奇異雜談集巻第四 ㊈馬細橋に行懸りわたらざる事 / 巻第四~了
[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい。]
㊈馬(むま)細橋(ほそはし)に行懸(ゆきかゝ)りわたらざる事
尾張の國、与太郞(よたらう)、かたりて、いはく、旅人、十四、五人、あり。主人は女房なり。諸所(しよしよ)におゐて[やぶちゃん注:ママ。]、駄賃馬(だちん《むま》)を、たてかへてゆくに、ある所にて、馬を、かへてゆく。
馬のくちつき、[やぶちゃん注:駄賃馬を貸して、その馬の口を取って先導する者。]
「あとにきたる事、をそし[やぶちゃん注:ママ。]。」
といへば、
「馬にまかせて、ゆかれよ。」
といふて、用を弁(べん)じゆく。
道、二、三町[やぶちゃん注:二百十八~三百二十七メートル。]、ゆけば、山際(《やま》ぎは)に、川あり。
川のおもて、六、七間[やぶちゃん注:約十一~十二・七三メートル。]なり。
大木(たいぼく)を二つにひきわりて、一橋(ひとばし)に、かけたり。
木のもとのひろさ、三尺あまり、すゑは、いたつて、ほそし。橋のたかさ、一丈あまり、下は、がんぜき[やぶちゃん注:ママ。]、多く、げんげんと[やぶちゃん注:ママ。]そびへて、その間に、流水、たぎりて、ふかし。
かちにて、橋の上を、ありくとも、目まひ、あし、ふるふべし。
馬、此橋にゆくを、供(とも)の衆(しゆ)、はしのすゑ[やぶちゃん注:向こうの先の方。]をも見ず、馬にまかせてやれば、一間[やぶちゃん注:約一・八二メートル。]あまりゆきて、馬、たちとまる[やぶちゃん注:ママ。]。
その時、ともの衆、橋のすゑのほそきを見て、おどろく。
あとの、くちつきをみれば、はるかにして、きたらず。
笠を、ぬひで[やぶちゃん注:ママ。]、これを、まねく。
くちつき、いそぎ、來りて、馬を見て、いはく、
「是は。馬道(むまみち)に、あらず。不案内(ぶあんない)の人、馬《むま》を、をひやる[やぶちゃん注:ママ。]物なり。」
といふ。
供の衆の、いはく、
「何事に、をひやるべきぞ。『馬にまかせて、ゆけ。』と、いひしほどに、まかせやるなり。しかしながら、汝が、馬に、つかざるゆへ[やぶちゃん注:ママ。]なり。」
とて、刀を、ぬひ[やぶちゃん注:ママ。]て、
「きらん。」
といふ。
傍輩(はうはい)、これを、をさへて[やぶちゃん注:ママ。]いはく、
「いかんとして、よかるべきぞ。上樣の御いのち、大事なるべきぞ。」
といへば、口つきが、いはく、
「それがしが馬《むま》は、五貫に、かひ申候。上(かみ)さまよりも、馬が大事に候。」
といへば、
「くはんたい[やぶちゃん注:「緩怠」。過失・手落ち。或いは、無礼・無作法。]を、いふものかな。」
とて、又、二、三人、刀をぬいて、きらんとす。
傍輩中《ちゆう》、
「しばらく。」
とて、とりさへて[やぶちゃん注:押しとどめて。]、いはく、
「かれを、ころしても、詮(せん)なし。たゞ、だんがう[やぶちゃん注:「談合」。]して、よきやうに、すべきこと、かんよう[やぶちゃん注:「肝要」。]。」
といふ。
声、たかきを聞《きき》て、そのあたりの地下人(ぢげにん)、男女(なんによ)、みな、出(いで)て、みる。
供の衆(しゆ)の、いはく、
「此里(《この》さと)に老人あらば、とひ、だんがうすべし。」
といへば、地下人の、いはく、
「此里には、老人、なし。西の隣鄕(りんがう)に、八十あまりの老人、あり。こうざい[やぶちゃん注:「高才」か。「すぐれた才能。また、その持ち主」の意。]の人なり。行步(ぎやうぶ)、かなはず[やぶちゃん注:年をとって歩行することが出来ない。]。」
といふ。
口つき、ゆきて、おふて[やぶちゃん注:背負って。]きたり。
橋の邊《へん》に居(をら)しむ。
老人、馬をみて、いはく、
「是は。一大事なり。きゝも、をよばず、見も、をよはず。いかゝたるへきや[やぶちゃん注:総てママ。]。」
といふ。
供衆の、いはく、
「いかやうにも、しあんを、めぐらし、調法(てうはう)、たのみいる。」
といへば、
「しからば。」
とて、長竿(ながさほ)、二つ、縄(なは)のきれ、二、三尺、あをく、あたらしき草(くさ)、二、三把(ば)、とりよせて、一つの竿のさきに、草を一把(は)、なわをもつて、かたく、からみつけて、馬《むま》のうしろあしの間《あひだ》より、あしに、さはらぬやうに、前足(まへあし)の間へ、さしいるれば、馬、やがて、しり草《くさ》を、はむ。
[やぶちゃん注:底本の大きな挿絵の画像はここ。]
一口、はみて、草を、あとへひくこと、二、三寸(ずん)にしてをけば、馬、あしを、二、三寸、あとへ、ふみもどして、又、くさを、一口、はむ。
又、二、三寸、草を、ひいてをけ[やぶちゃん注:ママ。]ば、また、あしを、ふみもどして、はむ。
其草(そのくさ)、つくる[やぶちゃん注:これは「つきる」「盡きる」の誤記かと思う。「附くる」では意味が通らないからである。]ときは、竿を引(ひき)とりて、又、いま一つの竿のくさを、やれば、又、あしを、ふみもどして、草を、はむ。
かくのごとくする事、たびだびにして、一間(けん)あまり、あとへ、ふみもどる。
はしづめ[やぶちゃん注:「橋詰」。]より、なを[やぶちゃん注:ママ。]、土の上まで、もどるとき、馬のくちを、とつて、ひきかへす。
安隱(あんおん)にして、みなみな、大小《だいせう》、よろこぶなり。
老人に、引物(いんぶつ)・礼錢(れいせん)、濟〻(せいせい)[やぶちゃん注:甚だ多いこと。]にして、かへるなりと云〻。
此ざうたん、竒異にあらずといへども、人の智略(ちりやく)となるべきゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に、これをしるすなり。
竒異雜談集巻第四終
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