ママ。「せふ」が正しい。])、これより、隔夜(かくや)に來りて、枕席(ちんせき)を、すゝむべし。」

と約して、その暁(あかつき)は歸りぬ。

 かくて、綢繆(ちぎり)をなすほどに、互に、恩情、厚く、膠漆(かうしつ)のことく[やぶちゃん注:ママ。]なりしが、一日(あるひ)、暁明、近邑(きんむら)にゆきて歸るに、日、くれ、雨、そぼふりて、往來のひとも見へさる[やぶちゃん注:ママ。]闇(やみ)の路(みち)、堤のうへの、木、おひ繁りし下に、十四、五歲の女の、縊(くひ)れ[やぶちゃん注:ママ。]死(し)したるもの、あり。

[やぶちゃん注:「綢繆」「ちうべう(ちゅうびゅう)」の当て訓。「睦み合うこと。馴れ親しむこと」の意。

「膠漆」「にかわ」と「うるし」。接着剤。]

 

Satoaki1

[やぶちゃん注:底本の大型画像はこちら。] 

 

「怜《あはれ》むへし[やぶちゃん注:ママ。]。何《いづ》れの家の誰が子なるや。」

と、立寄(たちより)見れば、顏色(がんしよく)、生(いけ)るかことく[やぶちゃん注:総てママ。]、手足、動くやうにおぼへしまゝ、

『いまだ、死せずやありけむ。拯(すく[やぶちゃん注:ママ。])ばや。』[やぶちゃん注:「拯(すくは)ばや」の脱字。「拯」(音は現代仮名遣「ジョウ・ショウ」)は「救う・助ける」の意。]

と、おもひ、首(くび)にまとひし絹(きぬ)を、靜(しづか)に解(とき)すてゝ、樹上(きのうへ)より下(おろ)し、その容貌を、よく見れは[やぶちゃん注:ママ。]、玉顏(《ぎよく》かん[やぶちゃん注:ママ。])、櫻桃(ようとう[やぶちゃん注:ママ。])の雨に逢(あひ)、海棠(かいどう)の露(つゆ)を帶(おび)、睡(ねぶ)れることき[やぶちゃん注:ママ。]に、愈(いよいよ)、あわれ[やぶちゃん注:ママ。]におもひ、

「かゝる美人の、可惜(あたら)はなを、ちらせし事よ。」

と、いゝ[やぶちゃん注:ママ。]つゝ、肌(はだ)を、とき、懷(ふところ)に入(いれ)、温(あたゝ)むるに、雪のことく[やぶちゃん注:ママ。]、脂(あぶら)に似て、たくひ[やぶちゃん注:ママ。]まれなる佳人なり。

[やぶちゃん注:「櫻桃」「あうたう」が正しい。この時代のそれは、双子葉植物綱バラ目バラ科サクラ属ユスラウメ Prunus tomentosa で、サクランボに似た実をつけることで知られるが、ここは、その花を指す。グーグル画像検索「ユスラウメ 花」をリンクさせておく。]

 とかくするうち、一條(《ひと》すじ[やぶちゃん注:ママ。])の息、出《いだ》し、目をひらきて、暁明を見、忽ち、再ひ[やぶちゃん注:ママ。]拜して云(いふ[やぶちゃん注:ママ。])けるは、

「妾《せふ》、今日《けふ》、强盜(がうだう)のために、縊(くび)り殺されしものなるか。君の拯(すく)ひによりて、ふたゝひ[やぶちゃん注:ママ。]蘇甦(そせい)し侍《はべら》ふ事、活命(くわつめい)の大恩、濸海(さうかい)・太山(たいさん[やぶちゃん注:ママ。])、たとふるに、たらず。」

[やぶちゃん注:「濸海」「滄海」に同じ。大海。

「太山」「たいざん」。ここは「大きな山」でよい。]

 暁明も、かれか[やぶちゃん注:ママ。]蘇生したるを見て、大《おほい》に、よろこひ[やぶちゃん注:ママ。]

「汝、いつ方[やぶちゃん注:ママ。「いづかた」。]の者ぞ。」

と問。

 こたへて、いわく、

「近邑(きんむら)の農夫のむすめ、名を「白露(しらつゆ)」といふ。父母、定《さだめ》て、妾(せう)を、たつねむ[やぶちゃん注:ママ。「尋ねむ」。「探しているでしょう」。]。はやく家路にかへり、ふたゝひ[やぶちゃん注:ママ。]君の住處(ぢうしよ[やぶちゃん注:ママ。])を訪(とひ)參らせ、活命の大恩を、報(むく)ひ奉らん。」

とて、堤(つゝみ)を下るを、暁明、

「我、汝か[やぶちゃん注:ママ。]家に送るべし。」

と、いへは[やぶちゃん注:ママ。]

「君、いまだ、年(とし)、少(わか)し。妾と一所(《いつ》しよ)に行(ゆき)たまはゞ、父母(ふぼ)の意(こゝろ)に、いかゞ思ふらめ。妾、ひとり、歸らん。」

とて、終(つい[やぶちゃん注:ママ。])に、いつ地[やぶちゃん注:ママ。「何地(いづち)」。]に行(ゆき)けん、その行方(ゆきがた)を、見うしなふ。

 暁明は、心に、

『一ツの陰德(いんとく)を施しぬ。』

と、よろこび、やかて[やぶちゃん注:ママ。]、家にかへりけるに、其夜、深更(しんこう)に及(およひ[やぶちゃん注:ママ。])て、斎(さい)の戶を、たゝく者、あり。

「誰(たれ)ぞ。」

と問へは[やぶちゃん注:ママ。]

「向(さき)に、すくひたまへる女なり。」

と答ふ。

 急き[やぶちゃん注:ママ。]、戶をひらけは[やぶちゃん注:ママ。]、入來(いりきた)りて、礼を述(のべ)て、たちふるまひ、甚《はなはだ》靜(しつやか[やぶちゃん注:ママ。])にして、恭(うやうやし)く、賤(いやし)しき[やぶちゃん注:「し」のダブりはママ。]ものゝ女とは思われ[やぶちゃん注:ママ。]ず。

 暁明、戲(たわむれ)れて[やぶちゃん注:「れ」のダブりはママ。]いふに、

「なんじ、わか[やぶちゃん注:「し」のダブりはママ。]恩をわすれすは[やぶちゃん注:ママ。]、一夜《ひとよ》を爰(こゝ)に明(あか)さん。」

といふに、女、更に否(いな)むけしきなく、夫《それ》より、ついに[やぶちゃん注:ママ。]手を携へ、楚岫(そしう)の雲(くも)に分(わけ)まよひ、鷄《とり》、東天紅(とうてんこう)をつぐる時、起(おき)て別れんとす。

[やぶちゃん注:「楚岫の雲」「楚岫」は「楚」の国の霊山巫山(ふざん)の「岫」=「山頂」にある洞穴を指し、そこから湧き出づる「雲」の意であるが、「楚雲湘雨」の成句が元曲にあり、「男女の細やかな情交」を指す。これは遙かに古い「雲雨巫山」「巫山雲雨」で知られる故事成句に基づいたもの。「巫山」は中国の四川省と湖北省の間にある、女神が住んでいたとされる山の名で、戦国時代のの懐王が昼寝をした際、夢の中で巫山の女神と情交を結んだ。別れ際に、女神が「朝には雲となって、夕方には雨となって、ここに参りましょう。」と言ったという故事がそれ。]

 白露か[やぶちゃん注:ママ。]いふ、

「妾、情(なさけ)の緣(くづな)に引《ひか》れ、葳蕤(いすい[やぶちゃん注:ママ。])の守を失ひて、君と結びし赤縄(ゑん[やぶちゃん注:ママ。]のいと)の、絕(たへ[やぶちゃん注:ママ。])せず、訪ひ(とふら)ひ來《きた》るべし。穴(あな)かしこ、人に、な、洩(もら)し給ふな。」

と。

[やぶちゃん注:「葳蕤」歴史的仮名遣は「ゐすい」が正しい。この場合は、「草木の花が咲き乱れるさま」を言い、処女の持つ清廉な操(みさお)を指していよう(この熟語には単子葉植物綱キジカクシ目キジカクシ科スズラン亜科アマドコロ連アマドコロ属 Polygonatum を指す意味があるが、ここは違う)。]

 暁明、聞(きゝ)て、

「わが斎中、外に、人、なし。誰(たれ)にか洩しなん。但(たゞ)、ちかきあたり、靑楼の遊女(いふ《ぢよ》)、『蘭』といへるか[やぶちゃん注:ママ。]、隔夜(かくや)に、我許(もと)に來(きた)る。かれか[やぶちゃん注:ママ。]、來らざる夜は、汝、ひそかに來り候へ。」

 白露、心やすくおもひ、また、袖のうちより、一匹(いつひき)の白練(しろねり)、とり出《いだ》し、暁明に、あたへて、云《いふ》。

「君、独り居《ゐ》て、徒然(つれつれ[やぶちゃん注:ママ。後半は底本では踊り字「〱」。])なる時、此きぬを、とり出《いだ》して、弄(もてあそ)び給ふならは[やぶちゃん注:ママ。]、自(みづか)ら、情(こゝろ)を慰むる種(たね)と成《なる》べし。」

と。

 終(つい[やぶちゃん注:ママ。])に、たち出《いで》て行《ゆき》ぬ。

 是より、暁明、獨坐(ひとりざす)とき、徒然のおりおり[やぶちゃん注:ママ。後半は底本では踊り字「〱」]は、かの絹を、とり出して弄ふときは、忽ち、白露、外より、きたる。

 怪(あやし)んて[やぶちゃん注:ママ。]、そのゆへ[やぶちゃん注:ママ。]を問《とふ》に、しら露、打(うち)わらひ、

「君か[やぶちゃん注:ママ。]寂莫(つれつれ[やぶちゃん注:ママ。後半は底本では踊り字「〱」。])の情(こゝろ)、妾か[やぶちゃん注:ママ。]誠(まこと)の心に徹(てつ)し、偶然、(おもはず)、來り見へ參らす。これ、すく世《せ》の奇緣なり。」

 暁明、聞て、「まことや。『曾子か[やぶちゃん注:ママ。]至孝成(なる)、他(た)に出《いで》て、歸らざるとき、その家に、客(かく)、來《きた》る。曽子(そうし)か[やぶちゃん注:ママ。]母、『曾子か[やぶちゃん注:ママ。]歸り來よかし。』と思ふて、指を、自(みつか[やぶちゃん注:ママ。])ら咬(かむ)ときに、曾子、俄(にはか)に驚悸(むなさはぎ)し、家に歸る。』と、書(しよ)に見えたり。是(これ)、母至(ほし)[やぶちゃん注:ママ。せめて「母の思ひの至れるにて」ぐらいにはして欲しい。相手は十四、五の小娘だぜ?]、誠(せい)の感ずる處。それは孝行、是は恩愛。そのあとは、異(こと)なれども、誠(まこと)は、同じ理(ことは[やぶちゃん注:ママ。])り。」

とて、少しも疑はずして、是より、同床《どうしやう》の和好(ちきり[やぶちゃん注:ママ。])、いやましに、

「二人の愛着(《あい》ぢやく)を、海にくらふれは[やぶちゃん注:総てママ。]、濸溟(そうかん[やぶちゃん注:ママ。無茶苦茶な読みやなぁ。])も淺く、山に喩(たとふ)れば、崑崙(こんろん)、高きにあらず。あるひ[やぶちゃん注:ママ。]は、膠(にかわ[やぶちゃん注:ママ。])と漆(うるし)、いまた[やぶちゃん注:ママ。]堅(かた)からず。」

と、わらへば、

「魚(うを)と水(みづ)、なを[やぶちゃん注:ママ。]、親(した)しとするに、足(たら)ず。」

と、あさけり、心肝(しんかん)、割(さき)がたきを、うらみ、肌肉(ひにく)、皮(かわ[やぶちゃん注:ママ。])を隔(へだ)つを、憾(かこて)り。

 一夜(あるよ)の私語(さゝめこと)に、白露、問《とひ》ていわく、

「君か[やぶちゃん注:ママ。]愛(あひし[やぶちゃん注:ママ。])たまふ情(こゝろ)、かの遊女と、妾(せう)と、いつれか、まさる。」

こたへて云(いふ)。

「汝に、しかず。」

 又、問。

「容貌、妾と蘭と、くらべは[やぶちゃん注:ママ。「ば」であろう。]、如何(いかん)。」

 暁明、いふ。

「紅桃(こうとう[やぶちゃん注:ママ。])・素李(そり)、いつれ[やぶちゃん注:ママ。後も同じ。]をか、捨(すて)、いつれを、取(とら)ん。さは、いへ、蘭女(らんぢよ)は、肌(はだへ)、溫(あたゝ)かにして、かの合德(がつとく)が温柔乡(おんしうきう[やぶちゃん注:ママ。])も、是には過じとおもほゆる。」

[やぶちゃん注:「德」は底本では異体字のこれ(「グリフウィキ」)だが、表示出来ないので、正字で示した。「乡」は「鄕」の異体字である。

「素李」双子葉植物綱バラ目バラ科スモモ亜科スモモ属スモモ Prunus salicina の花か。グーグル画像検索「Prunus salicina 花」をリンクさせておく。

「合德が温柔乡」「合徳」は前漢第十一代皇帝成帝の妃趙合徳。「中国史・日本史メイン 非学術イラストサイト」の「史環」のこちらによれば、『合徳は』『豊満な体を誇る女性で』、『成帝は彼女を「温柔郷」と呼び、彼女の体に溺れてい』ったとあり、『やがて成帝が病にかかって精力が衰えると、シン卹膠(シンジュツコウ)という精力剤を使って帝と閨を共にしてい』たが、『あるとき、一粒でよいところを酔った勢いで七粒も服用させてしまい、そのため帝はそのまま崩御してしまったとされて』おり、しかし、『合徳は取り調べに際し』、『「私は帝を赤児のように扱い、世を傾けるほどの寵愛を受けた。今更帝との房事について言い争うことなどするものか。」と言い、胸を叩いて憤死したという』とあった。なお、「溫柔鄕」は歴史的仮名遣で「をんじうきやう」であり、現行では、「遊里・花柳界」を指す一般名詞となっている。]

 白露、聞(きゝ)て、悅ばさる[やぶちゃん注:ママ。]風情(ふぜい)ありて、云(いふ)。

「しからば、妾(せう)、蘭女には、及ばし。遮莫(さもあらば)、渠(かれ)、いかなる美人なれば、かくばかり、君の譽(ほめ)給ふぞや。もし、明夜《みやうや》、來りなは[やぶちゃん注:ママ。]、妾、ひそかに、その容色を、うかゝひ[やぶちゃん注:ママ。]見ん。必、漏し給ふな。」

と、約してぞ、かへりける。

 こゝに、蘭は、夜を隔てゝ、暁明かたに來《きた》る事、已に、二、三月《ふた、みつき》におよび、その夜も、來り、枕を幷(なら)べ、私語の序(すいで[やぶちゃん注:ママ。])に、蘭か[やぶちゃん注:ママ。]いふは、

「不審や。君、此ほど、形容(かたち)、甚た[やぶちゃん注:ママ。]焦枯(しやうこ)して、精神(こゝろ)、蕭索(つかれ[やぶちゃん注:「疲れ」。])見え給ふ事、日こと[やぶちゃん注:ママ。「ごと」「每」。]に、まさる。是、蠱惑(こわく)の病(やまひ)なり。定《さだめ》て、妾《せう》》か[やぶちゃん注:ママ。]外《ほか》に、相逢(《あひ》あふ)ものゝ、あるならん。」

[やぶちゃん注:「蠱惑の病」人の心を妖しい魅力で惑わし誑かす霊的な外因性の危険な病いを指している。]

 暁明、云《いふ》。

「此事、さらに、覺へす[やぶちゃん注:ママ。]。」

 蘭、その時、脉(みやく)を診(しん)じ、大《おほき》におどろきて云けるは、

「妾、幼きより、醫の道を、ならひ、人の病(やまひ)を見る事を、さとしぬ。今、君の脉を診(しん)するに、これ、鬼症(きしやう)の沈病(やまひ)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]なり。[やぶちゃん注:ここには、「然るに」ぐらいは、入れて欲しいぞ!]『何そ[やぶちゃん注:ママ。]覺へなし。』と宣(のたま)ふ。恐らくは、後(のち)、ついに[やぶちゃん注:ママ。]君か[やぶちゃん注:ママ。]身、危(あやう)きに至らんか。妾、なを[やぶちゃん注:ママ。]、明夜《みやうや》、藥をもとめ、來《きた》るべし。」

とて、辞(じ)し、出行《いでゆき》ぬ。

[やぶちゃん注:「鬼症(きしやう)の沈病(やまひ)」「何らかの霊鬼或いは死霊に接触することによって発症した長く癒えることのない重い病い」の意。]

 

Renka

 

[やぶちゃん注:右幅の女が「蘭」である。暁明の手元に、白露の渡した絹布がある。左幅は、正体を現して去ってゆく髑髏化した「白露」である(最初の幅の服の模様が同じ)。無惨! 底本の大型画像はこちら。] 

 

 そのとき、暁明、かの絹を弄(らう)すれは[やぶちゃん注:ママ。]、白露、やかて[やぶちゃん注:ママ。]入來《いりきた》りたる。

「汝、蘭か[やぶちゃん注:ママ。]すがたを、伺ひしや。」

と、問《とふ》。

 白露、いふ。

「然(しか)り。まことに、古今、たぐひなき美人、なかなか、人間とは思わ[やぶちゃん注:ママ。]れねば、妾、竊(ひそか)に、かれか[やぶちゃん注:ママ。]歸る跡を、とめて[やぶちゃん注:尾行して。]、したひ行《ゆく》に、南山(なんざん)の狐窟(こくつ)に、入《いり》たり。かれは、野狐(のきつね)の精(せい)なる事、疑ひなし。きみ、近つけ[やぶちゃん注:ママ。]給ふべからず。」

 暁明、笑《わらひ》て云《いふ》。

「かれかことき[やぶちゃん注:総てママ。]艷色(ゑんしよく[やぶちゃん注:ママ。])、よしや、狐にもあれ、我、おそれず。汝、さのみ、な、妬(ねた)みぞ[やぶちゃん注:ママ。「そ」。]。」

とて、白露が手を携へ、閨(ねや)に、いさなふといへども、白露、少しも、悅ばす[やぶちゃん注:ママ。]

 やゝ黙然(けんぜん[やぶちゃん注:ママ。底本の異なる「初期江戸読本怪談集」では『てんぜん』とする。私には私の底本では、の崩しは絶対に「て」には見えない。ただ、彫師が「黙」を「」と誤認して誤刻した可能性はあるようには思う。)として居けるが、「君、かの野狐の精を愛し給はゝ[やぶちゃん注:ママ。]、妾、誠(まこと)を盡(つく)すとも、その甲斐、なからん。」

と、ふかく、怨(うらみ)し顏色(かんしよく[やぶちゃん注:ママ。])にて、別れてぞ、出行《いでゆき》けり。

[やぶちゃん注:本篇は、丸山遊廓の蘭が、実は女狐の化身であり、「白露」が最後に死霊であることが示唆されている。しかし、どうも、この話、語りの中の表現やシチュエーションに、何とも言えず、中国的なニュアンスがちりばめられていることに、一読、思われる人が多いはずである。学のある狐の女妖怪の定期の訪問というのは、如何にも日本的ではなく、極めて中国的なのである。しかも、その女狐が主人公を救おうとするというプロセスも日本の妖狐譚ではメジャーなものではない。実は、これは、私の偏愛する清初の蒲松齢の文語怪異小説集「聊斎志異」の中の一篇「蓮香」を翻案(但し、かなり、展開の改変が行われてあり、理屈がつくように外堀を埋めた部分が却って無理を感じさせて、それが全体に怪奇談の流れを澱ませてしまっているように私は感じる)したものである。絶妙な自在な訳で知られる柴田天馬訳「定本聊斎志異」巻六(一九五五年修道社刊)の当該話をリンクさせておく(電子化しようと思ったが、少し長いので、今回は諦めた。ちょっと疲れているから。悪しからず)。主人公の名は「桑(さう)秀才」であるが、名は『曉(げう)』で『字を小明』と称し、本篇の主人公の名もそこから改名してあるので、誰が見ても判然とする。

 なお、本篇は「巻之二」の「狐鬼 下」に続いており、これで終わりではない。

佐々木喜善「聽耳草紙」 一七六番 嫁に行きたい話(二話)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここ。]

 

      一七六番 嫁に行きたい話(其の一)

 或所に大層齡《とし》を取つた婆樣があつた。其婆樣を嫁子《あねこ》にケなかべかと云ふて仲人《なかうど》が來たところ、家では、俺方(オラホ)の婆樣ア眼も見えないし、わかねアごつたと斷つた。すると婆樣はこれアこれア此餓鬼どア向ひ山の頂上(テツペン)で赤蟻(アカガアリ)コと黑蟻(クロアガリ)コとが角力《すまふ》してらでア、汝(ウナ)どさア見ねえか…と言つた。

 婆樣は餘程嫁子に行きたかつたと見える!

[やぶちゃん注:文末の「!」は底本では太い「­―」(或いは調音符)だが、「ちくま文庫」版のエクスクラメーションを採用した。

「赤蟻(アカガアリ)コ」小学館「日本大百科全書」によれば、『昆虫綱膜翅』『目アリ科』(Formicidae)『の昆虫のうち、体色が赤褐色または黄褐色の種類をよぶ俗称。普通』、『アズマオオズアカアリをさすが、本州の山間部や北海道では、アリ塚をつくるエゾアカヤマアリやツノアカヤマアリをさすことが多い』とあった。「アズマオオズアカアリ」はアリ科フタフシアリ亜科オオズアリ属アズマオオズアリ(東大頭蟻) Pheidole fervida で、働きアリで約二・五ミリメートル、働きアリで約三・五ミリメートル。屋久島以北、日本以外では朝鮮半島にも分布する。和名通り、東日本では平地にも見られ、同属種のオオズアリ Pheidole nodus よりも明るい黄褐色を呈する。一方、エゾアカヤマアリはアリ科ヤマアリ亜科ヤマアリ属エゾアカヤマアリ Formica yessensis で、北海道及び本州中部以北に分布し、南限は神奈川県金時山で、体長は四・五~七ミリメートル。頭部・胸部・腹柄節・脚などは、黄赤褐色だが、頭部・胸部・脚の上面は、やや暗色で、腹部は黒色だが、基部は少し赤みがかる。一方の、ツノアカヤマアリは、ヤマアリ属ツノアカヤマアリ Formica fukaii で、北海道・本州西部まで分布し、体長は四・五~六・五ミリメートルで、頭部・胸部・腹柄節は黄赤褐色で、頭部上方・前胸背上端部・触角柄節・脛節は、やや暗色を呈し、腹部は黒い(以上は信頼出来るアリの学術サイトを複数参考にした)。

「黑蟻(クロアガリ)コ」一般に南西諸島以外の本邦では、住宅地などでも、よく見られる最も普通な種の一つで、日本列島に分布するアリの中では最大となる大型アリであるヤマアリ亜科オオアリ属オオアリ亜属クロオオアリ Camponotus japonicus が知られる。働きアリの体長は七~十二ミリメートルほどであるが、七~九ミリメートルの小型働きアリと一~一・二センチメートルで頭部が発達した大型働きアリが形態的に分化している。全身が光沢のない黒灰色だが、腹部の節は黒光りする。また、腹部には褐色を帯びて光沢のある短い毛が密生する。日本以外では、朝鮮半島・中国まで分布し、アメリカ合衆国やインドからも分布が報告されている(ここはウィキの「クロオオアリ」に拠った)。]

 

        手煽り(其の二)

 或所に齡頃《としごろ》の娘があつた。その娘を嫁子《あねこ》にケなかべかと云ふて仲人が來たところ、家では、俺方の娘アまだ何ンにも知らねえ子供で、わかねえごつたと斷つた。すると娘はわざわざ仲人の前へ來て手を煽《あふ》りながら、…あゝあゝ今朝《けさ》のすばれることア、十九になるども手ア冷(ツメ)たいと言つた。

[やぶちゃん注:この娘の仕草と台詞は、暗に、異性を求める私の身内の燃える熱い体を、なんとかして呉れる男性を求めているというを示唆しているものであろう。「手ア冷(ツメ)たい」はそれ以外の体が男を求めて燃える体を暗示する対表現と読んだ。]

佐々木喜善「聽耳草紙」 一七五番 尻かき歌

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここ。]

 

      一七五番 尻かき歌

 

 或所に馬鹿娘があつた。父親がある日隣家へ遊びに行くと、隣家の娘は繪を畫いて居た。感心して家へ歸つて其話をして聽かせ、本當に隣家の娘のやうな利巧な子供を持つたならなんぼ良(エ)えんだか、なんだ俺家の娘と來たらろくな勘定も知らないとこぼすと、馬鹿娘がいきなり立上《たちあが》つて父親の前で、グエアラと着物の裾をまくつて、片手で尻をガリガリとかいた。親父が怒つて叱ると、娘は左のやうな歌を詠んだ。

   かくべきための

   十(とを)の指

   けつをかいたて

   咎(とが)ぢやあるまい

 (江剌郡人首《ひとかべ》邊にある話。昭和五年七月七日佐々木伊藏氏談話の七。)

[やぶちゃん注:「江剌郡人首」現在の岩手県奥州市江刺米里(よねさと:グーグル・マップ・データ)の旧地名。ネットの「ことばバンク」の平凡社「日本歴史地名大系」の一部記載によれば、『角掛(つのかけ)・菅生(すごう)・栗生沢(くりゆうざわ)三ヵ村の東に位置し、北上高地中央の山地・丘陵に立地。南部に阿茶山』(あちゃやま)『(五三三・三メートル)・烏堂(からすどう)山(五五二・七メートル)、東部に大森(おおもり)山(八二〇メートル)・物見(ものみ)山が』聳え、『これら山麓の沢水が中央部で人首川』(ひとかべがわ)『に合流し』、『西流』し、『流域に盆地状の狭い平地が開けている。村名について』は、『坂上田村麻呂に討伐された人首丸』(ひとかべまる:た蝦夷(えみし)の族長阿弖流為(アテルイ)の弟大武丸(おおたけまる:別に他の蝦夷の族長悪路王の弟とも伝えるが、「あくろわう」は「あてるい」に当てたものともされる)の子)『の潜居地であったことに由来するとの伝承がある。大谷地(おおやち)遺跡は縄文時代早期のもので、貝殻刺突文・縄文・無文土器とともに絡条体圧痕文的な土器遺物がみられる』(以下略)とあった。「ひなたGPS」の戦前の地図の方のここで、「米里村」と、そこを貫流する「人首川」が確認出来る。]

佐々木喜善「聽耳草紙」 一七四番 馬鹿息子噺(二話)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]

 

      一七四番 馬鹿息子噺

 

        牛の角突き(其の一)

 或所に馬鹿な息子があつて、お葬式の行列が花を持つたり、旗を立てたりして來たので、面白くなつて、木に登つて、あゝ面白い、あ熊楠面白いと言つて喜んで居たら、何が面白いと言つて頭を叩かれた。家へ歸つてその事を話すと、そんな時には、なんまんだ、なんまんだと云つて拜むもんだと、親父が言つて聽かせたのでなるほどと思つてゐた。

 次ぎに或日、家の前を婚禮の行列が通ふる[やぶちゃん注:ママ。「ちくま文庫」版では『通る』とある。「かよふる」ではおかしいので、誤植の可能性が高いが、そのままとしておいた。]ので、親父の傳授此時とばかり、大聲上げて、なんまんだ、なんまんだツ! と唱へて拜むと、何が悲しいと言つて、又頭を叩かれた。其事をまた親父に語ると[やぶちゃん注:「ちくま文庫」版ではここに読点がある。]そんな時はお祝ひだから、歌の一つも唄つてやるもんだと言はれてそれを呑みこんで居た。

 或夜近所に火事が起つた。親父の傳授此時とばかり、早速火事場へ駈けつけて行つて、あゝ目出度い、目出度い、目出度の若松樣だよう、と唄つた。するとみんなに何が目出度いと言つて燒け杭《ぐひ》で頭を叩かれて、泣きながら家へ歸つて、そのことを話すと、親父は何たらこつた、そんな時には俺も助けますと言つて、水の一桶《ひとをけ》も打つかげてやるもんだと言つて聞かせた。

 或日息子が町へ用たしに行くと、鍛冶屋があつた。そこで折角《せつかく》炭火が燃え立つてゐるところへ、親父の傳授此時とばかり、ざぶりと一桶水をぶツかけた。鍛冶屋は大變怒つて金槌で頭をコクンと叩いた。息子は町から泣きながら歸つて來て、その事を親父に話すと、困つたもんだ、そんな時に一叩き叩いて助けますと言つて一打《ひとう》ち打つて助けるもんだと敎へた。

 其次にまた町へ行くと、酒屋の前で醉《よつ》ツタクレが二人で喧嘩をおつ初《ぱじ》めてゐた。息子は親父の傳授この時とばかり、俺も一叩き叩いて助けますべえと言つて、二人の頭をぽかりぽかりと叩きつけると、かへつて二人に慘々《さんざん》なぐられてほうほうの態《てい》で家に歸つた。そして其事を親父に話すと、そんな時には喧嘩の中に入つて、これこれ、まづまづと言つて仲裁をするもんだと敎へられた。

 或日、息子が一人で山奧へ柴取りに行つたら、牛が二匹で角突き合《あひ》をしてゐた。親父の傳授この時とばかり、その眞中《まんなか》へ、これこれ、まづまづと云つて割り込んで、角で腹を突かれて、遂々《たうとう》死んでしまつた。

(江刺郡米里村地方の同話には多少相違がある。卽ち馬鹿息子の遭遇失敗した事件の順序は、火事を路傍で見て居たのが惡かつたのである。

 そこで親父からさういふ時には水を張りかけるか、
 水がなかつたら小便でもいゝと敎はる。
  次に出會《であは》したのは嫁子取りの行列であ
 つた。花嫁子《はなあねこ》の腰卷の赤く飜《ひる
 が》へるのを火事だと誤認して小便をしつかけたの
 が惡かつた。
  其次に出會したのが葬式の行列で、それに親父か
 ら敎はつた祝謠《いはひうた》を歌つたのが惡かつ
 た。
  そこでこれでは迚《とて》も一人で山へ柴刈りに
 遣れぬから俺と一緖に行けと、親父が言つたことに
 なつて居る。同地の佐々木伊藏氏談話六。昭和五年
 七月七日聽書。)

[やぶちゃん注:附記は長いのと、附記内部に改行字下げがあるため、本文同ポイントで引き上げた。さらに、手を加えて、構造的には佐々木が意図した形に一部の字数を減じて体裁を合わせた。ただ、この附記には、不全がある。則ち、この本文の採取地が不明であることである。最後の「同地の佐々木伊藏氏談話六」というのは、附記の内容の採集地であり、江刺米里としか読めないことで、本篇本文が、どこの採取かが、判然としないのである。但し、本書の多くの採集地が、佐々木の故郷である遠野であることを考えれば、本文の採集地は遠野に比定してよいであろうとは思うのであるが。また、米里版では、山の柴刈りには父親が同行していることから、馬鹿息子は父親に制止されて、命拾いをするという展開なのだろうか。馬鹿息子とは言え、私はそうであってほしいとは思うのである。

「江刺郡米里村地方」現在の奥州市江刺米里(えさしよねさと:グーグル・マップ・データ)。遠野市からは南西に当たる。]

 

        飴甕(其の二)

 或所に少し足りない馬鹿な兄があつた。母親(オフクロ)が飴(アメ)を作つて、厩舍桁《うまやげた》の上に置いた。ある日のこと兄が飴をなめたいなめたいとせがむので、親父も仕方なく桁へ上つた。そして今飴甕《あめがめ》を下《おろ》すから、お前は下に居て尻(ケツ)を抑へろよと云つた。

[やぶちゃん注:「厩舍桁」厩の柱の上の棟の方向に横に渡して、支えとする材木。何故、こんなところに置くのかが、判然としないが、飴を熟成させるのに丁度よい温度・湿度、太陽光が入らず、相応しい場所なのであろうか? 或いは、馬がいることから、雑食性の鼠や中型獣類が恐れて、食害しない場所なのであろうか? 識者の御教授を乞うのものである。]

 兄は喜んで、はいはいと言つて居た。父親《とと》は薄暗い厩舍桁へ上つて、甕を取り出し、いゝか、しつかり尻をおさへろよ、手を離すぞ、と言つて、そろそろと下した。下で息子は、あゝいゝよ、しつかりおさへているから、と言ふ返事なので、父親が手を離すと、飴甕はどさツと土間に落ちて粉微塵に碎《くだ》けて、飴はみんな土の上に流れてしまつた。父親は眞赤になつて怒つて、下へおりて、お前どうして尻をおさへていないツと怒鳴《どな》ると、息子は腰を屈めて兩手でしつかりと自分の尻をおさへながら、父親(トト)俺アこんなにおへえて居たと言つた。

  (昭和四年十一月中、前述織田秀雄君御報告の四。)

佐々木喜善「聽耳草紙」 一七三番 馬鹿嫁噺(二話)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]

 

   一七三番 馬鹿嫁噺

 

     オつけ言葉(其の一)

 馬鹿嫁樣が他(ヨソ)に行つたら、「オ」をつけてしやべるものだと母親から敎はつた。或日他所《よそ》へ招ばれて行くと、其家では甘《うま》い大根汁を出して御馳走した。そこで早速斯《か》う言つて見た。オ家の、オ大根はオでんち、オがらか、オあんじは、オよくて、オござんす、オこと…(即ちお宅の大根は田地柄か味がよく御座んすことと謂ふのである。)

 

     鶯言葉(其の二)

 これも馬鹿嫁噺である。嫁子に行つたら、鶯言葉《うぐひすことば》を使ふもんだと云はれた嫁子《あねこ》が、婚禮の時に、仲人(ナカド)嬶樣(ガガサマ)し、セウウペン、セウペン、セウペン、チコチコツと言つて便所ヘ行つた。鶯言葉とは上品な言葉と云ふ意味ださうである。

(馬鹿嫁噺として、まだまだ記錄して置きたいものや貴重だと思へる資料がかなり多くある。卽ち「上口下口」「饅頭」「おこわ飯」「いゝこと知らず」「傘」「傷嫁子《きずあねこ》」「有合せ物」等其他であつた。然しこれらは其内容が笑話となつて居るので、此集などからは別に分離して置くべき物だと謂ふ見解から、私は此所には發表しなかつた。其の一例として比較的 Simple な物を擧げて見ると、その「有合せ物」と謂ふ話などは薄足らない嫁子に姑が、私はお晝飯頃には歸らぬかも知れぬから、有合せの物を出して食事をして居ろと言い置いて外出した。そこで嫁子は後で衣物《きもの》の裾を卷《まく》り上げて有合せの物を出しつゝ食事をしたと謂ふやうな話である。)

[やぶちゃん注:附記はやや長いので、本文と同ポイントで引き上げて示した。ここで佐々木が挙げている他の「馬鹿嫁噺」は残念ながら、国立国会図書館デジタルコレクションやネットの検索をかけても、他の佐々木の書籍や他者の民譚集でも見当たらない。遺憾ながら、既に失われてしまった可能性が大のような気がする。]

2023/07/25

只野真葛 むかしばなし (72) 眞珠尼のこと

 

一、忠山樣御代に、十一にてめしかゝへられし人、後に「眞珠」とて、尼に成(なり)し。ワ、つとめし比は、七拾餘(あまり)なりし。

[やぶちゃん注:「忠山樣」既出既注。仙台藩第六代藩主伊達宗村(享保三(一七一八)年~宝暦六(一七五六)年)の諡号。]

 十一にて、四書五經をそらにし、大字(だいじ)を書(かか)れ、狩野家の繪を書(かき)し。藝にて、召し出されしなり。

「哥(うた)は、十八の年より、よみ習(ならひ)し。」

と、いひしが、後は、專ら、御姬樣方の御師範、申上たりし。

 繪は、御家(おんけ)へ上(あが)りて後も、御世話被ㇾ遊しや。彩色、殊に上手なりし。十一にては、あれほどには、覺ゑ[やぶちゃん注:ママ。]まじ。

 此人、むかし、宿下(やどざが)りして有(あり)し人の元へ、用、有(あり)て、文(ふみ)をやりしを、其内へ來(き)かよう人の、

「此文がら、見ても、よきや。」

と、いひしとぞ。

 させる用にてもなかりし程に、

「よし。」

とて見せしに、その人は、

「墨色を見る人なりし故、見しことにて、此人、眞珠が氣性・諸藝・顏色・かたちまで、よく、あてたりし。」

とぞ。

 其人、上りて、そのよしを語しかば、なにかは、うわきの若人(わかうど)たち、

「われも。われも。」

と、墨色を見てもらひに、やりし、とぞ。

 其中に、表封じをして、印おして、こしたるが、一ツ有(あり)しを、人の中にて、あらそひ、見ず、懷中して行(ゆき)しを、後に、

「何事、書(かき)し。」

と、きけども、語らず。

 殊の外、ゆかしがりて、人々、

「どこに有(ある)か、見たしく[やぶちゃん注:ママ。]。」

といふ事なりしに、眞珠は、

「相部屋故(ゆゑ)、人が、せめる。其身も、見たし。どふせふ。」

と、當番、留守中に、小だんすの上の引出しを、少(すこし)明(あけ)て、みたれば、くるくると卷(まき)て入れ有(あり)しを、開き見しに、

「其方樣(そのはうさま)のを、かよふ[やぶちゃん注:ママ。]に封じたるは、外の事ならず。至(いたつ)て、好色、深し。誰(たれ)とても、このまぬ人は、なけれど、つゝしまずば、身を、あやまつ事、あらん。」

と書(かき)て有(あり)しを、眞珠、

「心、『パツと、評判しては、あしからん。』と思(おもひ)て、人には、見つけず。」

と、いひて有しが、忠山樣は、勝(すぐれ)たる御美男にて入(いら)せられしを[やぶちゃん注:表現上、文法的に問題があるが、「おられましたが」の意であろう。]、其人、つけ文(ぶみ)を上(あげ)しにより、御暇(おんいとま)出(いで)たりし、とぞ。

「其後、見し事は、語りし。」

となり。

「左樣の氣ざし有(あり)し故、人も、いさめしならん。」

と、いはれし。

 其(その)相(あひ)見し人は、上總の大百姓なりしが、道樂者にて、若き妻を、一人おきて、江戶にばかりゐて、遊びしほどに、其妻、身重(みおも)に成(なり)しとぞ。

 其あいては、手代の〆(しま)り人なりしを、人々に、くみて、つげしかば、

「幸(さいはひ)、子共なければ、養子するには、ましなり。すぐに、うませて、子にする。」

とて、かまはざりしとぞ。

[やぶちゃん注:「手代の〆り人」手代を凡て監督指導する番頭格ということであろう。]

「壱人(ひとり)置(おい)たから、其はずなり。」

と道理をつけしは、今の世にては、珍らしからぬやうなれど、昔は、珍らしき事に、人、いひしとぞ。

 お末の者に、何の故もなく、頰のはれし事、有(あり)しを、

「それ、はやりの、うらかた。」

とて、聞(きき)にやりしに、

「『是は、此人のばゞなどの、しきりに逢たくおもゑて[やぶちゃん注:ママ。]、死せしならん。にくし、と思ふにはあらねど、おのづから、つめて、思(おもひ)し念の、來たるならん。』と、いひて、こしたりしに、やどよりも、在所のばゞ、少しばかり、わづらひて、死(しし)たるよし、知(しら)せ來りしが、『殊の外、逢(あひ)たがりし。』と、いひし故、ふしぎの如く、云(いひ)あへりし。」

とぞ。

[やぶちゃん注:「はやりの、うらかた」「流行(はやり)の、占方(うらかた)」で、所謂、当時、よく当たると評判だった易者・占い師に、この異変を内々に占わせてみた、ということであろう。]

佐々木喜善「聽耳草紙」 一七二番 馬鹿聟噺(二十一話)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。本章は非常に長い。]

 

      一七二番 馬鹿聟噺

 

        金屛風(其の一)

 舅家《しうとのいへ》から、馬鹿聟殿に、今度屛風を買つたから見に來てけさと言傳《ことづて》があつた。嫁子《あねこ》は知つて居るので、金屛風に竹ばかりで、それが物足りなく、何か書き添えたいと言つて居たぢ、竹には虎が附きもんだから、これに虎を書き添へればよいなアと言はさいと敎へて出してやつた。舅家へ行くと案の定その金屛風を取り出して、いろいろと眺めすかして居た舅殿は、時に舅殿、この屛風は竹の繪ばかりでは見ぐさいしだい、何かうまい事は無いものかと訊いた。馬鹿聟殿は腕組《うでぐ》みして、考へる振りをして居たが、昔から竹に虎ぢます、虎があれば竹がピンと跳ねるもんだと聞きましたと言つた。舅殿は大喜びをした。

 それから日が少し經つと舅家からまた、何だか聽きたいぢと云つて使ひが來た。嫁子も今度は何の用か分らぬので其儘出してやつた。馬鹿聟殿は俺はこれでも物識りだと言つて大威張りで行つた。舅殿は床《とこ》について、うんうん呻《うな》つて居た。そして聟殿の見えたのをひどく喜んで、これはこれは聟殿よく來てくれた。實は昨夜からこれが病《や》めて死ぬやうだと言つて、大きな仙氣睾丸《せんききんたま》を橫腰から出して見せつゝ、何とかよい妙藥でもあるまいかと訊いた。馬鹿聟殿はそれを橫から見たり、屈んで見たりして居たが、それこそ大聲を出して、竹に虎だツと叫んだ。

[やぶちゃん注:「仙氣睾丸」「仙氣」は「疝氣」が正しく、これ自体が、漢方で、下腹部や睾丸(こうがん)が腫脹して痛む病気の総称である。下半身の睾丸を含む全体的な腫脹は、リンパ系フィラリア症(象皮病)があるが(私の『「想山著聞奇集 卷の參」 「戲に大陰囊を賣て其病氣の移り替りたる事   附 大陰囊の事」』を参照)、この舅は睾丸のみが腫れ上がっているので、他の部位に全く腫れが認められないとならば(ロケーションが東北地方であるので、象皮病は本邦では、嘗ては、日本の温暖な西日本や南日本地域に多かったことから、ちょっとクエスチョンである)、精巣腫瘍・陰嚢水腫・精液瘤・精巣上体炎・精巣捻転症・精索静脈瘤などを疑った方がよいかも知れない。]

 

        物貰ひ(其の二)

 馬鹿聟殿が舅家の秋振舞ひに呼ばれて行つて、しこたま御馳走になつたあげく、翌朝、歸りに十文錢を緡(サシ)にさして貰つた。それを持つて山路へかゝると、沼に鴨がずつぱり(多く)下りて居たから、それを捕るべと思つて、錢を投げつけてみんな失くしてしまつた。そのうちに鴨鳥はばツとみんな飛び去つたので馬鹿聟殿は手振八貫(テブリハチクワン)で家さ歸つた。[やぶちゃん注:「秋振舞ひ」収穫の終った後の祝いの飲食を指す。「八貫」三十キログラムであるが、何を言ってるのか、不明。自身の体重にしては、軽過ぎるし、一緡(銭百文又は千文)の重量としては、重過ぎる。後の別なシークエンスでも繰り返されるので、単に「何も持たずに軽いこと」を言っているようである。]

 家へ歸ると、母親(オツカア)が、ざえざえ舅どんから何も貰はなかつたかと訊くと、聟殿は、舅どんから十文錢一緡貰つたつた[やぶちゃん注:今言うところの「貰ったった」。]けれども、山澤(ヤマサワ[やぶちゃん注:ママ。])の沼に鴨鳥がずつぱり居たのでみんな投げつけて來たますと答へた。それを聽いて母親は歎いて、なんたらお前も馬鹿だべなア、そんな錢を貰つたら、財布に入れて大事にして持つて來るもんだにと言つて聞かせた。すると馬鹿聟殿は、あゝ、俺アよく分つた。尤も尤もと言つていた。

 其次に舅家へ行つた時は、ぜえぜえ聟殿の家にア馬コが無かつたから、馬コ一匹けツからと言つて、勇みの駒を一匹貰つた。そこで馬鹿聟殿はこゝの事だと思つて、その駒を財布の中に入れべえとして、駒の頭に財布をかぶせて尻を打つて打つて、遂々《たうとう》打ち殺してしまつた。そして、あゝオメトツタ、オメトツタ(苦勞した)と言ひながら家ヘ歸つた。

 母親がまた今日ははア舅どんから何も貰つて來なかつたかと訊くと、舅どんではお前のところには馬コがなかつたから、これをけツからと言つて、馬コ一匹もらつたけが、俺ア財布さ入れべとして、打ツ叩いて、打ツ叩くと遂々くたばつた(死んだ)から、街道傍《かたはら》さぶん投げて來たのシと言つた。母親はそれを聽いて、ひどく歎いて、何たらお前も馬鹿だべなア、馬コもらつたら、首さ手綱を結びつけて、はいはい、どうどうと掛聲しながら曳いて來るもんだがと敎へた。聟殿はそれを聽いて、あゝ訣《わか》つた訣つた、今度こそはと言つて居た。

 其次に舅家さ行つた時ア、聟どんの家にア茶釜コが無かべから、これを持つて行けと言つて、立派な茶釜を貰つた。馬鹿聟殿はこゝだと思つて、茶釜の鉉(ツル)コに繩を結びつけて、凍(スミ)カラの上を、がらがら、がらがらとひきずつて來た。すると茶釜ははつぱりと打ち壞れて鉉コばかりをからからと引いて家へ持つて來た。[やぶちゃん注:「凍(スミ)カラ」凍った道の意か。]

 家さ歸るとその態(サマ)を母親が見て、それあ何の事だアと叱つた。聟殿は何さ舅どんへ行つたら、お前のところにア茶釜コもなかんべからツて、この茶釜コをもらつたから、これ斯《か》うして曳摺《ひきず》つて來たのシと言つた。母親はそれを聽いて大層歎いて、なんたらお前も馬鹿だべなア、そんな立派な茶釜コなどもらつたら、大事にして手に持つて下(サ)げて來るもんだがやエと敎へると、尤も尤も、今度こそと言つて俯肯(ウナズ[やぶちゃん注:ママ。])いていた。

 其次ぎに舅家さ行くと、ぜえぜえ聟どんの家には下女童(ゲヂヨワラシ[やぶちゃん注:底本では「ゲチヨワラシ」。「ちくま文庫」版を参考に訂した。])がなかつたべから、一人けツから連れて行きもせと言つて、下女童を一人もらつた。馬鹿聟殿はこの時だべと思つて、下女童の帶をとつて右手に引ツ下げると、下女童は魂消《たまげ》て、おういおういと泣きながら逃げて行つてしまつたので聟殿は手振八貫ですごすごと家へ歸つた。

 家に居た母親が、ぜえぜえ舅どんでは何もケなかつたかと訊くと、何さ下女童一人もらつたども、腰を抱いて引ツ下げべとしたら、泣き立てゝ逃げて行つたから、構(カモ)ねで[やぶちゃん注:構わずにそのままにして。]來たシと言つた。母親はそれを聽いて、何たらお前も馬鹿だことでア、下女童などもらつたら、自分の後(アト)さ立てゝ、それア靜かに來(コ)らやい、今日は天氣アええなア、お前アええ童だなアと言つてダマシ(慰め)て來るもんだと言ふと、聟殿はああ尤も尤も、今度こそ今度こそと言つて居た。

 其次ぎに舅家さ行つた時は、聟どんの家にア屛風コも無かんべから、これをケツからと言つて、屛風をもらつた。ははアこれとて下げたりなんかしては惡い。この時だと思つて、舅家の門口を出ると往來に屛風を立てゝおいて、さあさあ靜かに來ウやい。今日は天氣はええなア、本當にいい、メンコ(可愛い)だ、メンコだなアと言つて、眞直ぐに家へ歸つた。

 家に居た母親が、今日は舅どんでは何もケなかつたかと訊くと、ああ今日はお前の家には屛風コもないこつたからと言つて、屛風コをもらつたから、後に立てゝ置いて、靜かに來らやい。今日はお天氣がいゝなアツてダマして來たシと言つた。

 母親はそれを聽いてひどく歎いて、何たらお前も馬鹿なこつたべなア、そんな時には、はアこれやどつこいしよツと、肩さ擔いで來るもんだにと訓(サト)したら聟殿はあゝ分つた分つた。今度々々、尤も尤もだと言つていた。

 其次ぎに又舅家さ行くと、聟どん聟どん、お前らにヤ牛(ベコ)コもなかつたべから、一疋けツから曳いて行きもせと言つて、赤斑《あかまだら》の牛コを二疋貰つた。馬鹿聟殿はこゝだと思つて、牛の下腹《したばら》さもぐり込んで、どつこいしよツと擔《かつ》ぎ上《あ》げべえとすると、めイめイと大きな聲で啼いて、馬鹿聟殿を向角(ムカツノ)で、どいら突き飛ばした。聟殿はおつたまげて、おういおういと大泣きに泣いて家に歸つた。

 そこで母親もこの聟殿があんまりな馬鹿者なのに呆れ返つて、二度と再び舅家などへは行くなと言ひつけた。

(參考のために出羽の「山の與作《よさく》」の話をする。この話は普通の「馬鹿聟噺」の型を破つた、不思議な哀話であつた。それは出羽の庄内、立谷澤《たちやざは》と云ふ所の山奧に、與作といふ愚直な男があつた。獨身者《ひとりもの》であつたので、或人の世話で、麓の村から嫁子を貰つた。其嫁子の名はお初と云つた。

 お初は與作がどんな馬鹿なことをしても、決して厭な顏をしたり、小言を言つたりした事がなく、それはそれはまめまめしく聟鍛に仕へた。村の人達でお初のことを褒めぬ者はなかつた。

 與作は春になつたので山の蕨《わらび》を採つて來て、それを舅の家へ土產に持つて行つた。舅姑《しうと・しうとめ》は大層喜んで、そのお禮に小判を一枚出して、聟殿々々これを持つて行つて何かの足しにと言つてくれた。與作はそれを貰つたが、途中でどうも其小判が不思議でならず、力任(チカラマカ)せに平たい石の上に叩きつけてみると、チヤリン、チヤリンといふ音がした。これは面白い物だと思つて幾度も幾度もさうして叩きつけて鳴らした。其中《そのうち》に小判がひしやげて見惡《みにく》くなつたから、川の中にブン投げて歸つた。

 お初は家で夫を待つて居たが、夕方やつと歸つたから、お前は里から何か貰つて來なかつたかと訊くと、與作は何だか薄いピカピカ光る金《かね》を貰つたども、石に打つけると面白い音がするから、打ちつけ々々々々して遂々仕舞ひには川さ投げ棄てて來たと言つた。お初はそれは小判と云ふものであつたべに、今度それを貰つたら、これに入れて大事に懷中にしまつて持つて[やぶちゃん注:底本は「持つた」。「ちくま文庫」版で訂した。]來さいと言つて財布を渡した。

 それから間もなく谷澤に蕗《ふき》が生へる時になつた。與作はその蕗を採つて、舅の家へ土產に持つて行つた。舅姑は大層喜んで、今度は、お前のとこらには無いだらうからといつて、靑馬を一匹くれた。それを曳いて來る途中で、いつかお初から聽いた話を思ひ出して、ふところの財布を出して馬を入れようとすると、馬はハヒヒヒンと高噺《たかいなな》きをして何處かへ逃げてしまつた。家へ歸つて其事をお初に話すと、お初は歎いて、馬を貰つたら綱を着けて、はいはいと言つて曳いて來るもんだと敎へた。

 それから間もなく筍《たけのこ》が生へる季節になつた。與作はその筍を採つて籠に入れて、舅の家へ持つて行つた。すると舅姑はひどく喜んで、これを持つて行つて使へと言つて立派な茶釜をもらつた。それを持つて來る途中で、ざえざえさうだつた。お初があゝ云つたつけと漸く思ひ出して、茶釜の鉤(ツル)に綱をつけて、石カラ路をがらがらと曳き摺つて來た。そしてはつぱり茶釜は壞れてしまつて、鉤ばかりを家へ曳いて來た。お初はそれを見て歎いて、なんたらことだ。茶釜を貰つたら手ささげて來るもんだと敎へた。

 其中《そのうち》に秋になつた。山には澤山、菌《きのこ》や葡萄やコウカ[やぶちゃん注:「紅花」(べにばな)のこと。被子植物門双子葉植物綱キク亜綱キク目キク科アザミ亜科ベニバナ属ベニバナ Carthamus tinctorius 。]などが實つた。今度はそれらの物を採つて籠に入れて背負つて、舅の家へ行つた。舅姑はいつもいつも珍しい物ばかり貰う[やぶちゃん注:ママ。]と言つて喜んで、これを曳いて行つて木でもつけろと言つて、一匹の斑牛《まだうし》をくれた。與作は其牛を貰つて曳いて來る途中で、あゝさうだつた、お初があゝ言つたつけと思ひ出して、斑牛の頭をつかまへて引上げやうとした。すると斑牛はひどく怒つて與作を角で突き殺してしまつた。

 其日の夕方、お初は家に居て、夫の歸りを待つて居たども、なかなか歸らなかつた。あんまり遲いものだから、松火《たいまつ》をつけて迎ひに行くと、山路《やまみち》の途中で夫は牛に腹を突き破られて死んで居た。それを見てお初は大層歎き悲しんで、其所の千丈ケ谷と云ふ難所から夫の屍《しかばね》を抱《いだ》いたまゝ身投げして死んでしまつた。それ以來此村では、與作、お初と云ふ名前をつけぬと謂ふことである。

此話のみは雜誌『話の世界』一卷七號、大正八年十二月號に載つた。淸原藍水と云ふ人の物であるが、こんな機會にでも採錄して置かぬと自然と忘れられてしまふから記錄して置いた。)

[やぶちゃん注:以上の附記はポイント落ち字下げを行わずに、本文同ポイントで引き上げた。最後の段落の冒頭の字下げがないのは、そのままで、これは佐々木自身の形式であって、誤りではない。なお、私は昔、本章本文を読んでいる最中、既にして、牛の角に突かれたら、死ぬかもしれない、ふっと思ったのを思い出す。而して、以上の哀話落ちを読んで、思わず、二人の最期を想起し、与作とお初の冥福を心の中で祈ったものであった。

「出羽の庄内、立谷澤」現在、山形県東田川(ひがしたがわ)郡庄内町(しょうないまち)立谷沢(たちやざわ:グーグル・マップ・データ航空写真)があり、南端近くに月山が、北の域外の近くに羽黒山が位置する山間地である。但し、旧「立谷澤村」は「ひたたGPS」の戦前の地図で見ると、羽黒山まで含まれていることが判った。なお、「千丈ケ谷」はそちらで調べてみたが、見当たらなかった。月山の東直近には「千本松山」と「念佛原」があるが、与作が麓の里から帰る途中のロケーションでなくてはならず、こんな南の奥の高山部ではあり得ない。]

 

        馬買ひ(其の三)

 馬鹿聟殿が、或日馬ア買ひに小袋をさげて行つた。さて買つた馬を小袋に入れて持つて歸るべえとしたが、馬はどうしても小袋に入らなかつた。家へ歸ると爺樣に、聟殿聟殿馬買つて來たかと訊かれた。そこで聟殿は聲を張り上げて、

   馬がア―

   逃げたア風(ふ)だア…

 と歌つた。すると直ぐそのあとに續いて、馬が、インヒヽン、インヒヽンーと嘶《いなな》いた。

 次に婆樣が、聟殿聟殿馬ア買つて來たかと訊いた。そこでまた聟殿は聲を張り上げて、

   婆アやア

   婆アやア―

   馬が逃げたつだア―

 と歌つた。すると直ぐそのあとへ續いて馬が、インヒヽン、インヒヽンと嘶いた。

 爺樣婆樣の考へでは、どうもこんな聟殿では分らないと言ふので、遂々《たうとう》逐《お》ひ出した。

  (馬鹿聟殿の頓狂な唄聲に續いて、インヒヽン、
   インヒヽンと馬の嘶き聲を付ける、その節𢌞し
   のユーモアが此話の興味である。森口多里氏御
   報告分の六。)

 

        厩舍褒め(其の四)

 舅の家では厩舍《うまや》の新築祝ひで、聾殿にも來いと言つて來たので、これは行かねアばなるまい、さあ行つて來るウと言ふ。嫁子は心配して、家を出る時、あの厩舍には大事な柱に節穴があつけから、此所さ火伏せの御守札を貼ればええなすと言はさえと敎へて出した。

 行つて見れば成程大事な柱に節穴があつたので、聟殿は後からついて步きながら、舅どん、舅どん、あつたら柱に節穴がついてをるが、こゝに火伏せのお守札を貼るとええなすと、オカタから敎はつた通りのことを言つた。舅殿は感心して、俺ア聟どんは少し足りないつて謂ふ評判だつたが、これでは何も不足はないと思つて、さうだアさうだア、聟どんはよいところに氣がついたと言つて、ひどく喜んだ。

 ところが舅殿に褒められて、圖に乘つた馬鹿聟どんは、厩舍の中の雌馬の尻の方を見て居たが、いきなり、あツ舅殿し、この馬の穴さも火伏せのお守札をはんもさえと言つて、大味噌をつけた。

 

        大根汁(其の五)

 或家で聟殿を貰つた。世間の話では、その聟殿は少々薄馬鹿だと云ふ事で、また聟殿自身も人にさう云はれるもんだから、始終内氣勝ちで居たが、本家から箸取振舞(ハシトリブルマヒ)に來いと招《よ》ばれたので、嫁聟二人で行くことになつた。聟殿が本家さ行つて人に笑はれネばよいがと心配すると、アネコ(嫁子)はそれを慰めて、なにもそう心配することアねえ、御馳走はたいてい大根汁にきまつて居るから、大根ヅものアええもんだ。根も食へれば葉も食へてツて褒めらツさえと敎へた。聟殿は喜んで、それを何時《いつ》さう言へばええべと訊くと、嫁子はそれではお前の腰さ細繩コ結び着けて置いて、それをチキツと引張《ひつぱ》るから、其時にそう[やぶちゃん注:ママ。]言はさえと敎へた。

 聟殿は腰に細繩を着けてもらつて、嫁子《あねこ》と一緖に本家へ行つた。お膳が出ると、案の定大根汁であつたので、お膳に向つた時、嫁子はチキツと繩を引張つた。聟殿はこの時だと思つて、ははア大根ズものアええもんだ。根も食エば葉も食つて、と居云つてお辭儀をした。皆は魂消《たまげ》て、なんだかえアニコ(兄聟殿ということ[やぶちゃん注:彼は恐らく長女或いは長男よりも年上の次女等の聟なのであろう。])を世間では薄馬鹿だと言ふが、本當に噂ツてものはあてにならねもんだ。馬鹿聟どころか世間に餘計《よけい》ない[やぶちゃん注:そうしたものが他にいない。]利功者だと感心して居た。

 ところがその中《うち》に嫁子が小用を足しに行つた。その繩の端にはどうしたものか鰯を結び着けて置いたので、猫がそれを見つけて、パクツパクツと引張つた。そこで聟殿はその度每に一生懸命に、大根ズものアええもんだ。根も食エば葉も食ふ…と續けざまに言つたので、すつかり木地をあらわしてしまつた。

(箸取振舞とは、男女新婚の前後に主に婚儀前親類緣者の家に招ばれて行つて、御馳走になり、其上に錢を貰ふことである。此話は盛岡地方の昔話である(橘正一君報)。ところが拙妻の記臆して居た話では、馬鹿聟殿の言ふことばが、少々長くて斯《か》うであつた。――芋ヅものアええもんだ、根も食つて葉も食つて、親ア食つて子食つて、殘るところはケツクラケツのケブカ(毛)ばり…と云ふのであつた。勿論この方は芋汁の御馳走であつたのである。昭和三年十二月二十七日聽記《ききしるし》の分。)

[やぶちゃん注:附記は、やはりポイント落ちはやめて、引き上げておいた。]

 

        小謠(其の六)

 或時、馬鹿聟殿が舅家へ行くと、聾舅どんは小豆團子《あづきだんご》を食つたことが無かんべから、こさへて御馳走すべえと云つて、姑婆樣《しうとばばさま》が小豆團子をつくつて食はせた。それがとても甘《うま》かつたので、聟殿はその團子を仕末するところを、よく見張つて見て居ると、戶棚に入れたから、その夜中に皆が寢沈《ねしづ》[やぶちゃん注:漢字はママ。]まつてから、そつと起きて、戶棚から團子瓶《だんごびん》を取り出して、頭を突ツ込んでうんと食つた。そして鱈腹《たらふく》食つてから、頭を拔くべと思つたら、どうしても瓶から頭が拔けなかつた。そのうちに裏心《うらごころ》がさして來たので、厠舍《かはや》に行つて蹲《シヤガ》んで居ると、舅殿が帶廣裸體(オビヒロハダカ)でうそうそとやつて來たので、馬鹿聟殿は魂消《たまげ》てカキギ箱の中に入つて隱れた。[やぶちゃん注:「裏心」通常は「企みを考えること」の意であるが、どうも合わない。「後ろめたい気持ちが募って」の意であろう。「帶廣裸體」「帶代裸」と同義で「細帯を締めただけの、だらしのない姿」を指す。但し、通常は女性のそうしたあられもない姿を指す。「カキギ箱」「搔木箱」で「「搔木」は糞箆(くそべら)で、大便をした際、尻を拭うのに用いる木片を指す。「捨て木」「籌木」(ちゅうぎ)「ちょう木」「つっ木」「ようど木」「しの木」などとも呼ぶ。]

 そんなことは一向知らない舅殿は、用を濟ましてから、カキギを探したが、箱になかつたので、其所にあつた石を取つて尻を拭(ヌグ)つて、その石をべえアら(いきなり)投げた。するとそれが馬鹿聟殿のかぶつていた瓶に當つて、瓶はガチンと音がして壞はれた。そこで聟舅して、お前が石で拭つたことを俺は喋言《しやべ》らねから、お前も俺の瓶のことを言ふな言わないと約束をして、二人は素知らぬ振りをして朝間《あさま》まで寢て居た。

 或時、親類に婚禮があつて、舅殿もこの馬鹿聟殿も招ばれて行つた。舅殿は、さあさ親類役として小謠《こうたひ》を一つと所望されて、威儀を正しくして、斯《か》う歌ひ出した。

   池の水際(ミヅギワ[やぶちゃん注:ママ。])の

   鶴ら龜エはア…

 馬鹿聟殿はそれを聽いて憤然(ムツ)として、これあ酷いツ、お前は石で尻拭いたケたらと言つた。

[やぶちゃん注:「小謠」謡曲「鶴亀」の一節。しかし、このシークエンスで馬鹿聟が何故むっとしたのかが、私が馬鹿なのか、判らない。何方か御教授願いたい。]

 

        舅禮(其の七)

 馬鹿聟殿は舅禮《しゆどれ》に行くべえと思つて朝早々に家を出たが、さて、何と言つて行つたものか、少しもその見當がつかなかつた。一升樽を下げて道々その事ばかり考へながら行つた。すると大きな川のほとりへ出た。見ると對岸に隣の父(トト)が朝釣りをして居たから、あゝさうだ、彼《あ》の人なら何でも覺えて居る。これは一つ聞いて行つた方がいゝと思つて、ざいざい俺はこれから今舅禮に行くのだが、何と言つたらよいか敎へてケ申せやアと叫んだ。すると川向ひの父は自分の漁のことを聞かれるものと思つて、何今朝《けさ》はわからない。朝飯前にこればかりと言つて、魚籠(ハキゴ)[やぶちゃん注:「魚籠(びく)」のこと。]を頭の上へ高く差し上げて振つて見せた。馬鹿聟殿はあゝ分つた分つたと言つて舅家へ行つた。

[やぶちゃん注:「舅禮《しゆどれ》」の読みはサイト「ふるさと栄会」の「ふるさと昔っこ(畑則子)」の「三人婿(むご)の舅礼(しゅどれ)」の読みに従った(恐らくは「しゅうとれい」の変化したものと思われる)。また、工藤紘一氏の報告「聞き書き 岩手の年中行事」(『岩手県立博物館研究報告』第二十八号所収・二〇一一年三月発行・PDF)で、この「舅礼」行事が確認出来た(4950ページ)。それによれば、初日の期日が決まっており、一月二日で、『昼頃、若夫婦は嫁の実家へ行く。これを舅礼という。結婚後、3年間これを続けなければ、嫁を取り返されるといわれている。土産は酒と魚と餅で、このため婿の家では 1 臼(3 4 升)余分ついたものである。5 日頃には婚家へ戻る』とあった。]

 舅家の玄關へ行くと、そこへ舅姑が出て來たから、こゝだとばかり早速、一升樽を頭の上に差し上げて、はい今朝はわからない。朝飯前にこればかりと大きな聲で呶鳴《どな》つた。舅姑等は面食つて何のことだかさつぱり分らなかつた。とにかく座敷に通していろいろと御馳走をして歸した。

 其歸り路でひよつくりと今朝の隣家の父に出會つた。やや今朝はどうもありがとう、お蔭樣で何事なく舅禮をすまして來たますと言ふと、隣家の父は怪訝《けげん》な顏をして、はあお前は何と言つたいと訊ねた。馬鹿聟殿は、あゝ間違つてゐたかな、今朝はわからない、朝飯前にこればかりと言つたと答へた。[やぶちゃん注:底本は本文が行末で句点がない。「ちくま文庫」版で添えた。]隣家の父は呆れてしまつて、俺はまたお前がなんぼ釣れたと訊くのだと思つて、あゝ言つたが、えらい舅禮をやつたもんだなアと言つて大笑《おほわらひ》した。

 

        茶釜(其の八)

 馬鹿聟殿が或時、舅家の秋振舞ひに招ばれて行つて、うんと御馳走になつて、湯をがぶがぶ飮んだので、夜中になつたら小便が出たくなつた。けれども起きるのが厭だから、我慢をして床の中でもぢもぢして居た。したどもなぞにしても我慢(ガマン)がし切れなくなつて起きた。そして肥料桶(タメオケ[やぶちゃん注:ママ。])を探してうろうろと方々を步き𢌞つたけれども、どうしても見付からなかつた。其中《そのうち》に腰がはちきれさうになつたので、仕方なく爐傍《ろばた》へ來て、茶釜に睾丸《きんたま》を入れてたれた。それからあゝええと思ふと、茶釜の中でうるけて[やぶちゃん注:「ふやけて」の意。]、どうしても拔けなくなつてしまつた。

 斯《か》うなつてはいくら馬鹿聟でも、おせうしく(恥かしく)なつて、室《へや》の隅(スマ)コに縮(スク)くまつていると、その家の姑樣が朝間早起きをして、その態《ざま》を見た。そして子供を背負つて搖《ゆす》ぶりながら斯う云ふ歌をうたつた。

   佛の前の白べのこヤエ

   凍水(スガミズ)かければ

   スポンと拔けるもんだヤエ

   ねんねんこヤエ

   ねんねんこヤエトサア…

 それを聞いて、馬鹿聟殿は流し前へ行つて、前に凍水をかけると茶釜が取れた。

 

        (其の九)

 馬鹿聟殿が舅家へ招ばれて行つて泊まつて、そして初めて枕と云ふ物をして寢た。どうも頭の工合《ぐあひ》が惡くて、ろくろく寢つかれなかつた。そこで側《そば》に寢て居る嫁子《あねこ》に、ざえざえ、これは何と云ふもんだと訊ねた。嫁子は自分の名前を訊いて居ることゝ思つて、おれお駒シと言つた。

 朝間《あさま》起きて家内一緖に膳に向つての朝飯時に、馬鹿聟殿は、やあやあ昨夜は一目も眠れない。お駒をするべえするべえと思つて、押しつければおぞり(退き)おぞり、やつと壁側に押つけてからして寢たと言つた。それは箱枕のことであつた。

(此頃八戶の『奧南新報』と云ふ新聞に出て居た。三戶《さんのへ》郡階上(ハシカミ)村赤保内(アカボナイ)邊の話として左の如き報告があつた。馬鹿聟は枕を知らず、いつもごろりと寢て居た。嫁が來るといふので、ある人が枕をこしらへてやつた。これ誰ざい。だれづいと言つた。嫁は自分の名だと思つて、せん子ジますと答へた。朝間皆のゐる所へ來て、ゆうべひとつも寢なや、はめればぬぐ、はめればぬぐして、と言つたと云ひす云々。)

[やぶちゃん注:附記はやはりポイントを落とさず、引き上げた。最後の「云々」の後には句点はないが、「ちくま文庫」版で補った。

「三戶郡階上(ハシカミ)村赤保内(アカボナイ)」青森県三戸郡階上町赤保内(グーグル・マップ・データ)。南東の端の山岳部が岩手県に接している。]

 

        屛風の話(其の一〇)

 馬鹿聟殿が舅家へ行つた。いろいろ話をして居たが、寢る時、これを立てゝ寢ろといつて屛風を出してやつた。馬鹿聟殿はこんなものは初めて見るので、どう立てゝよいものか見當がつかず、眞直ぐに立てゝは轉《ころ》ばし、足を踏み伸ばしてやつては蹴飛《けと》ばしたり、轉がし轉がし、遂々《たうとう》一晚中屛風のうんざい(仕末)ばかりしていた。朝間《あさま》の飯時《めしどき》に、あれは誰だいと訊ねると、舅殿は家の娘のことと思つて、ちょう子ズますと言ふと、馬鹿聟殿はやつきとなつて、ちょう子だか何だか、俺ら昨夜十八遍ばかりおつ立てたと言つた。

 

        雪降りの歌(其の一一)

 或長者どんから花嫁子《はなあねこ》をもらつだ[やぶちゃん注:ママ。]馬鹿聟が、舅禮に行くのに何も持つて行くものがないから、ありあわせの蕎麥粉《そばこ》を出して、蕎麥粉搔餅(《そばこ》ケモチ)をこしらえて、それを藁ツトに入れて、負(シヨ)つて出た。嫁子《あねこ》はいやがつて、なんたらおらそんな物を持つて行かば厭《や》んたすと言つた。聟も持餘《もてあま》して、そんだらこれえ何(ナゾ)にすべえと訊《たづ》ねると、そんな物何所《どこ》さでもいゝから、ブン投げてがんせちやと言つた。けれども聟は育ちが貧乏であるから、せつかくのものを投げ棄てるのも惜しくて、路傍に匿《かく》して、そのしるしに糞をひつて置いた。

 其晚舅家でうんと御馳走になつて、翌朝起きて見ると、外はのツそりと雪が降つてゐた。聟は慨嘆して、斯《か》ういふ歌を唄つた。

   雪降りてヤイ

   しるしの糞も見えざれば

   我が蕎麥ケモチは

   いかになるらむ

 それを舅殿が聽いて、聟どんは何云つて居るでやと訊《き》いた。嫁子は何さ斯う言つてますたらと言つて、歌を左のように直して聽かせた。

   雪降りて

   しるしの松も見えざれば

   我が古里は

   何處(イヅク)なるらむ

 そこで舅殿は、おら聟殿は薄馬鹿だと聞いて居たが、なんのなんの偉《えれ》え歌詠みだと感心した。

 

        團子(其の一二)

 馬鹿聟殿は、舅家へ秋振舞ひに招ばれて行つて、小豆團子を御馳走になつた。それがあんまり甘《うま》かつたので、家へ歸つたなら、早速母親(アツパ)にこしらえて貰つて食ふべえと思つた。そこで夜寢てから、側のオカタ(妻)にそつと、ざいざい先刻《さつき》夕飯時に食つたものは、あれや何と云ふもんだと訊いた。するとオカタは、なんたらことを言ふ、あれは團子だましたらと敎へた。

 翌日聟殿は家に歸る路すがら、忘れてはならぬと思つて、團子團子團子と言ひ續けて來た。ところが其途中に小さな流れがあつたが橋がないので、其所を、ウントコ! と掛け聲して跳び越えた。それからはウントコ、ウントコと言ひ續けて家に歸つた。

 家へ歸ると母親(アツバ)は爐傍《ろばた》で麻糸(イト)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]を紡《つむ》んで居た。聟殿は家の中へ入るといきなり、ぜえアツパ、ウントコをこしらえて食わせもせと言つた。母親がそれは何のことだと聞くと、うんにやウントコだと言つてきかなかつた。それでも母親は何のことだか譯が分らぬものだから、たゞ呆氣《あつけ》にとられて居ると、息子はもどかしがつて、其所にあつた火箸をとつて、ウントコだつてばツと言つて、母親の額をコキンと叩《たた》いた。すると見て居るうちに母親の額に大きな瘤《こぶ》が出た。母親は呆《あき》れ返つて、なんたらこつたツこれや見ろ、俺の額さ團子のやうな瘤が出來たがやと歎いた。息子は其時、あゝあゝその團子のことだつたと言つた。

(多分此の話は「紫波郡昔話」にも出ていたと思う。重復[やぶちゃん注:ママ。]の嫌《きらひ》はあるけれども、言葉など一寸變つているから、再錄した。小豆團子ではなく、ソクシレ團子と私等は祖父母から聽いたものであつた。また言ひ間違つた掛け聲を、ウントコ、セツト、ドツコイと云ふやうに、土地々々で多少の相違がある。江刺郡米里村地方でも同話を聽いたが殆ど同じ故《ゆゑ》略す。)

[やぶちゃん注:附記はポイントを上げ、引き上げた。

「紫波郡昔話」佐佐木喜善の本書より五年前の著「紫波郡昔話」(大正一五(一九二六)年郷土研究社刊)のそれ。国立国会図書館デジタルコレクションで見ると、ここ。標題は『(一〇四) 小豆餅(馬鹿聟噺其九』となっている。なお、紫波郡は現代仮名遣では「しわぐん」で旧郡域は当該ウィキを見られたい。

「ソクシレ團子」不詳。識者の御教授を乞う。

「江剌郡米里村」現在の奥州市江刺米里(えさしよねさと:グーグル・マップ・データ)。遠野市からは南西に当たる。]

 

        (其の一三)

 馬鹿聟殿が正月舅家へ呼ばれて行つて、小豆餅をうんと御馳走になつた。其夜奧座敷に寢せられたが、夜半に小便が出たくなつて起きた。そして座敷中を這ひ𢌞つたが、どうしても出口が分らぬので大變に困つた。其中《そのうち》に迚《とて》も耐え切れなくなつたので、疊を起《おこ》して床板《ゆかいた》の節穴を見付けて、其所からスンズコ[やぶちゃん注:ちんぽこ。]を入れてじこじことして居た。ところが其床下《ゆかした》は鷄舍(トヤ)になつて居たので、馬鹿聟殿のスンズコをひよつこどもがつつ突き切つて生呑《なまの》みにしてしまつた。

 多くのひよつこの中に鳴きやうの變つたのが一羽居た。初めの中《うち》は、キンキンキンと鳴いて居たが、大きくなつて時を立てるようになると、いきなり、

   Kintama

   Kintama

 と鳴いたとさ。

  (村の農婦高室千早婆樣が、醉ふと常に語り聽かせた

   話であつた。)

 

         相圖繩(其の一四)

 馬鹿聟殿は新聟で、舅家から嫁子《あねこ》と一緖に來いと言つて使ひが來たが、嫁子は聟殿が薄馬鹿なことをシヨウシ(恥かし)がつて一緖に步くのを嫌つた。そしておら先さ行つて居るから、あんたは後《あと》から來さいねン。あんたの來る途々《みちみち》さば小糠《こぬか》をこぼして行(エ)くから、その通り步いてございン。さうすれば間違ひなくおらの實家さ着くからと、くれぐれも言ひ含めておいて先に出て行つた。

 そこで馬鹿聟殿はあとから家を出て、小糠のこぼれてゐるとほりに步いて行くと、途中で風が吹いて小糠が水の乾(カ)れた堰《せき》や小川へ飛び散らけて居た。それでも馬鹿聟殿は小糠の落ちてゐる通り、何所までも何所までも、步いて行かねばならぬものと思つて、堰に入つたり、小川へ入つたりして、紋付や袴をさつぱり泥ぐるみにしてしまつた。そして溝鼠《どぶねづみ》のやうな格好になつてやつと舅家へ辿り着いた。嫁子はその態(ザマ)を見て、アンダ何シしたでや、この態アと、うんと叱つた。そしてすつかり裸體(ハダカ)にして衣物《きもの》を洗つてやつて、やつと其晚は舅家のお客になつた。

 ところが、嫁子は舅殿が御馳走の座敷で何から先に食べていゝか、一向知らないのが氣がかりで聟殿を蔭に呼んで、大事なところに紐を結びつけて、其端を持つて居て、人に知れないやうにツツと引いたらお汁(ツケ)を吸ひなさい[やぶちゃん注:底本では「さない」。「ちくま文庫」版で訂した。]。又ツツツツと引いたら御飯を食べなさい。又ツツツツツツと引いたらお肴《さかな》を食べさんしと吳々《くれぐれ》も言ひ含めて置いた。いよいよ御馳走が始まつたが、嫁子が約束通りの合圖の紐を引いてくれたので、聟殿は箸を取つて、はい御飯、はいお汁、はいお肴と間違ひなく食事をすることが出來た。お客樣達はこれを見て、はてこの聟殿は薄馬鹿だと云ふ評判だが、斯《か》うちやんと物を順序に食べるところを見ると、まんざらでもないらしいと心の中で思つて居た。ところが其中《そのうち》に嫁子は小用を達したくなつたので、ちよつとの間ならよからうと思つて、紐を柱に結びつけて置いて厠《かはや》へ立つた。その𨻶に猫がやつて來て、紐に足を引つ掛けて、もがいて、無茶苦茶に紐を引つぱつたので、馬鹿聟殿はそれを嫁子の合圖だと早合點して、この時だとばかり、大狼狽(アワ)で汁も飯も肴もアフワアフワ呻《うな》りながら一緖くたに口に搔攫《かきさら》ひ込んだ。それを見てお客樣達は、成程こいつア名取者《なとりもの》だと初めて知つた。

(陸中水澤町附近に行はれて居る話。森口多里氏の御報告の七。同氏は「團子の名を忘れた馬鹿聟。」「澤庵漬で風呂の湯を搔き𢌞した話。」、和尙と小僧譚の第三話の、「頓智で餅を食べる小僧話」と共に、同地方での尤も普遍的な、そして亦尤も屢々《しばしば》語られる昔話であると言つておられた。)

(舊南部領、遠野地方に行なわれて居る話では、細紐を馬鹿聟殿の龜頭に結びつけたとしてある。又此合圖も御馳走ではなくて、舅殿との對座の御會釋《ごゑしやく》であつて、一つ引張つたらハイと言へ、二つ引張つたら、ハイハイと言へ、三つ引張つたら、三度續けてハイと言ふのだと吳々も言ひ含められて行つた。ところが嫁子が小用に立つたあとで、猫が其糸に引絡《ひつから》まつたので、引張られることが非常に急劇[やぶちゃん注ママ。]で、且つ强いので、聟殿はしつかり弱り、ハイハイハイハイの頭首(カラクビ)が引きちぎれ申しアンすと言つて、化けの皮が露見に及んだと物語る。)

[やぶちゃん注:附記はやはりポイントを上げ、上に引き上げた。「頓智で餅を食べる小僧話」に句点がないのはママ。「ちくま文庫」版では前の二つの「話」の後の句点も除去されてある。

「水澤町」現在の奥州市水沢町(グーグル・マップ・データ)。

『和尙と小僧譚の第三話の、「頓智で餅を食べる小僧話」』先行する「一七一番 和尙と小僧譚(七話)」であるが、「ちくま文庫」版もそのままであるが、「第三話」は恐らくは「第二話」の誤りと思われる。

 

        シヤツポと茶釜(其の一五)

 馬鹿聟殿が何かの用事で往來を步いて居ると、ぽつかりと知り合ひの人に出會つた。天氣でいゝなと、その人が冠物《かぶりもの》を取つたら、馬鹿聟殿がそれや何だと訊いたので、これかこれはシヤツポだと敎へた。

 馬鹿聟殿もそのシヤツポをかぶりたくなつて町へ行き、まづ宿屋へ泊つて訊いて見ることにした。そして宿屋の女中さんにお前樣、シヤツポを知らねえか知つておれば買つて來てくれと賴んだ。[やぶちゃん注:底本は読点だが、「ちくま文庫」版で訂した。]すると女中はシヤツポをチヤツボと聞き違へて、早速茶壺の大きなのを買つて來た。聟殿は喜んでそれをかぶつて步いた。 

  (八戶の奧南新報紙上に「村の話」としてあつた
   ものの中から、自分の村でも現に話して居るも
   ののみを取つてみた。此所に其の重復を明らか
   にして置く。)

[やぶちゃん注:「奧南新報」は明治四一(一九〇八)年から昭和一六(一九四一)年にかけて、青森県八戸市で発行された新聞。]

 

        飴甕(其の一六)

 舅禮に行つた馬鹿舅殿に、餅を燒いて御馳走したが、餅が燒けてもくもくとふくれ上るのを見て怖れをなして、馬鹿聟殿は、おつかないおつかないと言つて手をつけなかつた。

 馬鹿聟殿は恐ろしくすいた腹をこらへて寢て居たが、とうとう[やぶちゃん注:ママ。]我慢が仕切れなくなつて、側に寢ている嫁子《あねこ》を搖《ゆす》ぶり起して、ざいざい何か食ふもんは無いかと訊くと、嫁子は臺所に飴《あめ》を入れてある甕《かめ》があるからそろツととつて食べなさいと敎へた。そこで馬鹿聟殿は起き上つて、物につまづいては音を立て立てしてやつと甕を探し當てゝ、早く喰う[やぶちゃん注:ママ。]べえとして、一度に兩手を甕の中に押し込んだら、手が取れなくなつたので飴甕《あめがめ》を寢床へ持つて行つて朝間《あさま》まで抱《だ》いて寢た。

 

        柊の椀(其の一七)

 或馬鹿聟が舅家の秋振舞ひに招ばれて行くのに、何と言つて會釋《ゑしやく》をしたらいゝかと、心配して居ると、嫁子が、何にも心配してがんすな。おらほさ行つたらきつと、柊《ひひらぎ》のお椀コ出すこつたから、そしたら爪先きでピンと彈(ハヂ[やぶちゃん注:ママ。「ハジ」でよい。])いて見て、カチツと音コがしたら、ははあこれあ柊(ヒヒラギ)のお椀だなと言つてがんせと敎へた。

 舅家へ行くと、案の定立派な膳椀が出た。そこで聟は家で敎はつて來た通りに、お椀を目八分《めはちぶん》に持ち上げて、ピンと爪で彈くと、カチツと音がしたから、しめたと思つて、ははアこれはヒイラギのお椀だなシと言つて、皆を驚かした。そしてひどく面目《めんぼく》をほどこして其晚は泊つた。[やぶちゃん注:「目八分」物を丁重に差し出す時や、かざす際に、両手で、目の高さよりも少し低くして、捧げ持つことを言う。]

 ところが其夜中に舅殿が疝氣を起して大騷ぎになつた。默つても居られぬので、聟は厭々《いやいや》ながらも起き出して行つて見ると、舅の仙氣睾丸《せんききんたま》が腫れ上つて、恰度《ちやうど》大椀《だいわん》のやうな工合《ぐあひ》になつて居た。そこで馬鹿聟はまた褒められるべえと思つて、舅の側へうやうやしく這ひ寄つて行つて、内股から餘つて居る睾丸を爪先きでピンと彈いたら、堅くてカチツと音がした。馬鹿聟殿はこゝだと思つて、大きな聲で斯《か》う言つた。ははアこれもやつぱりヒイラギのお椀だなシ。

[やぶちゃん注:「柊」シソ目モクセイ科 Oleeae 連モクセイ属ヒイラギ変種ヒイラギ Osmanthus heterophyllus 。樹高は四~八メートル。私は不学にして、低高木であったから、木材としての同種の用途を認識していなかったが、当該ウィキによれば、『幹は堅く、なおかつしなやかであることから、衝撃などに対し強靱な耐久性を持っている。このため、玄翁と呼ばれる重さ』三キログラム『にも達する大金槌の柄にも使用されている。特に熟練した石工はヒイラギの幹を多く保有し、自宅の庭先に植えている者もいる。他にも、細工物、器具、印材などに利用される』とあったのには、ちょっと驚いた。]

 

        蛸振舞ひ(其の一八)

 或時、馬鹿聟殿が舅家へ招ばれて行つて、蛸の御馳走になつた。その蛸がとても甘《うま》かつたので、みんな寢沈《ねしづ》まつた夜半に窃《そ》つと起き出して、戶棚から蛸の殘りを探し出して、手摑《てづか》みで、むしやむしやと食つた。すると鮹の汁がだらだらと流れて睾丸《きんたま》にかゝつた。さア睾丸が痒くて痒くて堪《たま》らなくなつたので、大桶(コガ)の隅(スマ)コヘ行つて躇(シヤガ)んで居て、斯《か》う唄つた。

   チヤンプク茶釜に

   毛が生えたア

   ピヨララ

   ピヨララ…

 

        饅頭と素麵(其の一九)

 舅禮に行つた馬鹿聟殿に、蒸したての饅頭を出したら、湯氣がぼやぼやと立ち上るのを見て、怖(オツカ)ないから、殺して食ふと言つて天井裏へ投げつけた。

 素麵《さうめん》の膳に向へば、そのまゝ、これは長い長いと言ひながら類に卷き卷きして十六杯食つた。だから馬鹿聟である。

 

        澤庵漬(其の二〇)

 舅禮に行く馬鹿聟殿に嫁子《あねこ》が、家さ行けばきつと風呂を沸かしてるから、その時は糠《ぬか》を貰つて體《からだ》をこするんだまツちよ。糠を忘れないやうに氣をつけて、と敎へた。馬鹿聟殿は、道々糠々々と糠を繰り返して行つたが、ハツと石につまづき、糠を忘れて澤庵漬澤庵漬と言ひ代へて繰り返して行つた。

 舅家では一番風呂に入れた。そこで馬鹿聟殿は湯の中から大きな聲を出して、澤庵漬々々々と言つた。下女が[やぶちゃん注:風呂焚きの下女であろう。]食(アガ)るのなら、切つて上げアんすべと言ふと、いやいや長いの一本と言つて、澤庵漬を貰つて、一生懸命にそれで體をこすつた。

(森口多里氏御報告分の八。なほ下閉伊郡岩泉町地方に殘つて居る話に、舅家へ行つたら御飯の時の湯などが餘り熱かつたら、家でやるように[やぶちゃん注:ママ。]、音を立てゝフウフウ吹かないで、菜ツ葉漬を入れて搔き𢌞して飮むもんだと敎へられて行つた。厠家《かはや》へ行くと足洗湯《あしあらひゆ》を出されたが、あんまり熱いので、大きな聲で早く菜ツ葉漬菜ツ葉漬と言つて、漬物を貰つて搔き𢌞して足を洗ひながら、盥《たらひ》の緣《ふち》を叩《たた》いて四海波《しかいなみ》を歌つた。(昭和五年六月二十六日夜、同地の野崎君子氏談話の九。))

[やぶちゃん注:附記はやはり同ポイントで引き上げた。

「下閉伊郡岩泉町」岩手県下閉伊郡岩泉町(グーグル・マップ・データ)。

「四海波」謡曲「高砂」の「四海波靜かにて」から「君の惠ぞ有難き」までの祝言小謡としての通称。「四海静穏で国内のよく治まっていることを祝う」もので、婚姻・祝賀の席でしばしば謡われた。また、正月三日の「謠初め」には必ず出されるので、「謠初め」そのものの異称ともなっている。]

 

         船乘り(其の二一)

 或妻が、每夜夫に歌をかけた。その歌は斯《か》うであつた。

   磯ぎわに[やぶちゃん注:「わ」はママ。]

   繋いだ船に

   なぜ乘らぬ

 聟殿は薄馬鹿であつたので、その歌を解きかねて、お寺の和尙のところへ行つて訊くと、返歌を敎はつた。その歌は、

   荒浪ゆへに

   乘るに乘られず

 と言ふのであつた。その歌を詠むと、妻は聟殿の偉さを初めて知つて、それから夫婦仲が良くなつた。

  (村の農婦北川いわの殿の話であつた。)

 

怪異前席夜話 正規表現版・オリジナル注附 始動 / 「叙」・「目禄」(ママ)・巻之一 「一囘 旅僧難を避て姦兇を殺す話」

[やぶちゃん注:「怪異前席夜話(くわいいぜんせきやわ)」は全五巻の江戸の初期読本の怪談集で、「叙」の最後に寛政二年春正月(グレゴリオ暦一七九〇年二月十四日~三月十五日相当)のクレジットが記されてある(第十一代徳川家斉の治世)。版元は江戸の麹町貝坂角(こうじまちかいざかかど)の三崎屋清吉(「叙」の中の「文榮堂」がそれ)が主板元であったらしい(後述する加工データ本の「解題」に拠った)。作者は「叙」末にある「反古斉」(ほぐさい)であるが、人物は未詳である。

 底本は早稲田大学図書館「古典総合データベース」の同初版本の画像を視認した。但し、加工データとして二〇〇〇年十月国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』の「初期江戸読本怪談集」所収の近藤瑞木(みづき)氏の校訂になるもの(玉川大学図書館蔵本)を、OCRで読み込み、使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 なるべく表記字に則って起こすが、正字か異体字か、判断に迷ったものは、正字を使用した。漢字の読みは、多く附されてあるが、読みが振れると思われるものと、不審な箇所にのみ限って示すこととした。逆に、必要と私が判断した読みのない字には《 》で歴史的仮名遣で推定の読みを添えた。ママ注記は歴史的仮名遣の誤りが甚だ多く、五月蠅いので、下付けにした。さらに、読み易さを考え、句読点や記号等は自在に附し、オリジナル注は文中或いは段落及び作品末に附し、段落を成形した。踊り字「〱」「〲」は生理的に厭なため、正字或いは繰り返し記号に代えた。

 また、本書には挿絵があるが、底本のそれは使用許可を申請する必要があるので、単独画像へのリンクに留め、代わりに、この「初期江戸読本怪談集」所収の挿絵をトリミング補正・合成をして、適切と思われる箇所に挿入することとした。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。

 「叙」の表示字は、かなり凝った崩し字が使用されているが、使用可能な物以外は、「初期江戸読本怪談集」の活字を参考比較し、通常の最も近い字体で示した。]

 

怪異前席夜話  一

 

   叙

 昔、怪力亂神の語らざる說、誠(まこと)に、鬼神(きしん)、造化(ざうくわ)の常(つね)、不正(ふ《せい》)にあらす[やぶちゃん注:ママ。]といゑ[やぶちゃん注:ママ。]ども、窮理(きうり)の事は明羅(あきら)め易(やす)からずと、宋儒(そうじゆ)の註文。また、和漢、「切」・「燈」の名、紛々(さいさい)、これ有るをもつて、近來(ちかころ[やぶちゃん注:ママ。])、書肆、樟(あづさ)[やぶちゃん注:「樟」はママ。「梓」が正しい。]にちりばめて、童蒙(どうもう)の戯(たまむ)れ、勝て(あけ[やぶちゃん注:ママ。「舉(あ)げて」。])、かぞへかたし[やぶちゃん注:「數へ難し」。]。雖然(しかりといへども)、もとより、不肖にして、其《その》是悲、知る事、あたわす[やぶちゃん注:ママ。]。依(よつ)て、序文のいとま、辭すること、再三なり。爰(こゝ)に親友文榮堂なる者、叱諫(しかりいさめ)て、曰(いはく)、「今や、邪說(じやせつ)の空言(くうげん)勿ㇾ論(ろんすること なかれ)。唯(たゞ)、故人(こしん[やぶちゃん注:ママ。])の茶談(ちやだん)の珎說(ちんせつ)、五條を選(えらみ)て、世に弘(ひろ)むる而已(の《み》)也(なり)。」とす。すゝめに應(おう[やぶちゃん注:ママ。])じ、漸ゝ(よふよふ[やぶちゃん注:ママ。後半は踊り字「〱」。])毫(ふで)をとれば、怔忡(せいちう)に、ゑり、本(もと)、ひやつく。是(これ)、世上、こわきに非ず、おそるゝにあらず。只、うたかふ[やぶちゃん注:ママ。]らくは、此怪談、我(わ)か[やぶちゃん注:ママ。「が」。]心を、うこかす[やぶちゃん注:ママ。]歟(か)。「嗚呼(ああ)、見る人、油斷あるな。」と、億而(おくして)序

于時《ときに》寛政二春正月

          反古斉謹識

          〔落款〕 〔落款〕

[やぶちゃん注:上方の落款は陽刻で「東都」とあり、後者は陰刻で「反古斉」か。

「怪力亂神の語らざる說」知られた「論語」の「述而」篇の孔子の言葉。「子、不語怪力亂神」(子、怪・力(りよく)・亂・神を語らず)。「力」は「腕力・暴力沙汰・武勇」、「亂」は「醜聞・乱倫・背徳」、「神」は「超自然の人智で説明出来ない霊的現象」。

『和漢、「切」・「燈」の名、紛々、これ有る』本邦で爆発的に好んで読まれ、翻案物が多く作られた「牡丹燈記」を含む明代に瞿佑によって書かれた怪異小説集「剪燈新話」、及び、その影響下に後の明代の李禎の「剪燈餘話」や、邵景瞻の「覓燈因話」(べきとういんわ)等の志怪小説集や、本邦のその翻案物の、「牡丹燈籠」系の改作怪談総てを指す。

「怔忡(せいちう)にゑり」「怔忡」は、動悸のうつでも、体を動かしていると強まる重症のものを言う。「恐ろしさに、心の臟を、バクバクさせながら、撰(えら)び(=「書き」)」の意であろう。

「本(もと)、ひやつく」「ひやつく」は「冷(ひ)やつく」で、「恐ろしさに、書いている私が、心本(こころもと=心底)、慄(ぞ)っとする」の意か。]

 

怪異前席夜話目禄

 

   一囘

 旅僧(りよそう)難(なん)を避(さけ)て姦兇(かんきう[やぶちゃん注:ママ。「かんきよう」でよい。])を殺(ころ)す話

   二囘

 狐精(こせい)鬼霊(きれい)寃情(ゑんしやう[やぶちゃん注:ママ。])を訴(うつた)ふる話

 同狐鬼(こき) 下

   三囘

 匹夫(ひつふ)の誠心(せいしん)剣(けん)に入て霊(れい)を顯(あらは)す話

   四囘

 抂死(わうし)の寃魂(ゑんこん)を報(ほう)ずる話

   五囘

 龍恠(れうくわい)撫育(ぶいく)の恩(をん[やぶちゃん注:ママ。])を感(かん)し[やぶちゃん注:ママ。]老嫗(らうう)を免(たすく)るの話

 

   已上

 

 

怪異前席夜話巻之壹

   ○旅僧難を避て姦兇を殺すの話

 昔、延享(えんけう[やぶちゃん注:ママ。])の頃、都に僧あり。浮雲流水(ふうんりうすい)を身に比(くら)べて、世の中の富貴(ふうき)をば、孫晨(そんしん)か[やぶちゃん注:ママ。「が」。]藁席(わらむしろ)よりも薄(うす)んじ、樹下石上(しゆ[やぶちゃん注:ママ。]かせきしやう)を、家となして、人間の營みをは[やぶちゃん注:ママ。「をば」。]、許由(きよゆう[やぶちゃん注:ママ。])か[やぶちゃん注:ママ。「が」。]瓢簞(ひやうたん[やぶちゃん注:ママ。])より輕しと覺へ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]、身は北嵯峨に緇染(すみぞめ)の、衣(ころも)の外(ほか)は一鉢一杖(いつはついちてう[やぶちゃん注:「いちてう」は「一挺(いちちやう)」の当て訓であろう。)、飄然として、東西に行《ゆき》、南北にあゆむ。

[やぶちゃん注:「姦兇」ここは、心が邪(よこし)まな性根っからの悪人のことを言う。

「延享」一七四四年から一七四八年まで。九代将軍徳川家重の治世。

「孫晨」が「藁席……」以下は、「徒然草」の十八段に基づく。まず、同段の後半に書かれた、

   *

孫晨は、冬の月(つき)に、衾(ふすま)なくて、藁一束(わらひとつか)ありけるを、夕(ゆふべ)には、これに臥(ふ)し、朝(あした)には、をさめけり。

   *

に基づく。孫晨は、古代中国の隠者で、清貧にあまんじたことでよく知られる人物で、「蒙求」(もうぎゅう)に見える故事。「許由」は中国古代の伝説上の人物で、帝尭(ぎょう)が位を譲ろうと言うと、「汚(けが)れたことを聞いた。」と、潁水(えいすい)で耳を洗い、箕山(きざん)に隠れたと伝えられる高士。同段の前半は以下。

   *

 人はおのれをつづまやかにし、奢りを退(しりぞ)けて、財(たから)を持たず、世をむさぼらざらんぞ、いみじかるべき。昔より、賢き人の富めるは稀れなり。

 唐土(もろこし)に許由(きよいう)と言ひける人の、さらに身に從へる貯(たくは)へもなくて、水をも、手にして、捧げて飮みけるを見て、なりひさこ[やぶちゃん注:ヒョウタンの異名。]といふ物を、人の得させたりければ、ある時、木の枝にかけたりけるが、風に吹かれて鳴りけるを、「かしかまし。」とて捨つ。また、手にむすびてぞ、水も飮みける。いかばかり心のうち涼しかりけん。

   *

で、先の許由に繋がり、最後に、

   *

唐土の人は、これをいみじと思へばこそ、記(し)るしとどめて、世にも傳へけめ、これらの人は、語り傳ふべからず。

   *

「けめ、……」は『「こそ……(已然形)、~」の逆接用法。中国の人々はちゃんとこうして後世にこの清貧の王道を伝えたけれども、「これらの人」=「ここの日本人の者ども」は、凡そ、そうしたことを語り継いだり、書き伝えたりもせぬであろう、という慨嘆の謂いである。]

 一とせ、東路(あづまじ[やぶちゃん注:ママ。])に心さし、膝栗毛(ひざくりげ)の、太く逞しきにまかせつゝ、いつかは、歸り逢坂(あふさか)の、關を霞(かすみ)と倶(とも)に出《いで》て、やうやう、秋風わたるころ、奧の白河のこなたなる、白阪(しらさか)の邑(むら)に、いたる。

[やぶちゃん注:「白坂」現在の福島県白河市白坂(グーグル・マップ・データ)。]

 かの西行か[やぶちゃん注:ママ。]、「道の邊(べ)の淸水流るゝ」と讀(よみ)し、遊行柳(ゆきやうやなき[やぶちゃん注:ママ。])の古蹟など尋ね、むかしの人は見えねとも、「細柳爲ㇾ爲誰綠(さいりうたれかためにみとり[やぶちゃん注:ママ。但し、ルビは分解されて附されあり、返り点に従って整序した。])なる」と、杜少陵か[やぶちゃん注:ママ。]句を想ひ出《いあ》して、折(おり[やぶちゃん注:ママ。])に合《あは》されど[やぶちゃん注:ママ。「ざれど」。]、いと興ありて覚へたり。

[やぶちゃん注:「西行」が『「道の邊(べ)の淸水流るゝ」と讀し、遊行柳』私の、かなりリキを入れた『今日のシンクロニティ「奥の細道」の旅14 遊行柳 田一枚植ゑて立ち去る柳かな』の私の注を参照されたい。

『「細柳爲ㇾ誰綠」と、「杜少陵」』が「句」杜甫の七言古詩「哀江頭」(江頭(かうとう)に哀しむ)の第四句だが、不全。「細柳新蒲爲誰綠」で「細柳(さいりう)新蒲(しんぽ)  誰(た)が爲にか綠(みどり)なる」である。所謂、人事の無常と不易の自然の感慨の吐露である。全篇はサイト「詩詞世界 碇豊長の詩詞」の「杜甫 哀江頭」がよい。]

 西山《にしやま》の入日《いりひ》に、遠寺(ゑんじ)の鐘の聲、晚風(ばんふう)に謝(うた)ふ頃(ころ)、淼茫(びやうぼう[やぶちゃん注:ママ。「べうばう」が正しい。])たる曠原(りろはら)枯野の草の葉末より、一かたまりの燐火、陰々と燃出(もへいで[やぶちゃん注:ママ。])、風に隨(したかつ[やぶちゃん注:ママ。])て、

「ひらひら」

とす。

[やぶちゃん注:「謝(うた)ふ」はママ。崩し字は「謝」に確かに見え、「詠」・「謠」・「謳」・「謌」などとは読めない。「初期江戸読本怪談集」でも『謝(うた)ふ』と起こしてある。しかし、いくら調べても、「謝」の字には「うたふ」の意味はない。甚だ不審である。

「淼茫」水或いは単一の対象状態が広々としているさまを言う。]

『怪し。』

と見るうち、亦、一ツの團火(だんくわ)、同し所より現(あらは)れ、相《あひ》逐(を)ふて、上下し、飛𢌞(とびめぐ)り、霎時(しばし)にして、たちまち、消失(きへうせ[やぶちゃん注:ママ。])ぬ。

[やぶちゃん注:「霎時(しばし)」。「初期江戸読本怪談集」では『しばしば』と振る。確かに後半部は踊り字「〱」に見える(前の「し」に対して、明かに頭が右側に傾いてはいる)が、どうも「しばしば」では、流れがおかしく、躓く。私は「し」と判じた。

「実(けに)や、昔人(せきじん)の詩に、「一将功成(いつしやうこうなり) 萬骨枯(はんこつ[やぶちゃん注:ママ。] かるゝ)」と賦(ぶ[やぶちゃん注:ママ。])したる、古戰場、目(ま)のあたり、是や、人血(じんけつ)の化(くわ)する所ならん。抑(そもそも)、源姓(けん[やぶちゃん注:ママ。]せい)か、平氏(へいし)か、何《いづ》れの時の戰ひ、誰人(たれひと)の鬼火(きくわ)なるや。此邊(《この》あたり)に知る人し[やぶちゃん注:「し」は強意の間投助詞。]あらは[やぶちゃん注:ママ。]、聞《きき》まほし。」

と、彷徨(たちやすら)ひ、筇(つゑ)[やぶちゃん注:「杖」に同じ。]に倚(すがり)て、たち居《をり》たるに、側(かたはら)に、老人、有(あり)。

[やぶちゃん注:「一将功成 萬骨枯」「一將(いつしやう)功(こう)成りて 萬骨(ばんこつ)枯(か)る」故事成句で、「たった一人の武将が城を築くのに、万人の百姓を苦しめた」という謂い。晩唐末期の詩人曹松(そうしょう)の詩「己亥(きがい)の歲(とし)」の一節。戦乱に苦しめられる庶民の暮らしを心配した上で、「君に憑(たの)む 話(かた)る莫(な)かれ 封侯(ほうこう)の事を 一將 功 成りて 萬骨 枯る」(お願いだから、軍功を挙げて、高い地位を得たいなどと言わないでくれ。一人の将軍が功名を上げる陰で、おびただしい数の人骨が朽ちていくのだから)に基づくもの。]

「御僧(《おん》そう)は、かく、あれはてたる草はらの中に、何の感ずる事ありて、延佇(たゝずみ)て詠(なかめ[やぶちゃん注:ママ。])給ふ。」

と問《とふ》。

「されは[やぶちゃん注:ママ。]こそ。斯(かゝ)る事の侍りぬ。此地は、古への垓下(せんじやう)には非(あらざ)る歟(か)。倘(もし)知(しろ)しめす事もあらは[やぶちゃん注:ママ。]、物語し給へ。」

と云《いふ》。

[やぶちゃん注:「垓下(せんじやう)」無論「戰場」の当て訓。高校の漢文で必ずやる、劉邦に攻められ、項羽の虞美人と別れるシークエンスで知られる最終集団戦となった「垓下の戦い」に擬えたもの。]

 老人、頭(かしら)を掉(ふり)、

「是、古戰場に、あらず。又、狐狸《こり》の所爲(なすところ)にても、なし。近き頃、此𠙚(《この》ところ)にて、死せし者の、さむらふ[やぶちゃん注:ママ。「候(さふらふ)」。]。瑣細(くだくだし)けれども、語り聞(きこ)へん。旅中の疲勞(つかれ)を慰めなから[やぶちゃん注:ママ。]、聞《きき》て、話柄(はなしのたね)ともなしたまへ。」

 ……往昔(むかし)、寬保(かんぽ)の頃[やぶちゃん注:一七四一年から一七四四年まで。徳川吉宗の治世。]、これも御僧のことく[やぶちゃん注:ママ。]、諸國を經歷し給ふ衲子(しゆけ)[やぶちゃん注:ママ。「出家」。「衲子」(のつす(のっす))。「衲衣(のうえ)を着る者」の意で、特に禅僧を指す。]、此地に來られつる、その折しも、陽月(かみなづき)[やぶちゃん注:陰暦の十月。]のはしめ[やぶちゃん注:ママ。]に、荒(あれ)のみ増(ます)る木嵐(こがらし)の、落葉(おちば)するやとはありなから[やぶちゃん注:総てママ。「落ち葉する宿は有り乍ら」。]、月たに[やぶちゃん注:ママ。]もらぬ板庇(いたひさし)、しかも周迊(まはり)の柴垣(しばかき)さゑ最(も)、偏疎(まはら)なる[やぶちゃん注:ママ。「疎(まば)らなる」。]に寒蛩(こうちき)[やぶちゃん注:「カンキヨウ」は〙 秋の末に寂しげに鳴く蟋蟀(こおろぎ)を指す語。]、吟(すだく)、夕まくれ、さし寄せたる竹の扉(とぼそ)に、火影《ほかげ》の映(さす)を力《ちから》に、たちより、投宿(やとかる[やぶちゃん注:ママ。])事を乞(こひ)しとき、かの白屋(くづや)のうちより、わかき女《をんな》一人《ひとり》、立出《たちいで》て、

「今宵は、主(あるじ)は他(た)に行《ゆき》ぬ。ことに、御僧に、まいらすべき儲(もうけ)[やぶちゃん注:供養するもの。ここは主に供応する食物を指す。]もなけれは[やぶちゃん注:ママ。]、宿(やど)し參らせん事、叶(かなふ)まし[やぶちゃん注:ママ。「まじ」。。」

 僧、おしかへし、

「さりとも、廡下(のきした)になりとも、卧(ふせ)しめたまへ。雨露(うろ)をだに、かふむらずは、我に於て、事(こと)足(たり)ぬ。もとより、此身は、木の斷(はし)[やぶちゃん注:木の切れ端。木っ端。]か、炭(すみ)の塊(おれ)[やぶちゃん注:板炭の折れ落ちた屑。]とも云《いは》ば、いひなん、のぞみなき心。再ひ熾(をごる)べき憂(うれへ)無(なれ)ば、縱(たちひ)、今、主、歸り給ひても、さのみ、恠(あや)しみ給ふまし[やぶちゃん注:ママ。]。食物は預備(ようひ[やぶちゃん注:ママ。「予備」或いは「用意」か。])もはべれは[やぶちゃん注:ママ。]、こゝろつかひに及は[やぶちゃん注:ママ。]ず。」

と、いふに、扉(とほそ[やぶちゃん注:ママ。])を明(あけ)て入れぬ。

 僧は、草桂(わらじ[やぶちゃん注:ママ。])とく。

 とく[やぶちゃん注:直ぐに。底本では「とく」の後に踊り字「〱」があって続いており、句点も存在しない。されば、このようにシーンを分けてみた。]上にあかり[やぶちゃん注:ママ。]、扨《さて》、かの女を見れば、年は廿(はたい)に、二ツ、三ツ、あまりぬらん、春笋(つまはづれ)[やぶちゃん注:「褄外れ・爪外れ」で、本来は「着物の褄の捌き方」を言うが、転じて、「身のこなし」の意。ここは後者。]、細小(しんしやう[やぶちゃん注:ママ。])[やぶちゃん注:「しんしやう」の読みは不審だが(「身小」或いは「芯小」などを想起した。)、意味は、身柄が細っそりとして小柄な手弱女風の体つきを指すのであろう。]にして、顏色《がんしよく》、賤《いや》しからず。野花(やくわ)、人の目に、美(うるはし)と、浩(かゝ)る鄙(ひな)には珍らしかるべし。

 僧は、竃(かまと[やぶちゃん注:ママ。])の前の、竹簀((ゆか)に、頭陀袋(づだぶくろ)を枕に、ふしぬ。

 女も、燈火(ともしび)、吹《ふき》けして、一間なる所に、入て、寢(ね)たり。

 賊風(すきまのかぜ)の、さむしろに、夜《よ》を、寢(ね)かねしまゝ、こし方・ゆくすゑの、おもひ出《いで》られ[やぶちゃん注:ここは自発。]、僧は、夢も結ばて[やぶちゃん注:ママ。「結ばで」。]有(あり)し處に、主の、歸りぬと、覚へて、謦欬(しはぶき)[やぶちゃん注:咳払い。]の戶外(そとも)に聞ゆるにそ[やぶちゃん注:ママ。]、女、一間より、出來り、何やらん、もの語《がたり》して、そのまゝ、伴ひ入(いり)ぬ。

 やゝありて、また、跫(あしをと[やぶちゃん注:ママ。])のして、戶を、あららかに打敲(うちたゝ)き、主(ぬし)、

「今こそ帰りたり。」

といふに、女、

「唯(い)。」

と、應(いらへ)て、たち出《いづ》。

 戸を押明(おしあけ)、

「おもひの外に、おそかりつ。御身の留守に、旅僧(たびそう)の、宿を乞(こひ)しまゝ、おもやに卧(ふさ)しめたり。」

と、いへは[やぶちゃん注:ママ。]、主、聞《きき》て、

「よくこそ、したり。僧を供養するは、その功德(こうとく)、七級浮圖(しちしやうのとう)を造るに、まされりと、きく。まいて、旅僧の、日(ひ)、晚(くれ)、道、遠きに、宿、求むべき方《かた》なきは、さこそ、難義ならん。」

と、云《いひ》つゝ、草鞋・脚半(きやはん)[やぶちゃん注:「脚絆」はこうも書く。]なと[やぶちゃん注:ママ。]、脫(とき)すてゝ、足を濯(あら)ひ、飯(したゝめ)なと[やぶちゃん注:ママ。]するに、僧、

『さては。向來(さき)に入來《いりきた》りしは、主に非ず。』

と知(しり)て、また、思ふに、

『一樹の蔭だに、假(かり)そめならぬ因緣なるを、まいて、それにも勝(まさ)りし今夜の宿、一禮《いちれい》を謝(しや)せん。』

と、起出(おき《いで》)んとせし処に、主は、遠路(とを[やぶちゃん注:ママ。]みち)を踰(こへ[やぶちゃん注:ママ。])きたりし勞(つかれ)にや、一間に入《いる》と斉(ひと)しく、いびきの声、雷(らい)のことく[やぶちゃん注:ママ。]に聞ゆ。

[やぶちゃん注:「七級浮圖」古代インドの仏塔ストゥーパに倣いながら、中国で建立された仏塔の内、重層楼型のものを、「浮屠」・「浮圖(図)」と呼んだ。「七級」は七層の楼の荘厳(しょうごん)を指すのであろう。]

 

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[やぶちゃん注:底本の大型画像はこちら

 

 夜半の嵐に、遠寺(ゑんじ)の鐘も、殷々(かうかう)たる比(ころ)しもあれ、俄(にわか)に、一間に、もの音し、

「吁(あな)、くるしや、誰(たれ)そ、扶(たす)けよ、』

と、呻吟声(うめくこへ[やぶちゃん注:ママ。])するは、

『何事にか。』

と、僧は驚くうちに、一人の大男、長き刀を、腰にはさみて、一間より出《いで》、女を呼(よべ)ば、最前(さいぜん)より、眠(ねぶら)ずと見えて、はや、起《おき》て、

「いかに仕課(しおゝせ[やぶちゃん注:ママ。])給ひしか。」

と問《とふ》。

 男か[やぶちゃん注:ママ。]、いふ。

「叓(こと)[やぶちゃん注:「事」の異体字。]、馴(なれ)たり。外《ほか》に、しるもの、なしや。」

 そのとき、指さして、云(いふ)。

「宵に、止宿(ししゆく)させつる旅僧(りよそう)のみ、此事を知りけむ、はかりかたし。」[やぶちゃん注:「知っているかも知れず、それは、どうともいえない。」の意。]

 男、首肯(うなづき)て、

「心やすかれ。我、計較(なすべきかた)あり。」[やぶちゃん注:「計較」「けいかう」が正しいが、慣用読みで「けいかく」とも。「はかりくらべること・比較してみること」の意だが、ここは「仕方・計略」の意。]

とて、聲を勵(はけま[やぶちゃん注:ママ。])し[やぶちゃん注:大声で。]、僧を、よひ[やぶちゃん注:ママ。]起す。

 僧、心におもへらく、

『彼(かれ)、必定(ひつでう[やぶちゃん注:ママ。])、女か[やぶちゃん注:ママ。「が」。]ための奸夫(かんふ)にて、向來(さき)にきたりて、隱れ在(あり)、主の帰るを、まち、殺せるならん。我をも、活(いき)ては置(おく)まじ。』

と、心寒(むねつぶれ)たれど、答應(いらへ)もせず、故(わざ)と、鼾息(いびき)の音して居《をり》たるに、かの男、枕元を、踏轟(ふみとゝろか[やぶちゃん注:ママ。])し、

「旅僧に、煩(たのむ)べき事、あり。夙(とく)、起(おき)候へ。」

と呼(よば)わる[やぶちゃん注:ママ。]に、僧、

「應(おゝ)。」

と、いゝて、起たり。

「主《あるじ》、歸り給ひしか。今宵は、宿を許されまいらせ、辱(かたじけ)なき事よ。」

と、始《はじめ》て目の醒《さめ》つることく[やぶちゃん注:ママ。]に、もてなすに、男、一間より、葛籠(つゝら[やぶちゃん注:ママ。])を扛(かき)て出《いで》、僧の前に置(おき)、

「我は、此家の主にあらず。宿の主は、此中に在《あり》。いさ[やぶちゃん注:ママ。]、擔(にな)ひて、我に隨ひ來《く》れよ。」

と云。

「是を、荷《にな》ひて、いづくに、行き侍らん。」

と、とへば、

「ともかくもあれ、速(すみやか)に負(おひ)候へ。我、行《ゆく》べきかた、あり。」

と、眼(め)を大《だい》になし、声を暴(あらゝ)け[やぶちゃん注:ママ。]ていふに、詮方(せんかた)なく、僧は、かの葛篭(つゝら[やぶちゃん注:ママ。])を、おひぬ。

 男は鍤(くわ[やぶちゃん注:ママ。])を荷(かつぎ)つゝ、夫《それ》より外面《とのも》に出《いで》、先に立(たち)て步み行《ゆく》。[やぶちゃん注:「鍤(くわ)」の「鍤」は(つくり)を貫く縦画が、下まで伸びている(縦画のみは「グリフウィキ」のこれに近い)。(つくり)の「臼」型の部分が出ている当該字で代えた。但し、ここに附された読みは誤りで、「くは(鍬)」ではなく、「すき(鋤)」の意である。

 むさし野にあらされ[やぶちゃん注:ママ。]ども、草《くさ》より、草に入る月の、影をしるべに、果(はて)もなき、廣莫(ひろの)を、四、五十けん[やぶちゃん注:七十・七二~九十・〇九メートル。]も來《きた》りぬらんと思ふころ、

「旅僧、しばらく、息肩(やすみ)候へ。」

と、いふに、葛籠を下(おろ)しぬ。

 男は鍤をもて、土を穿(うか[やぶちゃん注:ママ。])つに、腰間(こし《ま》)なる刀の障礙(じやま)と成るゆへ[やぶちゃん注:ママ。]、脫(ぬい)て、僧に、わたし、

「少時(しばし)、これを、あつかり[やぶちゃん注:ママ。]得させよ。」

と云に、太阿(たいあ)を倒(さかしま)に持(もち)し仇人(あだ《びと》)に授(うく)るの諺(ことわざ)、これや、因果報應顯然(けんぜん)の理(ことわり)ならん、僧、心に思ふは、[やぶちゃん注:「太阿」は「史記」などに見える中国古代の銘剣。諺の出所や原文は知らぬが、意味は納得出来る。]

『此もの、穴を堀[やぶちゃん注:ママ。]おわら[やぶちゃん注:ママ。]ば、我をも、殺して、かの尸(かばね)と倶(とも)に合葬(かつそう[やぶちゃん注:総てママ。])すなるべし。あに、手を束(つか)ねて、死を待(また)んや。況(まし)てや、かゝる兇𢙣(きやうあく)[やぶちゃん注:「𢙣」は「惡」の異体字。]の徒、佛法王法の許さるゝ處なり。渠(かれ)を害して一夜《ひとよ》の宿《やど》の主《あるじ》の仇《あだ》を、むくゆべし。弥陀の利剣、多門[やぶちゃん注:四天王の一天なる多聞天(=毘沙門天)。宝棒(仏敵を打ち据える護法の棍棒)や、時に三叉戟を持って造形される。]の矛(ほこ)、方便(はうべん)の殺生、此ときなり。』

と、かの刀を拔出(ぬき《いだ》)し、男か[やぶちゃん注:ママ。]穴をほり居《をり》たる背後(うしろ)より、唯《ただ》一刀《ひとかたな》に斫付(きり《つけ》)たり。

「吁(あ)。」

と、叫んで、轉(ころ)ぶところを、たゝみ懸《かけ》て斬伏(きりふせ)て、力まかせに突殺(つきころ)し、僧は、夫より、足を早めて、南をさして走る程に、凡《およそ》百步ばかりも過《すぎ》て、兩三軒の民家、比屋(のきをならべ)て立《たて》るあり。

 立寄《たちより》て、戶を、うちたゝけば、人、出《いで》て、

「何誰(たそ)。」

と問。

 僧、

「かゝる事、ありき。」

と、始《はじめ》より、尓々(しかしか)もの語れは[やぶちゃん注:ママ。]、大勢、起《おき》て云《いふ》。

「然らは[やぶちゃん注:ママ。]、その女をとらへなは[やぶちゃん注:ママ。]、善𢙣・真偽、粉墨(わかる)べし。」[やぶちゃん注:「粉墨(わかる)」は不審な読みである。「粉墨」とは白粉。眉墨で粉飾することであるから、「粉墨を落として、元の面を露わにする」というのなら判る。]

と、俄に、四隣(しりん)の健(すこやか)なる男を擇(ゑら[やぶちゃん注:ママ。])みて、僧を、あんないし、かの、ひろはらの孤家(ひとつや)へぞ、向ひゆく。

 未だ寢(ね)ずして、消息(おとづれ)をまち侘(わび)ぬと見へ[やぶちゃん注:ママ。]、女は、燈火(ともしび)、明(あかる)くして居(い[やぶちゃん注:ママ。])けるか[やぶちゃん注:ママ。]、表に、ひそやかに足音のするを、聞(きゝ)、やかて[やぶちゃん注:ママ。]、立出《たちいで》、戶を、明《あけ》たり。

「いかに。僧をも、殺し給ひしや。」

と問《とふ》とき、思ひかけずも、農夫あまた、柴の戶のうちに、こみいり、乍(たちま)ちに、女を、とらへ、絏紲(からめ)ぬ。[やぶちゃん注:「絏紲」は孰れも罪人を縛る繩を指す漢語。]

 鷄(とり)も、しばしば、うとふころ、東林(とうりん)、しらみければ、人を遺(つかは)して、かの尸《かばね》を尋《たづね》させ、僧もろとも、女を引《ひき》て、郡(こほり)の守(かみ)の奉行所へ、いたる。

 郡守、諸人《しよにん》の訴訟を聞《きき》、女を責問(せめとは)れけるに、隱す事、能(あた)はず、ことことく[やぶちゃん注:ママ。後半の「こと」は踊り字「〱」。]、招(はくでう[やぶちゃん注:ママ。])す。

 依(よつ)て、女か[やぶちゃん注:ママ。]首を斬(きら)しめ、奸夫(かんふ)の首と倶に、梟木(きやうぼく[やぶちゃん注:ママ。]「けふぼく」が正しい。)に曝(さら)し、宿《やど》の主か[やぶちゃん注:ママ。]尸(かばね)をば、其僧に命(おゝせ[やぶちゃん注:ママ。])て、ちかき寺院に送り、葬(ほうむ)り吊(とむら)ひを、なさしめて後《のち》、その行所《ゆくところ》に任(まか)されけり。

 斯(かく)て、その后(のち)、土民等(どみんら)、淫婦・姦夫の二ツの首を、此ひろ野に埋(うづめ)しか[やぶちゃん注:ママ。「しが」。]、陰雨(いんう)のときは、二ツの鬼火(きくわ)、相雙(《あひ》ならび)て、飛出《とびだ》し、こゝに、閃爍(ひらめき)、かしこに燃(もへ[やぶちゃん注:ママ。])、瓢蕩(ひやうとう[やぶちゃん注:総てママ。「へうたう」が正しい。当てもなく漂うこと。])としては、又、屮(くさ)むらに入《いり》て消滅す。[やぶちゃん注:「    屮」「草」の異体字。]

「唯除五逆(ゆいじよごぎやく)ときく時は、弥陀の慈悲にも洩(もれ)たる者、幽鬼と成《なり》ては、冥間(めいかん)を出離(しゆつり)する事、あたわ[やぶちゃん注:ママ。]ずして、猶、業身(ごういん[やぶちゃん注:ママ。])を見すにこそ、御僧も、只今、かゝる物語を聞《きき》給ひ、三佛乘(さんぶつじやう)の緣とも覚(おぼ)し、吊《とふら》ひ得させ給へかし。」

と云《いふ》に、僧も、

「あわれ[やぶちゃん注:ママ。]なる事、承りぬ。これや、煩惱卽菩提のたねならめ。老人の御庇(《お》かけ[やぶちゃん注:ママ。「御蔭」。])にて、旅行の苦(うさ)をも、晴(はら)し候。」

と、鉦(かね)、うちならして、念佛し、かの老人に別れをなして、猶も、奧へそ[やぶちゃん注:ママ。]趣きけり。

[やぶちゃん注:「唯除五逆」「WEB版新纂浄土宗大辞典」の「唯除五逆誹謗正法」(ゆいじょごぎゃくひほうしょうぼう:現代仮名遣)に拠れば、『念仏を称える衆生は全て救われるのであるが、ただ』、『五逆の罪および正法を謗る罪を犯したものだけは救われないということ』とある。詳しくは、リンク先と、解説の中のリンク先を読まれたい。

「三佛乘」サンスクリット語では「トリーニ・ヤーナーニ」或いは「ヤーナ・トラヤ」と称し、孰れも「三つの乗り物」の意を表わす。「乗」(乗り物)は、人々を乗せて仏教の悟りに至らしめる教えを譬えていったもので、大乗仏教では、それに声聞(しょうもん)乗(仏弟子の乗り物)、縁覚(えんがく)乗(独りで悟った者の乗り物)、菩薩乗(大乗の求道(ぐどう)者の乗り物)の三つがあるとする。但し、部派仏教(いわゆる小乗仏教)ではこの内の菩薩乗を説かず、代わりに仏乗(仏の乗り物)を立てる。初期大乗経典である「法華経」では、三乗は一乗(仏乗・一仏乗ともいう)に導くための方便であり、本来は、真実なる一乗によって、凡ての衆生は、等しく仏になると説いている(小学館「日本大百科全書」に拠った。

本篇は、シークエンスの順序や、一部の展開部を変えてあるが、寛文三(一六六三)年刊の知られた怪奇談集の仮名草子『「曾呂利物語」正規表現版 第五 五 因果懺悔の事』をインスパイアしていることが、明白である。これは、本書に先行する延宝五(一六七七)年の「宿直草」でも分割転用されており、それらの話もリンクさせてあるので、是非、読まれたい。

2023/07/24

佐々木喜善「聽耳草紙」 一七一番 和尙と小僧譚(七話)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]

 

   一七一番 和尙と小僧譚(其の一)

 

 或所に大層慾張りな和尙樣があつた。每晚夜になると、さアさアお前達は晝間稼いで居るから疲れたべえ。早く寢ろ寢ろと言つて、三人の小僧を早く寢させてしまつた後で、梵妻(ダイコク)[やぶちゃん注:和訓ともに僧の妻を指す一般名詞。]と二人して餅を搗いたり、食つたり、[やぶちゃん注:底本には読点なし。「ちくま文庫」版で補った。]または、酒を飮んだりするのであつた。ところが每晚早く寢ろ寢ろと言はれるもんだから、小僧だち[やぶちゃん注:濁点はママ。]は、慾張坊主のくせに不思議なことだと思つて、或夜相談をして、皆息を殺して眠つたふりをして見て居ると、和尙樣と梵妻《だいこく》さんが爐《ひぼと》を挾んで向ひ合ひに坐りながら、さもさも樂しさうに酒を飮んだり餅を食つたりして居た。そこで三人はどうかしてあの餅を食ひたいものだと一生懸命に相談をした。

 そのうちに又夜になると、和尙樣はいつものおきまりの、さアさアとさも親切らしく言ひ出した。すると一人の一番年上の小僧が、方丈樣[やぶちゃん注:住職を指す異名。]もし、今夜私たちはお願ひが御座りますと言ふと、マアマアそれは明日の晝間ゆつくり聞くことにするから、今夜はもう休まツしやいと何氣ない風をして言つた。イエ是非今夜聞いて貰ひ度《た》いことでと强いて言ふと、さうか、ほんだら話して見ろと言ふ。一番年上のはしめたと思つて、方丈樣もし今夜から私の名前をデツチリと呼んで下さいと言つた。あゝさうか、宜《よろ》しい、ぢや今夜からデツチリと呼ばう、さアさア休まツしやれ。

 すると又其所へ二番目の小僧が走り出て來て、ハイ方丈樣私のことも今夜からは、ボツチリと呼んで下さい。ああいゝともいゝとも、さアさア早く休まツしやれ。

 すると又ぞろ三番目の小僧が罷出《まかりで》て、方丈樣私の名前もヤジロウと呼んで下さい。あゝいともいゝとも、ヤジロウか、さアさア早く休まツしやれ。今夜は大分遲い遲いと言つて、和尙樣は小僧どもを次の間へ追ひ遣つた。和尙樣は小僧達が寢てしまう[やぶちゃん注:ママ。]と、今頃はもうあの餓鬼共も眠つたベヤ、時刻はよかんべえと言つて、坊主頭に鉢卷をして、ダイコク相手に、

   デツチリ

   ボツチリ

   ヤジロウ

 と聲がけして餅搗きをやり出した。すると三人の小僧どもは、待つて居たとばかりに、床からむツくらと飛び起きて、ハイハイ、和尙樣何用でガスと言つて、其所へ顏を出したもんだから、和尙樣も仕方なしに、あゝ起きたか、起きたか、今餅を搗いたので、お前達にも食はせべと思つてナと言つた。切角コロト(内密)に汗水流して搗いた餅を、腹空(ヘ)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]らし小僧どアに、みんな食はれて仕舞つた。

 

       餅 搗(其の二)

 和尙樣はそれに懲りて其後は小僧共の居ないやうな時にばかり餅搗きをした。そして藏(シマ)つて置いた。ある日二人の小僧は近所の御法事に招(ヨ)ばれて行つて一番下の小坊子《こばうつこ》ばかりが寺に殘つて居た。ところが和尙樣は急に餅が食ひたくなつたので、小僧々々、お前御苦勞だが、隣の家の建前の柱が何程(ナンボホド)立つたかヤ、ちよツと行つて見て來てくれないかと言ひつけた。ハイと言つて小僧は行つて見て來るふりをして、壁の穴から見て居ると、和尙樣は大きな鏡餅を戶棚から取り出して來て、それを爐《ひぼと》の灰の中に埋《うづ》めてホド燒きを始めた。[やぶちゃん注:「ホド」は囲炉裏( いろり)の中央にある火を焚く窪んだ所のことを指すが、ここは囲炉裏の灰に埋めて餅を焼くことを言っている。]

 小僧はその餅がいく加減に燒けた頃を見計らつて、ハイ只今と言つて、玄關の障子をガラツと開けた。[やぶちゃん注:底本は読点だが、「ちくま文庫」版で句点に代えた。]すると和尙樣は何食はぬ顏をしながら、あゝ見て來なさツたか、柱が何本立つたけやと訊いた。そこで小僧は、和尙樣し[やぶちゃん注:「し」は感動詞で敬意を添える。以下、読点はないが、「ちくま文庫」版で補った。次の「と」の後も同じ。]、あの柱がと、其所にあつた火箸を取つて、此所に一本、それから又此所にも一本と、灰の中へ火箸を突き差し突き差し、柱の立つた場所を敎へて居るうちに、丁度火箸がホド灰(アク)の中の餅に差さつたので、小僧はぐいら[やぶちゃん注:「ぐいら」仙台弁に副詞で、「 いきなり・不意に」の意がある。]とそれを持ちヤげて、あれア和尙樣シ之れはなんで御座りますと言つて、驚いた風をした。すると和尙樣の言ふことには、あゝそれはナ、今日は兄弟子どア皆法事さ行つたのに、お前ばかり殘つて居るから、お前に食べさせべえと思つて、こうして[やぶちゃん注:ママ。歴史的仮名遣では「かうして」(斯うして)。]燒いて置いたのさアと言つた。

 

     太皷破り(其の三)

 その三人の小僧どア、或時和尙樣の留守の間に、廣い御本堂《ごほんだう》へ行つてお神樂《かぐら》を始め出しだ[やぶちゃん注:「ちくま文庫」版では、「た」であるが、ママとした。]。そして餘り調子に乘つて大騷ぎをしたもんだから、とうとう[やぶちゃん注:ママ。]大太皷を打ち破つてしまつた。コレヤことな事をしたでア、和尙樣が歸ればうんと叱られる。なぞにすべえ、なぞにすべえと泣き相《さう》な顏をしながら心配して居るところに、ハイ今歸つたよと言つて和尙樣がガラリと歸つて來た。そして三人の顏を見て、何だお前方(ガタ)アまた惡戯《いたづら》をしたなアと言ひながら、脇を見ると御本堂の大太皷が破れてゐるので、コレアお前だち[やぶちゃん注:ママ。「ちくま文庫」版も濁点がある。]アこの太皷をブン破つたナと叱つたら、方丈樣お許しあツてお吳れやれと言つて泣き出した。[やぶちゃん注:底本は読点。「ちくま文庫」版で句点に代えた。]和尙樣は、まあまあ、そんなに泣かなくてもよい、泣いたつて壞れたもんが直る譯でもあるまいし、何かの間違ひで壞したものだンベから許してやるが、只《ただ》ではいけない。お前達三人で後前(アトサキ)にリンリンと謂ふ文句をつけた歌を詠んだら許してやンベアと言つた。小僧どアは大喜びで先す一番年上の武士の子が、

   リンリンと小反(コゾ)りに反つた小薙刀《こなぎなた》

   一振り振れば敵は逃げリン

 と詠んで許された。次のが百姓の子で、

   リンリンと小反りに反つた鍬鎌《くはかま》や

   一掘り掘れば土は掘りリン

 と詠んで許された。次のは魚屋の息子であつたので、

   リンリンと小反りに反つたカド鰯(鯡《にしん》)

   いびり食つたら腹が膨《は》りリン

 でとうとう[やぶちゃん注:ママ。]三人とも許されたとサ。

  (大正九年六月頃、膽澤《いさは》郡一ノ關近在にて
   行なはれてゐる話。千葉亞夫氏からの御報告の三。)

[やぶちゃん注:「膽澤郡一ノ關」不詳。現在の岩手県一関市は胆沢郡の南方外で、旧磐井郡内である。佐々木の誤認か、或いは、旧胆沢郡内に同名の地名があったものか、よく判らない。]

 

       四貫八百(其の四)

 或所のお寺に和尙樣と小僧とがあつて、檀家の御法事に呼ばれて行くと、御布施が上《あが》つて上紙《じやうし》に四貫八百《しくわんはつひゃく》と書いてあつた。御經を上げながら橫目で和尙樣は其を讀んで、ほくほくめがして[やぶちゃん注:「うれしさを隠しきれない様子で」の意。]御經の文句の中にそれを交(カ)てて、

   今日の手間《てま》は

   小僧にア八百

   吾れア四貫ン…

 と唱へ唱へ木魚をボクボクと叩くと、小僧達はそれに合せて、

   和尙樣ア强慾だツ

   和尙樣ア强慾だツ…

 と唱へながら鉦《かね》をチンチンと鳴らした。

 和尙小僧が檀家から歸ると、和尙樣はお經に交(カ)てて誦(ヨ)んだ通りに、自分で四貫取つて小僧には八百しかあづけなかつた。そこで小僧は其仇《かたき》を何時《いつ》か討つてやらうと考へてゐた。

 

        水汲み(其の五)

 其和尙樣は門前のお嫁樣と仲が良かつたので、それそれ、[やぶちゃん注:底本は半角字空けで読点はないが、「ちくま文庫」版で補った。]其事に邪魔をしてやんベえと思ひついた。其門前のお嫁樣は每朝お寺の井戶へ水汲みに來るから、其前の晚そつとお嫁樣の許《もと》へ行つて、門前の嫁樣シ嫁樣シ、俺ア所《ところ》の和尙樣がお前さんのことを惡く言つて居《ゐ》んすぞと告げると、お嫁樣は氣に掛けて、[やぶちゃん注:底本は読点はないが、「ちくま文庫」版で補った。]なんと妾《わらは》の事を惡口言つて居ますてヤと訊いた。誰さも默つて居てがんせ。和尙樣がお前さんのことを良い女《をな》ゴだども口が大きくて厭(ヤン)だアと言つて居ると僞言(ボガ)を吹いて來た。

 それから和尙樣の方へは、あの和尙樣シ和尙樣シ、門前のお嫁樣がナシ、和尙樣のことを惡口して居ますチヨと告げ口した。和尙樣が氣にかけて何と言つて居たてヤと訊くと、あのお嫁樣はお前とこの和尙樣は立派な和尙樣だども、あんまり鼻が大きくて俺ア厭んだアと言つて居ますと僞言を吹いた。

 翌朝、門前のお嫁樣がいつものやうに井戶へ水汲みに來た。恰度《ちやうど》其所へ和尙樣が顏洗ひに出た。するとお嫁樣はいつものやうに笑はないで、口を隱して脇の方に向いた。和尙樣も笑はないで鼻を隱し反方(ソツポ)を向いた。そして其れツきり仲良しにならなかつた。

(江刺郡米里《よねさと》村に殘つて居る話。佐々木伊藏氏の談話。昭和五年七月七日聽書の五。前半の御經誦みの話は、私などもよく父から聽かせられたものである。たゞ少し異《ちが》つて居て、此方《こつち》は或寺の和尙樣が無學で御經一つ知らなかつたので困つて居ると、折から空を多くの雁《かり》が飛んで渡つた。そこで和尙樣は斯《か》う唱へて引導したと謂ふのである。

   天《そら》飛ぶ鳥は四十と八羽

   百づつに賣れば四貫八百

   小僧に八百、吾レ四貫ン

 すると小僧がすかさず、

   おら和尙ア大慾だ々々々…

 と後をとつたと謂ふ話であつた。)

[やぶちゃん注:附記は長いので、字下げをやめ、ポイントも本文と同じにした。

「江剌郡米里村」現在の奥州市江刺米里(えさしよねさと:グーグル・マップ・データ)。遠野市からは南西に当たる。]

 

        豆 腐(其の六)

 或寺の和尙樣が、デンガク豆腐を二十串、ズラリと爐《ひぼと》に並べて剌して燒いた。そして其田樂を自分一人でセシめやうと思つて、二人の小僧を呼んで、ざいざい[やぶちゃん注:何度も本書で出るが、今一つ、意味が判らない。しかし、ここでは「さあさあ」という呼びかけとして機能していると読める。]歌を詠んでこの豆腐を食ベツこすべえでないかと言つた。そこでまづ俺からかけると言つて、

   小僧二人はニクシ

 と言つて二串取つて食べた。そして小僧どもをかへり見て、どうだいお前達にこの眞似が出來るかいと云つた。そこで兄弟子が歌を詠んだ。

   お釋迦樣の前のヤクシ

 と言つて八串取つて食つた。すると一番小さい弟子ツこが、

   小僧良げれば和尙はトクシ

 と言つて殘つた十串をみんな取つて、誰よりも得をした。

  (祖父の話、自分の古い記憶。)

 

        小 便(其の七)

 或お寺の小僧、和尙樣に連れられ或檀家の御法事に行つた。野原の道を步いてゐるうちに小便がしたくなつて、[やぶちゃん注:底本は句点。「ちくま文庫」版で訂した。]路傍に立つてしやうとすると、和尙樣がこれこれ小僧道路(ミト)には道祖神と云ふ神樣がお出《い》でになるもんだ。其所へ小便してはなりませんと止《と》めた。

 小僧ははツと言つて耐《た》えて行つたが、其の中《うち》にとても耐《たま》らなくなつて、道路から少し畑の中に入つて立つと、和尙樣はまた、こらこら畑にはナ、畑神《はたがみ》が居るもんだ。いけぬよと言つた。

 小僧は顏を顰《しか》めて、こんどは田の畦《あぜ》に立つと、これこれ田の中には、田の神がお居《ゐ》でるからダメぢやダメぢやと言つた。

 ほんだら川の中にしませうかといふと、飛《と》んでもないこつた。川にはお水神《すいじん》樣が居《を》ることを知らないかと叱つた。

 小僧は腰が裂けるやうになつた。少し行くと石地藏が立つてゐる辻道へ出た。和尙樣は小僧此所で少々憩《やす》んで行かうと言つて、石に腰をかけて憩んだ。此の時だと、小僧は和尙樣の頭にザアザアとしつかけた。

 和尙樣は驚いて、これこれ小僧、師匠の頭に何のこつたと力《りき》むと、だつて和尙樣の顏にはカミがないからと言つてのけた。

  (昭和四年の夏、北川眞澄氏の談。)

[やぶちゃん注:今までの複数話構成のものは、それぞれが、独立した話柄で、強い連関性は認められなかったが、以上は特異点で、少なくとも、最初の三話の設定は確信犯の完全な連作として読める。以下も、それに引かれて、無意識に同じような坊主と小坊主を想起させるような内容である。

2023/07/23

譚海 卷之五 武州秩父領三峯山の事

 

[やぶちゃん注:句読点・記号を変更・追加した。]

○三峯山(みつみねさん)の社(やしろ)といふは、秩父の奥、大瀧(おほたき)といふ山中にあり。この神、甚(はなはだ)、靈(れい)、有(あり)。守札(まもりふだ)を門戶に張付置(はりつけおく)ときは、盜賊の難をさけると、いへり。中山道熊谷驛の西より、秩父へ行(ゆく)みち、あり。二泊ほどをへて、「下はくれ」・「上はくれ」なと[やぶちゃん注:ママ。]いふ峠を、こゑ[やぶちゃん注:ママ。]、至る所なり。嶮岨、いふべからざる道なり。棧道(さんだう)あり。その外、所々の橋も、皆、丸木を、藤かづらにて結ひて、わたる所、おほし。銀(しろがね)のくさりにすがりて、のぼる所も、あり。秩父、深山、行どまりの所にて、又、同じ道を歸る事なり。然れども、時々、貴人の代參など、往來、たゆる事、なし。武甲山に近き所也といふ。又、三峯の麓、大瀧といふ所に、甲州・信州へ通ふ道、有(あり)て、關(せき)あり。關をこゑて[やぶちゃん注:ママ。]、甲州の府中へ至る、山道、只、七里、有(あり)。壹騎(いつき)うちにて、甚(はなはだ)、難所也。所々、大木の朽(くち)て、たふれたる、道にふさがり有(あり)て、その木の上を、またぎこゑ[やぶちゃん注:ママ。]、又は、下をくゞりて、とほる所、多し。然れども、甚(はなはだ)、近道也。順道(じゆんだう)を、もとめて、まはり行(ゆか)ば、府中まで、三十里ありとぞ。

[やぶちゃん注:「三峯山の社」埼玉県秩父市大滝(グーグル・マップ・データ。後に出る熊谷を東北に配した)にある三峯神社。ここ(グーグル・マップ・データ航空写真)。

「守札」三十年程前に妻と訪れ、これを貰った。狼を左右に配した御札で、元三大師(がんさんだいし)良源の「角大師護符」と並んで、無神論者である私が特異的にお気に入りのもので、居間の飾り書棚に今も一緒に掲げてある。

『「下はくれ」・「上はくれ」なといふ峠』戦前の地図を探したが、「はくれ」の地名や峠名を確認出来なかった。識者の御教授を乞うものである。以下の武甲山の麓を旧「熊谷宿」から廻る二本の三峯神社への参道らしいのだが。

「武甲山」(ぶこうざん・ぶこうさん)は埼玉県秩父地方の秩父市と横瀬町の境界に位置する山で、秩父盆地の南側にあり、標高は千三百四メートル。ここ(グーグル・マップ・データ航空写真)。

「一騎うち」「一騎打ち」。「うち」は「馬を走らせること」を言う。馬一騎ずつを一列に並べて進むしかないほど、山道が狭いことを言う。

「順道」近道などを用いずに、順当な道筋を行くこと。

「三十里」これは大道で現在の一里で、しかも、行程実測と思われる。]

譚海 卷之五 奥州津軽南部の際絕景の地の事

[やぶちゃん注:句読点・記号を変更・追加した。標題「際」は「きは」であろう。]

○津輕より、南部へ越(こゆ)る東の海邊、高き岸より望めば、一里半も隔たる沖に、大なる島あり。島の腹(はら)に、殊に大(おほき)なる洞穴、有り。壹里餘(あまり)を隔てても、たしかに、それと、見ゆるほどの洞(ほら)なり。その洞中(ほらなか)に、諸鳥、巢をかまへ、集(あつま)り、すむと、いへり。高き岸を、ゆきながら見れば、岸より洞まで、庭石を居(おき)たる如く、平かなる岩(いは)ほ、つゞきて有(あり)。またぎて、ゆかるゝやうに、みゆれども、岩ほのあひだを、船のゆききするを、みれば、岩のあはひ、よほど、へだたりてあると、覺えたり。其岩の間に、打(うち)あてて、ほどばしる[やぶちゃん注:ママ。]波の景色、奇觀也。ひくき所に、くだりて見れば、はじめ、此たひらかにみえし岩、いづれも、高さ、二、三間ほどづつある故、岩にかくされて、島は、みえず、高き所より望(のぞみ)たるときは、言語同斷の景也とぞ。

[やぶちゃん注:「津輕より、南部へ越る東の海邊」底本の竹内利美氏の注に、『津軽南部両藩の境は、海辺では現在の青森県野辺地』(のへじ)『の馬門』(まかど)『で、ここに番所があった。ここの話は浅虫温泉の辺から夏泊』(なつどまり)『半島いたるところらしい。まだ津軽領分である』とある。この馬門御番所跡はここ(グーグル・マップ・データ。以下同じ)で、北西にある半島が夏泊半島、浅虫温泉は、その南西のここである。

「一里半」は東国で用いられた小道(こみち)・坂東道(ばんどうみち)のそれで、一里は六町(六百五十四メートル)であるから、九百八十一メートルとなる。通常の一里では、当該しそうな島はないからでもある。

「二、三間」三・六四~五・四五メートル。

 さて。この島は現在の、どの島であろうか。「津輕より、南部へ越る東の海邊」とあり、竹内氏の注からも、これは、靑森湾の東側の海岸線となる。湾奥から夏泊半島に向かって、「湯ノ島」・「裸島」・「鴎(ごめ)島」・「茂浦島」・「双子島」・「大島」がある。この内、現在、海岸線から、「岸より洞まで、庭石を居たる如く、平かなる岩ほ、つゞきて有」という条件に一致し、島が岩塊に見えるのは、海岸線から近過ぎるが(今は百十二メートルぐらいしか離れていない)、青森市浅虫地区の「裸島」(航空写真)がそれらしくは見える。「海と日本PROJECT in 青森県」の『青森市浅虫地区の「裸島」に残る、ちょっと悲しい伝説とは?』の写真を見られたい。一方で、「湯ノ島」(航空写真)は八百八十九メートルほどはあるので、距離が一致することと、当該ウィキによれば、『鳥類ではキセキレイ、イソヒヨドリ、ウトウの生息地でもある』とあることで、有意に候補とはなる。しかし、現行、島に続く岩場は存在しない。竹内氏が島を比定されていないのは、これらの記載を凡てクリアーする現存する島が見当たらないからであろう。]

只野真葛 むかしばなし (71) 久々の実話怪談!

 

一、「おてる」が乳母の「げん」が咄(はな)しに、玉川の百姓に、河獵(かはれふ)を主《おも》にして、くらすものありしが、弟は、外へ養子に行(ゆき)、兄は、妻をなくし、子共二人有(あり)しが、病氣なりしを、

「其病(やまひ)には、土鼠(もぐら)を食へば、よい。」

と人の敎(をしへ)し故、弟に、

「取(とり)て吳(くれ)よ。」

と、賴(たのみ)しに、受合(うけあひ)て、出がけに門口(かどぐち)にて、大(おほ)いたちが、土鼠を取《とり》て走るに逢ふ故、

「願所(ねがふところ)。」

と、おさへ、とりて、兄に、くわせしとぞ。

 其翌日、弟、葬禮の供(とも)にたのまれて行(ゆき)しに、晝中(ひるなか)、其いたちの、來て、かゝとを、喰ひ付(つき)、喰ひ付、したりしを、けやり[やぶちゃん注:「蹴やり」(蹴飛ばし)であろう。]、けやりして、こゝともせず[やぶちゃん注:底本は「こゝともせず」。『日本庶民生活史料集成』版を採用した。]ゐたりしに、何(いづ)くへか、行(ゆき)たりし。

 其夜より、兄の家の上(あが)り口(ぐち)に、いたちの、うづくまりゐて、人の居(を)るかたを、睨(にらみ)をる、眼の光の、いやなること、たとへんかた、なし。

 寢靜まると、來て、元結(もとゆひ)をくわへて、引(ひき)しを、手にて拂(はらひ)しに、子共の寢たる方(かた)へ拂やりしに、其儘、くひ付(つき)たり。

 あくるひ、行(ゆき)てみしに、子共、二人とも、喰(くは)れて、泣叫(なきさけ)ぶてい、みじめなりしとぞ。

 又、夜に、入(いれ)ば、上り口に居(ゐ)て、寢れば、きて、あだを、したり。

 とらへんとせし手に喰付(くひつき)しが、已(すで)に、くひとらるゝなりしとぞ。

 子は、先立(さきだつ)て死す。

 父も、半月ばかり、苦(くるし)みて、死(しし)たり。

 病(やまひ)、癒さんとて、三人、死せしとぞ。

 「げん」が近(ちかく)の家にて有(あり)し故、いたちの、ゐしを、見たり。

「おそろしきこと。」

と[やぶちゃん注:底本では「ゝ」。]、常々、はなしせし故、「おてる」、いたちを、おそれたりし。

[やぶちゃん注:「川獺」は本邦の民俗社会では、古くから狐・狸と同じく「人を化かす」とされてきた経緯がある妖獣であった。ウィキの「カワウソ」の「伝承の中のカワウソ」によれば、『石川県能都地方では』、二十『歳くらいの美女や碁盤縞の着物姿の子供に化け、誰何されると、人間なら「オラヤ」と答えるところを「アラヤ」と答え、どこの者か尋ねられると「カワイ」などと意味不明な答を返すといったものから』、『加賀(現在の石川県)で、城の堀に住むカワウソが女に化けて、寄って来た男を食い殺したような恐ろしい話もある』。『江戸時代には』「裏見寒話」(私の「柴田宵曲 續妖異博物館 獺」を参照されたい)・「太平百物語」(私の「太平百物語卷二 十一 緖方勝次郞獺(かはうそ)を射留めし事」や同「卷五 四十六 獺人とすまふを取し事」を参照されたい)・「四不語録」などの『怪談、随筆、物語でもカワウソの怪異が語られており、前述した加賀のように美女に化けたカワウソが男を殺す話がある』。『安芸国安佐郡沼田町(現在の広島県広島市)の伝説では「伴(とも)のカワウソ」「阿戸(あと)のカワウソ」といって、カワウソが坊主に化けて通行人のもとに現れ、相手が近づいたり』、『上を見上げたりすると、どんどん背が伸びて見上げるような大坊主になったという』。『青森県津軽地方では人間に憑くものともいわれ、カワウソに憑かれた者は精魂が抜けたようで元気がなくなるといわれた』。『また、生首に化けて川の漁の網にかかって化かすともいわれた』。『石川県鹿島郡や羽咋郡では』、「かぶそ」又は「かわそ」の『名で妖怪視され、夜道を歩く人の提灯の火を消したり、人間の言葉を話したり』、十八、九歳の『美女に化けて人をたぶらかしたり、人を化かして石や木の根と相撲をとらせたりといった悪戯をしたという』。『人の言葉も話し、道行く人を呼び止めることもあったという』。『石川県や高知県などでは河童の一種ともいわれ、カワウソと相撲をとったなどの話が伝わっている』。『北陸地方、紀州、四国などではカワウソ自体が河童の一種として妖怪視された』。『室町時代の国語辞典『下学集』には、河童について最古のものと見られる記述があり、「獺(かわうそ)老いて河童(かはらふ)に成る」と述べられている』。『アイヌ語ではエサマンと呼び、人を騙したり』、『食料を盗むなどの伝承があるため』、『悪い印象で語られるが、水中での動きの良さにあやかろうと子供の手首にカワウソの皮を巻く風習があり、泳ぎの上手い者を「エサマンのようだ」と賞賛することもある』。『アイヌの昔話では、ウラシベツ(現在の網走市浦士別)で、カワウソの魔物が人間に化け、美しい娘のいる家に現れ、その娘を殺して魂を奪って妻にしようとする話がある』。『またアイヌ語ではラッコを本来は「アトゥイエサマン(海のカワウソ)」と呼んでいたが、夜にこの言葉を使うとカワウソが化けて出るため』、『昼間は「ラッコ」と呼ぶようになったという伝承がある』とある。重複する箇所があるが、博物誌は私の「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 獺(かはうそ) (カワウソ)」も見られたい。]

只野真葛 むかしばなし (70) 真葛の最初の凄絶極まりない老人との結婚

 

一、佐野善左衞門に切(きら)れし田沼山城守樣は、至極、よき人にて、公方樣、御意(ぎよい)に入(いる)にて有(あり)しとぞ。誠に、善人なり。年も三拾ばかりなり。主殿頭(ともののかみ)を、一刀と、ねらひしかども、出(いで)あはぬ故、きりしとぞ。

「是、天命なり。世のかわるべき時、來りしなり。」

と。父樣、被ㇾ仰し。

「善左衞門、願(ねがひ)の如く、親を切らば、すぐに山城守、老中被仰付は、疑(うたがひ)なし。扨(さて)は、いつまでも文盲の世にて有(ある)べきを、いとほしながらも、世の爲には、あかるく成(なり)しぞ。」

と御悅被ㇾ成し。

 世の中、一變せしかば、其代(かはり)に、用ひられし人は、殘らず、引(ひき)こみしなり。

[やぶちゃん注:「佐野善左衞門」旗本佐野政言(まさこと 宝暦七(一七五七)年~天明四年四月三日(一七八四年五月二十一日))。彼は「田沼山城守樣」田沼意次の嫡男で若年寄の田沼意知(おきとも 寛延二(一七四九)年~天明四年四月二日(一七八四年五月二十日)を江戸城中で刃傷に及んだ人物。同四年三月二十四日、意知に向かって走りながら、「覚えがあろう」と、三度、叫び、大脇差で斬りつけ、その八日後に治療の遅れから、意知が絶命すると、佐野政言には同四月三日に切腹が命ぜられ、揚げ屋敷で自害した。ウィキの「佐野政言」によれば、『犯行の動機は、意知とその父意次が先祖粉飾のために藤姓足利氏流佐野家の系図を借り返さなかった事』や、『下野国の佐野家の領地にある佐野大明神を意知の家来が横領し』、『田沼大明神にした事』、彼が『田沼家に賄賂を送った』ものの、『一向に昇進出来なかった事等々、諸説』『あったが』、『幕府は乱心として処理した』とある。なお、真葛は意知を高く評価しているが、ウィキの「田沼意知」によれば、事件直後、『江戸市民の間では』、『佐野政言を賞賛して』、『田沼政治に対する批判が高まり、幕閣においても松平定信ら反田沼派が台頭することとなった。江戸に田沼意知を嘲笑』(せせらわら)『う落首が溢れている中、オランダ商館長イサーク・ティチングは『鉢植えて 梅か桜か咲く花を 誰れたきつけて 佐野に斬らせた』という落首を世界に伝え、「田沼意知の暗殺は幕府内の勢力争いから始まったものであり、井の中の蛙ぞろいの幕府首脳の中、田沼意知ただ一人が日本の将来を考えていた。彼の死により、近い将来起こるはずであった開国の道は、今や完全に閉ざされたのである」と書き残していた』とあった。海防を訴えつつ、蝦夷地の開拓を考えた父工藤平助と、以上のことを考え合わせると、何やらん、真葛が意知に好意的な評価を与えているところに、何か、感慨深いものがあるように私には思われる。]

 ワ、廿七の年の冬、

「磯田藤助が從弟、酒井樣の家中に、『有所(あるところ)へ世話する。』といふから、ゆけ。先(まづ)は老年と聞(きく)が、其方も、年も取(とり)しこと。」

と被ㇾ仰し時は、

「私(わたくし)が、好(すき)で、取(とつ)た年でも、ないものを。」

と、淚の落(おち)たりし。

 それから、行(ゆき)て見た所が、髮は、一筋も、黑い毛、なく、目は、赤く、くさりたる、老人なりし。

『是が、此世に生出(うまれいで)て、からく、今迄、身を守り、一生に一人と賴む人なるか。』

と思(おもへ)ば、淚のわき出(いで)て、物も見えず。

 其人の、はじめて、いひだすには、

「おれは、高々(たかだか)、五年ばかりも、生(いく)るなるべし。賴むは、あとの事なり。」

と、いはれては、猶、かなしく、泣(なき)てばかりゐた故に、かへされたり。

 右の目の下に、大きな黑子《ほくろ》有(あり)しを、

「『淚ぽくろ』とて、宜(よろし)からず。」

 取々と、人々のいひしを、何とばかり思ひて有(あり)しが、是より、氣にかゝり取(とり)たりしが、一生、心中に、歎きの絕(たえ)ぬうみ付(つき)なれば、遁(のがれ)がたし。

『子は、もたず、若き兄弟には、かずかず、別れ、哀(あはれ)、しごく[やぶちゃん注:「至極」。]の我身。』

と、鏡に、むかひて、顏を、みれば、哀(あはれ)らしく見えぬ故、此(この)かげを、友として、心をなぐさむことなり【此地へ下りて、よめる哥(うた)、「朝夕にむかふかゞみのかげならで心ひとしき友をみぬかな」。[やぶちゃん注:底本に『原頭註』とある。]】

[やぶちゃん注:仙台藩奥女中から、伊達重村の息女詮子(あきこ)の嫁ぎ先であった彦根藩井伊家上屋敷に奉公に移っていた真葛は天明八(一七八八)年七月、奉公を辞し、浜町の借宅に帰った。この時、真葛は既に二十六歳になっていた。翌寛政元年五月、ここに出る醜怪なる酒井家家臣の老人の元に嫁入りしたのであった。ウィキの「只野真葛」によれば、『酒井家家中では、伊達騒動の因縁から』、『仙台藩をわるく言いたがる風潮があり、それもあや子にとっては苦痛であった。さらに』、ここで真葛自身が述べているように、『縁談を勧める際の父平助の「先は老年と聞が、其方も年取しこと」の言葉も彼女を傷つけた』とある。]

只野真葛 むかしばなし (69)

 

 それは、ワ、十八、九年ばかりの事なりし。

 ワに被ㇾ仰しは、

「其方も緣付べき年には成(なり)たれども、我身分、いかゞなるや、知れ難し。今、緣付(えんづけ)れば、餘り高きかたへは、遣(つか)はしがたし。我身、一きわ、ぬけ出(いで)なば、妹共をば、宜しき方へ、もらはれんに、姉の、をとりて、あらんは、あしかるべし。少し、年は更(ふく)るとも、今しばし、世のさまの定まる迄、御奉公いたすべし。」

と被ㇾ仰たりし。よかれよかれと、おぽしめされしが、仇(あだ)と成(なり)、緣遠(えんどほ)の身と成りしなり【父樣、かやうに被ㇾ仰に付(つけ)ても、姉といはれん人の、身持、おろそかに成(なし)がたし、と、おもひ、はげみしなり。[やぶちゃん注:底本には『原頭註』とある。]】

 井伊樣に西尾りう治といふ人、有(あり)しが、才人なりし。

 占(うらなひ)を、よくして、能《よく》當りし故、此父樣の御身の上を、うらなはせしに、よく當りたりし。六文錢を、なげて、うらなふ事なり。

「表を見ては、しごくよき事のすじなり。人も『よし。』といひ、おもふ事の、裏にては、『あしゝ。』。世にいづれば、是は、『はまつた。』といふ身に成(なる)なり。ならぬかた、遙かに、ましなり。先は成(なり)がたき、ていなり。」

と、いひし故、おもしろからず思ひしが、其如くにて有(あり)し。

「此秋は。」

「來春は。」

と、いふやうに、のびのびして、三、四年も立(たち)しに、公方樣、御他界、田沼、引込(ひきこみ)、世の中、とりどりに成(なり)て、其程に出世したる人は、皆、惡人・山師の樣に世人に疑れしが、光なき谷住(たにずみ)の父樣は、かはる事も、なかりし。火難(くはなん)に御逢被ㇾ遊し比(ころ)までは、まだ、

「もしや、出世のこともや。」

と、御下心、たのしかりし故、さのみ御歎きも被ㇾ成ざりしなり。

 さやうの下拵(したごしらへ)ありし故、けんもん[やぶちゃん注:「權門」。]衆より、火事見舞に、金など、進物せしなり。

「火難」天明四(一七八四)年、平助の築地の屋敷(藩医でありながら、特別に藩邸の近く外に住まいすることが許されていた)は焼失している。ウィキの「只野真葛」によれば、天明六年二月には、『平助の後継者として育てられてきた上の弟長庵が、火災後の仮住まいにおいて』二十二『歳で没し』、八月の『将軍徳川家治の逝去がきっかけとなり、平助の蝦夷地開発計画に耳を傾けてきた田沼意次が失脚』、十月には幕府が、平助が内心では期待していた第二次『蝦夷地調査の中止を決定した。これにより』、『平助が蝦夷奉行等として出世する見込みはまったくなくなった。田沼のライバル松平定信の政策は、蝦夷地を未開発の状態にとどめておくことが』、『むしろ』、『国防上安全だという考えにもとづい』たものであった。『築地の工藤邸は』、『その後、築地川向に借地して』、再度、『家を建てはじめた。しかし、世話する人に預けた金を使い込まれてしまい、普請は途中で頓挫し』、『そうしたなか、天明』七年の『倹約令の影響で景気も急速に冷え込んだため、家の新築は見通しが立たなくな』り、この後、『日本橋浜町に住む幕府お抱えの医師木村養春が平助に同居を持ちかけたので、工藤一家はここに住むことになった』とある。]

只野真葛 むかしばなし (68)

 

一、父樣をば、田沼時代の人は、「大智者」とおもゑて[やぶちゃん注:ママ。]有しとぞ。

 或時、公用人と、さしむかひにて、用談、終(をへ)て、咄しの内、用人、いふ、

「我主人は、富にも、祿にも、官位にも、不足、なし。此上の願(ねがひ)には、田沼老中の時、仕置(しおき)たる事とて、ながき代(よ)に、人の爲に成(なる)事をしおきたく願(ねがふ)なり。何わざを、したら、よからんか。」

と問合(とひあは)せしに、父樣、御こたへに、

「それは、いかにもよき御心付(おこころづき)なり。さあらば、國を廣(ひろう)する工夫、よろしかるべし。」

 問(とふ)、

「それは、いかゞしたる事ぞ。」

 答(こたへて)、

「夫《それ》、蝦夷(えぞのくに)は、松前より、地つゞきにて、日本へ、世々(よよ)、隨ひ居《を》る國なり。これを、ひらきて、みつぎ物をとる工面を被ㇾ成かし。日本を廣くせしは、田沼樣のわざとて、永々、人の、あをぐ[やぶちゃん注:ママ。]べき事よ。」

と被ㇾ仰しかば、文盲てやいは、はじめて、かようの事をきゝ、恐れ入(いり)し了簡なり。

「いざ、さらば、其あらまし、主人へ申上度(まうしあげた)し。一書にして、いだされよ。」

といひし故、父樣、書《かき》て出されしを、隨分、うけもよく、感心、有《あり》て、

「其奉行に、父樣をなさん。」

と、いひしとぞ。【書學ある人は、國をひらく、よき事、といふは、誰(たれ)もしるならんを、うたてしき世には、有(あり)ける。[やぶちゃん注:底本では、『原頭註』と記す。]】

 我にひとしき人なき世には、なまなかのことはいわれぬもの、父樣は、今更、それはいやともいはれず、又、田沼を拵(ひかへ)て、家中を拔(ぬき)て、公儀衆に成(なり)しといはるゝも、うしろぐらし、大きに御心勞被ㇾ成たりしが、色々、御工夫の上、徹山樣へ打明(うちあけ)て、

「ケ樣ケ樣の事の候が、内々、上にても、『左樣の思召(おぼしめし)有(あり)』とて、上の御いさほに仕(つかまつ)り度(たく)。」

と申上られしに、一段の御機嫌にて、

「それ、至極、宜(よろ)し。」

と、御意なりし、とぞ。

 是よりは、心、はればれと被ㇾ成しとぞ。

[やぶちゃん注:「公用人」大名・小名の家中で、幕府に関する用務を取り扱った役を広く指すが、ここは、まさに側用人と老中を兼任した田沼意次の公用人であることは、後半の段落部から明白である。真葛の父工藤平助のウィキに、天明元(一七八一)年四月、平助は「赤蝦夷風説考」下巻を、二年後の天明三年には『同上巻を含め』、『すべて完成させた。「赤蝦夷」とは当時のロシアを指す呼称であり、ロシアの南下を警告し、開港交易と蝦夷地経営を説いた著作であった。また』、この天明三年には、『密貿易を防ぐ方策を説いた』「報国以言」を『提出している。これらの情報は、松前藩藩士・前田玄丹』、『松前藩勘定奉行・湊源左衛門、長崎通詞・吉雄耕牛らより集めたものであった。さらに平助は』、「ゼヲガラヒ(万国地理誌)」や「ベシケレーヒンギ・ハン・リュスランド(ロシア誌)」等の『外国書を入手して、知識の充実に努めた』。「赤蝦夷風説考」は、『のちに田沼意次に献上されることとなるが、これは平助が自ら進んで献上したものではなかった』。真葛の「むかしばなし」に『よれば、工藤家に出入りするなかに田沼の用人がいて、あるとき』として、まさにこの部分の前の段落中の公用人の問いの台詞が引かれており、かく『平助の知恵を借りにきたので、平助は「そもそも蝦夷国は松前から地続きで日本へも随ってくる国である。これを開発して貢租を取る工面をしたなら、日本国を広げたのは田沼様だといい、人びとも御尊敬申し上げるだろう」と答えたという』とあるのである。天明四(一七八四)年には、『平助は江戸幕府勘定奉行・松本秀持に対し』、「赤蝦夷風説考」の『内容を詳しく説明し、松本は』、『これをもとに蝦夷地調査の伺書を幕府に提出した。これがときの老中・田沼意次の目にとまり、そのため』、翌天明五年には、『第一次蝦夷地調査隊が派遣され、随行員として最上徳内らも加わっていた。このころ、平助はいずれ』、『幕府の直臣となって蝦夷奉行として抜擢されるという噂が流れた。しかし、一面では医師廃業と周囲に見なされて患者を失い、しだいに経済的に苦境に陥っていたのが実情であった。なお、寛政』三(一七九一)年に『全巻刊行された林子平の海防論』「海国兵談」は、平助の「赤蝦夷風説考」の『情報に多くを依拠している。それに先立つ天明』六年には、平助は「海国兵談」の序を『書いて』も『いる。これについては、当初、平助は拒否していたが』、『子平の熱意によりついに承諾したものという』とあった。しかし、その直後、天明六年の第十代将軍『徳川家治の薨去により』、『田沼時代は終わりを告げ、こののち、平助の経世家としての名望は失われ、蝦夷地開発計画は頓挫し』、『平助の蝦夷奉行内定の話も沙汰止みとなった。林子平』の「海国兵談」も『版木を没収されて発禁処分となり、子平自身も幕府より仙台蟄居を命じられた』のであった。

「徹山樣」平助が藩医を務めた仙台藩の第七代藩主伊達重村(寛保二(一七四二)年~寛政八(一七九六)年)のこと。彼の戒名は「叡明院殿徹山玄機大居士」。当該ウィキはこちら。]

佐々木喜善「聽耳草紙」 一七〇番 履物の化物

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]

 

     一七〇番 履物の化物

 

 昔々、或所に、とても腹物を粗末にする家があつた。或晚、下女が獨りでゐたら外の方で、

   カラリン、コロリン、カンコロリン

   まなぐ三まなぐ三ツに齒二ん枚

 と云ふ聲がした。次の晚にもさう云ふ聲がして每晚化物が出た。下女は恐しくなつて、奧さんに其事話したら、奧さんは、どんな聲だかおれも聽かなけなんねから、今夜はお前の室《へや》さ寢んべと云つて女中と二人で息を殺して待つてゐた。するといつもの刻限にまた、カラリン、コロリンと唄ふ聲がした。奧さんは、本統[やぶちゃん注:ママ。]だこれ、一體なんだか明日の晚は正體を見てやんなけねえ[やぶちゃん注:「ちくま文庫」版では、『やんなけなんねえ』で、その方が正しいようには見える。]と言つて、その晚は寢た。次の晚又下女と二人で待つてゐたら、又やつて來た。奧さんと下女が戶の隙間からさうつと[やぶちゃん注:ママ。歴史的仮名遣は「そうつと」でいい。]覗いて見たら、履物の化物が、いつも履物を投げ棄てておく、物置のすまこへ入つて行つた。

  (昭和五年四月八日の夜蒐集されたとて、
   三原良吉氏の御報告分の七。)

[やぶちゃん注:所謂、付喪神怪談であるが、寧ろ、物を粗末に扱うことへの訓戒譚として生きている。]

佐々木喜善「聽耳草紙」 一六九番 柳の美男

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここ。]

 

   一六九番 柳の美男

 

 昔、木伏(キプシ)(盛岡の一町名)に美しい娘があつた。每日家の前の北上川へ出て、勢(セイ)よく伸びた柳の樹の下で洗濯物をして居た。

 或時其の娘がいつもの通り洗濯に出たまゝ行衛《ゆくへ》が分らなくなつた。家の人達や村の人達は、如何(ナゾ)なつたべといつて、方々を探ねたが、どうしても見當らなかつた。ところが二三日經つてから娘が其柳の木の幹にたくさんの枝々で絡《から》まれてしつかりと抱かれて居るのを見付けた。

 娘は人々に助けられて家に連れて來られた。其後永くぶらぶら病ひにとつつかれて靑い顏をして居たが、快《よ》くなつてから斯《か》う言つた。

 あの夕方いつものやうに柳の下で洗濯をして居ると、何處からか見たことのない美男が來て、抱き着いて放さない。其うちに何が何だか氣が遠くなつて、何も知らなかつた…祖其後柳の木は自然と枯死した。

  (大正二年の夏、盛岡生れの吉田政吉氏談話の分四。)

[やぶちゃん注:「木伏(キプシ)(盛岡の一町名)」現在の北上川右岸の岩手県盛岡市盛岡駅前通の木伏緑地附近(グーグル・マップ・データ航空写真)。JR盛岡駅直近。同地区のサイトが存在する。そのサイトでもそうだが、別な紹介サイト「ミズベリング」でも、読みは、「きっぷしりょくち」となっている。底本をガンマ補正すると、「プ」にも見える事を確認した。但し、「ちくま文庫」版は「きぶし」(同文庫では、本書のルビはカナカナではなく、みな、ひらがなである)。私は現行の発音を鑑みて「キプシ」と判じた。

南方閑話 死んだ女が子を產んだ話

[やぶちゃん注:「南方閑話」は大正一五(一九二六)年二月に坂本書店から刊行された。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像を視認した(リンクは表紙。本登録をしないと見られない)。但し、加工データとして、サイト「私設万葉文庫」にある、電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊)を加工データとして使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。疑問箇所は所持する平凡社「南方熊楠選集3」の「南方閑話 南方随筆」(一九八四年刊・新字新仮名)その他(必要な場合は参考対象を必ず示す)で校合した。

 これより後に出た「南方隨筆」「續南方隨筆」の先行電子化では、 南方熊楠の表記法に、さんざん、苦しめられた(特に読みの送り仮名として出すべき部分がない点、ダラダラと改行せずに記す点、句点が少なく、読点も不足していて甚だ読み難い等々)。されば、そこで行った《 》で私が推定の読みを歴史的仮名遣で添えることは勿論、句読点や記号も変更・追加し、書名は「 」で括り、時には、引用や直接話法とはっきり判る部分に「 」・『 』を附すこととし、「選集」を参考にしつつ、改行・段落成形もすることとする(そうしないと、私の注がずっと後になってしまい、注を必要とされるか読者には非常に不便だからである)。また、漢文脈の箇所では、後に〔 〕で推定訓読を示す。注は短いものは文中に、長くなるものは段落の後に附す。また、本書の掲載論考は全部で八篇であるが、長いものは分割して示す。

 より詳しい凡例は初回の冒頭注を見られたい。今回の分は、ここから。太字は底本では傍点「﹅」。]

 

    死んだ女が子を產んだ話

 

       

 「奇異雜談」下卷に、「世俗に曰く、懷姙不產(はらみてうまず)して死せる者、其儘野捨てにすれば、胎内の子、死せずして野にて生《むま》るれば、母の魂魄、形に化《け》して、子を抱き養ふて、夜、行《ある》く。其赤子の泣くを、「うぶめ啼く」と云也。其形、腰より下は、血に浸りて、力、弱き也。人、若し、是に遭へば、「負ふて玉はれ。」と云ふを、厭はずして、負へば、人を福祐に成すと、云傳《いひつた》へたり云々」とある。うぶめのことは、予、『東京人頬學會雜誌』明治四十二年五月の分、三〇五-六頁に、何か實在する、或鳥の外貌《すがた》が婦女に似たるより生じたる訛傳だらうと、云つて置いたが、其後、林道春の「梅村載筆」天卷に、『「夜中に小兒の啼き聲の樣なる物を、「うぶめ」と名《なづ》くと雖も、其を竊《ひそ》かに伺ひしかば、靑鷺也。」と、或人、語りき。」と有るを、見出《みいだ》した。又、鯢魚(さんせうのうを)も鼈《すつぽん》も、啼き聲、赤兒に酷似するを、永々《ながなが》、之を扱ふた人から聽いた。ポリネシア人が、胎兒の幽靈を、事の外、恐るゝ由、繰り返し、ワイツ及びゲルラントの「未開民史《ゲシヒテ・デル・ナチユルフオルケル》」(一八七二年板、卷六)に言へり。

[やぶちゃん注:最後の書名の読みは「選集」に附されてあるものを参考にした。

『「奇異雜談」下卷に、「世俗に曰く、……」先日、電子化注を終わった「奇異雜談集」の「巻第四 ㊃產女の由來の事」からの部分引用である。]

 又「奇異雜談」下卷に、京都靈山正法寺の開山國阿上人、元と、足利義滿に仕へ、伊勢へ出陣の間に、懷姙中の妻、死す。其訃を聞いて、陣中、作善《さぜん》を營む代りに、每日、錢を非人に施す。軍《いくさ》、畢《を》へて、歸京し、妻を埋《うづ》めた處へ往き見ると、塚下《つかした》に、赤子の聲、聞ゆ。近處の茶屋の亭主に聞くに、「其邊より、此頃、每日、婦人の靈、來り、錢を以て、餅を買ふ。」と。「日數《ひかず》も錢の數も伊勢で施した所と合ふから、必定、亡妻が施錢を以て、餅を求め、赤子を養ふたに相違なし。」と、判じて、塚を掘ると、赤子は活きて居《をつ》たが、母の屍は、腐れ果てゝ居《をつ》た。依つて、其子を、彼《か》の亭主に養はせ、己れは、藤澤寺で出家し、五十年間、修行弘道《こうだう》した、と有る。(大正二年九月『鄕土硏究』一卷七號)

[やぶちゃん注:同前で続く「巻第四 ㊄國阿上人發心由來の事」の抄録である。而して、実は以上の二段落は、既に電子化注を終えた『「續南方隨筆」正規表現版オリジナル注附 「『鄕土硏究』一至三號を讀む」パート「二」 の「頭白上人緣起」』と実は全く同じ初出記事なのである。但し、本書「南方閑話」の方が「續南方隨筆」よりも古いから、単行本収録の作品としては、こちらが最初となる。また、孰れも、単行本に収録する際に熊楠自身が初出に手を加えているようだから(後者は確実)、表記その他は完全には一致しない。]

 此の話の出處と思はるゝのが、「淵鑑類函」三二一に出で居《を》る。曰く、閒居錄云、宋之末年、姑蘇賣餅家、檢所鬻錢、得冥幣焉、因怪之、每鬻餅、必識其人與其錢、久之乃一婦人也、跡其婦、至一塚而滅、遂白之官、啓塚見婦人卧柩中、有小兒坐其側、恐其爲人所覺、必不復出、餓死小兒、有好事者、收歸養之、既長與常人無異、不知其姓、鄕人呼之曰鬼官人、元初猶在、後數年方死。〔「閒居錄(かんきよろく)」に云はく、『宋の末年、姑蘇(こそ)の餅(へい/だんご)を賣る家にて、鬻(ひさ)ぎし所(ところ)の錢(ぜに)を檢(けん)するに、冥幣(めいへい)[やぶちゃん注:紙銭。]を得たり。因つて之れを怪しみ、餠を鬻ぐ每(ごと)に、必ず、其の人と、其の錢とを、識(しる)す。之れを久しうするに、乃(すなは)ち、一(ひとり)の婦人なり。其の婦を跡(あとつ)くるに、一(ひとつ)の塚(つか)に至つて滅(めつ)せり。遂に、之れを、官(くわん)に白(まふ)す。塚を啓(ひら)くに、婦人、柩(ひつぎ)の中に卧(ふ)し、小兒、其の側(そば)に坐(ざ)せる有り。其れ、人に覺(さと)らるる所と爲(な)りて、必ずや、復(また)とは出でざれば、小兒を餓死せしめんことを恐るればなり。好事(かうず)の者、有りて、收(いだ)き歸つて、之れを養ふ。既に長(ちやう)じては、常(つね)の人と異(かは)ること無し。其の姓(せい)を知らず、鄕人(さとびと)、之れを呼びて「鬼官人(きくわんじん)」と曰(い)へり。元(げん)の初め、猶ほ、在(いきてあ)り、後、數年(すねん)にして、方(はじ)めて死せり。』と。〕とある。(大正五年六月『鄕土硏究』四卷三號)

[やぶちゃん注:「淵鑑類函」の当該部は、「漢籍リポジトリ」の当該巻の影印本と校合した。[326-9a]の画像を見られたい。書名が致命的に誤っている(底本では「閑居錄」)。但し、一部の難読なものは、熊楠の表記字とした。

「閒居錄」は元の吾衍の撰の随筆のそれか。

 なお、次の章以下は、それぞれの話については、読み易さを考え、改行・段落成形を施した。]

 

       

 

 死んだ母が其子を育てた話は日本に多いが、支那にも印度にもある。

 劉宋の沮渠京聲《そきよけいせい》が譯した「旃陀越國王經」に云《いは》く、

 旃陀王《せんだわう》が特に寵愛した小夫人、孕む。

 他の諸夫人が、之を妬み、王が信用した梵志《ぼんじ》に賂《まひなひ》し、

「此子、生れたら、屹度《きつと》、國の患ひとなる。」

と讒《ざん》したから、王、其小夫人を、殺し埋《うづ》めしめた。

 塚の中で、男兒、生れしを、母の半身、朽ちずして、乳育す。

 三年を經て、塚、崩れ、その兒、出で、鳥獸と戲れ、夜分、塚に還る。

 六歲の時、佛《ほとけ》、これを愍《あは》れみ、出家せしめ、後ち、羅漢となつた。

 佛、命じて、徃《ゆ》いて[やぶちゃん注:ママ。]、其父王を敎化《きやうげ》せしむ。

 此僧、王を見て、

「何を、憂ふるぞ。」

と問ふと、

「嗣子《しし》無きを憂ふ。」

と言つた。

 僧、聞いて笑ふて、のみ、居《を》るので、王、怒つて、殺さんとす。

 僧、察し知つて、便《すなは》ち、輕く、空中に飛上《とびあが》り、分身・散體して無間《むげん》に出入《しゆつにふ》した。

 王、見て、恐れ入り、僧を伴ひ、佛を訪《おとな》ふと、佛、便はち、因緣を說いた。

「此僧、前身、貧人たりし時、比丘に酪酥《らくそ》を施した功德で、王に生まれたが、人の好《よ》き母牛が、犢《こうし》を孕《はら》めるを見て、其牛を殺さしめた。王の夫人、王を諫めて、犢のみを助命せしめ、牛主、還つて、死んだ牛の腹を破り、犢を取出《とりいだ》し養ない[やぶちゃん注:ママ。]、怒りの餘り、後世、王をして、此犢の如くならしめんと詛《のろ》う[やぶちゃん注送り仮名はママ。実は底本では、「詛」ではなく「咀」となっている。「咀」を「詛」の代わりに用いる例があるが、これは完全に誤った慣用表現で、「咀」には「のろう」の意はない。従って、ここ以下、複数で用いられているため、一括して「詛」に代えた。]た。其より、王の後身、此僧となり、生れぬ前に、其母、殺された。母は前世の王夫人也。梵志は牛主《うしぬし》也。此僧は前世に酪酥を比丘に施したので、今生《こんじやう》にも死んだ母の乳で育つた。」

と。

 王の夫人は慈悲深い人で、犢を助命せしむる程なら、定めて、母牛を助命する樣《やう》願ふたのだらうが、王が、到底、二つ乍ら、助命せしめぬ故、止むを得ず、然る上は子牛だけでもと、諫めて、助命せしめたらしいが、牛主の男も、王に等しい分らず屋で、

『子牛を助命さする程の力が有る上は、今、少し、力を入れて、母牛をも助けて吳れさうなもの。』

と、恨んで詛ふた爲め、王は墓の中で生まるゝ無殘な目に逢ひ、王夫人は傍杖《そばづゑ》を食つて、牛主の後身たる梵志に讒殺《ざんさつ》せられた上、墓中で、王の後身たる子を產み、前生《ぜんしやう》に閨中に抱き樂しんだ因緣で、今度は抱き育てた。重《かさ》ね重《がさ》ね死んだ後《あと》までの面倒を見たので、古い都々逸《どどいつ》に、

「掛けてよいもの衣桁《えかう》にすだれ 掛けてわるいは薄情《うすなさけ》」

とあるごとく、いつそ生半可《なまはんか》な諫言《かんげん》をせずに、母牛も、子牛も、王命、是非無し、と、默つて見捨居《みすてを》つたら良《よか》つたかも知れない。

[やぶちゃん注:「劉宋」南北朝時代の南朝の南宋(四二〇年~四七九年)のこと。「劉」は帝の姓。]

 扨《さて》、サウゼイの「隨得手錄」(一八七六年ロンドン板)四輯一三六頁に、獨逸の紳士が美しい若い妻に死なれ、當座は哀愁に餘念もなかつたが、去る物、日に疎しで、永く立たぬ内に、ついつい、下女の尻を、抓《つね》り靡《なび》けて、或夜、共寢とやらかし居《を》ると、死《しん》だ妻が、寢臺に凭《よ》つて、夫と話した相《さう》な顏付き、二、三晚、同樣なるを見て、下女も氣味惡く、主人に話すと、

「そうか、二、三晚、續けて、そんなものが出るか。俺はまた、二、三番、續けて出すから、草臥《くたぶ》れて、一向、知らなんだ。衣は、新にしかず、友は、舊にしかずで、下女もよいが、どうも、昔馴染《むかしなじみ》の妻に、しかずだ。餓《うう》れば、食を擇ばず、窮すれば、妻を擇《えら》ばず、幽靈でも構はない。來たら引き留めて見よう。」

と、次の夜、まんじりともせず守り居ると、例刻になつて、果たして、寢臺近く、逼《せま》り來た。

「汝は誰ぞ。」

と尋ねると、

「あなたの妻でござんす。」

と答ふ。

「吾妻は、死んで埋められてつた。」

と云ふと、

「誠に。あなたが每度、上帝の名を引いて、誓言を吐いた罪により、心ならずも、早く死に別れたが、あなたが、今一度、妻にしようと云ふ思し召し有つて、今後、いつもする、殊に惡い誓言をせぬなら、再び妻となつて、語らいませう。」

と云つたので、夫も、踊り上つて打喜《うちよろこ》び、

「何が扨、そなたの樣な若い美人と、二度、添え[やぶちゃん注:ママ。]るなら、オンでもないこと、どんな誓言でも、以後、決してしませぬ。」

と言つた。

 其から、妻の幽公《ゆうこう》、家に留《とどま》つて消《きえ》ず、晝は諸用を司どり、夫と共に飮食し、夜は、彼《か》の件《けん》を怠らず、夫を慰むること、一方ならず、遂に、若干の子まで、產んだ。

 然るに、此夫の舊い癖が、失せ切らず、一日《いちじつ》、客を招き、夕餐《ゆふさん》を供へた後ち、自分の櫃《ひつ》から、何か、

「出し來たれ。」

と命ずると、妻が取りに徃《い》つて、急に持ち來たらぬを、腹立ち、例の誓言を發した。

 之に依《よつ》て、妻、忽ち、消失《きえう》せて、復《ま》た見えず、空しく、妻の打ち掛けが半ば、櫃の内半ば、其外《そのそと》に留《とど》まり在るを見るのみだつた。

 この幽靈が產んだ子供が、貴族となつた。

 サクソン公ジヨン・フレデリク、此事を聞いて、マルチン・ルーテルに意見を徵《ちやう》した時、ルーテル、答へに、

「此女も、此女が產《うん》だ子も、正しい人間でなく、全く、惡魔だ。」

と述べた由、ルーテルの「食案法論」に出て居る、と有る。

 既に幽靈が夫と交《まぢは》つて子を產む咄《はなし》ある上は、墓中で子を養ふた談も、必ず、歐洲に有る筈と、拙生《せつせい》も、二、三晚、搜し續けたが、見當らない。然し、同書二輯五二一頁に、

 君子坦丁堡《コンスタンチノープル》近傍に聖人メイツアデの墓、有り。此人の父、

「エルラの城攻めに徃《ゆく》。」

とて、其時、妻の腹に在つた子を、上帝に祈り、賴んで、出立《いでた》つた。

 其後、間もなく、妻が死んで、埋葬された。

 墓の中で、子が產まれたが、上帝の加護あつて、死んだ母の乳で、育つた。

 夫、歸り來つて、妻が死んだと聞き、

「せめて死顏なりと、今、一目、見たい。」

とて、墓を尋ね、開いてみると、其子が、死骸の乳を吸ひ居り、死骸、更に、腐らず在つたから、夫、大いに、上帝に感謝し、其子を伴つて歸る。

 其が、大學者となつたのが、乃《すなは》ち、此聖人だ、とあれば、回敎國には、頭白上人と同一の譚が行《おこなは》れ居ると知つた。(六月十一日午前五時稿)(大正十三年八月『日本土俗資料』四輯)

[やぶちゃん注最後のクレジットと書誌記載は「選集」を参考にして添えた。]

 

         

 

 前話は印度譚の例を佛經から引いたのだが、佛敎が現に行はれぬ印度の地方にも亦此類の話が有る。其一例を、一八六八年龍動《ロンドン》板、フレールの「オールド・デッカン・デイス」の二六二―二七二頁より、左に抄譯する。

 昔、國王と王后の間に極めて美しい女子を生んで、ソデワ・ベイ(吉祥女《きつしやうぢよ》)と名《なづ》けた。

 生れた時、國中の占師を、殘らず、呼んで卜《うらな》はすと、彼《かの》輩一同に、

「この女《をんな》、成人に隨ひ、富貴・幸運、一切の女に優《まさ》るべし。」

と言つたは、其筈で、この女、生れ落《おち》るなり、美容麗質の無類なるが上に、唇を開けば、珠玉、地に落ち、步を運べば、珍寶、湧き出で、父王、其御蔭で、天下一の大長者と成つた。

 且つ、又、吉祥女、生まれ乍らにして、頸に、金の瓔珞《えうらく》を纏《まと》ひ居つたのを、占者《うらなひし》が見て、

「此姬君の魂《たましひ》は、此瓔珞の中に藏《をさ》まり居るから、至極、注意して、其頸に着け置かれたい。一度、之れを取つて、他人の身に著《つく》れば、姬は、忽ち、死ぬる筈。」

と云つた。

 因つて、王母は、固く、其瓔珞を、姬君の頸に結付《むすびつ》け、や〻物が分る頃より、姬に敎へて、何事《なにごと》有つても、之を取外《とりはざさ》ざらしめた。

 頓《やが》て、十四歲に成つたが、王も后も婚儀を勸めず、姬の勝手次第と、放任した。

 諸邦の大王・貴人、爭ふて、結婚を申込《まうしこん》だが、姬は、一切、拒絕した。

 時に、父王、其姬君の誕生日の祝ひに、金玉作《きんぎよくづく》りの履《はきもの》、片足ごとに百萬金といふ高價の物を、姬に與へた。

 姬、愛重《あいちやう》の餘り、居常《へいぜい》、離さず、穿《は》いて居《をつ》たが、一日、女中共と、山腹に、花を採る内、足を滑らせて、片足の履を落した。

 其から、父王、國中に令《れい》し、大金を懸賞して求めたが、一向、出て來ない。

 山下《やました》の或國の王の若い子が、一日、狩に出《いで》て、深林中に、甚《い》と小さい無類の麗《うつ》くしい履を拾ひ、歸つて、母后《ははきさき》に示すと、

「これは、必ず、よほど愛らしい王女の穿き物に相違ない。何とか、其主を尋ねて、王子の妻にしたいもの。」

と、國中に勅して、探索したが、更に分らず。

 然る處ろ、人、有り、遠方より來つて、

「山奧の遠い國の王女が、美しい履を落したのを、其父王、重賞《ぢゆうしやう》を懸けて求めてゐる。」

と、その履の容體を、巨細《こさい》に告げたのが、的《て》つ切《き》り、王子の拾得品に符合するので、母后は、王子に、

「汝、其履を持つて、彼《か》の國に往き、渡すべし。扨、『約束の賞品を遣らう。』と云つたら、『金も銀も、貰ふて、何かせん。唯だ、姬君を、吾妻に賜へ。』と云へ。」

と、敎へて出立《いでたた》せた。

 王子、母の敎へのまゝに、長途《ちやうと》を執り、吉祥女の父王を訪ねて、履を呈し、褒美の品を望むと、

「金か、銀か、何を望みか。」

と問はれる。

「吾は、低地の一國王の子故、金銀抔に飽いて居《を》る。望む所は、王の姬君を、妻に欲しい。」

と云ふと、

「其は一寸《ちよつと》卽答は出來ない。娘の、心一つに、よること。」

といふ内、吉祥女は、窓から、王子の容子《ようす》を見て居り、

「あの王子なら、吾が夫として、不足なし。」

と云つたので、

「扨は。どこかによい所が有るのだらう。善は急げ。」[やぶちゃん注:姫の親の王と妃の感じを述べたものであろう。]、

と云ふ儘に、莊嚴・盛飾《せいしよく》して婚姻を濟《すま》しめた。

 其後、久しからず、王子、舅王《しうとのわう》に向ひ、

「この上は、妃《きさき》を伴れて、故鄕へ歸りたい。」

と云ふと、王、之を諾《だく》し、

「吳《く》れ吳《ぐ》れも、新妃《にひきさき》を大事にし、取分《とりわ》け、其頸より瓔珞を離さぬ樣、其れを他人に渡すと、新妃は死ぬから。」

と誨《をし》え[やぶちゃん注:ママ。]、多くの象・馬・駱駝、臣僕や、無量の金玉等を與へて出立《いでだ》たしめた。

 既に故鄕へ着いて、父王・母妃の悅び、譬《たと》ふるに、物なく、其儘、永く幸福に暮らし得べかりしに、兎角、浮世は思ふに任せず、一大事、出來《しゆつたい》した。

 と云ふは、此王子(名はラウジー)は、幼時、既に第一妃を娶《めと》り有つた。

 其《その》第一妃の人となり、陰欝として、每(いつ)も悒(いぶ)せく、殊に、大の燒き餠家《やきもちや》たり。

 去《さ》れば、父王・母后は、第一妃よりも、新妃を愛するから、第一妃、心、大《おほい》に新妃を惡《にく》んだが、少しも外に現はさず、表向きは、甚だ、之を愛好した。

 無邪一遍の新妃は、少しも、そんな氣が付《つか》ず、第一妃を姉の樣に親しみ、睦《むつ》ぶ。

 一日、王子、

「父王の領内乍ら、遠隔の地へ、用あつて、往く。」

迚《とて》、よくよく、新妃のことを、兩親に賴み、

「每朝、その安否を見に往つて下され。」

と囑《しよく》して出立《いでだつ》た。

 暫時、經て、吉祥女の室《へや》へ、第一妃が來て、

「夫王子が旅立つたので、寂しいから、是より、每度、爰《ここ》へ來て、面白く遊びませう。」

といふ。

 此詞《このことば》に甘へて、吉祥女、種々の珍玩を取出《とりいだ》し、第一妃の目を慰める内、第一妃、吉祥女に、

「貴女は、每《いつ》も、頸に金の珠を貫いた環を懸けて居《を》るが、あれは、何です。」

と問ふた。

「是は、私が產れた時、胎内から、頸に懸けて生れた物で、占者が、父王に、『私の魂は、此頸環に籠《こも》り居るから、他人に取り用ひらるゝと、私は、卽座に死ぬ。』と申された。其れ故、牡鹿《をすじか》の角《つの》の束《つか》の間《ま》も取外《とりはづ》した事はござらぬ。」

と答へた。

 第一妃、之を聞いて、心中、大《だい》ホクホク物《もの》だつたが、自分で竊《ぬす》む譯に參らず、自分の部屋に立ち歸つて、平素、自分に忠誠な黑女婢《くろぢよひ》を召し、

「かくかく。」

と命ずると、其夜、吉祥女の熟睡中、其部屋に入つて、瓔珞を外し、自分の頸に卷きつけると、同時に、吉祥女は、死んだ。

 翌朝、老王夫妻が、例に依《よつ》て、吉祥女の部屋を訪ふと、音も、せず。怪《あやし》んで、入《い》つて見れば、容顏は、平日通り乍ら、身體、大理石の如く冷へ[やぶちゃん注:ママ。]て、事切れ居《を》り。醫者に示すと、

「是は、最早、死に切つて居らるゝ。」

と云ふので、老王夫妻、お定りの愁歎場を演じたが、

「せめては、死顏だに、今一度、王子に見せやりたい。」

と有つて、吉祥女を、土に埋《うづ》めず、小池の側《そば》に美麗な廟《べう》を構へ、天蓋をかぶせて、其下に屍體を置き、日々、見に往つた。

 所が、未曾有の椿事と云ふは、其屍《しかばね》、少しも腐らず、顏色、生時《せいじ》に異《かは》らず、一月《ひとつき》經つて、夫王子《をつとわうじ》、歸り來《きた》る迄、斯《かく》の如く、唇色《くちびるのいろ》、頻婆果《びんばか》の如く、頰は紅蓮《かうれん》の如し。

 太子、之れを見て、焉《なん》ぞ慘傷《さんしやう》せざらん、朝から晚迄、彼《か》の墓へ、妻の屍を見に、

「あれ、いくよ。」

「それ、また、いく。」

と、行きかふ者の言《こと》の葉《は》に上る迄も、往き續けにぞ、往きたりける。

 父母は、

「斯く往き續けにやつたら、精《せい》、竭《つ》き、氣、疲れて、死には、せぬか。」

と案じ出《いだ》し、

「そうそう[やぶちゃん注:ママ。]、往くな。」

と、留むれども、聽けばこそ、

「糸惜《いとを》し妻の顏を見ずに居《をつ》ては、玉の緖の命《いのち》有つても、何かせん。」

と、墓詣り斗《ばか》り出精《せいだ》した。

 

       

 

 一方、吉祥女の瓔珞を盜んだ黑女は、終日、之を頸に懸けたが、每夜、寢る前に、取外《とりはづ》し、明朝迄、之を側《かたは》らに置く。其間だに、吉祥女の魂は、本身《ほんみ》に歸るから生き返る。

 扨、翌日、黑女、起きて、復た、自分の頸に着《つく》ると、吉祥女は、死《しん》だ。

 老王夫妻も、王子も、每度、墓へ往つたが、晝間に限つた故、夜分、吉祥女が甦《よみがへ》るを知らず。

 吉祥女、斯くして、最初、甦つた時は、邊りが眞闇《まつくら》で、誰一人《たれひとり》、側《そな》に居《をら》ない。付《つい》ては、

『是れは、知《しら》ぬ内に、牢に入《いれ》られたこと。』

と想ふたが、追ひ追ひ、慣れて來るに隨ひ、氣を落付《おちつ》けて考へるに、

『どうも、自分は、死んだらしい。何とか、夜《よ》の明けるを俟《ま》ちて、爰は、どこと、見極め、王宮へ還つて、瓔珞を搜し出そう。』

と思ふたが、夜は、決して、明けぬ。

 朝になると、黑女が、其を、自分の頸に絡《まと》ふと同時に、吉祥女は、死ぬのだ。

 然し、每夜、蘇へると、廟から出《いで》て、池の水を飮み、廟へ還つたが、食物がないのでヘコ垂れた。

 此女、生來、言《こと》いふ每《ごと》に、珠玉、口より落《おつ》るのだが、話し相手が無いので、其儀に及ばず、唯だ、每夜、水を飮みに出步《いであり》く、其跡に、足から涌き出た珠が、散らばつて居《をつ》た。其れが、一日《いちじつ》、王子の眼についたので、奇妙に思ひ、

「出處《でどころ》を、見屆けん。」

と番し居《をつ》たが、死んだ妻は、夜分だけ、活きて、出步くのだから、珠の出《だ》し主《ぬし》は分らぬ。

 然るに、其日は、吉祥女を葬つてより、丁度、二月《ふたつき》めで、王子が、

「珠の出處を、見屆けん。」

と、日、暮《くる》るまで、番した當夜、廟中で、男兒が生まれたに次いで、夜が明け、母は、復た、死だ。

 生まれた兒は、誰も取り上げる者が無し、終日、啼いたが、聞付《ききつ》ける人も、無かつた。

 其日は、王子、事、有つて、墓を訪はず、夜分に、初めて、珠の出處を見付けに出懸けたところ、廟中で、兒の啼聲《なきごゑ》がする。

「化物でないか。」

と訝《いぶか》る内、廟の戶を開けて、兒を抱いた女が、出來《いできた》り、池の方へ步むと、步々《ほほ》、珠を生ず、と來た。

『鳥羽玉《ぬばたま》の夢ぢないか。』

と、怪しみ見ると、水を飮み了つて、廟に還る樣子、

「其れ、引留《ひきと》めん。」

と、追掛《おひかく》るに驚いて、吉祥女は、廟に走り入り、内より戶を鎖《とざ》した。

「一寸《ちよつと》、開けて。」

と、戶を敲くと、

「汝は何物ぞ。鬼でないか。但しは、幽靈か」

と問ふ。

「左《さう》いふ汝こそ、兒迄、抱いて、念の入つた二人前《ふたりまへ》の幽靈で無いか。吾こそ、汝、生前、『草葉の蔭迄も離れない。』と盟《ちか》ふた、汝の夫だ。兎に角、爰を、開《ひら》け。」

と云ふを、氣を付けて聞けば、吾夫だから、戶を開いた。

 見れば、嬰兒を膝に置いて、母が坐り居《を》る。

「これは。夢でないか。」

と尋ねると、

「イエイエ、夢では、ござんせぬ。こんな處で、昨晚、此兒を產みましたが、夜が明けると、私は、死にます。誰か、私の金の瓔珞を盜《ぬすん》だから。」

と告げた。

 そこで初めて、金の瓔珞が、女の頸に懸つて無いに氣が付き、取敢《とりあへ》ず、王宮へ還り、宮中の男女を、一切、召集すると、第一妃の使ふ黑女が、其頸飾りをして居るから、番兵をして捕へて、投獄せしめると、大いに恐れて、

「第一妃に賴まれて、盜んだ。」

と白狀した。

 そこで、第一妃を、終身投獄に處し、父王・母后共に、廟へ往つて、頸飾りを、吉祥女に著《つ》けしめ、其子と共に、王宮へ還り、一同、

「めでたい、めでたい、」

と、大祝賀を、やらかし、行末《ゆくすゑ》長く、繁昌し、吉祥女は正妃《せいひ》と成つて、

「今度は、日が暮るゝ每に、面白く、死にます、死にます、」

と云《いふ》たそうだ[やぶちゃん注:ママ。]。(大正十二年六月十七日早朝稿)

[やぶちゃん注:最後のクレジットは「選集」で補った。]

 (追記)――希臘の古傳に、テツサリア王プレギアースの娘コローニス、醫神アポルロと通じて、子を孕む内、アルカジア人イスクスと通じた。アポルロ、豫《かね》て、監視に附け置いた鴉《からす》が之を告げたので、アポルロ、大いに其不貞を怒り、其妹アルテミスをして、コローニスの宅で、之を殺さしめた。一說には、アポルロ自ら、姦夫婦を殺したと云ふ。コローニスの屍《しかばね》、火葬され掛けた時、アポルロ、焰中《ほのほのうち》より、其胎兒を取出《とりいだ》し、半獸形の神ケイロンに授けて、醫道と狩法を學ばしめた。其兒が、醫聖アスクレーピオスで、妙技を以て、死んだ者をも活《いか》すから、死人、跡を絕ち、地獄、大不景氣と訴へ出《で》たので、大神ゼウス、霹靂《へきれき》して、之を殺し、アポルロ、其復仇《ふくきう》に、電鋒《でんはう》を作つた一眼鬼共《ひとつめおにども》を鏖殺《あうさつ》したといふ。(一八四四年板、スミス「希臘羅馬人傳神誌名彙」一卷四四章と、一九〇八年板、サイツフエルト「古學辭彙」英譯七五頁を參取す。)

[やぶちゃん注:「アポルロ」アポロン。

「其復仇に」底本では、「其後仇に」となっているが、前後から考えて、「選集」が正しいと判断した。

「電鋒を作つた」同じく底本では、「電鋒を作つて」となっているが、「一眼鬼」は鍛冶神(たんやしん)キュクロプスのことであり、ウィキの「キュクロープス」によれば、『息子』で、医神として知られる、ここに出る『アスクレーピオスをゼウスの稲妻で失ったアポローンの八つ当たりを食らい、虐殺されたという悲劇的な異伝もある』とあることから、「選集」の「た」を採用した。]

(追記)佛經に見えた此話の、恐らく尤も古いのは、西晉の沙門釋法立・法炬共譯の「諸德福田經」に在る。佛《ほとけ》、在世に、須陀耶《すだや》といふ比丘、有り。先世に、維耶離國《いやりこく》の小民だつた時、世に、佛なく、衆僧が敎化《きやうげ》した。此人、市《いち》へ、酪《らく》を賣りに行く途上、衆僧大會《だいゑ》の講法を、立ちて聽き[やぶちゃん注:底本は「立ち聽き」。「選集」の方を採用した。]、歡喜して、悉く持つ所の酪を施した。其功德で、九十一劫の間《あひだ》、生れ變《かは》る每に、豪貴尊榮だつたが、最末《さいまつ》に、餘罪、有つた爲め、自分を孕んだ數月後《すうつきのち》に、母が死んで、塚中《つかなか》に埋められた。月、滿ちて、塚中に生れ、死んだ母の乳を、七年間、飮んで、成長し、佛の說法を聞いて、得道《とくだう》したと云ふ。(七月十五日早朝)(大正十三年五月『日本土俗資料』一輯)

[やぶちゃん注:最後のクレジットと書誌は「選集」で補った。]

佐々木喜善「聽耳草紙」 一六八番 柿男

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]

 

      一六八番 柿 男

 

 昔々或所に奧さんと下女があつた。其所の家の井戶端に柿の木があつて、柿が甘《うま》さうに實つてゐた。下女はその柿が食ひたくて食ひたくて堪らなかつた。何とかして一ツ喰ひ度《た》いものだと考へてゐたら、或晚、表の戶を叩いて、此所あけろ此所あけろと云ふ者があつた。下女は、ハテ夜中に誰だべと思つて、今誰も居ませんから開けられないと斷つたが、いいから開けろいいから開けろと云ふので下女は怖々《こはごは》さうツと戶を開けたら、背のとても高い眞赤な色をした男が立つてゐた。下女はもう靑くなつてブルブル慄へてゐると、其眞赤な男が室《へや》の中さ入つて來て、串持つて來いと云つた。下女が串を持つて行くと、赤い男は、俺の尻くじれ、俺の尻くじれと云ふ。[やぶちゃん注:底本は読点であるが、「ちくま文庫」版で訂した。]下女が慄へながら男の尻をえぐると、今度は、なめろなめろと言つて歸つた。下女がその串をなめたらとても甘《うま》い柿の味がした。

  (昭和五年四月八日夜蒐集されたものとして、
   三原良吉氏の御報告の分。)

佐々木喜善「聽耳草紙」 一六七番 額の柿の木

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここ。]

 

      一六七番 額の柿の木

 

 或所に一人の男があつた。何かよいことをお授けして貰ひたいと思つて、觀音樣ヘ行つて、七日七夜籠つて願かけをした。そしたら滿願の日に、觀音樣が夢枕に立つて、お前の願掛けは聞いてやる。明朝《みやうてう》夜が明けたら前の坂を下りて行け。そして一番先きに目についた物を大事にして持つて行けと告げた。男は其日の朝未明に、御堂を出て前坂を下りて行くと、一粒の柿の種が落ちていた。男は何だこんな物かと思つたが、是も觀音樣のお授け物だと押頂《おしいただ》く拍子に種が額《ひたひ》にぴたツとくツついて放れない。

 さうしてゐる中《うち》に其種が根付いて芽を出して一本の柿の木になつた。それが段々成長(オガ)つて大木になり、春《はる》花が咲いて、秋になると柿の實がうんとなつた。そこで男は柿賣りになつて、町へ行つて、柿ア柿アとふれて步いてたんと金儲けをした。ところが町の他の柿賣り共《ども》がそれを憎んで、或日皆《み》んなして、其男の額の柿の木を根こそぎ伐取《きりと》つてしまつた。すると其伐株《きりかぶ》から今度は澤山の菌《きのこ》が生へた。そこで男は又町へ出て、菌賣る菌賣ると、ふれ步いてしこたま金儲けをした。するとまた町の菌賣りどもに憎まれて、其伐株を根ぐるみ掘取《ほりと》られてしまつた。ところが又其所《そこ》の穴から今度は大變な甘酒が湧き出した。そこで又男は町へ出て、甘酒や甘酒やと言つてふれ步いて復々《またまた》大金儲《おほかねまう》けをした。

 

梅崎春生「つむじ風」(その19) 「遁走」 / 「つむじ風」~了

[やぶちゃん注:本篇の初出・底本・凡例その他は初回を見られたい。文中の「」の太字は実際の太字であって、傍点ではない。本章が最終章である。]

 

     遁     走

 

 午前の十時頃から、風がそろそろ強くなり始めた。

 加納明治は朝風呂から上り、リヴィングキチンの食卓に向って、オートミール、オムレツ、果物という献立の、遅い朝食を摂っていた。

 顔色が冴えないのは、近頃引き受けた仕事がうまく行かず、せっせとせき立てられているからである。

 そこで昨夜も、十二時就寝のところを、午前二時まで伸ばしたのだが、どうも成果は上らなかった。今朝いささか寝坊したのは、そのせいなのである。

「紅茶、おいれしましょうか」

 調理台を背にして佇(た)っていた塙女史が、加納に声をかけた。加納のその食べ方によって、食欲なしと判断したものらしい。

「ミルクにしましょうか。それともレモンに?」

「うん。レモンにして呉れ」

 それをしおに加納は匙(さじ)をおき、鬱然として答えた。

 塙女史に対する加納のひと頃の叛逆は、陣太郎の出現以来、中絶の形となっていた。その中絶の形を、加納が屈伏したものと塙女史は判定したらしく、それまでのつめたい態度は捨てて、元の母性的態度に立ち戻っていた。

「仕事がうまく行かない時でも、やはり十二時にはおやすみになった方が、よろしゅうございますのよ」

 レモン入り紅茶を食卓に乗せながら、塙女史はやさしく言った。

「何と言っても、身体が大切でございますからねえ」

「いくら身体が大切と言っても――」

 加納は茶碗に手を仲ばしながら、ぶすっとした声を出した。

「小説が書けなきゃ、商売にならない」

「いいえ、正しい精神と頑健な身体、これが作品を産み出す原動力ですわ」

「そんなことはないよ。現に僕は大酒を止めたし、ワサビ類も全然食べてない。女史の言う通りの生活をしているのに、筆の方がうまく動いて呉れないのだ。これじゃあ、筆を折って、他の商売に転向するほかはないな」

「おほほほ」

 掌で口をおおって、塙女史はころころと笑った。

「小説以外の他のことが、先生にお出来になるものですか」

「で、できないことがあるものか」

 しかしその加納の言葉は、語尾が急に弱まって消えた。あまり自信がなかったのであろう。

「先生にはお出来になりませんわ」

 笑いを消して、塙女史ははっきりと断言した。

 

「先生は生れつきの芸術家で、生活人ではありませんわ。その証拠に、先生は気が弱く、やさしくて、消極的で――」

 その瞬間、玄関のブザーが鳴りわたった。塙女史は足早に玄関に歩き、扉を内から押し開いた。長身の若者がそこに立っていた。

「ぼ、ぼくは松平陣太郎先生の秘書で、泉竜之助と申す者ですが――」

 竜之助はおどおどと塙女史の顔を見た。

「加納先生はいらっしゃいますでしょうか」

「おります」

 塙女史はつめたい声で言った。

「どうぞお上りください」

 

 泉竜之助を書斎に通すと、塙女史は廊下を小走りして、リヴィングキチンに戻ってきた。加納明治は肩が凝っているらしく、両肩を交互に上げ下げさせながら、レモン紅茶を飲んでいた。

「先生。またやって来ましたわよ」

 塙女史は呼吸をはずませて、加納にささやきかけた。

「松平陣太郎の秘書と称する背高のっぽが!」

「え? なに、背高のっぽ?」

 加納は茶碗を下に置き、眼をぎろりとさせた。

「泉竜之助と言う若者か」

「そうですわ。書斎に通して置きました」

「よし!」

 加納は決然と立ち上った。歩を踏み出した。

「あんなチンピラにやられちゃダメですよ。先生」

 塙女史は忙しくキチンを見廻し壁から中型のフライパンを外し、それを背後にかくし持って、加納のあとを追った。

 書斎の机の前に、竜之助はつらそうに両膝をそろえ、きちんと坐っていた。加納がぶすっとした顔で坐ると、竜之助は座蒲団からすべり降り、頭を畳にすりつけた。

「またお伺いいたしました。泉竜之助です」

 塙女兜は竜之助の斜後方に坐った。フライパンは背後にかくしたままである。

「一体何の用事だい」

 加納は竜之助をにらみながら、煙草に火をつけた。

「今日は陣太郎君は一緒じゃないのか」

「陣太郎先生は、今日はアパートに残っておられます」

 竜之助は言いにくそうに用件を切り出した。

「その、陣太郎さんから、頼まれまして――」

「何を頼まれた?」

「これです」

 覚悟をきめたらしく、竜之助は眼をつむって、内ポケットから一枚の写真をぐいと引っぱり出した。

「こ、これを先生に、十万円で買っていただきたいと思いまして――」

「なに!」

 つけたばかりの煙草を灰皿にこすりつけて、加納は怒鳴った。

「そんな横着な言い草があるか! この間もそいつで、五万円持って行ったばかりじゃないか!」

「あ、あれは陣太郎さんですよ。僕じゃありません」

「まだぬけぬけとそんなことを言ってる。同じ穴のムジナのくせに。貴様みたいなチンピラにおどされる加納だと思っているのか!」

 加納は顔面を硬直させて、拳固(げんこ)を振り上げた。

「もう許して置けぬ。塙女史。一一〇番に電話をかけて、警察を呼びなさい」

「はい」

 塙女史は素早く立ち上った。

「そ、それはちょっと、待って下さい」

 悲鳴に似た声を立てて、竜之助は腰を浮かした。出口を求めて、膝で後退した。その竜之助の後頭部に、塙女史はフライパンをふり上げ、力をこめてふりおろした。

 ギャッと言ったような声を上げ竜之助はへたへたとうずくまった。

 

 ふだんの泉竜之助なら、フライパン如きでなぐられて、眼を廻す筈はないのであるが、栄養失調のせいもあり、またフライパンの発した音響に度胆(どぎも)をぬかれて、そのまま畳にながながと伸びて、五分間ばかり失神状態にあった。

 こんな大男がかんたんにのびたのだから、加納明治と塙女史が狼狽したのも当然であろう。

「そ、それ、塙女史、早く水を、持って来なさい。それから薬も!」

 フライパンを放置したまま塙女史はこま鼠のようにきりきり舞いして、金だらいやタオルや薬品箱を持ってかけ戻ってきた。その間に加納は抜け目なく、れいの写真をつまみ上げ、こなごなに引裂いて、屑箱にほうり込んでしまった。

「ううん」

 濡れタオルを額に乗せたまま、やっと正気づいたらしく、竜之助はうなり声を発して、眼をぱっちりあけた。

「気がついたか」

 ほっとしたくせに、加納はわざと横柄な口をきいた。

「気分はどうだ?」

「ぼ、ぼくは、一体、どうしたんです?」

 竜之助は上半身をおこした。濡れタオルはすべり落ちた。竜之助はいぶかしげに、あたりをきょろきょろと見廻した。

「ひでえなあ」

 畳にころがったフライパンを見て、竜之助は泣きべそ顔になった。

「フライパンで殴るなんて、ほんとにひどい人だなあ」

「君が逃げようとするからだよ」

 加納がきめつけた。

「逃げようとしたからには、君には何かうしろ暗いところがあるな。陣太郎の話によると、君はたいへんな悪者で、秘書はクビになった筈ではないか。それを秘書みたいな面(つら)で乗り込んできて――」

「ち、ちがいますよ、それは」

 竜之助は、むきになって口をとがらせた。

「悪者は、あの陣太郎さんですよ。僕はむしろ被害者なんです。カメラはふんだくられるし、今日だって、いやだいやだと言うのをむりやりに――」

「なになに」

 加納も膝を乗り出した。

「ちゃんと筋道を立てて、話してみなさい」

 竜之助は頭のこぶを撫で撫で、つっかえつっかえしながら、一部始終を話し出した。加納と塙女史は、時々質問を入れたりして、聞き終った。

「そうか。君の言うことが本当とすれば、陣太郎という奴はたいへんな奴だな」

 憮然(ぶぜん)として加納は腕をこまぬいた。

「松平の御曹子(おんぞうし)にしては、けたが外(はず)れてい過ぎるぞ」

「その松平というのが、あたしは怪しいと思いますわ。陣太郎はそんな高貴の人相じゃありません」

 塙女史が傍から口を出した。

「あたし、なんだったら、世田谷の松平家というところに、今から行って来てもよござんすわ」

「そうだな。そうして貰おうか」

 そして加納はじろりと竜之助に視線をうつした。

「君。陣太郎のアパートはどこだ。地図を書きなさい。もしニセモノだったら、僕が行ってとっちめてやる!」

 

 加納家の玄関を出ると、泉竜之助は長身の背を曲げて、ふらふらと風の街に泳ぎ出た。ふらふらしているのは、頭を殴られた故(せい)もあるが、吹きまくる大風のせいでもあった。

 大通りに出る角の煙草屋の赤電話に、竜之助はふらふらととりつき、ダイヤルを廻した。電話の向うに管理人が出、しばらくして目指す相手が出てきた。

「もしもし。陣太郎さんですか。僕、竜之助です」

「ああ、竜之助君か。加納のところに行ったか」

「今行ってきたところです」

「そうか。それで五万円とれたか。とれたら直ぐ、富士見アパートに持ってこい」

「そ、それがダメなんですよ」

「何がダメなんだ?」

「加納さん、すっかり腹を立てて、かんかんになったんですよ。警察を呼ぶなんて言うから、びっくりして逃げ出そうとしたらね、あの女秘書からフライパンで頭をひっぱたかれて、僕、気絶しちゃったんですよ」

「フライパンで? それはムチャだなあ」

 陣太郎は嘆息した。

「でも、君も少しだらしなさ過ぎるぞ。たかがフライパン如きで、気絶するなんて」

「気絶ぐらいしますよ。ろくなもの食ってないんだから」

 竜之助は口をとがらせた。

「正気づいたらね、さんざん加納さんに、やっつけられましたよ。話を聞いてみると、陣太郎さんは僕のことを、極悪人に仕立ててるじゃないですか。全くひどいなあ」

「そう怒るな。そして今度は、おれのことを極悪人に仕立てたか」

「僕はありのままを話しましたよ。すると加納さんは、陣太郎さんの身元を洗うんだって、今日女秘書が世田谷のお邸に行くことになりましたよ」

「なに、身元を洗うんだって?」

「そうですよ。つまり、陣太郎さんがニセモノかどうか」

「ニセモノだと? 加納の奴がそういうことを言ったのか」

 陣太郎の声は激した。

「ニセモノとは何だ。君に教えてやるけどな、ニセモノと言うのは、おれよりも加納の方だぞ。加納だの、猿沢三吉だの、あんな連中が、人間としては典型的なニセモノだ!」

「いえ。人間としてのホンモノ、ニセモノを言ってるんじゃないんですよ。松平の御曹子というのが、ニセモノではないかと――」

「そ、それまで人を疑わなくちゃいけないのか。なさけない奴輩(やつばら)だなあ」

 陣太郎の口調は沈痛な響きを帯びた。

「信じるということの尊さを、きゃつ等は知らないんだ」

「もしニセモノだったら、陣太郎さんのアパートに乗り込むんだから、地図を書いて呉れって、加納さんに頼まれた」

「なに。それで富士見アパートの地図を書いてやったのか」

「だってあの女秘書、フライパンをかまえて、にらんでるんだもの。善良な僕を殴るなんて、ほんとにあの女秘書、砂川町の警官みたいだなあ」

「そうか。でも、よく知らせて呉れた。ああ、それからこの間のクイズな、あれを三吉に突きつけてもいいよ。今が好機だろう」

「そうですか。では、早速使ってみます」

[やぶちゃん注:「砂川町の警官」「砂川闘争」の初期の流血事件を指す。同闘争は在日米軍立川飛行場(立川基地)の拡張に反対して、東京都北多摩郡砂川町(現在の立川市砂川町)において昭和三〇(一九五五)年から一九六〇年代まで続いた住民運動である。当該ウィキによれば、『土地収用のための測量実施と測量阻止闘争とのせめぎあいが続く中』、一九五六年十月十三日、『砂川町の芋畑で』、『地元農民らと』、『武装警官隊が衝突』し、千百九十五人が負傷し、十三人が『検挙される』『「流血の砂川」と呼ばれる事態に至』り翌日の『夜、日本政府は測量中止を決定した』とある事件である。本篇のこの、最後の連載最終回は昭和三一(一九五六)年十一月十八日附『東京新聞』であったから、極めてアップ・トゥ・デイトな比喩として、使用されていることが判る。]

 

「では、元気でやれよ。バイバイ」

 陣太郎は受話器をがちゃりとかけた。電話室を出て、階段をとぼとぼと登った。陣太郎の表情は重くかつ暗かった。暗い怒りが陣太郎の面上に、めらめらと燃え上っていた。

 真知子の部屋の前に立ち止ると、陣太郎は扉をほとほとと叩いた。

「真知ちゃん。いるか」

「いるわよ」

 陣太郎は扉をあけ、のそのそと部屋に入って行った。真知子はレポートの整理の手を休め、ややまぶしげに陣太郎を見た。

「今日は風がひどいから、うちで勉強することにしたのよ」

「そうか。お茶を一杯いれて呉れ。玉露がいいな」

 陣太郎はだるそうに、部屋の真中に大あぐらをかきながら、ひとりごとを言った。

「ああ。人生は退屈だ」

「え。なに?」

 真知子が聞きとがめた。

「いや。何でもない。どれもこれもバカばかりで、その中で生きていることが退屈だということさ」

 陣太郎は両手を上げて、大きく伸びをした。

「時に、アパートの引越しは、今日にしたがいいよ」

「だって、こんなに風が吹いてるのに」

 真知子は窓外に眼をやった。

「どこかに安い部屋、見つかったの?」

「いや。でも、部屋はどこにでもある」

「では、何故今日じゃなくちゃ、いけないの?」

「実は今朝、ここの管理人に訊ねてみた」

 陣太郎は畳を指差した。

「すると、この部屋には、五万円の敷金が入っているんだね。忘れたのかどうか知らないが、三吉おやじはまだそれか引出していないのだ」

「そう?」

「君がここに来て、まだ一年経ってないから、一割引きの四万五千円は戻して呉れるんだ。だから三吉おやじが引出さないうちに――」

「こちらで引出せばいいのね」

 真知子はぱっと眼を輝かした。

「そりゃいい考えね。退職金をひどく値切られたんだから、敷金ぐらい頂戴しても当然ね。じゃあたし、階下に行って、貰って来るわ」

「それがいいだろう」

 注がれた玉露を、陣太郎は旨(うま)そうにすすった。

「おれは運送屋を呼んでくる。敷金を受取ったら、直ぐに身の廻りを整理したがいいな。いつ三吉おやじが思い出して、飛んで来ないとも限らないからね」

「そうね」

 机上のものを手早く整理して、真知子は立ち上った。

「ではあたし、管理人に会ってくるわ」

 丁度その頃、塙女史は盛装して、加納邸の玄関で靴をはいていた。第一級の盛装に身をかためたのは、訪問先が松平家であるからであろう。背後から加納明治が声をかけた。

「ホンモノかニセモノか、とにかく判ったら直ぐ電話するんだよ」

「はい」

 塙女史は立ち上った。

「では、行って参ります」

 

 午前十一時半、猿沢家の嬢部屋で、一子(かずこ)と二美は額をつき合わせ、こそこそと相談ごとにふけっていた。

「ねえ。どうやってお金をつくる?」

「何か売ろうか」

「売るのはイヤよ。それより何か質に入れようよ」

「そうねえ。質屋なら、あとで取り戻せるものね。何を質に入れる」

「二美の時計はどう?」

「イヤよ。あたしの時計なんて。それよかお姉さんのを入れたらいいじゃないの」

「うん。それでもいいよ」

 一子は手首から腕時計を外して、ぶらぶらと振った。

「あたしが時計を提出するから、二美が質屋に行って来るのよ」

「あたしが? あたし、質屋なんて、まだ一度も行ったことがないのよ。どうすればいいの?」

「かんたんよ。あそこの裏通りに、山城屋ってのがあるでしょう。あそこに入って、時計を差し出せばいいのよ。そうすれば、向うの方で値をつけて呉れるわ」

「そう。じゃ、行って来るわね」

 二美は姉から腕時計を受取り、だるそうに立ち上った。一子が下から声をかけた。

「念のために、米穀通帳を持って行った方がいいよ。台所にぶら下ってるから」

「そう。では、行って参ります」

「早く戻って来るんだよ。おなかがぺこぺこなんだから」

 二美は部屋を出て、足音を忍ばせて台所に廻り、米穀通帳をぶらぶらさせながら、裏口から飛び出した。

 一方、茶の間では、チャブ台をはさんで、三吉とハナコが坐っていた。ハナコは縫物をしていた。

「風が強くなってきたな」

 三吉は時計を見上げながら言った。

「三根と五月はまだ学校から戻って来ないのか」

「今日は二人とも給食ですよ」

 ハナコが応じた。

「三根も五月も、この間までは、大の給食嫌いだったのに、近頃ではすっかり好きになったようよ」

「それはあたり前だ。うちで芋飯ばかり食ってりゃ、給食好きになるにきまっている」

 三吉はだるそうに舌打ちをした。

「ああ。わしは三根や五月がうらやましい」

「うらやましいって、あたしだって、うらやましいわよ」

 ハナコはみずばなをすすり上げた。

「三根や五月は、給食があるからいいけれど、一子や二美は何もなくて、可哀そうだわ。二人ともずいぶん瘦せたようよ」

「かえってスマートになって、結構だろう」

「結構なもんですか。食うものも食わずに瘦せ細るなんて」

「そう言えば、今朝の食事に、一子も二美も姿をあらわさなかったようだな。あとで食べたか?」

「いいえ」

 縫物をやめてハナコは顔を上げた。

「そう言えば変ねえ。食い盛りの二人が」

「まさかハンガーストライキを始めたんじゃあるまいな」

 三吉は時計を見上げた。

「そろそろ早昼[やぶちゃん注:「はやひる」。]にしよう。あれたちもおなかをすかせてるだろうから」

[やぶちゃん注:「米穀通帳」一度、リンクさせたウィキの「米穀配給通帳」によれば、『一時期は、市町村長の公印が捺された公文書の上、世帯主・住所が記述されていたので、身分証明書としての役目も果たしていたが、健康保険証や年金手帳、そして運転免許証が、身分証明書の機能を取って代わっていった』。『また戦中・戦後においては、相当の価値を持ち』、昭和二四(一九四九)年に『公開された日本映画「野良犬」(黒澤明)では、拳銃を手に入れるのに「米穀通帳を持ってくるように」指示されている』(拳銃を掏(す)られた主人公村上刑事(三船敏郎演)が復員した浮浪者に変相して、闇の「ピストル屋」に渡りをつけるシークエンスで「ピストル屋」が売る条件として「米の通帳持って来な」と言うシーンがある。所持する台本(岩波書店『全集 黒澤明』第二巻)では「36」部分で、「Internet archive」の同映画の「2850」を見られたい)。『身分証として使われた映画としては他に』昭和三七(一九六二)年『公開の「ニッポン無責任野郎」(古澤憲吾)があり、主人公・源等(植木等)が、銀行で米穀通帳を提示し、預金通帳を作るシーンがあった』。『なお、有効期間内に他の地方公共団体に転居や転出した際は、速やかに届け出をして、記載の訂正を受けなくてはならなかった』とある。]

 

 二美はあたりを見廻しながら、裏口から入り、足音を忍ばせて娘部屋に戻ってきた。掌には数枚の紙幣が、ぎっしりと握られていた。一子はむっくりと起き直った。

「どうだった。いくらになった?」

「大成功よ?」

 二美は掌を拡げて見せた。

「二千五百円、貸して呉れたわよ」

「そう。そりゃよかった」

 勢いづいて立ち上り、一子は外出の身支度にとりかかった。

「では、予定通り、珍満に行くことにしようよ」

「それがいいわね。スブタにフヨウハイ。でも、御飯を五杯もおかわりしたら、笑われるわよ」

「あたりまえだよ。三杯ぐらいで止めて置くんだね」

 その時茶の間の方から、三吉のどら声が飛んできた。

「一子に二美。御飯だぞ」

 一子と二美は顔を見合わせ、めくばせしながら廊下に出た。足音も荒々しく茶の間に歩み入った。

「ばたばた歩くんじゃない」

 チャブ台のそばでハナコがたしなめた。

「おや。お前たち、どこかへ出かけるのかい?」

「そうよ」

 立ちはだかったまま、一子は答えた。

「あたしたち、おなかがぺこぺこだから、御飯を食べに行くの」

「え。御飯を食べに?」

 三吉が眼を剝いて反問した。

「どこに食べに行くんだ。食べに行かなくても、うちにあるじゃないか」

「もう芋飯なんかイヤよ。大切な青春を、芋飯なんかで、だいなしにしたくないわ」

「そうよ。そうよ」

 二美が勢いこんで相槌を打った。

「今から珍満に行くのよ。スブタにフヨウハイ。そしてたらふく御飯を食べるのよ」

「珍満?」

 そう反問したまま、あとは三吉は絶句した。言いようのない悲哀感が、三吉の面上を走って消えた。

「そうよ。珍満よ」

 二美は母親に呼びかけた。

「お母さん。一緒に珍満に行かない? あたしたち、おごって上げるわよ」

「そうよ。ねえ、お母さん。一緒に行きましょうよ。時にはうまいものを食べないと、ほんとの栄養失調になってしまうわよ」

「おごって呉れるって、お前たち」

 ハナコはなみだ声を出した。

「お金はどうしたんだい?」

「あたしの腕時計を、山城屋に質入れしたのよ。二千五百円、貸して呉れたわ」

「山城屋?」

 ハナコははらはらと落涙した。

「ま、あ、お前たち、質屋通いまでして――」

 そしてハナコはエプロンで眼をぬぐい、思い切ったようにすっくと立ち上った。エプロンを外し始めた。

「じゃ、お母さんも、ついて行って上げる」

「おお、ハナコ、お前もか!」

 兇刃にたおれるジュリアス・シーザーみたいに、悲痛極まる声を三吉はしぼり出した。

「お前まで行ってしまうのか。わしだけ居残って、芋飯を食えと言うのか!」

 

 ハナコと娘たちがどやどやと出て行くと、がらんとした茶の間に、退潮[やぶちゃん注:「ひきしお」。]に乗りそこねたカレイみたいに、三吉ひとりがぽつねんと残された。

「ああ」

 三吉はうめき声を洩らして、チャブ台ににじり寄った。戦争末期の日本軍部のように、皆から見離された恰好であるが、それでも三吉は最後の力をしぼり、虚勢を張ってつぶやいた。

「負けないぞ。わしは負けないぞ」

 チャブ台の白布をとり、三吉は自分の茶碗に芋飯をこてこてと盛り上げた。熱い番茶をぶっかけると、ごそごそとかっこみ始めた。ひとりで食べる芋飯は、まるで砂利(じゃり)みたいに味がなかった。

 その時、玄関の扉が開かれ、案内を乞う声がした。

「ごめん下さい。猿沢さん、いらっしゃいますか」

「おう」

 三吉は箸を置き、ふらふらと廊下を歩いた。玄関に立っているのは、泉竜之助であった。

「おお。竜之助君か。何か用事か」

 三吉はわざとぶすっとした声を出した。

「降服使節としてやって来たのか。まあ上れ」

「上らせていただきます」

 竜之助は靴を脱ぎ、三吉のあとにつづいて、あちこちを見廻しながら、茶の間に入った。

「おじさんひとりですか。皆さんは?」

「うん。ちょっとそこらに出かけた」

 三吉は渋面をつくって答えた。自分にそむいて珍満に出かけたとは言えないのである。

「まあそこに坐れ」

「おお。おじさんとこの食事も、ずいぶんしけて、いや、倹約してますなあ」

 茶碗の芋飯を眺めて、竜之助は感にたえた声を発した。

「うちは麦飯にメザシだけど、おじさんとこは更に徹底してますねえ」

「あたり前だ。このくらい徹底しなければ、とても長期戦には勝てない」

 三吉はうまそうに、芋飯をひとかき、かっこんで見せた。

「わしんちの三吉湯は、四円に値下げしても、まだやって行けるんだぞ。時に君は昼飯を食ったか。なんならわしと一緒に、この芋飯を――」

「いえいえ。結構です」

 竜之助はあわてて辞退した。

「おばさんもお嬢さんたちも、芋飯は――」

「喜んで食べとる!」

 三吉は声を大にした。

「時に、君のおやじは、いや、おやじさんは、話に聞くと、すっかり前非を悔いてるそうではないか」

「そ、そのことにつきまして――」

 竜之助は膝を乗り出した。

「前非を悔いてもおりますし、こういうつまらない競争は、お互いの損だと――」

「それはわしも近頃、痛感している」

 三吉はおうように受けた。

「うちのお父さんが言うには、三吉おじさんはいい人物である。将棋こそからっ下手だが、人物としては見上げたところがあると」

「な、なに?」

 三吉は肩をそびやかした。

「将棋がからっ下手だと?」

 

「いえいえ。文字通りのからっ下手じゃないが」

 反応の大きいのにおどろいて、竜之助はあわてて訂正した。

「あまり上手ではないと――」

「同じようなことだ」

 三吉はぶすっとさえぎった。

「わしのような好人物と、競争する非を恵之助が悟ったと、こういうわけだな」

「そうです。そうです」

 竜之助は急いで合点々々をした。

「お互いに湯銭を十五円に戻し、生活水準を復帰させたい。メザシや芋飯は止めにして、食べたけりゃマグロのトロでも、スブタでもフヨウハイでも――」

「なに?」

「いや、たとえばという話ですよ。うまいものを食べて、精力を回復し、将棋の百番勝負でも指したいと――」

「うん。わしだって、将棋は指したい」

「そしてあの新築中の建物ですな」

 やっと竜之助は本題に入った。

「あれの建築資金の半分を、自分が持ちたいと、こうおやじが言ってるんですよ」

「半分持つ?」

 なかばいぶかしげに、なかば嬉しげに、三吉は反問した。

「それはありがたい、いや、半分ありがたいけれど、それでどうするつもりなんだね?」

「風呂屋は止めにして、劇場にしようと言うんですよ。名前も、三吉劇場じゃおかしいから、三吉(みよし)劇場ということに――」

「勝手にきめられてたまるか!」

 三吉は眉をぐいと吊り上げた。

「恵之助がそんな身勝手なことをきめたのか」

「いえ。お父さんじゃありません。ぼくたちが――」

「ぼくたち? 君と他に誰だ」

「ぼくや陣太郎さんなんかです」

 竜之助は覚悟をきめて坐り直した。

「あれを風呂屋にされては、うちのおやじの立つ瀬はないんですよ。だからどうしても、果てしない泥仕合となる。そして飛ばっちりが僕らにかかって、僕はメザシに泣き、一ちゃんは芋飯に位くという大悲劇が――」

「一子のことなら余計なお世話だ」

 三吉はそっけなくきめつけた。

「新築について、君らの指図は受けん!」

「では、仕方ありません・泉湯でもクイズをやりますよ。泉グラム」

「勝手にやればいいだろう」

「いいですか。そんなことを言って」

 竜之助は内ポケットから、一枚の紙片をまさぐり出し、三吉につきつけた。

「これですよ!」

「なんだと?」

 三吉は眼を据(す)えてそれを読んだ。

 

 □□□□っているそのを真子という太郎

 

「こ、これは誰がつくった?」

 三吉は顔色を変えた。

「陣太郎さんです」

「ああ。あの陣太郎の奴め! あれほど尽してやったのに、最後のどたん場で、このわしを裏切りやがったな!」

 全身を怒りでわなわな慄わせながら、三吉はすっくと立ち上った。いそがしく身支度をととのえた。

「もう許しては置けぬ。わしは今から富士見アパートに行って、陣太郎の奴を徹底的にとっちめてやる!」

 

 加納邸の電話がぎしぎしと鳴り渡った。それっとばかり加納明治は受話器に飛びついた。

「もしもし、塙女史か。どうだった?」

 加納の顔にはほのぼのと血の気が上った。

「そうか。やっぱりインチキか。なに、家令の件も、全然でたらめだって? 飛んでもない野郎だ」

 加納の声はおのずから高くなった。根も葉もないことをタネに、前後二回で十五万円も持って行かれたのであるから、声が高くなるのも無理はない。

「よろしい。話は判った。僕は今から直ぐ富士見アパートに行く。陣太郎の奴を徹底的にとっちめてやるぞ。うん。では後ほど」

 がちゃんと受話器をかけると、加納は両手を前に構えて、拳闘の真似ごとをした。万一に側えてのトレイニングのつもりなのであろう。

「ちくしょうめ!」

 加納は小走りに書斎にかけ込み、手早く洋服に着換えた。玄関を出てギャレージに直行、自動車に乗り込んだ。

 大風の中を、加納の自動車は走り出した。

 一方猿沢三吉は、泉竜之助を自宅に置き放して、これまた自動車を引き出し、大風の街を疾走した。

 富士見アパートの玄関前に、オート三輪が一台とまっていた。真知子の荷物の積込みはすでに完了、やがて玄関からのそのそと、陣太郎がリュックサックをぶら下げて出て来た。

「どうする?」

 陣太郎は真知子をかえり見た。

「電車で行くか。それともこれに乗り込んで行くか」

「そうね」

 真知子は空を仰いだ。空にはねじくれた形の雲が、いくつもいくつも風に乗って飛んでいる。

「風が強いようだけど、大丈夫よ。これに乗って行きましょうよ」

「そういうことにするか」

 陣太郎はリュックサックを放り上げ、エイヤッと荷台に飛び上った。真知子が下から手をさし伸べた。

「手を引いて」

 陣太郎の手を借りて、真知子も荷台に這(は)い上った。

「ここに住んだのは短い間だったけど」

 荷台上でアパートをふり返り、髪のほつれを直しながら、真知子がしみじみと言った。

「ちょっと名残借しい感じがするわね」

「今から強く生きて行こうと言うのに」

 陣太郎はたしなめた。

「あまりセンチメンタルになるんじゃないよ」

 中年女のアパート管理人が、二人を見送りに、玄関から出てきた。その管理人に陣太郎は声をかけた。

「誰かおれを訪ねてきたらね、二附のおれの部屋に案内して下さい。扉に訣別の文章を貼って置いたから」

「そうですか」

 管理人は合点々々をした。

 それを合図に、オート三輪は動き始めた。

 風を避けるために、陣太郎と真知子は、荷台の上で、抱き合うようにしてうずくまった。

 オート三輪の姿は、風の中をやがて小さくなり、見えなくなった。

 

 陣太郎、真知子を乗せたオート三輪が、姿を消して間もなく、同番号の小型自動車が二台前後して、富士見アパートの横丁にすべり込んできた。

 相並ぶように停車すると、前の車からは加納明治が、後の車からは猿沢三吉が、それぞれ運転台からころがり出てきた。

 出たとたんに空風[やぶちゃん注:「からっかぜ」。]が吹きつけてきて、三吉の方は栄養不足であるからして、不覚にもよろよろと二三歩よろめいた。

 二人は先をあらそうようにして、富士見アパートの玄関に入った。管理人が出て来た。

「松平、陣太郎はいますか?」

 加納が険しい声で言った。

「上ってもよろしいか」

「松平さんはお引越しになりましたよ」

「引越した?」

 傍から三吉が怒鳴り声を出した。

「何時(いつ)?」

「今さっき。五分ほど前に」

「引越し先はどこだ?」

 今度は加納が怒鳴った。

「どこだともおっしゃいませんでした」

 二人の剣幕がすさまじいので、管理人はたじたじと後退りした。

「さきほど、オート三輪で、西尾真知子さんと一緒に――」

「なに。真知子も一緒だと?」

 三吉は頭髪をかきむしった。

「ちくしょうめ。やりやがったな」

「お別れの文章が――」

 管理人は二階の方を指差した。

「松平さんの部屋の扉に貼ってありますよ」

 二人はそれを聞くと、また先を争うようにして、階段をかけ登った。

 便所の傍の扉に、れいの『陣内陣太郎用箋』の一枚が、鋲(びょう)でとめてあった。陣太郎の筆跡で、こう書いてあった。

 

 おれたちは今回考えるところあり、富士見アパートを

 立去り、よそで新しい生活を始めることにしました。

 短い間の御交情を感謝します。陣太郎・真知子

 

「ちくしょうめ!」

「あの悪者め!」

 憤怒の言葉が同時に、両者の唇から洩れ出た。そしてそのことにびっくりしたように、二人は顔を見合わせた。

「あ、あんたも被害者ですか?」

 三吉が忌々(いまいま)しそうに口を開いた。

「そうですよ」

 加納はじだんだを踏みながら、扉から紙片をひったくり、ぐしゃぐしゃに丸めて廊下に落し、足で踏みつけた。

「ああ、腹が立つ。こうでもしなきゃ、腹がおさまらないぞ」

「わしにも踏ませて呉れえ。わしにも踏む権利がある!」

 加納にかわって、今度は三吉の足がそれを踏みつけた。紙片はさんざん踏まれて、平たくぺしゃんこになってしまった。

 踏むだけ踏んでしまうと、二人はキツネがおちたような呆然たる面もちになり、相手の顔を眺め合った。

「どういう被害を受けられたのか存じませんが――」

 自嘲の笑いと共に加納は言った。

「あんなチンピラにしてやられるなんて、お互いにあまり利口じゃなかったようですな」

「そうですなあ」

 三吉も憮然(ぶぜん)として賛成した。

「全くわしはバカでしたよ」

 

 加納明治と猿沢三吉は、ぐったりとくたびれた表情で、富士見アパートから風の街に出て来た。横丁へよろめき歩いた。

「おや」

 三吉の自動車の前で加納は足をとめた。

「あなたの車の番号も三・一三一〇七ですな。ふしぎなこともあればあるものだ」

「なるほど」

 加納の車の方に三吉も眼を見張った。

「ほんとだ。そっくり同番号だ。三・一三一〇七、佳人の奇遇というわけですかな」

 よせばいいのに三吉はまた妙な言葉を使用した。

「では」

「では」

 具合悪そうにぺこりと頭を下げ合うと、二人はそそくさとめいめいの車にうち乗った。一刻も早くここを離れたい風情で、それぞれ勝予な方向にハンドルを切り、勝手な方向をさして走り去った。風はその二つの自動車の上をもぼうぼうと吹いた。

「ああ」

 建てかけの三吉湯の方角に、車を急がせながら、三吉はうめいた。大風で材木や板が飛ばされはしないか。その心配もあったが、陣太郎如きに真知子を奪い去られたのが、かなしく口惜しく、心外なのであった。

「ああ。わしはもう妾(めかけ)を囲うのは、生涯やめることにしよう」

 建ちかけ三吉湯の前には、泉恵之助が長身をステッキで支えて、梁(はり)や骨組をぼんやりと見上げていた。前日竜之助に宣言した如く、瘦身(そうしん)を鞭打って、進行状態を観察に来たのであろう。その十米ほど手前で、おんぼろ自動車は停止し、中から三吉がごそごそと這い出てきた。

「…………」

「…………」

 両老人は同時に相手の存在に気が付き、ぎょっとしたように身体を固くして、無言で路上に相対した。

 むくんでやつれた三吉の姿を、恵之助は凝然(ぎょうぜん)と見守った。瘦せ細ってひょろひょろの恵之助の姿を、三吉は凝然と見守った。この数ヵ月でめっきり老い込んだ旧友の姿を、両老人ははっきりと見守って、確認し合った。風がそこらを騒然と吹き荒れた。

 怒りともつかぬ、かなしみともつかぬ、あわれみともつかぬ、不思議な激情が、同時に両老人の胸の中にも吹き荒れた。三吉は思わず一歩を踏み出した。

 同時に恵之助も一歩を踏み出しながら、将棋の駒をひょいと突き出す手付きをして見せた。

「どうだ。やるか?」

「なに」

 三吉は肩をぐいとそびやかした。

「やるとは何だ。からっ下手のくせに!」

「なんだと!」

 恵之助はステッキでぐいと地面をこづいた。

「からっ下手とは何だ。この間も負けたくせに!」

「あれは怪我負けだ――」[やぶちゃん注:「怪我負け」「けがまけ」。負けるはずがない者が何のはずみで負けることを言う。]

 三吉は怒鳴り返した。

「じゃあ今度は、五百番勝負と行こう。五百番だぞ!」

「五百番でも、千番でも、やってやるわい」

 恵之助もわめいた。

「そのかわり、負けたら、手をついてあやまるんだぞ!」

 

 半年経った。

 泉恵之助と猿沢三吉が、あの大風の日に、将棋の挑戦にかこつけて、妙な形の仲直りをして以来、新築の方は突貫工事で完成、三吉(みよし)劇場の看板がたかだかとかかげられた。もちろん恵之助の出資もあるから、三吉と恵之助の共同経営である。

 共同経営とは言うものの、実務はもっぱら浅利圭介支配人が掌握、貸劇場として、毎月確実な黒字を出しているそうである。

 圭介も銭湯の支配人から劇場の支配人に昇格したのだから、当人も身を入れて働き、また妻のランコも満足している風で、近頃は圭介のことを『おっさん』呼ばわりはしなくなった。そこで圭介も『おばはん』呼ばわりを中止した。息子の圭一は相変らず元気で毎日小学校に通っている。

 三吉湯も泉湯も、大風の翌日から、湯銭は十五円に復旧した。

 おかげで三吉も恵之助も、つまらぬことで心を労することがなくなり、毎日々々相手の家を訪ねて将棋ばかり指している。仲直り以来、千数百番を指したが、成績はほとんど指し分けである。そんなに数多く指しても、両者の棋力はいっこうに向上のきざしはない。相変らず王手飛車で飛車が逃げたり、せっぱつまって王様が盤から飛び降りて逃げたり、そんなことばかりしている。

 加納明治はあれ以来、塙女史にすっかり頭があがらなくなり、塙女史の言うままの理想的生活をつづけている。その結果、とうとう小説が書けなくなり、近頃ではせっぱつまって児童ものに転向、これは案外好調で、次期の児童文学賞の有力侯補の一人に目されている。

 仲直り以来、両家の食糧事情はぐっと好転、泉家ではメザシが姿を消し、猿沢家からは芋飯が姿を消した。両家の家族たちの栄養状態もたいへんに良くなった。

 竜之助と一子の恋愛はどうなったかと言うと、これがふしぎなもので、おやじたちが仲直りしたとたんに、すっと冷却してしまったようである。

 思うに、竜之助と一子の恋愛は、父親たちの無理解な圧迫という特殊な条件のもとで、フェーン現象みたいなものが起き、それでパッと燃え上ったのであるから、その条件が取り除かれると、自然と冷却におもむいたものに違いない。

 二人ともキツネが落ちたような按配(あんばい)で、一子は一子で、

「あんな背高ノッポは、あたしに似合わないわ」

 と言っているし、竜之助は竜之助で、

「あんなチンピラ小娘、僕の趣味に合わぬ」

 と公言している始末で、もうふたたびお互いに燃え上るおそれはないと見ていいだろう。

 栄養失調から回復すべく、一子と二美はせっせと食べ、美容体操にいそしみ、竜之助もせっせと食べ、ボディビルにいそしんでいたが、いそしみ過ぎて竜之助は若干胸を悪くして、只今は清瀬の療養所に入っている。

 上風タクシー会社は、その後も毎日の如く、所属運転手が人をひき殺したり、はね飛ばしたりしたので、弔慰金支出増大のため、とうとうつぶれた。上風徳行社長は今では、生命保険の外交員になって、毎日てくてくと勧誘に歩いている。三吉も義理で一口入らせられた。

 陣太郎、真知子の消息は、その後杳(よう)として知れない。

 

[やぶちゃん注:本篇は面白いとは思うが、どうも私の好きなラブクラフトのクトゥルフ神話系小説「インスマウスの影」に出るような顔つきをした、トリック・スター陣内陣太郎の設定や映像想起が、話しの半ば辺りから、甚だしい生理的嫌悪感を私に催し、好きになれないので、縦書PDFは成形しない。梅崎春生のものでは、他に縦書PDF版にし損なっているものが、未だ多くある。而して、その私の偏愛する作品の範疇には本長編小説は含まれないのである(私がブログで電子化注したものをPDF縦書版にすることは、比較的、容易いので、ご希望があれば、何時でも応じるので、遠慮なくどうぞ)。悪しからず。

 初回冒頭注で述べた通り、私の中の二〇一六年一月一日に始まった《梅崎春生の季節》はこれを以って、一区切りとする。――では、また、何処かで――

2023/07/22

佐藤春夫譯「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」正規表現版 原作者の事その他・目次 / 「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」電子化注~完遂

[やぶちゃん注:書誌・底本・凡例等は初回を見られたい。]

 

   原作者の事その他

 

[やぶちゃん注:パート標題(底本では、見開き左ページで、右ページに前に電子化した芥川龍之介の遺稿詩篇が載る)。

 その、裏の右ページに右に転倒して以下のフランス語が記されてある。底本ではローマン体。]

 

     Mais où sont les neiges d'antan ?

            ――Frangois Villon

 

[やぶちゃん注:「Frangois Villon」フランス十五世紀最大のピカレスク詩人フランソワ・ヴィヨン(一四三一年~?)。小学館「日本大百科全書」を主文とし(佐藤輝夫の後半の解説が素晴らしい)、フランス語の彼のウィキも参考にした。『百年戦争の末期、ジャンヌ・ダルクが処刑された年、パリに生まれた。聖ブロア教会付き司祭』ギョーム・ド・ヴィヨン(Guillaume de Villon)に『養育され、その姓を名のる。本名はモンコルビエMontcorbierまたはデ・ロージュDes Loges』。一四五二年、『パリ大学学芸学部を卒業、文学士の称号を得、のち法学部に籍を置いたが、その修業は不明』。一四五五年六月、『堕落司祭フィリップ・セルモア』(Philippe Sermoise)『と口論』に及び、『これを殺傷して』、『パリを逐電』、『翌年』一『月、国王の赦免状を得てパリに帰る。同年』十二月の『キリスト降誕祭の前夜、仲間とともにナバール神学校に押し入り、大金を盗み』、再び、『パリを去って』、『放浪生活に入る。この折り、「形見の歌」を作っている。放浪はロアール川沿いのオルレアン』・『ブロア』・『アンジェ一帯の中部フランスに及ぶ。投獄されること』、『二度』、『三度、その』都度、『運よく放免される。この間』、『ブロアで大公シャルル・ドルレアン』(Charles d'Orléans)『に謁して』、『詩を奉り、その詩会に参加したことは確実である』。一四六一『年の夏、マン・シュル・ロアールの司教牢獄』『につながれ』、十『月に解放されて』、『パリに帰る。大作』「遺言書(遺言詩集)」を書いた。翌年十一月、『窃盗の嫌疑でシャトレ獄に収監、やがて釈放されるが、ある喧嘩』『騒ぎに連累して死一等を免ぜられ』、十『年間パリ追放の宣告を受け』、一四六三年一月に『パリを去る。以後』、『その足跡はまったく不明で、やがて疲労と病魔のため死亡したであろうと一般に信じられている。しかし死んだという確証もなく、延命生存説をとるむきもある』。『ビヨンの生涯は失敗の連続で』、『百年戦争直後の混乱した社会そのものの影響も考えられるが、弱い性格の持ち主であったことは疑えない。しかしその反面、精神のなかには強くたくましいものがあった』。十五『世紀そのものの』持っていた『二面性の現』われと言える。『彼は笑いを好むとともに、自己の内部と外部とを見つめた。その凝視のなかから』、『彼の詩は生まれる。ビヨンは徹底的なリアリストである。彼の叙情詩で非現実的なものは』、『ほぼ皆無である。アイロニーを好むので、逆説をしばしば弄』『するが、それは』、『かならず』、『現実に立脚している。彼は貧乏で食うに事欠くこともしばしばあった。彼は社会の残滓』『であった』。従って、『人間関係で発言すると、その詩は復讐』『の詩となり、また』、『感謝の表現となった。その復讐と感謝は』「形見の歌」の『なかでは諧謔』『や揶揄』『の色合いを帯びる。彼は笑い飛ばした』が、それは『若さの表現である。しかし』、『長年の放浪は、彼に種々深刻な経験を与えた』「遺言書」の中では、『その揶揄と嘲笑』『には苦味が加わる。その苦味が内心の吐露となると、その叙情は沈痛となり、ときには非常に人間的となる』。「遺言書」の内、最も『美しいのはこの部分である。「昔の貴女のバラード」「老媼(ろうおう)おのが若き日を憶(おも)いて歌える」など、そのもっとも優れたものであり』、「雑詩編」の中の『「受刑者のうた」などには、惻々』『としてわれわれの胸を打つものがある。

Mais où sont les neiges d'antan ?」詩集「形見の歌」(Lais:“lai”は、一般に八音綴詩句からなる中世の物語詩・叙情詩・小詩のことを指す)の中の一句。「昔の雪は何処に行っちまったんだ?」の意。

 以下、解説本文。作者名の一部のみが太字に見えるのはママ。有意な字空けもママ。読みは一切ないが、既に出した、それぞれの作者の解説提示で私が難読と思われるものに添えてあるので、そちらを参照されたい。]

 

杜秋娘  西曆七世紀初頭。 唐。 もと金陵の娼家の女。 年十五の時、大官李錡の妾となった。 常に好んで金縷曲――靑春を惜しむ歌を唱へて愛人に酒盞を酭めた。 ここに譯出したものが今に傳はつてゐるが、「莫情」「須惜」「堪折」「須折」「空折」 など疊韻のなかに豪宕な響があるといふのが定評である。 李錡が後に亂を起して滅びた後、彼女は召されて宮廷に入り憲宗のために寵せられた。 その薨去の後、帝の第三子穆宗が卽位し、彼女を皇子の傅姆に命じた。 その養育した皇子は壯年になつて漳王に封ぜられたが、漳王が姦人のために謀られ罪を得て廢削せられるに及んで彼女は暇を賜うて故鄕に歸つた。 偶〻杜牧が金陵の地に來てこの數奇にも不遇な生涯の終りにある彼女を見て憫れむのあまり杜秋娘詩を賦したが、それは樊川集第一卷に見られる。

 

  十一世紀初頭。 宋朝。 海寧の人である。 幼少の時に兩親を失ひ充分に夫を擇ぶこともし得なかつた。 市井の民家に嫁して無知凡庸な夫を持つたことを常に歎き、吟咏によつて胸中の憂悶を洩した。 その詩詞集は斷膓集と呼ばれ、前集十一卷後集七卷があるが、その中には胸中の不平抑へがたいものが屢々現はれ風雅と稱するには激越にすぎたものも見える。 詩藁も沒後夫の父母によつて焚かれたものの一部分が遺つたのを、好事者が顏色如花命如秋葉その薄命を憐れむの餘りにこれを編んだものだと傳へてゐる。 彼女は朱文公の姪だという說もあるけれども、朱子は新安の人で海寧に兄弟が居たといふことは聞かないから、多分後人が彼女を飾るための僞說だらうと言はれる。 とにかく生涯はあまり明かではないらしい。 ハイネの小曲に、「胸中の戀情は夜鶯の聲となる」といふ意を咏じたものがあつたと思ふが、ここに掲げた絕句は正に同工異曲である。

 

孟  珠  三世紀前半。 ただ魏の丹陽の人とのみで未詳である。 陽春歌三章が今傳はつてゐる。譯出したものはその第二章である。 皐月まつ花たちばなに昔の人の袖の西を聞くに比べて、香花を愛人の氣息と思ふのは大膽で露骨で濃密な詩境である。 我彼の詩情の相違を見るべきであらう。 西歐の詩には孟珠のものと同想があるだらうと思ふ。 この作者の他の二章をも併せ揭げて參考とする。 陽春二三月、草與水同色、道逢游冶郞、恨不早相識。」 望觀四五年、實情將襖惱、願得無人處、回身與郞抱」。 蕩思放縱ではあるが詩美は充分に保たれてゐると思ふ。

 

夷陵女子  唐朝。 未詳[やぶちゃん注:「末詳」であるが、誤植と断じ、訂した。]。

黃 氏 女  十三世紀中葉。 宋朝の理宗の時代。 閩人の潘用中といふ人が父に隨うて都に居住してゐた。 この靑年は笛を弄ぶことを愛したが、隣人黃氏の女は、潘の笛を聞いてその人を慕ひ、潘は彼女を見て帕に詩を題して胡桃をつつんで投げた。 彼女も亦、同じく胡桃をつつんだ帕に題した返事の詩がここに譯出したものである。 彼等は遂にこの緣によってむつまじい夫妻となり、帕中の詩は佳話として世間に擴まり、宮廷にまで傳はって、理宗をして奇遇だと嗟嘆せしめた。

 

子  夜 三四世紀。 晉曲で有名な子夜歌の原曲である。 子夜は歌曲の名であって作者の名ではない、といふ說もあるけれども、今はこの曲の作者たる晉の女子の名だといふ說に從ふ。 傳は無論、未詳である。 子夜歌の今に傳はるものは四十二章あるが、玉石相半している。 佳なるものはその體の簡古、情緖の切實、眞に秀絕で不朽の歌と稱していい。 宜なる哉、李白なども之に學ぶところがあつた。 後人はこの體に倣つて、子夜四時歌、大子夜歌、子夜警歌、子夜變歌等の體を作つた。

 

呂 楚 卿  明朝の妓女。 萬曆の頃であらうか。 未詳。

 

景 翩 翩  十六世紀中葉。 明朝。 建昌の妓女。 字は三味。 四川の人。閩人といふのは誤であるらしい。 後に嫁して丁長發の妻となつたが、丁は人の爲めに誣ひられて官に訴へられた時、景は竟に自ら縊れた。 その集を散花吟と名づけたといふのが、讖をなしたかとも思へて悼ましい。 才調の見るべきものがあると思ふ。

 

賈 蓬 萊  宋朝。 未詳。

 

紀 映 淮  明朝。 年代は明かでない。 宇は阿男。 金陵の人である。 菖州の杜氏に嫁し、早く寡となったが節を守つて生涯を終つたといふ。 漁洋詩話にはその秦淮柳枝を推し「栖鴉流水㸃秋光」を佳句と稱してゐる。[やぶちゃん注:「栖」は底本では(へん)が「木」ではなく「扌」であるが、誤植と断じ、「講談社文芸文庫」で訂した。]

 

趙 今 燕  十六世紀中葉。 明朝萬曆年間。 名は彩姬。 吳の人。 秦淮[やぶちゃん注:「秦」は底本では「奏」であるが、同前の文庫で訂した。]の名妓である。 才色ともに一代に聞えてゐた。 日ごろ風塵の感を抱いて妄に笑を賣ることを好まず、書を讀むことを喜び、靑樓集を著したといふ。

 

馬 月 嬌  趙今燕と同じ時代、同じく秦淮に、同じやうに名を馳せた名妓である。 名を守貞といふ。 容貌は大して美しいといふ程ではなかつたが、風流でまた豪俠の氣質の愛慕すべきものがあつた。 又、湘蘭と號して善く蘭を畫き一家の風格を得た。 その名は海外まで聞え當時シヤムの使節が來朝した時にその畫扇を得て歸つたといふ。

 

張 文 姬  九世紀末。 唐朝の貴婦人。 鮑參軍の妻である。

 

鄭 允 端  十二三世紀。 吳中の施伯人の妻である。 その著を肅雝集といふ。 今は傳はらない。

 

李  瑣  明朝の妓女。 未詳。

 

沈 滿 願  西曆六世紀。 梁の貴婦人。范靖(一說に靜に作る)の妻。 著すところ甚だ富み、詩に長ずと言はれてゐる。 唐書藝文志に憑れば滿願集三卷があるといふが、湮滅に歸した。

 

趙 鸞 鸞  唐の妓。 未詳。 その作の傳はるものは五首卽ち、雲鬟、柳眉、檀口、酥乳、纎指の五題いづれも肉體の美を咏じたものである。 もとより閨房の譃咏ではあるが、その纎細な美は同じ唐の妓女史鳳の七首などとは比ぶべきではない。 譯出したものは酥乳の轉結である。 その起承は「粉香汗濕瑤琴翰、春逗酥融白鳳膏」であるが、文字の美を去つてその意を傳へても無意味に近いからこの二句の譯は企てなかつた。

 

端 淑 卿  十六世紀(?)。 明朝。 當塗の人。 敎論端廷弼の女である。 幼時から學を好み才媛の名が高かつた。

 

王 氏 女  明朝。 未詳。 年ごろになって良緣がなかつた。 その悲しみを歌つたこの詩を見て、趙德麟といふ人が彼女を娶つた。 世人は二十八字媒と呼んで佳話とした。 轉句の「晚雲」を一本では「曉雲」に作つてゐる。 しかし晚雲でなければ詩情に乏しいかと思ふ。 南方の支那では一般に夏時は午睡をする習慣があることを思へば、殘睡に回頭して晚雲を見ても不自然ではないわけである。

 

劉 采 春  九世紀初頭。 唐朝、元和年間、薛濤や杜秋娘などと同時代。 越の妓女である。 その囉嗊曲――望夫の歌は古來喧傳されてゐるものである。

 

陳 眞 素  明朝の妓女。 未詳。

 

周  文  同上。

 

七歲女子  七世紀末。 唐朝。 この幼女が詩を能くすることが宮廷にまで聞え、則天武后が召して「送兄」といふ題を與へそれによって作らせたのがこれである。

 

靑溪小姑  五世紀。 宋の秣陵尉蔣子文の第三妹である。 靑溪はその居住の地名で小姑といふのは學藝ある貴婦人に對する敬稱である。 簡素な文字のなかに情感の溢れてゐるのを見る可きである。

 

魚 玄 機  九世紀。 唐朝。 薛濤などのすぐ次の時代である。 彼女の生涯に到つては最も浪漫的であまりに慘然たるものである。 長安の狹斜の地で生れた彼女が、十五歲の時、題を得て卽座に賦した江邊柳といふ五言律詩は溫庭筠をして好しと言はしめた。十八歲の時、人の妾となつたが情を解しなかつたので、彼女は送られて道觀の女道士となつた。 しかし彼女が一度情を解するや、この女道士は妓女のやうな日夕を送つた。 遂にその婢が彼の愛人と通じたのではないかといふ猜疑に驅られてこれを責めてゐるうちに誤つて婢を死に致した。 彼女は刑によつて斬せられ、その多情多恨の生涯は二十六歲で終つた。 唐女郞魚玄機詩一卷が傳はつて世に行はれてゐる。 森鷗外に「魚玄機」といふ作があつて、創作といふよりも彼女の評傳と見得るものである。 詳しくは就て看らる可きである。 その生涯を知つて「自歎多情是足愁」の詩を見ると一層感が深い。 靑春の憂悶の堪え難いのを歎いて、身の寧ろ白髮たらんことを願つたこの詩と殆んど同想同句が、現代英國の狂詩人アアサア、シモンズにあるのも亦一奇である。

 

李  筠  明朝の妓女。 未詳。

 

丁 渥 妻  十二世紀ごろ(?)。 宋朝。 その夫が游學して久しく家鄕から遠ざかつてゐた。 一夜夢にその妻が燈下で消息を認めてゐるところを見たが、文中にこの詩があつた。 後日妻から鄕信を得て見ると果してかつて夢に見た詩が記されてあつた。 譯出したのはその不思議な話の主題となるものである。

 

俞汝舟妻  朝鮮の女子であるといふ。 未詳。

 

媼  婉  宋朝の妓女。 未詳。

 

王  微  十六世紀(?)。 明朝。 字は修微、揚州の妓女である。 二度も士人の妻となつたが何れも完うしなかつた。 禪に歸依して草衣道人と號した。 集があつて期山草樾舘詩集といふ。[やぶちゃん注:「樾」は底本では「扌」のように見えるが、中文サイト及び同文芸文庫に従った。

 以下、「目次」。リーダとページ・ナンバーは省略した。凡て字間は半角ほど空いているが、再現しなかった。]

 

    目  次

 

序文                 奥野信太郞

 

たゞ若き日を惜め

春ぞなかなかに悲しき

音に啼く鳥

春のをとめ

薔薇をつめば

よき人が笛の音きこゆ

女ごころ

ほゝ笑みてひとり口すさめる

むつごと

怨ごと

蝶を咏める

水彩風景

行く春の川べの別れ

おなじく

行く春

そゞろごころ

白鷺をうたひて

池のほとりなる竹

川ぞひの欄によりて

夏の日の戀人

水かがみ

乳房をうたひて

戀愛天文學

朝の別れ

採蓮

はつ秋

秋の鏡

秋の江

手巾を贈るにそへて

月は空しく鏡に似たり

秋の別れ

秋ふかくして

戀するものの淚

もみぢ葉

思ひあふれて

秋の瀧

ともし灯の敎へ

殘燈を咏みて

つれなき人に

旅びと

貧しき女のよめる

夜半の思ひ

骰子を咏みて身を寓するに似たり

松か柏か

人に寄す

月をうかべたる波を見て

霜下の草

 

原作者の事その他

 

裝釘                  小穴隆一

 

[やぶちゃん注:奥附があるが、リンクに留めておく。]

佐藤春夫譯「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」正規表現版 芥川龍之介遺稿詩篇一篇

[やぶちゃん注:書誌・底本・凡例等は初回を見られたい。以下は、訳詩本文が終わったページを捲ると、右ページ中央に、本篇が最小ポイントで載る。以下では、ポイントは落とさず、一字下げで示した。]

 

 ひ た ぶ る に 耳 傾 け よ。

 空 み つ 大 和 言 葉 に

 こ も ら へ る 箜 篌(くご) の 音(と) ぞ あ る。

            芥 川 龍 之 介

 

[やぶちゃん注:本詩はサイト版「やぶちゃん版芥川龍之介詩集」に収録させてある。五七・四七・五七の三行分かち書きの文語定型詩であり、標題は「修辭學」である。そちらで底本とした岩波書店旧全集の編者の「後記」によると、元版全集(岩波版芥川龍之介全集の最初に出版された全集(自死の年の昭和二(一九二七)年十一月に刊行が始まり、昭和四年二月に全八巻で完結した)を指す)には『(大正十五』(一九三六)『年十一月)』とあるとする。「空みつ」は「大和」の枕詞である。佐藤のこの訳詩集は、扉標題の裏側に『芥川龍之介が』『よき靈に捧ぐ』とある通り、亡き芥川龍之介への献辞がある。而して、ここに芥川龍之介の遺稿詩篇が示されることで、この佐藤春夫の訳詩集全体が芥川龍之介への追悼詩集の体裁を持っていることが判然とするのである。而して、これは、後の芥川龍之介遺著・佐藤春夫纂輯「澄江堂遺珠」へと発展するものであると言ってよい。「澄江堂遺珠」は昭和六(一九三一)年九月から翌年一月まで雑誌『古東多万(ことたま)』(やぽんな書房・佐藤春夫編)第一年第一号から第三号に初出し、二年後の昭和八年三月二十日に岩波書店より『芥川龍之介遺著・佐藤春夫纂輯「澄江堂遺珠 Sois belle, sois triste.」』として刊行されたものである。リンク先は私のサイト版である(不全だが、PDF縦書版もあり、また、私は「澄江堂遺珠」に強い拘りがあり(特に最後に芥川龍之介が愛した片山廣子に関連してである)、ブログ・カテゴリ『芥川龍之介遺著・佐藤春夫纂輯「澄江堂遺珠」という夢魔』も設けてある)。]

佐藤春夫譯「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」正規表現版 「霜下の草」小夜 / 訳詩本文~了

[やぶちゃん注:書誌・底本・凡例等は初回を見られたい。本篇はここ。]

 

  霜 下 の 草

             年 少 當 及 時

             蹉 跎 日 就 老

             若 不 信 儂 語

             但 看 霜 下 草

                   子   夜

 

若き命の束の間の

よろめき行くや老來(おいらく)ヘ

わが言の葉をうたがはば

霜に敷かる〻草を見よ

 

[やぶちゃん注:作者小夜は六首既出。佐藤の作者解説は、その最初の「女ごころ」を参照。「楽府詩集」の巻四十四の「子夜歌」四十二首の其十六である。

 以下、所持する岩波文庫の松枝茂夫編の「中国名詩選」の「中」(一九八四年刊)を参考に訓読文と注を示す。

   *

 子夜歌

年少(ねんしやう) 當(まさ)に時に及ぶべし

蹉跎(さだ)として 日(ひび)に老ひに就(つ)けり

若(も)し儂(わ)が語(かたれ)るを信(しん)ぜざらば

但(ただ) 看(み)よ 霜下(さうか)の草(くさ)を

   *

・「蹉跎」松枝氏の注に『ぐずぐずして時期を失すること』とある。

・「霜下の草」松枝氏の最終句の訳に丸括弧で附されて、『春は茂っているが冬になれば枯れる』とある。]

佐藤春夫譯「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」正規表現版 「月をうかべたる波を見て」王微

[やぶちゃん注:書誌・底本・凡例等は初回を見られたい。本篇はここ。]

 

  月をうかべたる波を見て

             寒湖浮夜月

             淸淺幾廻波

             莫道無情水

             情人當奈何

                王 微

 

冬の湖(うみ)月をうかべて

さざらなり寄せてよる波

心なの水とは言はじ

人戀ふるこころさながら

 

   ※

王  微  十六世紀(?)。 明朝。 字は修微、揚州の妓女である。 二度も士人の妻となつたが何れも完(まつた)うしなかった。 禪に歸依して草衣道人と號した。 集があって期山草樾舘詩集(きざんさうえつくわんししふ)といふ。

   ※

[やぶちゃん注:作者王微については、中文サイト「中國古典戲極資料庫」の「靜志居詩話」の「卷二十三」「教坊」「王微」で、佐藤が解説した内容が確認出来る。

・「さざら」「ささら」とも言う。語素で「細かい・小さい・わずかな」などの意を表わす。が、ここでは私は「さらさらと」止めどなく岸に寄せる波音を言い、オノマトペイアと採る。

 本篇の標題は調べたところ、「夜月」であった。以下、推定訓読を示す。

   *

 夜(よる)の月

寒(さむざ)むとした湖(うみ) 夜の月を浮かべ

淸(きよ)き淺(あさききし) 幾廻(いくたび)か波だつ

道(い)ふ莫(な)かれ 無情(むじやう)の水(みづ)と

情人(じやうにん) 當(まさ)に奈何(いかん)せん

   *]

佐々木喜善「聽耳草紙」 一六六番 話買ひ(二話)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]

 

    一六六番 話 買 ひ(其の一)

 

 或男が町へ行くと、見慣れた店の前に、話賣りと謂ふ看札が懸つてをつた。これは珍しいこともあるものだ。どんな話を聞かせるもんだべと思つて、立寄つて見ると、内に齡寄《としよつ》つた爺樣が一人座つて居た。話賣る人はお前だかと訊くと、爺樣はさうだと答へた。價《あたひ》を訊くと、一話一兩だと言ふ。[やぶちゃん注:底本は読点だが、「ちくま文庫」版で訂した。]幸ひ懷《ふところ》に一兩持つて居たから、ほだら一つ賣つてくれろと言つて金を爺樣の前へ出した。すると、爺樣は、

  大木《たいぼく》の下より小木《しやうぼく》の下に

 とたつた一言(《ひと》コト)話した。あと續くかと思つて待つて居たが、あとは何にも言はなかつた。男は一兩と謂ふ大枚《たいまい》な金を出したものだから、何か長い語物(カタリモノ)でも聽かせることだべと思つて居ると、やつぱりたつた一言、それだけなので氣拔けがして、面白くなくて家へ還つた。

 家へ歸る途中廣い々々野原を通りかゝつた。夏の日だつたと見えて俄かに神立雨(カンダチアメ)[やぶちゃん注:雷雨・夕立の異名。]が降つて來た。おまけに雷鳴は天も裂けるやうに强かつた。男は魂消《たまげ》て野中の一本杉の下へ駈けつけて雨宿りをした。ところが偶然(ヒヨツクリ)と胸に浮んだのは、今日の話賣りの爺樣の言葉であつた。あツこのことだと思つてその一本杉の下から一足離れると、突然杉の木に雷がおとけあつた(落雷した)。男はその餘勢(イキホイ[やぶちゃん注:ママ。])で二三間《げん》[やぶちゃん注:一・八二~三・六四メートル。]吹飛《ふきと》ばされたが、生命《いのち》は助かつた。氣がついて見ると一本杉は粉微塵に碎け折れてゐた。あゝ此事だ。一言一兩で高いと思つたが、一兩で生命を買つたと思へばこれはまた餘り安い話だと其男は話した。

 

        (其の二)

 或所に三人の男があつた。これから三年の間うんと働いて金を貯めてお伊勢詣りをすることを相談した。やがて三年目になると二人は金を五十兩づつ貯めて居た。一人は貯めるには貯めたが、其金を寺へ寄進したり、貧乏人に遣つたりして、二人の朋輩が伊勢參宮の旅に出かける時には、懷にたつた三兩しか殘つて居なかつた。それでも約束は約束だからとにかく三人連《さんにんづ》れで村を出立した。

 三人は伊勢の國をさして旅を續けて行くが行くが行つた[やぶちゃん注:ママ。旅行くことが長く続くことや、有意な時間経過を示すための童話などでの常套的強調形。]。そして或町を通りかゝつた。其の町の眞中頃《まんなかごろ》に立派な家があつて、軒下に、「話賣り候」と謂ふ看札《かんさつ》が懸つてあつた。三人はあれや見ろ、廣い國だぢあなア、話賣りの看札があると言つて通つた。すると金を三兩しか持つていない男が、ぢえぢえ待て待て、俺が話を買つて見ると言つて其店へ入つて行つた。申し申しと言つて、一體どんな話を聽かせるものかと思つて居ると、一人の立派な爺樣が出て來て、お前は話を買ひに來たかと訊いた。男は如何にも其話を買ひに來たが、一つ賣つてくれぬかと言ふと、爺樣は話は一つ一兩だ。買いたくばここヘ一兩置けと言つた。男はそんだらと言つて、言ふがまゝに其所ヘ一兩出すと、爺樣は、

   柱の無い所には宿とるな

 と言つた。これが一兩だけの値段の話であつた。男は大枚一兩の話だから何か段物《だんもの》の語物《かたりもの》でも聞かせるのだかと思つて待ち構へて居ると、たつたこれだけの謎のやうな一語《ひとこと》を聽かせられたばかりなので、さつぱり腑に落ちなかつた。それでいま一つ聽かしてケろと言つて、またそこヘ一兩出した。すると爺樣が今度は、

   怪しい物をばよくも見ろ

 と言つた。男はどうせ斯《か》うせ懷《ふところ》にもう一兩あるから、いま一つだけ聽いてみるべと思つで[やぶちゃん注:ママ。]、又一兩出すと今度は、

   堪忍袋の緖を締《しめ》ろ

 と又たつたこれだけを言つた。あとは聽きたくももう金が無いので聽かれぬから、男は其所を出た。そして先きへ行つた二人の朋輩どもに追付《おつつく》くべえと思つて急いで行つた。

 行くが行くが行くと、其うちに日が暮れて四邊が暗くなつて步けなくなつたので、男は其夜は山に野宿をした。朝はやく起きて急いで行くと、自分が泊つた所から程遠くない所に岩窟があつて、そこで二人の朋輩が大きな岩にひしがれて死んで居た。男はそれを見てははア此事だ。俺はよいことをした、あの話賣りの爺樣から話を聞いて來てよかつた。若し三人で來たなら俺もこの岩の下に泊つてこんな風にひツぴしよがれて往生申すところだつた。話賣りの爺樣の、柱の無い所には宿とるなと謂ふことは此事だと思つて、二人の朋輩の屍《しかばね》にねんごろに念佛申して其所を立去つた。

 それからまた行くが行くが行つた。其中に日が暮れた。けれども男の懷には一文も無かつたので、宿屋に泊ることが出來ないから、ぶらめかして居ると、野中の森の中に神樣のぶツかれ御堂《おだう》があつたから、其所へ入つて泊つて居た。ところが丁度其眞夜中頃だと思はれる刻限に、何だか恐しい音を立てて天《そら》を飛んで來る者があつた。何だべと思つて御堂から出て見ると、ピカピカと光る物がウワンと唸《うな》つて來て御堂の前へどさりと墮《お》ちた。すると其所らが眞晝間のやうに明るくなつた。男は膽《きも》をつぶして逃出《にげだ》さうかと思つたが、いや待て暫《しば》し、彼《あ》の話賣りの爺樣は何と言つた。怪しい物をばよくも見ろと言つたではないか、これは氣を落着けてよく見た方がよいと思つて、其光物の墮ちた所へ行つて見ると、これは又何のことは無い山吹色をした黃金塊(コガネダマ)であつた。男は胸をわくめかしてそれを拾つて持つて町へ賣りに行つた。何所《どこ》でも彼所《かしこ》でも餘りな寶物《たからもの》に驚いて値段さへもつけられなかつた。そのうちにある長者どんがあつて、其金塊を三千兩に買ひ取つた。そしてお前はこれから何處へ行くのだと訊くので、男は俺はこれから伊勢參宮に行く者だと言つた。するとそれではこんな大金を持つて一人旅をしては途中掏摸《すり》やごまの蠅などがうるさかんべから此男を伴《とも》に連れて行けと言つて家來を一人附けてくれた。男は宿屋に着けば金箱《かね》をば旦那に預けて置き、もとより心の大量《たいりやう》[やぶちゃん注:度量が大きいこと。心が広いこと。]な男だから心付け手當も餘分にやるので、宿屋でも他の客人よりも大事にしてくれるので至極平安無事に旅を續けて、首尾よく伊勢詣を濟ませて家に還つた。

 男が家へ歸つて見ると、玄關の戶が締まつて居た。はて不思議だなと思つて、さげしむ[やぶちゃん注:「蔑む・貶む」だが、ここは、特異的に「怪しく思う」ことを言っている。]と中で何かずんづむんずという話聲がしている。はて怪(アヤ)しいと思つて窃《そ》つと近寄つて戶の𨻶間から内を覗いて見ると、常居の爐(ヒボト)の橫座に立派な男が來て座つて居た。それに自分の女房が其側《そのそば》へ摺寄《すりより》り摺寄りお茶話《ちやばなし》をして居た。そのありさまを見て、男はむかツとして、今にも雨戶を蹴破《けやぶ》つて中へ飛込《とびこ》んで不義の二人を斬殺《きりころ》すべと、脇差の柄《つか》に手をかけたが、いや待て待て、あの話賣り爺樣が何と言つた。堪忍袋の緖を締めろと言つたではないか、このことだと思つて差控《さしひか》へ、それから出來ぬ聲を和げて、嬶《かかあ》やい嬶やい俺は今歸つて來たぜと聲をかけた。するとはいと内で返辭をしたが、中々出迎《でむかへ》にも、出て來なかつた。男はははア彼《あ》の男を何所へか隱すのだなと思つて居ると、稍《やや》暫時《しばらく》してから、やつと女房が出て來た。そしてさもさも懷かしさうに頻りに夫《をつと》に何やかにやと言葉をかけた。けれども男は何をこの不義者《ふぎもの》めがと謂ふ心があるものだから、一向面白くなかつた。内へ上《あが》つてからも早く彼《あの》男を出して遣ればよい、出て行けばよいと思つて、用も無い裏へ入つたり[やぶちゃん注:ここは「行つたり」の方が躓かない気がする。]などして𨻶を作つても、その度每《たびごと》に女房が附纏《つきまと》ふて離れなかつた。男は俺はこんなに有餘《ありあま》る程の大金を持ち歸つて、自分も喜び家内にも喜ばせたいと思へばこそ、こんな苦しい思ひをするのだ。それをさとらぬかと思つて、また常居《とこゐ》に戾つた。やがて夜になつた。夜も更けて寢ることになつた。床へ入つてから男はとても堪《たま》りかねて晝間見たことを話して、早くあの男を外へ出して遣つてケろ。さうしたら俺は何事も言はないからと言ふと、女房は容《かたち》を改めて、それではお前は彼《あの》男を見たのか、道理でどうも樣子が變だと思つて居《ゐ》たます。そんなら私も正直に話すが實はあれは人間ではないと言ふ。ほだら彼(ア)れは何だと男も面白くなくて聽くと、女房は、あれはお前の留守の中《うち》は私も未だ若い者だから近所の人達から侮《あなど》られたり、又惡戲《わるふざけ》をされたりしては、お前に申し譯が立たないと思つて、實は人形を作つてあゝ衣物《きもの》を着せて、いつもあゝ謂ふ風に橫座に座らせて置き、私がお茶や何かをすゝめるやうに見せかけて居《ゐ》ましたと言つた。それを聞いて男は初めて女房の心が訣《わか》り、かへつて自分の心持ちを言譯《いひわけ》して、其夜は睦《むつま》じく寢た。それも之も皆彼《あ》の話賣りの爺樣のお蔭である。これこの通り俺は黃金《こがね》も持つて來たと云ふて、其一伍一什《いちごいちじふ》[やぶちゃん注:「一部始終」に同じ。]を物語つた。そして男は近鄕切つての長者になつた。(村の大洞犬松爺の話の一〇。大正十二年十一月三日聽取の分。)

[やぶちゃん注:最後の附記が本文の後に続いているのはママ。]

梅崎春生「つむじ風」(その18) 「泥仕合」

[やぶちゃん注:本篇の初出・底本・凡例その他は初回を見られたい。なお、本章は最終章の前で、かなり長い。文中の「」の太字は実際の太字であって、傍点ではない。]

 

     泥 仕 合

 

 三吉湯と泉湯の確執は、今や完全な泥仕合の領域に入った。

 三吉湯が同調して、湯銭を十二円に下げてから五日目に、十円に値下げの宜言文が、泉湯の玄関にでかでかと貼り出された。

 直ちに三吉湯は、それに呼応して、十円に値下げを発表した。

 それから一週間目に、泉湯玄関の宜言文中の『十円』の文字が『八円』と訂正された。

 するとその翌日、追随するばかりでは不甲斐なしと思ったのか、三吉湯は『七円』に値下げを断行した。浅利圭介支配人の献策であろう。

 翌々日、泉湯は『五円』に値下げ。

 即日、三吉湯も同調。

 両湯とも、五円の湯銭を保持しながら、そのまま一週間が経過した。これ以上値下げすると、消耗(しょうもう)度がはげしくて、とても持久戦は出来ない。

 よろこんだのは近所合壁、界隈(かいわい)の人たちである。それはそうだろう。三分の一の値段で入湯出来るのだから、よろこばない筈がない。

[やぶちゃん注:「近所合壁」(きんじょがっぺき)は「近くの家々」「隣近所」の意。「合壁」は「壁一枚を隔てた隣家」のこと。因みに、中世・近世は「かつぺき(かっぺき)」と読んだ。]

 今まで隔日に入湯していた人も、毎日入湯するようになり、毎日入湯の人は、一日二回もやって来るという現象を呈した。

 その結果、ここら一帯の住民たちは、非常に清潔となり、皆石鹸の匂いをぷんぷんさせて、ほがらかに街を歩いた。

 ここら区域の小学校の生徒たちも、衛生状態がぐんと良好になり、病欠者の数が激減した。医者は暇になり、石鹸屋は儲(もう)けた。

 三分の一に値下げしただけで、このような顕著な影響があらわれるのであるから、いかに日本人と銭湯とが密接な関係にあるかが判る。

「泉湯が五円だとよ」

「三吉湯もそうだとよ」

 噂は次々拡がって、他の地区からもどしどしと押し寄せ、中にはバスや都電に乗って来る粋狂なのもいて、両湯とも千客万来の状況であった。千客万来だとはいえ、湯銭が五円だから、とても黒字というわけには行かない。

 困ったり怒ったりしたのは、近接している銭湯たちである。お客を皆両湯に吸い取られて、がらがらになってしまった。

 そこで彼等はたまりかねて、東京都浴場組合本部に提訴した。

 組合も放置して置くわけに行かない。直ちに人を派遺して、値下げ中止を申し入れた。

「イヤです。どうしてもとおっしゃるなら、わしは組合を脱退させていただきます」

 重ねて組合理事が勧告に訪問した時、三吉と恵之助は、しめし合わしたわけでもないのに、同じようにそうはねつけた。脱退すると言われては、組合も手がつけようがない。

 そこら界隈の人々が、清潔になり行くにつれて、恵之助も三吉も栄養失調の傾向が強くあらわれてきた。恵之助は痩せ細り、三吉はむくんできた。栄養失調と言っても、体質によって、病状のあらわれ方が違うのである。

 家族たちはどうであるかというと、泉湯においては、息子の竜之助は、時折父親の眼をぬすんで、ヤキトリなどを食べに行くから、失調具合もまださほどではない。

 三吉湯の方は、三吉をのぞくと、あとは皆女性である。女性というものは、生命力が強靭といおうか、あるいは図図しいといおうか、同じものを食っているくせに、なかなか参らないのである。参りかけているのは、男性の三吉だけであった。

 

「竜之助や。ごはんだよ」

 泉恵之助は茶の間から声をかけた。人件費節約上、家事の小女を解雇したから、食事の用意は親子で、一日交代でやることになっている。今日は恵之助老の当番であるが、なにしろおかずが梅干、時たまメザシがつく程度だから、ほとんど手はかからないのである。

「はあい」

 穴だらけの障子の自室から、竜之助はふらふらと茶の間にあるいてきた。うんとこどっこいしょとあぐらをかきながら、恵之助老はいぶかしげに膝を立て、膝頭を指でこつんこつんと弾いた。

「おかしいな。どういうわけか、ここががくがくする」

「栄養が足りないんだよ、栄養が!」

 竜之助ははき出すように言ってチャブ台を見廻した。

「あああ。今晩もまたメザシに梅干か」

「ゼイタクを言うな、ゼイタクを。風呂銭はわずか五円だぞ」

 恵之助は力のない声でそうたしなめながら、焼酎の二合瓶をとり上げた。息子の当番の時はあきらめているが、自分の当番の時は、恵之助は晩酌を忘れないのである。

「さあ。お前にも一杯行こう」

「焼酎なんか飲んでる時じゃないよ」

 そう言いながらも、竜之助は湯吞をにゅっと突き出した。

「いい加減に湯銭を十五円に戻して、マグロのトロでも食べようよ」

「マグロのトロ。ううん」

 恵之助はうなった。トロという言葉を耳にしただけでも、ぐんと胃にこたえて来るのである。

「そうだよ。マグロのトロ!」

 竜之助は言葉に力をこめた。

「おいしいよう。口の中でとろとろと溶けるようなのをさ」

「そういうわけには行かない」

 誘惑をふり切るように、恵之助はチャブ台をどしんと叩いた。

「三吉の野郎が値上げしないのに、このわしばかりが値上げ出来るか!」

「しかしねえ、お父さん」

 竜之助は湯吞をなめながら、父親の顔をうかがった。

「五円のままでにらみ合っていては、結局両方は共だおれになると思うんだよ。それじゃあ、つまらないじゃないの」

「共だおれになってもかまわない。向うが先に手を出したんだ」

「そうじゃないよ。お父さんの方が、先に手を出したんだよ」

 竜之助は熱心な口調になった。

「お父さんが先に、十二円に下げたんだよ」

「そりゃいかにもわしが先に、十二円に下げた」

 恵之助はがくんとうなずいた。

「しかし、何故十二円に下げたかというと、向うが新築を始めたからだ。新築さえ始めなきゃ、わしは値下げをやらないぞ」

「では、新築を中止したら、お父さんは十五円に戻す?」

「戻すよ。しかし、もう半分出来上ってるんだから、いくら三吉の野郎が前非を悔いても、中止というわけには行くまい」

「だからさ。あれが風呂屋にならなきゃいいんだろ」

「風呂屋にならなきゃ、何になるんだ?」

「たとえば、劇場か何かにさ」

 

「劇場? 芝居小屋か」

 泉恵之助は顔を上げ、息子に反問した。

「芝居小屋とはまた突拍子(とっぴょうし)もないことを言い出したもんだな」

「突拍子もあるよ」

 湯吞をぐっとあおって、竜之助は口答えをした。

「風呂屋と劇場とは、建築学上、類似した点が非常に多いんだよ」

「ふふん」

 恵之助も湯吞を傾けながら、鼻の先で冷笑した。

「あんなところに芝居小屋をつくって、客が入って来るもんか」

「客が入ったって入らなくたって、かまわないんだよ。貸劇場にして、貨し賃を取るんだから」

 竜之助はおのずから熱心な口調となった。

「今は、東京だけで、劇団の数が四十いくつあるんだよ。それに対して、劇場の数は寥々(りょうりょう)たるもんだし、第一に劇場代が高い。だからあの新築中の三吉劇場、いや、三吉湯を劇場にして、適正な値段で貸せば、いくらでも借り手はあると思うんだよ」

「いやにお前は熱心だな」

 いぶかるような視線で、父親は息子を見た。

「いくらお前が力んでも、三吉がその気にならなきゃ、何にもならないじゃないか」

「うん。そこなんだよ」

 空き腹に焼酎が廻ったのか、竜之助の口調には勢がついた。

「あの三吉湯ね、実は三吉おじさんは建てる気はなかったんだよ」

「なに? 建てる気はなかっただと?」

「そうなんだよ。あの土地をハナコおばさんが、へそくりで買っといたんだって。だから三吉おじさんも、遊ばせとくのは勿体(もったい)ないって、余儀なく建て始めたんだってさ」

「お前、三吉湯の内部のことを、実によく知ってるな」

 恵之助はじろりと息子の顔をにらんだ。

「スパイでも入れてあるのか?」

「じょ、じょうだんでしょう」

 竜之助は狼狽の色を見せた。

「だからさ、持ちかけようによっては、三吉おじさんも賛成して呉れると思うんだ」

「新築は今、どのくらい進行している?」

「この頃工事してないようだよ。金が続かないんでしょう」

「ううん。ざまあ見やがれ」

 恵之助はうなって、腕を組んだ。

「現場のもようをわしも見に行きたいが、なぜか近頃膝ががくがくして、歩きづらい。お前、明日でも一走りして、写真を撮って来て呉れ。そうすればわしは、動かずに済むから」

「写真?」

 竜之助は頭に手をやり、困感した声を出した。

「カメラが今、手元にないんだよ」

「どうしたんだ?」

「陣太郎さんに貸したら、戻して呉れないんだよ」

「戻して呉れない? そりゃ困るじゃないか。ひったくってでも取戻して来い」

「手元に持ってないと言うんだよ」

 竜之助は情なさそうに声を慄わせた。

「確実なる某所に預けてあると言うんだ」

「確実なる某所?」

 恵之助は眼を剝いた。

「まさか一六銀行じゃあるまいな」

 

「いくらオサツが安いからといって、焼芋と納豆とは妙な取り合わせねえ」

 猿沢家の娘部屋で、ごろりと畳に寝そべりながら、長女の一子が妹の二美に言った。

「それに夕飯じゃないの。おやつに焼芋と言うのなら判るけど」

「ほんとにそうよ」

 二美も並んで寝そべりながら、相槌(あいづち)を打った。

「近頃、あたし、なんだか身体がだるいわ。姉さんも近頃、美容体操をやらなくなったわねえ」

「あたしだってだるいのよ」

 そう言いながら一子は、脚を上げて体操の形をしようとしたが、すぐにだるそうに元の姿勢に戻った。

「ほんとにお父さんの頑固には困るわねえ。値下げ競争なんて、まったくイミないよ。竜ちゃんも近頃は、ひょろひょろしてるわ」

「竜ちゃんはボディビル、まだやってるの?」

「やりたいんだけど、バーベルが持ち上らなくなったってさ」

 憂わしげに一子は答えた。

「梅干とメザシでは、持ち上らないのも当然よ」

「ふだんでも竜ちゃんはひょろひょろしてるのに、梅干とメザシではねえ」

 二美も同情的な口をきいた。

「では、姉さんたちも、恋愛のエネルギーは出ないでしょうねえ。抱擁だの接吻だの――」

「また生意気を言う!」

 一子は寝がえりを打って妹をたしなめた。

「まだ十六やそこらのくせに、余計な心配をするんじゃないよ」

「心配するわよ」

 二美は口答えをした。

「うちのお父さんも頑固だけれど、泉のおじさんも頑固ねえ。一体どういう気持で張り合ってるのかしら」

「実際近頃の大人の気持は判らないよ」

 一子は元の声になった。妹の生意気を怒る気持も、エネルギー不足のために、持続しないものらしい。

「竜ちゃんの話では、泉のおじさんも近頃、膝がガクガクするって、不思議がっているそうよ。栄養失調にきまってるわねえ」

「そうよ、うちのお父さんだってこの頃妙にむくんで来たでしょう。あれ、やっぱり、サツマイモの関係よ」

 慨嘆にたえないような声を二美は出した。

「それにさ、日が落ちてうす暗くなると、新聞の字がうまく読めない、老眼がひどくなった、なんて騒いだりしてるの。老眼なんかじゃあないわねえ」

「そうよ。もちろん栄養失調よ」

 一子は声に力をこめて断定した。

「栄養失調にまでなって張り合うなんて、お父さんはどんな気持かしら。新築の方も建ちかけたまま放ってあるし――」

「放ってあるからこそ、あいびきが出来るんじゃないの」

「また生意気を言う!」

 一子はまた眼を三角にした。

「そんなむだ口をきく暇があったら、そっと茶の間に行って、お父さんたちがどんな話をしてるか、そっと聞いておいで」

「はい」

 二美は素直に、はずみをつけて起き上った。

 

 猿沢家の茶の間では夕飯の後かたづけの済んだあと、猿沢三吉は畳に腹這いになり、妻のハナコから指圧療法を受けていた。レスリングなんかを練習している関係上、ハナコの指の力は相当に強く指圧には持ってこいなのである。

「あなた、血圧の具合は、近頃どう?」

 亭主の首筋をぐいぐい押しながら、ハナコは訊ねた。

「近頃、食事が食事だから、具合がいいんじゃない?」

「うん」

 首筋をぐりぐりやられて、顔をしかめながら三吉は答えた。

「あまり具合はよくない」

「あら、何故でしょう。よくなる筈よ。脂肪と食塩のとり過ぎということがなくなったんだから」

「うん。でも、どうも身体がだるいし、急に立ち上ると、めまいがしたりするんだ」

 三吉はまた顔をしかめた。

「もっともこれは、血圧のせいじゃなくて、動物性蛋白質とビタミンの不足、それから来てるんじゃないかと、わしはにらんでいる」

「でも、食費が一日六十円ではねえ」

 ハナコの指は首筋から、背骨の方に下降した。

「とても蛋白質やビタミンを充分に、というわけには行かないわ」

「それもそうだなあ」

 茶の間の外の廊下を、次女の二美が足音を忍ばせて歩いてきた。障子のかげに立ち止って、耳のうしろに掌をあてがい、聞き耳を立てた。

「湯銭の五円は、当分続きそうなの?」

 ハナコは三吉の胃の裏側を、ぐりぐりと押した。

「娘たちも、そろそろ参ってきたらしいわよ。育ち盛りだから、どうにかしてやらなくちゃ」

「その点はわしもいろいろと考えてはいるが、泉湯のやつが、まだへたばりやがらない」

 三吉は無念げに畳をかきむしった。

「泉湯をぶったおすには、いろいろ考えたが、早く新築を仕上げる他に手はない。あれが最後のきめ手だ」

「新築を仕上げるって、金はどうするの?」

「そ、それが頭痛のたねなんだ」

「上風さんはダメなの?」

「うん。ダメらしい。あそこの運ちゃんたちが、事故ばかりおこして、弔慰金がかかって仕様がないんだってさ」

「それじゃあ困るわねえ」

 ハナコは指を休めて嘆息した。

「金都合が出来なきゃ、新築は建たない。新築が建たなきゃ、いつまでも泉湯が頑張る。泉湯が頑張れば、食費六十円がいつまでも続く。これじゃあとても、あたしはやって行けないわ」

「うん」

 三吉は面目なさそうに、畳に額をこすりつけた。

「最後の手段がひとつだけ残っている」

「どんな手段?」

「あの松平陣太郎という青年な、あれに一子をめあわしたらどうだろう」

「え? 一子を陣太郎さんに?」

「うん。それで陣太郎君を、本邸に復帰させるのだ。本邸に戻れば、陣太郎君は大金持だ。風呂屋の新築費ぐらい、いくらでも出して呉れるだろう」

 

「一子を陣太郎さんにねえ」

 あんまり唐突な提案だったらしく、ハナコはふうと吐息をもらした。

「でもねえ、まだ早くはない? 一子はまだ二十歳だし」

「二十歳といえば、もう子供じゃない。もっと揉(も)んで呉れえ」

 三吉は顔をねじ向けて、指圧を催促した。

「それにお前はこの間、一子が恋わずらいをしてるらしいと、わしに報告したではないか。へんな恋わずらいをされるより、この際思い切って陣太郎君に――」

「あの陣太郎さんって人、なにかふわふわしてるみたいで、あたし信用出来ないわ」

 三吉の背骨をぐりぐり押しながら、ハナコは言った。

「何か足が地についていない感じね」

「そりゃ家出中だからだ。家出をすれば、誰だって足が地につかない」

 茶の間の外の廊下では、二美が両掌を耳のうしろにあてがい、姉上の一大事とばかり、眼を丸くして、聞き耳を立てていた。

「家出中で、金もないから、ちょっとぐれたようなところもあるが、邸に戻ればちゃんとした若様だからな。相続でもすれば、おっとりと落着くよ。そうすれば一子も令夫人だ」

「邸はどこにあるの?」

「うん。なんでも世田谷の方だと言ってた」

 ハナコの指が急所のツボをぎゅっと押したので、三吉はウッと声を出した。

「家令なんかも使って、相当の邸らしいよ。刀なんかも沢山あって、一本売れば百万円ぐらいになるんだってよ」

「でも、陣太郎さんは、邸に戻ろうという心算(つもり)はあるの?」

「うん。そこが問題なんだ」

 また指圧が利いたらしく、三吉の手は畳をかきむしった。

「帰邸して、相続するんじゃなきゃ、一子をやるわけには行かんな。一子をやるから、直ちに帰邸しろと、勧告してみるか」

 二美は足音を忍ばせ、足をひょいひょい上げる歩き方で廊下を歩き、娘部屋に戻ってきた。一子は相変らず畳に寝そべり、鼻歌でシャンソンをうたっていた。

「お姉さん。たいへんよ!」

「何がたいへんだい?」

「お姉さんと竜ちゃん、ますます悲恋になるわよ」

 二美も一子に並んで寝そべった。

「また生意気を言う!」

 一子はだるそうに舌打ちをした。

「一どうしたんだい?」

「お父さんがね、お姉さんのことを――」

 二美は声を低めた。

「陣太郎君とめあわせるんだってさ」

「陣太郎君と?」

 さすがに驚愕して、一子はむっくり起き直った。

「そんなムチャな。ひとの気も知らないで。一体お父さんは、どういうつもりで、あたしをあの魚男とめあわせようというの?」

「あの魚男の本邸から、金をひき出して、早いとこ新築しようと言うのよ。金のために引き裂かれるなんて、いよいよもってお姉さんと竜ちゃん、可哀そうねえ」

「引き裂かれてたまるかってんだ」

 一子は眉をつり上げて、伝法なたんかを切った。

「よし、あたし、今から出かけて、竜ちゃんに相談してくるわ」

 

「それからもう一つあるんだ」

 ハナコに背骨を押されながら、三吉の声は沈痛になった。

「お前にはまだ話してなかったが、わしの曽祖父(ひいじいさん)さんが、わしの子供の時、そっと話して呉れたことがある」

「どんなことを?」

「曽祖父さんの曽祖父さん、つまりわしから六代前の御先祖さまだな」

 三吉は肥った首を左右に動かして、声を低めた。

「その六代前さまのお尻にだな、尻尾が生えてたと言うんだ」

「シッポ?」

「しっ。声が高い」

 三吉はあわててたしなめた。

「うん。ごく短い尻尾だ。その六代前さまから、わしの家の系図が始まっているらしいのだ」

「すると、それから前は?」

 ハナコの手はそっと三吉の尻に伸びた。それと知って三吉は、腹立たしげにハナコの手をはらいのけた。

「わしにはない!」

「いえ。ここを揉んで上げようと思ったのよ」

「人間が動物から進化したということは、これはもう定説であり、常識になっている。わしの家は、その、つまり、進化の時期がすこし遅れたんだ」

「いくらなんでも、六代前とは、そりゃ少し遅れ過ぎてますよ」

 三吉の尻を指圧しながら、ハナコは長嘆息した。

「あなたの曽祖父さんが、子供のあなたをからかったんじゃない?」

「うん。そうかも知れん。曽祖父さんはひょうきんな人だったと言うから」

 三吉は救いを得た如く合点々々をした。

「でもわしは、それ以来、どうもそれがコンプレックスになっていて、だから泉湯の野郎に山猿呼ばわりをされると、むらむらっと腹が立つのだ」

「そうねえ。泉湯さんも口が悪いからねえ」

「だから、泉湯の野郎が、あれを取消さない限り、わしも絶対にあとには退けない。これはもう損得の問題じゃない。な、お前にも判るだろう」

「判りますよ。判りますけれど、いつまでも芋飯に納豆とは――」

 言いかけてハナコははらはらと落涙した。

「泣くな!」

 三吉は頭をもたげて怒った。

「不吉の涙を、わしに見せるな!」

「はい」

 ハナコは気を取り直して、指圧を再開した。

「だからな、わしの家系には、野性の血が充ちあふれている。あふれ過ぎているくらいだ」

 三吉は説き聞かせる口調になった。

「陣太郎君とめあわせようというのも、そこを考えてのことなのだ。なにしろ、松平家といえば、家柄も古いし、したがって進化も早かったのだろう。家柄が古いから、純粋じゃあるだろうが、血の中に野性味は失われてるだろう。だから、わしんちと一緒になれば、丁度いいのだ」

「でも、陣太郎さんは、それほど純粋かしら?」

 ハナコは疑問を出した。

「どうもあの人は粗野な感じがするわ」

[やぶちゃん注:尻尾様のものがあるヒトのケースは、ある。「先祖返り」などと言われるが、昔、医学雑誌の写真で、本邦の幼児の臀部の上に垂れているそれを見たこともある。サイト「とんだ勘違いらぼ」の「尻尾のある人はいる?尻尾がある人は意外と多かった。」が参考になろう。信じられない方は、画像有りを覚悟の上で、サイト「ナゾロジー」の『メキシコで「尻尾の生えた女児」の誕生が報告される』(二〇二二年十二月一日の記事)を見られたい。]

 

 ネッカチーフで頰かむりして、猿沢一子は暗い夜道をとっとっと急いでいた。かねての栄養不足で、とかく小石につまずきそうになりながら、やっと泉宅のくぐり戸にたどりついた。

「神様。泉のおじさまに見付けられませぬように」

 一子は心に念じながら、そっとくぐり戸をあけ、中に忍び入った。足音を立てないようにして、裏手に廻った。

 泉竜之助の部屋には燈がともっていた。

 窓辺に顔をすりよせ、一子は曇りガラスをこつこつと叩いた。内から声がした。

「誰だ?」

「しっ!」

 一子は指を后にあてた。

「あたしよ。一子よ」

「え? 一ちゃん?」

 竜之助もびっくりしたらしく、声をひそめた。燈がぱっと消され、窓が内側からそっと開かれた。

「ど、どんな用事だい?」

 竜之助は窓から半身を乗り出してどもった。

「何か兇(わる)いことでも起きたのか?」

「竜ちゃん!」

 一子は手探りでいきなり竜之助の頭に抱きつき、熱っぽくささやいた。そのために竜之助の身体はあやうくすってんころりと庭に落ちかかった。

「あ、あぶない!」

 窓枠にしがみついて、竜之助は思わず大声を立てた。

「しっ!」

 二人はそのまま、闇の中で耳をするどくして、茶の間の方の気配をうかがっていた。しかし茶の間の方ではこととも音はしなかった。

「おじさま、いらっしゃるの?」

「いるんだよ。だから声を低くして」

 真の闇の中で二つの唇は、あたかもレーダーでも具えているかの如く、相手の所在を感知して接近した。恋というものは実に不思議な力を人間に与えるものである。

「竜ちゃん。たいへんなことが起きたのよ」

 やがて肩を引き離して、一子は悲しげな声でささやいた。

「お父さんが、あたしのことをね、陣太郎にめあわせるんだって」

「え? 陣太郎さんに?」

「そうなのよ」

「そ、それは、一体、どういうつもりなんだ」

 竜之助の声は怒りを帯びて慄えた。

「三吉おじさんが君に直接そう言ったのか」

「あたしに直接ではないの。そんな話をしてるのを、二美がぬすみ聞きしたのよ」

「ぬすみ聞き? じゃ、まだ本式の話じゃないんだね」

 竜之助はやや安心した声になった。

「どういうことから三吉おじさんは、そんな気になったんだろう」

「新築がはかどらないものだから、お父さんはいらいらしてるのよ。だからあたしを、陣太郎にめあわせて、松平家から建築資金を――」

「そ、それじゃあまるで金色夜叉じゃないか。まさか君はお宮みたいに――」

「松平家なんかに行くもんですか!」

 心外な、といった言い方を一子はした。

「あたしは竜ちゃんのものよ。誰があんな魚みたいな男のとこに行くもんですか。誰が!」

 

「手切金? その取立てを、このおれにやって呉れと言うのか?――」

 陣太郎はびっくりしたように反問した。

「そうよ」

 真知子は可愛くうなずいた。

「だって、二号生活をしながら学問をやるのは、いけないことだ、筋違いだ、ニセモノの生活だと、そちらから言い出したんじゃないの。そちらで責任を持つべきよ」

 富士見アパートの二階の真知子の部屋で、チャブ台をさしはさんで、真知子と陣太郎は南京豆をサカナにして、ウィスキーのグラスをかたむけていた。引越当初に附段で衝突、トーストを御馳走になったのをきっかけにして、陣太郎はれいによって、うまいこと真知子と接触を深めて行ったものらしい。

「陣ちゃんがそんなに言うもんだから、あたし、二号生活を清算する気になったのよ。でも、清算すれば、たちまち学資に困るじゃないの」

「自分で切り出せばいいじゃないか」

 陣太郎はまぶしそうな顔になって、ぐっとグラスをあおった。

「切り出したんだけど、なかなかうんと言わないのよ」

 真知子はいらだたしげに、チャブ台をぽんと叩いた。

「じゃあ奥様んとこにいただきに行くとおどすと、たちまちまっさおになって、平蜘蛛(ひらぐも)のようになっちまうの。ひどい恐妻家よ」

「では実際に、奥さんとこに貰いに行けばいいじゃないか」

 陣太郎はとぼけた表情をつくった。

「おれをわずらわすことはなかろう」

「でもね、奥様んとこに貰いに行けば、てんやわんやになって、あぶはち取らずになって、元も子もなくなると思うのよ。だからどうしても交渉は、第三者の方がいいのよ」

「手切金って、どのくらい欲しいんだい?」

「あたし、六月分と切り出したのよ。つまり六万円ね」

「六ヵ月分? そりゃあムチャだよ」

 酔いで赤らんだ額をたたいて、陣太郎は嘆息した。

「まあ三ヵ月分というところだな、それならおれは引受けるよ。ことに彼氏は只今、値下げ競争で困ってる最中だし――」

「おや?」

 真知子はいぶかしげな視線を、するどく陣太郎に投げた。

「陣ちゃんは猿沢を知ってるの? 何故知ってるの? 値下げ競争のことまで」

「いや、なに、えヘヘ」

 陣太郎は笑いで失言をごまかそうとした。

「どうしたのさ。どうして知ってるのさ」

 真知子はぐいと膝を乗り出した。

「き、きみから、そんな話を聞いた。聞いたような気がする」

「そんな話、あたしは陣ちゃんに、一度もしませんよ!」

 真知子は眼を大きく見開いて、まっすぐ陣太郎を見つめた。

「陣ちゃん。顔を上げて、あたしの顔を見なさい」

 陣太郎の口辺から、笑いのかげが消えた。悪びれずに、まっすぐ顔を上げた。真知子はまばたきもせず言った。

「なぜ?」

 にらみ合ったまま、三十秒ほど経った。陣太郎はしずかに口を開いた。

「君を好きになったからだ」

 

「好きになったって? あたしのことを?」

 虚をつかれたと見えて、真知子は声の調子を狂わせた。

「そうだよ」

 陣太郎は落着きはらって答えた。

「だから君の旦那のことを、そっと内偵してみたのだ。そして、どうすればあの猿沢三吉から、君を奪取出来るか――」

「あたしを好きになったって、何時から?」

 真知子はほのぼのと顔をあからめていた。アルサロだの二号だのを経験していても、根は純情なのであろう。

「あたしのどこを、陣ちゃんは好きなの? あたしって、筋違いよ。ニセモノよ。インチキよ。だって陣ちゃんが今さっき、そう断定したんじゃないの」

「いや、君はまるまるインチキじゃない。ちょっと筋が違っているだけだ」

 陣太郎の口調は熱を帯びた。

「おれは君のような生き方が好きなんだ。顔や形は問題じゃない。ひとりぼっちで、大風の中をさからって歩いて行くような、君のその鮮烈な生き方が好きなのだ。さあ、飲もう」

 陣太郎は真知子のグラスに、とくとくとウィスキーをみたしてやった。

「ただ君は、ちょっと筋違いをしてるために、鮮烈が鮮烈そのものでなくなって、ぼやけてしまっているんだ。鮮烈な生き方が出来る筈なのに、愚劣な日常に自分を埋没させてしまっているんだ。一葉論を仕上げるために、三吉おやじの世話になるなんて、何だかばかばかしいとは思わないか」

「だって、卒業までだもの」

 真知子はグラスをあおった。

「卒業したら、そこからあたしの新しい本当の人生が始まるのよ。それまでは歯を食いしばって、辛抱して――」

「そんな理窟があるか!」

 陣太郎は激しくチャブ台をひっぱたいた。

「人間というものはだね、現在生きている瞬間々々を、完全に、フルに、生きなくちゃいけないんだ。今生きている現在の瞬間が、自己表現の場なんだ。君は今、自己表現を怠けている。鮮烈に自己を表現していない。すなわち君は、生きながら、死んでいる!」

「では、陣ちゃんは?」

 真知子の声は慄えた。

「陣ちゃんは完璧に生きてるの? 自己表現をしているの?」

「している!」

 陣太郎は胸板をどんと叩いた。

「おれはおれなりに、立派に自己を表現している。おれにとって、これ以外に生き方はない、という生き方をしている!」

「それは、家出をして、生活しているということ?」

「家出? 家出なんか問題じゃない」

 陣太郎の声は急に重く、かつ暗くなった。

「家出なんてものは、問題の本質から言うと、末の末だ。家出したって、しなくづたって、どっちだっていいんだ」

「じゃあ、あたし、どんな生き方をしたらいいの?」

 真知子の態度は急に弱々しくなり、眼は不安げにまたたいた。

「どうしたらいいの。教えて」

「こうしたらいいんだ」

 陣太郎は蟹(かに)のように横に這って、チャブ台を廻った。真知子の肩に手をかけて、引き寄せた。真知子の身体はずるずると陣太郎の膝にくずれた。

 

 泉竜之助は長身の背を曲げ、とっとっと夜道を急いでいた。富士見アパートの前まで来ると、立ち止って二階を見上げた。

「おや、電燈がついてない。留守かな」

 がっかりしたように竜之助はつぶやいた。

「またヤキトリキャバレーにでも行ったのかな。とにかく上ってみよう」

 竜之助は玄関に入り、とことこと階段を登った。階段を登り切った時、丁度(ちょうど)真知子の部屋から出てきた陣太郎と、ぱったり顔を合わせた。

「陣太郎さん」

「ああ、竜之助君か。何か用事か。まあおれの部屋に行こう」

 陣太郎はウィスキーの瓶をぶらぶらさせながら先に立ち、部屋に入った。スイッチを入れ、電燈をつけた。竜之助もつづいて部屋に入った。

「いい御身分ですなあ。ウィスキーなんかを飲んで」

 竜之助はうらやましそうに嘆息しながら、陣太郎と向き合って坐った。

「僕んとこなんか、焼酎ですよ。それも親爺の御相伴(ごしょうばん)で、ほんのちょっぴり」

「しけてるな、君んとこは」

 湯吞二箇を陣太郎は畳に置いた。

「そしてサカナは相変らずメザシか」

「そうですよ。メザシに梅干」

 竜之助はタンと舌を鳴らし、旨そうに湯吞を舐(な)めて、陣太郎の顔を見た。

「おや。陣太郎さんの唇、今夜はいやに赤いですね。ウィスキーのせいかな?」

「なに。唇が赤い?」

 陣太郎は少々狼狽して、手首で唇をこすった。真知子の唇からうつった口紅が、その手首にあかい縞をつけた。

「こ、これは何でもない」

 さすがの陣太郎もどもって、それをごまかすために、怒ったような声を出した。

「一体何の用事だい?」

「いろいろ用事はあるんですがね」

 また竜之助は湯吞を傾けた。

「つかぬことをお伺いしますが、陣太郎さんは現在、世田谷の本邸に戻る意志はあるんですか、ないんですか?」

「本邸?」

 警戒したように、陣太郎は上目で竜之助を見た。

「どうしてそんなことを聞くんだ?」

「いや、ただちょっと」

「戻る気はないよ。戻ると十一条家の娘と見合いをさせられる」

「見合いがイヤだというのは、十一条家の娘が嫌いなんですか。それとも――」

 竜之助の声は真剣味を帯びた。

「それとも、女一般が嫌いなんですか?」

「女一般? 女一般はおれは大好きだよ」

「では十一条家以外の女と結婚する、ということはあり得ますね」

「それはあり得るだろう」

 陣太郎も悠然と湯吞を取上げた。

「近い中にある女性と、おれは一緒になるかも知れない」

「ある女性?」

 竜之助はごそごそと膝を乗り出した。

「そ、それはどんな女性です? まさか僕の知ってる女性じゃないでしょうね、たとえば、猿沢一子」

「ああ、一子か。あんなチンピラ小娘は、おれの好みに合わん。頼まれたって、おことわりするよ」

 

「チンピラ小娘は好みに合わん、ですか」

 自分の恋人をチンピラ呼ばわりされて、竜之助はにこにこと満悦顔になった。

「とすれば、ある女性と言うのは?」

「それは君と関係ない」

 ぴしりときめつけて、陣太郎は湯吞を下に置き、ぽんと膝をたたいた。

「ああ、そうだ。クイズの文案をつくって置いたよ」

「クイズの文案?」

「そうだよ。こいつは強力だよ」

 リュックサックの中から、陣太郎はごそごそと一枚の紙を取出した。

「さあ、これだ。最後の切札だ」

「もうクイズはいいんですよ。湯銭が五円で、クイズなんか出せるもんですか」

「このクイズは店に貼り出すんじゃないよ。そんなちゃちなものと違う。特別製だ」

 陣太郎はひらひらと紙片を振った。

「これは三吉おやじに見せるためのものだ。これを見せさえすれば、三吉おやじはたちまちへなへなになってしまう。三吉おやじを蛇とすれば、これはナメクジだ」

「どれどれ」

 興をもよおしたらしく、竜之助はその紙を受取った。眼を据えた。

 

 □□□□っているそのを真子という太郎

 

「何です、これは?」

 竜之助は首をかしげた。

「すこし伏字が多過ぎやしませんか。最後の太郎というのは?」

「それはすぐ判るだろう。陣太郎だよ」

「では、真□子というのは?」

「そんなに一々教えてやるわけには行かない」

 陣太郎はそっぽを向いた。

「君が読めないでも、三吉おやじにはすぐ読めるのだ」

「では、早速三吉おじさんに見せて、ためして見ましょう」

「早速ためして見ろと、おれは言わないぞ」

 陣太郎は声を険しくした。

「このクイズはだな、劇薬みたいなものだから、使いようによっては薬にもなり、毒ともなるのだ。使用の時期は、おれが指定する、おれがよしと言うまで、絶対に使ってはいけないよ。それまでは大切に、ポケットにしまって置け」

「使っちゃいけないんですか」

 竜之助は不服そうに頰をふくらませ、紙片をたたんで内ポケットに入れた。

「アッ、そうそう。それからね、うちの親爺がね、新築の進行状態を知りたいから、陣太郎さんから早速取り返して来いと言うんですよ」

「何をだ?」

「そらっとぼけちゃダメですよ。カメラですよ」

「カメラ?」

 陣太郎は視線をうろうろさせた。

「まだ覚えてるのか」

「覚えてますよ。忘れるもんですか!」

 竜之助は声を大にした。

「一体どこに置いてあるのです? 確実な某所だなんて、まさか一六銀行じゃないでしょうね」

「御名答。そのものずばりだ!」

 陣太郎は会心の微笑とともに、膝をポンとたたいた。

「おれの秘書になって以来、君もなかなかカンが良くなったなあ。大したもんだ」

 

「大したものだなんて、そんな勝手な!」

 泉竜之助はたちまちふくれっ面になった。

「あれは僕のカメラですよ。五万円もするんですよ。それを僕に無断で、質に入れるなんて」

「まあ待て。そのうちに出してやる」

 陣太郎は左手で、いきり立つ竜之助を押しとどめ、右手で悠然と湯吞を口に持って行った。

「強力なクイズをつくってやったじゃないか。それに免じて、五日か六日まて」

「クイズはクイズ、カメラはカメラです」

 ふくれっ面のまま竜之助は頑張った。

「おやじからきつく言いつかって来たんですよ。ひったくってでも取戻して来いって」

「ひったくろうにも、ここにはないよ」

「どこに置いてあるんです。どこの質屋です?」

「ここだ」

 陣太郎は面倒くさそうに、内ポケットから質札をつまみ出し、ふわりと畳の上に投げた。竜之助はあわててそれをつまみ上げた。

「僕が出すから、お金を下さい」

「なに。質札だけでなく、金まで出せと言うのか」

「そうです。あたり前ですよ」

 竜之助は口をとがらせた。

「元金だけじゃなく、利子の分もですよ」

「金か」

 湯吞を下に置き、陣太郎は腕を組み、鬱然(うつぜん)と首をかたむけた。

「ええ、仕方がない。では、これを加納明治のところに持って行け」

 陣太郎はふたたびリュックサックの口を開き、中から一葉の写真をひっぱり出した。

「これで十万円と吹きかけるんだぞ」

「十万円?」

 竜之助は写真に眼を据えた。

「あ。これは加納さんの日記を撮ったものですね」

「そうだ。十万円と吹きかけると、加納明治はきっと違い棚の置時計をわし摑みにする。その時は五万円にまけてやるのだ」

「だって陣太郎さんはこの間、ネガと引伸ばしで、加納さんからせしめたんでしょ」

「そうだよ。でも、こういうこともあろうかと思って、まだ一ダースばかり引伸し写真がとってあるんだ」

 陣太郎は平然たる表情で、リュックサックを指差した。

「この間は、君のことを、少々悪者にしてある。だから今度は君がおれのことを悪者にしてよろしい。要は五万円をふんだくることだ」

「いやだなあ」

 竜之助は子供の泣きべそみたいな表情になった。

「僕のことを少々悪者にしたって、どんな悪者にしたんです?」

「行けば判るよ。加納が君に若干立腹してることは、行けばすぐに判る。だから今度はおれを悪者にしなさい」

「いやだなあ。僕、ゆすりなんか、あまり性に合わないんですよ」

「ゆすりじゃない。当然の要求だ」

 そして陣太郎はじろりと、探るように竜之助の顔を見た。

「いやなら止めてもいいよ。そのかわりに、おれ、一ちゃんを好きになってやるぞ!」

「ちょ、ちょっとそれは待って下さい」

 竜之助は大狼狽、両掌をにゅっと前に突き出した。

 

 人もすっかり寝しずまった真夜中の十二時、建ちかけ三吉湯の材木のかげに、ネッカチーフで頰かむりした猿沢一子が、じっと身をひそめていた。遠くで犬がベラベラと[やぶちゃん注:ママ。]遠吠えしている。うら若き乙女に怖さ[やぶちゃん注:「こわさ」。]を忘れさせるほど、恋というものは烈しいものであるらしい。

「竜ちゃん。ここよ」

 折しも歩いてくる長身の影を認めて、一子は両掌をメガホンにしてささやいた。

「ここなのよ」

 竜之助は前後左右を見廻し、あたりに人影なしと知るや、さっと背を曲げて材木のかげに走り込んだ。ひしと抱き合って、いつもの如くに唇を合わせた。

「竜ちゃん。ウィスキーを飲んだのね。においで判るわ」

 竜之助の釦(ボタン)をまさぐりながら、一子は怨(えん)ずるように言った。

「あたしがこんなにやきもきして待ってるのに、のんびりとウィスキーを飲んだりして、ひどいわねえ」

「のんびりと飲んだんじゃないんだよ。陣太郎さんとこで、いろいろ話しながら、御馳走になったんだよ」

「あの陣太郎、何と言ってた?」

 一子は呼吸をはずませた。

「邸に戻ると言ってた?」

「絶対戻らないと言ってたよ」

 竜之助は一子の背を撫でさすった。

「邸には戻らないし、それに君のようなチンピラタイプは嫌いだってさ。一安心したよ」

「なに。チンピラだって」

 一子は眉をつり上げた。

「あたしのことをチンピラと言われて、竜ちゃんは黙ってたの?」

「うん」

 竜之助は面目なさそうに頭を垂れた。

「でもね、一ちゃんのことを大好きだと言われるよりも、いいと思ってね、歯を食いしばって辛抱したよ」

「ほんとにつらかったでしょうねえ」

「つらかったよ。はらわたが煮えくり返ったよ」

 そして竜之助は話題をかえた。

「僕、帰りながら、策略をひとつ思いついたんだけどね」

「策略? お父さんたちの喧嘩を止めさせるための?」

「うん。そうだ」

 竜之助は大きくうなずいた。

「もうお父さんたちの喧嘩は、憎み合いの域を通り越して、面子(メンツ)問題になってるだろ」

「そうねえ」

「だからさ、僕はお父さんに、三吉おじさんは前非を悔いてるらしいよと言う。君は君で三吉おじさんに、泉湯さんは後悔してるらしいわよと言いつける。そうすると、そうか、相手は後悔してるかというわけで、心が和(なご)むだろう」

「そうね。それはいい考えね」

「お互いの心が和めばさ、ちょっとしたきっかけで、パッと仲直りすることがあると思うんだよ」

「でも、そんなウソをついて、ばれないかしら」

「大丈夫だよ」

 竜之助は胸をどんとたたいた。

「お父さんたちは目下のところ、口をきき合う段階じゃないからね。ばれるおそれは絶対にないよ」

 

 正午すこし前、猿沢宅の玄関の扉をあけ、陣太郎はぼそっとした声で案内を乞うた。

「ごめんください。猿沢さんはいらっしゃいますか」

「はあい」

 顔を出したのは二美であるが、たちまちつめたい眼付きで陣太郎をにらみつけてすぐに引込んだ。

 猿沢三吉は茶の間でごろりと横になっていた。身体がだるくてだるくて、暇さえあれば近頃は横になっているのである。

「お父さん。お客さんよ」

「お客さん?」

 緩慢な起き上り方をしながら、三吉は言った。廊下をふらふらと玄関の方に歩いた。

「ああ、陣太郎君か」

 そして三吉はあたりを見廻し、声をひそめた。

「何か用事か。真知子のやつ、浮気をしたかね?」

「ええ。今日はそのことについて――」

「うん。わしも君に重大な相談ごとがあるんだ。ここでの立ち話もまずい。一先ず奥の間ヘ――」

「それよりも外に出ませんか」

 陣太郎は胸のポケットをぽんとたたいた。

「今日はおれがおごりますよ。中華でも食べませんか」

「え? 中華?」

 大飢えに飢えているので、中華という言葉を耳にしただけで、三吉は唾(つば)がにじみ出た様子であった。

「中華か。そういうことにするか。身支度して来るから、ちょっと待って呉れ」

 娘部屋では、二美が姉の一子に耳打ちをしていた。

「陣太郎が来たわよ」

「え。陣太郎が?」

「お父さん、陣太郎と一緒に、どこかに外出するらしいわよ。今身支度をしてる」

「どこに行くんだろう」

 一子はむっくり身体をおこした。

「お前、二人のあとをそっとつけてお行き。一体どこに行くのか」

 三吉は身支度をすませ、玄関で靴を穿(は)いた。むくんでいるから、靴の紐結びが一苦労なのである。

 やっと結び終って玄関を出て、二人は肩を並べて街に出た。台所口から二美が忍び出て、こっそりとあとを追った。ネッカチーフで頰かむりしているのは、姉のやり方にならったのであろう。

 二人はそれに気付かず、狭い横丁に折れ曲り、小さな中華店ののれんをひょいとくぐった。くぐったとたんに、三吉の腹の虫たちは、声をそろえてグウグウと啼(な)いた。

「さあ。何にしますか」

 陣太郎はメニューを取上げた。

「スブタとカニタマで、飯ということにしますか」

「うん。よかろう」

 三吉の相好(そうごう)はおのずからにやにやと笑みくずれた。連日連夜の芋飯だから、笑みくずれるのもムリはない。

 中華飯店の外では、二美が爪先立ちして、二人の様子を窓からのぞいていた。窓ガラスがあるから、もちろん声は聞えない。

 やがてスブタとカニタマが運ばれてきた。

 三吉の双眼はぱっと輝き、箸を持つ手はわなわなと慄えた。飢えたる犬の如く、三吉はスブタの肉片にむしゃぶりついた。

 

「時に君は、まだ世田谷の邸に戻る気はないのかね」

 スブタにカニタマをおかずにして、飯を五杯もおかわりをした三吉は、さすがにすっかり堪能したらしく、つまようじを使いながら、本題を切り出した。

「そうですな」

 茶をすすりながら陣太郎は悠然と答えた。

「只今考慮中です」

「考慮中か。いい加滅に決着をつけて、戻ることにしたらどうだい。及ばずながら、わしが力になるよ」

「力になって呉れますか」

「うん。力になるよ。それから君も、もうそろそろ身を固めたらどうだね。前途有為の君が、独身でぶらぶらしているのは、もったいない話だ」

「ええ。それも考慮中ですがねえ」

 謎めいた笑みを陣太郎は頰に刻んだ。

「適当なのがいなくてねえ」

「適当なのと言うけど、それは上を見れば果てしがない。せいぜいのところで妥協するんだね」

「そんなものですかな」

「うん。わしにも娘が四人いるが、ムコ選びの時はあまり上を見まいと思っている。せいぜいのところで妥協するつもりだ」

 三吉は遠まわしに話を持ってきた。

「一子のやつもな、もうそろそろ適齢期に入るが、親の口から言うのもおかしいけれど、よくしつけが行き届いて、そこらの娘たちには負けないつもりだ」

「ああ。一子さんはいいお嬢さんですなア」

 昨夜はチンピラ小娘と批判したくせに、今日は打ってかわった口をきいた。

「体格は立派だし、態度はおしとやかだし――」

「うん。君もそう思うか」

 娘をほめられて三吉はにこにこ顔になった。

「何なら君に上げてもいいよ。ただし、君が世田谷に戻るという条件においてだ」

「考えて置きましょう」

 陣太郎はしんみりと答えた。

「一子さんみたいないい人をもらえば、メカケなんか囲う気持はおきないでしょうよ」

「そうだ」

 メカケという言葉で思い出したらしく、三吉はぽんと膝を打った。

「真知子のやつ、その後どうだね。浮気をしたか」

「それがしないんですよ」

 陣太郎は嘆息するように天井を仰いだ。

「あれは貞節正しい女ですな。操を守って、せっせと勉強にいそしんでいます」

「そうか。それは弱ったなあ」

 三吉はがっくりと頭を垂れた。

「実はこの間、こちらから手切れ話を持ち出してみたんだよ。すると真知子のやつ、開き直って、手切金を六ヵ月分呉れと言うんだよ」

「六ヵ月分?」

 陣太郎は眼を剝(む)いて見せた。

「そりゃ高い。暴利だ。猿沢さん。おれに任せませんか。おれなら三万円で請負って上げますよ」

「三万円? 二万円にまからんか」

「ケチケチするのは止しなさい。それならおれは手を引きますよ。すると真知子は直接ハナコおばさまに――」

「そ、それはちょっと待って呉れ!」

 

 猿沢家の茶の間に、次女の二美は足音も荒くかけ込んで来た。茶の間では、一子がひとりチャブ台に向って、つめたい芋飯に熱い番茶をかけて、さらさらとかっこんでいた。

「お姉さん。お姉さん」

「ばたばたするんじゃないよ。ほこりが立つじゃないか。食事中だよ」

 一子はたしなめた。

「お父さんたち、どこ行った?」

「中華料理屋よ。そら、あの横丁の珍満亭という店よ」

「え? 珍満亭?」

 一子は、はたと箸を置いた。

「そこでお父さんたち、何を食べた?」

「窓越しだからよく見えなかったけど、スブタにフヨウハイらしかったわ。お父さん、五杯も御飯をおかわりしたわよ。ぱりぱりの銀飯よ。まるで鬼のキバみたいな」

「ううん」

 一子は低くうなった。

「いくらお父さんでも、そんな悪質の裏切り行為は許して置けないわ。一体あたしたち、何のために毎日々々、芋飯を食ってるというのさ」

「そうよ。そうよ」

 二美も勢い込んで合点々々をした。

「食べ終って、陣太郎と一緒に、もう直ぐここに戻ってくるわよ。あたし、一足先に走ってきたのよ、ほら、こんなに膝ががくがくよ」

 二美はスカートの裾を持ち上げて、がくがくの膝頭を見せた。その時玄関の方で、扉をあける音がしたので、姉妹はさっとそちらに視線を向けた。二つの足音が前後して廊下に上り、奥の三吉の私室へ入って行った。

 三吉はやや不機嫌な表情で、壁にはめこんだ金庫の前に坐り、おおいかぶさるようにして扉をあけた。札束を取り出した。もうあとには書類綴りしか残っていなかった。

「三万円か」

 三吉は陣太郎に向き直り、ぺらぺらと紙幣を勘定した。

「これがもうわしの全財産だぞ。ほんとに、泥棒に追い銭とは、これのことだ」

「泥棒? 泥棒とはおれのことですか?」

 陣太郎は気色(けしき)ばんだ。

「泥棒呼ばわりをされるくらいならおれは手を引きます。そうなれば真知子は、ハナコおばさんと直接交渉――」

「き、きみのことを泥棒と言ってるんじゃない」

 三吉はあわてて弁解した。

「泥棒というのは、真知子のことだ」

「それならばよろしいです」

「これできっと片を付けて呉れるだろうね」

 三吉は札束をにゅっと突き出し、残りを金庫に戻した。札束はぶるぶると慄えていた。よほど惜しかったのらしい。

「大丈夫です。納得させますよ」

「もう縁が切れたんだから、部屋代も以後は払ってやらないぞ。そう伝えて呉れ」

「そう伝えて置きます」

 陣太郎は三万円を内ポケットにしまい、改めて右掌をにゅっと突き出した。

「それから、今月分のおれの手当を、お願いします」

「今月分?」

「そうですよ。初めからの約束ですからな」

 陣太郎は催促がましく掌を動かした。

「まだ金庫に入ってるじゃないですか」

[やぶちゃん注:「フヨウハイ」「蟹玉」のこと。中国語では「芙蓉蟹」で、北京語では「フーロンシェー」、広東語では「フーヨーハイ」と呼ばれ ている。]

 

 陣太郎が出て行ったあと、三吉は腕を組み、呆然と金庫の中を眺めていた。金庫内は書類綴りだけで、紙幣はもう一枚も残っていなかった。洗いざらい陣太郎が持って行ったのである。

「ええい!」

 三吉は力をこめて、金庫の扉をがちゃんとしめた。立ち上って廊下に出た。久しぶりであぶらっこいものを食べたから、脚にも力が入り、三吉はどすんどすんとやけっぱちな足音を立て、茶の間に歩み入った。

 茶の間のチャブ台の前には、一子と二美が眼を光らせ、にらむような眼付きで坐っていた。

「熟い茶を一杯いれて呉れ」

 娘たちに向い合ってあぐらをかきながら、三吉は注文した。

「咽喉が乾いた」

「どうして咽喉が乾くの?」

 一子がぶすっとした顔で反問した。

「お昼ご飯は食べないの?」

「うん。どういうわけか、あまり食いたくない。お茶の方がいい」

「だって、御飯を食べなきゃ、力がつかないわよ」

 何もかも承知の上で、一子はそらとぼけた口をきいた。まだ娘時代だというのに、こんなねちねちした戦術を心得ているのだから、将来のほどが思いやられる。

「お茶よりも、芋飯を召し上れ。お茶には栄養価はないわよ」

「食いたくないと言ったら、食いたくない!」

 少しいらいらとして、三吉は声を大きくした。

「時にはわたしだって、食いたくない時がある。今わしは、少々胃をこわしているのだ」

「胃腸がこわれるのも当然よね。二美ちゃん」

 一子は二美に賛成を求めた。

「フヨウハイとスブタの大盛を平らげれば、誰だって胃腸をこわすわよ、ねえ」

「そうよ。そうよ」

 二美も勢い込んだ。

「それにお父さんったら、ご飯を五杯もおかわりをしたのよ。芋飯なんか食いたいわけがないわ」

「ど、どうしてそんなことを――」

 三吉はたちまち大狼狽、言葉をもつらした。

「さてはなんだな。お、お前たちは、わしのあとをつけたな」

「つけたんじゃないわよ。偶然通りかかったのよ」

 二美はぬけぬけと強弁した。

「陣太郎さんは二杯しか食べなかったのに、お父さんは五杯食べたわ」

「あたしたちに芋飯ばかりあてがって、お父さんばかり御馳走を食べるなんて、ずるいわ。完全なる裏切り行為よ」

「そうよ。そうよ。お母さんが帰って来たら、言いつけてあげるから」

「あたしたちだって、栄養をとる権利があるわ。さあ、お金ちょうだい。牛肉を買って来て、ビフテキをつくるんだから」

「ああ!」

 三吉は天井を仰いで、残り少い頭髪を絶望的にかきむしった。外側からの攻撃だけでも手一杯なのに、身内から思わざる攻撃をかけられては、絶望するのも当然であろう。

「ビ、ビフテキを食わしてやりたくとも、もうわしには金がないんだ!」

「お金がないのは、お父さんの責任じゃないの」

 一子はあくまで父親に食い下った。

「お金がなくて、よくフヨウハイだのスブタだのを注文出来たのねえ」

「あ、あれはわしが金を出したんじゃない。陣太郎君のおごりだ」

 三吉は懸命に弁解した。

「わしも芋飯を食うべきだったが、陣太郎君が勝手に庄文して、食え食えと言うもんだから、ついうっかりと――」

「陣太郎って押しつけがましい人なのねえ」

 一子は軽蔑的な声を出した。

「はっきりおことわりしとくけど、あたし、あの人大嫌いよ。心底から嫌いよ」

「あたしも大嫌いよ」

 傍から二美が賛意を表した。

「あんなお魚みたいな男性、ああ、考えただけでも、鳥肌が立つわ」

「生意気言うんじゃない。まだ十六ぐらいのくせに。男性を好きの嫌いのって、まだ早過ぎる!」

 三吉は眼を三角にして、二美をにらみつけ、そして視線を一子に戻した。

「一子。陣太郎君という男は、ちょっと押しつけがましいところがあるけれど、そんなに悪い男じゃないよ。むしろさっぱりしたいい青年だ。今日もわしにご馳走したり、なかなかうちのために尽して呉れる。それに、将棋もなかなかうまいし――」

「将棋なんかうまくないわよ。お父さんが下手過ぎるのよ」

「お父さんが下手とは何だ。下手とは!」

 将棋のことになると、三吉もむきになる。

「下手というのは、泉恵之助の野郎のことだ。わしは下手でない。その下手でないわしよりも、更にうまいんだから、陣太郎君は実に将棋が強い。もしかすると、専門家の域に達している」

「いくら陣太郎をほめ立てたってダメよ」

 また二美が傍から口を出した。

「陣太郎と結婚する意志は、一子姉さんには全然ないんだから」

「な、なに?」

 三吉は狼狽の色を示した。

「結婚する意志がないと?」

「そうよ。一子姉さんには、好きな人がちゃんといるんだから」

「お黙り。二美!」

 一子はあわてて妹を叱りつけた。妹は首をすくめて、発言を中止した。

「お父さん。あたしは陣太郎のところには、絶対に行きませんよ」

「だ、だれがそんなことを言った?」

 三吉はおろおろ声を出した。

「さてはなんだな。ハナコが何かおしゃべりをしたな」

「お母さんからじゃないわよう、だ」

 一子はますます言いつのった。しゃべっているうちに、だんだん本式に腹が立ってきたものらしい。

「うちのためを思えばこそ、毎日々々芋飯で我慢しているのに、お父さんはこそこそとご馳走のかくれ食いはするし、陣太郎のとこに行かせるような陰謀はたくらむし――」

「そうよ。そうよ。あたしたち、もう今日から、絶対に芋飯は食べないわよ」

「ムリに食べろと言うなら、ハンガーストライキに入るわよ。何も食べないで、そのうち二人とも痩せ細って、死んでしまってやるから?」

 

「ああ。そんなにわしをいじめないで呉れ」

 猿沢三吉は両手を上にさし伸ばし、全身ゆらゆらと身悶えをした。

「お前たちが芋飯を拒否して、もっとゼイタクをすると言うなら、一体うちの経済はどうなる。もうめちゃめちゃになって、破産してしまうぞ。それでもいいと思ってるのか!」

「湯銭をもとの十五円に戻せばいいじゃないの」

 一子はばしりとチャブ台をたたいた。

「十五円に戻せば、あたしたち一家全部、毎日中華でもウナギでも食べられるのよ」

「今更十五円に戻せるか!」

 さし上げた両手を、三吉は拳固にした。

「十五円に戻せば、お客は皆泉湯に行ってしまう。三吉湯はがらがらで、これまた破産にきまっている!」

「泉湯も十五円にすればいいじゃないの」

「泉湯の奴が十五円にするものか。あいつが先に十二円に値下げしやがったんだ」

「いえ、そうじゃないのよ」

 一子は膝を乗り出して、熱心な口調になった。

「お父さんが新築を始めたんで、泉のおじさまが値下げをしたのよ。でも、恵之助おじさまは近頃、十二円に値下げはすこし強硬過ぎたと、前非を悔いてらっしゃるそうよ」

「な、なに。恵之助が前非を悔いてる?」

 三吉は両手をおろし、眼をぱちぱちさせた。

「そ、それはほんとか。一体それは誰に聞いた?」

「泉の竜ちゃんによ」

 傍から二美が口をはさんだ。一子があわてて叱った。

「二美!」

「お、お前たちは、あの泉のバカ息子と口をきき合っているのか」

 三吉は怒ったような、かなしいような、複雑な声を出した。

「そうか。恵之助が前非を悔いてると、竜之助が言ったか。きゃつが前非を悔いてるのなら、わしも許さぬではない。あやまって来るなら、湯銭を十五円に戻してやってもいい」

「ところがそう簡単にはゆかないわよ」

「なにが簡単に行かない?」

「あの新築が出来上ればね、泉湯は客を取られて破産しちまうのよ。だから、あの新築を取止めれば――」

「今更取止めに出来るか。ムチャを言うな、ムチャを!」

「いえ。だからね、あれを風呂屋にしなければいいのよ。風呂屋じゃなくて、他の商売に使用すれば――」

「だってあれは、風呂屋として造り始めたんだぞ。それを他の商売にだなんて」

 三吉はたまりかねてチャブ台をひっぱたいた。

「将棋会所にでもしろと言うのか。だだっぴろ過ぎて、物の役に立たんわい」

「劇場か何かにすればいいじゃないの」

 一子も負けずにチャブ台をたたき返した。

「東京じゃ今、劇場が足りないそうよ。あれが劇場になれば、喜ぶ人がたくさんいるわ」

「劇場! 芝居小屋か」

 三吉は鼻の先でせせら笑った。

「冗談を言うな。芝居小屋なんかに出来るもんか。映両館なら、まだ話が判るが」

 転向の意向なきにしもあらざることを、三吉は暗々裡に示した。三吉も内心では相当にへこたれているのである。

 

 黄昏(たそがれ)、西尾真知子は鞄をぶらぶらさせながら、富士見アパートに戻ってきた。講義が済んでも、一葉研究のため図書館にたてこもるから、近頃いつも帰りが遅くなるのである。

 真知子は電話室の前で足をとめた。電話室の中で、陣太郎が電話をかけていた。

「もしもし。竜之助君か。おれ、陣太郎だよ。今晩七時、いつもの焼キャバに来ないか。うん。待ってるぞ。さよなら」

 がちゃりと電話を切り、陣太郎はのそのそと電話室を出た。ぱったりと真知子と顔を合わせた。

「おお、真知ちゃんか。遅いな」

「うん。図書館で調べものをしてたの」

「今日おれ、猿沢三吉に会って来たよ」

「そう。あたしの部屋に来ない?」

 真知子は先に立って、とことこと階段を登った。陣太郎もそれにつづいた。

「で、結果はどうだったの?」

 部屋に入り、電熱器に薬嬉を乗せながら、真知子は訊ねた。

「うまく行った?」

「うん。三ヵ月分、取って来たよ」

 陣太郎は内ポケットから、札束をひっぱり出した。

「さあ、三万円だ。これ以上はムリだな。三吉の金庫をのぞき込んだら、もうからっぽだったよ」

「そうでしょうねえ。湯銭五円だなんて、バカな競争をするんですものねえ」

 真知子は札束をとり上げて、器用な手付きで。ぺらぺらと数を確かめた。

「確かに。ありがとう」

「それでさっぱりしただろう」

「ううん。さっぱりしたような、未練があるような――」

「未練って、三吉おやじにか」

「いえ。この安易な生活形態によ」

 真知子はそそくさと札束を鞄の中に押し込んだ。

「さあ、これであたしの学問も前途多難だなあ」

「前途多難だなんて、多難なのがあたりまえだ」

 陣太郎はきめつけた。

「学問をするために、二号になるなんて、そんなバカな生活形態があるものか。それは学間に対する侮辱だよ。頽廃と言ってもいいぞ。むしろ、二号になるために学問をするという方が、話はわかる」

「だから二号を辞めたんじゃないの」

 真知子は若干ふくれっ面になった。

「ああ、そうそう」

 陣太郎はぽんと膝をたたいた。

「これで縁が切れたから、このアパートの部屋代、今月分からそちらで払えと、三吉おやじが言ってたよ」

「チャッカリしてるわねえ。あのおやじ」

「ここの部屋代はいくらだい?」

「月五千円よ。陣ちゃんとこは?」

「おれんとこは、使所の傍だから、三千円だよ」

 そして陣太郎は腕を組み、天井を見上げた。電熱器の薬罐がしゅんしゅん音を立て始めたので、真知子は二人分の紅茶をいれた。

「さあ、召し上れ」

「縁が切れたとなれば、やはりここは引越した方がいいな。おれ、適当な値段のやつ探してやるよ」

 腕組みを解き、陣太郎は茶碗に手を伸ばした。

 

 午後七時半、陣太郎は両掌をズボンのポケットに入れ、焼鳥キャバレーの階段をのそのそと登って行った。そこらいっぱいがヤキトリの匂いで、陣太郎の鼻翼はおのずからびくびくと動いた。

 時刻が時刻だから、二階はたいへん混んでいた。

 泉竜之助は長身の肩を丸くして、造花の紅葉の下の卓に、小さくなって腰かけていた。陣太郎の姿を見ると、ほっとしたように背骨を立て、顔をくしゃくしゃにした。

「ひどいなあ。三十分も遅刻するなんて」

 竜之助は腕時計を見ながら、うらめしそうな声を出した。

「僕、どうしたらいいか判らなくて、冷汗が出ましたよ」

「なんだ。まだ何も庄文してないのか」

 陣太郎は傍にならんで腰をおろした。

「ヤキトリでも食ってりゃいいじゃないか」

「そんなのんきなことができるもんですか。僕は無一文なんですよ。ヤキトリを注文して、もし陣太郎さんが来なきゃ、僕はたちまち豚箱入りですよ」

 竜之助の声は少々激した。

「何も注文しないで坐ってるもんだから、さっきから女給さんたちが、僕をにらんでるような気がして――」

「そんなにびくびくする奴があるか。もっと図太くなれ!」

 そして陣太郎は指を立て、ハイボールに串フライにヤキトリを注文した。竜之助は安堵したように掌を揉(も)み合わせた。

「おい。竜之助君」

 陣太郎は窮屈そうに、上半身を竜之助の方にねじった。

「無一文だなんて威張ってるが、加納明治んとこには行かなかったのか」

「別に威張ってなんかいませんよ」

 運ばれてきた串カツを横ぐわえにして、竜之助はカツを串からしごき取った。

「ああ、つらかったなあ。匂いはぷんぷんするし、おなかはぺこぺこだし」

「おなかのことなんか、誰も聞いてやしない。加納に十万円と吹きかけたかと言ってるんだ」

「まだ行かないんですよ」

「まだ行かない? 一体いつ行くんだ」

「今日いろいろと考えたんですけどね、あの仕事はどうも僕の性格に合わない」

 竜之助は内ポケットからごそごそと写真を取出[やぶちゃん注:「とりだ」。]した。

「これ、一応お返しします」

「要らねえよ」

 陣太郎はぽいと写真をはじき返し、ハイボールをぐっとあおった。

「そんな写真、おれのアパートに行けば、まだ十一枚もしまってある」

「でも――」

「でももクソもない!」

 ヤキトリをごしごし嚙みながら陣太郎はにらみつけた。

「これで五万円ふんだくって来なきゃ、カメラは永遠に君の手に戻って来ないぞ」

「そんなムチャな――」

 竜之助は嘆息した。

「僕にそんな不似合な荒仕事をさせるより、陣太郎さんが行けばいいじゃないですか。陣太郎さんの方がはるかにうまいですよ」

「うまい、まずいは問題でない」

 陣太郎は更に声を高くした。

「君をきたえるつもりで、おれはやらせるのだ!」

 

「きたえるんだなんて、そんな封建的な――」

 泣きべそみたいな顔になって、竜之助はハイボールをぐっとあおった。

「僕にはとても出来ませんよ。他のことならたいていのことはやるけれど。お願いだから、これだけはそちらでやって下さい」

「いや。君がやれ」

 陣太郎は頑として首を振った。

「やらなきゃ、おれの方にも考えがあるよ」

「え? どんな考えです? 僕をクビにしようとでも言うんですか?」

「おれは昨日、猿沢三吉の家に行った」

 おどかすように陣太郎は声を低くした。

「三吉おやじを近所の中華飯店に呼び出して、クーローヨとフヨウハイで飯を食った。三吉おやじは、飯を五杯もおかわりしたぞ」

「えっ。五杯も?」

 竜之助は感嘆の声を上げた。

「でも、そのくらいは食うだろうなあ。うちのおやじだって、今鮨(すし)を食わせたら、四十個は食って見せると、言ってるくらいだからなあ」

「へんなところで感心するな!」

 陣太郎はあたりを見廻してたしなめた。

「食べ終って、三吉おやじが、どんなことを切出して来たと思う?」

「さあ。何です?」

「身を固める気持はないかと、おれに言うんだ。だからおれは答えてやった。その気持、ないでもないとな」

「なるほど」

「すると三吉は遠廻しに、一子のことをどう思うかと、探りを入れてきた」

「えっ? 一子?」

 見る見る竜之助は狼狽して、顔面を紅潮させた。

「で、陣太郎さんは何と答えたんです?」

「体格は立派だし、態度はしとやかだし、とてもいいお嬢さんですなあ、とほめといた」

「そ、そんな好い加減なことを!」

 竜之助は眉の根をふくらませて陣太郎をにらみつけた。

「この間は一子について、あんたは何と言いました? あんなチンピラ小娘は、おれの好みに合わんと――」

「いかにもあのときはそう言った」

 陣太郎は落着きはらって答えた。

「しかし、心境の変化ということもあり得るよ。昨日は嫌いでも、今日は大好きになったなんてことは、よくあることだ。実は、今日の昼、うつらうつらと一ちゃんのことを考えてたら――」

「一ちゃんだなんて、あんまり心易く呼ばないで下さい!」

「うん。あの娘は、うつらうつらと考えてみたら、頭もバカじゃなさそうだし、肉体もぴちぴちとして味が良さそうだし、ここでひとつ三吉の懇望を入れて――」

「よ、よして下さいよ、ほんとに」

 竜之助は悲鳴を上げて、片手拝みの姿勢になった。

「そ、それだけは思いとどまって下さい。お願いですから」

「では、おれの言うことを聞くか」

「聞きますよ。何でも」

「では、明日、間違いなく、加納明治宅を訪問せよ」

 陣太郎はぎろりと竜之助をねめつけた。

「是が非でも五万円、ふんだくって来い!」

[やぶちゃん注:「クーローヨ」「酢豚」のこと。元来は広東料理で、「古老肉」と書かれ、中国語の音写は「グーラオロウ」。それが訛ったものか、本邦では「クーローヨー」「クローヨー」「クローヨ」等と呼ばれている。]

 

 建ちかけ三吉湯の材木の山のかげに、竜之助は背をもたせかけ、月の明りで腕時計の針を読んだ。

「もう十時を十五分も過ぎたぞ。どうしたんだろうな」

 竜之助は肩をすくませてぼやいた。

「今夜は陣太郎さんに三十分も待たせられるし、一ちゃんも遅刻と来ている。運が悪い日だなあ」

 焼鳥キャバレーからここへ直行してきたと見え、タレの匂いのする折包みを、竜之助はぶら下げていた。

「おや。足音が」

 ひたひたと忍びやかな足音が、こちらに近づいてくる。月明のそのおぼろな輪郭に、竜之助は両掌をメガホンにして、低声で呼びかけた。

「一ちゃん。ここだよ」

 恋するものの敏感さで、おぼろな輪郭だけで相手を察知出来るのである。とたんにその輪郭は背を低くし、イタチのように素早く、竜之助のそばにかけ寄って来た。

「竜ちゃん」

 二人の身体はひしと抱き合った。

「一ちゃん」

 一子の耳に口をつけ竜之助は切迫した声でささやいた。

「今夜ねえ、僕、陣太郎さんに会ったんだよ。そうしたら、陣太郎さんは急に心境が変って、一ちゃんのことを好きになったんだってさ」

「あたしのことを好きに?」

「そうなんだ。なんでも今日の昼、三吉おじさんに会って、中華料理を一緒に食べたんだって。その席上で、心境が変ったらしいんだよ」

「そうよ。今日の昼、陣太郎はやって来たわよ」

 一子は声をたかぶらせた。

「お父さんを引っぱり出して、フヨウハイとスブタを食べたらしいのよ。引っぱり出されるお父さんもお父さんよねえ。そして御飯を五杯もおかわりしたんだって。だから二美とあたしとで、散々とっちめてやったのよ。おや、これは何?」

「ヤキトリの包みだよ。一ちゃんに上げようと思って、つくって貰ったんだ」

 そして竜之助は、忌々(いまいま)しそうに舌打ちをした。

「今月分の秘書手当、陣太郎さん、なかなか呉れないんだ。それでもやっと二千円だけ呉れたよ。あとは明日、僕が加納明治の家にお使いに行ってから――」

「明日、竜ちゃん、お使いに行くの?」

 一子は心配そうに竜之助を見上げた。

「明日は大風が吹くらしいわよ。さっきラジオがそう言ってたわ」

「だって、お使いに行かなきゃ、一ちゃんのこと本気で好きになると言うんだもの」

 竜之助も心配そうな顔となり、一子を見おろした。

「どんなきっかけで、一ちゃんだって、心境の変化をおこさないとも限らない。僕はそれがこわいんだよ」

「バカねえ。いくら心境が変化したって、あんな魚男が好きになれますか」

 竜之助の胸に、一子はやわらかく頭をもたせかけた。

「さっきもお父さんに、タンカを切ってやったのよ。どんなことがあっても、あたし、陣太郎は大嫌いって!」

 

 泉宅の茶の間では、恵之助老がチャブ台の前に立膝[やぶちゃん注:「たてひざ」。]して、ひとりで晩酌の焼酎をかたむけていた。肴(さかな)は相も変らずメザシで、自分でメザシと決めたものの、さすがに恵之助も近頃ではうんざりしている模様であった。

「うん。マグロのトロが食べたいもんだなあ」

 恵之助はうらめしげに、立て膝の膝頭を撫でさすって、ひとりごとを言った。

「見ろ。この膝頭だって、すっかりかさかさになって、脂が抜けてしまったぞ」

 折しも泉宅のくぐり戸のかげで、長い影と短い影がひしと寄り合った。新築場からここまで、一子が竜之助を送ってきたものらしかった。

「ね。泉のおじさまが前非を悔いているという話、とてもお父さんにはきき目があったのよ」

 一子は竜之助にささやいた。

「だから泉のおじさまにも、その手を使えば、きっと効果があると思うわ。是非使ってみてね」

「うん。使ってみるよ。では、おやすみ」

「おやすみ」

 一子は竜之助からつと離れると、ネッカチーフを頭に冠り、小走りにかなたの闇に消えて行った。

 竜之助は身をひるがえしてくぐり戸を入り、音もなく玄関に忍び入り、扉をしめてかけ金をおろした。靴を土間に脱ぎ、かろやかに廊下を踏んだ。

「竜之助!」

 茶の間から恵之助老の声が飛んだ。いくらかろやかに踏んでも、廊下に面する茶の間の障子があけ放たれてあるのだから、見つけられるのも当然である。

「はい。ただいま」

 竜之助は居直って茶の聞に入り、父親に向い合ってあぐらをかいた。

「どこに行ってたんだ。こんなに遅くまで」

 そして恵之助はいぶかしげに鼻をくんくんと鳴らした。

「おや。お前の身体には、何か旨(うま)そうな匂いがただよっているな。はて、何の匂いだったかな、こいつは?」

 お土産の折包みから溶んだタレが、竜之助の服のどこかに付着しているらしい。それをごまかすために、竜之助は笑い声を立てた。

「匂いなんかするもんですか。そりゃお父さんの幻覚だよ。メザシばっかり食べてるから、そんな幻覚がおこるんだよ」

「そうかな。メザシのせいかな」

 恵之助はあっさりと納得した。

「そう言えば近頃、わしは耳も遠くなったようだし、眼のかすみようもひどくなった。とうとう鼻にも狂いが来たか」

「そうだよ。何もかもメザシのせいだよ」

 竜之助は声を高くした。

「僕だって近頃、身体の調子が、とても変なんだよ。やはり時には、マグロのトロなんかを――」

「トロの話はよせ!」

 耐えがたきを耐えるような顔になり、恵之助は息子を叱りつけた。

「一体今までどこを歩き廻ってた? カメラは取り返したか?」

「そ、それがダメなんだよ」

 竜之助は悲しげにどもった。

「やっぱり一六銀行に入ってたんだよ」

「なに、やっぱり一六銀行だと?」

 恵之助は息子をにらみつけた。

 

「うん。だからね、僕は明日、陣太郎さんのお使いで、加納明治という小説家の家に行くんだ」

 竜之助は自信なさそうに、語尾の調子をくずした。

「そこで金が貰える手筈になっててね、それでカメラを出すということになってんだけどね」

「大丈夫かい。あの陣太郎という風来坊は」

 恵之助は不機嫌そうに、焼酎をチュッとすすった。

「膝ががくがくするが、とにかくわしは明日、新築の進行状態を視察してくる」

「膝ががくがくするというのに、大丈夫?」

 竜之助は心配そうに父親の顔を見た。

「明日は大風が吹くそうだよ。さっきラジオがそう言ってたらしい」

「大丈夫だ。やせても枯れても、まだ風如きに吹き倒されたりするようなわしじゃない!」

「進行状態って、この間からまだ全然進んでないよ」

 そして竜之助は膝をぽんとたたいた。

「あっ、そうそう。あの新築を始めたことについて、三吉おじさんはすっかり後侮してるそうだよ。こんなことになるんなら、建てなきゃよかったと、ひしひしと前非を悔いてるという話だよ」

「な、なに?」

 恵之助は焼酎のコップを、すとんと畳にとり落し、あわてて座蒲団で拭った。

「前非を悔いてると? あの三吉が?」

「そうだよ」

「そ、それは誰に聞いた?」

「実はね、あそこに一子という嬢がいるでしょう。あれと今日、街でぱったり出会ったんだよ」

「一子だと? お前はあのバカ娘と口をきいてるのか?」

「いえ。向うから強引に話しかけて来たんだよ。三吉が前非を悔いてるから、お父さんにとりなして呉れないかって」

「そうか。三吉が前非を悔いてるか。ざまあ見ろ」

 恵之助はさも嬉しそうに大口をあけてばか笑いをした。

「それであの建てかけのやつは、一体どうするつもりだい?」

「それがまだメドが立たないらしいよ。金繰りがつかないもんだから、当分あのままの状態で放って置くらしい」

「そりゃもったいない話だ」

 恵之助は笑いを中止して、眉をひそめた。

「この間お前が話してた、あの芝居小屋のことだな」

「うん」

 竜之助はごそごそと膝を乗り出した。

「実はわしには蓄えが少しある。これだけは手をつけずに、お前に残そうと思ってたのだが――」

「わあ。蓄(たくわ)えがまだあったんですか」

 竜之助は慨嘆にたえぬ声を出した。

「それで毎日々々メザシはひどいなあ」

「毎日々々メザシだからこそ、蓄えがそっくり残っているのだ!」

 恵之助は息子を叱りつけた。

「もし三吉が前非を悔いて、わしにあやまって来るなら、あれを芝居小屋にするという条件で、わしがその蓄えを出資してやってもいい。そしてその芝居小屋は、わしと三吉との共同経営とするのだ」

 

 猿沢家の娘部屋は燈が消えていた。が、二人の娘たちは眠っているわけではなかった。それぞれの寝具に腹這(ば)いになり、暗がりの中で、ごしごしとヤキトリを食べていた。

 二十串ばかりのヤキトリは、またたく間に二人の腹中におさまった。

「おいしいわねえ。ヤキトリって、こんなにおいしいものだとは、知らなかったわ」

 二美は闇の中で、溜息をつきながら言った。

「もっともっと、おいしいものを食べたいわ」

「あたしだってたまには、おいしいもの、食べたいわよ」

 折しもずっと離れた茶の間で、ハナコがそう怨(えん)ずるような声を出した。三吉夫妻はチャブ台に向って、コブ茶を飲んでいた。

「毎日々々、芋飯と納豆(なっとう)じゃ、身がつづかないわよ」

「お前の言うことはよく判る」

 三吉はやや面目なげに頭を垂れた。

「でもあれは、陣太郎君のおごりだから、仕方がない」

「いくらおごりでも、自分だけがいい目を見るという法はないわ」

 ハナコは食い下った。

「それで、陣太郎さんの方はどうなの? 邸に戻りそう?」

「うん。まだはっきりしないんだがね、一子のことはほめてた。体格もいいし、しとやかなお嬢さんだって」

「はっきりしなきゃ仕様がないじゃないの。あの建てかけの三吉湯、あのままで放って置くと、雨ざらしになって、腐ってしまいはしない?」

「それはわしも心配している」

 三吉はコブ茶を不味(まず)そうにすすった。

「心配しているだけでは、どうにもならないわ。あれが建たなきゃ、泉湯さんは参ったとは言わないでしょう」

「いや。そうでもないらしいぞ」

 三吉の声はにわかに元気づいた。

「今日の一子の話ではだな、恵之助の野郎が近頃になって、しみじみと前非を悔いてるそうだ」

「え? 前非を?」

「うん。つまり、十二円に値下げしたことを、後悔しているのだ。今頃後悔したって、もう遅いが、全然後悔しないよりもましだろう」

「後悔したなら、あやまりに来ればいいのにねえ。あやまりに来れば、みんな元の十五円に戻るんでしょ」

「うん。わしは戻してもいいと思っている。ところが、恵之助の野郎が、後悔はしてるくせに、何かぐずぐず言ってるらしいのだ」

「何をぐずぐず言ってるの?」

「うん。あの建てかけのやつだな、あれが完成すると、お客を皆取られるから、他のものにして呉れと言ってるらしい」

「他のもの?」

「うん。芝居小屋とか、映画館とか、そんなものにだね」

 三吉はふうと溜息をついた。

「あいつの立場も、わしは判らんではない。しかし、風呂屋として建てかけたものを、今更他のものにして呉れなんて、そんなムチャな横車を――」

「でも、毎日芋飯よりは――」

 言いかけてハナコははらはらと落涙した。それを見て三吉は怒声をあげた。

「お前までそんな弱気で、どうする!」

 

2023/07/21

佐々木喜善「聽耳草紙」 一六五番 いたずら

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]

 

   一六五番 いたずら

 

 昔、一人のセツコキ男があつた。或時此男が村の觀音堂に籠つて、どうぞ錢を授けて下さるやうにと祈願した。お觀音樣は正直な男だらうと思つて、本當の錢を授けてやつた。すると間もなく使い果して、又來てお願ひをした。それでは今度こそ無駄使いをせぬたうにとて、再び授けてやると、またまた博奕を打つ、酒を飮む、茶屋遊びをする、そして直《すぐ》にそれを使ひ果たして、三度目のお願ひを觀音堂でやつて居《ゐ》ると、お觀音樣は、あゝよしよし、今度は大きな板の錢をやると言はれた。男が夜明の鷄の聲に驚いて歸らうとすると、顏が御椽《おえん》の敷板に粘着(クツツ)いて離れない。[やぶちゃん注:底本は読点であるが、「ちくま文庫」版で訂した。]そのうちに明るくなつてだんだん村の人達が來て、何をそんなに畏《かしこ》まつてらア、早く起きろと言ふと、男は泣きながら、これこれの譯だと言ふので、早速別當を呼び、代る代る引張つたが、どうしても離れないので、遂々《たうとう》板を切拔いて漸《やうや》く放した。そこで皆が、あれあれ板面(イタヅラ)、板面と言つたとさ。

  (一六四番、一六五番、田中喜多美氏御報告の分
   の二三。)

[やぶちゃん注:「セツコキ」怠け者。「四二番 夜稼ぐ聟」で既出既注。これは、展開上の流れが、私にはよく判らない。「セツコキ」と、「錢」と、「板の錢」(意味不明。「板銀」のことか)と、観音堂の外縁の「敷板」と、「板面(イタヅラ)」の連関性が、私には不明だからである。何方か、御教授願えると嬉しい。]

南方閑話 犬が姦夫を殺した話

[やぶちゃん注:「南方閑話」は大正一五(一九二六)年二月に坂本書店から刊行された。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像を視認した(リンクは表紙。本登録をしないと見られない)。但し、加工データとして、サイト「私設万葉文庫」にある、電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊)を加工データとして使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。疑問箇所は所持する平凡社「南方熊楠選集3」の「南方閑話 南方随筆」(一九八四年刊・新字新仮名)その他(必要な場合は参考対象を必ず示す)で校合した。

 これより後に出た「南方隨筆」「續南方隨筆」の先行電子化では、 南方熊楠の表記法に、さんざん、苦しめられた(特に読みの送り仮名として出すべき部分がない点、ダラダラと改行せずに記す点、句点が少なく、読点も不足していて甚だ読み難い等々)。されば、そこで行った《 》で私が推定の読みを歴史的仮名遣で添えることは勿論、句読点や記号も変更・追加し、書名は「 」で括り、時には、引用や直接話法とはっきり判る部分に「 」・『 』を附すこととし、「選集」を参考にしつつ、改行・段落成形もすることとする(そうしないと、私の注がずっと後になってしまい、注を必要とされる読者には非常に不便だからである)。また、漢文脈の箇所では、後に〔 〕で推定訓読を示す。注は短いものは文中に、長くなるものは段落の後に附す。また、本書の掲載論考は全部で八篇であるが、長いものは分割して示す。

 今回の分は、ここから。]

 

      犬が姦夫を殺した話

 

 前文、犬が主婦の情夫に懷《なつ》き居《を》るより、之に好愛の情を表はして、反《かへ》つて主婦の姦《かん》を露はしたのと反對に、主人に忠誠な眞情一偏《いつぺん》より、其妻の姦を暴《さら》した例もある。

 寬文七年に成つた「隱州視聽合記」二に、『周吉《しきつ》郡犬來村、村老、語つて曰く、「昔し、此村に犬を養ふ者あり。其婦、隣《となり》の少年と通ず。來《きた》る時に、犬、吠ゆ。婦、之を愁ひて、夫に謂つて曰く、『此犬、よく、人を吠ゆ。故に賈客、我門に入らず』云々。夫、之を、『然り。』とし、他方に遣《や》り、放ちけり。婦、『犬の、道を知つて、歸らん。』ことを計りて、囊《ふくろ》に盛りて、此《これ》を送る。既にして、少年、來《きた》る。犬、又、歸りて、之を吠ゆ。夫、寤《さ》めて[やぶちゃん注:底本は「寤つて」。「さとつて」(悟つて)と訓ずることが出来るが、ちょっと躓くので、「選集」を参考にして、かく、した。]、窓より見て、遂に、其姦を得たり。故に『犬來』と書く。『昔會稽張然、滯役在都經年、其婦與奴通、然養一犬甚快、然後歸家、奴與婦謀、欲殺然、犬吠咋、然共殺奴、以婦付官』〔昔(むかし)、會稽(くわいけい)の張然(ちやうぜん)、都に在つて、年(とし)を經(へ)たり。其の婦(つま)、奴(めしつかひ)と通ず。然(ぜん)、一(ひとつ)の犬の、甚だ快(さかし)きを養ふ。然、家に歸る。奴、婦と謀つて、然を殺さんと欲(ほつ)す。犬、吠えて、咋(か)む。然、共(とも)に奴を殺し、婦を以つて、官に付(つきいだ)せり。〕これは「續搜神記」の文を、甚《いた》く省略したのだ。(五月十四日)(大正十二年六月『土の鈴』一九輯)

[やぶちゃん注:以上の最後のクレジットと初出書誌は底本には、ない。「選集」を参考にして補った。『土の鈴』は本書の編者でもある民俗学者本山桂川(『柳田國男「妖怪談義」(全)正規表現版 ひだる神のこと』で既出既注)が編集していた民俗学雑誌。

「隱州視聽合記」当該ウィキによれば、「隠州視聴合紀」(いん/おんしゅうしちょうがっき)は「隠州視聴合記」とも『表記する』とし、寛文七(一六六七)年に『著された隠州(隠岐国)の地誌で』、全四巻・地図一葉。『隠岐島に関する地誌としては現存最古のもので、原本の所在は不明であるものの』、『写本が点々と残されている。著者は不明であるが、当時の地誌類の中でも内容的に優れており、隠岐島の歴史を語る上で欠かせないものとされている』とあった。

「續搜神記」とあるが、これは「搜神後記」の誤りである。「中國哲學書電子化計劃」の影印本の原本のここから視認出来る。私は所持する平凡社『中国古典文学大系』の第二十四巻「六朝唐宋小説選」の六朝の志怪小説集「捜神後記」(伝陶淵明著(偽書説有り)・前野直彬訳・一九六八年刊)で読んだことがあるが、別に岡本綺堂の「中国怪奇小説集」(旺文社文庫一九八二年重版)でも読んだ。後者は「青空文庫」のこちら(分割版)の「烏龍」(うりゅう:岡本が勝手に附した標題)で読める(新字新仮名)。熊楠の言う通りで、引用は引用と言えず、抄録とも言い得ない杜撰なものである。]

 「續搜神記」の張然の犬が姦夫を殺した話に似たのが、南印度にもある。キングスコート夫人及びナテーサ・サストリー師合纂「日の話」(ロンドンで一八九〇年出板)一五五―一六〇頁に出ておるのを大要のみ譯出しよう。「正直ながら氣早過ぎた狩人と其忠犬の話」と云ふ題號のものである。

[やぶちゃん注:「題號」の頭の部分は、底本では、「正直きから」であるが、おかしいので、「選集」を参考に以上のように変えた。

『キングスコート夫人及びナテーサ・サストリー師合纂「日の話」』少し調べたが、結局、何も判らなかった。後に出るのも同前であったので、注さない。]

 或森にウグラヴヰラなる狩人《かりうど》、住み、其國の王に定額の稅を拂ふ取り極《き》めだつたところ、或る時、王から不意に、「千五百ポン、拂へ。」と命ぜられ、有らゆる財產を賣つたが、漸く、千ポンだけ、手に入れた。不足分の拵へ方が無いので、他に掛替《かけがへ》のない愛犬を近所の町へ牽行《ひきゆ》き、クベラといふ商人に、質入れし、證文ともに渡して、五百ボンを借り入れた。扨《さて》、眼に淚を浮かべて、其犬の名を呼び、「ムリガシムハ(獸中《けものぢゆう》の獅子)よ、吾《わが》忠犬よ、借金を返して了《しま》ふ迄、汝の新主人方を去るなく、是迄、吾れに仕へたと同樣、忠勤を勵んでくれ。」と敎訓して、名殘惜《なごりをし》げに立去《たちさつ》た。

[やぶちゃん注:「ポン」古代インドの金銭単位らしいが、不詳。仮にポンドに近い発音にしただけのことかも知れない。]

 其後、暫く有つて、クベラ、商用の爲め、外國へ旅行に出るに臨み、件《くだん》の犬を呼び寄せ、「よく戶《いへ》を守つて、盜賊や、その他の惡人を禦《ふせ》げ。」と云ふと、犬、「承知」の由を、眼と尾で、知らせた。其から、「每日、三度宛《づつ》、米と牛乳を、此犬に飼《やしな》へ。」と、妻に吩付《いひつけ》て出立《いでたつ》た。爾後、犬、よく、門を守り、妻も、數日間は、夫の命の通り、之を飼つたが、永くは續かず。全體、此女、表面と大違ひで、男、無くては、一夜も過《すご》されぬという、大淫婦だから、夫、往《ゆき》て、其夜から、色々、おかしな夢を見て、辛抱が成らず、セツチ部の若い惡漢《あつかん》を招いて、情夫とし、每々《たびたび》の入來《にうらい》に、晝も簞笥の鐶《かん》が、鳴り止まず。忠犬ムリガシムハ、『吾が新主は、主婦の斯《かか》る惡行《あくぎやう》を喜ばぬに相違ない。』と斷定し、一夜《ひとよ》、彼《かの》男、雲雨のこと、果てゝ立歸《たちかへ》る所を、其名の獅子奮迅の勢ひで、吭《のど》に食付《くひつ》き、殺して了《しま》つた。姦婦、驚いて、姦夫を助けに走り出たが、及ばなんだ。

 姦婦、何と愁歎しても、臍《ほぞ》を噬《かん》でも及ばず、それより下へは、猶、及ばないから、氣を取直《とりなほ》して、裏の畑へ屍骸を運び、只今迄、掘つて貰《もろ》ふた返しに、自分で、大きな穴を掘り、姦夫を埋《うづ》め、土と葉で蓋《おほ》ふたは、是非も、内證《ないしよ》で濟《すま》す積りの處を、犬は、十分、見知り居《を》つたので、主婦、之を忌むこと、一方《ひとかた》ならず、一切、食物を吳《くれ》ない故、止むを得ず、食後、飯粒の付《つい》た葉を、抛出《はふりだ》すを、拾ふて、纔《わづ》かに生《しやう》を聊《りやう》し乍ら、依然、主命通り、門を守つた。是は、「萬葉集」などにも見える如く、昔しは、吾邦でも、樹の葉に食物を盛つて喫したから、「膳」の字を「カシワデ」と訓《よ》ます如く、南印度では、古來、膳の代りに、葉を用いるから、かく言つたものだ。

 其から、二月《ふたつき》立つて、商人クベラが歸つて來ると、犬は、悅んで、走り就て、其足元に、轉げ𢌞り、其裾を銜《くは》て、畑へ引往《ひきゆ》き、姦夫を埋めた所の土を、搔いて、主人の顏を瞰《みつ》め、呻吟した。『扨は、此處を掘つて見よ。』と知らす事と察して、直ちに掘れば、壯漢の屍骸が出たから、『これは。間男に明巢《あきす》を振舞《ふるまつ》た。』と判じて、家に飛び入り、妻を捉へ、「白狀せずば、殺す。」と威《おど》して、逐一、自白せしめ、「畜生さへ、此通り、忠義なるに、斯る大罪を犯した上、犬を餓《うゑ》しめて、仕返しとは、犬の糞で、仇討ち以上の仕方、以ての外の、人畜生とは、汝のこつた。子のないだけが、『切られ與三郞』の面疵《おもてきず》同前、もつけの幸いだ。二度と顏を見せてくれるな。」と、自團太《じだんだ》踏んで突出《つきだ》したので、身から出た錆、何とも言ひ譯の仕樣無《しやうな》く、一言《ひとこと》も出ないから、責めて、尻から詫言《わびごと》と、屁《へ》を、七つほど、ひつて、逃去《にげさつ》た。飛ぶ鳥、跡を濁さぬと聞くに、亭主の留守に、大それたことをするのみか、逃げざま[やぶちゃん注:底本「さま」。「選集」で濁点とした。]にも、仰山《ぎやうさん》な屁を、手向《たむけ》て往く抔、怪しからぬにも程の有る阿魔《あま》だ。「人を以つて、犬に如《しか》ざる可《べ》けんや。」と、牛乳と飯と砂糖を取出《とりだ》して、タラフク、犬に食はせた後ち、「獸中の獅子よ、汝の忠義を謝すべき詞《ことば》が無い。今度、汝の盡力に比べて見ると、汝の舊主に貸した五百ポン位《ぐらゐ》は帳消しにして、なほ、餘借《あまり》有りだ。持《もつ》まじきものは、多婬の妻で、持つべき者は犬也けり。斯る忠犬に、離れた狩人の心根が糸惜《いとをし》ければ、只今、汝に暇をやるから、速やかに舊主へ歸るがよい。」と語り、狩人が差入《さしいれ》た證文の端を、少しく裂《さい》て、事濟みの印しとし、犬の口に銜へしめて、放ちやると、犬は、悅んで、森に向ひ、走つた。

[やぶちゃん注:「餘借」江戸時代の法令の中に、この熟語があるという記載を見つけたが、そこでは、ある借金があって、「それ以外の別な借金」という意味らしいとあった。しかし、ここは「余りある」の強調形に過ぎないから、敢えてこの二字で「あまり」と訓じておいた。]

 此時、狩人は、やつと、五百ポンの金を拵へ、利息を揃へて仕拂ふ爲め、商人方《かた》へやつてくる途上で、犬に逢ふと、大悅びで、走りかかつた。狩人、之を見て、「扨は。此犬、予の敎えに背き、予に逢ひたさの餘り、商人方を逃げ出した、不埒な奴だ。殺してやろう。」と葛(かづら)を取《とつ》て、其首に締めつけ、木の枝に懸《かけ》た。犬は、折角、『悅ばせう。』と、走り付《つい》て、こんなに縊《くび》られたから、薩張り、勘定が合はず。狩人、頓《やが》て、商人の家に到り、持參の金を、さらけ出すを見て、商人、いわく、「其れには、決して、及ばない。貴公の犬が、拙妻と云つたら、本當の拙妻で、予の不在中に、素性《すじやう》の知れぬ男を引き入れ、家名を汚《けが》した上、屁を、七つ迄、尻から言ひ譯抔と洒落て、ひり逃げにする程の、不貞腐《ふてくさ》れの姦夫を殺し吳れた忠節、既に五百金を償ふて餘り有り。因《よつ》て、先刻、兼て預り置いた證文を、其口に銜へさせて放ち遣つたに、貴公は逢はずや。何かしたと見えて、恐ろしい顏付《かほつき》だ。彼《か》の犬に、凶事でも有つたのか。」と聞きも果《はて》ずに、狩人は、五體を地に抛《なげう》ち、「ハア、早まつたり、そんな譯と知らずに、犬を殺して了つた。定めて、予を恨んでがな居《を》るだらう。」と言ふかと思へば、忽ち、短刀で、自《みづか》ら、突いて、矢庭に、死してんけり。商人も、「先刻、漸く、家に歸つて、女房の不貞を知り、屁を七つまで發射される。せめて、狩人が來る迄、俟《ま》つたら、犬も、人も、死なすまいに。」と、悲しさと、臭さに、氣を取詰《とりつ》め、狩人の手から、もぎ取つた刄《やいば》で、是亦、自殺した。

 此事、程無く、村中に聞え、狩人の妻、古い川柳に、「奧樣は夕べせぬのが無念也」[やぶちゃん注:底本では、「せぬ」の部分が、「✕✕」と伏字になっているが、「選集」で復元した。]と有る通り、「こちの人は、正直で、永らく不在で、漸く、金を拵らへ、歸つて、久し振《ぶり》の睦言《むつごと》も交へない内に、仕拂ひに出た斗《ばか》りに、自他を連ねて、こんな憂き目を見るといふは、何たる因果ぞ。自分、此上、永らへて、おかしな[やぶちゃん注:ママ。]夢抔見るも、物笑ひの種なれば、生延《いきのべ》て何かせん。」と、是亦、身を井戶に投げて死んで了ふ。商人の妻も、自分一人の心得違ひから、三人一疋といふ、人と犬の落命を惹起《ひきおこ》し、町へ出れば、「そりゃ。無類《むるい》の助兵衛女《すけべゑをんな》が通るは。屁を、七つまで、さても、根《こん》强く、よく、ひつたり。定めて、腰がしたゝかで有らう。」など、子供が、罵り附いて來るので、今更、世に在る望みも絕えて、是亦、自殺したと云ふ事だ。

[やぶちゃん注:以下、一行空けがある。]

 

 キングスコート夫人、右の談に附記して、其書二九二―三頁に述べたは、『一八三四年出板、「アジアチク・ジヨーナル新輯」卷十五に、カウンポールの一新聞紙から次の噺を引き居《を》る。』と序して、ダペーと名《なづ》くる行商人、ビロてふ犬を持つ。此犬、主人の旅行に伴《とも》して、主人の眠る間だに、よく其貨物を番した。時にダベー、穀《こく》を、遠方へ賣りに行かんとすれど、資本、なし。熟考の末、其犬を、千金に質入れして、用を足《たさ》んと、奔走するを、皆人、笑ふて、顧みず。ヂヤラムてふ富商、其犬を質《しち》に取つて、十二月《つき》を限つて、千金を貸した。十一ヶ月立つて、「こんな詰まらない物を抵當に、千金も貸したは、愚の骨張《こつちやう》[やぶちゃん注:「骨頂」はこうも書く。]。」と悔やめど、甲斐なし。然る處ろ、眞闇《まつくら》で恐ろしい一夜《ひとよ》、夥しく、刀の音と、犬の聲するに、眼を醒《さま》すと、一群の盜賊、闖入するを、犬が必死に成つて、防戰最中だつた。ジヤラム、何とか犬を助勢せうと思ふ内、犬、既に、二賊を嚙み殺した。第三の賊が、ジヤラム來たるを見て、其頭に打つてかゝる處を、犬、其吭に喰付《くひつ》いて、是も、斃《たふ》して了つた。騷動、畢《をは》つて、ジヤラム、「よくも、此犬を質に取置《とりお》いた。」と大悅び、翌日、犬を呼んで撫𢌞《なでまは》し、「汝、昨夜の功は、千金に優る。褒美に、今より、暇《いとま》を取らすぞ。」と云ふと、ビロ、首を振つて、『本主ダベーが歸つて來ない内に爰《ここ》を去る事は成らぬ』と云ふ意を表はした。ジヤラム、乃《すなは》ち、事由を書付《かきつ》け、「千金は、消し帳。」と記《しる》して、犬の頸に結付《むすびつ》けると、犬は、悅んで、飛𢌞《とびまは》り、ジヤラムの手を舐ねた後ち、本主を尋ねに立去《たちさ》つた。一方、ダベーは、「期限も遠からず、何とか、借金を濟まさん。」と心配した事業が、中《あた》つて、金が出來たので、「一刻も早く、犬を受け出そう。」と金を持つて、急ぎ歸る。今一足で、吾家といふ處で、バツタリ、犬が悅んで近寄るに出逢《であつ》た。素《もと》より、正直一徹の氣象とて、犬を蹴飛ばし、額に、皺、よせ、「此恩知《おんしら》ずめ。いつも可愛がつてやつたに、飛《とん》だことをしやあがる。十一ヶ月の間、奉公したのに、今三十日の辛抱が成らぬか、約束の日數《ひかず》を勤めないで、予の信用を失はしめた奴は、殺さにや成らぬ。」と云ふや否や、拔刀して、ビロを斬殺《きりころ》した。殺し了つて、頸に結びつけた紙に氣が付き、「なになに。『この犬、昨夜、白刄を冐《をか》して、三賊を殪《ころ》し、予の命を全うした功、千金に優る。依つて、其の主人に貸した千金を消し帳とし、犬を解放する。』と、ジヤラムの手筆《しゆひつ》だ。「そんな事とは、露知らず、燒芋の一つもやらずに殺したは、扨も、恩知らずめと、此主人を蔑《さげ》しむことで有ろう。」と、悔《くい》の、八千度、繰り返しても、跡の祭り、「せめて、幾分の罪滅しに。」と、只今、犬が殺された、其所へ埋《うづ》め了り、其上に、立派な碑を立てた。今も、其邊の土人が、犬に嚙まるゝと、其墓に詣り、墓邊《はかのべ》の塵を取り、歸つて、創《きず》に當《あつ》れば、忽ち、平癒す、と云ふ事だ。(大正十二年六月十四日早朝)(大正十三年五月『日本土俗資料』一輯)

[やぶちゃん注:最後のクレジットと初出書誌は同前で補ったもの。

 以下、一行空けがある。]

 

 人の情事に犬が關係した件《けん》を、今一つ、見出だしたから、申し上ぐる。和銅頃の筆といふ「播磨風土記」に、昔し、景行天皇、播磨の印南別孃(《いなみの》わきいらつめ)を訪《おとなは》んと、赤石郡《あかしのこほり》に到り玉ふ。其時、別孃、聞いて、驚き畏れ南毗都麻(なびつま)島に遁れ度(わた)る。是に於て、天皇、乃《すなは》ち、賀古の松原に到りて、覓《もと》め訪ひ玉ふ。是に於て、白犬、海に向《むき》て、長く、吠ゆ。天皇問ふて云《いは》く、「これ、誰《た》が犬ぞや。」と。須受武良首(すゞむらのをびと)對《こたへ》て曰く、「是、別孃、養ふ處の犬也。」と。天皇、勅して云く、「好く告《つぐ》るかな。」と。故に「告(つぐ)の首(おびと)」と號《なづ》く、と。其より、海を渡つて、孃に遇ひ、睦事《むつびごと》をなし玉ひし次第を、述べて居《を》る。畢竟、此孃、海島《かいとう》に遁れ隱れたのを、犬が吠《ほえ》て、其所を知らせたので、天皇、殊の外、御機嫌だつたと見える。(五月二十八日)(大正十二年六月『土の鈴』一九輯)

[やぶちゃん注:最後のクレジットと初出書誌は同前で補ったもの。

「和銅」七〇八年から七一五年まで。女帝元明天皇の治世。

「播磨風土記」現在、編纂が行われた期間は和銅六(七一三)年から霊亀元(七一五)年頃までとされている。

「印南別孃」播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ)。第十二代景行天皇の皇后。日本武尊の母。針間之伊那毘能大郎女(はりまのいなびのわかいらつめ)とも呼ぶ。「播磨風土記」では、逃げ隠れた場所を「南毘都麻(なびつま)の嶋」と記している。現在、兵庫県高砂市荒井町(あらいちょう)小松原(こまつばらにある三社大神社(グーグル・マップ・データ)に比定されてあるようである。]

佐藤春夫譯「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」正規表現版 「人に寄す」溫婉

[やぶちゃん注:書誌・底本・凡例等は初回を見られたい。本篇はここ。]

 

  人 に 寄 す

             萬 木 凋 落 苦

             樓 高 獨 任 欄

             誘 幃 良 夜 永

             誰 念 怯 孤 寒

                   溫  婉

 

人目も草も枯れはてて

高殿さむきおばしまの

月にひとりは立ちつくし

歎きわななくものと知れ

月をうかべたる波を見て

 

   ※

溫  婉  宋朝の妓女。 未詳。

   ※

[やぶちゃん注:朱衛紅氏の論文「佐藤春夫『車塵集』における古典和歌との交渉」(筑波大学比較・理論文学会刊の『文学研究論集』(二〇〇一年三月発行)。「つくばリポジトリ」のこちらからダウン・ロード可能)によれば(注記号は省略した)、

   《引用開始》

 この詩の原題は「初冬有寄」で、原作者の温婉は宋代の女流詩人である。

 原詩は、「すべての木々の葉が枯れて散り、私も落ちぶれてしまった。楼閣の欄干に私は一人もたれる。恋人と過ごす夜は、永遠に巡ってこない。帳の中でひとり寂しい寒さに怯える私を、誰が思うだろう」という意味である。吉川発輝は原誌の承句に誤記があるとして、「(原詩の筆者注)承句は「楼高独任欄」ではなく、「楼高独凭欄」とすべきである。言いかえれば、第四字「任」は「凭」の誤記である。『春夫詩抄』と『玉笛譜」などは「凭」となっている。訳詩の底本も「凭」となっている。」と指摘している。原詩の起句「万木凋落苦」は冬の荒涼たる光景を描写しており、「万」は承句の「独」と対句をなし、そこから、かつての大勢の人に臨まれていた過去を暗示していることがわかる。そして訳詩では、「人目も草も枯れはてて」と訳している。これは、「山里は冬ぞさびしさまさりける人めも草もかれぬと忠へば」(『古今集』冬・315、源宗子朝臣)を下敷きとした訳と考えられる。「かれぬ」は掛詞であり、「草」に対して「枯死する」という意味をもっと同時に、「人め」に対して「(時間的にも空間的にも)離れる、遠のく」または「うとくなる、関係が薄れる」を意味する。また、訳詩の「人目」は、訳詩に暗示された「大勢の人に囲まれていた過去」を具体化しているものである。吉川発輝は「原詩のように対句法を使っていない」と論じている。しかし「人目」が訳詩の転句にある「ひとり」にかかり、対句的な表現をなしていることがわかるのではないだろうか。原詩の「木」が、訳詩では「草」に訳されている。これにより、訳詩の起句、承句、転句の叙景が、「草」から「高殿」、そして「月」へと視線を次第に高くし、叙景に臨場感を与え詩情を高める効果を与えているのである。

 吉川発輝は訳語の起承二句について、「やはり七五調に訳されていて、りズムを主眼とし意を従としている。また韻律美に気を配りすぎて、原意を犠牲にした訳である。」と論じている。しかし上記の分析を試みることで、訳詩は原詩の詩情を十分に伝えていることがわかるのである。

   《引用終了》

と、見事な解析を示しておられる。

 以下、以上の朱衛紅氏の解説を参考にしつつ、「任」を「凭」に変えて、推定訓読を示す。

   *

 初冬(しよとう)に寄する有り

萬木(ばんぼく) 凋落(てうらく)して 苦(くる)し

樓(らう) 高(たかくのぼ)りて 獨り 欄(おばしま)に凭(もた)れり

幃(とばり)に誘(さそ)はれて 良夜(りやうや) 永(なが)し

誰(たれ)をか念(おも)はんや 孤寒(こかん)に怯(おび)へつつ

   *

「孤寒」孤独で寂しいこと。]

佐々木喜善「聽耳草紙」 一六四番 桶屋の泣輪

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここ。]

 

      一六四番 桶屋の泣輪

 

 或所の長者に齡頃《としごろ》の一人娘があつた。聟を貰ふ事になつてフレ出すと、三人の若い者が集まつて來た。大工と鍛冶屋と桶屋とであつた。

 長者は其中で一番テンド(技術)のよい者を聟にすることにした。まづ大工が家を建てることになり、鍛冶屋は(何をやつたか忘れた。)桶屋はコガ(大桶)を結《ゆ》ふことになつた。

 三人は自分のテンドウのある限りガンバつたが、鍛冶屋が到々《たうたう》[やぶちゃん注:漢字はママ。「到頭(たうとう)」が正しい。]一番先に仕上《しあげ》てしまつた。大工はまだ其時はカマズ[やぶちゃん注:不詳。溶かした鉄のことか。]が殘つて居て聟になりかねた。桶屋は最後の一輪を入れるところであつたが、少しの違ひで聟になりかねたので、泣き出した。

 それから桶屋が最後に入れる(結う)輪のことを、泣輪と呼ぶことになつた。

  (大正十五年六月、田植にて相模久治郞と云ふ人か
   ら聽いたと田中喜多美氏の御報告の分。)

 

梅崎春生「つむじ風」(その17) 「からみ合い」

[やぶちゃん注:本篇の初出・底本・凡例その他は初回を見られたい。]

 

     か ら み 合 い

 

 猿沢家のれいの三畳の私室で、猿沢三吉と浅利圭介は額をつき合わせ、ひそひそと相談を交していた。

「そうか。そういうことまで調べてきたか」

 三吉はたのもしげに、この有能な支配人の顔を眺めた。

「メザシ一本槍か。敵も決死の覚悟と見えるな。どうやってそこまで調べた? ノゾキでもやったのか?」

「ノゾキだなんてそんな下品なことは僕はやりませんよ」

 圭介は昂然と顔を上げた。

「出入りの商人に全部当って見たのです。この間までずいぶん買って呉れたのに、近ごろはさっぱりだと、皆こぼしていましたよ」

「酒屋はどうだった。恵之助の奴は大の酒好きの筈だが」

「特級酒を焼酎に切り下げたそうです」

「ううん。焼酎にしたか。煙草屋は?」

「息子はのんでいるが、親爺の方は全然禁煙をしたらしいですな。それから勇寿司ね、あそこにも全然足踏みをしないとのことです」

 勇寿司、という言葉を聞いて、三吉の眉はぴくぴくと痙攣(けいれん)した。かつて恵之助と、飯粒だらけになってつかみ合った古戦場なのである。

「猿沢さんもいよいよ覚悟をきめる時が来たようですな」

「そうのようだな」

 三吉は腕を組んだ。

「昨夜一晩ほとんど眠らずに考えたのだが、わしの考えとしてはだな、うちの三軒もとりあえず十二円に値下げをする。新築の方は突貫工事で完成して、泉湯に圧力をかける。さし当って、そういう対策を取りたいと思うのだがね」

「突貫工事の費用は、どこから持って来るのですか。高利貸ですか?」

「高利貸? とんでもない」

 三吉は身体を慄わせた。

「名古屋の方で、わしらの同業者が、高利貸から金を借りて、たいへんな目にあったそうだ。ある週刊雑誌に、その記事が出ていたよ」

「じゃあどうするんです?」

「上風徳行に頼んで見ようかと思う。あのタクシー会社は景気がよさそうだから」

 そして三吉は声を低めた。

「うちも十二円に値下げするからには、生活の切下げをしようと思う。それでなくては、とてもやっては行けない」

「その方がいいでしょうな」

「向うがメザシで来るなら、こちらは、そうだな、約豆と行こう。わしは納豆(なっとう)はあまり好きでないが、この際万止むを得ん」

「納豆はいいですな。消化はいいし、植物性蛋白質は豊富だし」

「それから従業員の給料も――」

 やや言いにくそうに三吉は発言した。

「一律に二割減らすことにしようと思う。危急の場合だから、これまた万止むを得ん[やぶちゃん注:「ばんやむをえん」。「万事(ばんじ)に亙(わた)って止むを得ぬ」で、ありとあらゆる状況が何もかも仕方がない状態にあることを言う。]

「従業員と言うと、僕もその中に入るんですか?」

「そ、そうだよ」

「そんなムチャな、一方的な――」

「そのかわりに、戦に勝ったら、君だけは五割増しにしてやるよ。な、それで我慢しなさい」

 三吉は慰撫につとめた。

「さあ。家族全員、茶の間に集まるように、あんたから伝えて下さらんか」

 

「以上のようなわけでだ、浅利支配人とも相談の上、わしんとこも十二円に値下げすることにした」

 茶の間のチャブ台を取巻いた家族たちの顔を、猿沢三吉はぐるぐる見廻した。

「十二円に値下げをすれば三吉湯の経済は必然的に赤字になる。だから各方面を節約して、赤宇を少くするようにしなければ、三吉湯は破産してしまう。まず第一に従業員の給料だ。これは一律に二割引きときまった。浅利君がそのように皆を説得して呉れることになった。なあ、浅利君」

 浅利圭介は眼をしょぼしょぼさせ、情なさそうにうなずいた。

「第二には家族の生活経費だ。泉湯の息の根をとめるまで、家族の衣類の新調は一切差止めとする」

「まあ、ひどい」

「まあ、ひどい」

 一子と二美は異口同音に、抗議の叫びを上げた。若い女性の身空として、衣類新調の禁止は、身を切るよりつらかろう。

「そんな横暴がありますか」

「基本的人権のジュウリンよ」

「お黙りなさい!」

 母親のハナコが娘たちを叱りつけた。ハナコは歳が歳であるから新調禁止令にはさほど痛痒(つうよう)を感じないのである。

「三吉湯が栄えるか亡びるかの、大切な時期なんだよ。少しはお父さんの気持も察して上げなさい!」

「そうだ。まったくだ。少しは察しろ!」

 三吉はハナコの言葉に便乗した。

「次には食事だ」

 三吉はまたぐるぐると一同を見廻した。

「浅利君とも相談したんだがね、一人一日当りの食費を、六十円であげて貰うことにする」

「六十円?」

 ハナコは反問した。

「おかず代が、一人一日六十円というわけですね?」

「おかず代じゃない。主食も含めてだ」

「主食も含めて、たった六十円であげろって? そんなムチャな?」

 ハナコは声を上げて嘆息した。

「それこそ基本的人権のジュウリンですよ」

 衣類新調禁止は平気だが、食い物の切下げということになると、ハナコも相当の食いしん坊であるから、承服出来るわけがない。

「何が人権ジュウリンだ!」

 予期せぬ反撃を受けて、三吉も声を高くした。

「かの泉親子は、近頃何を食べているか。浅利君の報告によると、朝は味噌汁一杯だけ。昼晩はメザシに梅干だけという話だぞ。うちだって泉の野郎に負けてたまるか!」

「米代だけだって、一日六十円はかかりますよ」

 ハナコは怒鳴り返した。

「配給米が一キロ七十六円五十銭、希望配給は八十四円五十銭。うちは皆食欲が盛んだから、一人当り三日で二キロは食べますよ。それともあなたは、おかず抜きで、メシだけ食べろと言うんですか!」

「メシだけ食えとは言わん。麦を混ぜればいいじゃないか。サッマ芋なら、もっと安くつく」

 三吉は口角泡を飛ばした。

「その浮いた分を、おかずに廻せ!」

[やぶちゃん注:「配給米」本篇連載時(昭和三一(一九五六)年)、未だ米(こめ)は食糧管理下に含まれており、配給米穀配給通帳(農林水産省発行で、市町村が職務代行で発給を行っていた)によって、国の許可した登録業者から米の配給を受ける管理制度が生きていた。後の昭和四四(一九六九)年から自主流通米制度が発足し、それに伴い四月一日から配給も登録業者以外からも受けられるようになり、昭和四七(一九七二)年三月二十八日を以って米穀は「物価統制令」の項目から除外された(以上はウィキの「米穀配給通帳」に拠った)。]

 

「サツマイモ?」

 ハナコは鼻を鳴らして冷笑した。

「まさか。戦争時代じゃあるまいし」

「我が家にとっては、戦争時代だ!」

 三吉は見得を切った。

「泉湯の野郎たちが、メザシに梅干という戦時体制をとっているのに、こちらだけ安閑として、ぜいたくをしておられるか」

「いいんですか。そんなことを言って」

 ハナコは膝を乗り出した。

「あたしはもちろんのこと、一子も二美も、オサツは大好きなんですよ。あなたがそういう覚悟なら、朝昼晩オサツの一本やりと行きましょう。それなら一人当り、六十円もかかりません。あとになって音[やぶちゃん注:「ね」。]を上げても、あたしゃ知りませんよ」

「そ、それは待って呉れ」

 三吉はたちまち狼狽した。

「な、なにもわしは、食事をオールサッマイモに切換えろ[やぶちゃん注:「きりかえろ」。]と言ってはいない。六十円の範囲内で、質素にして栄養のある食事をつくって呉れと言ってるだけだ。誤解してはいけない」

「…………」

「食事のみならず、生活のあらゆる面を質素化、簡素化して行こうと言うのだ。もちろんわしは、お前たちだけに強要するんじゃない。わしが陣頭指揮、率先垂範[やぶちゃん注:「すいはん」。]して、身辺のムダをはぶこうと思っている」

 その三吉の壮絶な隣組長的弁論も、折柄鳴り渡った電話のベルで中絶した。三吉はごそごそと部屋の隅の小机に膝行(しっこう)、受話器をとり上げた。

「はい。もしもし。こちらは猿沢でございます」

「もしもし」

 きんきんした女声が戻って来た。

「猿沢のおじさま。あたしよ。真知子よ」

 三吉はぎょっと背筋を固くした。

「今月分のお金、どうしたのよ。一葉全集も買わなくちゃいけないし、早く持って来てよ!」

「ま、まいど有難うございます」

 恐怖のため、三吉の声はわなわなと慄えた。

「明日にでもおうかがいします」

「明日じゃ遅過ぎるわ。今日持って来て。持って来ないと、こちらから押しかけるわよ」

「で、では、今日、今から早速、おうかがいします」

 三吉はがちゃりと電話を切り、そっと掌で額の汗を拭いた。ハナコが訊ねた。

「誰からかかったの?」

「上、上風社長からだ」

 そして三吉は、ふうと大きな溜息をついた。

「すぐ来て呉れというのだ」

「上風社長に、毎度ありがとうございますってのは、へんじゃないの」

 ハナコはいぶかしげに、三吉の顔をのぞき込んだ。

「上風社長は三吉湯のお客じゃないわ」

「お客じゃなくても、毎度ありいとあいさつするのは、風呂屋の主人としての心掛けだ」

 三吉は強引にごまかした。

「わしに何十年もつれそっていて、そのくらいのことが判らないのか」

「はい」

  ハナコは不承々々口をつぐんだ。その機を逃がさず、三吉はすっくと立ち上った。

「さあ、わしはちょっと出かけて来る。浅利君。三吉湯三軒の表に、十二円の値下げの告示を貼り出しておいてくれよな」

 愛用のおんぼろ自動車を操縦しながら、猿沢三吉はしんから大きく吐息した。

「まったく驚かせやがる。うちに電話をかけるなと、あれほど言って置いたのに、何たることだ。真知子のやつめ!」

 憤懣やる方ない面もちで、三吉はつぶやいた。

「ハナコに聞かれたら、半殺しの目にあうじゃないか」

 鼓動はようやく収まったけれども、三吉の血圧はかなりはね上っていた。ショックを受けることが、高血圧症にはもっとも悪いのである。

 三吉の自動車は警笛を鳴らしながら、やがて上風タクシーの構内に入って行った。

 社長室で上風徳行は、はさみをチョキチョキ鳴らして、相変らず顎鬚の手入れに余念がなかった。

「やあ。久しぶりだね」

「うん。忙しいのなんのって」

 三吉は上風に向い合って、どっかと椅子に腰をおろした。

「時に上風君。すこし金を融通して呉れんかね」

「金?」

 上風ははさみの手を休めた。

「いくらぐらいだね。何に使うんだい?」

「五十万でも、三十万でもいいよ」

 三吉は片手拝みをした。

「あの新築三吉湯を、早く建ててしまいたいんだ。ところがどうしても金繰りがつかないんだ。あんただけがたよりだよ」

「よして呉れよう」

 上風もはさみを置いて、片手拝みの姿勢となった。

「三十万、五十万だなんて、おれの方がよっぽど借りたいよ。近頃おれんちの野郎ども、気がたるんどると見えて、毎日一件か二件、通行人を轢(ひ)き殺したり、はね飛ばしたりしてるんだよ。弔慰金で、おれんちも上ったりだよ」

「そうかい」

 三吉はがっくりと首を垂れた。

「そいつは弱ったなあ」

「お互いに、不景気風が身にしみ渡るねえ」

「では、二万円、いや、一万五千円でもいいよ」

 三古は首を垂れたまま、掌をつき出した。

「今、貸して呉れえ」

「一万五千円? そりゃずいぶん切下げたもんだな。何に使うんだい?」

「今月分の真知子の手当だ」

 三吉は口惜しげに舌打ちをした。

「うちに電話をかけるなと、あれほど言っといたのに、電話で催促しやがったんだよ。それで泡食って飛び出したんで、財布持ってくるのを忘れたんだ」

「ほんとに忘れたのかい?」

 上風は疑わしそうに三吉を見ながら、内ポケットに手を入れた。

「一週間内に返して呉れよ」

「返すとも」

「返さなきゃ、あんたの自動車を取り上げるよ」

 紙幣束といっしょに、紙とペンを上風はつきつけた。

「一筆書いて呉れよ。自動車を担保に入れるってさ」

「わしの信用も下落したもんだなあ」

 悲痛な声で嘆きながら、三吉はペンを取り上げた。

 

 富士見アパートの横丁に小型自動車が止まり、運転席から猿沢三吉の肥軀[やぶちゃん注:「ひく」。]がごそごそと這い出てきた。アパートの玄関で、折柄出て来た陣太郎と、三吉はぱったりと顔を合わせた。

「おや。陣太郎君か」

 三吉はあたりを見廻し、なるべく唇を動かさないで発声した。スパイの陣太郎と話しているところを、真知子に見られたら、具合が悪いのである。

「おお。猿沢さん」

 陣太郎も調子を合わせて、腹話術的発声法をした。

「真知子は在宅中ですよ」

「知ってるよ。電話がかかってきたんだ」

 三吉は渋面をつくった。

「まだ真知子のやつは、浮気をしないかね?」

「まだやらないようですな。割に品行方正です。猿訳さんだけで満足してるんでしょう」

「満足だなんて、そんな――」

 三吉は嬉しそうな、悲しそうな、また迷惑そうな顔をした。

「これからもよく見張りを続けて呉れ。ぬかりなく頼むよ」

「承知しました」

 陣太郎は合点々々をした。

「それから、おれ、そろそろ生活費がなくなって来たんですよ」

「生活費?」

「とぼけちゃいやですよ。おれに月一万円の生活費を出すという――」

「この間出してやったばかりじゃないか」

 三吉はたまりかねて、唇をぱくぱく動かした。

「まだあれから一ヵ月は経たんぞ」

「でも、なくなったから仕様がないですよ」

 陣太郎の方は相変らず、唇をほとんど動かさなかった。

「金がなくては、生活出来ない。では、おれ、泉恵之助のところに、貰いに行こうかなあ」

「ま、まって呉れ」

 三吉はあわてて両掌を突き出した。

「恵之助に真知子のことを、しゃべるつもりか」

 陣太郎はあいまいな笑いを頰に走らせた。

「と、とにかく、三四日待って呉れ。わしだって苦しいんだ。待てぬことはなかろう」

「三四日ですね。よろしい。待ちましょう」

 陣太郎は胸板をたたいた。

「では今日は、ゆっくり楽しんで下さい」

「浮気のこと、くれぐれも頼むよ!」

 今日は楽しみに来たんじゃないんだぞ、と怒鳴りたいのをこらえ、三吉は忌々(いまいま)しげにそう言い捨て、階段をかけ登った。その後姿が見えなくなって、陣太郎はおもむろに富士見アパートの玄関を出た。

「さて。今日は加納明治を訪問するとしようか」

 とっとっと歩きながら、陣太郎はつぶやいた。

「三吉おやじも相当にしけて来たらしいな」

 三吉は二階の廊下をのそのそ歩き、真知子の部屋の前に立ち止った。扉をコンコンとたたいた。中から声がした。

「どなた?」

「わしだよ」

「ああ、おじさま」

 ノブが廻り、扉は内側から開かれた。真知子の白い顔がのぞいた。

「今月分のお手当、持ってきて下さった?」

 

「持ってきたよ。持って来りゃいいんだろ」

 猿沢三吉は仏頂面のまま、部屋に上り、机の前にどしんとあぐらをかいた。

「何を怒ってらっしゃるの?」

 真知子は茶の用意をしながら、やさしい声で言った。

「おじさまには、怒った顔は、似合わないわ。やはり、にこにこ顔の方が似合ってよ」

「にこにこ笑っていられるか!」

 三吉は腹立たしげに机をどんと叩いた。

「あれほど電話をかけるなと言っといたのに、真昼間[やぶちゃん注:「まっぴるま」。]から電話をかけて来るなんて、わしだったからよかったようなものの、出たのがハナコだったらどうする。身の破滅じゃないか!」

「あら。他の人だったら、あたし、すぐ切るつもりだったのよ。はい、お茶召し上れ」

「いくら切るったって、そんな無謀な」

 三吉は茶碗を取り上げた。

「わしは血圧が高いんだぞ。あんまりわしを驚かせるな。これ以上ギョッとさせると、わしは卒倒して、たちまち死んじまうぞ。わしを殺すつもりか」

「まあ、なんて大げさな」

 真知子は首をかしげ、可愛ゆく嘆息した。

「おじさまを殺すわけがありますか。おじさまが死ねば、第一に困るのはあたしなのよ。折角卒業までの学資が保証されてるのに、今コロリと行かれちゃ、一体あたしはどうしたらいいの? 学校をやめろとでも言うの?」

「だからわしを、大切にしなさいと言うんだ。電話をかけるなんて、もってのほかだ」

「だって、いくら待ってても、今月分持ってきて下さらないんですもの」

 怨ずるような視線を、真知子は三吉に向けた。

「そう言うけれども、わしんちも苦しいんだよ。経済失調にかかってるんだよ。あんたも知ってるだろう。泉湯とのせり合いで、三吉湯も十二円に値下げということになったんだよ」

 三吉はいかにも惜しそうに、内ポケットから紙幣束を引きずり出した。

「これだって、友人から、血の出るような借金をして来たんだ。これ、一週間内に戻さなきゃ、自動車を捲き上げられてしまうんだよ」

「あのボロ自動車を?」

「ボロであろうとなかろうと、自動車は自動車だ!」

 けなされて三吉は若干いきり立った。

「あの自動車がなけりゃ、わしはここに通って来れないんだぞ」

「都電に乗って来ればいいじゃないの」

「都電なんかで、二号通いが出来ますか。ばかばかしい」

「あら。どうして?」

 真知子はいぶかしげな顔をした。

「自動車だって都電だって、変ったところはないじゃないの」

「変ったところはあるよ。しかし、その問題はそれでよろしい」

 三吉はいらだたしそうに話を打ち切った。

「そこでだね、泉湯のバカおやじという奴が、また頑固なやつで、そのうちに十円に、また八円に、値下げして来るかも知れない。それに対抗するには、どうすればいいか」

「こちらも値下げすればいいじゃないの」

「そうだろう」

 三吉は大きくうなずいた。

「値下げに値下げを続ければ、わしんちの経済はどうなるか。あんたにも判るだろう」

 

「そりゃ判るわ」

 真知子は平然として答えた。

「値下げすればするほど、収入が減って、おじさまは貧乏になるんでしょう」

「そうだ」

 猿沢三吉はぽんと膝をたたいた。

「先刻も、あんたから電話があった時、わしは家族一同に対して、一場の演説をしていたのだ」

「演説? おじさまが?」

 真知子はあわてて掌を口の蓋にした。

「笑うな」

 三吉はすこし気を悪くして、語調を荒くした。

「わしだって、必要があれば、演説ぐらいはする!」

「どんな演説なの?」

 口から掌を離して、真知子は三吉にながし目を送った。

「あたしも聞きたかったわ」

「うん。わしが陣頭指揮、率先垂範して、身辺のムダを省こうといった趣旨のものだ」

 たちまち三吉は機嫌を直して、またぽんと膝を打った。

「な、判るだろ。身辺のムダを省こうと公言した手前だな、あんたという存在を、今後もずっと続けて行くというわけに――」

「あ、あたしのことを、ムダだと言うの!」

 きりりと真知子は柳眉を逆立てた。

「あたしのどこがムダなのよ。バカにしてるわ。あたし、怒るわよ」

「あ、あんたの全部がムダだとは言ってない」

 三吉はあわてて両掌で空気を押した。

「つ、つまりだな、あんたという女性は実に立派な女性だが、わしにとってはもうゼイタクであり、ムダであるというわけだ。な、収入がごしごし減って、わしは貧乏になるんだよ。その貧民のわしが、立派な女性であるあんたを囲うなんて、こりゃ全然ムダ――」

「おじさまにとって、あたしがムダであっても、あたしにとって、おじさまは全然ムダでないのよ」

 真知子はぱしりと机をたたいた。

「ムダどころか、大の必要物なのよ。初めからの契約じゃないの。卒業までは絶対に離さないわ。離してたまるもんですか!」

「そ、そこを何とか!」

「ダメ!」

 甲(かん)高い声で真知子はきめつけた。

「おじさま。そんな身勝手がありますか。卒業までは確実に面倒を見るって、最初からの契約ですよ。それを身勝手に、一方的に破棄しようなんて」

「い、いかにもそんな契約をした」

 三吉はおろおろと抗弁した。

「しかしだね。あの契約当時は、わしも商売は繁昌、ふところもあたたかかった。だからあんな契約もむすんだのだ。ところが今は、ごらんの通り、経済失調と相成った。ね、考えても見なさい。わしがあんたに飽きたとか、嫌いになったとかで、契約を破ったのなら責められもしよう。ところがそうじゃなくて、貧乏になって囲い切れなくなったんだから、そこを何とか――」

「貧乏、貧乏というけれど、おじさまが勝手に貧乏になったんじゃないの。その責任をあたしにまで負わすなんて、不合理だわ。不合理もはなはだしいわ!」

 真知子はますます言いつのった。

「それなら値下げしなきゃいいじゃないの」

 

「わしだって、好きこのんで、値下げ競争してるわけじゃない」

 猿沢三吉は口をとがらせた。

「泉湯のやつが値を下げるから、こちらも値下げせざるを得ないのだ。な、頼む!」

 三吉は座蒲団からずり下り、畳に両掌をぴたりとついて、頭を下げた。

「男のわしが両手をついて、頭を下げ、熱涙[やぶちゃん注:「ねつるい」。]と共に頼むのだ。な、つらかろうが、この際何も言わず、わしと別れて呉れ!」

「…………」

「わしに未練もあるだろうが、そこを思いあきらめて、いさぎよく身を引いて呉れ」

 三吉は右腕を顔に持って行き、涙をぬぐう真似をしながら、悲痛な声をしぼり出した。

「あんたと別れるのは、このわしもつらい。血の涙が出るような気持だ。な、わしの気持も察して呉れ!」

「別れてあげるわよ」

 真知子は面倒くさそうに口を開いた。

「え? 別れて呉れるか」

 三吉の面上にたちまち喜色がよみがえった。

「そ、それは有難い!」

「別れては上げますけどね、退職金は呉れるんでしょうね」

「え? 退職金? 手切金のことか?」

「そうよ。今まで真面目に勤めたんだから、退職手当ぐらい呉れたって、当然でしょう」

 真知子はつめたい声になった。

「退職金は、六ヵ月分でいいわ」

「六ヵ月分?」

 三吉は仰天した。

「すると、六万円か」

「そうよ。一週間以内に支払ってちょうだい」

「六万円とは、いくらなんでもムチャな」

 三吉は長嘆息をした。

「二万円ぐらいなら、どうにか都合もつくが、六万円なんて、そんな無法な――」

「では、別れて上げないわ」

「別れて上げない、とは何だ!」

 ついに三吉はむっとして、声を高くした。

「わしも男だぞ。元来男には女を捨てる権利があるんだぞ。その権利を、行使しようと思えば出来るのだが、そこを辛抱して、頭を下げてこうして頼んでいるのだ」

「…………」

「最後の提案として、わしは手切金として、二万円だけ出そう。それ以上はビタ一文も出さん!」

 三吉は肥った手首から、決然と腕時計を外した。陣太郎の真似をしようと言うつもりなのである。

「一分間だけ、わしは返事を待とう。それ以上は待たないぞ。いいか。あと六十秒。五十五秒。五十秒」

「…………」

「あと三十秒……二十五秒」

「…………」

「あと五秒」

 三吉はじろりと真知子を見上げて催促した。

「あと五秒だぞ」

 その瞬間、真知子は白い咽喉(のど)をそらして、けたたましく笑い出した。

「何を笑うんだ」

「そんなバカな真似をするからよ」

 真知子は笑いにあえぎながら言った。

「おじさまじゃラチがあかないわ。あたし、今から、ハナコおばさまに逢(あ)いに行く