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2023/07/05

佐藤春夫譯「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」正規表現版 「秋ふかくして」魚玄機

[やぶちゃん注:書誌・底本・凡例等は初回を見られたい。本篇はここ。]

 

  秋ふかくして

            自 嘆 多 情 是 足 愁

            況 當 風 月 滿 庭 秋

            洞 房 偏 與 更 聲 近

            夜 夜 燈 前 欲 白 頭

                  魚 玄 機

 

わかきなやみに得も堪えで

わがなかなかに賴むかな

今はた秋もふけまさる

夜ごとの閨(ねや)に白みゆく髮

 

   ※

魚玄機  九世紀。 唐朝。 薛濤などのすぐ次の時代である。 彼女の生涯に到つては最も浪漫的であまりに慘然たるものである。 長安の狹斜(けふしや)の地で生れた彼女が、十五歲の時、題を得て卽座に賦した江邊柳といふ五言律詩は溫庭筠(をんていゐん)をして好しと言はしめた。十八歲の時、人の妾となつたが情を解しなかつたので、彼女は送られて道觀の女道士となつた。 しかし彼女が一度情を解するや、この女道士は妓女のやうな日夕を送つた。 遂にその婢が彼の愛人と通じたのではないかといふ猜疑に驅られてこれを責めてゐるうちに誤つて婢を死に致した。 彼女は刑によつて斬(ざん)せられ、その多情多恨の生涯は二十六歲で終つた。 唐女郞魚玄機詩一卷が傳はつて世に行はれてゐる。 森鷗外に「魚玄機」といふ作があつて、創作といふよりも彼女の評傳と見得るものである。 詳しくは就て看らる可きである。 その生涯を知つて「自歎多情是足愁」の詩を見ると一層感が深い。 靑春の憂悶の堪え難いのを歎いて、身の寧ろ白髮たらんことを願つたこの詩と殆んど同想同句が、現代英國の狂詩人アアサア、シモンズにあるのも亦一奇である。

   ※

[やぶちゃん注:魚玄機(八四四年?~八七一年?)は晩唐の女流詩人。小学館「日本大百科全書」によれば、『字(あざな)は恵蘭(けいらん)』、『また』、『幼微(ようび)』で、『長安』(現在の陝西省西安の『娼家』『に生まれたが、読書好きで』、『詩才に恵まれ、長安の風流人士に名を知られ、彼らと詩を応酬した。ことに』、ここに出る『詩人温庭筠』『との交際が有名である。若くして補闕』(予備役の官吏)『の李億』『(字は子安)の妾(しょう)となり、幸福な生活を送ったが、夫人に嫉妬』『され、咸宜観(かんぎかん)に入って女道士となった』。後、『侍女を殺した科(とが)で死刑に処せられ、短い生涯を閉じた。現存』四十六『首には「賦(ふ)し得たり江辺の柳」など、人口に膾炙』『した作品があり、詩が社会的に広まっていた現象を物語る』とある。

・「狹斜」元は、長安(現在の西安)の道幅の狭い街の名であり、そこに遊里があった。後に転じて、花柳街・遊里の一般名詞となった。

・「溫庭筠」(八一二年~八七〇年?)同前で引く。『晩唐の唯美詩人。字』『は飛卿(ひけい)。太原(たいげん)(山西省)の出身。優れた詩才をもちながらも、あえて自ら酒色や賭博』『などに身を持ち崩し、ついに科挙に合格できなかった。その最終官職は国子助教という低いものである。彼が好んで詠(うた)ったテーマは、退廃的な恋愛とみなされがちであるが、はばかるところない官能への埋没こそ、唐王朝末期に生まれ合わせた詩人が、徹底して自己を凝視し、かつ主張する手段として恋愛を把握していたことを意味する。その結果として』「温庭筠詩集」七巻・同「別集」一『巻は、各人が分有する特殊な個(エゴ)の基底に横たわる人間一般の描写に、はしなくも成功しているのである。詩とともに詞(ツウ)の開拓者としても重要』である、とある。

・「森鷗外」『「魚玄機」といふ作』『中央公論』大正四(一九一五)年七月発行初出。「青空文庫」のこちらで新字新仮名であるが、読める。正字正仮名では、国立国会図書館デジタルコレクションの大正一二(一九二三)年刊の「鷗外全集」第四巻のここから視認出来る。

・「現代英國の狂詩人アアサア、シモンズ」イギリスの詩人で文芸批評家・雑誌編集者でもあったアーサー・ウィリアム・シモンズ(Arthur William Symons 一八六五年~一九四五年)。一九〇八年、四十三歳の時、妻とイタリア旅行中、精神的に不安定な状態に陥り、帰国後、暫く療養生活を送ったが、精神病は完全には回復することなく、後半生は殆んど執筆は出来なくなってしまった。

 原標題は「秋怨」(しうゑん)。推定訓読を示す。

   *

 秋(あき)の怨(うら)み

自(みづか)ら歎(たん)ず 多情(たじやう)は 是れ 足愁(そくしう)なるを

況(いは)んや 風月(ふうげつ) 庭(には)に滿つる 秋に當(あき)るをや

洞房(どうばう) 偏(ひと)へに 更聲(かうせい)に近く

夜々(よよ) 燈前(とうぜん)ににして 白頭(はくとう)とならんとす

   *

・「多情」人を恋する情が深く、甚だ感じやすいこと。また、そのさま。

・「足愁」胸が全き愁(うれ)いに満ちてしまっている状態にあることを言う。

・「風月」秋の夜の美しくも侘びしい景観であるが、同時に恋情悲愁の孤独な「心の秋」(心傷)の思いを確信犯でダブらせてある。

・「洞房」婦人の閨(ねや)。ここは無論、たった独りで、夜、まんじりともせずに起きている作者のそれ。

・「偏」ここは「如何にも厭なことには」の含意がある。

・「更聲」夜の定時を告げるために打たれる太鼓の音を指す。「更」は夜間を五つに区切った「初更」から「五更」まである。通常は初更は午後八時頃に当たり、以下、現在の二時間間隔で、五更は午前四時相当である。遂に未明を知らせるそれまで、彼女は愁いに捉われて、眠れずにいるのである。

   *]

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