南方閑話 犬が姦夫を殺した話
[やぶちゃん注:「南方閑話」は大正一五(一九二六)年二月に坂本書店から刊行された。
底本は国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像を視認した(リンクは表紙。本登録をしないと見られない)。但し、加工データとして、サイト「私設万葉文庫」にある、電子テクスト(底本は平凡社「南方熊楠全集」第二巻(南方閑話・南方随筆・続南方随筆)一九七一年刊)を加工データとして使用させて戴くこととした。ここに御礼申し上げる。疑問箇所は所持する平凡社「南方熊楠選集3」の「南方閑話 南方随筆」(一九八四年刊・新字新仮名)その他(必要な場合は参考対象を必ず示す)で校合した。
これより後に出た「南方隨筆」「續南方隨筆」の先行電子化では、 南方熊楠の表記法に、さんざん、苦しめられた(特に読みの送り仮名として出すべき部分がない点、ダラダラと改行せずに記す点、句点が少なく、読点も不足していて甚だ読み難い等々)。されば、そこで行った《 》で私が推定の読みを歴史的仮名遣で添えることは勿論、句読点や記号も変更・追加し、書名は「 」で括り、時には、引用や直接話法とはっきり判る部分に「 」・『 』を附すこととし、「選集」を参考にしつつ、改行・段落成形もすることとする(そうしないと、私の注がずっと後になってしまい、注を必要とされる読者には非常に不便だからである)。また、漢文脈の箇所では、後に〔 〕で推定訓読を示す。注は短いものは文中に、長くなるものは段落の後に附す。また、本書の掲載論考は全部で八篇であるが、長いものは分割して示す。
今回の分は、ここから。]
犬が姦夫を殺した話
前文、犬が主婦の情夫に懷《なつ》き居《を》るより、之に好愛の情を表はして、反《かへ》つて主婦の姦《かん》を露はしたのと反對に、主人に忠誠な眞情一偏《いつぺん》より、其妻の姦を暴《さら》した例もある。
寬文七年に成つた「隱州視聽合記」二に、『周吉《しきつ》郡犬來村、村老、語つて曰く、「昔し、此村に犬を養ふ者あり。其婦、隣《となり》の少年と通ず。來《きた》る時に、犬、吠ゆ。婦、之を愁ひて、夫に謂つて曰く、『此犬、よく、人を吠ゆ。故に賈客、我門に入らず』云々。夫、之を、『然り。』とし、他方に遣《や》り、放ちけり。婦、『犬の、道を知つて、歸らん。』ことを計りて、囊《ふくろ》に盛りて、此《これ》を送る。既にして、少年、來《きた》る。犬、又、歸りて、之を吠ゆ。夫、寤《さ》めて[やぶちゃん注:底本は「寤つて」。「さとつて」(悟つて)と訓ずることが出来るが、ちょっと躓くので、「選集」を参考にして、かく、した。]、窓より見て、遂に、其姦を得たり。故に『犬來』と書く。『昔會稽張然、滯役在都經年、其婦與奴通、然養一犬甚快、然後歸家、奴與婦謀、欲殺然、犬吠咋、然共殺奴、以婦付官』〔昔(むかし)、會稽(くわいけい)の張然(ちやうぜん)、都に在つて、年(とし)を經(へ)たり。其の婦(つま)、奴(めしつかひ)と通ず。然(ぜん)、一(ひとつ)の犬の、甚だ快(さかし)きを養ふ。然、家に歸る。奴、婦と謀つて、然を殺さんと欲(ほつ)す。犬、吠えて、咋(か)む。然、共(とも)に奴を殺し、婦を以つて、官に付(つきいだ)せり。〕これは「續搜神記」の文を、甚《いた》く省略したのだ。(五月十四日)(大正十二年六月『土の鈴』一九輯)
[やぶちゃん注:以上の最後のクレジットと初出書誌は底本には、ない。「選集」を参考にして補った。『土の鈴』は本書の編者でもある民俗学者本山桂川(『柳田國男「妖怪談義」(全)正規表現版 ひだる神のこと』で既出既注)が編集していた民俗学雑誌。
「隱州視聽合記」当該ウィキによれば、「隠州視聴合紀」(いん/おんしゅうしちょうがっき)は「隠州視聴合記」とも『表記する』とし、寛文七(一六六七)年に『著された隠州(隠岐国)の地誌で』、全四巻・地図一葉。『隠岐島に関する地誌としては現存最古のもので、原本の所在は不明であるものの』、『写本が点々と残されている。著者は不明であるが、当時の地誌類の中でも内容的に優れており、隠岐島の歴史を語る上で欠かせないものとされている』とあった。
「續搜神記」とあるが、これは「搜神後記」の誤りである。「中國哲學書電子化計劃」の影印本の原本のここから視認出来る。私は所持する平凡社『中国古典文学大系』の第二十四巻「六朝唐宋小説選」の六朝の志怪小説集「捜神後記」(伝陶淵明著(偽書説有り)・前野直彬訳・一九六八年刊)で読んだことがあるが、別に岡本綺堂の「中国怪奇小説集」(旺文社文庫一九八二年重版)でも読んだ。後者は「青空文庫」のこちら(分割版)の「烏龍」(うりゅう:岡本が勝手に附した標題)で読める(新字新仮名)。熊楠の言う通りで、引用は引用と言えず、抄録とも言い得ない杜撰なものである。]
「續搜神記」の張然の犬が姦夫を殺した話に似たのが、南印度にもある。キングスコート夫人及びナテーサ・サストリー師合纂「日の話」(ロンドンで一八九〇年出板)一五五―一六〇頁に出ておるのを大要のみ譯出しよう。「正直ながら氣早過ぎた狩人と其忠犬の話」と云ふ題號のものである。
[やぶちゃん注:「題號」の頭の部分は、底本では、「正直きから」であるが、おかしいので、「選集」を参考に以上のように変えた。
『キングスコート夫人及びナテーサ・サストリー師合纂「日の話」』少し調べたが、結局、何も判らなかった。後に出るのも同前であったので、注さない。]
或森にウグラヴヰラなる狩人《かりうど》、住み、其國の王に定額の稅を拂ふ取り極《き》めだつたところ、或る時、王から不意に、「千五百ポン、拂へ。」と命ぜられ、有らゆる財產を賣つたが、漸く、千ポンだけ、手に入れた。不足分の拵へ方が無いので、他に掛替《かけがへ》のない愛犬を近所の町へ牽行《ひきゆ》き、クベラといふ商人に、質入れし、證文ともに渡して、五百ボンを借り入れた。扨《さて》、眼に淚を浮かべて、其犬の名を呼び、「ムリガシムハ(獸中《けものぢゆう》の獅子)よ、吾《わが》忠犬よ、借金を返して了《しま》ふ迄、汝の新主人方を去るなく、是迄、吾れに仕へたと同樣、忠勤を勵んでくれ。」と敎訓して、名殘惜《なごりをし》げに立去《たちさつ》た。
[やぶちゃん注:「ポン」古代インドの金銭単位らしいが、不詳。仮にポンドに近い発音にしただけのことかも知れない。]
其後、暫く有つて、クベラ、商用の爲め、外國へ旅行に出るに臨み、件《くだん》の犬を呼び寄せ、「よく戶《いへ》を守つて、盜賊や、その他の惡人を禦《ふせ》げ。」と云ふと、犬、「承知」の由を、眼と尾で、知らせた。其から、「每日、三度宛《づつ》、米と牛乳を、此犬に飼《やしな》へ。」と、妻に吩付《いひつけ》て出立《いでたつ》た。爾後、犬、よく、門を守り、妻も、數日間は、夫の命の通り、之を飼つたが、永くは續かず。全體、此女、表面と大違ひで、男、無くては、一夜も過《すご》されぬという、大淫婦だから、夫、往《ゆき》て、其夜から、色々、おかしな夢を見て、辛抱が成らず、セツチ部の若い惡漢《あつかん》を招いて、情夫とし、每々《たびたび》の入來《にうらい》に、晝も簞笥の鐶《かん》が、鳴り止まず。忠犬ムリガシムハ、『吾が新主は、主婦の斯《かか》る惡行《あくぎやう》を喜ばぬに相違ない。』と斷定し、一夜《ひとよ》、彼《かの》男、雲雨のこと、果てゝ立歸《たちかへ》る所を、其名の獅子奮迅の勢ひで、吭《のど》に食付《くひつ》き、殺して了《しま》つた。姦婦、驚いて、姦夫を助けに走り出たが、及ばなんだ。
姦婦、何と愁歎しても、臍《ほぞ》を噬《かん》でも及ばず、それより下へは、猶、及ばないから、氣を取直《とりなほ》して、裏の畑へ屍骸を運び、只今迄、掘つて貰《もろ》ふた返しに、自分で、大きな穴を掘り、姦夫を埋《うづ》め、土と葉で蓋《おほ》ふたは、是非も、内證《ないしよ》で濟《すま》す積りの處を、犬は、十分、見知り居《を》つたので、主婦、之を忌むこと、一方《ひとかた》ならず、一切、食物を吳《くれ》ない故、止むを得ず、食後、飯粒の付《つい》た葉を、抛出《はふりだ》すを、拾ふて、纔《わづ》かに生《しやう》を聊《りやう》し乍ら、依然、主命通り、門を守つた。是は、「萬葉集」などにも見える如く、昔しは、吾邦でも、樹の葉に食物を盛つて喫したから、「膳」の字を「カシワデ」と訓《よ》ます如く、南印度では、古來、膳の代りに、葉を用いるから、かく言つたものだ。
其から、二月《ふたつき》立つて、商人クベラが歸つて來ると、犬は、悅んで、走り就て、其足元に、轉げ𢌞り、其裾を銜《くは》て、畑へ引往《ひきゆ》き、姦夫を埋めた所の土を、搔いて、主人の顏を瞰《みつ》め、呻吟した。『扨は、此處を掘つて見よ。』と知らす事と察して、直ちに掘れば、壯漢の屍骸が出たから、『これは。間男に明巢《あきす》を振舞《ふるまつ》た。』と判じて、家に飛び入り、妻を捉へ、「白狀せずば、殺す。」と威《おど》して、逐一、自白せしめ、「畜生さへ、此通り、忠義なるに、斯る大罪を犯した上、犬を餓《うゑ》しめて、仕返しとは、犬の糞で、仇討ち以上の仕方、以ての外の、人畜生とは、汝のこつた。子のないだけが、『切られ與三郞』の面疵《おもてきず》同前、もつけの幸いだ。二度と顏を見せてくれるな。」と、自團太《じだんだ》踏んで突出《つきだ》したので、身から出た錆、何とも言ひ譯の仕樣無《しやうな》く、一言《ひとこと》も出ないから、責めて、尻から詫言《わびごと》と、屁《へ》を、七つほど、ひつて、逃去《にげさつ》た。飛ぶ鳥、跡を濁さぬと聞くに、亭主の留守に、大それたことをするのみか、逃げざま[やぶちゃん注:底本「さま」。「選集」で濁点とした。]にも、仰山《ぎやうさん》な屁を、手向《たむけ》て往く抔、怪しからぬにも程の有る阿魔《あま》だ。「人を以つて、犬に如《しか》ざる可《べ》けんや。」と、牛乳と飯と砂糖を取出《とりだ》して、タラフク、犬に食はせた後ち、「獸中の獅子よ、汝の忠義を謝すべき詞《ことば》が無い。今度、汝の盡力に比べて見ると、汝の舊主に貸した五百ポン位《ぐらゐ》は帳消しにして、なほ、餘借《あまり》有りだ。持《もつ》まじきものは、多婬の妻で、持つべき者は犬也けり。斯る忠犬に、離れた狩人の心根が糸惜《いとをし》ければ、只今、汝に暇をやるから、速やかに舊主へ歸るがよい。」と語り、狩人が差入《さしいれ》た證文の端を、少しく裂《さい》て、事濟みの印しとし、犬の口に銜へしめて、放ちやると、犬は、悅んで、森に向ひ、走つた。
[やぶちゃん注:「餘借」江戸時代の法令の中に、この熟語があるという記載を見つけたが、そこでは、ある借金があって、「それ以外の別な借金」という意味らしいとあった。しかし、ここは「余りある」の強調形に過ぎないから、敢えてこの二字で「あまり」と訓じておいた。]
此時、狩人は、やつと、五百ポンの金を拵へ、利息を揃へて仕拂ふ爲め、商人方《かた》へやつてくる途上で、犬に逢ふと、大悅びで、走りかかつた。狩人、之を見て、「扨は。此犬、予の敎えに背き、予に逢ひたさの餘り、商人方を逃げ出した、不埒な奴だ。殺してやろう。」と葛(かづら)を取《とつ》て、其首に締めつけ、木の枝に懸《かけ》た。犬は、折角、『悅ばせう。』と、走り付《つい》て、こんなに縊《くび》られたから、薩張り、勘定が合はず。狩人、頓《やが》て、商人の家に到り、持參の金を、さらけ出すを見て、商人、いわく、「其れには、決して、及ばない。貴公の犬が、拙妻と云つたら、本當の拙妻で、予の不在中に、素性《すじやう》の知れぬ男を引き入れ、家名を汚《けが》した上、屁を、七つ迄、尻から言ひ譯抔と洒落て、ひり逃げにする程の、不貞腐《ふてくさ》れの姦夫を殺し吳れた忠節、既に五百金を償ふて餘り有り。因《よつ》て、先刻、兼て預り置いた證文を、其口に銜へさせて放ち遣つたに、貴公は逢はずや。何かしたと見えて、恐ろしい顏付《かほつき》だ。彼《か》の犬に、凶事でも有つたのか。」と聞きも果《はて》ずに、狩人は、五體を地に抛《なげう》ち、「ハア、早まつたり、そんな譯と知らずに、犬を殺して了つた。定めて、予を恨んでがな居《を》るだらう。」と言ふかと思へば、忽ち、短刀で、自《みづか》ら、突いて、矢庭に、死してんけり。商人も、「先刻、漸く、家に歸つて、女房の不貞を知り、屁を七つまで發射される。せめて、狩人が來る迄、俟《ま》つたら、犬も、人も、死なすまいに。」と、悲しさと、臭さに、氣を取詰《とりつ》め、狩人の手から、もぎ取つた刄《やいば》で、是亦、自殺した。
此事、程無く、村中に聞え、狩人の妻、古い川柳に、「奧樣は夕べせぬのが無念也」[やぶちゃん注:底本では、「せぬ」の部分が、「✕✕」と伏字になっているが、「選集」で復元した。]と有る通り、「こちの人は、正直で、永らく不在で、漸く、金を拵らへ、歸つて、久し振《ぶり》の睦言《むつごと》も交へない内に、仕拂ひに出た斗《ばか》りに、自他を連ねて、こんな憂き目を見るといふは、何たる因果ぞ。自分、此上、永らへて、おかしな[やぶちゃん注:ママ。]夢抔見るも、物笑ひの種なれば、生延《いきのべ》て何かせん。」と、是亦、身を井戶に投げて死んで了ふ。商人の妻も、自分一人の心得違ひから、三人一疋といふ、人と犬の落命を惹起《ひきおこ》し、町へ出れば、「そりゃ。無類《むるい》の助兵衛女《すけべゑをんな》が通るは。屁を、七つまで、さても、根《こん》强く、よく、ひつたり。定めて、腰がしたゝかで有らう。」など、子供が、罵り附いて來るので、今更、世に在る望みも絕えて、是亦、自殺したと云ふ事だ。
[やぶちゃん注:以下、一行空けがある。]
キングスコート夫人、右の談に附記して、其書二九二―三頁に述べたは、『一八三四年出板、「アジアチク・ジヨーナル新輯」卷十五に、カウンポールの一新聞紙から次の噺を引き居《を》る。』と序して、ダペーと名《なづ》くる行商人、ビロてふ犬を持つ。此犬、主人の旅行に伴《とも》して、主人の眠る間だに、よく其貨物を番した。時にダベー、穀《こく》を、遠方へ賣りに行かんとすれど、資本、なし。熟考の末、其犬を、千金に質入れして、用を足《たさ》んと、奔走するを、皆人、笑ふて、顧みず。ヂヤラムてふ富商、其犬を質《しち》に取つて、十二月《つき》を限つて、千金を貸した。十一ヶ月立つて、「こんな詰まらない物を抵當に、千金も貸したは、愚の骨張《こつちやう》[やぶちゃん注:「骨頂」はこうも書く。]。」と悔やめど、甲斐なし。然る處ろ、眞闇《まつくら》で恐ろしい一夜《ひとよ》、夥しく、刀の音と、犬の聲するに、眼を醒《さま》すと、一群の盜賊、闖入するを、犬が必死に成つて、防戰最中だつた。ジヤラム、何とか犬を助勢せうと思ふ内、犬、既に、二賊を嚙み殺した。第三の賊が、ジヤラム來たるを見て、其頭に打つてかゝる處を、犬、其吭に喰付《くひつ》いて、是も、斃《たふ》して了つた。騷動、畢《をは》つて、ジヤラム、「よくも、此犬を質に取置《とりお》いた。」と大悅び、翌日、犬を呼んで撫𢌞《なでまは》し、「汝、昨夜の功は、千金に優る。褒美に、今より、暇《いとま》を取らすぞ。」と云ふと、ビロ、首を振つて、『本主ダベーが歸つて來ない内に爰《ここ》を去る事は成らぬ』と云ふ意を表はした。ジヤラム、乃《すなは》ち、事由を書付《かきつ》け、「千金は、消し帳。」と記《しる》して、犬の頸に結付《むすびつ》けると、犬は、悅んで、飛𢌞《とびまは》り、ジヤラムの手を舐ねた後ち、本主を尋ねに立去《たちさ》つた。一方、ダベーは、「期限も遠からず、何とか、借金を濟まさん。」と心配した事業が、中《あた》つて、金が出來たので、「一刻も早く、犬を受け出そう。」と金を持つて、急ぎ歸る。今一足で、吾家といふ處で、バツタリ、犬が悅んで近寄るに出逢《であつ》た。素《もと》より、正直一徹の氣象とて、犬を蹴飛ばし、額に、皺、よせ、「此恩知《おんしら》ずめ。いつも可愛がつてやつたに、飛《とん》だことをしやあがる。十一ヶ月の間、奉公したのに、今三十日の辛抱が成らぬか、約束の日數《ひかず》を勤めないで、予の信用を失はしめた奴は、殺さにや成らぬ。」と云ふや否や、拔刀して、ビロを斬殺《きりころ》した。殺し了つて、頸に結びつけた紙に氣が付き、「なになに。『この犬、昨夜、白刄を冐《をか》して、三賊を殪《ころ》し、予の命を全うした功、千金に優る。依つて、其の主人に貸した千金を消し帳とし、犬を解放する。』と、ジヤラムの手筆《しゆひつ》だ。「そんな事とは、露知らず、燒芋の一つもやらずに殺したは、扨も、恩知らずめと、此主人を蔑《さげ》しむことで有ろう。」と、悔《くい》の、八千度、繰り返しても、跡の祭り、「せめて、幾分の罪滅しに。」と、只今、犬が殺された、其所へ埋《うづ》め了り、其上に、立派な碑を立てた。今も、其邊の土人が、犬に嚙まるゝと、其墓に詣り、墓邊《はかのべ》の塵を取り、歸つて、創《きず》に當《あつ》れば、忽ち、平癒す、と云ふ事だ。(大正十二年六月十四日早朝)(大正十三年五月『日本土俗資料』一輯)
[やぶちゃん注:最後のクレジットと初出書誌は同前で補ったもの。
以下、一行空けがある。]
人の情事に犬が關係した件《けん》を、今一つ、見出だしたから、申し上ぐる。和銅頃の筆といふ「播磨風土記」に、昔し、景行天皇、播磨の印南別孃(《いなみの》わきいらつめ)を訪《おとなは》んと、赤石郡《あかしのこほり》に到り玉ふ。其時、別孃、聞いて、驚き畏れ南毗都麻(なびつま)島に遁れ度(わた)る。是に於て、天皇、乃《すなは》ち、賀古の松原に到りて、覓《もと》め訪ひ玉ふ。是に於て、白犬、海に向《むき》て、長く、吠ゆ。天皇問ふて云《いは》く、「これ、誰《た》が犬ぞや。」と。須受武良首(すゞむらのをびと)對《こたへ》て曰く、「是、別孃、養ふ處の犬也。」と。天皇、勅して云く、「好く告《つぐ》るかな。」と。故に「告(つぐ)の首(おびと)」と號《なづ》く、と。其より、海を渡つて、孃に遇ひ、睦事《むつびごと》をなし玉ひし次第を、述べて居《を》る。畢竟、此孃、海島《かいとう》に遁れ隱れたのを、犬が吠《ほえ》て、其所を知らせたので、天皇、殊の外、御機嫌だつたと見える。(五月二十八日)(大正十二年六月『土の鈴』一九輯)
[やぶちゃん注:最後のクレジットと初出書誌は同前で補ったもの。
「和銅」七〇八年から七一五年まで。女帝元明天皇の治世。
「播磨風土記」現在、編纂が行われた期間は和銅六(七一三)年から霊亀元(七一五)年頃までとされている。
「印南別孃」播磨稲日大郎姫(はりまのいなびのおおいらつめ)。第十二代景行天皇の皇后。日本武尊の母。針間之伊那毘能大郎女(はりまのいなびのわかいらつめ)とも呼ぶ。「播磨風土記」では、逃げ隠れた場所を「南毘都麻(なびつま)の嶋」と記している。現在、兵庫県高砂市荒井町(あらいちょう)小松原(こまつばらにある三社大神社(グーグル・マップ・データ)に比定されてあるようである。]
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