譚海 卷之五 羽州湯殿山の麓大沼あそび島の事
[やぶちゃん注:句読点・記号を変更・追加した。]
○羽州湯殿山の麓、大沼と云(いふ)は、道中より、一日、路、北によりて、見らるゝ所也。此大沼、誠に大(おほき)なる事にて、汀(みぎは)に、山伏の修瞼者、庵(いほり)をむすびて居(を)る。沼中(ぬまなか)に「あそび島」といふものあり、水上に、うかびたる島山、一面に、あり、時として、自然に、わかれわかれて、ながれ出(いで)る。或は、風にむかひ、又は、風に、さかひて、心のまゝに、ながれありく。その流れ、うかぶ島、ことごとく、草木、生(はえ)てあり。一面の島山、別に、はなれて、流れ別れ、又、行合(ゆきあ)ひて、ひとつに合(がつ)し、又、別所(べつのところ)に、ながれ行(ゆく)など、甚(はなはだ)奇怪なる壯觀なり。おのづから、人、有(あり)て、如ㇾ斯(かくのごとく)遊戲するに似たり。仍(よつ)て、むかしより、「あそび島」と號せり。土俗は、「日本の國にかたどりて、六拾六島あり、その國の人、いたれば、その島、ながれいづる。」と、いへり。但し、「おほくは、春・夏の際(きは)、ある事にて、秋・冬は、さほどに、島、うかび出(いづ)る事、なし。」とぞ。この說、をかし。この修瞼者、江戶へ出(いで)たる時、逢(あひ)て、叩(とひ)しかば、「さのみ、ふしぎなる事にも、はべらず。我ら、かしこにて生長せしゆゑ、幼年の比は、日々、沼に遊びて、たはむれには、同輩のものと、島を押し出(いだ)し、をし[やぶちゃん注:ママ。]返しなど、常に、せし事なり。よく思惟するに、此沼には、ふるき「まこも」の根、おほくあり、その朽(くち)たる根、土を、ふくみ、年をへて、かたまり、島と成(なり)たる、おほし。又、それに、自然(おのづと)、草木などを生じたるは、まことに、外よりみれば、まがひもなき島にてあれど、元來、「まこも」の根のかたまりたるより成(なり)たるものゆゑ、よるかたなく、水上に、うかびてある也。その上、此島には、すつぼん・大かめのたぐひ、おほければ、時々、すつぼん・鯉・鮒(ふな)のたぐひ、島を押(おし)うごかせば、そのたよりを得て、島々、うごき、わかれ、水上にうかびて、自然に動き出(いづ)るやうに見え、又、風にふきやられて、かなたこなた、ゆきめぐるを、はじめて見たる人は、奇異の事におもへるも、誠に斷(ことわり)なる事也。」と物語りし。さも、ありける事にこそ。
[やぶちゃん注:底本の竹内利美氏の注に、『浮島のこと。山形県置賜』(おきたま)『地方の浮島は「東遊記」にも見えるが、地理があわない。あるいは、東田川郡の丸沼』(現在は酒田市丸沼。グーグル・マップ・データ航空写真。最上川左岸。今でこそ整理された田圃であるが、「今昔マップ」で戦前の地図を見ると、最上川の蛇行痕跡が上流で閉鎖し(地下の砂地を伏流していたのかも知れない。しかもその上流で陸続きなった中州状の部分は古くは沼を呈していた可能性もありそうだ。しかもそこは草地となっており、浮島があってもおかしくないのである)、かなり広い溝状の沼があったことが判る)『か。最上川下流の池沼群の一つ』とある。しかし、この竹内氏の注自身にも地理があわない不審がある。「東遊記」に見えるそれは事前に電子化注しておいたが、このロケーションは、現在の山形県西村山郡朝日町大沼字大比良にある「大沼の浮島」のことであると断定してよいと思うが(古くは西村山郡大谷村大沼の大沼。「Stanford Digital Repository」のこの戦前の地図の上部で確認出来る。そばに『浮島稻荷神社』とあるのが、視認出来る) 、この池がある所は、所謂「置賜地方」(具体的な地方域はウィキの「置賜地方」を参照されたいが、その地方名地図を見ても、「大沼」は村山地方に入るのである)ではなく、その北外だからである。さらに言うと、「東遊記」の最後には、湯殿山登山しての帰途の江戸の旅人の四、五人が登場しているのが、気になる。橘南谿の「東遊記」の板行は、本「譚海」の二年後だが、実際には、それ以前に、同書は写本で世間の文人間に於いて、読まれていた事実がある。或いは津村は、その写本の「浮島」の条を読んでいたのではなかったか? そこで、ラスト・シークエンスから、この浮島のある池を、湯殿山の麓にあると、早とちりで勘違いしたのではなかったか? ふと、そんなことを考えたのだが、遙かに先行する「諸國里人談卷之四 浮嶋」が、全く同じフレーズで始まっていることから、実際に行ったことのない連中は、その誤った情報を無批判に誰もが使い廻したのだとする方が正しいようである。
「まこも」単子葉植物綱イネ目イネ科エールハルタ亜科 Ehrhartoideae イネ族マコモ属マコモ Zizania latifolia 。博物誌は私の「大和本草卷之八 草之四 水草類 菰(こも) (マコモ)」を参照されたい。]
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