佐藤春夫譯「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」正規表現版 「貧しき女の咏める」兪汝舟妻
[やぶちゃん注:書誌・底本・凡例等は初回を見られたい。本篇はここ。]
貧しき女の咏める
夜 久 織 未 休
戛 々 鳴 寒 機
機 中 一 疋 練
終 作 阿 誰 衣
俞 汝 舟 妻
寢もやらで長き夜ごろを
梭(をさ)の音のひびきもさむき
この機のこのねり絹は
織りあげて誰が着るぞも
※
俞汝舟妻 朝鮮の女子であるといふ。 未詳。
※
[やぶちゃん注:作者「俞汝舟妻」は「ゆぢよしふのつま」と読んでおく。ネット上のある日本語の漢詩ページでは、唐代の人物とするが、ちょっとそれは、以下に示す引用から考えて、採れない。ともかく、この詩篇、調べて見ると、作者に大きな疑義があることが判った。丹羽博之氏の論文「蚕婦詩の系譜」(『大手前大学論集』第十号・二〇〇九年発行・こちらからPDFでダウン・ロード可能・雑誌発行年はPDFの各頁の柱では二〇〇九年だが、冒頭書誌には二〇一〇年三月発行とあって不審)の最後の「追記二」に以下のようにあるからである。
《引用開始》
作る者と着る者の矛盾を嘆いた詩には、他にも明の兪汝舟(ゆじょしゅう)の妻の詩がある。(一海知義先生ご教示。『漢詩の散歩道』日中出版一九七四年十月 筧久美子先生担当一六九頁〜一七一頁)。その詩は、
貧女吟 兪汝舟妻
夜久織未休 夜久しくして 織ること未だ休(や)めず
憂憂鳴寒機 戛戛(かつかつ) 寒機鳴る
機中一匹練 機中一匹の練(れん)
終作阿誰衣 終(つい)に阿誰(あすい)の衣と作(な)る
というもの。同書には、「作者とされる兪汝舟の妻は明代の人だが、夫婦ともにくわしいことはわからない。」とある。
ところが、最近になって気づいたことであるが、この詩は、韓国の『韓国歴代名詩全書』(一九九七年五月明文堂五〇〇頁))には、次のようにある。
貧女吟 兪汝舟妻
夜久織未休 夜久しくして 織ること未だ休(や)めず
軋軋鳴寒機 軋軋 寒機鳴る
機中一匹練 機中 一匹の練(れん)
終作阿誰衣 終(つい)に阿誰(あすい)の衣と作(な)る
とあり、二句目が軋軋となっているが、同一の詩である。
作者の解説には、「姓は金氏の女性で兪賢良に嫁ぎ、兪汝舟夫人と呼ばれ、詩集一巻が伝わっている。」とあり、『漢詩の散歩道』の作者と同一人物ということになろう。清銭謙益『列朝詩集』の末に「朝鮮」の項目があり、その末に「兪汝舟妻」の名前が見える(覧文生氏ご教示)。
更に調べると、李氏朝鮮の最高の女流詩人、許楚姫(一五六三〜一五八九)の詩集『蘭雪軒集』に「貧女吟四首」が揚げてあり、その三首目の詩は、前掲、明の兪女舟妻の作と一字の違いも無い(前掲『三韓詩亀鑑』の崔致遠の「江南女」の詩の「参考」にもこの四首が載っている)。ということは、李氏朝鮮時代の女流詩人のトップに位する蘭雪軒(許楚姫の号) の作と愈汝舟の妻の作のどちらかが誤って伝わったのであろう(兪女舟妻の生没年は調査中)。[やぶちゃん注:以下略。]
《引用終了》
この「許楚姫」は、彼女のウィキによれば、『許 蘭雪軒』(ホ・ナンソロン/きょ らんせつけん 一五六三年~一五八九年)、又は、『蘭雪軒 許氏』(ナンソロン・ホシ/らんせつけん きょし)で『李氏朝鮮時代の女流詩人。本名は許楚姫』(ホ・チョヒ/きょ そき)』で、『蘭雪軒は号。蘭雪とも』。『本貫は陽川許氏。江陵』(現在の韓民国江原特別自治道東部の江陵(カンヌン)市)『出身』である。病いのため、二十七で夭折した。
標題は「貧女吟」でよかろう。以下、以上の訓読を参考にしつつ、推定訓読しておく。
*
貧しき女(をんな)の吟(よ)める
夜(よ) 久しく織(お)りて 未だ休(や)めざる
戛戛(かつかつ)と 寒(さむざむ)とした機(はた)を鳴らす
機(はた)の中(うち) 一疋(いつぴき)の練(ねりぎぬ)
終(つひ)に作(な)れるこれ 阿誰(たれ)の衣(ころも)か
*
・「戛戛」「カツ! カツ!」で、堅い物同士が触れ合う音。また、その音を立てるさま。一種のオノマトペイアであろう。但し、現代中国語の音写は「ヂィアヂィア」である。
「阿誰」誰(だれ)。何人(なんびと)。]