奇異雜談集巻第三 目錄・㊀四竪五橫のきどくたんてきなる事
[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい。]
竒異雜談集卷第三
目錄
㊀四竪五橫(ししゆごわう)のきどくたんてきなる事[やぶちゃん注:国立国会図書館デジタルコレクションの活字本「近世怪異小説」のこちらでは、この「竪」は「豎」の誤りか? という旨の丸括弧注記があり、以下の本文もそうなっているため、以下同じの旨が記されてある。しかし、「竪」も「豎」も「縱」(縦:たて)の意を持ち、本邦の主に修験道に於いて行われる除災戦勝等を祈るための九字の呪文と九種類の印からなる「九字護身法」(くじごしんぼう)では、縦に四本、横に五本の格子状に線を空中に書く。それを「四縦五横」(しじゅうごおう)と呼ぶから、漢字としては「竪」「豎」でも問題はないと私は考える。以下の本文への注で再度、詳しく述べる。]
㊁牛(うし)触合(つきあひ)て勝負をいたし善生(ぜんしやう)を語る事
㊂丹波の奧の郡(こほり)に人を馬(むま)になして賣(うり)し事
㊃越中にて人馬になるに尊勝陀羅尼の奇特(きどく)にてたすかりし事
㊄伊良虞(いらご)のわたりにて獨女房(ひとりねうばう[やぶちゃん注:ママ。])舩(ふね)にのりて鰐(わに)にとられし事
竒異雜談集卷第三
㊀四竪五橫(ししゆごわう)のきどくたんてきなる事
むかし、ある人の雜談(ざうたん)にいはく、「四竪五橫の法」、たんてきに、きどくを見しことあり。
丹波のおくのこほり、上杉へんのことなるに、国侍(《くに》さふらひ)、一人《ひとり》あり。
「二、三里、よそに、きう用[やぶちゃん注:ママ。「急用(きふよう)」。]あり。」
とて、あかつきより、わかたうを、つかひにやる。
わかたう、山路(やまぢ)をすぎて。里あり、とおぽゆる處に、しんのやみなるに。しろき物、おほきさ、からかさを、はりたる程にみえたり。
『何やらん。』
と、あやしくて、むなさはぎす。
此人、平生(へいぜい)、「九字(くじ)の法(はう[やぶちゃん注:ママ。「はふ」が正しい。])」を傳受して、つねに、をこなふ[やぶちゃん注:ママ。]。
此時、
『かんよう[やぶちゃん注:「肝要」、]。』
と思ひて、口に九字をとなへ、手に四竪五橫をきるなり。
道、二、三町の間、しきりにとなへ、しきりに、きつてゆく。
やうやう、東(ひがし)しらむ時分に、しろき物をみれば、家のかきに、しろきかたびらを、かけひろげて、をき[やぶちゃん注:ママ。]たり。
是をみて、
『むなさはぎせしは、おくびやうなり。』
と思ふ所に、家の内より、おとこ[やぶちゃん注:ママ。]出《いで》て、かたびらをみて、
「此かたびらは、たが、したる事ぞ。寸々(すんずん)、たて・よこにきれて、あるは。」
といヘば、女、出て見て、おどろきて、いはく、
「まことに。たて・よこに、寸々にきれて、つゞく所も、なし。」
といふ。
若黨、たちどまりて、聞(きゝ)て、すなはち、心えたり。
『さては。九字のきどく、たんてきなり。しゆせう[やぶちゃん注:ママ。「殊勝」。「しゆしよう」でよい。]の兵法かな。たつとし。』
と、おもふて、いよいよ、信仰す、といへり。
[やぶちゃん注:「四竪五橫の法」「九字の法」同義。「九字護身法(くじごしんぽふ)」とも呼ぶ。真言密教、特に修験道の一派で行なう秘法で「臨・兵(ヒヤウ)・闘・者(シヤ)・皆・陣(或いは「陳」:ヂン)・列・在・前」の九字を唱えながら、虚空を縦に四線、横に五線に切り払えば、一切の災難を除き、その身を護るという。当該ウィキに各印と当該の四縦五横の格子状の各線の配置が明治一四(一八八一)年の板本の図とともに乗る。「竪」(音「ジユ」)は「縱」と同義であり、「豎」(音「ジユ」)は通常は「小者・子供・小僧」の意で用いるものの、別に「縱・立てる・立つ」の意があるので、このままで誤りとは言えないので、ママ注記は附さなかった。また、「法」は歴史的仮名遣は通常は「はふ」だが、仏教用語では「ほふ」である。しかし、この呪文は仏教と修験道の混淆したものであるからして、「はふ」「ほふ」「ぼふ」の孰れでも歴史的仮名遣としては誤りとは言えないのである。]
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