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2023/07/22

佐藤春夫譯「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」正規表現版 原作者の事その他・目次 / 「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」電子化注~完遂

[やぶちゃん注:書誌・底本・凡例等は初回を見られたい。]

 

   原作者の事その他

 

[やぶちゃん注:パート標題(底本では、見開き左ページで、右ページに前に電子化した芥川龍之介の遺稿詩篇が載る)。

 その、裏の右ページに右に転倒して以下のフランス語が記されてある。底本ではローマン体。]

 

     Mais où sont les neiges d'antan ?

            ――Frangois Villon

 

[やぶちゃん注:「Frangois Villon」フランス十五世紀最大のピカレスク詩人フランソワ・ヴィヨン(一四三一年~?)。小学館「日本大百科全書」を主文とし(佐藤輝夫の後半の解説が素晴らしい)、フランス語の彼のウィキも参考にした。『百年戦争の末期、ジャンヌ・ダルクが処刑された年、パリに生まれた。聖ブロア教会付き司祭』ギョーム・ド・ヴィヨン(Guillaume de Villon)に『養育され、その姓を名のる。本名はモンコルビエMontcorbierまたはデ・ロージュDes Loges』。一四五二年、『パリ大学学芸学部を卒業、文学士の称号を得、のち法学部に籍を置いたが、その修業は不明』。一四五五年六月、『堕落司祭フィリップ・セルモア』(Philippe Sermoise)『と口論』に及び、『これを殺傷して』、『パリを逐電』、『翌年』一『月、国王の赦免状を得てパリに帰る。同年』十二月の『キリスト降誕祭の前夜、仲間とともにナバール神学校に押し入り、大金を盗み』、再び、『パリを去って』、『放浪生活に入る。この折り、「形見の歌」を作っている。放浪はロアール川沿いのオルレアン』・『ブロア』・『アンジェ一帯の中部フランスに及ぶ。投獄されること』、『二度』、『三度、その』都度、『運よく放免される。この間』、『ブロアで大公シャルル・ドルレアン』(Charles d'Orléans)『に謁して』、『詩を奉り、その詩会に参加したことは確実である』。一四六一『年の夏、マン・シュル・ロアールの司教牢獄』『につながれ』、十『月に解放されて』、『パリに帰る。大作』「遺言書(遺言詩集)」を書いた。翌年十一月、『窃盗の嫌疑でシャトレ獄に収監、やがて釈放されるが、ある喧嘩』『騒ぎに連累して死一等を免ぜられ』、十『年間パリ追放の宣告を受け』、一四六三年一月に『パリを去る。以後』、『その足跡はまったく不明で、やがて疲労と病魔のため死亡したであろうと一般に信じられている。しかし死んだという確証もなく、延命生存説をとるむきもある』。『ビヨンの生涯は失敗の連続で』、『百年戦争直後の混乱した社会そのものの影響も考えられるが、弱い性格の持ち主であったことは疑えない。しかしその反面、精神のなかには強くたくましいものがあった』。十五『世紀そのものの』持っていた『二面性の現』われと言える。『彼は笑いを好むとともに、自己の内部と外部とを見つめた。その凝視のなかから』、『彼の詩は生まれる。ビヨンは徹底的なリアリストである。彼の叙情詩で非現実的なものは』、『ほぼ皆無である。アイロニーを好むので、逆説をしばしば弄』『するが、それは』、『かならず』、『現実に立脚している。彼は貧乏で食うに事欠くこともしばしばあった。彼は社会の残滓』『であった』。従って、『人間関係で発言すると、その詩は復讐』『の詩となり、また』、『感謝の表現となった。その復讐と感謝は』「形見の歌」の『なかでは諧謔』『や揶揄』『の色合いを帯びる。彼は笑い飛ばした』が、それは『若さの表現である。しかし』、『長年の放浪は、彼に種々深刻な経験を与えた』「遺言書」の中では、『その揶揄と嘲笑』『には苦味が加わる。その苦味が内心の吐露となると、その叙情は沈痛となり、ときには非常に人間的となる』。「遺言書」の内、最も『美しいのはこの部分である。「昔の貴女のバラード」「老媼(ろうおう)おのが若き日を憶(おも)いて歌える」など、そのもっとも優れたものであり』、「雑詩編」の中の『「受刑者のうた」などには、惻々』『としてわれわれの胸を打つものがある。

Mais où sont les neiges d'antan ?」詩集「形見の歌」(Lais:“lai”は、一般に八音綴詩句からなる中世の物語詩・叙情詩・小詩のことを指す)の中の一句。「昔の雪は何処に行っちまったんだ?」の意。

 以下、解説本文。作者名の一部のみが太字に見えるのはママ。有意な字空けもママ。読みは一切ないが、既に出した、それぞれの作者の解説提示で私が難読と思われるものに添えてあるので、そちらを参照されたい。]

 

杜秋娘  西曆七世紀初頭。 唐。 もと金陵の娼家の女。 年十五の時、大官李錡の妾となった。 常に好んで金縷曲――靑春を惜しむ歌を唱へて愛人に酒盞を酭めた。 ここに譯出したものが今に傳はつてゐるが、「莫情」「須惜」「堪折」「須折」「空折」 など疊韻のなかに豪宕な響があるといふのが定評である。 李錡が後に亂を起して滅びた後、彼女は召されて宮廷に入り憲宗のために寵せられた。 その薨去の後、帝の第三子穆宗が卽位し、彼女を皇子の傅姆に命じた。 その養育した皇子は壯年になつて漳王に封ぜられたが、漳王が姦人のために謀られ罪を得て廢削せられるに及んで彼女は暇を賜うて故鄕に歸つた。 偶〻杜牧が金陵の地に來てこの數奇にも不遇な生涯の終りにある彼女を見て憫れむのあまり杜秋娘詩を賦したが、それは樊川集第一卷に見られる。

 

  十一世紀初頭。 宋朝。 海寧の人である。 幼少の時に兩親を失ひ充分に夫を擇ぶこともし得なかつた。 市井の民家に嫁して無知凡庸な夫を持つたことを常に歎き、吟咏によつて胸中の憂悶を洩した。 その詩詞集は斷膓集と呼ばれ、前集十一卷後集七卷があるが、その中には胸中の不平抑へがたいものが屢々現はれ風雅と稱するには激越にすぎたものも見える。 詩藁も沒後夫の父母によつて焚かれたものの一部分が遺つたのを、好事者が顏色如花命如秋葉その薄命を憐れむの餘りにこれを編んだものだと傳へてゐる。 彼女は朱文公の姪だという說もあるけれども、朱子は新安の人で海寧に兄弟が居たといふことは聞かないから、多分後人が彼女を飾るための僞說だらうと言はれる。 とにかく生涯はあまり明かではないらしい。 ハイネの小曲に、「胸中の戀情は夜鶯の聲となる」といふ意を咏じたものがあつたと思ふが、ここに掲げた絕句は正に同工異曲である。

 

孟  珠  三世紀前半。 ただ魏の丹陽の人とのみで未詳である。 陽春歌三章が今傳はつてゐる。譯出したものはその第二章である。 皐月まつ花たちばなに昔の人の袖の西を聞くに比べて、香花を愛人の氣息と思ふのは大膽で露骨で濃密な詩境である。 我彼の詩情の相違を見るべきであらう。 西歐の詩には孟珠のものと同想があるだらうと思ふ。 この作者の他の二章をも併せ揭げて參考とする。 陽春二三月、草與水同色、道逢游冶郞、恨不早相識。」 望觀四五年、實情將襖惱、願得無人處、回身與郞抱」。 蕩思放縱ではあるが詩美は充分に保たれてゐると思ふ。

 

夷陵女子  唐朝。 未詳[やぶちゃん注:「末詳」であるが、誤植と断じ、訂した。]。

黃 氏 女  十三世紀中葉。 宋朝の理宗の時代。 閩人の潘用中といふ人が父に隨うて都に居住してゐた。 この靑年は笛を弄ぶことを愛したが、隣人黃氏の女は、潘の笛を聞いてその人を慕ひ、潘は彼女を見て帕に詩を題して胡桃をつつんで投げた。 彼女も亦、同じく胡桃をつつんだ帕に題した返事の詩がここに譯出したものである。 彼等は遂にこの緣によってむつまじい夫妻となり、帕中の詩は佳話として世間に擴まり、宮廷にまで傳はって、理宗をして奇遇だと嗟嘆せしめた。

 

子  夜 三四世紀。 晉曲で有名な子夜歌の原曲である。 子夜は歌曲の名であって作者の名ではない、といふ說もあるけれども、今はこの曲の作者たる晉の女子の名だといふ說に從ふ。 傳は無論、未詳である。 子夜歌の今に傳はるものは四十二章あるが、玉石相半している。 佳なるものはその體の簡古、情緖の切實、眞に秀絕で不朽の歌と稱していい。 宜なる哉、李白なども之に學ぶところがあつた。 後人はこの體に倣つて、子夜四時歌、大子夜歌、子夜警歌、子夜變歌等の體を作つた。

 

呂 楚 卿  明朝の妓女。 萬曆の頃であらうか。 未詳。

 

景 翩 翩  十六世紀中葉。 明朝。 建昌の妓女。 字は三味。 四川の人。閩人といふのは誤であるらしい。 後に嫁して丁長發の妻となつたが、丁は人の爲めに誣ひられて官に訴へられた時、景は竟に自ら縊れた。 その集を散花吟と名づけたといふのが、讖をなしたかとも思へて悼ましい。 才調の見るべきものがあると思ふ。

 

賈 蓬 萊  宋朝。 未詳。

 

紀 映 淮  明朝。 年代は明かでない。 宇は阿男。 金陵の人である。 菖州の杜氏に嫁し、早く寡となったが節を守つて生涯を終つたといふ。 漁洋詩話にはその秦淮柳枝を推し「栖鴉流水㸃秋光」を佳句と稱してゐる。[やぶちゃん注:「栖」は底本では(へん)が「木」ではなく「扌」であるが、誤植と断じ、「講談社文芸文庫」で訂した。]

 

趙 今 燕  十六世紀中葉。 明朝萬曆年間。 名は彩姬。 吳の人。 秦淮[やぶちゃん注:「秦」は底本では「奏」であるが、同前の文庫で訂した。]の名妓である。 才色ともに一代に聞えてゐた。 日ごろ風塵の感を抱いて妄に笑を賣ることを好まず、書を讀むことを喜び、靑樓集を著したといふ。

 

馬 月 嬌  趙今燕と同じ時代、同じく秦淮に、同じやうに名を馳せた名妓である。 名を守貞といふ。 容貌は大して美しいといふ程ではなかつたが、風流でまた豪俠の氣質の愛慕すべきものがあつた。 又、湘蘭と號して善く蘭を畫き一家の風格を得た。 その名は海外まで聞え當時シヤムの使節が來朝した時にその畫扇を得て歸つたといふ。

 

張 文 姬  九世紀末。 唐朝の貴婦人。 鮑參軍の妻である。

 

鄭 允 端  十二三世紀。 吳中の施伯人の妻である。 その著を肅雝集といふ。 今は傳はらない。

 

李  瑣  明朝の妓女。 未詳。

 

沈 滿 願  西曆六世紀。 梁の貴婦人。范靖(一說に靜に作る)の妻。 著すところ甚だ富み、詩に長ずと言はれてゐる。 唐書藝文志に憑れば滿願集三卷があるといふが、湮滅に歸した。

 

趙 鸞 鸞  唐の妓。 未詳。 その作の傳はるものは五首卽ち、雲鬟、柳眉、檀口、酥乳、纎指の五題いづれも肉體の美を咏じたものである。 もとより閨房の譃咏ではあるが、その纎細な美は同じ唐の妓女史鳳の七首などとは比ぶべきではない。 譯出したものは酥乳の轉結である。 その起承は「粉香汗濕瑤琴翰、春逗酥融白鳳膏」であるが、文字の美を去つてその意を傳へても無意味に近いからこの二句の譯は企てなかつた。

 

端 淑 卿  十六世紀(?)。 明朝。 當塗の人。 敎論端廷弼の女である。 幼時から學を好み才媛の名が高かつた。

 

王 氏 女  明朝。 未詳。 年ごろになって良緣がなかつた。 その悲しみを歌つたこの詩を見て、趙德麟といふ人が彼女を娶つた。 世人は二十八字媒と呼んで佳話とした。 轉句の「晚雲」を一本では「曉雲」に作つてゐる。 しかし晚雲でなければ詩情に乏しいかと思ふ。 南方の支那では一般に夏時は午睡をする習慣があることを思へば、殘睡に回頭して晚雲を見ても不自然ではないわけである。

 

劉 采 春  九世紀初頭。 唐朝、元和年間、薛濤や杜秋娘などと同時代。 越の妓女である。 その囉嗊曲――望夫の歌は古來喧傳されてゐるものである。

 

陳 眞 素  明朝の妓女。 未詳。

 

周  文  同上。

 

七歲女子  七世紀末。 唐朝。 この幼女が詩を能くすることが宮廷にまで聞え、則天武后が召して「送兄」といふ題を與へそれによって作らせたのがこれである。

 

靑溪小姑  五世紀。 宋の秣陵尉蔣子文の第三妹である。 靑溪はその居住の地名で小姑といふのは學藝ある貴婦人に對する敬稱である。 簡素な文字のなかに情感の溢れてゐるのを見る可きである。

 

魚 玄 機  九世紀。 唐朝。 薛濤などのすぐ次の時代である。 彼女の生涯に到つては最も浪漫的であまりに慘然たるものである。 長安の狹斜の地で生れた彼女が、十五歲の時、題を得て卽座に賦した江邊柳といふ五言律詩は溫庭筠をして好しと言はしめた。十八歲の時、人の妾となつたが情を解しなかつたので、彼女は送られて道觀の女道士となつた。 しかし彼女が一度情を解するや、この女道士は妓女のやうな日夕を送つた。 遂にその婢が彼の愛人と通じたのではないかといふ猜疑に驅られてこれを責めてゐるうちに誤つて婢を死に致した。 彼女は刑によつて斬せられ、その多情多恨の生涯は二十六歲で終つた。 唐女郞魚玄機詩一卷が傳はつて世に行はれてゐる。 森鷗外に「魚玄機」といふ作があつて、創作といふよりも彼女の評傳と見得るものである。 詳しくは就て看らる可きである。 その生涯を知つて「自歎多情是足愁」の詩を見ると一層感が深い。 靑春の憂悶の堪え難いのを歎いて、身の寧ろ白髮たらんことを願つたこの詩と殆んど同想同句が、現代英國の狂詩人アアサア、シモンズにあるのも亦一奇である。

 

李  筠  明朝の妓女。 未詳。

 

丁 渥 妻  十二世紀ごろ(?)。 宋朝。 その夫が游學して久しく家鄕から遠ざかつてゐた。 一夜夢にその妻が燈下で消息を認めてゐるところを見たが、文中にこの詩があつた。 後日妻から鄕信を得て見ると果してかつて夢に見た詩が記されてあつた。 譯出したのはその不思議な話の主題となるものである。

 

俞汝舟妻  朝鮮の女子であるといふ。 未詳。

 

媼  婉  宋朝の妓女。 未詳。

 

王  微  十六世紀(?)。 明朝。 字は修微、揚州の妓女である。 二度も士人の妻となつたが何れも完うしなかつた。 禪に歸依して草衣道人と號した。 集があつて期山草樾舘詩集といふ。[やぶちゃん注:「樾」は底本では「扌」のように見えるが、中文サイト及び同文芸文庫に従った。

 以下、「目次」。リーダとページ・ナンバーは省略した。凡て字間は半角ほど空いているが、再現しなかった。]

 

    目  次

 

序文                 奥野信太郞

 

たゞ若き日を惜め

春ぞなかなかに悲しき

音に啼く鳥

春のをとめ

薔薇をつめば

よき人が笛の音きこゆ

女ごころ

ほゝ笑みてひとり口すさめる

むつごと

怨ごと

蝶を咏める

水彩風景

行く春の川べの別れ

おなじく

行く春

そゞろごころ

白鷺をうたひて

池のほとりなる竹

川ぞひの欄によりて

夏の日の戀人

水かがみ

乳房をうたひて

戀愛天文學

朝の別れ

採蓮

はつ秋

秋の鏡

秋の江

手巾を贈るにそへて

月は空しく鏡に似たり

秋の別れ

秋ふかくして

戀するものの淚

もみぢ葉

思ひあふれて

秋の瀧

ともし灯の敎へ

殘燈を咏みて

つれなき人に

旅びと

貧しき女のよめる

夜半の思ひ

骰子を咏みて身を寓するに似たり

松か柏か

人に寄す

月をうかべたる波を見て

霜下の草

 

原作者の事その他

 

裝釘                  小穴隆一

 

[やぶちゃん注:奥附があるが、リンクに留めておく。]

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