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2023/07/20

佐々木喜善「聽耳草紙」 一六三番 長い名前(二話)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。]

 

      一六三番 長い名前(其の一)

 

 或所に子供を持つが何時(イツ)も亡くして困る人があつた。新しく子供が生れたので、今度こそは長生《ながいき》をさせたいと思つて、お寺の和尙樣の處へ行つて聞くと、そんだら長助と名をつけめされと敎へられた。ところが長助ではあまり短かくて何だか氣に染まらないので、もつと長い名前をつけて、たもれやと賴んだ。すると和尙樣は左のやうな長い名前をつけてくれた。

  一丁ぎりの丁ぎりの、丁々ぎりの丁ぎりの、

  あの山越えてこの山越えて、チヤンバチヤク

  助、挽木《ひきぎ》の挽助

 親達はよい名前だと言つて喜んで居た。

 或時、親は其子供を連れて山へ行つた。谷川の一本橋を渡る時、子供が誤つて、川へ落ちてしまつた。親者人《おやぢやびと》は魂消《たまげ》て、あれあれ俺ア家の、一丁《いつちやう》ぎりの、丁ぎりの、丁々ぎりの丁ぎりの、あの山越えて此山越えて、チヤンバチヤク助、挽木の挽助が川へ落ちて流れたから助けてたもれチヤと叫んで居るうちに、時刻《とき》がたつて水を呑んでとうとう[やぶちゃん注:ママ。]死んでしまつた。

  (私の祖父のよく語つた話であつた。稚《をさな》い
   記憶の中から。)

[やぶちゃん注:ウィキの「寿限無」の起原の「民話起源説」には、『『長い名の子』タイプの民話と落語『寿限無』は類話である』。『日本の昔話(民話)の学術的な収集が始まったのは』一九一〇『年代』(明治末から大正前半)『からで』、『これは書物の『欲からしづむ淵』』(江戸の笑話集である噺本「軽口御前男」(元禄一六(一七〇三)年)刊)所載)『や『一子に異名を付けて後悔せし話』』(江戸初期の怪奇談本「聞書雨夜友」(ききがきあまよのとも:文化二(一八〇五)年刊)所収)『よりも後である』。『寿限無の出典は昔話集』「聴耳草紙」かも『しれないという説があった』(注によれば、野村無名庵の著「落語通談」(昭和一八(一九四三)年高松書房刊)の「横町の隠居」に拠るらしい)。「聴耳草紙」は『岩手県の昔話集で、「長い名の子」『話は三種掲載されている』(「其の二」の附記の内容を三種目として数えている)。『そのうちの一話は著者佐々木喜善』『自身が幼少期の回想から復元したものだが』、『遡れるのはそこまでである』「聴耳草紙」『掲載のバージョンが『長い名の子』話の起源だといえる理由は示されていない』とあった。また、ウィキの「長い名の子」には、やはり、本篇が参考例示されてある。しかし、以上の二つを通覧するに、「聴耳草紙」起源説は肯んじ得ない。遡れるのは、以上の江戸中期の話柄である。

「一丁ぎり」小学館「日本国語大辞典」には、「いっちょうぎり」「一挺切」として載り、原義として、『葬式の終わった夜、ろうそくを一本だけにして、それが消えるまで読経(どきょう)念仏すること。またはその行事。特に茨城県地方で行なわれる』とあった。葬儀の儀式を名に含めることで、反対に長命を呪する効果があることは、極めて納得出来る。嘗つて近年まで、火葬場の焼き釜に生前に入ることで、長命を願う風習が実際にあり、その写真と解説を読んだことがある(書名忘却。多分、私の所持する本であるが、書庫の底に沈潜してしまい、探し得ない)。

「チヤンバチヤク」不詳。

「挽木」碾臼(ひきうす)を回すために附けた、肘(ひじ)の形の柄(え)のこと。]

 

        (其の二)

 或家で何時《いつ》も子供が早く死ぬので、長い名をつけたら長生するかも知れないと、新しく生れた子に、

  チヨウニン・チヨウニン・チヨウジイロウ・

  イツケア入道・ケア入道・マンマル入道・ワ

  ア入道・マンマル入道・エアウツク・シヨウ

  ツク・シヨウゴの神・カラのキンシヨジヨ・

  漆の花咲いたか咲かぬか・まだ咲アき申さん

  ・ドンダ郞、

 と謂ふ恐ろしい長い名をつけた。ところが或日この子供が井戶へ落ちたので、それを見つけた人が子供の家の人達に知らせようと思つて、チヨウニン・チヨウニン・チヨウジイロウ・イツケア入道・ケア入道・マンマル入道・ワア入道・マンマル入道・エアウツク・シヨウツク・シヨウゴの神・カラのキンシヨジヨ・漆の花咲いたか咲かぬか・まだ咲アき申さん・ドンダ郞が井戶さヘア入(ハア)んましたアと叫んだが、名前が餘り長いので、語り切らないうちに時刻が移つて、井戶の中の子供は水を飮んで死んでしまつた。

  (出所忘却。此話と同じ理由の下に、…一束(イツソク)
   百束(ソク)ヘソの守(カミ)三代契《ちぢ》り茶杓子
   《ちやしやく》刀《かたな》小じり小左衞門砥《といし》
   で磨《みが》いだる藤三郞といふ長い名前をつけたという
   話が、田中喜多美氏の御報告の中にあつた。)

[やぶちゃん注:「チヨウニン」はママ。長生を願う名であるから、「チヨウ」は「長」であろうから、歴史的仮名遣では「チヤウ」が正しい。「ニン」は「人」か。

「イツケア入道・ケア入道・マンマル入道・ワア入道・マンマル入道・エアウツク・シヨウツク」凡て不詳。最後の部分は音を次の「シヨウゴ」を引き出すためのメタモルフォーゼではあろう。

「シヨウゴ」仏家で勤行の際などに叩く円形青銅製の鉦の「鉦鼓」か。「其の一」で私が注した、死後を前倒しした長命の予祝であろう。

「カラのキンシヨジヨ」不詳。「カラ」は「唐」で中国の意っぽい。

「漆の花」ムクロジ目ウルシ科ウルシ属ウルシ Toxicodendron vernicifluum の花は、六月頃、葉腋に黄緑色の小花を、多数、総状につける。グーグル画像「ウルシの花」をリンクさせておく。因みに、私は十八年程前に、伊豆高原を散策中、ウルシに生まれて初めてかぶれた(花粉症と同じで、免疫システムが、ある時、溢れて発症するのと同じである)。以降、大好物だったマンゴー(特に青マンゴーが好きだった)も、食べると、ウルシオールの近似物質であるマンゴールで激しい下痢を起こすようになり、さらに医師からは、やはり類縁物質を含むキウイも食べない方がいいかも知れないと言われた。

「ドンダ」不詳。]

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