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2023/07/27

佐々木喜善「聽耳草紙」 一七八番 屁ツぴり爺々(二話)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は初回を参照されたい。今回は底本では、ここから。第一話の三字下げ全分かち書きはママ。本書中の表記上の特異点である。なお、八行目「炒つて黃粉(キタコ)にでもすべえかなもシ」のルビは、「ちくま文庫」版では『きだこ』(同文庫版はルビを総てひらがなにしてしまっている)である。その方言の方が正しい印象はあるが、方言確認がネット上では出来なかったので、ママとした。]

 

   一七九番 爺婆と黃粉(其の一)

 

   或所に爺と婆とあつたとさ、

   婆樣はウチを掃き

   爺樣は土間(ニワ)掃いた…

   そすると土間のスマコ(隅)から

   豆コが一ツころころと轉(コ)がり出た。

   婆樣婆樣これア豆コ見ツけたざア

   畠さ蒔くべえか

   炒つて黃粉(キタコ)にでもすべえかなもシ

   婆樣は畠さ蒔くのアあつから

   それば炒つて

   黃粉にし申すべやと言つた。

   そして大きな鍋で炒《い》ンベえか

   トペアコ(小)な鍋で炒ンベえか

   大きな鍋で炒ンベや……

   大きな鍋を爐(ヒボト)にかけて

   其の一粒の豆コを入れて

   一粒の豆コア千粒になアれ

   一粒の豆コア萬粒になアれ

   カアラコロヤエ、カアラコロヤエ

   カラコロコロと搔𢌞した。

   すると豆が大きな鍋一杯になつた。

   婆樣な婆樣な

   こんどは大きな臼で搗くべえか

   小さな臼で搗き申すべか

   大きな臼で搗き申さい

   大きな臼で

   ヂヤクリ、ヂヤクリと搗いた。

   そしたば豆が搗けて

   大きな臼一杯になつた。

   婆樣な婆樣な

   粉下(コオロ)しコ無《なう》申すか

   隣りさ行つて借りて來もさい

   これアこれア太郞太郞

   隣りさ行つて粉下しコ借りて來ウ

   爺樣な婆樣な

   門口にや赤(アカ)エ牛(ベコ)コがいツから

   俺ア厭ンだツ

   太郞々々そんだら裏口から行つて來ウ

   裏口にや犬コいツから

   俺ア厭ンだツ

   ほんだら厩口《うまやぐち》から行つて來ウ

   厩口にや馬コいツから

   俺ア厭ンだツ

   そんだらえエえエ

   爺樣のふんどしの端コで

   おろすベアに…

   爺樣のふんどしの端コで

   プウフラ、パアフラ

   パサパサツとおろした。

   爺樣な婆樣な

   この黃粉コなぞにして置くべなもす

   棚さ上げれば鼠が食ふし

   下さ置けば猫が舐めるし

   ええから、ええから

   爺樣と婆樣の間さ

   置いて寢ベアなアに…

   夜中に爺樣は

   大きな大きな屁ツコを

   ボンガラヤエとひると

   黃粉はパフウと吹ツ飛んで

   婆樣のケツさ行つて吹ツ着いた

   これアこれア太郞太郞

   婆樣のケツさ粉アついた

   早く來て舐めろ

   俺アシヤラ臭いから厭ンだツ

   ほんだらえエ

   あゝ勿體ねア勿體ねア

   ペツチャラ、クツチャラ

   爺樣はみんな砥めてしまつた。

 

[やぶちゃん注:民俗社会の豊穣の祝祭歌のようで、映像が見事に浮び、まっこと、素敵だ。]

 

        爺の屁(其の二)

 昔さあつたどサ、或所に爺樣と婆樣とあつたとサ、爺樣は屋根葺く、婆樣は萱《かや》のべだどサ。嫁子《あねこ》ア一人で土間(ニハ)掃いたば、豆(マメコ)アコロコロと出《で》はつたけどサ。

 爺樣うんす、婆樣うんす、豆ア一ツ出はつた、なぢよにすべます、種《たね》にすべすか、煎《い》つて喰べすかて聞いだどサ、したば、種ば買つて蒔くべす、煎つて喰エ煎つて喰エてセつたどサ。それから嫁子ア鍋出して、カラカラと煎つたど。

 煎つたば煎つたば一鍋、それから臼出して、トントントンと搗いだど、搗いだば搗いだば一臼、今度ア粉下《こなおろ》し出して下したど、下したば下したば一粉下し、

 爺樣うんす婆樣うんす、此のきな粉なぢよにすべますて聞いだと、土間さ置けば雞《にはとり》に喰はれる、馬舍《うまや》さ置けば馬に喰はれる。戶棚さ置けば鼠に喰はれる、臺所さ置くと猫に喰はれるけど、其處で爺と婆の間こサ置いたどサ、したば爺大きな屁ボンとたれたどサ、粉はポツポツと飛んで婆のまんヘサ付いたど、したばての犬子來て、小便臭いぞ美味いぞ美味いぞと言つてみな砥めたとサ、ドツトハライ。

  (田中喜多美氏御報告の二四。)

[やぶちゃん注:同前の祝祭の唱え詞である。「ちくま文庫」版では、佐々木の振った読点の幾つかを句点にしているが、私は、ママが一番(寧ろ、最後の「ドツトハライ。」の他は総て読点にするか、第一話同様に、分ち書きの歌にしたいぐらいである。

「婆のまんヘサ」「婆様の前(隠しどころ)のとこへ」或いは、ダイレクトに「まん」で女性の外陰部を指しているように私は読んだ。豊穣の祝祭に性的表現は必須である。

「したばての」「そうなってしまったところに、の」の意であろう。]

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