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2023/07/23

南方閑話 死んだ女が子を產んだ話

[やぶちゃん注:「南方閑話」は大正一五(一九二六)年二月に坂本書店から刊行された。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像を視認した(リンクは表紙。本登録をしないと見られない)。但し、加工データとして、サイト「私設万葉文庫」にある、電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊)を加工データとして使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。疑問箇所は所持する平凡社「南方熊楠選集3」の「南方閑話 南方随筆」(一九八四年刊・新字新仮名)その他(必要な場合は参考対象を必ず示す)で校合した。

 これより後に出た「南方隨筆」「續南方隨筆」の先行電子化では、 南方熊楠の表記法に、さんざん、苦しめられた(特に読みの送り仮名として出すべき部分がない点、ダラダラと改行せずに記す点、句点が少なく、読点も不足していて甚だ読み難い等々)。されば、そこで行った《 》で私が推定の読みを歴史的仮名遣で添えることは勿論、句読点や記号も変更・追加し、書名は「 」で括り、時には、引用や直接話法とはっきり判る部分に「 」・『 』を附すこととし、「選集」を参考にしつつ、改行・段落成形もすることとする(そうしないと、私の注がずっと後になってしまい、注を必要とされるか読者には非常に不便だからである)。また、漢文脈の箇所では、後に〔 〕で推定訓読を示す。注は短いものは文中に、長くなるものは段落の後に附す。また、本書の掲載論考は全部で八篇であるが、長いものは分割して示す。

 より詳しい凡例は初回の冒頭注を見られたい。今回の分は、ここから。太字は底本では傍点「﹅」。]

 

    死んだ女が子を產んだ話

 

       

 「奇異雜談」下卷に、「世俗に曰く、懷姙不產(はらみてうまず)して死せる者、其儘野捨てにすれば、胎内の子、死せずして野にて生《むま》るれば、母の魂魄、形に化《け》して、子を抱き養ふて、夜、行《ある》く。其赤子の泣くを、「うぶめ啼く」と云也。其形、腰より下は、血に浸りて、力、弱き也。人、若し、是に遭へば、「負ふて玉はれ。」と云ふを、厭はずして、負へば、人を福祐に成すと、云傳《いひつた》へたり云々」とある。うぶめのことは、予、『東京人頬學會雜誌』明治四十二年五月の分、三〇五-六頁に、何か實在する、或鳥の外貌《すがた》が婦女に似たるより生じたる訛傳だらうと、云つて置いたが、其後、林道春の「梅村載筆」天卷に、『「夜中に小兒の啼き聲の樣なる物を、「うぶめ」と名《なづ》くと雖も、其を竊《ひそ》かに伺ひしかば、靑鷺也。」と、或人、語りき。」と有るを、見出《みいだ》した。又、鯢魚(さんせうのうを)も鼈《すつぽん》も、啼き聲、赤兒に酷似するを、永々《ながなが》、之を扱ふた人から聽いた。ポリネシア人が、胎兒の幽靈を、事の外、恐るゝ由、繰り返し、ワイツ及びゲルラントの「未開民史《ゲシヒテ・デル・ナチユルフオルケル》」(一八七二年板、卷六)に言へり。

[やぶちゃん注:最後の書名の読みは「選集」に附されてあるものを参考にした。

『「奇異雜談」下卷に、「世俗に曰く、……」先日、電子化注を終わった「奇異雜談集」の「巻第四 ㊃產女の由來の事」からの部分引用である。]

 又「奇異雜談」下卷に、京都靈山正法寺の開山國阿上人、元と、足利義滿に仕へ、伊勢へ出陣の間に、懷姙中の妻、死す。其訃を聞いて、陣中、作善《さぜん》を營む代りに、每日、錢を非人に施す。軍《いくさ》、畢《を》へて、歸京し、妻を埋《うづ》めた處へ往き見ると、塚下《つかした》に、赤子の聲、聞ゆ。近處の茶屋の亭主に聞くに、「其邊より、此頃、每日、婦人の靈、來り、錢を以て、餅を買ふ。」と。「日數《ひかず》も錢の數も伊勢で施した所と合ふから、必定、亡妻が施錢を以て、餅を求め、赤子を養ふたに相違なし。」と、判じて、塚を掘ると、赤子は活きて居《をつ》たが、母の屍は、腐れ果てゝ居《をつ》た。依つて、其子を、彼《か》の亭主に養はせ、己れは、藤澤寺で出家し、五十年間、修行弘道《こうだう》した、と有る。(大正二年九月『鄕土硏究』一卷七號)

[やぶちゃん注:同前で続く「巻第四 ㊄國阿上人發心由來の事」の抄録である。而して、実は以上の二段落は、既に電子化注を終えた『「續南方隨筆」正規表現版オリジナル注附 「『鄕土硏究』一至三號を讀む」パート「二」 の「頭白上人緣起」』と実は全く同じ初出記事なのである。但し、本書「南方閑話」の方が「續南方隨筆」よりも古いから、単行本収録の作品としては、こちらが最初となる。また、孰れも、単行本に収録する際に熊楠自身が初出に手を加えているようだから(後者は確実)、表記その他は完全には一致しない。]

 此の話の出處と思はるゝのが、「淵鑑類函」三二一に出で居《を》る。曰く、閒居錄云、宋之末年、姑蘇賣餅家、檢所鬻錢、得冥幣焉、因怪之、每鬻餅、必識其人與其錢、久之乃一婦人也、跡其婦、至一塚而滅、遂白之官、啓塚見婦人卧柩中、有小兒坐其側、恐其爲人所覺、必不復出、餓死小兒、有好事者、收歸養之、既長與常人無異、不知其姓、鄕人呼之曰鬼官人、元初猶在、後數年方死。〔「閒居錄(かんきよろく)」に云はく、『宋の末年、姑蘇(こそ)の餅(へい/だんご)を賣る家にて、鬻(ひさ)ぎし所(ところ)の錢(ぜに)を檢(けん)するに、冥幣(めいへい)[やぶちゃん注:紙銭。]を得たり。因つて之れを怪しみ、餠を鬻ぐ每(ごと)に、必ず、其の人と、其の錢とを、識(しる)す。之れを久しうするに、乃(すなは)ち、一(ひとり)の婦人なり。其の婦を跡(あとつ)くるに、一(ひとつ)の塚(つか)に至つて滅(めつ)せり。遂に、之れを、官(くわん)に白(まふ)す。塚を啓(ひら)くに、婦人、柩(ひつぎ)の中に卧(ふ)し、小兒、其の側(そば)に坐(ざ)せる有り。其れ、人に覺(さと)らるる所と爲(な)りて、必ずや、復(また)とは出でざれば、小兒を餓死せしめんことを恐るればなり。好事(かうず)の者、有りて、收(いだ)き歸つて、之れを養ふ。既に長(ちやう)じては、常(つね)の人と異(かは)ること無し。其の姓(せい)を知らず、鄕人(さとびと)、之れを呼びて「鬼官人(きくわんじん)」と曰(い)へり。元(げん)の初め、猶ほ、在(いきてあ)り、後、數年(すねん)にして、方(はじ)めて死せり。』と。〕とある。(大正五年六月『鄕土硏究』四卷三號)

[やぶちゃん注:「淵鑑類函」の当該部は、「漢籍リポジトリ」の当該巻の影印本と校合した。[326-9a]の画像を見られたい。書名が致命的に誤っている(底本では「閑居錄」)。但し、一部の難読なものは、熊楠の表記字とした。

「閒居錄」は元の吾衍の撰の随筆のそれか。

 なお、次の章以下は、それぞれの話については、読み易さを考え、改行・段落成形を施した。]

 

       

 

 死んだ母が其子を育てた話は日本に多いが、支那にも印度にもある。

 劉宋の沮渠京聲《そきよけいせい》が譯した「旃陀越國王經」に云《いは》く、

 旃陀王《せんだわう》が特に寵愛した小夫人、孕む。

 他の諸夫人が、之を妬み、王が信用した梵志《ぼんじ》に賂《まひなひ》し、

「此子、生れたら、屹度《きつと》、國の患ひとなる。」

と讒《ざん》したから、王、其小夫人を、殺し埋《うづ》めしめた。

 塚の中で、男兒、生れしを、母の半身、朽ちずして、乳育す。

 三年を經て、塚、崩れ、その兒、出で、鳥獸と戲れ、夜分、塚に還る。

 六歲の時、佛《ほとけ》、これを愍《あは》れみ、出家せしめ、後ち、羅漢となつた。

 佛、命じて、徃《ゆ》いて[やぶちゃん注:ママ。]、其父王を敎化《きやうげ》せしむ。

 此僧、王を見て、

「何を、憂ふるぞ。」

と問ふと、

「嗣子《しし》無きを憂ふ。」

と言つた。

 僧、聞いて笑ふて、のみ、居《を》るので、王、怒つて、殺さんとす。

 僧、察し知つて、便《すなは》ち、輕く、空中に飛上《とびあが》り、分身・散體して無間《むげん》に出入《しゆつにふ》した。

 王、見て、恐れ入り、僧を伴ひ、佛を訪《おとな》ふと、佛、便はち、因緣を說いた。

「此僧、前身、貧人たりし時、比丘に酪酥《らくそ》を施した功德で、王に生まれたが、人の好《よ》き母牛が、犢《こうし》を孕《はら》めるを見て、其牛を殺さしめた。王の夫人、王を諫めて、犢のみを助命せしめ、牛主、還つて、死んだ牛の腹を破り、犢を取出《とりいだ》し養ない[やぶちゃん注:ママ。]、怒りの餘り、後世、王をして、此犢の如くならしめんと詛《のろ》う[やぶちゃん注送り仮名はママ。実は底本では、「詛」ではなく「咀」となっている。「咀」を「詛」の代わりに用いる例があるが、これは完全に誤った慣用表現で、「咀」には「のろう」の意はない。従って、ここ以下、複数で用いられているため、一括して「詛」に代えた。]た。其より、王の後身、此僧となり、生れぬ前に、其母、殺された。母は前世の王夫人也。梵志は牛主《うしぬし》也。此僧は前世に酪酥を比丘に施したので、今生《こんじやう》にも死んだ母の乳で育つた。」

と。

 王の夫人は慈悲深い人で、犢を助命せしむる程なら、定めて、母牛を助命する樣《やう》願ふたのだらうが、王が、到底、二つ乍ら、助命せしめぬ故、止むを得ず、然る上は子牛だけでもと、諫めて、助命せしめたらしいが、牛主の男も、王に等しい分らず屋で、

『子牛を助命さする程の力が有る上は、今、少し、力を入れて、母牛をも助けて吳れさうなもの。』

と、恨んで詛ふた爲め、王は墓の中で生まるゝ無殘な目に逢ひ、王夫人は傍杖《そばづゑ》を食つて、牛主の後身たる梵志に讒殺《ざんさつ》せられた上、墓中で、王の後身たる子を產み、前生《ぜんしやう》に閨中に抱き樂しんだ因緣で、今度は抱き育てた。重《かさ》ね重《がさ》ね死んだ後《あと》までの面倒を見たので、古い都々逸《どどいつ》に、

「掛けてよいもの衣桁《えかう》にすだれ 掛けてわるいは薄情《うすなさけ》」

とあるごとく、いつそ生半可《なまはんか》な諫言《かんげん》をせずに、母牛も、子牛も、王命、是非無し、と、默つて見捨居《みすてを》つたら良《よか》つたかも知れない。

[やぶちゃん注:「劉宋」南北朝時代の南朝の南宋(四二〇年~四七九年)のこと。「劉」は帝の姓。]

 扨《さて》、サウゼイの「隨得手錄」(一八七六年ロンドン板)四輯一三六頁に、獨逸の紳士が美しい若い妻に死なれ、當座は哀愁に餘念もなかつたが、去る物、日に疎しで、永く立たぬ内に、ついつい、下女の尻を、抓《つね》り靡《なび》けて、或夜、共寢とやらかし居《を》ると、死《しん》だ妻が、寢臺に凭《よ》つて、夫と話した相《さう》な顏付き、二、三晚、同樣なるを見て、下女も氣味惡く、主人に話すと、

「そうか、二、三晚、續けて、そんなものが出るか。俺はまた、二、三番、續けて出すから、草臥《くたぶ》れて、一向、知らなんだ。衣は、新にしかず、友は、舊にしかずで、下女もよいが、どうも、昔馴染《むかしなじみ》の妻に、しかずだ。餓《うう》れば、食を擇ばず、窮すれば、妻を擇《えら》ばず、幽靈でも構はない。來たら引き留めて見よう。」

と、次の夜、まんじりともせず守り居ると、例刻になつて、果たして、寢臺近く、逼《せま》り來た。

「汝は誰ぞ。」

と尋ねると、

「あなたの妻でござんす。」

と答ふ。

「吾妻は、死んで埋められてつた。」

と云ふと、

「誠に。あなたが每度、上帝の名を引いて、誓言を吐いた罪により、心ならずも、早く死に別れたが、あなたが、今一度、妻にしようと云ふ思し召し有つて、今後、いつもする、殊に惡い誓言をせぬなら、再び妻となつて、語らいませう。」

と云つたので、夫も、踊り上つて打喜《うちよろこ》び、

「何が扨、そなたの樣な若い美人と、二度、添え[やぶちゃん注:ママ。]るなら、オンでもないこと、どんな誓言でも、以後、決してしませぬ。」

と言つた。

 其から、妻の幽公《ゆうこう》、家に留《とどま》つて消《きえ》ず、晝は諸用を司どり、夫と共に飮食し、夜は、彼《か》の件《けん》を怠らず、夫を慰むること、一方ならず、遂に、若干の子まで、產んだ。

 然るに、此夫の舊い癖が、失せ切らず、一日《いちじつ》、客を招き、夕餐《ゆふさん》を供へた後ち、自分の櫃《ひつ》から、何か、

「出し來たれ。」

と命ずると、妻が取りに徃《い》つて、急に持ち來たらぬを、腹立ち、例の誓言を發した。

 之に依《よつ》て、妻、忽ち、消失《きえう》せて、復《ま》た見えず、空しく、妻の打ち掛けが半ば、櫃の内半ば、其外《そのそと》に留《とど》まり在るを見るのみだつた。

 この幽靈が產んだ子供が、貴族となつた。

 サクソン公ジヨン・フレデリク、此事を聞いて、マルチン・ルーテルに意見を徵《ちやう》した時、ルーテル、答へに、

「此女も、此女が產《うん》だ子も、正しい人間でなく、全く、惡魔だ。」

と述べた由、ルーテルの「食案法論」に出て居る、と有る。

 既に幽靈が夫と交《まぢは》つて子を產む咄《はなし》ある上は、墓中で子を養ふた談も、必ず、歐洲に有る筈と、拙生《せつせい》も、二、三晚、搜し續けたが、見當らない。然し、同書二輯五二一頁に、

 君子坦丁堡《コンスタンチノープル》近傍に聖人メイツアデの墓、有り。此人の父、

「エルラの城攻めに徃《ゆく》。」

とて、其時、妻の腹に在つた子を、上帝に祈り、賴んで、出立《いでた》つた。

 其後、間もなく、妻が死んで、埋葬された。

 墓の中で、子が產まれたが、上帝の加護あつて、死んだ母の乳で、育つた。

 夫、歸り來つて、妻が死んだと聞き、

「せめて死顏なりと、今、一目、見たい。」

とて、墓を尋ね、開いてみると、其子が、死骸の乳を吸ひ居り、死骸、更に、腐らず在つたから、夫、大いに、上帝に感謝し、其子を伴つて歸る。

 其が、大學者となつたのが、乃《すなは》ち、此聖人だ、とあれば、回敎國には、頭白上人と同一の譚が行《おこなは》れ居ると知つた。(六月十一日午前五時稿)(大正十三年八月『日本土俗資料』四輯)

[やぶちゃん注最後のクレジットと書誌記載は「選集」を参考にして添えた。]

 

         

 

 前話は印度譚の例を佛經から引いたのだが、佛敎が現に行はれぬ印度の地方にも亦此類の話が有る。其一例を、一八六八年龍動《ロンドン》板、フレールの「オールド・デッカン・デイス」の二六二―二七二頁より、左に抄譯する。

 昔、國王と王后の間に極めて美しい女子を生んで、ソデワ・ベイ(吉祥女《きつしやうぢよ》)と名《なづ》けた。

 生れた時、國中の占師を、殘らず、呼んで卜《うらな》はすと、彼《かの》輩一同に、

「この女《をんな》、成人に隨ひ、富貴・幸運、一切の女に優《まさ》るべし。」

と言つたは、其筈で、この女、生れ落《おち》るなり、美容麗質の無類なるが上に、唇を開けば、珠玉、地に落ち、步を運べば、珍寶、湧き出で、父王、其御蔭で、天下一の大長者と成つた。

 且つ、又、吉祥女、生まれ乍らにして、頸に、金の瓔珞《えうらく》を纏《まと》ひ居つたのを、占者《うらなひし》が見て、

「此姬君の魂《たましひ》は、此瓔珞の中に藏《をさ》まり居るから、至極、注意して、其頸に着け置かれたい。一度、之れを取つて、他人の身に著《つく》れば、姬は、忽ち、死ぬる筈。」

と云つた。

 因つて、王母は、固く、其瓔珞を、姬君の頸に結付《むすびつ》け、や〻物が分る頃より、姬に敎へて、何事《なにごと》有つても、之を取外《とりはざさ》ざらしめた。

 頓《やが》て、十四歲に成つたが、王も后も婚儀を勸めず、姬の勝手次第と、放任した。

 諸邦の大王・貴人、爭ふて、結婚を申込《まうしこん》だが、姬は、一切、拒絕した。

 時に、父王、其姬君の誕生日の祝ひに、金玉作《きんぎよくづく》りの履《はきもの》、片足ごとに百萬金といふ高價の物を、姬に與へた。

 姬、愛重《あいちやう》の餘り、居常《へいぜい》、離さず、穿《は》いて居《をつ》たが、一日、女中共と、山腹に、花を採る内、足を滑らせて、片足の履を落した。

 其から、父王、國中に令《れい》し、大金を懸賞して求めたが、一向、出て來ない。

 山下《やました》の或國の王の若い子が、一日、狩に出《いで》て、深林中に、甚《い》と小さい無類の麗《うつ》くしい履を拾ひ、歸つて、母后《ははきさき》に示すと、

「これは、必ず、よほど愛らしい王女の穿き物に相違ない。何とか、其主を尋ねて、王子の妻にしたいもの。」

と、國中に勅して、探索したが、更に分らず。

 然る處ろ、人、有り、遠方より來つて、

「山奧の遠い國の王女が、美しい履を落したのを、其父王、重賞《ぢゆうしやう》を懸けて求めてゐる。」

と、その履の容體を、巨細《こさい》に告げたのが、的《て》つ切《き》り、王子の拾得品に符合するので、母后は、王子に、

「汝、其履を持つて、彼《か》の國に往き、渡すべし。扨、『約束の賞品を遣らう。』と云つたら、『金も銀も、貰ふて、何かせん。唯だ、姬君を、吾妻に賜へ。』と云へ。」

と、敎へて出立《いでたた》せた。

 王子、母の敎へのまゝに、長途《ちやうと》を執り、吉祥女の父王を訪ねて、履を呈し、褒美の品を望むと、

「金か、銀か、何を望みか。」

と問はれる。

「吾は、低地の一國王の子故、金銀抔に飽いて居《を》る。望む所は、王の姬君を、妻に欲しい。」

と云ふと、

「其は一寸《ちよつと》卽答は出來ない。娘の、心一つに、よること。」

といふ内、吉祥女は、窓から、王子の容子《ようす》を見て居り、

「あの王子なら、吾が夫として、不足なし。」

と云つたので、

「扨は。どこかによい所が有るのだらう。善は急げ。」[やぶちゃん注:姫の親の王と妃の感じを述べたものであろう。]、

と云ふ儘に、莊嚴・盛飾《せいしよく》して婚姻を濟《すま》しめた。

 其後、久しからず、王子、舅王《しうとのわう》に向ひ、

「この上は、妃《きさき》を伴れて、故鄕へ歸りたい。」

と云ふと、王、之を諾《だく》し、

「吳《く》れ吳《ぐ》れも、新妃《にひきさき》を大事にし、取分《とりわ》け、其頸より瓔珞を離さぬ樣、其れを他人に渡すと、新妃は死ぬから。」

と誨《をし》え[やぶちゃん注:ママ。]、多くの象・馬・駱駝、臣僕や、無量の金玉等を與へて出立《いでだ》たしめた。

 既に故鄕へ着いて、父王・母妃の悅び、譬《たと》ふるに、物なく、其儘、永く幸福に暮らし得べかりしに、兎角、浮世は思ふに任せず、一大事、出來《しゆつたい》した。

 と云ふは、此王子(名はラウジー)は、幼時、既に第一妃を娶《めと》り有つた。

 其《その》第一妃の人となり、陰欝として、每(いつ)も悒(いぶ)せく、殊に、大の燒き餠家《やきもちや》たり。

 去《さ》れば、父王・母后は、第一妃よりも、新妃を愛するから、第一妃、心、大《おほい》に新妃を惡《にく》んだが、少しも外に現はさず、表向きは、甚だ、之を愛好した。

 無邪一遍の新妃は、少しも、そんな氣が付《つか》ず、第一妃を姉の樣に親しみ、睦《むつ》ぶ。

 一日、王子、

「父王の領内乍ら、遠隔の地へ、用あつて、往く。」

迚《とて》、よくよく、新妃のことを、兩親に賴み、

「每朝、その安否を見に往つて下され。」

と囑《しよく》して出立《いでだつ》た。

 暫時、經て、吉祥女の室《へや》へ、第一妃が來て、

「夫王子が旅立つたので、寂しいから、是より、每度、爰《ここ》へ來て、面白く遊びませう。」

といふ。

 此詞《このことば》に甘へて、吉祥女、種々の珍玩を取出《とりいだ》し、第一妃の目を慰める内、第一妃、吉祥女に、

「貴女は、每《いつ》も、頸に金の珠を貫いた環を懸けて居《を》るが、あれは、何です。」

と問ふた。

「是は、私が產れた時、胎内から、頸に懸けて生れた物で、占者が、父王に、『私の魂は、此頸環に籠《こも》り居るから、他人に取り用ひらるゝと、私は、卽座に死ぬ。』と申された。其れ故、牡鹿《をすじか》の角《つの》の束《つか》の間《ま》も取外《とりはづ》した事はござらぬ。」

と答へた。

 第一妃、之を聞いて、心中、大《だい》ホクホク物《もの》だつたが、自分で竊《ぬす》む譯に參らず、自分の部屋に立ち歸つて、平素、自分に忠誠な黑女婢《くろぢよひ》を召し、

「かくかく。」

と命ずると、其夜、吉祥女の熟睡中、其部屋に入つて、瓔珞を外し、自分の頸に卷きつけると、同時に、吉祥女は、死んだ。

 翌朝、老王夫妻が、例に依《よつ》て、吉祥女の部屋を訪ふと、音も、せず。怪《あやし》んで、入《い》つて見れば、容顏は、平日通り乍ら、身體、大理石の如く冷へ[やぶちゃん注:ママ。]て、事切れ居《を》り。醫者に示すと、

「是は、最早、死に切つて居らるゝ。」

と云ふので、老王夫妻、お定りの愁歎場を演じたが、

「せめては、死顏だに、今一度、王子に見せやりたい。」

と有つて、吉祥女を、土に埋《うづ》めず、小池の側《そば》に美麗な廟《べう》を構へ、天蓋をかぶせて、其下に屍體を置き、日々、見に往つた。

 所が、未曾有の椿事と云ふは、其屍《しかばね》、少しも腐らず、顏色、生時《せいじ》に異《かは》らず、一月《ひとつき》經つて、夫王子《をつとわうじ》、歸り來《きた》る迄、斯《かく》の如く、唇色《くちびるのいろ》、頻婆果《びんばか》の如く、頰は紅蓮《かうれん》の如し。

 太子、之れを見て、焉《なん》ぞ慘傷《さんしやう》せざらん、朝から晚迄、彼《か》の墓へ、妻の屍を見に、

「あれ、いくよ。」

「それ、また、いく。」

と、行きかふ者の言《こと》の葉《は》に上る迄も、往き續けにぞ、往きたりける。

 父母は、

「斯く往き續けにやつたら、精《せい》、竭《つ》き、氣、疲れて、死には、せぬか。」

と案じ出《いだ》し、

「そうそう[やぶちゃん注:ママ。]、往くな。」

と、留むれども、聽けばこそ、

「糸惜《いとを》し妻の顏を見ずに居《をつ》ては、玉の緖の命《いのち》有つても、何かせん。」

と、墓詣り斗《ばか》り出精《せいだ》した。

 

       

 

 一方、吉祥女の瓔珞を盜んだ黑女は、終日、之を頸に懸けたが、每夜、寢る前に、取外《とりはづ》し、明朝迄、之を側《かたは》らに置く。其間だに、吉祥女の魂は、本身《ほんみ》に歸るから生き返る。

 扨、翌日、黑女、起きて、復た、自分の頸に着《つく》ると、吉祥女は、死《しん》だ。

 老王夫妻も、王子も、每度、墓へ往つたが、晝間に限つた故、夜分、吉祥女が甦《よみがへ》るを知らず。

 吉祥女、斯くして、最初、甦つた時は、邊りが眞闇《まつくら》で、誰一人《たれひとり》、側《そな》に居《をら》ない。付《つい》ては、

『是れは、知《しら》ぬ内に、牢に入《いれ》られたこと。』

と想ふたが、追ひ追ひ、慣れて來るに隨ひ、氣を落付《おちつ》けて考へるに、

『どうも、自分は、死んだらしい。何とか、夜《よ》の明けるを俟《ま》ちて、爰は、どこと、見極め、王宮へ還つて、瓔珞を搜し出そう。』

と思ふたが、夜は、決して、明けぬ。

 朝になると、黑女が、其を、自分の頸に絡《まと》ふと同時に、吉祥女は、死ぬのだ。

 然し、每夜、蘇へると、廟から出《いで》て、池の水を飮み、廟へ還つたが、食物がないのでヘコ垂れた。

 此女、生來、言《こと》いふ每《ごと》に、珠玉、口より落《おつ》るのだが、話し相手が無いので、其儀に及ばず、唯だ、每夜、水を飮みに出步《いであり》く、其跡に、足から涌き出た珠が、散らばつて居《をつ》た。其れが、一日《いちじつ》、王子の眼についたので、奇妙に思ひ、

「出處《でどころ》を、見屆けん。」

と番し居《をつ》たが、死んだ妻は、夜分だけ、活きて、出步くのだから、珠の出《だ》し主《ぬし》は分らぬ。

 然るに、其日は、吉祥女を葬つてより、丁度、二月《ふたつき》めで、王子が、

「珠の出處を、見屆けん。」

と、日、暮《くる》るまで、番した當夜、廟中で、男兒が生まれたに次いで、夜が明け、母は、復た、死だ。

 生まれた兒は、誰も取り上げる者が無し、終日、啼いたが、聞付《ききつ》ける人も、無かつた。

 其日は、王子、事、有つて、墓を訪はず、夜分に、初めて、珠の出處を見付けに出懸けたところ、廟中で、兒の啼聲《なきごゑ》がする。

「化物でないか。」

と訝《いぶか》る内、廟の戶を開けて、兒を抱いた女が、出來《いできた》り、池の方へ步むと、步々《ほほ》、珠を生ず、と來た。

『鳥羽玉《ぬばたま》の夢ぢないか。』

と、怪しみ見ると、水を飮み了つて、廟に還る樣子、

「其れ、引留《ひきと》めん。」

と、追掛《おひかく》るに驚いて、吉祥女は、廟に走り入り、内より戶を鎖《とざ》した。

「一寸《ちよつと》、開けて。」

と、戶を敲くと、

「汝は何物ぞ。鬼でないか。但しは、幽靈か」

と問ふ。

「左《さう》いふ汝こそ、兒迄、抱いて、念の入つた二人前《ふたりまへ》の幽靈で無いか。吾こそ、汝、生前、『草葉の蔭迄も離れない。』と盟《ちか》ふた、汝の夫だ。兎に角、爰を、開《ひら》け。」

と云ふを、氣を付けて聞けば、吾夫だから、戶を開いた。

 見れば、嬰兒を膝に置いて、母が坐り居《を》る。

「これは。夢でないか。」

と尋ねると、

「イエイエ、夢では、ござんせぬ。こんな處で、昨晚、此兒を產みましたが、夜が明けると、私は、死にます。誰か、私の金の瓔珞を盜《ぬすん》だから。」

と告げた。

 そこで初めて、金の瓔珞が、女の頸に懸つて無いに氣が付き、取敢《とりあへ》ず、王宮へ還り、宮中の男女を、一切、召集すると、第一妃の使ふ黑女が、其頸飾りをして居るから、番兵をして捕へて、投獄せしめると、大いに恐れて、

「第一妃に賴まれて、盜んだ。」

と白狀した。

 そこで、第一妃を、終身投獄に處し、父王・母后共に、廟へ往つて、頸飾りを、吉祥女に著《つ》けしめ、其子と共に、王宮へ還り、一同、

「めでたい、めでたい、」

と、大祝賀を、やらかし、行末《ゆくすゑ》長く、繁昌し、吉祥女は正妃《せいひ》と成つて、

「今度は、日が暮るゝ每に、面白く、死にます、死にます、」

と云《いふ》たそうだ[やぶちゃん注:ママ。]。(大正十二年六月十七日早朝稿)

[やぶちゃん注:最後のクレジットは「選集」で補った。]

 (追記)――希臘の古傳に、テツサリア王プレギアースの娘コローニス、醫神アポルロと通じて、子を孕む内、アルカジア人イスクスと通じた。アポルロ、豫《かね》て、監視に附け置いた鴉《からす》が之を告げたので、アポルロ、大いに其不貞を怒り、其妹アルテミスをして、コローニスの宅で、之を殺さしめた。一說には、アポルロ自ら、姦夫婦を殺したと云ふ。コローニスの屍《しかばね》、火葬され掛けた時、アポルロ、焰中《ほのほのうち》より、其胎兒を取出《とりいだ》し、半獸形の神ケイロンに授けて、醫道と狩法を學ばしめた。其兒が、醫聖アスクレーピオスで、妙技を以て、死んだ者をも活《いか》すから、死人、跡を絕ち、地獄、大不景氣と訴へ出《で》たので、大神ゼウス、霹靂《へきれき》して、之を殺し、アポルロ、其復仇《ふくきう》に、電鋒《でんはう》を作つた一眼鬼共《ひとつめおにども》を鏖殺《あうさつ》したといふ。(一八四四年板、スミス「希臘羅馬人傳神誌名彙」一卷四四章と、一九〇八年板、サイツフエルト「古學辭彙」英譯七五頁を參取す。)

[やぶちゃん注:「アポルロ」アポロン。

「其復仇に」底本では、「其後仇に」となっているが、前後から考えて、「選集」が正しいと判断した。

「電鋒を作つた」同じく底本では、「電鋒を作つて」となっているが、「一眼鬼」は鍛冶神(たんやしん)キュクロプスのことであり、ウィキの「キュクロープス」によれば、『息子』で、医神として知られる、ここに出る『アスクレーピオスをゼウスの稲妻で失ったアポローンの八つ当たりを食らい、虐殺されたという悲劇的な異伝もある』とあることから、「選集」の「た」を採用した。]

(追記)佛經に見えた此話の、恐らく尤も古いのは、西晉の沙門釋法立・法炬共譯の「諸德福田經」に在る。佛《ほとけ》、在世に、須陀耶《すだや》といふ比丘、有り。先世に、維耶離國《いやりこく》の小民だつた時、世に、佛なく、衆僧が敎化《きやうげ》した。此人、市《いち》へ、酪《らく》を賣りに行く途上、衆僧大會《だいゑ》の講法を、立ちて聽き[やぶちゃん注:底本は「立ち聽き」。「選集」の方を採用した。]、歡喜して、悉く持つ所の酪を施した。其功德で、九十一劫の間《あひだ》、生れ變《かは》る每に、豪貴尊榮だつたが、最末《さいまつ》に、餘罪、有つた爲め、自分を孕んだ數月後《すうつきのち》に、母が死んで、塚中《つかなか》に埋められた。月、滿ちて、塚中に生れ、死んだ母の乳を、七年間、飮んで、成長し、佛の說法を聞いて、得道《とくだう》したと云ふ。(七月十五日早朝)(大正十三年五月『日本土俗資料』一輯)

[やぶちゃん注:最後のクレジットと書誌は「選集」で補った。]

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