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2023/07/15

奇異雜談集巻第六 ㊁干將莫耶が劔の事

[やぶちゃん注:本書や底本及び凡例については、初回の私の冒頭注を参照されたい。

 因みに、本篇は、前回と同じ仕儀がなされてある。則ち、冒頭にある漢籍の原著「祖庭事苑」(字典。八巻。宋の睦庵善卿撰。一〇九八年から一一一〇年にかけて刊行された。「雲門録」などの禅宗関係の図書から熟語二千四百余語を採録し、その典拠を示して注釈を加えたもの)からの和訳である。私には、この話、とても懐かしいもので(リンク先で語っている)、二〇一七年で正字化に不全があるのだが、『柴田宵曲 續妖異博物館 「名劍」(その1)』の注で、原文と、私の訓読を示してあるので、まずは、それを参照されたい。

 本文中に漢詩が出るが、返り点のみを附し、後に〔 〕で読み・送り仮名を参考に訓読文を示すこととした。

 なお、高田衛編・校注「江戸怪談集」上(岩波文庫一九八九年刊)では、これ以降は総て掲載されていない。]

 

   ㊁干將(かんしやう)莫耶(ばくや)が劔(つるぎ)の事

 干將・莫耶が劔の事、「祖庭事苑(そていじゑん)」に見えたり。いま、心をとつて、やはらげて[やぶちゃん注:「和訳して」の意。]、こゝにしるす。

[やぶちゃん注:「祖庭事苑」仏教系の字典の一種。全八巻。宋の睦庵善卿撰。一〇九八年から一一一〇年にかけて刊行された。「雲門録」などの禅宗関係の図書から熟語二千四百余語を採録し、その典拠を示して注釈を加えたもの。]

 むかし、楚国(そこく)の大裏(だいり)に、鉄(くろがね)のはしら、あり。

 夏、はなはだ、あつきとき、宮女(きうぢよ)、身(み)をひやさんために、鉄のはしらを、いだく。

 いだけるごとに、夫(おつと[やぶちゃん注:ママ。])をいだくおもひを、なせり。

 その念、つもりて、くはいにん[やぶちゃん注:「懷姙」。]す。

 つゐに[やぶちゃん注:ママ。]一《ひとつ》の丸鉄(まるくろかね[やぶちゃん注:ママ。])を、うめり。

 是、奇異の事なり。

 楚王、此丸鉄をもつて、干將に命じて、劔を、つくらしむ。

[やぶちゃん注:「楚王」名が出されていないので、特定は不能である。]

 干將は、そのときの鍛冶(かぢ)のめい人なり。

 于將、すなはち、かの鉄をもつて、双劔(そうけん)をつくる。一《ひとつ》は雌(し)、一は雄(ゆう)。これ、大事の劔をつくる法なり。

 剱、すでに、なる。その雌劔(しけん)一《ひとつ》をもつて、楚王に、さゝぐ。王、よろこんで、つるぎのはこに、おさむ[やぶちゃん注:ママ。]

 夜々(よなよな)は、この内にして、かなしみ、なける、こゑ、あり。

 王、あやしむで、群臣に、とはる。臣が、まうさく、

「剱は、かならず、雌雄(しゆう)二つ、あり。此劔、雌(し)ひとりなるゆヘ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]に、雄(ゆう)を、おもふて、なくものなり。」

と。

 王、おほきにいかつて、のたまはく、

「まさに、雄劔(ゆうけん)、あるべし。これを出《いだ》すべし。」

と。

 于將、すなはち、その、ころさるべきことを、しつて、雄劔をもつて、わがやの、はしらの内にかくし、わが子、ようせうなるゆへに、我妻の莫耶に、いひをき[やぶちゃん注:ママ。]す。

「わが子の眉間尺(みけんじやく)、せいじむ[やぶちゃん注:「成人」。]の時、これを、しめすべし。」

と、いふて、詩、一首を、かきのこす。

[やぶちゃん注:「眉間尺」古代中国の説話に見える勇士の綽名(あだな)。身長が高く、顔が大きく、眉と眉との間が一尺(中国で最も古いそれは二十二・五センチメートルである)もあるところからいう。後、呉の勇士呉子胥(ごししょ)のことを指し、また、ここに出る刀剣の名工干将の子の名としても有名である。転じて、「眉間の広いこと・眉間の広い人」を言う(小学館「日本国語大辞典」に拠った))。]

 はたして、干將、王命(わうめい)をうけて、ころされし也。

 のちに諸人(しょにん)、その詩をみるに、よむことをえず。詩の文に曰(いはく)、

 日出北戶 南山有ㇾ松 松生於石 劔在其中

  〔日(ひ) 北戶(ほつこ)に出づ

   南山(なんざん)に 松(まつ) 有り

   松 石に生(しやう)ず

   劔(つるぎ) 其の中(なか)に在り〕

と云〻。

 のちに、その子、せいじんす。「眉間尺」と、なづく。けだし、面(かほ)大なる者が、とし十五にして、母に、とひて、いはく、

「父(ちゝ)は、いづくにあるや。」

 母、すなはち、つぶさに、前事(ぜんじ)をかたりて、かの詩を、あたふ。

 子、これをみて、久しく、しゆい[やぶちゃん注:「思惟」。]して、はしらを、ほりて、劔を、えたり。

 此儀、すなはち、世に、ふうぶんす。

 王、きゝて、又、その劔を、こはる[やぶちゃん注:「請(こ)はる」。]。

 尺、出《いだ》さざるときんば、その、ころさるべきことを、おそれて、劔をいだきて、とをく[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]、のがる。

 王、世にせんじ[やぶちゃん注:「宣旨」。]してのたまはく、

「眉間尺をえたる人あらば、あつく褒美せん。」

と云〻。

 尺も、また、父のあた[やぶちゃん注:ママ。「仇(あだ)」。以下同じ。]を、王にむくひんことを、おもふ。

 尺、とをき所におゐて[やぶちゃん注:ママ。]、客(かく)に、あふ。客の、いはく、

「汝、あに眉間尺にあらずや。」

 尺がいはく、

「然(しか)なり。」

 客のいはく、

「吾は甑山人(そうさんじん)なり。我、よく、汝がために、父のあたを、王にむくひしめん。」[やぶちゃん注:「甑山人」不詳。但し、後を見ると、凄絶な奇法を駆使出来る道士のようである。]

 尺、よろこびて、かたつて、いはく、

「我父、つみ、なふして、まげて、罪科(ざいくは)せらる。君、いま、惠念(けいねん)あり。いかんが成(なる)べきや。」[やぶちゃん注:「惠念」強い情(なさ)けの心。]

 客(かく)のいはく、

「まさに、汝が頸《くび》、ならびに、なんぢが劔を、得べし。」

 尺、すなはち、みづから、頸を、きつて、頸(くび)、劔(けん)を、あたふ。

 客、是をえて、都(みやこ)にゆき、大裏(だいり)にまうでゝ、奏(さう)していはく、

「我は甑山人なり。眉間尺がくびを、もつて參る。」

と。

 王、おほきに、よろこぶ。

 甑人のいはく、

「ねがはくは、これを烹(に)て、ゑいらん[やぶちゃん注:「叡覽」。]に、そなへん。」

と。

 王、つゐに[やぶちゃん注:ママ。]、鼎(かなへ)を出《いだ》して、これに、あたふ。

 甑人(そう《じん》)、えて、もつて、くびを烹(にる)に、生色(いきいろ)、変ぜざるゆへ[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]に、數日(すじつ)、これを、にる。

 甑人、王を、あざむひて、まうさく、

「久しくにるに、いまだ、たゞれず。請(こう[やぶちゃん注:ママ。])、王、きたりて、のぞき見給へ。」

 王、すなはち、きたりて、鼎中を、のぞみ見らる。

 甑人、うしろより、かの剱をもつて、王のくびを、うつて、鼎中(かなへのうち)に、おとす。

 二のくぴ、あひかむ。

 甑人、尺が、かたざることを、おそれて、すなはち、みづから、くびをはねて、鼎にいるゝ。

  

[やぶちゃん注:底本の大きな画像はここ。まさに甑山人が眉間尺を助っ人するために、自らの頸を落とす直前を切り取った瞬間を絵にしたものである。

 

 もつて、尺を、たすく。

 三《みつ》の頸、あひ、かむ。

 その二劔、つゐに、ゆくゑ[やぶちゃん注:ママ。] を、しらざるなり。

 本《もと》、「孝子傳」に、みえたり。

[やぶちゃん注:「孝子傳」現行、確かに本話の原拠はこの書とする。例えば、「今昔物語集」の「卷九 震旦孝養」の「震旦莫耶造釼獻王被殺子眉間尺語第四十四」(震旦(しんだん)の莫耶(まくや)、釼(つるぎ)を造。りて王に獻(けん)じたるに子(こ)の眉間尺(みけんじやく)殺されたる語(こと)第四十四)を所持する「新日本古典文学大系」版「今昔物語集二」で見ると、脚注で『原拠は孝子伝・下・21』とする。漢籍の「孝子傳」は複数存在するが、本邦には平安時代に伝来している「孝子傳」があるものの、原本は古逸本で、後代の引用集成もので分散して伝わっているようである。私は、かの「神搜記」版のものを、高校時代に読んだ。]

 又、「龍泉(れうせん)・太阿(たいあ)」の二劔あり。「醫學源流」を按ずるに、晋(しん)の醫者張華(ちやうくは)、よく、天文・地理をしる。

[やぶちゃん注:「醫學源流」明の熊宗立(ようそうりつ)の撰になる、古い医学処方書。

「張華」三国時代の魏から西晋にかけての政治家で文人の張華(二三二年~三〇〇年)。彼の書いた幻想的博物誌にして奇聞伝説集である「博物志」全十巻はよく知られる。]

 夜(よる)、紫氣(しき)を見る。地より、天にのぼりて、斗牛(とぎう)の間《かん》に、いたる。

[やぶちゃん注:「斗牛」星座の二十八宿の中に隣り合う「斗宿」と「牛宿」の間。「斗」は「射手座」の一部、「牛」は「山羊座」の一部で、「わし座」の南方にある。]

 これを、豫章(よしやう)の雷煥(らいくはん)に、つぐ。

[やぶちゃん注:「豫章の雷煥」(二六五年~三三四年)は西晋の豫章郡(現在の江西省北部にあった。ここ。グーグル・マップ・データ)南昌出身の天文学者。当該ウィキによれば、『天文に通じた人物として有名であり、恵帝の時代に司空の張華に引き立てられ、豊城の県令となった。同地で龍淵(龍泉)、太阿(泰阿)の名剣を発掘し』、『龍淵を張華に献上し、太阿は自らが所持して子孫に遺し伝えたと言われる』。『また、干宝の志怪小説である』「捜神記」においても、『張華と共に登場し、張華のもとに書生の姿で現れた千年生きた斑模様の狐の正体を見破る助言をする者として登場する』とある。]

 雷煥、また、よく天文・地理をしれる人なり。

 ともに高樓(かうらう)にのぼりて、夜々《よよ》、かの氣を見て、雷煥が、いはく、

「是は、寶劔の氣なり。豊城縣(ほうじやうけん)の地より、天にのぼりて、斗牛の間にいたるものなり。」

[やぶちゃん注:「豊城縣」現在の江西省宜春市豊城市(グーグル・マップ・データ)。]

 雷煥、すなはち、豐城縣の獄基(ごくき)を、ほる事、四丈(《し》ぢやう)[やぶちゃん注:十二・一二メートル。]あまりにして、一の石凾(いしのはこ)を、えたり。

[やぶちゃん注:「獄基」「嶽の麓」の意であろう。とある山岳のふもと。]

 中に双劔(さうけん)あり。

 銘に、一《いつ》を「流泉」といひ、二をば、「大阿」といへり。

 その一を張華に、をくる[やぶちゃん注:ママ。]

 その時に、雷煥が、いはく、

「霊異(れいい)の物は、まさに化(け)して、さるべし。」

と云〻。

 又、一は、雷煥みづから、佩(はけ)り。

 帳花[やぶちゃん注:ママ。「張華」。]が死するときに。その剱の所在を、しらず。

 雷煥、死してのちに、その子、かの剱をはきて、延平津(ゑんべいしん[やぶちゃん注:総てママ。])の河邊(《かは》へん)をすぐるに、その劔の、脇(わき)の間《あひだ》より、みづから出《いで》て、おどり[やぶちゃん注:ママ。]て、水に入《いり》、人《ひと》をして、これを、もとめしむれば、たゞ、兩龍(りやうりう)、相(あひ)繞(まとふ)を見る。

 をのをの[やぶちゃん注:ママ。]、長(たけ)、數丈(すぢやう)[やぶちゃん注:六掛けで約十八メートル。]なり。

 おそれて、かへりぬ。

 雷煥がいひしこと、あたれり。

 「玉海(ぎよくかい)」卷(まきの)百五十一をみるに、張華が、いはく、

「『龍泉』・『太阿』は、その劔の文《ぶん》を、つまびらかにするに、すなはち、『干將』なり。」と云〻。

[やぶちゃん注:「玉海」玉海』南宋の王応麟によって編纂された類書(百科事典)の一種。全二百巻。当該ウィキによれば、『科挙試験の参考書として編まれたものだが、大量の書籍を引用しており、中でも現在では見ることのできない宋代の実録の類を使用しているため、資料価値が高い』。但し、『宋代には出版されず、元』(げん)『の後至元』(こうしげん)六(一三四〇)年に『はじめて刊刻された』とある。]

 又、註にいはく、『汝南《ぢよなん》の西平縣(せいへいけん)に「龍泉水(《りう》せんすい)」あり。刀剱(たうけん)を淬(にぶらす)に、ことに、かたふ[やぶちゃん注:ママ。]して、利(とし)。汝南は、すなはち、楚分野(そぶんの)なり。」と云〻。

[やぶちゃん注:「汝南の西平縣」現在の河南省東南部及び安徽省阜陽市一帯に設置された汝南郡の内、現在の河南省駐馬店(ちゅうばてん)市西平県(グーグル・マップ・データ)。

「淬(にぶらす)」「淬」は音「サイ・シュツ」(現代仮名遣)で、刀剣を鍛える際、「刃(やいば)を焼いて、水入れする」ことを指す。

「楚分野」旧楚地方に含められた原野の意か。]

 かるがゆへに、「龍泉」と題するなり。

 「大阿」は、所の名(な)なり。

 「干將・莫耶」は、楚王の劔。

 「祖庭事苑」、『「甑人」の註につまびらかなり』と云〻。

 わたくしに、いはく、

「むかし、干將がつくる所の雄劔・雌劔、つゐに偶(ぐう)して[やぶちゃん注:二つ揃えて。]、石凾(いしのはこ)に入《いれ》て、地下にあり。年を經て、晋(しん)の時に、ほり出《いだ》し、兩人《りやうにん》、わかちて、佩(はけり)といへども、つゐに、龍と化(け)して、水中におゐて[やぶちゃん注:ママ。]、偶するなり。異(こと)なるかな。」。

 

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