奇異雜談集巻第五 ㊁塩竃火熖の中より狐のばけるを見し事
[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい。標題中の「中」は、本巻冒頭の「目錄」の方では、「内」となっている。]
㊁塩竃(しほがま)火熖(くはゑん)の中(うち)より狐(きつね)のばけるを見し事
津の国、兵庫の西に、塩屋(しほ《や》)といふ鄕(さと)あり。つねに、塩を、やく所なり。庄内《しやうない》に、しほや、おほし。
[やぶちゃん注:「塩屋といふ鄕」現在の兵庫県神戸市垂水(たるみ)区塩屋町(しおやちょう:グーグル・マップ・データ)。]
冬の事なるに、おとこ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]一人、塩屋に居て、しほをやく。しほやの長(たけ)、五、六尺にして、兩方に、くち、あり。
おとこ、かたいつはうの口にゐて、火をたく。臥(ふし)ながら、しほ木(き)を、なげくべ、なげくべ、す。
夜ふかきに、若き女のこゑにて、しほやの門《かど》にきたりて、
「火に、あたらん。」
といふ。
みれば、子をいだきたり。
男のいはく、
「彼方(そなた)の口ヘゆきて、火に、あたれ。」
といふ。
「うれしや。」
といふて、行《ゆき》て、火にあたる。
竈(かま)の下、火熖の中《うち》よりみれば、狐、ひとつの鴈(がん)をもちて、膝(ひざ)のうヘに、をきて[やぶちゃん注:ママ。]、なでさするなり。
『ふしぎや。』
と思ふて、おきて、竃のうへより見れば、女子(によし)をひざにをく[やぶちゃん注:ママ。]なり。
又、かまの下より、みれば、狐、さきのことし[やぶちゃん注:ママ。]。
又、かまの上よりみれば、女なり。
『さては。狐、ばけて、きたる也。にくし。』
と思ひて、竃の下のおき[やぶちゃん注:「燠(おき)」。赤くおこった炭火。]を、えぶり[やぶちゃん注:「柄振」・「朳」で長い柄の先に横板のついた鍬(くわ)のような形のもの。 土を均(なら)したり、穀物の実などを、搔き集めたりするのに用いる農具。 「えんぶり」とも。]をもつて、しづかに、をしやり、をしやりして[やぶちゃん注:孰れもママ。]、
「よく、あたれ。」
といふて、おき、つもる時、ゑぶり[やぶちゃん注:ママ。]のえを、長く、とりのべて、おきを、一度に、
「くはつ」
と、つきかくぱ、おどろき、こゑあげて、立つ。
男、
「あれは。」[やぶちゃん注:「貴様は!」の意か。]
といへば、逃げさる。
をふて[やぶちゃん注:ママ。]出《いづ》れば、狐のこゑをなして、はるかにさりぬ。
歸りてみれば、鴈(がん)を、のこしをりけり。
おとこ、雁を拾うて、喜び、むしろの下にをき[やぶちゃん注:ママ。]ぬ。
やうやう、夜《よ》、あけたれば、鴈を持ちて、我(わが)家にかへりて、さきの件《くだん》のしだいを、かたれば、家中、みな、笑へり。
亭主、
「此鴈を、市《いち》に出《いだ》して、賣るべし。」
とて、こしふくろ[やぶちゃん注:「腰袋」。]に入れて、こしに、つけてゆく。
『須磨の市まで行かん。』
と思ふに、道、四、五丁[やぶちゃん注:約四百三十七~五百四十五半メートル。]、ゆけば、さきに、人もみえず。
はからざるに、小男(こおとこ)一人《ひとり》、ろし[やぶちゃん注:「路次」。]にたちて我をまちて、
「いづかたへ、御出でぞ。」
と、とふ。
「市へ鴈を賣りに行く。」
とこたふ。
小男のいはく、
「それがしは、鴈を買ひに行くなり。しからば、爰《ここ》にて買ひ申《まうす》べし。」
といふ。
「いづくにおひて[やぶちゃん注:ママ。]うるも、おなし事、うるべし。」
とて、ふくろより、鴈を出《いだ》せば、
「近頃、よき鴈なり。代(しろ)は、五百文に買ふべし。」
といふ間、すなはち、うれり。
小男、代、五百もん、ふところより、取り出《いだ》してわたすを、うけとり、ふくろに入れて、こしにつけて、歸り、家にいり、
「此邊《このへん》にて、五百文にうりてかへる。」
といふ。
内方《うちかた》[やぶちゃん注:妻。]、
「よきことよ。」
といふ。
こしぶくろを、とひて、内方にわたせば、うけとりて、
「やう、かるや。」[やぶちゃん注:「樣、輕や。」であろう。但し、岩波文庫の高田氏の注では、そちらの底本(国立国会図書館本)では『「やらかるや」。意によつて改。訳ありげだ、の意』とされるが、塩焼きの職人の妻の台詞としては、ちょっと禅問答風になってしまい、私にはそうは採れない。]
といふて、袋を振り出だせば、馬《むま》の骨、五きれ、錢(せに[やぶちゃん注:ママ。])の長さなるが、ありて、錢は、なし。
亭主、おどろきて、いはく、
「かの狐、また、小男にばけて、鴈を、とり返したるなり。口おしき[やぶちゃん注:ママ。]事かな。」
とて、腹立(はらたつる)事、きはまりなし。
世に、狐の物がたり、おほき事かぎりなし。此
ざうたむ[やぶちゃん注:ママ。]、竒異の儀にあらずと
いへども、火熖の中において、その眞実(しん
じつ)をみる事、ふしぎにあらずや。眞言宗に
護摩木(ごまぎ)をたくこと、八千枚を、たく。
禪法(ぜんぼう)にいはく、「三世(《さん》ぜ
の諸佛、火熖の上におゐて[やぶちゃん注:ママ。]、大
法輪を轉ず」。又、いはく、「丹霞(たんか)、
木佛(もくぶつ)を燒(やけ)ば、院主(ゐん
じゆ)、看(みて)、眉鬚(びしゆ)墮落す。」と
云〻。
[やぶちゃん注:「丹霞、木佛を燒ば、院主、……」福岡県宗像市上八(こうじょう)にある臨済宗大徳寺派安延山承福寺公式サイト内の『<今月の禅語> ~朝日カルチャー「禅語教室」より~』の「真佛坐屋裏 (碧巌録) 真仏(しんぶつ)屋裏(おくり)に坐す」に、
《引用開始》
中国・唐の時代慧林寺の丹霞天然禅師の焼仏の話が有名である。厳しい寒波襲来の時、丹霞は仏殿から木彫の仏像を持ち出して、燃やして暖をとろうとしていた。院主は彼の暴挙をみて、なぜそんな無謀なことをするのかとなじる。丹霞は平気な顔で、燃えさかる仏像を探りながら、「舎利を求めようとしているのだ」とこたえる。舎利とは仏舎利のことだ。院主は「木像に仏舎利があるわけがないじゃないか」とカンカンになって怒る。丹霞は「舎利のない仏様ならただの薪と同じではないか」と平然と暖をとったという。
後で、この仏像を焼いた丹霞には罰が当たらず、丹霞をとがめ、叱責した院主の罰が当たり、眉が抜け落ちたという話なのだが、この丹霞禅師の行為の真意、主旨は何であるかという公案なのだ。真仏を知らず、ただ仏像という形にとらわれ、有難がる院主の浅薄な知見では禅境には程遠い。一切の束縛常識を突き抜けた丹霞禅師の純一無雑、無心の境涯に真仏は宿る。まさに真仏屋裏に坐すである。
《引用終了》
とあった。所持する「碧巌録」で確認した。「第九十四則 丹霞燒佛」である。これ、なかなかに、いいね!
なお、冨士昭雄氏の論文「奇異雑談集の成立」(『駒澤國文』(駒澤大学文学部国文学研究室編・通号九号・一九七二年発行・PDF)によれば、本篇は「法苑珠林」(ほうおんじゅりん:初唐の道世なる人物が著わした仏教典籍・類書。全百巻。六六八年成立)の巻四十二「感應緣」の中の「晋時有狸作人婦怪」の翻案であることが明らかにされている。「中國哲學書電子化計劃」影印本のここの三行目の「晉海西公時有一人母」以下(白文)で視認出来る。但し、化かすのは狐でなく、狸である。
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