只野真葛 むかしばなし (71) 久々の実話怪談!
一、「おてる」が乳母の「げん」が咄(はな)しに、玉川の百姓に、河獵(かはれふ)を主《おも》にして、くらすものありしが、弟は、外へ養子に行(ゆき)、兄は、妻をなくし、子共二人有(あり)しが、病氣なりしを、
「其病(やまひ)には、土鼠(もぐら)を食へば、よい。」
と人の敎(をしへ)し故、弟に、
「取(とり)て吳(くれ)よ。」
と、賴(たのみ)しに、受合(うけあひ)て、出がけに門口(かどぐち)にて、大(おほ)いたちが、土鼠を取《とり》て走るに逢ふ故、
「願所(ねがふところ)。」
と、おさへ、とりて、兄に、くわせしとぞ。
其翌日、弟、葬禮の供(とも)にたのまれて行(ゆき)しに、晝中(ひるなか)、其いたちの、來て、かゝとを、喰ひ付(つき)、喰ひ付、したりしを、けやり[やぶちゃん注:「蹴やり」(蹴飛ばし)であろう。]、けやりして、こゝともせず[やぶちゃん注:底本は「こゝともせず」。『日本庶民生活史料集成』版を採用した。]ゐたりしに、何(いづ)くへか、行(ゆき)たりし。
其夜より、兄の家の上(あが)り口(ぐち)に、いたちの、うづくまりゐて、人の居(を)るかたを、睨(にらみ)をる、眼の光の、いやなること、たとへんかた、なし。
寢靜まると、來て、元結(もとゆひ)をくわへて、引(ひき)しを、手にて拂(はらひ)しに、子共の寢たる方(かた)へ拂やりしに、其儘、くひ付(つき)たり。
あくるひ、行(ゆき)てみしに、子共、二人とも、喰(くは)れて、泣叫(なきさけ)ぶてい、みじめなりしとぞ。
又、夜に、入(いれ)ば、上り口に居(ゐ)て、寢れば、きて、あだを、したり。
とらへんとせし手に喰付(くひつき)しが、已(すで)に、くひとらるゝなりしとぞ。
子は、先立(さきだつ)て死す。
父も、半月ばかり、苦(くるし)みて、死(しし)たり。
病(やまひ)、癒さんとて、三人、死せしとぞ。
「げん」が近(ちかく)の家にて有(あり)し故、いたちの、ゐしを、見たり。
「おそろしきこと。」
と[やぶちゃん注:底本では「ゝ」。]、常々、はなしせし故、「おてる」、いたちを、おそれたりし。
[やぶちゃん注:「川獺」は本邦の民俗社会では、古くから狐・狸と同じく「人を化かす」とされてきた経緯がある妖獣であった。ウィキの「カワウソ」の「伝承の中のカワウソ」によれば、『石川県能都地方では』、二十『歳くらいの美女や碁盤縞の着物姿の子供に化け、誰何されると、人間なら「オラヤ」と答えるところを「アラヤ」と答え、どこの者か尋ねられると「カワイ」などと意味不明な答を返すといったものから』、『加賀(現在の石川県)で、城の堀に住むカワウソが女に化けて、寄って来た男を食い殺したような恐ろしい話もある』。『江戸時代には』「裏見寒話」(私の「柴田宵曲 續妖異博物館 獺」を参照されたい)・「太平百物語」(私の「太平百物語卷二 十一 緖方勝次郞獺(かはうそ)を射留めし事」や同「卷五 四十六 獺人とすまふを取し事」を参照されたい)・「四不語録」などの『怪談、随筆、物語でもカワウソの怪異が語られており、前述した加賀のように美女に化けたカワウソが男を殺す話がある』。『安芸国安佐郡沼田町(現在の広島県広島市)の伝説では「伴(とも)のカワウソ」「阿戸(あと)のカワウソ」といって、カワウソが坊主に化けて通行人のもとに現れ、相手が近づいたり』、『上を見上げたりすると、どんどん背が伸びて見上げるような大坊主になったという』。『青森県津軽地方では人間に憑くものともいわれ、カワウソに憑かれた者は精魂が抜けたようで元気がなくなるといわれた』。『また、生首に化けて川の漁の網にかかって化かすともいわれた』。『石川県鹿島郡や羽咋郡では』、「かぶそ」又は「かわそ」の『名で妖怪視され、夜道を歩く人の提灯の火を消したり、人間の言葉を話したり』、十八、九歳の『美女に化けて人をたぶらかしたり、人を化かして石や木の根と相撲をとらせたりといった悪戯をしたという』。『人の言葉も話し、道行く人を呼び止めることもあったという』。『石川県や高知県などでは河童の一種ともいわれ、カワウソと相撲をとったなどの話が伝わっている』。『北陸地方、紀州、四国などではカワウソ自体が河童の一種として妖怪視された』。『室町時代の国語辞典『下学集』には、河童について最古のものと見られる記述があり、「獺(かわうそ)老いて河童(かはらふ)に成る」と述べられている』。『アイヌ語ではエサマンと呼び、人を騙したり』、『食料を盗むなどの伝承があるため』、『悪い印象で語られるが、水中での動きの良さにあやかろうと子供の手首にカワウソの皮を巻く風習があり、泳ぎの上手い者を「エサマンのようだ」と賞賛することもある』。『アイヌの昔話では、ウラシベツ(現在の網走市浦士別)で、カワウソの魔物が人間に化け、美しい娘のいる家に現れ、その娘を殺して魂を奪って妻にしようとする話がある』。『またアイヌ語ではラッコを本来は「アトゥイエサマン(海のカワウソ)」と呼んでいたが、夜にこの言葉を使うとカワウソが化けて出るため』、『昼間は「ラッコ」と呼ぶようになったという伝承がある』とある。重複する箇所があるが、博物誌は私の「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 獺(かはうそ) (カワウソ)」も見られたい。]
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