譚海 卷之五 秩父領山中から芋を植事
[やぶちゃん注:句読点・記号を変更・追加した。標題の末は「ううること」と訓じておく。]
○秩父中(ちゆう)、山の民、薯蕷(しよよ)といふものを栽(う)ゑて食とす。いたる所、ことごとく、あり。中井淸太夫殿といふ御代官、殊に世話ありて、飢饉の用に、うゑさせられしより、諸所に、ふえたり。夫(それ)ゆゑ、ちゝぶにては、薯蕷を「淸太夫いも」と號する也。葉はほうづき[やぶちゃん注:ママ。歴史的仮名遣は「ほほづき」が正しい。]の如く、枝葉の間に、いくらも、いも、出來る。根に出來るいもは、枝に生ずるより、大きし。形は何首鳥(かしゆう)より小(ちいさ)く、毛、あり。枝をきりて、土に、させば、皆、根付(ねづき)て、生ずる也。その葉、なびきて、土へ着(つき)たるところも、やがて、根を生じて、ふえる也。夫(それ)によりて、たねを、殊さらに、ふせて、ううるにもあらざれど、生じやすき物ゆゑ、自然に珍重して、ううる事に成(なり)たり。ちゝぶ領土地に、よく、あひたると見えて、いづくにも、生せずといふ事、なし。煮てくふに、やはらか成(なる)事、里いもに同じと、いへり。
[やぶちゃん注:「薯蕷」この場合は、以下の解説からも、本邦原産(固有種)である単子葉植物綱ヤマノイモ目ヤマノイモ科ヤマノイモ属ヤマノイモ Dioscorea japonica を指している。別名、自然薯(じねんじょ)である。当該ウィキによれば、『古くは中国原産のナガイモ』(ヤマノイモ属ナガイモ Dioscorea polystachya :但し、ウィキの「ナガイモ」によれば、『ナガイモは、日本では中世以降に中国大陸から持ち込まれたとの説もあるが』(ウィキのヤマノイモの方の記載者は、この説を採っていることになる)、『中華人民共和国にもヤマノイモ科』Dioscoreaceae『の作物は複数あるものの、本』種と『同種のナガイモは確認されていない』。『日本で現在』、『流通しているナガイモは』、『日本発祥である可能性もあり、現状は日本産ナガイモと呼んでいる』とあった)『を意味する漢語の薯蕷を当ててヤマノイモと訓じた』とある。
「中井淸太夫」(せいだゆう 享保一七(一七三二)年~寛政七(一七九五)年)は江戸中・後期の旗本。三河出身。諱は九敬。安永三 (一七七四) 年、代官として甲斐上飯田陣屋に赴任、三年後には甲府陣屋に移った。「天明の飢饉」の際、ジャガイモ(清太夫芋)の普及に尽し、又、富士川沿いの大塚村他二村に、水路を開いて水害を防いだ。農民に、その功を讃えられ、生祠(せいし)が建立されている。後、陸奥小名浜代官に移ったが、寛政三(一七九一)年、罪をえて、罷免されている。以上は小学館「日本国語大辞典」に拠ったが、当該ウィキも詳しいので、参照されたい。そちらでも、ヤマノイモではなく、ジャガイモの栽培を指導した人物として記されており、秩父のヤマノイモの栽培促進の話はネット上では調べ得なかった。しかし乍ら、以上の津村の説明は、ジャガイモではなく、間違いなくヤマノイモである。ヤマノイモ特有の葉腋に発生する栄養体、球状の芽である「零余子」(むかご・珠芽)が述べられてあることから明らかであり、ジャガイモと混同しようはない。津村は今までの記載から、博物学には、それほど造形は深くないと推定されるから、この話は、現地の、しかも、ヤマノイモの生態にかなり詳しい人物でなくては、語れない内容であると考える。されば、私は中井の秩父でのヤマノイモ栽培奨励は、事実あったもの、と感じるものである。
「何首鳥」これは、ヤマノイモ属カシュウイモ Dioscorea bulbifera である。別名をニガカシュウ(苦何首烏)と言い、ウィキの「ヤマノイモ」の「類似している植物」の項の当該種によれば、『名前は根塊が薬用の「何首烏」』(双子葉植物綱タデ目タデ科ツルドクダミ属ツルドクダミ Reynoutria multiflor :漢方薬の生薬として「何首烏(かしゅう)」と呼び、古くから不老長寿の滋養強壮剤として利用されてきた。また、カラスのように髪を黒くする作用があることから、「烏」の文字が附けられてある。なお、和名は葉がドクダミの葉と似ていることからの呼称であるが、コショウ目ドクダミ科ドクダミ属ドクダミ Houttuynia cordata とは全く縁はない。以上はウィキの「ツルドクダミ」に拠った)『に似ていることからついた。葉はハート型で大きく、デコボコした大ぶりのむかごがつくが、日本野生種は』、『苦く』、『有毒で食用にならない。しかし苦味や毒のない品種もあり、ヤマイモほど大きくはならず』、『粘りも出ないが』、『食用できる。むかごが数百グラムにも肥大する「Air potato(空中のイモ)」と呼ばれる食用品種もあり、日本でも「宇宙イモ」という名前で一部で栽培されている』とあった。]
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