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2023/07/06

梅崎春生「つむじ風」(その2) 「おばはん」

[やぶちゃん注:本篇の初出・底本・凡例その他は初回を見られたい。]

 

     お ば は ん

 

 あの昭和十六年十二月八日に、浅利圭介が嵐子(らんこ)と結婚式をあげたのは、偶然と言えば偶然であるが、ある意味では象徴的な偶然といってよかった。あの日は一見、国家的伸展の日に見えていながら、その実は大没落のきっかけの日であったのである。

 その頃は、もちろんのことであるが、圭介も若かったし、ランコも若かった。ランコは数え年二十一であった。

 仲人の説明によると、彼女の生れたのが大嵐の日で、だから両親が嵐子と名付けたのだという。誕生日環境が、生れた子の人格に作用を及ぼすものかどうか、圭介もよく知らなかったが、どうも最初からランコの性格には、嵐的なものがあったようだ。

 たとえば結婚式が済んで、やっと二人だけになれた時、ランコは圭介の前にきちんと正坐して、はっきりした声で言った。

「わたしはあなたの妻として、一生献身して内助の功をつくします。そしてあなたに偉くなっていただきたいと思います」

 切口上でそう宣言されて、圭介は一時オヤと思ったが、なに、両親からそう言えと言いつかって来たのだろう、と解釈して、あまり意にも止めなかった。むしろそういうことを言う新妻を、可憐だとすら感じたのだ。

 ランコが自分の意志でもって、自発的にそう発言したことを、当時の圭介が知っていたならば、圭介は大あわてして、その結婚を解消したに違いない。何故ならば圭介は、自分が世間的に偉くなれるような人間でないことを、誰よりもよく知っていたからだ。

 結婚して半年ほど経って、圭介に召集令状が来た。

 圭介は大いに狼狽(ろうばい)し、かつ落胆したが、ランコは泰然として、微塵(みじん)の動揺も示さなかった。

「一所懸命お国のために尽して下さい」

 そう言ってランコは圭介を送り出した。冷然というわけでなく、熱情をこめて彼女は送り出したのだ。つまり彼女の情熱は、別れを惜しんでヨヨと泣きすがるという形でなく、あくまで夫を立派なシコのミタテに仕立てたいという形に結実したのである。

[やぶちゃん注:「シコのミタテ」「醜(しこ)の御楯」。「楯」は矢を防ぐ武具の名。「卑しい身(或いは「醜い者」)で天皇のために楯となって外敵を防ぐ者」(単に古代の武人が卑下して言ったものとする説)、或いは「天皇の守りの強力な楯となる頑強な者」の意ともされる。「万葉集」巻第二十の「下野國」の防人(さきもり)の歌十一首の筆頭(四三七三番)に出る上代語。

   *

今日(けふ)よりは顧(かへり)みなくて大君(おほきみ)の醜の御楯と出で立つわれは

   *]

 応召中、ずいぶん手紙のやりとりもあったが、どの手紙においても、ランコは立派な軍国の妻であった。それはなにもランコが軍国主義者であったわけでなく、当時の状況において、彼女は立派な妻であろうと努めたのであり、自分が立派であることによって、夫を立派な夫に仕立てようと考えたのらしい。

 入営後、圭介は強制的に幹部候補生の試験を受けさせられ、そしておっことされた。

 おっことされたというより、自発的におっこちたという方が正しい。将校になるよりは兵士のままでいた方が、たすかる可能性が多いらしいと、圭介の本能が判断したからである。

 ところがそのことをランコに手紙で報告すると、ランコから怨みと嘆きに満ちた返事がきた。

 偉くなって欲しいとあたしが毎日念願していたにもかかわらず、あなたが将校になれないとは、腸(はらわた)が裂けんばかりにかなしい。そういった文面であった。

 ランコが圭介に偉くなれというのは、理想的人間になれという意味と同時に、階級的にも偉くなれという意味もあることを、むしろ後者の方に力点が置かれているらしいことを、圭介は初めて気がついた。

 

 浅利圭介は結局将校にはならず、あまり要領のよくない兵隊として、そして外地に連れて行かれた。将校になっていた方がトクか、兵士のままがトクだったか、これは圭介にも神様にも判らない。とにかく外地ではさんざん苦労をした。

 やっと復員してきたのは、終戦の日から二年も後のことである。

[やぶちゃん注:梅崎春生自身は桜島で敗戦を迎え、兵役を解除(下士官教育を受け、敗戦の年の五月に二等兵曹となっていた)され、一ヶ月後の九月には東京の友人の下宿に転がり込んでいる。そして、その十二月には名作「桜島」を執筆し、出版社に持ち込んでいる(実際には、いろいろあって、翌年の九月に雑誌『素直』に初出発表された)。また、敗戦から一年半後の昭和二二(一九四七)年一月に雑誌編集者であった山崎恵津と結婚している。]

 家も焼けただろうし、ランコなんかも死んだかも知れないと、半分覚悟して戻ってきたのに、家も健在であったし、ランコもちゃんと生きていた。もっとも家は密集地帯でなく、田園中の一軒屋みたいなものだったから、焼け残るのも当然であった。

 圭介の帰還を知って、ランコは泣いて喜んだ。ランコの涙を見たのは、圭介の生涯中これが只一度である。よほど嬉しかったのであろう。

 生きていても、女手の一人暮しだから、生活的にも困窮しているだろう。その圭介の予想も完全に裏切られた。戦後の混乱の中で、ランコは実に逞しく生きていた。どういう風に生きていたかというと、家の近くの百姓にわたりをつけ、その農作物を動かし、そのサヤで生活をしていたのだ。つまりカツギ屋である。

[やぶちゃん注:「カツギ屋」第二次世界大戦の戦中や戦後、米などの統制配給物資を、正規の手続きによらずに、こっそりと買い入れ、担(かつ)いできて、手数料を増して売り渡す者。前の「サヤ」は、そうしたマージンの利鞘(りざや)の「さや」。]

「あたしはなかなかすばしっこいから、巡査なんかにつかまらないんだよ」

 ランコは圭介にそう自慢をした。そして復員祝いにお赤飯をたき、その他いろんなご馳走をこしらえた。当時としては、お赤飯などというものは、夢の中のご馳走にひとしかった。

 復員当座しばらく、圭介はランコの稼ぎによりかかって徒食をしていた。外地でいためつけられた健康を、回復させるためでもあった。怠け者の圭介にとっては、こんな幸福な時期はめったになかった。

 すばしこく法網をくぐるのを自慢したように、ランコはすでに軍国の妻ではなかった。敗戦と同時にいちはやく頭を切りかえて、混乱に生きる決意をしたらしい。決意というより、そういう転身がランコの本体だったのかも知れなかった。

「早く身体をなおして、偉い人になってちょうだいね」

 頭の切りかえは完了したが、亭主を偉いやつに仕立てようという考えは、これはすこしも変っていなかった。そう言われると、どう返事していいのか判らなくて、圭介は口をもごもごさせてしまう。

 健康も回復してきたし、いつまでも徒食するのも心苦しいので、ある日の朝飯の後、圭介はランコに申し出た。

「すっかり丈夫になったし、そろそろ仕事を始めたいと思う」

 ランコは頼もしげに亭主を見た。

「いろいろ考えた結果、お前のやっている仕事な、あれを僕もやろうと思う」

「カツギ屋?」

 ランコは驚きの声を立てた。

「カツギ屋はだめですよ。絶対にだめ!」

「何故だね。お前もやってるじゃないか」

「カツギ屋はだめよ。第一あなたの性に向かない」[やぶちゃん注:「性」「しょう」。気質。]

 そしてランコは声を高くした。

「それに、カツギ屋というのは、軍隊で言うと、一兵卒よ。そんな一兵卒にあなたをしたくない。どうせ物を動かすなら、将軍級の大ブロカーになったらどう? とてもあなたには出来ない相談でしょう」

 

 自分をカツギ屋という一兵卒の身分におとしめてまで、亭主を偉くさせようというランコの申し出は、浅利圭介を感動もさせたが、同時に重い負担をも彼の胸にうえつけた。重い負担というより、絶望的な負担といった方がよかった。

「あなたはれっきとした学校出だから、やはり力仕事よりも、頭の方の仕事をするのが本筋なのよ。そんな仕事を探したらどう?」

「今、頭の仕事の方は、給料が安いそうだよ」

「安くてもいい。初めは誰だって安いわよ。そこからだんだん上って、偉くなるんだから」

 実際その頃は職は多かった。新聞にも求人広告はいくらでも出ていた。ただ進行するインフレに給料が追っつかないだけの話であって、それさえ我慢すれば、職はいくらでもあったのだ。

 そこで圭介は伝手(つて)を求めたり、求人広告に応じたりして、あれこれの職についたが、どういうわけか圭介が職につくと、間もなくその勤め先がつぶれてしまうのである。

 戦後の各事業の浮沈のはげしさがその原因であって、決して自分のせいではないと圭介は信じていたが、それでも彼の場合ははげし過ぎた。

 長くて一年、短いのになると、入社して一ヵ月目に解散ということもあって、ろくろく席のあたたまる余裕がないのである。

 どれもこれも短期間であるから、とても偉くなる余裕がない。

 ランコは相変らず圭介に対して、献身的であり愛情深かったが、勤め先がつぶれたという報告を聞くと、おそろしくにがい顔になった。

「またつぶれたの。困るわねえ。また新規まきなおしじゃないの」

「そうなんだよ。僕も困っているんだ」

 「どうしてそんなにつぶれるんでしょう。何時まで経っても、長(ちょう)にはなれないじゃないの」

 ランコは嘆声を発した。圭介は面目なげにうつむく他はない。そういえば、圭介はまだ一度も、長のつく役目についたことがない。軍隊においても、ついに上等兵どまりで、兵長にはなれなかった。

「あなたという人間の中に、何かしら会社をつぶすような要素があるんじゃない?」

 あまりにも勤め先がつぶれるものだから、とうとうランコはこういう物騒なことを言い出してきた。

「あたしだって、そんなことを思いたくないんだけれど、あんたにそんな気(け)があるんじゃない?」

「じょ、じょうだんじゃないよ。そんなことがあってたまるものか」

 圭介は顔色をかえて抗弁した。顔色をかえたのは、ひょっとすると自分にその気(け)があるんじゃないかと、近頃自分でも疑い始めていたからだ。

「運が悪いんだよ。運が悪いだけなんだ。そうそう悪運ばかりがつづくわけがないから、もうそろそろ僕にも運が開けてくるよ」

「そうかしら。早く運が開けなきゃ、困るわねえ。だってあなたは、もう三十六でしょ。もうどうにかならなきゃ、そのままヒネショウガみたいになっちまうわよ」

 圭介は返す言葉もない。

 それで奮起したというわけでもなかったが、圭介は軍隊時代の仲間と組んで、小さな商事会杜をつくり、これはかなり成功した。

 

 この商事会社は割にうまく行ったのだが、なにぶんにも小規模のものだったので、ちょっとした手違いで、創立三年目にしてつぶれた。

 こぢんまりやるということは、近代資本主義社会では手固いように見えて、やはり大海にボートを浮べたようなもので、あおりが来ると直ぐにひっくりかえってしまうのだ。

 しかしこの三年間は、圭介夫妻にとって割に安泰な時期で、ランコも嵐の如き性格を露出することもなく、身体も肥ってきた。

 結婚したてのころは、きりっとした細おもての美女だったのに、だんだん肥り出して、どっしりとした大年増になってきた。

 精神の安泰がこれをもたらしたのか、中年の生理のゆえなのか、食糧事情好転のせいなのか、よく判らないが、とにかくランコは肥りに肥った。着物を着てきちんと坐ると、膝の厚みが一尺ほどにもなった。

 圭介の方は別段肥りも瘦せもせず、三十九回の誕生日をむかえた。

[やぶちゃん注:「三十九回の誕生日」実際の梅崎春生は大正四(一九一五)年二月十五日生まれであるので、数えならば、昭和二八(一九五三)年、満で言っているなら、その前年となる。この「三十九回の誕生日をむかえ」るまでの時間経過がややぼかしてあるが、太平洋戦争開戦の日の結婚と軍歴、戦後の職歴で大きな相違はあるもの、「れっきとした学校出」であることなどで、浅利圭介に梅崎春生自身の影を、ほのかに匂わせるものは、ある。また、ここでの年齢指示から、本作が新聞連載された昭和三一(一九五六)年の梅先の実満年齢に急速に近づいている(連載開始時は梅崎は四十一歳になったばかり)ことも指摘出来る。]

 会社がつぶれたのは、それから八ヵ月後、歳の瀬も押しつまってからである。

 圭介も大狼狽したが、ランコの驚愕と憤怒(ふんぬ)はまた格別のものであった。長男も小学校に入学したし、あとはたんたんたる人生航路を予想していたのに、その夢が一挙に破れ去って、ランコはいささか逆上した。

「どうするんですよ。あなたは!」

 厚み一尺の膝を詰めよって、ランコは圭介を責め立てた。

「圭一ももう学校だし、今からしっかりしなくちゃいけないのに、今更失業とは何ですか!」

「僕が悪いんじゃないんだよ」

 圭介は必死に抗弁した。

「つまり、社会の機構が、悪いんだ」

「お黙りなさい。あなたが悪い」

 ランコは力まかせに畳をたたいた。

「社会の機構にうまく合う人が立派な人で、合わないのは当人の心がけが悪いんです。つまり、あなたは、不合格品よ」

「不合格品かどうか、まだ判らないよ。今からも一度……」

「も一度も何も……」

 とランコはまた畳をなぐりつけた。

「あなたは今いくつだと思っているんです。三十九じゃないの。もう何カ月かすると、四十男になるんじゃないの。四十面をぶら下げて、失業中でございなんて、恥かしいと思わないの。一体あなたは、どういう気持なの?」

「僕はほんとに、疲れたんだ」

 思わず圭介は本音をはいた。

「疲れた? 一体何に疲れたんです?」

「つまりさ、偉くなることに疲れたんだ」

「まあ呆れた。いっこうに偉くなってないじゃないの?」

「だからさ、偉くなろうと努力することに疲れたと言っているんだ」

 圭介は半分やけっぱちになって、怒鳴り返した。

「疲れた。ああ、おれは疲れた。当分のんびりとして、魚釣りでもして暮すんだ。おれにはおれの自由がある!」

 ランコも更に言いつのろうとしたが、何を思ったか、ふいに口をつぐんだ。両手を膝の上にきちんと乗せ、きらきらと青く光る眼でじっと圭介の顔を見据えた。

「あなた。今のあなたの言葉は本心ですか?」

「本心だ」

 圭介はふてくされた。

「どうせ僕は不合格品さ。規格外のニセモノだよう」

[やぶちゃん注:梅崎春生の長男知生(ともお)は昭和二六(一九五一)年五月生まれで、本篇発表の翌年に小学校に上がったはずであるから、よく一致する(因みに長女史子(ふみこ)は昭和二十二年十月生まれ)。また、ここでだだを捏ねる圭介は、梅崎がそうだというのではないが、彼が小説で登場させる梅崎春生然とした主人公の、多分に我が儘な性格と、かなり強い親和性を持っているとも言える。但し、実際に梅崎春生には、精神的にやや普通でない一面があったようで、底本別巻の年譜の昭和二十八年満二十八歳の条には、最後に『先天的無力体質と診断されるなど憂鬱症の兆候があらわれた』とある。]

 

 その翌日からのランコの日常は、よそ目にはほとんど変化がないと言ってよかった。

 ちゃんと家事もやるし、圭介が話しかければふつうに応対するし、家庭内で変ったことと言えば、圭介が毎朝きちんと出勤しないということだけであった。

 しかし、そのランコの態度の大根(おおね)のところでは、あきらかに変化のきざしがあった。

 つまり、圭介の将来に望みを絶ったこと、圭介をエラブツ[やぶちゃん注:「偉物」。]に仕立てようとの努力を打切ったこと、亭主が人生の不合格品たることを確認したことなどによって、彼女の内部のものは大元[やぶちゃん注:「おおもと」。]のところで変化しつつあった。

 長年連れそった女房のことだから、亭主の圭介にはそのくらいのことは感知出来る。

 亭主として一応立てて呉れてはいるが、根本のところでケイペツされているということは、あまり愉快な気持ではない。

 こちらから規格外のニセモノだと宣言したものの、その言葉を額面通り受取られては、亭土として立つ瀬はないではないか。

 では、どうしたらいいか?

 女房のその態度に発奮して、新しい仕事を求め、早くエラブツになること。これはあまりにも美談めいて、圭介の性に合わぬ。それにその可能性があるかどうか。

 では、不合格品であることを自分でも確認して、のらりくらりと生きるか。それはちょっと淋し過ぎるし、そんなことをしていると、親子三人の口が乾(ひ)上る。

 あのいさかいがあって以来、長男圭一に対するしつけと言おうか教育と言おうか、そのことにランコは急に熱心になったことを、圭介は知った。

(おれがもうダメだもんだから、今度は圭一をエラブツに仕立てようとしてるんだな)

 ひがむわけではないけれど、露骨にその気配を見せられては、圭介も面白くない。

 面白くないから、宣言通り魚釣りに出かけてもみたが、魚釣りというやつも退屈で、あまり面白くないものだ。

 失業以来、圭介の気分は急速に頽廃しつつあった。

 失業一ヵ月目の夕食の時、ランコはやおら坐り直して、圭介に切口上で宣言した。

「あたしはね、いろいろ考えた揚句、空いている郎屋を、他人(ひと)に貸したいと思います」

 圭介は黙っていた。失業して、うちに金を入れてないのだから、異議をとなえるわけには行かないのである。

「ですから、あなたの、あなたの書斎をあけ渡していただきたいのよ。あなたはあの納戸(なんど)にうつってください」

「お前は?」圭介は訊ねた。「お前たちは?」

「あたしと圭一は、茶の間です」

 いろいろ考えて置いたらしく、ランコはてきぱきと答えた。

「あなたが納戸に引っ込んで下されば、部屋が三つあきます。三部屋を貸せば、どうにか食って行けるわ。もうあたしも、カツギ屋をやる体力もないし、またカツギ屋の時代でもなくなったし」

「するとお前は、下宿屋のおばさんになるのか?」

「なりますとも」

 おばさん、という言葉がぐっと胸に来たらしく、ランコはちょっと声を険しくした。

「だってこの家は、あたしの家なんですからね。何をやろうと、誰の指図も受けません!」

 

 ランコのその言葉に、浅利圭介はすくなからずむっとした。何故ならばこの家は、もともと圭介のものだったからだ。

「へえ。これ、お前の家かねえ」

「そうですよ。ちゃんとあたしの名義になってるじゃないの!」

 そう言われれば、言い返すすべもない。

 召集令状が来た時、圭介は残さるる[やぶちゃん注:ママ。]新妻のあわれさを思いやり、かつまた万一の事態をも考えて、大急ぎでランコの名義に直しておいたのだ。そのたたりが、十数年経った今になってあらわれようとは、神ならぬ身の知る由もなかった。

 ランコは三度(みたび)畳をたたいて言いつのった。

「そうよ。ここはあたしの家よ。あたしがこの家の主人よ!」

「すると、僕はこの家の主人ではないと言うのか?」

「もちろんよ。あくまで主人の座に執着するなら、その前に主人としての働きを見せてちょうだい!」

 長年連れそった夫婦でも、ちょっとした言葉の行き違いで、むきになって意地を張り合うことがある。主人としての働きを云々されたのだから、この圭介の場合はことに深刻であった。ここは亭主としてもっとも痛いところなのだ。圭介は内心悲憤の涙にむせびながら、押しつぶされた声を出した。

「よろしい。この家の主人の座は、お前にあけ渡そう。仕方がない」

「あたり前よ。あけ渡すんだったら、ついでに、お前という呼び方もやめてもらいましょうか」

 女というものは大へんやさしく、且つかしこい生きものであるが、男にくらべると、惜しいかな、亢奮(こうふん)時における抑制というか節度というか、その点においてやや欠くる[やぶちゃん注:ママ。]ところがある。この場合のランコもそのうらみがあった。圭介の胸はふたたび悲憤の情にはり裂けた。しかし彼は忍耐した。

「よろしい。主人の座は、お前さんにあけ渡す!」

「お前さん?」

 ランコは眉をつり上げた。

「それが主人に対する言葉ですか」

 圭介はちょっと沈黙した。そしてしぼり出すような声を出した。

「とにかく、僕は、主人の座をあけ渡す。あけ渡しゃいいんだろ」

 圭介はすっくと立ち上り、畳を蹴立てて外に出た。パチンコ屋に直行し、三時間にわたって一心不乱に玉を弾(はじ)いた。あれほど献身的であった妻から、この度[やぶちゃん注:「たび」。]こんな仕打ちを受ければ、圭介ならずともパチンコを弾いたり酒を飲みたくなるにきまっている。

 三つの部屋から家具が撤去され、きれいに掃除され、貨間札が貼られ、一ヵ月も経たずして、三人の他人が入居してきた。

 圭介が押し込められた納戸というのは、北向きの日当りの悪い六畳だが、三つの部屋の家具をここに運び込んだので、実質的には四畳ぐらいにしか使用出来ない。

 主人の座から降りて、臣下ともつかず浪人ともつかぬ、まことに中途はんぱな位置に立って、圭介はこの部屋に起居することとなった。

 一方ランコは一家の主人として、また止宿人にとってはやさしいおばさんとして、ますます貫禄が具わってきたようである。

 

 一家のあるじの位置に立ったランコを、いかに呼ぶべきや、圭介もいささか困惑した。お前からお前さんまで譲歩したのに、ランコは聞き入れて呉れない。お前さんでいけなければ、あとはあなたあんただが、そこまでの後退は圭介の自尊心が許さなかった。それにここを後退すれば、サイパン失陥[やぶちゃん注:「しっかん」。攻め落とされて軍事支配を失うこと。]の日本軍のように、総くずれになるおそれがあった。

 しかし、そこはよくしたもので、日本語というやつはたいへん便利にできていて、主語を抜きにして会話ができるのである。お前とか、あなたとか、そんな言葉を使わないでも、ちゃんと会話ができ、意味が通じるようにできているのだ。

 その日本語の柔軟性によりかかって、圭介はほぼとどこおりなく、ランコとの会話に成功していた。

 あんなに激突したんだから、その翌日からにらみ合いの冷戦になる筈だと、あるいは独身の読者は思うかも知れないが、夫婦というものはそんなものでない。そんなにかんたんに割り切れたものでなく、もっと複雑にして微妙なものなのだ。

 ところがある日、圭介はどうしてもランコを呼ばねばならぬ事態におち入ってしまった。

 上厠(じょうし)して用を果たし、ふと気がつくと紙がそなえてなかったのである。

 午前の十時頃で、止宿人たちはいないし、圭一は学校に行っているし、いるのはランコだけであった。

 紙を使用しないままの状態で出てやろうかと、よほどのこと考えたが、さすがに圭介の衛生思想がそれを許さなかった。

 圭介の頭の中を、さまざまの呼称の言葉がかけめぐった。お前さんでは叱られるし、あなたとは舌を抜かれても言う気持になれなかった。

 ついに圭介は、止宿人たちが呼んでいるところの、おばさん、という言葉を思いついた。それにならって、おばさん、と声を出そうとしたが、やはり何か心にひっかかるものがあった。といって、何とか言わないわけには行かない。圭介はせっぱつまった。せっぱつまったまま、おばさん、という言葉に若干のデフォルメを加えて、声を張り上げた。

「おばはーん」

「おばはーん。紙持ってきて呉れえ」

 言うまでもなく、圭介はランコを侮辱するつもりではなかった。せっぱつまったせいもあり、また親しみをこめたつもりでもあったのだ。

 廊下を踏みならして、ランコは一束の紙を持ってきた。

 その眼は怒りに燃えていた。

 

 圭介はその時の眼を見なかったから、ランコの怒りには気付かなかった。

 そしてランコはその怒りを、その場でぶちまけることはしなかった。

 三日か四日間、ランコは内心あれこれと考えめぐらすところがあったらしいが、それを表情や態度に出すことは全然しなかった。だから圭介は何も気付かないでいた。相変らず主語抜きの会話をランコと交していた。おばはんという言葉を一度は使ってみたが、それは緊急の場合だったからで、面と向ってはやはり使いにくかった。

 四日目の夕方、圭介が納戸にひっくり返って夕刊を読んでいると、唐紙(からかみ)ががらりひらかれて、ランコがぬっと入ってきた。圭介の枕もとにきちんと坐った。

「あんたはこの間、あたしのことを、おばはんと呼んだわね」

 

 その声を聞いて、圭介は反射的に、むっくりと起き直った。以前ならば女房の声ごときで起き上ったりしないのだが、失職以来、とかく気が弱くなって、水鳥の羽音にすら驚かされるような心境になっているのである。

「言ったじゃないのさ。トイレの中で」

「言ったよ」

「どういうわけでそんな呼び方をするの?」

 ランコは厚い膝で詰め寄った。圭介もきちんと膝をそろえたままあとしざりした。

「こともあろうに、おばはん、とはなんですか。一体あんたは、どういう心算(つもり)なの?」

 お前呼ばわりを禁止して以来、ランコは圭介の呼称をあなたからあんたに格下げをしていた。これは意識的なものでなく、圭介の人物評価が低下したために、自然と格下げになったもののようだ。

「うん。だって、お前とか、お前さんとか言うと、怒るじゃないか」

「誰が怒るの?」

「そ、そこに坐っている人が、さ」

 圭介はランコの顔をまっすぐに指差した。せっぱつまった圭介のその動作を、ランコはまたしても揶揄(やゆ)ととったらしかった。ランコの眉はびくびくと上下した。

「それがおばはん呼ばわりする根拠に、どうしてなるの?」

 ランコの眼がきらきらと光った。

「あたし、くやしい!」

「だって――」

 圭介はなだめるような、またごまかすような声を出した。

「間借人[やぶちゃん注:「まがりにん」。]たちも、おばさん、と呼んでるじゃないか。おばさんとおばはんは、一字違いだけだから、そんなにくやしがることはないと思うがなあ」

「じゃ、あんたは間借人なみというわけなの?」

「うん、呼び方においてはね。つまり僕はわざとやっているんじゃなく、自然と遠慮しているんだよ」

「そう。判ったわ。判りました」

 ランコは急に開き直って、よそよそしい切口上になった。

「遠慮して間借人なみになったのね。では、今月から、この間代[やぶちゃん注:「まだい」。部屋代。]を払っていただきましょう」

「え?」

 圭介は仰天した。

「ぼ、ぼくから、部屋代を取ろうというのか。この僕から?」

「そうですよ。ここはあたしの家なんですからね。おばはん呼ばわりをするような人間を、タダで住まわせるわけには行きません」

「そんなムチャな」

 圭介は嘆息した。

「僕は失業してるんだよ。失業中のあわれな亭主にむかって――」

「失業保険があるはずじゃないの!」

 ランコは畳をどしんとたたいた。

「失業以来、どうするかと黙って見ていると、知らんふりして、うちに一文も入れないじゃないの。一体あんたは、失業保険をうちに入れないで、何に使ってるの?」

「そ、それは」

 虚をつかれて、圭介は絶句した。ランコはたたみかけた。

「言えないのね。よろしい。あんたは妻子が餓えても、平気なのね。あたしはあんたから、部屋代だけでなく、飯を食うんだったら食費も払っていただくことにします。判ったわね」

 

 失業保険を家に入れなかったのは、それはたしかに圭介が悪かった。しかし圭介はそれを遊興なんかに消費したわけでない。万一の場合にそなえて個人的に蓄積、つまりヘそくっていたのである。

 人間も四十ぐらいになると、青年時代と違って、すこしは用心深くなる。行き当りばったりのことは出来なくなるものだ。

 それに現実にランコが止宿人を入れているし、保険金は自分で蓄積して置いた方がいいと判断したのだ。

 おそらくランコは失念しているのだろうと、半分は安心、半分はたかをくくっていたのに、突然そこをつかれて、圭介は大狼狽した。大狼狽をした揚句に、ランコに一挙に押し切られた。

「じゃあどうしても、おばはんは――」

 圭介は居直った。やけっぱちになって、禁句を使用した。

「おばはんは僕から、部屋代を取ると言うんだね」

「取りますとも」

 ランコは勝ち誇ったように、部屋中をぐるぐる見廻した。

「六畳だから、四千八百円。三百円お引きして、四千五百円にしとくわ」

「そりゃ高い。いくらなんでも高過ぎる。暴利というもんだよ」

 圭介も真剣になった。実際火の粉が身にふりかかっているのだから、真剣にならざるを得ないのである。

「他の部屋とちがって、ここは日当りも悪いし、寒いじゃないか。それを他の部屋なみに、一畳八百円だなんて――」

「じゃ、四千円にまで負けて上げるわ。しかし、日当り日当りというけれど、あんたはもう三十九でしょ。日に当ったって、もう育ちはしないわよ」

「それにこの部屋」

 圭介は両手をつかって、ぐるぐると指差した。

「あの三つの部屋から、こんなに家具や道具を運び込んで、見なさい、六畳の中[やぶちゃん注:「うち」。]二畳はそれに使われているじゃないか、僕が使ってるのは、わずかに四畳だよ」

「何を言ってんですか。その家具や道具は、まるで他人のものみたいな言い方ね。じゃ、よござんす。家具類はこちらで引取りましょう。引取ってたたき売ることにしましょう」

「おいおい、それは待ってくれ」

 圭介の声は俄(にわ)かに哀願的になった。

「そんなにつんけんしなくってもいいじゃないか。そりゃ僕の家具類だけれど、しかし、現実に使用……」

「何時あたしがつんけんしました?」

「いやつんけんじゃなくて、こちらの弱味につけこんで、巧妙にたたみかけてくる。おばはんのやり方はまるでアメリカ的だ。すこし侵略的に過ぎるぞ」

「おや、何時侵略しました?」

「したじゃないか! 沖繩は返さないし、富士山は取り上げるし、砂川町や妙義山……」

「アメリカのことじゃありません!」

 ランコはまた畳を引っぱたいた。

「あたしのことよ。あたしが何時侵略したかというのよ。教えて上げますけれどね、あたしのやり方は、侵略的というんじゃなくて、論理的というんですよ。アメリカなんかと一緒くたにされてたまるもんですか!」

「じゃあ、アメリカは取消そう。でもね、おばはん、この部屋は日当りが悪いだけでなく、畳もぼろぼろだし、鼠もうろちょろ出没するんだよ」

 

 そういう論争を一時間もつづけた揚句、結局六畳の間代は、月三千円ということでケリがついた。四千五百円を三千円に値切ったのだから、浅利圭介としては異常な奮闘ぶりであり、成功であったと言えるだろう。

 話がついてランコが立ち去ったあと、圭介はふたたび畳にひっくり返り、千五百円の値切りを考えてにやりと笑ったが、次の瞬間、笑いは頰に凍りつき、にがいものが胸をつき上げて来た。

 よくよく考えてみると、これは千五百円などの問題ではないのである。

 この間まで一家の主人の地位にいたのに、その主人の座を追われた。それだけならまだ復辟(ふくへき)[やぶちゃん注:一度、退位した君主が、再び、位に就くこと。復位。 重祚。]の可能性もあったが、この度は一介の間借人の位置までに転落してしまったのだ。一等国が四等国に転落したのより、もっともっとひどい。

「あいつはもう俺を愛していないのかな?」

 苦虫をかみつぶした顔になってむっくり起き上り、圭介はつぶやいた。

「あいつは俺に、偉くなれ偉くなれと強要するが、そんなムリな話はないぞ。俺たちみたいに偉くなれないのがいるからこそ、偉いやつが偉いやつになれるんだ。皆が皆偉くなれば、もうそこに偉いということはあり得ないのだ」

 圭介は眼を据えて、自分のゆく末のことを、じっと考えてみた。行く先はあんたんとしていた。圭介はつぶやいた。

「もう四十になる」

 人生は四十から、という言葉があるが、これは薬の広告かなにかで、実際の人生にはあまり適用しにくい。四十までに足場をかためたものにとっては、その言葉も当っていようが、圭介みたいに四十で失業状態では、お話にならないのである。人から使われるにはヒネ過ぎているし、といって第一歩から始めるには、心身が硬化している。まだしも一家の主人であれば、どうにか形がつくのだが、間借人ではどうにもならない。

「どうしたらいいか。どうしたらいいのだろう?」

 失業保険もあと二カ月で打ち切られるのだ。四十にして大いに惑わざるを得ないではないか。

 圭介はごそごそと立ち上り、押入れから毛布をひっぱり出して、また畳にひっくり返った。毛布を頭からひっかぶった。ほこりくさいにおいと共に、圭介の眼界にチカチカと暗い火花みたいなものが飛び散った。

「よし。どんなことがあっても、俺は偉くなってやらないぞ!」

 毛布をひっかぶり、まるで石みたいに身体を硬くして、圭介は力んでいた。

「ランコが何と言おうと、俺は偉くなってやらないぞ!」

「あくまで態度をかえなければ、俺も一生ランコのことを、おばはん呼ばわりしてやるぞ!」

「偉くならないでも、俺は生きて行けるぞ!」

「どうせ世に入れられぬなら、入れられぬ者としての自己表現が、この世のどこかにあるわけだぞ!」

「逆手やハメ手を使ツでも、俺は生きで行ってやるぞ!」

「あとで後悔をするな!」

 後悔をする者は一体誰なのか、それもよく見当がつかないまま、浅利圭介は毛布の中で力みに力んでいた。

[やぶちゃん注:「逆手」一般的に広く、「相手の攻撃をそらし、それを逆用してこちらから攻め返すこと。また、ある状況や他人の行為などに対して、普通に予想されるような方法とは反対の方法で対処すること。」を指すが、次の「ハメ手」から梅崎春生が好きだった囲碁将棋でのそうした攻め方を特に指していると推定される。なお、読みは「さかて」「ぎゃくて」と二様に読む。

「ハメ手」「填(塡)手」。「はめで」とも言う。相手を陥れるための方法で、特に囲碁や将棋で相手の間違いを誘う目的で意識的に行なう手を言う。]

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