佐々木喜善「聽耳草紙」 一四七番 雁々彌三郞
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。
標題の「雁々彌三郞」であるが、読みは国立国会図書館デジタルコレクションの「日本童謡集」(北原白秋編・昭和四(一九二九)年アルス刊)のこちらに載る、常陸での採取のこちらのルビを参考とし、「かんがんやさぶらう」と読んでおく。]
一四七番 雁々彌三郞
或山奧に彌三郞と云ふ子供があつた。或時町さ用たしに行く途中で、ばえら(不意に)雁《がん》たちに攫はれてしまつた。彌三郞の母親は大層悲しんで、其夜、野原さ出て、雁が空を飛んで通る時、
雁々彌三郞
カギになれ
竿になれ
と聲のあらん限り叫んだ。すると雁どもは彌三郞を野原の草の上に、そつこりと落して行つた。
(膽澤《いさは》郡小山村の話、織田秀雄君の御報告分の三。)
[やぶちゃん注:「カギ」後の「竿」(さお)から、「鍵」で「カギ(┌─)」型に群れをなせ、ということを指していよう。「雁たちに攫はれてしまつた」というのは、群れを作った複数の雁に捕まったということで、単数で「カギ」「竿」に編隊を組めば、一羽では、支えきれずに、弥三郎を落とすであろうと思ったということと採る。
「膽澤郡小山村」現在の岩手県奥州市胆沢小山(いさわおやま)であろう(グーグル・マップ・データ)。]
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