譚海 卷之七 武州熊谷農夫妻の事 /(フライング公開)
[やぶちゃん注:昨日より、電子化注作業を開始した「南方閑話」の正規表現版電子化注の冒頭で必要となったので、フライングして電子化する。そちらでの私の読みを減ずるため、特異的にかなり読みを挿入した(底本には読みは全くない)。長いが、途中に底本自体に改段落があるので、底本通りに電子化した。]
○武州熊谷(くまがや)に農夫あり。母妻とも三人、住(すみ)たるが、年來(としごろ)、不如意にして田地も質(しち)に入(いれ)、借金おほくたつきなく成(なり)しかば、此男母妻(はは・つま)に云(いひ)けるは、如ㇾ此(かくのごとく)貪窮になりてたふれんよりは、我(われ)江戶へかせぎに行て、いかやうなる奉公成(なり)とも三四年もすれば、江戶の進退にて金子(きんす)も出來(いできた)る事あるべし、さらば又立歸りて質地(しちぢ)をも取返(とりかへ)し、安堵する事もあるべし、其間は艱難(かんなん)を忍(しのん)で、母をも見屆(みとどけ)くれよと相談して、既に在所を立(たち)て江戶へ趣(おもむ)けるが、其夜桶川(をけがは)[やぶちゃん注:現在の埼玉県桶川市。グーグル・マップ・データ。]にとまらんとするに、一人旅なれば驛にてとめず、やうやうにして、宿(しゆく)はづれの百姓の家をもとめて、委細の次第をなげきければ、憐(あはれみ)てそこにとめぬ。其家老夫婦一女子(ぢよし)十二三斗(ばかり)なる三人のみなりしが、此女子ことに怜悧(れいり)にして、旅人をいたはり、夜具飮飯の事まで眞實に世話しければ、此男もことに愛憐(あいれん)を覺えて、朝其家を出(いづ)るとき、其女子に錢二百文紙包(かみづつみ)してとらせ、昨夜より何か心をそへて、世話せられし事かたじけなき、報謝すべきやうも旅中なれば成(なり)がたし、是は志(こころざし)ばかりに進ずるとて出(いだ)しける。老夫婦も聞(きき)てかたく辭しけれども、此男とかくいひこしらへて、あまりに此むすめのいたいけにもてなされし、心にそめてうれしくおもひ侍れば、まことに志ばかりにまゐらすにてあり、何とぞ受納有(あり)て、あの子の何ぞ用あらんものをとゝのへて、とらせ給はれかしと、ひたぶるにうらなくいひければ、夫婦も誠なる心にをれて承諾しけり。さて此男江戶知者(しるもの)の方に居て、彼是(かれこれ)奉公の口など聞合(ききあはせ)けるに、與ㇾ風(ふと)新吉原の妓館丁子屋(てうじや)といへるに、飯米(はんまい)つくべき人ほしがる折(をり)なり、田舍の人なれば成(なる)べき事にやといふに、此男身分に馴(なれ)たる業(わざ)なれば、奉公すベしとて頓(やが)て受狀(うけじやう)とゝのへ、壹箇年(いつかねん)給金二兩の定(さだめ)にて丁子屋に居(ゐ)つきたり。夫より後此男律義一遍に米つく事のみ精(せい)に入(いれ)、給金もろふ度(たび)ごとにみだりにつかはず、たよりを待ては[やぶちゃん注:ママ。]在所へ送(おくり)やりければ、奉公の外(ほか)遊山(ゆさん)に出(いづ)る事もなく、よくつとめけるまゝ、その家主人も奇特成(きどくなる)事におもひ、あれ程よき奉公人はなし、ことしも終(をはり)ぬれば、來年は臺所のかたにつかひてみんとて、あくるとしは又給金をまして、其役をいひ付けるに、朝夕米・薪・肴・酒・醬油等の事まで、深切に心をつけ、疎末(そまつ)なきやうにとりあつかひければ、いよいよ主人よろこびて、又其あくるとしは、二階の事[やぶちゃん注:遊廓の表向きの座敷の担当。]勤(つとめ)させけるに、茶屋のかしかた[やぶちゃん注:「貸方」で、貸席の営業方法か。]も精を入(いれ)て取立(とりたて)、隨分間違なく主人へも勘定差出ければ、かように精を入(いれ)律義なるものは少しと、ますます悅(よろこぶ)事限(かぎり)なし、さる心故に遊客女郞などにも目を懸られ、不時の花もらふ事も人より多く、何(いづ)かたにもよきものとおもはれて勤(つとめ)けるまゝ六年斗(ばかり)こゝにある内に金子百七十兩もふけたくはへたり。此男今はかばかりになりぬれば、在所の借金も返濟すべきに心安し、何とぞ母妻も待兼(まちかね)ぬらんに、一日(いちにち)もとく歸鄕せばやとおもひけれど、此男丁子屋にて一(いと)のきり者(もの)に成(なり)しかば、今更いとまねがひたりとも、中々ひまくれらるべきやうすにも覺えざりしかば、一先(ひとまづ)中歸(なかがへ)りの願(ねがひ)をなして、いとまをこはゞゆるさるべしと思案して、主人へ申けるは、私事(わたくしこと)與ㇾ風(ふと)御家(おんけ)へ奉公にまゐり、段々御蔭にて金子等もたくはへ出來致(できいたし)候に付、全體私事不如意に付(つき)在所をはなれ、江戶かせぎの事に候へ者(ば)、母妻もあんじられ候、何とぞしばらくいとま給はりて在所へ立歸(たちかへり)、持參の金子にて質田地(しちでんち)等もうけ返し、在所のものも安堵致させ、又罷歸(まかりかへ)りて奉公致(いたす)べしといひければ、主人も尤成事(もつともなること)に聞屆(ききとどけ)、さらばしばらく逗留中の不自由はいかやうにも取あつかひやるべし、在所へくだり濟(すみ)候はば、又來りて相(あひ)かはらずつとむベしなど、ねもごろにいひて主人も立(たち)そひ、出立(しゆつたつ)の世話致し、荷物など有(あり)あふものは先(まづ)飛脚にて先へ送りやるべしなどいふに、此男いとうれしくやうやうに荷こしらへなどして、先(まづ)人を賴(たより)て其由(そのよし)いひおくりなどして、事々(ことごと)とゝのへはて、さて終(しまひ)には此男出立の事のみになり、例の金子(きんす)肌(はだ)につけて主人にいとまをいひ、新吉原をいで故鄕にむかひけるが、連(つれ)もなく壹人(ひとり)旅行するに、板橋の邊(あたり)よりあやしき男與ㇾ風(ふと)後先に付(つき)て、同道にもあらず言葉もかはさで行(ゆき)つるもの出來(でき)たり。熊谷(くまがや)の男休めば同じくやすみ、酒のめば同じく酒のみ、小便するにとゞまるにも同じく、暫時もあたりはなれず付(つき)まとふにつきて、つらがまち[やぶちゃん注:面構え。]より眼(まなこ)さし迄、何となく氣味わろくおもふに付(つき)て、是はわが金子所持せしを探知(さぐりしり)て、盜人(ぬすつと)のかく付まとふにこそとおもふに、いよいようるさく、何とぞしてかくれのかれ[やぶちゃん注:ママ。]むとはかるに、半日ばかりをかくはなれず付そひてくるゆゑ、與ㇾ風(ふと)謀(はかりごと)を思ひ付(つき)て、洒屋に入(いり)て酒を壹合かひて、錢をはらひかんをしてたまへといふに、此盜人も同じくそこにとゞまりて、かたのごとく酒かふ體(てい)なりければ、此男笠をぬぎてかたわらに置(おき)大便する所求(もとむ)るに、うらのせどに有(あり)といへば、行てみるにせどに外(そと)へかよふ道有(あり)、嬉敷(うれしく)思ひやがて此道を一走(ひとはしり)にはしりて、やうやう盜人に遠ざかり、はしりはしり又驛路(えきぢ)にいでゝ行(ゆく)に、やうやう桶川にいたるほど、日もまだくれにをそ[やぶちゃん注:ママ。]けれど、盜人のいぶせきにそこにあるあたらしき驛舍(えきしや)に宿をこひて、草鞋(わらぢ)もぬぎあへず奧の一間なる所にこもりて、ひそまりふしたるに、湯あみ飯など過(すぎ)て初夜[やぶちゃん注:午後八時頃。]過(すぐ)る頃、門の戶けはしくたゝく音して、今宵こゝにとまりたる壹人旅(ひとりたび)の男(をとこ)有(ある)べし、夫(それ)に用有(あり)、こゝ明(あ)けよと云(いふ)に、宿のあるじもせんかたなく、戶を明てそれを内に入(いれ)たるに、熊谷の男襖(ふすま)の𨻶(すき)よりひそかにみれば、晝(ひる)のほど付(つき)まとひし盜人にて有(あり)けり。見るにつけていとおそろしく、身の毛もよだつの心地すれど、おしだまりて居(を)るに、盜人は竈(かまど)の側に寢(ね)たる體(てい)なり。此驛舍に廿一二ばかりの女(をんな)一人(ひとり)有(あり)、殊にやさしく宵よりまかなひせしが、與ㇾ風(ふと)來りて此男にいふよふ[やぶちゃん注:ママ。]、御方(おんかた)は何とやらん見しりし心地し侍る、いづこの人にましますなどいふに付(つき)て、此男も是を聞(きけ)ば覺えたるおもざしのやうにみゆ、とかくして此女申けるは、此六年前御方は此宿はづれの家に、とまりける人にてはおはさずやといふに、始(はじめ)て心得つゝ、扨(さて)は其折(そのをり)十三四成(なり)し、いと愛ありて覺(おぼえ)し娘なりしにや、扨いかにこゝにはおはすといへば、兩親もなく成(なり)此家に緣(えん)にふれて、やとはれをるやうにて、今はかく侍るなりといふに、扨々緣あれば二度見まゐらする事の、ふしぎなるなど云(いふ)につけて、さればかく又見まゐらするに付(つき)て外(ほか)ならず思ふまゝ我等今宵一大事の難儀あり、何とぞそもじのはたらきにてすくひ給はれとて、道よりぬす人がつきまとひたる始末、こまかに物がたりければ、此女聞(きき)てされば是は御大事(おんだいじ)の事にて侍る、彼(かの)ぬす人は此海道の名に聞えたるあぶれものにて、かやうの事度々(たびたび)に及ベり、それをうるさしとて此家を追出(おひだ)し侍れば、又此家にあだをなし侍るまゝ宵に御方を尋(たづね)きたりつるも、さくべきやうなくしてとゞめ置(おき)たるなり、とにかくに御方の爲(ため)にはかるには、金子もたせ給ひては命もあやうし、但(ただ)わらはが壹(ひと)つ了簡(りやうけん)あれど是(これ)につき給へとも申(まふし)がたしと云(いふ)に、此男うれしく、今はかく命にかゝれる大事に及びぬれば、いかゞにもあれ其了簡に着(つき)侍るべし、とく敎(をしへ)給へといへば、女さらばいかゞなる申し事(ごと)なれど、其金子をわらはにしばし預け給ひて、今宵夜ふかくこゝをのがれて歸りおはしね、金子預(あづかり)給ふにつきては、外(ほか)にしるしとすべきものも、是ならでなしとて、髮にさしたるくしを取(とり)て、此くしをだに持(も)ておはさば、其金子其まゝ引(ひき)かへて返しまいらすべし、たとへ御自分おはさずとも、人傳(ひとづて)にても此(この)くしだにもたせこされなば、うたがひなく渡可ㇾ申(わたしまうすべし)と云(いふ)に、男打悅(うちよろこ)びて、やがて肌の金を解(とき)て女に渡し、其くしを取(とり)て深くふところに納め、其後(そののち)女(をんな)又いふやう、今勝手への給はんには[やぶちゃん注:「今、これから勝手の方にお告げになる時には」。]、明日(あす)明六(あけ)つ[やぶちゃん注:不定時法で夏至頃ならば午前四時頃、冬至で六時半頃であるが、ここは後の「寅の鐘」で前者と判断出来る。]に立べしとの給ふべし、扨御身は此家の後(うしろ)の道より竹藪をつたひてのがれ給へ、其折(そのをり)わらは家(いへ)の後(うしろ)の戶口を明(あけ)まゐらすべしと約してさりぬれば、敎(をしへ)の如く明六つに立(たつ)べき由、聲高くいひあつらひて、寢所(ねどころ)に入(いれ)ども、とかくぬす人(びと)心にかゝりてまどろまれず、いつそいつそ[やぶちゃん注:ママ。「何時(いつ)ぞ何時ぞ」。]と待(まち)あかすに、寅の鐘(かね)[やぶちゃん注:午前四時。]聞ゆるほど、ひそかに此女來りて、しるべして戶をあけ押出(おしいだ)しければ、いとああはたゞしく敎へし道をしるべにのがれいでて、其日やすらう[やぶちゃん注:ママ。]程もなくいそぎぬるまゝ日高く在所へ着(つき)たり。
かねて荷物を送りやりし事なれば、みなみな待(まち)をりて悅び、一村の人もかはるがはる入來(いりきたり)て無事を悅(よろこぶ)事大方(おほかた)ならず、夜ふくる迄いとにぎはしく、やうやう人の來(きた)ら靜(しづか)に成(なり)たる頃、此男母妻にかたりけるは、此六年江戶に奉公せししるし有(あり)て、金子かたの如くもふけ[やぶちゃん注:ママ。]たくはひ、此度(このたび)肌につけ來りしが、道にてぬす人にうかゞはれ、せん方なくしかじか女にあつらへて此櫛(くし)をとりきたれり、このくし則(すなはち)金子なれば、麁末(そまつ)にすべからず、先々(まづまづ)今宵は神棚へ收置(をさめおき)て、あす誰(だれ)にてもしたしき人たのみて、金子請取(こひとり)にやるべしといひければ、母妻も悅事限(かぎり)なし。かくて其夜は宿にふして、夜明(よあけ)てしづかに起出(おきいだし)、けふは先(まづ)いそぎ人やとひて、金子請取にやるべしとて、よべの神棚を開(ひらき)たるに、櫛うせて見へず。大(おほき)に驚き若(もし)油(あぶら)じみたる物ゆゑ鼠などの取(とり)さりたるにや、左(さ)もあれ戶は開かず有(あり)、うしろに穴などや有(ある)とて、神棚をおろし穿鑿(せんさく)せしかど其跡も見えず。そこら引(ひき)はらひあなぐり[やぶちゃん注:「搜・探(あな)ぐる」で「探し回る」。]見けれども、いづかたにもその櫛見えず。我等三人の外(ほか)聞知(ききしり)たる人もなければ、うせぬるこそいぶかしけれと思へどせんかたなきまゝ、よしよし櫛はうせぬとも、自身行(ゆき)て女に對談せば、うたがひなく金子渡(わたす)べしと決心して、知(しり)たる人二三人賴(たのん)で[やぶちゃん注:ママ。]同道し、其日の暮がたに桶川の驛舍にいたり、女に逢(あひ)て、扨々申譯なき次第ありて直(ぢき)に參(まゐり)たり、此程約せし櫛をもて金に取(とり)かふべき筈の所、其櫛一夜(いちや)の内に置失(おきうしな)ひたり、家の内(うち)程々(ほどほど)にあなぐり見つれど見へざる間(あひだ)、面目(めんぼく)もなき次第なれど、直に此事(このこと)を申さばうたがはずして、金子渡しくれらるべしと思(おもひ)て參(まゐり)たりといへるとき、此女甚(はなはだ)不容(ふよう)なる[やぶちゃん注:受け入れがたいような。]顏にて、何とも心得ぬ事に候、其金は以前其御方(そのおかた)よりの御使(おつかひ)とて人(ひと)越(こら)れ、尤(もつとも)くはしき御口上(ごこうじやう)にて、くれぐれもあつき御禮(おんれい)にて、其金子は則(すなはち)御使へ渡し侍る、引(ひき)かへつる櫛は是(ここ)に侍るとて、かしらより取(とり)て見せければ、又此男大に驚き入(いり)、何とも辭(ことば)なく深く當惑(たうわく)せし體(てい)を此女見て、わらはを慥成(たしかなる)ものとおぼされ、おほくの金子預(あづけ)られぬる事間違(まちがひ)て、かくある事(こと)何とも心得られず、ひとつにはわらは僞(いつはり)を申(まうす)やうに取請(とりうけ)給はんもきのどくに候、全く此金子預(あづかり)給ひしことは、此家のあるじにも唯今迄物語せざるほどにつゝみ居(をり)し事なるを、かたがたかく淺間(あさま)に成(なり)ぬる事[やぶちゃん注:お粗末なことになってしまったこと。]、かへりて口惜しく恥かしき事になん、たゞし先(まづ)御心(みここころ)をしづめてとくと了簡ましませ、わらは存(ぞん)じには、此金あからさまにはうせまじく候、此上はわらはが了簡につき給はば、萬一金子出(いづ)る事も候はんと云(いふ)。此男今は十方(とはう)にくれぬれば、いかにもあれ了簡あらば申給へ、夫(それ)に付(つき)てはからひ申べしと云(いふ)時、女さらば先(まづ)歸り玉ひても、必(かならず)さはぎまどひたる體(てい)人にみせ玉ふべからず、しばし程へて久々にて江戶より歸り給ふ事なれば、其祝儀とて村中の人々に酒を振舞(ふるまひ)、そば切(ぎり)にてもてうじて[やぶちゃん注:「調(て)じて」。こしらえて。]、殘らず招(まねき)給へ、わらはが櫛と引(ひき)かへ、金を渡せし時の人の容貌はよく覺へはべれば、其振廻(ふるまひ)[やぶちゃん注:ママ。「振舞」が正しい。]の日(ひ)極(きはま)りなば、わらはかたへひそかにしらせ給へ、わらは行(ゆき)て人々をひそかにかいまみせば、もしその人やその中にあるベき、是(これ)必(かならず)遠き所の人の業(わざ)に非ず、村の中の人にあるべしといへりしかば、男も道理に服して、其あくる日そこより歸りて、さのみことなる事もなき體(てい)につくろひ、其後一二日(ひとふたひ)ありて村中へ禮に行(ゆき)て、私事(わたくしこと)も久々(ひさびさ)江戶にありて此たび罷歸(まかりかへ)りし、留守中も皆樣殊外(ことのほか)御世話に預(あづかり)候事故(ことゆゑ)、態(わざ)と[やぶちゃん注:ここは「少しばかりの」の意。]私のいはひながら、御酒一つ進(しん)じ申度(まふしたく)候、日を約せられて何とぞ各樣(おのおのさま)殘らず御出(おいで)下さるやうにと申(まふし)たり。
其後(そののち)村中(むらぢゆう)約(やく)し合(あは)せ、何日參るべきと申來(まふしきた)りしかば、やがて其日を待受(まちうけ)、酒肴(さかな)そば切のたぐひなどてうじて居(をり)たるに、名主(なぬし)を初(はじめ)村の人々殘らず入來(いりきた)り、挨拶終りて段々(だんだん)もてなし、半(なかば)なる頃、兼(かね)て桶川へも其日をしらせ置(おき)たる事なれば、彼女(かのをんな)ひそかに勝手に來り居(ゐ)て、酒興の闌(たけなは)に燈火(ともしび)を點(てん)ずる頃、彼女をして障子の破(やぶれ)より座中の人々を見せけるに、此女とくと見終(みをはり)て、ひそかに此男に云(いひ)けるは、さればこそ先日(せんじつ)櫛をもつて金受取に來(こ)られし人、座敷に居(を)られ候、それは彼(かの)上客(じやうきやく)より次(つぎ)にあるあの人に候と、ゆびさしけるに、此男みれば名主の子供なりけり、餘りに不思議なる事におぼへて、さもあれ今此席にて申出(まふしいで)んも、いかゞ有(ある)べきとためらふを、此女いな此席を過(すぎ)なば、後(あと)に糺(ただ)し給はん證據(しやうこ)あるべからず、唯(ただ)御方(おんかた)そこにありて、あの人をとらへて事の由(よし)申(まふし)給へ、事(こと)うけごはずば、わらはいでことわり申べしといへりしまゝ、いはんやうにまかせて、此男座敷ヘ出(いで)て人々に申けるは、皆(みな)能(よく)聞(きき)給へ、我輩六年江戶に奉公し侍りて、金子百七十兩此度持參せしが、ぬす人にさまたげられて、桶川宿(をけがはじゆく)のその所の女に金預(あづけ)賴みて、證據に櫛を請取(うけとり)て、これをもて金子に引(ひき)かふべき約束せしに、そのくしその夜にうせぬれば、桶川へ往(ゆき)てたゞし候に、はやくしを持參して、我等より先に金子をうけ取(とり)ぬる人有(あり)、其人誰(だれ)にかとぞんぜしに、則(すなはち)此名主どのの子息に候といひける時、名主聞(きき)て大(おほき)に憤(いきどほ)り、存(ぞんじ)もよらぬ事を承(うけたまは)る物かな、我等代々名主役をも當村(たうそん)にてつとめながら、悴(せがれ)にぬす人もちたりといはれては一分(いちぶん)たゝず、たしか成(なる)證據なきに於(おいて)は、其儘に致しがたしと云(いふ)時、其子供も甚(はなはだ)立腹し、無實の難(なん)をいはるゝ事、其身に取(とり)て外聞(がいぶん)惡敷(あしく)、事にもよるべき事、堪忍(かんにん)成(なり)がたしと云(いふ)に、一座しらけて酒興(しゆきやう)もさめはてたり。其時此男申よう、かく申うへは何かは證據なき事を申べき、則(すなはち)桶川の女今宵呼(よび)よせ置(おき)たり、是(ここ)へめし出(いだ)して御(ご)らんぜさすべしとて、女をよび出(いだ)して名主の子供に逢(あは)せけるに、女申けるは、よも間違なし、くしを持參して金と引(ひき)かへ取(とり)給ひしは、全くあらがひ給(たまふ)べからず、顏をおぼへ侍りてありといふに、名主も始終を聞(きき)て、かく慥成(たしかなる)證據あるうへは、一先(ひとまづ)立歸(たちかへ)り、世悴[やぶちゃん注:ママ。二字で「せがれ」と読ませるか。長男らしいから「世繼」の「悴」で意味は通る。]が器財穿鑿し見るべし、夫迄(それまで)おのれは座を動べからず、各(おのおの)も世悴を返し給ふべからずとて、名主座を立(たち)て歸りしが、やゝありて立歸り、扨々(さてさて)面目(めんぼく)次第もなき事、歸宅いたし世倅が道具あなぐりし所(ところ)、簞笥(たんす)の底に此金子有ㇾ之(これあり)候、はたしていはるゝ如(ごとく)、百七十兩有(あり)、不屆至極成(ふとどきしごくなる)事とて、財布を出(いだ)し亭主へわたしければ、やがて此名主の子供其座を立(たつ)と見えしが、かいくれて見えず。いかになどいふうち、勝手にも其家の妻たゞ今の内に、行(ゆき)かたなくうせぬとて、とりどりさわぎいふ事限りなし。是を聞(きき)て村の人々一同に申けるは、是までつゝみはべれど[やぶちゃん注:包み隠して言わずにいたが。]、かくあるうへは申(まふし)のぶるなり、某殿(それがしどの)江戶へまゐられ六ケ年留主(るす)[やぶちゃん注:漢字はママ。]のあひに、名主殿の子息此家の妻女(さいぢよ)とねんごろいたされ、あまりめにあまる次第、誰(たれ)しらぬものなく候へども、けふまではしらせ申さず、かくあるに付(つき)ては、もはやつゝみ申べきにあらず、さればこそくしの事もはかりけりといひつゞけぬ。かくて人々歸りて後(のち)、此男もやもめなり、母も老(おい)たるに介抱すべき人もなきを、幸(さいはひ)かの桶川の女發明(はつめい)なるうへ、是まで再宿の緣(えにし)もあれば、としはよほどたがひぬれど、是を妻にむかへよかるべしなど、人々すゝめとりもちて、終(つひ)に桶川よりもらひうけて、夫婦に成(なり)たりといへり。
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