譚海 卷之五 奥州津軽南部の際絕景の地の事
[やぶちゃん注:句読点・記号を変更・追加した。標題「際」は「きは」であろう。]
○津輕より、南部へ越(こゆ)る東の海邊、高き岸より望めば、一里半も隔たる沖に、大なる島あり。島の腹(はら)に、殊に大(おほき)なる洞穴、有り。壹里餘(あまり)を隔てても、たしかに、それと、見ゆるほどの洞(ほら)なり。その洞中(ほらなか)に、諸鳥、巢をかまへ、集(あつま)り、すむと、いへり。高き岸を、ゆきながら見れば、岸より洞まで、庭石を居(おき)たる如く、平かなる岩(いは)ほ、つゞきて有(あり)。またぎて、ゆかるゝやうに、みゆれども、岩ほのあひだを、船のゆききするを、みれば、岩のあはひ、よほど、へだたりてあると、覺えたり。其岩の間に、打(うち)あてて、ほどばしる[やぶちゃん注:ママ。]波の景色、奇觀也。ひくき所に、くだりて見れば、はじめ、此たひらかにみえし岩、いづれも、高さ、二、三間ほどづつある故、岩にかくされて、島は、みえず、高き所より望(のぞみ)たるときは、言語同斷の景也とぞ。
[やぶちゃん注:「津輕より、南部へ越る東の海邊」底本の竹内利美氏の注に、『津軽南部両藩の境は、海辺では現在の青森県野辺地』(のへじ)『の馬門』(まかど)『で、ここに番所があった。ここの話は浅虫温泉の辺から夏泊』(なつどまり)『半島いたるところらしい。まだ津軽領分である』とある。この馬門御番所跡はここ(グーグル・マップ・データ。以下同じ)で、北西にある半島が夏泊半島、浅虫温泉は、その南西のここである。
「一里半」は東国で用いられた小道(こみち)・坂東道(ばんどうみち)のそれで、一里は六町(六百五十四メートル)であるから、九百八十一メートルとなる。通常の一里では、当該しそうな島はないからでもある。
「二、三間」三・六四~五・四五メートル。
さて。この島は現在の、どの島であろうか。「津輕より、南部へ越る東の海邊」とあり、竹内氏の注からも、これは、靑森湾の東側の海岸線となる。湾奥から夏泊半島に向かって、「湯ノ島」・「裸島」・「鴎(ごめ)島」・「茂浦島」・「双子島」・「大島」がある。この内、現在、海岸線から、「岸より洞まで、庭石を居たる如く、平かなる岩ほ、つゞきて有」という条件に一致し、島が岩塊に見えるのは、海岸線から近過ぎるが(今は百十二メートルぐらいしか離れていない)、青森市浅虫地区の「裸島」(航空写真)がそれらしくは見える。「海と日本PROJECT in 青森県」の『青森市浅虫地区の「裸島」に残る、ちょっと悲しい伝説とは?』の写真を見られたい。一方で、「湯ノ島」(航空写真)は八百八十九メートルほどはあるので、距離が一致することと、当該ウィキによれば、『鳥類ではキセキレイ、イソヒヨドリ、ウトウの生息地でもある』とあることで、有意に候補とはなる。しかし、現行、島に続く岩場は存在しない。竹内氏が島を比定されていないのは、これらの記載を凡てクリアーする現存する島が見当たらないからであろう。]

