佐々木喜善「聽耳草紙」 一四六番 大岡裁判譚
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。
なお、「其の一」の標題は「愛岩樣」となっているが、本中では総て「愛宕樣」(読みは「あたごさま」と読んでおく)となっているので、特異的に訂した。無論、「ちくま文庫」版でも『愛宕様』である。]
一四六番 大岡裁判譚
愛宕樣(其の一)
嫁と姑とがあつた。或日嫁がお姑(フクロ)樣シあの山の愛宕樣と云ふ神樣は馬さ乘つてお居《ゐ》でアるけナシと訊いた。すると姑は否々《いやいや》愛宕樣なら馬さ乘つてお出《いで》アる神樣ではない。こんなことにも女子《をなご》と謂ふものは愼んで物を云ふもんだと言つた。そのことで二人終日言ひ爭ひをしたが、どうしても埒《らち》が明かないので、遂々《たうとう》大岡樣の所さ行つて裁判(サバ)いて貰ふことにした。
其夜、嫁と姑は、どつちも内密(ナイシヨ)で、大岡樣に白布一反づつ持つて行つて、袖の下を使つて、どうか私の云ふ方が本當だと申して下(クナ)さいと賴んだ。大岡樣はどつちにも、ウンよしウンよしと言つた。
翌日、嫁姑は揃つて大岡樣の前行つて、嫁が、な申し大岡樣シ、愛宕樣ジ神樣は馬さ乘つてお出アるぜナシと言ふと、大岡樣はイヽヤと首を振つた。
姑はここだと思つて、大岡樣シ愛宕樣ジ神樣は馬さ乘つておいでねアぜなもシと言ふと、大岡樣はこれにも、イヽヤと言つて首を橫に振つた。
そこで嫁姑はお互にそれでは約束が違ふと思つて、そんだら彼《あ》の山の上に御座る神樣はあれは何神だシと問ひ軋すと、大岡樣は、あああれかアレは二反の白布タダ取り公樣さと答へた。
提灯と火チン(其の二)
又或時、嫁姑して、提灯《てうちん》のことで言ひ爭ひをした。嫁があれは提灯だと云ふと、姑は否々《いやいや》火《ひ/くわ》チンと云ふものだと頑張つた。そこで又二人は夜ひそかに白布を持つて行つて、自分の云ふ方が本當だと言つて下《くな》さいと賴んだ。大岡樣はああよいともよいともと言つて居た。
翌日、嫁姑が行つて聽くと、大岡樣はなあにあれは提灯でも火チンでもない。二反の白布タダトリの火袋と云ふもんだと云つた。
馬 鹿(其の三)
又或時、嫁と姑とが針仕事をしながら、向ひ山に居る馬を見て、あれ姑(ガガ)さま向い山に馬が居ますヤと云ふと、姑はなに云ふアレは馬ではないシシ(鹿)だジエと否消(ヒゲ)した。否々《いやいや》馬だと言つたり、終日言合ひをしたが埒が明かず、遂々《たうとう》大岡樣のところへ行つて裁判いて貰ふことにした。そしてその前夜、前の話と同樣に二人は各々白布一反づつを持つて行つてワイロを使つた。
翌日、嫁姑が行くと、大岡樣の云ふことには、あれア何だ、その馬でも鹿でもない、馬鹿と云ふものだと言つて白布を二反たゞ取られた。
(この類語は多くあるらしい。三話とも伯母から
聽いたものである。)
« 奇異雜談集巻第三 ㊁牛触合て勝負をいたし前生を語る事 | トップページ | 佐藤春夫譯「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」正規表現版 「秋の別れ」七歲女子 »