佐々木喜善「聽耳草紙」 一五九番 カバネヤミ
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]
一五九番 カバネヤミ
或男が、あんまりカバネヤミ(怠者《なまけもの》)なので、燒飯二ツもらつて勘當された。そこで男は燒飯の包みを頭にかけて、何處といふあてもなく步いて行つた。そのうちに腹が空《す》いて來たが、根がカバネヤミだから、頭から包みをおろしたり、それを解いたりするのが面倒なので、空腹をがまんして、誰か來たら解いて貰はうと思つて、[やぶちゃん注:底本は句点だが、「ちくま文庫」版で訂した。]のたりのたりと步いて居た。
すると向ふから、笠を被つて口を大きく開いて來る男があつた。ははアあの男は腹が空いてあゝ口を開いて來るのだなアと思つて、近づくのを待つて、ざエ、この頭に引掛けた包みの中に、燒飯が二つあるが、それを一ツお前にやるから、取出《とりだ》してくれと賴むと、相手は、いやいや俺は其どころか笠の紐がゆるんでも、それを締めるのが億劫だから、斯《か》うして口を開いて顎で紐を張つて居るのだと答へた。
(膽澤《いさは》郡下姉帶《あねたい》村生《うまれ》
の油井德四郞殿の話。森口多里氏御報告の五。)
[やぶちゃん注:「カバネヤミ(怠者)」という方言は東北地方で広く用いられるようであるが、語源について記した記事を私は見出せなかった。推理するに、「屍」(かばね・しかばね)と同じように動くのも面倒といった怠け者を、性質というより病的と捉え、「屍」(かばね)のような「病(や)み」と言ったものかと考えた。
「膽澤郡下姉帶村」これは「膽澤郡下姉體村」の誤りである。現在の岩手県奥州市水沢姉体町(みずさわあねたいちょう)及び水沢上姉体(みずさわかみあねたい:先の水沢姉体町内に別個に存在する)に相当する。「ひなたGPS」の戦前の地図で「姉體村」が確認され、その中の「上姉體」及び「下姉體」を確認出来る。これは実は非常に問題のある重大な誤りで、実は別に「姉帶村」が存在したからである。その「姉帶村」はやはり「あねたいむら」と読むのであるが、岩手県二戸郡にあった旧村で、現在の二戸郡一戸町(いちのへまち)姉帯(あねたい)及び同町面岸(ももぎし:こちらはスケールを小さくして奥州市と如何に離れているかを示した)に当たる。こちらも参考までに「ひなたGPS」の戦前の地図を挙げておく(以上は二つの「ひなたGPS」を除いて総てグーグル・マップ・データである)。「ちくま文庫」版も誤ったままで載せており、注もない。甚だ問題である。]
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