佐々木喜善「聽耳草紙」 一七一番 和尙と小僧譚(七話)
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]
一七一番 和尙と小僧譚(其の一)
或所に大層慾張りな和尙樣があつた。每晚夜になると、さアさアお前達は晝間稼いで居るから疲れたべえ。早く寢ろ寢ろと言つて、三人の小僧を早く寢させてしまつた後で、梵妻(ダイコク)[やぶちゃん注:和訓ともに僧の妻を指す一般名詞。]と二人して餅を搗いたり、食つたり、[やぶちゃん注:底本には読点なし。「ちくま文庫」版で補った。]または、酒を飮んだりするのであつた。ところが每晚早く寢ろ寢ろと言はれるもんだから、小僧だち[やぶちゃん注:濁点はママ。]は、慾張坊主のくせに不思議なことだと思つて、或夜相談をして、皆息を殺して眠つたふりをして見て居ると、和尙樣と梵妻《だいこく》さんが爐《ひぼと》を挾んで向ひ合ひに坐りながら、さもさも樂しさうに酒を飮んだり餅を食つたりして居た。そこで三人はどうかしてあの餅を食ひたいものだと一生懸命に相談をした。
そのうちに又夜になると、和尙樣はいつものおきまりの、さアさアとさも親切らしく言ひ出した。すると一人の一番年上の小僧が、方丈樣[やぶちゃん注:住職を指す異名。]もし、今夜私たちはお願ひが御座りますと言ふと、マアマアそれは明日の晝間ゆつくり聞くことにするから、今夜はもう休まツしやいと何氣ない風をして言つた。イエ是非今夜聞いて貰ひ度《た》いことでと强いて言ふと、さうか、ほんだら話して見ろと言ふ。一番年上のはしめたと思つて、方丈樣もし今夜から私の名前をデツチリと呼んで下さいと言つた。あゝさうか、宜《よろ》しい、ぢや今夜からデツチリと呼ばう、さアさア休まツしやれ。
すると又其所へ二番目の小僧が走り出て來て、ハイ方丈樣私のことも今夜からは、ボツチリと呼んで下さい。ああいゝともいゝとも、さアさア早く休まツしやれ。
すると又ぞろ三番目の小僧が罷出《まかりで》て、方丈樣私の名前もヤジロウと呼んで下さい。あゝいともいゝとも、ヤジロウか、さアさア早く休まツしやれ。今夜は大分遲い遲いと言つて、和尙樣は小僧どもを次の間へ追ひ遣つた。和尙樣は小僧達が寢てしまう[やぶちゃん注:ママ。]と、今頃はもうあの餓鬼共も眠つたベヤ、時刻はよかんべえと言つて、坊主頭に鉢卷をして、ダイコク相手に、
デツチリ
ボツチリ
ヤジロウ
と聲がけして餅搗きをやり出した。すると三人の小僧どもは、待つて居たとばかりに、床からむツくらと飛び起きて、ハイハイ、和尙樣何用でガスと言つて、其所へ顏を出したもんだから、和尙樣も仕方なしに、あゝ起きたか、起きたか、今餅を搗いたので、お前達にも食はせべと思つてナと言つた。切角コロト(内密)に汗水流して搗いた餅を、腹空(ヘ)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]らし小僧どアに、みんな食はれて仕舞つた。
餅 搗(其の二)
和尙樣はそれに懲りて其後は小僧共の居ないやうな時にばかり餅搗きをした。そして藏(シマ)つて置いた。ある日二人の小僧は近所の御法事に招(ヨ)ばれて行つて一番下の小坊子《こばうつこ》ばかりが寺に殘つて居た。ところが和尙樣は急に餅が食ひたくなつたので、小僧々々、お前御苦勞だが、隣の家の建前の柱が何程(ナンボホド)立つたかヤ、ちよツと行つて見て來てくれないかと言ひつけた。ハイと言つて小僧は行つて見て來るふりをして、壁の穴から見て居ると、和尙樣は大きな鏡餅を戶棚から取り出して來て、それを爐《ひぼと》の灰の中に埋《うづ》めてホド燒きを始めた。[やぶちゃん注:「ホド」は囲炉裏( いろり)の中央にある火を焚く窪んだ所のことを指すが、ここは囲炉裏の灰に埋めて餅を焼くことを言っている。]
小僧はその餅がいく加減に燒けた頃を見計らつて、ハイ只今と言つて、玄關の障子をガラツと開けた。[やぶちゃん注:底本は読点だが、「ちくま文庫」版で句点に代えた。]すると和尙樣は何食はぬ顏をしながら、あゝ見て來なさツたか、柱が何本立つたけやと訊いた。そこで小僧は、和尙樣し[やぶちゃん注:「し」は感動詞で敬意を添える。以下、読点はないが、「ちくま文庫」版で補った。次の「と」の後も同じ。]、あの柱がと、其所にあつた火箸を取つて、此所に一本、それから又此所にも一本と、灰の中へ火箸を突き差し突き差し、柱の立つた場所を敎へて居るうちに、丁度火箸がホド灰(アク)の中の餅に差さつたので、小僧はぐいら[やぶちゃん注:「ぐいら」仙台弁に副詞で、「 いきなり・不意に」の意がある。]とそれを持ちヤげて、あれア和尙樣シ之れはなんで御座りますと言つて、驚いた風をした。すると和尙樣の言ふことには、あゝそれはナ、今日は兄弟子どア皆法事さ行つたのに、お前ばかり殘つて居るから、お前に食べさせべえと思つて、こうして[やぶちゃん注:ママ。歴史的仮名遣では「かうして」(斯うして)。]燒いて置いたのさアと言つた。
太皷破り(其の三)
その三人の小僧どア、或時和尙樣の留守の間に、廣い御本堂《ごほんだう》へ行つてお神樂《かぐら》を始め出しだ[やぶちゃん注:「ちくま文庫」版では、「た」であるが、ママとした。]。そして餘り調子に乘つて大騷ぎをしたもんだから、とうとう[やぶちゃん注:ママ。]大太皷を打ち破つてしまつた。コレヤことな事をしたでア、和尙樣が歸ればうんと叱られる。なぞにすべえ、なぞにすべえと泣き相《さう》な顏をしながら心配して居るところに、ハイ今歸つたよと言つて和尙樣がガラリと歸つて來た。そして三人の顏を見て、何だお前方(ガタ)アまた惡戯《いたづら》をしたなアと言ひながら、脇を見ると御本堂の大太皷が破れてゐるので、コレアお前だち[やぶちゃん注:ママ。「ちくま文庫」版も濁点がある。]アこの太皷をブン破つたナと叱つたら、方丈樣お許しあツてお吳れやれと言つて泣き出した。[やぶちゃん注:底本は読点。「ちくま文庫」版で句点に代えた。]和尙樣は、まあまあ、そんなに泣かなくてもよい、泣いたつて壞れたもんが直る譯でもあるまいし、何かの間違ひで壞したものだンベから許してやるが、只《ただ》ではいけない。お前達三人で後前(アトサキ)にリンリンと謂ふ文句をつけた歌を詠んだら許してやンベアと言つた。小僧どアは大喜びで先す一番年上の武士の子が、
リンリンと小反(コゾ)りに反つた小薙刀《こなぎなた》
一振り振れば敵は逃げリン
と詠んで許された。次のが百姓の子で、
リンリンと小反りに反つた鍬鎌《くはかま》や
一掘り掘れば土は掘りリン
と詠んで許された。次のは魚屋の息子であつたので、
リンリンと小反りに反つたカド鰯(鯡《にしん》)
いびり食つたら腹が膨《は》りリン
でとうとう[やぶちゃん注:ママ。]三人とも許されたとサ。
(大正九年六月頃、膽澤《いさは》郡一ノ關近在にて
行なはれてゐる話。千葉亞夫氏からの御報告の三。)
[やぶちゃん注:「膽澤郡一ノ關」不詳。現在の岩手県一関市は胆沢郡の南方外で、旧磐井郡内である。佐々木の誤認か、或いは、旧胆沢郡内に同名の地名があったものか、よく判らない。]
四貫八百(其の四)
或所のお寺に和尙樣と小僧とがあつて、檀家の御法事に呼ばれて行くと、御布施が上《あが》つて上紙《じやうし》に四貫八百《しくわんはつひゃく》と書いてあつた。御經を上げながら橫目で和尙樣は其を讀んで、ほくほくめがして[やぶちゃん注:「うれしさを隠しきれない様子で」の意。]御經の文句の中にそれを交(カ)てて、
今日の手間《てま》は
小僧にア八百
吾れア四貫ン…
と唱へ唱へ木魚をボクボクと叩くと、小僧達はそれに合せて、
和尙樣ア强慾だツ
和尙樣ア强慾だツ…
と唱へながら鉦《かね》をチンチンと鳴らした。
和尙小僧が檀家から歸ると、和尙樣はお經に交(カ)てて誦(ヨ)んだ通りに、自分で四貫取つて小僧には八百しかあづけなかつた。そこで小僧は其仇《かたき》を何時《いつ》か討つてやらうと考へてゐた。
水汲み(其の五)
其和尙樣は門前のお嫁樣と仲が良かつたので、それそれ、[やぶちゃん注:底本は半角字空けで読点はないが、「ちくま文庫」版で補った。]其事に邪魔をしてやんベえと思ひついた。其門前のお嫁樣は每朝お寺の井戶へ水汲みに來るから、其前の晚そつとお嫁樣の許《もと》へ行つて、門前の嫁樣シ嫁樣シ、俺ア所《ところ》の和尙樣がお前さんのことを惡く言つて居《ゐ》んすぞと告げると、お嫁樣は氣に掛けて、[やぶちゃん注:底本は読点はないが、「ちくま文庫」版で補った。]なんと妾《わらは》の事を惡口言つて居ますてヤと訊いた。誰さも默つて居てがんせ。和尙樣がお前さんのことを良い女《をな》ゴだども口が大きくて厭(ヤン)だアと言つて居ると僞言(ボガ)を吹いて來た。
それから和尙樣の方へは、あの和尙樣シ和尙樣シ、門前のお嫁樣がナシ、和尙樣のことを惡口して居ますチヨと告げ口した。和尙樣が氣にかけて何と言つて居たてヤと訊くと、あのお嫁樣はお前とこの和尙樣は立派な和尙樣だども、あんまり鼻が大きくて俺ア厭んだアと言つて居ますと僞言を吹いた。
翌朝、門前のお嫁樣がいつものやうに井戶へ水汲みに來た。恰度《ちやうど》其所へ和尙樣が顏洗ひに出た。するとお嫁樣はいつものやうに笑はないで、口を隱して脇の方に向いた。和尙樣も笑はないで鼻を隱し反方(ソツポ)を向いた。そして其れツきり仲良しにならなかつた。
(江刺郡米里《よねさと》村に殘つて居る話。佐々木伊藏氏の談話。昭和五年七月七日聽書の五。前半の御經誦みの話は、私などもよく父から聽かせられたものである。たゞ少し異《ちが》つて居て、此方《こつち》は或寺の和尙樣が無學で御經一つ知らなかつたので困つて居ると、折から空を多くの雁《かり》が飛んで渡つた。そこで和尙樣は斯《か》う唱へて引導したと謂ふのである。
天《そら》飛ぶ鳥は四十と八羽
百づつに賣れば四貫八百
小僧に八百、吾レ四貫ン
すると小僧がすかさず、
おら和尙ア大慾だ々々々…
と後をとつたと謂ふ話であつた。)
[やぶちゃん注:附記は長いので、字下げをやめ、ポイントも本文と同じにした。
「江剌郡米里村」現在の奥州市江刺米里(えさしよねさと:グーグル・マップ・データ)。遠野市からは南西に当たる。]
豆 腐(其の六)
或寺の和尙樣が、デンガク豆腐を二十串、ズラリと爐《ひぼと》に並べて剌して燒いた。そして其田樂を自分一人でセシめやうと思つて、二人の小僧を呼んで、ざいざい[やぶちゃん注:何度も本書で出るが、今一つ、意味が判らない。しかし、ここでは「さあさあ」という呼びかけとして機能していると読める。]歌を詠んでこの豆腐を食ベツこすべえでないかと言つた。そこでまづ俺からかけると言つて、
小僧二人はニクシ
と言つて二串取つて食べた。そして小僧どもをかへり見て、どうだいお前達にこの眞似が出來るかいと云つた。そこで兄弟子が歌を詠んだ。
お釋迦樣の前のヤクシ
と言つて八串取つて食つた。すると一番小さい弟子ツこが、
小僧良げれば和尙はトクシ
と言つて殘つた十串をみんな取つて、誰よりも得をした。
(祖父の話、自分の古い記憶。)
小 便(其の七)
或お寺の小僧、和尙樣に連れられ或檀家の御法事に行つた。野原の道を步いてゐるうちに小便がしたくなつて、[やぶちゃん注:底本は句点。「ちくま文庫」版で訂した。]路傍に立つてしやうとすると、和尙樣がこれこれ小僧道路(ミト)には道祖神と云ふ神樣がお出《い》でになるもんだ。其所へ小便してはなりませんと止《と》めた。
小僧ははツと言つて耐《た》えて行つたが、其の中《うち》にとても耐《たま》らなくなつて、道路から少し畑の中に入つて立つと、和尙樣はまた、こらこら畑にはナ、畑神《はたがみ》が居るもんだ。いけぬよと言つた。
小僧は顏を顰《しか》めて、こんどは田の畦《あぜ》に立つと、これこれ田の中には、田の神がお居《ゐ》でるからダメぢやダメぢやと言つた。
ほんだら川の中にしませうかといふと、飛《と》んでもないこつた。川にはお水神《すいじん》樣が居《を》ることを知らないかと叱つた。
小僧は腰が裂けるやうになつた。少し行くと石地藏が立つてゐる辻道へ出た。和尙樣は小僧此所で少々憩《やす》んで行かうと言つて、石に腰をかけて憩んだ。此の時だと、小僧は和尙樣の頭にザアザアとしつかけた。
和尙樣は驚いて、これこれ小僧、師匠の頭に何のこつたと力《りき》むと、だつて和尙樣の顏にはカミがないからと言つてのけた。
(昭和四年の夏、北川眞澄氏の談。)
[やぶちゃん注:今までの複数話構成のものは、それぞれが、独立した話柄で、強い連関性は認められなかったが、以上は特異点で、少なくとも、最初の三話の設定は確信犯の完全な連作として読める。以下も、それに引かれて、無意識に同じような坊主と小坊主を想起させるような内容である。]
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