只野真葛 むかしばなし (75) 妖狐譚(三話)
一、疱瘡やみのかさぶたを喰(くふ)は、まさしく、狐のわざなり。人の目には、病人の喰(くふ)と見えて、實は、狐のくふなり、とぞ。是は人に付(つき)たる狐の、じき咄(ばなし)しなり。實(まこと)に、さること、有(ある)なり。
或庄屋、法事ふる舞(まひ)に行(ゆき)しに、手前、油物の、しごく、かげんよかりしを、もらいて、十枚ばかり、もちて還りしが、
『爰(ここ)らには、わるい狐がゐる所。』
と思ふと、晴たる月夜なりしが、眞黑に成(なり)たり。
よくみれば、下壱尺ばかりは、月のひかり、見えて、其上は、くらし。
是、狐の、此油物を、ほしがるなり。
『終(つひ)にばかしとらるゝよりは。』
と思(おもひ)て、木の根に、腰かけて、はしより、だんだん、くひしが、くひしまへば、空、晴(はれ)て、元の如く成(なり)しとぞ。
十枚の油物、法事ふる舞の跡にて喰(くは)るゝものならず。後(のち)、食當りもせねば、是もやはり喰れしなり。
日向桃庵(ひうがたうあん)、
「品川へ遊び、御殿山の夜の花、みん。」
と、大一座、たいこ持・藝者まで、かけて、三拾人近(ちかく)の人數(にんず)、いろいろの肴(さかな)もの、とりよせ、とりよせ、酒のみ、物くひして、遊ぶに、九ッ時分[やぶちゃん注:正午頃。]になり、
「サア、家の内へ、はいつても、よかろふ。」
と、誰か、いひだし、いづれも、
「それが、よかろふ、よかろふ。」
とて、立(たち)し時、みしに、取寄たる肴共(さかなども)、
「からり」
と、骨まで、なし。
「座中の人、殘らず、空腹なりし故、夜食を、いひ付て、食(たべ)し事、有(あり)しが、たしかに、狐に、くわれしならん。」
と語られし。
[やぶちゃん注:最初の、疱瘡病みの痂(かさぶた)食い(かなりエグい話である。しかし、私が高校時代、友人に「痂を食うのが好きだ」と公言していた奇体な男が確かにいた)を一話と数えた。
「日向桃庵」不詳。名乗りからみて、父の医者仲間か。
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