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2023/07/01

奇異雜談集巻第二 目錄・㊀戶津坂本にて女人僧を逐てともに瀨田の橋に身をなげ大虵になりし事

[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい。

 なお、高田衛編・校注「江戸怪談集」上(岩波文庫一九八九年刊)に載る挿絵をトリミング補正して掲げた。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。]

 

竒異雜談集巻第二

         目錄

㊀戶津(とづ)坂本(さかもと)にて女人(によにん)僧を逐(おう)てともに瀨田(せた)の橋に身をなげ大虵(だいじや)になりし事

㊁糺森(たゞすのもり)の里(さと)胡瓜堂(きうりだう)由來の事

㊂越中にて武士の内婦(ないふ)大虵になりて大工(だいく)をまとひし事

㊃高㙒(かうや)の鍛治(かぢ)火(ひ)をもつて虵(へび)の額(ひたひ)に点(てん)ずれば妻(つま)の額に瘡い(かさ)できし事

㊄伊勢の浦の小僧圓魚(ゑいのうを[やぶちゃん注:ママ。「鱏」は「えひ」が正しい。])の子(こ)の事

㊅獅子谷(ししがたに)にて鬼子(おにご)を產(うみ)し事

㊆江州の三塚(みつづか)小者(こもの)をきるに順礼の札(ふだ)代(かはり)に切れし事山崎(《やま》ざき)の人下人(げにん)をきれば伊勢の祓箱(はらひばこ)代(かはり)にきられし事

 

 

竒異雜談集春第二

   ㊀戸津・坂本にて、女人、僧を逐て、共に瀨田の橋に身をなげ、大虵になりし事

 ある人、雜談(ざうたん)にいはく、

「女人の執心、忽ちに蛇になりし事、まのあたり見しなり。

 たとへば、曹洞宗(そうとうじふ[やぶちゃん注:総てママ。])の知識の僧、とし四十あまりなるが、坂本のとづに來たりて、一夏(《いち》げ)をむすび、法談を、のぶ。叡山のきんぜい[やぶちゃん注:「禁制」。]あるゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に、をし[やぶちゃん注:ママ。]出《いで》たる談義にあらず、小庵(せうあん)にて、密々(みつみつ)なり。地下衆(ぢ《げしゆ》)、おほくちやうもんす。

[やぶちゃん注:「戸津・坂本」前掲の高田氏の注に、『中世、琵琶湖畔、比叡山の東麓一帯が坂本、その東が戸津で、此叡辻の南。山門の影響が強く、交通上の要所』であったとある。現在の滋賀県大津市坂本本町、及び、同市の坂本地区がここで言う「坂本」で、その坂本地区の東の琵琶湖沿岸の一帯が戸津(この地名は現存しない。戦前の地図も調べたが、見当たらなかった)であったようである。

「一夏(げ)をむすび」夏安居(げあんご)の地として、ここの小庵を借りたのである。夏安居は、仏教の本元であったインドで、天候の悪い雨季の時期の、相応の配慮をしたその期間の修行を指した。多くの仏教国では陰暦の四月十五日から七月十五日までの九十日を「一夏九旬」(いちげくじゅん)、或いは、「夏安居」と称し、各教団や大寺院で、種々の安居行事(修行)がある。安居の開始は「結夏(けつげ)」と称し、終了は「解夏(げげ)」と呼ぶ。本邦では、暑さを考えたものとして行われた夏季の一所に留まった修行を指す。

「をし出たる」特に華々しく喧伝して目立つような。

「地下衆」坂本や戸津の及びその周辺の一般の民を指す。]

 婦人一人《ひとり》、べつして、信仰す。とし、三十あまりなり。每日、聽聞《ちやうもん》》のほる[やぶちゃん注:総てママ。「聽聞」「に」「登る」。]に、二度、三度、ゆきかよひ、内儀に、とり入り、ちいん、はなはだ、過ぎたり。

[やぶちゃん注:「内儀」この場合は、高田氏の注にあるように、『内々の私生活』のことである。

「ちいん」「知音」。この場合は、やはり高田氏の注にあるように、特に『男と女が親しくすること』の意であろう。或いは、小庵の貸主や、その僧の友人・知人たちにまで、とりいって親しい関係を結んだことを指すのでもあろう。]

 見ぐるしき事あるゆへに、人、これを沙汰す。

 僧、こうくわい[やぶちゃん注:「後悔」。]して、めいわく[やぶちゃん注:「迷惑」。]す。うとまん[やぶちゃん注:「疎まん」。近づけなくしよう。]とすれども、婦人、ゆるさざるゆへ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]に、うとき事を、えず。

 ある時、

『婦人、來たらざる間に、ちくでん[やぶちゃん注:「逐電」。]せん。』

と思ひて、わらんじを、はき、手巾(しゆきん)をしめて、門を出でて、一、二町[やぶちゃん注:百九~二百十八メートル。]ゆくとき、かの婦人、いほりにきたりて、[やぶちゃん注:「手巾」「手巾帶」(しゅきんおび)。異様に長い手拭いのような、長さ五尺(約一・九メートル)ほどの布を帯にしたもの。主に僧尼が用い、衣の上から巻いて、前で結んだ。]

「御僧《おんそう》は、いづかたへぞ。」

と問へば、内衆《うちしゆ》、

「たゞいま、門(かど)へ御出《おい》で。」

といふ。

 婦人、すなはち、門を出《いで》て、ここかしこを、みれば、二町ばかり南に、その影、みえたり。

 婦人、そのまゝ、はしりゆく。

 急に、走るゆへに、藺金剛(いこんがう)、やがて破れて、はだしになりて、走りゆく。[やぶちゃん注:「藺金剛」藺草で編んで作った形の大きい丈夫な草履。普通の形のものより、後部が細く長い。]

 一囬[やぶちゃん注:「囘・回」の異体字。]、むすぶおびは、きれておち、かたびらのもすそは、風にふかれて、うしろへ、ひるがへる。

 かしらは、紙筋(かみより/すぢ)[やぶちゃん注:後半は左ルビで「筋」のみに附されてあるから「かみすぢ」ということであろう。これはよく判らないが、長い髪を束ねた環状の髪留めであろう。]、きれて、髮、ながく亂れて、うしろに、よこに、なびく。

 いのちを、すてゝ、はしりゆく。

 坂本地下中(さかもとぢけ[やぶちゃん注:ママ。]《ちゆう》)[やぶちゃん注:坂本の町中。]をはしりすぎ、濱(はま)にゆく。

 見る人、おどろき、おそる。あるひは、おひみる[やぶちゃん注:「追ひ見る」。追跡を試みる。]。

 僧は、かへりみれば、やや近くなるほどに、いちあし[やぶちゃん注:「逸足」。早足(はやあし)。]を出《いだ》して、はしるほどに、大津をすぎ、粟津、松本をすぎて、瀨田の橋ぎはになりて、すぐにゆかん、と、せしが、

『かなふまじ。』

と、おもひ、かへりて、橋に、ゆく。

[やぶちゃん注:「大津」滋賀県大津市市街。「JR大津駅」をポイントした(グーグル・マップ・データ。以下無指示は同じ)。

「粟津」現在の大津市晴嵐(せいらん)附近。京阪石山坂本線に「粟津駅」があるが、ここでは、かの木曽義仲の最後の地に近い、彼の乳母子で名臣であった今井兼平の墓をポイントした。なお、現在の大津市粟津町はここ

「松本」滋賀県大津市松本はここだが、不審。「大津」と「粟津」の間に入れるべきところを誤ったか。或いは、現在の前記の粟津町の東、瀬田川右岸に大津市松原町があるので、それと書き誤ったのかも知れない。

「瀨田の橋」ここ。瀬田の唐橋西詰の「橋姫竜神」をポイントした。]

 婦人、なほ、ちかくなる。

 

Setabasidaijya

 

 僧、橋の中ほどより、とんで、水に入る。

 婦人、すこしも、とゞこほらず、飛(とん)で、水に、いりぬ。

 見物衆(けんぶつしゆ)、にし東より、橋の上にみつ[やぶちゃん注:「滿つ」。]。

 瀨田の水練者、五、六人、

「これをみずんば、有るへからす[やぶちゃん注:ママ。]。」

とて、はだかになりて、みな、とひ[やぶちゃん注:ママ。「飛び」。]入りて、水のそこをみれば、婦人、大虵(だいじや)となつて、僧を、まとひけり。

 是を見て、逃げさり、浮き上がつて、歸るなり[やぶちゃん注:主語は野次馬で飛び込んだ「水練者」たちである。]、と云々。

[やぶちゃん注:一読、「道成寺」をインスパイアしたことが見え見えである(私はサイトに「――道成寺鐘中――Doujyou-ji Chronicl」を独立させて作る程度には「道成寺」フリークである)。但し、古来より瀬田川には竜神が棲むと言い伝えられ、瀬田橋の左岸直近に勢多橋龍王宮秀郷社があり、藤原俵藤太秀郷の百足退治等でも著名であるから、蛇変とロケーションは、よくマッチしていて、無理がない。追跡シークエンスの描写も、簡潔にしてなかなかよい。]

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