奇異雜談集巻第二 ㊂越中にて武士の内婦大虵になりて大工をまとひし事
奇異雜談集巻第二 ㊂越中にて武士の内婦大虵になりて大工をまとひし事
[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい。なお、底本では、標題の上の数字が㊅となっているが、これは誤刻であるので、㊂に訂した。【 】は二行割注。]
㊂越中にて武士の内婦大虵(だいじや)になりて大工をまとひし事
越中の国に晚出家(ばんしゆつけ)あり。名を源幸(げんこう)といふ。[やぶちゃん注:「晚出家」かなり年をとってから出家した者。]
京の鳥山黨(とりやまたう)なり。のぼりて、一年、在京す。[やぶちゃん注:「鳥山黨」高田衛編・校注「江戸怪談集」上(岩波文庫一九八九年刊)の注に、『不詳。「鳥辺山党」の誤記とすれば、浄土真宗本願寺派をさす』とある。]
そのざうだんにいはく、
「わが国に、一人の国侍(《くに》さふらひ)あり【名字は忘却。】。馬(むま)をたて、わかたう、五、六人あり。常に作事(さくじ)を好んで、大工をつかふ。定まりたる大工壱人《ひとり》ありて、つねに、きたる。その大工、いんぎん[やぶちゃん注:「慇懃」。]にして、きよう[やぶちゃん注:「器用」。]、こつがら[やぶちゃん注:「骨柄」。]、仁物(じんぶつ)也。
内婦、これを、みるごとに、心を動かし、念をむすぶ。
大工は、何ごころもなし。
内婦は、見にくき顏の麁惡(そあく)にして、ぶきよう[やぶちゃん注:「無器用」。]なり。亭主、粗(ほゞ)、いとふゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に、子もなし。
亭主、ある時、馬にのりて、遠所(えんじよ[やぶちゃん注:ママ。])にゆきぬ。
その留守に、内婦、かの大工をよぶ。
大工、きたる。
内婦のいはく、
「帳臺(ちやうだい)[やぶちゃん注:閨(ねや)。]の中に用所(ようしよ)あり。來たりて、みよ。」
と、いへば、大工、中に行きてみるに、内婦、すなはち帳臺の戶をさしぬ[やぶちゃん注:「鎖しぬ」締め切った。]。
戶の外の、人、みな、驚きて、
「是は。しかるべからず。」
とて、戶を開けんとすれば、くるる[やぶちゃん注:「樞」。戸締まりをするために、戸の桟から敷居に彫った穴に木片を差しこんで開閉出来ないようにする仕掛け。]あり、掛金ありて、開くることを、得ず。
中には、こゑもたてず、たゞ、しんどう[やぶちゃん注:「震動」。]するをと[やぶちゃん注:ママ。]聞こゆ。
ややありて、帳臺の四囲(まはり)の垣を、一度に押す勢ひあり。若黨衆みな怪しみて、帳臺の天井(てんじやう)にあがりて、板(いた)のはしをあけて、中をみれば、かきのすきまより、あかり、すこし入れて[やぶちゃん注:少し射しているいるので。]、みれば、内婦、大虵《だいじや》になりて、中に滿ちたり。
大工は、まとはれて、いきたるか、死(しし)にたるか、こゑを、せず。
大虵のかしらは、すみに、あり、内婦の顏、長くなりて、口は馬のごとく、まなこは、天目(てんもく)[やぶちゃん注:天目茶碗。口径は十二、三センチメートルが普通。]のおほきさにして、かゞみのごとし。
みな、二目(ふため)見ること、あたはずして、とびおりて、にげさる。
家中の男女(なんによ)、みな、にげさりて、とをく[やぶちゃん注:ママ。]隔てて、一處(いつしよ)にあり。
亭主のかたへ、追[やぶちゃん注:ママ。](むか)へを、つかはす。
地下人と隣鄕(りんがう)の人、きたり、集まりて、
「いかんがせん[やぶちゃん注:「如何せん」に同じ。]。」
と、詮議、まちまちなり。
亭主、馬上(ばしやう)、きたりつく。
上(かみ)くだん[やぶちゃん注:「上」の「件」。以上の変事。]の次第を、つぶさにかたれば、おほきに驚き、馬(むま)をよせて、家のうちを、門より、みれば、帳臺のかきのもとを、をし[やぶちゃん注:ママ。]やぶりて、大虵、よこたはりて、半身(はんしん)、出《いで》たり。
亭主見て、
「くちおしき[やぶちゃん注:ママ。]しだいなり。ゆきて、たちをもつて、虵(じや)をきるべし。みなみな、やり・なぎなたを、もちて、きたれ。」
といふ。
地下衆、よりて、
「勿躰(もつたい)なし[やぶちゃん注:「とんでもない!」。]。一大事なり。しかるへからす[やぶちゃん注:総てママ。]。」
と、いふて、ひきとどむ。
亭主いはく、
「此家、いまよりのち、すむべからず。放火して、虵を、燒き殺すべし。」
と、いへば、みな、
「もつとも。」
と、いひて、松明(たいまつ)、おほく、つくりて、諸人(しよにん)、手ごとに、火をつくれば、つくりこみたる家なれば、はやく、やけゆきぬ。
ちやうだいのへん、やくるとき、けふりの下より見れば、大虵、宛轉(ゑんてんと/ふしまろふ)[やぶちゃん注:右左のルビ。右「と」が含まれているのはママ。]、大なるうな木[やぶちゃん注:「棟木」。]・うつばり[やぶちゃん注:「梁」。]・けた[やぶちゃん注:「桁」。]・柱抔(とう)、おちかかるゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に、大虵、はたらかず[やぶちゃん注:抜け出すことが出来ず。]して、やけ死《じに》し、灰となりて、事、おはれり、と。是、それがし、ぢきに見るにあらす[やぶちゃん注:ママ。]、人、語りつたへたり。」
と云々。
[やぶちゃん注:「抔(とう)」の字は、殆んど、カタカナの「ホ」に近い異体字で、「グリフウィキ」のこれが近いが、表記出来ないので、この字を当てておいた。]
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