只野真葛 むかしばなし (74) 井伊玄番守逝去直前の怪事
一、井伊玄蕃守(げんばのかみ)[やぶちゃん注:底本は「玄番」であるが、『日本庶民生活史料集成』版の表記を採用した。]樣御かくれ被ㇾ遊しは、七月十一日なり。
六月あたり、廊下のともし火は猶の事、諸方へ出すあんどんの火、つけるやいなや、引(ひき)いる樣に、くらく成し事、有(あり)し。
「油に、まぜ物ある[やぶちゃん注:底本は『あり』でママ注記があるが、『日本庶民生活史料集成』版で訂した。]故にや。」
とて、油屋を取替などしたりしが、かわる[やぶちゃん注:ママ]。ことなく、其内、いたつて消やすき時は、仕かたなくて、蠟燭をつけて置(おき)し事、ありし。
御大變あらんとての、しらせなるべし。
[やぶちゃん注:「井伊玄番守」まず、「玄蕃」頭(かみ)を名乗っていそうで、七月十一日が命日で、井伊姓の人物となると、江戸初期のえらく昔の話だが、近江彦根藩二代藩主で後に上野安中藩初代藩主となった井伊直勝(天正一八(一五九〇) 年二月~寛文二年七月十一日(一六六二年八月二十四日):井伊直政の長男)しかいないと思う。近江彦根藩藩主の井伊家は、後の何人もが「玄蕃頭」を名乗っている(サイト「世界帝王事典」の「井伊氏(近江彦根藩)」を参照。そこに出る以外にも「玄蕃頭」を名乗っていたらしい藩主がいることも、あるネット記事から確認出来た)。昔話として仙台藩邸の女中奉公をしている折りにでも、耳にしたものであろう。真葛は怪奇談好きだから、少しもおかしくはない。]
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