佐藤春夫譯「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」正規表現版 「戀するものの淚」景翩翩(誤り。本詩の作者は周文)
[やぶちゃん注:書誌・底本・凡例等は初回を見られたい。本篇はここ。]
戀するものの淚
幾點愁人淚
不許秋風吹
吹到長江裏
江流無盡期
景翩翩
戀するものの淚を
な吹きはらひそ秋風
吹きて河べにいたらば
ながれは盡きせじ
※
景翩翩 十六世紀中葉。 明朝。 建昌の妓女。 字は三味。 四川の人。 閔人というのは誤であるらしい。 後に嫁して丁長發の妻となつたが、丁は人の爲めに誣いられて官に訴へられた時、景は竟に自ら縊れた。 その集を散花吟と名づけたといふのが、讖をなしたかとも思へて悼ましい。 才調の見るべきものがあると思ふ。
※
[やぶちゃん注:調べたところ、これは佐藤の勘違いで、景翩翩(けいへんへん)の詩ではなく、既出の同じ明朝の妓女周文の「詠懷」という詩であることが判明した。中文サイト「中國古典戲曲資料庫」の「靜志居詩話」の「卷二十三」の「教坊」の「周文」の末尾に載る(その第三句末の「裡」は「裏」の異体字であるから問題ない)。景翩翩の詩は九首後に出るので、以上の解説はここでは無効なので、そこで、再度、挙げて、幾つかの語を注する。従って、附そうと思った読みも示さない。
推定訓読を示す。
*
詠懷(えいくわい)
幾點(いくしづく)か 人を愁ふる淚あり
秋風(あきかぜ)の吹くを 許さざるに
吹きては到れり 長江(ちやうかう)の裏(うち)
江(かう)は流れ 期(とき) 盡くること無し
*
それにしても、ここまででも、多数の誤りや、原詩を弄っていることが、既に紹介した小林徹行氏の既出論考でも指摘されてあるのに、講談社文芸文庫一九九四年刊佐藤春夫「車塵集 ほるとがる文」では、そうした指摘が、「解説」の池内紀池内紀氏の「心にくき霊筆」では、少ししか、指摘されていない。せめて漢文学者による別な注記が、これ、どう考えても必要不可欠である。杜撰な本と言わざるを得ない。因みに池内氏を私は評論家としてはカフカのそれ以外は殆んど評価していない。それは、彼のとんでもない芥川龍之介に対するどうしようもない誤認に呆れ果てているからである。私の『無知も甚だしいエッセイ池内紀「作家の生きかた」への義憤が芥川龍之介の真理を導くというパラドクス』を読まれたい。]
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