譚海 卷之五 常州銚子宮山の鷲の事
[やぶちゃん注:句読点・記号を変更・追加した。]
○常陸の銚子川は、東𢌞りの舶(ふね)の湊にして、家數(いへかず)三千軒に及び、甚(はなはだ)繁昌なる所也。川の西岸に、町、有(あり)て住居す。又、銚子の北に「とかは」と云(いふ)あり。此外側に宮山といふ大山、在(あり)、木立、繁(しげり)て、東へ走たる尾は、筑波山につづき、三里に橫(よこたは)れる山也。山の南北によりて、冬は、寒暖、格別に、たがふ事とぞ。此宮山に、鷲、多く、すんであり、殊に、年(とし)へたるあり。一とせ、鐵炮にて打(うち)たるに、疊(たたみ)四疊(しでふ)合(あはせ)たる程、在(あり)しと、いへり。下總印幡沼へも、時々、來りて、魚をとる。宮山と、印幡とは、三里計(ばかり)隔(へだ)たる所也。印幡沼は、七里に、三里あり。松戶の宿まで績(つづき)て、實(まこと)には、湖水也。沼の中に、水、わく時(とき)、有(あり)て、海へながれ出(いづ)る。沼の岸に住(すみ)たる村民、漁獵をもちて、渡世するもの、甚、多し、鯉・鮒は美味なりと、いへり。
[やぶちゃん注:『銚子の北に「とかは」と云あり。此外側に宮山といふ大山、在』とあるが、「とかは」という地名・川名は戦前の地図を見ても見当たらず、さらに「宮山といふ大山」も判らない。万事休す。識者の御教授を切に乞うものである。]
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