佐々木喜善「聽耳草紙」 一六〇番 テンポ
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここ。]
一六〇番 テ ン ポ
或時京のテンポ(法螺吹き)が田舍(ヰナカ)のテンポの所へ、僞言(ボガ)の吹き較《くら》べにやつて來た。相憎[やぶちゃん注:ママ。誤字。「生憎」。慣用表現で見かけるが、完全な誤字である。]田舍のテンポは山へ行つて童子がたつた一人留守居をして居たので、ぜえぜえ父親(トト)アいたか、俺ア京のテンポだが、ボガの吹き較べにやつて來たと言ふと、その子供は其ア惜しかつた。俺ア父(トト)ア今須彌仙(スミセン)の山が崩れるつて宇殼(ヲンガラ)三本持つて走《は》せて行つたと答へた。母親(ガガ)ア方《はう》アと訊くと、母(ガガ)は今海の水が越えるツて鍋の蓋たないて走せて行つたと答へた。[やぶちゃん注:「蓋たないて」は私は「ふた」の「た」を送り仮名で出し、「ないて」は「擔(にな)いて」の「ないて」であろうと推理した。]
京のテンポは内心舌を卷きながら、さうか、時に先達[やぶちゃん注:「せんだつて」。]、奈良の大佛樣の釣鐘が風に吹き飛ばされて、何處かへ飛んで行つたといつて、大騷ぎして居たつけが、お前は知らねえかと訊くと、あゝそれで分つた。三日ばかり前に此梨の樹へ、どこから飛んで來たか大きな釣鐘が飛んで來て、引ツ懸つて小半日ゴモンゴモン唸つて居たつけが、又何處かへ飛んで行つたと童子《わらし》が答へたので童子さへこんなボガを吹くもの此親父にはとても敵はぬと思つて、京のテンポはすごすごと其所を立ち去つた。
[やぶちゃん注:「田舍(ヰナカ)」「田舍」という語の語源は「田舍中(たゐなか)」が縮約されたものと考えられているので、歴史的仮名遣は正しい。
「須彌仙」「仙」は「山」が正しい。仏教の宇宙観に於いて、中央に聳える高山を「須彌山」(しゅみせん)と名づける。
「宇殼(ヲンガラ)」歴史的仮名遣「をがら」で現代仮名遣「おがら」の「苧殻」のことであろう。「麻幹」とも書く。皮を剝(は)いだ麻の茎のこと。盂蘭盆の門火(かどび)をたく際に用いる。「あさがら」とも言う。細く強くもないもので、須弥山の崩落を支えるというところで、大法螺となる。]
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