怪異前席夜話 正規表現版・オリジナル注附 巻之三 匹夫の誠心剣に入て霊を顯す話
[やぶちゃん注:「怪異前席夜話(くわいいぜんせきやわ)」は全五巻の江戸の初期読本の怪談集で、「叙」の最後に寛政二年春正月(グレゴリオ暦一七九〇年二月十四日~三月十五日相当)のクレジットが記されてある(第十一代徳川家斉の治世)。版元は江戸の麹町貝坂角(こうじまちかいざかかど)の三崎屋清吉(「叙」の中の「文榮堂」がそれ)が主板元であったらしい(後述する加工データ本の「解題」に拠った)。作者は「叙」末にある「反古斉」(ほぐさい)であるが、人物は未詳である。
底本は早稲田大学図書館「古典総合データベース」の同初版本の画像を視認した。但し、加工データとして二〇〇〇年十月国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』の「初期江戸読本怪談集」所収の近藤瑞木(みづき)氏の校訂になるもの(玉川大学図書館蔵本)を、OCRで読み込み、使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。
なるべく表記字に則って起こすが、正字か異体字か、判断に迷ったものは、正字を使用した。漢字の読みは、多く附されてあるが、読みが振れると思われるものと、不審な箇所にのみ限って示すこととした。逆に、必要と私が判断した読みのない字には《 》で歴史的仮名遣で推定の読みを添えた。ママ注記は歴史的仮名遣の誤りが甚だ多く、五月蠅いので、下付けにした。さらに、読み易さを考え、句読点や記号等は自在に附し、オリジナル注は文中或いは段落及び作品末に附し、段落を成形した。踊り字「〱」「〲」は生理的に厭なため、正字或いは繰り返し記号に代えた。
また、本書には挿絵があるが、底本のそれは使用許可を申請する必要があるので、単独画像へのリンクに留め、代わりに、この「初期江戸読本怪談集」所収の挿絵をトリミング補正・合成をして、適切と思われる箇所に挿入することとした。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。
なお、本巻之三は本篇一篇のみが載る。]
怪異前席夜話 三
怪異前席夜話巻之三
匹夫(ひつふ)の誠心(せいしん)剣(けん)に入《いり》て霊(れい)を顯(あらは)す話
中花(ちうか[やぶちゃん注:ママ。])[やぶちゃん注:中華。中国。]に劍匠(けんせう[やぶちゃん注:ママ。])の少《すくな》き事は、「遵生八𤖆《じゆんせいはつせん》」に見えて、「鋳剱(とうけん[やぶちゃん注:ママ。「刀劍」の当て訓だが、「たうけん」が正しい。])の術、不ㇾ傳(つたわらず[やぶちゃん注:ママ。])。典籍、また不二之載一(これをのせす[やぶちゃん注:ママ。])。故(ゆへ[やぶちゃん注:ママ。]に)今無二劍客一而(けんかくなくして)、世少二名劍一。」と、いへり。干将(かんしやう)・莫耶(ばくや)は、いざしらず、我國の古しへより、剱匠の出るもの、數を、しらず。中に妙巧を極むるもの、甚た[やぶちゃん注:ママ。]多し。
[やぶちゃん注:「遵生八𤖆」。明の高濂 (こうれん) 著になる随筆。 全二十巻。自序は一五九一年に記されてある。日常生活の修養・養生に関する万端のことが述べられ、また、歴代隠逸者百名の事跡が記されてあり、文人の趣味生活に関する基礎的な文献とされている(「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。
「干将・莫耶」先般、電子化注した「奇異雜談集巻第六 ㊁干將莫耶が劔の事」のことを読まれたい。]
中古(ちう《こ》)、京師に関何某(《せきなに》がし)といへる神工(しんこう)あり。昆吾(こんご)の石を砥(と)となして、精鐵(せいてつ)を鋳(きた)ふに、石を切《きる》事、恰(あたか)も泥(どろ)のことく[やぶちゃん注:ママ。]、王侯・貴人、これを爭ひ買(かふ)て、百金を惜まず。
[やぶちゃん注:「中古」現代のそれの平安時代ではない。江戸時代を起点にした、「中昔」(それほど古くない過去)で、概ね鎌倉・南北朝から室町・戦国時代中・後期頃までを指す。
「関何某」古い刀剣で「關物」がある。これは美濃国関の刀工らによる刀剣で、南北朝時代から室町時代における美濃の作刀は「備前物」に次いで繁栄し,その中心地が関(現在の岐阜県関市(グーグル・マップ・データ)であったので,「関物」といえば、「美濃物」の代名詞となっている。南北朝時代には「正宗(まさむね)十哲」の一人,志津兼氏(しづかねうじ)とその一族があり,さらに直江に移った兼次・兼友、同じく正宗の門人で関鍛冶の祖となった金重(きんじゅう)一門がある。室町時代は戦乱の時代で,戦闘方法の変遷などを背景として打刀(うちがたな)が流行し,多量の武器の需要により、粗製乱造になった。この時代に最も繁栄した「備前物」(末備前物)に次いで,美濃鍛冶が前代に続き、ますます発展し,孫六兼元・兼定を巨頭とし,その他「兼」の字を冠する刀工が多数出て、隆盛を極めた。その作風は実用性に優れ,刃文は共通して関の「尖り互(ぐ)」の目で、なかでも兼元の三本杉・入道雲・兼房の乱(みだれ)などは著しい特色である。美濃鍛冶は各地に移住、或いは、出張して、諸国の刀工に影響を与え、また、新刀時代の良工には関鍛冶の系統に属するものが少くない(「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。この人物も、その流れを汲む者という設定である。
「昆吾の石」小学館「日本国語大辞典」によれば、「昆吾の剣」という連語があり、周の時代、現在の新疆ウイグル自治区哈密(クムル)県(現在は市)にあった国名が昆吾で、そこで作られた剣で、鉄や玉をも切る利剣とされた。そこに『昆吾渓の宝剣』ともあったが、無論、そこから石を得た訳ではなく、「昆吾の剣」にあやかった、優れた砥石の謂いであろう。]
その弟子に佐伯好隣(《さ》いきよしちか)なるものあり。若年より放蕩にして、宋玉(そうきよく)が人となりを慕ひ、或は、東家(となり)の女(むすめ)を挑み、あるひは、花柳(くわりう)の春色(しゆんしよく)を愛して、曾て、こころを鋳剣に留(と)めざれば、師のおしへを受(うけ)るといへども、いまた[やぶちゃん注:ママ。]その妙を究むる事あたぱす。
[やぶちゃん注:「宋玉」(そうぎょく 生没年不詳)は戦国末期の楚の辞賦作家。伝記も明らかでないが、往古の記録から推せば、楚の鄢(えん:現在の湖北省宜城県)の人。貧士の出身で、頃襄(けいじょう)王(在位紀元前二九八年~紀元前二六三年)に仕えて小官となり、やがて唐勒(とうろく)・景差とともに楚の宮廷文壇に参加し、艶めかしく美しい作風を以って頭角を現したらしい。彼の作風は、以後に展開する漢代宮廷辞賦の先駆をなすものといえる。その作品は、もと十六編あったとされるが、現在伝わる辞賦の内、ほぼ確実なものは、「楚辞」所収の「九弁」・「招魂」、「文選」所収の「風賦」・「高唐賦」・「神女賦」・「登徒子好色賦」の六篇のみである。孰れも、甘美で哀切な叙情に富む作品である(以上は小学館「日本大百科全書」に拠った)。また、ウィキの「倩兮女」(けらけらおんな:江戸時代の妖怪名)の解説中に、「文選」巻十九集に『載る「登徒子好色賦」に記されているよく知られた逸話』として、『美男として有名な中国の文人・宋玉が「自分は決して好色ではない、隣に住んでいた国一番の美女が牆(かき)からその姿を見せ』、三『年間』、『のぞき込まれ』、『誘惑され続けたが』、『心を動かした事は一度も無かった』。『私のことを好色と称する登徒子(とうとし)こそ好色である」と王の前で反論した故事(宋玉東牆)』があるとあり、ここで主人公佐伯好隣が彼に惹かれているニュアンスがよく判る。]
一日(ある《ひ》)、一人の賎夫(せんふ)來りて、好隣に逢(あひ)て、
「僕(われ)は山﨑の幽僻(かたほとり)、農家に傭(やとわ[やぶちゃん注:ママ。])れて、力作(はたらき)する奴(やつこ)なり。君の師、剱を、鋳給ふ事の、霊妙なるを聞(きく)。冀望(のぞむ)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]事、年、久し。願《ねがは》くは、その價(あたい[やぶちゃん注:ママ。])を聞(きか)む。」[やぶちゃん注:「幽僻」の「幽」の字は、底本では、この異体字(「グリフウィキ」)だが、表示出来ないので、通用字を用いた。]
好隣、笑《わらひ》て、
「我師は、王公より、需(もとめ)給ふ事ありても、期年(いちねんのゝち)に非《あらざ》れば、鋳(うつ)て献(けん)ぜす。汝ことき[やぶちゃん注:ママ。]、妄意(のぞむ[やぶちゃん注:二字へのルビ。])所に、あらず。」
といふ。
かの奴、
「しかれども、その價、幾(いくば)くぞ。」
と問《とひ》てやまず。
好隣、戯(たはむれ)て、いわく、
「汝、左《さ》ほどに、望むぞ。ならば、十金の價《あたひ》を、齎來(もちきた)らは[やぶちゃん注:ママ。]、わか[やぶちゃん注:ママ。]師に乞《こふ》て、剱を賣りあたふべし。」
と、奴に語れば、これを信然(まこと)とし、
「我、卑賎の役夫(えきふ)、十金の直(あたへ)は、これ、なしといへども、力を労(らう)し、年を積(つみ)なば、辨(とゝのへ)ざる事、あらし[やぶちゃん注:ママ。]。必(かならず)、約を違(たがへ)給ふな」
と、別れて去る。
[やぶちゃん注:「信然」(しんぜん)は「信じる値打ちのあること・そのさま」を言う語。
「十金の直(あたへ)は」の「直」は判読に迷った。底本のここ(左丁の四行目行末)。「初期江戸読本怪談集」では、『価』の字で起こしてあるが、私の底本の字は、その崩しとは到底、思えない。「直」は「價(あたひ)」の意があり、崩し字としても、これで採れるので、かく起こした。]
是より、かの奴、耕耘(たかやし[やぶちゃん注:ママ。])のいとま、或は、山に樵薪(しばかり)し、野に滯穗(おちぼ)を拾ひ、或は、夙(つと)に茅(ちかや)[やぶちゃん注:ママ。]を苅(かり)、夜は寢(いね)ずして索絢(なはなひ)、千辛万苦の労、空しからず、三年過(すぎ)て、漸(やうやう)、十金を積(つみ)得たり。
嬉しくおもひて、いそき[やぶちゃん注:ママ。]、よし、隣かたへもち行て、剣を乞ふ。
よしちかは、只《ただ》、苟旦(かりそめ)の戯言(たはむれ)なりしを、今は、かくとも、辞(いなむ)に、こと葉なく、奴を給(あざむい[やぶちゃん注:漢字ともにママ。「紿」の誤記であろう。])て云《いひ》けるは、
「汝に約束せし剱、わか[やぶちゃん注:ママ。]師、すでに鋳(うち)給へり。いまだ錯礪(さくさい)せず。明日、來るべし。かならす[やぶちゃん注:ママ。]、與(あたへ)ん。」
と、いふに、奴は歸れり。
好隣、よしなき約をなし、今はいかんとも、せんかたなく、師に苦(つげ)なば、呵責(しかり)を受《うけ》ん事を、おそれ、潛(ひそか)に、市中《いちなか》に於て、鉛刀(なまくら)一口(《ひと》ふり)、買求(かいもと[やぶちゃん注:ママ。])め、つくろひ磨礲(とき[やぶちゃん注:ママ。「とぎ」。研磨。])して、明日、奴、來りしかは[やぶちゃん注:ママ。]、則ち、是をあたへけるに、奴は、
「望み、足(たり)ぬ。」
とて、大《おほき》によろこひ[やぶちゃん注:ママ。]、厚く謝し、十金お[やぶちゃん注:ママ。「を」。]、送りて、歸りぬ。
[やぶちゃん注:「礲」は音「ロウ」で、「とぐ・みがく」の意がある。]
是より、かの奴は、坐卧行住(《ざ》くわかうぢう[やぶちゃん注:ママ。])、身を放さず、しばしのあいだも、わするゝ事なく、無比(うへもなき)の拱壁[やぶちゃん注:ママ。](たから)となして、祕襲(ひそう[やぶちゃん注:ママ。「祕藏」。])しけり。
[やぶちゃん注:「拱壁」「初期江戸読本怪談集」では、傍注で『璧』(へき:宝玉の意)の誤字とする。]
さても、その后(のち)、好隣は、女色に感溺(おぼるゝ)癖、やまずして、ついに[やぶちゃん注:ママ。]師の怒りに触(ふれ)、さまざま、陳謝(わび)するといへども、許されずして、逐出(おいいだ)されければ、只得(ぜひなく)。その身は、郷籍(ふるさと)豐後國、蒲戶(かまど)か[やぶちゃん注:ママ。]﨑に歸りける。
[やぶちゃん注:「豐後國、蒲戶(かまど)か﨑」現在の大分県佐伯(さいき)市上浦(かみうら)大字最勝海浦(にいなめうらうらかまと)に蒲戸港があり、その東方に蒲戸崎(かまどざき)が延びている(グーグル・マップ・データ)。]
渠(かれ)か[やぶちゃん注:ママ。]親、庄司(せうじ[やぶちゃん注:ママ。])は、冨貴(ふうき)の 農(ひやくせう)にして、屋宅(おくたく[やぶちゃん注:ママ。])・田圃(てんほ[やぶちゃん注:ママ。])、あまた、もち、庄司は、家を、好隣に、讓りあたへ、その身、落髮して、世の営(いとなみ)を息(やめ)ければ、好隣は、近邑(きんむら)の豪民(がうみん)何某か[やぶちゃん注:ママ。]女(むすめ)を、親迎(むかへ)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]て、妻(さい)となし、琴瑟(ふうふ)の中も、むつましく、家を治め、業(げう[やぶちゃん注:ママ。])を守れり。
一日《いちじつ》、好隣、早(とく)行(ゆく)事のありしか[やぶちゃん注:ママ。]、路(みち)の傍(かたわら[やぶちゃん注:ママ。])に、一人の少(わかき)女《をんな》の、容色、艷麗(ゑんれい)に鄙陋(いやし)からざるが、徒跣(すあし)にて、步みかね、木蔭(こかけ[やぶちゃん注:ママ。])に愒(やすら)ひ、立《たて》るあり。[やぶちゃん注:「愒」には「やすらう・休む」の意がある。]
好隣、不圖、詞(ことは[やぶちゃん注:ママ。])をかけ、
「若き乙女の倶(ぐ)せる紀綱(ともひと)もなく、夙(とく)より、(ひとりあるき)し給ふは、いかに。」[やぶちゃん注:「紀綱」「紀」は「細い綱」、「綱」は「太い綱」の意で。これは「国家を治める上で根本となる制度や規則・綱紀」の意であり、「同行人」を指す語ではない。どうも、この篇、作者の過剰にして半可通な衒学的(ペダンティック)のひけらかし傾向が感じられ、ちょっと厭な感じがする。されば、以下、私の躓く部分以外は語注・字注をしないので、悪しからず。]
と問ふ。
女、顧(かへりみ)て、ため息し、
「行路(ゆきし[やぶちゃん注:ママ。「ゆきぢ」。])の人、いかで、わか[やぶちゃん注:ママ。]心の愁(うれへ)を、しりなんや。心づくしの、問(とひ)ことかな。」
と、由ありげなる風情なりけれは[やぶちゃん注:ママ。]、好隣、ちかく寄(より)て、
「女子《によし》、抑(そも)奚自(いづくより)、來りたまふ。年(とし)、幾許(いくばく)ぞや。何事のありて、愁へ給へる。試みに語り、御身の力(ちから)になり參らせん。」
と、念頃に尋(たづ)ぬ。
女、そのとき、黯然(しほしほ)と、ふくめる淚をぬぐひて、[やぶちゃん注:「黯」は底本では「黒」の(れっか)が下方全体に広がった字体(右丁後ろから二行目下方)。「暗い」の意。なお、「初期江戸読本怪談集」(玉川大学図書館蔵本底本)では、『黙』と起こしてある。]
「嬉しき人の仰(おゝせ[やぶちゃん注:ママ。])かな。行路の人にはあらて[やぶちゃん注:ママ。]、君は我か[やぶちゃん注:ママ。]爲の鮑叔(ほうしゆく)なりしそよ[やぶちゃん注:ママ。]。何をか匿(かく)し參らせん。妾(せう)は、當國、西の浦の漁夫の女《むすめ》、とし十八歲なるが、幼き時、父母におくれ、伯父(おば[やぶちゃん注:ママ。])なる者に育はれしに、伯父の子、賭博(ばくゑき[やぶちゃん注:ママ。])を好み、家資(しんだい)、みな、烏有(うゆうと)なし、近頃、伯父も死し去りしかば、妾に、せまり、豪民(かうみん[やぶちゃん注:ママ。])何某か[やぶちゃん注:ママ。]家に、妾を、身價(みのしろ)十金にうり、その金をとりて、行衞知れずになりぬ。妾か[やぶちゃん注:ママ。]うられつる朱門(いへ)の、嫡(ほんさい)、嫉妒[やぶちゃん注:「妒」は「妬」の古形。]、つよく、妾を、昼夜、罵詈(のゝしり)、楚捷(うちたゝ)く事、やむ間なくて、その苦しみ、いわんかたなし。『よしや、深き淵に此身を沈め、乃邊に輕體(からだ)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]を弃(すつ)るとも、此くるしみを受(うけ)るには、勝りなん。』と、夜は紛(まき[やぶちゃん注:ママ。])れて、のかれ[やぶちゃん注:ママ。]出(いで)ぬ。」
と、語りも、あへぬに、淚、雨のことく[やぶちゃん注:ママ。]に泣(なく)。
好隣か[やぶちゃん注:ママ。]いふ。
「息壤(やくそくのことば)、前に、あり。こゝろのかきり[やぶちゃん注:ママ。]は、力に、なりまいらせん。幸《さひはひ》、敞𢨳(わかいへ[やぶちゃん注:ママ。])近きにあれは[やぶちゃん注:ママ。]、いざ、たちより給へ。」
と、手を携へて、おのか[やぶちゃん注:ママ。]別莊に俦(ともな)ひ、[やぶちゃん注:「携」は異体字のこれ(「グリフウィキ」)であるが、表示出来ないので、かく、した。以下も同じ。]
「此所《ここ》は、常に人の出入事《でいりごと》もなければ、心やすく安歇(やすみ)たまへ。」
と、饔飱(したゝめ)など、いたさせ、彼これ、遺(おち)なく、世話すれば、女か[やぶちゃん注:ママ。]云、[やぶちゃん注:「饔飱」「饔」は「食物」、特に「よく煮た食べ物」の意、「飱」は「夕食」の意。]
「おもひよらす[やぶちゃん注:ママ。]、君に逢(あひ)まひらせ、かく、あわれみを受(うけ[やぶちゃん注:ママ。])べしとは。肝に銘じ、大恩、忘(わすれ)侍らし[やぶちゃん注:ママ。]。」
と、愁眉(しうび)をひらき、笑(わらい[やぶちゃん注:ママ。])をふくめる姿、西施が五湖に携(たつさへ[やぶちゃん注:ママ。])られ、蔡文姬(さいぶんき)か、胡國(ごこく)を逃(のが)れし、歡(よろこ)ひ[やぶちゃん注:ママ。]も、かくや、とばかりに、おぼへ、もとより、淫男(たわれお[やぶちゃん注:ママ。])の好隣、心地(こゝち)、まどひ、[やぶちゃん注:「蔡文姬」後漢の女流詩人蔡琰(さいえん 一七七年?~?)の字(あざな)。陳留(河南省)の人。後漢の学者蔡邕(さいよう)の娘で、父同様、博学であった。最初の夫と死別したのち、後漢末の動乱の際に匈奴に捕らわれ、左賢王の妻となって二子を産んだ。十二年後、蔡邕と親交のあった曹操が、邕に後継ぎがないことを哀れみ、琰を購(あがな)って帰国させ、のちに董祀(とうし)と再婚した。自らの数奇な生涯を歌った「悲憤詩」二首と「胡笳(こか)十八拍」が名高い。両詩篇は、その真偽を巡って古来より議論があるが、「悲憤詩」は唐の杜甫の「北征」などに影響を与えたとされている(小学館「日本大百科全書」に拠った)。]
「いかで、此儘、やみなん。」
と、その夜は、榻(しぢ[やぶちゃん注:ママ。])[やぶちゃん注:ここは「寝台」のこと。]をともになし、巫陽(ふやう)の夢路(ゆめぢ)を倡(いざ)なひける。[やぶちゃん注:「巫陽の夢路」は「楚辞」にある、天帝が屈原の魂が彷徨っているのを憐れんで、この世に呼び戻したという故事に基づく。「巫陽」はその際に道術を使った巫女(ふじょ)の名である。]
これより。好隣は、此女か[やぶちゃん注:ママ。]事、忘れがたく、本莊(ほんそう)には、しばしも居《ゐ》ず、夜ことに[やぶちゃん注:ママ。]行通(ゆきかよ)ひしかは[やぶちゃん注:ママ。]、好隣か[やぶちゃん注:ママ。]ほんさいは、賢女なりしが、日頃の偕老、かれかれ[やぶちゃん注:ママ。「枯れ枯れ」で「かれがれ」。]となりけるうへに、夫の顏色(かんしよく[やぶちゃん注:ママ。])、日々に、惟悴(しやうすひ[やぶちゃん注:ママ。])するを、あやしみ、一日《いちじつ》、詰(なし[やぶちゃん注:ママ。]。)り問(とひ)けるに、好隣、やむ事を得ず、かの女か[やぶちゃん注:ママ。]ことを語りたり。
妻は、妬(ねた)める色もなく、
「『嫁眉(いろ)は、性(せい)を伐斧(きるおの)。』とやらん聞(きゝ)ぬ。色にふけりて、隕身(ほろぶる)もの、古今、その例、おゝし[やぶちゃん注:ママ。]。况(まし)てや、野合(やこう[やぶちゃん注:ママ。])のいたづらもの、出處(しゆつしよ)も、明白(さだか)ならず。必《かならず》、渠(かれ)に蠱惑(まどわ[やぶちゃん注:ママ。])され給ふな。」
と、諫(いさむ)といへども、一向、承引せず、却て、是を、
「嫉妒なり。」
と、罵りて、妻(さい)を疎(うと)み、いよいよ、女か[やぶちゃん注:ママ。]もとに行(ゆく)ほどに、いつしか、精髓(せいずい)、枯竭(かれつき)て、肌肉(きにく)、次第に羸瘦(るいそう)し、病《やまひ》》を得て、別莊に打卧(うちふし)、數日(すしつ[やぶちゃん注:ママ。])、本莊(ほいいやしき)に歸らず。
妻は、不安(こゝちもとなく)おもひ、
「そも、いかなる花月妖(いたづらおんな[やぶちゃん注:ママ。])なれば、わが夫をは[やぶちゃん注:ママ。]、かくまで、沈溺(まよわ[やぶちゃん注:ママ。])するやらんぞ。」
と、
「覘來(うかゝひ[やぶちゃん注:ママ。]《きた》らん。)
と、一夜(あるよ)、密(ひそか)に、侍婢(こしもと)を倶(ぐ)し、別莊に行《ゆき》見れば、門は、かたく鎖(とざ)して、燈《ともしび》、微(かすか)に、見へたり。
月、さし入《いり》たるに、庭の垣(かき)、狗竇(いぬあな)あるを幸(さいわい[やぶちゃん注:ママ。])に、くゝり[やぶちゃん注:ママ。]入《いり》、伺ふに、障子に、かげは、写りぬれども、物語(ものかたり)の声も、聞へず。
忍びて、廡下(のきば)に、さしより、𨻶(ひま)より、裏面(うち)を覦見(のぞき《み》》れば、夫(おつと[やぶちゃん注:ママ。])好隣は、牀蓐(とこ)に卧(ふし)、昏々(こんこん)と熟睡せし躰《てい》なり。
かの妾《せう》と覚しく、妹(かはゆき)女の、側(かたわら[やぶちゃん注:ママ。])に在(あり)て、好隣か[やぶちゃん注:ママ。]顏色を、つくづく游睇(ながめ)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]居《をり》けるが、俄に、宛轉(ゑんてん)たる嫁眉(かび)、変じて、煤(すゝ)のことく[やぶちゃん注:ママ。]に黒み、両眼、鏡(かゝみ[やぶちゃん注:ママ。])のことく[やぶちゃん注:ママ。]光り、一室(《いつ》しつ)の中(うち)を、てらし、嬋娟(せんげん[やぶちゃん注:容姿のあでやかで美しいさま。「せんけん」以外に濁音表記もある。])たる雲の髮(びんづら)、化(け)して、棘(おとろ[やぶちゃん注:ママ。])の髮と、乱れ、皤腹(おゝいなる[やぶちゃん注:ママ。]はら)[やぶちゃん注:「皤」自体に「腹が大きい」の意がある。]、ちゝめる[やぶちゃん注:ママ。]頭(かしら)・手足、岐(みつかき[やぶちゃん注:ママ。「蹼(みづかき)。」])ありて、龜(かいる[やぶちゃん注:ママ。蛙。挿絵は巨大な蟇蛙(ひきがえる)である。])に似たり。
[やぶちゃん注:底本の大型画像はこちら。]
舌を延(のべ)て、好隣か[やぶちゃん注:ママ。]惣身《そうしん》をなめけり。
まことに、威怖(おそろしき)ありさま、いはんかたなく、
「こは。淺間(あさま)し。」
と、好隣か[やぶちゃん注:ママ。]妻は、毛骨《まうこつ》[やぶちゃん注:ここは一身全体の意。]、竦然(しようぜん)として、魂(たましい[やぶちゃん注:ママ。])、体(たい)に、つかず、走り、外面(そとも)に出《いで》つゝ、侍女に、かくと、語りも、あへず、足にまかせて、もろともに、本莊(《ほん》そう)に迯(にげ)かへりぬ。
一夜をあかすこと、三秋のおもひにて、暁(あけ)にいたりて、疾(とく)、家の長(おさ[やぶちゃん注:ママ。])何かし[やぶちゃん注:ママ。]を呼(よび)て、申《まふし》けるは、
「籃輿(かご)を奴僕(けらい)に扛(かゝ)せて、別莊の夫を、むかへかへるべし。」
といふに、いそき[やぶちゃん注:ママ。]、各々、別莊にゆき見るに、好隣、すでに、病(やまひ)に卧(ふし)てより、此女、愈(いよいよ)、側(そば)を去(さら)ずして、日夜朝暮、雲雨(うんう)の情(じやう)を、いとみ[やぶちゃん注:「挑(いど)み」であろう。]、魚水(きよすい[やぶちゃん注:ママ。])の契り、止む事なさに、よしちかも、少しく、心に厭(いとへ)ども、身體(しんたい)を、くるしめ、跬步(あゆむ)事さへ叶わねは[やぶちゃん注:ママ。]、本莊に歸る事あたわず。[やぶちゃん注:「跬步」は現代中国語で「僅かな距離」を言う語。]
せんかたなかりし折から、家の長、迎ひに來りけるを見て、大によろこび、歸らんとするに、此女、牢(かた)く率(ひき)とどめ、
「きみの病《やまひ》、舊(もと)、風寒(ふうかん)の外傷(くわいしやう)なれば、若(もし)、路次(ろし)にて、再(ふたゝひ)、風に能冒(あたり)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]玉《たま》わは[やぶちゃん注:総てママ。]、大事なり。唯(たゞ)、いつ迄も、此所にて、輔養(ほよう[やぶちゃん注:ママ。])し給へ。妾(しやう)、心を盡(つく)して、仕へまいらせ[やぶちゃん注:ママ。]、君か[やぶちゃん注:ママ。]平生(ひころ[やぶちゃん注:ママ。])の恩愛、萬分(まんぶん)の一ツをも、報ぜん。」[やぶちゃん注:「風寒」漢方医学で悪寒を代表症状とする症状を指す。現在の感冒・インフルエンザ等に相当する。]
と、淚、玉《たま》をあらそへば、さすがに、戀々(れんれん)として、別るゝに忍びさる[やぶちゃん注:ママ。]を、家長(おさ[やぶちゃん注:ママ。])、大《おほい》に女を叱りて、遠ざけ、强(しい)て、主人を輿(かご)にのせしめ、飛《とぶ》かことく[やぶちゃん注:総てママ。]家に歸りける。
さて、妻は、よしちかにむかひ、前夜見しありさま、逸々(いちいち)に、ものがたりけれは[やぶちゃん注:ママ。]、夫は、始《はじめ》て、大に、おとろき[やぶちゃん注:ママ。]、舌を吐(はい)て、物も、いわず。
良(やゝ)ありて、淚を流して云《いふ》。
[やぶちゃん注:以下の語りは長いので、段落・改行・記号を加えた。回想の直接会話記号は鍵括弧で示した。]
「わか[やぶちゃん注:ママ。]命(いのち)。正(まさ)に盡(つき)ぬべし。われ、汝に包むべきにあらねば、巨細(ことごとく)、語りきかすべし。
われ、若き時、京師(みやこ)の剣匠關何某か[やぶちゃん注:ママ。]家につかへ、名にをふ花の都、春は、東山のさくらを探ねては、島原(しまばら)の色香を思ひ、秋は桂川(かつらか[やぶちゃん注:ママ。]わ)の紅葉(もみち[やぶちゃん注:ママ。])を觀て、祗園の面俤(おもかけ[やぶちゃん注:ママ。])を慕ひ、目に絕(たへ)へ[やぶちゃん注:総てママ。]せぬ興(きやう)を催して、夜晝となく、翠帳紅閉(すいてうこうけい[やぶちゃん注:総てママ。])のうちに、うかれ遊び、更に、月日の流るゝを、しらず。或時、郭(くわく)何某か[やぶちゃん注:ママ。]亭にて、芳野といへる遊女と綢繆(かたらひ)、いもせの誓淺からぬ中に、夏は、森の下、すゞみ、連理のゑだを喩(たとふ)れは、冬はうつ見火(みび)[やぶちゃん注:「埋火」。]のもとに、鴛鴦(ゑんおう)の羽(は)をうちかさね、
「汝か心、鏡のことくならは[やぶちゃん注:総てママ。]、わか[やぶちゃん注:ママ。]心は、玉にひとしく。」
起請誓詞(きせいせいし)、いふも、くだくだしく、恩愛、たとふるにものなし。[やぶちゃん注:「綢繆」「ちうべう(ちゅうびゅう)」の当て訓。「睦み合うこと。馴れ親しむこと」の意。]
是に仍(よつ)て、我か[やぶちゃん注:ママ。]鋳冶(かぢ)の業(わざ)も、わすれ果(はて)、師の怒りに逢(あひ)て、家を逐出(おひいだ)されけれとも[やぶちゃん注:ママ。]、芳野か[やぶちゃん注:ママ。]事、露《つゆ》、わすられず、猶も、靑樓に、はまりて、不絕(たへず[やぶちゃん注:ママ。])通ひしに、いつしか、芳野は風(かぜ)の心地(こゝち)の煩(わつらひ[やぶちゃん注:ママ。])して、やまふ[やぶちゃん注:ママ。]の床に卧(ふし)、日々《ひび》に重(おも)りけるに、晝夜、側(そば)を、はなれず、さまさま[やぶちゃん注:ママ。後半は踊り字「〱」。]に醫療を盡せども、効(しるし)、更になくして、苒荏[やぶちゃん注:「初期江戸読本怪談集」では編者の傍注があり、『荏苒』とある。荏苒(じんぜん)は「なすことのないまま歳月が過ぎるさま・物事が延び延びになるさま」の意。](しだい)に、よわりし故、
「こは。いかに。」
と、遽(あはて)まとひ[やぶちゃん注:「遽」は異体字だが、表示出来ないので通用字とした。]、神祠(しんし)に祷(いのり)、佛寺にいのりて、心のかきり[やぶちゃん注:ママ。]、芳野か[やぶちゃん注:ママ。]病、愈(いへ[やぶちゃん注:ママ。])なん事を、悲しみ、求むれども、造化(そうくわ[やぶちゃん注:ママ。])の小兒(しやうに)[やぶちゃん注:病気の擬人法。]、付纏(つきまと)ひて惱(なやま)し、無常の風、吹來《ふききた》りて、誘引(ゆういん)するを如何(いかん)。
十八歲の暁(あかつき)に、地水火風の假(かり)の世を、空しく見なして、果(はて)にけるにぞ、狂氣のことく[やぶちゃん注:ママ。]に、精神、乱れ、甲斐なき亡骸(ぼうがい[やぶちゃん注:ママ。])、肌(はだへ)に抱(いだ)き、紅淚、膓(はらわた)を断(たつ)といへども、いかにとも、せんかたなく、枕に残りし薬のみそ、恨めしく、かくても、有(ある)べき事ならねば、亭(うち)の長(てう)[やぶちゃん注:芳野を抱えていた遊廓の主人。]と議(はかり)て、鳥部野一片の烟(けむり)となせしが、相應に吊《とふ》らひして、墓間(はか)の供養、怠たらず。
已(すで)に七七《なななぬか》の忌日にあたりしかは[やぶちゃん注:ママ。]、夙(とく)、起出(おき《いで》)て芳野か[やぶちゃん注:ママ。]墳(つか)に詣(まいり[やぶちゃん注:ママ。])、香花(かうはな)を手向(たむけ)んとするに、石の印(すりし)のうへに、一ツの蛙(かはづ)、在(あり)けるが、我か[やぶちゃん注:ママ。]面《おもて》を、つくづくと見て、両眼に、淚を流す事、雨のことし[やぶちゃん注:ママ。]。
奇異の事におもひしか[やぶちゃん注:ママ。]、翌日、また、行《ゆき》、見るに、蛙、その所を、去らす[やぶちゃん注:ママ。]居《ゐ》て、我を見ては、淚を流す。
「是こそ、日ころの誓詞に、心を残し、死たる女の、幽鬼(ゆうき)[やぶちゃん注:「幽」は異体字だが、表記不能のため、通用字とした。]、蛙と変し[やぶちゃん注:ママ。]たるにや。よし、さもあらは[やぶちゃん注:ママ。]あれ、わか[やぶちゃん注:ママ。]三世《さんぜ》を約せし妻の、ふたゝひ[やぶちゃん注:ママ。]、陽間(このよ)に於《おい》て、相逢《あひあ》ふは、かの漢宮の李夫人の、武帝に見《まみ》え、楊大眞が玄宗に値(あい[やぶちゃん注:ママ。])し例(ためし)に同し。」
とて、かの蛙にむかひて、さまさまに、私語(さゝめこと)し、平生《へいぜい》の哀情(あいじやう)を訴ふに、蛙の姿は、きへ[やぶちゃん注:ママ。]うせて、それより後、再ひ[やぶちゃん注:ママ。]見えす。
かくて、故郷に歸りしに、老親、われに、家をゆすり[やぶちゃん注:ママ。]、御身を迎へて、年月、かさね、芳野か[やぶちゃん注:ママ。]事も、諺にいふ、『去るもの日々に疎(うと)く』して、思ひ出す事も、なかりし。
然《しか》るに、往(ゆき)つる頃、路次《ろし》にて、邂逅(ゆきあひ)し女に、不圖、心を迷はし、戀慕のきづな、きれども、きれず、煩惱の火、逐(おへ)ども來り、見ぬ夜をかこては[やぶちゃん注:ママ。「かこちては」。]、逢(あは)ぬ夕べを、うらみ、以前、芳野と、ちきり[やぶちゃん注:ママ。]しに、少しも違はぬ、恩愛なりしか[やぶちゃん注:ママ。]、さては、渠(かれ)か[やぶちゃん注:ママ。]、生(しやう)を更(うけ)て、ふたゝひ[やぶちゃん注:ママ。]我に見へしなるへし[やぶちゃん注:ママ。]。縱(たとへ)、われ、かれと、絕(たへ[やぶちゃん注:ママ。])て、別莊にゆく事なく共《とも》、かれ、かく迄、我に、執心、残す。終(つい[やぶちゃん注:ママ。])には、死㚑(しれい)の為に、一命を、失ふべし。」
と、語(かたり)、鏡を、とりて、面《おもて》を映(うつ)し、始て、わがかたちの、枯稿(おとろへ)たるを見、淺間敷(あさましく)おぼへげれば、
「かくては、黃泉(かうせん)のみち、遠かるまじ。身のうへを、占(うら[やぶちゃん注:ママ。])ひ見ん。」
と、夫《それ》より、好隣は、衣を、とゝのへ、强(おし)て立(たつ)て、家人に扶(たすけ)られ、市中《いちなか》、賣卜(うらなひしや)の肆(みせ)に、いたりぬ。
好隣、算命者(うらないしや[やぶちゃん注:ママ。])にむかひて、支干(しかん)を告(つけ[やぶちゃん注:ママ。])、卦(くわ)を賴むに、算命(うらなひ)、一卦を、もうけ、見るに、「履(り)」の卦に當りたり。
曰(いはく)、
「履二虎尾一不ㇾ咥ㇾ人。(とらの、をゝふむ。ひとを、くわ[やぶちゃん注:ママ。]ず。)」
先生いわく[やぶちゃん注:ママ。]、
「危(あやう)きかな。されども、うらかた、あしき事、なし。今宵、汝か[やぶちゃん注:ママ。]家に、客(かく)あり。これ、吉(きつ)を司(つかさど)る。此客、よく、恠(くわい)を驅(のぞく[やぶちゃん注:ママ。])くべし。」
と判斷するに、好隣、少し、心易く、急き[やぶちゃん注:ママ。]、家に、かへり、其日、暮かたに、一人の士(さむらひ)來り、
「某(それがし)は、東國の矦家(かうけ[やぶちゃん注:ママ。])に仕へる稗官(かるきぶし)、曾根平内(そねへいない)といふものなり。主用にて、西國に趣くが、日暮るゝによつて、貴莊を、一夜、かり明(あか)さん。何卒、許容あれかし。」
といふに、好隣、いそき[やぶちゃん注:ママ。]、坐敷に通し、臧獲(けらい)を咄嗟(げち)して、酒(さけ)・肴(さかな)・飯《めし》までを、新鮮(きよらか)に調理せしめ、慇勤[やぶちゃん注:ママ。](いんぎん)に執成(とりなし)けるに、客、大によろこひ[やぶちゃん注:ママ。]て、元より、田舎武士の、禮儀をも、しらす[やぶちゃん注:ママ。]、酒・肴・飯まて[やぶちゃん注:ママ。]を、飢(うへ[やぶちゃん注:ママ。])たる鷹のことく[やぶちゃん注:ママ。]、給終(たへおわ[やぶちゃん注:総てママ。「食べ終(をは)」。])り、その身は、滿醉(まんすい)して、床に入《いり》て臥(ふし)、鼾睡(いびき)、牛のことく[やぶちゃん注:ママ。]なれば、好隣は、
『案に相違して、我《われ》此客を怙(たのみ)て、妖鬼を除き、災害(わさはひ)を免(まぬか)れんと、思ふ所に、此客、かくのことく[やぶちゃん注:ママ。]に醉臥(よひふし)たり。いかゞはせん。』
と、案事(あんじ)けるか[やぶちゃん注:ママ。]、せん方なければ、燈燭(あかり)、白昼(はくちう)のことく[やぶちゃん注:ママ。]に、てらし、その身は、客の側(そば)に卧(ふし)て、猶、動靜(ようす)をうかゝふ[やぶちゃん注:ママ。]に、既に夜半の頃、暴風、一陣(《ひと》しきり)、
「さつ」
と、吹通《ふきとほ》り、戶の外(そと)に、もの音し、
「薄情(はくぜう[やぶちゃん注:ママ。])の郞君(おとこ[やぶちゃん注:ママ。])、いづくに、あるや。何とて、我を弃(すて)しや。あら、うらめしの郞君や。」
と、呼(よば)わる[やぶちゃん注:ママ。]その声、軒端(のきば)の嵐(あらし)に、はげしく、耳もとに、ひゝきけれは[やぶちゃん注:総てママ。]、好隣は、亡論(もと)より、家内の男までも、肝をけし、驚き、噪(さは)ぎ、かの客を、喚起(よび《おこ》)さんとするに、はや、妖鬼は、せまり來て、一重(《ひと》へ[やぶちゃん注:ママ。])の隔(へだて)は、
「ものかは。」
と、戶を蹴放(けはな)して、飛入《とびい》る所に、
「錚然(はつし)」
と、ひゞきて、かの客の、枕もとなる襆(つゝみ)の中より、一すじ[やぶちゃん注:ママ。]の小虵(《こへび》》、顯《あらは》れ、鱗(うろこ)の光は、金・銀・珠玉、紅(くれない[やぶちゃん注:ママ。])の舌を巻(まき)て、たゞ、ひとのみと、かゝりける。
[やぶちゃん注:底本の大型画像はこちら。]
妖鬼は、たちまち、色(いろ)をうしなひ、あわてゝ、外へ、しりそき[やぶちゃん注:ママ。]出《いづ》るを、小虵は、追缺(おつかけ)、逐廻(おひまは)し、その疾(はやき)事、風(かぜ)のごとし。
終《つひ》に、妖鬼に、とひ[やぶちゃん注:ママ。]かゝり、鮮血、
「颯(さつ)」
と、はしるとみヘしか[やぶちゃん注:ママ。]、妖鬼の姿は、いつく[やぶちゃん注:ママ。]ともなく、きへ[やぶちゃん注:ママ。]うせたり。
只、一口(《ひと》ふり)の刀(かたな)のみ、外に殘りて、小虵の形は、見えざりしに、かの武士、此もの音に、驚き、目覚(《め》さめ)て、枕もとを見るに、
「我か身命(しんめい)の、かゝる宝貨(ほうくわ)は、何ものか、盜みしや。」
と、寢間を探し、戶外《こがい》を尋ねるに、宝剣、落《おち》てあるを、削(さや)[やぶちゃん注:本来の「削」は刀の鞘の意であるので誤りではない。]に、おさめ、襆《つつみ》の中に、押入《おしいれ》て、枕とし、再(ふたゝひ[やぶちゃん注:ママ。])、卧しにけり。
好隣か[やぶちゃん注:ママ。]小蛇と思ひしは、彼(かの)刀なり。
ほとなく[やぶちゃん注:ママ。]、晨光(あさひ)、東の窗(まど)を輝(斯くやかし)けるに、家來のものも、起出《おきいで》て、戶の外を見せしむるに、血、夥しく、流れたり。
跡を、引尋(ひき《たづ》)ね、遙々(はるはる[やぶちゃん注:ママ。後半は底本では踊り字「〱」。])ゆくに、別莊にいたりて、止(とゞ)まる。
各々(おのおの)、坐敷に入《いり》、見るに、盤(たらい[やぶちゃん注:ママ。])に齊(ひと)しき、蛙《かいる》、あり。
頭腦(づのう[やぶちゃん注:ママ。])を、裂(さか)れて、朱(あけ)に染(そみ)、死し居《ゐ》たりしを、みなみな、集(あつま)りて、是を觀(みて)、大きに驚き、やかて[やぶちゃん注:ママ。]穴をふかく堀(ほり)[やぶちゃん注:漢字はママ。]、蛙の尸(かばね)を葬(ほうむ)り、墳(つか)を築(きづ)いて、「蛙塚(かいるづか)」と名付《なづけ》、今にかの所に殘れりと云《いふ》。
此後、好隣か[やぶちゃん注:ママ。]家には、絕(たへ[やぶちゃん注:ママ。])て怪事なかりしかは[やぶちゃん注:ママ。]、好隣夫妻、悅ひ[やぶちゃん注:ママ。]、不斜(なのめなら[やぶちゃん注:ママ。返って読めということらしい。])。
かの客、曾根平内を、數日(すじつ)、滯留なさしめ、饗應、心を盡し、さて、好隣は、平内に向(むかい[やぶちゃん注:ママ。])て、いわく、
「御身の所持し給ふ刀は、いかなる名工の作なれば、かゝる奇瑞のありけるぞや。某(それがし)も、むかしは、鋳剱(とうけん)を学びし故、許多(あまた)の剱を見侍れども、未た[やぶちゃん注:ママ。]、かゝる事をは[やぶちゃん注:ママ。]、聞《きき》も及はす[やぶちゃん注:ママ。]。」
と、いふに、平内、襆《つつみ》の中《うち》より、錦(にしき)の袋を、とき、一挺(《ひと》ふり)の刀を取出《とりいだ》し、好隣に見する。
好隣、見るに、銘もなく、漫理(みだれやき)なれども、鉛刀(なまくら)にひとしき、鈍剣(どんけん)、更に賞ずべき所、なし。仍(よつ)て、再ひ[やぶちゃん注:ママ。]驚き、不審、晴(はれ)やらねば、平内、その時、語《かたり》ていわく、
「抑(そも)、此刀は、徃昔(そのむかし)、京師(みやこ)に名高き剱匠(かぢ)関何某か[やぶちゃん注:ママ。]鋳(うち)給ふ所なり。某、匹夫(ひつふ)たりしとき、山﨑の邑(さと)、農民の家に傭(やとわ[やぶちゃん注:ママ。])れ、あり。兼て、関氏の剱を聞及(きゝおよ)ひ[やぶちゃん注:ママ。]、望(のぞみ)、限りなく、よつて、耕作の暇(いとま)には、薪(たきゞ)を折(おり[やぶちゃん注:ママ。])、荷を擔(になひ)、しばしも、息(やす)む間なく、人の役(えき)をなして、賃(ちん)を取り、家に有《あり》ては、冬夜に、寒嚴(かんげん)を單(ひとへ)の衣(きぬ)に凌(しの)ぎ、三度の飯(めし)も減じ、飢を春の日の長きに忍(しの)ひ[やぶちゃん注:ママ。]、月下に索縄‘なはなひ」、星(ほし)を戴(いたゝき[やぶちゃん注:ママ。])て起(おき)、三年のあいた[やぶちゃん注:ママ。]、風雨・雷電・寒暑のいとひなく、積貯(つみたくわ[やぶちゃん注:ママ。])へたる、十金の價(あたい[やぶちゃん注:ママ。])にて、やうやうに、求め得たる剣(けん)なり。仍(よつ)て、身に添(そう[やぶちゃん注:ママ。])影のことく[やぶちゃん注:ママ。]に秘臟(ひそう)[やぶちゃん注:漢字・読みともにママ。]し、深山(しんざん)に入(いる)時は、魑魅魍魎のおそれなく、闇行(あんこう[やぶちゃん注:ママ。])には、狐狸盜賊の難をのかれ[やぶちゃん注:ママ。]、わか[やぶちゃん注:ママ。]精神、偏(ひとへ)に、此剣の外に、なし。」
といふ。
よしちか、是(これ)におゐて[やぶちゃん注:ママ。]思ひ出《いだ》し、
『是社(こそ)、已前、己(おのれ)か[やぶちゃん注:ママ。]、市(いち)にて買求め、あざむいて、渠(かれ)にあたへしが、渠、三年の艱苦(かんく)を嘗(なめ)て後、調得(とゝのへえ)たりし。十金を貪取(むさぼり《とり》)たる冥罰(めうばつ[やぶちゃん注:ママ。])、自然(しぜん)と報い來て、既に妖鬼の祟(たゝり)を受(うけ)、命を失わん[やぶちゃん注:ママ。]とせしに、われ、却《かへつ》て、かれか誠心(せいしん)、名剱と思へる精神(たましい[やぶちゃん注:ママ。])の、鉛刀(ゑんとう[やぶちゃん注:ママ。])の切先(きつさき)に入《いり》て、かゝる奇瑞を、顯しけるゆゑ、萬死(まんし)をまぬかれし事、古今未曾有の奇事也。』
とて、始て、
「己(おの)か[やぶちゃん注:ママ。]身の上を、かたり聞せ申《まうす》べし。徃昔(そのむかし)、給(ざむひ)て[やぶちゃん注:前に同じ。「紿」の誤字。]、此鉛刀《なまくら》を賣(うり)し事を、さんげし、御身、實に、わか[やぶちゃん注:ママ。]師の剣を望み給はゝ[やぶちゃん注:ママ。]、わか[やぶちゃん注:ママ。]所持せし、刀、一ふりあり。これぞ、まことに關何某、百日、注連(しめ)を張り、斎(ものいみ)して、鋳(うち)たる名作なり。御身の鉛刀の、奇瑞には、及ばし[やぶちゃん注:ママ。]。なれども、鉛刀だに、精神《たましひ》、凝(こつ)ては、奇瑞あり。いわんや[やぶちゃん注:ママ。]、名剣に於ておや[やぶちゃん注:ママ。]。」
と、則(すなはち)、取出《とりいだ》し、
「價(あたい[やぶちゃん注:ママ。])に不及(およばず)なり。」
と、平内に、あたへ、また、以前、給《あざむ》[やぶちゃん注:同前で誤字。]きとりし、十金の代《しろ》を返し、外に五十金を贈り、
「御身は、わか[やぶちゃん注:ママ。]再生(さいせう[やぶちゃん注:ママ。])の父母(ふぼ)なり。」
とて、夫婦、厚く謝しけれは[やぶちゃん注:ママ。]、平内も、不測(ふしぎ)の事にあひて、夛年の假念(けねん)を晴(はら)し、まことの名剣を、得るのよろこび、おゝかた[やぶちゃん注:ママ。]ならず。[やぶちゃん注:「夛」「多」の異体字。]
夫(それ)より、別れて、發足(ほつそく)せし、となり。
怪異前席夜話卷之三終