只野真葛 むかしばなし (78) 二度目の夫只野伊賀の急死を知った折りの記載
こゝまで書(かき)さして、
「藤平(とうへい)、誕生日の祝儀。」
とて、中目家へ、まねかれて行(ゆき)しは、四月廿五日なりし。二夜(ふたよ)とまりて、同じ七日の夕方歸りしに、江戶より、急の便り、有(あり)、同じ月の、
「廿一日朝四ツ時[やぶちゃん注:不定時法で午前九時半頃。]より病付(やみつき)て、ひる八ツ過(すぎ)[やぶちゃん注:同前で午後二時半を回った頃。]に、伊賀、むなしくなられし。」
とて、つげ來たり。
[やぶちゃん注:「中目家」五女照子(兄弟通り名は「撫子」)は仙台の医家であった中目家に嫁した。真葛(あや子)より二十三歳下。「藤平」というのは、彼女の産んだ男子の名であろう。祖父の工藤平助の姓名から貰ったものであろう。
「伊賀」真葛の当時の二度目の夫。寛政九(一七九七)年、真葛三十五歳の時、仙台藩上級家臣で江戸番頭の只野行義(つらよし ?~文化九(一八一二)年:通称、只野伊賀)と再婚していた。以上は文化九(一八一二)年のことである。]
人の世は常なしとは知りながら、今朝までも、事なかりしを、只三時(さんとき)の程に命たゑん[やぶちゃん注:ママ。]とは、夢、おもひ懸(がけ)ぬことなりし。
日をかぞふれば、其日は初七日(しよなぬか)なりけり。
にはかに、かたち、直し、水、そなへ、花、たむけなどするも、何の故とも、わきがたし。
五日、六日、有(あり)ておもゑ[やぶちゃん注:ママ。]めぐらすに、
「かく聞傳(ききつたへ)しことの『むかしがたり』を、書(かき)とめよ、書とめよ。」
と、つねに、いはれしを、世のわざにかまけて過(すぎ)しきにしを、
『今はなき人の、たむけにも。』
と思ひなりて、かきとゞむるになむ。【此ふしは、うれい[やぶちゃん注:ママ。]にしづみ、哀(あはれ)のはなし、かく事、能わず[やぶちゃん注:ママ。]。よりて、これを、あげたり[やぶちゃん注:底本に『原割註』とある。]。】
[やぶちゃん注:
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