奇異雜談集巻第四 ㊁下總の国にて死人棺より出て靈供の飯をつかみくひて又棺に入る是よみがへるにあらざる事
[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい。]
㊁下總(しもふさ)の国にて死人《しにん》棺(くわん)より出《いで》て靈供(りやうぐ)の飯(いひ)をつかみくひて又《また》棺に入る是《これ》よみがへるにあらざる事
同(おなし[やぶちゃん注:ママ。])人[やぶちゃん注:前話を語った「ある人」と同一人物。]、語りていはく、行脚の僧、一人、下總の国において、山家(《やま》が)を行(ゆく)に、日、すてに[やぶちゃん注:ママ。]、くれて、小家《こいへ》のうちに、人のなくこゑ、きこゆ。
家《いへ》、おほからざるゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に、此家に行《ゆき》て、一宿(《いつ》しゆく)を、かる。
家主(《や》ぬし)、僧をよびて、いはく、
「宿(やど)を貸し申《まうす》べし。それがしのおや、死去(しきよ)す。他所(たしよ)の寺へ、僧をよびに、つかはし候。つかひ、いまだ、かへらず候。僧、らいりん[やぶちゃん注:「來臨」。]あらば、引導させ申すべし。もし、來臨、なくんば、御僧を、たのみ申すべし。先《まづ》、内へ、御入りあれ。」
と申すゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に、僧のいはく、
「かくのごときの事、出家のやくなり。」
とて、内に入る。
死人を、端の間に、をき[やぶちゃん注:ママ。]、棺にいれ、ふたを、きせ[やぶちゃん注:かぶせ。]、いまだ、なわからげ[やぶちゃん注:「なわ」はママ。「繩絡げ」。]せず、灯明・靈供を、そなふ。
家主のいはく、
「うちしゆ[やぶちゃん注:「内衆」。]、みな、數日(すじつ)のしんらう[やぶちゃん注:「心勞」。]に、夜を、ふさず。今夜(こよひ)は、先《まづ》、すこし休息すべし。御僧は、はしのま[やぶちゃん注:「端の間」。]に御座ありて、棺をしゆご[やぶちゃん注:「守護」。]し給へ。」
と、いひて、内のしやうじをへたて[やぶちゃん注:ママ。]ゝ臥すなり。
僧一人、靜まりゐて、しばらくして、死人(しひと[やぶちゃん注:ママ。「しびと」。])、棺のふたを、もたげて、脇にをき[やぶちゃん注:ママ。]て、おきあかり[やぶちゃん注:ママ。]、たたずして、あたらしき帽子、ふかく、きせたるを、手をもつて、ぬひて[やぶちゃん注:ママ。「脫(ぬ)ぎて・脫いで」。]、脇にをき[やぶちゃん注:ママ。]て、僧を、ひとめ、見て、棺のはたに、とりつき、足を出《いだ》し、棺を出(いで)つ。[やぶちゃん注:「帽子」天冠。前話の注を参照されたい。]
僧の心に、
『是は、物怪(もつけ)かな[やぶちゃん注:「奇怪だ!」の意。]。うちしゆに、つく[やぶちゃん注:ママ。「告ぐ」。]べきか。』
と思へども、
『死人、もし、我に、とりかゝらば、其のとき、つぐべし。』
とて、しづまれば、死人、また、我を、ひとめ見て、㚑供(りやうぐ)[やぶちゃん注:「㚑」は「靈」の異体字。]の飯を、右の手に、つかんで、大《おほ》ぐちに、これを、食ふ。
ふたゝび、つかみくう[やぶちゃん注:ママ。]て、棺のうちに入《いり》、また、ぼうしを、とつて、元のごとくに、かづきて、臥して、棺のふたをとつて、もとのごとくに、おほふなり。
この時、僧、内衆を、よびおこして、上《うへ》くだんのしだい、つぶさに、かたれば、内衆、よろこびて、
「いきかへるや。」
といふて、棺を、ひらきてみれば、身、あたたかならず、死しおはり[やぶちゃん注:ママ。]て、右の手に、飯粒(いひつぶ)、おほく、つき、㚑供の飯も、また、減(げん)ずるゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に、みな人、おほきにおとろく[やぶちゃん注:ママ。]なり。
「客僧、人に告げずして、よく、こらへたり。がんじやう[やぶちゃん注:「强精」。]なる人なり。」
といへりと云〻。
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